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Japanese Medieval History and Literature

1釈由美子が好き:2007/06/03(日) 21:01:22
快挙♪ 3
 本日の歴史学研究会総会・大会2日目、日本史史料研究会さんのお店、中島善久氏編・著『官史補任稿 室町期編』(日本史史料研究会研究叢書1)が、なんと! なんと!!

  41冊!!!

 売れたと云々!!
 すげェ!! としか言いようがない。

 2日で、71冊。
 快進撃である。

2御座候:2007/06/03(日) 23:44:34
まさに生き仏様
釈さんが、この掲示板で中島善久氏編・著『官史補任稿 室町期編』(日本史史料研究会研究叢書1)の宣伝をなさったので、早速注文したところ、その後の続報により、歴研大会で対面販売することが発覚。

「なんだよ〜歴研大会で買えば、送料分が浮いたじゃないか〜」と愚痴りつつ、歴研大会の書籍売り場に行ったら、Iさんにバッタリ出会いました。

「御座候さん、うちの本を頼んだでしょ? 今、ここで渡すね」と言って、本を渡してくれ、かつ送料分のお金を返してくださいました。誠にありがたいことです。

3:2007/06/03(日) 23:52:30
ありがとうございました。
なかじまです。
本日、歴研大会に行って売り子のお手伝いをさせていただきました。
釈由美子が好きさんもお書きいただだいているように、
再興中世前期勉強会の皆さんのおかげで、予想を大幅に上回る成果を
挙げることができました。
本当にありがとうございました。。
今後とも、いろいろご教示ください。
なにを措いても、まずはお礼申しあげます。m(_ _)mm

4NAO4@吟遊詩人:2007/06/04(月) 00:00:06
円仁
●円仁について
先週金曜日出張で「下野」へ行ったものですから、そのまま一泊してしまい、土曜日に栃木県立博物館(↓写真)で開かれていた「慈覚大師円仁とその名宝」行って来ました。
会期は6月3日まででしたのでギリギリ間に合ったという感じです。

それほど混んでもなく、かといってそこそこ人が入っているという感じで、ちょうど良かったと思います。量的には予想より多く、質的には素晴らしいものでした。円仁の唐での旅を、現代の中国に取材して、写真で掲示するなど力が入った展示でした。分かりやすくよかったと思います。ついつい見入ってしまい、全部見終わるまでに3時間かかってしまいました。

栃木展は終わってしまいましたが、宮城展(6/16〜7/29)〔東北歴史博物館〕、滋賀展(8/11〜9/24)〔滋賀県立近代美術館〕と巡回するそうなので、お勧めです。

●得宗の件
>筆綾丸さま、釈編集長さま
釈編集長さまの得宗に関するブログ面白く読ませていただいております。私は、「得宗」からイメージいたしましたのは、中国の皇帝の「廟号」でございます。「太宗」とか「世宗」いったものです。それで、そういったところを検索していたのですが、以前筆綾丸さまが書かれていた「徳」の字にまつわる記事を見つけましたので、掲載します。

http://www.toride.com/~sansui/posthumous-name/sigo02-3.html

やはり、天皇の場合は、怨霊を恐れて「徳」の字が贈られるようですね。

●三つ鱗
>筆綾丸さま、釈編集長さま
↓では、後北条氏でも、支流は正三角形と記載されていますね。
http://www2.harimaya.com/hozyo/hz_kamon.html

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003379.jpg

5高遠彩華:2007/06/04(月) 01:33:15
将軍頼経上洛の論文。
こちらではご無沙汰しております。

>筆綾丸さま
>釈由美子が好きさま
>嘉禎4年の「修学旅行」
発掘作業中に申し訳ありませんが、
将軍頼経上洛についての論文の情報を教えていたただいたので、ご紹介します。

・上杉和彦氏「鎌倉将軍上洛とその周辺」(『古代文化』43巻11号、1991年)
・石井清文氏「藤原頼経将軍暦仁元年上洛の意義」(『政治経済史学』344号、1995年)
・関口崇史氏「将軍頼経上洛時における九条道家の動向」(『鴨台史学』1号、2000年)

だそうです。

>はぎつきさま
>足利学校鉛筆
私にも御利益ありました。
受かると思っていなかった試験の1次試験を突破出来ましたので。
2次試験は、結果を聞いていないのでわかりません(おい)。

6:2007/06/04(月) 02:02:04
久方ぶりです。
>なかじまさま
こちらこそ今日はイロイロとありがとうございました♪
あまり私は役に立っていませんが(笑)。
これからもよろしくお願いいたしま〜す。

>NAO4@吟遊詩人さま
初めまして、葵と申します。
こちらの掲示板には滅多に出没しません(笑)。
たぶん1年以上ぶりの出没だと思います。
私も先月「慈覚大師円仁とその名宝」に行ってきましたよ!
おっしゃる通り、量も質もとても充実していて良かったです。
常設展示を大幅に上回る内容の濃さでしたよね〜。
あまりに濃すぎて、全部自分で納得いくまで見るには立ちっぱなしの足が辛すぎたのと、相方が歴史関係ではナイ上に仏教には全く興味がナイ人間だったので、気を遣ってしまって思う存分見れなかったのが心残りでした。
仏教系に特に疎い私ですが、とてもわかりやすかったです。
まだ見足りないから、宮城展に再挑戦しよーかなと思っています。

↓似たような構図で私も写真を撮ったので、載せてみました♪

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003381.jpg

7:2007/06/04(月) 13:19:23
こちらこそ
御座候さん、こちらこそ段取りが悪くて申し訳ありません。今後ともよろしくお願いいたします。

8筆綾丸:2007/06/04(月) 17:59:55
ライシャワー博士
高遠彩華さま
ご丁寧にありがとうございます。早速、探してみます。
頼経上洛の記事をあらためて読んでみましたが、一体何をしに行ったのか、よくわかり
ませんね。
若君の福王公が飼育していた小鳥(鳩?)が籠から逃げて、御家人の上野朝村が面目を
施した、というような、まあ、どうでもよいようなことがあり、十月、北白河院が崩御
なされ、さあ帰るか、というような具合で・・・。

