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【アク禁】スレに作品を上げられない人の依頼スレ【巻き添え】part6

58名無しリゾナント:2015/06/29(月) 03:06:25
「うそ…だよ、ね。だって道重さん、こんなに」

聖が掌を翳し、それまでよりも一層強く、自らの治癒の力を注ぎ込む。
ただ眠っているようにしか見えないさゆみの顔。けれど聖自身、よくわかっていることだった。
対象の肉体を癒すはずの治癒の力は、さゆみの体に留まることなく、消えていた。

「やだ!みにしげさん!みにしげさんおきて!!じゃないとまーちゃんみにしげさん嫌いになっち
ゃうんだから!!!!」
「よ、よせよまーちゃん!道重さんが死ぬわけないだろ!馬鹿なこと言ってんじゃねえぞ!!」

優樹はありったけの力を込めてさゆみの体を揺さぶる。
あまりの激しさに、そして優樹の発した言葉を否定するために大声をあげる遥。
それでも、既に泣き顔でぐしゃぐしゃになっている自分自身を隠す事ができない。

「は、はは。こんなの冗談っちゃろ。道重さんが、こんなことになるわけなかろうもん」
「ねえ。みんなを驚かせようとして寝たふりしてるだけですよね?そうなんすよね!?」

笑い声を上げようとするもうまく行かず、乾いた呼気を漏らすことしかできない衣梨奈。
亜佑美は大げさに手をばたばたさせ、顔を引き攣らせて必死に目の前の光景を否定ていた。

「道重さんの時が…止まっちゃった…」

時を操り、時を統べる。
さくららしい発言と言えばその通りなのだが、あまりにストレートな表現。
何をふざけたことを、そう言いかけた亜佑美の言葉が文字通り止まった。

さくらは、顔を歪め、必死に歯を食いしばって。泣いていた。
声すら、あげずに。
そのことが、全員に一つの揺るがしがたい結論を齎す。

59名無しリゾナント:2015/06/29(月) 03:07:11
― 傍に、居て下さいね ―

月明かりの綺麗な晩のこと。
少女は、さゆみと一つの約束を交わした。
素直に自分の気持ちを表に出せない少女は、リゾナンターとして闇に立ち向かう自分の姿をただ見
ていて欲しいと伝えた。その背中から、何かが伝わればそれで自分は十分なんだと。
それが、その時の精一杯だった。

あの日話したことが、嘘になってしまう。
さゆみのせいではない。さゆみを救うことができなかった、自分自身のせいだ。
かつてその手を差し伸べながら、救えなかった友人のように。
すべては、自分の力が足りないから。

― お前の実力は、そんなものじゃないだろう。何を躊躇ってる? ―

その言葉が、先ほど一戦交えた塩対応の女のものなのか。自らの心に呼びかけた問いなのか。
里保は、区別がつかなくなっていた。
ただ、熱い。胸の奥が、滾っているかのように熱かった。
やがてその熱気が、心の全てを覆いつくしてゆく。

「里保…ちゃん?」

その場にいる全員がさゆみの状況に激しく取り乱している中。
香音だけが、親友の異変に気がついていた。
宙を彷徨う里保の瞳は。

燃えるように、緋く。緋く。

60名無しリゾナント:2015/06/29(月) 03:08:06
>>47-59
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

61名無しリゾナント:2015/07/15(水) 00:57:32
>>47-59 の続きです



「半分は偶然。半分は必然。そういうこっちゃ」

それが、紺野が師と仰いだ男と最初に交わした言葉だった。

「何で俺が自分を研究室長に抜擢したか。リストの中に入ったんは偶然、せやけどそこから俺が選
んだんは俺の意思や」

組織の科学力を統べる部門の中枢に入ってなお、遠くで見ているだけであった組織の科学部門統
括という存在。
直に会いそしてその目で見た感想は。科学者としてはあまりに俗の色が強いというものだった。
もちろん、派手な金髪や目に染みるような柄物のスーツだとか、見た目の事を言っているのではな
い。

紺野の知る多くの科学者は。
一様に表情が硬く、そして自らの知性を誇示するような物言いをしていた。
しかしどうだろう。目の前の男は、人を食ったような、惑わすような態度を取る。そしてその曖昧さ
は、不思議と不快ではなかった。

後にダークネス不世出の天才、「叡智の集積」とまで称される紺野だが、室長就任まではただの
一研究員に過ぎなかった。
そんな紺野が組織の研究室長、つま科学部門のナンバー2に抜擢されたその理由。
それが先の答えに繋がる。

62名無しリゾナント:2015/07/15(水) 00:59:18
「例えば。道歩いてたら、自動販売機がありました。喉渇いてたら、ジュース飲みたいわぁ、そう
思うやろ?」
「つまり、『喉が渇いていた』から『ジュースを買った』と。私にそういう役割を、求めているん
ですね」
「お、ええな。そういう返し。確かにお前の言う通りや。俺がこれから研究を進めてく中で、もの
すごく何かヒントをくれそうな、そんな予感がしたんやわ」

まるで論理的ではない、つんくの言葉。
しかし、裏を返せば「科学者」という枠に嵌らない人物とも言える。曲がりなりにも現在の組織の
科学面における基礎を構築した男、掴みどころの無い言葉にもそれなりの意味があるのだろうと紺
野は推測した。

「ところで。お前が研究室長っちゅうことは周りには秘密やで。『ダンデライオン』っちゅう隠
れ蓑もあることやし、しばらくはバレへんと思うけど」
「なるほど。あれは、貴方の差し金でしたか」

「ダンデライオン」。組織の上層部が結成を決定した特殊部隊。紺野の研究室長就任と、ダンデ
ライオンの入隊はセットであった。つまり、まさか組織の科学班研究室長がそんな部隊に編成さ
れるわけがない。と思わせる目論みだったのだろう。確かに降りかかる火の粉を振り払うのも億
劫な話で、持ち前の好奇心もあり了承はしていたのだが。

紺野とつんくの邂逅から、しばらくして。
つんくは、突如組織から姿を消す。そのことについて上層部からの言及すらないという、実に不
可解な話ではあったが。
紺野は、そうなるのが当然であるかのように、二代目科学部門統括に就任した。

63名無しリゾナント:2015/07/15(水) 01:00:46


「世界を変える薬ですか。それはまた大きく出ましたね」

モニターに大写しにされた紺野が、問う。
つんくの言葉の、真意。飾られた形容の奥に潜む、真実を。

「私が把握しているところによると…あなたが道重さゆみに投与した薬の効果は。『表』の人格
であるさゆみに対する『裏』の人格。確か、さえみとかいう…それを、自在に呼び出せるように
なる。という触れ込みでしたっけ」
「触れ込みて、失礼な話やなあ」

かかか、と笑いながら、つんくは先ほどまで「天使」が座っていた座椅子に腰かける。ちょうど
モニターの紺野を見上げるような形だ。

「天使」はと言うと、つんくに飲まされた「薬」の影響か、床に蹲ったまま動かない。

「私は、あなたの投与した薬剤は人格統合に関わる何らかの影響を及ぼす性質のものと踏んでい
ます。道重さゆみが本来姉人格が表出した時でないと使うのことの出来なかった『物質崩壊』の
力を使えるようになったのも、そう考えればかなり自然な形で納得がいきますしね」
「ほー、そこまで辿り着いたか」

人を食ったような、読めない態度は相変わらず。
懐かしさとも、呆れともつかぬ感情に思わず紺野は肩を竦めた。

64名無しリゾナント:2015/07/15(水) 01:02:02
「懐かしさのあまり瞳を潤ます、っちゅうんなら少しは可愛げもあるんやけどな」
「確かに、お変わりないようで何よりです。お顔のほうは大分変えてらっしゃるようですが」
「どや。なかなかイケメンやろ」
「顔の美醜は私には判りかねますが。ただ、あまりいい趣味ではありませんね」
「…結構気に入ってるんやけどな、これ」

やや芝居がかったつんくの言葉を無視し。
紺野は話を本題に戻す。

「結論から述べます。つんくさん。あなたは、『天使』…安倍なつみを、破壊の化身にしようと
している。違いますか?」
「…半分正解で、半分間違いやな」

つんくは言いながら、体を椅子の背に預けた。

「あなたはいつもそうだ。ダークネス科学部門の初代統括という地位を誰にも話すことなくあっ
さり捨てたように、真実を決して他人に見せようとしない」
「そういう自分も『俺の資質』、しっかり受け継いどるやないか。ほんまいつまでも本題に入れ
んで困るわ」
「…ではこちらからいきましょうか。私の言葉が半分不正解なのは…『天使』の力が制御可能か
不可能か。そういったところですか」
「優秀な弟子やと、話す手間が省けて助かるなあ」

つんくと紺野の、互いの肚を探るような、そうでないような会話。
前田はそのほとんどを理解することはできない。
ただ、一つだけ言えるのは。自分が目の前の「銀翼の天使」をつんくが手中に収めるためにここ
にいるということ。
そしてその目的は、果たされようとしていた。

65名無しリゾナント:2015/07/15(水) 01:04:23
「安倍の。本来の人格と、全てを破壊し尽くすだけの闇の人格。周期的に入れ替わる二つの人格、
この性質のせいで、お前らは安倍をこないなもったいつけた施設に閉じ込めざるを得なかった。
せやな?」
「そうです。現時点の彼女の力は、我々が自由に使うには手に余る」
「でもな。俺の作った薬があれば、本来の安倍の人格を保ちつつ、破壊的な能力を操る能力者が
誕生する」

まるで新しい遊びでも考案したかのように。
つんくの瞳はきらきらと輝いていた。

「…本当にそんな夢物語が実現するんでしょうか」
「俺がしょうがない夢追い人やったら、こないなとこまでけえへん。ブラザーズ5のおっさん煽
ったり、辻加護の暴走のタイミング図ったり、いろいろ下準備してまでな」
「やはりそうでしたか。あまりに一度に出来事が重なるものですから、恣意的なものは感じては
いましたが」
「はは、めっちゃロックやろ?」
「転がる岩のように、ですか。積極的に動く者は、決して錆びつかない。しかし、こうも言えます」

紺野が、やや垂れ下がっていた眼鏡のずれを、手で戻す。

「無駄に動き回る者には、何の利も身につかない」
「…言うとけ」

紺野の皮肉を鼻で嗤いつつ、前田に指示を送る。
床に倒れ込んでいる「天使」の額のあたりに、手が添えられる。

66名無しリゾナント:2015/07/15(水) 01:06:05
「この前田はな、精神操作のスペシャリストや。こいつの能力で融合過程にある安倍の人格の統
一を、サポートする。どや、完璧やろ」
「完璧…ですか」
「随分不服らしいな。『完璧です』、お前の口癖やん」

沈黙する紺野を、挑発するかのような言葉。
だがそれに対して返されたのは。

「つんくさん、あなたは」
「何や」
「外で遊んでいるうちに随分と耄碌されたようだ。私が常日頃『完璧です』と言っていたのは、
科学者が完璧などという言葉を口にしたら終わりだという皮肉のようなものです。いついかな
る時も真理を追求する科学者にとって、完璧などという可能性を全否定するような言葉は。愚
かしいまやかしに過ぎませんよ」

侮蔑。お前はこの程度の存在に過ぎないという、見くびった表現だった。
つんくはなおも薄笑いを浮かべている。だが、その目はもう笑ってはいなかった。

「なら、俺がお前に正真正銘の『完璧』を見せたるわ」

立ち上がり、一際高く合図の手を挙げる。
それを見た前田は自らの掌に意識を集中させた。
高度な精神干渉が「銀翼の天使」に襲い掛かる。前田はつんくが所有する手勢の中でも飛びぬ
けてマインドコントロールに長けた能力者。「御宮(ごく)」の異名を取る能力者社会の重鎮
・五木老の秘蔵っ子でもある彼女に比肩するものは、新垣里沙しかいないであろう。

67名無しリゾナント:2015/07/15(水) 01:08:08
前田の精神干渉の力は瞬く間に「天使」の精神世界を駆け巡り、特有の世界を構築してゆく。
すなわち、現在彼女の体内で活性化している「多重人格の統一」の薬効の、サポート機構。

傍目からは、どのようなやり取りが繰り広げられているのかはわからない。
ただ、つんくの表情を見ればわかる。
「銀翼の天使」。ダークネスの重鎮だった安倍なつみは、完全につんくの手中に落ちた。

「…しまいや。残念やったな、紺野。お前、俺が失敗すると思てたやろ」
「いえ。別に。逆に、いいものを見せて貰いましたよ。今後の参考にさせていただきます」

静かに、かつ確実に行われた「天使の奪還」。
興味深そうな表情をする紺野の言葉は、本心からか。ただの負け惜しみなのか。

「精々頑張りや。お前に『今後』があるかどうかは知らんがな」
「お気遣い、どうも」

「首領」は紺野に「天使」の死守を厳命した。
しかし、この体たらくでは彼女に厳罰が科せられてもまったく不思議な話ではない。

「上じゃドンパチやってるんやろ? お前の『切り札』のことや。せやけど、ジョーカーは『切
ったらおしまい』。俺の教えの通り、何枚も切り札仕込んどったみたいやけど、俺の方が一枚上
手。そういうこっちゃ」

満足げな表情を浮かべ踵を返すつんくに、「銀翼の天使」を肩で担いだ前田が追随する。
最早見るべきものは何も無いと判断したのか、紺野を映したモニターはゆっくりと天井へ収納さ
れていった。

68名無しリゾナント:2015/07/15(水) 01:09:21
>>61-67
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

69名無しリゾナント:2015/08/03(月) 13:38:28
>>61-67 の続きです

70名無しリゾナント:2015/08/03(月) 13:39:55
>>61-67 の続きです



はじめてその人に逢ったのは、じいさまの名代として東京に出てきた時のこと。

「方言がちょっと似ちょうね」

能力者同士の共同作戦。
自分以外は全員年上という状況で、舐められまいと標準語を使っていたはずなのに、地元が
近いと言うその人にはすぐに見抜かれた。
人見知りの自分には、それが嬉しかった。

それからしばらくして。
ふとしたきっかけで知り合った仲間と向かった喫茶店で、その人に再会した。
もちろん、嬉しかった。けれど、その感情を表に出すことができなかった。

そして一緒に時を過ごし、その人の凄さ、素晴らしさを肌で感じて。
尊敬に値するその人に、思ったことをうまく伝えられない自分は。

リゾナンターとして仲間たちの先頭に立ち戦う姿を見せることで、それを伝えようとした。
自分の背中を見て、それでその人が何かを感じ取ってくれればいいと思った。

それが、どれだけ伝わったのか。
今となっては知る事はできない。

機会は、永遠に失われてしまった。

赤い闇が静かに訪れ、私を呑み込んでいった。
残滓のような静寂。そこに私の感情など、存在しなかった。

71名無しリゾナント:2015/08/03(月) 13:41:28


雨脚が、強くなりはじめていた。
風が荒れ、空を覆う濁った雲が生き物のように蠢いて、絶え間なく地上に雨粒を叩きつけ続
ける。石畳を黒く濡らすそれは、瞬く間に水溜りとなって終らない波紋を描いていた。

降り注ぐ雨が少女たちの髪を、顔を濡らしていた。もっとも。
雨のことなど、少女たちにはどうでもよかった。

「道重さん…どうしてこんなことに…」

春菜の振り絞るような声。
まだ受け入れられない、そんな思いがそこにはあった。

誰かがうう、と泣き出したかと思うと、一斉に全員が嗚咽の声を漏らしはじめていた。
リゾナンターとなってから、さゆみと共に作ってきた思い出。それが、解けない魔法のよう
に彼女たちからいつまでも離れない。一緒に笑ったことも、そして後輩を思い泣きながら叱
り付けたことも。
それでもさゆみはもう、笑わない。ただ、安らかに瞳を閉じているだけだった。

悲しみに暮れる中、一人の少女が立ち上がる。
誰も気に留めないその行動を、その危険性を、側に居た香音だけが肌で感じていた。

「里保ちゃん!!」

香音の叫びと里保が飛び出すのは、ほぼ同時。
否。誰も、里保が動き出すのを捉える事ができない。

72名無しリゾナント:2015/08/03(月) 13:42:52
その凄まじい殺気に「金鴉」が気づいたのは、すでに至近まで接近を許した後のこと。
雨粒を弾き切り裂く軌跡に、身の毛がよだつ。

「てめえ!!」

反射的に右手を「硬化」させ防御に出る「金鴉」だが。
里保の姿は目の前にはなかった。

「何処を見ている?」
「はぁ?!」

咄嗟に天を仰いだ。視界に飛び込む、黒い影。
里保の両手持ちで構えた刀が今にも、「金鴉」を一刀両断しようと振り下ろされる。
手首を交差させ迎え撃つも、刃先はがちりと硬化した皮膚にめり込んだ。

「ぎっ!!」

里保を跳ね返すも、硬化したはずの肉体に刃が打ち込まれた。
激しい痛み、そして出血。だが「金鴉」を青ざめさせているのは紛れもなく、目の前にいる
得体の知れない存在。

激しい雨に濡れ、里保は刀をだらりと下げて立っている。
その瞳は、赤く染まる不吉な月のような。濡れそぼった長い髪もまた、毛先からじわりと赤
が滲んでいた。

「なんだ、なんなんだよ」
「……」

斬られた箇所を蟲の力で修復しつつも、「金鴉」は里保に苛立ちを隠さない。
先ほどの急襲が、まったく知覚できない。そんなことは、彼女が能力者として生を受けてか
らただの一度もなかった。先ほどまでの里保とは、まるで違う。
手首への一撃も、もう少し反応が遅れていたら恐らく切り落とされていただろう。

73名無しリゾナント:2015/08/03(月) 13:44:05
対して、里保は。
表情を崩すことなく、ただ視線を向けている。そこには感情というものが見て取れない。
眼球をただ標的に向けて照準を合わせているだけのようにも、思える。

「なんなんだよてめえは!!!!」

初めてと言ってもいい、生命の危機。
恐怖はそのまま憤怒へと繋がる。「滅びの力」「蟲の力」そして「肉体硬化」をフル動員
させて、目の前の相手を叩き潰すべく攻勢に移った。

が。当たらない。
さゆみの時もそうであったが。いや、それとは比較にならない。
本気を出せば当たるかもしれない。そんな気すら起こり得ない。拳を振りぬこうが、蹴り
を浴びせようが、まるで手応えがないのだ。

ぬるり、ぬるりと猛攻をかわしている里保には。
色というものが、まるでなかった。
無表情のまま双眸だけをこちらに向けている様は、まるで機械仕掛けの人形だ。

「ふっざけんなぁ!!」

「金鴉」の使役する、黒い羽虫たちが一斉に里保に襲い掛かる。
たかられたら最後、骨すらしゃぶり尽くされる。しかし、彼らは里保に辿り着く前に。
悉く、斬り伏せられていた。雨に紛れ、細切れにされた虫たちがぱらぱらと空を舞う。そ
の隙間を、「金鴉」が突いた。

目晦まし。
最初からそのつもりだった。いかに動きが速かろうと、一度捕まえてしまえばこちらのもの。
膂力でそのか細い首をへし折るのもいいが、道重さゆみの「滅びの力」で朽ちさせるほう
が皮肉が利いているだろう。
描いたイメージを実行に移すべく、死滅の力を漲らせた豪腕が唸った。

74名無しリゾナント:2015/08/03(月) 13:45:14
「遅い」

「金鴉」が鷲掴みにしたのは、ただの空気。
里保は、虚ろな顔をして背後に立っていた。降り注ぐ雨から作った水の刀が四本。それぞ
れが、「金鴉」の四肢を貫く。そして、四肢の交差点を結ぶ中央に、銀の刃は突き立てら
れていた。
何をされたかすら理解できない。そんな不可解な顔をしている「金鴉」とは対照的に。表
情を変えることもなく里保は、刺さった刀をゆっくりと、抜く。
同時に噴出する鮮血が、水溜りに混じり不吉な模様を描きはじめていた。

崩れ落ちる体が跳ね上げる、水しぶき。
後ろを振り返ることもなく、里保は後方にいた「煙鏡」に目を移す。

こんなにあっけなく、「金鴉」がやられるなんて。
信じられない。いや、それ以前に。
こんな話は、紺野からは聞いていない。
仕入れたリゾナンターたちのデータには、鞘師里保がこのような力を持っているなどとい
う記述はなかった。今回の戦闘で偶発的に発生した、イレギュラーな事態なのか。それとも。

「…次は、お前だ」
「はっ!く、来るなや!!」

赤眼の剣士の矛先が自分に向いたことを知り、慌てる「煙鏡」。
直感で、理解していた。今の里保に、「鉄壁」は通用しないということを。

「のんはまだ…まだやられてねえぞ!!」

背後から「金鴉」が里保に掴みかかる。
そんな奇襲はお見通しとばかりに体を半身ほどずらした里保は、最短のステップで逆に
「金鴉」の後ろに回りこみ、手にした刀で「金鴉」の首を貫き通す。

75名無しリゾナント:2015/08/03(月) 13:46:34
「がっ…がはっ!!」
「蟲の生命力で擬似的に不死になってるのか」

そして、そのあどけない顔からは想像もつかない力技で、強引に「金鴉」の体を引き倒し
て石畳に刀の切っ先を突き立てた。四肢に刺さっていた水の刀も同様に、地に抉りこまれ
る。さながら、磔のように。

そして地に縫い付けられ身動きの取れなくなった「金鴉」に跨った里保は。
腹の中央に刺していた刀を抜き、そして。深々と、突き刺す。
一度ではない。二度、三度。体を貫くたびに噴き出す血が、里保の横顔を朱く染めてゆく。
肌も、瞳も、髪も。すべて。

「さ…鞘師さん…?」
「あれは一体、鞘師さんが、鞘師さんが鞘師さんじゃないみたい…」

獣の咆哮にも似た絶叫が何度も木霊する。
今までに見せた事のない無慈悲な立ち振る舞い。
亜佑美が、遥が、恐れおののいていた。血のように赤い目、そして同様の赤に染められて
ゆく黒髪。その姿を見ているだけで、自分の魂に無限の剣先が突きつけられているような
感覚に囚われてしまう。

汗が止まらない。喉が、酷く渇く。
降りしきる雨に晒されているはずなのに、狂気に満ちた熱と、相反するような背筋の寒さ
が各々の心にこびり付いていた。

それは、彼女たちよりも長く里保に接している聖、衣梨奈、香音も同じこと。
里保が、まるで里保ではない。口下手で、不器用で、でもいざ戦いに赴く際には最も頼り
になる少女。よく知っているはずの「鞘師里保」は、そこにはいなかった。

76名無しリゾナント:2015/08/03(月) 13:47:49
「てめ…え…ぜったいに…ゆる、さねえ…」
「まだ、死なないか」

顔を染める血を拭う事すらせずに、冷たく「金鴉」を見下ろす里保。
刀から手を離したかと思うと、荒ぶる天に向かってその手を掲げ、降り注ぐ水を巻き取り。
息も絶え絶えな「金鴉」の顔面に叩き込んだ。

「がぼっ!!」

顔面に思い切り鉄球を打ち込まれたような、衝撃。
いや、それは次に訪れる悲劇からすれば些細なこと。
張り付いた水が「金鴉」の顔を覆い尽くし、決して離れない。掻いても掻いても、指は水
を通り抜けてしまう。
待っている結末は、窒息。死。

「宿主が死ねば、お前の体で蠢く汚らしい蟲も死ぬだろう」

呟くようにそんなことを口にする里保を、「金鴉」は死のヴェール越しに睨み付ける。
瞳に焼き付けられる、果てしない憎悪と、そして恐怖。

「こんなの、こんなの里保ちゃんじゃない!!」

聖は、否定する。受け入れられない。
確かに相手は、敵だ。自分達を陥れ、そのためにリヒトラウムに遊びに来ていた多くの人
々を犠牲にした憎むべき相手だ。でも。

彼女を止めるべきか。
幸い、後方の「煙鏡」は自分が戦禍に巻き込まれたくないのか、強張った顔をして遠巻き
に様子を窺っている。割って入るなら今しかない。

77名無しリゾナント:2015/08/03(月) 13:49:00
それでも、誰一人、動かない。
いや、動けない。頭ではわかっている。わかっているはずなのに。
理屈ではない。生物としての、本能。今あの場に行けば、命を失う。
里保がそんなことを、自分達に刃を向けるはずが無い。信じている、はずなのに。

「衣梨が行く」
「えりちゃん!!」

前に踏み出す衣梨奈を、間髪いれずに香音が制止する。
衣梨奈の表情に、悲愴な決意にいち早く気づいていたからだ。

「『精神破壊』は使っちゃダメだ!!」
「邪魔せんで!里保を、里保を止められるんは、衣梨しかおらん!!」

かつて里保が精神操作能力者の手に落ちた時に彼女の窮地を救ったのは、他ならぬ衣梨奈。
最大の出力で「精神破壊」を使った結果、里保を傷つけることなく相手を撃退することに成
功していたのだが。

「今の鞘師さんに、生田さんの『精神破壊』は危険すぎます」
「どうして!!」
「狂気で、狂気を鎮める事はできないからです」

あの時里保が現実の世界に戻ってきたのは、衣梨奈の奔流のような能力と里保の強靭な意思
がうまく噛み合ったから。でも、今は違う。最悪、二人とも失ってしまう。
春菜が私情を捨て、冷静に判断した結果の結論だった。

「じゃあ、どうしたらいいと!このままやったら、里保が…!!」

里保は。
いや、返り血に染まった剣鬼は。
ずたずたに切り刻まれた「金鴉」の上に跨り、刺突の構えで切っ先を心臓に向けていた。

78名無しリゾナント:2015/08/03(月) 13:49:35
静かに、それでいて力強く。
落とされる刃に、眼下の相手が最後の悪あがきを仕掛ける。

まっすぐに突き出さようとしている掌。
問題ない。掌ごと、貫き刺すだけだ。
そんな時。聞こえるはずのない声が、里保の脳裏に甦る。

― やめて りほりほ!! ―

「………みっ、しげ、さん?」

里保の呟きと、振り降ろした刀が砕け散るのは、ほぼ同時。
全身に刻まれた赤の憎悪。それが、波が引くように消えてゆく。
ただそれは、彼女自身の限界をも意味していた。
意識が、消えてゆく。まるで血に染まった負の力が退くのに巻き込まれるように。

膝から崩れ、そして地に伏す里保。
雨はいつの間にか、止んでいた。

79名無しリゾナント:2015/08/03(月) 13:50:08
>>70-78
更新終了

80名無しリゾナント:2015/08/05(水) 00:38:26
パイプ椅子が二脚とスチール製の机、その上に置かれた机上灯
鼻をつく黴の酸いた匂いとタバコのくぐもった臭いで思わず鼻がまがりそうになる
おあえつらえ程度に作られた小さな窓にはセンスの悪い艶やかな色のカーテン

「・・・どういうことですか?」
「なにがだ?」
目の前に座っている人物に小田は問いた
「・・・こんな話はお聞きしておりませんが」
「確かにこの部屋はきれいとは言えない。いや、汚いな、その点は認めるし、謝ろう
 しかし十分にこちらとしては丁寧にもてなしているつもりだ。贅沢なものだ。
 時間はいっぱいあるんだ。のどが渇いたろう?お茶だ」
そういって腰をあげ、部屋の片隅に置かれた冷蔵庫から琥珀色の液体の入ったガラス瓶を取り出す
「・・・へんなものではないですよね」
「失礼だな。ただの日本茶だ。自白剤とか混ぜてなどいないから安心してくれ」
自分で言ったことが面白い、とでもいうように口元を綻ばせてみせた

「あらためて問うが、小田さくら、ダークネスが一から開発に成功した能力者だな」
「・・・その言い方は好きではありませんが、真実です」
瞳に暗い光が一瞬灯ったが、相手は気づかなかったのか小田は判断できなかった
「能力は『時間跳躍』、5秒程度の時間を自分だけが動けるようになる。その間、君以外は時間が止まったことを認識できない」
人気のアニメキャラクターが表紙を飾るメモに書かれたのであろう『報告』を読みあげながる
「・・・ええ、ただ、その間の出来事は消えるわけではないので、銃弾は認識されない5秒の間でも5秒分の距離を動きます」
「なるほど」

テープレコーダーのアナログな音が会話の空間を埋める
「素朴な疑問だが、その5秒の間、君にとって時間はゆっくりと進むのか?
 それともわれわれが感じる5秒、そのものの長さなのか?」
「・・・5秒は5秒です」
そういって小田はパン、パン、パン、パン、パンと5回手をたたいた
「・・・このくらいの時間と感じてください。その間に超速度で移動できる、とかそんなことはありません」
「認識できない時間になんでもできる、というわけでもなさそうだな」

81名無しリゾナント:2015/08/05(水) 00:39:10
「・・・その通りです。自分だけの時間を作る以外はたいしたことはできません
 ・・・超高速で動くにはまた別の力が必要ですね。それこそ別の能力、ですかね」
「随分と自分を過小評価しているものだな」
「・・・過大評価するどこかの誰か、よりは優れている、とだけお答えしましょう」
「それは、私も知っている人のことか?」
「・・・ご想像の内に」
無表情という表情を浮かべた

突然隣部屋から悲鳴があがった
「ぎゃああああああああ」
その声に小田は聞き覚えがあり、壁際に駆け寄り、耳を当てた。何か漏れてくる音がないのか
「・・・石田さんですか」
「そのとおりだ」
「・・・何をしているんですか?」
「さあ??私にも詳しくはわからない。ただ、はっきりしているのは、相棒があの子をとても気に入ったことだけだ
 ちなみに彼女は君と違い、私達のもてなしを十分に喜んでくれたぞ」

「いやあああああああ、もふもふしてるううううう」
なおも続く石田の叫びで小田は壁から離れ、椅子に座りなおした

「・・・しかし、心配ではないのか?」
女は覗き込むように机に肘をたて、小田に声をかけた
「・・・何がですか?」
「隣にいるのは仲間だろ?私の目には君の表情が変わっていないように見えるが」
「・・・あの人なら大丈夫ですよ。自分でなんとかするでしょうし。
 ・・・大声をあげる、ということは元気に生きている証に他なりません
 ・・・それに、あなたがたがそんな乱暴をするはずもないですし
 ・・・あと、たまには痛い目に合えばいい。調子にのってばかりでしたから。」
「ハハハ・・・君はやはり面白いな」
女につられて、小田も笑う

82名無しリゾナント:2015/08/05(水) 00:39:45
小田のその表情を見て、女は真顔に戻った。一挙一動を逃さまいとする緊張感が再び部屋に満ちた
「ほう、ずいぶんいい笑顔だ」
「・・・どういう意味ですか?」
「いや、われわれの得た情報では、君は初め『笑う』という感情を持っていなかったと聴いていたからだ
 眉ひとつ動かさずに地下の組織を潰した、という報告もある
リゾナントでどういう経験をしたのかは知らないが、いい笑顔だ」
「・・・ほめ言葉として受け止めておきます」
「何も純粋な褒め言葉だ、それ以外の深い意味なんてない。笑うことはいいことだ。健康にも精神にも」

小田が女の常にあがった口角に目を注ぐ一方で、笑顔の女は手元に広げた別の資料にも手を伸ばした
「小田 さくら。誕生日、不明。血液型 不明。出生地 不明。まったく作る価値の乏しい資料だと思わないか」
「・・・そうですね。ただ何も無い、私は『無』から生まれた、と答えれば満足でしょうか?」
「満足はしないな。名前しかないなんて悲しすぎる」
小田は首を振った
「・・・ダークネスで教育された時には名前すらなかったですよ」
無言で女は資料を小田に手渡した。その資料に目を配り、沸々と怒りが込み上げてきたのか指先に力がはいる。

「ダークネスはコードネームを好むのか、わからないが、名前をつけたがる。万国共通だ
 私が把握しているのはGやAなんていうcodeもあるが、君のものはまた特殊だな」
「・・・いや、これはコードネームなんかじゃない」
憎しみで歯軋りを始め、爪が指に食い込むほどに拳を握りこむ
「・・・これはただの識別番号、ただの番号、私を人間ではなく、ただの兵器として存在させるだけのものだ」
資料を両手で細切れになるまで破き、破き、破き、地面に叩きつけた
いつの間にか立ち上がり興奮のためか肩を大きく上下させる小田を女は椅子に座ったまま見上げる

「水でものんで落ち着くがいい」
コップを差し出し、一気に飲み干した
「ただの水だが心を落ち着かせるには十分だろう。さあ、話の続きをしようか」
「・・・」

83名無しリゾナント:2015/08/05(水) 00:40:31
しかし小田は何も話そうとしない。沈黙に耐えきれず女が問いかける。
「どうして答えないんだ?何か不満でもあるのか」
「・・・はい。大いに不満があります」
小田は自身の前におかれつづけている、それを指差した
「・・・これはなんですか?」
「?? 何って、それは

 オリジン弁当ダ」

リンリンは満面の笑みで言った
「おいしいぞ。日本の誇る味だ」
「・・・いや、結構です」
「なんでダ?確かに刃千吏の経済事情でこんな古い日本支部の一軒家に連れてきてしまったことは申し訳ナイ
 だが、それ以外は一流のお茶葉に日本の名水、そして、美味しい日本の味だゾ」
カーテンはリンリンの私物だがそのファッションセンスが独特のため、小田には理解できなかったのだ

「・・・そこですよ。リンリンさんは中国出身ですよね」
「モチロンダ」
「・・・じゃあ、なんで中国料理でもてなしてくれないんですか!
 ・・・本場中国の料理を、炒飯を、麻婆豆腐を、そして小籠包を、小籠包を、小籠包・・・」
正直小田はリンリンにつれられてここに来るまでの間、非常に楽しみにしていた
刃千吏の総帥の娘でグルメがもてなしてくれる。期待せずにはいられようか
小田には無理であった。この家に到着するまでに口の中は唾液で満ち溢れていた
それなのに、それなのに
「・・・小籠包がないなんて」
「いや、そんなこといってもリンリンの地元は小籠包有名ではないからナ
 仕方ない、リンリンのオリジンのシュウマイを一個あげるから、機嫌を直して」
そこにぎゃあああとまた石田の声が響く

84名無しリゾナント:2015/08/05(水) 00:41:06
ついに我慢できなくなってリンリンは小田を連れ添い立ち上がり、隣部屋のドアを開けた
「うるさいぞ!ジュン!何しているダ!まだ小田ちゃんへのもてなしが済んでないんだ・・・?」
「・・・石田さん、なにしてるんです」
言葉を失いかけたリンリンともともと大きな眼をさらに広げた小田の目の前には
「あ、小田ちゃん、た、助けて」
「グルルル」
石田はジュンジュンもといパンダに抱きかかえられていた

「・・・ジュンはいったいどうしたんだ?」
興奮気味のジュンジュンに口をあんぐりさせたリンリンがようやく我に返り石田に問いかけた
「え、え〜と、リンリンさんと小田ちゃんがあちらで話されている間に私も弁当を用意されまして。
 それでジュンジュンさんがお茶を用意するといって席をたたれたんです」
じたばたとどうにか逃れようともがきながら答える石田の姿は捕えられた宇宙人の如く滑稽に映る

「それで、もてなしだと聞いていたので先にお弁当を選んだんですね
 ジュンジュンさんが帰られてお茶を出していただいたんですが、『石田ちゃん、そっちはジュンジュンのだ』って」
「・・・まさか石田さん、豪華なお弁当を選んだんではないですよね?」
「そ、そんなことない!ただ私はから揚げが乗っている弁当を選んだだけだ!!」
私は何も悪くないとでも言うように堂々と精一杯胸をはる石田だが、小田はため息をつく
「石田ちゃん、ジュンは肉食ダ。楽しみにしていたんだろう、その唐揚げを」
そうだとでもいうように「ガウッ」と吠えた

「え?パンダって草食ではないんです?」
「パンダだけどジュンジュンダ。肉が大好物だ。あと小柄でダンスが巧い子モ」
「!!」
慌ててまたじたばたと暴れだす石田をみて、小田はにやりとほくそ笑んだ
「・・・よかったですね。石田さん。最近、道重さんからの愛情が足りないってぼやいでいたところでしたからね」
「こらあ、小田ぁ!嘘いうなあぁぁ」
「ジュンジュンさん、石田さん、思う存分愛してほしいって言ってますよ」
それを聞いて俄然気合が入ったのか、道重には負けたくないと思ったのかジュンジュンは大きな体で石田を包み込む
「ぎゃああああああ」

85名無しリゾナント:2015/08/05(水) 00:41:40
それを一人冷静に見ていたリンリンはつぶやいた
「リゾナンターも変わったナ」

「ん〜もういい!自分でなんとかする!」
リンリンも助けてくれないと悟った石田はリオンを出現させた
「おう、青いライオンちゃんダネ」
動物好きなリンリンは目を凛凛と輝かせる
「ジュンジュンさん、怪我させたらごめんなさい」
十分にジュンジュンが自身を解放してくれるように力を抑えてジュンジュンの背中にとびかからせた
そのまま二人は床に倒れこみ、背中越しのジュンジュンを通し、石田にも相当な衝撃が走った
しかしジュンジュンのロックが緩んだ瞬間を逃さず石田は抜けだした

「イテテ。石田ちゃん、少しイタイネ」
パンダから人間に戻ったジュンジュンはリンリンの手を支えにして立ち上がった
「ジュンジュンさんが離してくださらないからです!」
「石田ちゃんがかわいいカラナ」
かわいいといわれて満更でもないが、あれほど長く抱き(かかえ)られたのは初めてであり当然身構える

「ん?ドウシタ?石田ちゃん、遊ぼうヨ」
「や、やめてください。も、もう・・・」
石田の構えをみて、小田が悪いことを考えたときの笑みを浮かべた
「・・・ジュンジュンさん、石田さんはジュンジュンさんと相撲をとりたいようですよ」
「 !! 」
慌てて首をふる石田だが、ジュンジュンはそうなのか、といって構えに入っていた
「うわわわわ、リ、リオーン」

ジュンジュンとリオンの立ち合いは大きな衝撃波を生み出した
空気が弾けたようにびりびりと窓ガラスが震え、リンリンの結いたポニーテールが揺れた
「すごいネ、石田ちゃん。ジュンに正面からぶつかるだけのパワーがある
 そして昼間の戦闘で魅せた機動力。実に頼もしいネ。そうは見えないが、度胸もアル」

86名無しリゾナント:2015/08/05(水) 00:42:17
それに同意するように小田は頷く。しかし、とリンリンは言葉を選びながら続けた
「小田ちゃんも気づいているんではナイカ?石田ちゃんの最大の弱点を」
「・・・弱点?」
小田は挙げることができなかった。石田はリゾナンターにしては珍しくバランスの取れたタイプと評価していたからだ
「そう、石田ちゃんは小田ちゃんが気づいているように突出した『何か』がない、そして何かが残念ダ」
当然気づいていると思いこんだリンリンは石田には聞こえないよう配慮しながらも断言した
「正確に言うならば、あと一歩、その一歩分の何かがタリナイ。すべてが平均以上ダガ、100点がナイ
 石田ちゃんらしさ、といってしまえばいいのかもしれないガ、実に残念ダ」
そう言っている間にジュンジュンに石田は再び抱え込められてしまっていた

「・・・残念ですか。それこそが石田さんの良さと私は思いますがね」
「それもまた真ナリ。長所は短所、短所こそが長所であるからナ」
じゃれるジュンジュンと必死になって逃げ惑う石田をみて小田は思う
(・・・それなら私の弱点はなんだろうか?時間を止め、自分だけが動ける空間を作る能力)

そうやって悩む小田を見てリンリンは細かく破り捨てられた小田の『番号』のことを思い出していた
(こうやって悩むなんて、リゾナンターに出会えてよかったナ
 誕生日もリゾナンターに出会ったあの日にしたそうだしナ
 君にはすでにいい名前が付いているから前を向けるだろう?)

「コラ、ジュンジュン、いい加減石田ちゃんと遊ぶのやめなさい!
今度はリンリンが石田ちゃんと遊ぶ番ダカラ!!」
そういいながらジュンジュンに駆け寄るリンリンのブーツから紙切れがふわりと舞い上がった
それは小田がびりびりに破った資料の一片

風になびかれて右に左に流れる紙切れ
何が記載されていたのか今は判断できないが、紙の中央にはたった一つの文字
それは終わりでもあり、始まりでもある、唯一の数字
破かれる前の資料にはこう記載されていた
『被験体名 小田 さくら(仮) : password is 0 』

87名無しリゾナント:2015/08/05(水) 00:49:51
>>
『Vanish!Ⅲ 〜password is 0〜』(11)です
久々。おひさ〜。なんてねw
はっきりいって保管庫がなくなっても俺はモチベ変わらんよ。書くときに書き、落とせたら落とすだけ。
作者は作者の役割果たすだけでいいんじゃない?
この回は「からあげ弁当たべて怒られるだーいし」と「小籠包な小田ちゃん」をかきたかったから満足♪
タイトルの意味も半分示せたので、次回からは展開しますよ。

ここまで代理お願いします。

まー修行は2日後!!

