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エトセトラ

1はじ銀:2015/10/24(土) 23:09:34
雑談的なスレが消えたので立てました。

141クリスです。:2018/02/04(日) 17:56:10
お疲れ様です。

142クリスです:2018/02/04(日) 17:57:51
来月以降のスケジュールを教えて頂けませんか?お願いいたします。

143ウラサキ:2018/02/04(日) 19:24:08
クリスさん、
↓このサイト便利ですよ。
ttp://sets.cocolog-nifty.com/blog/2017/12/post-8f1e.html(←冒頭にhを追加)

144クリスです:2018/02/04(日) 23:28:18
>>143
うらさきさん、ありがとうございます!

145ウラサキ:2018/02/12(月) 02:58:58
録画してたNHK「ニッポンのジレンマ」視てるんだけど、
いつもながら何だか若者世代に媚びた作りになっていて、
全てのパネリストや司会にまで「19✕✕年生まれ」って表示され、
これって一種の aigism だよな、と思う。

その点、朝生は田原という長老支配が続いていて逆の agism かも。

146ウラサキ:2018/02/14(水) 22:29:08
今、録画したペドロ&カプリシャスのドキュメンタリー視てるんだけど、
ペドロ梅村って、前野曜子と高橋真利子見出した、ってだけでも天才じゃね?
でもカプリシャスが消えたってのはやはり才覚なかったのか?

147はじ銀:2018/02/15(木) 05:41:36
私2月下旬から3月上旬にかけて我らが谷口さんが帰省される御予定で、その時に、永井先生がたびたびオスカー・ベッカーに言及されるきっかけになった修論の内容を発表して下さるそうですが、皆で聞かせていただきませんか?僕だけならさしででもと思いましたが集まるのならそれなりに場所確保して♪

148ウラサキ:2018/02/15(木) 08:32:30
興味あり!

149はじ銀:2018/02/15(木) 12:50:35
日程未定ですのでまたご連絡を♪
他にもいらっしゃると思います♪

150はじ銀:2018/03/03(土) 00:29:36
最近またメディアで車の自動運転の話題が盛んですね。僕が以前提示して以来ご無沙汰なネタですが、どこかで一度また再度取り上げたいですね。雑談形式が適切なネタなので時間が余ったときなどでもいいので♪

151ウラサキ:2018/06/11(月) 05:02:58
さっきNHKニュースで「今週の予定」として「AKB総選挙」っての入れてたけど、
あんな悪徳商法を公共放送が肩入れすんのどうかと思う(--;)

152はまの:2018/06/16(土) 17:54:41
はじめまして、はまのと申します。
ツイプラを見て来ました。カミュの思想に興味があり、同好会に参加したかったのですが、
都合がつかないため、断念しました。(それに地方住みなので大阪にはなかなかいけない......)
今、反抗的人間を読んでいて、すぐ気に入りました。ですが、この本は自分には
高カロリーなので、最後まで読むのが大変です。
もし宜しければ、同好会で紹介されたカミュ哲学の内容を、掲示板などに掲載していただけると
嬉しいです。

153火雨:2018/06/16(土) 19:43:06
はまのさん

明日発表担当の火雨(ひさめ)です。
ご興味持って頂きありがたいです。参加の都合が合わないのは残念ですね…。
現在レジュメを作成しており、明日中にはレジュメの内容を、数日中には議論の内容をまとめ、掲載できると思います。

引き続き続報をお待ち下さると幸いです。m(._.)m

154夫 正彦:2018/09/16(日) 20:57:10
ちょっと前から数学の個人授業を受けてまして、先生は数学の院を出た人で専門は公理的集合論だそうです。
その個人授業のテキストがこれです。
ttp://www.math.u-ryukyu.ac.jp/~tsukuda/lecturenotes/note.pdf

あとついでに、物理学をまなぶ学生を対象にした数学の教科書、現在も時々更新されて、すでに600ページを超えてます。
ttp://www.gakushuin.ac.jp/~881791/mathbook/

またまたついでに、今日の例会発表前の小ネタで話した見た目の多様性のよくわかるミュージッククリップ(一例ですが)
MAGIC!の"Red Dress"
ttps://www.youtube.com/watch?v=FaX64o71vGQ

ちょっと見た目の多様性とは違いますが、このクリップも好き。最近の曲でヒットしてます。
Maroon5の"Girls Like You"
ttps://www.youtube.com/watch?v=aJOTlE1K90k

155夫正彦:2018/10/30(火) 08:57:27
モンティホール問題にはまっている夫ですが、ツイッターで見た確率の問題に疑問を持ちました。

以下のようなものです。
「男と女が50人ずつ100人いる集まりがあって、その100人のうち一人が帰った。
その後3人の男が帰った。最初に帰った一人が男である確率は?」

ほぼこのままの問題なのですが、これ、出題者によれば条件付確率(事後確率)と問う問題のようで
答えは50/100ではなく、47/97だそうです。

しかし、どう考えても、先に帰った1人の事象と後で帰った3人の事象と全く独立しているように
思えるのですが、皆さんどうお考えになりますか?

例えば、後で帰った3人は、最初の時点では絶対に帰るつもりがなかった(特定の時間に3人で帰るつもりで、
実際にそうした)、そして、その3人以外の人たち(97人)は何も考えておらず、場合によっては最初の一人
のように帰る可能性があった、とすれば、47/97でよさそうですが。

156横山:2018/10/30(火) 16:47:38
当該のツイッター見ました。すでに様々に批判されてるようですが、数学問題として設定や問いの内容が多義に取られ得るようなものであるなら、それはキズのある問題とされても仕方ないように思いました。

ttps://twitter.com/Magi2851/status/1056532514930454528?s=19

157久保共生:2018/10/30(火) 18:17:17
求めるべき確率が条件付き確率であることをもう少しはっきりと書くべきだとは思いますが、内容的には全くマズい問題ではないと思います。

>しかし、どう考えても、先に帰った1人の事象と後で帰った3人の事象と全く独立しているように
思えるのですが、皆さんどうお考えになりますか?