NAO4@吟遊詩人さま
http://www.amazon.co.jp/%E5%86%86%E4%BB%81-%E5%94%90%E4%BB%A3%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%97%85%E2%80%95%E3%80%8E%E5%85%A5%E5%94%90%E6%B1%82%E6%B3%95%E5%B7%A1%E7%A4%BC%E8%A1%8C%E8%A8%98%E3%80%8F%E3%81%AE%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BBO-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E3%83%BC/dp/406159379X/ref=sr_1_3/249-7360761-4081931?ie=UTF8&s=books&qid=1180945590&sr=8-3
以前、この本を原文で読もうと、ぺらぺらめくってみて、英語はもういいや、とやめた
ことがあります(笑)。
昨日のNHK『風林火山』に、北条氏康が登場し、三つ鱗が出てきました。
武田の仲介で今川と北条が和睦するのですが、起請文の表には牛玉宝印の絵があり、時代
考証は柴辻俊六氏なので、これは氏の指導かな、と思いました。裏を封ずる、という奴だ
な、と。

笠松氏の『徳政令』に、永仁徳政令の全文があり、これが関東徳政御事書(関東御徳政)
と呼ばれ、相模守(貞時)名で出されているところから、軽々に判断すると(笑)、得宗
が徳宗になったのは、この徳政令の御陰なのではあるまいか。つまり、徳宗の初出は
永仁5年(1297)以後で、時宗までは得宗であるが、初代徳宗は貞時で、通称、徳政の貞
ちゃんと呼ばれ、爾来、得宗改め徳宗となり・・・それほど単純にゆく訳ないって、おい。

9釈由美子が好き:2007/06/04(月) 18:53:35
釈さん、今週、潜伏します。
 日本史アーカイブズ主催「史料講読講座」(http://jparchives.sakura.ne.jp/system/siryohkohdokukohza.html)、おかげ様で、ぽちょぽちょと参加表明を戴いております♪
 ありがとごじゃいます♪
 いっぱい来てくれると良いなあ。


>むらじさん
>さっそく入手いたしました。(*^^)v
 お買いあげ、誠に有り難うござります♪
 ・・・・・て、だから、わしの言うことじゃねェーって。

>アレですね?^^
 アレです。


>筆綾丸さん
>徳宗と徳政
 裏が取れると良いンですけんど。
 私のブログの得宗話の方は、明日がクライマックスですので、よろしゅうに♪


>御座候さん
 あーた、しょっちゅうI氏と会ってるじゃないさ。


>なかじまさん
 おめでとごじゃいます♪
 この調子で売れると良いですな。


>NAO4@吟遊詩人さん
http://www.toride.com/~sansui/posthumous-name/sigo02-3.html
  ↑ これ、中前勉(再興中世前期勉強会)構成員野村朋弘氏のHP「鎌倉時代」(http://www.toride.com/~sansui/)の中の「諡法解」ですわ。
 ここの「リンク」にも入ってますし、他にも、いろいろ役立つ記事があるので、ご覧になってみてくだされ。


>高遠さん
 歴研、お疲れさまっす!
 あんど、「修学旅行」論文のご紹介、どもです♪ 助かりますた。


>葵さん
 歴研、お疲れさまっす! あんど、ひさびさ登場、ども♪


>Iさん
 快進撃、おめでとー♪

 あんど、「日本史史料研究会掲示板」での「史料講読講座」の宣伝、ありがとー♪

10鈴木小太郎:2007/06/04(月) 19:40:09
円仁豆腐
おいしいですね。

昨日は歴研大会2日目でしたが、私は都合で午後2時過ぎにやっと会場の東大駒場キャンパスに到着し、中世史部会の聴講はさぼって書店廻りだけしてきました。
私にとって駒場は、あまり思い出したくない過去を思い出させる気恥ずかしい場所で、その中でも一時住んでいた駒場寮付近は一番避けたかった空間なのですが、殆ど怖いものみたさのような気持ちで近づいてみると、かつての古色蒼然とした駒場寮の面影はかけらもなく、一帯はガラスに囲まれた清潔な建物と清潔な公園に変わっていて、イタリアントマトまで存在しており、あまりの変貌ぶりにイタトマれない気持ちになった、ということはありませんでしたが、びっくりはしました。
http://www.ut-life.net/guide/map/komaba1/commu_pla.php

>kariさん
すみませぬ。
またの機会を楽しみにしております。

>なかじまさん
いらっしゃいませ。
昨日はお話できて、楽しかったです。

>虫鹿神社
式内社で、もともとは今の入鹿池の地にあったそうですね。
http://www.geocities.jp/engisiki/owari/bun/ow100417-01.html
http://www.inuyama-hp.com/oda/1-10.htm

>筆綾丸さん
>福王
この子が後に皇族以外で初めて仁和寺御室となった開田准后法助で、一部の国文学者によって『とはずがたり』の「有明の月」に比定されている人ですね。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/ryo-susumu-gosagainnosoi-02.htm

11NAO4@吟遊詩人:2007/06/05(火) 05:35:07
平将門
NHK大河「風と雲と虹と」のDVDが出るそうです。
http://item.rakuten.co.jp/s-premium/gnbd7411/

(この情報は、http://6101.teacup.com/jiten/bbs 5/20の投稿より)

価格は33600円(S−プレミアム)だそうで、

・金沢北条氏の研究(永井晋著、八木書店)12600円
・北条氏権力と都市鎌倉(秋山哲雄著、吉川弘文館)11550円
・鎌倉政権得宗専制論(細川重男著、吉川弘文館)13650円

の合計 37800円

と比較してしまい、購入は諦めました。

>葵さま
はじめまして。編集長ブログでは、よくお見かけいたします。(御噂を含めてですが)行かれていたのですね。栃木県立博物館は広大な中央公園の中にあって、環境の良いところでした。

>釈編集長さま
>中前勉(再興中世前期勉強会)構成員野村朋弘氏のHP「鎌倉時代」
お教えいただきありがとうございました。

●坂上田村麻呂の墓(山科西野山古墓)
↑新聞に掲載されていましたね。京都大学総合博物館で6/6〜7/8
京都出張があればよいのですが。
http://www.kyoto-u.ac.jp/notice/05_event/2007/070707_1.htm

12釈由美子が好き:2007/06/05(火) 06:25:04
アップ情報♪
 「コラム」の「書籍紹介」に、むらじ氏「中島善久氏編・著『官史補任稿 室町期編』」(日本史史料研究会研究叢書1、日本史史料研究会、2007年5月)をアップしました♪

 早業でしょ?

