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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

162やす:2006/07/20(木) 12:22:27
(無題)
はじめまして。わざわざの御連絡をいただき有難うございました。
時代を異にしたため今は忘れられた詩人たちを顕彰してをります。舌足らずのホームページですが今後ともよろしく御贔屓下さいませ。

163やす:2006/07/27(木) 21:33:07
小原鉄心
 またまた掛軸を買ってしまひました。詩人と呼ぶよりは一藩の重臣であります。小原鉄心。
 戊辰戦争の際、諸藩に先駆けて大垣藩の藩論をまとめあげた、傑物にして当路の人ですが、関ヶ原を東西にはさむ地で彦根藩の岡本黄石とともに最も苦しみ、組織の歩むべき道を誤ることなからしめた英雄といってよいのではないかと思ひます。両者ともに維新後早々に役職を辞すところ、いいですね。で、詩句に「理財」なんて、と思ってネット検索してゐたら、山田方谷の理財論にゆきあたりました。
 (前略)それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず。而るにいまの理財者は悉く財の内に屈す。(中略)
 君子は其の義を明らかにして其の利を計らず。ただ綱紀を整へ政令を明らかにするを知るのみ。饑寒死亡を免るると免れざるとは天なり。(中略)
 なほ此の言を迂となして、吾に理財の道あり、饑寒死亡を免るべしと曰はば、則ち之を行ふこと数十年にして、邦家の窮のますます救ふべからざるは何ぞや。(後略)
 涙が出るやうな言葉であります。

 一首。 ひととなりしのぶよすがの真蹟の許で本読むその先哲の

 さて扶桑書房さん目録到着。
『三好達治全集』12巻\3500 『間花集』\4500 ・・・これまた絶句。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000258.jpg

164やす:2006/07/31(月) 17:39:04
かわほり堂和本目録
 かわほり堂さんから、記念すべき和本目録(壱)号が到着。
 地元の漢詩集は今回なかったのですが、好評嘖嘖たる近代文学分野に続き、この分野でも特色を放つ古本屋さんになられることと期待◎です。

(前略)心ある好事家や研究者に渡つた一部の珍籍・稀観本は、その情報が世上に上ることもないではありませんが、個人蔵書にはたとえ天下の孤本であっても顧みられることなく姿を消してしまう場合があります。否、和本いっさいが消え去る命運をはらんでいると言っても過言ではないかもしれません。目力値がつかずに終わる書籍の山を目の当たりにして、いっそうそうした感を強くいたします。一古書肆のできることは至極限られておりますが、書籍の集散地に立ち会う者として、水際で救いあげられる書物・情報もまた尠しとはしません。日々感じる漠としたそうした思いの幾らかでも当目録に反映できていればと今は祈る気持ちでいっぱいです(後略) (目録同封「ごあいさつ」より)

 今後ともよろしくお願ひを申上げます。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000259.jpg

165:2006/08/10(木) 17:16:44
宇田栗園
漢詩にはど素人ですが、宇田栗園に興味があって、書き込みをしました。彼についてご存知の方、ご連絡をお待ちしています。漢詩以外での彼の業績、行動の足跡など。よろしくお願いします。
宇田豊四郎の家族はどこかにおられるのでしょうか。

166やす:2006/08/13(日) 12:56:33
残暑見舞申し上げます
高橋様初めまして。もとよりど素人の私からは詩人について知るところございませんが、掲示板御覧の方でどなたか心当たりの方にはよろしく御教示御連絡頂けましたら幸甚です。
旅先より御挨拶申し上げます。

167やす:2006/08/29(火) 17:25:18
夏バテ
 旅から帰ってきて夏風邪を引いてしまひました。熱も一度下がったと思ったら今度は首筋(リンパ腺?)が腫れてきて体調すぐれず、折角の残りの夏休も、終日を家でぼうーっと過ごす始末。夏風邪はしつこいですから、皆様もお気をつけ下さい。
 加へて二冊の新刊(杉山平一先生の『詩と生きるかたち』と、自分が選んだ先生のアンソロジーがおさめられてゐる『大東亜戦争詩文集』)について何か紹介したいのですが、他の事も書けないまま、掲示板の更新がずーっとお留守になってをります。
 少し落ち着いたらまた何か書くでせう。しばらくは夏バテといふことで更新御免・・・。

168やす:2006/08/29(火) 19:55:52
寄贈書御礼
あはせて『東区橦木町界隈』西尾典祐氏,健友館, 2003.11.7, 266p.の御寄贈に与りました。学生にも読んでもらひたい内容なので大学図書館に収めたいと存じます。厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

169高坂:2006/08/30(水) 12:43:21
大東亞戰爭詩文集
やすさん、大變ご無沙汰してをりました。良い本を御寄贈頂きまして忝く存じます。田中克己の詩はやすさんが選ばれたのですね。樂しみにじつくり讀みたいと思ひます。

私の方は『論泉』といふウェブ言論誌をやつてをります。今後、文藝の方面を充實させたいと思つてゐますので、何かありましたらまた宜しくお願ひ致します。

http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/ronsen/

170やす:2006/09/01(金) 23:48:16
『大東亜戦争詩文集』について
 高坂さま、今後ともよろしくお願ひを申上げます。

 『大東亜戦争詩文集』ですが、献本少数につきお送りできなかった皆様には不義理をお詫び申上げます。ご海容下さい。収められてゐるのは、戦死・自決・処刑された人々による「大東亜戦争殉難遺詠集」を前半に置き、右翼の大物三浦義一、影山正治御両人の歌集、続いて田中克己の戦争を背景にした24編の詩のあと、若手ロマン派詩人の選手であった戦没詩人、増田晃、山川弘至のアンソロジーといった構成で、読んで頂ければわかりますが、前半の歌集部分と後半の詩集部分は若干異なった印象を与へる内容になってゐます。残念なことに編集後記等はありません。といふことで、私が風日社の方から依頼を受けて選んだのは田中克己先生の部分だけですが、それについてあとがきを記したいと思ひ、考へ中であります。しかしこの本について触れるには、選者として戦争詩とどう向き合ったのか、つまりさきの大戦をどう観ずるのか、態度表明を迫られることでもあり、戦慄すべき詞書をもつ遺詠集と一緒に収められてゐますから、所謂靖国問題についても私なりの思ひを述べなくてはならない気が致します。思想的信条に乏しい詩人としては大変な課題であります。
 ともあれ、他所の巻に収められた立原道造や伊東静雄など仲間達の作品、或は此の巻に収められた後輩筋にあたる増田晃、山川弘至らに対する選詩の基準にも比して、何かこの文庫叢書では「ベストセレクション」を採られずひとり損な役回りを演じることとなってしまった先生に対しては、今回「戦争詩」といふ制約のもとで却って明らかにされたひとつの世代を代表する詩人の精神史を、作品を通じて理解してもらへるやう、選択と順番に私なりの心配りをしました。それが後年キリスト教に改宗された泉下の先生に対して申し開きになったかどうかは甚だ覚束無いのですが、大東亜戦争を謳った詩人たちに対する先入観が変ってほしいといふ私の願ひが、今回選んだ詩を順番に読んでゆくことでひとに伝はるのなら、またそれを介添へする説明がこれから書けるのなら、嬉しく思ひます。昔に記した『夜光雲』解説の続編のやうなものにできたらと思って、現在あれやこれやと考へてゐる最中です。

171高坂:2006/09/02(土) 18:06:26
文藝の仕事
>しかしこの本について触れるには、選者として戦争詩とどう向き合ったのか、つまりさきの大戦をどう観ずるのか、態度表明を迫られることでもあり、戦慄すべき詞書をもつ遺詠集と一緒に収められてゐますから、所謂靖国問題についても私なりの思ひを述べなくてはならない気が致します。思想的信条に乏しい詩人としては大変な課題であります。

歴史や政治を踏へつつも、あくまで文藝の立場からの率直な批評を期待してをります。

http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/ronsen/

172やす:2006/09/12(火) 12:39:29
梁田蛻巌遺墨
新村堂書店古書目録到着。No.3679『月光室』(\36,750)は明治古典会で出品された片割れでせうか。
山田翠雨ほか地域の漢詩集もいろいろ出てますが・・・この掲示板で騒いだのが祟ったかな(ごめんなさい)。

 このところオークションとかで傷物の掛軸をああだかうだと値踏みしてる方が面白いです。
 先日入手したのは四千円で手に入れた二百五十年前のマクリ、わが家最古のお宝を更新しました。
 出張続きで原稿書けさうもないのにこんなことばっかりやって・・・。

戯欲寒秀山人諧歌集後 寒秀山人の諧歌集の後に戯せんと欲す

 抜去海棠栽芭蕉 海棠を抜き去って芭蕉を栽す
 不将穐夕換春朝 穐(秋)夕をおくらず春朝に換ふ
 快哉惟有聖咲識 快哉、惟だ聖く咲くを識る有りて
 如丈山牕慰寂寥 丈山の牕の如く寂寥を慰む

 蛻翁八十一書

丈山は石川丈山? 『諧歌集』って寛延元刊の滝野瓢水の俳書だと合点がゆきます。寒秀山人は別号か。

ならば一句。手に取るなやはり捨て置け『丹生樵歌』(苦笑)

173高坂:2006/09/20(水) 18:50:46
サイト移転のお知らせ
サイトの移転を行なひましたので、お知らせ致します。

『奇魂』URL
http://kusimitama.net/
『論泉』URL
http://kusimitama.net/ronsen/

今後ともよろしくお願ひ申し上げます。高坂

174やす:2006/09/22(金) 17:43:48
【情報募集】『高山連月並会狂句柳桜初編』
以前メールにてレファレンスを頂いた、飛騨の文化人について探求されてゐる方から、
「江戸時代の俳諧を研究なさっているような先生、あるいは学生さんで、
 興味のある方がいらっしゃったら、資料をお貸しします、あるいは複写を差し上げます」といふことで
文政十三年『高山連月並会狂句柳桜初編』(東都川柳翁社中松鱸大人撰 飛騨圓永蔵板)といふ本について、情報募集のお願ひがありました。
 自分も浅学ゆゑ、珍しいものかどうかは分かりません。
 郷土の近世文学資料といふことで掲示させて頂きますので、メール転送希望の方はお知らせ下さいませ。

175やす:2006/09/26(火) 12:51:34
ユリイカ臨時増刊号総特集 稲垣足穂
『ユリイカ2006年9月臨時増刊号』総特集 稲垣足穂でました。ふむふむ新発見作品10篇とな。

ではこちらからも新発見「幻のレターセット」(うそ)♪

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000271.jpg

176やす:2006/09/30(土) 15:02:03
業務連絡
停電に伴うサーバー復旧作業完了。

177やす:2006/10/02(月) 20:43:27
新修 筑摩書房版 立原道造全集
立原道造記念館より館報No.39ならびに企画展「立原道造の世界?」の御案内をお送り頂きました。ありがたうございました。今回、館報は小田久郎氏の講演録ですが、いよいよ新修全集も11月に刊行の運びとなる由。別巻(?)に思潮社版『立原道造研究』の改訂版を出してほしいですね。詩人のエピソード満載なのに「誤植がひどいから」といふ理由(本当かな)で復刊されてゐません。
装釘は中原中也全集の轍を踏まず、落ち着いた色合ひの、堅牢な作りの本となる模様です。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000273.jpg

178やす:2006/10/12(木) 12:34:44
稲川勝二郎
 久野治様より詩誌「宇宙詩人」5号を御寄贈いただきました。
 連載「黎明期の中部詩人」では、「青騎士」の時代から名古屋詩壇と関はりを持ちながら、いつも詩史の記述からは敬遠気味が窺はれる詩人、稲川勝次郎(勝二郎・敬高)。木下杢太郎を師と仰いだ、高木斐瑳雄の盟友ですが、如何せんページの制約があり、一般の読者のための、本題に入るための説明文がもったいない気がしてなりませんでした。印象批評のやうなもので結構ですから、さらに久野様しか書き得ない、詩人の風貌や肉声を、エピソードなどを交へて単行本所載の際には書き加へて頂けることを切望してをります。
 ありがたうございました。