↑これは代理しないで、ここを見た人だけの特権。

88名無しリゾナント:2015/08/05(水) 06:33:40
転載行ってきます

89名無しリゾナント:2015/08/05(水) 06:54:35
転載完了
例の部分はカットでw楽しみに待ってます

90名無しリゾナント:2015/08/22(土) 07:24:19
>>70-78 の続きです



目を疑うような光景が、広がっていた。

非の打ち所の無い勝利のはずだった。
事実、自分たちはあの恐ろしい悪魔を無力化することに成功した。
そう、思っていた。

「天使の檻」襲撃チームのアタッカー部隊である「ベリーズ」「キュート」の波状攻撃に、なす
術もなく崩れ落ちた「黒翼の悪魔」。そして、ついに「ベリーズ」の展開した特殊空間陣によ
って闇の彼方に沈められた。
一度取り込んだら、決して逃がさない。
「七房陣」の恐ろしさは、苦楽を共にした「キュート」のメンバーなら全員知っていた。それな
のに。

あの悪魔は、いとも簡単にそれを破ってみせた。
全身を切り刻まれ満身創痍だったあの女を飲み込んだ異空間、それが弾けるように破壊し
尽され、地に伏した「ベリーズ」のメンバーの中心に「黒翼の悪魔」は立っていたのだ。

91名無しリゾナント:2015/08/22(土) 07:26:35
「いやあ、意外と時間がかかったねえ」

能登有沙の能力によって封じられたはずの、「黒血」。
しかし、悪魔は全身から漆黒の血液を流しつつも、その背中にはまごう事なき黒翼がはためいて
いた。

「ベリーズ」のキャプテンである佐紀が、地に伏せつつ信じられないものを見るような顔つきで
悪魔を見上げる。
いや、彼女だけではない。その場にいる全員が、不可解と恐怖の入り混じった視線をそこへ向け
ていた。

「そんな…うちらの『七房陣』、ううん、『八房陣』は完璧だったはず…なのに」

茉麻の悔恨に満ちた言葉が、むなしく響き渡る。
田中れいなに「七房陣」を破られてから。
「ベリーズ」のメンバーたちは自分たちの力を磨き、技はさらなる進化を遂げた。
その名は、今は亡き友のために。七つの力に、忘れないと心に誓った少女の名を添えて。「七房
陣」は「八房陣」へと生まれ変わった。

だが、蓋を開けてみれば、強固なはずの陣はあっさりと破られてしまった。

「まあ確かに厄介な陣だったけどね。けど、『キッズ』総出で甚振ってくれたおかげで、『悪い
血』が早く流れ出きったから。ある意味、助かったよ」

黒血とは、微小なナノマシン群によって構成される特殊な血液。
とは言え、血液を作り出すシステム自体は普通の人間と変わらない。能登の能力は、「現存する
」血液の力は完全に封じることができた。だが、彼女の死後「新たに作り出された」血液には効
果は及ばない。
そして外界から遮断された空間は、汚染された血を洗い流し、新たな血液を生み出すには格好の
場所となったのだ。

92名無しリゾナント:2015/08/22(土) 07:27:57
まさに皮肉な、結末。
苦悶と、無念の表情で次々と頭を垂れてゆく「ベリーズ」メンバーたち。

「あんたたちがごとーを隔離してくれなかったら、やばかったかもね」
「ま、舞波…」

最後まで踏みとどまっていた桃子も、ついに旧友の名を口にしつつ意識を失ってしまった。

「みんなを助けるよ!!」

リーダーの舞美の声が、一際大きく響く。
その声の力強さに我に返った「キュート」のメンバーが、瀕死のはずの敵目掛けて駆け出した。
「ベリーズ」が瓦解した理由はわからない。けれど、先ほどまでの優勢がそう簡単に覆るわけが。
しかしその侮りは、意外なものたちによって覆された。

「どういうつもり?」

打ち放たれた千聖の念導弾。
それを「黒翼の悪魔」に届く前に無効化した相手に向かって、舞が問う。
赤と黒のコントラスト。黒目がちな瞳が、嬉しそうに細くなった。

「どういうつもりも何も。最初からこうするつもりだったんですよ?」
「あんたたち、まさか」
「そのまさかだよっ!!」

赤と黒の影が、早貴を襲う。
咄嗟に回避行動に出たものの、その鋭い爪は早貴の二の腕あたりを掠めていた。
先ほどの少女と同じような赤い帽子を被った、猿に似た少女が血に染まった爪を見てほくそ笑む。

93名無しリゾナント:2015/08/22(土) 07:30:21
「なるほどねえ。『ジュースジュース』は、ダークネスのスパイだった、と」

愛理が、いつものとぼけた口調で事実を確認する。
敵であるはずの「黒翼の悪魔」に従うその様子。操られているようにはとても見えない。

「ええ。潜入は楽でしたよ」

「黒翼の悪魔」を守るように、立ち塞がる四人の少女たち。
彼女たちの中での一番の年長者が、こともなげにそんなことを言った。

「さて。私たちの任務は二つ。ひとつは、警察機構の対能力者部隊に潜入すること。そしてもうひ
とつが…」
「ちょっとうえむー、何やってんの!!」

猿顔の少女が、慌てたようにその名を呼ぶ。
そうだ。確か「ジュース」は五人組の構成だったはず。ではあと一人は。

「ああああっ!!!!!!」

すらっとした長髪の少女が、嬉しそうに誰かを抱きしめている。
いや、違う。強靭な両腕は、がっちりと相手を捕らえて離さない。足が地面に届かないのか、もが
くようにばたつかせている。
抱きしめられていた小柄な女が、潰された声を上げていた。

「佐紀!?」

顔を青白くさせ悶絶しているのは、「ベリーズ」のキャプテン清水佐紀。このままでは彼女の命が
危ないのは明白だった。
泡を吹き、血さえ流しているのを見た舞美が助けに入ろうと、ベアハックを極めている少女へ突進
したその時だ。

94名無しリゾナント:2015/08/22(土) 07:38:23
足元に突き出た、黒鉄の牙。
気づくのがわずかでも遅かったら、貫き刺されていた。

「ダメだよー。後輩の邪魔しちゃ」
「くっ!!」

ふわりと微笑む「悪魔」、舞美は彼女を睨み付けることしかできない。
「ジュース」のメンバーたちは、全てを切り裂く鋼翼に守られていた。

歯軋りをするような思い。
今の舞美を支配している感情だった。
目の前の、美しすぎるほどの金髪と正式に対面したのは、ダークネスの幹部からリゾナンターの殲
滅を拝命した時のこと。
あの時は、圧倒的な実力差に何もできずに異空間に送り込まれた。
当時より強くなったと思えるくらいの研鑽を重ねてきた。はずなのに、突付けられたのは無力な自
分という現実。
このままでは、呑み込まれてしまう。

一方。佐紀を甚振るのに飽きた少女は、今度は傍らに倒れていた雅に目をつける。
佐紀を投げ捨てると雅を抱え上げ、そのままぐるぐると回し始めた。

「あははは、楽しーい」
「もう、うえむー!遊んでないでこっち来て!!」
「えー、めっちゃ楽しいよこれ」
「いいから早く!」
「はーい」

キーキー喚く少女に辟易したのか観念したのか。
遠心力で雅を打ち捨て、四人のもとへ走る少女。ここに、五人の赤と黒が揃う。

95名無しリゾナント:2015/08/22(土) 07:42:01
「申し遅れました。私たちは『ジャッジメント』。空位になった粛清人の、新たな継承者です」
「粛清…」

リーダーらしきその女性は、はっきりそう言った。
最初に顔を合わせた時のままの、困り顔。けれど、今ははっきりと見える。困惑した表情の奥に潜
む、黒い感情が。
そして、「粛清人」。
そのキーワードは一度でも闇の側に身を置いた人間なら、誰もが震え上がるほどの響きを持っていた。
しかし「黒の粛清」「赤の粛清」の後継が、彼女たちだとは。

「『セルシウス』『スコアズビー』…いや、今は『キュート』に『ベリーズ』か」
「組織が命により、あなたたちを粛清します」
「暴れちゃうよー」
「というわけで。覚悟!!」

若き粛清者たちが、一斉に襲い掛かる。
相手は5人、対するこちらも5人。まともなら、各個撃破も可能だろうが。

「悪いけどさぁ。今は、待ってる暇はないんだよね」

再び舞美たちを狙う、黒き槍。
「黒翼の悪魔」も加えたこの軍勢、攻撃を凌ぐのが精一杯。
いや、負傷している「ベリーズ」の面々のことも考えるとこちらの不利は明白だ。

ふと、目の前の景色が揺れる。
まだ攻撃は受けていないはずなのに。舞美が周囲を見渡すと、早貴が顔を青ざめさせているのが見えた。

96名無しリゾナント:2015/08/22(土) 07:42:33
「ばっかだなあ。『毒のジャッジメント』はもう始まってるのに」

猿顔の少女が意地悪く微笑む。
咄嗟に舞美が周囲に霧状の水を巻いて希釈を試みるも、最初の一撃で毒を受けていた早貴には効果が薄い。

「リーダー、ごめん…」

早貴の苦し紛れの言葉と、その傍らで舞が「ジャッジメント」の一人に吹き飛ばされるのは、ほぼ同時。
拳を薄紅色の結晶状の何かで固めた女が、薄ら笑いを浮かべていた。

「なんかむかついてきたぞー」
「むかついてるのはこっちのほうなんだよ!!」

やる気満々の女に向け、千聖が念動弾の構えを取る。が、肝心の弾は一向に発射されない。

「あれ?何だこれ、ちくしょう!体が、動かな…」

自らの体の異変に戸惑う千聖に、先ほどまで佐紀や雅を蹂躙していた少女が急襲した。
強烈な拳を腹に受け、声すら出すことなく倒れてしまう。ここまで、あっという間の出来事。

「いやいやいや…こりゃ全滅かな」

「黒翼の悪魔」と「ジャッジメント」たちを遠くで見ているのは、吉川友と真野恵里菜。
彼女たちは既に、戦況の敗色が濃厚と見ていた。しかし、どことなく他人事な様子の真意とは。

97名無しリゾナント:2015/08/22(土) 07:43:29
「まのちゃんどうする?」
「どうするも何も。うちらだけで何とかできるわけないじゃん。さぁやものっちもみんな死んじゃったし」
「だよねえ」

つんくの仕掛けた、総力戦ではあるが。
ここで総員玉砕することに、何の意味も無いのは確かだった。
育成中の後輩能力者たちがいる限り、対能力者部隊自体がなくなることはない。あわよくば、実力者の生き
残りということで今より待遇が良くなる可能性すらある。

恵里菜の判断に頷く友。
瞬間、激しい閃光が二人を襲う。
敵の攻撃か。しかし、目が眩んだ隙に何かを仕掛けるわけでもなさそうだ。
光が退いた後に彼女たちが目にしたのは。

天使。

純白の羽根を広げた、人の形をした光。
その存在を「銀翼の天使」と認識するまで、恵里菜と友は棒立ちしたままの姿を晒していた。
恐怖のあまりに体が動かない? それとも目の前の敵を倒すという闘争本能?
その、どちらでもなかった。

雨上がりの空。
雲間から現れる太陽、その光を浴びたいと思う自然な欲求。
恵里菜は。その光の中を覗きたい欲求に駆られる。彼女の能力ならば、それは容易いことだった。
本能は、絶えず警鐘を鳴らしていた。
逃げろ。引き返せ。それでも。

恵里菜は覗き見てしまった。
光の奥にある、闇の深淵を。

98名無しリゾナント:2015/08/22(土) 07:45:07
「ぅあああああぁあああぁ!!!!!」

白目を向き、引きつったように体を仰け反らせ昏倒する心の読み手。
深淵の闇に何を見たのか。髪は一瞬にして白くなり、顔は干からびたように枯れていた。
彼女の心はもう、息をしていなかった。
天使は。空ろな表情で、その様子を見ている。

「ちょ、だ、だれか…」

想像を絶する出来事に、思わず腰が砕けてしまう友。
宙を彷徨っていた天使の視線が、動いた。動くものに反応する、形あるものを虚無の彼方へ送るだけの目。

「あーあ、やっぱこうなっちゃうんだ。つんくさんも大したことないねえ」

半ば失神しかけていた友の前に降り立つ、黒き翼。
彼女がピンチに駆けつけてくれたヒーローでも何でもないことは、見るからに明らかだった。

闇夜のような羽を携え、「黒翼の悪魔」が「銀翼の天使」と向き合う。
こうして対峙するのは、「さくら」を連れて来た時以来だろうか。その時の彼女は心を乱され、溢れる狂気
をこちらに向けている状態だった。しかし今から思えば、その時のほうがまだ人としての佇まいを残してい
たかもしれない。

少なくとも、今のような「人の形をした別の何か」ではなかった。

「せっかく檻から出られるようになったってのにさ。残念だよ」

悪魔は肩と背中の小さな羽を竦め、がっかりした顔をする。
しかしそれも、束の間のこと。

「でも。こうなったらこんこんも許してくれるよね? 全力で殺しにかからないと、ごとーが危ないからさ」

口にする危機感とは裏腹に。
悪魔の顔は、歓喜に満ち溢れていた。

99名無しリゾナント:2015/08/22(土) 07:46:18
>>90-98
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

参考資料
https://www.youtube.com/watch?v=u2m04De8bSk

100名無しリゾナント:2015/08/22(土) 14:44:45
本スレ
>>520-524の続きです。

101名無しリゾナント:2015/08/22(土) 14:47:14

今度は、春水の身体が勝手に動き出す
右手が左手首に延びる

「え、え? どういうこっちゃ? てか、コレなんか関係あるん?」
「あるはずさ」

外したのは、静電気防止のリストバンド
それに
春水が愛用してる黄色の腕時計

「両方預かる」

春水の意思と関係なく、傀儡師にリストバンドと腕時計を渡してしまう
まるで操り人形みたいに

「なるほど……〝傀儡師〟っちゅうんは、そう言う事やったんか。てか、それ返せや!」
「力尽くで取り替えすんだな。さあ来い。遠慮はいらないぞ」
「言われんでも!」

──油念動力──オイルキネシス

動きを止めてた油が、傀儡師に向かって地面を進んで行く

「コントロールが不安定なのか? ただ地面を這うだけじゃないか」
「やかましいわ! まだ能力者デビューしたてや!」

浮け!
飛べ!
当たれ!
なんでもええから起これ!

102名無しリゾナント:2015/08/22(土) 14:47:54

「うおっ!?」

いきなり春水の足元が動いて倒れそうになる

「なんや!?」

いつの間にか、春水の足元に油が集まって来とった
倒れそうになったんは、これが動いたから?

「何をやっている、能力のスタミナ切れか?……思っていたのと違うな」
「やかましいわ! 勝手に期待しといて勝手に落胆するなっちゅうねん!」

後ろに下がり、傀儡師から離れる
すると、油が春水を追う様に流れて来た

「不安定やけど、なんとなくわかってきたで。この能力の使い方が!」

多分、春水に近い油が動かしやすいんやろ

油と言ったら滑る
滑ると言うたら

「これしかないやろ!」

──油念動力──オイルキネシス

足元の油に集中してコントロールする
常に地面に油がある様にすれば

「春水は誰よりも自由に動けるんやで!」

103名無しリゾナント:2015/08/22(土) 14:48:51

交互に両脚で地面の油を蹴って進む

「得意のフィギュアスケートか。急に人が変わったな」

傀儡師の周りを移動しながら加速する
充分なスピードが出た所で

「これでも喰らい!」

回転しながらジャンプ
そして、足元から油を撒き散らす

「うわ!」

撒き散らされた油は辺りに飛び、もちろん傀儡師にも掛かった

「……これだけか?」
「必殺! オイル・ダブルトゥループや!」

ドヤァ!

「……これを頼む」
「オッケー」

傀儡師が変身女子(略)にタブレットを渡す
そして、壊れた一斗缶を拾った

「オラァッ!」

ガコーンッ!

104名無しリゾナント:2015/08/22(土) 14:51:52
>>101-103

多忙を言い訳に、半スレ振りの投下です。
爻さんみたいになりたいです。

105名無しリゾナント:2015/08/22(土) 14:55:06
>>104

また忘却しました。
代理お願い致します。

106名無しリゾナント:2015/08/22(土) 20:48:09
転載行ってきます

107名無しリゾナント:2015/08/23(日) 22:51:30
本スレ
>>962-964の続きです。

108名無しリゾナント:2015/08/23(日) 22:55:24

傀儡師に蹴られた一斗缶が、春水の顔面に向けて猛スピードで飛んで来る

「うおっ!?」

上体を後ろに反らして一斗缶を避けた
つもりやったけど

「掠った! 今ちょっと鼻の先を掠ったで!?」
「遊んでる暇は無いんだよ」

──精神干渉──

春水の腕時計を握る傀儡師
その手には、力が入っていた

「おい! アカンって! それは春水の

バキィッ!

傀儡師の手の中で、腕時計が砕けた

春水の腕時計が、壊れた
よくも
よくも!

──油念動力──オイルキネシス

樹の間から大っきなドラム缶が飛んで来て、傀儡師に向かって行った

「ようやくか」

──精神干渉──ライン・マニピュレート

109名無しリゾナント:2015/08/23(日) 22:55:57

傀儡師の手元から金属製のワイヤーが伸び、ドラム缶に巻き付く
傀儡師に向かっていたドラム缶は、軌道を変えて春水達から離れた場所に落ちた

「まだまだやぁっ!」

──油念動力──オイルキネシス

ドンッ!

ドラム缶から液体が溢れ出す
あれは

「油とちゃうんか?」
「あのドラム缶の中身はガソリン、一応は油だ」

傀儡師がワイヤーをしまい、春水から離れる

確かに臭い
てか、油やったらなんでも操れるんやろか?
いや、細かい事は気にしとれん
とにかく今は

「逃がさへんで!」

溢れたガソリンと一緒に傀儡師に迫る

「……あたしらの結論、教えてやるよ」

110名無しリゾナント:2015/08/23(日) 23:01:45
>>108-109

短いですが。
代理お願い致します。

ちなみに『秋氷』の時点で油念動力と気付いた方はいますか?


>>106
転載ありがとうございます。

111名無しリゾナント:2015/08/24(月) 00:11:28
転載行ってきます

112名無しリゾナント:2015/08/27(木) 22:43:05
前スレ
982-983の続きです。

113名無しリゾナント:2015/08/27(木) 22:45:51

──精神干渉──ライン・マニピュレート

傀儡師のワイヤーが春水の足元に伸びる
春水は寸前で避けて、ワイヤーは足元のガソリンに浸かった

「死にたくなければ全力で後ろに下がれ!」
「はぁ?」

いきなりなんやねん
油断させてワイヤーで脚でも引っ掛けるつもりかいな
そんな手には引っ掛からへんで

傀儡師はワイヤーを手元から離し、ガソリンに浸かって無い端っこを春水に投げる

「おい! 春水はゴミ箱ちゃうで!」

投げられたワイヤーが春水の脚に触れる
その瞬間

バチッ

火花が飛んだ
そして

ボォッ!

「うわぁっ!」

114名無しリゾナント:2015/08/27(木) 22:46:32

足元に集まっていたガソリンが燃え上がり、春水を包む

これは
この火や
この火が春水を苦しめてるんや!

でも、なんで?
なんで今、火が点いたんや?

熱い
めっちゃ熱い
肌が焼けそうや
春水の自慢の白い肌が、焦げパンみたいになってまう

まあ
いっか
生きとっても、仕方が無い

春水なんか居らん方が、みんな安心してられるやん

そうや
怯えたり脅かしたりせんでも良くなるし

もう
これで
春水の人生
終いや

115名無しリゾナント:2015/08/27(木) 22:53:44
>>113-114
また短いですが。

代理お願い致します。

ちなみに、本作のタイトルは『秋氷』ではありません。
完結したら発表します、と焦らす程の意味合いがあるのかどうか。

用語wikiの更新ありがとうございます。
自作について掲載されて、作者とっても嬉しいです。

>>111
代理ありがとうございます。

116名無しリゾナント:2015/08/27(木) 23:00:34
>>115

大切な事を忘れていました。

クールジャパン道〜殺陣道
鞘師さん・生田さん、殺陣道を極めていました。
尾形さん、滑稽道を極めていました。

自作では、尾形さんをらしく描けているのか、果たして。

117名無しリゾナント:2015/08/28(金) 00:27:33
転載行ってきます

118名無しリゾナント:2015/09/03(木) 20:40:14
本スレ
>>46-47の続きです。

119名無しリゾナント:2015/09/03(木) 20:41:36


──


「協力ありがとう、刹那の考察者さん」
『あの娘をおびき寄せるのにどれだけ掛かっているのよ! コレの為に3時間くらい待ったんだから!』
「仕方ないだろう、物事には段取りがあるんだから。そうカッカするとシワが増えるぞ」
『大きなお世話よ! ……それで、あの娘はどうしたの?』
「気を失った瞬間に転送して脱出させた」
『命に別状は無いのね』
「ああ。しかし、短時間でも爆発の炎に包まれたのなら、多少なりとも火傷が有りそうだが」
『全く無かったの?』
「無傷さ。それどころか、綺麗な真っ白い肌だったな。良いねぇ、若い娘は」
『……きっと自己防衛が働いたのよ。燃焼したガソリンを、自身から遠ざかる様に動かしたんでしょう』
「それなりに使いこなしてる様子だったしな。能力は確定して良いんだよな?」
『油念動力で間違いないでしょう。ただ、油と言っても種類は様々。食用・燃料を問わず干渉が可能だった事も確認出来た』
「キャノーラ油でもガソリンでも動かせていたからな。こちらで用意していた缶の中で、量が少ない〝A〟だけが動かせたのは?」
『一度に干渉出来る量が少ないからでしょうね』
「発火については?」
『これも読み通り、能力自体での発火では無いわ』
「やはりコレか」
『静電気防止のリストバンドね。引火点の低いガソリンが近くにあった、静電気が発生しやすい環境が整っていた。この2点が揃って発火現象が起きた、これが』
「『あたしらの結論』」
『発火に対する恐怖心からか、干渉対象はキャノーラ油に優先される様ね。極限状態であればガソリンへも干渉するみたいだけど』
「まあ、今回の調査としては十分過ぎる結果が得られた。あたしとしては満足だよ」
『帰ったら一杯付き合いなさいよ。おつまみ用意しておくから』
「了解」
「おばちゃんとの話は終わった? のん、油まみれだから早くシャワー浴びたいんだけど」
「帰る前に缶の片付けを忘れるなよ。A〜Dが4セットあるからな」
「また運ぶの!? Dとか満タンじゃん! はぁ……早くシャワー浴びたのに……」
「……さて、彼女は気付いてくれるかな? あたしからのプレゼントに──」

120名無しリゾナント:2015/09/03(木) 20:48:34
>>119
急に書き方が変わっていますが。

代理お願い致します。

トライアングルDVD観ました。
キリ様ー。

>>117
代理ありがとうございます。

121名無しリゾナント:2015/09/04(金) 06:49:18
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122名無しリゾナント:2015/09/11(金) 00:23:09
本スレ
>>145の続きです。

123名無しリゾナント:2015/09/11(金) 00:23:40


──


「……ん、あれ?」

目を覚ますと、樹にもたれ掛かって寝てた

ここ、どこや
森の入り口?

「そうや! あいつらは!?」

慌てて立ち上がり、辺りを見回す
けど、誰もおらん

「逃げたんか? てか、春水はどうやってここまで来たんや?」

生きてんのは良いけど、訳が分からなすぎるわ

ふと、左手首の違和感に気付いた
見ると、黄色い腕時計が付いていた

「春水の腕時計……傀儡師に取られて壊されたはずやのに」

ショックで記憶が曖昧になっとるんか
無事ならそれで良いんやけど

「……帰ろ」

いつまでもこんな所に居ってもしゃーないし

帰っても良い事は無いねんけどな

124名無しリゾナント:2015/09/11(金) 00:25:12

パタン

足を踏み出すと、足に何かが当たった
足元を見ると、タブレット端末があった

「これ、傀儡師のちゃうん? 忘れてったんか?」

タブレットを拾って操作する

「ロック掛かってへん……えらい無用心やな」

ホーム画面には、基本アプリのアイコンしか無い
通話履歴を見てもなんも無くて、さっきのテレビ電話の相手はわからん
撮影した写真や動画が無いか見てみる

「あるやん。撮影日は……去年の11月?」

再生してみる
監視カメラみたいに、高い場所から撮られたらしい映像が流れる

「屋内? 人が米粒みたいに小ちゃいで。えらい広い建物なんやな」

小ちゃい人影をよく見ると、10人の女の子が群がる大人達を蹴散らしているのがわかった
しかも、素手以外にも超能力らしい方法で戦ってる

「あ、ズームした」

再生中の動画がズームされて、戦闘の様子が見やすくなった

超能力者の女の子が10人も集まって戦うって、どんな状況やねん
それに10人の内の1人は、女の子って言うより女性って感じやな

125名無しリゾナント:2015/09/11(金) 00:26:25

「あれ、コッチの娘……」

先陣を切る女の子の能力、春水と同じ?
いや、ちょっと違うっぽい
春水の能力は油らしいけど、この娘は水みたいや

てか

「めっちゃ使いこなしてるやん! ほんで、めっちゃ強い!」

群がる大人達を次々と倒していく

あんなに力強く動かせるなんて、今の春水やったら全然出来へん
それに能力だけやのうて、素手でも強い

「メッチャ凄いで、この娘!」

ウチが嫌ってた超能力
出来るなら使いたく無い超能力

でも
この娘は
自身の能力を
自信を持って使ってるみたい

会いたい

名前も知らない能力者の娘によって
黒ずんでた春水の心が
洗い流される

126名無しリゾナント:2015/09/11(金) 00:27:03

この娘に会いたい
だって

強くて
カッコ良くて
自信を持ってて

そして
何よりも

「メッチャ可愛い!」

127名無しリゾナント:2015/09/11(金) 00:33:42
>>123-126
これにて『春水』完結です。
タイトルにひねりがなくって、ごめんね。

話題に上がった合流編ですが、野中さんと牧野さんの能力が固まらないので未定です。
12期編の未来は、皆様の手の中にあります。

代理お願い致します。

>>121
代理ありがとうございます。

128名無しリゾナント:2015/09/11(金) 01:04:03
転載行ってきます

129名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:29:29
>>90-98 の続きです



物心がついた時から、ずっと一緒だった。
気が付けば彼女の隣に自分がいて、自分の隣に彼女がいた。
キョウメイノウリョクシャのフクサンブツ。それが自分たちの存在。難しいことはよくわからないし、もっと言えばどうでもよか
った。

キョウメイ、の代わりに彼女たちが手に入れたのは両者間に限定されたテレパシーとでも言えばいいのか。
互いの考えていることは、言葉を介さずとも理解することができた。
だから、どこへ行っても、何をしても。互いに似たような行動が増える。
白衣を着た研究者たちは、彼女たちのことを「双子のようで双子じゃない」と評した。
そして彼女たち自身がその言葉を無邪気に捉えていた期間は、あまりにも短かった。

「天才」。
組織の人間たちは彼女たちの片割れを、そう評価しはじめるようになった。
持ち前の器用さ、そして変幻自在の「能力」。何よりも戦場において彼女が用いる「知略」は、組織の上層部に喜ばれた。
その一方で「天才」ではないほうの片割れは、不当に評価を貶められていた。「擬態」能力、確かに便利なものではある
がそれだけ。そんなものはクローン技術でいくらでも量産できる、と。
似たような存在でありながら、あからさまに格差をつけられる。そのことは、彼女の心に次第に翳を刻みはじめた。

130名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:30:50
「天才」の彼女に対する、激しい劣等感。
それが、逆に今の彼女を幹部の地位にまで上り詰めさせた。
ただの擬態ではなく、擬態元の保有能力をもコピーする技術。ともすれば肉体に強烈な負担がかかるのを、極限まで増強した体力・
生命力によってカバーした。そこまでしないと、彼女には勝てない。彼女に似た自分ではなく、オリジナルの自分にはなれない。
どこまでも昏く疾しい黒い感情に飲み込まれてしまう。自分が、崩壊してしまう。だから、そうならないように、生きてきた。

なのに、何故。
焼け付くような赤眼の剣士に、あわや命を奪われるのではというところまで追い込まれた。
まるで役に立たない。これでは、元の「天才」じゃないほうの片割れのままではないか。
冗談ではない。あの暗く黴臭い、一筋の光すら差さぬ昏き思考に飲み込まれてたまるものか。
許さない。絶対に許さない。「天才」に遅れを取るようなことがあってはならない。
それが自らの、唯一の存在証明なのだから。

131名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:31:44


「…っの、野郎!!!!!」

死地から脱した勢いは、そのまま憤怒へと形を変える。
力の抜けた里保の襟首を掴み、宙へと吊し上げる「金鴉」。
この状態の里保なら、今の満身創痍の「金鴉」でも容易く縊り殺せるはず。
だが、程なくして自分が残りのリゾナンターたちに囲まれていることに気づいた。

「鞘師さんを離せ!!」
「里保におかしな真似しようもんなら許さんけんね!!」

亜佑美が獅子と甲冑の二体を降臨させ、衣梨奈もまた得意のピアノ線を靡かせる。
それだけではない。遥が。香音が。さくらが。二人のバックアップに回るように、背後に控えていた。

「ザコのくせにのんを追い詰めたつもりかよ…めんどくさ…まとめてぶっころ」
「ちょい待ち」

里保に与えられた屈辱で頭に血が上る「金鴉」を諌めたのは。
いつの間にか包囲網のすぐ側まで近づいていた「煙鏡」だった。

「あいぼん…邪魔すんじゃねーよ」
「邪魔て。うちはピンチを救いに来たんやけど」
「ピンチ?ふざけんな。のんはピンチでも何でも」
「態勢立て直し。一時撤退や」
「はぁ!?」
「自分…うちらの目的、忘れたん?」
「そんなのこいつらぶっ殺してからでも」
「ええから、下がれや」

有無を言わせぬ「煙鏡」の低い一言。
納得のいかない顔をしていた「金鴉」も、渋々ではあるが従わざるを得なかった。

132名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:32:16
「ま、そういう訳や。そのしじみ顔の確変、楽しかったで?」

逃げる気か。
包囲したリゾナンターたちが「煙鏡」に目を向けたその時だった。

「鉄壁」の発動。
見えない何かが、「金鴉」と「煙鏡」を包むように湧き出てくる。
手出しできないことを知ってか、用意された花道を歩くが如く、悠々と「煙鏡」の元へ歩いてゆく「金鴉」。
それを、衣梨奈たちは指を咥えて見ていることしかできない。

「うちらの真の目的は自分らと遊ぶことやない。道重さゆみもあの世に送ったったし、本来ならもう用なしなんやけど」
「ううっ…」

さゆみの名前が不意に出され、唇を噛む遥。
目の前の相手が、改めて「仇」なのだと思い知らされる。

「『苦情』なら、あとでいくらでも受けつけたる。ほな、”鏡の世界”で待ってるわ」
「鏡の世界?何それ」
「アホか。のんがこいつらと遊んでる間に、見つけたんや。『あれ』をな」
「まじで?さっすがあいぼん、伊達に頭薄くないね」
「おいおいそないに褒めても…って貶しとるやないか、誰が毛なしじゃドアホ!!」

ふざけた会話を繰り広げながら、「煙鏡」と「金鴉」の姿が掻き消える。
おそらくテレポート能力を使ったのだろう。どこに移動したのか、リゾナンターたちには皆目見当はつかない。

133名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:32:56
「あんの野郎…!!」
「それより!!」

今の彼女たちには、仇敵の動向よりも大事なことがあった。
それは、今より少し前。里保の体から赤く禍々しい力が消え失せた時のこと。

彼女たちにも、聞こえたのだ。
里保を制する、さゆみの声が。

「道重さん!!!!」

誰かが、叫んだ。
そして誰かが、走り出す。
雪崩を打つように、全員がさゆみの元へと駆けつけた。

「聖!道重さんは!!」

衣梨奈が、血相を変えて横たわるさゆみの側にいる聖に問う。
努めて感情を抑えようとしている聖だが。

「もう…道重さんの声は聞こえない。さっきみたいに、喋ってもくれない」

重い沈黙。

「けど。生きてる。呼吸も、してる」

こらえ切れず、春菜がうっと声を上げた。
崩れ落ちる亜佑美、またしても顔をくしゃくしゃにする遥。
でも、今度は悲しみの涙ではない。

134名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:33:31
「みにしげさーん!!!ってあれ、やすしさん?」

優樹が、さゆみの横に倒れている里保に気づく。

「り、里保ちゃんは大丈夫…なの?」
「いつの間にか、道重さんの傍らに倒れてて…激しく消耗してるみたいですが、命に別状は無さそうです」

恐る恐る聞く香音に、戸惑いつつも春菜がはっきりと答える。
ただそれは、二人の安否とともにきつい現実を突きつけることになる。
リーダーと、攻撃の要の脱落。
それは、文字通りの意味を超えてメンバーたちに圧し掛かってきた。

途方に暮れかける心を必死に押し留めようとしていた、その時だった。

「みんな!!」
「光井さん!!!!」

そこには息も絶え絶えに、必死の思いで駆けつけた光井愛佳の姿があった。

135名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:34:57


間に合わなかった。
大型遊戯施設に辿り着いた愛佳が、炎に包まれ変わり果てた景色を見て最初に思ったことだった。
そして、倒れているさゆみや里保の姿を見ていよいよそれは確信に変わった。
自分が「視た」未来が少しだけ変わっているのも、さゆみの介在によるもの。ただ、未来の結果は変わったとしても、悲
劇を変えることはできなかった。

だが。
聖たちの話を聞くうちに、愛佳の顔色が別の意味で青ざめる。
愛佳の事務所を訪れた、能力者。記憶は歪められ、焼き付けられた嘘の「予知」はそのままさゆみを誘き寄せる罠と化した。
つまり、自分が相手方にいいように使われた挙句、今目の前に広がる残酷な結末の片棒を担がされたと。

「そ…んな…うちは」

失意と怒りと後悔が、愛佳の体から全ての力を奪い去る。
まるで、寄る辺など何一つなかったあの頃。絶望のあまり、学校帰りの電車のホームから身を投げ出そうとしていたあの頃
の自分に引き戻されてしまうような。そんな思い。

だが、愛佳は持ち直す。
確かに自分は取り返しのつかないことをしてしまった。それはきっといつか償わなければならないことなのだろう。だが、
今はその時ではない。何よりも、今この場にいるメンバーの中で自分が一番の年長者である。後輩たちを動揺させるよう
なことを、してはならないのだ。

「道重さんと鞘師の状況は」
「命には別状ありません。ただ…」
「わかった。二人はうちが病院に連れてく。自分らも…撤退や」

傷つき倒れた二人はもちろん、後輩たちの身の安全も図らなければならない。
相手の素性を知らないとは言え、さゆみにここまでの手傷を負わせたのならば非常に危険な人物であることは愛佳にも容
易に想像がついた。浅からぬ因縁を持つダークネスではあるが、ここは一時撤退するのが望ましい。そう、思っていた。

136名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:35:30
「それは、できません」
「え?」

愛佳は、耳を疑う。
異を唱えた人物。聖は、いつになく力強い口調ではっきりとそう言った。

「ちょい待ちフクちゃん、道重さんが敵わんかった相手やで」
「わかってます。でも、あの人たちをそのままにしておくわけにはいかないんです」
「つまらん意地張ったところで、現実は何も変わらへん。もう一度だけ言うで、撤退や」
「できません」
「譜久村ぁ!!!!」

つい言葉を、荒げてしまう。
きつい怒声に一瞬身を竦める聖だったが、すぐにまっすぐな視線で愛佳を見つめ返した。

「…なあ。自分、こん中で一番の先輩やろ。せやったら、状況を冷静に見てから物言いや」

それでも聖は首を縦に振らない。
この光景を、愛佳はどこかで見たことがある。
それは彼女が「予知」の力を完全に失ってしまってから、間もない頃。

137名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:36:28


「研修」と題し、とある山中にサバイバル合宿を実行するリゾナンターたちに愛佳が帯同することになった。
目的は新しくリゾナンターとなった、四人の少女の適性を見極めるため。
別件の仕事で参加できなかったさゆみを除き、聖夜の惨劇を能力を失うことなく乗り切った年長メンバーが後輩たちを指導する。
リゾナンターは警察組織に引き抜かれた愛に代わり、里沙が指揮を執っていた。

虚ろな天使に徹底的に破壊された、喫茶リゾナント。
小さくも暖かかった居場所をずたずたに引き裂かれたのをきっかけに、意図せずにその要因を作ってしまった里沙と、れいなの
関係は最悪の状態に陥っていた。そんな事情を抱えた二人が、後輩の指導とは言え行動を共にする。
出来事は、その合宿のさ中に発生する。
ただし、火種はれいなと里沙ではなかった。

「聖には…できません」

珍しく声を強く震わせる、一人の少女。
普段はおっとりとしている、そう思われていた聖の、強い反抗だった。
合宿中のミーティングにおいて、話題となった「味方の同士討ち」への対処法。
何らかの能力で操られ、敵の尖兵と化した。吸血鬼となり、見境なく味方を襲い始めた。考え方、思想の違いから最早言葉では
どうすることもできなくなった。そんな時に、どう対応すべきか。

かつてダークネスに籍を置いていた里沙は、時としてかつて味方だった相手だろうと、被害は最小に食い止めるべきだと説いた。
つまりそれは、最悪の場合はかつての仲間を自らの手にかけなければならないということ。
その考えに、聖は真っ向から異を唱えたのだった。

138名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:37:16
「フクちゃん。その優しさは新しい不幸を産むことになるかもしれないよ?」
「それでも…嫌です!みずき、そんなこと絶対に、絶対に!!」

頑なすぎる態度に、里沙が呆れ交じりにため息をついたその時だった。
思わず人物から、喝が飛ぶ。

「ガキさんに、何言うと!?」

聖も、他の三人の少女たちも、里沙も。
そして彼女のことをよく知っている愛佳さえも目を疑った。

「ガキさんは先輩やろ! 先輩の言うこと聞けんかったら、リゾナンターやめり!!!!」

どちらかと言えば、自分に関係ないことに関してはまるで興味を示さないれいなが。
積極的に後輩を叱り、そして冷戦状態だった里沙の肩を持つような発言をした。
そのことにも驚きではあったが、愛佳はれいなが叱り飛ばしているのにも関わらず、自らの意思を曲げていないようにすら見える
聖のほうにより驚きを見せていた。
その芯の強さ、頑固さはある意味これから先頼りになるかもしれない。
ただ、そうでない場合もある。と。

139名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:37:53


あれから数年が過ぎた今。
聖はあの時さながらの、頑なさで愛佳の意見を否定する。
何か策でもあるのか。いや、策があったとしても危険な目に遭わせるわけにはいかない。
どうすれば、彼女を思いとどまらせることができるだろうか。
そう思いかけた時、愛佳の携帯が大きな音を立てる。
画面に現れた文字を見て、その表情がぱっと明るくなった。

「…愛ちゃんや」
「ええっ!!!!!」

愛佳が口にした名前を聞き、全員が驚きの声を上げる。

高橋愛。

リゾナンターを率いていた、かつてのリーダー。最強の、光使い。
彼女たちにとって、愛の存在はまさしく光。
愛佳が携帯に耳を当てるのを、若く、そして儚げな少女たちは固唾を呑んで見守っていた。

140名無しリゾナント:2015/09/15(火) 00:39:02
>>129-139
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

141名無しリゾナント:2015/10/24(土) 00:43:08
「道重さん、ようやく眠られましたね」
「そうだね、鞘師、ありがとう」
高橋は道重に極端に耳のバランスの崩れたうさぎのキャラクター毛布を掛けながら、鞘師に微笑みかけた
「疲れたでしょう?今日、ホント、いろいろあったから」
「・・・そうかもしれないですね
 ダークネスの襲撃、亀井さんとの戦闘、亀井さんがいなくなった真相、そして道重さん
 肉体的にも精神的にも疲れました」
氷水で冷やしたタオルを絞り、道重の額に優しくのせ、高橋は答える
「そうだろうね。さゆも眠り始めたわけやし、鞘師も眠っていいんだよ
 あとはあっしが全て面倒みるから、なんなら鞘師のために子守歌唄ってあげてもいいがし」

冗談に鞘師はぷっとふきだした
「なに言ってるんですか、高橋さん、変なことおっしゃらないでくださいよ」
「そうかな?鞘師が頑張ってくれたから、あっしにできることを考えただけなんだけどな」
「あははは、き、気持ちだけで結構です」
「そんなに面白い?」
「はい、面白いです」
「う〜ん、難しいな」
両腕を組み、高橋は道重の部屋のもかもかのソファーに腰を下ろした

「さゆだったら、こんなときは『え?本当ですか!』なんて言ってすぐ横になったのにな」
「そ、それは道重さんだからですよ。道重さん、高橋さんのこと、大好きでしたから」
「なら、鞘師はあっしのこと、嫌いなの?」
「そんなはずないじゃないですか!高橋さんのこと、大好きですし、尊敬していますよ。ただ道重さんのようにはできません」
高橋がソファをポンポンと叩いた
ここに座りにおいで、のサインだ
もかもかのクッションに隠された高橋が置いていったお古のソファがぎしっと音を立てた

「はい、これ、サイダー。ちょっと炭酸抜けちゃったかもしれないけど」
サイダー瓶をカバンの中から取り出し、鞘師に手渡した

142名無しリゾナント:2015/10/24(土) 00:44:30
「ありがとうございます・・・おいしい」
「よかった」
キュポンっと栓が開けられる音が響いた
「これ、北の国で教えてもらったんよ。リンゴのサイダーなんだよ」
さわやかな甘みが口の中で渦を巻き、酸味が喉の奥を刺激する
「クセになりそうでしょ?」
「そうですね。初めて飲みました」
唇をペロリと舐めて、ラベルに目を向ける

「高橋さんはどちらに行かれてたんですか?」
「ん?あっし?
 色んなところ、暑いところ、寒いところ、高いところ、低いところ、都会、田舎、ジャングルに砂漠、かな」
視線を宙に向けながら指折り数える高橋は思い出話に移らんとしていた
「北の国ではね、親切なおばちゃんがね、あっしのことを」
「なんのために行かれたんですか?」
「へ??」
「何が目的だったんですか?」
鞘師の握る瓶の中に波がたっていた

「高橋さん、私は高橋さんのことを尊敬しています、大好きです、憧れです
 でも、一つだけわからないことがあります。なぜ、私や田中さん、道重さん、新垣さん達を残して一人で旅立ったんですか?
 何も言わないで、『するべきことがある』なんて置手紙だけ残していなくなったあの日を忘れられません
 どれだけ残された私達が不安だったのかわかりますか?
 リゾナンターとして、いや、人間としてあなたから学んでいる途中だった私達の目の前からいなくなった、あなたは
 新垣さんも田中さんも道重さんも光井さんもフクちゃんもえりちゃんも香音ちゃんも残されたんです
 教えてください、高橋さん、するべきことってなんだったんですか?」

真剣なまなざしをむける鞘師に高橋はサイダー瓶をテーブルに置いて答えた
「・・・難しいよ、答えるのが」
「それでもいいです」

143名無しリゾナント:2015/10/24(土) 00:45:20
「そっか、うん、そうだよね。ガキさん・・・しか知らないもんね」
「新垣さんは知ってらしたんですか?」
「さすがにガキさんにはいわなきゃいけない、と思った。だって、あっしの一番の理解者だからね」

新垣は知っていたのに、知らないふりをしていた―その事実を鞘師はどう受けてよいものかわからなかった
(なんのために?どうして自分もしらないふりをしていたんだ?)
誰よりもいなくなった高橋に対し、声を荒げていたのは新垣だった、あの日
その眼に浮かんでいた涙を鞘師は覚えている
涙に浮かぶ感情を鞘師は取り違えていたようだ

「鞘師、私はダークネスからなんて呼ばれているか、知ってるやろ?」
「i914」
蚊の鳴くようなか細い声でつぶやいたのは高橋がその名を忌みていることをしっての配慮
「ダークネスの成功作、i914なんて、あっしのことをあいつらは呼ぶ
 成功作って、あっしが敵対しているのにわざわざ言わなくてもいいのになって思わん?」
「そ、そうですね」
「あいつらはあっしが大切なんだろうって感じるよ、大嫌いな名前で呼ばれれば呼ばれるほど。皮肉だね」
鞘師はどのように反応すればいいのかわからなかった
同情?否定?共感?・・・どれも違う気がした。だからこそ無言になる
「・・・」

「あっしはあっしや。それ以上でもそれ以下でもない。
確かにi914という化け物を内に飼ってるのは事実や。だからってあっしがあっしでない答えにはならんよ
 だけど、それをどうやって確かめる?1+1=2みたいな公式で示せないやろ?」
「それを確かめるために旅に出た?」
「違う」
鞘師は目を丸くした。この話の流れからそうに違いないと思いこんでいたからだ

「自分自身は一人なんて、自分が信じて、周りにいる友が信じてくれればそれでいい
 それで十分だよ。それがガキさんであり、れいなであり、さゆであり・・・・みんなだよ
 あっしは本当にいい仲間に巡り合ったよ、幸せ者だよ、今でも幸せ」
「それではなんのために??」

144名無しリゾナント:2015/10/24(土) 00:46:36
足をぶらぶらさせて高橋は背もたれにもたれかかった
「同じように迷っている声が聞こえたから」
「『声』ですか?それって私達を集めたような」
「ただ助けてっていう叫び、かな。悲痛な救いを求める声。聞き流すわけにもいかないじゃない」
「それで旅立った」
高橋は頷いた

「いろんな出会いがあったよ、嬉しい出会い、悲しい出会い、怒った別れ、喜んだ別れ
 一期一会以上に複雑に絡み合った世界で私達は生きているんだって気づかされた
 そのなかで自分ができること、それを見つけられたら幸せ、それを実現できたらもっと幸せと感じたよ」
「私達との出会いはどうでしたか」
破顔一笑の笑顔で肩に腕を回して、高橋は鞘師を引き寄せた
「最高の出会いだよ。こんなに可愛い後輩を持てるなんて幸せだね」
その屈託もない不細工な笑顔をみて鞘師は感じた
(この人は変わっていない。強くて、素直で、そして優しい)