 http://jparchives.sakura.ne.jp/column/db/shosekishoukaikanrimuromachi.html

13筆綾丸:2007/06/05(火) 20:44:45
デカルトと古文書
小太郎さん
有明の月のモデルですか・・・。
『源氏物語』柏木巻に、女三宮と柏木が取り交わす歌があり、これが最後となり、柏木は
恋煩いで死にます。二条と有明の月が取り交わす歌があり、え、嘘だろ、と思ううちに、
有明の月が流行病で死にます。

たちそひて消えやしなまし憂きことを 思ひ乱るる煙くらべに   女三宮
行くへなき空の煙となりぬとも 思ふあたりを立ちは離れじ    柏木

身はかくて思ひ消えなん煙だに そなたの空に靡きだにせば    有明の月
思ひ消えん煙の末をそれとだに ながらえばこそ跡をだにみめ   二条

両者はとてもよく似ていて、『とはずかたり』の作者が、柏木のパロディとして有明
の月を書いているのは、ほぼ確かのような気がします。
柏木の女三宮への発作的な恋と有明の月の二条への発作的な恋もよく似ていますし、
さらには、柏木の死後に女三宮が柏木の子を産むのと有明の月の死後に二条が有明の
月の子を産むのも、よく似ています。
『とはずかたり』の作者が、我が身を二品内親王(女三宮)になずらえている風情は
全くありませんが、『源氏物語』の真似は、ほぼ確実のようです。有明の月のモデル
は柏木と思われますので、某女流作家のように、有明の月の性格分析などしても、
ピントがずれてるぜ、という感じですね。
ただ、柏木は藤原摂関家の御曹司という設定ですので、有明の月も同じ階級の出身だ、
というような含みがあって、このへんが、一筋縄ではゆかぬ作者ですね。

伊木壽一著『増訂日本古文書学』(昭和51年 雄山閣出版)を読んでいましたら、、
「ベネディクト派の僧侶達はマビヨン(*)を本として、神学・文学・法律学等に関する
文書を多く出版し、かの高僧伝の編纂所であったパリのサン・ジェルマン・デ・プレー St.Germain des Pres の僧院は学問の淵叢たるとともに古書学 Paleographie および
古文書学 Diplomatique の学生養成所でもあったのである」(同書17頁)
とあり、デカルトの眠るあの教会は古文書と関係が深かったのか、とびっくりしました。

*ドン・ジュアン・マビヨン Dom Jean Mabillon(1632ー1707)。古文書学の不朽の大著
デ・レ・ディプロマチカ De re diplomatica 六巻の著者。

14はぎつきみたえ:2007/06/05(火) 21:12:50
ほんとに早業!
>むらじさま
>「コラム」の「書籍紹介」
>「中島善久氏編・著『官史補任稿 室町期編』

 ほんとに早業!拝読してさらにびっくり、裏に十分な知識の蓄積を感じさせる(ああ、なんかもっといい表現が浮かばないものか)書籍紹介文に舌を巻きました。
 だってカキコを見る限り、むらじ様は、まだこの本を手にして一週間もたってないですよね。
 それでこれだけの紹介文が書けてしまうのですか?!
 こないだお誘いいただいた「○○さんにおいていかれちゃった同盟」やっぱり組めませんよ〜。置いていかれちゃってるの私だけじゃないですか!

15釈由美子が好き:2007/06/06(水) 07:22:27
アップ情報♪
「リンク」に「安中市学習の森(安中市ふるさと学習館)」さんを加えました♪

16はぎつきみたえ:2007/06/06(水) 21:14:28
個人的世界遺産には登録済み
「武家の古都 鎌倉 世界遺産への登録を目指して」というタイトルで、講師に市の世界遺産登録担当の方を迎えてのミニ講演会に行ってきました。
 鎌倉市の景観とか街づくりとか世界遺産登録への動きとかには興味があるので、こういうものには事情が許す限り行っています。
 で、いつも、自己嫌悪して帰ってくる。
 鎌倉をはじめて訪れて、心奪われてから16年。
 私はこの16年の中で、鎌倉のために何をしてきたのか、な〜にを勉強してきたのかと落ち込むのです。
 今日の話のなかでは、「鎌倉の、世界の中での役割」とか「与えた影響」とか「特異性」とか世界史的に見てどうかというのを証明しないと、世界遺産登録は難しい、今がんばって国への回答を作っています、というような話だったのですが。
 正直鎌倉の世界史上の影響とか特異性とか私は全然わかんないんですよ。
 日本は鎌倉から江戸へ続く武家政権という独自の政治形態を経たことで、他の東アジアの国とは違った国の形が出来上がり、明治以後、東アジアの中で日本のみうまく世界の流れに乗った(植民地になってないってことでしょうか)のは、その武家政権の経験のおかげである。とかいうような話を、以前何かで読んだことがあるのですが、人に説明しろといわれたらできない。
 いや、鎌倉って、こんなすばらしいんですよ、って、言葉にしていえない、わからない。鎌倉の価値をうまく説明できない、主張できない。
 この力のなさは何だ。16年もあったのに、私は鎌倉の何を見、何を聞き、何を考え学んできたのかと、つくづく自分が嫌になるのです。

 世界遺産に登録されるのがそもそもいいかどうかっていう問題はありますがそれはともかく。

 この問題に限らず、鎌倉の歴史的価値とか魅力とか特異性とか重要さを、どうしたら他の人にうまく伝えられるのだろう、とこのような機会があるたび悩み心を痛め自己嫌悪しています。
 まあでも、2,3日もすればもう忘れちゃうんですけどね。
 すみません。ちょっと誰かに聞いてほしかったんです。
 愚痴でした。

17:2007/06/07(木) 16:02:59
第2回赤松氏研究会のご案内
いつも申し訳ございません。チョッピリ宣伝させてください。

1.開催概要
(1)初日<平成19年9月15日(土) 13:00 開場>
 ?研究報告<13:30〜15:00>
  タイトル:「室町幕府と赤松氏−足利義教政権における赤松満政の活動をめぐって−」
  講  師:竹内 智宏氏(佛教大学大学院)

 ?研究報告<15:10〜16:40>
  タイトル:「近世地誌と播磨の諸城について」
  講  師:山下 晃誉氏(城郭談話会)

 ?懇親会<18:00〜> 「しんぐ荘」http://www.shinguso.com/(たつの市新宮町新宮1093/電話0791-75-0401)
  ※会費は、4,000〜5,000円程度を予定しています。