 石神井書林古書目録70号お送り頂きました。
 今回の稲川勝次郎の詩集(『大垣の空より』1922.2)など、検索するところ衣笠詩文庫位にしかない稀覯詩集ですが、目録に現れたら一体幾ら位になるのでせうか、見当もつきません。(御店主の最近の活躍は 「scripta」や「月刊Moe10月号」で 笑)


 蛙とともに泣く 稲川勝二郎

稲田の蛙が鳴いてゐる
声をかぎりと鳴いてゐる
短かい夏の夜が更けてゆくに従って
その声はいよいよ激しく
ますます悩ましく
私の眠りをかき乱す

眠られないままに起き出でて
机に頬杖をついて
じっと其声に聞き入つてゐると
そぞろに私の瞳は
熱い涙にくもり
蛙のやうに
私の心も泣きつづける

おお 蛙よ鳴けよ
私と共に泣きつづけてくれ
総ては悩みだ――
世の中は苦しいのだ
泣く者はお前達ばかりではない
幾万の若い男女が
幾万の人類が
夜に昼に泣きつづけてゐる

さうして泣きながら
皆死んでゆくのだ
母の胎内から生まれ出る時に
既に泣くことを教へられた人間は
其短い人生を泣き暮らして
淋しく黄泉(よみ)の道を辿りゆくのだ

恋に泣き
親に別れて泣き
子を失つて泣き
自らの衰へたるに泣く
泣くことが人生なのか
おお 蛙よ
私はいま お前とともに泣きつづけてゐる

179西岡勝彦:2006/10/18(水) 08:25:54
(無題)
こんにちは。
珍しくオークションに江戸の絶句集3種が出てますね。
歴代絶句集はできれば現物を持ってたいものですが、幾らまで行くんでしょう?
私はグッと抑えて、安全な所を入札中です。

丹生の山田の里に秋長けて
 跡をとどめぬ木こり歌かな

180やす:2006/10/18(水) 12:50:19
(無題)
西岡勝彦さま

落札予定の品物を掲示板なんかに載せますと、ここは書痴が覗いてますから知らないですよ〜(笑)
と、おどかしっこは無しで、無事に落札されますことをお祈りしてをります。
当方最近の収穫は後藤松陰、篠崎小竹、梁川星巌、村瀬雪峡の掛軸など。
星巌と太乙は、数ある贋物の少しだけ癖がわかって参りました。
あらたに始められたブログ、相変らず目の覚めるやうな美しい山岳写真であります。
今後ともよろしくお願ひを申し上げます。

丹生の山田の里の週末に
 跡をとどめんコギト歌もて

181やす:2006/10/22(日) 17:10:11
御礼
昨日は神戸松蔭大学会館で行はれた「四季派学会秋季大会」にて、田中克己先生の戦争詩の周辺について熱弁(?)一時間半。
まづは御歳まもなく92歳、矍鑠たる杉山平一先生に御挨拶。関西四季の会の矢野敏行・舟山逸子先輩と久闊を叙し、懇親会の後は今回お世話になった國中治様ほか「泊り組」の人達と傾蓋旧の如く、久しぶりに夜半まで熱く熱く詩を語り合ひました。
只今無事帰還致しました御報告まで。みなさま本当にいろいろと御世話になりました。
ありがたうございました。

182やす:2006/10/23(月) 23:26:24
御礼2
山本直人様より『昧爽』13号を御寄贈頂きました。特集は「天皇・皇室」といふ直球です。
今回中村一仁様の浅野晃論は休載。次号に思ひの丈をぶつけて擱筆の由、これはこれで少々残念。
とりいそぎの御礼を申し上げます。有難うございました。

183やす:2006/10/24(火) 22:12:36
御礼3
 さきほど中村一仁様からメールあり、けりをつける旨後記に書かれてゐたのは、浅野晃論そのものではなく「伊藤千代子を論じる」ことの由。はじめは不穏なことのやうに思ってましたが、メールを拝見、安心しました。世の中は節操がない人が、まま大きな顔をするやうに出来てゐますが、少なくともメールで伺ったやうな人から、浅野晃のことを節操がないなんて云ってほしくはありませんよね。私は伊藤千代子のことも英霊達のことも同じやうに考へます。思想に殉じた人間の魂を情勢論から救ふことを一番に考へなくては、と切に思ふのです。浅野晃論、「絶対に時間をかけても書き上げ」て下さい。御健筆をお祈り申上げます。
 再びの御礼を申し上げます。御自愛ください。有難うございました。

184やす:2006/10/29(日) 22:34:39
御礼4 山川弘至記念館 新館見学会
本日は郡上市高鷲町にある山川弘至記念館新館の竣工、見学会に推参。京子様主宰の「桃の会」から、大勢の篤志の皆様が馳せ参ぜられるなか、亡き山川大人には詩人冥利につきるに違ひない秋旻の一日を、よそ者ながら満喫させて頂きました。過分なるお土産まで頂き恐縮の至り。とりいそぎの御礼をここにても申上げます。世間知らず且つ人見知りしますので、御挨拶できず失礼申上げた皆様には御海容のほど。追って訪問記をupします。皆様ありがたうございました。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000281.jpg

185やす:2006/11/01(水) 12:47:16
『詩集西康省』
田中克己先生の処女詩集『詩集西康省』をupしました。先日の講演録は、いづれ加筆したものをWeb上に載せる予定でをります。その前に基本的な文献を誰もが読めるやうにしておく必要があらうものかと、これまで故意に手をつけてゐなかったデジタルアーカイヴの製作に着手しました。今後順々にupして参りますので御覧頂けましたら嬉しく存じます。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000282M.jpg

186やす:2006/11/11(土) 23:30:21
詩集『大陸遠望』
田中克己先生の第二詩集『大陸遠望』をupしました。
文藝文化叢書の一冊として同人諸氏の著作とともに書棚に並べると、先生の本だけ丈がちょこっと短い・・・。
つまらんことにまで目がゆくのは本好きだからか、それとも僻み心ゆゑでありませうか。

さて先の連休は親戚の不幸で潰れたので、明日の休日は大垣市郷土館「郷土の書人展」にゆかうか、家でゆっくり本を読んで過ごすか検討中。皆様もよい週末を。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000287M.jpg

187やす:2006/11/12(日) 21:58:13
其無如之何
 結局今日は大垣市郷土館で行はれてゐる「郷土の書人展」に行ってきました。そしたらたかだか20点ばかりのなかに、過去に自分が買った掛軸と全く同じ詩を書いたものが何と二本も(汗)。
 気を取り直し、過去の図録を買って大垣城見物、さらに小原鐵心の墓がある全昌寺へ。お墓は建て替へられて立派になってゐました。元の石碑は・・・哀れにもボロボロとなり無縁墓石たちと一緒に入口に置かれてをりました。
 寺内には彼の別業「無何有荘」の一部も移築されて残ってゐて、「無にして何ぞあらん」とユートピアの意を込めた紅殻塗りの酔狂な庵ですが、築150年だけに流石にこちらも今はもの寂びて映ることです・・・こんな処に住んでみたいんだけど。
 さて帰宅後。早速買った図録の印譜と照合するまでもなく、以前オークションで手に入れた鐵心と星巌の書は展示物のまるまる写しであることが判明(笑)。よく見たら鐵心のは裏に「写」とちゃんと書いてあるぢゃないか。掛軸の文句通り「それこれをいかんともするなし」なのでありました。おしまひ。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000289.jpg

188波江究一:2006/11/12(日) 23:46:19
字数歌美術館
お久しぶりです。この度ジオシティーズで新たにサイトを開設せしにつき各位へ紹介までと思ひ来てみれば画像掲示板にされてをられたは丁度よい。古今東西の名画にいろはで画賛をつけた趣向です。下記その一例。広告が目障りかと思ひますが、いづれ有料版に移行も考へますのでよろしく。百篇近く収載。追々に追加致しますのでよろしく。名画を楽しみながら国語問題も考へて貰ふ趣旨です。


彌勒佛の指先から
零れ落ちる種はぬめり
西窓へ水仙萌え
絢な腕輪を活けそよ笑む

みろくふつのゆひさきからこほれおちるたねはぬめり
にしまとへすゐせんもえあやなうてわをいけそよゑむ

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000290M.jpg

http://beauty.geocities.jp/jungleroad91/index.html

189野嵜:2006/11/13(月) 02:48:18
(無題)
>広告が目障りかと思ひますが、いづれ有料版に移行も考へますのでよろしく。

いやあんたの投稿も廣告だらう。

190やす:2006/11/13(月) 09:11:49
天才は忘れた頃に
竜巻なみの登場ですね♪ お久しぶりでございます。
謹んで“広告”させて頂きます。続けての広告投稿は自粛お願ひ申し上げます。

191波江究一:2006/11/13(月) 09:31:56
ついでに漢訳も
昨夜紹介の文は漢訳もありますのでご専門の管理人氏にはどんなものかと思ひつつ下記紹介致し置きます。韻だけは揃へても平仄はでたらめなものですが。

彌勒佛の指先から       自彌勒佛指頭零
零れ落ちる種はぬめり     靈種帶潤育上庭
西窓へ水仙萌え        水仙正萌西窓下
絢な腕輪を活けそよ笑む    化爲腕釧微笑屏

野嵜さんにもご光来いただいてお懐かしいですな。
但し以後特にあらはれることはありません。

http://beauty.geocities.jp/jungleroad91/index.html

192やす:2006/11/13(月) 12:05:29
(無題)
広隆寺の国宝、弥勒菩薩の半跏思惟像は、始皇帝の末裔を自認(?)された田中先生が秦氏の護持仏として尊崇、絵葉書を立原道造の枕元にも届けた仏像です。ありがたうございました。

193てら:2006/11/22(水) 03:59:09
地球温暖化
 はじめまして。エッセイを書いている「てら」と申します。

 いま私は、地球温暖化についてのエッセイを連載していますが、その深刻さに驚いています。 一人でも多くの方に、そのことを知って頂きたいと思い、声をかけさせて頂きました。
 とくに、私のHPの「エッセイ217」と「エッセイ218」に、私の恐れていることが書いてあります。宜しければ、ぜひ覗いてみて下さい。

 すこし場違いのような気もしましたが、今や地球温暖化は、分野によらず全ての人に関係している問題ですので、書き込みをさせて頂きました。

http://www2.odn.ne.jp/seimei/

194やす:2006/11/22(水) 17:09:12
(無題)
はじめまして。ここでは日本の伝統的な詩精神の絶滅が焦眉の関心事ですが、本当にさうですね。
(過去ログでは消させて頂きます。)

195やす:2006/11/26(日) 22:40:36
「感泣亭秋報」第一号
横浜の小山正見さまより「感泣亭秋報」第一号をお送り頂きました。『感泣旅行覚え書き』『詩人薄命』『未刊ソネット集』『小説集 稚兒ヶ淵』とこれまでに、選集と呼ぶべき四冊の作品集がまとめられてをります詩人小山正孝でありますが、つまりは作品といふものもただ出されるのでなく、批評をもってはじめて世の中に所を得るものであること、さらにその人物が作品の真実を裏打ちしなくてはひとに愛されることは不可能でありませう。詩人といふ誤解の多い存在については尚更のこと、周辺の空気さへも人物に染められたところのものを取り出して提示することが必要です。そのための証言は、やはり同時代人それから御遺族からしか得られないのではないでせうか。このたびの「感泣亭秋報」はそのための紙媒体による年刊小冊子、例ふるなら「風信子」の小山正孝版、詩人を偲ぶ会会誌の趣きであります。刊行者の抱負にありますやう、今後ホームページ「感泣亭 ・小山正孝の世界」につきましても一層の充実が図られることの切に祈念する次第です。
ここにても御礼を申上げます。ありがたうございました。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000298.jpg

