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何度でもタイムリープ

1横山信幸:2016/11/15(火) 22:38:33
思考実験というか、なぞなぞをひとつ考えました。
 

恋人のKを無残に殺されてしまい、心底落胆している私の許へ、男がやってきて次のように言ってきた。

「このアイテムを使えば、ダイヤルを合わせてボタンを押すだけで、君だけが今の記憶を持ったまま任意の時刻に自在にタイムリープすることができる。そして、これの真にすごいところは、人生を本当に何度でもやり直せるということだ。たとえば、人生をやり直したあとでも、再度やり直さなかった方の人生に戻ることさえもできてしまうのだ。つまり、恋人が殺される前に戻って恋人を救い、そこでもし心変わりをしたなら、その救出の記憶を持ったまま、もう一度、恋人が殺されてしまっているこの今の場面に戻るということもできるのだ。時間は君の思うがまま、何度でもどんな風にでもやり直せるのだ。恋人が酷い殺され方をした君こそがこのアイテムを使うべきだ。さあ、これを君にやるから恋人を救ってきたまえ。」

さて、この男の発言は完全に信用できるものとする。そして、私はKを救えるのならどんなことでもする。しかし、できないのなら何もしたくない。私はそのアイテムを使って恋人を救いにいくべきだろうか。



どうでしょう。ちゃんとしたなぞなぞになっているでしょうか。

2横山信幸:2016/11/18(金) 07:21:47
僕がこの話のどこに謎を感じているかと言うと、この設定では「私」は「その事件を経験していないKが生きている世界を生み出すこと」はできたとしても、「殺されたKを殺されなかったことにすること」はできないと思われるという点です。
そのアイテムでタイムリープしてKを救ったとしても、依然「私」は彼女が殺された世界にも再度戻ることもできるというのですから、Kを救ったあとでも、Kが殺された世界においてはKは殺されたままだと言うこともできます。そうだとすると、そのタイムリープによって「私」はその殺された恋人を救うことができると考えるべきなのか。
しかし、確かに、殺されずに生きているままの恋人を確保することができるのなら、その機械を使っても良さそうにも思えます。
それは、「過去」なるものをどう受け止めるか、「隣人」なるものをどう受け止めるか、に帰される問題のように思われます。そして、僕はそれらをどう受け止めているかがよく分からないでいます。

3横山信幸:2016/11/18(金) 07:44:01
次のように言うともっと問題をはっきりさせられるかもしれません。

「恋人を殺された君よ、この機械を使えば、君は彼女が殺される直前にタイムリープして、彼女が殺される世界とは別に、殺されなかった世界を分岐させることができる。これをやるから、彼女を救ってきたまえ。」そう言われた私はどうすべきか。

4Pandora:2016/11/18(金) 13:34:28
お久しぶりです。
ちょっとの時間で横山様にお気にめしていただけるかどうかわかりませんが、徒然なるままの思考です。
横山様の前提は、多世界を前提とするものですね。
現実の世界は、ひとつしかありません。そこで私が体験できる世界も一つのものです。たとえタイムトラベルで私が過去へ行って、先に体験した世界が変ったとしても私の意識する現実世界は連続する一つの流れのままでしょう。
横山さまの「私」の意識が分裂して、2号さんが生きてる世界と死んでる世界の二つあるかどうかという話ではないですね。
でも横山様の問題なのはこの謎解きが・・・
「恋人を救いにいくべきだろうか。」という価値判断になっているところです。
哲学では原則、真偽判定を求めます。つまり、本当かウソかをもとめるのであって、これには普遍性という必要十分条件が付くものと思います。
しかしながら「べし」を尋ねる問題は良いか悪いかを求める価値判断であって、ここには普遍性はないだろうとおもわれます。
ヒュームとかムーアですね。
横山さまは普遍的価値基準は、あるという立場でしたっけ?
それなら「ある」から「べし」を導出しなければなりません。
ヒュームのギロチンは成立しないことの証明はいかが?
それにしても2号さんうらやましい・・・