(2)2日目<平成19年9月16日(日) 9:00 集合>
 ?龍野城の見学(一般の方と合同です)
 ?「平野村文書」の見学
  ※昼頃解散の予定です。

2.場所:たつの市立埋蔵文化財センター 1階 講座体験学習室(両日とも)
 ※兵庫県たつの市新宮町宮内16(JR姫新線「播磨新宮駅」下車)

3.参加費:500円(資料・会場整理費)

4.申込方法
 住所、氏名、電話番号、所属と下記の内容を明記のうえ、申込先へメールで送信してください。
 ?15日の研究会<参加する・参加しない>
 ?15日の懇親会<参加する・参加しない>
 ?16日の見学会<参加する・参加しない>
  ※宿泊先は、各自で確保してください。会では取次ぎを行いません。

5.申込先
 岡山県津山市北園町50 赤松氏研究会(美作大学内)
 渡邊 大門(wdaimon@hotmail.com)
 ※電話での連絡はご遠慮ください(メールでお願いします)。

6.関連展示会の開催
 6/24〜9/24の期間に、たつの市立埋蔵文化財センターで「再現播磨の中世城郭展」が開催されます。併せて、ご参観ください。
 ?休 館 日:火曜日
 ?開館時間:9:00〜17:00
 ?入 館 料:無料

主催:赤松氏研究会 / 後援:たつの市教育委員会

18鈴木小太郎:2007/06/07(木) 17:52:28
『寺院史研究』
如月さんが『寺院史研究』第11号(最新号)に「『教行信証』開板前後の親鸞教団」という論文を発表されています。
http://www.furugosho.com/cgi-bin/newbbs/yybbs.cgi

『寺院史研究』も日本史史料研究会サイトで購入できますので、下記をご参照ください。
最新号については、まだ内容がアップされてないようですが。
http://www17.plala.or.jp/t-ikoma/page023.html

>筆綾丸さん
>柏木のパロディ
確かにそうですね。
有明の月をめぐる出来事は何だか慌しすぎて、変な思い入れなしに距離を置いて眺めると、ちょっと滑稽感が漂ってきます。

>伊木壽一著『増訂日本古文書学』
着々と勉強されてますね。

>渡邊大門さん
お知らせ、ありがとうございます。
どんどん利用してください。

19井上渉子:2007/06/07(木) 19:13:32
近頃は
こんなものまでソフトになってるんですね。↓
http://namco-ch.net/ds_yamakawa/index.php

話変わって、日曜日はほとんどの人が歴研大会に行くのを尻目に鶴見大学で開催された大三輪龍彦氏の追悼研究集会「仏教・鎌倉・考古学」を拝聴してきました。

壇上に花に囲まれた大三輪龍彦氏のお写真がありまして、人柄を偲ばせるその柔和なお顔に一度か二度しかお目にかかったことはない私でもさびしさをおぼえました。

それぞれ短い発表時間ながら若い方々が真摯に発表していらして、よい会でした。
まさか発表者ご本人から「歴研大会じゃなかったんですか」と言われるとは思いませんでしたが(笑)。私はあなたがたの発表こそが聴きたかったのですが何か。

20鈴木小太郎:2007/06/07(木) 19:55:07
秋山哲雄著『北条氏権力と都市鎌倉』(吉川弘文館)書評会
再興中世前期勉強会は普段は会員にのみ例会の案内をしておりますが、秋山哲雄氏の近著の書評会を行うにあたり、北条氏に興味を持っている方の参加を広く募った方が面白そうなので、本掲示板でも下記の通り案内させていただくことにしました。
著者の秋山哲雄氏も参加されます。
直前の掲示で恐縮ですが、ふるってご参集下さい。

                記

再興中世前期勉強会 6月(133回)例会
日時:6月9日(土)14:00〜
場所:国士舘大学 世田谷キャンパス10号館 10330教室
   交通:小田急線梅ヶ丘駅下車、徒歩15分
      東急世田谷線松陰神社前駅下車、徒歩6分
      渋谷駅南口バス乗場18番「世田谷区民会館行」バスで終点下車、徒歩1分
   http://www.kokushikan.ac.jp/campus_map/setagaya.html
内容:秋山哲雄著『北条氏権力と都市鎌倉』(吉川弘文館)書評会
評者:第1部 都市鎌倉と北条氏   =松吉大樹氏
   第2部 北条氏所領と得宗政権 =小野貴士氏
   第3部 鎌倉幕府守護と北条氏 =細川重男氏
以上

21:2007/06/08(金) 00:55:05
なかじまです。
お世話になっております。なかじまです。
むらじさんがお書きになってくださった拙稿への書評、拝読させていただきました。
身に余るような、あたたかいお言葉を頂戴し、恐縮しております。
ありがとうございました。
それにしても、むらじさんの学識の高さに圧倒されてしまいました。
書いていただいたわたくしが勉強させていただいた思いです。

22鈴木小太郎:2007/06/08(金) 17:34:48
D-Day前日
むらじさんの書評は確かに只者ではないという雰囲気が漂ってますね。
どこかの大学教授が筆名で書いていると言われれば、みんな信じるのでは。

釈さんは明日の決戦に備え、鋭意準備中の模様です。
明日は相当数の北条氏研究者が集まる見込みで、かなり面白い議論になりそうですね。

釈さんの史料購読講座に申し込まれた方、申し込もうかどうか迷われている方は、講義とは別の雰囲気に触れることができると思いますので、時間が合えば是非お越し下さい。

23筆綾丸:2007/06/08(金) 20:07:23
落雷・突風・雹・・・
小太郎さん
関東地方の明日の天気は、大気が不安定で、落雷・突風・雹となるそうです。

