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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板/2

1333SAKURA:2013/10/12(土) 13:44:47 ID:DVxx.lkw
「トキ様」 へ   「観覧者の皆様」 へ 
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA・NANCY】で〜〜〜す。
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■□ それでは神と霊魂と人間と †††『 因霊の世界 』††† 

――― 第 3  章  神々の世界 ――   お稲荷さんは一番身近な神
―†―【  神界と現界の相違  】―†―  

 お彼岸やお盆が来ると、毎年私たちはお墓参りをしたり、仏壇のお供え物をして、先祖霊の冥福
をいのりますが、私はそこで、“神界とぶつかり、驚くべき事実を発見しました。

 私は日蓮宗信徒の一人ですが、どちかといえばすこし信仰にかけていて、不信心といった類の人
間です。“仏壇の前に座って手を合わせ、線香二、三本を灯火して頭を下げる”……これが私の先祖
に対してのご供養だったのです。

 しかし、これは信仰というものとはほど遠く、一種の日常習慣のようになっています。ち
ょうど朝起きて「おはよう」というのと同じようなものです。

 こうした習慣で先祖霊をご供養しても、先祖霊の成仏はありえません。

「私は朝晩、線香をあげて先祖供養している」とか、
「お経をあげて仏供養をしている」といいますが、私と似たりよったりの考え方の人が大部
分だと思います。こんなことでは先祖霊に線香の香りすら届かないにちがいありません。

 仏さまの成仏というのは、願いがかなうと一本の線香の煙でも成仏してしまうものです。
しかし、その願い方や生き方が大切であって、親に対してお世話になった恩返し、先祖のお
世話になった恩返しをするといった意味がなければなりません。
先祖があって自分がある。そのおかげで私はその子孫である、という気持ちを心に抱き、
“どうぞ私を見護ってください、そのかわり私を恩返しいたします。お墓も建てなおしま
す。先祖の好きな物をお供えします。寺にも行きます。総本山にも行きます。“

こうした心がけが必要なのです。

                                    つづく

PS:「トキ様」 へ 「観覧者の皆様」 へ
私の故郷でもあります当地に帰郷しました時の私は、まず!近くの「誌友会…」に参加しました。
あるところでの「誌友会…」で、【先 祖 供 養】の話があり、ここの誌友の皆様は、共働きで、
帰宅が遅く【先祖供養…】は、「冒頭の箇所だけでいいわ〜〜〜ョ!」と皆さんに指導なされて
おりました。…が?当時の私は、「そうなのかしら〜〜〜ン!それでは?いけないのでは?」と…?
思いましたが、現在の私…(微笑)■私自身も【時々〜♫ 雨のち曇り】でしょうか??

今回!新たに、日々の【先 祖 供 養】心を込めまして〜♫ で・す・ネ!!


                                    再合掌


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