5横山信幸:2016/11/18(金) 15:43:50
Pandoraさま、コメントありがとうございます。

鋭い指摘ですね。価値基準に普遍性を求めることはできないというのは、おっしゃる通りだと思います。

でも、僕がここで考えたいと思っているのは、僕の個人的な価値を探るための考察なのです。
自分がとても大切な隣人を救いたいと思うとき、その隣人を救うというのは「①死んだ瞬間の人格とは別人格の、でも体と記憶とその他の機能はまったく同一の人を生かすこと」だと捉えたいのか、「②死んだその個人を死ななかったことに摩ること」だとしたいのか、を考えたいのです。普遍的な価値を知りたいのではなく、自分がどのように価値を定めているのかを測りたいということなのです。もし①だと捉えているのであれば、僕は課題のケースで救いに行けますが、②として捉えているのであれば救うことは原理的に不可能なので、救いにいくことはしないはずです。
でも、そう考えても、自分がどう考えているのか、よく分からないの、困っているのです。

6横山信幸:2016/11/18(金) 15:45:32
すいません。タイプミスです。

「②死んだその個人を死ななかったことに摩ること」

「②死んだその個人を死ななかったことにすること」

7はじ銀:2016/11/18(金) 20:33:52
赦しの話と似ていますね。
赦すことことが出来ないものにしか赦すことは出来ない、というような。

8Pandora:2016/11/18(金) 21:29:29
>自分がどう考えているのか、よく分からないの、困っているのです。
横山様のケースを斯様に比較してしまっては失礼かもしれませんが・・・
原則的に同様のことと存じます。
よく勉強が分からなくてつらいとき、自分は何のために勉強しているんだ、その意味を知りたいとかの思考が沸き立ちますね。
これは自我の存在の価値の肯定ができていないのだと思います。
何か楽しいことをやっているとき、あるいはゲームなどでもう少しで勝てるなどといった状態で、自己否定はおこりません。
自我の存在には価値があって、常に「今の自分はよい」の方向へのポテンシャルがあると考えればいいのではないでしょうか。
横山様は今の自我を肯定できない、何かリアルを体験されているのでしょうか?
つまり、「わたしはかの隣人を救わねばならない」できなければ「今の私は(価値的に)否定される」
自己否定の傾向に対して、自己を肯定する論理構造を求めていらっしゃるのでは、と推察しました。

9横山信幸:2016/11/18(金) 21:50:53
はじ銀さん、

僕が考えたいのは「愛する人とは何者を指すのか」という問いです。
愛する人が死んでしまった場合に、その人の完全コピーが全くその人として生きていられるのならそれで良しとできるのか否かということなんです。

そのあたりの問題について、許しの話とどこが共通するのか見当がつかないですが、何か共通するかもしれないという気が僕もします。

10横山信幸:2016/11/18(金) 22:05:44
Pandoraさん、

申し訳ありませんが、自己肯定と否定がここでどうかかわるのか、どうも理解できないでいます。

「私はKを救えるのならどんなことでもする。しかし、できないのなら何もしたくない。私はそのアイテムを使って恋人を救いにいくべきだろうか。」
これが僕の問いの形です。この条件の上で「どうすべきか」を考えるということはすなわち「私はKを救えるのか否か」を考えることです。
そして、それは結局、その「救う」という語の意味をどうとらえるかにかかっている、と僕は考えているわけです。
そのような考察によって、
僕はこの「救えたかいなか」という問いが「愛する人が死んでしまった場合に、その人の完全コピーが全くその人として生きていられるのならそれで良しとするか否か」に他ならないと考えているのです。
だから、この問いにおいて、僕の興味は「私にとって愛する人とは何者のことか」なのです。
だから、問いの語尾が「べきか」になっていますが、「よいかどうか」を問うことが問いの趣旨ではないと思えるのです。

11Pandora:2016/11/19(土) 00:08:08
では、こんな分析ではいかがでせう?
サールでは「心の哲学」第6章の『志向性』のところで出てきますが、命題的態度で構成してみます。
「愛する人を救う」をAとして、「わたしはAを欲する」が是か非か。
それを決定するのに横山様は「愛する人」の定義が、それを決定すると。
「愛する人」も他者であることは否めませんから「他人の心」の存在定義が「その人の完全コピー」であって「死んでしまった愛人」と区別できるか否かです。
これは原則できないでしょうね。
他者は、外見的行為でしか認識できません。サールの金づちで親指を打付けるの寓話がここでいかされます。痛いのは「私の親指」だけです。
他者A,Bがいて、彼らのこころが外見、行為がまったく同様で、別の意識であるのかは決定できるのかどうかです。これは任意選択、つまり、横山様自身でしか決定できないのではないでしょうか?
さきにもどりますが、他者の心の定義をするにあたって、「是か非か」つまり、「よいか悪いか」の問題に移行していることです。
よって、横山様の問題は命題的態度のそれに行き着くと…。

12横山信幸:2016/11/19(土) 01:27:54
Pandoraさん、ありがとうございます。

>これは任意選択、つまり、横山様自身でしか決定できないのではないでしょうか?