成り行き任せの気随気儘な勉強で、一貫性は微塵もありません。
『中世の裁判を読み解く 網野善彦×笠松宏至』(学生社)に、こんな箇所があります。
 笠松 ふつう関東下知状は、「仰せによって」とやるか、「鎌倉殿の仰せに依り」の
   どちらかですが、これも一つ問題があります。佐藤進一先生の『古文書学入門』
   に書いてありますが、宗尊親王将軍在職期間だけが「将軍家の仰せにより」です。
   それがなぜかという点は注目されると書かれているのですが、これは本当に知り
   たい点ですね。前後が鎌倉殿で、あそこだけなぜ将軍家なのか。あれはだれの意向
   なんでしょう。ずっと鎌倉殿できたのに、あの期間だけ将軍としたのは。
何故なのか、ほんとに知りたいところですね。
後嵯峨の第一皇子が鎌倉殿ではまずい、将軍家でなければ、というような後嵯峨への配慮
なのか。では、なぜ一代だけなのか。
http://www.asahi-net.or.jp/~hd1t-situ/azuma/125201.html
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/miyama-susumu-munetakashinno.htm
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/kikuchi-hiroki-munetakashinno-01.htm
親王は、建長4年(1252)1月8日の元服時に、宗尊となったはずですが、尊は後鳥羽
(尊成)に拠るとして、宗の根拠は何なのか。この諱を倩々景迹するに、非常に不自然な
印象を受けます。得宗の宗が尊成の尊の上に在るとは、後鳥羽の血統に対する重石であっ
て、この漢字の組合せには、未必の故意のような、政治の必然のような、つまりは、執権
時頼の意思のようなものが感ぜられる。
『吾妻鏡』をみると、宗尊は三品親王として4月1日に鎌倉に来て、同日付で征夷大将軍
になっていますが、これは、頼嗣と将軍職が重複しないための形式的なもので、なぜ将軍
家なのかという根拠にはならないでしょうね。
(蛇足)
1月12日の唐突な隠岐院の記述に、何かありそうな感じもしますね。

24釈由美子が好き:2007/06/08(金) 22:21:35
如月さん(菅原多喜夫氏)、論文デビュー詳細。
『寺院史研究』第11号(2007年5月、1800円+送料290円=計2090円)

[論文]
脊古 真哉氏「荒木満福寺考 ―満福寺歴代の復元と源海系荒木門流の拡散―??」
関口 崇史氏「鎌倉将軍家の祈祷関連史料について ―東寺宝菩提院文書から― 」
清水 聡 氏「妙成寺所蔵天海版一切経について ―経函墨書銘にみられる寄進事業の実態― 」

[研究ノート]
菅原多喜夫氏「『教行信証』開板前後の親鸞教団」

[史料紹介]
畠山 聡 氏「転害会関連史料(1)」

  http://www17.plala.or.jp/t-ikoma/page023.html

   ↑ 下の方に、購入方法が書いてあります。


 戦闘準備中でも、このくらいは働きますわ。おほほ♪

25:2007/06/09(土) 23:05:17
ご紹介、ありがとうございます。
小太郎さん、釈由美子が好きさん、小稿をご紹介いただき、どうもありがとうございます。
小稿の背景や補足的なことは、ただ今、私の掲示板で説明させていただいております。

さて、四月末に転居し、それ以来、後かたづけだけでなく、雑用に追われたり、体調をくずしたりで、こちらの掲示板もすっかりご無沙汰しておりました。
今日の中前勉も、体調不良に加えて、明日、四国へのちょっとした出張がはいったため欠席させていただきました。ごめんなさい。

これからまた、この掲示板ものぞくように致しますので、どうぞよろしくお願い致します。
なるべくまた

http://www.furugosho.com/

26むらじ:2007/06/10(日) 20:03:41
いろいろ と
昨日の中前勉例会、参加させていただきましたが、
予期したものに優る熾烈かつ長丁場な討論でしたね。
なにも発言できなかった不勉強が悔やまれます。

>中島さま
過分のお言葉をいただき、大変恐縮しております。
書評は、思ったままを書かせていただいたまででございます。
なかなか文章のはかどらない私が、一気呵成に書けてしまったということは、
それだけ御書につき動かされた、ということなのだと思います。
これからも、どうぞよろしくお教えくださいませ。

>はぎつきさん
今ごろとっくにお気づきのこととおもいますが、
>同盟
ライバルをキャッチ・アップして、追い越すためのものでございますよ。^^
少しでも、良い友だちでいられるために。(^^)

>小太郎さん
只者でございます(笑)。

>菅原論文
さっそく拝読させていただきました。
宗教関係は疎くて大変苦手としているところなのですが、史料をシンプルに訓むことで話がズンと違ってくる・・・ということを体感いたしました。
画期的な御論文かと、拝察いたします。
素晴らしい成果に触れることができ、大変有意義でございました。

27相国入道:2007/06/10(日) 23:46:12
自治体史刊行および、中世史関係著書出版のお知らせ。追悼小林清治先生。
>釈由美子さんが好きさん・およびここの皆様。
 このたび剃髪してHNを変えます。これからはこの名前で書きこまさせていただきます。

 しばらくは、自治体史・中世史関係著書の刊行のお知らせ。講演会開催などお知らせが中心になりますが、どうかよろしくお願いいたします。

 1 自治体史刊行のお知らせ。

  『千葉県の歴史』中世通史編発刊 定価は5500円。
 鎌倉期から戦国時代まで、千葉氏・里見氏・香取神宮・中山法華経寺・安房の妙本寺の問題、それと関連し鎌倉幕府・室町幕府・鎌倉府・古河公方・後北条氏との関係を丹念に紹介しています。