「私も幸せです。高橋さんみたいな人で出会えて」
「あひゃひゃ、褒めてももうサイダーないがし」
「ええ、大丈夫です。これ以上飲んだら肥えてしまいますから」
「え〜鞘師はもう少し健康的になったほうがいいよ」
鞘師はむっとして、そうでもないんです、と強く言ってのけた
しかし、高橋は気にせず笑って答える
「あのさゆだって昔はもう少しぷくっとしていたんだから、大丈夫だよ、鞘師は」
静かに寝息を立てる道重の寝顔は二人からは見えない
「道重さん、大丈夫ですかね?」
「・・・どうだろう、これはあっしも大丈夫なんて簡単に言えない」

「質問ばかりで申し訳ないのですが、もう一ついいですか?」
何も声に出さなかったが、鞘師はyesと捉えた
「亀井さんってどんな方だったのですか?道重さんがあれほど取り乱すなんて信じられないのですが」

145名無しリゾナント:2015/10/24(土) 00:47:49
鞘師はあの夜の血の気が引いていた真っ青な道重の顔が忘れられないのだ

「絵里は、優しい人。そして、あの子ほど素直で、正直で、こだわり強くて、可愛い子を知らない。
 ちょっと抜けてて、でも真面目で努力家で、ムードメーカーで、実際、誰からも愛されてた
 通っていた病院でも人気者だったみたいで、アイドルだったようだよ」
「それならなんで、亀井さんがいなくなったのに、どうして騒ぎにならなかったんですか?」
ふと浮かんだ疑問を口にしたが、高橋の顔が暗くなった
「・・・ガキさんにお願いした。すべてを書き換えて、って頼んだ。病院関係者から行きつけのお店から、友達から、家族も」
「家族にもですか?亀井さんの存在自体を消そうとしたんですか?」
「いや、海外留学してることにして、病院は完治した、ことにした」
「それにしても酷いと思います」
「それはあっしも同感や。都合のいい工作だ。だけど、いなくなったままの絵里を家族はなんて思う?
 必死で行方不明の捜索願をだすやろ?悲しんで、苦しんで、泣くに決まっている
 だってあっしとガキさんは、絵里のことを・・・間違っているのはわかっている」
「・・・」
「それはれいなもさゆも愛佳もリンリンもジュンジュンも知っている
 このことを知っているのは8人しかいないし、悲しむのもそれだけでよかった
 ・・・ダークネスは気づいてしまったようだけど
 絵里とさゆは親友だった。なんでも通じ合っていて、どこにいくのも一緒だから、さゆは一番辛かったやろうね」
「・・・それでいいのですか?」
「間違いだね、確実に。だけどあんなにいい子を失って悲しむ思いをするのは私達だけでいい
 だって私達に原因があるのだから。私達と出会わなければ、普通に青春を過ごし、普通に学校に通い、普通に恋愛できただろうからね
 えりが一番普通の生活を望んでいた、それを結果的に奪ってしまった、その責任は私達にあるんだから」
「・・・」

道重の静かな寝息しか聞こえない闇を破り、高橋が語る
「絵里はね、幸せになりたかったんだ。でも、幸せを追い求めなかった
 なぜだかわかる?
 『幸せになりたい幸せになりたいってずっと思ってると幸せになりたいってだけで終わっちゃうんです
  幸せだなぁって思ってるとずっと幸せのまま過ぎていくんです』
 絵里が教えてくれたことだよ」

146名無しリゾナント:2015/10/24(土) 00:49:19
「・・・素敵な言葉ですね」
「ぽけぽけしているのにどこか超越していた。現実的なさゆとはそういう意味でも凸凹コンビだったね
 そんな絵里だからこそ・・・今度こそ私は絵里を救いたい」
瞳にあふれる強い意思を感じた鞘師は改めて思うのだ、力になりたい、と。

鞘師が亀井が高橋に伝えた言葉を飲み込まんとしていると、突然高橋がごろんと横になり、自身の頭を鞘師の膝にあずけた
「な、なにされてるんですか」
「ん〜休んどるんよ。気張ってるばっかりやったら、疲れるやろ?
 楽しいときは楽しむ、哀しいときは哀しむ、怒るときは怒る、忍ぶだけじゃもたんよ」
「だからっていきなり横にならないでくださいよ」
「それもそうやね」
よいしょっとつぶやき、体を起こし、道重の傍らにしゃがみこんだ

ふと横を見ると安心しきった顔ですやすやと寝息を立てる道重の姿が目に入った
『さゆみ、寝顔は不細工だからみてほしくないの』
そう彼女が赤ら顔で言っていたことを思い出したが、その寝顔は決してそうは思えなかった
むしろ、美しい、神秘的だ、と鞘師は感じ、ついついその頬を触れたい衝動に駆られた

「さゆも苦しんどる。だから、夢のなかくらいは幸せにしてあげようかな」
頭をぽんぽんとなでて、鞘師を手招きした
「???」
ここにおいでとでも言うように寝ている道重の近くの絨毯を指で示した

道重を挟んで高橋と鞘師は向かい合う
「よいしょっと」
いきなり道重の布団に入りだした高橋を見て、鞘師は大声をあげそうになり、慌ててこらえた
「た、高橋さん?」
「ほら。鞘師も入って」
「む、無理ですよ」
「ええから、ええから。さゆを元気つけたいでしょ?」
「・・・」

147名無しリゾナント:2015/10/24(土) 00:50:55
すごすごと道重の隣に横になる鞘師。高橋、道重、鞘師で川の字が作られた
「どう?」
「・・・変な感じです。お二人と寝ているなんて」
「あひゃひゃひゃ、そうかもね。でも、修学旅行みたいで楽しいやろ?
 まあ、あっしは修学旅行にいったことなんてないんだけどね」
笑いながら高橋は道重の髪の毛をいじって遊んでいる

(そうか、この人も小田ちゃんと同じようにダークネスによって普通の生き方ができないようにさせられたんだった)
小田さくら、ダークネス、独特の感性、使命感、いろいろな部分がこの人と似ている、そう感じた
どれだけの重荷を背負っているのか?なんでここまで強く慣れるのか?
どうして私達を選んだのか?どこまで知っているのか?
訊ねたい欲望がこみ上げてくるが・・・
「あれ?鞘師は楽しくないの?」
そんな無邪気な声が押さえ込む

「た、楽しいです」
「・・・うそつき」
「う、嘘ではないですよ」
顔はみえない、声が聞こえるだけなのに、この人は全てを把握しているように感じてしまう
「嘘。だってなんか重いもん、声が」
精神感応? そう思ったが、鞘師は違う、と感じた。あくまでも感じただけだが、このひとは・・・
「わかるよ、鞘師のことは。だって一緒に居たんだから。ここにね」
私のことをまっすぐみてくれる数少ない人だから

「鞘師、偉そうなこと、一つだけ言っていいかな?」
「一つだけ、ですか?」
「な、なんや?そのもう、何回も言っているみたいな言いぶりは!!」
あわてて否定する鞘師だが、それを高橋は冗談やよ、と笑ってみせる

148名無しリゾナント:2015/10/24(土) 00:54:29
「鞘師、今のリゾナンターで、重要な立場にいるのはわかっている
 リーダーはさゆやけど、前線にたっているんは鞘師でしょ
 つらい思いは人一倍多いと思う、れいなもそうだった」
久々に出会った田中の姿を脳裏に鞘師は浮かべた。
相変わらず10代半ばが好むような動物柄のファッションに身を包んでいた、派手な顔立ちが月夜に映える
あえて、そんなファッションで自分自身を守っているように、本当は繊細なことも知っている
人前では見せないように振舞っているからこそ、高橋といるリラックスした田中を鞘師は高橋とは違う憧れの対象としていた
いつしか、鞘師も願っていた、この人たちのように強く、なりたいと

しかし、高橋はそう願っていなかったようだ。優しい声をかけてくる
「鞘師、緊張しているでしょ?力入ってばっかりだと疲れちゃうよ」
「そ、そうですか?」
「自分でなんでもしなきゃいけない、そう思っちゃだめだよ
 今の鞘師の立場はなんとなくわかる。でも、一人じゃないんだから
 さゆだっているし、フクちゃんや生田やズッキもいる。
 力をぬいて、信じること、それが必要かな」
「・・・」
「おやすみ」
すぐに寝息が聞こえてきて、鞘師も天井のマス目を見上げた
(私、頑張りすぎてるのかな?)
考えようとしたが、睡眠欲が疲れ果てた肉体を夢の世界へと誘うのは容易であった

★★★★★★

テレビから流れる天気予報
アイドル出身の『美人』天気予報士が原稿を読み上げる
『明日も本日と同じようにいい小春日和となるでしょう
 しかし、週末にかけて、大荒れの天気となり、暴風を伴う雷雨となるでしょう』

だってさ、亀井さん★

149名無しリゾナント:2015/10/24(土) 01:00:14
>>
『Vanish!Ⅲ 〜password is 0〜』(12)です
気づけばもう冬ですね。道重さんが卒業して一年近くですか。遅筆が・・・
これでカップリングパートは終えたので、次から「起承転結」の「転」ですね。
一体いつ完結できるんだか(笑)12期出せねえなw
まー修行以外も読みたいな〜『作者』として刺激受けたいです。

ここまで代理お願いします

150名無しリゾナント:2015/10/24(土) 12:26:22
いってきたぽ

151名無しリゾナント:2015/11/03(火) 20:55:01


そっと、目を開く。
視界全体が、薄もやに覆われているかのように煙っている。
自分は、なぜこんなところにいるのだろう。
里保は、少しずつ、自らの記憶を遡ってみた。
塩の女との対決、さゆみの登場、そして。

うちは、死んだんじゃろうか…?

そんな想像を打ち砕く、断片的な痕跡の襲来。
激しい雨、荒れ狂う奔流、鮮血。そして、狂気。
そこで、悟る。
自分は。また、”やってしまった”のだと。

「りほりほ?」

声が聞こえる。
暖かい。けれど、今は聞きたくない声。

「りほりほ」

やめてほしい。
うちのことなんて、ほっといて。

「りほりほっ!」
「わあっ!?」

後ろから、強引に抱き竦められたような感触。

「び、びっくりしたぁ!みっしげさん!!」

振り向かざるを得ない状況に、視線を向ける。
が、そこにはピンク色の丸いふわふわした光が浮いているだけだった。

152名無しリゾナント:2015/11/03(火) 20:56:29
「あのあの、これはどういう」
「ここは、さゆみとりほりほだけの世界」

さゆみらしき存在に言われて、思い出す。
そう言えば、精神操作の導き手によって、他者と精神だけの状態で意思疎通を行うような空間が生み出されるということ。
春菜が衣梨奈とともに「スマイレージ」の和田彩花を救った時、そのような現象が発生したと聞く。さらに遡れば時の魔
物と言うべき存在にさくらが囚われたのを救い出した時、紛れもなく里保自身も体験したことだった。

「でも、道重さんの姿が…」
「さゆみには、きっとりほりほがさゆみを見ているのと同じような姿が見えてると思うの」

つまり、視界の晴れない靄の中、赤とピンクの二つの球体が浮かんでいる。
想像するとなかなかシュールな光景ではあるが。

「…そういう世界にしてるのは、きっとりほりほがそう望んでるから」
「みっしげさん、うちはいったい何を…!!」

自分が気を失ってから、ここに至るまでのこと。
人の口から、聞きたかった。けれど、聞きたくなかった。
あの忌まわしき、赤眼の魔人のことなど。

「いや、何でもないです」

咄嗟に言葉を引っ込める里保。
しかし、まるでそんな里保の顔を覗き込むように、さゆみは訊ねる。

153名無しリゾナント:2015/11/03(火) 20:57:00
「りほりほは、あの子のことが嫌いなの?」

言葉に、詰まる。
まさかそんなことを聞かれるとは、夢にも思わないとはこのことだ。
里保の中で、過去の出来事が渦を巻く。
それはさながら、かけがえのない存在を呑み込んだあの日のように。

「うちが!『あいつ』を!好きなわけないじゃないですか!!!!」

気がつけば、大声で叫んでいた。
あいつは。自分を心の奥底に閉じ込め、そして有り得ないほどの力を振るった。
そのせいで、自分は友を救うことができなかったのに。
そしてさっきも。水は荒れ狂い、その禍々しい赤い瞳の色はそれと良く似た色の液体を求め…

「さゆみもね。最初は、『お姉ちゃん』の存在を受け入れることができなかった」
「えっ?」

里保は俄かにその言葉を疑う。
だって、「二人」はあんなに仲が良さそうだったではないか。
そう。さゆみは自分とは違う。出したくなかった。二度と表に、出したくなかった。
なのにあいつは姿を現した。目の前でさゆみがあんなことになったせいからなのかもしれないが。
それでも。「彼女」を許すことなんて、できやしない。

どことなく里保がさゆみに遠慮がちな原因の一つが、そこにあった。
近づいてはいけない、触れてはならない。でないと、自分の中の「血の色の魔人」は。

154名無しリゾナント:2015/11/03(火) 20:57:43
「でもね。いろいろ抵抗してみたりもしたけど。結局わかっちゃった。『お姉ちゃん』も含めて、さゆみなんだってことに」
「道重さん」
「絵里…鞘師も知ってる、亀井絵里ちゃんから言われたんだ。『さゆは、さゆのままがいい』って。だから」

目の前のピンク色が、ふっと薄くなる。
さゆみの姿が少しだけ、見えたような気がした。

「『それ』もひっくるめて、キミ自身でしょ」

でも、そしたら、どうしたらうちは。
その言葉を紡ぐより先に。
道重さゆみは、里保の精神世界からかき消えていた。

155名無しリゾナント:2015/11/03(火) 20:59:03
>>151-154
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

少しでもスレの存続の力になれば幸いです

156名無しリゾナント:2015/11/03(火) 21:02:46
これから小用があるので直接投稿はできないのですが、スレが立った際には
お手数ですが代理投稿の程よろしくお願いします

157名無しリゾナント:2015/11/03(火) 23:29:09
転載行ってきます

158名無しリゾナント:2015/11/04(水) 12:51:27
ありがとうございます
助かりました

159名無しリゾナント:2015/11/04(水) 12:54:04
>>151-154 の続きです



「お疲れ様です!」
「お疲れ様です!!」

外仕事から戻ると、いつもこれだ。
男装の麗人を地で行く、金髪のライダースーツ。
ダークネスの幹部たる地位に就く「鋼脚」は、複数の黄色い声のお出迎えに辟易しつつ、仰々しい総本部の建物へと足を進め
た。そのルックスから、男性というよりもむしろ女性の構成員のほうに妙な人気がある。かと言って邪険にするわけにもいか
ず、適当に愛想を振りまいてしまうのは彼女の悪い癖でもあった。

しかしまあ、何を考えてるのかね。あの芋博士は。

芋博士、というのはもちろんダークネスが誇る「叡智の集積」Drマルシェこと紺野あさ美のことだ。
組織の頭脳に対して皮肉りたくなるほど、状況は煩雑化していた。

まず、組織の幹部全員、それと主だった戦闘部隊の総本部での待機。
不便極まりないが、これは些か仕方ない面もある。何せ、「詐術師」「不戦の守護者」が謀反を企て「首領」の命を狙ったの
だ。これは紺野の意向というより、「首領」の右腕である「永遠殺し」が強く働きかけたのだろう。

だが、その隙をついて例の問題児たちが騒動を起こした。
東京を代表する総合アミューズメントパーク「リヒトラウム」。夢と光の国、と形容されるその施設を、問題児。「金鴉」と
「煙鏡」が急襲したのだ。

夢の国の実質的オーナーが、日本を代表する巨大企業・堀内コンツェルンの総帥である堀内孝雄であることは闇社会では周知
の事実。だが彼があらゆる意味においてのセキュリティをダークネスの商売敵にあたる、「先生」と呼ばれる男に率いられた
能力者集団に任せていることは裏の世界でも一握りの人間しか知りえないことである。

傍から見れば、縄張りを知らない馬鹿が何の考えも無く死地に飛び込んだと。
たとえそれが標的であるリゾナンター殲滅のためだとしても。そういう考えに至る。しかし。

160名無しリゾナント:2015/11/04(水) 12:55:06
「どうしました、浮かない顔をして」

不意に、背後から声をかけられる。
足を止め、振り返るとそこにはいつもの白衣が。

「誰のせいだよ…ったく」
「のんちゃんとかーちゃん…「金鴉」さん「煙鏡」さんの件は、私の差し金ではありませんよ」

どうだか。
疎ましげに声の主、紺野あさ美を一瞥し、それから再び廊下を歩き始めた。

「それより、こんなところで油売ってる場合かよ。『天使の檻』がやばいんだろ?」
「あれは”先ほど、一区切りはつきました”が」
「ずいぶん勿体つけた言い回しだな。まるで、これからが本番みたいな」
「そうですか? まあ、ご想像にお任せしますよ」

並び歩きながら、言葉の応酬。
組織の情報部を統制する人間と、科学部門の統括責任者の組み合わせだ。嫌が応にも、心理戦の口火が切られる。

「さっきの話に戻るけど…あのチビ二人の目的は知ってるんだろ?」
「ああ。実は、『リヒトラウム』の地下に『ALICE』があるんです」
「はぁ!?」
「元はと言えば、私が堀内さんにお預けしたものだったんですが。どのルートかは知りませんが、彼女たちの知るところにな
ったみたいですね」
「お前なあ…」

161名無しリゾナント:2015/11/04(水) 12:56:31
「鋼脚」が呆れて絶句してしまうほど、紺野がさらりと口にしたことは深刻だった。
紺野率いるダークネス科学部門が開発したという、兵器。名は「ALICE」、情報部でもそれ以上のことは知ることは出来
なかったが、数度米国の砂漠で行われた実験の結果だけは判明していた。

それが、普段から自分たち能力者の存在を疎ましく思っているだろう連中の手にあること自体好ましくないのに。
さらにそれを刺激するような「あの二人」が接近している。

不可解な点もある。
どういう経緯かは知らないが、悪童たちはわざわざリゾナンターたちを「リヒトラウム」に招き入れ、その場を戦場とするこ
とを選んだ。これが理解できない。

「紺野。あいつらは何で、あんな場所にリゾナンターたちを誘き寄せたんだ?お前…」
「私は何も聞いてませんよ?」

「鋼脚」が言うより早く、紺野が自らの関与を否定した。
しかし。眼鏡のレンズの奥の目が。微かに笑っている。

「どうせ、予測はついているとか言うんだろ」
「どうでしょうね。ただ、彼女たちと付き合いの長い『鋼脚』さんなら、ある程度はわかるんじゃないですか?」
「おい、まさか」

嫌な予感。
けれど、恐らく正しい予測。
「鋼脚」は理解してしまう。あの二人が何を狙っているか、そして有り余る力を手に入れた時に何をするか。
長い付き合いとは、皮肉なものである。

162名無しリゾナント:2015/11/04(水) 12:57:14
「そうですね。混乱に乗じて、『ALICE』を奪う。ダークネスの総本部にぶち込むくらいのことはするかもしれません」
「ったく…冗談きついぜ」

あくまでも冷静な紺野。
肩を竦めながらも、「鋼脚」はそこに紺野の自信を見る。
先ほども、天使の檻の決着がついたと語っていた。あのつんくがそう易々と組しかれるのはあまり想像はできないが。
このゲームの主導権は、既に彼女が握っている。

「まあ、そうならないためにも。リゾナンターさんたちには頑張っていただかないと」
「またあいつらかよ。随分便利な駒になってるじゃねえか」

思えば、ベリーズやキュートといった若手の精鋭を敢えてぶつけたのも。
時を操るさくらをリゾナンターにくれてやったのも。
紺野が先に見据える何かのための、強力な駒を作るための準備なのではないのか。
何かとは何だ。何を企んでいる?

「鋼脚」は、紺野が自らの障害となり得る二人の幹部を闇に葬り去った計略を知る数少ない人物の一人だ。
その意味においては、彼女の協力者の一人とも言える。が。

「彼女たちは、いい素材だ。きっと大きな仕事をしてくれますよ」
「それは、質問に対するイエスと捉えていいのかい?」
「…ご想像にお任せします、とだけ言っておきましょうか」

163名無しリゾナント:2015/11/04(水) 12:57:51
相変わらず、肝心な部分だけは決して表には出さない。
それがDr.マルシェの「叡智の集積」たる所以ではあるのだが。
まあいい。「鋼脚」は気を取り直す。本音を出さないのはお互い様じゃないか。
いいぞ、こんこん、などと称えるような関係ではもうないのだから。

「おや、どちらへ?」

本来ならば、紺野と「鋼脚」の向かう先は同じ幹部が居を構える区画のはず。
しかし、闇に溶け込むライダースーツは大きく左へと曲がる。

「ちょっとやぼ用でね」
「ああ、確かそちらの方角には。私もたまには様子を見ないといけないのですが」
「よく言う。負け犬には用はないって顔してるぜ?」
「まさか。これでも色々と尊敬してたんですよ? 『彼女』のことを」
「まあ、伝えておくわ」

それだけ言うと、振り返ることなく手を振る「鋼脚」。
彼女たちの立ち位置の違いのように、白衣と黒のライダースーツは、少しずつ、距離を広げていった。

164名無しリゾナント:2015/11/04(水) 12:59:01


地下区画。
打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた部屋の中央に、大きなガラス製の水槽があった。
この中には、生命体の傷を急速に修復する溶液が満たされているらしいが。ともかく。

「なあ。お前のかわいい後輩が、お前のこと『尊敬してる』だってさ」

返事はない。言葉は空しく宙を舞うのみ。
それでも「鋼脚」には、ヒステリックに怒り喚く水槽の向こう側の相手の反応を、容易に想像できた。

― そんなこと言って、きっと内心あの子、あたしのことバカにしてるんだから! ―

台詞まで浮かんでくるほどのリアルさ。
ただ、現実として彼女は沈黙している。

手負いの黒豹 ― 黒の粛清 ― は、新垣里沙に傷つけられた体を、水槽の溶液に蕩わせていた。
美しい、黒の光沢を帯びたメタリックボディ。だが、そのあちこちがまるで金属疲労にでも見舞われたかのように激し
くひび割れている。誰の目から見ても明らかな、ひどい損傷。それでも、「鋼脚」は知っている。彼女が最も酷く受け
たダメージはそんな目に見えるものではない。

自らが侮り、下に見ていた後輩に手ひどくやられるどころか、命を失う一歩手前まで追い詰められた。

その事実は、おそらく「黒の粛清」のプライドをずたずたに切り裂いたはずだ。
そして、里沙の精神の手は、彼女の最も触れたくない鉄の心を、強く押した。

体だけのダメージならば、意識を取り戻してもおかしくないくらいのレベルには回復している。
紺野の言葉を信じればそのような状態にあるはずなのだが。「黒の粛清」は一向に意識を取り戻す気配がない。

165名無しリゾナント:2015/11/04(水) 12:59:53
彼女と、粛清人の双璧を成していた「赤の粛清」。
その二人が同時に欠けることは、粛清制度の崩壊を意味していた。
その代用として急遽現場に投入されることになった、「五つの断罪」。「天使の檻」の動乱にも駆り出されるほど重宝
されているようだが、彼女たちはまだ、若い。必然的に、「鋼脚」にかかる負担は大きくなる。

はやくうちを楽にしてくれよ、と訴えかけても、当の本人は眉間に皺を寄せつつ水槽に浮かぶばかり。

「傷心のあまり、現実逃避…って、梨華ちゃんはそんな柄じゃないわな」

ひとりごちつつ、ひんやりと冷たいはずのガラスに手をやった。
わかる。溶液の中、堅く瞳を閉じている「黒の粛清」。けれどその奥には眠っている。

黒き死神に相応しき、漆黒の、復讐の炎が。
仇敵を焼き尽くし、骨すら残さないほどに。苛烈な。憤怒の感情が。
おそらく彼女は、目覚めるだろう。その牙を、新垣里沙に突き立てるために。

けど…それまで待ってらんないんだよな。悪いけど。

「鋼脚」は踵を返す。
拳を交える理由なら、こちらにもある。
けじめだけは、しっかりとつけなければならない。
同じ力を持つものとして。そして、闇に心を食われた人間の、道標として。

166名無しリゾナント:2015/11/04(水) 13:02:53
>>159-165
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

ちなみに前回更新の最後のさゆの台詞は
こちらからの引用となります
http://www35.atwiki.jp/marcher/pages/1111.html

167名無しリゾナント:2015/11/07(土) 23:56:29
>>159-165 の続きです



最初におかしいと思ったのは。
突如として舞い込んできた、仕事の数々。
聞けば、他の警察機関に属さないフリーの能力者たちも同じような状況だという。
能力が萌芽して間もない少年少女の保護のような仕事から、大組織の隙間を縫うようにして悪事を働く小悪党の
成敗まで。
一つ一つの仕事はそうでもないが、塵も積もれば何とやら。気づけば外部からの電話を取ることもままならなくな
っていた。
旧来の知己を頼ったり、中にはかつての盟友であるリンリンに頼み込んで「刃千吏」の駐日特派員を動かしても
らったり。
とにかくそうして、ようやく身辺が軽くなった愛が自らの携帯を覗き込んだその時。

山のような着信履歴の中から、「愛佳」の名が視界に入る。

かつて読心術の使い手であった影響だろうか。
何となく、嫌な予感がした。
今、自分を身動きが取れないようにしているのが、誰かの差し金なのではないかと。
そして、同じような立場にあったのだろう。すぐさま、携帯がけたたましく鳴り始めた。

「ちょっとちょっと!どうなってんのよ!」
「里沙ちゃん!?」

いつもの"ガキさん節"とでも言えばいいのだろうか。
しかし、どことなく切迫した様子があることに気づき愛佳の着信の件を切り出してみると、ご明察。
里沙もまた、急な仕事の依頼に身柄を拘束されたのに似た状態に陥り、ようやく落ち着いたところで携帯に愛佳
の着信履歴を見つけたのだった。偶然が二つ重なると、それはもう偶然とは言えない。

168名無しリゾナント:2015/11/07(土) 23:57:03


藁にも縋る思い、というのはこういうことを言うのか。
愛佳はそのことを体の芯から実感する。

「もしもし、愛ちゃん?愛ちゃん!」
「愛佳、今、どうなってる?」

光と夢の国、というキャッチフレーズには程遠い絶望的な状況。
文字通り彼女の希望となった愛に、愛佳は自分と若きリゾナンターたちを取り囲む状況を説明しはじめた。

「金鴉」と「煙鏡」と名乗る、二人のダークネス幹部。
彼女たちが、リゾナンターたちを「リヒトラウム」の敷地へと誘き寄せたこと。
さらに偽の予知を愛佳に刷り込むことで、さゆみをまんまと罠に嵌めたこと。
そして、さゆみが倒されたこと。さらに、里保までが。
二人とも一命は取り留めたものの、それでも安穏としてはいられない状況であること。

「そうなんや…そんなことが」
「譜久村たちは、道重さんの仇取るなんて言いよる。せやけど、うちは…」

撤退。
愛佳の思いは変わらない。けれど、横目でちらりと見た聖の意思もまた変わっていないのは明らかだった。
そして恐らく、他のメンバーたちも同じ思いなのだろう。
自分には。彼女たちと共に戦った時間が短い自分には、その強い気持ちを説き伏せることができないだろう。
けれど、かつてリーダーとして若きリゾナンターたちを率いていた愛ならば。
愛佳が愛の電話に希望を見たのは、そういう理由からであった。

169名無しリゾナント:2015/11/07(土) 23:58:07
「愛佳。フクちゃんに代わって」
「ん…はい…」

愛に促され、愛佳は聖にスマホを手渡す。
かつてのリーダーの登場に緊張しているのが、聖の手の震えに表れていた。

「フクちゃん?」
「はい。お久しぶりです」
「状況は愛佳から聞いた。そのダークネスの幹部が、『金鴉』『煙鏡』を名乗っているなら。あーしの知ってる
あの人たちなら。きっと、辛い戦いになる」
「はい」
「そして。さゆが戦えない今、そこにいる若い子たちの指揮を執るのは、フクちゃん。それは、わかるね」
「…はい」

愛の話す言葉を、一言一句、聞き漏らさぬよう神妙な面持ちで聞いている聖。
もしかしたら、高橋さんも反対するのかもしれない。
たとえかつてのリーダーに異を唱えられても、気持ちは変わらない。
けれど、日が落ちた後の夕闇のように、不安が聖の心に迫ってくる。
そんな彼女の耳に届いたのは、意外な一言だった。

「で、フクちゃんは。どうしたい?」

聖は。試されている、と直感した。
もちろん、携帯の向こう側の様子であるからして、愛が今どのような表情でそんなことを言ったのかはわからない。
けれど、感じる。聞こえる。言葉の意味以上に、愛が、里沙が、そしてさゆみが座っている座の意味を、問われて
いる。

170名無しリゾナント:2015/11/07(土) 23:58:56
「聖は…あの人たちのことを追いかけたいです」
「どうして? さゆをやられて悔しいから?」

「金鴉」がさゆみを貫いたあの瞬間。
狂気に満ちた、相手の表情を思い浮かべると、今でも肌が粟立つ。深い、怒りだ。
けれども。

「そういう気持ちがあるのは、否定しません。でも、それ以上に…今、あの人たちを放っておいたら、道重
さんのように、ううん、もっと多くの人が犠牲に…だから…」
「あの二人は強いよ?」
「…勝てます」
「そっか。なら、行っておいで」

聖は、はっきりと「勝てる」と口にした。
慌てたのは愛佳だ。聖を宥めることを期待していたのに、これではまるで逆だ。
聖から携帯をひったくるように奪い、それから口角泡飛ばす勢いで愛に問い詰め始めた。

「ちょちょちょっと愛ちゃん!何や今の!何言うたの今!!」
「フクちゃん、あの二人に勝てるってさ」
「んなアホな!道重さんですら勝てなかった相手を、そないな簡単に」
「あーしは。フクちゃんを信じてる」
「そんな…」

信じるだけで実力差が埋まれば、おそらく今頃はダークネスなどとうの昔に壊滅している。
そう言いそうになった愛佳に、愛とは別の声が聞こえてきた。

171名無しリゾナント:2015/11/07(土) 23:59:55
「もしもし、みっつぃー?」
「新垣さん!?」

何と。
愛の他にも里沙がいたというのか。
折れかけた心が再び、甦る。そうだ。彼女ならきっと。
愛佳は、無言で携帯を聖に差し出した。

「もしもし、譜久村です」
「フクちゃんか…話は大体愛ちゃんとの会話でわかってる。だから、あたしが聞きたいのはただ一つ。あの
二人とさゆみんが戦ってるのを見て、どう思った?」
「…付け入る隙は、あると思います」
「じゃあ、あたしからはもう何も言うことはないね。頑張ってきな」
「は、はい!!」

話の方向が、愛佳が期待していたのとは逆に向かっているのは明らか。
聖から携帯を受け取る愛佳の顔は、今にも泣きそうだった。

「に、新垣さん…」
「何よー、そんな情けない声出して」
「だって…せ、せや!新垣さんならうちの言うてること、わかるやろ!」
「みっつぃー、愛ちゃんが一度言い出したらテコでも動かないの、知ってるでしょーが。それに、今回ばか
りはあたしもフクちゃんの意見に賛成かな」
「え…」

あまりに無謀な若手の突入。それを制止するどころか支持するとは。
思わず昏倒してしまいそうな愛佳を、里沙の言葉がはっとさせる。

172名無しリゾナント:2015/11/08(日) 00:00:51
「フクちゃんがさ、勝てるって断言したんでしょ? そういうの、あんた今まで聞いたことある?」
「…ないです。うちがリゾナンターやった時には、そんなこと」
「だったらさ、信じて応援してあげるのが、先輩ってもんじゃないの?」

正論である。
かつてのリーダーとサブリーダーがそう言ってるのだ。正論にならない、はずがない。

「私も譜久村さんの言う通り、あの人たちには勝てると思います。ゆっくりお話しする時間はありませんが、
根拠ならありますから」
「飯窪…」

愛佳は、後輩たちの顔を交互に見る。
いつの間にか、逞しく成長している。自分と入れ替わるようにしてリゾナンターとなった遥や優樹たち年少
者ですらも。
ベリーズやキュートに立ち向かった時も、彼女たちの姿に成長を見たが。あの時よりもさらに、ずっと。

何や…うちもまだまだ過保護やったんやな…

「わかりました。うちもお二人の意見に、賛成します」
「そっかそっか。でもまあいざって時にはうちらがそっちに…」

突然のことだった。
里沙の音声に、耳障りな雑音が混じり始める。
そして、文字通り、どこからか「割り込む」ものがいた。

173名無しリゾナント:2015/11/08(日) 00:01:31
「どーも、つんくでーす」
「つ、つんくさん!?」
「お取り込み中のとこ、申し訳ないんやけど。俺もそこの二人に用があるんでな。一旦切らしてもらうで」
「ちょ、ちょっと何を…」

泡を食った愛佳が文句を言いかけたところで。
通話は、強引に切られてしまった。

つんくの登場が何を意味するのか。
愛佳にも、そして若きリゾナンターたちにもわからない。
ただ、今はそれを詮索している時間はない。

「とにかくや。道重さんと鞘師はうちに任せとき。うちももう、何も言わん」
「光井さん」
「ただ、道重さんの代わりに、これだけは言わせてや。『気ぃつけて、行ってきな』」
「はいっ!!!!」

8人の声が、重なる。

「でも、あの二人を追うにもどこに行けば」
「あ」

香音のもっともな疑問。
「金鴉」と「煙鏡」の二人がどこに消えたのかがわからなければ、追うことすらできない。

174名無しリゾナント:2015/11/08(日) 00:02:41
「そもそもあの二人は道重さんの他にも何かを目的としてるような口ぶりでしたが」
「肝心の目的がわからんっちゃけん」
「マジすか!ったくじゃあどうすりゃいいんだよ…」
「あれですよ!あれ!トイレに行ったとか」
「亜佑美ちゃんそれはないと思う」
「はぁ…自分ら、それもわからんと『勝てます』なんて言うてたんか」

呆れ混じりのため息をつく愛佳。
そんな中、優樹が思いついたように口を開く。

「確か…かがみの、せかい?」

去り際に「煙鏡」が残した言葉。
鏡の世界で待っていると。鏡…鏡、鏡。さくらが、あっ、と声を上げた。

「佐藤さん、それです!!」
「それですってさくらちゃん何がわかったと?」
「あの実は…あの二人にミラーハウスに連れて来られた時に、下に続く階段を見つけてたんです。もしかし
てそれが」

そのことを裏付けるように、どこからか、腹に響くような音が聞こえてくる。
春菜の超聴覚が、それを正確に捉えた。

「小田ちゃん、ナイス。確かにこの音はミラーハウスからだよ」
「よし!そうと決まれば乗り込むぜ!!」
「あっちょっとくどぅー、待ちなさいよ!」
「まさも行く!!」
「あ、えっと。光井さん、行ってきます!」

瞬く間に、三々五々走り出すメンバーたち。
うちらの頃はここらへんで「がんばっていきまっしょーい!」なんて言うてたんやけど、と過去を顧みつつ。

もう、小うるさい先輩は必要あらへん、か。

何かを決意するような表情の愛佳、その視界には頼もしい後輩たちの後姿が大きく、そして遠く映し出され
ていた。

175名無しリゾナント:2015/11/08(日) 00:03:38
>>167-174
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

176名無しリゾナント:2015/12/12(土) 02:58:48
大通りから数本外れた静かな路地に待ち合わせの店を見つけたとき私の手は冷えていた
私は地図を折りたたんでカバンにしまい込み、店の中を覗き込んだ
(またか)
今日も彼は来ていないようだ。というよりも店の中にお客はいないようだ
凍える寒空の下で待つメリットなどない、と合理的な私の頭は結論付け、足が勝手に進む
「いらっしゃいませ」とこの店の店長であろうか、声をかけてくれる
この何気ない一言がこの国に帰ってきた、と改めて感じ、この国の人間だと自分を再認識させる

壁に背を向けないと安心できなくなったのはいつからであろうか?答えはわかっているが
私はカバンからさっき買ったばかりのファッション誌を取り出し、注文したカモミルティーを飲み始めた
ファッション誌には色鮮やかな洋服や流行りのメイクで輝く同世代から少し上の女性
自分と遠い世界にいるにも関わらず、近づきたくなる、そんな叶わない願いが浮かんでは消えていく

カランコロンとベルが鳴り、店長が立ち上がったのが視界の端で捉えられた
しかし店長は先程と違い「いらっしゃいませ」と迎えなかった

「Oh! Miki! My precious honey, I’m so sorry for late.」
やってきた客は私の姿を見つけると慌てて駆けてきた40代半ばの米国人だったからだ
「いらっしゃいませ」を英語でなんて言えばわからなかったのだろう
それよりもなぜ外国人がこんなところにいるのという顔を浮かべられるのが経験済みであった私は笑顔で立ち上がった
「Hey Daddy!! What’s happen? You are late for 20 minutes」
「Oh sorry」
「Sorry? Dad, don’t you kid me? ・・・」
アメリカ育ちの私にとってはこれくらい朝飯前だが、これを聞いた店員は驚くであろう
顔だけ見たら純日本人の私が流暢な英語を話しだしたのだから
とはいえ「Daddy」とこの相手のことを呼び、つらつらと英語で間髪入れずに話し出せば、親子なのだなと彼らは感づいてくれる
おおよそ「親子で久々にあったにもかかわらず父親が遅刻し、怒られている」とストーリーを作るであろう
どこの国でも親子の喧嘩はあえて割り込もうとしないはずだ。タイミングをみて、怒っているふりを終えればあとは興味を持たないだろう

177名無しリゾナント:2015/12/12(土) 02:59:33
「・・・そろそろいいかね、ミキ」
「ええ、いいわ」
我々は2分程度、「遅刻したのは隣のベティおばさんがシュークリームを焼いてきたから」とでっちあげの理由で口論した
「しかし、相変わらず可笑しな理由を考え付くわね、あなたは」
「それはミキを楽しませようとする、私のユーモアさ」
当然これらも英語で言っているのだが、店主も、キッチン奥にいた小柄なコックも興味をもたなくなっているので普通の会話に戻している

「でも、遅刻するその癖はどうにかしたほうがいいと思いますよ」
「この場所、わかりにくくてね、正直迷ってしまったんだ」
実際、自分自身も先に来ていたとはいえ、この店を探すに10分かかってしまった
見つけにくいからこそ選んだのだろうが、その選んだ本人もみつけにくいとは皮肉なことだ
ここまで来れば気づいているだろうが、私とこの男性は本当の親子ではない
にもかかわらず、どうして親子のふりを演じているのか

それは私達が特別な間柄だから。変な意味ではない
私も彼も同じ機関に属している同僚、いや師弟関係にある
アメリカにいたころから彼は私の指導教官であり、親子のように支えてくれている大事な人だ
「どうした、チェルシー?まだ怒っているのか?」
彼は私のことを世間体の「美希」ではなく、コードネームの「チェルシー」と呼ぶ
「いいえ、もう怒っていません、というよりも元から演技なのはご存知でしょう?先生」
「いい加減、先生はやめてくれよ。君は一人前の捜査員なんだからな」
そして彼は、ハハハと笑いコーヒーにスティックシュガーを2本入れた

「先生、砂糖の取りすぎはよろしくないのでは?医師からも控えるようにと言われているのでしょう?」
「なあに、医者のいうことは気にしてたら何もできんよ。自分の体は自分で一番わかっている
 薬も飲んでいるしな、調子がいいんだ。チェルシー、安心しなさい。君を置いて私はいなくはならんさ
 それよりもチェルシー、最近調子はどうなんだ?」
「まあまあです。ミキとしての友達もできましたし、学校も通っています」

178名無しリゾナント:2015/12/12(土) 03:00:49
東京に戻ってきた私に与えられた名前は『野中美希』という帰国子女だった
ごく一般的な学校に通い、ごく一般的な思春期を過ごし、ごく一般的な人間関係を築くことが求められた
それは機関であったり、私の対人技術なりで容易に目標に至った
学校では「英語と体育が得意な美希ちゃん」で通じている

「学校ではいじめられていないか」
そこでぷっと笑う。機関出身の私をだれがいじめのターゲットにしようか
「どうした?アメリカ帰りはいじめられると何かの本で読んだぞ」
「先生、心配ありませんよ。私は先生の生徒ですよ。No problemです」
両親を失った私を育ててくれた先生は、本当の親のように私のことを心配してくれる
師弟関係を超えて、先生は私に愛情を注いでくれているのが嬉しい
ただあまりにも親しくなりすぎ、思春期特有の反抗期も迎えているのだが、それ以上に問題があった

機関に所属しているがゆえに私達は親密になりすぎてはいけない、のだ
仲間の、機関の秘密を守るために我々は徹底した秘密主義を叩きこまれた
だから、私は先生の本名を知らない、知っているのは仕事上の名前のみだ
チェルシーが仕事上の名前、美希が社会上の名前、そして本当の名前
私は3つの名前を使い分けてこの世界で生きている

「それならいいのだがな・・・俺も齢のせいか気弱になったな
 仕事のほうは頑張っているようだな。上から聴いているよ」
「ありがとうございます」
彼は今日の新聞を取り出して、私に見せてきた
「これ、チェルシーが原因なんだろ?」
JRの某ハブ駅で起きた原因不明の停電の記事を指してきた

「頑張るのはいいのだが、もう少し静かに動けないものか?」
昨日のことだ。奴らが電車に爆弾を積み込み、テロを仕掛けようとしている情報が入った
私は単独で乗り込み、未然にテロをふせいだ

179名無しリゾナント:2015/12/12(土) 03:01:42
残念なことに無事に事を終えることはできず、送電線が切れることになり、首都圏の交通に影響を出してしまったが・・・
「奴らと出くわしたことはわかっている。しかし、もう少し慎重にしなくてはならないぞ、チェルシー」
先生の独特な云い回しを私は適切な日本語に直すことはできないが、言葉は優しかった
先生は素直に褒めたい気持ちと、機関に所属するが故の葛藤に苛まれているのだ
「密命」を受けて動く私達は何よりも社会に気づかれることを心がけてはならない
昨日の私の仕事はその点で、機関から厳重注意を受けることとなり、こうして先生に呼び出されることになったのだ

「申し訳ありません、先生。私が未熟なばっかりに」
「わかっているのであれば、追及はしない。君も一人前の証が与えられているのだから
 本当ならチェルシー、君に厳しい話はしたくないんだ」
思わず俯く私の肩をぽんぽんと叩き、顔をあげると優しい笑顔をみせてくれた
「ところで、申し訳ないのだが、私も何か注文をしたいんだ
 小腹も満たしたいのでサンドウィッチでも頼んでくれないか?」
私はサンドウィッチを注文し、ついでにコーヒーを2人前追加した

「日本語は相変わらず覚えるのが難しい。まだまだ箸も上手く使いこなせないしな
 チェルシーは器用だな。日本生まれながらも英語をしっかりと勉強し、我々の機関に配置されるのだから」
「いえいえ、私は平凡です。ただ、頑張らないといけない理由が大きいだけです」
「謙遜も日本人の美徳だな。我々には難しいものだ」
サイフォンからこぽこぽ漏れる音が耳に心地よさを与えてくれた