196やす:2006/11/27(月) 12:49:06
「田中克己散文集」
 さて今回、詩集の部とは別に「田中克己散文集」といふ題目のもと、詩人の小説や批評、エッセイ、また同時代人による詩人評なども合はせて公開してゆけたらと考へてをります。さきに紹介致しました小山正孝の「初期短編小説群」を読んだひとなら分るでせうが、詩人の散文といふのは若書きであっても(むしろ若書きのものが)たいへん面白かったりします。将来小説家になるならうと考へてゐたかどうかはともかく、否それが潰えるものだったからこそ、未熟な部分とともにそっと伏せられた、当時の赤裸々な心境も窺はれるからです。初期の田中克己におけるさうした、不安なモラトリアムの心情を綴った散文といふのは、大岡信氏が中公版『日本の詩歌』で巻末解説を書いた際に引いてゐますが、コギトに掲載した「多摩川」、またそれを変奏した「冬の日」といった小品にみることができます。
 今回手始めにこれら二篇と、またこれは刊行された文集ですが、『楊貴妃とクレオパトラ』のなかから「始皇帝の末裔」の一篇をテキスト化して上しました。いづれもページの余裕さへあれば潮流社版の『田中克己詩集』に収めておきたかった、詩人の出発期と少壮期が偲ばれる作品であります。
 後者の「始皇帝の末裔」は、叙述において鹿爪らしく装ふコギト流の歴史高踏派ぶりがうまい具合に出てゐるエッセイです。北支侵攻中の当時、日本人がどんどん偏狭な民族観に傾斜してゆくなか、自らの出自を故意に秦の始皇帝にまで溯って説いてゐるのが面白く、取って返して敷衍するうち、現在の日本人で大陸・半島と血縁上無縁の者などゐさうもないことを、嫌でも再認識させてしまふといった一文。詩人はこの時期、同時に『大陸遠望』に収められる皇国史観を背景にした詩を書いてゐる訳ですが、「西康省」「詩人の生涯」等の長編詩にもみられるやうな彼の、アジアを広範に視野に収めた民族主義が、盟友保田與重郎とは少しく視点を違へて散文では如何やうに語られるものか、伺ひ知るには好個の読み物と思ひます。

「しかしわたしは何も好んで大名や貴族におのが同族を求めてゐるのではない。ただ島津氏や宗氏がその明らかな系図や史料にも拘らず、これを抹殺し隠蔽せんとした始皇帝の血統を私の家は決して隠さうとしなかつたことに興味が惹かれるのである。(始皇帝の末裔より)」

197てら:2006/11/30(木) 02:34:26
ありがとうございます
 書き込みを残して頂き、ご協力に感謝します。

>日本の伝統的な詩精神の絶滅が焦眉の関心事です

 何となく気持ちが分かるよな気がします。私は、仏教思想やキリスト教思想をすこし齧ったことがあるのですが、人類の思想遺産として、この先何千年も何万年も残ってほしいと思っています。しかし、温暖化によって生態系や人類までもが壊滅的な打撃を受けてしまったら、それも望めません。私が温暖化問題を優先しているのは、そのような動機もあるのです。

http://www2.odn.ne.jp/seimei/

198やす:2006/12/31(日) 00:11:32
悲喜こもごも
の一週間のできごと一括。

【喜】神奈川近代文学館から、マダムブランシュと椎の木のコピーが到着。第一級品の稀覯資料なので難しいかな、といふ気持で申請したのですが、励ましのコメントつきでお送り下さいました。早速「詩集西康省・拾遺詩篇」に追加♪
【悲】 (略)
【喜】田中先生夫妻の声を収めたテープを御遺族よりお貸し頂き、早速CDRに焼いてコピー。これぞ在りし日の謦咳、十五年ぶりに拝聴。
【悲】 (略)
【喜】御寄贈感謝:山川京子様より山川弘至の同人誌「帰郷者」のことを連載紹介(五十嵐勉氏)してゐる雑誌「文芸思潮ウェーブ」14号、ならびに歌つき詩篇朗読CD第二弾(シャンソン風?)を。彦根の藤野一雄さまよりは年末恒例の「ふーが」33号を。
【悲】 (略)
【喜】ぐれむん様より突如「FAXおてまみ」。お元気でらっしゃいますか♪
   またこの週末、いい大人がはまってゐるといふ「風雲児たち」を吾もまた耽読。徳川の世の尊王論者たちが変人に描かれてあるのも御愛嬌なれば、そのうち漢詩人も出てきさうな気配(現在第10巻読了)。

199やす:2006/12/04(月) 20:47:02
詩集『神軍』
 田中克己先生の第三詩集『神軍』をupしました。
 詩集は日米開戦直後の昭和17年、文士徴用の第二陣で詩人がシンガポールへ派遣された留守中に、保田與重郎の斡旋によって刊行されました。大変目に立つ『神軍』といふタイトルですが、戦争詩を前面に打ち出した詩集を自ら出版するといふ形をとらなかった、その結果であります。確かになかには同名の「神軍」といふ詩篇がありますが、一巻のタイトルとして掲げるに相応しいかどうかといへば、含羞を旨とした詩人自身は面食らったかもしれません。さりとて晴れがましさが無かったかと云へばさうとも思はれず、保田與重郎が跋文で「『神軍』は大東亜戦争を熱禱した新時代の詩集である」と書いてゐますが、今や得意の絶頂にあった詩人の心を見透かし、これを元気よく後押しする配慮があったのではないでせうか。
 その後、詩集は当時の日本出版文化協会の推薦書となり、初版1000部に続いて5000部が再刷されることとなりました。結果的に現在古本屋で一番簡単に手に入る詩人の詩集となってをります。そのため「神軍」といふ言葉は戦後、戦争責任を論ずる際に詩人を一言で片付ける殺し文句、レッテルともなり、キリスト教に改宗した詩人を長らく苦しめる言葉となりました。読んでみればわかりますが、開戦以前の佳品を多く収めてゐます。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000302.jpg

200やす:2006/12/06(水) 20:44:56
【最新】公開捜査
現在アーカイヴ作成中の「田中克己詩集」ですが、以下の拾遺詩篇が未だに不詳です。
どなたかこれらの詩篇について御存知の方、御一報頂けましたら感謝に堪えません。よろしくお願ひを申上げます。

千年 (昭和9年11月 鵲[大連] 30号)
山村訪問(昭和11年2月 椎の木 5年2冊)
市井事(昭和14年2月 學藝展望)
風景(昭和14年2月 學藝展望)
老兵士(昭和14年3月 あけぼの)

201やす:2006/12/10(日) 22:55:17
筑摩書房版 立原道造全集 第一巻
 職場の図書館にはもう高額な文学書が入れられないので、県立図書館で借りて参りました。清楚な装釘と意匠、版型は前回より小さく堀辰雄全集と同じになり、大変好感がもてるものです。オフセットのつるつる感・・・・こればかりは致し方ないです。ともあれ中原中也全集みたいなことにはならなかったことに安堵。
 私自身は研究者ではないので、やはり活字版でジャンル毎がいい。戦前の山本書店版と第三次角川書店版の評論ノート(4巻)書簡集(5巻)の組合せで満足してゐるのですが、今回新版での建築図集ほか新資料が収められる巻は注目です。この第一巻での見ものは・・・・詩集の寄贈先リストでせうか。田中克己は27番目也。ほかにコギト同人大高関係者では保田與重郎、中島栄次郎、松下武雄、三浦常夫、小高根二郎。

202やす:2006/12/11(月) 22:52:57
『漢詩閑話 他三篇』 『竹陽詩鈔』
 昨日の岐阜県図書館ではまた、郷土資料コーナーで自費出版と思しき漢詩関係の本に出会ふ。しかしながら郷土資料は貸出禁止でネット書店・古書店でもみつからない。不躾とは存じながら巻末記載の発行所名から電話番号を調べ、問ひ合はせてみれば非売品だが残部があり、事情を説明したらば何と頂ける由。諦めずに何でも当たってみないとわからないものです。
 その一。
 『漢詩閑話』([竹陽]中村丈夫著 1991.11関市千疋メインスタンプ刊行19cm上製299p)は、美濃漢詩人の最後の血統を継ぐ方の遺著ですが、初心者を相手に語った晩年の漢詩談話を中心にまとめられた濃いい一冊です。かつては郷々の旧家に隠棲してゐたらう、そんな漢詩人である「翁」の、その文章と回想には儒学精神を伝へる折り目正しい日本人最後の人柄を見る思ひがします。著者の御孫様より一緒に頂いた遺稿詩集『竹陽詩鈔』(1972.11私家版23.5cm和綴62丁)の解説によれば、詩人の家は天保14年、水利権の紛争に当った村瀬藤城が双方を調停する場所として泊り込んだ中立派の大庄屋であって、当時の当主が著者の祖父に当る由。なんとその時のこされた藤城の墨蹟が伝へられてゐるさうであります。それが職場の目と鼻の先だったんだから、まあ驚いた(笑)。
 ここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000305.jpg

203やす:2006/12/14(木) 12:52:35
従軍詩歌集『南の星』
 田中克己先生の南方派遣活動の所産といふべき詩歌集『南の星』をupしました。
『田中克己詩集』には歌を割愛して収録しましたので、全貌は序・跋とともに、今回が初の御目見えです。戦争詩集の倣ひである此度の刊行斡旋は三好達治に係る由。作品は、向かった南方でも実体験となることはなかった戦争といふ題材、そして思考を停止させる気候風土が、詩風に少なからぬ影響を及ぼしてゐるやうに思ひます(詩人自身は「南方ボケ」と表現)。
 ところで杉山平一先生がこの度の新著のなかで、この大東亜戦争遂行中に書かれた所謂戦争詩について、
「詩人は校歌をたのまれて書くやうに、頼まれて戦争詩を書いたと思う。校歌に、山高く川清し、の慣用句を使う様に、慣用語で戦争を述べている。そういう仕事だから、出来はもとよりよくない。詩集に、校歌を入れないように、戦争詩を入れない。それは出来が拙いからである。そういう作品を他の作品と比較するのは、校歌に川清しと書いた人に川の汚染を書け、と責めるのは酷である。(『詩と生きるかたち』50p 編集工房ノア2006)
 と、大変わかりやすい説明を書いてをられます。しかしながら田中克己をはじめとして戦争詩の作者は、当時「出来がよくない」と思ってこれらの詩を書いてゐた訳ではないことは云ふまでもありません。はっきり云って戦争詩に価値が失はれたのは、「戦争に負けたから」に他なりません。校歌を作った学校がなくなってしまへば、校歌もまた存在価値を失ふ、さういふことであります。
そして敗戦の年になって自身が二等兵として戦線に送られ、全ての元凶である日本陸軍の体質を肌身で感じることになります。詩集を出して後、戦争末期の日本で次のやうな追悼詩を商業誌に書いてゐますが、或は保田與重郎とともに徴兵にとられる讖をなしたかもしれません。

ますらを還る昭和19年12月初出

ちちははの国は紅葉し
篠原に霰たばしる時ちかづきぬ
たよりあり、功(いさを)し立てて
つはものはそのふるさとに神とし還る──

はじめての召しにゆきしは
北支那の紅葉するくに
かへり来て紅葉を見つつ
いひしことわれは忘れず
大陸の空いや青くその紅葉さらに紅しと

ふたたびを召されてゆきし
濠北はマダン、メラウケ、アイタベか
さだかに知らず──常夏の国にありける
紅葉なく青き空には
敵機のみ日がな舞ひたり

ますらをやいさを語らず
飛機のみか弾丸(たま)も送らぬ
ふるさとに恨みも云はず
三年経しけふたよりあり
──ふるさとに神とし還る。

 最後に。この『南の星』に収められた詩篇に関しては、昭和18年2月4日消印で、東京の自宅から大阪中央放送局文芸課(佐々木英之助)宛速達の放送用原稿が管理人の手許にありますので、合せて御覧下さい。詩集収録に当って若干の異同がみられます。

204やす:2006/12/18(月) 20:17:16
「あ・ほうかい」 / 『悲歌』
 いつもお世話になってをります鯨書房さん御店主山口省三様と太郎丸の詩人藤吉秀彦氏がつくられた、なんとも人を食ったタイトルの同人誌「あ・ほうかい」1号をお送り頂きました(岐阜弁で「ああ、そうかい」の謂かと)。
 山口さんの詩は初めて読みました。言葉遣ひの緊密さに目を瞠りましたが、松田優作ばりに凶暴のより(笑)、ひらがなの詩が私は好きです。ありがたうございました。

「悲歌」       山口省三

ふらつくあし
したたらずなことば
しきりにくうをきるて
じゅうけつしため

みずわりやビールのならぶカウンターをすべるかなしみや
やさしさのかずかず
うすめるわけにはいかないあれやこれや
のみくだせないそれらすべて
カラオケのリズムにのってくるいたい
さけびやふるえ
ボリュームがんがんの
のどをふるわせしぼりだすかぎりないいくつものおもい

コップにうかべるふちどりのあるむすうのゆめやきぼう
ながすにしても
すてるにしてもおもくてもちあげられない
こおりをわるようにはわれないものがあふれているかた

そまつなつまみにもみえてくるおもいで
つりさげるにも
かぜにまきちらそうにもつかめない
はかろうにもはかりきれないきたいでいっぱいのくちびる

かきあげるかみ
なでさするほおやあご
わらいなきでくしゃくしゃのかお
たえることにすらたえているゆみなりのせなか

しやくりあげるのど
たれさがったみみ
なりひびくどうきのくろいセーターのふくらみ
うすいこころをふいごにしなつているちいさなからだ

あたたかな
ゆれているひざしをあびて
いきることを
そのままにみつめようとぶざまにあがいている
ぼくがなぞる
くものむこうに
あなたはいまどうしてる?