 『千葉県史研究』第15号。定価400円。

 佐藤博信氏 「中世東国における版刻花押について
        ー古河公方足利高基・常陸佐竹氏を中心にー」

 鈴木哲雄氏 「香取神宮神幸祭絵巻(権検非違使家本)について」

 購入先「千葉県の歴史」 通史編 中世

 千葉県文書館 〒260−0013 千葉市中央区中央4丁目15番7号
      電話 043−227−7555

 「千葉県史研究」第15号
 財団法人千葉県史料研究財団 〒260−0013 千葉市中央区中央4丁目15番7号
(千葉県文書館内) 電話 043−221−5100

 http://www.pref.chiba.jp/bunsyokan/

 2 地方著書の刊行についてのお知らせ。

  ? 『太田道真と道灌』小泉功著 幹書房 定価1800円

 今年は、江戸・岩付・河越が築城550年ということで刊行され、太田道真・道灌の事跡を写真つきで紹介している。

 問い合わせ先 幹書房 〒330−0063 さいたま市浦和区高砂3丁目17番9号

 電話番号 048−866−3231

http://www.mikishobou.com/

? 歴春ふくしま文庫

  ふくしまの城 鈴木啓著 定価1200円

  戦国の南奥州 小林清治著 定価1200円

  動乱の中の白河結城氏 −宗広・親朝・親光ー 伊藤喜良著 定価1200円

  平泉藤原氏と南奥武士団の成立 入間田宣夫著 定価1200円

 入間田氏の著書は今年刊行され、それ以外はすでに発刊されています。

問い合わせ先 歴史春秋社 〒福島県会津若松市門田町中野

 電話番号 0242−26−6567

 http://www.knpgateway.co.jp

? 「知られざる下野の中世」 定価 1800円

  下野の中世     江田郁夫氏

  中世考古学の可能性 橋本澄朗氏

  掘り出された中世の世界 橋本澄朗氏

  下野国中世武士団の成立  須藤聡氏

  よみがえる中世寺院   大澤伸容氏

  中世日光山の光と影   千田孝明氏

  小山義政の乱と鷲城・祇園城 佐久間弘行氏

  道・市・宿     田代隆氏・鈴木泰浩氏

  豊臣秀吉が宇都宮で過ごした十一日間 江田郁夫氏

  もう一つの関ヶ原    新井敦史氏

 この本は一昨年刊行されたものですが、栃木県の中世を知る上でも参考になるものが多いのでご紹介いたします。

 問い合わせ先 随想舎 栃木県宇都宮市材木町3ー3

 電話番号 028−633−0489

http://www.zuisousha.co.jp

以上ご報告させていただきます。

 それから、「戦国の南奥州」をお書きになり、伊達氏研究の第一人者でありました。
 福島大学名誉教授の小林清治先生が、4月にお亡くなりになりました。享年82歳でした。小林先生は福島大学におきまして後進の育成にあたられました。
 著書は、人物叢書の「伊達政宗」をはじめ数え切れないほどです。
 さらには、福島県史・福島県内の各自治体史の中世編はほとんど、小林先生の手で刊行されたものばかりでした。
 遅そくなって申しわけありませんでしたが、心よりご冥福をお祈りいたします。

28はぎつきみたえ:2007/06/12(火) 20:30:27
アーティスト:レキシ
 どなたかこのCD聞いたことがある方いらっしゃいますか?
 ちょっと聞いてみたいんですけど、うまく「試聴」できなくて。

 http://www.moocs.com/cs/catalog/moocs_song/lst/tid_009463953235300/1.htm

29釈由美子が好き:2007/06/13(水) 00:47:08
復活かな?
 書評会と一晩中カラオケ、疲れた。


>相国入道さん
 ありがとうございます。
 ど〜ん! どん! 宣伝してくだせ♪


>はぎつきさん
 これ、おもしろそーだねェ!

30亜季多幸孝:2007/06/13(水) 07:08:59
レキシ
>はぎつきさん
itunesや公式サイトで聞けますね。公式サイトなら、Windows Media Playerが入ってれば試聴できると思います。一曲目はPVも見れます。
歌詞とかはかなりバカバカしいですが、サウンドは色々なミュ−ジシャンのパロディー風になってて、意外と(?)クオリティーが高いです。
全体的に黒っぽいですが、中にはゴダイゴっぽい曲もありますね。

しかし、「いいくれ(1190)迎える鎌倉幕府」はないでしょ…(笑)。

http://www.toshiba-emi.co.jp/capitol/rekishi/

31はぎつきみたえ:2007/06/13(水) 20:46:09
ありがとうございます。
>亜季多さま
 ありがとうございます!試聴できました。
 このPV、怖!

 面白いけど個人的には買うほどじゃないかな〜(笑)。


>「いいくれ(1190)迎える鎌倉幕府」
 これって……ほんとに今の学生はこっち覚えているんでしょうか。

32井上渉子:2007/06/14(木) 01:49:27
平城京“十条大路”の跡発見
昨日NHKのTVで紹介されたニュース。
http://www3.nhk.or.jp/news/2007/06/14/d20070613000261.html

http://www.nara-np.co.jp/n_all/070417/all070417a.shtml

この記事で紹介されている調査の結果ということでしょうか。

2005年に羅城らしきものも発見されて既にそのことはわかってなかったっけ? と二年前の奈良の炎天下を思い出しつつ見てたのですが、誤解があったらどなたかご指摘よろしくお願いします。

33猫ひぢり:2007/06/14(木) 10:33:09
こういうことです
>井上さん
十条条坊遺構については、条(坊)間路や条(坊)間小路はご指摘の通りすでに発見されていましたが、その南を限る十条大路は今回が初の検出事例となります。当初はこの部分を「特殊な区域」とする見方があり、それに引きずられる形で南北3坪説が有力視されました。その後、条坊が条間南小路より南に延びることが確認された後も、南端の坪が南北に短い特殊なものではないかとする説なんかがあったのですが、今回の発見でここには九条以北と何ら変わらない条坊が存在したことが明らかになりました。この結果、十条条坊は特殊な空間とする説はその根拠を失い、当初の平城京の設計が南北十条であったことが確定したわけです。
ただ、十条条坊が早い時期(西暦730年頃まで)に廃絶する理由などは不明で、その解明は右京域における十条条坊の確認と共に、今後の課題といえますね。ちなみに羅城は西暦750年頃に、九条大路の前面に築かれます。ただしこれは羅城門を中心に東西1キロ程度のもので、都の前面全てを覆うものではなかったようです。
以上、まるで調査した本人みたいにコメントしておきます(笑)

34釈由美子が好き:2007/06/15(金) 00:10:09
>当初の平城京の設計が南北十条であったことが確定したわけです。
>猫殿
 なるへそ。解説、どもです♪

>まるで調査した本人みたいにコメントしておきます(笑)
 はっはっは。

35井上渉子:2007/06/15(金) 09:13:26
なるほど!
>猫ひぢりさま
早速の詳しい解説をありがとうございました。自分がよくわかってなかったことも含めて(え)よくわかりました。すごい発見なんですね。

昨日6月14日付の産経新聞にも写真と地図入りで大きく取り上げられていました。
13日午前に撮影されたという写真の、真ん中で大きく手を広げて取材陣に解説している人物が気になるところです(笑)。

36鈴木小太郎:2007/06/15(金) 12:13:43
鎌倉遺文研究会第132回例会の御案内
例によって勝手に宣伝です。

--------------------
日時:6月28日(木)18:00〜
場所:早稲田大学文学学術院33-2号館(スロープ脇建物の2階)第2会議室
報告者:水野智之氏
題目:「『時元記』の基礎的考察−『平安遺文』・『鎌倉遺文』未収録文書の紹介と検討−」
[報告者の一言]
『時元記』(宮内庁書陵部所蔵)は室町期の小槻時元の記録で、このなかの下請符集という箇所に、平安・鎌倉期の年号をもつ文書がいくつか写されています。その内容は「禰家抄」(でいけしょう)という史料とほぼ同じ内容です。「禰家抄」は、大日本史料が刊行されている時期の文書は活字化され、紹介されていますが、大日本史料が刊行されていない時期の文書はまだ活字で紹介されていないように思われます。よって、このあたりの史料の翻刻・紹介と検討を加えてみようとするものです。
http://www.f.waseda.jp/ebisawa/top.html
--------------------


