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横山信幸
:2016/11/21(月) 00:04:52
唯物論を前提し、その唯物論的な世界において脳や神経の反応によって意識体験が発生するとする。そのような世界があるとしても、それだけではそこには発生しないある種の意味論がある。脳がある反応をすれば確かに意識が生じるのだろう。しかし、そこで生じる様々な意識はそれぞれが個々の反応としてあるだけで、どれとどれがどう関係するかというものは、その発生とは関係ないだろう。人体Aの脳においてt0の時刻に生じた意識と、t1において生じた意識とは、繋がっているとすることもできるし、しないとすることもできる。ただ世界のありようとして、無意味に生じただけだと捉えることもできるはず。
世界は、我々が意味付けしてはじめて意味あるものになる。
ならば、我々は「私」や「愛する人」や「生きる」ということをどのように意味付けることができるのか。
どのように意味付けるべきなのか。
そのことを問うことに意味はあるのか。
そういうところを、いま考えようとしています。
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