といふわけでもないですが、私も田中先生の『悲歌』を本日upしました。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000307M.jpg

205やす:2006/12/18(月) 22:05:56
『五つの言葉』
 田中克己先生が編集兼発行者になってゐながら、長らく入手できずにゐた本、コギト同人松浦悦郎の遺稿集『五つの言葉』(昭和10年5月刊行)ですが、此度コピーを国立国会図書館から送って頂きました。遺稿はほとんどが音楽論で、巻末の追悼文も同人の文章はコギト追悼号(昭和8年7月14号)からの転載ですが、保田與重郎一人だけ稿をあらためて書いてゐます。流石であります。友誼に感じ入りました。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000308.jpg

206やす:2006/12/22(金) 12:52:43
『神聖な約束』
田中克己先生の最後の詩集『神聖な約束』をupしました。クリスマスに間に合ってよかった〜♪

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207やす:2006/12/24(日) 21:29:53
Merry X`mas
皆様に素敵なクリスマスを!!

「Ein Märchen」初出誌 昭和15年8月むらさき8月号(貴公凡様より寄贈)

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000310.jpg

208やす:2006/12/27(水) 12:06:27
訂正
「Ein M醇Brchen」→「Ein Märchen」
投稿するブラウザがIEでないと特殊文字はIEで文字化けを起すやうです。

209やす:2006/12/29(金) 00:56:57
『杉山平一詩集』/『國風の守護』/『紀行・挹源詩集』
 本日は仕事納め。年末年始はどこゆく予定もなく、家に居って読書に耽られたら云ふことはありません。さて先週から今週にかけて三冊の寄贈本がございました。とりいそぎの御報告・ここにての御礼を申し上げます。

 まずは長年に亘り思潮社から刊行されてゐる新書版の叢書、現代詩文庫第2期近代詩人篇による『杉山平一詩集』。
 一瞬改訂版かと思ったら、それは1984年に出た土曜美術社版の『杉山平一詩集』でありました。当時われらが杉山先生の詩がまとまって読むことが出来る単行本が出た嬉しさとともに、思潮社版にどうして迎へられないのか、戦後現代詩の系譜優遇の方針に釈然としなかった若い日の自分が思ひ起こされました。あの土曜美術社版の新書版は実にかゆいところに手の届くやうな人選で、戦前に活躍した中堅詩人達の詩業を押さへ、詩集愛好家も随分裨益を蒙りましたが(尤も戦争詩を書いた人たちは除かれましたが)、一旦あれに収められてしまふと当時ポピュラーで権威も感じられた思潮社版の文庫で出ることは放棄、みたいな雰囲気があったのも事実です。そして時がくだり土曜美術社版から出ることのなかった大木実、小山正孝といった詩人達が一足早くこの思潮社版に収まり、このたびは杉山先生、実力でその二文庫制覇の偉業を遂げられた、といふ感じです。尤も裏表紙に印刷される一言コメントが示すやうにこの文庫、純正抒情詩人に対しては抒情の限界を前提に辛口の姿勢で接するのが伝統ですから、今後、四季・コギト・モダニズム系列の抒情詩人たちが続いていかほど収められるかとなると、需要・魅力とは関係なくまだまだ難しいかもしれません。
 さても御歳92才の先生にはお慶びとともに御体の御自愛を切にお祈り申し上げるばかりであります。

 つぎに山川京子様よりかねて予告のあった、郡上八幡の詩人山川弘至の評論集『國風の守護』復刊。
 初版本は、戦後世相のなかで顧みられること少なく、また造本も頁を思ひ切って披くことができない戦時中の稀覯本。此度のハードカバーによる復刻意義は大きく、しかも棟方志功の挿画を配した意匠の再現は、泉下の詩人もさぞ満足されることではないでせうか。今の世にこれを出す意義を、京子様による跋文もしくはどなたか当代識者による解題として付せて頂けると、市販本として初めてこの著者の本に触れる読者にはありがたかったかと、望蜀するほどに立派な一冊に仕上がってをります。

 そして最後に、これも郡上八幡の詩人の遺稿詩集。川崎市香林寺の岡本冏一様より『紀行・挹源詩集』の御寄贈にあづかりました。さきのブログで紹介した『竹陽詩鈔』同様、岐阜県図書館の郷土資料コーナーで出会った漢詩集ですが、著者は幕末郡上藩の江戸詰め藩士、岡本文造(号:高道)。かつて『濃北風雅』を刊行し文教の奨励に努めた郡上藩ですが、その後どのやうな道を辿ったのか、ゆくりなくも幕末の動乱を契機として、最後の学者が遺していったこれは志の文学であり貴重な歴史の証言です。「白虎隊」は知ってゐても地元「凌霜隊」の史実を、恥ずかしながら職場の図書館で外部からのレファレンスがあるまで私も知りませんでした。藩の思惑のままに厥起したことが独断行動と見捨てられ他ならぬ藩命によって処断される悔しさ。放免された後も後ろ指をさす郡上の地を捨てて散り散りにならざるを得なかった隊士たちの知られざる余生。直系遺族は昭和の初期にすでに行方が分らず、追善するこの本を墓前に手向けることも叶はないといふ歴史の現実にも驚き・悲しみを禁じえません。

 挹源詩集自序
古語日、江河不撰細流矣。蓋従明治戊辰仲冬、到明年己巳秋
謫居之余間、曾所渉危、踏険而経歴、猶以存於其胸臆者、詩之。
随就書。終積為編。素不撰細流之妍媸、謾挹所流出、題以挹源詩集。
不知、果成江河否。竟笑而序焉。
 明治二年九月既望、光耀山中書、竝題
    岡本高道

 古語に日く、江河は細流を撰ばずと。蓋し明治戊辰の仲冬より明年己巳の秋に到り、謫居の余間に、曽て危ふきを渉り険しきを踏みて経歴する所、猶ほ其の胸臆に存する者を以て之を詩にす。就(な)るに随って書せば終に積もりて編を為す。素より細流の妍媸を撰ぶにあらず、謾りに流出する所を挹(く)み、題するに挹源詩集を以てす。知らず、果たして江河と成るや否やを。竟(つい)に笑いて序とす。
  明治二年九月既望(十六夜)、光耀山中にて書し竝びに題す
    岡本高道


 年の瀬、映画「硫黄島からの手紙」を観て敗北を定められた者たちの心情にこのところ過敏になってゐる管理人であります。ではでは。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000313.jpg

210やす:2007/01/04(木) 01:17:17
御挨拶
今年もひきつづき郷土漢詩の修養ならびに「田中克己文学館」の充実に力を注ぎたく。
本年もよろしくお願ひを申し上げます。【返信不要です】

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000314.jpg

211mmmk:2007/01/05(金) 20:38:54
(無題)
はじめまして!!わざわざ書き込むことではないと思われてしまうかもしれないのですが、
どうしても急いでいます。

漢詩の『也』という漢字は、助動詞ですか??書き下ろし文にするとき、平仮名にしなくてはいけませんか??

ほんとくだらないと思うのですが、急いでます。よろしくおねがいします。

212やす:2007/01/05(金) 21:22:07
(無題)
『也』は助字(の助詞)で、平仮名にするかどうかはケースバイケースではないですか。漢詩文では「や」「なり」といった普通の訓みかたのほかに 「また」と訓ませたり、置き字で読まないこともあります。この手の質問はインターネット掲示板でのいい加減な回答はあてにしないで、先生に尋ねたり、しっかり辞書ひいた方がいいですよ。

http://homepage2.nifty.com/kanbun/izanai/izanai1/04-17mondaiten3.htm

213やす:2007/01/07(日) 00:35:33
「パルナス」Vol.8
旧モダニズム防衛隊斬込隊長kikuさまより「パルナス」Vol.8 お送り頂きました。前号から実に五年ぶりの刊行の由、巻頭には故串田孫一氏の寄稿を再掲、同人誌にこれだけの作品を書き下ろして寄せられた詩人に感銘です。
ここにても御礼申上げます(早期のネット復帰をお祈りします)。ありがたうございました。

214やす:2007/01/08(月) 23:28:29
『漢詩閑話 他三篇』
 この連休、さきに掲示板で紹介いたしました中村竹陽翁の遺文集『漢詩閑話他三篇』を読み、その魅力に惹き込まれてをりました。書評コーナーにて御紹介致します。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000319.jpg

215やす:2007/01/15(月) 22:39:18
歌集『戦後吟』
歌集『戦後吟』をupしました。
戦後吟とはいふものの、戦中吟、年少吟とともに収められた、全歌集と呼ぶべき内容であり、ことにも年少吟は素晴らしいです。和歌のわからない自分も、次のやうな歌は愛誦してゐます。

冬花(ふゆばな)のマーガレットの白ければきみに買はむとかねておもひき

ゆくさきをまじめに思へばなみだ出づゆでたまごをば食はざりにけり

ゆふぐれはやもり硝子をはひのぼりかはゆきかもよ腹うごかしゐる

埃みちわがゆきしとき匂ふ花ほかになければ葛と知りたり

わがまへにならびゐませるみはらからことごとく泣けばわれも泣きたり

さて、次回予定は戦争末期に刊行され評判を読んだ長編『李太白』、いよいよ先生から漢詩講義を受ける気持して何がなし初心に戻った気分です。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000322.jpg

216やす:2007/01/17(水) 17:49:00
久しぶりに古書目録速報。
本日到着ほやほや「石神井書林古書目録」71より(03-3995-7949)
今回は乾直恵ほか詩人達の昭森社森谷均あて書簡類を多数掲載。
『ペリカン嶋』渡邊修三 昭和8年 函付き染みあり。\21000(早い者勝ち。)
『百万遍』一戸謙三津輕方言詩集 昭和9年私家版孔版 \52500(眼福。)

「趣味の古書展1/26-/27目録」より(抽選1/26 03-5280-2288)
臥遊堂さん(頑張って下さい。03-6909-1359)
 No.11『花ざかりの森』昭和19年 カバー欠。並。\24000
扶桑書房さん(03-5228-3088)
 No.780『象牙海岸』竹中郁 昭和7年 函きず。\4000(函付きですよ!)
 No.781『間花集』三好達治 昭和9年 背題簽欠。\3500(復刻ではありませんよ!)
 No.788『野村英夫詩集』昭和28年 函きず。\3000(これも函付きで!)

217やす:2007/01/17(水) 23:41:23
『桃』1月号
 山川京子様より『桃』1月号(622号)をお送り頂きました。山川弘至記念館の拝観記(野田安平氏)をなつかしく拝読。そして後記につづられた京子様の回想。
 昭和19年、前線へ送られることが決まりそれが最後の面会となった折に
「お帰りになるまで東京へは帰りません。郡上でお待ちします」
 の言葉に対して詩人が放った
「よして下さい。そんなことをされたら、僕が忘れられてしまふ」
 といふ一言。その一言にこめられた滲むやうな思ひと、その一言に殉じてこられた年月の重みに今更ながらうろたへる私です。記念館落成式の際にも感じたことですが、御遺族はともかく「桃」社中の方々が詩人を慕ってこられた心情には、京子様の存在を通じて仰がれる象徴としての日本の姿があるやうに存じました。
 とりいそぎこの場におきましても御礼認めます。ありがたうございました。

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218やす:2007/01/28(日) 10:56:30
一週間のできごと
新村堂目録(よくよく新収分を見ないとね。残念。) 和洋会古書展目録では酒井正平の遺稿詩集『小さい時間』が玉睛さんから。
まつもとかずや様(元下町風俗資料館館長)より、執筆依頼分掲載の「銀河系通信」第十九号をご寄贈頂きました。地方発の辞書級(厚みです)口語俳句個人誌に驚嘆。
雑誌「暮しの手帖」第四世紀26号記事 「ヒヤシンスハウス」。

杉山平一先生奥様訃報 謹んでお悔みを申上げます。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000325.jpg

219mmmk:2007/01/28(日) 14:46:02
(無題)
やすさん、お礼遅くなってすみません!!

