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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

1とはずがたり:2009/04/24(金) 14:50:24

前スレhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1146286762/l50
カタコト倉庫の次期衆院選スレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/2410/1126609657/l50
05衆院選スレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1089950050/l50
07参院選スレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1089893576/l50
10参院選スレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1202752370/l50

4061千葉9区:2009/08/20(木) 23:38:43
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0001/fe_001_090730_01.htm
政権選択の夏

(1)竹下ブランドに陰り

 石見銀山の積み出し港として栄えた島根県大田市の温泉津(ゆのつ)温泉街で26日、雨の中、傘もささずに走る自民党の竹下亘の姿があった。街頭の市民に駆け寄って握手した後、こう訴えた。

 「車の通る量の多い、少ないで、物事を決める野党の人たちに、古里の未来を託すことはできない」

 道路建設など公共事業削減を掲げる民主党を必死に批判する竹下を横目に、陣営幹部は「今はハコ(建物)で会合をやっても、案内した人しか来ず、外に出て訴えざるを得ない。島根も都市型選挙になったわね」と、ため息交じりにつぶやいた。

 島根2区は竹下の兄、竹下登元首相が1958年に初当選して以降、中選挙区時代も含め、半世紀にわたって「竹下家」が議席を守ってきた。前回衆院選も竹下が国民新党の亀井久興を圧倒した。

 ところが今回、竹下陣営に余裕はうかがえない。

 2007年の参院選ショックが尾を引いているためだ。島根では自民党現職で竹下元首相の秘書を務めた景山俊太郎が国民新党新人の亀井亜紀子に思わぬ敗北を喫した。そのうえ、今回は民主、共産両党が候補擁立を見送っており、亀井が反自民票を結集する環境が整っている。

 出雲市で26日夜開かれた亀井のミニ集会では、民主党と国民新党の旗が並んで掲げられた。島根県議の成相安信(なりあいやすのぶ)は約70人の聴衆を前に「自民党を倒す包囲網ができた」と自信を見せた。前回選挙の竹下の得票は、民主、共産、国民新3候補の合計票より約1万票上回ったが、今の野党への追い風に乗れば「1万票差を埋め、さらに上回ることは可能」というわけだ。亀井は「竹下軍団(陣営)は選挙のプロ。(勝つのは)簡単ではない」としながらも、「情勢は五分五分」と手応えを隠さない。

 危機感を募らす竹下陣営は、参院選直後、街頭用ポスターをそれまでの倍以上の5000枚以上も印刷。「数か月で色落ちする」として、これまで計5回も張り替えるなど、逆風を押し返そうと懸命だ。しかし、竹下系の大田市議からはこんな弱音も漏れる。

 「公共事業が極端に減った今、『竹下ブランド』の威光にも陰りが出ている」





 茨城県医師会の政治団体、県医師連盟の幹部らが25日夕、水戸市の県医師会館3階の会議室に顔をそろえた。かつて自民党の有力支援団体だった連盟だが、会合は民主党の大泉博子を政策面で支援するためだった。

 連盟の原中勝征(かつゆき)委員長は、自民党の丹羽雄哉への敵対心をむき出しにした。

 「誰もが丹羽先生は厚労族のトップと思っているが現場の意見を聞こうともしない」

 政府・与党の医療費抑制策に連盟には不満がうっ積。後期高齢者医療制度の導入が自民党と決別する契機となり、県内全選挙区で民主党候補の推薦を決めた。特に、厚生労働行政に影響力をもつ丹羽に矛先を向け、6区を最重点区とした。原中自身が白衣姿でビラ配りに汗をかくほどの念の入れようだ。「保守王国だけに、民主党支援をためらう会員も多い」(連盟幹部)が、大泉陣営は大泉と原中が一緒に写った政党ポスターを掲示し、堅固な保守地盤に生じた裂け目を突く戦術だ。

 29日朝、JRひたち野うしく駅前で街頭演説を行った大泉は旧厚生省出身らしく、「政権交代をして、医療制度改革をしたい」と訴え、丹羽をけん制した。

 一方の丹羽陣営。連続10回当選で、これまで「横綱相撲」を展開してきた。だが、今回、丹羽は地元に張り付き、ドブ板選挙に徹する。25日にはつくば駅近くで辻(つじ)立ちを行い、精力的にあいさつ回りをする姿に、地元では「珍しいことだ」と評判になるほどだ。

 丹羽は25日夜、土浦市での公明党関係者を前にした講演で、「高齢者医療制度、色々言われるが、負担もサービスも全く変わっていない」と連盟の批判に反論したうえで、こう締めくくり、公明票への期待を語った。

 「小選挙区は丹羽、比例は公明党。どんなに逆風があろうと、はねのけたい」(敬称略)

(2009年7月30日 読売新聞)