「そうだ、チェルシー、昨日の戦闘で装備が壊れたらしいな
 頑丈さが取り柄の一つだというのに、全く持って難しい」
ロッカーのキーが手渡される
「いつものロッカーに入れておいた。技術部からも注文が入っている
 『チェルシーにはいくら武器を与えてもすぐ壊してくる。困った子猫ちゃんだ』とのことだ」
技術部の面々を思い出し、申し訳なさを感じ、後で手紙を書こうと心に決めた

180名無しリゾナント:2015/12/12(土) 03:02:28
そこにサンドウィッチが届き、先生は食べながら、私に角砂糖をとってくれと頼んだ
「今度はいつもの磁場制御に加えて、目標を自動追尾するようにマーキング機能がつけられているとのことだ
 チェルシー専用の武器、とのことだ。くれぐれも大事に使ってあげなさい
 しかし、このサンドウィッチ、美味しいな。私好みだ。チェルシーもどうだい?」
一切れ頂戴した。パンの甘さと適度な焦げ目のついたベーコン、とろけたチーズ、フレッシュなトマト、ハーブの香り
一喫茶店にしてはあまりにも高貴な味であった

そんな私の感情に気づかずに先生は話題を続けていた
「君が装備を壊しやすいことについては本部も嘆いているぞ。あまりに多すぎてついに私のところにまで連絡が来たよ
 『教官として責任を感じてくれ。またハイラムに会ったときになんて顔をすればいいのかわからないではないか』だと
 全く現場を知らないお偉方様は、簡単に言ってくれるものだな。私は今のままでも構わないと思うがね。」
ハイラム、その名前を耳にし、頭のデータベースが顔の知らない彼の姿を浮かび上がらせた
ロサンゼルス市警所属特殊事件担当だったはずだ、私達の機関の人間ではない

なぜ本部がハイラムさんにそんなに対抗心を抱くかというと、彼の過去の経験にある
彼は私達がかねてから追っている組織のテロの被害を最小限に抑えたという実績を有しているのだ
たった9人で数千人が犠牲になるはずのテロを最小限の犠牲で済ませられた、そんな奇跡を彼は可能にした
本部のコンピュータで調べる限り、そこには私と同じ日本人が関わっていたというのだ
それもたったの9人、正確には2人は中国人ではあったが。

そんな神業みたいなことができるのであろうか?
疑うことしかできないが、事実としてデータベースに残っているのだから信じるしかない
しかしその9人の情報は一切記されておらず、どんな人物なのかわからなかった
興味本位で調べようとしたが、先生にも、他の教官からも止めるように言われ、なくなく諦めた
調べられたのは9人が自らを『リゾナンター』と名乗っていたことと、リーダーが20歳を少し超えた女性であること
他の8人については非常に情報が乏しく、参考になるものは一つもなかった
戦闘のスペシャリスト、なのだろうか、彼女達は・・・

181名無しリゾナント:2015/12/12(土) 03:03:02
「それから本部からもう一つ報告書をはやく出してくれとの催促もあった
 色々と忙しいのだろうが、君の報告を楽しみにしている者もたくさんいるのだから
 まあ、私もなかんか自分の仕事がたまっているので困っているのだがね」
一人で日本に帰ることとなり、普通の生活を送るためにはそれなりの普通の人間関係を築かなくてはならない
それは楽しいようであり、苦しいことであった。この任務が終わったとたんに永遠の別れが決まっているのだからだ
それは機関に所属する身分として避けては通れぬ掟であり、悲しいことだが、いつの間にか慣れてしまっていた
だからこそ、普通の少女と過ごす私の中に時折冷めた自分に気付き、楽しいはずの時間を冷静に捉えてしまう
勿論それは普通の人には気付かれることはないのだが、自分らしさを失っている気になる
仕方がないこと、それは全て・・・

昨日もそうだった、奴らが動き出した情報が入り一人で現場に向かった
機関からの装備で簡単にその場を制圧した
しかし、奴らの一人が残した言葉がなぜだろう?胸に残って離れない
「何が『ガキだから余裕』だ……こいつの強さ、リゾナンター並じゃないか」

どこかに埋もれていた記憶が呼び起こされた
なぜそんなに興味が出たのか、魅かれているのかわからない
ただ、その「リゾナンター」に私はあってみたい
この仕事を、世界にいればいずれは会えるのであろうか
きっとその時には、私はもっと・・・

「さて、そろそろ、私は帰るとしよう。チェルシー、カバンをとってくれないか?」
最後の最後までコーヒーの優しい香りに包まれ、先生とともに私は店を出た
店の中を名残惜しそうに先生は覗き込んだ
「・・・この仕事でなければもう一度来れるものなのにな、残念だ」

ええ、その通りです
私ももう一度訪れたいと思う、素敵なお店でした
でも、規則は規則。二度と訪れることは許されない
だから、店の名前だけを永久の記憶に刻み込もう
店の名前は『リゾナント』

182名無しリゾナント:2015/12/12(土) 03:05:24
>>
「水鳥跡を濁さず」です。
前回チャットでの設定から想像しました
時間がなく、設定が浅いかもしれないですが明日のチャットの前菜にでもどうぞ

183名無しリゾナント:2015/12/12(土) 09:15:05
おお!チェル編きたー!これは楽しみ♪転載行ってきます

184名無しリゾナント:2015/12/14(月) 23:21:34
久々に。



この場所に来るたびに、たくさんの記憶が甦る。
その中で私は、大半、ずぶ濡れになっていた。
頭からつま先まで、じっとりと重くなった身体をプールサイドに乗せて天井を見上げている場面が多い。
その姿に、情けなくないといえば、嘘になる。


―――「水を理解したかったら、自分もちゃんと水に曝け出さなきゃダメだよ」


最初に訪れたのはいつだろうとふいに思う。
今日の日付を西暦で頭に浮かべ、イチ、ニイと指を折って数字を引いていく。
ああ、もう5年も前になるのかと、改めて、月日の重さを感じ取った。


―――「成長、できた?」


ただひたすらに、走り続けてきた。
自分の信念を貫くための、闘いだった。

185名無しリゾナント:2015/12/14(月) 23:22:06
すべて、自分で決めたことだ。
訳も分からずに、ただ自らの信じた「正義」のために、ひたすらに血の雨を降らせてきたこの5年。
闘いを喜びとは思ったことはなかったが、背中を合わせて、肩を組んで共に立ち向かってきた、この5年。
決して無意味ではなかった。
だけど、私は5年で、何を得たのだろう。
そして、何を失ったのだろう。

鞘師里保はひとつ息を吐き、プールサイドに腰を下ろした。
水面は微かな風に揺れるも、空間には「凪」が広がり、しんと静寂が支配している。
この無音の中で、生が息吹く瞬間を感じ取ることはたやすい。
とくんとくんと撥ねる心臓は、此処にひとつしかない。

その心臓を、里保は何度も、抉ってきた。
もちろん、自分のではない。
他者の、名もなき「敵」たちの、生を、だ。

正義という大義名分を抱えても、所詮は人殺しだ。
世界の平和とか、人類の恒久のシアワセとか、御託だけならいくらでも並べられる。
“闇”に対抗するための絶対的な“光”であり、ジョーカー。それが、リゾナンターたちの共有するただひとつの、「共鳴」。
その共鳴は静かに響き、同心円状に広がっていった。

186名無しリゾナント:2015/12/14(月) 23:22:52
共鳴の発端が誰であったのか。
里保はそれが、4年半前に此処から歩いていった、一人の女性だと聞いている。
その人と交わした言葉は少ない。だが、彼女は圧倒的な“光”だった。
何度か顔を合わせ、ともに闘った日々の中で、里保は漠然と、その人への憧れを募らせていたのかもしれない。
一緒に居る時間はあまりにも短く、その憧れが、いつしか自分の使命へと変わっていったのも自覚していた。
真っ赤な使命は中心に座し、それが里保の「共鳴」の根幹ともなった。

それから暫くしないうちに、次々と先代たちが旅立っていった。
理由は一様ではない。
上層部と呼ばれる男たちとの対立や、能力の跳ね返りによる身体的負担、あるいは別の能力を有した仲間を連れていった者もいる。
リゾナントの扉を叩いて5年。
何もできずに膝を抱えて泣くことの多かった末っ子の里保は、いつの間にか、仲間の中でもトップに近い場所に立たされることになっていた。


―――「捕まえてみせますよ、田中さん」


あの頃に立てた誓いを、私は果たすことができたのだろうかとぼんやり思う。

187名無しリゾナント:2015/12/14(月) 23:23:25

―――「れなは負けんよ。なんでもいちばんじゃないと、気が済まんけんね」


果たせないまま終わるのだけはごめんだった。
たとえ自己満足だったとしても、言い出したからにはやり遂げたかった。
圧倒的ともいえる力の前に無様にひれ伏すことなく、どんな洪水が訪れても揺るがない、大木のようになりたかった。


だからこそ、ひとつの結論を出した。
考えて考えて考えて考えて、考え抜いた末での、結論だ。
もう決して揺らぐことはない、17歳の、決断だ。
幼くて危ういことは理解していた。
自分にどれだけのものが背負えるのだろうと、自惚れるなと言い聞かせる。
私にできることなんて限られている。分かっている。分かっているつもりだ。
それでも私は、前に進まなくてはいけないんだ。
自分自身を、鞘師里保と云う存在に対し、責任をもって、向き合わなくてはいけないんだ。


―――「信じとーよ、さゆも、絵里も。そして、鞘師のことも」


塩素の匂いが鼻を掠める。
この場所に来ると感傷に浸ってしまうのは、いつも此処が、里保のスタートラインだったからかもしれないと思う。

188名無しリゾナント:2015/12/14(月) 23:23:57
見送ってきた、たくさんの先輩。
その背中に追いつこうとがむしゃらに駆けてきた時間。
行く手を阻むものは一人残らず斬り捨ててきた。

その人生を、捨てる訳じゃない。
この場所を離れたからと言って、闘いの日々からは逃れられない。
斬ってきた無数の生命を背負って、この人生の幕をおろすその日まで、罪と罰を考えながら、それでも自分の「正義」のために、生きていくんだ。
もっと、もっと、もっと強くなるために。


―――「そんなこと、鞘師は、しない」


そんな中、やはり色濃く残るのは、あの人の言葉だった。
初めて出逢ったあの冬も、地下プールを壊し始めたあの夏も、コインをひっくり返されて自分を失いかけたあの春も。
すべての時を超えて過ごした、あの人との最後の秋。

平和の音が聴こえるまで傍にいてくれると誓い、
感情の刃ですべてを壊しかけたその瞬間さえも、バラバラになる心を繋ぎとめてくれた、あの人のこと。

189名無しリゾナント:2015/12/14(月) 23:24:28
ああ、私は、“あの人”を追いかけていたのだろうか。
共鳴の発端であったとされる彼女ではなく、歴代最強と謳われ、新しい仲間とともに歩き出した彼女でもなく。
歴代最弱とも揶揄され、それでも静かに時代を紡いできた、“あの人”のことを。

「……さんっ……」

その名を呼ぼうとした、瞬間、だった。
背後に微かな気配を感じ、身を翻す。
途端、今の今まで里保が座っていた場所に、鋭く何かが振り下ろされた。
何が起こったのか。
奇襲かと舌打ちしかけた里保の前に、

「あー!もう!あとちょっとだったのにぃ!」

そんな言葉が降ってきた。
思わず眉をひそめ、そして「え?」と返してしまう。

眼前に佇むのは、ひどく不機嫌に眉間にしわを寄せ、前髪をぐしゃりと乱暴にかき上げた、佐藤優樹だった。

190名無しリゾナント:2015/12/14(月) 23:25:49
>>184-189
ひとまず導入だけ
タイトルは最後に

191名無しリゾナント:2015/12/22(火) 18:04:07
新スレ立っていませんが>>190つづきいきます


-------

今、目の前で起きている「現実」を把握するまで、たっぷり10秒は必要だった。
だが、10秒以上経っても、これが「奇襲」なのか、それとも予告なしの「演習」なのか、理解はできなかった。

分かっているのは、あとほんの僅かでも反応が遅かったら、斬られていたかもしれないということだ。
斬られる…?
里保は咄嗟に、そう、思った。
つまりこれは、闘いだ。
だが、いったい何のための?何のための闘いだ?
優樹は、何の目的で自分に襲い掛かったのだ?

里保は高鳴る鼓動を抑えながら、右手の平に力を込める。
何が起きたかはまだわからないが、常に「此処」には、武器を携えておくべきだと判断した。
そして、詠唱を始める寸前で、彼女が手に持つそれを、しっかりと、見た。

「さやしさん、たおします!」

それは、デッキブラシだ。
床を磨く先端はなく、柄の部分だけを木刀のように振り回した優樹は、一足で里保の懐に入ってくる。

192名無しリゾナント:2015/12/22(火) 18:04:48
理解が追いつく前に、素直に、迅いと思った。
慌てて距離を取る。ぶんと勢いよく一文字に振られたデッキブラシが、里保の鼻先を掠める。

倒すって、倒すって、なに?

優樹に理由を問いただす前に、再び攻撃が走る。
二歩三歩と後退していく自分がいる。
事態は呑み込めてはいないが、このまま防戦一方になってはいけないと、再び右手に意識を持っていく。
まだ詠唱は始めていないが、やはり、手元に水の刀を呼ぶ必要がある。

それにしても、優樹の考えが読めない。
本気で、倒す?倒すって、うちを?なんで?

いつだったか、珍しく新幹線で移動しているときのことだ。
彼女は里保に「さやしさんたおします」と告げたことがあった。
それが何を意味するのかすぐには把握できなかったが、よくよく考えれば、座席のリクライニングを倒すことだと、答えには行き着けた。

でも、今回の「倒す」は、どうもそれとは訳が違うようだ。

「やっさんが、行っちゃう前に、斃します!」

そう、「倒す」ではなく、「斃す」なのだ。
優樹はヒュンヒュンと軽くデッキブラシを振り回し、改めて構えた。

193名無しリゾナント:2015/12/22(火) 18:05:39
「刀の使い方を教えてください!」と散々言われて、しょうがなく教えた基本の構えがある。
今の優樹は、そんなことを堂々と無視し、我流を貫いている。
教えたのに意味がないとも思うが、その構えは少しだけ、「右院刀」に似ていてぞくぞくする。
門前の小僧か、あるいは天性の才か、優樹は時に、里保の想像を軽く越えてしまう。
それがきっと、羨ましいんだと思う。

限界のないその先を、堂々と歩くことのできる彼女が。

「斃すって、どうやって?」

だからだろうか。
いつの間にか、その勝負に乗ろうとしている自分がいた。

「落ちたら負けです!」
「落ちたら……?」
「プールに落っこちたら!やっさんの!負けっ!!」

一本取るでも、気絶するでもない、分かりやすくシンプルな勝負だ。
なるほどそれでかまわない。

まずは、「闘い」に相応しい武器を持とうと、里保は優樹に背を向け、用具室へと走った。
途端、目の前に彼女が現れる。思わず舌打ちしたくなる。
彼女の有した“瞬間移動(テレポーテーション)”は、実に厄介な能力だと思う。
こちらの予想を裏切る速さは、里保をひたすらに、興奮させる。
闘いは喜びでないと謳うくせに、自然と口元が、緩むのだ。

194名無しリゾナント:2015/12/22(火) 18:06:18
振り上げられたデッキブラシを避け、用具室へと体を滑り込ませる。
室内は薄暗く、かなり埃に満ちていた。
一息吸ったら一瞬で喘息になってしまいそうなほどの汚さに苦笑しつつ、壁際に立てかけてある箒を手にする。
一番手前にあったものが、結果的には手に馴染んでくれそうだった。
里保はそれをぐるんと回転させ、優樹へと振りかざした。

鋭い風切り音。そして微かに、血の香りがする。
どうやら鼻先を掠めたらしい。

「……迅いですねー」

数歩後退し、鼻を擦る優樹のそれを、褒め言葉として受け取っておく。
冗談じゃない。迅いのは、優樹ちゃんのほうだ。そう里保は思いながら、用具室を出た。

プールサイドで、一度、箒を握り直す。
汗でしっとりと濡れた手の平から、その木の棒は滑り出でてしまいそうになる。
この状況で武器を手放すことは、「負け」を色濃くさせてしまう。
震える身体を落ち着かせようと深呼吸をした。
そういえば、優樹とこうして一対一で真剣に向き合ったことは、一度もなかったっけと思う。

鍛錬の一環で、リゾナンター同士が手合わせをすることは何度もあった。
だが、優樹との手合わせの記憶は、ない。
いつも彼女は工藤遥や小田さくら、最近では後輩の野中美希とやり合うことが多い。
別に里保のことを避けているわけではないのだろうけど。
何かを「教わりに」くることはあっても、「対決を挑む」ことは、数える程度しかなくて。
そのたびに里保は、理由をつけて断っていたんだ。

195名無しリゾナント:2015/12/22(火) 18:06:54
 
 
本当は、怖かったのかもしれない。
底知れぬ力を持つ優樹に、負けるかもしれないという恐怖を抱いてしまうことが。


優樹はとんと左足で地面を蹴り上げた。
中空に数秒浮いたかと思うと、再びその姿が、視界から消える。
“瞬間移動(テレポーテーション)”の発動だとはわかるが、次に彼女がどこに出現するかまでは、予測できない。
足掻いても仕方のないことだとは思うが、相手の姿が見えないことは、恐怖だ。
何処だ?
何処から彼女は来る……?

―――「―――」

一瞬、空気が震えた気がした。
左か。
箒を構えると、しっかりと、相手のデッキブラシと噛み合う。
反応されたことが不服だったのか、優樹は眉間にしわを刻み、さらに力を込めてくる。
ぐいっと押し返すと、優樹が数メートル先のプールサイドに着地し、再びこちらに向かってきた。
真正面から鋭い斬撃が、3回。
大振りなため、剣筋は見える。
だが、いずれもその力が、重い。万が一にも頭に喰らったら、ひとたまりもない。

里保は流れるようにデッキブラシを避け、右足を軸にして、身体を回転させる。
勢いそのままに、居合抜きの要領で箒を向ける。
優樹はぐいんと背中を反らし、反動でデッキブラシを振り下ろす。
やばい。と、受ける。

196名無しリゾナント:2015/12/22(火) 18:07:29
がちぃっと、木と木が当たる鈍い音が響いた。
一瞬手がしびれそうになる。
優樹はすぐさま離れたかと思うと、間髪入れずに次の攻撃に転じてくる。
やみくもにデッキブラシを振り回す様は、剣道や居合の基礎なんて完全に無視している。
だが、きっと、「実戦」という意味では、理に適っている。
基本がない分、教科書やマニュアルが通用しない。
相手の心を読み、先を予測しようとしても、本人が次、何処に攻撃するかを考えていないのだ。
それこそ、自らの感性とその場の空気を察して瞬間瞬間で身体に任せて剣を振るう以上、先読みなど、無意味だ。

「やああああっ!!!」

我流という言葉は、恐ろしい。
無鉄砲で、無茶苦茶で、破天荒で、良識も常識も境界もない。
一つひとつの攻撃を受け流し、傷つかないようにするので精いっぱいだ。
とてもではないが、反撃の余地もない。
体力も有り余っているのか、優樹のスピードはさらに上がり、その斬撃の重さも増していく。
それがそのまま、今の優樹の力だと理解する。
いつの間にか、本当にこの首を刈り取られるところまで来てしまったんだなと実感する。


―――「鞘師さんは、永遠をどう思いますか?」


リゾナンターという組織を今後引っ張っていく中で、重要な立ち位置に居るのは、後輩のさくらだと感じていた。

197名無しリゾナント:2015/12/22(火) 18:07:59
彼女の有した“時間編輯(タイムエディティング)”は、時の流れという人が侵してはいけない禁忌への挑戦ともいえた。
その術の跳ね返りは強く、まさに生きるか死ぬかの瀬戸際を何度も経験している。
そんな彼女だからこそ、この場所を託すのにはふさわしいと里保は感じていた。

だが、もしも。
もしも、これまでこの場所に立ち続けた里保の首を刈り取ろうとする人間がいるとしたら。
それに相応しいのは、きっと、優樹なんだ。


―――「さやしさん、たおします」


誰に臆するでもなく、堂々と力を込めて宣言する彼女は、その資格がある。
何より彼女には、底知れぬポテンシャルがある。
それは、里保の有する「狂気」ではなく、本物の、「可能性」だ。


―――「破壊と絶望を振り翳し、世界を統一するための、狂気を」


私が失ったのは、理性だったのかもしれない。
人として、女性として、最後の犯してはならない領域。
護らなければならない尊厳を、あの日、私はあの黒雲の下で曝け出して、失った。
そんな私を斃すのは、境界など関係なく、すべてを超えていく、優樹ちゃんなんだろうか。

198名無しリゾナント:2015/12/22(火) 18:09:38
>>191-197
ひとまず以上です
新スレ立ちましたらお手数ですが代理お願いいたします

199名無しリゾナント:2015/12/22(火) 22:11:08
スレ立てんで転載行ってきます

200名無しリゾナント:2015/12/23(水) 22:04:47
>>190つづきです



「やっっっっさんっっ!!」

途端、優樹の剣圧が場を支配する。
はっと意識を戻されたかと思うと、優樹の刀―――デッキブラシがすぐ眼前へと迫っていた。
慌てて受けようとすると、インパクトの寸前で、ブラシが消えた。

え?と思った瞬間、右わき腹に鋭い痛みが走った。
そのまま弾かれ、数歩、よろけた。

見事に、右わき腹へヒットした。

「よそ見!しないで!!」

だが、彼女は一発こちらに当てたことを喜ぶでもなく、怒声を上げながらデッキブラシを振り下ろしてくる。
ギリギリギリと、彼女の力によって押されていくのを感じる。
両足で必死に踏ん張るが、先ほどの打撃によってうまく力が入らず、渇いたプールサイドを滑っていく。
なんという力だろうかと奥歯を噛みしめるも、徐々に身体はプール側へと押されてしまう。

201名無しリゾナント:2015/12/23(水) 22:05:49
冗談じゃないと右手首に力を込め、くるんと箒を回転させた。

「あわぁっ?!」

力の支点がズレた優樹は目を丸くし、勢いそのままにプール側へと身体を投げ出される。
そのまま水面を揺らそうかという寸前で、その姿は消えた。

「……それ反則じゃない?」

誰もいなくなった空間に苦笑しながら、里保は呟く。
はぁ・はぁっと短く息を吐き、「落ちたら負け」というルールが、優樹にとって有利であることに今さら気づいた。
水面を掠める前に能力を発動する限り、彼女が負けることはない。
確かにこちらは“水限定念動力(アクアキネシス)”を有している。
水砲を撃ち上げて優樹を攻撃することは可能だが、「プールに落ちないために」も有利になりうるのだろうか。

思考を纏めようとすると、再び風の音を感じる。
考えさせる暇を与えてくれないなと振り返る。
しっかりと箒とデッキブラシが噛み合う。
いつも後手に回る。
“音”を感じ取るだけでは、まだ、遅いのか。


―――「ちゃんと、聴こえるよ。安息の、優しい、そう、“平和の音”みたいなやつがさ」


一度、同期の前でそんな話をした。
同期の誕生日の夜に、生命を散らした敵の前で。いつかその音を聴けるようにと、途方もない祈りを捧げたんだ。

202名無しリゾナント:2015/12/23(水) 22:06:33
果たして私は、その音を聴けたのだろうか。
この耳で、この心で。
数多くの人を斬り、矛盾するように涙を零し、闘い続けたこの5年間で。
そしてなお、強くなるために歩いていこうとするこの先の未来で。
私はその音を、聴けるのだろうか。

優樹の音ですら、感じ取れるのが精一杯なのに。

「……刀、重いね…いつの間に、練習したの?」

膝を曲げて堪えながら、話を逸らすように里保は問うた。
優樹はといえば、褒められていることに気づいていないのか、それともここで一気に肩をつける算段なのか、応えない。

此処で押し負けたら、必ずプールに落ちると確信があった。
だが、支点をズラしたところで、また優樹の“瞬間移動(テレポーテーション)”によって阻まれるのは目に見えている。
能力を発動されてもなお勝てる方法を見つけなくてはいけない。
現状、すべては後手に回っている。
優樹が能力を発動する瞬間、あるいは、発動して出現するポイントさえわかれば、まだ方法はある。
その両方を悟る方法を見つける前に叩き落されたら、実に情けないが。

優樹は一度身体を引くと、腰を落とし、床に左腕を立てて全身を支えた。

「うぉっ!?」

203名無しリゾナント:2015/12/23(水) 22:07:45
まるでブレイクダンスをするように、左腕を軸にして優樹の身体がぐるりと回る。
コンパスの針はしっかりと地面に刺さり、脚は円を描いて里保の足元をすくった。
バランスを崩し、必死に立て直そうとする前に、優樹がまた眼前に迫っている。
一つひとつの動作が迅すぎて、把握するだけで精いっぱいだった。

尻もちをつきそうになるのをこらえ、右手一本で優樹の攻撃を受け止める。
が、力負けし、ついに背中をプールサイドにつけてしまう。
優樹は此処で決めてしまおうと、大きく振りかぶる。

甘い。と思った。
相手が斃れた瞬間は、勝負を決する瞬間だ。
だが、一撃で決めるのではなく、短くも確実な連打を入れるのがセオリーだ。

里保は腰を上げて両足を浮かせると、上体をばねにして彼女の腹部を蹴り上げた。

「っ……!」

胃液が出るのをこらえるように、優樹は2、3歩下がる。
再び里保は立ち上がると、今度は自ら攻撃を仕掛けていった。
腰を低く落とし、セオリー通り、短い斬撃を繰り返す。

優樹はその一つひとつを捌いていくが、捌ききれないいくつかの打撃が、肩や膝を掠める。
そのうち優樹のほうが耐えきれなくなり、捌くのではなく、しっかりと箒同士をかち合わせた。
重い一撃に、お互いの手が痺れる。

204名無しリゾナント:2015/12/23(水) 22:08:18
優樹の速度は、確かに里保を超えているかもしれない。
だが、その斬撃の強さは、まだ、里保のほうが上なはずだ。

「……鞘師さんっ…おもいっ…」
「……体重が?」
「ちっがいますっ!」

自虐するように言ったものの、ちっとも相手は笑おうとしなかった。
普段の優樹ならば、楽しそうに何処かのアニメのキャラクターのように、腹を抱えて笑ってくれそうなのに。
いつの間にか、大人になっていく。
身長も伸びて、前髪も伸びて。
だけどきっと、変わり切れない子どものままなのは、私だけなんだと思う。

だからこそもっと、強くなりたいんだ。
もう子どもじゃない。年齢だけじゃなく、経験も、人としての器も、大人になりたいんだ。

里保は手首を返し、再び力の支点をずらした。
先ほどと同様に、優樹はぐるんと大きく宙に浮かび、回転する。
が、今度は“瞬間移動(テレポーテーション)”を使わず、中空でその体躯を伸ばしたかと思うと、ばねのように跳躍した。

「なっ……!」

身体を宙に浮かせ、重力がゼロになった瞬間に膝を曲げて“飛んで”くる。
まるでそれは、天から落ちてくる稲妻のようだった。
いや、さながら願いをかなえる、シューティングスターか。

205名無しリゾナント:2015/12/23(水) 22:09:00
 
 
―――「田中さん、息吸って下さい!!」


そういえばあのとき、“水の壁”とともに落ちてきたのは、私だったなとぼんやり思い返した。

恐らくそのとき以上に強い重力とともに鋭い速度で落ちてきた優樹は、全身の力を込めてデッキブラシを振り下ろす。
箒で受け止められる力ではないと覚悟していた。
だが、それでもほかに方法はなかった。
里保は箒の両端をしっかりとつかみ、優樹の懇親の一撃を受けた。

衝撃波が走る。
ぶわっと風が舞い上がり、里保と優樹の髪を揺らし、水面を揺らして逃げていく。
ぐぐぐっと堪えていると、鋭い音とともに、亀裂が入った。

ああ、折れる!

直後、鈍い衝撃音が破裂し、箒は真っ二つに砕けた。

だが、優樹のほうもただでは済まなかった。
彼女の額には、衝撃によっていくつかの切り傷が入り、一筋の鮮血が垂れ始めた。
同時に、デッキブラシも折れ、宙に高々と舞った。

相打ちか。
そう思った意識こそが、里保の甘さだった。

206名無しリゾナント:2015/12/23(水) 22:09:40
 
優樹は折れて宙に浮いたデッキブラシに、痺れが残っているであろう左手を伸ばした。
そして、その長い指先で、しっかりと、掴んだ。

ああ。

ああ。と里保は思う。

ああ、これこそが。


洪水が来ても倒れない、大木の、強さだ―――


優樹は左手を一気に振り下ろす。
里保はガードする余裕もなく、そのデッキブラシを右肩に受けた。
あまりにも重い一撃が身体を駆け抜ける。
そのままよろめいてしまうと、間髪入れずに二撃目を腹部に受ける。
受け身を取れず、勢いそのままに、里保はプール上へと投げ出された。

207名無しリゾナント:2015/12/23(水) 22:11:03
>>200-207 ひとまず以上です
転載できる方が居ましたらよろしくお願いいたします。


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前回転載してくださった方ありがとうございました
コメントをくださる方もありがとうございます励みになります

208名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:15:35
>>200つづきです


落ちる。

即ち、敗北する。

その覚悟ができた瞬間、まるで走馬灯のような映像が、走っていく。
たくさんの記憶が、経験が、過去が、思い出が。
エンドロールを見ているように、流れていった。

此処に来て5年。
「鞘師里保」としての5年は、同い年の女の子が経験するそれとは、異質の時間だったと思う。
生まれついての特殊能力を生かせる場所は、此処しかなかった。
この門をくぐることは、「普通」を捨て、「非人道的」な道を歩むことだった。
何人もの人を斬り、血という名の、紅い雨を降らせてきた。

赦されるはずなどない。
赦されて良い訳がない。

それでも私は、闘ってきた。

209名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:16:08
ただ強くなるために、地下鍛錬場のプールで水砲を打ち上げ、
あの背中に追いつくために、水柱とともに3人で鬼ごっこを繰り広げ、
大切な約束の丘の上で、雨が雪へと変わる中で想いを託されて、
此処に集った者たちと、決意の杯を交わしながら年を越え、
生と死の狭間で自分を見つめるために、その“音”を必死で耳にして、
淡雪の中で赦されない罪と対峙し、それでも見捨てないでと吐息を吐いて、
己の中に飼った狂気と対峙し、それでも信念のために闘ってきた。

そしてもっと、強くなりたいと願った。
誰かに頼るのではなく、陰に怯えるのではなく、ひとりでも、強く、逞しく、生きていきたいと思った。


―――「鞘師のこと、信じてるから」


水面に髪の毛先が触れようかという寸前、その声が浮かんだ。
“信じる”という言葉は、口にするのは容易い。
だが、実際にそれを心に灯し、相手を包み込むのは、難しい。
それを、彼女はなんの衒いも迷いもなく、やってのけた。

何の力もない私を。
弱い私を。
不器用な私を。
怖がりな私を。
ただ暴れるだけの私を。

210名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:16:38
何も語らずに、優しく包み込んで愛してくれたその人は、途方もない強さを有していた。

そんな強さが、私は欲しかったんだ。
その強さを得るために必要なこと、そう“信じる”ことを教えてくれたのも、あの人だったんだ。


「――――――」


里保は瞬間、大声で詠唱した。
プールの水が意志をもったかと思うと、ビリビリと風圧が場を支配し、空気を震わせる。
優樹が目を見開くのと、水面の上で里保の体が大きく撥ねるのは、ほぼ同時だった。

「あっぶな……」

里保は何度か水面で撥ねたあと、その上に、胡坐をかいた。
何が起きたのか、優樹は瞬間には把握できなかった。
だが、里保がその上に立ち、とんとんとジャンプするのを見て、理解した。

「“水限定念動力(アクアキネシス)”……ですか?」
「うん。表面だけを少し固めれば、即席のトランポリンになるみたい」

こんなふうに能力を発動させることはなかったためか、どこか他人事のようにつぶやく。
これまで、水を刀のように固めて振るったり、水砲を撃ち上げたりすることはあっても、直接打撃系以外の、そう「武器」以外として水を操ることは少なかったように思う。
こうやって応用することもできるんだって、いまさら気づく。
遅いなあ。もっと早めに気づいても、良かったんじゃないかなぁ……

211名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:17:19
それだけ私は忘れていたんだ。
自分を信じるということを。

「……やっさん、ズルい」
「“瞬間移動(テレポーテーション)”で水に落ちないようにする優樹ちゃんに言われたくないなぁ」

わざと挑発するように言って、「そんなことより」とちょいちょいと指で招く。

「勝負はまだ、終わってないよ?」

優樹はむぅっと頬を膨らませ、プールサイドを駆け出した。
そのまま大きく跳躍し、トランポリンと化した水面へと、飛び込んでくる。

「……ごめんね」

里保はそれを待っていたかのように、膝を曲げて、強く、高く、跳躍した。
優樹よりも、さらに、上に。

「え……?」

飛び込もうとした優樹の身体は、重力に従ってゆっくりと落ちていく。
トランポリンと化したはずの、水面の上に。

優樹は、まさかと思い、眼下に広がるプールを見つめる。
先ほどまでしっかりと固まり、息を殺していた水面が、風に揺られて動きを取り戻していた。
瞬間、理解し、息を呑む。
里保の能力―――“水限定念動力(アクアキネシス)”―――が、解除されている。

212名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:17:52
慌てて自分の能力を解放しようとするが、その左手を、中空で、里保が掴んだ。

「恨みっこ、なしだよ」

その言葉の直後、全体重が優樹の双肩に圧し掛かる。
水面が息を吹き返し、水底からうねりを上げて立ち上がった。
ぐわぁっと大きく口を開き、優樹を呑み込もうとする。
それはまるで、水龍が、人を食わんとする姿に、よく似ていた。

「やっっっさぁぁぁぁん!!!」

優樹の能力が発動する瞬間はわからない。
だが、発動させようと意識してから実際に行使されるまでには、少なからずタイムラグが生じていた。
僅かな時間だが、彼女自身が水上に飛び込んで来たなら、それを捕まえることは、決して難しい問題ではない。

里保は双肩から手を放し、優樹の身体を空中で押し出して、距離を取った。
彼女が悔しそうに唇を噛み、顔をゆがめている。
少しだけ、泣いているようにも見えたけれど、だからこそ里保は、眉を下げて、困ったように、笑った。

「んんんもう!!」

優樹は水に掴まれ、そのままプールへと沈んだ。
水しぶきが派手に打ちあがるのを確認し、里保は再び水を引き上げた。

213名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:18:24
-------

ふたりして、固められた水面の上に身体を大の字に投げ出した。
優樹はずぶ濡れの身体を乾かすことなく、天井を仰ぐ。
この間修理したばかりの照明は、煌々と優しい光を注いでくれる。
どちらからともなくため息を吐き、「ずるい」「ずるくない」の応酬をした。
勝負だもん。でも反則。優樹ちゃんだってチカラ使った。そうですけど。じゃあずるくない。でもずるい。ずるくない。

「……勝ち逃げは、ずるいです」

すん、と鼻水をすする音がプールに響いた。
静かな空間にはずいぶんと大きく共鳴するものだ。

「たなさたんも、みにしげさんも…やっさんも。まさ全然、超えられてないのに」

最初に優樹に逢ったとき、里保は不思議な感情を抱いた。
「天真爛漫」という言葉がよく似合うのだけれど、それだけでは片づけられない「何か」を持っている気がした。
首を刈ろうと大きな鎌を携えたその少女は、天使にも悪魔にも見えた。
でも、先ほど、折れたデッキブラシに左手を伸ばした優樹は、何処にでもいる、だけど何処にもいない、唯一無二の16歳だった。

次の世代を牽引するのは、やはりこの子なのかもしれないとぼんやり思う。
いや、ある種それは、期待であり、願いだ。

「優樹ちゃんなら大丈夫だよ。うちなんかより、全然」
「やっさんは!凄すぎるんです!」

優樹の声は、よく響く。
意志をもち、未来を見据える若者の叫びは、いつだって、大きいのだ。

214名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:18:58
「刀だけじゃない!“水限定念動力(アクアキネシス)”だけじゃない!体術だけじゃない!ぜんぶぜんぶ、ぜーんぶ!全部凄いんです!」

優樹は身体を起こして叫ぶ。連られるように、里保も上体を起こした。
すると、優樹は里保のシャツの胸ぐらをつかんでくる。ずいぶんと乱暴なことをするなと妙に冷静に観察する。

「まさだけじゃない!みんなそう思ってるんです!」
「………優樹ちゃんは、凄いんだよ」
「そうじゃないんですっ!そうじゃ…そうじゃないっ……」

もう、後のほうは、涙が混ざったような声になっていた。
シャツを引きちぎらん勢いで、優樹はぐいぐいと腕を動かす。
訴えたい思いは、言葉にならない。
だが、固められた水面の上に落ちたそれは、沈むことなく、そこに揺蕩う。
優樹は何度も「鞘師さんは」「さやしさんっ、が」「さやしさんは!」と名前を呼ぶ。

里保は急かさずに、待った。
優樹が自分で、揺蕩う言葉を拾い上げるまで、静かに、待った。

「なんでっ…いっちゃうんですかぁ……」

最後に出てきたのは、子どものような、叫びだった。

「行くのは、いい、いいんですっ、けどっ!」

良いんだ。と思わず苦笑してしまうと

「なんでっ!ひとり、なんですかっ……」

その言葉が、弾きだされた。

215名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:19:29
なぜ。なぜ。なぜ。
優樹の問いに対する答えを、里保は有していない。

それ以外の答えがなかったからだ。

此処に来た時も独りだった。だったら、出ていく時も独りだ。それが普通だ。何の理由もない。
私は、強くなりたかった。
一番を追い求めた彼女のように、圧倒的な光を有した彼女のように、もっともっと強くなりたかった。
だからこそ、広い世界に出ていく必要がある。
その場所には、独りで立ち向かわなくてはならない。
誰かに頼るのではなく、誰かに甘えるのではなく、大人になるために、自分の力だけで生きていくために、
私は、私は、ひとりで―――


―――「自惚れないで。」


ふと、その言葉が心を射抜いた。
そうだ、その言葉を渡されたのも、このプールだった。
もう一人の自分に怯え、内なる狂気を見ないように、膝を抱えていたあの夜に。
この水辺で、彼女は、云ったんだ。

「待ってます……そして、追いかけます…ぜったい」

優樹から投げ出される言葉は、随分と一方的な宣言だった。
ぐちゃぐちゃになった感情を、ただ思うがままに吐き出している。彼女はいつだって、自分に正直だ。
でもそれは、泣き言でも、戯言でもない、宣戦布告だったのだ。

216名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:20:17
「まさにとって、鞘師さんは、特別だから。仲間の中で、いちばん、特別だから」

特別だから。
仲間だから。
だから。だから。


「だから絶対、追いつきます」


それは波紋のように広がったかと思うと、途端に里保の中に、数多くの笑顔が、声が、想いが、共鳴した。
最初にこの門を叩いた時に出逢った人の姿が見えてくる。

能力を有し、世界で生きていくために、仕方なく集まったこの場所。
でもその中には、ただひとつの共有事項であった“共鳴”が存在していた。
偶然ではなく必然。
この場所は、特別で、運命的な何かによって仕組まれた、一種の「盤上」でもあった。

大いなる力によって操作されたものだとしても、私たちはここに集った。
最強と云われる場所に足を運び、そして新たな風を起こした。

里保は確かに先頭に居た。先陣を切った。たくさんの生命を殺した。
だけど、すぐ横には、後ろには、遠くには、「仲間」がいた。
蒼き“共鳴”という紅い血の絆で結ばれた、大切な「仲間」がいたんだ。


―――「りほりほ……」


優樹の涙を見て、里保は、漸く、気づいた。

217名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:20:49

―――「さゆみは鞘師を過大評価してないし、みんなを過小評価してない」


私はいつだって、独りじゃなかった。
此処に来た時から、ずっとずっと、仲間がいました。
大切な仲間が、護りたい仲間が、傷つけたくない想いが、ずっとありました。
闘いは喜びではありませんでした。
生きていくために仕方のないことだと思っていました。

でも、本当は、護りたかったんです。
自分の信念を、自分を信じてくれる「仲間」を、叶えたい夢を。
この世界で、「鞘師里保」として生きていたいという、祈りを。

ああ、本当に遅すぎますね。
でも、漸く、漸く私は、あなたのその言葉の意味にたどり着けました。

「………うち、強くなる」

里保は鼻を啜り、優樹に目を向けた。
彼女は涙でぐしゃぐしゃになった顔をこちらに向ける。さながら、叱られてしまった犬のようで、途方もなく愛しくなってしまう。

「すっごい強くなる。だから、優樹ちゃんも、強くなって。そしたら」

そしたら―――

「また、手合わせしよう、この場所で」

218名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:21:28
それは遠い未来への、誓いだった。
だけど、決して果たされなくなるような、口約束ではない、将来の予想図だ。
たとえ道が分かれてしまったとしても、生きている限り、この生命がある限り、いつだって、私たちは出逢えるんだ。
たくさんの道がひとつに重なって、またいくつかに分岐して、それでもまた、重なる日が来る。
さよならだけが人生だというけれど。
決してこれは、背徳のさよならではないんだ。


―――「さゆみは、水が好きだよ?」


4年間、変わらぬ愛をくれた人がいた。
ただ静かに見守って、やさしさを惜しみなく降り注いでくれた人がいた。
私はまだ、その人のようにはなれない。強くもないし、甘えることも、素直になることも、できない。

だけど。
だけど少しだけ、一歩進める気がしたんだ。
今日ここで、優樹と手合わせをして、水を再び操って、彼女に胸ぐらをつかまれて。
私にはたくさんの「仲間」がいると再確認して。
何とか、地べたをはいつくばってでも、私は、「鞘師里保」になれた気がしたんだ。

里保は乱暴に目を拭い、雫が落ちないように堪えた。
いつだって教わってばっかりだ。
先輩にも、同期にも、そして後輩にも。

いつの間にか頼もしくなった後輩たちがたくさんいて、だからこそ私は、此処から踏み出せると心が固まった。
大きな背中を向けて歩いて行ったあの人の気持ちが、少しだけ、少しだけ今なら、分かる気がした。

219名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:22:01
「さやしさん、行きましょう!」

優樹はすんすんと鼻を啜り、涙を拭うと、里保の手首を引っ張った。
急に何をするのだろうと思うが、構わずに優樹につれられるまま、トランポリンのプールを歩く。
ぴょんぴょんと撥ねて不安定な場所は、これからの未来の不安と、だけど何処までも飛べるような希望を、思わせる。

「パーティーです!ふくむらさんが、ケーキ作ってくれました!」

パーティー?もしかして、うちのために?と里保は眉を下げた。
いや、単純にクリスマスが近いからかもしれないと思い直す。どっちでもいいや、みんなで盛り上がれるなら、それで良い。
そういえば、いつだったか、誰かの誕生日を祝ったときも、優樹ちゃんがクラッカー鳴らしちゃって、ばれちゃったんだっけ。

懐かしいね。うん、懐かしい。

また、できるかな。
いつかのように。
今日のことを。忘れないで居れば、いつか、いつか。

「鞘師さん」

プールサイドに戻ると同時に、能力を解除した。
再び水が動き出し、また塩素の匂いが強くなる。もうすぐ此処に、凪が訪れる。

「さよならなんて、言いませんよ」

強く、強く、優樹は云う。
頑固で、強情で、わがままで、だけど、鋭く射貫く瞳は、美しい。

220名無しリゾナント:2015/12/25(金) 22:24:15
「うちも、言わないよ。だって―――」

空が続く限り、いつだって、道は交わることができるんだから。
道を重ねたその先に、確かな未来を築きに行くよ。

そうしてふたりは笑い合い、また手をつないで、走り出した。
たとえ何があっても、一度繋がれた絆は壊れることはない。


そう信じて、ふたりは喫茶リゾナントへと、勢いよく階段を駆け上がった。





=======
以上「旅立ちの挨拶」
10レスオーバーして申し訳ないですm(__)m

自分が書いた鞘師さん関連のやつは一通り触れている…はずです
少し早いですが鞘師さん行ってらっしゃいです

221名無しリゾナント:2016/01/08(金) 01:29:44
>>167-174 の続きです



「これは一体…」

突如、リヒトラウム内に響き渡った轟音。
春菜の超聴力で音を辿り、ミラーハウスへと駆けつけたリゾナンター一行は驚愕する。

その外観までも鏡を張り合わせた、鏡の館は、跡形もなく崩れ落ちていた。
曇天を鈍く反射する破片の瓦礫を、残して。

「あいつら、ハルたちに追って来いとか言いながらこんな嫌がらせしやがって!」
「工藤さん、あそこに!!」

苛立つ遥の目を、指差す方向に向けさせるさくら。
さくらの話していた、地下へと通じる階段。それが、ご丁寧にも瓦礫を避けるような形で存在していた。

「いい性格してるわ。うちらを、誘ってる」
「…あゆみちゃん、慎重に行かないと」
「香音ちゃんの言うとおりだね。どんな罠が仕掛けられてるかわからない。みんな、気を引き締めて行くよ」

聖の一言が、メンバーに緊張感を与える。
その様子を側で見ていた春菜は。

譜久村さん…道重さんがいないことで、不安だろうに、こんなに。ううん、私もがんばらなくっちゃ。

彼女自身の感じているであろうプレッシャーとともに、急速に先頭に立つものとしての資質を発揮しているのを感じた。
それとともに、春菜自らも聖を支える覚悟を決めるのだった。

222名無しリゾナント:2016/01/08(金) 01:31:46
戦闘能力に長けた亜佑美が先陣を切り、そのすぐ後にさくらと優樹が続く。
彼女たちのサポートとして遥と香音が両サイドを固め、遠距離攻撃の衣梨奈と春菜が控える。
そしてメンバー全員の回復役を担う聖が、最後尾。
敵はいつ襲ってくるかもわからない。あの底意地の悪い「煙鏡」のことだ。どんな罠を仕掛けているかもわからない。
彼女たちの戦いは既に、始まっていた。

薄暗い階段をゆっくりと、下りてゆく。
光を遮られた空間。メンバーたちの思いは、必然的にさゆみへと馳せていった。

さくらは思い出す。
囚われの身となっていたさくらを救い出した時に、さゆみは自分のことを「仲間だから」と言ってくれた。
そして、リゾナンターとなってからも。さゆみが何かの拍子で言ってくれた「小田ちゃんは歌もうまいけど、普段の声
もかわいいね」という言葉。温度のない研究所では語られることのなかった、新しい価値観をさゆみは教えてくれた。
だから、今度は私が。だって、「仲間」だから。

遥は思い出す。
吐き気がするような人体実験の繰り返し。悪魔の新興宗教団体から救ってくれたリゾナンターの一人に、さゆみがいた。
一緒に助け出された、春菜。そしてほぼ同時期にリゾナンターとなった亜佑美や優樹。幼少の頃から能力を使役してい
た遥は、どうしてもその中で気負ってしまい、さゆみやれいなたちに対しても遠慮がちになってしまう。そんな遥にさ
ゆみは、「甘えてきてもいいんだよ」と声をかけてくれた。
その優しさに今、報いたい。

優樹は思い出す。
思えば、さゆみには迷惑をかけっぱなしであった。妙な「白い手」による優樹の転送能力は、未だに不安定で、時には
さゆみを間違えて池に落としたこともあった。たまに、怖いなと思う時はあったものの。最後には笑って許してくれた。
自分には姉はいないけれど、もしいるならさゆみのような姉がいい、そう素直に思えた。
みにしげさん、見ててください。

223名無しリゾナント:2016/01/08(金) 01:33:19
亜佑美は思い出す。
成り行きでリゾナンターに加わることになったものの、それからのさゆみとの思い出は一つ一つが掛け替えのない宝物だ。
喫茶店の手伝いをしている時。買い出しに出かけた時。何気なく、休んでいる時。そこには、さゆみの笑顔があった。
彼女に出会えたこと、彼女のいる日常。そしてその笑顔を守りたい。あの二人に勝って、それから、「ただいま」と言っ
てもらいたい。
私、絶対に負けません。

春菜は思い出す。
悪夢の日々から救ってくれた、あの日。力強く立つ愛やれいなの後ろに、儚げにさゆみが佇んでいた。
能力が戦闘向きではない、そんなところに春菜は自分自身との共通点を感じていたが、それは間違いであったことにすぐ
に気づかされる。
時折現れる彼女のもう一つの顔である「絶対的破壊者」はもちろんのこと。さゆみ自身もまた、自らの戦闘力を少しでも
伸ばそうと努力していた。そしてさゆみがリーダーになった時、持っている統率力や人を引きつける力がその地位に相応
しいと心から思えるようになった。そんな彼女に、少しでも、近づきたい。
道重さんに勝てるように、がんばります。

香音は思い出す。
「透過能力」。この何とも奇妙で使いどころの難しい力を、最初に評価してくれたのはさゆみだった。
戦闘においてまるで役にたたないのでは、と悩んだ時にアドバイスをくれたのもまた彼女。そのおかげで、香音はチーム
の盾と言えるほどのサポート力を身につけることができた。そのことを、本当に感謝している。
これからも、さゆみに見守っていてほしい。
私の力、今、見せます。

224名無しリゾナント:2016/01/08(金) 01:34:34
衣梨奈は思い出す。
リゾナンターになってから間もない頃、彼女は能力の不安定からくる情緒不安で度々ミスを犯していた。
特に、とある重要な依頼において。衣梨奈は感情を暴走させ、最終的にさゆみに土下座するような事態を引き起こしてし
まったこともあった。だけど、そんな衣梨奈をさゆみは笑って許してくれた。思えば、あの時から衣梨奈は自らの欠点を
長所とすべく歩み始めたのかもしれない。
こんなえりやけど、世界一周するくらいの勢いで、前に進むけん!

