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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

1498SAKURA:2013/12/02(月) 20:48:37 ID:3/pn4/Pc
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ 
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA・NANCY】で〜〜〜す。
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>>1376の投稿の続きです

■□ それでは神と霊魂と人間と †††『 因霊の世界 』††† 

――― 第 3  章  神々の世界 ――   お稲荷さんは一番身近な神
―†―【  信仰と先祖供養との違い  】―†―  その①

 信仰と先祖供養とはちがうということについて、少しお話してみたいと思います。
 まず人間はこの世に生まれた瞬間から、前世の業(因縁)を背負って生れた変わっている
のです。こうした前世因縁が、あの世から私たちの“運命”を縛りつけています。それを“神
神“は知っているのです。

 神といっても、善神もいますし、悪神もいるのです。人間の罪業の深さによって、“因縁”
という糸は、善神にたぐられるか、悪神にたぐられるかします。

 子供の頃の運勢というのは、まだ心が小さいので、易や星占い判断でも運力に対して比較
的当る確立が高いものです。しかしそれが中年頃までで、勉年といわれる大人の運勢は、ま
ったくちぐはぐな人生を歩まなければならないことが多くなってしまします。

 なぜかといいますと、前世の業(因縁)が支配し、その業が運勢にからまり、その業を断
ち切れないまま人生を突っ走ってしまうからです。“因縁因果”の恐ろしさを引きずったま
ま生きることは大変なことです。

 やがてそれに気づいて恐ろしくなり、信仰という名をかりて、助けを求めて手を合わせま
すが、しかし、それは“功徳”というものではなく、罪障消滅一筋の念願であろうと私は考
えるのです。

 しかし欲念の深い人間は、罪障消滅を念願しながら、その一方では「金儲けをさせてくだ
さい、病気を治してください」と願っていることが多いのです。

 仏教では、“法華経”がありがたいとか、“念仏”がありがたいとか、陀羅尼“が功徳
ある…といわれますが、これも人間にめぐり合わせてくる業(因縁)を断ち切ることが唯
一の目的ではないかと思います。

 つまり、仏教のなかにはたくさんの教えがあっても、そのすべてが譲られるものではあり
ません。信仰の深い人のなかにも、恵まれない人もたくさんいます。してみれば、仏教という
のはなにか、ということになります。

                       つづく


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