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「時間を止める三ステップ」⑥〜⑱(完結)
1
:
中島タロー
:2018/11/07(水) 22:41:53
「時間を止める三ステップ」の解説記事は十八個(①から⑱まで)ありますが、
当スレッドではその中の⑥から⑱までを公開させていただきます。
既出のスレッド“「時間を止める三ステップ」①〜⑤”を前編とすればこの
スレッドは後編という位置づけになります。
2
:
中島タロー
:2018/11/07(水) 22:47:03
時間を止める三ステップ⑥
《それは数息観と組み合わせることもできる・後編》
ここで、「没入法」もしくは「観察法」と数息観を組み合わせて実践する場合の、具体的な
やり方を述べておきます。
既に分かっておられるものとは思いますが、「没入法」と数息観を組み合わせて実践する場
合は、息を数えながら、百パーセントの心で息を数える行為に没入いたします。
そして、「観察法」と数息観を組み合わせて実践する場合は、息を数えながら、百パーセン
トの心で息を数える行為を観察いたします。
いずれの場合も、心を百パーセント働かせなければならないという、ハードと言えばハード
な条件が実践者に課せられておりますので、普通に数息観を実践する場合よりも長くは続け
られないと思います。しかし、それはそれで良いのです。
それから、もう一つ付け加えておきますが、数息観の上級バージョンでは息を数えることを
しないのだそうです。
この数息観の上級バージョンと「没入法」や「観察法」を組み合わせたらどんなやり方にな
るかと申しますと、当然のことながら、没入や観察の対象が息を数える行為ではなく、息そ
のものになるわけです。こちらのやり方も試してみたい方は試してみられたら良いでしょう。
さて前にも申しましたように、「没入法」と「観察法」は基本的に、日常生活の中で自分が
今行っている運動とか作業とか仕事などを通して実践するものです。
ピンと来ない方のために具体例を挙げておきますと、それらの中には例えば、歩くこと、料
理すること、土をいじること、床にモップをかけること、楽器を演奏すること、皿を洗うこ
と、大工仕事をすること、といったものも含まれております。
が、人には、今申し上げたようなことをしていない時間帯というものも当然あります。そし
て人が過ごすそうした時間帯というのは、合計すると決して短くはありません。
前述のような形での数息観のやり方を知っておくことのメリットの一つは、そうした時間帯
の中にあっても、「没入法」や「観察法」を実践するためにわざわざ「やること」を探す必
要が無いことです。
前述のような形での数息観のやり方を知っていると我々は、いつでも、どこでも、「やるこ
と」が無くても、「没入法」や「観察法」を実践することができます。
3
:
中島タロー
:2018/11/07(水) 22:50:27
時間を止める三ステップ⑦
《結果に囚われすぎてはいませんか?》
前にも申しましたように、「没入法」を実践している時に求められるのは自分が今している行動
の中に心を百パーセント入れることであり、「観察法」を実践している時に求められるのは自分
が今している行動の外に心を百パーセント出すことです。
が、皆さんの中には、それらのことが中々簡単にはできないという方々もおられるのではないか
と思います。今回の話はそんな方々のためにさせていただきます。
まず、それらのことが中々簡単にできないという方々にお尋ねしたいのですが、それらのことが
実際にできるか否かということは横に置いといて、それらのことを志向することなら簡単にでき
るのではありませんか? 如何でしょうか?