聖は。
最初にリゾナントでの出会いがあった時に、絵里の隣にいたのがさゆみだった。
憧れの絵里といつも一緒にいるさゆみ。自分も、さゆみのようになれたら。そんな思いが、原点だったのかもしれない。
絵里がいなくなった、喫茶リゾナント。さらに、愛や里沙、れいなまでがいなくなってしまった時に。
さゆみは、明らかに変わった。彼女らしさを残しつつも、後輩たちを引っ張ってゆくその姿に。
そこではじめて、聖はさゆみ自身にはっきりとした尊敬の念を抱いた。
さゆみと喫茶店の仕事をしている時。そして共に戦線に立つ時。全てが、聖の宝物だった。
道重さん。聖は、これからもそんな時間を大切にしていきたい。だから。

八人の、それぞれの思いは必然的にさゆみへ。そして今この場にいない里保へと向かう。
突如として鬼神のような力を振るった里保。しかしそれは誰もが想定にすら入れていなかった悪夢でもあった。自分た
ちの力で御しようのない、天災にすら似た力。それは里保自身が我を失い破壊の限りを尽くしていたことからも明らか
だった。

どこから来たのか、どういう力なのか。
当の本人が倒れてしまった今では知る由もない。が、これだけは言える。

里保は、かけがえのない大切な仲間であるということ。

リゾナンターでも屈指の実力を誇る里保に、メンバーたちは幾度となく助けられてきた。
そして、闇なす脅威と共に戦ってきた。その時間は、絆は誰にも否定できない。いや、させない。
たとえ離れていても、伝わる。彼女の想いが、そして強さが。

リゾナンターを名乗りしもの、その想いはひとつへ。
確固たる意志は、やがて闇に向けられた一振りの太刀へと形を変えるように。

225名無しリゾナント:2016/01/08(金) 01:35:25
長い長い、いつ終わるとも知れない階段。
だがそれは、突如として終わりを迎える。闇は晴れ、一際大きな空間へと抜けた一行。
そこに鎮座する「それ」は、全員の息を飲ませるには十分な代物だった。

「おいおいおい…何の冗談だよ」
「まさテレビで見たことある!打ち上げ花火!じゃなかった、何だっけ」
「それを言うなら打ち上げロケットでしょ!」

優樹のとんちんかんな発言に突っ込む春菜だが、それにしてもと思う。
打ち上げロケットにしても、この大きさのものがあのリヒトラウムの地下にあるなんて。

阿弥陀籤のような縦横無尽の鉄骨に支えられた、物言わぬ冷たい円柱状の物体。
それはもうロケットというより、高層ビルか何かの様にすら見える。

しかも。その筐体には、一切の継ぎ目がない。
これだけの巨大な物体を作り上げる技術力を有している組織と言えば、こと日本国内においてはかなり限定される。
すなわち。

「これは。人を不幸にする機械です」

この物体が作られた背景を知らずして、さくらが忌々しげに言う。
まさしく彼女の直感だった。決して幸福な環境に育ったとは言えないさくらが、目の前の物体に抱いた感情。
それを裏打ちするように、嫌な声が響き渡る。

226名無しリゾナント:2016/01/08(金) 01:36:59
「人を不幸にするか。皮肉なもんやな」

現れたのは、機能性に富みつつも不吉なデザインの衣装を身に纏った少女。
ロケット状の巨大建造物を支える鉄骨の上に立ち、眼下のリゾナンターたちを見下ろした。

「どういうことですか」
「この『ALICE』は、うちんとこの白衣タヌキが産みの親や。せやけどどういう訳か、それをダークネスの本拠地とは違
う、別の場所に保管させた。ダークネスのスポンサーになってる、堀内っちゅう男が所有しとる大型テーマパークの地
下にな」

聖の問いかけには答えず、「煙鏡」はつらつらと語りだす。
勿体ぶるような、煙に巻くような。それでいて、どこかで何かのタイミングを見計らっているような表情で。

「おい、お前!質問に答えり!!」

相手の態度に苛つき、叫ぶ衣梨奈。
しかしそんなものは子猫の咆哮、とばかりの涼しい顔。

「まあ話は最後まで聞いとけや。そんでな、この『ALICE』は、そんじょそこらのエネルギーじゃ、大した力を発揮で
きひん。その効果を最大限に高めるためにも、格納場所がリヒトラウムの地下である必要があったんや。お前らも知
ってると思うけど、ダークネスは精神エネルギーの研究分野では、それこそ世界一の技術力を誇ってる。電波塔を媒
介しての、精神エネルギーの散布や、それとそこのお嬢ちゃんを使うた『共鳴の力』の抽出とかな」

指を指され、背筋が強張るさくら。
数人のメンバーがさくらを守るように強い視線で「煙鏡」を睨み付けるが、相手はそれを緩やかなそよ風のように平
然とした顔で受けている。楽しんでいる。

227名無しリゾナント:2016/01/08(金) 01:38:23
「そして、この『ALICE』もその精神エネルギーの研究の成果の一つや。こいつはな。人間の『楽しい』と思った精神
エネルギーを吸収し、燃料とする。直上にお誂え向きの幸せ量産マシーンがあることで、『ALICE』のエネルギーは爆
発的に増えてくっちゅうわけや」

爆発的。
そのキーワードは、『ALICE』の攻撃的デザインも相まって嫌が応にもリゾナンターの不安を煽り立てる。

「…安心せえ。別に今すぐ『ALICE』を東京のど真ん中にぶち込むなんて真似はせえへん。それどころか、自分らにとっ
てもお得な結果になるかもしれへんな」
「それってどういう」
「いい加減なことを言うな!!」
「単刀直入に言うわ。うちらはこいつをな…ダークネスの本拠地にぶち込む」

「煙鏡」がどういう意図を持ってこの発言をしているのか。
理解できるメンバーはいない。自らの拠点にあえて攻撃を仕掛ける理由など、思いつくはずがなかった。
ただ、「煙鏡」は相変わらず人を食ったような顔をしつつも、声のトーンはとてもではないが冗談を言っているように
は聞こえない。

「うちらも一枚岩と違う、そういうことや。お前らは知らんやろうし知る必要もないけどな。うちらがあいつらに受け
た仕打ちは…あいつらを100回消し飛ばしても絶対に消えることはないねん。誰もいない、何もない空間で、ずうう
うぅぅぅっと。生きてるか死んでるかすらわからんような目に遭わされて。解放したらぜーんぶチャラなんて、そない
な都合のいい話があるわけないやろ!!!!」

坦々と話していたかに見えた「煙鏡」、しかし彼女たちの抱く感情の核心に迫ると声を荒げ感情を剥き出した。
リゾナンターたちは知らない。彼女たちのボスが二人に課した、想像を絶するような罰を。そして、気の遠くなるよう
な長い時間をすり減らしつつも、胸に抱いた復讐心は摩耗するどころか鋭く研ぎ澄まされていたことを。

228名無しリゾナント:2016/01/08(金) 01:39:35
「お、おい…どうするんだ」
「確かにダークネスをかばう義理なんてないっちゃけど」
「いや、違う。何か違うよこれ」

遥が皆を不安げに見回し、衣梨奈が眉を顰め、香音が違和感を覚える。
そう、違和感だ。敵の敵は味方と言うが、この話はそうじゃない。
答えを導き出すかのように、聖が口を開いた。

「一つ聞きます」
「おう、何や」

聖が、「煙鏡」を強い視線で射る。

「そのロケットがダークネスの本拠地に着弾した場合、どうなるんですか」
「年間で糞みたいに多くの人間の精神エネルギーを吸い込んだ『ALICE』や。いかにあの建物が強固やったとしても、一
たまりもないやろ。アホ裕子も、保田のおばちゃんも、よっすぃーも梨華ちゃんも、ムカつく紺野のやつも。みーんな、
お陀仏や。楽しいやろ?」

自らが言うように、楽しげにそう語る「煙鏡」。
聖は、少し瞳を伏せ。それから、強く、言った。

「やっぱり聖は、あなたたちのしようとしていることを見過ごすことはできない。小田ちゃんが言うように、そのロケッ
トはたくさんの人を不幸にする。確かにダークネスは許せないけれど、そんな結末は聖は…ううん、道重さん田中さん新
垣さん光井さんも、リゾナンターという存在を育てた高橋さんも、望んでないと思うから」
「聖…」
「譜久村さん」
「さすがですっ、譜久村さん!」

春菜の甲高い声が、太鼓を鳴らすように響き渡る。
春菜だけではない。この場にいる共鳴せし者たち全員が、同じ気持ちだった。

229名無しリゾナント:2016/01/08(金) 01:40:43
「譜久村さんの言うとおりです。道重さんが倒れた時、あなたたちを絶対に許さないって思いが強くなった。絶対に、
仇をとるって。でも、今は違う。リヒトラウムに遊びに来た人たちをひどい目に遭わせ、さらに不幸な人たちを増やそ
うとする。復讐じゃない。私たちは、リゾナンターとして。あなたたちを、止める」
「これだけは言えるわ。お前らは、間違ってる。ハルはそれが、我慢ならねえってこと!」
「まさも!このでっかい鉄の塊を飛ばすって言うなら、その前にお前らをぶっ飛ばすんだから!!」

さくらが、遥が、優樹が、「煙鏡」に向けて宣戦布告する。
真摯な思い、しかしそれが小さな破壊者に届くことはなかった。

「はぁ。くっさ。これまたくっさ。友情努力勝利の少年漫画かいな。あほくさ。ま、ええねん。自分らがここに来た時
から、生きて帰そうなんて気持ち、これっぽっちもなかったしな。特に、うちの相方が」

寒気、ではなかった。
少女たちが感じたのは、どす黒い感情。そして明確な、殺意。

「回復するのに手間どっちまったけど…待たせたなぁ」

「煙鏡」の横に立つように現れた、もう一人の破壊者。
さゆみを死の淵に追いやった、張本人。

230名無しリゾナント:2016/01/08(金) 01:52:33
「のんを馬鹿にしたあの赤目の剣士がいないじゃん。いいけど。お前らぶっ殺したあとに探し出して、同じようにぶっ
殺すだけだし」

隣の相棒とお揃いの、腹部と腿を露出させた機能的な衣装。
着替えたのであろう。里保によって無残に斬り刻まれたはずの衣装は何事もなかったかのように元の体を成していた。
が、体中に刻まれた生々しい傷跡は赤く、深く脈を打ち続けている。そして呼応するように。

「金鴉」の全身の毛が、逆立っていた。
たかが子供と侮っていた相手に、惨めなほどに追い込まれたことへの怒り。
圧倒的な暴力の中、抗うことすらままならず、相手の恐ろしい力が途絶えなければ命すら奪われていたかもしれない
という恐怖。
恐怖を上塗りするかのごとく憤怒の炎は、さらに燃え上がる。

そして隠された、もう一つの怒り。
無様な姿を、「煙鏡」の前に晒してしまった。
生まれた時から不平等だった扱いの中で、「金鴉」のプライドを支えていたのは。

二人が、同等の立場にあるということ。

白衣の連中の思惑など、どうでもいい。
とにかく、自分が「煙鏡」と肩を並べる必要があった。
相手が功績をあげれば、自分もあげる。相手が一人殺せば、自分も一人殺す。
彼女の知恵に対抗しようと、自らに与えられた「力」をひたすら磨き続けてきた。
その結果、ただの物まね芸でしかなかった能力は、ついには「二重能力者(ダブル)」に匹敵するような価値を得る。
人々は、「金鴉」と「煙鏡」を、最悪の悪童、双子の破壊者として忌み嫌い、そして恐れた。
それが「金鴉」には、心地よかった。

けれど、先の敗北は。
赤目の剣士にいいようにやられ、追い詰められた無様な結果は。
いや、結果ではない。「金鴉」が恐れたのは、「煙鏡」の視線。
まるで汚いものを見るような、憐みの目。それが、何よりも耐え難く。そして許せなかった。

その全てを鎮めるには、屈辱を与えた人間たちを同じ目に遭わすしかない。
必然的に血の気も引くような殺意と黒い衝動が、リゾナンターたちに突き刺さるように向けられていた。

「雁首揃えて、ノコノコとやってきやがって…バッキバキの!グッチグチの挽肉にしてやるよおぉぉ!!!!!!!!!」

血に飢えた獣の、咆哮が地下空間に木霊する。
既に、戦いは始まっていた。
互いに、退くことのできない戦いが。

231名無しリゾナント:2016/01/08(金) 01:54:26
>>221-230
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

ずいぶんご無沙汰してましたが、今年もよろしくお願いします

232名無しリゾナント:2016/01/09(土) 20:02:19
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233名無しリゾナント:2016/01/19(火) 23:34:13





太陽は、東の空から昇りそして、西の空へと沈んでゆく。
朝の眩しい光、人々を眠りから覚ます力強い光。だがそれはやがて血を流したかのように赤く染まり、太陽とともに地
の底へと消えてゆく。
その後に訪れるのは、闇。一筋の光さえ射さない、暗黒の世界。

234名無しリゾナント:2016/01/19(火) 23:35:54


5人の少女たちによって創設された能力者組織「アサ・ヤン」。
その類稀なる戦闘能力、そして突如として少女の1人に覚醒した未来予知の力は組織を大きくしてゆく。
数年後。新たに3人の能力者を加え「M。」と改称した組織は、トップである中澤裕子のカリスマ性によって志を共に
する複数の小団体をまとめ上げる。

「HELLO」。
国からの絶大な信頼を得るとともに、警察機構や自衛隊すら凌ぐ強大な武力を保持したその組織は、そう呼ばれていた。
能力を持たない普通の人間には処理することのできない、特殊な事案。今まで権力者が個人的に契約しているフリーの
能力者が片づけていたような仕事は、程なくして「HELLO」に回され始めた。

「えーと、11時からは東南アジア系のマフィアのアジトの殲滅。13時に例の連続爆破事件の犯人の追跡。17時に「M。」
のミーティング…もう休む暇もないべ!!」

とあるオフィスビルの1フロア。「HELLO」はそのさらに一室を間借りしているのだが。
小柄な少女の叫びに、思わず行き交う人間が注目する。

「しょうがないよなっち。これも仕事だからね」

対する隣を歩く少女はあくまでも冷静だ。
だが、叫んだ少女はそれが気に入らない。

235名無しリゾナント:2016/01/19(火) 23:37:08
「福ちゃんはいいべさ。今日は入ってる仕事はないっしょ。でもなっちは」
「役割が違うからね。忙しいのはなっちの圧倒的な戦闘力を買われて、でしょ?」
「で、でも!カオリだって予言の仕事だなんだって言って部屋にこもりっきりだし」
「それも役割の一つ。なっちはもう『M。』の看板なんだから、割り切らないと」

組織の看板、と言われてしまえばそれ以上彼女は何も言うことはできない。
事実、彼女 ― 安倍なつみ ― の言霊を操る力はここ数年で目覚ましく成長し、組織を代表する能力者と言われるま
でになっていた。

「そうだよね…なっちたち、能力者にとっての理想社会を作るために、頑張ってるんだよね」
「さ、そうと決まったらこんなところで愚痴ってないで。今何時だと思う?」
「っと、10時半…え!!」

最初の仕事の時間まで余裕がないことに気づき、慌てふためくなつみ。

「ごめん急がなきゃ!福ちゃんありがとね!!」

小走りで駆け出す小さな背中を見送りながら。
明日香自身、自らの紡ぎだした言葉に自問する。

能力者の理想となる社会を作るために、自分達はここまでやってきた。
では、そもそも「能力者にとっての理想社会」とは?
裕子、彩、圭織、なつみ、そして明日香。運命に導かれ出会った五人だが、最初はそんな大層なお題目など持ち合わせて
はいなかった。ただ。異能を持つが故に虐げられ、苦しめられてきた過去を持つ者同士が、これ以上自分達と同じような
存在を増やしたくないと願った先の出来事に過ぎない。

236名無しリゾナント:2016/01/19(火) 23:38:08
だが、現実はどうだ。
自分達が持つ能力を政府筋の人間に評価された結果、目の回るような忙しさが襲い掛かってきた。組織は加速度的に大き
くなり、このまま順調に進めば能力者の理想社会を創造することももしかしたら可能なのかもしれない。が。

結局はどこまで目標に邁進した所で、「HELLO」はお偉い方たちにとって都合のいい道具でしかない。飼い犬はどこ
まで走ったとしても飼い犬でしかないのだ。
また、良くない噂も聞く。最近では新設された生物科学の部門が何やら怪しげな実験を繰り返しているという。さらに、
一部の能力者たちが正規の仕事ではない仕事、つまり裏社会の非合法な仕事に手を染めているという話すらある。

本当に自分達は、能力者の理想とする社会に辿り着く事ができるのか。

明日香の思考は自らの心の黄昏へと消えてゆく。
それでも、色濃く残された色彩は決して消えてはくれない。

237名無しリゾナント:2016/01/19(火) 23:39:20


「明日香、浮かない顔してるよ」
「キャハハ、人生に疲れたって顔してるぞ?」

「HELLO・東京本部」と書かれた素っ気ないドアを開けると、二人の少女が出迎える。
明日香より少し大きい方が、市井紗耶香。そして明日香よりさらに小さい方が、矢口真里。ともに、明日香たち5人に新
しく合流した能力者たちだった。はじめは能力の覚束なさからか、自信なさげな表情をすることも多かったが。年が近い
こともあり、今では打ち解けた話し方をするようになっている。

「…いろいろ、気苦労が多くてね」

もちろん、自分たちが所属している組織の在り方に疑問を呈している、などとは言えない。
すっかり「HELLO」の主力となり、欠かせない戦力と言ってもいいくらいの二人。
しかし、自らの心をすべて預けるような間柄でもないことは確かだった。それに。

「っと。そう言えば急ぎの仕事があったんだった。おいらたち、もう行くわ」
「だね。遅れないようにしないと」

そんなことを言いながら、そそくさと事務所を出て行く真里と紗耶香。
足早に遠ざかってゆく背中を、明日香は苦い表情で見送っていた。

238名無しリゾナント:2016/01/19(火) 23:40:25
最近、二人の様子がおかしい。
心を読まれないように、自らの心にロックをかけている。これについては明日香が相手の心を読む能力に長けているせい、
というのもあるのかもしれない。ただ、疑念はそれだけではない。

単独行動、とでも言えばいいのか。
明らかに不審な活動が目立っていた。例えば、事務所のホワイトボードに書かれた、彼女たちの行先。これと言って問題
があるようなクライアントではないが、二人が口にしていた「急ぎの仕事」というのは少々引っかかる。というのも、件
のクライアントが急ぎの仕事を依頼するようなシチュエーションが明日香には想定できないからだ。

偽装…か?

一瞬、疑いがよぎるが、即座にそれを否定する。
真里も紗耶香も、ともに戦線を潜り抜けた仲間だ。特に、多くの負傷者を出した「サマーナイトタウン」での戦闘は記憶
に新しい。

一部の能力者たちが裏社会の非合法な仕事に手を染めている。
重ねたくないのに、どうしても黒い疑念は二人から離れてくれない。
どうすればいい。組織のトップである裕子にはこんなことは話せない。
なつみや圭織にも話せない。特に圭織は未来視の能力がまだ不安定だ。疑念レベルの話が大きくなっては困る。
なら真里・紗耶香と同期の保田圭ならどうか。彼女の冷静さならばあるいは。
駄目だ。この問題に直面するには圭は真面目すぎる。

明日香はこのことを相談するのに一番適した人物を知っていた。
彼女以外に、ありえない。とまで考えていた。

239名無しリゾナント:2016/01/19(火) 23:41:47


「そりゃ、張ってみたらいいんじゃない?」

都内のとあるバー。
美味しそうに琥珀色の液体を口にしてその女性は言った。
ウエーブが程よくかかった長い髪が、大人の女性の雰囲気を強調する。

「でも、そんなことをしたら」
「明日香は考えすぎ。あいつらにそこまでの根性ないから。今だって、あたしが一喝したら涙目になって震え上がっちゃ
うのにさ。一回尾行して、んで安心したらいいのさ」
「彩っぺ…」

目の前の女性 ― 石黒彩 ― は事もなげにそう言い切った。
それでも表情の晴れない明日香の背中を、ばちーんという音とともに強い衝撃が襲う。

「ご、ごほっ!痛った、彩っぺ何すんの!!」
「お、久しぶりに見た。年相応の子供らしい表情」
「からかわないでよ。うちらみたいな能力者が、年相応なんて無理なんだから」
「なっちとか圭織とかなまら子供っぽいべ?」
「あの二人は特別。特になっちなんて私がいないと…」
「はぁ、明日香ねえさんも大変ね。どう、一杯飲(や)る?」
「裕ちゃんじゃないんだから、未成年に酒を勧めない」

じと目で突っ込まれ、嬉しそうに笑う彩。
能力者「アサ・ヤン」を立ち上げた五人の能力者の一人。年少者である明日香やなつみ、圭織と年長者の裕子の間を取り
持つ中間管理職。さらに、三人の新人を徹底的に鍛え上げた鬼軍曹。
裕子が組織の長としての職務に追われる中、彩は明日香が頼るべき最後の寄る辺とも言えた。

240名無しリゾナント:2016/01/19(火) 23:43:13
「うちらが最初に『アサ・ヤン』を立ち上げてから、ずいぶん組織も大きくなったよね」
「そうだね。今じゃすっかり大所帯。最近じゃ妙な外人とかいるらしいし」
「…ねえ、彩っぺ」

明日香が、意を決して切り出す。

「何さ、改まって」
「裕ちゃんの言う、能力者が安心して暮らせる理想的な社会って。どんな社会なんだろう」
「……」

彩は、すぐには答えない。
残り少なくなったウィスキーの入ったグラス、浮いた氷をくるくると回している。
沈黙、そして流れる時間。けれど、悪くはなかった。
やがて、流れた時に導かれたように彩が口を開く。

「うちらが、能力者であるってことを感じさせない。裕ちゃんが目指してるのは、そんな社会なんじゃないかな」
「能力者であることを感じさせない…」

うまく想像できなかった。
明日香の能力である、精神操作。能力者相手ならともかく、耐性のない一般人の心はいとも容易く流れ込んでしまう。そ
んな状況で、自分が能力者であることを意識させないようなことなど、可能なのだろうか。

「よく、わかんないよ」
「まーた考えこんでるな。裕ちゃんならきっと『そんなんどうにでもなるわぁ!』って言うよ。そうだ、最近裕ちゃんと
飲んでないなぁ…ま、忙しいししょうがないか」

241名無しリゾナント:2016/01/19(火) 23:44:07
確かに、そう言われそうな気がした。
道のりは見えないけれども、彩も、そして裕子も。向いている方向は同じような気がした。
そして、自分もその方向に顔を向ければ、なんとなくうまくいくのかもしれない。
その時の彩の言葉には、そう思わされる力があった。

「ありがとう、彩っぺ。ごめん、変なことに付きあわせて」
「いいっていいって。その代り、あんたがお酒飲めるような年になったら、裕ちゃんより先にあたしを誘うこと」
「確約はできないけれど、努力するよ」

立ち上がり、勘定を済ませようとする明日香。
これには慌てて彩が制止する。

「…可愛げがないねえ。年下の子に金出させるようなこと、させないでよ」
「でも」
「今日はお姉さんの無料レッスンだと思って、甘えときなさいって」

はじめは不服そうな顔をしていた明日香も、やがて諦めたのかそのまま手を振り別れを告げた。

242名無しリゾナント:2016/01/19(火) 23:44:43
明日香には敢えて言わなかったが。
彩に、思い当たる節がないわけではなかった。
ただし、それは真里や紗耶香のことではない。他でもない、「HELLO」のトップ。

裕子が、ここ最近目に見えて忙しくなったのは事実だ。
しかし。何か、違和感を覚える。彼女はもしかして、何かをしようとしているのではないか。
自分たちに何も言うことなく、やろうとしていることとはいったい。

考え過ぎ、なのかもしれない。
それこそ明日香に言った言葉がそのまま自分に跳ね返っている。
例え裕子が何かをしようとしているとしても。それが自分たちに害をなすとも思えない。
彩はそう結論付け、だからこそ明日香には何も言わなかった。が。

彩の思惑とは裏腹に、「闇夜」はすぐ側まで迫っていた。

243名無しリゾナント:2016/01/19(火) 23:48:21
>>233-242
久々の番外編
タイトルは後編をあげた時にでも

参考までに
http://www35.atwiki.jp/marcher/pages/934.html

244名無しリゾナント:2016/02/10(水) 03:45:13
>>233-242 の続きです



透明な液体から、泡が、一つ、二つ。
こぽこぽと定期的に立ち上る泡。極北の空に輝くオーロラのように水中に棚引く、金色の美しい髪。
一人の少女が、液体で満たされた水槽の中で、膝を抱えて浮かんでいた。

「…お、ええ調子やな」

液体と外界を隔てる硝子面に、男の歪な顔が浮かび上がる。
白衣を着たその男は、細眉を嬉しそうに上げながら、波間に揺蕩うがごとくの少女の姿を眺めていた。

「覚醒は、来年の夏あたりを予定しています」
「何や、まだ先やないか」

同じく白衣を着た若い女性にそう言われ、途端に顔を渋らせる男。
彼は、「HELLO」の戦力増強を担う科学部門の長であった。

「しかしこんなに早く『計画』が実現するなんて。さすが、『先生』に師事されていただけのことはありますね」
「まあ、ここまで来るのにどんだけ失敗したか。ヘラクレス男にカメレオン女…犬男なんて、嗅覚だけ人間の22倍やで。
おっさんの足の臭い嗅いだだけで失神て…そら廃棄もされるわな」

部門長が、おちゃらけつつ過去の失敗作について語った。
その様子は科学者と言うよりも、場末の安いホストのほうがしっくりとくる。

245名無しリゾナント:2016/02/10(水) 03:46:39
「ヒトを超える、戦闘兵器。『先生』はそれを機械でやろうとしたから、たった2年で計画は破たんし
てもうた」
「プロジェクト・カッツェ」
「よう知ってるな、みっちゃん」
「界隈では有名な話ですから。ただ、既存の機械では高出力を賄えなかったとか」
「俺は違う。文字通りゼロから、生命体を作った。それが『ラブマシーン計画』や。見てみい。どっか
らどう見ても普通の女の子に見えるやろ? せやけどコイツん中には、億をゆうに超えるナノマシンが
詰まってる」
「所謂、『黒血』というやつですね」

女が、眼鏡を緊張気味に掛け直す。
彼らが語っているのは、まさに禁忌の科学。科学者として、決して踏み入れてはならないはずの領域。

「コイツが覚醒した時、まさに最強の能力者が誕生する。世界が変わるでえ?」
「是非、そうなることを信じてます」
「みっちゃんはええ子やな」

ま、それだけやない。
男は自らの裡に秘めた計画図を、頭の中で広げ始める。

コイツの存在はおそらく、中澤たちの計画を大幅に推し進めるはずや。
それだけやない。「あいつ」が心の奥底に封じ込めた破壊の化身をも刺激するかもしれん。
となると。そうなった時に対抗できる存在が必要やな。こら忙しくなるで。

男の思考は、すでに次に「造る」予定の人工生命体へと移っていた。

246名無しリゾナント:2016/02/10(水) 03:47:56


彩と話をしてから、数日。
明日香は、真里と紗耶香の動向を注視していた。
もちろん、彼女たちの動きに不審な点は見当たらない。
やはり思い過ごしか。仲間を疑う心は、少しずつ晴れてゆく。
そして、結論付ける。

ホワイトボードを見ると、二人の今日のクライアント先は同じようだった。
これで、最後にするか。
明日香は、今回彼女たちを尾行して何もなければ、これ以上疑念を持つのはやめようと決めていた。

「福ちゃん」
「なっち」

いつの間にか、隣になつみが立っていた。
まるで気付かなかった。自らの思考に少しばかり気が行き過ぎたのかもしれない。

「今日は仕事のほうはもういいの?」
「うん、さっき終わったばかり。でも、少ししたらもう行かなきゃ」

いつも笑顔を絶やさないなつみ。
けれども、日々の疲れが蓄積しているのか、あまり顔色がいいとは言えなかった。
友を慮る思い、しかしそれは突如として違和感に変わった。

247名無しリゾナント:2016/02/10(水) 03:49:07
…今の、何?

明日香は、なつみの顔をまじまじと見る。
多少疲労の色が見えるものの、いつものなつみだ。
やはり、変なことに気が回りすぎているのかもしれない。疲れているのは私のほうだ。

「何だべさ。人の顔、じろじろ見て」
「いや…圭織との共同生活はどう?」

悟られまいと、別の話を振る。
するとなつみの表情がみるみる変わってゆく。

「もう!ほんとに大変!!予知だか予言だか何だか知らないけどしょっちゅう交信してるし、変なお
香炊いて臭いし!!」
「…それは大変そうだね」

圭織は自らの能力を安定させる目的で、とある施設に隔離されていた。
その施設に、なつみが仮の住まいとして入ることになったのだ。
能力安定のためには、近くに強力な能力者がいることが重要、らしくそのような方策が取られたわけ
だが、なつみとしてはたまったものではない。圭織は圭織で、自らのペースを崩されるのを嫌い不機
嫌を顕にしているという。

248名無しリゾナント:2016/02/10(水) 03:49:38
「ごめん、そろそろ行くね」
「え、もう? なっちならもう少し時間が」
「ちょっとやぼ用でね。愚痴なら、なっちのオフに合わせてまた聞いてあげるから」
「う、うん。わかった」

そう言いながら、事務所をあとにする明日香。
真里と紗耶香のことも気になったが、それ以上に。
自らが抱いた違和感を、なつみに気付かれたくなかった。

ほんの一瞬だけ、なつみの奥に、何か黒いものが過ったのが見えた。
きっと疲れているからだ。明日香は先ほどの結論を繰り返す。
ならば、真里たちの無実を確信できればこの戸惑いも消えるはず。
いくつもの思惑を重ね、明日香の歩は急かされるように早まっていった。

249名無しリゾナント:2016/02/10(水) 03:53:11


読心術、および精神攻撃を主な攻撃手段として使用する明日香にとって、尾行術はそれほど得意なも
のとは言えなかった。
ただ、二人の後輩に気配を悟られるほど未熟だとも思ってはいない。

今日は休日だと言うこともあり、街は多くの人で賑わっていた。
クライアントとは街の中心にあるスクランブル交差点の前で待ち合わせとのことだった。木を隠すな
ら森の中、とはよく言ったものだ。おかげで、読心術の感度を上げると取るに足りない輩の下卑た思
考まで伝わってくる。とは言え、標的の心の中を見逃すようなへまはしない。

どちらかと言えば地味な格好をしている紗耶香とは対照的に、街のにぎやかさに溶け込んでいるかの
ような真里。
遊び歩いている家出少女、と言われても何の違和感もない。
そんな二人が、他愛もない話をしながら目的地まで歩いていた。明日香に気付く風はない。

紗耶香は、虫を使役する能力。そして真里は、能力阻害の能力。
現実的な戦力となっているとは言え、明日香の尾行に気付くほどの力はまだない。もしそうであれば、
明日香も尾行などという直接的行動はしなかったであろう。

明日香が、歩みを止める。
標的の二人は、問題なくクライアントと接触するのを確認したからだ。
スーツ姿の、初老の男性。真里が話しかけ、男性がゆっくりと口を開く。
途端に、男の思考に仕事に関する様々な情報が流れ込んで来た。

250名無しリゾナント:2016/02/10(水) 03:54:03
まるで文字が刻まれたテープのように、明日香の脳裏に情報が駆け巡っていた。
それを、心の手が拾い上げ、刻まれた内容を読み取る。
明日…取引…護衛…相手方も能力者…
順調に情報を拾い上げていた明日香、しかし心の手は急に情報を読み込むのをやめてしまう。

背後に誰かに立たれていたこと。
そしてその相手が明日香の後頭部に昏倒の一撃を放っていたことを、叩き付けられた冷たいアスファ
ルトの感触で知ることとなる。慢心していたわけではない。先ほどのなつみの存在について気付かな
かったのと同様に? それは違う。今回は、標的とは別に自らの周囲にすら気を配っていたはず。

いや、気を配るどころの話ではない。
精神操作の能力に長ける明日香は、精神干渉の触手を応用することで自らの周囲に自らの知覚と直結
するバリケードを張っていた。それはさながら、蜘蛛の巣を構成する糸のように。
どれだけ陰形に優れた者でも、精神の蜘蛛の糸からは逃れることはできないはずだった。

それが相手の接近を許したばかりか、攻撃までされてしまうとは。
薄れゆく意識の中で、それができる相手のことを考える。そうだ、なぜその可能性を考えなかったのか。

時を操る能力者・保田圭…

三人目の後輩の名を呟きながら、明日香は完全に気を失ってしまった。

251名無しリゾナント:2016/02/10(水) 04:00:43


「…おはようさん」

明日香が意識を取り戻した時に、かけられた言葉。
しかしそれは明日香がまったく想定していない人物のものだった。

「ゆ、裕ちゃん?」

明日香の前にいたのは、「HELLO」のトップ。
派手な金髪に青のカラコン、見間違えようもなく中澤裕子その人であった。

「まったく自分、働き過ぎとちゃう? ま、うちもどうでもええお偉いさんにヘコヘコしたりでお互
い様やけどな」

状況が把握できない。
真里と紗耶香を尾行していたところを、圭に襲われた。
となれば、目の前にいる人物はその三人のいずれかであるはずだが。
なぜ、組織の長である裕子がここにいるのか。

まずは、現状の把握。
明日香は、ベッドに寝かされていた。見たことのある景色。
「HELLO」の事務所に併設されている医務室であることはすぐに理解できた。
後頭部がひどく傷むが、それ以外のダメージは体にない。

252名無しリゾナント:2016/02/10(水) 04:01:40
「どや。痛みとか、あるか」
「それは大丈夫だけど…」

そう言えば裕ちゃんと直接話すのは久しぶりだな。
そんな悠長な考えは、すぐに消し飛ぶことになる。

「あかんやんか。仲間尾行なんかしたら」
「……」

思わず、体が硬直する。
裕子は知っている。けど、どこまで。いや、違う。どこまでこのことに「絡んでいる」?

「圭ちゃんも、敵対勢力と勘違いして攻撃してもうたやん」
「それはおかしいよ、裕ちゃん」

裕子が構築しようとしているシナリオを、明日香は即座に否定した。
二人を尾行する明日香を、敵対者と誤認し攻撃してしまった圭。相手が明日香だったことに気付き、
慌ててここまで運んできた。一見すると、自然な流れ。

「圭ちゃんの能力なら、私を敵と間違えるはずがない。時間停止が発動してから標的に近づくまで、
確実に私の姿は彼女に認識される。つまり、私を攻撃したのは明らかに…故意」
「なんでやねん。圭ちゃんが明日香のこと攻撃する理由なんてないやろ」
「理由ならある。私がクライアントの男の思考を読み取るのを防ぐため」

253名無しリゾナント:2016/02/10(水) 04:02:36
裕子が、まるで面白いことを聞いたかのように笑い出す。

「考えすぎやって。なんで圭ちゃんがそんなこと」
「圭ちゃんだけじゃない。矢口も、紗耶香もある時を境に普通じゃなくなってる」

明日香が、強い視線を裕子に送る。
心の中の些細な違和感、それが裕子と直接対峙することで限りなく大きくなっていた。

メンバーの中に感じた、些細な違和感。
それが、他ならぬ組織のトップが原因だとしたら?