4062千葉9区:2009/08/20(木) 23:39:19
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0001/fe_001_090731_01.htm
政権選択の夏

(2)新人女性 大物狙う

 歌舞伎「勧進帳」の舞台、安宅の関で知られる石川県小松市。民主党の田中美絵子=コラージュ左下=は28日午後、JR小松駅前の商店街の店先から店先へダッシュを繰り返していた。クリーム色のジャケットに白いパンツ姿の田中は、腰を90度に曲げ、店主らの手を両手でしっかり握る。「生活を変えるチャンス。政権交代をお願いします」。汗だくになりながら、ひたすら頭を下げていた。

 小松市は自民党の元首相、森喜朗の地元だ。連続当選13回。小泉、安倍、福田、麻生内閣の後見人でもある実力者。民主党はそこに名古屋市長の河村たかしの秘書を務めた33歳の新人女性を送り込んだ。

 民主党は2007年の参院選岡山選挙区に新人の姫井由美子を擁立。当時自民党参院幹事長だった片山虎之助は苦杯をなめた。

 〈自民党の大物に新人女性が挑むシンボル選挙区を作って世論の関心を集め、選挙戦全体の主導権を握る〉

 民主党代表代行の小沢一郎は、衆院選も同じ手法をとる。

 その小沢は16日、田中陣営の選対本部長代行を務める北村繁盛県議らを都内の料理店に呼び「森は今までにないほど企業に圧力をかける選挙をしている。どぶ板選挙、草の根選挙をやってくれ」と要請。自らの秘書も田中陣営に送り込んだ。田中は「自転車街宣」を得意とする河村の選挙術も取り入れ、「姫の虎退治」に続く2匹目のドジョウを狙う。

 これに対し、森陣営の緊張感はかつてなく高まっている。森は週末はほとんど地元入りし、企業や支持者を休みなく回り続けている。若手議員らへの応援で全国を飛び回っていた前回選挙までとは様変わりだ。

 今年の元旦、森は21年ぶりに地元で過ごし、神社で当選祈願した。以来、願掛けで断酒を続けている。小学校の学区ごとに国政報告会を開催。系列の県議や市町議を町内ごとに3〜5人ずつ配置し、徹底したどぶ板選挙で「大番狂わせ」の阻止に懸命だ。

 「『(田中と)握手したら、ぽちゃぽちゃして、なんや気持ちよかったわー』とよく言われる。気持ちよくなって、そのまま投票されると困る」

 森の冗談めいた言葉にも危機感がにじむ。



 愛媛1区から出馬する民主党新人、永江孝子も地元民放アナウンサーとしての知名度に目をつけた小沢がスカウトした一人だ。前回参院選の愛媛選挙区で、元Jリーガーの友近聡朗が閣僚経験を持つ自民党現職を破った再現を狙ったものだ。

 松山市の伊予鉄道松山市駅前に27日、ポロシャツ姿の永江が演説のために現れると「永江さんや」「絶対勝ってな」と通行人から声がかかった。

 永江は「私は番組で18年間、愛媛を取材してきた」と自己紹介から入ったが、すぐに政府批判に切り替えた。

 「無駄遣いの税金は10兆円を超えとんです」「国交省職員のタクシー代は、多い人で年間490万円。愛媛県民所得の2年分です」

 永江はその知名度が「武器」だが「保守王国の愛媛では、イメージ戦術だけでは限界がある」と見た陣営幹部が「具体的な数字で政府批判ができるように」と助言し、永江も党の資料を熟読して暗記したという。世論の不満を追い風に、保守の壁を崩す戦術だ。

 自民党の元官房長官、塩崎恭久も政策重視で受けて立つ構えだ。自民党の政権公約(マニフェスト)策定の遅れにしびれを切らし、衆院解散に合わせ、「日本・愛媛再生提言」と題した独自の7項目の政策チラシを作成。「与野党協働による新年金制度」「天下り・渡りの廃止」などを盛り込んだ。

 塩崎は「国、地方を元気にすることを丁寧に語るしかない」と強調する。(敬称略)

(2009年7月31日 読売新聞)

4063千葉9区:2009/08/20(木) 23:40:04
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0001/fe_001_090804_01.htm
■政権選択の夏

(3)チルドレンもつらいよ

 甲府盆地特有のじっとりした暑さが、日没後も続いていた。7月28日夜、小野次郎は甲斐市で開いた自らの選挙対策本部会合で、緊張した面持ちで頭を下げた。

 「私は不幸にして、保守系の分裂選挙でデビューせざるをえなかった。綿々と自民党が守ってきた議席を、守らせてほしい」

 元首相、小泉純一郎の首相秘書官だった小野は、2005年の前回衆院選で、「郵政造反組」の現甲斐市長、保坂武に対する刺客候補として秘書官を辞めて山梨3区に出馬した。小選挙区では保坂に敗れたが、比例で復活当選し、以後、当選1回の「小泉チルドレン」の象徴的存在だった。