学校の先生に嫌われてるので、なかなか質問できなかったので、、、

でも、ありがとうございました!!

220やす:2007/01/28(日) 16:53:56
(無題)
漢文は媚びないところが好きです。
むかしはこんなものをすらすら読むお爺さんがどこの村にも居ったのです。面白いですね。

221:2007/02/10(土) 08:19:00
教えてください
どなたか教えてください。
1、飛騨山川(岡村利平著)という古書にある赤田臥牛の「孝池水」という漢文は、どこの詩集にありますか。
2、また、同書に記載されている、書(画像)の「尾張泰胤」についてご存知のかたあれば教えてください。



222やす:2007/02/10(土) 09:32:26
とりいそぎ
はじめまして。
1、赤田臥牛について知るところは公開しました『臥牛集』の限りです。どなたか御存知の方はよろしくお願ひを申上げます。
2、画像が小さいのでよく分らないのですが「尾張泰胤」は「尾張秦鼎」の記し間違ひといふことはないですよね。

以上管理人よりはとりいそぎ。

223やす:2007/02/10(土) 11:56:20
尾張秦鼎
尾張秦鼎つまり尾張の秦鼎は『臥牛集』の序文を書いてる秦滄浪であります。
レファレンスありがたうございました。この件につきましてどなたか御存知の方はよろしくお願ひを申上げます。

224:2007/02/10(土) 12:57:15
秦滄浪について
ご指導いただいたことから、秦滄浪(尾張秦鼎)は、江戸時代中期の儒者、尾張藩校明倫堂教授(1831年没)であることが分かりました。おかげさまで大変参考になる情報が得られました。赤田臥牛と秦滄浪は深い親交があったようですね。



225やす:2007/02/10(土) 16:27:31
をはり・はた・かなへ
尾張秦鼎は、尾張の国の秦(はた)氏、名は鼎(かなへもしくはテイ)と読ませるのではないでせうか。
秦氏について詳しくは田中先生の「始皇帝の末裔」まで(笑)。

貴重な掛軸、もしできますことでしたら写真を大きく掲げて頂けましたら眼福です。

226やす:2007/02/10(土) 19:21:24
(無題)
掛軸拡大画像再掲ありがたうございました。郷土の漢詩人についてこれからも学習を続けて参ります。拙いホームページですがどうぞ長い目で見守って下さいませ。

227:2007/02/10(土) 20:16:16
ありがとうございました
赤田臥牛と尾張秦鼎についてふるさと研究会へ紹介し、中原史の一部へ取り入れたいと思います。今後ともよろしくお願いします。



228やす:2007/02/10(土) 20:45:02
気のついたところなど
こちらこそよろしくお願ひを申上げます。
それから拡大して頂いた秦滄浪の掛軸ですが、(画像が小さいのでなんとも云へませんが)判読や訓みを再考された方がいい点、私でわかる範囲で初めのところだけ書き記してみます。

4行目:其名曰作苦事親→其名○作善事親 其の名[○作]、善く親に事へ
6行目:孝子走従其所求→孝子是従其所求 孝子これよりその求むる処
7行目:自飛至江三百里 みずからさんびゃくりをとんで→飛(州)より江(州)に至る
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

229:2007/02/10(土) 21:12:57
判読について
この画像は、カメラが悪く、少し解読しにくいと思います。各行の直していただいたものは、やはり相当おかしかったですね。チェックしていただき助かりました。
旧家で古文書を見せていただくのですがどれをお借りするのか読めなくて泣いています。

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230やす:2007/02/10(土) 23:34:04
伊藤聴秋
 o.kumazakiさま(名前を存じ上げませんが)、再びの画像掲載鳴謝します。
 この連休中に終へてしまひたい仕事がありますので、その後ゆっくり拝見させて頂きたく存じます。

 といふことで本日は江戸漢詩の話題に田中克己先生の名が出た序でに私からも。
 このたび田中家のふるさと淡路島の漢詩人伊藤聴秋の掛軸が手に入りました。何と詩人同士は姻戚関係にもあったやうです。ただし立派すぎるこの筆札、判読がむつかしく・・・鳴門の渦みたいな筆跡です。また字が読めたところで故事の素養が未だしなれば、ネコに小判、やすに掛軸。折角の「掘り出し物」のお宝も「埋め戻し物」なんてことにならぬやう(汗)。 ではでは。

231:2007/02/11(日) 08:56:16
仲冬望とは
仲冬望とは旧暦十一月でいいのでしょうか。
ご指導下さい。



232やす:2007/02/11(日) 22:10:17
礑と気づけば落札価に蹌踉たり。
 今朝方メールで御連絡申上げましたが、仲冬望は仲冬の望、仰言るやうに旧暦十一月のもちづき十五日のことではないかと思ひます。
 しかしあまりにもタイムリーな話ですが、秦滄浪の掛軸(例によって写し?汗)を、先ほど落札したところであります。これ以上高くなったら諦めるつもりでしたので内心ハラハラしてをりました(笑)。詳細は到着の後またいづれの機会に。

233やす:2007/02/12(月) 11:56:39
『李太白』
 『李太白』、やうやく全ての校正を終へテキスト化終了しました。休み明けにup致しますので、同好の皆様方には御覧頂けましたら嬉しく存じます。なにぶん初版再版ともに印刷が古く、文字化けに悩みましたので、校正もれの御指摘などございましたら嬉しく存じます。

 さて田中克己先生の中国詩人「評伝三部作」ですが、残り二冊も久しく絶版となってをります。これらについてサイト上にテキスト復刻してよいものか、刊行元へ許可を願ひ得た上で、順次『杜甫伝』『蘇東坡』と計画中です(むづかしいかもしれません。絶版書籍についてのネット閲覧可能に関する著作権法改正は来年になるやうです)。

 不肖の弟子ではありますが、これらの著作の顕彰を終へぬかぎり、江戸にせよ郷土にせよ漢詩を云々する資格がないことに気がついた次第です。なほ『李太白』の抄出詩には現代訳がなく、『杜甫伝』『蘇東坡』は反対に訓読が読み飛ばされてをります。この点、口語抒情詩人の真骨頂をしめすべく不取敢『李太白』には後年発表された口語訳を付与して鑑賞の助けに供したいと存じます。すべて今年の宿題として更新を気長にお待ち下さい。

234やす:2007/02/21(水) 22:50:41
詩雑誌『新生』
『杜甫伝』『蘇東坡』のテキスト化は、出版社の見解があくまでも「絶版ではなく品切れ重刷未定」とのことゆゑなかなか難しいやうです。残念。

「美濃地方漢詩文学年表」に秦滄浪の掛軸ほかupしました。
 解読中につき皆様からの御教示をお待ちしてをります。よろしくお願ひを申上げます。

またJIN様より貴重な戦前名古屋の詩雑誌『新生』を三冊も頂きました。順次upして参ります。お楽しみに!

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235やす:2007/02/23(金) 11:45:58
角田錦江展
 本日職場に笠松町歴史民俗資料館から学芸員がおみえになり、拙蔵の 村瀬太乙・角田錦江合作掛軸を借りてゆかれました。3/1よりはじまる角田錦江の特別展に展示される由。毎度「授業料」払って研鑽を積んでをります(苦笑)漢詩の掛軸ですが、今回のみは僥倖といふべき歟。展示の概要は以下のとほり。見学記はまた追ってupの予定です。

平成19年3月1日〜3月30日 笠松町歴史民俗資料館企画展
「笠松の儒学者 角田錦江」
http://www.town.kasamatsu.gifu.jp/kyouiku/kb073.htm

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236やす:2007/02/23(金) 21:04:49
寄贈御礼『緑竹園詩集訓解』ほか
 笠松町歴史民俗資料館から『緑竹園詩集訓解』村瀬一郎著。
 著者は伊藤冠峰に私淑してその顕彰に退職後の余生を捧げられた岐阜市出身の最後の古老です。学芸員の方の説明で、これまでに「冠峰先生顕彰研究会」から出た本がすべて個人資金によるものだったことを知りました。笠松および御在所岳山上の石碑も、村瀬氏一人の尽力に係る建立と聞き、晩年身寄りなく老人ホームの一室を終の栖処と卜され、そこから先哲の面影にむけて終生敬慕の念を発し続けた翁に、崇敬の念を抱くに至りました。

また鯨書房さんより詩誌「あ・ほうかい」第2号。
>モーニングセットてんこ盛りの茶店林立するこの岐阜を怖れよ(山口省三氏「日常」より)
なるほど明日はそれをば頂き、岐阜駅ビルの古書展初日でもめぐりませう(笑)。

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237西岡勝彦:2007/03/02(金) 18:19:29
業務連絡2つ
ブログから引き続いて書き込んでおります。
1.レンタルサーバーが終わってしまいましたので、ホームページを移動しました。お手数ですが、リンクの書き替えをお願いいたします。
2.田中先生の詩集テキストで気づいた誤植です。
『詩集西康省』
「歴史」5行目 説明科→説明料
「西康省」2行目 Dichtungund→Dichtung und
『悲歌』
「卒業式」1行目 で口を出した→舌を出した
お蔭さまで、アンソロジーでは分らなかった田中克己という詩人の魅力が分かりました。戦後の詩は特に心に響きますね。

238西岡勝彦:2007/03/02(金) 18:26:28
ドイツ文は
直っているようですね。

239やす:2007/03/02(金) 20:34:05
『日々の嘱目』
 あたらしくはじめられたブログの、清澄な写真とともに西岡様の清潔感あふれるコメントをいつも楽しみにしてをります。この世知辛い時代にも人生を満喫するとはどういふことなのか、日々の嘱目の端々に顕れる生活態度に教へられるところが非常に多いです。出張のため訂正はしばらくさきになりますが、御教示御指摘のほど今後とも何卒よろしくお願ひを申上げます。ありがたうございました。

>戦後の詩は特に心に響きますね。
心に響く・・・服膺したい詩句がみつかるのが戦前なら、戦後は痛々しい鎮魂の吐露に尽きるやうです。

240やす:2007/03/03(土) 23:51:33
晦跡韜名爲世所貴・・・
 先週は美濃市まで村瀬藤城一族の碑文を読みに、今週は笠松町の歴史民俗資料館へ角田錦江展の見学に行って参りました。角田錦江といふ儒者が全国的に知られてゐないことはわかってゐましたが、教へて頂いたお寺には立札もなく、それどころかお墓が皆目みつかりません。そんなはずは。必死に探し回って・・・あ、ありました(汗)。直系の角田家は絶えた由ですが、此度の回顧展が町の教育史の先覚を、そして血縁の誇るべき御先祖様を見直すきっかけになったらと願はずにはゐられませんでした。

錦江夫妻(釋錦江居士、釋幸照大姉)の墓碑。

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241やす:2007/03/13(火) 21:10:50
『昧爽』第14号
『昧爽』第14号の御寄贈をかたじけなく致しました。

 特集は「言葉言葉言葉」。と聞いて思ひ出す野嵜さんは書いてゐませんが、この雑誌が特集を組むのですから仮名遣ひに喝が入るのは当然のこと。しかし皆さん色々な方角からの国語に対する憂慮を、漢字・仮名遣ひは投稿のままで載せてゐるところが嬉しいです。最初に一文を寄せられた渥美國泰氏は、私どもテレビ世代には馴染み深い悪役俳優にして、現在は江戸民間書画美術館館長。また宮里立士氏の文章に
「…こう書いてきて思い出す話がある。それは書籍の流通が乏しかった近代以前、学問を志す人問は貴重な書籍を暗誦できるまで自らのものにし、その内容を終生忘れることはなかったという話である。書籍を、所有するのではなく、借覧して読むのが当たり前の時代、同じ本は二度とは読めない頃の人の記憶カというのは、現代人には想像できない、雲をつかむようなものに感じられる。…」
 とあるのに、当時の和本や掛軸が比較的簡単に手に入ってしまふ現在の状況が、いかに異常でさういつまでも続くものでない状況であるかに思ひを致し、同感したことでした。