それぞれの人の帰りやすさが同様に確からしければ、先に一人が帰るという試行と、その後に3人が帰るという試行は独立ではありません。

問題設定を次のように改変すると分かり易くなります。
「男3人女50人の計53人の集まりがあって、そのうち一人が帰った。その後3人の男が帰った。最初に帰った一人が男である確率は?」
無論、この答えは3/50ではなく、0です。

158久保共生:2018/10/30(火) 18:19:12
訂正

×無論、この答えは3/50ではなく、0です。
〇無論、この答えは3/53ではなく、0です。

159横山:2018/10/31(水) 06:54:39
これを人の意志が関係する話とするならで、それぞれの人がどの場面で等しい帰りやすさを持つかはかなり微妙な話になりそうな気もします。
後で帰った3人は、一人が先に帰った事実を受けてあとから誰が帰るかが決定したと解釈することも可能なように思われますが、どうでしょうか

160夫正彦:2018/10/31(水) 10:02:06
問題を批判しているまとめを見て、確かに問題としておかしい、と思ったのですが、久保さんの投稿を見ると、それほどおかしくないか、と
思えてきました。

こういう条件付確率については、人間特有の勘違いしやすさというのがあって(これは数学の素養がある人にもあるそうですが)、できるだけ
勘違いしやすくしないように問題文をわかりやすく(読めばわかるだろ、という態度でなく)するのが出題者にも求められるのかな、と。

この場合、やはり、最初に帰った人の性別が、後に3人返った後でも不明である、ということを明示しておくことが必要なのでしょうね。
これはまとめ主が指摘してました。よく読めばわかるのですが、それは、間違いやすい題材を扱っているわけで、普通よりも慎重に。

いやいや、その間違いやすいところが面白いんじゃないか、という意見もありそうですが、こういうネット上での問題は、わからない人
を馬鹿だと罵倒したりするような流れになりがちだし、そうするとますます確率嫌い、数学嫌いを生み出してしまう。

161横山:2018/10/31(水) 13:34:05
久保さんの問題設定の男3人女50人いた場合で考えます。

後から帰る3人が、この確率計算上のあらゆる場面で常に男3人だと固定されているのだとすれば、はじめに帰った1人が男であった確率は0だと言えるように思います。
しかし、後から帰る3人が誰になるのかがはじめに帰った者が誰になるかによって変わりうると想定されることはあり得ないでしょうか。例えばモンティホール問題のように、です。

モンティホール問題では、はじめの扉が決まったあとで、司会が開けて見せる扉はその第一の扉に影響されて決まります。そのような想定で問題が構成されていたとしたら、モンティホールの回答者が最初に正解する確率はあとから扉が開かれるかどうかとは独立で、確率1/3はそのまま1/3でしかないはずです。

対して、久保さんの問題では、あとから男3人が帰ったという設定がはじめの1人が独立ではないとするとする設定が内在されている問題となってると思われます。なので、それは必ずはじめの1人が独立ではあり得ないことが結論付けられると。


そして、件の問題において、そこのところがはっきり分かるように提示されているとは、僕には思えないのですが。

どうなのでしょうか。

162横山:2018/10/31(水) 13:41:26
つまり、もしかするとこの問題は、
最初に男3人女50人いて、はじめに帰った一人が男であった場合には後から帰る3人は男2人女1人とされるように想定されてたのだけど、はじめにたまたま女が帰ったのであとから帰るのがたまたま男ばかりになった、という想定だった・・かもしれない、とも考えられるのではないか、という疑問です。

そういう想定の場合、後から帰る者がどうなろうと、はじめに帰る1人が男である確率は全体として3/53と言えるようになりそうに思えるのですが。

163夫正彦:2018/10/31(水) 14:19:42
横山さん

まとめ主が例に挙げてたように(ちょっとつくりかえますが)

①赤玉が3つと黒玉が50入っている箱があったとして、一個をランダムに取り出して、確認せず隠しておく。
②そのあとで、その箱から3個ランダムに取り出したら、すべて赤玉だった。
③隠してある玉が赤玉である確率は?

もちろん0です。この問題と同じかなと思いました。
②はランダムじゃなくてもいいんですけどね。箱の中を見たら赤玉は3つあった、でも。

164横山:2018/10/31(水) 14:44:03
それともやはりモンティホールタイプと解釈するより、久保さんタイプと解釈する方が、解釈の恣意性が少ないのでしょうか、

165横山:2018/10/31(水) 14:48:05
夫さん、そうですね。
形としては夫さんの言われるものとおなじなのですけど。

人間が対象の問題の場合には、「その人々の意図をわざと無視する」という一手間が必要になる分、そこに様々な解釈を許す隙間が生じてるとは考えられないでしょうか。

166横山:2018/10/31(水) 14:58:56
こんな解釈はどうでしょう。
箱の中に50の車と50のロバが入っている。そのうちの車かロバかどちらか一つが出ていく。残った箱の中から司会者がロバだけを3つ選んで箱から出す。

そういう解釈に取るのは余りにも恣意的に過ぎるでしょうか。

167横山:2018/11/04(日) 10:49:18
この問題、まだ分からなくって拘ってるのですけど、こんなもんだい場面の捉え方ではどうでしょうか。

①赤玉が4つと黒玉が50入っている箱があったとして、一個をランダムに取り出して、確認せず隠しておく。
②そのあとで、その箱から3個ランダムに取り出したら、すべて赤玉だった。
③隠してある玉が赤玉である確率は?