それらのことを志向することすなわち、自分が今している行動の中に心を百パーセント入れよう
とすること、及びその外に心を百パーセント出そうとすることなら、誰でも簡単にできるはずだ
と私は思います。
それさえも簡単にはできないという人はいらっしゃらないはずです。何故なら、何であれ何かを
志向するかしないかは自分で決められることだからです。
で、ここで覚えておいていただきたいのは、その志向が真剣なものであれば心はその志向通りに
動くということです。前述のようなことをあなたが真剣に志向されるなら、心はそのあなたの志
向通りに動きます。
すなわち、自分が今している行動の中に心を百パーセント入れること及びその外に心を百パーセ
ント出すことをあなたが真剣に志向されるなら、心はあなたが志向したことに従うものです。
その意味において、あなたが前述のようなことを真剣に志向することは原因であり、そのあなた
の志向したことに心が従うのは結果であると言えます。そして、原因があれば結果はひとりでに
付いて来るものです。
なので、結果をものにするためにあなたが直接的にタッチしなければならないのは結果の方では
なく、原因の方だということになります。
そこであなたが気にかけねばならないことがあるとしたらそれは、原因をちゃんと作り出せてい
るかどうかということであって、結果がちゃんと付いて来ているかどうかということではありま
せん。極論いたしますと、結果のことは「どうでもよい」わけです。
冒頭で申し上げたような、「没入法」や「観察法」の実践時に求められていることが中々簡単に
できないとおっしゃる皆さん、今の話参考になったでしょうか……。
4
:
中島タロー
:2018/11/07(水) 22:53:01
時間を止める三ステップ⑧
《きちんと実践するために》
「没入法」と「観察法」に共通していることの一つは、どちらも自分が今している行動以外の
ことに関心を向けているときちんと実践できないという点です。「没入法」も「観察法」も、
自分が今していること以外のことにちょっとでも関心を向けているときちんと実践できません。
従ってこれら二法を実践している最中だけは、自分が今している行動以外のことは何もかも心
から切り離す必要があります。我々は(現われの世界では)時間の中に生きておりますので、こ
こに言う「自分が今している行動以外のこと」というのは次のように言い換えることもできま
す。過去の自分に起った色々なこと、未来の自分に起るであろう色々なこと、そして現在の自
分に起っている色々なこと。
ついでに申せば、「没入法」や「観察法」を実践する最終目的である「悟りの世界を垣間見る
こと」さえも、この二法を実践している最中は心から切り離す必要があります。この二法を実
践している最中はそれさえも心から切り離して、何のために「没入法」あるいは「観察法」を
実践しているのか自分でも分からなくなっているぐらいがちょうど良いわけです。
ちなみにその、「没入法」や「観察法」を実践する最終目的というのは分類するとすれば、
「未来の自分に起るであろう色々なこと」のお仲間ということになります。
このようなわけで「没入法」と「観察法」の実践の中には間接的ながら、自分が今している
行動以外のこと全てを心から切り離すことも含まれていると言えます。これができますと心
が身軽になった分だけ、ある種の楽しささえ感じられるようになるものです。
5
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 01:38:12
時間を止める三ステップ⑨
《第三ステップに向けて》
前にも少し触れましたように、「没入法」と「観察法」は基本的に自分が今している行動
を対象として実践するものですが、その自分が今している行動というものの中に、やや特
殊ながら呼吸をお仲間として加えることもできます。すなわち我々は、呼吸を対象として
「没入法」や「観察法」を実践することもできます。
念のためにそれぞれの実践の仕方を押さえておきますと、呼吸を対象として「没入法」を
実践する場合は百パーセントの心で呼吸に没入するという形になりまた、呼吸を対象とし
て「観察法」を実践する場合は百パーセントの心で呼吸を観察するという形になります。
理由は後述しますが、ここでその、呼吸を対象とした「没入法」および呼吸を対象とした
「観察法」のそれぞれに呼び名を付けさせていただきます。前者の呼び名は「呼吸没入
法」、後者の呼び名は「呼吸観察法」です。
前出の二法にわざわざこのような呼び名を付けたのは実は、第三ステップでは、前出の二
法を使って「あること」を皆さんに実践していただくことになるのですが、その説明をす