 そのチルドレンたちは今回、ほとんどが苦しい戦いを強いられている。小野も例外ではない。

 保坂が昨年、甲斐市長に転身したことで、小野は元自民党副総裁の金丸信が築いた強固な保守地盤で「オール自民」の支援を受けて戦うことになった。しかし、盤石の体制には程遠いのが実情だ。保坂支持者の取り込みが遅れているからだ。

 「4年前、郵政民営化反対の人が選挙区で勝ったことを忘れてはいけない」

 「小野先生も変わってくれ。もっと地域代表の政治家になってほしい」

 大半が保坂支持者だった28日の会合でも、「遺恨」をうかがわせる発言が次々に飛び出した。

 4年前の選挙で負けたにもかかわらず、相変わらず構造改革や郵政民営化を叫び、地元に目を向けようとしない――。

 多くの保坂支持者の小野に対する思いはこうだ。

 小野は8月8日の総決起大会に小泉を招くことにしている。これまでの会合の来賓も、元幹事長の武部勤、元防衛相の小池百合子、元行政改革相で自民党を離党した渡辺喜美ら、「小泉系」「構造改革派」が大半だ。

 「まだ小泉離れをしていないのか。これでは保坂支持者は離れるばかりだ」

 保坂支持から小野支持に回った地元有力者も、こう小野にかみついたほどだ。

 保坂自身は小野支援の姿勢を見せている。小野も保坂の秘書を雇い、保坂系を含む自民党県議9人との集合写真をポスターに使うなど、融和に懸命だが、「壁」は取り払えていない。

 そんな小野を横目に、民主党の後藤斎は、郵便局長らの政治団体「郵政政策研究会」の支援を得た。同会は親類縁者をたどって1000人以上の名簿を集め、ポスター張りや電話での支持集めにも加わっている。後藤が7月17日に開いた決起大会には、局長や家族ら約170人が駆けつけた。

 郵政民営化を唱える小野への同会の敵対心はひときわ強い。郵政研県西部地区会長の片田駿三はこう語る。

 「小野氏には大差で勝たなければ。比例復活も許してはならない」



 東京5区に「落下傘候補」として出馬するチルドレンの一人、佐藤ゆかりも、必死で地元への浸透を図っている。

 7月30日、ヘッドセットマイクを付け、愛用の赤いマウンテンバイクにまたがった佐藤は、自分の名前を連呼しながら目黒区の住宅街を走り抜けた。行く先々にはテレビカメラが何台も待ち構えていた。報道各社に事前に連絡していたからだ。

 前回出馬した岐阜1区で、「造反組」の消費者相、野田聖子との公認を争って全国的な注目を集めた佐藤は、党本部の調整で東京5区に国替えした。戦術の柱は、メディアを活用した露出度アップだが、佐藤を支援する自民党のベテラン目黒区議、宮沢信男は「どぶ板をやらないと勝てない」と苦言を呈する。佐藤と宮沢は7月31日、宮沢の支援者の自宅など約250軒を4時間かけて回ったが、効果は定かではない。

 対する民主党の手塚仁雄は8月3日、朝から東急中目黒駅前に立って政権公約(マニフェスト)を掲げ、「自民党批判はもう終わり。これからは民主党の政策の現実味を感じてほしい」と訴えた。知名度の高い党の女性参院議員、蓮舫と連携し、街頭演説を共にしたり、ポスターに登場させたりして、佐藤に対抗している。

 都議の初当選から16年以上、5区で活動してきた手塚はこう語り、胸を張る。

 「全国的な知名度は1対100だが、地元では五分五分だ」(敬称略)

(2009年8月4日 読売新聞)

4064千葉9区:2009/08/20(木) 23:40:51
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0001/fe_001_090805_01.htm
政権選択の夏

(4)世襲 ゆえに悩む

 「政治家の世襲は、歌舞伎役者や落語家みたいなものではない。有権者が当選させて初めて成立する」

 三浦半島の三崎港近く、三浦市民ホールで7月28日夜に開かれた、神奈川11区の公開討論会。自民党の小泉進次郎は、他の候補予定者からの世襲批判に苦笑を浮かべながら反論した。

 親の地盤を引き継ぐ政治家の世襲は、有能で幅広い人材の政界進出を妨げる障壁だ――。世襲批判の高まりを受け、自民党は今春の一時期、すでに公認が内定していた小泉純一郎元首相の次男、進次郎を含め、世襲新人候補公認の是非を検討した。だが、「公認内定を取り消せば、現場の反発と混乱を招く」として、本格的な世襲制限は次々回衆院選から、で落ち着いた。