これならもちろん1/51です。

でも、②がランダムじゃないなら答えが変わるように思えるのです。

②箱の中を見たら赤玉は3つあった、

なら、どうでしょうか。
この場合、確認者は残りの玉から意図的に赤玉を探してかぞえるのですから、赤玉3つを見つける可能性は100%になりますよね。そうすると、それは最初の選択とは独立の作業になるので、答えは4/54になるように思えます。
これって、どうなのでしょうか。

また或いは、もともとの問題文を、前者の問いを問うものとして読むべきとするルールみたいなものが、一般的に数学にはあるのでしょうか

168久保共生:2018/11/04(日) 11:07:16
「1個をランダムに取り出す」という試行Sと、その後「箱の中の赤玉の数を確認する」という試行Tは独立ではありません。

単に試行Sにおいて赤玉が出る確率は4/54です。しかし、試行Tにおいて箱の中の赤玉が3個であったとき、試行Sにおいて取り出した玉が赤玉である条件付き確率は、1です。

169横山:2018/11/04(日) 11:16:10
久保さん、せっかく解説してもらってるのに、ごめんなさい、分かりません。

①赤玉が4つと黒玉が50入っている箱があったとして、一個をランダムに取り出して、確認せず隠しておく。
②そのあとで、その箱の中を見たら赤玉が3個あった。
③隠してある玉が赤玉である確率は?

の答えが1だということでしょうか

170横山:2018/11/04(日) 11:19:56
あ、ごめんなさい、分かりました。

②を赤玉の数を3こしかないと確認すること、だとするときの話ですね。

171横山:2018/11/04(日) 11:20:57
そうでなくて

①赤玉が4つと黒玉が50入っている箱があったとして、一個をランダムに取り出して、確認せず隠しておく。
②そのあとで、その箱の中を見たら赤玉がすくなくとも3個あった。
③隠してある玉が赤玉である確率は?

の答えなら4/54でよいでしょうか

172久保共生:2018/11/04(日) 11:37:25
それなら、4/54だと思います。
但し、

②そのあとで、その箱の中を見たら赤玉がすくなくとも3個あった。

というのが意味がないので、不要でしょう。
赤玉がすくなくとも3個あるというのは、箱を見ずとも分かることですから。
単純に「一個をランダムに取り出したときにそれが赤玉である確率は?」と問えば済むことです。

173横山:2018/11/04(日) 11:49:01
そうですね。

そこで、僕が引っ掛かっているのは、はじめの問題の解釈についてです。

「男と女が50人ずつ合計100人の集まりがあります。
①その100人の内の1人が帰ってしまいました。
②その後3人の男が帰りました。
最初に帰った人が男である確率は?」

という問題で、②が①と独立でないことを示し得ているのかということなのですが、
この文で十分に、「②が意図的な選択でない場面」だということが示されていると読むべきなのでしょうか。

174横山:2018/11/04(日) 12:27:02
つまり、②には「すくなくとも3人の男が残っていました」と同じことしか言ってないとも解釈できてしまうような余地が残ってるのじゃないかと、疑ってるのです。が、その辺りどうなのでしょうか。

175ムラタ:2018/11/04(日) 13:51:35
いち高校の数学教師からの意見としては、この問題がもし入試で出題されたらクレームがつく可能性のある危険な問題かな、と感じました。
論点は2つあると思います。
1,各人が帰るのが同様に確からしいと明記されるべきか
2,男3人が帰ったことについて、男はランダムな確率として帰ったのか、確率1として帰らせたのか。

1について説明します。
「同様に確からしい」という言葉があります。
これは、「同じように起こる可能性がある」ということを意味する言葉です。
たとえば、サイコロの1から6までのそれぞれどの目も出る可能性が同じなら、「どの目が出るのも同様に確からしい」ということになります。
これが、たとえばインチキなサイコロで、1の目がほかの目よりも出やすく細工されてる場合、「どの目が出るのも同様に確からしい、とは言えない」ということになります。

確率の問題では「同様に確からしい」という条件のもとで解くことになり(そうでないと解けない)、それは明記されることもあるし、もう同様に確からしいことが常識的に明らかだと共有される場合、省略され、明記されないこともあります。
例えば、サイコロの出る目は明らかにどの目も出る確率が同じということは常識的に共有されると思うので、多くの場合、同様に確からしいことは明記されません。
しかし、同様に確からしいことが少しでも微妙なところがある場合、問題文で同様に確からしいことは明記しなくてはいけないというルールがあります。
実はサイコロの目ですら厳密に言えば、同様に確からしいということは常識で共有されてはいるものの、常識という主観にに頼っているところがあり、それを完全に排除するために、本当は同様に確からしいことを問題文で保証すべきという考えもあります。

で、今回の問題についてです。
この問題文を読んで、各人が帰ることが同様に確からしいと常識で共有されるので、別に問題文に同様に確からしいことが明記されなくても問題ないとするのは、少なくとも大学入試としては、「さすがにちょっと苦しいのでは」というのがぼく個人の感想です。同様に確からしいことがちょっとでも揺らぐ可能性がある場合、同様に確からしいことを明記しておくのは必須だと思います。
入試でなくクイズ、つまりただの遊びとしては、どうでしょう。
やはり同様に確からしいことは明記しておいたほうがいいんじゃないの?と思います。
だって、これってもともとモンティ・ホール問題の類題というのがテーマでしょう。
問題がぶれてしまいますし・・・

176ムラタ:2018/11/04(日) 14:23:53
この問題の出題者は、この問題において「同様に確からしいことが保証されない」という意見に対し、「それなら以下の二問も回答不可能になる」と反論しています。


ttps://pbs.twimg.com/media/DqvEP-VUUAIVRja.jpg:large
ttps://pbs.twimg.com/media/DqvF7y6VYAA12nr.jpg:large


