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【捲土重来選挙】2009年次期衆院選スレ その2

4067千葉9区:2009/08/20(木) 23:44:20
http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/feature/0001/fe_001_090808_01.htm
政権選択の夏
(7)公募はしたけれど

 青森県五所川原市で伝統の「立佞武多(たちねぶた)」祭りが始まった4日。「ヤッテマレ!ヤッテマレ!」のかけ声と笛や太鼓の音が飛び交う中、「太宰治生誕百周年」のたすきを付けた津島淳は必死に声を張り上げた。

 「新聞でお騒がせしています。太宰の孫の津島淳です」

 津島は、自民党前衆院議員の雄二を父に、作家・太宰治の娘を母に持つ。しかし、つい半月前までは、自分が今回の衆院選に出馬するとは思ってもいなかった。

 雄二は衆院解散直前の7月19日、「若い人が次の時代を開く政治の必要性を感じた」と突然、引退を表明した。前夜に電話で知らされた淳は、驚きながらも、「私も政治家を目指します」と決意を伝えた。

 党青森県連会長の大島理森は20日、「開かれた党として広く人材を集め、活力を再生したい」と、後継は公募で決めることを宣言した。ただ、県連では当初から、「雄二の地盤(後援会)、看板(知名度)、かばん(資金)を継ぎ、短期決戦に対応できるのは淳だけだ」「太宰治の生誕百周年のブームに乗れるかもしれない」と淳の出馬を求める声が強かった。

 29日、県内外の応募者20人から淳が選ばれると、反発の声がわき起こった。「公募は世襲批判をかわすための出来レース」という見方があったところに、県連が最終選考での県議らの無記名投票の結果を発表せず、演説もプライバシー保護を理由に公開しない対応をとったからだ。地元メディアは「不透明な選考過程」と報じた。

 党本部では、公認決定に影響力を持つ選挙対策副委員長の菅義偉がもともと世襲制限を主張していた。党は31日、淳の公認見送りを決めた。

 収まらないのは大島だ。同日夜、党幹事長の細田博之に電話し、「(公認しない理由は)世襲ということか。公募をきちんとやっている。強く抗議する」とかみついたが、細田は「世襲に問題があると強く言う人がいる。理解してほしい」と繰り返すばかり。県連は淳を独自に「公認」した。

 「県連公認」は公式には無所属候補となり、選挙運動の面で様々なハンデがある。世襲批判も消えないが、陣営幹部は「それでも津島後援会の組織をフル稼働させられるのは淳しかない」とプラス面を強調する。

 対する民主党の横山北斗の陣営では「世襲政治の是非を積極的に問うべきだ」という声がある。一方で、「親子で攻めてくる敵を結束させる結果になる」という見方も出ている。

 横山は「無所属では有権者との約束を果たせる保証はなく、無責任だ」と指摘しており、淳が自民党の公認を得られなかった点を攻める構えだ。



 あまりにも突然の離党だった。

 7月21日の衆院解散直後、自民党神奈川県議の土井隆典の携帯に山内康一から電話が入った。「今解散になりました」と言う山内に、「頑張ろうな」と声をかけようとした土井の耳に、思いもかけぬ言葉が飛び込んできた。

 「実は離党します」

 土井は言葉を失った。

 山内は2005年の前回衆院選に自民党県連の公募候補として出馬し、初当選した。福岡出身の「落下傘」候補だった山内を、選挙事務所設営から家探しまで面倒を見たのが土井だった。土井は自らのホームページに「裏切られた気持ちでいっぱいだ」とつづった。

 県連は後継候補を見つけられず、前回に続く公募を決めた。募集期間は4日間で、8月9日に最終選考を行う窮屈な日程だ。ただ、山内離党の苦い経験から、地元には「公募アレルギー」も出ている。幹事長の竹内英明は「将来も含め、覚悟があるかどうかを面接でしっかり確認する」と語る。

 捲土重来を期す民主党の笠浩史にとっては、自民党の混乱は好機だ。しかし、「公募で知名度のある人が出てくると想定し、選挙活動をしている」と述べるなど、陣営を引き締めている。(敬称略)

(2009年8月8日 読売新聞)


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