 民主党は神奈川11区を「小泉100年王朝」と揶揄(やゆ)する。曽祖父は逓信相を務めた又次郎、祖父は防衛長官だった純也で、4代目の進次郎は「世襲候補」の代名詞というわけだ。

 進次郎陣営は世襲の長所、短所を計算しつつ、戦術を組み立てる。

 進次郎は6月下旬まで街頭に立つのを控えていた。「先代からの支援者あいさつが先」と党県連幹事長の竹内英明ら陣営幹部が抑えてきたためだ。

 しかし、6月28日の横須賀市長選で父、純一郎が支援した現職が敗れると、危機感は高まり、進次郎も街頭へ飛び出した。

 街頭演説をする進次郎の周りには、常に多くの人だかりができる。世襲問題を巡る報道は、進次郎の知名度アップにつながった。ただ、上滑りを警戒する進次郎は8月2日、横須賀市での事務所開きで「厳しい声を浴びない日はない」と険しい表情で訴えた。

 父、純一郎だけでなく、兄で俳優の孝太郎についても、進次郎は「応援はあり得ない」と明言。公明党へ推薦願も出さず、比例との重複立候補も拒否し、退路を断った。ひ弱、親の七光りという世襲のマイナスイメージを払拭(ふっしょく)したいとの思いがにじむ。

 民主党の横粂勝仁とは、全国で唯一の自民、民主両党の新人20歳代対決となる。

 横粂は集会で「相手が世襲候補では太刀打ちできない、そんな政治を直すのが私の役目だ」と力説する。

 進次郎とは若さ以外、共通点は少ない。横粂は愛知県出身で、「小泉改革の発祥地で自民党政治を問い直すべきだ」として、縁もゆかりもない神奈川11区からの出馬を決めた。

 「トラック運転手の息子」という庶民性、1日30キロ以上を自転車で走り回る運動量で、「小泉王朝」に挑む。



 東京湾に近い千葉市の「美浜ふれあい広場」。7月29日朝、ゲートボール大会に集まった年配の女性約30人を前に臼井正一はマイクを握った。

 「父の臼井日出男は28年間務め、引退しました。私も地べたにはいつくばってでも国のため頑張ります」

 あえて世襲候補であることに言及したのは「高齢者の前では、父のことに触れないと『親不孝者』と思われる」(正一)との判断があった。父は衆院議員を8期、祖父の故荘一も衆・参院議員を務め、「臼井党」を自任する年配の支援者も少なくない。「世襲問題はマイナスだけではない。(自分の)知名度は上がった」と正一も前向きにとらえている。

 だが、街頭演説などで日出男や世襲に触れることはほとんどない。3日朝、JR西千葉駅前に立った正一は、「いよいよです。よろしく」と通行人に声をかけながら、重点政策やプロフィルを記した三つ折りの名刺を配るだけだった。「世襲をあまり表に出せば批判を浴びる」(陣営)からだ。

 民主党の田嶋要は7月26日、千葉市での民主党の会合で「安倍、福田の政権の投げ出しを見れば、世襲の弊害は明らかだ」と訴え、正一をけん制した。だが、田嶋陣営も、世襲批判は「ネガティブキャンペーンと見られかねない」として、民主党内の会合などに限定して発信していく構えだ。(敬称略)

(2009年8月5日 読売新聞)

4065千葉9区:2009/08/20(木) 23:41:31
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0001/fe_001_090806_01.htm
政権選択の夏
(5)因縁の対決 再び

 舌戦はエスカレートする一方だ。

 自民党の片山さつきは2日、記者団に「今や敵は城内さんじゃない。政党の候補でない方に何ができるのか」と語った。片山が切り捨てたのは、前回同様、無所属で戦う城内実だ。

 臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の4年を過ごした城内は、片山が議員としての実績を強調している点を逆手に、「実績があるなら自民党は圧勝だろう」と、低迷気味の自民党の姿に片山を重ねて切り返す。

 前回、郵政民営化に反対して離党した城内に、党本部が「落下傘」で片山を送り込み、全国が注目した戦いは片山が748票差で辛勝した。今回は「小泉旋風」に代わる逆風が吹く。昨年は選挙区内に自宅を建て、納涼祭や中小企業の朝礼にも顔を出し、「地元重視」を印象づけてきた片山は、強気の発言と裏腹に、日増しに危機感をあらわにしている。

 7月11日、浜松市の事務所開き。サーモンピンクのジャケットの片山は約1500人の支持者を前にスカートのままひざをついた。

 「身を切る政治をやっていけるのはこの片山です。伏してお願いしたい」

 東大卒、女性初の財務省主計官の経歴で、「高飛車」と評される片山の土下座。地元の反応は「エリート意識丸出しの姿勢が変わった」「しょせん落下傘。焦りが見え見えだ」と割れた。