同様に確からしい、という点にしぼって考えてみます。
上のリンクのひとつめの問題の同様に確からしさは、引かれるトランプのカードについてです
ふたつめは、最短経路の問題で、ある人が東に行くか北に行くかについてです

僕としては、ひとつめの問題は同様に確からしいことが明記される必要はまったくなく、ふたつめの問題はひとつめに比べたら同様に確からしいことがかなり微妙になってきますが、まぁ、なんとか明記されなくても問題ないレベルかな、という感じがします。

それに対し、今回問題になっている問題の同様に確からしさは、上のふたつの同様に確からしいことに比べて、さらにぐっと怪しくなってきます。
個人的には、同様に確からしいことを明記すべきかどうかということについて、うえのリンクが青信号、下のリンクが青に近い黄信号、今回の問題は黄か赤か微妙なところ、という感じです。
少なくとも文句つけられても自分の問題設定に曖昧なところがあったところ自体は受け入れるべきなのではないかなと思います。

177ムラタ:2018/11/04(日) 15:08:40
2, 男3人は確率1として帰ったのか、そうでないか
ということについてです。1とも関連したことですが。

これは、問題文からはどちらとも解釈可能ですが、
「男3人は確率1として帰ったわけではなく、ランダムに帰った」
と解釈するのがより自然だとは思います。
しかし、やや不自然ですが、
「男3人は確率1として帰った」と解釈も不可能ではないかなと思います。

つまりこの問題は3つの解答がありえると思います。
1. 47/97
2. 50/100 (= 1/2)
3. 解答不能(同様に確からしいのか分からないので)

答えが2になるのは2パターンあり、
ひとつは多くの人がモンティ・ホール問題を間違えるように間違えたという場合と、
もうひとつは問題文の解釈を上で書いたように男3人が確率1とした帰ったとした場合です。
2つの意味で答えが2のようになるわけですね。

作問者の意図を読み取って1と答えるのが一番自然ではあるのですが、
2や3と答えることも別に変なことではないし、つっこまれても仕方のない、曖昧なところがある問題ではあるかなという印象です。
少なくとも、1以外の問題の解釈は絶対に不可能というのは違うと思います。

178久保共生:2018/11/04(日) 15:22:33
横山さん

ムラタさんがほとんど答えてしまいましたが、一応。

>つまり、②には「すくなくとも3人の男が残っていました」と同じことしか言ってないとも解釈できてしまうような余地が残ってるのじゃないかと、疑ってるのです。が、その辺りどうなのでしょうか。

上でも述べたように、求めるべき確率が条件付き確率であることをもう少しきちんと明記する必要があるとは思いますよ。(その上でなら、問題の内容自体には別におかしいところはないと僕は言っているのです。)
つまり、単に①において男が帰る確率を問うているのか、②が起こったときに、①において帰った者が男である条件付き確率を問うているのか、その点ははっきりさせておく必要はあるでしょうね。

加えて、ムラタさんが指摘している「同様に確からしさ」についてですが、そもそも確率を問題にしている以上、同様に確からしいことは前提であり、言わずもがなかと思います。

179久保共生:2018/11/04(日) 16:02:41
ムラタさん

>だって、これってもともとモンティ・ホール問題の類題というのがテーマでしょう。

えっ、そうだったんですか?僕にはいったいどのあたりが類題なのかわかりません。作成者はどういう意図なのでしょうか。

180ムラタ:2018/11/04(日) 16:14:15
まぁ、確率の問題なのだから同様に確からしいとして解くのは自然なのですが、
やっぱりツッコミまれるスキはあると思うんですよね。
例えば最短経路の問題で、ある人が北に行くか東に行くかの選択は、現実と照らし合わせると、同様に確からしいとは到底いえないと思うのです。
まぁ、屁理屈と言われれば屁理屈であり、それぐらい作問者の意図を読み取ってあげるべきかもしれませんが、まぁ、ツッコミ自体も別に間違っているわけではないので・・・

181横山:2018/11/04(日) 16:18:14
久保さん、ムラタさん、ありがとうございます。

あとから帰ったのはランダムな3人だったと解釈するのが、スタンダードであることにはかわりないのですね。
どちらの解釈も成り立つことを理解した上で出題者の意図を汲み取るとそうなる、と。

でも、質問意図がはっきりしないときには、それは出題者に聞けば良いことだし、それが聞けないような(試験のような)場面であれば、出題者の側が質問しないでも分かるような問題提供をしとかなければならない、ということですね。

お陰でずいぶんとスッキリしました。

182ムラタ:2018/11/04(日) 16:18:41
久保君

>>179
だって、モンティ・ホール問題も条件付き確率がテーマでしょ?

183久保共生:2018/11/04(日) 16:43:52
モンティホール問題を解くのに、別に原因の確率とか使わないと思うんですが。

184久保共生:2018/11/04(日) 17:05:47
それともベイズ確率がテーマで、それを扱う上で、モンティホールやこの問題を取り上げたということなんですかね。

185ムラタ:2018/11/04(日) 18:28:59
汚い字で申し訳ないですが、モンティ・ホール問題も、
こんな感じで条件付き確率と同様の計算で求められると思うのです。

ttp://fast-uploader.com/file/7096879143793/

186ムラタ:2018/11/04(日) 18:41:43
読み返したら、プレイヤーのPと確率のPで同じ文字を使ってしまってますね。
違う字を使えばよかったです。すみません。

187久保共生:2018/11/04(日) 20:12:48
ベイズ確率を用いていますね。
ただ、モンティホール問題を解くだけならば、もっと単純にできるので、少し疑問を持っただけです。