それはまったくその通りなのです。僕だけの問題と言えばそうなのですが、そこを、いろいろな人がどう考えるかという問いに広げていくと。何か見えてこないかなあと思っているのです。

13横山信幸:2016/11/19(土) 01:57:35
Kとまったく同じ人格なのだったらそいつはもちろんKなのだから、救いにいった方が良いようにも思える。でも、実際にKが過去に死んだのであれば救いだしてきた者はKとは別人だとしか思えない。これをどう考えるか。そこに僕は躓いているのです。

14Pandora:2016/11/19(土) 21:11:10
横山様の躓きは、テセウスの船と同値とみてよろしいでしょうか?
一度殺戮された愛人・・・・解体されたテセウスの船
タームリープでよみがえった愛人・・・・同一部品で再構成されたテセウスの船。
メビウス様のところのサールの答えというところは・・・
>どちらがテセウスの船であるかは「私たち次第」だという。
>アリストテレスの分類でいえば「形相因」の同一性で判断するか、
>「質料因」同一性で判断するか、ということになる。

それとも人格の同一性に踏み込んでいるわけでしょうか?

15横山信幸:2016/11/19(土) 22:48:31
Pandoraさん、ありがとうございます。コメント本当にうれしく思います。

私が捉える「恋人K」が何を指すものなのかは、まったくおっしゃる通りに、「私たち次第」だと思います。
で、そうだとしたうえで、
①殺されたK、と、②これから私によって救い出されるK、とは何がちがうのだろうか、ということを考えてみます。
私がタイムリープ機によって救いにいくその時刻をt0とし、Kが殺される時刻をt1というとすると、①はt0からt1までの時間を私と共に過ごしたという経験があります。そして、それゆえ、①にはt0からt0の記憶がありますが、②にはその記憶がありません。
そこで、私が、すでに死んでしまった①のKだけをKだとし、②を救いにいっても仕方ないと考えるのであれば、それは、もしかすると、そのt0からt1を経験したという事実があるかないかの違いによるものかもしれません。

そこで、t0でKを救うときに、その記憶ごとt0のKに与えるとすることができれば、救う価値があるものになるかを考えてみます。Kは、t1で殺されるまでの経験を積みt1で殺された瞬間にその意識がt0へ飛んでいく、そして殺されるまでに記憶をもってt0
で目覚めた、ということになるような形でKを救いだすのです。それなら、私はKを救いだす価値をそこに見つけられるようになるかもしれません。しかし、そこまでしても、救われたKはしょせんコピーでしかなく、オリジナルが死んだ事実は消えないのだから、救いにいっても仕方ないと考えるかもしれません。
このときに、私がどう考えるかは、私がKなるものが何者であるかをどう捉えているとするか、その設定の仕方にかかっていると言えます。
ふつう、我々は恋人の同一性をどうやって確かめるかなんて、いちいち考えませんが、このような特殊な状態になれば、いちいちそれを自分で選んで取り決めないといけないことになるのだと思われます。
そして、この恣意的な、自分勝手に決めてしまえるような取り決めは、たまたま、日常では表面化していないから意識して問題化しなくてすんでるだけで、でも、実際には無意識のうちに自分で選んで自分で取り決めているはずだとも言えそうです。

16横山信幸:2016/11/19(土) 23:19:39
スミマセン。またまた、タイプミスです。

「①にはt0からt0の記憶がありますが」

「①にはt0からt1の記憶がありますが」

17Pandora:2016/11/20(日) 09:12:08
横山様の今回の事例は、テセウスの船より、スワンプマンのほうが近いのかもしれませんね。スワンプマンでは、原子分子レベルに至るまで同様の構成の今一人の人間が出きたとして、死亡した前者と超自然現象で再生した後者が、同一人物か否かですが、横山様のはそれをタイムリープという方法で区分しようとしている。
そんな難しい話でなくて、
破損した車と同型種を買ったときは、「自分は同じ車に乗ってる」と言えそうですが、ペットが死んでしまって同種のペット買ったときは「自分は同じペットを飼ってる」と言えなくもないですが、感覚的にちょっと違いますね。第三者的にいえるけど、心が絡んでいると、前と同じとは言えない。「私の前のぴぴちゃんは、死んでしまった」
横山様の感覚もこんなもの?