>筆綾丸さん
>「将軍家の仰せにより」
知人より関連する論文を紹介してもらったのですが、正確なタイトルを失念したため、確認後に書き込みます。

>如月さん
鎌倉幕府の為政者と宗教の関係を考える上で画期的な論文だと思います。

>井上さん
>猫ひぢりさん
>6月14日付の産経新聞
早速、確認せねば。

37:2007/06/15(金) 14:38:56
ありがとうございます。
自分の掲示板の書き込みに追われてなかなかこちらの掲示板には書き込みができず、申し訳なく思っておりますが、むらじさん、小太郎さん、どうもありがとうございます。

http://www.furugosho.com/

38kari:2007/06/16(土) 15:06:05
こういうものが・・・。
ご無沙汰をしております。
歴研では、相変わらず「弾けて」しまい、目下反省中なのでした。

ところで、隣国に「中世 夢が原」という、ものごっつい施設があります。
まだ行ったことはないのですが、参考までにお知らせしておきます。

あ、山龍さん、今後ともよろしくお願いいたします。

http://www.bao.go.jp/~yume/

39釈由美子が好き:2007/06/17(日) 12:55:44
馬庭のかどに生首絶やすな。
>kariさん
>「中世 夢が原」
 これは、なかなかおもしろうそうですな。

 でも、中世を完璧に再現してしまったら、武家舘の前を観光客がうっかり通り掛かると、おっかない郎従が出て来て捕まり、かたっぱしから首を切られてしまいますな。

(参考文献)『男衾三郎絵詞』

40筆綾丸:2007/06/17(日) 19:13:31
押込の構造
今谷明氏『近江から日本史を読み直す』(講談社現代新書2007年5月)に、
笠谷和比古氏の『主君「押込」の構造』に触れて、こう述べられる件りがあります。
「(主君押込という武家の慣行の)起源は中世にあり、その最初の君主が後白河
上皇である。上皇はまず、平治の乱(1159年)で藤原信頼、源義朝に拉致され
一本御書所に押し込められ、次いで鹿ヶ谷の謀議がもれて平清盛に鳥羽殿に押し込
められ、三度目は義仲による拉致である。生涯三度も押し込められた君主は珍しい。
押し込めの慣行は、この後も源頼家の修禅寺押し込め、北条時政の伊豆押し込めと、
連綿と続いている」(98頁)

このロジックは強引すぎまいか。
笠谷氏の著書には、江戸期大小名の家老達による殿様押込の例は沢山ありますが、
老中達による将軍押込の例はありません(当然ですが)。前者が可能だったのは、
明示的にせよ黙示的にせよ、幕府が主君押込を容認していたからで、これと「将軍
押込」とは、実例がないとは言え、権力構造の次元が全く違う筈です。
したがって、頼家や時政はともかく、後白河の「押込」と笠谷氏の「主君押込」と
は別異に考えねばならぬのであって、今谷氏のロジックは強引すぎるように思われ
ます。今谷説の如くんば、こうも言えまいか。
鎌倉幕府は、後鳥羽を隠岐に押し込め、順徳を佐渡に押し込め、土御門を阿波に押し込め、
藤家将軍を京都に押し込め、王家将軍を京都に押し込め、後醍醐を隠岐に押し込めたので
ある、と。・・・しかし、江戸期の権力構造と次元があまりに違いすぎて、押込のアナロ
ジーは成り立たないように思われる。


小太郎さん
お手数をおかけします。

41釈由美子が好き:2007/06/17(日) 20:59:05
流血の伯爵夫人。
>筆綾丸さん
 女吸血鬼で有名なエリザべート・バートリだって、お城の石牢に閉じ込められたわけですから、「押し込め」になっちゃいますわなァ。

 つーか、生かしておくのは邪魔だが、種々の事情で殺しちゃうこともできない人を、どっかに閉じ込めるのは、古今東西を問わないンでないでしょーか?

(参考文献)
桐生操氏『血の伯爵夫人』(新書館、1995年)
レイモンド・T・マクナリー氏・ラゥド・フロレスク氏著・矢野浩三郎氏訳『ドラキュラ伝説』(角川書店、1978年)

42はぎつきみたえ:2007/06/17(日) 21:06:44
鎌倉観光文化検定
 鎌倉観光文化検定を受けてきました。
 問題は100問、4択のマークシート方式です。
 90分ありましたが、1時間でも十分ではないかな、というレベルでした。

 と、偉そうなことをいっておりますが、自己採点では何とか合格点とったかな〜とどきどきしております。

 私が間違った問題↓

○鎌倉所在の絵巻で、唯一の国宝、浄土変相図の由来を描いた「当麻曼荼羅縁起絵巻」を所蔵している寺はどこか。

○大船と横須賀間に横須賀線が開通したのはいつか。

○腰越で主に養殖されている海産物は何か。

 女性は結構若い方もいらっしゃいましたが、男性は年配の紳士が大多数。
 若い男性はほとんどいなかったな〜。残念。

 ちなみに問題の答えは、順に、光明寺、1889(明治22)年、わかめ、です。

43kari:2007/06/18(月) 11:13:44
バーバリアン。
編集長さま。
こんな感じですね。

例1)『男衾三郎絵詞』「馬庭の末に生首絶やすな、切り懸けよ。此の門外通らん乞食・修行者めらは用ある者ぞ、蟇目・鏑にて駆け立て駆け立て追物射にせよ」
例2)『今昔物語集』巻14第10「(陸奥国の壬生良門)弓矢を以て朝暮の翫として人を罰し、畜生を殺すを以て業とす。夏は河に行て魚を捕り、秋は山に交はりて鹿を狩る」
例3)『今昔物語集』巻19第14「(讃岐国多度郡の源大夫)心極めて猛くして殺生を以、業とす。日夜朝暮に山野に行て鹿・鳥を狩り、河海に臨て魚を捕る。亦、人の頸を切り、足手を折らざる日は少なくこそありけれ」