188久保共生:2018/11/04(日) 20:33:14
でも、ベイズ確率の考え方で解くのは、事前確率と事後確率とを比較できるところがいいですね。
扉A、B、Cについて、単にCが当たりである確率は1/3だけど、プレイヤーがAを選んで、司会者がBを開けたとき、Cが当たりである条件付き確率は、2/3となる。
なるほどこれは分かり易いですね。

189ムラタ:2018/11/05(月) 05:36:02
考えてみれば、モンティ・ホールの問題をベイスの定理で解こうとするほうが少数派なのかもしれません。そんな計算しなくても分かるのに、計算してしまったアホです(^_^;)
条件付き確率って、僕が高校生の頃は習わなかった記憶があります。
代わりに期待値は学習しましたが。
なので若い人のほうが、まだ横山さんが紹介された問題を解けるのかもしれません。

・・・それでもやっぱり難しいですけどね。
条件付き確率って、生徒にとって、かなり難解なところだと思います。
大人の僕でも結構混乱するのに、高1にとっては尚更でしょう。

ttps://suugaku.jp/kako/gihuyakka/21243-answer.pdf
↑の問題をこないだ定期試験で実力問題として出題したら、全員0点でした(^_^;)

この問題も、病気と診断されたのに実は本当に病気に罹っている確率は25%しかないという直感を裏切る面白い問題だと思います。
(有名問題なので久保君はご存知かもしれませんが)

190夫正彦:2019/01/15(火) 09:45:35
青空文庫にヒュームの人性論が。

ttps://www.aozora.gr.jp/cards/002033/card59405.html

191ムラタ:2019/01/15(火) 17:32:15
>>190
きわめて有益な情報ありがとうございます。
早速iPadに入れて10ページほど読んでみましたが、自然な日本語で読みやすかったです。
合間合間に読んでみようと思います。
個人で訳されたようですが、これおそらく無償でやってますよね?
タダで読ませてもらうのも何か悪いし、少額でも寄付する手段はないんでしょうか。
ほんと、頭が下がる思いです。

192夫正彦:2019/08/30(金) 14:03:36
この回答に心を動かされました。もしよければ皆さんのご感想をお聞きしたい。
(先頭にhを入れると完全なURLになります)

無神論者の方にお聞きします。死の床にあるあなたの5歳の娘が「死んだら天国に行くの?」と聞いてきたらどのように答えますか?
ttps://jp.quora.com/%E7%84%A1%E7%A5%9E%E8%AB%96%E8%80%85%E3%81%AE%E6%96%B9%E3%81%AB%E3%81%8A%E8%81%9E%E3%81%8D%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99-%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%BA%8A%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AE5/answers/157897645?ch=2

193横山信幸:2019/09/01(日) 13:41:22
>>192
記事読みました。
いろいろな哲学的な思索の課題や生き方としての問題や、たくさんの切り口が可能な話題で、面白がる内容ではないかもしれませんが、僕はとても面白かったです。

記事の最後の「哲学的議論がない」というのは、死にゆく子の安寧と死の哲学とは無関係だというだけで、死の哲学自体が無意味だとされてるのではない、と読みました。
そして、死にゆく子に対する言語のあり方はその安寧こそが第一義だとすべき、と言われている、という風に解釈してそれはその通りだと思いました。

ただ、
>「「バイオレットもそこに居るの?」ぶれない子です!答えることなしには離してくれないようです!バイオレットが天国に行くまでにはまだ長い時間がかかること、でも友達がそこにいるので、私を知っていると言えばいい。天国にあるエミリーの家には生きている友達や家族が映る魔法のテレビがあって、私たちがそこに行くまでそれを見ることができる。私も、ママもパパも誰でも会いたい人をテレビで見ることができる!」

という、少女へのバイオレットさんの返答は、そのように天国の存在を肯定することが最善の回答である場合もあるでしょうが、

もっと正直に、
「分からないけど、あると信じてる」
とか、さらにもっと正直に、
「君も僕も死んだら今以上に何も分からなくなるはずだから、自分が死んだことを気づくことができないかもしれない」
などと、自分の考えをストレートに出して答えるほうが、逆に少女を安心させる場合もあるように思いました。
天国があるという答えが嘘だと思う人は嘘をつかない方が良い場合もあるという感じです。

194ムラタ:2019/09/01(日) 19:07:38
>>192
回答を読みました。

死の床にある女の子を安心させる必要はあるでしょうが、心にもない嘘を付く必要まではないのではないでしょうか。どんな嘘かといえば、例えば、

>『彼女の家の周りにも沢山の子供たちが住んでいて、隣の通りにはピエロが住む街もある。そこを過ぎると大きな公園があって、子犬や子猫が遊んでいる』

とか

>『天国にあるエミリーの家には生きている友達や家族が映る魔法のテレビがあって、私たちがそこに行くまでそれを見ることができる。私も、ママもパパも誰でも会いたい人をテレビで見ることができる!』

のことです。

嘘をついて安心させる代わりに、「生きている人は誰も死んでいないから天国など死んだあとの世界については誰も分からないんだよ」とか、「誰も分からないから、みんなエミリーと一緒で、分からないことを怖がっているんだよ」とか、偽らずに安心させる道もないではないでしょう。


『イワンイリッチの死』というトルストイの短編小説で、不治の病で死の床にあるイワンイリッチに対して周囲の皆が虚偽の慰めの言動をとるなか、召使いのゲラーシムだけが主人の死を主人に隠す必要を認めず、あけすけに「みんないずれは死ぬんでさ。どうして骨折らないでいられますかね?」と言ってただ病み衰えた主人を哀れみ介抱する場面があるのですが、僕の価値観はむしろゲラーシムの言動に美しいもの、真実であるところのものを見出します。