18横山信幸:2016/11/20(日) 09:27:00
Pandora様、
そうですね。スワンプマンは僕もこの考察で考えました。スワンプマンと違うところは、②の方のKも物理的に連続していて、区別がつかないというところです。
それでも「私の前のぴぴちゃんは、死んでしまった」と言えてしまう心情があるのはどういうことかを考えたいと思っている、という感じです。

19Pandora:2016/11/20(日) 21:24:41
ちょっとつながるかどうか試してください。
わたしが横山様のぴぴちゃんを殺したとするでしょ。
そうすると、横山様は私に怒りを感じるとか、憎悪を感じる、がいえますよね。
ピピちゃんが電車にはねられて死んでしまったとしたら、悲しみは同じくあると思いますが、怒り憎悪はないですよね。
これってどうして?

20横山信幸:2016/11/20(日) 22:12:43
敬称について、Pandora様とPandoraさんといずれが良いですか。
よろしい方で呼ばせていただきます。
僕は、できれば「さん」で読んでいただけると嬉しいです。

怒りと憎悪を電車には感じないというのは、面白い視点だと思います。
それは、暴力や威嚇につなげていけるコミュニケーションの一環なのかもしれないという気がします。
電車に対してコミュニケーションをするわけには行けないので、それに対して憎悪は感じない。でも、
その電車の操作に問題があったのなら、その点について運転士や電鉄組織に対して、異を唱えたくなるなりますし、
憎悪も感じるのかと思います。
ただ、面白い視点だとは思いますが、この思考実験での僕の興味とは違うものかもしれません。

今僕が考えているのは、次のような視点です。
「私」が救ったならその②のK´は、その人自身にとってみれば、どこまで、死んだ①のKと同一人物なのだろうかということです。
②のK´にとってみれば、救ってもらった後で「私」から「実はパラレルワールドで君は死んでいたんだ」と聞かされても、それは自分のことではないと感じるでしょう。
でも、その救ってもらった時点で、死んだ①のKの記憶を、ありありとした実感として思い出せるものとして与えられたとしたら、どうか。
②のK´にしてみれば、その死を経験していないといえるだろうか、という問いです。
また、「本当は経験した」とか「本当は経験していない」という「本当」など、この思考実験では意味がなくなってしまっているのではないか、というような問いです。

21横山信幸:2016/11/21(月) 00:04:52
唯物論を前提し、その唯物論的な世界において脳や神経の反応によって意識体験が発生するとする。そのような世界があるとしても、それだけではそこには発生しないある種の意味論がある。脳がある反応をすれば確かに意識が生じるのだろう。しかし、そこで生じる様々な意識はそれぞれが個々の反応としてあるだけで、どれとどれがどう関係するかというものは、その発生とは関係ないだろう。人体Aの脳においてt0の時刻に生じた意識と、t1において生じた意識とは、繋がっているとすることもできるし、しないとすることもできる。ただ世界のありようとして、無意味に生じただけだと捉えることもできるはず。
世界は、我々が意味付けしてはじめて意味あるものになる。
ならば、我々は「私」や「愛する人」や「生きる」ということをどのように意味付けることができるのか。
どのように意味付けるべきなのか。
そのことを問うことに意味はあるのか。

