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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

241やす:2007/03/13(火) 21:10:50
『昧爽』第14号
『昧爽』第14号の御寄贈をかたじけなく致しました。

 特集は「言葉言葉言葉」。と聞いて思ひ出す野嵜さんは書いてゐませんが、この雑誌が特集を組むのですから仮名遣ひに喝が入るのは当然のこと。しかし皆さん色々な方角からの国語に対する憂慮を、漢字・仮名遣ひは投稿のままで載せてゐるところが嬉しいです。最初に一文を寄せられた渥美國泰氏は、私どもテレビ世代には馴染み深い悪役俳優にして、現在は江戸民間書画美術館館長。また宮里立士氏の文章に
「…こう書いてきて思い出す話がある。それは書籍の流通が乏しかった近代以前、学問を志す人問は貴重な書籍を暗誦できるまで自らのものにし、その内容を終生忘れることはなかったという話である。書籍を、所有するのではなく、借覧して読むのが当たり前の時代、同じ本は二度とは読めない頃の人の記憶カというのは、現代人には想像できない、雲をつかむようなものに感じられる。…」
 とあるのに、当時の和本や掛軸が比較的簡単に手に入ってしまふ現在の状況が、いかに異常でさういつまでも続くものでない状況であるかに思ひを致し、同感したことでした。

 そして今号は、そのやうに内容にも幅広いところをみせておきながら、前号後記で予告された、浅野晃と伊藤千代子のことをめぐっての『苫小牧市民文芸』の一文に激怒した中村氏の「鉄槌」が、えらい剣幕で気を吐いてゐるのが、もう、槍玉に挙がった先方が可哀想にさへなる位(笑)。おそらくヒューマニズムの在り処がたったこの四半世紀ばかりの間に大衆のなかで大きく変ってきたことを、前衛の自負が財産のこのひとは理解できない(したくない)のだらうし、中村氏も未だ自らの優位に安心ができず過剰反応の気味。斉藤征義氏の新連載となる浅野晃論が、もう少し共産党の事情に暗い自分などにも分るやう手引きされれば、と思ふ一方で、中村氏が今回のことで神経を擦り切らしてしまはないか懼れる次第です。

 ありがたうございました。

『昧爽』(中村一仁・山本直人氏共同編輯)
    編集部:nahoto@wf7.so-net.ne.jp (@は@です)


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