バイオレットさんの回答はかなり高評価されていて、他のSNSでも感動を呼んでいるようなので、僕のこの価値観は世間とズレがあるのかもしれません。

・・・と、ここまで書き投稿しようとしましたが、実際に5歳の娘に「死んだら天国へ行くの?」と聞かれたら、しどろもどろになって、つい娘を安心させるために、心にもない虚偽の答えをしてしまうかもしれません。

ただ、虚偽の答えをしたあと、「これでよかったのか?」というわずかな自責の念は襲ってくるでしょう。バイオレットさんのように「死に瀕している子供の心の安寧より大事な宗教的信念や哲学的議論は存在しません。」と言い切って、そこに落ち着いていられることはできなさそうです。

195夫正彦:2019/09/02(月) 14:11:22
横山さん、ムラタさん、素晴らしい、そして美しい(と感じました)感想ありがとうございます。

まさしく、私もおふたかたと同じく、自分の信念に対して嘘をつく事に関して、この記事を読んで深く考えさせられました。
嘘なんて、ほんと、数えられないくらい日常で頻繁についてますが、できればつかない方がいいのです。
ただ、場合によっては嘘をついても構わないときもある、と思います。明確な必要性がある場合は嘘をついても構わない。

しかし、エミリーの場合、軽い嘘をつくのとはわけが違って、より真摯に、自分の信念と自分の言葉の真実性とに向き合わなければならない。
記事の回答者にも迷いがないわけはなくて、それは記事の端々からわかりますよね。最終的には、安寧こそが第一と割り切っているように見えます。
ホスピタルクラウンをやっていて、いろんな場合を経験されたのでしょう。これ以上の方法はないと、結論を出した。
うまく、自分の信念と折り合う方法を考えようと思えばできるでしょうが、それが、現実に際して実際やれるでしょうか?

私は、ハックルベリーフィンの友達の為なら地獄に落ちよう、との決意を思い出しました。

196夫正彦:2019/10/09(水) 15:36:07
個人的なことを書かせていただきます。

以前は随分楽しんで、哲学同好会の例会に参加させてもらっていたのですが、最近はどうもあまり興味が持てなくて、
これは、好みが変わったというよりも、哲学分野に関して新たな知識に対する意欲が失われたみたいな感じでしょうか。
前までは、全然知らない分野でも、参考図書を事前に読んでそれなりに発表も楽しめていたのですが、今は、参考図書を
読もうとする気さえおきません。興味なくはないのですが、意欲がわかなくて。で、結果、発表はちんぷんかんぷんで、
座って聴いているのが非常に苦痛になりました。

なので、しばらく例会への参加を休ませていただこうかと思っています。非常に勝手な理由によるものですが、どうか
ご容赦ください。まったくでないつもりではなくて、特に興味がある分野に関しては、出るかもしれません。

ツイッターのアカウントの管理等しているので、それは継続してさせていただきます。情報いただければ(掲示板に
書いていただければ)きちんとアップします。ツイキャスがちょっと心残りで、楽しみにしてる人も若干いらっしゃる
ようで、もしだれかやってくださる方がいればお願いしたいのですけど、結構大変なので、無理でしょうね。

重ねて言いますが、本当に勝手なお願いで申し訳ございません。あと、プラグマティズムは出ます。

197ウラサキ:2019/10/09(水) 17:16:38
夫さん、
哲学同好会は義務でも何でもありませんので、来たい時にだけ来ればよいでしょう。
いちいち通知するまでも無いことです。
ツイキャスも元々はじ銀さんがサービスで始められたことですので、継続の義務は全くないと思います。
どなたかやりたい人が出てくれば又やって貰えば良いと思います。

私も、個人的に興味を持てない回には敢えて遅れていったり、早退していますし、今後もそうしようと思っております。
実は次回のドゥルーズにもほとんど興味は持てませんが、発表者の横山さんに突っ込み(質問)を入れるのを楽しみに参加する予定です。
でも面白くなければ途中退室するかもしれません。

プラグマティズムの方は人数少な目ですので、来てくれると大変ありがたく思います。
でも無理せずに。3人以上なら継続、2人になったら休止かな、と思っています。

198横山信幸:2019/10/09(水) 18:31:27
夫さん、
そうですか。今度の日曜日は、
僕がドゥルーズを面白がっている感じを何となくでもお伝えできたら良いなと思ってたのでちょっと残念ですが、気になさらず無理せずに興味のわかないときは欠席してください。
もともと誰が固定メンバーと決まってたわけでもないので、お互いいつでも、自由に、参加し欠席できる会にしていきましょう。

199夫正彦:2019/11/13(水) 11:59:41
これって、そうなのかなぁ、と思うのですが、みなさんどうですか?
日本って意外と哲学に恵まれていて、いろんな国のいろんな時代の哲学書が読める、
そういう国はめずらしい、という主旨のツイートです。
ある本で、東欧系の哲学者の思想が紹介されてて、調べたら日本語訳がなかった(英訳はあった)
という経験があるので、疑問に思うのですけど。
ttps://twitter.com/WhiteRabbit1900/status/1194010484640403456

200ウラサキ:2019/11/14(木) 04:15:17
独仏の哲学の翻訳は英語より日本語の方が充実している感があります。
『純粋理性批判』『論理哲学論考』『存在と時間』などの翻訳がこれほどあるのは日本だけでしょう。