 一方、「どん底からはい上がってきた」という城内は1日朝、新居町の交差点で「信念を貫く男」と書かれたのぼりと拡声機を抱えた。通行人から「がんばれ」と声がかかる。「郵政造反組」が次々と復党する中、自説を曲げず、同じ態度を貫いた平沼赳夫元経済産業相率いるグループの看板候補だ。都市部から郡部までスニーカーを履きつぶして歩き、郵便局長らの「郵政政策研究会」も重点選挙区として全面支援する。

 その戦いに民主党から参戦してきたのが、元NHKアナウンサー斉木武志だ。

 自ら車を運転し、1日40〜50か所で「辻(つじ)立ち」を行う。「片山氏は財務省、城内氏は外務省出身。今こそ政党主導の政治を」と、2人の対決を「官僚対決」とくくり、有権者の視線を引きつけようとしている。



 石和温泉の川沿いのちょうちんに明かりがともり始めた。7月31日夜。自民党の堀内光雄は近くの笛吹市の福祉施設であいさつし、無所属で出馬する長崎幸太郎を、名指しは避けつつ、痛烈に皮肉った。

 「民主党に風が吹いてあおられている上に、私の足を引っ張るヤツがいる」

 前回、「郵政造反組」として無所属で戦った堀内に自民党公認で挑んだのが長崎だった。財務官僚だった当時を知る堀内には「目をかけてやったのに」との思いもよぎった。937票差で惜敗し、比例で復活した長崎と、安倍政権になって復党が認められた堀内は立場を変え、再び対決する。

 公認争いで長崎は党国会議員で最多の約5700人の新規党員の獲得実績を訴えたが、執行部は堀内の知名度と経験を買った。長崎は「熱心な支持者の気持ちを考えると比例に回る選択肢はない」と、小選挙区にこだわった。比例で優遇されても、次に小選挙区が確約されるわけではない。

 そんな態度を批判した古賀選挙対策委員長名の文書が党員に郵送されると、長崎は7月に離党。古賀と堀内は同じ派閥で、それも長崎陣営の反発を強めた。支持者ら3648人が追随して離党届を出したが、県連は「党費を払っている本物は415人」と断じ、泥仕合になった。

 亀裂は、富士五湖を擁する観光業界にも走った。堀内には長男の光一郎が社長を務める富士急行と関連会社40社がつく。一方、長崎にはそれ以外の観光業者の多くが支援に回る。

 両者を横目に民主党の坂口岳洋は2日、大月市で支援者に「民主党にフォローの風が吹いているが、油断せず、テープを切りたい」と訴えた。坂口は小沢塾出身。風をめいっぱい受けるには、「自民対民主」の構図に持ち込みたい。堀内と長崎の戦いに埋没しないよう、声をからす日が続く。(敬称略)

(2009年8月6日 読売新聞)

4066千葉9区:2009/08/20(木) 23:42:51
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0001/fe_001_090807_01.htm
政権選択の夏

(6)「伝統」の自民分裂

 “宮崎名物”を売り歩くあの東国原英夫・宮崎県知事が表情を硬くした。4日の記者会見で、ご当地の自民党分裂選挙について「伝統的な感じ」と答えた時だ。

 宮崎の自民党は、2007年の知事選、参院選、今回の衆院選――と、分裂の伝統を繰り返している。

 1区は、党最大派閥の町村派が推す中山成彬・前国土交通相と、党宮崎県連が支援する上杉光弘・元自治相が激突する。上杉は党公認を得られないまま、無所属での出馬だ。

 4日、宮崎市で中山と、県連会長の緒嶋雅晃が一本化に向けた協議を行った。緒嶋は「上杉は公募で選ばれた」と訴えたが、中山は「自分が立たなければ勝てない。(2区出身の)あなたは1区に口を出すな」と耳を傾けず、決裂した。

 ことの発端は昨年秋にさかのぼる。中山は日教組批判発言などの責任を取って国交相を辞任。次期衆院選への不出馬を表明した。県連は公募でベテランの上杉を後継に選んだが、上杉と不仲だった中山が今春に一転、出馬に意欲を見せた。

 背景には、中山が属する町村派の後押しがあった。

 「県連が決めた候補予定者(上杉)を党本部は受けていない。幹事長は(町村派の)細田君。私の仲間だ」。7月25日には、派の重鎮の森元首相が激励に駆けつけて講演し、執行部への影響力をこう誇示した。森は中山の出馬を求める署名を手に、中山支持を訴えた。

 町村派は、麻生首相を支える会長の町村信孝、森、安倍元首相、中山が主軸ラインだ。「反麻生」の急先鋒(せんぽう)、中川秀直元幹事長と緊張関係が続く森、町村にとって、派閥事務総長の中山は「派閥運営上、かけがえのない同志」なのだ。