る際の便宜のためです。
前出の二法にああいう固有名詞をつけておくと、その説明がしやすいんですね。厳密に申
せばその「あること」というのは必ずしも、前出の二法を使わなければ実践できないとい
うことではありません。すなわち呼吸以外の、自分が今している様々な行動を対象とした
「没入法」および「観察法」を使ってその「あること」を実践することも可能と言えば可
能です。
しかし、その「あること」というのは一般的に、前出の二法を使って実践する方が容易で
効果を実感しやすいのです。前出の二法には、そういう意味での良さがあります。
ということで繰り返しになりますが、第三ステップでは、それら(「呼吸没入法」と「呼吸
観察法」)を使って「あること」を皆さんにしていただくことになります。
6
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 01:42:01
時間を止める三ステップ⑩
《さあ、第三ステップだ! 時間よ止まれ!》
第三ステップのやり方を一言で申せば、こうなります。「呼吸没入法」と「呼吸観察法」
の二つを同時に、しかも同じ比重で実践しようと試みること。
末尾の「実践しようと試みること」というくだりにご注目ください。「実践すること」と
はなっておりませんね。もしもこれが「実践すること」となっていたら、「そんなことで
きるのかよ」みたいな感じで皆さんのやる気は失せるかも知れませんが、ここで求められ
るのはあくまでも「実践しようと試みること」ですので皆さんドン引きなさいませんよう
お願いします。
とはいえ、これだけではまだどういうことなのか十分にお分かりにならないと思いますの
で、言葉を足させていただきます。
既にご存じのように、「呼吸没入法」の実践において求められるのは心を百パーセント呼
吸の中に入れることです。そして「呼吸観察法」において求められるのは心を百パーセン
ト呼吸の外に出すことです。
従って、この二法を同時に同じ比重で実践しようと試みるということは別の角度から捉え
ますと、心を百パーセント呼吸の中に入れようとする志向(意志)と、心を百パーセント呼
吸の外に出そうとする志向(意志)とを五分と五分に拮抗させて、どちらにも偏りの無い状
態にするということでもあります。
その状態をイメージで理解したかったら、前述の二つの志向(意志)が同じ強さで綱を引き
合って真ん中でピタリと静止している様子を思い浮かべてみられると良いでしょう。
その状態というのは矛盾しているようですが、呼吸への没入と呼吸の観察が同時に成り立
っている状態のようにも見えますし逆に、そのどちらでもない状態のようにも見えます。
ここでは「どちらでもある」と「どちらでもない」は表裏一体なのです。
いずれにしても、「呼吸没入法」と「呼吸観察法」の二つを同時に同じ比重で実践しよう
とする試みが真剣なものであれば我々は、自然な結果として、最終的にはその状態に到る
ことができます。
ここで、首尾よくその状態に到ることができたのか否かを見分ける最も分かりやすいチェ
ックポイントを挙げておきますと、「心理的な時間(心に感じられる時間の流れ)が停止し
たかどうか」ということです。
すなわち心理的な時間が停止したのであれば、あなたはそれができたということになりま
すし逆に、心理的な時間が停止しないのであれば、あなたはそれができなかったというこ
とになるわけです。
首尾よくその状態に到り得て、心理的な時間の停止を体験された方はお分かりになるはず
です。「今に在る」とは本当はこういうことだったんだな、と。「今に在る」ということ
の究極の意味は実は、自分の中の心理的な時間が停止することなのです。
さて実際にその状態になってみれば分かることですが、その状態においては、考えること
はもとより感じることまでも含めた心の働きが全面的に脇に置かれています。にも関わら
ず我々はそこで、自分の呼吸の存在をちゃんと覚る(しる)ことができています。
これは、その状態にある時の我々は、心とは別にある真我という名の眼で自分の呼吸を見
ているからに他なりません。
※第三ステップの話はまだまだ続きます。
7
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 01:44:40
時間を止める三ステップ⑪
《第三ステップに関する補足・前編》
おさらいになりますが、第三ステップにおいて皆さんに求められるのは次のことです。基
本的に呼吸を対象として、「没入法」と「観察法」の「同時実践」を試みること。ここに
言う「同時実践」の意味は、既に分かっておられるとは思いますが解説いたしますと、同