因みに探偵小説の分野でも、日本では文庫で翻訳を普通に買えるクイーンやカーの作品が、英語版は入手しづらくなっています。

201夫正彦:2019/11/14(木) 12:01:06
いろいろ論点はあると思いますが、

1)実際に重要な哲学者の翻訳は日本が多いのか
2)そこから日本の哲学は諸外国に比べて優れていると結論してもよいのか

1)についてはそれぞれの国で人気のある哲学者ってあるでしょうから、その哲学者が別の国の人なら
翻訳も多いでしょう。ある哲学者の著作がほとんど翻訳されて手に入りやすい、というだけでは、
その哲学者がその国で人気がある、というだけしか意味しないような。もちろん、全体的に、
誰が考えても重要だと思える哲学者の著作がほとんど翻訳されていることがはっきりすれば、
確かに哲学的環境は優れていると言えます。

ヨーロッパやアメリカでは、他の国の哲学者でマイナーな著作も読む必要があるのなら、その国の
言語を習得して原書で読む、ということがあるのかもしれません。

2)は日本の哲学者とその哲学が、国際的によく知られていて、影響を受けた外国の哲学者も多い、
なら、日本の哲学は優れていると言えるでしょう。

まぁ、以前に、日本の江戸時代の識字率は当時世界一だった、みたいなことを言う人がいて、
調べてみると、江戸時代にきちんとした識字率調査はされていないし、明治になってからの調査でも
地域や男女の別でかなりの差があって、決してそういうことは言えそうにない、ということが
わかったということがあって、こういう言説にはちょっと引っかかるのです。
また、哲学をやっている人として、自分の傾向性(自国を称賛しがち)に無自覚で、こういう
言説に飛びついてしまうというのはどうなのかと、自分に対しても批判的になるべきではと
思いました。

いや、そもそもきちんとした根拠があれば(又はもっと限定した言い方なら)それはそれで、
文句をつける気はありません。

202ウラサキ:2019/11/14(木) 12:24:13
翻訳の多さと、学問のレベルとはあまり関係ないのではないでしょうか?
むしろ日本では日本語オリジナルの哲学が貧困であるがゆえの翻訳書の多さもあるかと思います。

203ウラサキ:2019/11/14(木) 12:56:59
昔(1980年代)、竹尾治一郎先生は『理想』誌のアンケートに答えて、
「いまだに日本はドイツの出版社の金持ちの植民地にすぎない」と書かれていました。

今は、大森荘蔵や野矢茂樹、永井均らが出て、状況は少しは改善の兆しが見えいっていないようですすが、
やはり言葉の壁で、まだ海外で翻訳・引用されるまではいっていないようですね。

204ウラサキ:2019/11/14(木) 12:58:45
「見えいっていないようですすが」→「見えているようですが」

205やまうち:2019/11/14(木) 19:57:39
英語圏と比べてどうかはわかりませんが、翻訳は多い気がします。
それを前提に考えると、
1)は、翻訳が多ければ多いほど有利になる気がします。
2)の優秀とは何でしょうか。人気があるとか引用が多いとかでしょうか。
「哲学において、重要とはなにか、優れているとはなにか」。
これ自体が哲学的だと思います。

206夫正彦:2019/11/16(土) 10:11:33
やまうちさん

2)についてなのですが、私が引用したツイートのRT元のツイートがそう主張してました。
「日本って哲学大国、哲学先進国なのでは等々」と主張してます。そのツイートをRTした人は
その理由は翻訳がたくさんなされているからでは、みたいな内容の主張です。
私は、優秀かどうかについてなんとも思っていないので、優秀であるかについて明確な基準を持ってません。
一般的に言えば、諸外国の現代の哲学者たちに大きな影響を与えた哲学が本邦には多い、ということでしょうか。
二つのツイートからは、我が国の哲学は優秀、我が国は諸外国の哲学の翻訳が多い、という二つの主張が
並列して存在しているだけで、翻訳が多いしたがって、我が国の哲学は優秀という流れはありませんね。
この辺りは私の理解不足でした。

翻訳は多い、という言説についてですが、これも非常にあいまいです。どういう基準で多いと言えるのか。
外国の事情と比べる場合、比較する外国の事情に通じていなければなりませんが、そういう人ってあまりいません。
もちろん、だからって、主張して悪いわけではないのですが、そう主張することの根拠があまりないことを
自覚していないんじゃないか、というのが私の感想です。みんなが言ってるからそうだと思ってる、みたいな。
これは、哲学する人は普段から、自分の主張することの根拠について高い水準で反省する習慣をつけるべきなん
じゃないでしょうか。

207やまうち:2020/01/01(水) 08:41:16
2019年に読んだ哲学書を書いておきます。
シェリング著作集4b 歴史の哲学
神話・狂気・哄笑 マルクスガブリエルほか
西田幾多郎フォービギナーズ 大澤正人
エックハルト説教集
時間は存在しない カルロ・ロヴェッリ
今年もよろしく。

208横山信幸:2020/01/02(木) 15:22:28
僕も、2019年に読みかじった哲学書(っぽいもの)を書いておきます。

フロイト「快感原則の彼岸」「あるヒステリー患者の分析の断片」
レヴィストロース「悲しき熱帯」
ソポクレス「オイディプス王」
プラトン「ソピステス」「ポリティコス」「メノン」
リクール「フロイトを読む」
クロソウスキー「ニーチェと多神教とパロディ」
フーコー「アクタイオンの散文」
メルロポンティ「見えるものと見えないもの」
檜垣立哉「ドゥルーズ解けない問いを生きる」「子供の哲学」
池田善昭「モナドロジーを読む」
野口廣「トポロジー基礎と方法」
綿野恵太「差別はいけないとみんないうけれど」
ドゥルーズ「差異と反復」

