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Japanese Medieval History and Literature
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押込再論
釈由美子が好きさん
平城帝は平城京に押し込められ、崇徳院は讃岐に押し込められた、と言えば言えますから、
押込は武家の慣行で、その起源は中世にあり、初例は後白河である、とは言えず、そんな
の、昔からあるじゃん、と思いました。
「(本問題は)今日のいわゆる幕藩体制論・近世国制論の中に位置づけれらないまま看過
されてきた問題なのである。しかしながら主君「押込」は家臣団の手で、主君を強制的に
隠居させるものであるから、その本性において主君廃立行為としての性格をもち、近世の
国制を考察するにはやはり避けて通れぬ問題である」(平凡社選書『主君「押込」の構造』
1988年はしがき)
笠谷氏の分析は江戸幕藩体制下の大名の御家騒動に限られ、将軍家の御家騒動については、
あたりまえのことながら、何も言及されていない。大名と将軍では権力の位相が違うので、
笠谷氏の論理を中世に外挿するのはどうだろうか、と思いました。
諸般の事情から、殺すに殺せない奴は、とりあえず幽閉する、というのは、古今東西、
権力の普遍現象でしょうから、押込の起源は武家の慣行で、その起源は中世にあり、初例
は後白河である、というような、うぶな善男善女を惑わす言説はいかがなものか、と思っ
たのです(笑)。
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