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「時間を止める三ステップ」⑥〜⑱(完結)
13
:
中島タロー
:2018/11/08(木) 10:12:58
時間を止める三ステップ⑰
《各ステップの比較》
心を脇に退かせる方法の一つは、心を今に向かせることです。心を今に向かせるとその途端
に、まるで物凄くイヤなものでも見たかのように……というのはウソですが、心は脇に退いて
しまいます。今と心は相性が悪いのです。
これは逆に申せば、心が脇に退いてない時というのは、すなわち心が存在を保っている時とい
うのは、心は過去か未来のどちらかを向いているということに他なりません。心は過去か未来
のどちらかを向いている間は、存在を保つことができるのです。
さてご存じのように、我々が第一ステップと第二ステップすなわち「没入法」と「観察法」を
実践している時、心は脇に退いてはおりません。そこでは、心は堂々とその存在を保っており
ます。
前述の話と照らし合わせますとこれは、次のことを意味しています。我々が「没入法」と「観
察法」を実践している時、心は過去を向いているか、未来を向いているかのいずれかである。
では、我々がその二法を実践している時、心は過去と未来のどちらを向いているのでしょうか?
結論から申しますと、我々が「没入法」を実践している時、心は未来を向いており、我々が「観
察法」を実践している時、心は過去を向いております。
まず、我々が「没入法」を実践している時、心は未来を向いていると言える理由を説明いたしま
しょう。
その時の「没入法」の実践対象が例えば自分の体の動きだとしますと、その時心が捉えているの
は今存在しているリアルな自分の体の動きではなく、これから起ろうとしている自分の体の動き
です。そして、心が没入(もしくは中に入ること)を試みているのはそれに対してです。従ってそ
の時、心が向いている先は未来だということになります。
次に、我々が「観察法」を実践している時、心は過去を向いていると言える理由を説明いたしま
しょう。
その時の「観察法」の実践対象が例えば自分の体の動きだとしますと、その時心が捉えているの
は今存在しているリアルな自分の体の動きではなく、既に起ってしまった自分の体の動きです(観
察というのは一見今あるものを捉える行為のように見えて実は過去を捉える行為なんですね)。
そして、心が観察(もしくは外に出ること)を試みているのはそれに対してです。従ってその時、
心が向いている先は過去だということになります。
さてそれでは、我々がそれらに続く第三ステップを実践している時、心はどこを向いているので
しようか。このステップには、前出の二つのステップに見られるような、心を未来に向かわせる
要素も過去に向かわせる要素もありません。というか、その二つの要素がこのステップにおいて
は均衡を保ち、お互いに打ち消し合っております。
「没入法」と「観察法」を同時実践する形になっている第三ステップにおいては、そうならざる
を得ないわけです。実はそうなることを見込んでこのステップは作られているのです。
従って我々がこのステップすなわち「第三ステップ」を実践している時、心は必然的に今を向き
ますが、前述のようにそれは心にとっては脇に退くことを意味しております。そしてその結果と
して、心理的な時間の停止もあるわけです。
【追伸】
前に、当ブログの一読者であるさとしさんから寄せられたコメントの一部をご紹介させて
いただきましたが、その後同じ方から再びコメントを頂戴いたしました。
それによりますとこの方は今では、第三ステップを使って時間(心理的な時間)を止められ
るところまでは行けておられるようです。それに対してまずは、「おめでとうございま
す!」と言わせていただきます。良かったじゃありませんか! 時間を止められるように
なって。
体験内容も含めて「同業者」にパクられる可能性があることを承知の上で、ここまで「秘
伝」を披歴してきた甲斐があったというものです。
「これからは、できるだけ長く時間が止まった状態でいられるようになりたい」といった
意味のことを最後に書き添えておられましたが、そのお気持ちは分かります。ここに言う
時間が止まった状態というのは、我が家に譬えられることもある真我に帰った状態のこと
でもありますから。
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