 中央の派閥意識むき出しのやり方に、党内からは「地元軽視だ。最大派閥のおごりと言われても仕方ない」との批判が漏れる。

 むろん、県連も黙っていない。緒嶋らは30日に上京、細田らに「何のための公募だったのか。派閥の発想では、政党政治はおかしくなる」と「上杉公認」を迫った。

 派閥、県連の板挟みになった党執行部は結局、31日に「公認見送り」を決定。反発した県連は、上杉を「県連公認」とした。

 上杉陣営には1区が地盤の自民党県議5人全員がそろう。県内の経済10団体のうち、最大規模の農民連盟を含む5団体が推薦し、「県連公認」が錦の御旗だ。上杉は8月4日、市内で農業関係者約60人に、「敵は中山氏じゃない。民主党が推薦する川村氏だ」と述べ、今後は矛先を民主党に向けるよう訴えた。

 一方、中山は、北朝鮮拉致問題への取り組みで知名度の高い妻、恭子と二人三脚で巻き返しを図る。夫妻は4日の昼と夕、宮崎市内の繁華街に立った。恭子が「成彬は一生懸命働く」と訴えると、道行く人が握手を求めて集まってきた。11日には町村が応援に訪れる。

 民主党などが推薦する無所属、川村秀三郎は、「政権選択選挙にもかかわらず、自民党のまとまりのなさは、国民に何を訴えるのかという点からも、極めてわかりづらい」と自民批判のボルテージを上げる。(敬称略)

(2009年8月7日 読売新聞)

4067千葉9区:2009/08/20(木) 23:44:20
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0001/fe_001_090808_01.htm
政権選択の夏
(7)公募はしたけれど

 青森県五所川原市で伝統の「立佞武多(たちねぶた)」祭りが始まった4日。「ヤッテマレ!ヤッテマレ!」のかけ声と笛や太鼓の音が飛び交う中、「太宰治生誕百周年」のたすきを付けた津島淳は必死に声を張り上げた。

 「新聞でお騒がせしています。太宰の孫の津島淳です」

 津島は、自民党前衆院議員の雄二を父に、作家・太宰治の娘を母に持つ。しかし、つい半月前までは、自分が今回の衆院選に出馬するとは思ってもいなかった。

 雄二は衆院解散直前の7月19日、「若い人が次の時代を開く政治の必要性を感じた」と突然、引退を表明した。前夜に電話で知らされた淳は、驚きながらも、「私も政治家を目指します」と決意を伝えた。

 党青森県連会長の大島理森は20日、「開かれた党として広く人材を集め、活力を再生したい」と、後継は公募で決めることを宣言した。ただ、県連では当初から、「雄二の地盤(後援会)、看板(知名度)、かばん(資金)を継ぎ、短期決戦に対応できるのは淳だけだ」「太宰治の生誕百周年のブームに乗れるかもしれない」と淳の出馬を求める声が強かった。

 29日、県内外の応募者20人から淳が選ばれると、反発の声がわき起こった。「公募は世襲批判をかわすための出来レース」という見方があったところに、県連が最終選考での県議らの無記名投票の結果を発表せず、演説もプライバシー保護を理由に公開しない対応をとったからだ。地元メディアは「不透明な選考過程」と報じた。

 党本部では、公認決定に影響力を持つ選挙対策副委員長の菅義偉がもともと世襲制限を主張していた。党は31日、淳の公認見送りを決めた。

 収まらないのは大島だ。同日夜、党幹事長の細田博之に電話し、「(公認しない理由は)世襲ということか。公募をきちんとやっている。強く抗議する」とかみついたが、細田は「世襲に問題があると強く言う人がいる。理解してほしい」と繰り返すばかり。県連は淳を独自に「公認」した。

 「県連公認」は公式には無所属候補となり、選挙運動の面で様々なハンデがある。世襲批判も消えないが、陣営幹部は「それでも津島後援会の組織をフル稼働させられるのは淳しかない」とプラス面を強調する。

 対する民主党の横山北斗の陣営では「世襲政治の是非を積極的に問うべきだ」という声がある。一方で、「親子で攻めてくる敵を結束させる結果になる」という見方も出ている。

 横山は「無所属では有権者との約束を果たせる保証はなく、無責任だ」と指摘しており、淳が自民党の公認を得られなかった点を攻める構えだ。



 あまりにも突然の離党だった。

 7月21日の衆院解散直後、自民党神奈川県議の土井隆典の携帯に山内康一から電話が入った。「今解散になりました」と言う山内に、「頑張ろうな」と声をかけようとした土井の耳に、思いもかけぬ言葉が飛び込んできた。