「中世 夢が原」のメインは、備前福岡の市の光景だそうですが、刀を提げた武士に因縁つけられる、といったようなことはないのでしょうか。

44釈由美子が好き:2007/06/18(月) 15:13:26
PLANET OF THE BARBARIANS(武士の惑星)
 故障した日本製宇宙船が、未知の惑星に不時着。
 そこは、ちょっとしたことで矢を放ち太刀をブン回して人を殺す野蛮人の支配する星であった。
 野蛮人達の手を逃れた宇宙飛行士は、彷徨った末に、海岸に出る。
 その波打ち際には、美男におわす巨大な仏像が座していた。
 仏像を見上げた宇宙飛行士は、砂浜に突っ伏し、絶望して叫ぶ。

「ここは、鎌倉だったンだ〜〜〜〜!!!」

(完)


>kariさん
  ↑ 以前、ちょこっと書いたネタを脹らましてみますた。
 「PLANET OF THE SAMURAI」とかにしないのが、私のポリシー。


>はぎつきさん
 合格すると良いねェ。
 しかし、マニアックな問題ですこと。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6925.kabura/0003420M.jpg

45釈由美子が好き:2007/06/18(月) 15:41:20
「史料講読講座」締切撤廃のお知らせ。
 え〜、6月23日(今週の土曜日)に開催致します日本史アーカイブズ主催第1回「史料講読講座」なんですが、昨日(17日)が参加申し込みの締切になってましたが、締切撤廃します。

 よって、飛び込みでお出で戴いてもかまいませんが、資料の印刷の都合がありますので、なるべくなら、前日までに「お問い合わせ」欄にメールで、お申し込みください。

 詳細:http://jparchives.sakura.ne.jp/system/siryohkohdokukohza.html
 お問い合わせ欄:http://jparchives.sakura.ne.jp/cgi-bin/wmail/wwwmail.htm


 なぜ、締切撤廃になったか? は、聞かないよーに。わはは!

46筆綾丸:2007/06/18(月) 20:12:03
押込再論
釈由美子が好きさん
平城帝は平城京に押し込められ、崇徳院は讃岐に押し込められた、と言えば言えますから、
押込は武家の慣行で、その起源は中世にあり、初例は後白河である、とは言えず、そんな
の、昔からあるじゃん、と思いました。

「(本問題は)今日のいわゆる幕藩体制論・近世国制論の中に位置づけれらないまま看過
されてきた問題なのである。しかしながら主君「押込」は家臣団の手で、主君を強制的に
隠居させるものであるから、その本性において主君廃立行為としての性格をもち、近世の
国制を考察するにはやはり避けて通れぬ問題である」(平凡社選書『主君「押込」の構造』
1988年はしがき)
笠谷氏の分析は江戸幕藩体制下の大名の御家騒動に限られ、将軍家の御家騒動については、
あたりまえのことながら、何も言及されていない。大名と将軍では権力の位相が違うので、
笠谷氏の論理を中世に外挿するのはどうだろうか、と思いました。
諸般の事情から、殺すに殺せない奴は、とりあえず幽閉する、というのは、古今東西、
権力の普遍現象でしょうから、押込の起源は武家の慣行で、その起源は中世にあり、初例
は後白河である、というような、うぶな善男善女を惑わす言説はいかがなものか、と思っ
たのです(笑)。

47釈由美子が好き:2007/06/18(月) 20:45:51
今谷氏がどーとかでなくて。
>筆綾丸さん
>うぶな善男善女を惑わす言説はいかがなものか、
 一般論として、学者・研究者も妙ちきりんなことを言うこた、ありますわな。けっこー。

 思わず暴走してしまうこともありますし、目立とうと思ってわざわざ変なことを言うこともありますし、ただ単にバカな場合もありますし、原因はいろいろですが。

 読者も、偉い先生の言うことだからと鵜呑みにしちゃう場合もあるし、もともとバカだからとか、てけとーに読んだためとかで、変なとこに気付かないこともある。

 でも、史料に合わない説、つまり妄想は、いずれ消えます。
 誰も相手にしなくなるから。

 中には、自分のことを自分で、世界で一番偉い、世界で一番頭が良いと思い込んでて、妙ちきりんなことを口走っておいて、それを
「おかしいンじゃないの?」
 と批判されると、その批判を吟味することなんかせず、批判されたこと自体にキレて、
「ギャー! ギャー! ヒー! ヒー! ブヒ! ブヒ!」
 と、わめき散らすヤツもいますが、こんなのは、ただの基地外ですから、無視すれば良いのでございます。

 こないだ、某ブログで亜季多幸孝さんが「歴史を研究する」ということについて、

「事実を知りたいだけなんだ」

 と、おっしゃってましたが、まったくその通りだと思います。

 「ホントのこと(史実)」を知りたいから、一所懸命調べて(研究して)、自分が史実だと考えたことを論文とかで公表する。
 でも、それは、しょせん「仮説」に過ぎない。
 史実は誰にもわからないし、仮説は、しょせん仮説。
 それをわかったうえで、猶、史実に近付こうとする。
 ・・・・・これが、研究という行為なんでないでしょーか?

「ホントのこと(史実)が知りたい。そのためなら、自分の出した仮説が間違っていたって、全然、かまわない」
 この思いさえ忘れなければ、道を踏み外すことは、きっと無い、と私は思います。

48猫ひぢり:2007/06/19(火) 09:32:05
誤りを訂正すること
考古学の場合、ある仮説が間違いだったってのは、多分、文献史より明確に出ます。その仮説を否定する遺構や遺物が地下から出れば、それまでですから。しかし、自分の仮説が間違ってた場合の対応は大切だと思います。地下から出た「事実」を自分の仮説に合わないからっていう理由で抹殺しようとしたり、現場には来ずに(文献で言えば史料見に来ずに)担当者呼びつけたり…。悲しいけど、こういう人もいますね。反面教師にしたいと思います・

49通りすがり:2007/06/19(火) 20:41:20
小太郎さんへ
ご依頼のものは、
黒川高明「史料を蒐めること−鎌倉時代雑考−」(『加能史料会報』7、1994年)です。『加能史料』に付いてきます。ただし、7号がどの巻に付いているのかわかりません。たぶん、鎌倉1または2だと思いますが…
ちなみに同会報は、加能史料編纂委員会編『加賀・能登 歴史の窓』としてまとめられています(青史出版・石川史書刊行会)。
こんなもんでよいでしょうか、小太郎さん。




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