そういうところを、いま考えようとしています。

22Pandora:2016/11/21(月) 23:17:50
>敬称について、Pandora様とPandoraさんといずれが良いですか。
今回、わたくしは、横山様にお仕えするようなスタンスでやってみようかなっておもってますので、どうぞ呼び捨てで…m(__)m
わたくしのつたなき思考が、横山様にお役に立てれば幸いです。
>②のK´にとってみれば、救ってもらった後で「私」から「実はパラレルワールドで君は死んでいたんだ」と聞かされても、それは自分のことではないと感じるでしょう。
そもそも同一性を確認するという作業は、ふたつの同種のものがあることが前提ですね。
意識って二つに分裂できるものでしょうか?
>世界は、我々が意味付けしてはじめて意味あるものになる。
ぴぴちゃんを少し掘り下げますが、わたくしの思考は比較的単純です。
区分方法は、命題が「である」のみで構成できるか。
「である」以外に「たし」「べし」の価値を含む助動詞を持つ命題を含むか否かです。
>唯物論を前提し、その唯物論的な世界において脳や神経の反応によって意識体験が発生するとする
神経生物学で意識の生成過程を説明できたとしてその命題の式系列はすべて「ある」のみではないかと思います。ぴぴちゃんが事故で死んだ場合も同様でしょう。
そこに「べし」「たし」を含ませることは正しい原因の追求から外れて個人の意見が介在してモノになってしまいます。
一方、故意の殺戮であるとすると道義に反するなどといった、この場合「べきである」といった命題の介入があります。
>そのことを問うことに意味はあるのか。
後者を反映する正しい命題表記は、命題的態度にある、と感じます。
横山様のタイムリープの問題も、こちらの整理をすれば、すこしは霧が晴れないでしょうか?

23横山信幸:2016/11/22(火) 06:46:15
Pandoraさん。
たいへん申し訳ないのですが、Pandoraさんとのこの議論をいったん中断させていただきます。
Pandoraさんの書き込みには、気づかされるところも多くたいへん感謝しているのですが、
僕は、自意識過剰で劣等感が強く、必要以上に「馬鹿にされている感」を感じてしまう癖があります。そのため「様」と呼ばれることに過剰反応してしまい失礼な返答をしそうなので、そのようにさせていただきます。どうにもめんどくさい奴であることをご理解していただき、気を悪くされませんように願っております。

24横山信幸:2016/11/22(火) 07:04:01
上は、僕の問題として返答しないというだけで、Pandoraさんの書き込みを制限するものではありません。失礼をお許しください。

25横山信幸:2016/11/22(火) 11:24:46
Pandoraさん、
ずいぶん失礼な書き込みをしてしまい申し訳ありません。上の書き込みについて、おぼろな記憶はあるのですが、どうもぼんやりしています。記憶障害が起こってしまっているようで、まだ混乱しています。しばらく書き込みを中断させていただきます。申し訳ありません。

26Pandora:2016/11/22(火) 22:13:12
横山様のメイビウス様のところで受けた傷に抵触したようです。
申し訳ございません…。

27横山信幸:2016/11/23(水) 19:12:32

Pandoraさん、
昨日の朝から、現実の出来事の情報と様々な思索の情報とを、脳が適切に整理できないようになって、テキトーに、記憶内の個人的夢想のフォルダに入れ込んだり現実の記憶のフォルダにしまったりして、ぐちゃぐちゃの記憶になってたみたいです。

Pandoraさんにはたいへん申し訳なかったです。まだ、ボンヤリしているところもありますが、大分正常になってきたみたいなので、また書き込ましてもらいます。

>メイビウス様のところで受けた傷

いろいろ傷は多いです。メビウスリング掲示板でも心の哲学wikiのメビウスさんとでも、色々あります。コミュニケーションの下手さは反省しなくてはいけないことばかりです。今回のこともずいぶん恥ずかしく思います。

さて、たいへんお騒がせしましたが、よろしければ議論を続けさせてもらいたいのですが、よろしいでしょうか。

28Pandoara:2017/01/03(火) 19:39:49
あけましておめでとうございます。
しばらく幽界をさまよっていましたが、横山様の魅力にどうしてもひきつけられています。
不肖なるものお許しいただければ、またわが身の披露をお許しいただければ幸いです。

29横山信幸:2017/01/03(火) 21:06:28
Pandoraさん、こんばんは。また昨年に引き続きよろしく願いします

30Pandoara:2017/01/04(水) 22:28:12
横山様にまず提題。
初めてわたくしがこちらへお邪魔しました時、ヒュームを引用しました。というのはわたくしの関心はひとえに価値命題にあります。
「人を殺すべからず」の命題が普遍的に真であるのか否か、そしてそれを如何にして証明するのかそんなところがわたくしの関心事です。ヒュームはヒュームのギロチンで、「〜べし」から「〜である」は導けないと言いました。ムーアは「よい」を定義するのに自然的言語を使用してそれを行おうとするのは基本的誤謬であると解説しました。
さてわたくしはサールを読んで、価値命題とは本来、命題的態度の変形ではないかと思ったのです。すなわち、「『人を殺す』のは良くないと信じる」
命題的態度については近日では金杉武司が、存在論的に解析を加えています。対象となる命題についてサールは、確認や疑念、欲求、好感や嫌悪を表現できるとして志向性の分析の題材にしています。わたしはこれを正確にいい表すなら「『人を殺す』のは(わたしは)良くないと信じる」となって、価値命題はすべてこの形式(主語を持つ命題的態度)に集約されると考えますが、横山様は如何?