「…疲れてるんやろ。あんたはなっちと親しいから、あの子の疲労が伝染してるんやろな。ま、数日
休めば変なもやもやも解消されるんやないの?」

いつもの裕子。けれど、いつもの裕子じゃない。
何かを隠してる。何かを、裏で進めようとしている。

ただ、真実を正攻法で引きずり出すのは限りなく不可能に近いだろう。
ならば、こちらも絡め手を使うまで。
明日香は、これまでに手に入れた情報を足掛かりに、隠された真実を暴くつもりだった。

254名無しリゾナント:2016/02/10(水) 04:06:10


都内のとある廃ビル。
エントランスの広く作られたスペースに、黒い影が忍び込む。
先陣を切るのは、二人の護衛。すなわち、「HELLO」に所属する真里と紗耶香。
遅れて入ったのは、屈強な肉体の男性。臙脂色のスーツに身を包んではいるものの、首周りの太
さにワイシャツが悲鳴を上げている。彼は、先日真里たちが接触したクライアントの部下だった。

三人が建物内に入るなり、閃光が走る。
部屋を照らすにはあまりに強力なライトが、三人を影から洗い出していた。

「ちょっと、明かりが強いんじゃね?」
「取引の現場、にしては賑やか過ぎるんだけど」

口々に不平を漏らす二人。
取引相手は明らかに人数が多かったし、物々しい雰囲気を出していた。

「なに、夜闇で顔も見えないような相手とは取引したくないのでね。保険だよ、保険」

黒づくめの集団、その中のリーダーらしき肥満体の男が悪びれずにそう答える。

「そちらの事情はどうでもいい。さっそく取引開始と行こうじゃないか」
「ああ。互いに長居はしたくないものだ」

マッチョと肥満体がそれぞれ、顎を前方にしゃくる。
それを見た紗耶香と黒づくめの男が互いに前に出て、銀色のアタッシュケースを床に置いた。

255名無しリゾナント:2016/02/10(水) 04:07:03
「中身のほうを見せてもらおうか」
「そちらのほうが先だ。商品が見えなければ金を払う道理もない」
「なるほど、仕方ない」

肥満体が再び部下に指示を送る。
地にしゃがみアタッシュケースを開けると、中にはびっしりと薬品のアンプルが詰まっていた。

「取引成立だ」
「いいのか。中身を調べなくて」
「この期に及んで偽物を持って来るような愚かな真似はしないと信じてるよ…では、こちらも」

マッチョの言葉を聞いた紗耶香が、床に置いたケースをゆっくりと開く。

「受け取りなよ…あたしのかわいい蟲たちをなぁ!!!!」

ケースから、黒い煙が漏れ、溢れる。
いや、それは煙ではない。夥しい数の、羽虫。狭い空間から解放された小さな肉食獣たちは、一斉に
生ある者たちに向けて群がり始めた。

鋭い羽音で一瞬のうちに標的に取りつき、皮膚を食い破り、肉を抉り血を啜る。
ある者は痛みと恐怖でのた打ち回り、ある者は食い込んだ蟲を剥そうと必死に顔を掻き毟る。
その様は、まるで地獄絵図。

256名無しリゾナント:2016/02/10(水) 04:08:17
「ちっく…しょお!やりやがったな!!!!ぎっ!ぶっ殺し…てやる!!!」
「だ、だめだ!能力が…あああ!!!つ、使えねえ!!!!」
「お、おれもだ!!がっ!ぐっ!血、血が止まらねえ!こいつら、血管まで、ぎゃ、ああっふっ
ふぅ!!!!!」

先手を打たれた黒づくめの男たちは、自らの能力を使って蟲たちを迎撃しようと試みるが。
彼らはすでに、真里の放つ能力阻害領域に取り込まれていた。
それはすなわち、なす術もなく貪欲な蟲たちに食い殺されるがままということ。

どこかで、銃が暴発する音が聞こえた。
蟲たちは彼らの護身用の得物ですら無力化してゆく。
しばらく、室内には男たちの怒号と絶叫が木霊していたが、その声もやがてか細くなって途切れ
ていった。

「そろそろいいんじゃね?」
「ああ、お前たち、元の場所にお戻り」

眉を顰める真里が言うと、紗耶香が食事を終えた蟲たちに命令する。
すると、アタッシュケースに吸い込まれるがごとく、黒い煙たちは中に戻っていった。

「ふう…おいら、虫とか超苦手なんだよな。こいつらが仕事してる間、鳥肌立ってしょうがなか
ったっつーの」
「あはは、あたしの能力で免疫ついたでしょ」
「つくかよ!!」

部屋に残るは、無残に食い散らかされた死体の山。
その中には、臙脂色のスーツを着た男のものもあった。

257名無しリゾナント:2016/02/10(水) 04:09:27
「こいつさ、なんで俺まで…みたいな顔しながら食われてったぜ?」
「しょうがないじゃん。飼い主のあたしと能力阻害の矢口以外は、全部エサなんだからさ」
「だな。金とブツを頂いたらこいつやっちゃう予定だったし、手間省けて済んだかな」

顔を見合わせて、笑う二人。
その表情には、ライトに照らされながらもなお消えない闇が差していた。
だが。

「クライアントの手下ごと、取引相手を抹殺する。昨日会ったクライアントもきっと始末されて
るんだろうね」
「…誰だ!」

真里が甲高い声を上げ、突然響いた声を探す。
すると、それまで何もなかった空間が揺らぎ、声の主が姿を現す。

「合理的と言えば合理的。けど、その手口はうちらが取り締まってる闇社会の住人と変わらないね」
「あ、明日香!?」

紗耶香の顔が、引き攣る。
明日香は、彼女たちの罪を糾弾するかのようにその視線を送っていた。

「どうしてここが」
「残念でした。間に合ってたんだよ、私の読心術は」

圭に昏倒させられる直前、明日香の脳裏に描かれたのはこの廃ビルだった。
あとは、真里たちがやって来るのを待つだけ。だがそれでも謎は残る。
真里が疑問を口にする。

258名無しリゾナント:2016/02/10(水) 04:12:54
「それに…お前、精神系の能力者だったはずじゃ」
「あの変わり者のおじさんからいいもの、借りてね」

言いながら、白っぽい大きな布を二人に見せる明日香。

「これを被ると、常人の目に存在が感知されなくなるらしいよ。まだまだ試作品だから、数分しか持たないみたいだけど」

組織の、科学部門の責任者。
日ごろから妙なものを開発しているらしく、声をかけたら快くそれを貸し出してくれた。
だが、そんなものを自慢しているような時間はないようだった。

明日香はすでに、場の空気の異常さを感じていた。
真里と紗耶香が放っているもの、仲間には向けられないはずのそれは。

「見られちゃしょうがねえ、ぶっ殺してやる!!」

明確な殺意。
明日香は確信する。この二人は、この二人が所属している組織は。
自分を殺さなければならないほどの、大きな闇を抱えていることを。

259名無しリゾナント:2016/02/10(水) 04:14:20
>>244-258
番外編続きです
前後編ならぬ前中後編になりそうです

260名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:20:39
続きが読めない、という方もいらっしゃるようなので、手直ししつつ
作品の全部をあげたいかと思います。
スレ立ち上げの保全代わりにぜひどうぞ

261名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:21:14





太陽は、東の空から昇りそして、西の空へと沈んでゆく。
朝の眩しい光、人々を眠りから覚ます力強い光。だがそれはやがて血を流したかのように赤く染まり、太陽とともに地の底へと消えてゆく。
その後に訪れるのは、闇。一筋の光さえ射さない、暗黒の世界。

262名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:22:18


5人の少女たちによって創設された能力者組織「アサ・ヤン」。
その類稀なる戦闘能力、そして突如として少女の1人に覚醒した未来予知の力は組織を大きくしてゆく。
数年後。新たに3人の能力者を加え「M。」と改称した組織は、トップである中澤裕子のカリスマ性によって志を共にする複数の小団体をま
とめ上げる。

「HELLO」。
国からの絶大な信頼を得るとともに、警察機構や自衛隊すら凌ぐ強大な武力を保持したその組織は、そう呼ばれていた。
能力を持たない普通の人間には処理することのできない、特殊な事案。今まで権力者が個人的に契約しているフリーの能力者が片づけていた
ような仕事は、程なくして「HELLO」に回され始めた。

飛ぶ鳥を落とす勢いの「M。」を中枢とした「HELLO」に、業界の内外から注目が集まる。
となるとそのしわ寄せは、エージェントたる能力者たちにいくわけで。

「えーと、11時からは東南アジア系のマフィアのアジトの殲滅。13時に例の連続爆破事件の犯人の追跡。17時に「M。」のミーティング…も
う休む暇もないべ!!」

とあるオフィスビルの1フロア。「HELLO」はそのさらに一室を間借りしているのだが。
小柄な少女の叫びに、思わず共用通路を行き交う人間が振り返る。

「しょうがないよなっち。これも仕事だからね」

対する隣を歩く少女はあくまでも冷静だ。
だが、叫んだ少女はそれが気に入らない。

263名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:23:00
「福ちゃんはいいべさ。今日は入ってる仕事はないっしょ。でもなっちは」
「役割が違うからね。忙しいのはなっちの圧倒的な戦闘力を買われて、でしょ?」
「で、でも!カオリだって予言の仕事だなんだって言って部屋にこもりっきりだし」
「それも役割の一つ。なっちはもう『M。』の、ううん「HELLO」の看板なんだから、割り切らないと」

組織の看板、と言われてしまえばそれ以上彼女は何も言うことはできない。
事実、彼女 ― 安倍なつみ ― の言霊を操る力はここ数年で目覚ましく成長し、組織を代表する能力者と言われるまでになっていた。

「そうだよね…なっちたち、能力者にとっての理想社会を作るために、頑張ってるんだよね」
「さ、そうと決まったらこんなところで愚痴ってないで。今何時だと思う?」
「っと、10時半…え!!」

最初の仕事の時間まで余裕がないことに気づき、慌てふためくなつみ。

「ごめん急がなきゃ!福ちゃんありがとね!!」

小走りで駆け出す小さな背中を見送りながら。
明日香自身、自らの紡ぎだした言葉に自問する。

264名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:24:12
能力者の理想となる社会を作るために、自分達はここまでやってきた。
では、そもそも「能力者にとっての理想社会」とは?
裕子、彩、圭織、なつみ、そして明日香。運命に導かれ出会った五人だが、最初はそんな大層なお題目など持ち合わせてはいなかった。た
だ。異能を持つが故に虐げられ、苦しめられてきた過去を持つ者同士が、これ以上自分達と同じような存在を増やしたくないと願った先の
出来事に過ぎない。

だが、現実はどうだ。
自分達が持つ能力を政府筋の人間に評価された結果、目の回るような忙しさが襲い掛かってきた。組織は加速度的に大きくなり、このまま
順調に進めば能力者の理想社会を創造することももしかしたら可能なのかもしれない。が。

結局はどこまで目標に邁進した所で、「HELLO」はお偉い方たちにとって都合のいい道具でしかない。飼い犬はどこまで走ったとして
も飼い犬でしかないのだ。
また、良くない噂も聞く。最近では新設された生物科学の部門が何やら怪しげな実験を繰り返しているという。さらに、一部の能力者たち
が正規の仕事ではない仕事、つまり裏社会の非合法な仕事に手を染めているという話すらある。

本当に自分達は、能力者の理想とする社会に辿り着く事ができるのか。

明日香の思考は自らの心の黄昏へと消えてゆく。
それでも、色濃く残された色彩は決して消えてはくれない。

265名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:25:26


「明日香、浮かない顔してるよ」
「キャハハ、人生に疲れたって顔してるぞ?」

「HELLO・東京本部」と書かれた素っ気ないドアを開けると、二人の少女が出迎える。
明日香より少し大きい方が、市井紗耶香。そして明日香よりさらに小さい方が、矢口真里。ともに、明日香たち5人に新しく合流した能力
者たちだった。はじめは能力の覚束なさからか、自信なさげな表情をすることも多かったが。年が近いこともあり、今では打ち解けた話し
方をするようになっている。

事務所には二人しかいないようだ。
「M。」のリーダーであり、「HELLO」のトップでもある裕子は不在。
ここのところ、ずっと事務所を空けている。なつみとはまた別の役割を、彼女もまた持っているのだ。

「おいらたちでよかったら相談に乗るけど」
「…いろいろ、気苦労が多くてね」

もちろん、自分たちが所属している組織の在り方に疑問を呈している、などとは言えない。
すっかり「HELLO」の主力となり、欠かせない戦力と言ってもいいくらいの二人。
しかし、自らの心をすべて預けるような間柄でもないことは確かだった。それに。

「っと。そう言えば急ぎの仕事があったんだった。おいらたち、もう行くわ」
「だね。遅れないようにしないと」

そんなことを言いながら、そそくさと事務所を出て行く真里と紗耶香。
足早に遠ざかってゆく背中を、明日香は苦い表情で見送っていた。

266名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:26:32
最近、二人の様子がおかしい。
心を読まれないように、自らの心にロックをかけている。これについては明日香の能力の特質のせい、というのもあるのかもしれない。明
日香の得意とする精神干渉の術は少し特殊で、簡単な情報であれば相手の思考を読み取ることも可能であった。いくら仲間内とはいえ、プ
ライバシーの領域に入って欲しくない、というのもわからなくはない。
ただ、疑念はそれだけではない。

単独行動、とでも言えばいいのか。
明らかに不審な活動が目立っていた。例えば、事務所のホワイトボードに書かれた、彼女たちの行先。これと言って問題があるようなクラ
イアントではないはずだが、二人が口にしていた「急ぎの仕事」というのは少々引っかかる。というのも、件のクライアントが急ぎの仕事
を依頼するようなシチュエーションが明日香には想定できないからだ。

偽装…か?

一瞬、疑いがよぎるが、即座にそれを否定する。
真里も紗耶香も、同じ「M。」のメンバーとして戦線を潜り抜けた仲間だ。特に、多くの負傷者を出した「サマーナイトタウン」での戦闘
は記憶に新しい。

― 一部の能力者たちが裏社会の非合法な仕事に手を染めている ―

重ねたくないのに、どうしても黒い疑念は二人から離れてくれない。
どうすればいい。組織のトップである裕子にはこんなことは話せない。
なつみや圭織にも話せない。特に圭織は未来視の能力がまだ不安定だ。疑念レベルの話が大きくなっては困る。
なら真里・紗耶香と同期の保田圭ならどうか。彼女の冷静さならばあるいは。
駄目だ。この問題に直面するには圭は真面目すぎる。

明日香はこのことを相談するのに一番適した人物を知っていた。
彼女以外に、ありえない。とまで考えていた。

267名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:27:17


「そりゃ、張ってみたらいいんじゃない?」

都内のとあるバー。
美味しそうに琥珀色の液体を口にしてその女性は言った。
ウエーブが程よくかかった長い髪が、大人の女性の雰囲気を強調する。

「でも、そんなことをしたら」
「明日香は考えすぎ。あいつらにそこまでの根性ないから。今だって、あたしが一喝したら涙目になって震え上がっちゃうのにさ。一回尾
行して、んで安心したらいいのさ」
「彩っぺ…」

目の前の女性 ― 石黒彩 ― は事もなげにそう言い切った。
それでも表情の晴れない明日香の背中を、ばちーんという音とともに強い衝撃が襲う。

「ご、ごほっ!痛った、彩っぺ何すんの!!」
「お、久しぶりに見た。年相応の子供らしい表情」
「からかわないでよ。うちらみたいな能力者が、年相応なんて無理なんだから」
「なっちとか圭織とかなまら子供っぽいべ?」
「あの二人は特別。特になっちなんて私がいないと…」
「はぁ、明日香ねえさんも大変ね。どう、一杯飲(や)る?」
「裕ちゃんじゃないんだから、未成年に酒を勧めない」

じと目で突っ込まれ、嬉しそうに笑う彩。
能力者「アサ・ヤン」を立ち上げた五人の能力者の一人。年少者である明日香やなつみ、圭織と年長者の裕子の間を取り
持つ中間管理職。さらに、三人の新人を徹底的に鍛え上げた鬼軍曹。
裕子が組織の長としての職務に追われる中、彩は明日香が頼るべき最後の寄る辺とも言えた。

268名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:28:10
「うちらが最初に『アサ・ヤン』を立ち上げてから、ずいぶん組織も大きくなったよね」
「そうだね。今じゃすっかり大所帯。最近じゃ妙な外人とかいるらしいし」
「…ねえ、彩っぺ」

明日香が、意を決して切り出す。

「何さ、改まって」
「裕ちゃんの言う、能力者が安心して暮らせる理想的な社会って。どんな社会なんだろう」
「……」

彩は、すぐには答えない。
残り少なくなったウィスキーの入ったグラス、浮いた氷をくるくると回している。
沈黙、そして流れる時間。けれど、悪くはなかった。
やがて、流れた時に導かれたように彩が口を開く。

「うちらが、能力者であるってことを感じさせない。裕ちゃんが目指してるのは、そんな社会なんじゃないかな」
「能力者であることを感じさせない…」

うまく想像できなかった。
明日香の能力である、精神干渉。能力者相手ならともかく、耐性のない一般人の心はいとも容易く流れ込んでしまう。そ
んな状況で、自分が能力者であることを意識させないようなことなど、可能なのだろうか。

「よく、わかんないよ」
「まーた考えこんでるな。裕ちゃんならきっと『そんなんどうにでもなるわぁ!』って言うよ。そうだ、最近裕ちゃんと
飲んでないなぁ…ま、忙しいししょうがないか」

269名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:28:45
確かに、そう言われそうな気がした。
道のりは見えないけれども、彩も、そして裕子も。向いている方向は同じような気がした。
そして、自分もその方向に顔を向ければ、なんとなくうまくいくのかもしれない。
その時の彩の言葉には、そう思わされる力があった。

「ありがとう、彩っぺ。ごめん、変なことに付きあわせて」
「いいっていいって。その代り、あんたがお酒飲めるような年になったら、裕ちゃんより先にあたしを誘うこと」
「確約はできないけれど、努力するよ」

立ち上がり、勘定を済ませようとする明日香。
これには慌てて彩が制止する。

「…可愛げがないねえ。年下の子に金出させるようなこと、させないでよ」
「でも」
「今日はお姉さんの無料レッスンだと思って、甘えときなさいって」

はじめは不服そうな顔をしていた明日香も、やがて諦めたのかそのまま手を振り別れを告げた。

静かな、店だった。
店の奥でバーテンダーが客のカクテルを作る音のほかは、何も聞こえない。
グラスに残っていた強い酒を一気に飲み干し、彩は窓の外に目を移した。

綺麗な月が、闇夜に浮かんでいた。
夜の闇を照らす、まばゆい月光。そんな月の光さえも、ひとたび雲が過ればあっという間に輝きを失ってしまう。
夜を照らすには、きっと月の光というものはあまりにか弱く、儚いのだ。

270名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:29:51


透明な液体から、泡が、一つ、二つ。
こぽこぽと定期的に立ち上る泡。極北の空に輝くオーロラのように水中に棚引く、金色の美しい髪。
一人の少女が、液体で満たされた水槽の中で、膝を抱えて浮かんでいた。

「…お、ええ調子やな」

液体と外界を隔てる硝子面に、男の歪な顔が浮かび上がる。
白衣を着たその男は、細眉を嬉しそうに上げながら、波間に揺蕩うがごとくの少女の姿を眺めていた。

「覚醒は、来年の夏あたりを予定しています」
「何や、まだ先やないか」

同じく白衣を着た若い女性にそう言われ、途端に顔を渋らせる男。
彼は、「HELLO」の戦力増強を担う科学部門の長であった。

「しかしこんなに早く『計画』が実現するなんて。さすが、『先生』に師事されていただけのことはありますね」
「まあ、ここまで来るのにどんだけ失敗したか。ヘラクレス男にカメレオン女…犬男なんて、嗅覚だけ人間の22倍やで。おっさんの足の臭
い嗅いだだけで失神て…そら廃棄もされるわな」

部門長が、おちゃらけつつ過去の失敗作について語った。
その様子は科学者と言うよりも、場末の安いホストのほうがしっくりとくる。

271名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:30:23
「ヒトを超える、戦闘兵器。『先生』はそれを機械でやろうとしたから、たった2年で計画は破たんし
てもうた」
「プロジェクト・カッツェ」
「よう知ってるな、みっちゃん」
「界隈では有名な話ですから。ただ、既存の機械では高出力を賄えなかったとか」
「俺は違う。文字通りゼロから、生命体を作った。それが『ラブマシーン計画』や。見てみい。どっか
らどう見ても普通の女の子に見えるやろ? せやけどコイツん中には、億をゆうに超えるナノマシンが
詰まってる」
「所謂、『黒血』というやつですね」

女が、眼鏡を緊張気味に掛け直す。
彼らが語っているのは、まさに禁忌の科学。科学者として、決して踏み入れてはならないはずの領域。

「コイツが覚醒した時、まさに最強の能力者が誕生する。世界が変わるでえ?」
「是非、そうなることを信じてます」
「みっちゃんはええ子やな」

ま、それだけやない。
男は自らの裡に秘めた計画図を、頭の中で広げ始める。

コイツの存在はおそらく、中澤たちの計画を大幅に推し進めるはずや。
それだけやない。「あいつ」が心の奥底に封じ込めた破壊の化身をも刺激するかもしれん。
となると。そうなった時に対抗できる存在が必要やな。こら忙しくなるで。

男の思考は、すでに次に「造る」予定の人工生命体へと移っていた。

272名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:30:54


彩と話をしてから、数日。
明日香は、真里と紗耶香の動向を注視していた。
もちろん、彼女たちの動きに不審な点は見当たらない。
やはり思い過ごしか。仲間を疑う心は、少しずつ晴れてゆく。
そして、結論付ける。

ホワイトボードを見ると、二人の今日のクライアント先は同じようだった。
これで、最後にするか。
明日香は、今回彼女たちを尾行して何もなければ、これ以上疑念を持つのはやめようと決めていた。

「福ちゃん」
「なっち」

いつの間にか、隣になつみが立っていた。
まるで気付かなかった。自らの思考に少しばかり気が行き過ぎたのかもしれない。

「今日は仕事のほうはもういいの?」
「うん、さっき終わったばかり。でも、少ししたらもう行かなきゃ」

いつも笑顔を絶やさないなつみ。
けれども、日々の疲れが蓄積しているのか、あまり顔色がいいとは言えなかった。
友を慮る思い、しかしそれは突如として違和感に変わった。

…今の、何?

明日香は、なつみの顔をまじまじと見る。
多少疲労の色が見えるものの、いつものなつみだ。
やはり、変なことに気が回りすぎているのかもしれない。疲れているのは私のほうだ。

273名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:31:28
「何だべさ。人の顔、じろじろ見て」
「いや…圭織との共同生活はどう?」

悟られまいと、別の話を振る。
するとなつみの表情がみるみる変わってゆく。

「もう!ほんとに大変!!予知だか予言だか何だか知らないけどしょっちゅう交信してるし、変なお香炊いて臭いし!!」
「…それは大変そうだね」

圭織は自らの能力を安定させる目的で、とある施設に隔離されていた。
その施設に、なつみが仮の住まいとして入ることになったのだ。
能力安定のためには、近くに強力な能力者がいることが重要、らしくそのような方策が取られたわけ
だが、なつみとしてはたまったものではない。圭織は圭織で、自らのペースを崩されるのを嫌い不機
嫌を顕にしているという。

「ごめん、そろそろ行くね」
「え、もう? なっちならもう少し時間が」
「ちょっとやぼ用でね。愚痴なら、なっちのオフに合わせてまた聞いてあげるから」
「う、うん。わかった」

そう言いながら、事務所をあとにする明日香。
真里と紗耶香のことも気になったが、それ以上に。
自らが抱いた違和感を、なつみに気付かれたくなかった。

ほんの一瞬だけ、なつみの奥に、何か黒いものが過ったのが見えた。
きっと疲れているからだ。明日香は先ほどの結論を繰り返す。
ならば、真里たちの無実を確信できればこの戸惑いも消えるはず。
いくつもの思惑を重ね、明日香の歩は急かされるように早まっていった。

274名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:32:28


精神干渉による攻撃を主な攻撃手段として使用する明日香にとって、尾行術はそれほど得意なものとは言えなかった。
ただ、二人の後輩に気配を悟られるほど未熟だとも思ってはいない。

今日は休日だと言うこともあり、街は多くの人で賑わっていた。
クライアントとは街の中心にあるスクランブル交差点の前で待ち合わせとのことだった。木を隠すなら森の中、とはよく言ったものだ。お
かげで、能力の感度を上げると取るに足りない輩の下卑た思考まで伝わってくる。とは言え、標的の心の中を見逃すようなへまはしない。

どちらかと言えば地味な格好をしている紗耶香とは対照的に、街のにぎやかさに溶け込んでいるかのような真里。
遊び歩いている家出少女、と言われても何の違和感もない。
そんな二人が、他愛もない話をしながら目的地まで歩いていた。明日香に気付く風はない。

紗耶香は、虫を使役する能力。そして真里は、能力阻害の能力。
現実的な戦力となっているとは言え、明日香の尾行に気付くほどの力はまだない。もしそうであれば、明日香も尾行などという直接的行動
はしなかったであろう。

明日香が、歩みを止める。
標的の二人は、問題なくクライアントと接触するのを確認したからだ。
スーツ姿の、初老の男性。真里が話しかけ、男性がゆっくりと口を開く。
途端に、男の思考に仕事に関する様々な情報が流れ込んで来た。

まるで文字が刻まれたテープのように、明日香の脳裏に情報が駆け巡っていた。
それを、心の手が拾い上げ、刻まれた内容を読み取る。
明日…取引…護衛…相手方も能力者…
順調に情報を拾い上げていた明日香、しかし心の手は急に情報を読み込むのをやめてしまう。

275名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:33:23
背後に誰かに立たれていたこと。
そしてその相手が明日香の後頭部に昏倒の一撃を放っていたことを、叩き付けられた冷たいアスファルトの感触で知ることとな
る。慢心していたわけではない。先ほどのなつみの存在について気付かなかったのと同様に? 
それは違う。今回は、標的とは別に自らの周囲にすら気を配っていたはず。

いや、気を配るどころの話ではない。
明日香は、精神干渉の触手を応用することで自らの周囲に自らの知覚と直結するバリケードを張っていた。それはさながら、蜘
蛛の巣を構成する糸のように。
どれだけ陰形に優れた者でも、精神の蜘蛛の糸からは逃れることはできないはずだった。

それが相手の接近を許したばかりか、攻撃までされてしまうとは。
薄れゆく意識の中で、それができる相手のことを考える。そうだ、なぜその可能性を考えなかったのか。

時を操る能力者・保田圭…

三人目の後輩の名を呟きながら、明日香は完全に気を失ってしまった。

276名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:34:12


「…おはようさん」

明日香が意識を取り戻した時に、かけられた言葉。
しかしそれは明日香がまったく想定していない人物のものだった。

「ゆ、裕ちゃん?」

明日香の前にいたのは、「HELLO」のトップ。
派手な金髪に青のカラコン、見間違えようもなく中澤裕子その人であった。

「まったく自分、働き過ぎとちゃう? ま、うちもどうでもええお偉いさんにヘコヘコしたりで気ぃ使うてお互い様やけどな」

状況が把握できない。
真里と紗耶香を尾行していたところを、圭に襲われた。
となれば、目の前にいる人物はその三人のいずれかであるはずだが。
なぜ、組織の長である裕子がここにいるのか。

まずは、現状の把握。
明日香は、ベッドに寝かされていた。見たことのある景色。
「HELLO」の事務所に併設されている医務室であることはすぐに理解できた。
後頭部がひどく傷むが、それ以外のダメージは体にない。

「どや。痛みとか、あるか」
「それは大丈夫だけど…」

そう言えば裕ちゃんと直接話すのは久しぶりだな。
そんな悠長な考えは、次の言葉ですぐに消し飛ぶことになる。

277名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:35:30
「あかんやんか。仲間尾行なんかしたら」
「……」

思わず、体が硬直する。
裕子は知っている、そう明日香は直感する。
けど、どこまで。いや、違う。どこまでこのことに「絡んでいる」?

「圭ちゃんも、敵対勢力と勘違いして攻撃してもうたやん」
「それはおかしいよ、裕ちゃん」

裕子が構築しようとしているシナリオを、明日香は即座に否定した。
二人を尾行する明日香を、敵対者と誤認し攻撃してしまった圭。相手が明日香だったことに気付き、慌ててここまで運んできた。
一見すると、自然な流れ。

「圭ちゃんの能力なら、私を敵と間違えるはずがない。時間停止が発動してから標的に近づくまで、確実に私の姿は彼女に認識
される。つまり、私を攻撃したのは明らかに…故意」
「なんでやねん。圭ちゃんが明日香のこと攻撃する理由なんてないやろ」
「理由ならある。私がクライアントの男の思考を読み取るのを防ぐため」

裕子が、まるで面白いことを聞いたかのように笑い出す。

「考えすぎやって。なんで圭ちゃんがそんなこと」
「圭ちゃんだけじゃない。矢口も、紗耶香も普通じゃなくなってる」

明日香が、強い視線を裕子に送る。
心の中の些細な違和感、それが裕子と直接対峙することで限りなく大きくなっていた。

メンバーの中に感じた、些細な違和感。
それが、他ならぬ組織のトップが原因だとしたら?

「…疲れてるんやろ。あんたはなっちと親しいから、あの子の疲労が伝染してるんやろな。ま、数日休めば変なもやもやも解消
されるんやないの?」

いつもの裕子。けれど、いつもの裕子じゃない。
何かを隠してる。何かを、裏で進めようとしている。

ただ、真実を正攻法で引きずり出すのは限りなく不可能に近いだろう。
ならば、こちらも絡め手を使うまで。
明日香は、これまでに手に入れた情報を足掛かりに、隠された真実を暴くつもりだった。

278名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:36:03


都内のとある廃ビル。
エントランスの広く作られたスペースに、黒い影が忍び込む。
先陣を切るのは、二人の護衛。すなわち、「HELLO」に所属する真里と紗耶香。
遅れて入ったのは、屈強な肉体の男性。臙脂色のスーツに身を包んではいるものの、首周りの太
さにワイシャツが悲鳴を上げている。彼は、先日真里たちが接触したクライアントの部下だった。

三人が建物内に入るなり、閃光が走る。
部屋を照らすにはあまりに強力なライトが、三人を影から洗い出していた。

「ちょっと、明かりが強いんじゃね?」
「取引の現場、にしては賑やか過ぎるんだけど」

口々に不平を漏らす二人。
取引相手は明らかに人数が多かったし、物々しい雰囲気を出していた。

「なに、夜闇で顔も見えないような相手とは取引したくないのでね。保険だよ、保険」

黒づくめの集団、その中のリーダーらしき肥満体の男が悪びれずにそう答える。

「そちらの事情はどうでもいい。さっそく取引開始と行こうじゃないか」
「ああ。互いに長居はしたくないものだ」

マッチョと肥満体がそれぞれ、顎を前方にしゃくる。
それを見た紗耶香と黒づくめの男が互いに前に出て、銀色のアタッシュケースを床に置いた。

279名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:36:52
「中身のほうを見せてもらおうか」
「そちらのほうが先だ。商品が見えなければ金を払う道理もない」
「なるほど、仕方ない」

肥満体が再び部下に指示を送る。
地にしゃがみアタッシュケースを開けると、中にはびっしりと薬品のアンプルが詰まっていた。

「取引成立だ」
「いいのか。中身を調べなくて」
「この期に及んで偽物を持って来るような愚かな真似はしないと信じてるよ…では、こちらも」

マッチョの言葉を聞いた紗耶香が、床に置いたケースをゆっくりと開く。

「受け取りなよ…あたしのかわいい蟲たちをなぁ!!!!」

ケースから、黒い煙が漏れ、溢れる。
いや、それは煙ではない。夥しい数の、羽虫。狭い空間から解放された小さな肉食獣たちは、一斉に生ある者たちに向けて群が
り始めた。

蟲の大群が鋭い羽音を立て一瞬のうちに標的に取りつき、皮膚を食い破り、肉を抉り血を啜る。
ある者は痛みと恐怖でのた打ち回り、ある者は食い込んだ蟲を剥そうと必死に顔を掻き毟る。
その様は、まるで地獄絵図。

「ちっく…しょお!やりやがったな!!!!ぎっ!ぶっ殺し…てやる!!!」
「だ、だめだ!能力が…あああ!!!つ、使えねえ!!!!」
「お、おれもだ!!がっ!ぐっ!血、血が止まらねえ!こいつら、血管まで、ぎゃ、ああっふっふぅ!!!!!」

先手を打たれた黒づくめの男たちは、自らの能力を使って蟲たちを迎撃しようと試みるが。
彼らはすでに、真里の放つ能力阻害領域に取り込まれていた。
それはすなわち、なす術もなく貪欲な蟲たちに食い殺されるがままということ。

280名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:37:25
どこかで、銃が暴発する音が聞こえた。
蟲たちは彼らの護身用の得物ですら無力化してゆく。
しばらく、室内には男たちの怒号と絶叫が木霊していたが、その声もやがてか細くなって途切れていった。

「そろそろいいんじゃね?」
「ああ、お前たち、元の場所にお戻り」

眉を顰める真里が言うと、紗耶香が食事を終えた蟲たちに命令する。
すると、アタッシュケースに吸い込まれるがごとく、黒い煙たちは中に戻っていった。

「ふう…おいら、虫とか超苦手なんだよな。こいつらが仕事してる間、鳥肌立ってしょうがなかったっつーの」
「あはは、あたしの能力で免疫ついたでしょ」
「つくかよ!!」

部屋に残るは、無残に食い散らかされた死体の山。
その中には、臙脂色のスーツを着た男のものもあった。

「こいつさ、なんで俺まで…みたいな顔しながら食われてったぜ?」
「しょうがないじゃん。飼い主のあたしと能力阻害の矢口以外は、全部エサなんだからさ」
「だな。金とブツを頂いたらこいつやっちゃう予定だったし、手間省けて済んだかな」

顔を見合わせて、笑う二人。
その表情には、ライトに照らされながらもなお消えない闇が差していた。
だが。

281名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:38:15
「クライアントの手下ごと、取引相手を抹殺する。昨日会ったクライアントもきっと始末されてるんだろうね」
「…誰だ!」

真里が甲高い声を上げ、突然響いた声を探す。
すると、それまで何もなかった空間が揺らぎ、声の主が姿を現す。

「合理的と言えば合理的。けど、その手口はうちらが取り締まってる闇社会の住人と変わらないんじゃない?」
「あ、明日香!?」

紗耶香の顔が、引き攣る。
明日香は、彼女たちの罪を糾弾するかのようにその視線を送っていた。

「どうしてここが」
「残念でした。間に合ってたんだよ、私の読心術は」

圭に昏倒させられる直前、明日香の脳裏に描かれたのはこの廃ビルだった。
あとは、真里たちがやって来るのを待つだけ。だがそれでも謎は残る。
真里が疑問を口にする。

「それに…お前、精神系の能力者だったはずじゃ」
「あの変わり者のおじさんからいいもの、借りてね」

言いながら、白っぽい大きな布を二人に見せる明日香。

「これを被ると、常人の目に存在が感知されなくなるらしいよ。まだまだ試作品だから、数分しか持たないみたいだけど」

組織の、科学部門の責任者。
日ごろから妙なものを開発しているらしく、声をかけたら快くそれを貸し出してくれた。
だが、そんなものを自慢しているような時間はないようだった。

282名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:39:28
明日香はすでに、場の空気の異常さを感じていた。
真里と紗耶香が放っているもの、仲間には向けられないはずのそれは。

「見られちゃしょうがねえ、ぶっ殺してやる!!」

明確な殺意。
明日香は確信する。この二人は、この二人が所属している組織は。
自分を殺さなければならないほどの、大きな闇を抱えていることを。

護身用の金属ロッドを強く握りつつ、明日香はにじり寄る二人の能力者を交互に見る。
彼女たちの顔は、狂気に塗れていた。
かつて同じ時を過ごし笑いあった後輩たちは、もういない。氷のような覚悟が、背筋を伸ばす。

「矢口。紗耶香」
「何よ。命乞い?」
「今更遅いっつーの。おいらたち、まだおおっぴらに行動できないんでね。悪いけど」
「あんたたちに…たかが追加メンバーに私が殺せる?」

紗耶香の目つきが鋭くなり、真里の表情が大きく歪んだ。
精神干渉を攻撃手段とする明日香によって、敵の心理を揺さぶり隙を作ることは、そのまま相手の防御を崩すことに
繋がる。
彼女たちが「M。」において追加メンバーであるという立ち位置を気にしているのは、前から知っていたのだ。

「てっめえ!!!!」

激昂した真里は明日香に向け、能力阻害フィールドを構築しようとする。
しかしその前に、大きく横に跳ばれてしまう。

283名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:40:00
「くそ!紗耶香、頼んだ!!」
「明日香、虫食いの銀杏にしてあげるよ!!」

敵を打ち損じた真里の前に、今度は凶暴な蟲たちを従えた紗耶香が躍り出た。
明日香を食い殺そうと、不快な羽音を立てて蟲たちが一斉に飛翔する。
しかし、黒い軌跡は明日香にたどり着くことなく、ぽとぽとと音を立てて落ちてゆく。

「あたしの蟲が!!」
「精神攻撃が、蟲に効かないとでも思った?」

飛んで火に入る夏の虫、が如く次々と墜落させられてゆく飛行蟲。
勢いのついたいくつかの蟲もまた、明日香が振るう金属ロッドによって叩き落とされてしまった。

真里の能力阻害を除け、紗耶香の蟲による攻撃をも避けてゆく明日香だが。
徐々に、徐々に。可動範囲は、狭められてゆく。

「おいらたちのコンビネーションプレイを舐めんなよ」
「矢口の能力阻害領域に入ったら、お前は終わりだ」

そして言葉通り、明日香はスペースの隅へと追い詰める。
不快な蟲たちが立てる、きちきちという羽音とも鳴き声とも知れぬ、不気味な音がすぐそこまで迫っていた。

「どうした? もう降参か、キャハハハ!」
「無駄だよ。あんたを殺せば、うちらは成り上がれるんだから」
「おいらにくれよ、そのオリメンのポストを!!」

オリメン。
つまり、「アサ・ヤン」を作った明日香を含む5人の能力者たち。
後から入ってきた真里たちがそのポジションを羨み、コンプレックスを抱いていたのは明白ではあったが。
けれど、ここまでとは。容貌を、そして魂すら歪ませるほどだとは。

284名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:41:05
「もう一度だけ言うよ。あんたたちに、私は殺せない」

明日香は、親友の顔を思い出す。
オリメンの中でも、明日香は特になつみと親しかった。それは年少者の明日香になつみが積極的に話しかけてくれた
せいか。それとも背格好が似ていてなんとなく親近感を覚えたからか。組織の看板能力者という称号を持つ割には色
々抜けていて、放っておけない存在だからか。

理由はきっと星の数ほどあるだろうし、逆にどれが理由なのかすらもわからない。
ただ、これだけは胸を張って言うことができた。

あの子がいる限り、私はこんなところでは死ねない。

明日香がゆっくりとしゃがみ、むき出しのコンクリート床に手をやる。

「ねえ、何のつもり?」
「私は、あんたたちがここに来る前から、姿を隠してこの廃ビルの中にいた」
「だから何だってんだよ!」
「あんたたちを『狩る』準備は、とっくにできてるってこと」

刹那、床に浮かび上がる白い紋様。
それはまるで蜘蛛の巣のように張り巡らされ、そして敵対者たちの足を、心を絡め取る。
感情を揺さぶられ心のタガが外れかけている二人を落とすことなど、簡単だった。

「しまっ…ぎゃああああああっ!!!!!!!」
「ち、く、しょう…」

最大出力の精神攻撃を食らい、白目を剥いて真里と紗耶香は倒れた。
ふう、と大きなため息を一つ。組織の中で手練れの二人ではあるが、明日香には及ばなかったようだ。

285名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:42:08
しかし。
明日香は改めて、この場に3人目の同期・圭がいなかったことに胸を撫で下ろす。
もちろん彼女の動向は事前に把握してはいたものの、虚を突かれ不意打ち、という前回の轍を踏まされる可能性はゼ
ロではなかった。その為に「対時間操作能力者用」のトラップをいくつか仕掛けてはおいたのだが。

もちろん組織屈指の厄介な能力、彼女に対する切り札はあらゆる意味で使わないに越したことはない。
むしろ、これからやるべき事項のためにとっておくべきだと考えていた。それは。

組織との、決別。

明日香を躊躇いもなく処刑しようとしたこと。
成功報酬としての、地位の昇格。間違いなく、彼女たちの動向には「組織」が絡んでいる。となると。

これから倒れている二人を連れ去り、彼女たちの行っていた非合法活動と組織の関連性を洗い出さなければならない。
そこが明らかになれば、彼女は「HELLO」を去ることを決めていた。
組織を抜ける、このことがいかに困難であるか。明日香は十分に知っているつもりだった。増してや、今の得体のし
れない状況に陥っている「HELLO」ならば。

組織の中で、まだまともな思考を保っている人間は何人いるだろうか。
裕子やルーキーの三人は論外だ。圭織もあてにはならない。となると残りは彩となつみしかいない。
特になつみは。能力こそ組織最強の看板に相応しいものだが、それを支える心の強さは。だから、明日香が支えてい
かなければならない。自分が、絶対になつみを守る。

突然。
体の隅々までが、自分の意思から大きくかけ離れた存在のように感じた。
まさか、また時間停止か。否。時間停止能力者を捉える「罠」は発動していない。
これは。この感覚は。

空間を引き裂き口を開ける、深い闇。
空間裂開。

― 明日香…話、しよか ―

闇の底から裕子の声が、聞こえる。
それと同時に、明日香の足元の床が、空間ごと大きく裂け、そして明日香ごと時空の彼方へと飲み込んでいった。

286名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:43:03


暗い。
何も、見えない。

絡みつくような闇の中に、明日香は身を置かれていた。
ここがどこだかはわからない。事務所の医務室でないことだけは確かだ。
だが、これだけはわかる。この闇は、据え付くような闇の臭いは、「HELLO」が今までひた隠しにしていた存在。

「やっと。落ち着いて話せるな」
「…裕ちゃん」

粘り気の高い闇の中に、鮮やかな金髪が浮かび上がる。
どぎついカラコンも、勝気な表情も、今は闇に紛れそして馴染んですらいる。
組織の長たる中澤裕子は、深い闇を従えてその場に立っていた。

そこで、明日香は気付く。昨日の裕子への違和感、その正体に。

「もう気付いてるみたいやけど、うちの組織はもう『社会正義のために邁進する組織』と違う」
「…だろうね」

明日香の見た光景。
非合法薬物の取引に護衛として参加するばかりか、敵味方ともに惨殺し薬物及び金銭を強奪する。闇社会に跳梁跋扈
する悪人たちを狩る、と自称する組織のすることではなかった。

「言い訳するつもりはない。せやけど。うちらの理想を実現させるためには、こうするしかあらへんのよ。綺麗事だ
けじゃ、組織は動かへん」

言葉はシンプルだったが、そこに様々な苦悩や苦渋の思いが見て取れた。
諦めのような、それでいて強固な決意のような。
生半可な感情で裕子が話しているわけではないことを、明日香は理解した。そして理解したからこそ。

287名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:44:04
「ねえ裕ちゃん。うちらの理想って、そんなことをしなきゃ実現できないものなの?」

投げかけた。
自らの、疑問を。相手の詭弁を打ち崩す、一打を。

「…正義の味方ごっこはもう、しまいや。何かを手に入れるには、何かを犠牲にせなあかん」

裕子が口を開くたびに、周囲の温度が下がっているような気がした。
それとともに、闇が、一段と濃くなってゆくような気さえも。

「あんたも気付いてるやろ? 『HELLO』が、権力機構の犬に成り下がってることに。そこから脱却するには、こ
の手を汚さなきゃ、誰かの犠牲が、必要なんよ。うちらが頂点に立つためには…」
「ナンバーワンだけが、全てじゃない」

明日香が、裕子を視線で強く射る。

「頂点に立つために誰かを犠牲にするようなナンバーワンなんて、私には価値があるように思えない。誰かを犠牲にす
ることでしか成り立たない理想も」
「明日香」
「組織が。『HELLO』がそういう道しか歩めないのなら。私は…組織を抜ける」

裕子の強い意志に対抗しうる、明日香の言葉。
それは彼女の決意表明であり、決別宣言でもあった。
裕子の悲しげな表情だけが、行き場を失い闇を舞う。

288名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:44:41
「だから言ったっしょ。明日香は、絶対に折れないって」
「!!」

深い闇に同化しているような、長く艶やかな髪。
明日香を見下ろす少女、その冷たい目と表情は名を呼ぶことすら押し留められる。

「圭織の予言は、絶対なんだって。組織に仇なす者の未来は、特にね」

予知能力。明日香は、砂を噛むような後味の悪さを覚える。
最初から、彼女たちはわかっていたのだ。自分が組織の在り方に疑問を持ち、疑い、そして離反を決意することを。

「裕ちゃんは、最後まで信じたかったのよ。明日香が、『こちら側』に来てくれることを」

さらに、見知った顔が浮かび上がる。
廃ビルには姿を現さなかった、圭だった。

明日香の思考は、至って冷静だった。
自分を味方に引き込むためだけのためにこの二人が現れたとは、とても思えない。
間違いなく、「組織の反逆者」に対応するためだろう。