時に同じ比重で実践するということです。
ご存じのように「時間を止める三ステップ」においては、第三ステップに進む前に「没入
法」と「観察法」の二法をマスターしておくことが正規の手順になっておりますが、その
理由は、それらを前以てマスターできていると、それらを「同時実践」するのが容易にな
るからです。
「没入法」と「観察法」を前もってマスターしておればこそ、それらの「同時実践」が容
易にそしてきちんとできるようになるというわけです。急がば回れ、ということですね。
とはいえそれ以前の問題として、前回の説明だけではまだまだこの第三ステップのやり方
が十分に飲み込めないという方も、皆さんの中にはいらっしゃるかも知れません。なので
今回は、この第三ステップのやり方について、さらに言葉を足させていただきます。
前回申し上げたことの繰り返しになりますが、呼吸を対象として「没入法」と「観察法」
の「同時実践」を試みることはある角度から捉えますと、心を呼吸の中に入れよう(込め
よう)とする志向と、心を呼吸の外に出そう(外そう)とする志向とを五分と五分に拮抗さ
せて、どちらにも偏らないようにするということでもあります。
説明を簡素化するためにここでは、「百パーセントの心」と記述すべきところを「心」
とだけ記述させていただいていることをご了承願います。
前出の二つの志向を五分と五分に拮抗させてどちらにも偏らないようにするということ
は言い換えれば、心を、呼吸の中に入れているのかそれともその外に出しているのか、
どちらとも取れるような、あるいはどちらとも取れないような、一体どちらなのか判別
のつけようが全くない、どっちつかずの真ん中の状態に持って行く、ということでもあ
ります。
その「どっちつかずの真ん中の状態」と言いますのは顕微鏡を覗くような細かい眼で調
べてみても、どちらかへの偏りを見つけ出すのが不可能な状態でなければなりません。
心を前述のような状態に持って行くためには、そういう意味での精密さ精確さが要求さ
れるということです。
で、心をその状態に持って行くことに成功いたしますと何故か、心は脇に退いてしまい
ます。そしてその結果として、心とは別にある真我という名の眼で呼吸を見ている状態
に我々は成ることができます。心の出番が無くなると真我という名の眼の出番がやって
来るものなのです。
ちなみにここに言う心とは思考の出どころである顕在意識のことだけでなく、多くの人
が真我だと思っている潜在意識までも含めた心のことです。
8
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 01:46:58
時間を止める三ステップ⑫
《第三ステップに関する補足・後編》
第三ステップでは基本的に、呼吸を対象として「没入法」と「観察法」の「同時実践」を
試みることに一応はなっておりますが、各自の判断で呼吸以外のものを対象として同じこ
とを試みるのも決して悪いということはありません。例えばの話、それが散歩とか釣りと
かであっても構まわないということです。
一般的にその試みは、呼吸を対象として行う方がやりやすいとは言えますがだからといっ
て、必ず呼吸を対象として行わねばならないというものでもないわけです。呼吸を対象と
してその試みをするのはあくまでも第三ステップの基本形だとお考えください。
思いますに、ひょっとしたら皆さんの中には、呼吸よりも「座り」を対象としてその試み
をするのがピツタリ来る方もおられるかも知れません。ここに言う「座り」とは例えば、
あぐらをかくこととか、椅子にかけることとか、座禅を組むこととかを指します。そうい
う方は是非、「座り」を対象としてその試みをしてみてください。
「座り」のような静的なものは「没入法」や「観察法」を個別にマスターする場合には使
いにくい面がありますが、この二法の「同時実践」を試みる場合に関して言えばそうでも
ありません。むしろマッチしているとさえ言えるでしょう。
9
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 09:49:29
時間を止める三ステップ⑬
《第三ステップをクリアできているかどうか今一度チェックしましょう》
これまで第一ステップから第三ステップまでの実践方法を皆さんにご紹介させていただ
きました。それらを全部実践された方に申し上げたいのですが、あなたのこれまでの実
践の仕方に間違いが無かったか否かは次の一点をチェックするだけで分かります。第三
ステップを実践した時心理的な時間が停止したか否か。
どういうことかと申しますと、第三ステップを実践した時心理的な時間が停止したので