31横山信幸:2017/01/04(水) 23:22:44
Pandoraさん、繰り返しになりますが、僕は「横山様」と呼ばれるのは苦手で是非とも勘弁してもらいたいです。よろしくお願いします。
さて、価値についてですが、
僕はそのあたりの哲学にはあまり興味がありません。
というのは、Pandoraさんの言われるように、価値に関する命題はすべて「『人を殺す』のは(わたしは)良くないと信じる」などという世界の在り方に関する記述に還元して分析する以外に真偽づけられないだろうし、その真理値以外に「価値」の意味なんて無いと思われるからです。
もっと言うなら「私にとって良くない」という価値命題は、「私は同様の状況で今後別の方法を選ぶだろう」などという記述に変換して考えられるかもしれない、というように考えたいように思います。
そして、価値を語る人に、その価値命題をどのように変換できるか選んでもらうことによって、問題を解決すればいいだけのことになってしまうように思えてしまいます。
そんな風に思えてしまうので、道徳には興味がわかないのです。

32Pandora:2017/01/06(金) 00:10:12
>僕は「横山様」と呼ばれるのは苦手で是非とも勘弁してもらいたいです。
了解しました。これって私のスタンスでお気に障れたことお詫びします。
でもこれってちょうど、私の目的の材料に使えるかなって考えてしまいました。
>道徳には興味がわかないのです。
横山様を、ええっごめんなさい、横山さんをうまく誘惑?できるかなってことの入り口です。つまり、結論からいってしまうと、命題的態度で示される価値命題、だけでなく、あと可能命題も必要ですが、それらを組み合わせることで情念を解析したいと考えます。
すなわち、憎悪、恐怖、絶望…
暗黒範疇をのぞいてみたいっておもいませんか?
できなければ、わたしの力がなかっただけですね、わが罪赦したまえ・・・。

33横山信幸:2017/01/06(金) 07:21:52
Pandoraさん、
お願いを聞いていただけてありがたいです。
言われているのは、「横山様」や「横山を『横山様』と呼ぶ」だけではそこにどんな意図が込められているかははっきりしないが、「『横山様』と呼ばれることを横山が嫌っていることを承知の上で、Pandoraさんは『横山様』と呼ぶ」というように語の使用状況まで記述するようにすると語の使用意図までもが表されやすくなる、ということでしょうか?
さらに深く使用状況がはっきりさせられるならそこに込められている思いが何なのか(例えば謙虚なのか憎悪なのか弄びなのか)をさらに突き止められるようになるかもしれない、という感じでしょうか?