 そして今号は、そのやうに内容にも幅広いところをみせておきながら、前号後記で予告された、浅野晃と伊藤千代子のことをめぐっての『苫小牧市民文芸』の一文に激怒した中村氏の「鉄槌」が、えらい剣幕で気を吐いてゐるのが、もう、槍玉に挙がった先方が可哀想にさへなる位(笑)。おそらくヒューマニズムの在り処がたったこの四半世紀ばかりの間に大衆のなかで大きく変ってきたことを、前衛の自負が財産のこのひとは理解できない(したくない)のだらうし、中村氏も未だ自らの優位に安心ができず過剰反応の気味。斉藤征義氏の新連載となる浅野晃論が、もう少し共産党の事情に暗い自分などにも分るやう手引きされれば、と思ふ一方で、中村氏が今回のことで神経を擦り切らしてしまはないか懼れる次第です。

 ありがたうございました。

『昧爽』(中村一仁・山本直人氏共同編輯)
    編集部:nahoto@wf7.so-net.ne.jp (@は@です)

242やす:2007/03/17(土) 23:03:24
「桃」三月号
 山川京子氏主宰「桃」三月号をお送り頂きました。誌面後半に、昨秋刊行された山川弘至『國風の守護』についての諸氏から寄せられた読後感が掲載されてゐます。
 私も頂きましたこの復刻本、著者の薀蓄を縦横に傾けた美術史論や国学の評論は、先輩と仰ぐ保田與重郎やシュペングラー張りの断定が爽快ですが、専門知識の乏しい者が評するところでありません。むしろ叙述の端々から私が読み取ったのは、戦争といふ異常な時代、詩心の純潔を守り通すために古典の言葉で自らを防禦しようとした姿勢、むしろ言葉の方が行く先々で詩人を支へてゐるやうな激烈な祈りの様相です。それが痛ましくも見ゆるのは他でもなく彼が非業の死を遂げたからでありますが、それゆゑ容認される文辞を退けたところで、なほ今の飽満の世に生きる私たちが望み得ない真摯な詩への憧憬が、彼の信仰となり全身をめぐる様子は圧巻の一言に尽き、それこそは詩人の生理と名付けてよからうと思ふものです。「七生報国」を「神国の倫理」とも「青春そのものの象徴」とも言挙げる詩人はまた、「戦争遂行の臨時措置として神国を言ふがごとき輩は、真の日本の国体を知らず、歴史を知らず、又神をおそれざる不逞の輩である。」と、厳しく自らの生死を託するに神話への帰依をもってするとともに、「もし自分の言ふことが、神がかってゐると嘲笑するひとがあれば、」と、その自覚をも表明して恥じない。勿論さうでなければ保ち得なかった“國風の守護”でありますが、同時に國風によって自らの純潔が守護されるといふ、詩人ならではの信仰の約束であったのだと思ひ至ります。

 この場にても御礼申し上げます。ありがたうございました。

 さて以前行った四季派学会の講演について印刷用の原稿を送りました。これまた田中克己先生の戦争詩について述べさせてもらったものであります。まとまって先生のことについて書いたのは二度目で、この話題はどうしても避けて通れないものでしたから、ひとつ肩の荷を下ろした気分です。読んで頂ければわかりますが、ページの関係で詩を抄出できませんでしたから、こちらのホームページでテキスト共にしっかりフォローさせて頂かうと思ってをります。

243やす:2007/03/17(土) 23:04:40
古本雑誌「初版本」
「日本古書通信」Vol.72(3) 到着。
「古書展の思い出(古本講座14)」で『孟夏飛霜』を\500で掘出した話、続いて五冊も集めた話には吃驚しましたが(私まだ読んだことない 笑)、今号裏表紙には扨いよいよ計画中の新雑誌「初版本」の全容が発表されました。旧「Salon De 書癡」掲示板出入りの面々に扶桑書房・石神井書林の店主ほかを加へた執筆陣といふのは楽しみです。B5版オールカラー100pで\1000(〒込)といふのも本造り同様、責任編集川島さんの採算度外視の意気込みが窺へます。「人魚通信」の時は限定200〜300部でしたが今回は期限内に申し込めば全員が購読できる模様。 みなさんもどうぞ。 あ、私まだ入金してなかった(笑)。ゴメンナサイ。【〆切は5月31日まで】

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244やす:2007/03/21(水) 17:58:05
詩集『私の墓は』, 評伝『雪に燃える花 詩人日塔貞子の生涯』再刊本
山形県寒河江市の奥平玲子様より、日塔貞子の詩集『私の墓は』および彼女の評伝で同じく稀覯となってゐる安達徹氏の『雪に燃える花 詩人日塔貞子の生涯』の、各再刊版を御寄贈頂きました。厚く御礼を申し上げます。
昭和24年に亡くなった詩人の遺稿詩集が出たのが昭和32年のこと。晩年を看取った四季同人の日塔聰はその後再婚して山形を去ります。遺された日記をもとに安達徹氏が書き綴った評伝の初版が出たのが昭和47年、それからさらに35年の時を経て、当時感銘を受けた奥平様ほか友人四人の自称「主婦のグループ」の手によって、このたびその評伝が甦ったのです。有志はそのためだけに立ち上がり出版に奔走された由(いつの世も美しいものはやはり誰かが抛っては置かないものですね)。さうして昨春刊行された、この28歳で夭折した純正抒情詩人を紹介した本は地元でも話題を呼び、おかげで詩集自体も再刊の運びとなり、なんと現在3刷とのこと。地元の公共図書館以外、まだ大学図書館にも寄贈されてゐない様子で、研究者といふより詩を愛する読書家の間で詩人の伝説が流布され続けてゐるのです。
 詩集の瀟灑な装釘は、サイズや版組みだけでなく、カバーを取ると一層初版本へのリスペクトを感じるもの。評伝の方は新聞連載だったせゐでせう、最初、時系列が不分明なところや、脚色過多ではないかと感じる冒頭を過ぎると、次第に面白くなってきます(こちらは近く著者自ら補筆して再再刊される予定)。唯一残念なのは・・・詩人仲間の誰もが感嘆したといふ閨秀詩人の容姿が、今回の再刊本どちらにも写真で紹介されてゐなことでせうか。 つづきは後日の書評にて。 お問ひ合せは
991-0023 山形県寒河江市丸内2-4-19 桜桃花会 まで。

詩集『私の墓は』 \1800 (紀伊国屋サイトでも購入可)  『雪に燃える花 詩人日塔貞子の生涯』 \1500

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245やす:2007/03/31(土) 11:52:50
週間報告
○ 頂きもの
鯨書房さんより詩誌「あ・ほうかい」(まづは一里塚の第三号おめでたうございます。といって文章には古本屋さんの苦しみが切々と綴られてゐるのですが。)
横浜市大庭様より『李太白』の縦書きpdf文書ファイル。
ともに御礼申し上げます。ありがたうございました。

○ 購入もの
後藤松陰の直筆折帖を入手しました♪ しかし一体なんの理由があってこんな手習ひものを認めたのでせう。国会図書館の所蔵本とところどころ同じ文句がありますが、もとより「世話千字文」なるものについて不詳です。どなたか御教示頂ければ幸甚です。

○ また歳をひとつ重ねました。
「偉さうにすることもされることも嫌ひ」で来たせゐか、いまだに年かさの自分だけ君付けで呼ばれます。人徳なければただ軽んぜられるだけです。

246やす:2007/04/08(日) 15:39:18
『生き残りの記 嫁菜の記その後』
 先日アップした【四季派の外縁を散歩する】で、「このところ戦争中に詩的開花を遂げた夭折詩人について、復刻・回顧の出版が続いてゐる」と書いたのですが、以前に刊行予告を頂いてゐた『生き残りの記 嫁菜の記その後』を鈴木利子様からお送り頂き、思ひはピークに達してをります。山川弘至についてはさきの回に記しましたが、文庫版『大東亜戦争詩文集』に同じく収められた、新生活を絶たれたもうひとりの戦没詩人が増田晃です。山川弘至の場合と同様、申し分ない才能と手放しの愛情表現を兼ね備へた詩人らしい夫君に文学的素養を培はれ、共にあった短い日々がそれ故に殊更消しがたい生涯の傷痕となって焼き付けられたのは、戦後再婚された利子氏にあっても同じこと。それがさきの『嫁菜の記』に続き今回刊行された限定二百冊の非売本のなかに、傘寿の視座から生涯の縁しを俯瞰するやうな、穏やかな筆致で認められてをります。戦時中の同人誌「狼煙」追悼号を中心に、詩人を愛惜する諸氏の文章を後半に収めてをり、読んでゆくと突然若い日の師友の言葉に出会ふ巧まぬ構成が、資料の復刻意義とは別に読むものをして「時の感慨」に駆り立てます。家族を収めた数葉の写真のなかで唯一当時のもの、結婚挙式時の写真にはページを繰った誰しもが息をのむことでせう。また私は本書のおかげで田中克己先生の拾遺詩一篇とゆくりなくも邂逅を得、冒頭『大東亜戦争詩文集』に係り自分のことが引かれてあるのには冷汗を流しました。 つづきは再び後日の書評にて。

 さてこの本の中でも回想されてゐる林富士馬は、山川弘至や増田晃と同様、育ちのよさの面でもいかにも日本浪曼派の第二世代を代表する詩人のひとりですが、戦争をくぐりぬけてのちは、「文学を何故するのだ」といふ青臭さを大切にし、ディレッタントの生涯を貫き通した辛口文芸批評家にして町のお医者様です。晩年のお弟子さんであり、雑誌『近代文学資料と試論』を独力で主宰してをられる碓井雄一様から此のたび第六号の寄贈に与りました。前号に引き続き「林富士馬・資料と考察(三)」のなかで、戦後期に詩人が主宰した同人誌『玻璃』について目録に沿って論及をされてゐます。戦後文壇において日本浪曼派の出自を持つ自分のやうな者は、おのれの文学観に殉じて後日の審判を待てばよいのだとする自負。ジャーナリズムの渦中に去った後輩三島由紀夫を意識したともみえる、敢へて万年文学青年を標榜するかの姿を抄出したり、また寄稿者山岸外史の随想に独特の感傷をみようとする碓井氏の視点は、「サムライ」好きの私にしても全く同感であります。毎度思ふことながら、同人誌といふより大学国文科の紀要に比して遜色ない学術雑誌といふべき。CiNiiで全目次を閲覧できます。『近代文学資料と試論』(「近代文学資料と試論」の会 〒358-0011 埼玉県入間市下藤沢653-1-408 碓井方)

 さらに活動拠点を関西から九州に移された西村将洋様よりは、雑誌「昭和文学研究」第54集をお送り頂きました。保田與重郎の多岐にわたる研究動向について、各論文の意義を比較検証した短評を下されてゐます。私なんぞの読みとは濃度・次元が違ふなあ(汗)。しかし西村様始め、知遇を忝くする近代文学研究者の皆様から一様に喬遷・転封のお知らせを頂くことに驚いてゐます。

