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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

4069千葉9区:2009/08/20(木) 23:46:45
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0001/fe_001_090814_01.htm
政権選択の夏
(9)「第3極」への道険し

 無所属の元経済産業相・平沼赳夫はこの日、冗舌だった。

 西日本有数の桜の名所、岡山県津山市の津山城跡近くのホテルで8日夕に開かれた女性後援会の会合。約200人の女性を前にあいさつに立った平沼は、ジャーナリストの櫻井よしこへの講演依頼から話を始めた。

 「平沼さんからは(謝礼を)いただかないわ」

 平沼が、櫻井の独特の声色をまねると、会場は大きな笑いに包まれた。

 しかし、自民、民主両党の衆院選マニフェスト(政権公約)の話題になると、口調は一変した。

 「ローマ時代末期が頭に浮かんだ。パンとサーカスだ」

 両党が子育てなどに関し、「無償化」や「手当」を乱発する様子を、ローマ帝国の政治家が市民の関心を引こうと、食べ物と娯楽をふんだんに提供した故事になぞらえたのだ。「帝国はばらまき合戦で滅亡した。両党を見るとそんな気持ちが起こる」と批判すると同時に、「迎合政治はしない。絶対にぶれない」と自らの信念を強調した。

 平沼は2005年、郵政民営化に反対して自民党を離党した。「誇り高き無所属」を貫き、元衆院議員ら17人でつくる「平沼グループ」を率いて衆院選に挑む。06年に患った脳梗塞の後遺症もほぼ消え、「今では1時間の演説を1日4回もできる」という。

 5議席以上を確保し、与野党とも過半数に届かない状況に追い込む。自民、民主両党を巻き込んだ「健全な保守勢力」を結集し、「第3極」としてキャスチングボートを握る――。

 平沼が描く衆院選後のシナリオだ。7月5日には、弟分である自民党の中川昭一(前財務・金融相)の地元、北海道帯広市に駆けつけ、「中川先生と合体し、日本にいい政治の流れを作っていきたい」と訴えた。

 民主党はそんな平沼に秋波を送ってきた。代表代行の小沢一郎は代表時代、ゴルフや食事を共にし、7月25日のテレビ番組では、最高顧問の渡部恒三が平沼と共演し、「一緒に内閣をつくりましょう」と誘った。

 ところが、約2週間後の今月10日。小沢は岡山市内で記者会見を開き、弁護士の西村啓聡の擁立を発表した。連携を明言しない平沼に、事実上の「絶縁状」をたたきつけたわけだ。小沢はカメラを構える報道陣に「表情が硬いか」と笑いかけるなど、吹っ切れたように西村をもり立てた。

 自民党の阿部俊子の陣営は、こうした動きを追い風にしようと、活動にさらに熱を込めている。阿部は05年の衆院選に平沼の「刺客」として立ったが、及ばなかった。しかし、選挙後には家族とともに移り住み、そのころから使っている車の走行距離は20万キロを超えた。地元滞在も、年250日を数える。

 陣営幹部の一人は「民主支持層の票が割れる可能性が出てきた。そうなれば、地域密着の成果が必ず出てくる」と語る。



 「脱官僚、地域主権、生活重視。私たちは覚悟を持って旗印の下に集まった」

 11日午後、那須高原にほど近い栃木県大田原市の集会施設。みんなの党代表の渡辺喜美が地元後援会の約300人を集め、結党への理解を求めた。政界再編を目指し、1月に自民党を飛び出した渡辺だが、副総理や蔵相を歴任した父・美智雄譲りの地盤は強固だ。自民党は対抗馬擁立をすでに断念し、民主党も手控えている。

 しかし、単独での政権獲得に自信を強める民主党は、渡辺への配慮からけん制に態度を変え始めた。小沢は平沼への対抗馬擁立を発表した10日の記者会見で、「渡辺氏の姿勢が自公政権を代えると明確には取れない。公認候補擁立がある、かもしれません」と含み笑いを漏らしながら語った。

 渡辺はすぐさま、13日の日本外国特派員協会での講演で、「民主党と方向性は似通っており、選挙後の連立の可能性はある」と強調してみせた。最近は、周囲にこう漏らしているという。

 「民主党が勝ちすぎると、出番がなくなる」(敬称略)

(2009年8月14日 読売新聞)


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