34Pandora:2017/01/06(金) 23:50:50
もったいぶるつもりってありませんから、解析してみますね。
一般的な解釈では、議論のお相手ですので、あくまで尊敬したい気持ちです。
あと、あくまで上の方とみて甘えたいような気分が混じってます。
議論すれば、当然批判が入りますよね。議論が白熱して互いに批判合戦になったときわたしがはじめから横山君!などといった上手な感じではじまって、自分のほうが不利になったら甘えることってできないですよね。
そんな時「ゆるして〜」てな感じで適当にすり抜けるテクニックが、あくまで敬称でお呼びする癖になってしまいました。
上手に出て、こちらが有利になっているときって、初め上手に出ていたら、とことん愚弄する感じも出てくる。それより「様」であなたが上よ、って宣言しておけば「生意気言ってすみません」ぐらいで傷つけないで済むでしょ。
そんなメリットもありますかね。
でもこの手はいつもうまくいくとは限らない。
初対面の相手からいきなりすり寄ってきたり、甘えられたら、気色悪いし、どういうつもりだ!
の気持ちのほうが優勢になりますね。横山さんの場合、そのケースですね。
つまり、合意ができていないのに、やたら持ち上げるというのは、むしろ悪意を感じます。
そういえばチンパンジーの亜種のボノボは、相手との緊張緩和にSEXを利用するそうですが、つまり、オス同士でも挨拶代わりに尻を押し付けあう。ボノボを始めて観察した探検家は、ボノボのこの行為を見て「オレのこと馬鹿にしているんじゃないか」とおもったそうですから、今回はわたしがボノボで、横山さんはその探検家だったかもしれません。
では今回の件を題材として、論理的構造を提示してみます。
命題A:Pandoraがわたし(横山)わたしを「横山様」と呼ぶ。
価値判断の命題的態度:VA Aは嫌だ、なぜならそれは、私を愚弄しているからだ。
可能判断の命題的態度:PA Pandoraと議論するとAが現実化する。(またわたしを様付で呼ぶ)
わたしは意識の機能は現実世界のAの認識にじつは初めから、価値と可能が入っていると思います。そしてそこから事実世界における「わたし」の存在価値が導出されると見ます。
これをVSのように表記します。(Value of Self)
この例では、VA=0 (Aの価値は否定)PA=1(議論すればAが実現)ゆえにVS=0
私の存在価値は否定されるので、自我の存在価値は、常に肯定されるように動くポテンシャルをもつ、と定義すれば、この記述になります。つまり、VS→1 の動きは、Pandoraとの議論を避ける、ないしどう行為を威嚇する、になります。
サールも志向性の構造で、似たような解析をしてますよね。

35横山信幸:2017/01/07(土) 06:24:27
Pandoraさん、解説ありがとうございます。
金杉やサールの議論は知らないです。不十分な理解しかできていないと思いますが、仰るような定式によって、何かがなされることに対する価値付けと自己の行動様式との関連付けをするのは可能なように思いました。ただ、命題に関する話に限定しなくてもあらゆる事象に対して、同様に価値付けられるような話にも思えました。

36Pandora:2017/01/08(日) 20:39:51
こころの哲学
>金杉やサールの議論は知らないです。
えっ!金杉はまだしもサールは『心の哲学』の218ページ以降、6章の2 志向性の構造のところを指しています。
サールはかように解析しましたが、わたしはちょっと違ってます。彼より私のほうがいいとかそんなことは言いません。ただ、私なりの分析を横山さんに批評してもらいたいというのが希望です。肯定でも否定でもかまいません。いまのところ、私の持論の勝手な展開ですからね。ただ横山さんレベルの方に話してとりあえず、こいつ、こんなことを言ってるんだぐらいの反応はほしいと思ってます。
サールを批判しますと、まず原書がどうなっているかわかりませんが、「雨が降るだろう」は間違いですよね。間違いというのは、この部分は真偽判定可能な命題でなければならないからです。「『雨が降る』だろう(予想する)」で命題的態度となります。
普通は可能命題として扱われていますね。
「『雨が降るだろう』と恐れる」はわたしはこう分解します。
「『雨が降る』と予想する」かつ「『雨が降る』と恐れる」・・・です。
わたしはこれをA:「雨が降る」としてPA(Possibility of A)とVA(Value of A)のように表記したわけです。「かつ」は∧ですから、その連言の結果、「今の私は不安だ」が導出される、私の存在価値の否定状態 VS (Value of Self)として
(VA∧PA)⊃VS が意識の公式として意識状態をすべて表現できる、としました。
どうでしょう、ただの独断者の戯言でしょうか?

37横山信幸:2017/01/08(日) 21:13:15
Pandoraさん、
どうも何を考察すれば良いのか、今の話の論点がよくつかめていないのですが、僕はPandoraさんのコメントに対して何でも思ったことを書けば良い感じですか?そうであるなら一つ質問します。

Pandoraさんは、与えられた任意の文について、その文の正しい解析が一つ定められるべきである、とお考えでしょうか?
僕は、同一の文であっても言語ゲームのなかでの文の位置付けや発言者の意図によってその意味はいくらでも代わり得るものだと考えています。なので、任意の文の解析が一意的に決定できるという話であれば、よく分からないというのが正直な感想です。

38Pandora:2017/01/09(月) 20:36:54
>何でも思ったことを書けば良い感じですか?
そんなところで、よろしいかと思います。
私自身、この手で他の方にお話しするのは、それほどないので、自分でも切り口に迷っているのかもしれません。
>文の位置付けや発言者の意図によってその意味はいくらでも代わり得るものだと考えています。
そうですか。ちょっと難しそうですね。
>任意の文の解析が一意的に決定できるという話であれば、よく分からないというのが正直な感想です。
一意的に決定できるという観点では、たとえば「人間は動物である」のような命題が真か偽かというのはいえてますよね。
命題は判断可能な言葉の構成で、普遍的にいずれかが言える文である。
横山さんはこれも意味はいくらでもある、とお考えですか?