 皆様方にはこの場にても健筆ご活躍を祈念するとともに厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

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247やす:2007/04/12(木) 12:21:00
『緑竹園詩集』復刻版
 角田錦江特別展の資料協力をさせて頂いた折、主宰の資料館に在庫を無心した故村瀬一郎先生畢生の編著のうち、『緑竹園詩集』復刻版全3冊と遺墨資料1冊(冠峰先生顕彰研究会,1990.11)を、このたび冠峰顕彰会の宮崎惇様よりお贈り頂きました。この場を借りまして厚く御礼を申し上げます。
 前に記しましたが、翁はその全詩に解釈を付し『緑竹園詩集訓解』(2001.11)として刊行。かつて江村北海に
「冠峰をして身都下に在って藝苑に馳聘せしめば、すなはち其の詩歌の名、方今の赤羽(服部南郭)、蘐洲の諸子(徂徠の弟子達)に讓らざるべし、惜いかな」
 と評せしめた詩人伊藤冠峰の詩業が、私のやうな初学者にも明らかになりました。これはその原本の復刻。翁の後記によれば、刊本ながら今では日本に二、三冊しか現存しないと云はれる『緑竹園詩集』のコピーを京都大学図書館からとりよせ、一丁一丁に語句の校訂、印字の補修、原寸大への拡大を施しながら「全行全字全線空間まで殆ど手を加えない箇所は無いと言っても過言ではないほど」労力を傾けられた由。こちらの復刻は古書店にも現れず、一本を愛蔵したいと長らく念じてゐたのでした。
 しかし斯様なまでの苦労をされてゐることを知れば、亡き翁には詩集の実物を一度手にとって御覧頂きたかった気も致します。図書館では直接コピー機に当てることを拒絶され、送られてきた写真撮影なるものにさきに述べた御苦労が三年間に亘って課せられた由。当時は天下に二冊と思ひなしてゐた刊本も、今ネットで調べてみるとなんと近場の、愛知大学の豊橋図書館(菅沼文庫)にもある様子。1989年12月の調査とありますから、もとより復刻作業に資すべくはなかったかもしれませんが、残念なことは2001年の『緑竹園詩集訓解』後記のどこにも新しく刊本と出会った事実が記されてゐないことです。正式な目録もまだない貴重書文庫のやうですから、結局は御存知なかったのでせう。愛知大学でも名古屋図書館の方には復刻本の寄贈があったのですから、利用者と図書館の双方のすれ違ひは、コピーの件といひ、罪作りなことであります。
 つまらんこと記しました。

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248やす:2007/04/15(日) 00:03:00
『朔』160号 一戸謙三特集(終)
 八戸の圓子哲雄様より「朔」160号の御寄贈にあづかりました。二年間六回にもわたった一戸謙三特輯号は今回が最終回です。解説の坂口昌明氏は皮相な定説として避けてをられますが、時代的にはその「繊細で感性豊な抒情詩から、いかにも青年の客気にまかせたヨーロピアン・スタイルの前衛的曲芸にいったんは身を投じた」詩人の前半期について、さらに戦後も引きついでなされた訳詩業を加へて、従来方言詩人としてのイメージしかなかった読者の目を開かせる拾遺資料の紹介、解説、回想が一通りなされた、といったところではないでせうか。ここをもって最終回とするのも、つまりは詩人自身が若気の至りとして訣別した特に初期の時代こそ、詩人が詩人らしい感性の輝きに溢れてゐた時期であったと編集部が判断したからであって、斯様な巻頭特集を連続で組まれた意義はまことに青森詩壇のみならず、口語抒情詩の全国展開を俯瞰する上でも大きなものだったと思ひます。私自身、うわさの『ねぷた』といふ詩集を手にして、初めてこの詩人を知った者ですが、さうして詩人といふのは処女詩集の評価が決定的であると謂はれますけれども、実は正直のところあの一冊では詩人の名が云々される理由がわかりませんでした。語句の解説があらうと青森弁の抑揚を知らないのだから当たり前ですよね。むしろこのたび紹介された大正〜昭和初期にかけての、中央詩壇の動きや質に較べて遜色の無い抒情詩、モダニズム詩に没頭した詩歴が、後年詩風を転じた後もオーラとなって裾野を引いて、過去を封印した筈の詩人に漂ふ一種の風格となるに至ったんぢゃないか、さうも感じた次第です。残念なことはそれを訪ねるべき肝心の、戦前の詩業を収めたといふ第二詩集『歴年』自体が既に稀覯になってゐることでせうか(昭和23年青森美術社刊、200部)。(今回特集となったシュルレアリズム期の作品のいくつかは、アンソロジー『詩鈔』にみることができます。)
 ともあれ坂口昌明氏が中心となって紹介の労をとられたこれまでの拾遺詩篇特集が、あらためての詩集刊行にまで引き継がれることを願ってやみませんが、思ひはさらに村次郎、草飼稔、和泉幸一郎と、青森抒情詩の先人たちの「文庫叢書」にまで広がってしまひます。

 また同人となられた小山正孝夫人常子氏の回想はしばらく連載されるとのこと。しっぽりと睦まじい回想を伺ふと、田中克己先生の逸話もこんな風に今は亡き夫人に書いて頂きたかった気が致します。推理小説がお好きだと仰言ってゐたから、さぞお話の緒も抽斗もあったでせう。但しこちらはちょっぴり面白をかしく・・・。

 ここにても御礼を申しあげます。ありがたうございました。

249やす:2007/04/16(月) 19:45:51
古書目録御礼
 先週から、扶桑書房さん、新村堂、誠心堂書店、森井書店と続々目録到着。 森井書店の古書目録は毎度ながら御礼を言ひたくなるほどの美しさ。

 別冊太陽の「中原中也」を思はず購入。今月29日が生誕百年とか。記念グッズもいろいろと。

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250やす:2007/04/22(日) 11:12:55
奥居頼子遺稿詩文集『和光』
 詩人増田晃が少年の頃、上野図書館に通って閲覧、密かに恋してゐたといふ夭折少女奥居頼子の遺稿詩文集『和光』(1927.7奥居彦松編 非売私家版1000部)が偶々ネット書店に出てゐた。どんな本だったのか興味があって早速注文したのはよかったが、届いた仏壇の如き壮麗な装釘と、いたいけな内容とのギャップに少なからず驚いた。
 第一勧銀の支店長だった父親が自身のコネクションを総動員して、画家から慰撫の絵画を、親戚友人からは追悼文を集め、編輯する自分の後ろ姿も一緒に、将来の嫁入費用を全額遺稿集出版につぎ込んだらこんな本になってしまった、といふ感じの本である(90,210,190p ; 23cm上製函)。収められた遺稿も断簡零墨のすべてに亘ってをり、一寸他愛無い程だが、それだけに普通は窺ひ知ることの出来ない同年輩の少女の心のうちが隅々まで晒されて、可憐な遺影とともに多感な少年の詩心に強烈な灯を点しただらうことは想像に難くない。後年詩人は詩集『白鳥』に収められた当時の所産となる初期詩篇について疎隔の意を漏らし、日本浪曼派の古代禮讃へとのめりこんでゆくことになるが、伊福部隆彦をして天才出現を叫ばしめたそれら殉情詩篇にこそ、私もまた強く惹かれる。詩人の出征中、新婚の利子氏は、伝へ聞くこの本を同じ上野図書館でアルバイトの最中に発見し「ドキドキしながら頁を繰ってみた」。詩人の戦死広報を受取るのはその夏のことである。

  「花束の思出」   奥居頼子

どれがいいかしら──
これもあれもみんな
お友達から送られた花束です
一ツのは赤いバラ
もう一ツのはヤドリ木
第三番目のはカーネーション
終のは枯れてしまいそうな
月見草! でした

赤いバラは美しき愛
ヤドリ木は接吻を乞ふ
カーネーションは
あなたの奴隷になる
月見草! 沈黙せる愛情

私がまよって居るときに
ちいさい聲が言ひました
月見草が一番安全ですよ──と
私は従ひました 小さい聲に
ちいさい聲が言った通り
私はいつまでも幸福でした

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251やす:2007/05/19(土) 23:30:50
【連絡】プライベートアドレス変更
迷惑メールがひどくなってきましたのでプライベートアドレスを変更しました。以後、旧アドレスにはメールを送らないで下さい。よろしくお願ひを申上げます。

252やす:2007/05/20(日) 20:24:27
ごぶさた近況報告
 仕事や家のことで何かと気忙しく、コンテンツの更新も滞ってをりますが、比較的元気でをります。

 歌誌「桃」五月号(No.624)を、主宰の山川京子様より御寄贈にあづかりました。ありがたうございました。毎号末尾に山川弘至にまつはる書簡、書評、断簡零墨が掲げられ、歌の分らぬ私にとっては大変興味深い文献です。さういへば久しく絶版となってゐた「日本浪曼派」「文藝文化」の復刻がオンデマンドで再刊される由(雄松堂出版)。各々\68250、\94500であります。

 「日本古書通信」No.934到着。 川島さんが「本の保存法」について、名高いナフタリンペーパーの使用をやめた経緯など含め面白く解説されてゐます。蔵書家の最大の敵は光・埃・虫・泥棒でもなく家族だとか(さきの再刊にしても結構有名な人々の家族が分らないやうになってるみたいです)。 家族はともかく(笑&汗)目下、私も和綴本の保存(配架)についてはどうしたものか苦慮中。雰囲気は良い慳貪箱も隙間だらけだし、あら隠しに最適なグラシン紙も、酸性紙であってみれば保存に良いのか悪いのかわからぬなんて聞くと訳がわからなくなります。

 さうして今月は宿願、といふか寧ろ生涯手許に置くことは諦めてゐた四季派の稀覯詩集の入手が叶ひました。本屋さんに感謝、献呈先に吃驚。これ以上云ふとまたバチが当りさうな気がします。ほかにも富岡鉄斎の複製書軸など、さても五月は物入り月となる気配。
 (この掛軸といふヤツ、書籍と違ひ、複製であっても図書館のDBに「書誌」がまとめられてゐるといふことはないやうです。ちなみに鉄斎のものは何社から何種類位出てゐるのでせう。複製とて正価では手が出ない代物ですが、今回たまさか手に落ちたのはこれまた僥倖です。)

 「あ・ほうかい」4号を鯨さんより寄贈にあづかりました。ありがたうございました。客間の事を「でえ」と呼ぶのですね。知らなんだです。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000367.jpg

253やす:2007/05/21(月) 22:43:52
(無題)
大久保さまへ

用件そのままに碓井様宛メール申上げました。書き込みは削除させて頂きました。(このレスも削除します。)
以後用件あります場合は下記メールアドレスまでよろしくお願ひを申上げます。
拙掲示板がお役に立って嬉しく存じます。

254碓井雄一:2007/05/22(火) 00:21:11
(無題)
やすさま。ご無沙汰いたしております。こちらでご紹介を賜りました御蔭をもちまして、池内規行さまから拙誌につき有難い御連絡を賜り、早速ご連絡を差し上げた次第です。のみならず、高著『評伝・山岸外史』の御恵送を忝う致し、嬉しいことでした。やすさまにも衷心より御礼申し上げます。また、サーニンさまとの嬉しいやり取りも、久しぶりにさせていただきました。
さて、メール賜りました件ですが、僕と致しましては全く問題ないのですが、「アウトルック・エクスプレス」を一旦閉じて、いま開いてみましたら、何故か先ほどのメールが削除されていて、もう一度御文面を拝して連絡方法等をじっくり考えたく、というほどのことでもないのですが、御手数をお掛け致しますこと本当に心苦しく存じますが、先ほどのメールを、再送いただきます訳には参りませんでしょうか。やすさまのアドレスを登録も致したく。何卒、宜しくお願い申し上げます。
このような私的なご連絡に掲示板使わせていただきましたこと、お詫び申し上げます。同人誌、今年12月までにはもう一冊、と考えております。この1〜2年である開き直りがあり、あくまで林富士馬と伊東静雄に拘泥いて参りたく、どうぞ、今後とも宜しく御教導を賜りますよう、お願い申し上げます。取り急ぎです。

255やす:2007/05/22(火) 12:49:18
(無題)
碓井さま
了解です。用件別途メール申上げました。このレス含めて3件過去ログから外します。
今後ともよろしくお願ひを申し上げます。