 「実は離党します」

 土井は言葉を失った。

 山内は2005年の前回衆院選に自民党県連の公募候補として出馬し、初当選した。福岡出身の「落下傘」候補だった山内を、選挙事務所設営から家探しまで面倒を見たのが土井だった。土井は自らのホームページに「裏切られた気持ちでいっぱいだ」とつづった。

 県連は後継候補を見つけられず、前回に続く公募を決めた。募集期間は4日間で、8月9日に最終選考を行う窮屈な日程だ。ただ、山内離党の苦い経験から、地元には「公募アレルギー」も出ている。幹事長の竹内英明は「将来も含め、覚悟があるかどうかを面接でしっかり確認する」と語る。

 捲土重来を期す民主党の笠浩史にとっては、自民党の混乱は好機だ。しかし、「公募で知名度のある人が出てくると想定し、選挙活動をしている」と述べるなど、陣営を引き締めている。(敬称略)

(2009年8月8日 読売新聞)

4068千葉9区:2009/08/20(木) 23:44:59
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0001/fe_001_090811_01.htm
政権選択の夏

(8)首相おひざ元も逆風

 人気アニメ「サザエさん」の曲が会場に流れた。

 「全国各地を走っている皆のため 何でも解決 うちらの誠ちゃん 沿岸道路も開通しましたよ ルルルルルル きょうもいい天気」

 1日午後、福岡県みやま市の公民館で開かれた自民党の古賀誠の「女性の集い」。約400人の出席者が最後に、古賀の応援歌を大合唱した。

 地元には、「誠橋」と呼ばれる橋もあるほどだ。公共事業を通じた地元への貢献をたたえる歌に、古賀は照れ笑いを浮かべた。

 これまで古賀は、衆院選の投開票日までに選挙区に入ることは少なかった。まして今回は、自民党全体の戦いに目を配る選挙対策本部長代理の職にある。その古賀が地元に張り付き、必死で組織を固めている。

 大牟田市の夏の風物詩とされる7月25日の「大蛇山まつり」には、白い法被とねじり鉢巻きをつけて踊る古賀の姿があった。毎年顔を出しているが、選挙直前の今年は、1万人の参加が見込まれる「総踊り」は支持獲得のチャンスだ。若者から記念撮影や握手を求められると、両手でVサインを作って上機嫌で応じた。

 最近は、小学校区ごとに数十人から100人程度の会合を重ねている。30年以上前から古賀を知る地元の市議が「かつてない危機感だ」と漏らすほどだ。

 理由は、党への逆風ばかりではない。民主党代表代行の小沢一郎が、代表だった昨年9月、古賀の元秘書で古賀が仲人もした前八女市長の野田国義を対抗馬に擁立し、「下克上選挙」に持ち込んだことが大きい。

 小沢の狙いはこうだ。

 福岡は首相の麻生太郎のおひざ元だ。その福岡で最低でも全11区の過半数を制する。選挙を仕切る古賀の落選はその象徴となる――。

 古賀のもとにいた野田なら、古賀票の引きはがしを見込めるというわけだ。

 古賀は5日、大牟田市での会合でこう語った。

 「苦しい選挙戦だが、30年の政治活動の集大成として悔いのないようにしたい」

 対する野田は6日夜、日中の暑さが残るみやま市の小さな公民館で、約30人の聴衆に「福岡7区から政権交代ののろしを上げてください」と訴えた。

 隅々まで後援会組織を張り巡らせる古賀の前に、野田陣営は一時、手詰まり状態に陥っていた。勢いを取り戻したのは、6月の小沢の訪問がきっかけだ。

 小沢は、柳川市内の料理店に野田後援会の幹部ら約100人を集めた。名産のうなぎ料理を前に、小沢がお酌して回った相手の中には、古賀後援会の元幹部もいた。野田は「各地域で核になる人をつくれ、という『小沢流』を学んだ」と意を強くした。

 多くの首長が「私は古賀先生と心中する」と公言するなど、古賀の「壁」はなお厚い。それでも、野田は「自民党が下野したら、どんな大物政治家でもただの野党議員だ」と強気だ。



 麻生も6日、首相就任後初めて選挙区に入った。演説会場となった飯塚市の広場には7000人が集まり、せみ時雨をかき消すほどの「太郎コール」が起きたが、マイクを握った麻生は自らの失言などに触れ、「私の力不足。心からおわび申し上げます」と頭を下げた。