あれば、あなたのこれまでの実践の仕方に間違いは無かったということであり逆に、そ
うならなかったのであれば、あなたのこれまでの実践の仕方にどこかしら問題があった
ということに他なりません。
ということで「そうならなかった方」はもう一度第一ステップからやり直す必要がある
かも知れません。「もしかしたら自分もその口かも…」と心当たりのある方は是非そう
してみてください。
さて心理的な時間が停止するということは言い換えれば今しか無い状態、もしくは
「今、今、今、今…」と今が間断無く続いている状態になるということでもあります。
その中には例えばの話、万分の一秒前のような極めて微かな過去さえも介在する余地
はありません。
で、これは体験した者にしか分かるはずのないことではありますが、ここに言う
「今」とは「心が何かを感じる前」のことなのでもあります。従って前述の「今しか
無い状態」というのは次のように言い換えることも可能です。
「心が何かを感じる前、心が何かを感じる前、心が何かを感じる前、心が何かを感じ
る前…」といった具合に「心が何かを感じる前」が間断無く続いている状態。前述の
「今しか無い状態」というのはある角度から捉えると、こんな風にも言い換えること
もできるのです。
この消息は、実際に前述の「今しか無い状態」を体験された方ならばお分かりになる
はずです。逆に申せばそれがお分かりにならないうちは、あなたはまだ本当の意味で、
前述の「今しか無い状態」を体験されていないということ、とどのつまりはまだ「第
三ステップ」をクリアされていないということに他ならないわけです。
※「第三ステップ」の話はさらに続きます。
10
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 09:54:38
時間を止める三ステップ⑭
《ご質問へのお返事》
以前「あいさん」という方からご質問を頂戴しておりましたので、遅ればせながら今回こ
の場を借りてお返事させていただきます。
【ご質問】
「没入法」の数息観を昨日から練習していますが、100を1セットとして2セット目で息を
数えていると、知らぬ間に眠ってしまいます。
1セット目でも20を過ぎた頃から眠くなったり、数を数えているのに雑念が湧いたりします。
集中力が足りないのでしようか?
最初はこんなもので続けるうちに出来てくるものでしょうか?
またマスターできたと分かるのは、何によってでしょうか?
【私からのお返事】
数息観には「100を1セットとして数える式」の他に「10を1セットとして数える式」もあり
ます。あなたのように「100を1セットとして数える式」だと集中力が続かないという方は
「10を1セットとして数える式」、あるいはもっと言いますと「5や3を1セットとして数え
る式」に切り替えてみるのも一つの手だと思います。
「5や3を1セットとして数える式」というのはもちろん私が考えたものですけれども。
こういう短めのものならば1セットが終わる前に集中力が途切れてしまうなんてことはない
でしょう。問題はそれを何セット続けるべきかということですが、そこのところはあなたに
無理の無い範囲で自由に決められたらよいと思います。
ちなみにおさらいになりますが、数息観を使った「没入法」の実践において我々がしなけれ
ばならないのは、呼吸を数える行為に100パーセントの心で没入すること、あるいは成りき
ることです。ここに言う「100パーセントの心」とはあくまでも自分から見た100パーセン
トの心だということを付け加えておきます。
さてあいさんの最後のご質問は、(その数息観を使った「没入法」が)マスターできたと分か
るのは何によってでしょうか? ということですね。
直接的な答えにはなってないでしょうが、今は次のように申し上げておきましょう。私の基
準では、呼吸を数える行為も含めてある一つの対象の中に心を全部入れるとはどういうこと
なのかが頭や理屈じゃないところで理解できたら、つまり体験として理解できたら、その段
階で取あえず「次のステップに進むための最低限の資格」はあなたにあると言えます。なの
でまずは、その段階を目指していただきたいと思います。
ここからはついでの話です。
前述のようなわけで「没入法」の実践者に最低限求められるのは、ある一つの対象の中に心
を全部入れるとはどういうことなのかを頭や理屈じゃないところで理解することです。そし
て「観察法」の実践者に最低限求められるのは、ある一つの対象の外に心を全部出すとはど
ういうことなのかを頭や理屈じゃないところで理解することです。
この二つのことができますと、「第三ステップ」すなわち、ある一つの対象の中でもなく外