39横山信幸:2017/01/09(月) 22:23:47
Pandoraさん、

ご質問への回答と、確かめさせてもらいたいことがありますのでそれを書きますね。

まず、「人間は動物である」という命題の意味が一意的に決められるか否かを僕がどう考えているかですが、
これについては、決められると思います。
ただし、「命題」という言葉の一般的な意味も色々ありそうに思うのですが、これが「ある現実の状況に対する真偽判断のルール設定の内容」ということを意味するものだとさせるとしたとき、「命題『人間は動物である』は一意的な真偽判断ができるものか」と問われればイエスと答えるということです。
でも「人間は動物である」が命題ではなく、様々な意味を持ち得る文であるとして同様の質問をされればノーと答えます。たとえば、怒り狂っている友から「約束を破るやつなんて動物だ。人間だったらちゃんと守るべきことが分かるはずだ。お前は、人間は動物だと思うのか?」などと訳のわからない質問をされたりしたら、その答えが一意的に決まるとは思えないからです。
Pandoraさんの言われているのが、「命題「『雨が降るだろう』と恐れる」は(VA∧PA)⊃VSとして示すことができる」ということだけであるとするならそれはそれでアリだと思います。
ただし、その場合、「命題「『雨が降るだろう』と恐れる」は(VA∧PA)⊃VSとして設定するなら、命題「『雨が降るだろう』と恐れる」は(VA∧PA)⊃VSとして示せる」という単なるトートロジーとしてアリだと思う、というような意味にしか思えないものです。

次に、確かめさせてもらいたいことですが、今のこの話は、僕の「何度でもタイムリープ」の議論と何か関連があってされている内容でしょうか。どう関連しているのかわからないので、もしそういう意図で書き込んでもらえているのなら教えてください。
でも、もし「何度でもタイムリープ」とは関連のない話になっているのでしたら、できれば、新たなスレッドを立ててどういう論点で話をすればいいにかを整理してもらえませんか。今のままだったら横山とPandoraさん以外の人が議論に入りにくいような形になってしまっているように思います。大哲掲示板と銘打っていちおうオープンな場として開いているところですので、よろしくお願いします。

40横山信幸:2017/01/09(月) 23:25:39
Pandoraさん、
それとも横山と一対一での議論をご希望でしょうか。それでしたら、
ttp://sets.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/post-3b77.html
などへお越しください。そこのコメント欄を利用してもらえればお返事させてもらいます。

41名無しさん:2017/01/09(月) 23:33:01
>僕の「何度でもタイムリープ」の議論と何か関連があってされている内容でしょうか。
そうですね。横山さんとのやり取りを再開するにあたって、ここを使用してしまいましたが、私のテーマとしたいことはかなりずれているようです。
それからご指摘のように私と横山さんで多種の哲学用語を使用していますが、同じ言葉でもだいぶ概念把握が異なっているものもあるようです。
やりとりのなかで蒟蒻問答になってもまずいので、言葉の定義の議論あたりから行きましょうか?※婚約問答はご存知ですよね?
新スレは、なんというタイトルがいいでしょうか?

42横山信幸:2017/01/10(火) 00:09:54
スレッドタイトルはお任せします。蒟蒻問答は落語の噺でしょうか。婚約問答は知らないです。

43Pandora:2017/01/10(火) 22:46:08
タイムリープは、あらためて・・・
蒟蒻問答というのは、修行中の禅僧から、問答を仕掛けられて、困った主人が
素人の蒟蒻やに相手を頼む話です。蒟蒻やは難しいことはわからないから、
ジェスチャーで答える。蒟蒻やは商売の話をしているつもりが、修行僧は、
宇宙の真理を身振りで教えてくれているのだと解釈して、感服したという話です。

44神田真代:2022/01/16(日) 14:39:38
明けましておめでとうございます

45神田真代:2023/07/19(水) 05:23:24
お前も邪兄さんに(タイムリープ)やられてこいよ。


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