どれもあまり読み通せてなくて、つまみ食いしかできてないです。

209水素:2020/01/11(土) 03:08:21
はじ銀さんに紹介されてきました、試し書き

210横山信幸:2020/01/11(土) 07:32:34
>>209
水素さん、ようこそこんにちは

211ウラサキ:2020/01/11(土) 07:49:52
水素さん、ようこそ。
宜しければ関心分野等お書込みいただければ宜しいかと。

212ウラサキ:2020/04/29(水) 16:51:31
昨日、数十年振りに月刊誌『Newton』(6月号)を購入しました。
なんとあの科学雑誌が「哲学」特集です。
表紙には「哲学 科学を生んだ人類の思考」というなんとも好意的な惹句です。
編集後記には「実は、Newtonの歴史の中でも、哲学の大特集が掲載されるのは今月号がはじめてです。」とのこと。
で、その内容は古代(タレス)から近代(カント)の主な哲学史の学説紹介と、
現代の部分では「時間の哲学」「生命倫理」などテーマ毎に、Newtonお得意のカラーイラストで初心者向けに解説されています。
活字部分は同好会に参加されている方々には既知の事柄が殆どでしょうが、
オールカラーのイラストや哲学者の肖像写真も多く、眺めているだけでも楽しい。
書店に立ち寄られる機会があれば、一度手に取って御覧になる事をお薦めします。
価格は本体990円+税です。

213かわべ:2020/05/04(月) 23:42:33
私も、2019年に読んだ哲学っぽい本です。
ゲーム的リアリズムの誕生 東浩紀
戦闘美少女の精神分析 斎藤環
神聖喜劇 大西巨人
つげ義春全集(まんが)
エンドレスエイトの驚愕 三浦俊彦

214ウラサキ:2021/08/23(月) 19:35:41
ttps://tetsudoku-kant.peatix.com/(←頭にhを追加)
このオンライン『純粋理性批判』講義に申し込もうか迷っています。
2,500円かかりますが、序論から読んでくれるみたいですので、1回だけ参加しようかな?

215ウラサキ:2022/04/09(土) 09:48:45
現在、月曜日の20:00~22:00 オンラインで「形而上学が始まるまでを読む会」に参加させて貰ってます。
今はクワイン「規約による真理」を読んでますが、次回で読み終わり、その後は同じくクワイン「なにがあるのかについて」を読む予定です。
進め方は邦訳を1段落毎交替で音読→要約していくというもので、参加者は3〜5人です。
主催者の方に、新規参加の声かけの許可を得ましたので、もしご関心がおありなら
祥吾 坪井 <tsuboishogo98@gmail.com>
までお問い合わせ下さい。
尚、読書会の曜日・時間帯は次々回より変更する予定です。

216ウラサキ:2022/04/11(月) 05:01:04
上記読書会、4月21日からは木曜日20:00-22:00に実施する予定です。

217ウラサキ:2022/04/26(火) 12:57:59
永井均先生が、Zoom を使ったオンライン哲学講義も始められるようです。
私は(可能であれば)参加したいと思います。

ttps://note.com/dokuzai_tetsu/n/n2ab4674ba39e#cf21fa06-7bf3-481d-8d93-597897d73fa6(←冒頭にhを追加)

218ウラサキ:2022/05/11(水) 10:00:23
以下の永井人均先生からの返答に関して、理解できる方がおられたら御教示頂ければ幸いです。

以下引用です。

※ゼロ回参加の方からの質問にお答えしました

エビクロス:「〈私〉という比較できず疑いえない特異な存在」が存在するとき、「神」はどのような場所に位置づけることができますか? 永井先生の著作にもあるように、ある意味では〈私〉は「神」をも超越しているように感じています。」

永井:神が存在するとしても、〈私〉がもう一つの(それとは独立の)超越者となりますから、通常の意味での神の役割(や力)は弱まると考えられます。しかし、それでも、〈私〉の存在は無理由・無根拠ですから、〈私〉の創造者としての〈神〉という考え方は、むしろ有効なものとして残りうるとも思われます。

以上で引用終わり。

ウラサキの疑問:無理由・無根拠な存在に「創造者」を想定するのは不自然では?創造者が居れば、それが根拠や理由になるでしょうから。

219ウラサキ:2022/05/11(水) 10:12:18
私の記憶では、『私・今・そして神』について昔私がツイッターで質問した際には、
確か永井先生は「私の「神」は、超越者・全能者としての側面は持つが、「創造者」や「慈愛に満ちた」という属性は想定していない」という返答だったと思います。

220ムラタ:2022/05/11(水) 15:52:05
僕も>>218>>219を読んで、エビクロスさん(ウラサキさん?)と同じ疑問を抱きました。
【<私>の創始者としての<神>】という思考も、結局は<私>という場において行われていることなので、【<私>の創始者としての<神>】などという、<私>を超越している神概念の想定は不合理であるように思えます。
超越していると言いながら超越していないという矛盾をはらんではいないでしょうか?

221ウラサキ:2022/05/12(木) 03:56:33
ムラタさん、コメント有り難うございます。
そもそも「神」という、内包が曖昧な概念を気安く取り入れる所が近年の永井哲学の弱点だと感じます。
尚、エピクロス氏は私では無く別の質問者(=聴講者)の方です(^^;)

222ウラサキ:2022/07/02(土) 09:27:18
現在、オンラインで行っている「形而上学が始まるまで」という読書会で、
次回、7月7日(木)より、あの論理実証主義の息の根を止めたクワインの名論文「経験主義の2つのドグマ」を読みます。
毎週、木曜日20:00-22:00で、日本語訳を1段落ごと音読→要約という方式で、毎回数ページずつ読んでます。
現在、参加者が3名ほどでやや寂しいので、少しでも興味のある方は、
祥吾 坪井 <tsuboishogo98@gmail.com>
まで、お問い合せの上、お気軽に御参加下さい。
なお、テキストは、オンライン上で共有されています。


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