圭の時間操作、圭織の予知能力、そして裕子の空間操作。
まともに戦える可能性は万に一つもない。だが、圭への対策として取っておいた「罠」がここで生きる。
ここから逃げ延びて、なつみを連れ出さなければならない。
この場に充満している闇はやがて、なつみの心を壊してしまう。

「相変わらず冷静だね。さすがは明日香、と言ったところなんだろうけど」

闇に響く声に、明日香が思わず振り向く。
それは残酷な現実だった。

289名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:45:36
「もううちらは、止まれないんだよ」

そこには、明日香が最初の疑念を呈した時に相談した彩の姿があった。

「彩っぺまで、か」
「ごめんね。裕ちゃんから話を聞いて、こうするしかなかったんだ」

明日香との会合後。
彩は裕子に接触したのだろう。その後何らかのやり取りがあり、ここに立つに至るのだと明日香は想定した。
それを証明するがごとく、彼女の表情には歯切れの悪いもののように映る。もっとも、この空間全体の意思を否定で
きるものではないが。
結末は、最初から決まっていたのだ。

どうする。どうすればいい。
裕子。圭。圭織。そして彩。高次の能力者が四人、最悪だ。
「罠」はいつでも作動できる。だが、それで敵の虚をついたとしてこの場から逃げ果せるのか。
それでもやる。やるしかない。やらなければ、待っているのは。

不意に、闇が晴れた。
闇に覆われていた空間が、そして「HELLO」の幹部たちの姿が光のもとに曝け出される。

「あ…ああ…」

明日香は、それを見た時、膝の力が抜けて崩れ落ちそうになった。
なぜなら、散らされた闇の向こう側に「彼女」の姿を見たのだから。

うなじまで届かない、短めの髪。
どこかあか抜けない、けれど柔和な顔。
優しく明日香を見つめるその姿は、天使のそれに似ているような気さえする。

290名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:46:10
「福ちゃん」
「う…嘘だ」

けれど明日香は否定する。
彼女の姿を、こんな場所で、こんな状況で見たくは無かった。

友の窮地に駆け付けた、篤い友情。
そんな楽天的な考えに明日香はなれなかった。
彩ですらあちら側についているのだ。その可能性を想定しないほうがおかしい。

「『HELLO』は、終わるんだよ」
「やめて…やめてよ、なっち」

明日香の信じていたもの、全てが崩壊してゆく。
「アサ・ヤン」を立ち上げ、理想に向かって走り続けた日々。
なつみとの友情。すべてが、すべてが無に帰そうとしていた。

「光の世界から、闇の世界へ。それが、なっちたちが救われる、最後の道だから」
「黙れ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

咆哮にも似た叫びが、空間を劈く。
明日香の短い髪が逆立ち、全身から光るような何かが溢れ出た。
それは、彼女の持つ精神エネルギー。明日香の精神は、臨界を迎えていた。
最早「罠」を使う必要もない。彼女の精神の触手は蜘蛛の巣状に、そして無限大に伸びてゆく。
青白く光る無数の軌跡が、この場にいるすべての人間の精神を侵食しようとしていた。

「くっ!徒に刺激しすぎたわ!!」
「裕ちゃん、このままじゃ!!」

状況に顔を顰める裕子と、先の展開を危ぶむ圭。
そんな中、圭織だけが涼しい顔をしていた。

291名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:47:10
「大丈夫。運命はもう、決まってる」

暴走、とも言うべき明日香の能力。
しかし、その精神の劫火に見舞われながらも、床に敷かれたカーペットの上を歩くかのように。
なつみが一歩、また一歩と近づいてゆく。

なつみと明日香、二人の間に、青白い閃光が弾けるように現れ、消えてゆく。

「これは…」
「明日香の精神干渉エネルギーと、なっちの言霊のエネルギーがぶつかり合ってるのさ。きっとなっちは、『明日香
の能力を無効化する』ことにすべての力を注いでるはず」

圭織の言葉通りに、なつみは明日香のもとへと歩いてゆく。
それでも、幾筋かの軌跡はなつみの体を、心を掠めていた。

「おやすみ。明日香」

そしてついに目の前に立ったなつみが、明日香に向けて白くやわらかな手を翳す。
同時に、なつみの背中から大きな羽根が顕現した。

「あいつの言うとおりやったな。言霊を操る能力は、『天使の羽』になって白く光り輝く。マッドサイエンティスト
も、たまにはまともなこと言うやないか」

白き羽は、明日香の心に舞い降り、そして全てを露わにする。
まるでステンドグラスでできた絵画のように、広がる記憶。明日香となつみの、掛け替えのない思い出。

運命に導かれ、出会ったあの日。
地位を獲得するため、共に戦場に赴いたあの日。
そして。時には喧嘩もしたりして過ごした、あの日。
それらの記憶を、天使の羽が白く埋めてゆく。
降りしきる雪のように、少しずつ、そして確実に。

292名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:48:10
憤怒。戸惑い。そして悲しみ。
それらの思いを抱えたまま明日香は、気を失う。
網目状に広がった青白い軌跡は輝きを失い、薄れ、やがて見えなくなっていった。

「これで、私たちはもう後戻りできない」

圭が、倒れている明日香を見て、言う。
それは誰かに同意を求めているかのようでもあり。

「そやね。けど、それでもうちらは進まなあかんねん」

裕子が、はっきりとそう口にした。
明日香とともにした光の時は、終わりを迎えた。太陽が沈んだ後は、必ず闇夜が世界を包むかのように。

「あは。あはははは。だから、言ったっしょ。カオの予言は…絶対なんだって。裏切り者は。組織に仇なすものは、
絶対にカオの目を誤魔化すことができないんだって。あはは、あははは!!!!!!!!!!!」

圭織は、狂ったように、高らかに笑い続ける。
あの時。一度圭織が光を失った時に「誰か」がくれた「目」は、圭織に光以上のものを与えてくれた。
こうなることは、すべて視えていた。組織の運命がとめどなく流れる大河だとしたら、圭織はその大河の流れに浮
かぶ塵すらも見ることができるような感覚に襲われていた。

この力があれば、自分は神になれる。いや、既にもう神なのかもしれない。
ならば、神に「できないことは、なにもない」。
圭織はそう信じて疑わなかった。

293名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:48:58
「ごめんね、福ちゃん。ごめんね…」

”神”の狂乱を遠くで聞きながら、なつみはかつての旧友に詫び続ける。

明日香に話したのは、自らの偽らざる本心だ。
「HELLO」がいつまでも正義の代弁者では、本当の問題は解決しない。それどころか、強い光が闇を作るように「HELLO」の存在自体がさらなる悲劇を生み出すかもしれない。だから、なつみは敢えて選んだ。自分一人ではできないことを、裕子に委ねた。

だがその結果、なつみは永遠に友を喪うことになってしまった。
これは罰だ。明日香を裏切り、「声なきカナリア」にしたなつみへの。そしてなつみ自身も気付いている自らの心の奥底にある「存在」への。なにもできないくせに、何かをしようと望んだことへの。

ならばもう、抗うのをやめよう。
抗うことで傷つき、無理と無駄の上塗りで傷つくくらいなら。
「できないことは、なにもしない」。
なつみの心は誰にも気づかれることなく、深く、そして昏く閉ざされてゆく。

この日。
闇夜を照らしていた月は、闇に覆われ、そして闇に消えた。
一筋の光さえ射さない、暗黒の世界は、すぐそこまで迫っていた。

294名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:50:55


「福田明日香。声を奪われ、能力も記憶も奪われ。場末のバーで働いてるらしいな」

『HELLO』の研究室。
大きなスペースに、簡素な椅子とデスクが一組、その他は段ボールの山。
科学部門の長は椅子に体を預け、目の前の女科学者に話しかけた。

「ええ。仮初の家族も用意されたとか。少し、甘い処遇かと思いますけど」
「みっちゃんもシビアやな。ま、安倍…っちゅうか中澤らしくてええんやない?」

研究室は、近々にその拠点をより大きな場所が取れる関東近郊の地に移ることになっていた。
研究資料も、大小の機械類も、そして「育てられた少女」も既に、その場所へと送られていた。残るはこの部屋の主
の持ち物であるお好み焼きを焼く道具や雑多な道具類だけである。

「それにな。福田。あいつの能力は結構面白かったんやで」
「と言いますと…」
「あいつの得意分野は『精神干渉』なんやけど、同時に精神干渉時に相手の心をある程度まで読み取ることができた。
つまりあいつの能力には『精神干渉』と『リーディング』の二面性があった」
「それって、『二重能力者』!!」
「せや。ダブルっちゅうやつや。本人は気付いてへんかったみたいやけど。で。俺は、福田に研究途上の道具を貸す
見返りに、あいつの細胞をちいとばかし貰ったんよ」

女科学者は、男の意図に、すぐ気が付く。

「まさか、それを使って人工的に『二重能力者』を作るつもりですか!」
「ははは。そのまさかや。ま、オリジナル通りの能力になるかどうかはわからへんけどな」

金髪色眼鏡、安いホストのような姿恰好をした男が、心底楽しそうに笑う。
もし仮に、意図的にそんな能力者が作れるとしたら。「HELLO」は。もうすぐ別の組織に生まれ変わるそれは。
間違いなく比類なき力を得ることだろう。女科学者は思わず、にじみ出る冷や汗をぬぐう。

「そのためには、まず、あいつがきちんと動作することを確認せな。g923。目覚めるのが楽しみやわ」

男は、その記号と数字で象られた名前を口にする。
月の消えた世界を完全なる闇へと導く、悪魔の名前を。

295名無しリゾナント:2016/02/12(金) 20:55:02
>>261-294
リゾナンター爻 番外編「そして月は闇に飲み込まれ」 了
番外編と言うには少々長くなってしまいました。

「できないことは、なにもない」「できないことは、なにもしない」は
初期の名作のこちらからのリゾナントでした
http://www45.atwiki.jp/papayaga0226/pages/160.html

296名無しリゾナント:2016/02/25(木) 17:37:10
ここは喫茶リゾナント。
常連客のほかは大した客の入りもなく、暇を持て余したリゾナンターたちが何気ない会話を繰り広げていた。
そのうち、有事は悪と戦うリゾナンターの性質が故に、弱点克服という観点から互いの嫌いなもの・苦手なものを言い合っていくことに。

「ハルはおばけが嫌いだな。おばけ屋敷とか無理無理!!」
「かのは体重計が嫌なんだろうね」
「あたしは高級なものが苦手かも。見ただけで白目剥いちゃう」
「私は石田さんが苦手です」
「はぁ!?あたしだって小田のこと苦手だし!」

そのうち、リゾナントの店主である道重が帰ってくる。

「みんな何話してるの?」
「あ、いえ。ダークネスに舐められないように、互いの苦手なものを言い合って克服しようと思って」

話の輪に入ってきた道重に、恐縮しながらことのあらましを話す工藤。
すると、道重は心底呆れたような顔をして、

「リゾナンターとあろうものが情けないの。さゆみは怖いものなんかないの」

と言い放った。
確かに道重はリゾナンターのオリジナルメンバー。今のメンバーでは経験したことのない数々の修羅場を潜ってきたことであろう。しかし、彼女が心を
持つ人間である限り、怖いものが何一つないなど、ありえない話。その言葉を疑った小田が、道重に問いただす。

297名無しリゾナント:2016/02/25(木) 17:38:08
「道重さん、本当に怖いものはないんですか?」
「当たり前なの」
「本当に?」

最初は自信満々に答えていた道重だが、ついに小田のしつこい追及に負けてしまう。

「本当は…りほりほが怖いの」

小声で、呟いた道重の本音。
鞘師と言えば、若手ナンバーワンの実力者。もはやリゾナンターにとってなくてはならない戦力である。
めきめきと力をつけつつある逸材の台頭に、道重が怯えているとしても何ら不思議はない。
恐怖からなのか、道重の顔はみるみるうちに紅潮してしまう。

「ああ、りほりほのことを思い出しただけで興ふ…じゃなかった、気分が悪くなってきたの。今日はもう寝るの」

そそくさと2階に上がってゆく道重を見て、後輩たちは一様に閃いたような表情になる。
これは、生きるレジェンドこと道重さゆみを倒すチャンスなのではなかろうかと。
治癒の力を自在に操り、さらに姉人格であるさえみは全てを滅する滅びの力の使い手。それを倒したとなれば、きっとこれからの彼女たち
の活動の礎となるはず。

「よし、鞘師さんの部屋に行くぞ」
「里保ちゃんに纏わるありとあらゆるものを道重さんの部屋に投げ込むんだろうね」

鼻息を荒くした工藤鈴木を先頭に、喫茶店のすぐ側にある鞘師のアパートへと乗り込む一行。
鈴木の透過能力で侵入した先には、鞘師がごみとも布団ともつかない物体の中で丸まって寝ていた。

「これは想像以上の汚部屋ですね…」
「とりあえずめぼしい物はすべてこのビニール袋に詰め込もう」

床に散らばる有象無象の品々を袋に放り込み、勢い勇んで道重の部屋に。
部屋の奥からは、苦しげな道重の声が聞こえてくる。

298名無しリゾナント:2016/02/25(木) 17:39:22
「ああ〜、こんな弱ってる状態でりほりほの脱ぎたてのTシャツを投げ込まれたらたいへんなことになるの〜。できれば湯気が出ているや
つがいい…じゃなくて死んでしまうの〜」

そんな道重の呻きを聞き、チャンスとばかりに鞘師の部屋で得た戦利品たちを次々と部屋に投げ込む四人。

「やめてなの〜!え、こっこれはりほりほのパン…ああぁっふっふぅ!!!!!!」
「やった!相当効いてるぞこれは!!」

昼間には決して聞けないような喘ぎ声、もとい断末魔の声を聞いて自分たちの考えが間違っていなかったことを確信する若きリゾナンタ
ー。そんな彼女たちに、道重の懇願の声が聞こえてくる。

「こんな状態で裸んぼのりほりほに『パァー!』されたら、さゆみもう昇天しちゃうの!それだけはやめてなの!!」

今こそとどめの瞬間。この機を逃したら永遠に道重には勝てないかもしれない。
四人の決意は固く、勢いのままに鞘師の部屋になだれ込む。

「え、ちょ、なになに」
「鞘師さんごめんなさい!」
「何も言わずに裸になるんだろうね!」

汚布団を剥され、何が起きてるのかもわからないまま、ひん剥かれる鞘師。
全裸にされた鞘師はそのまま喫茶リゾナントに運び込まれ、道重の部屋に投げ捨てられた。

「いたっ!一体何が何だか…」

床に転がった鞘師が上を見上げると、そこには目をキラリン!と光らせたピンクの悪魔が。

299名無しリゾナント:2016/02/25(木) 17:40:02
「さっ鞘師?鞘師はあれだよね、まだ15歳?15歳だよね?」
「17になりましたが何か…」
「あああ、こんなに怖いりほりほが裸んぼで現れたら、さゆみはもうペロペロするしかないの」
「は?」
「さあ、さゆみと一緒にシャバダバドゥーするの!!!!!」

ぎゃあああああああ、と聞こえてきたのは道重ではなく鞘師の断末魔。
そこではあの感動の横浜アリーナ以上のことが行われたのは間違いない。

「み、みっしげさん…本当は何が怖いんですか…」

数分後。
髪は乱れ、涙目になった鞘師が道重に訊ねる。
若いエキスを存分に堪能した道重は、上機嫌に、

「さゆみは本当はまりあちゃんが怖いの。若ければ若いほどいいの」

と答えた。
すると、鞘師の瞳が。
血走っているわけでもない。彼女はまるでカラーコンタクトを入れたかのように深い赤の瞳を有していた。
自慢の長くて艶のある黒髪も、その毛先数センチが赤く染まっていた。

道重は深淵を覗き込んだ。そこには翼を携えた魔王がいた。

「そんなこと、鞘師は、しない」
「散々弄んでおいて、もう遅いけえのう!」

まるで次元震かのような衝撃が、部屋を包み込む。

300名無しリゾナント:2016/02/25(木) 17:40:48




                     ◇

301名無しリゾナント:2016/02/25(木) 17:41:46
道重の部屋の中で、何が行われていたか、外で様子を窺う四人には知る由もない。
ただ、喫茶店ごと吹き飛ぶのではないかという衝撃のあとに、ぼろぼろの道重が這い出るように部屋から出てきたのは間違いのない事実
だった。

「…道重さん。本当は、何が怖いんですか」
「あ、赤い目をしたりほりほが…怖い…の」

そう呟いたきり、道重はぱたりと倒れてしまった。
ピンクの悪魔、破れたり。
かの落語の名作「まんじゅうこわい」では、一番怖いのは人の欲だということを説いたが。本当に怖いのは嫉妬の心なのかもしれない。
若きリゾナンターたちはまた一つ、先輩から知識を学んだのであった。

302名無しリゾナント:2016/02/25(木) 17:45:37
>>296-301
「りほりほこわい」

某ハロヲタ落語家さんの没ネタに同名のタイトルがあったそうで。
いや明らかにそこからパク…リゾナントしたんですがw

あと『deep inside of you』 の作者さんごめんちゃいまりあ。

----------------------------------

よろしければ転載お願いします

303名無しリゾナント:2016/02/25(木) 21:25:41
じゃあ転載しちゃいまりあ

304名無しリゾナント:2016/03/08(火) 22:09:27
>>221-230 の続きです



赤と黒に彩られた衣装に身を包む、五人の少女たち。
彼女たちの表情は、一様に落ち着いている。それは、諦めにも似ていた。

「ほんっと。驚くほどタフなんですね。『先輩』」

刃のような歯並びをした、目つきの鋭い少女 ― 金澤朋子 ― が呆れ気味に声をかける。

「でも、うちら全員の攻撃を凌いだ人、見たことないかも」
「さすがはセルシウスのリーダー」

バンビのような黒目が特徴的な少女 ― 宮本佳林 ― がわざとらしくしなを作り、それに苛ついた朋子の腹パンチ
の洗礼を浴びる。
そんな仕打ちを受けているのに、どことなく嬉しそうな顔をしているのはご愛嬌だ。

「それにしても。うちの『毒』でもうえむーの馬鹿力でもビクともしないなんて」
「あ!きー、今あかりのこと馬鹿って言った!!」

肩を竦めため息をつく猿顔の少女 ― 高木紗友希 ― に、どうでもいいことに腹を立てる長身の少女 ― 植村あ
かり ―。五人の粛清人が考えあぐねる程に、彼女たちの目標の障害となるそれは厄介だった。

305名無しリゾナント:2016/03/08(火) 22:10:35
目の前に立ち塞がる標的、矢島舞美。
彼女の後ろには、「黒翼の悪魔」に捻じ伏せられたキュートの、そしてベリーズのメンバーたちがいた。
彼女たちと新たな粛清人たちの間には、薄い水のヴェールがドーム状に張られている。これがある限り、「ジャッジメ
ント」の五人は手出しをすることができない。

「やじ…ごめん…」

舞美の後ろで、愛理が苦しげに呟く。
かろうじて立ってはいるものの、その体は紗友希の操る「毒のジャッジメント」によって蝕まれていた。粒子化された
水粒によって希釈されているとは言え、そのダメージは計り知れない。

愛理だけではない。
キュート・ベリーズの多くが地に伏し、喘ぎ苦しんでいた。降臨した「黒翼の悪魔」に気を取られ、紗友希の罠にまん
まと嵌ってしまったのだ。結果、舞美を残してほぼ全員が戦闘不能にされてしまう。

「大丈夫。みんなは、私が守るから」
「それでこそ、矢島さんです」

「ジャッジメント」のリーダー ― 宮崎由加 ― が、舞美の前に進み出た。
対峙するその表情はあくまでも柔和だが。

「私が最初に言ったこと、覚えてます? 私が、矢島さんのことを尊敬してるって」
「……」
「あれ、本心からの言葉なんですよ? こんな状況じゃ、信じてくれないかもしれませんけど」

舞美には、由加の言葉は届かない。
彼女の神経は今、後方の仲間たちを守ることに全て注がれていた。

306名無しリゾナント:2016/03/08(火) 22:11:17
「だからこそ…この手で、殺したい」

舞美には、見えていない。
眼前に迫る、殺気を帯びた手のひらが。

「はいそこまでー」

由加を制止する声が、はるか頭上から聞こえてくる。
見上げると、そこには。

「なぜですか。『黒翼の悪魔』様」
「…うちらの戦いの、巻き添えになるから」

漆黒の翼をはためかせ、「悪魔」はふわふわと宙に浮いていた。
一瞬顔を曇らせる由加だったが。

「…わかりました。総員、撤退」

下される、撤収命令。
もちろん他の「ジャッジメント」メンバーたちは納得がいかない。

「そんな!もう少しで粛清が完了するのに!!」
「そうだよ、いくら幹部の命令だからって…」

黄色い声を上げ抗議する紗友希とあかり。だが。

「あんたたち、死ぬよ?」

その存在同様、ふわふわとした、気の抜けた声。
けれどもそこから、劫火の如く殺気の突風が吹き荒れる。
その炎は、紗友希たちの反駁心を一瞬のうちに焼き尽くしてしまった。

307名無しリゾナント:2016/03/08(火) 22:12:13
「…す、すいませんでしたっ!!!!」
「きー、りんか、いこっ!!」

一様に顔を青くし、その場から走り去る粛清人たち。
そして由加もまた、

「今回は、見逃してあげます。けど、忘れないでくださいね。あなたたちは永遠に『粛清の対象』であることを」

と苦虫を噛み潰した顔で吐き捨て、後ろにいた佳林に視線を送る。

「…うふふ」

意味深な笑みを浮かべ、踵を返す佳林。
何が起こったのかわからないまま、五人の粛清人が撤退してゆくのを舞美は見送ることしかできなかった。

脅威が去り、周囲に立ちこめていた毒が引いてゆくのに安堵したのか、舞美の張っていた水のバリアーは一瞬のうちに
流れ落ちる。全身の力が抜け、膝から崩れ落ちそうになるのを懸命に耐えた。なぜなら。

翼をはためかせ、「黒翼の悪魔」が地上に降り立つ。
一難去ってまた一難どころの話ではない。

万事休す、と言ったところに聞こえてきたのは。
悪魔のそれとはまた違った意味での、間の抜けた声。

308名無しリゾナント:2016/03/08(火) 22:12:45
「うまくいったねー、舞美」
「えっ?」

舞美の疑問に答えるが如く、姿を変えてゆく悪魔。
姿を現したのは、ベリーズの熊井友理奈だった。

「熊井…ちゃん?」
「あたしもいるよ!」

さらに友理奈の後ろから姿を現す、小麦色の明るい笑顔。
ただでさえ複雑なことは考えられない舞美の頭の中が、さらに混乱する。

「ちぃーまで…どうして」
「あたしの『幻視』で、熊井ちゃんを『黒翼の悪魔』に見せてたの。凄いでしょ!」
「え…何それ…」

まだ思考がうまく纏まらない。なぜ友理奈に千奈美まで?
舞美が必死に散らかりそうな意識を繋ぎ留めようとしたその時。
青白い顔のツインテールが目の前に現れる。

「わあっ?!」
「要するに、本物の悪魔さんが近くにいることを利用したトリックってこと」

309名無しリゾナント:2016/03/08(火) 22:14:18
本人曰く粛清人たちに見つからないよう物陰に隠れていた、という嗣永桃子の弁によると。
「黒翼の悪魔」によって陣を破られてしまったベリーズ。しかし比較的ダメージの軽かった数人は、近づく不穏
な気配、つまり「ジャッジメント」の急襲に気付き機を窺っていたのだった。そして、作戦は決行される。
自身の能力である「重力操作」で空に浮かび上がった友理奈の姿を、千奈美の「幻視」が「黒翼の悪魔」へと変
える。これだけなら見破られてしまう可能性が高かったが、幸運だったのはすぐ近くに本物の「黒翼の悪魔」が
いた。彼女の放つ殺気が幻覚のそれと相交じり、幻覚のリアリティを飛躍的に高めたのだという。

「でもさ、『黒翼の悪魔』なんだからもっとギャルっぽく喋ればよかったかなあ。えっとー、黒翼ちゃんでーす、
ちょりーすあげぽよー、みたいな」
「くまいちょー、それギャルじゃなくて馬鹿な子だよ」
「えーっ、ももひどくない!?」
「うんこみたいな髪型のももに言われたくないよね」
「これは天使の羽!て・ん・し・の・は・ね!!」

緩い会話を繰り広げる三人を前に、舞美は思う。
何が何だかわからないけれど、とにかく助かったのだと。

そんな希望をあざ笑うかのように、舞美の眼前を一筋の光が通り過ぎる。
光は、空間を劈き、舞美の横にいた桃子を掠める。自称「天使の羽」の片方が、千切れ飛んでいた。

「え…あ…」
「みんな!ここから安全な場所まで避難するよ!!動ける子は倒れてる子を背負って、早く!!!!」

突然の出来事に呆気に取られているメンバーたちに、舞美が指示を飛ばす。
先ほどの光線は、悪魔のものか、それとも「銀翼の天使」のものか。いずれにせよ、自分たちが死の刃を鼻先に
突き付けられている事実には変わらない。ならば、一刻も早くこんな場所から離れるべきである。

310名無しリゾナント:2016/03/08(火) 22:15:18
「ほら!熊井ちゃんは倒れてる子を浮かして少しでも負担を軽くして!愛理は音のバリアを張って後方の流れ弾
に備える!舞美も水の防御壁を!」
「佐紀!!」
「ほら、あんたはこのチームのリーダーなんだから!しっかりしないと!!」

焦りがちな舞美の心を鎮めるが如く、動けるメンバーたちに細かい指示を出したのは、ベリーズのキャプテン・
清水佐紀だった。そうだ。絶対に、全員で生きて帰るんだ。舞美の心に、大きく希望の炎が燃え上がる。

ベリーズとキュート。
共に組織の思惑に翻弄されてきた、能力者の集団。
彼女たちの心は今、ひとつになっていた。
ここから生きて帰るために。そしていつか、ダークネスに、リベンジを果たすために。

311名無しリゾナント:2016/03/08(火) 22:17:04
>>304-310
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

312名無しリゾナント:2016/03/11(金) 19:23:10
>>304-310 の続きです



それまで見えていた景色が、ゆっくりと無機質な構造のものに変わる。
高橋愛と、新垣里沙。「つんくの手の者」により、彼女たちはとある場所へと転送されていた。
そこは、通路。それも、果てしなく長い。

「ここ…どこやろ」
「さあ。でも、一つだけ言えるのは」

里沙が、周囲を見渡しながら、言う。

「碌でもない場所なのは、確かみたい」

まるで核シェルターのような、頑丈な構造の床や壁。
それらが無残にもひび割れ、撓み、歪んでいた。高エネルギーの何かが、この場所を蹂躙したのだと里沙は判
断した。

「つんくさんは。あーしらに用があるって言ってた。つんくさんを、探さないと」

愛の言葉に、里沙が無言で頷く。
精神干渉の走査線が、縦横無尽に通路を駆け巡る。
そして里沙は、引き当てる。途轍もない、大きな力の痕跡を。

「あ、安倍…さん?」
「里沙ちゃん!!」

膝から崩れ落ち倒れ込みかける里沙を、愛が咄嗟に支える。
その顔は青ざめ、額には脂汗が滲んでいた。それでも、表情には希望と絶望が入り混じる。

313名無しリゾナント:2016/03/11(金) 19:24:27
「愛ちゃん。ここに。ここに、安倍さんが。でも、どうして」
「わからん。でも、きっと…つんくさんが鍵を握ってる」

この施設に里沙の敬愛する「銀翼の天使」 ― 安倍なつみ ― が居たのは、紛れもない事実だった。
そして、つんくがわざわざこの場所に自分たちを呼び寄せた理由。
全ては彼に会い、そして問い質さなければならない。
リゾナンター。そして。ダークネスに深く関わる、存在として。

しばらく歩くと、一目で異様さがわかる死体が見えてきた。
彼女は、血だまりに溺れるようにして床に倒れていた。

「この人、確かつんくさんの。石井、とかいう名前の」

里沙たちは、彼女の顔に見覚えがあった。
警察組織の能力者たちを束ねるつんくが、絶えず自らの側に仕えさせていた秘書的な存在。
そんな彼女が、全身から血を噴出させたように、息絶えている。

「…きっと、『これ』を解除するために」

石井が倒れている側には、最早何の役にも立たないセキュリティゲートの端末があった。
この場所に来るまでに、いくつもの端末を見かけた。それらの端末全てを解除するために命を投げ打った。目の
前の惨状について、二人はそう解釈した。

死者に黙祷し、愛たちは再び歩き出す。
里沙が、先頭を歩くような形。彼女は、なつみの、そしてつんくの痕跡を辿るように。自らの精神エネルギーを
探知機代わりにして歩いてゆく。

314名無しリゾナント名無しリゾナント:2016/03/11(金) 19:25:29
「…安倍さんの痕跡が。段々と、濃くなってる」
「里沙ちゃん、無理せんで」

愛が思わずそんな言葉を掛けるほど、里沙の消耗は激しかった。
なつみの身に、間違いなく何かがあった。そうでないと、この痕跡は。禍々しき痕跡は説明が付かない。
けれど、敢えてそれは口にしなかった。

あの聖夜の惨劇から、数年。
とある情報筋から、ダークネスがなつみをコントロールできずに、どこかの施設に隔離したという話は聞いてい
た。それがおそらくこの場所なのだろう。
里沙は、なつみの痕跡を辿りながら、あの日のことを思い出していた。

315名無しリゾナント名無しリゾナント:2016/03/11(金) 19:26:58


全身を、強烈を通り越した痛覚によって蹂躙されていた。
いや、最早痛覚というものが残っているかどうかすら定かではない。

冷たい、真冬の月のような貌(かお)。
安倍なつみ、いや。「銀翼の天使」は、冷ややかに地に伏したリゾナンターたちに視線を、落としていた。
だが、その瞳には感情の色はない。あくまでも無機質に、惨状を映すのみ。

喫茶リゾナントは。
いや、喫茶リゾナントだったそこは。
原型を留めることなく破壊されていた。
思い出の机も、テーブルも、カウンターも。
コーヒーカップも、キッチンも、観葉植物も。
ただの瓦礫と化していた。瓦礫に、9人のリゾナンターたちが倒れているだけだ。
皮肉にも。店の中央に設置したクリスマスツリー、その頂に掛けられていた「Merry Xmas」のレリーフだけが。風に吹かれてかたかたと音を鳴らしていた。

「あ、安倍…さん…」

体の中の空気を絞り出すように。
里沙は、自分の中に残されたわずかな力を振り絞ろうとする。
立ち上がるために。そして大切な仲間たちを、守るために。
けど、無情にも、指一本、動かない。毛先ほども、動かない。

316名無しリゾナント名無しリゾナント:2016/03/11(金) 19:28:11
「ウッ!ウガアアアアアッ!!!!!」

獣の咆哮が、闇を切り裂く。
ジュンジュンが、全ての力を獣化に注いだのだ。
瓦礫の山と化したリゾナントにうっすらと積もり始めた雪の白を食らいつくさんばかりに、漆黒の獣毛が逆立ち、
そして飲み込もうとしていた。

だめ、ジュンジュン…
声にすらならない里沙の悲痛な願いも届かず。
その鋭い爪も、牙も。天使の体に触れることすらなく、銀色の光に貫かれる。
重く湿った音を立てて倒れるジュンジュンの前で、無表情のまま手を前に翳した天使が立っていた。
大人と子供。いや、同じ生物という土俵にすら立っていない。
リゾナンターが9人同時に襲いかかった時と同じように、難なくジュンジュンを沈黙させてみせた。

このまま、自分たちはなつみに、いや無慈悲な「天使」に殺されるのだろうか。
今まで、ダークネスと戦ってきた自分たちの痕跡すら、ここで掻き消されてしまうというのか。
どうして。どうしてこんなことに。
消えゆく意識の中で後悔ばかりが色濃くなってゆく中、「それ」は起きた。

「あ…ああああ…いやああああああっ!!!!!!!!!!!!!」

それまで機械のような反応しか示していなかった「銀翼の天使」が、頭を抱えて苦しみはじめたのだ。
愛も。里沙も。絵里もさゆみもれいなも小春も愛佳もジュンジュンもリンリンも。銀の翼に打ち据えられた全員
が、ぴくりとも動かない世界の中で。天使だけが、嘆き苦しんでいた。破壊の化身とも言うべき存在だった彼女
に似つかわしくない叫び声はしばらく止まらず、輝く羽根が舞い散る中でなつみが瓦礫に崩れ落ちた時にようや
く絶叫は鳴りやんだ。

「なるほど。こういう結果になりましたか」

その機を見計らったかのように、誰かの声が聞こえる。
完全に意識が闇に沈み前に、里沙はすべてを悟る。
誰が、この惨劇を引き起こしたのかを。

317名無しリゾナント名無しリゾナント:2016/03/11(金) 19:29:23


あれから幾年の時を重ねた。
にも関わらず、「銀翼の天使」が里沙たちに刻んだ心の痕は消えてはいない。
恐怖、そして絶望。傷を彩る感情は今でも鮮やかに滲みだしてくる。
だが、そんなことよりも一番の問題は。
里沙の中に、「なつみ」と対峙する覚悟がなかったこと。自らの心が届かない現実を知ってなお、彼女と戦うこと
に躊躇したことだった。その後悔は、蹂躙されたトラウマよりもはるかに大きく、そして深い。

「里沙ちゃん…」
「愛ちゃん。私は大丈夫。大丈夫だから」

ピアノ線が収められたグローブに、力が入る。
愛はきっと里沙の感情を察して声をかけてくれたのだ。
自分たちがここにいる理由。つんくから聞かずとも、ある程度は理解できる。
そのことが、里沙の心を現実と向き合わせはじめていた。

あの時は、無理だった。けれど…

「お前ら、遅かったやないか」

声のするほうに視線を向け、その瞬間。
二人の血の気が、ひく。

つんくが、壁を背に座っていた。
いや、座っていたと表現するのは、彼女たちの視線よりつんくがかなり下にいたせいで。

318名無しリゾナント:2016/03/11(金) 19:30:48
「待ちくたびれ過ぎて、体半分になってもうた」

彼の言葉通りに。
つんくは、胴から下のすべての部分を失っていた。
床の血溜まりを吸い上げたのか、自慢の白のタキシードは赤と白のグラデーションを綺麗に作っていた。
一方、彼のすっかり血の気のなくなった肌はタキシードの白によく馴染んですらいた。

「つんくさん!!!!!」
「はは…油断したわ。完全にコントロール下にあったと思ったんやけどなぁ。飼い犬に手ぇ、噛まれたわ。完璧な
どない、か。最後の最後であいつに、逆転されてもうた」

これだけの出血、彼がもう助からないことは明白だった。
たとえ治癒の達人であるさゆみがこの場にいたとしても、何の効果もなかっただろう。

「ま、ああならんだけでもラッキーやったか…」

つんくが顔を向けた先には、原型を留めないほどに破壊されたかつて人であったらしき何かがあった。
途轍もない力が、その人間を押し潰し、砕き、そして肉の塊にした。つんくを、そしてその人を、誰がそんな目に
合わせたのか。

「俺の、最後の頼みや。あいつを…安倍を、止めて欲しい」
「!!」

わかってはいたものの。
実際に言葉にされるほど、きついものはない。
実力的な意味でも。そして、感情的な意味においても。

319名無しリゾナント:2016/03/11(金) 19:32:00
「つんくさん…あなたは…」
「虫のいい話やっちゅうのは、わかってる。ダークネスも、そしてリゾナンターも俺が無責任に育てて、世に放っ
たっちゅうことくらい、俺にも…わかってる…」

愛と里沙は、つんくがかつてダークネスの科学部門統括の席にいたことを知っていた。
特に愛は、「赤の粛清」に追われ絶海の孤島から脱出した時に。断崖絶壁からつんくの操縦するモーターボートに
飛び降りたこともあって、その経緯をよく知っていた。そして彼の差し伸べた手が後に、リゾナンターを結成する
大きなきっかけになったことも。

「せやけどな。これだけはわかって欲しいねん。俺は…この地球の平和を本気で願って…がっ、がはっ!!!!」

つんくが顔を背け、大きく体を震わせる。
尋常ではない量の吐血が、床を汚した。

「お前らの描く、物語…俺も登場人物として好き放題…やってきたけど…舞台から降り、る時が…来たようやな…」

つんくが、ゆっくりと目を閉じる。
先ほどまで強張っていた体が、ゆっくりと弛緩してゆくのが目に見えてわかった。

「つんくさん!つんくさん!!」
「もう…お別れや…お前らの活、躍…見て…る…から…」

そしてそれきり、つんくは沈黙した。

愛は物言わぬつんくの前に跪き、黙祷した。
僅かな間に流れる、さまざまな思い。しかしそれも、勢いのなくなった火種のように色褪せ、消えてゆく。

「愛ちゃん…行こう」

里沙に促され、立ち上がる愛。
二人は再び、出口を目指す。そして、二度と振り返らなかった。

静まり返った惨劇の間に、掠れた声がする。

「ほーんま…楽しみやで。俺の…作…った…最高傑作…どうなる…か…ほん…ま…」

声は、通路を吹き抜ける風に掻き消され、散り散りになって、消えた。

320名無しリゾナント:2016/03/11(金) 19:33:20
>>312-319
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

321名無しリゾナント:2016/03/15(火) 07:42:17
>>312-319 の続きです



愛と里沙は、通路の出口を目指し、歩く。
そこに辿り着けば、最早することは一つしかない。

「銀翼の天使」の、討滅。

言葉にするのは簡単だ。
けれど、それが難しいことは聖夜の惨劇を経験した二人はよく知っていた。
9人がかりですら、倒せなかった。かすり傷一つ、負わせられなかった。

しかし今は。
愛も。そして里沙も。
あの頃とは比べ物にならないほど、力をつけていた。
その実力は、ダークネスの一幹部を打ち倒すほどにまで。
もちろん、「銀翼の天使」がそれらの幹部たちと比べても別格なのは言うまでもない。

それでも。
彼女たちの闘志が揺らぐことはない。
必ず、成し遂げる。生きて帰って、戻ってくる。
かつて手製のお守りを自らの半身としてお互いに託した時のように。
二人の心は、強固な絆で結ばれていた。

光が、射す。
気の遠くなるほど、それでいてあっと言う間の通路は終点を迎えていた。
同時に、まるで毛色の違う二つの殺気の奔流が一気に駆け抜ける。

「これは!?」

里沙が「天使」の気配に気を取られ、見落としていたもう一つの脅威。
それは、感じるまでもない。
「天使」と「悪魔」が、彼女たちのはるか上空で、翼を交えていたのだから。

322名無しリゾナント:2016/03/15(火) 07:43:13


空に浮かぶ、二つの影。
一つは、闇夜を思わせる翼を広げる「黒翼の悪魔」。
そして、もう一つは。

彼女の周りには、「言霊」のエネルギーが具現化した「白い雪」が降っていた。
能力を持たぬ者であれば、触れただけで魂ごと吹き飛ばされる。
白い雪はまた、舞い落ちる羽毛のようでもあり。
彼女は、その羽毛を翼とし、空に揺蕩う。
「銀翼の天使」 ― 安倍なつみ ― 。

「たぶん、あたしの言葉なんてもう届かないんだろうけどさ」

「悪魔」につけられたいくつもの傷口から零れた黒い血が、形を変え漆黒の槍を成す。
その傷は、先の「エッグ」たちによってつけられたものばかりではない。
「悪魔」は、確実に消耗していた。

「ごとー、言ったよね。『なっちは優しすぎるんだよ。そのチカラがあれば何でも出来るのに…』って」

「天使」は答えない。
いや、それ以前に。彼女の瞳には、何の感情すら浮かんではいなかった。
その姿は、例えるなら破壊というプラグラムを入力されただけの、機械。

つんくが彼女に飲ませた、「内在した人格を入れ替える」薬。
さゆみを被験者として選び得たデータは、彼女にもその薬が適合することを表していた。
ただ、つんくにとって誤算だったのは。

「天使」が。安倍なつみが内包していた第二の人格など、存在しなかったということ。
言うなれば、強い光に照らされて生まれただけの影。そして、影には。主体となる人格など、存在してはいなかった。

323名無しリゾナント:2016/03/15(火) 07:44:15
「でも、撤回するよ。『チカラだけじゃ…何もできない』って」

螺旋を象る槍が、「天使」に矛先を向ける。
降りしきる「雪」を避け、標的を包囲したいくつもの槍が白い影に襲い掛かった。

だが。
黒血の槍は「銀翼の天使」に突き刺されも、貫かれもしなかった。
触れた先から、崩れ落ち、そして無に還る。
何故なら、この力は「言霊」の力だから。
なつみが、自ら以外のすべてのものを消し去るように願った、その願いを形にしたものだから。

「あの時は、素直に『もったいない』って思ったけど。今は、別の意味でもったいないって思うよ」
「……」
「『魂のない人形』が、そんなチカラを扱ってることがさ」

「天使」と「悪魔」。
かつて、彼女たちは交戦したことがあった。
「天使」の戦闘に消極的な態度に、「悪魔」は自らの欲望の蓋を外したのだ。
即ち、自分と対等な者と死闘を繰り広げることの、欲望。
ただ、その時は最後まで「天使」を自らの狂気に引き込むことはできなかった。

それが今はどうだ。
あの時の望みどおりに、互いの命をやり取りするような舞台は整った。
血沸き肉躍る、「悪魔」が待ち望んだはずのシチュエーション。
ずっと戦っていたい。彼女の欲望を叶える、最高の条件のはず。

なのに、「悪魔」の心は少しも踊らない。
逆に、あの「殺気だけのつまらない標的」を見るたびに、自分の心の温度は醒めていっているようにすら感じる。
今の彼女は、Dr.マルシェこと紺野あさ美の指示でこの場所にいるだけ。そのことの、なんと興の乗らないことか。
ただ、何もせずに次の行動に移るのもやや癪ではある。

324名無しリゾナント:2016/03/15(火) 07:45:11
「面倒だから…一気に終わらせよっかな!!」

黒き翼が、「悪魔」の眼前で交差した。
同時に、空を切り裂く勢いで「天使」に向かって飛び込む。
背には、翼の他に触手のような黒い腕が、六本。いずれもが、先ほどの槍と変わらぬ狂暴な刃を携えていた。

「―――Bullet『弾丸』」

その時。
「天使」が初めて言葉を紡いだ。
空から降る雪が、みるみるうちに形を変えて白い弾丸となってゆく。
突撃する黒の塊を認識するが如く、聖なる銃弾は突発的な豪雨のごとく「悪魔」に降り注いだ。

「くっ…!!」

白が黒を打消し、塗り潰す。
あと一歩で「天使」を貫く間合いに入るところを、最大級の攻撃により押されてゆく。
滅ぼされた黒血の殻から、生え変わるように新しい殻へ。それを幾度となく繰り返しても、天使の裁きは終わりそ
うになかった。

ついには、いくつかの「弾丸」を食らい、諦めた「悪魔」は勢いのままに地面へと墜落してしまう。

325名無しリゾナント:2016/03/15(火) 07:45:58
高橋愛と新垣里沙は。
その戦いを、固唾を飲んで見ていることしかできなかった。
正直なことを言えば、気圧されていた。

「黒翼の悪魔」とは一度、異国の地で一戦交えたことがあった。
あの時は、愛佳の「予知」に助けられた。故に、後の「天使」が与えたような絶望をメンバーが味わうこともなかった。
黒血の助けがあったとは言え、田中れいなが「悪魔」に立ち向かうことができたのも、そのような事情があったからだ。
それでもなお、メンバーたちには「悪魔」の残した恐怖を拭い去ることはできなかった。

そのような相手が、あの「銀翼の天使」と交戦している。
焼け付くような修羅場に、どうして気軽に足を踏み入れることができようか。
いくつもの思いが二人の中を逡巡する中、撃ち落とされた「悪魔」が。土煙を上げて地面に激突したのだった。

「あいたたた…容赦ないなあ…」

地表に思い切り人の形を刻み込んだ「悪魔」は、何事もなかったかのように自らが作り出した穴から這い出てくる。
まるで漫画のような光景に、愛も里沙も言葉が出ない。

「悪魔」は、全身土埃塗れになった体を丁寧に、ぱんぱんと叩き汚れを落とす。
そして目の前の傍観者たちに、ゆっくりと視線を向けた。

「ねえ」

掛けられた言葉に、思わず身構える愛と里沙。
それもそのはず。「黒翼の悪魔」は間違いなく、二人の敵だ。
れいなからの伝聞ではあるが、さくらを救出する際にもやりあったと聞く。
となれば待ち受けるのは、「天使」と「悪魔」との三つ巴の戦い。
一度戦火に巻き込まれたらもう、後に退くことはできない。
しかし。「悪魔」の口から出たのは、意外な言葉だった。

326名無しリゾナント:2016/03/15(火) 07:47:10
「悪いけどさ。手伝ってくんない?」
「はぁ?」

愛が抜けた声で聞き返すのも無理はない。
普通に考えれば、「黒翼の悪魔」はつんくが「銀翼の天使」を強奪するのを防ぐためにダークネスの差し金でここ
に来ているはず。ならば、彼女に味方をするということは必然的にダークネスに利を与えることになるからだ。

「それはできない相談やよ」
「何で?」
「だって!あーしらはリゾナンターで、あんたはダークネスだからっ!」

何で、の一言に頭に血が上ってしまう愛。
すると、今度は「悪魔」は里沙のほうに目線を移した。

「ニイニイは、どう?」
「いいでしょう。お受けしますよ、その依頼」
「さっすが。伊達にスパイやってただけのことはあるねえ」

里沙は、躊躇することなく「悪魔」の提案を受け入れた。
納得いかないのは愛のほうだ。

「里沙ちゃん!何で!!」
「愛ちゃんが納得いかないのもわかるけど。今はこれがベスト。て言うかこれしか道はない」
「色々あるやろ!そこの悪魔が安倍さんとやりあって弱った隙にとか!」
「愛ちゃんそれこの人の前で言ったら意味ないでしょ…」

直情型の愛を抑えるために。
里沙は順を追って説得することにした。

327名無しリゾナント:2016/03/15(火) 07:48:16
「まず一つが、今の安倍さんはどう見てもまともな状態じゃない。下手したらあのクリスマスの日の時より危険か
もしれない」
「む…」
「もう一つが、例え二人が消耗戦を繰り広げたところで、うちらに勝ち目があるかどうかはわからない。それどこ
ろか、安倍さんに対抗できる大きな駒を失ってしまう」
「確かに…」
「最後に、とりあえず今のところは、後藤さんはうちらに敵意をしめしてない。そうですよね?」

最後は、敵であるはずの「黒翼の悪魔」に同意を求めた。

「まあ、そうだね。今のなっちは、つんくさんの飲ませた『薬』のせいでちょっとばかし厄介なことになってるし」
「つんくさんが飲ませた薬!?」
「それは今は置いといて。あんたたちを駒に使いたいのはごとーも一緒だし、勝率は高いほうがいい。てことで、
おっけえ?」

あっけらかんとした物言いに、二人はかつて目の前にいた人物が先輩であったことを思い出す。
気の遠くなるような、昔の話ではあるが。

「いいでしょう。ただし、あくまで共闘は『安倍さんを鎮静させるまで』。その後は…いいですよね」
「里沙ちゃん、でも…」
「愛ちゃん。うちらはさ。フクちゃんたちに生きて帰って来いって、約束させたんだよ。そのうちらが生きて帰っ
てこれないんじゃ、後輩たちに示しがつかないじゃん」

愛は、里沙の目的がいつの間にか「天使の討伐」から「天使の鎮圧」に変わっていることに気付く。
それは、「黒翼の悪魔」という強い味方を得ることができたからだろうか。それとも。愛にはその理由を正確に推
し量ることはできなかったが、こういう時の里沙が頼りになることも知っていた。

「わかった。里沙ちゃんに任せる」
「ありがと、愛ちゃん」
「こーしょーせーりつ、だね」

呉越同舟、とはよく言ったもので。
里沙は複雑な思いを描きながらも、ある思いを強くする。
「黒翼の悪魔」という戦闘面の後ろ盾がある今なら、試すことができるかもしれないと。

「安倍なつみ」を、取り戻すための、自分に出来得る手を。

328名無しリゾナント:2016/03/15(火) 07:52:58
>>321-327
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

参考までに
http://www45.atwiki.jp/papayaga0226/pages/411.html
http://www61.atwiki.jp/i914/pages/37.html

329名無しリゾナント:2016/03/15(火) 18:37:11
放置し過ぎで忘れられたシリーズですが http://www35.atwiki.jp/marcher/pages/980.html の続きです。

330名無しリゾナント:2016/03/15(火) 18:38:06


 
ヒュウッ

「ううっ寒!」

ただでさえ空気が冷たいのに
風が吹いたら余計に冷たく感じるじゃん!