でもない中間点(真ん中)に心を全部置くことの意味もまた、頭や理屈じゃないところで理解
できるようになるものです。
11
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 09:58:12
時間を止める三ステップ⑮
《第三ステップがうまくいかない方のための補足説明》
以前読者のさとしさんからいただいたコメントの中に、次のようなくだりがありました。
「毎日第三ステップやらせていただいてます。中々上手くいきませんが…」
中々上手くいきませんが……という部分が気になりますね。
この方のように、「第三ステップ」に真面目に取り組んでいるが中々上手くいかないと
いう方のために今回は、「第三ステップ」の何たるかをゲップが出るぐらいしつこく補
足説明させていただきます。
前々回も申し上げましたが、「第三ステップ」の中味は次のように要約することもでき
ます。様々なもの(例えば、自分の呼吸とか歩行とか座りなど)の「中でも外でもない真
ん中」に心の全てを置くこと。
で、ここで用いられている「中でも外でもない真ん中」という言い回しは、次のような
いくつかの言い回しに置き換えることも可能です。
・「中と外の真ん中」
・「中と外の境界線」
・「中なのか外なのか判別できないグレーゾーン」
・「中と外のどちらにも偏ってない一点」
以上を踏まえて今度は、「第三ステップ」の中味そのものを色々な言い回しで表現して
みましょう。前述のように「第三ステップ」の中味は、様々なものの「中でも外でもな
い真ん中」に心の全てを置くこと、という言い回しで表現することもできますが見る角
度によっては、それ以外の次のような色々な言い回しで表現することもまたできます。
・様々なものの「中と外の境界線」に心の全てを置くこと。
・心の全てを、様々なものの中に入れるでもなく外に出すでもない、どっちつかずの状
態に保つこと。
・心の全てを、様々なものの中にも外にも向かわせず、静止したままにしておくこと。
・「没入法」の実践と「観察法」の実践の中間を取ること。
如何でしょうか。これらの言い回しはそれぞれニュアンスは違いますが、表現しようとし
ているもの自体に違いは無いことがお分かりでしょうか。これらは全て「第三ステップ」
の中味を色々な角度から表現したものです。「第三ステップ」の中味を今イチしっかり把
握できてない方は参考にしてください。
一番いいのは言葉ではなく感覚で「第三ステップ」の中味を把握することです。最終的に
は是非そこまで行っていただきたいものです。
今回はこれぐらいにしておきますが、「第三ステップ」でつまづいておられる方のために、
次回もそれに関する補足説明をさせていただく予定です。
12
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 10:00:52
時間を止める三ステップ⑯
《第三ステップがうまくいかない方のための補足・続編》
「時間を止める三ステップ」においては第一、第二、第三ステップのいずれにおいても、実
践対象となるのは原則として、呼吸や歩行や「座り」をはじめとする今の自分の行為・行動
です。より正確には「体を使った今の自分の行為・行動」と言うべきですが、ここではそう
いう短い言い方で済まさせていただきます。
第一ステップであれ、第二ステップであれ、第三ステップであれ、今の自分の行為・行動を
対象として実践するのが「時間を止める三ステップ」における原則であることを銘記してお
いてください。
それ以外のもの、例えば眼や耳に入ってくるものをはじめとする五感情報や、思考や感情を
はじめとする自分の心の中に今あるものなども理屈の上では、前出の各ステップの実践対象
にすることはもちろん可能ではあります。
が、前出の各ステップのいずれにおいても、それらのものを対象として実践することは、今
の自分の行為・行動を対象として実践することに比べて難度が高いのです。その分、前者よ
りも後者の方が、モノにするためにかかる時間も長くなります。
だからこそ「時間を止める三ステップ」においては、それら三つのステップのいずれにおい
ても、原則として今の自分の行為・行動を対象として実践することになっているわけです。
ただし「第三ステップ」に関しては、コツが掴めたら実践対象をそれ以外のものに広げても
悪くはありません。
ところで、その「今の自分の行為・行動」というものには、「第一、第二ステップ」に向い
ているものと、「第三ステップ」に向いているものとがあります。個人差はあるかも知れま
せんが一般的に見て、前者に該当するのは、例えば肉体労働とか歩きとか呼吸のような動き