256やす:2007/05/28(月) 12:16:10
『評伝・山岸外史』
 このたび林富士馬のお弟子さんである碓井雄一様との御縁を通じ、山岸外史に私淑された池内則行様から御高著『評伝・山岸外史』をお送り頂きました。現在書きかけのまま進まない別稿の作文を措いて読み始めたところ、面白いので読み通してしまひました。さういへばこの山岸外史といふ人は、四季・コギト・日本浪曼派の人脈を考へる上でのキーパーソンであります。悪麗之介さんも大推薦の散文詩集『煉獄の表情』は未見ですが、自意識の強い癖のある文体は、批評家の立言と云ふより詩人の述志と称すべく、彼を一躍有名にした『人間太宰治』のほか折々にものされた人物月旦など、地べたゼロメートルから放たれる切り口・語り口がまず破格です。「太宰はしか」に罹ってゐた大学生の時分、『人間太宰治』を読んで、はぁー、これが文士といふものか(ハートマーク)、彼と檀一雄こそ一番の親友だ、特にこのひとがも少し「おせっかい」であったら太宰治は死ぬことがなかったのぢゃないか、とさへ思ったものでした。一切の権威を無視してなされる彼の不逞な「断定」のすぐ裏にはしかし、同時にサムライに類する「はにかみ」があって、例へばイエスキリストに対する牽強付会が立原道造に対してはそのもろい美しさに理解を示したりする。その育ちの良い禀質には学識と贅沢が助長させた甘えが癒着してゐて、近親に対して居丈高であると思へば、仲間に喝破されると年長であらうが忽ち軽んぜられることとなる。田中克己先生は「山岸」と呼び捨てにして太宰治から窘められたさうですが、晩年の先生から、さきのキリスト論に呆れ返ったことや、萩原葉子さんとの恋愛(?)を醜聞として聞かされたことでした。文章でも「いい人だが、何をたのみに生きてゐるのかと心配でならない。」などと書かれてゐるのですが、つまりは憎めない(笑)。けだし日本浪曼派グループの中でも最も向日的なドイツロマン派気質を持ったタイプとして、芳賀檀とともに双璧のやうに思ひます。著者に対する芳賀檀氏からの礼状コピーも拝読させて頂きました。戦後あれほど悪罵の中にあった芳賀氏の許へ、同志の監視員(?)付きで久闊を辞しに来たとのこと。なるほどあまりに破天荒すぎて、共産党に入ったことさへ(その後のなりゆきを見ましても)自身をもてあました奇行癖の結果と呼びたくもなります。尤も文壇から嫌はれた東京生まれらしからぬ「非スマートさ」も、約めてみれば江戸っ子の向日性と含羞から発したものには違ひなく、もともと陰にこもったものがないから、かうして実害の無くなったところで(?)必ず擁護者も表れる訳であります。冒頭太宰治論をめぐっては、井伏鱒二の側に立つ余り山岸外史に噛み付いた相馬正一氏に対する反駁が快く、また当の井伏鱒二に対しても、山岸外史自身では弁解できないところを第三者である長尾良(コギト同人)等の回想文など援用して、謦咳に接し得なかった師の身の証しを両者並び立つ形で立てられておられます。

 続きはまたブックレビューに場を移して書き直したく、とりいそぎこの場にて御礼の一報まで申上げます。今週は出張でまたしばらく留守にする予定です。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000373.jpg

http://www.geocities.jp/sounsanbo/gonta/gonta200602.htm

257:2007/05/29(火) 00:08:21
(無題)
やすさま
 拙著『評伝・山岸外史』についてご懇篤なご紹介を賜り、ありがとうございます。貴ホームページというよりは、やすさまというお名前は、もう一つのアルファベット名前ともども以前から気になる存在でありましたが、このたびの碓井雄一様とのご縁から交流が始まり、嬉しく思っています。あらためまして、この場をお借りして、碓井様へ心からのお礼を申し上げたいと存じます。
 私が山岸さんについて書こうと思ったのは、『人間キリスト記』『芥川龍之介』『煉獄の表情』『ロダン論』『眠られぬ夜の詩論』『人間太宰治』と、独自の発想と詩的な文体で多彩な作品を著しながら、正当な評価を得ていないということへの疑問・憤りからでした。戦前の書物は手に入れにくく、評価のしようがないのは解りますが、太宰研究書中の白眉というべき山岸さんの『人間太宰治』が歪めて評価され、その人間性まで否定されかねないのを見ては黙っていられない、という気持ちです。先入観を持たないで、虚心に山岸さんの太宰論を読めば、また、山岸さんの太宰宛書簡に目を通せば、真に太宰治を語るにふさわしいのは、山岸さんを措いて他にいないということは自明の理であります。
 太宰治研究に関連して触れますと、山崎富栄の実像を探求し、田辺あつみの出自を探り出したあの長篠康一郎氏が今年2月に満80歳で亡くなられましたが、長篠さんも山岸さんに師事され井伏鱒二やその一門の作家・研究者から排斥された在野の太宰研究家でありました。(6月9日正午から東京市ケ谷の旧私学会館で、かつての太宰文学研究会の会員の方たちを中心に、長篠さんを偲ぶ集いが開催されます)
 太宰治関連の話ばかりになりましたが、やすさまの該博な知識と鋭い洞察力に裏付けられた寸評へのお礼の言葉を申し上げるのが、そもそもの趣旨でありましたが、脱線してしまい申し訳ございませんでした。いずれブックレビューでもご紹介・ご批評を頂戴できるとのことで、望外の幸せを感じております。
 やすさま、碓井様、本当にありがとうございました。

258碓井雄一:2007/05/31(木) 20:53:48
改めまして。
池内さま。高著、本当に興味深く(躍動的な記述を)拝読致しました。実は、拙誌につきお問い合わせいただきましたのが、池内さまが初めてでしたので、このことも本当に嬉しいことなのです。どうぞ、今後とも御教導を賜りますよう、お願い申し上げます。
やすさま。御迷惑をお掛け致しましたこと、衷心よりお詫び申し上げます。また、有難うございました。委細、ここで申し上げるべきではありませんね(汗…)
林富士馬(あえて呼び捨てなのです)研究に生涯を捧げたいと存じております。大仰な言い方ですが、思うところもあり、「研究」というより「僕は林富士馬に愛されていた一時期があった」という思いが、僕のつらい日常を支えているのであれば、その思いに正直にと、つくづく考えたりも致しております。と申せ、来る仕事はホイホイ請けて、挙句に窮地に陥るのですが(その節は本当に御迷惑をお掛け致しました)。やすさま、池内さまとの本当に嬉しいやり取り、そしてサーニンさまの腹のくくり方をブログで拝し、後に続きたいなと、そのこと自体を齷齪考えるのが悪いところなのでしょう、これは直りません。
同人誌を創るに当り、「ショック」ともいうべき関わりをお示し下さったのが米倉巌先生です。端的に「破格の人」なのです。というのは、一度もお会いしたことがないのにも拘らず(いまだにお会いしたことがなく)、拙誌お贈り申し上げるたびに、「資金は大丈夫か?」「また寄稿したい」と仰ってくださる方、なのです。僕自身は酔っ払いのダメ人間なのですが、生涯のひと時でも、このような方々に支えられて参りましたこと、涙ぐむような、至福を感じております。
米倉先生の、もちろん『萩原朔太郎』一連の御著も大切なのですが、僕にとりましては、学部生のときに新刊書にて拝した『伊東静雄―憂情の美学』(審美社)から学ばせていただいたことの大きは生涯の宝なのだと感じております。
思い出しますことは、突然の不躾な申上げように対して、しかも過ぎたお願い事に対して「ひとつ返事」でお応え下さいました中嶋さま(上野駅でお会いしてから、もう10年ですね!)、拙誌をお気に留めて下さり御連絡を賜りました池内さま、米倉先生をお慕い申し上げております思いと同様の気持ちで、酔いに任せて取り留めのないメールでございます。どうぞ、今後とも宜しくお願い申し上げます。

259やす:2007/06/01(金) 17:40:11
出張より帰還致しました。
>池内規行さま
「Salon de書痴掲示板」が終了してからHNによる表立っての書き込みは歇みましたが、過去ログをみて頂ければ分かりますとほり、「該博」など云はれるとコレクターや古書店主達の失笑が聞こえてきさうです。著書で紹介されてゐた長篠康一郎氏が今年逝去された由、御冥福をお祈り申上げます。

>碓井雄一さま
上野の聚楽にてコーヒー一杯で二時間も話し込んだこと(笑)すっかり失念してをりました。1998.2.22・・・もう十年も以前のことになるのですね。米倉巌氏の著書では他にも『四季派詩人の思想と様式』のなかで、杉山平一先生のことを対談とともに取り上げてをられるのが貴重に存じます。

 思ふに山岸外史、林富士馬、田中克己と三者三様、イッコク故に世間と扞格をきたした述志の文人を選んで師と仰いだことが、結局は自身に対する支へとなり、また新しい出会ひのきっかけともなってゐるといふのは、誠にいみじき縁しであるやうに存じます。今後ともよろしくお願ひを申上げます。

 出張先で立ち寄った古書店では、戦後まもなく刊行されたにも拘らず、徒花のごとく増田晃への愛慕を表明してゐる奇特な詩集に遭遇しました。詩人は庭園史研究第一人者の血統。詩集の表題は萬葉集冒頭の御歌に喚起された詩篇からでせうか。

260:2007/06/06(水) 23:25:43
Book Review ありがとうございました
やすさま
 「Book Review」感銘深く拝見いたしました。これほど詳細に好意的にご紹介くださり、また、やすさまの直截なご感想を賜わりましたことに対し、心からありがたく厚く御礼申し上げます。こんなことなら、20年前に差し上げておけばよかった、というのは冗談ですが、やはり“該博な知識”と鋭い洞察力、柔軟な感性に裏付けられた的確なご指摘・ご批評に、感心したと申し上げたいと思います。(該博な知識も、単にひけらかしたり、他の人を冷やかしたり、揚げ足を取ったりする匿名のある種の人たちの場合は、“該博な痴識”とでも言っておきましょう。)また、一方的にお送りした情報を上手に取り入れて、よくぞ要領よくまとめてくださったことと、感服いたしております。
 太宰治をめぐる山岸外史・長尾良組と、井伏鱒二・相馬正一氏組との懸隔について触れた拙文に着目され、支持していただいたのは嬉しかったです。このあたりは、私に外史伝を書かせた大きな動機のひとつなのですから。
 やすさまは、桜岡孝治氏に目を留めておられますが、桜岡さんはずいぶん血の気が多く、喧嘩っ早い詩人で、林富士馬さんとも長い間絶交状態が続いたようです。また、桜岡さんは千葉県の鎌ヶ谷で養鶏業をなさったり、町会議員を務めたりされたとのことです。
 山岸外史は「詩人の奇矯癖は、あえて怪しむに足りない」という人ですから、周辺には奇人めいた人もいたようです。碓井雄一様が「プシケ」から探し出された山岸さんの「馬の鈴」に出てくる吉野實という詩人などは、女物の着物に赤い腰紐一本を締めて現れるなど、山岸さんが呆れるくらいの奇人だったようです。この女物の着物のことは、山岸外史のお弟子さんの川添一郎さんも書き留めておられます。この川添一郎や吉野實、野口儀道、村上道太郎など8人の詩人が、『詩集8人』という本を出しており(昭和17年11月、詩集8人発行所)、山岸さんが「洋燈に灼らされた言葉」という序文を書いています。
 まだまだ書き足りない気がしますが、キリがありませんので、今日はこのあたりで止めます。それにしましても、本当にこの本をまとめておいてよかったと、つくづく感じます。新しい交友の輪が広がり、やすさま、碓井さま、皆様から新しい情報や刺激を頂いています。これもインターネットのおかげなのですが、太宰治を愛読する若い人が『評伝・山岸外史』をよく読んでくださっているのを知り、大いに勇気付けられています。
 やすさま、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願い申し上げます。

261やす:2007/06/07(木) 21:56:13
『詩集8人』
>池内規行さま
過分のお言葉を賜り、恐縮するとともにそんな風に云って下さるとやはり嬉しくて仕方ございません。

 相馬教授は職場に国文学科があったころ、私が教務課にをりました時分に、御自宅のある信州追分から二週間に一度、下界に降りてこられ、また高原に帰ってゆかれるといふ、大変羨ましい身分の先生でした。深くお話する機会もありませんでしたが、それでも『夜光雲』を出したことをお伝へしたら二つ返事で買って下さいました。浩瀚な評伝の著者らしく鷹揚な優しい感じの先生でらっしゃいました。

 さて掲示板にございました『詩集8人』は初耳です。書誌が国会図書館サイト他でもみつからないので、どんな本なのか興味津々。詩風も典型的な日本浪曼派第二世代によるアンソロジーなのでせうね。探して読んでみたくなりました。型破りの詩人たちの逸話、桜岡孝治氏の話ももっとお伺ひしたいところです。私が知るのはほか、伊東静雄の葉書くらゐしかありませんから(いま玉英堂のHPに写真が出てゐますね)。

ありがとうございました。


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