●靖国神社「パール判事顕彰碑」意見書の結語は、アメリカ連合国(南がわ)大統領の言葉だった
20/01/15
>>「海軍善玉・陸軍悪玉論があるので、半藤一利著文春新書『なぜ必敗の戦争を始めたのかー陸軍エリート将校反省会議』を読んでいます。」と鞄から出して見せてくれました。
そして、「靖国神社境内にある『パール判事顕彰碑』の南部宮司が書いた碑文は素晴らしい。しかし、パール判事の意見書結語はアメリカ南北戦争の時、南側で一期だけの大統領が語った文章です。」と言われビックリしましたが、老紳士は信号が青になったので歩道を向こう側に渡っていきました。
帰宅後、早速インターネット検索をしてみると、「華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録」と「tomokilog - うただひかるまだがすかる」というブログが見つかり、「南部暫定大統領ジェファーソン・デイヴィスの論考の一節」をパール判事がそのまま引用していることが分かりました。
■ジェファーソン・デイヴィス―引用箇所の出典
Jefferson Davis: The source of the quotation
上の引用箇所を、パール判事自身がこしらえた文章だと誤解している例を見かけます。ところが、事実はパール判事の作文ではありません。正しくは、南北戦争時代の「アメリカ連合国」(=南部がわ)大統領だったジェファーソン・デイヴィス (1808-1889) が1888年におこなった演説から、パール判事が引用したのです。引用符 " " が付いているのは、そのせいです。
■英語原文 The original text in English
"When time shall have softened passion and prejudice, when Reason shall have stripped the mask from misrepresentation, then, justice, holding evenly her scales, will require much of past censure and praise to change places."
南北戦争の終結後、旧南軍の捕虜収容所で旧北軍の捕虜たちが受けた虐待行為について、軍法会議が開かれました。その結果、ヘンリー・ワーズ Henry Wirz という士官が有罪となり、絞首刑に処せられました。ワーズは、戦時中最大の捕虜収容所だったジョージア州のアンダーソンヴィル捕虜収容所の所長だった人物です。ワーズにとって不運な判決が下された背景には、軍法会議のすこし前にエイブラハム・リンカーン大統領が暗殺されたばかりだったというタイミングの悪さがありました。
「南部連合の娘たち (The United Daughters of the Confederacy, UDC)」という組織があります。南軍に加わって戦死した人々を追悼する女性たちの団体です。UDCは、ワーズの鎮魂と彼の処刑に対する抗議の意をこめて、1908年アンダーソンヴィルにワーズの記念碑を建てました。そこには、上のジェファーソン・デイヴィスの言葉が刻まれています。
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