の有るものです。そして後者に該当するのは、例えば「座り」とか「たたずみ」(ちょっと変
な言葉ですが…)のような動きの無いものです。
なので私がお勧めしたいのは、前述のような「動きの有るもの」を実践対象にして「第一、
第二ステップ」のコツを掴み、前述のような「動きの無いもの」を実践対象にして「第三ス
テップ」のコツを掴む、という進み方です。
前述のような「動きの有るもの」を対象として「第三ステップ」を実践しておられる方の中
で、まだ結果が出せてない方、具体的に申せば時間が止まった状態にまだなれてない方は、
「第三ステップ」のコツが掴めるまでは、前述のような「動きの無いもの」を対象として
「第三ステップ」を実践してみてください。
そのやり方で「第三ステップ」のコツが掴めたら、どちらを実践対象にするかということに
はあまりこだわる必要はありませんけれども。
13
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 10:12:58
時間を止める三ステップ⑰
《各ステップの比較》
心を脇に退かせる方法の一つは、心を今に向かせることです。心を今に向かせるとその途端
に、まるで物凄くイヤなものでも見たかのように……というのはウソですが、心は脇に退いて
しまいます。今と心は相性が悪いのです。
これは逆に申せば、心が脇に退いてない時というのは、すなわち心が存在を保っている時とい
うのは、心は過去か未来のどちらかを向いているということに他なりません。心は過去か未来
のどちらかを向いている間は、存在を保つことができるのです。
さてご存じのように、我々が第一ステップと第二ステップすなわち「没入法」と「観察法」を
実践している時、心は脇に退いてはおりません。そこでは、心は堂々とその存在を保っており
ます。
前述の話と照らし合わせますとこれは、次のことを意味しています。我々が「没入法」と「観
察法」を実践している時、心は過去を向いているか、未来を向いているかのいずれかである。
では、我々がその二法を実践している時、心は過去と未来のどちらを向いているのでしょうか?
結論から申しますと、我々が「没入法」を実践している時、心は未来を向いており、我々が「観
察法」を実践している時、心は過去を向いております。
まず、我々が「没入法」を実践している時、心は未来を向いていると言える理由を説明いたしま
しょう。
その時の「没入法」の実践対象が例えば自分の体の動きだとしますと、その時心が捉えているの
は今存在しているリアルな自分の体の動きではなく、これから起ろうとしている自分の体の動き
です。そして、心が没入(もしくは中に入ること)を試みているのはそれに対してです。従ってそ
の時、心が向いている先は未来だということになります。
次に、我々が「観察法」を実践している時、心は過去を向いていると言える理由を説明いたしま
しょう。
その時の「観察法」の実践対象が例えば自分の体の動きだとしますと、その時心が捉えているの
は今存在しているリアルな自分の体の動きではなく、既に起ってしまった自分の体の動きです(観
察というのは一見今あるものを捉える行為のように見えて実は過去を捉える行為なんですね)。
そして、心が観察(もしくは外に出ること)を試みているのはそれに対してです。従ってその時、
心が向いている先は過去だということになります。
さてそれでは、我々がそれらに続く第三ステップを実践している時、心はどこを向いているので
しようか。このステップには、前出の二つのステップに見られるような、心を未来に向かわせる
要素も過去に向かわせる要素もありません。というか、その二つの要素がこのステップにおいて
は均衡を保ち、お互いに打ち消し合っております。
「没入法」と「観察法」を同時実践する形になっている第三ステップにおいては、そうならざる
を得ないわけです。実はそうなることを見込んでこのステップは作られているのです。
従って我々がこのステップすなわち「第三ステップ」を実践している時、心は必然的に今を向き
ますが、前述のようにそれは心にとっては脇に退くことを意味しております。そしてその結果と
して、心理的な時間の停止もあるわけです。
【追伸】
前に、当ブログの一読者であるさとしさんから寄せられたコメントの一部をご紹介させて
いただきましたが、その後同じ方から再びコメントを頂戴いたしました。
それによりますとこの方は今では、第三ステップを使って時間(心理的な時間)を止められ
るところまでは行けておられるようです。それに対してまずは、「おめでとうございま
す!」と言わせていただきます。良かったじゃありませんか! 時間を止められるように
なって。