 麻生陣営は、「首相といえども楽観はできない」と組織を引き締めている。しかし、全国を飛び回る麻生が再び選挙区に入るのは難しい。

 「おやじが厳しいので帰ってきました。よろしくお願いします」

 麻生の窮状を見て、米国の大学に留学している24歳の長男が一時帰国した。父親から譲られ、裏地に「TA」というイニシャルが入ったスーツを着て、支持者を回っている。

 対する民主党の山本剛正は、地縁のない「落下傘」候補だ。県連が2007年に擁立を決めてから、街頭演説は3500回、戸別訪問は2万軒を超えたという。

 「麻生政権ができた時は、邪魔者扱いされ、心が折れそうになった。それに比べれば、今は地獄から天国に来たようなものだ」と、相手への逆風を自らの追い風にすることに手応えを感じている。(敬称略)

(2009年8月11日 読売新聞)

4069千葉9区:2009/08/20(木) 23:46:45
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0001/fe_001_090814_01.htm
政権選択の夏
(9)「第3極」への道険し

 無所属の元経済産業相・平沼赳夫はこの日、冗舌だった。

 西日本有数の桜の名所、岡山県津山市の津山城跡近くのホテルで8日夕に開かれた女性後援会の会合。約200人の女性を前にあいさつに立った平沼は、ジャーナリストの櫻井よしこへの講演依頼から話を始めた。

 「平沼さんからは(謝礼を)いただかないわ」

 平沼が、櫻井の独特の声色をまねると、会場は大きな笑いに包まれた。

 しかし、自民、民主両党の衆院選マニフェスト(政権公約)の話題になると、口調は一変した。

 「ローマ時代末期が頭に浮かんだ。パンとサーカスだ」

 両党が子育てなどに関し、「無償化」や「手当」を乱発する様子を、ローマ帝国の政治家が市民の関心を引こうと、食べ物と娯楽をふんだんに提供した故事になぞらえたのだ。「帝国はばらまき合戦で滅亡した。両党を見るとそんな気持ちが起こる」と批判すると同時に、「迎合政治はしない。絶対にぶれない」と自らの信念を強調した。

 平沼は2005年、郵政民営化に反対して自民党を離党した。「誇り高き無所属」を貫き、元衆院議員ら17人でつくる「平沼グループ」を率いて衆院選に挑む。06年に患った脳梗塞の後遺症もほぼ消え、「今では1時間の演説を1日4回もできる」という。

 5議席以上を確保し、与野党とも過半数に届かない状況に追い込む。自民、民主両党を巻き込んだ「健全な保守勢力」を結集し、「第3極」としてキャスチングボートを握る――。

 平沼が描く衆院選後のシナリオだ。7月5日には、弟分である自民党の中川昭一(前財務・金融相)の地元、北海道帯広市に駆けつけ、「中川先生と合体し、日本にいい政治の流れを作っていきたい」と訴えた。

 民主党はそんな平沼に秋波を送ってきた。代表代行の小沢一郎は代表時代、ゴルフや食事を共にし、7月25日のテレビ番組では、最高顧問の渡部恒三が平沼と共演し、「一緒に内閣をつくりましょう」と誘った。

 ところが、約2週間後の今月10日。小沢は岡山市内で記者会見を開き、弁護士の西村啓聡の擁立を発表した。連携を明言しない平沼に、事実上の「絶縁状」をたたきつけたわけだ。小沢はカメラを構える報道陣に「表情が硬いか」と笑いかけるなど、吹っ切れたように西村をもり立てた。

 自民党の阿部俊子の陣営は、こうした動きを追い風にしようと、活動にさらに熱を込めている。阿部は05年の衆院選に平沼の「刺客」として立ったが、及ばなかった。しかし、選挙後には家族とともに移り住み、そのころから使っている車の走行距離は20万キロを超えた。地元滞在も、年250日を数える。

 陣営幹部の一人は「民主支持層の票が割れる可能性が出てきた。そうなれば、地域密着の成果が必ず出てくる」と語る。



 「脱官僚、地域主権、生活重視。私たちは覚悟を持って旗印の下に集まった」

 11日午後、那須高原にほど近い栃木県大田原市の集会施設。みんなの党代表の渡辺喜美が地元後援会の約300人を集め、結党への理解を求めた。政界再編を目指し、1月に自民党を飛び出した渡辺だが、副総理や蔵相を歴任した父・美智雄譲りの地盤は強固だ。自民党は対抗馬擁立をすでに断念し、民主党も手控えている。

 しかし、単独での政権獲得に自信を強める民主党は、渡辺への配慮からけん制に態度を変え始めた。小沢は平沼への対抗馬擁立を発表した10日の記者会見で、「渡辺氏の姿勢が自公政権を代えると明確には取れない。公認候補擁立がある、かもしれません」と含み笑いを漏らしながら語った。

 渡辺はすぐさま、13日の日本外国特派員協会での講演で、「民主党と方向性は似通っており、選挙後の連立の可能性はある」と強調してみせた。最近は、周囲にこう漏らしているという。

 「民主党が勝ちすぎると、出番がなくなる」(敬称略)

(2009年8月14日 読売新聞)


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