体験内容も含めて「同業者」にパクられる可能性があることを承知の上で、ここまで「秘
伝」を披歴してきた甲斐があったというものです。
「これからは、できるだけ長く時間が止まった状態でいられるようになりたい」といった
意味のことを最後に書き添えておられましたが、そのお気持ちは分かります。ここに言う
時間が止まった状態というのは、我が家に譬えられることもある真我に帰った状態のこと
でもありますから。
14
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 10:16:41
時間を止める三ステップ⑱/最終回
《締めくくりの御挨拶》
この連載も今回の投稿をもって最終回とさせていただきます。
前回までの投稿で「時間を止める三ステップ」の具体的な中身については説明し終わって
いるのですが、皆さんこのメソッドを実践されてみていかがだったでしょうか。首尾よく
時間を止められるところまで行けたでしょうか。それとも、まだそこまでは行けてないで
しょうか。
長いこと実践上のコツが掴めなくて足踏みしていたけれどある時それが分かって一気に時
間が止まった境地になれた、という報告例もありますので、まだそこまで行けてない方に
は「あきらめないでください!」とエールを送りたいですね。
私のこれまでの長話におつきあいくださいまして、まことにありがとうございました。
《追伸》
「時間を止める三ステップ」……というよりはその最終ステップ(=第三ステッブ)の弱点
を強いて挙げるとすれば、動いている最中の自分の体に対して実践しようとすると難度が
上がる、という点でしょうか。
が、この弱点を補うメソッドも私は開発しております。『真我発身体動作法』というのが
それです。このネーミングの直接的な意味は、「真我から身体動作を起こす(発する)技法」
ということになりますが、別の視点から見ると、身体動作をしながら(心的な)時間を停止
させる技法という側面もこのメソッドにはあるのです。このメソッドによって前述の弱点
を補えると言えるのは、そのために他なりません。
「悟りロード」という私のブログにおいて、この『真我発身体動作法』の詳しい解説がな
されておりますので、興味のある方は覗いてみてください。規制によりそのURLをここに
載せることはできませんが、「悟りロード」というキーワードで検索すれば、そのブログ
にたどり着けるはずです。
皆さんとまた、そこでお会できることを楽しみにしています。
中島タローでした。
15
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 10:19:16
時間を止める三ステップ⑱/最終回
《締めくくりの御挨拶》
この連載も今回の投稿をもって最終回とさせていただきます。
前回までの投稿で「時間を止める三ステップ」の具体的な中身については説明し終わって
いるのですが、皆さんこのメソッドを実践されてみていかがだったでしょうか。首尾よく
時間を止められるところまで行けたでしょうか。それとも、まだそこまでは行けてないで
しょうか。
長いこと実践上のコツが掴めなくて足踏みしていたけれどある時それが分かって一気に時
間が止まった境地になれた、という報告例もありますので、まだそこまで行けてない方に
は「あきらめないでください!」とエールを送りたいですね。
私のこれまでの長話におつきあいくださいまして、まことにありがとうございました。
《追伸》
「時間を止める三ステップ」……というよりはその最終ステップ(=第三ステッブ)の弱点
を強いて挙げるとすれば、動いている最中の自分の体に対して実践しようとすると難度が
上がる、という点でしょうか。
が、この弱点を補うメソッドも私は開発しております。『真我発身体動作法』というのが
それです。このネーミングの直接的な意味は、「真我から身体動作を起こす(発する)技法」
ということになりますが、別の視点から見ると、身体動作をしながら(心的な)時間を停止
させる技法という側面もこのメソッドにはあるのです。このメソッドによって前述の弱点
を補えると言えるのは、そのために他なりません。
「悟りロード」という私のブログにおいて、この『真我発身体動作法』の詳しい解説がな
されておりますので、興味のある方は覗いてみてください。規制によりそのURLをここに
載せることはできませんが、「悟りロード」というキーワードで検索すれば、そのブログ
にたどり着けるはずです。
皆さんとまた、そこでお会できることを楽しみにしています。
中島タローでした。
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