コート・帽子・マフラー・手袋のフル装備でも寒い

「まだ1月かぁ。もうすぐ3学期……あーあ、冬休みがもっと長かったら良いのに」

そしたら、学校に行かなくて済むのに
クラスメイトにも会わなくて済むのに

ずっと“ステップ”にだけ行きたいな

ビュウ!

「うわっ! 家から遠いのだけ我慢しなきゃいけないんだけど、この寒さは耐えられない……あ」

アレ、使っちゃう?

辺りを見回す
誰も居ない

「よし!」

──加速──アクセレレーション

331名無しリゾナント:2016/03/15(火) 18:39:54

ビュン!

身体の動きを早めるウチの、超能力
100mなら7秒で走れる

やっぱり早い!
これならすぐ着くね!
だけど
冷たい風が顔に直撃

「肌が痛ぁーいっ!」

──

「ハァ、ハァ、ハァ……つ、着いた……」

顔が凍ったみたいに動かせない
っていうか痛い
早く中へ入って暖まろう

ガチャ

「おはようございます! 石田、到着しました!」
「石田さん。あなた、能力を使って来ましたね?」
「えっ!?」

ヤバい!
バレた!

「いつも言っていますが、外で能力を使う事がいかに──」

声は平静を保っているみたいだけど
眉間には皺が寄り、眉毛はつり上がり、目元や口元や鼻はピクピクと動いてる

こ、恐い……

この先生の話って長いんだよね
ルールを破ったウチが悪いんだけど

332名無しリゾナント:2016/03/15(火) 18:41:01

「まあまあ、外は寒いですから」

えーと、どちら様?

先生の後ろから、知らない女の人が現れた
ハーフみたいに綺麗な人

「早くここへ来たくて、つい使ってしまったのでしょう。ね?」
「あ……ハイ」

先生の肩に手を添えてなだめつつ、ウチに笑顔を向ける女の人

この人、ウチが能力者って解ってる?

「はじめまして。今日、ここを見学させてもらう“ヨシ”です」

見学って言った
やっぱり能力者って解ってるんだ

大きな眼がウチを見てる

笑顔なんだけど、なんか違う
ウチに、期待してる?
なんで?

「あの……石田、亜佑美です」
「よろしく」

ヨシさんは、ウチに手を差し出した

握手、で良いんだよね?

「よろしくお願いします……」

ヨシさんの手まで、自分の手を伸ばす

333名無しリゾナント:2016/03/15(火) 18:41:49

綺麗な手
モデルさんみたい

ウチも大人になったら、こんな人になれるのかな
大人に、なれるのかな
ちゃんと生きていけるのかな

伸ばしたウチの手が、ヨシさんの手に触れた

(愛ちゃん!!!!)
(高橋さん!!!!)

今の!

思わず手を離す

手が触れた瞬間、声が聴こえた
耳からじゃない
頭の中から聴こえた

ウチは、この声を聴いた事がある
でもその時は胸の中、真ん中で鳴り響く様に

「去年、君は不思議な体験をしたね?」

ヨシさんを見ると、さっきまでの笑顔じゃなかった
これはきっと

「やっと見つけたよ。君は“共鳴”する者だ」

欲しいモノが手に入った、喜びの笑顔

334名無しリゾナント:2016/03/15(火) 18:44:35
>>330-333
Rs『ピョコピョコ ウルトラ』4 side Ishida

新スレのレス稼ぎに使って頂ければ幸いです。
自分はスレ立て予定時間に手を離せないので、どなたか転載をお願い致します。

335名無しリゾナント:2016/03/15(火) 21:46:54
転載行ってきました

336名無しリゾナント:2016/03/16(水) 07:02:55
>>335
ありがとうございます。
助かりました。

337名無しリゾナント:2016/03/17(木) 18:29:02
>>321-327 の続きです



「金鴉」と、8人の若き共鳴者たち。
戦闘の火蓋は、8人が同時に散らばることによって落とされた。

一か所に固まることなく、全員が別の場所に陣取る。
これは、非常に強力な「金鴉」の一撃を複数人が食らってしまう可能性を減らす最良の戦術。
最初に頭に描き、提案したのは春菜だ。

― あの人の攻撃は重いですけど、大丈夫。「当たらなければ、どうということはない」です! ―

どこかで聞いたことのあるような言い回しだが、言い得て妙。
逆に言えば、絶対に「金鴉」の攻撃は食らってはいけない。香音の「物質透過」能力である程度の被弾は避けら
れるものの、彼女の能力もまた万能ではないからだ。

「はは。よう考えたな。のん、油断してるとやられるで?」
「うるさい!!」

「Alice」の傍らで、ふわりと浮きながらまたも試合観戦。
そんな「煙鏡」の煽りに本気で腹を立てながらも、「金鴉」は周囲を飛び回る「小うるさいハエ」を必死に目で追う。

「ばーか!こっちだよ!!」
「いてっ!!」

優樹が床に落ちていた端材をテレポートさせ、「金鴉」の頭にぶつける。
子供の悪戯のような攻撃に思わず目を剥くが、もうそこには優樹はいない。

338名無しリゾナント:2016/03/17(木) 18:29:34
「…っのやろ」
「よそ見してんなよ、おらぁっ!!」

今度は、背後を遥が不意打ち。
背中を思い切り蹴り倒された「金鴉」だが、倒れたままの姿勢で足払い、遥を薙ぎ倒そうとする。

しかし手応えは無い。
香音の「物質透過」能力が遥にも行き渡っているのだ。

「ぶっ殺す!!」

背を向け逃げてゆく遥に、「金鴉」が右手を翳す。
誰の能力かはわからないが、手のひらに集まる熱源。それが蓄積され、無防備な遥に放たれようとしていた。

「そうはさせないって!!」

目の前に躍り出たのは、亜佑美と。
鉄骨に囲まれた空間に低く唸る、青鋼の鉄巨人。
人の体がいくつも覆われるような大きな掌が、放たれる熱線を完全に遮断した。

そうこうするうちに、今度は聖の容赦ない念動弾の集中砲火が襲う。
威力自体は強くなくとも、まとめて当たれば軽視できないダメージとなる。

「ちくしょう!どいつもこいつも!ちょこまかうぜえって!!!!」

「金鴉」は。
完全にリゾナンターたちの策に嵌っていた。

339名無しリゾナント:2016/03/17(木) 18:30:44


「たぶんなんですけど…あの『金鴉』って人は他人から頂いた力を、そう何度も使えはしないと思うんです」

倒されてしまったさゆみと里保以外の8人で、対「金鴉」シミュレーションを練っていた時のこと。
おずおすとそんなことを言い出したのは、春菜だった。

「そう言えばあいつ、能力の使用回数に限りがあるみたいなこと言ってたぞ」
「つまり…道重さんの力と蟲使いの力はもう、使えないってこと?」

遥の情報も踏まえ、聖が結論を促す。
春菜の静かな頷きは、肯定を意味していた。

「てことは。あいつは攻撃防御と遠距離攻撃の強力な二枚のカードを既に切ったってことっちゃろ。楽勝やん」
「生田さん、楽観視するのはまだ早いです。あの人は、他人の血を媒介に能力を使役していました。あといくつ、
ストックを持ってるか。それと、鈴木さんがされたみたいに」

さくらの言葉は、嫌でも思い出させてしまう。
香音の能力を「擬態」した「金鴉」の抜き手が、さゆみの体を貫いたあの瞬間を。

「最低でもうちらの能力の数と。そしてあいつの持ってるストック、か」
「能力の相性によってはコピーできないらしいですから、全部ではないでしょうけど」

普段は些細なことですれ違う亜佑美とさくらだが、今回ばかりはそんなことを言っている場合ではない。
蟲の力は使えずとも、自分たちの血を奪う方法などいくらでもある。それはそのまま「金鴉」への脅威につなが
っていた。

「でも、勝機はあると思う。聖たちが、全員で挑めば」
「そうですよ。道重さんが言ってたように、あの人たちは共闘できないんですから。個対多の戦法で行けば、相
手は必ず態勢を崩します」
「タコ板だって、変なの。イヒヒヒ」
「個対多だっつうの!で、具体的にどうすんだよ、はるなん」
「それはですね…」

340名無しリゾナント:2016/03/17(木) 18:31:54


個対多。
すなわち、全員で相手を攪乱し、隙を突いて攻撃すること。
例え相手が複数の能力を持っていたとしても、それを同時に使役することはできない。
何故なら、「金鴉」は能力の複数所持者ではあっても、多重能力者ではないからだ。

「がーっ!いらいらするんだよお前ら!!」

頭に血が昇った「金鴉」が、周囲を旋回する春菜に殴りかかる。
けれどこれも手応えはなし。発火能力で炎を纏ったらしき拳も空を切るのみだ。

時折思い出したかのように繰り出される、さくらの「時間跳躍」もまた「金鴉」のペースを乱していた。
もちろん、さくらの止められる秒数では致命的なダメージは与えられない。
だがしかし。敵の戦闘のリズムを崩すには、十分すぎるくらいの秒数でもある。

「そうか、わかったぞ! こうやってのんを疲れさせてから袋叩きにするつもりだろ! 上等じゃん、体力比べ
と行こうぜ!!」

先のさゆみとの死闘から早くも立ち直るほどのスタミナと回復力を誇る「金鴉」、腰をじっくり据えて一人ずつ、
虱潰しに仕留める作戦に出る。しかし。

「はるなん、そろそろいいっちゃろ?」
「はい、十分です!!」

春菜のゴーサインで、衣梨奈が動いた。
いや、駆け回っていた足をぴたりと止めたのだ。

「な、な、なんだぁ!?」

「金鴉」が激しく戸惑うのと、彼女の足が「何か」に掬われるのは、ほぼ同時。
見えない「何か」によって、小さな体は瞬く間に宙づりにされてしまった。全身は、隙間なく縛られていた。衣
梨奈の操る、ピアノ線によって。

341名無しリゾナント:2016/03/17(木) 18:33:17
「あなたが猪突猛進型のバカ女(じょ)で助かりました! 私たちの動きばかりに気を取られて、生田さんのロー
プマジック、もといピアノ線マジックに全然気が付かなかったんですから!!」

全員でのヒット&アウェイは、ただの囮。
本命は、衣梨奈が周囲に張り巡らせていたピアノ線の罠だった。
「煙鏡」にそのことを気付かせないように煙幕を張る準備もしていたが、光源の角度からか、その心配もなかっ
たようだ。

「ちっくしょ…こんなやわな線、すぐにぶっ千切って…」
「遅か!!」

衣梨奈は、両手から伸びる無数のピアノ線すべてに。
ありったけの「精神破壊」の力を、巡らせる。
常人ならばとっくに廃人と化すほどの威力。しかしこれも、次なる一手の布石でしかない。

「今だ!!」

春菜が、縛られた「金鴉」のもとへ、まっすぐに走り出す。
五感占拠。文字通り相手の五感を支配し、操作する。視力を奪う、聴覚を狂わせる、皮膚感覚を鈍らせる。その
どれもが敵の戦力を大幅に低下させる、戦闘補助になくてはならない要素だ。

もちろん、相手との実力差はそのまま能力への耐性となる。通常であれば、「金鴉」クラスの能力者に春菜の能
力は通用しない。が、衣梨奈の「精神破壊」の洗礼を浴びた後ならば、十分に通用する。

「さすがのコンビネーションやな。腐ってもリゾナンター、っちゅうわけか」

一糸乱れぬ連携を目の当たりにし、思わず「煙鏡」がそう零す。
春菜が吊るされた「金鴉」の前に立ち、その小さな頭に手を触れた時だった。
弾かれたように、春菜の体が痙攣し、そして崩れ落ちたのだ。

342名無しリゾナント:2016/03/17(木) 18:34:25
「はるなん!!」
「まさか、あのゆるふわはげが!?」

青き狼の僕を使って春菜を回収する亜佑美、そして背後の“相方”の介在を疑う優樹。

「誰がゆるふわハゲや! まあええ、うちが言いたいのはな」

「煙鏡」の言葉とともに、何かが切れる鈍い音が連鎖する。
切ろうとすれば硬度に負けて肉体の方が切断されるはずのピアノ線が、まるで伸び切って劣化した輪ゴムのよう
に次々と千切れ飛ぶ。結論から言えば。

「そんなんで倒せるほど、うちの相棒はやわと違う。そういうこっちゃ」

まったくの、無傷。
衣梨奈の束縛から逃れた「金鴉」は、涼しい顔をして立っていた。

「のんは、もう手に入れてるんだよ。使えるお前らの力は、全部」
「う、嘘やろ! 衣梨、変な虫なんかに刺されとらんし!!」
「お前ら全員、ここで死ぬから教えてやるよ。のんは別に血じゃなくても相手の力は手に入れられる。まあ、血
がベストだけど。でぃーえぬえー、だっけ、それが含まれてれば何でもいいんだと。例えば…汗とか」

確かに。
この場にいるリゾナンター全員が、激しく汗をかいていた。
これだけ激しく動けば、至極当然の話。

343名無しリゾナント:2016/03/17(木) 18:35:20
「能力に対する耐性くらいは、つくって言う話!!」

「金鴉」が、床面を思い切り殴りつける。
何の能力かはわからない。けれど、衝撃を与えらえたコンクリートは激しく波打ち、立っていたリゾナンター全
てを衝撃波が飲み込む。

凄まじいダメージに、次々とメンバーたちが膝を落とす。
体が痺れ、言うことを聞かない。
必死に全身に力を入れようとしていたさくらの前に、無情にも悪意の影が迫る。

「まずは、お前。ほんの僅かでも時間を止められんのはうざいし、な!!」

体が真っ二つに折れてしまうのではないか。
それほどまでの威力の拳が、さくらを襲った。
それも、一発だけではない。二発、三発、そして無数の拳。
全身を殴打されたさくらが沈黙するのに、時間はかからなかった。

「一人、一人。確実に仕留めてやる」

若き共鳴者たちの恐怖と、恐怖に抗う心がせめぎ合う。
だが小さな暴君にとっては、それすら些細なことでしかなかった。

344名無しリゾナント:2016/03/17(木) 18:36:03
>>337-343
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

345名無しリゾナント:2016/03/21(月) 12:43:24
>>337-343 の続きです



里保の視界に、白い天井が飛びこむ。
ひんやりした背中の感触。起き上がって周りを見渡すと、光と夢の国を象徴する様々なグッズが棚やらワゴンや
らに陳列されていた。ここは確か、リヒトラウムのグッズショップ。優樹が楽しげにぐるぐる回っていた場所だ
ったので、記憶に残っていた。
窓ガラス越しに見える空は相変わらず鈍色だったけれど、雨音は聞こえてこない。

雨、止んでたんだ…

ぼんやりそんなことを考えていると、ふと何かを夢の中に置き去りにしてしまったことを思い出す。

「そうだ!み、みっしげさんは!!!」

自分でもびっくりするくらい、必死になっている。
それは心の声であるはずの問いが、口をついて出てしまったことからも明らかだった。

「道重さんは、大急ぎで救急車に運んでもらったわ。もちろん、能力者御用達のの病院にな」

そんな慌てた里保を宥めるように、それまで入り口近くにいた愛佳が里保の側へとやって来た。
その表情には、安堵とともにやや疲れた色が滲んでいた。

愛佳の口ぶりから、さゆみが一命を取り留めたことを察する里保。
しかし他にも、訊かなければならないことはある。

346名無しリゾナント:2016/03/21(月) 12:44:22
「光井さん…どうして」
「ま、いろいろあってな。なーんも出来ひんけど、駆け付けたっちゅうわけや」

駆け付けた、という言葉から里保は連鎖的にこれまでのことを思い出してゆく。
小さな襲撃者。さゆみ。思いがけぬ結末。そして、赤い闇に取り込まれた自分自身。

「フクちゃん…えりぽん、かのんちゃん…みんなは」
「あいつらは。『金鴉』『煙鏡』とか言う奴と、決着を着けに行った」
「そんな!じゃあ、うちも」
「その、折れた刀でか?」

こんなところで寝てる場合じゃない。
そう勢い勇んだ里保を、制止した愛佳が里保の腰にぶら下がる赤い鞘を指して言う。
恐る恐る愛刀「驟雨環奔」は、ちょうど真ん中あたりからぽきりと折れていた。

…じいさまに、合わす顔がないな。

祖父から受け継いだ、水軍流の証とも言うべき刀。
水を友とし、使いこなせば嵐に荒ぶる大海原ですら鎮めることができるという言い伝え。
里保は結局刀の真価を発揮することなく、折ってしまった。

「それに自分、病み上がりやん。後を追っても足手まといになるだけかもしれへんで」

愛佳の言葉はあくまでも冷静で、そして現実を突きつける。
先の「塩使いの女」との戦闘もさることながら。「金鴉」との戦いで呼び出してしまった赤き魔王の如き力は、
里保を相当に消耗させてしまっていた。

347名無しリゾナント:2016/03/21(月) 12:45:07
「…それでも、うちは行きます。みんなが、待ってるから」

里保は折れた刀を、赤い鞘に差す。
それは彼女の心までは折れていない、何よりの証拠。
いや、一度はその刀同様、折られてしまった。自分の中に潜む、内なる悪意によって。
それでも、里保は立ち上がることができた。
夢の中のさゆみの言葉によって。

「なら、うちはもう何も言わへんよ。鞘師の決意は、伝わったから。きっと愛ちゃんも新垣さんも、そう言って
くれる」

愛佳は。
里保の中に、先に小さな破壊者たちを追いかけた聖たちと同じ光を見た気がした。
それはおそらく、希望だったり、強い意志だったり、若さだったりするのだろう。
後輩たちをわざわざ死地に送り出すのか。そんな考えはもう、やめた。
何故なら、彼女たちもまた、リゾナンターだから。自分たちから受け継いだものを、持っているから。

「光井さん…ありがとうございます!!」
「はは…ほんまに礼を言わなあかん人が、他におるやろ?」

深々と頭を下げた里保に、愛佳は言う。

「はい。この戦いが終わったら、真っ先に道重さんのもとへ」
「せやな。たっぷりサービスせなあかんで。お触りはもちろん、いっそのこと、ブチューッとな」
「なななな、何言ってるんですか!!」

顔を赤くしてぶんぶんと首を振る里保。
からかわれていると思ったのだろう、唇を尖らせて抗議の意思を表している。

348名無しリゾナント:2016/03/21(月) 12:46:06
「ともかくや。生きて帰って来い。うちが言えるのは、それだけや」
「…はい!!」

最後は力強く返事し、ミラーハウスのあった方向へと駆け出してゆく里保。
大きくなった後輩の背中を見つめながら、愛佳はある思いを強くする。

うちも、まだまやな…

自分は、あの頃のような駅のホームで俯いていた自分ではない。
けれど、あの日までは忌々しかった、あの日からは自らの存在証明のように感じていた能力は失われてしまった。
今回はそこを敵に付け込まれ、そしていいように使われてしまった。
これから、自分は何をするべきなのだろう。

芸能界で華々しい活躍をしている、久住小春。
故郷に帰り、父を支えているリンリン。リンリンと共に歩む、ジュンジュン。
今も、目覚めの日を待ち続けている亀井絵里。

雨上がりの空には、うっすらと赤みが差していた。
やがて、夜が訪れるだろう。けれど愛佳は知っている。明けない夜は、決してないことを。

349名無しリゾナント:2016/03/21(月) 12:46:50
>>345-348
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

350名無しリゾナント:2016/03/28(月) 18:40:43
>>345-348 の続きです



「…これで計画の概要は、以上です」

タータンチェック柄のミニスカートを穿いた女が、大仕事を終えたかのように言う。

闇の城の、中枢区画。
その中に、応接室と呼ばれる部屋がある。
普段は政財界の大物の使いの者たちが、慇懃無礼な態度を取りながら飼い主の意向を伝える場。
しかし、今は少しばかり様子が違うようだった。

革製のソファに座るは、ダークネスの幹部である「永遠殺し」。
そして、向かい側には、制服をモチーフとした戦闘服らしき服に身を包んだ二人の女。
一人はくどい二重とげっ歯類を思わせるような前歯が特徴的で、もう一人は特徴と言うべき特徴がないのが特徴と
言うべきか。どちらにせよ、然程器量が良いとは言えないような顔をしていた。
それを言ってしまえば、「永遠殺し」も人のことは言えないのではあるが。

「『宴』と銘打つだけあって、素晴らしい計画ね。うちとあんたたちのところは表立って協力関係は結べないけど、
あたしが『オブザーバー』としての立場を崩さなければ『首領』も認めてくれるはずよ」
「マジっすか!」

喜ぶあまり、つい口調が俗っぽくなる地味顔の女。
「永遠殺し」が一瞥すると途端に肩を竦め小さくはなるものの、顔に滲み出る喜びは隠せないようだ。

351名無しリゾナント:2016/03/28(月) 18:42:08
「…あんたは一応はあそこの『ナンバーツー』なわけでしょ。少しは威厳ってものが必要じゃないの?」
「で、でも!あたし、ダークネスの構成員やってた時から幹部の人たちと仕事するのが夢で!!」
「ですよねえ。あたしもこの子も、雑魚キャラ体質が抜けないって言うか。やっぱ正統派の連中とは一線を画すっ
て言うか。けど、だからこそこういうビジネスチャンスがあると思うんすけどね」

相変わらず舞い上がっている地味顔を窘めつつ、「永遠殺し」に秋波を送るもう一人の女。

「うちの七人の幹部も新旧交代が進んで、半分弱が新しい顔の連中ばかり。となると、ますますうちらみたいな古
参。かつ組織が疎んじてる外仕事もできる人材が重宝される。そう思いません?」
「ふふ、相変わらず貪欲ね。けど調子に乗ってると、また『坊主』にされるわよ?」

思わぬ過去を突かれ、ばつの悪そうな顔をする女。
これ以上弄られたらたまらん、とばかりに席を立つ。

「では、うちらはこれで失礼しますんで」
「あらそう。今回は本拠地の戒厳令のせいでご足労いただいたけど、次はあたしのほうからお邪魔するわよ」
「それはもう、是非!」

畏まりつつ、応接室を出る二人。
しかし、思い出したように地味顔の女が再び顔を出す。

「…何か忘れ物?」
「そう言えば、『共鳴するものたち』の攻勢が凄いんでしたっけ。色々聞いてますよ?」

「永遠殺し」がやや顔を顰める。
この時期に、できれば聞きたくない名前ではあるが。

352名無しリゾナント:2016/03/28(月) 18:43:28
「ええ。それが何か?」
「もしよければ、うちの『分隊』に手伝わせてくださいよ。『永遠殺し』さんのためならマジ動きますから」
「そう言えばあんたのところの『分隊』は一度あの子たちとやり合ってたわね。でも、偶然だとは思うけど『本隊』
の『7番目』がもう交戦してるはずよ。これ以上『関わりを持つ』のは、『先生』も納得しないんじゃない?」
「ええーっ…」
「それに。どうせあんたは目当ての子とかに会いたいだけでしょ」
「じぇじぇじぇ!」
「…古いわね。いつの時代の人間よ」

呆れつつ、扉が閉まるのを見届ける「永遠殺し」だが。
閉じかけた扉は、逆戻しのように再び開かれた。

「今度は何…って」
「今や飛ぶ鳥を落とす勢いの大組織、その中核をなす連中との密室での商談…戒厳令下にアグレッシブっすねえ」

漆黒のライダースーツに映える、黄金の髪。
組織の情報部を統括する「鋼脚」は、いいものを見たような顔で部屋に入ってきた。

「戒厳令下でも仕事はなくならないわ。むしろ、腰を据えて取り組むいい機会かもしれない」
「さすがはダークネスいちの外交手腕の持ち主。加護のあちらさんへの根回しも、うまくいくわけだ」
「…吉澤も言うようになったじゃない」
「伊達に幹部やってませんからね」

言いながら、勢いよくソファに腰を沈める。

「あそこのメガネデブはうちの事情に首なんか突っ込んでくれないっすよ。やるだけ無駄と思うけど」
「そうかしら?少なくとも、妙な動きをしてるお偉いさんたちへの牽制にはなるわ」
「ほー、なるほどね」
「『Alice』が辻加護の手にあることは聞いてる。あの子たちにどうこうできる代物じゃないとは思うけど。だけど、
問題はその後よ」

「永遠殺し」が狛犬顔を歪ませ、得意げな表情を作る。
先手は打っておいた、とでも言いたげに。

353名無しリゾナント:2016/03/28(月) 18:44:29
「……」
「何よ、吉澤」
「いや。相変わらず一筋縄じゃいかねーなーって」
「言ってみなさいよ」
「保田さん。あんた、その後のことを見据えてますよね。その後ってのは…この事件の収拾がついた後、だ」

今度は、「鋼脚」が睨みを利かせる番だ。
これには、まいったわね、とばかりに「永遠殺し」は首を竦めるしかない。

「そうよ。私たちはあくまでも、裕ちゃん…『首領』のために動いてる。これ以上、紺野の思惑に引き摺られるわ
けにはいかないの」
「それにはあたしも同感ですね。ただ…あいつの中澤さんからの信頼は絶大だ」
「そうね。今のところはきっと、あの子の描いた絵図の通りにことは進んでる。『守護神殺し』の大罪を成した後
の、未来予想図の通りにね」

「永遠殺し」の眼光が、僅かに鋭くなったように「鋼脚」には思えた。

「知ってたんすか」
「薄々は。けど、さすがは情報部の首魁。眉ひとつ動かさないのね」
「これが仕事ですから。で、どうするつもりで?」

時間停止の能力が使われているわけでもないのに、時が凍りついたように温度をなくしてゆく。

「リゾナンターを、殲滅するわよ」
「へえ…」

常に冷静沈着。感情に囚われることのない「永遠殺し」が、盟友だった「不戦の守護者」「詐術師」の弔い合戦に
乗り出すとは微塵も思わなかったものの。それとはまた別の答えに、「鋼脚」は感心すら覚える。

354名無しリゾナント:2016/03/28(月) 18:45:30
「紺野がリゾナンターを自らの計画の鍵にしてるのはほぼ、間違いないわ。逆に言えば、その鍵を壊してしまえば
…あの子の計画は頓挫する」
「なるほどねえ」
「始末は私自ら、つけるわ。あんたのとこの『五つの裁き』も悪くないけど、下手に戦ってリゾナンターたちに余
計な力をつけてもらっても困るから」

古参幹部自らお出ましとは。
さすがの紺野も舌を巻くことだろう。
驚きと感心の意を込めた、「鋼脚」の口笛が部屋に響く。

「私はもう行くわ。情報部の人間と長話なんかしてたら、変な噂を流されかねないもの」

ゆっくりと、席を立つ「永遠殺し」。
それを、「鋼脚」が呼び止めた。

「…まだ何かあるの?」
「いえ、大したことじゃないんですが」

「鋼脚」は一呼吸置き、それから言った。

「『黒翼の悪魔』が、ダークネスに戻ってきますよ」
「!!」

「永遠殺し」の瞳が、かっと見開かれる。
面目躍如とはこのことだ。心理戦において一矢報いた「鋼脚」は、大きく背を伸ばし、ソファに深く凭れかけた。

355名無しリゾナント:2016/03/28(月) 18:47:09
>>350-354
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

愛れなの二人がつんくさんと明日の歌番組に出るそうで

356名無しリゾナント:2016/04/01(金) 11:57:29
>>350-354 の続きです



空を、見上げる。
相も変わらず、消滅を願った末の白い言霊は深々と降り注いでいた。
その景色は嫌でも、愛と里沙に聖夜の惨劇を思い起こさせる。しかし。
自分たちはもう、あの時の自分たちではない。
あれから、いくつもの修羅場を潜り抜けてきた。そして何よりも。

「天使」に立ち向かえるだけの、強い意志。
それを手に入れることができた。力なき意志は、無意味であることを思い知らされたから。
意志なき力が、無意味であるのと同じように。

「あんたたち、飛べないでしょ」

そんなことを言いながら、二人の背中を触る「黒翼の悪魔」。
ぬるっとした感触に、思わず愛があっひゃぁ!と悲鳴を上げた。

「な、な、なにすんや!!」

本能的に危険な行為でないと悟りつつも、気持ちのいいものではない。
しかし「悪魔」は、顔を真っ赤にして抗議する愛を無視し、自らの背中を指さす。
すると、二人の触られた背から蝙蝠の羽のような立派な翼が生えてくるではないか。

357名無しリゾナント:2016/04/01(金) 11:58:50
「おっおおぉ!?」
「ごとーの黒血を塗ったから。たぶん、10分くらいかな。保つのは。細胞が死んじゃったら墜落するから、あと
は自己責任ってことでよろしくー」

自らの背中に翼が授けられたのを驚き半分喜び半分で凝視している愛をよそに、物騒なことをさらっと言う「悪魔」。
そして愛とは対照的に、里沙はいかにも複雑そうな表情を浮かべていた。

「どうしたの、ニイニイ」
「いや、別に」

かつては、自らの先輩であり。
スパイに身を落としてからも、組織の伝説的な能力者で。
そして今は敵でありながらも、共同戦線を組んでいる。
様々な思いが交差しない、はずもなく。

隣で、あひゃひゃ、翼生えてるやよー、などとはしゃいでいる愛を横目で眺めつつ。
最初はえらく抵抗していた癖に、いざ受け入れるとなるとここまで砕けることができる愛の単純さ。里沙は眩暈を覚
える反面、羨ましくも思ってしまう。自分も、こんな風にシンプルになれたら。

ネガティブになりがちな心を、自らの頬を両手で叩くことで切り替える。
そうだ。今はシンプルに、だ。安倍なつみを救う、その一点だけに集中すべきなのだ。

「後藤さん。確認しますけど」
「んぁ?」
「安倍さんを無力化できれば、問題ないんですよね」

真摯に視線を向けてくる里沙。
「黒翼の悪魔」は、無言で頷く。言葉は、要らなかった。

358名無しリゾナント:2016/04/01(金) 11:59:59
「了解です。愛ちゃん、行こう」

輝く意志と、黒き翼を携えて。
愛と里沙は、大空高く舞い上がる。目指すは、頂の「冷たい太陽」。

「じゃ、ごとーも行きますか」

明確な戦略を練ったわけではない。
しかし、この時点で既に愛と里沙をアタッカー、「悪魔」をディフェンダーとする陣形は出来上がっていた。
それは強大な敵を前にした時の、動物の防衛本能にも似ていた。

三対の黒い翼が、風を切る。
舞い落ちる天使の羽を縫うように、螺旋を描きながら。

里沙は、後方から追随するように飛んできている「悪魔」のことを思う。
本来ならば、共闘などというまどろっこしい方法を取らずに正面から力と力をぶつけ合う。それが彼女の本来のスタイ
ルであり、戦闘狂らしいものの考え方のはず。

しかし、そうはならなかった。
意思のない人形と戦うのはつまらない、という理由は確かに間違いないのだろうが。彼女自身の消耗具合もまた関係し
ているのではないだろうか、と里沙は踏む。根拠として、異国の地で自分たちリゾナンターを恐怖で威圧したあの日。
今の彼女にはそこまでの「圧」を感じないからだ。

それでもなおこの状況においては頼もしい後ろ盾になっているのも事実。
そのことは、隣を翔ぶ愛も感じていた。
いける、とは言わない。ただ、大丈夫だと。

359名無しリゾナント:2016/04/01(金) 12:01:09
果たして愛と里沙は「銀翼の天使」の射程圏に突入する。
無数の「白い雪」に囲まれた、虚ろな「天使」と目が合ったその瞬間。

奪われる。
その空っぽな二つの空洞に。
意識を、心を。そして、強い意志すらも。

ない。感情が無い。
そのことが逆に、精神の力を司る里沙や、かつて精神感応を得意としていた愛の心を激しくかき乱す。
昏く虚ろな闇に満たされた穴。その果ては、草木すら生えない不毛の世界。

「覗き込んじゃ、駄目だよ」

後ろで、「悪魔」の声がする。
そこでようやく二人は我に返る。無の暴虐が過ぎ去った後に残るのは、深い悲しみ。
里沙は、今「天使」が、なつみが置かれている状況を嫌と言うほど突き付けられていた。もうそこには里沙が敬愛し、
そして救うべき対象のはずのなつみなどいないのではないかとすら、思わされていた。

迫りくる絶望、それを払いのけたのはやはり。

「里沙ちゃん。大丈夫。大丈夫やよ」

共に困難の道を歩んできた、そして今まさに果てしない脅威に立ち向かおうとしている愛だった。
そしてその言葉を形にするかのように、右手を「天使」に向けて翳してゆく。やがて手のひらを包むようにして現れた
光は、無数の矢になって「天使」に放たれた。

360名無しリゾナント:2016/04/01(金) 12:02:11
それまでふわふわと一所に漂っているだけだった「天使」が、動く。
予め光の軌跡を知っていたかのように、筋と筋の境目を潜り抜け、一気に二人との距離を縮めた。

来る!!

予想だにしない、近接攻撃。
あの聖夜では、触れることすらできずに倒されたのに。
進歩と言っていいのか、それとも更なる危機の訪れと言っていいのか。

里沙が咄嗟に張った、ピアノ線の網。
しかしそれは無情にも、白い雪によって存在ごと掻き消されてしまう。
つまり、ピアノ線による精神干渉は「天使」には通用しない。

なに生田に偉そうに言ってんだ、あたしは。

かつて、後輩の衣梨奈に残した言葉。
ピアノ線が使えなくなった時のこと、考えときなさいよ。それがよもや自分に返ってくるとは。普通に考えれば、近接
攻撃に切り替えればいい。ただし、それが通用する相手に限るが。

「天使」には、そんな生ぬるい手は使えない。魂すら食らいつくす破滅の羽には、近づけない。

白い雪のような羽を纏った「天使」は、目にも止まらぬ勢いで愛と里沙の元へ降下し。
そして、通り過ぎて行った。

「な!?」

迎撃態勢に入っていた愛は、まさかの結末に思わず後ろを振り返る。
「天使」には、二人の姿など目に入っていなかったのだ。

361名無しリゾナント:2016/04/01(金) 12:03:01
「ま、そうなるか。しょうがないなあ」

自分に向かって飛翔する「天使」を目の当たりにして、「黒翼の悪魔」は傷口に手をやる。
べっとりとついた黒い血を前方に翳し、あっと言う間に作られた黒の弾幕。さらに。
「悪魔」は。自らの手の内に漆黒の刀を喚び出した。

すなわち。黒血で出来た、鋼を大きく上回る切れ味の妖刀。その名は、「蓮華」。
刃の色は深く、そして昏い。まるで、天使の放つ輝きを飲み込んでしまうかのように。

それを見てか見ずしてか、「天使」もまた己の右手に輝く剣を析出させた。
言霊が象りし、白い剣。闇を祓い、そして無に帰す輝き。
白と黒は、今まさに天空高く交わろうとしていた。

二人が突き進む先の交点。
まるで前哨戦であるかのように、「天使」が放つ羽毛と「悪魔」の飛ばした黒血が激しく飛び交い、そして鬩ぎ合う。

いくつもの黒血と白い雪がぶつかり合い、弾け消える。
エネルギーとエネルギーの衝突。その間隙を縫って。
無機質な表情を浮かべた「天使」は「悪魔」の間合いに入るや否や、その剣を漆黒のボディに振るう。
言霊の剣が唸りを上げて、「悪魔」に襲いかかった。
あまりにも無造作で隙だらけな、乱暴極まりない一撃。

「蓮華」を斜に構え、受け止めようとする「悪魔」。けれど。
言霊の剣は、嘘の剣。
いとも容易くその像はおぼろげとなり、まったく別の場所で再び像を結ぶ。

362名無しリゾナント:2016/04/01(金) 12:04:45
「あぶないっ!!」

思わず叫ぶ愛をよそに、「黒翼の悪魔」はあり得ないほどの異常な反射神経で刃を合わせる。
噛み合う、虚と実。畳み掛けるように虚は無となり、また虚を生み出す。その度に「悪魔」は黒い刃を翻し、背の羽
を翳し、暴君が如き剣戟を防いだ。が。

「くうっ!!」

適当に見えた白き剣の振り下ろしの角度は、少しずつではあるが「悪魔」を追い詰めていたのだ。
そして最後に姿を現した虚構の剣が、ついに空を舐めながらその刃を標的の胴に食い込ませる。
滑らかに肉体を侵食してゆく言霊の剣を、「悪魔」は自らの肋骨で合わせ、食い止める。骨の硬さで剣の動きが一瞬
止まった隙に、「天使」の体を蹴り飛ばし、そして大きく距離を取る。しかしそれは地球の引力というベクトルに照
らし合わせると。

墜落。
推進力を失った黒い翼は小さく縮み、闇より黒い血をたなびかせながら「悪魔」はまたしても地上に堕とされてし
まった。

「後藤さん!!」

後ろを振り返る余裕などない。なぜなら。

当面の脅威を退けた「天使」が、落ちてゆく「悪魔」から、自らの前を飛んでいる二つの影へと視線を移した。
瞬間。視線が具現化し、柔らかな白い羽となり。愛と里沙の心臓に絡みつき。
柔らかく締め付けそして握り潰されるビジョンが、強引に頭の中に刷り込まれる。

363名無しリゾナント:2016/04/01(金) 12:05:33
あまりにも原始的な、恐怖。
それでも、翼を畳み地へと吸い込まれるわけにはいかない。
次は、自分たちが「天使」に立ち向かわねばならないのだから。
固い決意を打ち出す二人の脳裏に、声が響いてくる。

― 大丈夫。あんたたちには、「共鳴」があるじゃん ―

間違いなく、「黒翼の悪魔」の声。
絞り出すような念話は、彼女が地面に激突すると同時に聞こえなくなった。

「愛ちゃん…」
「わかってる」

やるべきことは。方策は。
既に、二人の中で決まっていた。
緩やかに立ち上り始めた黄色と黄緑の波は、やがて互いが互いを響きあわせてゆく。

愛が手のひらから作り出したまばゆい光が、愛と里沙を包み込んでいった。

364名無しリゾナント:2016/04/01(金) 12:11:33
>>356-363
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

なちごまの戦いぶりは
http://m-seek.net/test/read.cgi/water/1259417619/857
あたりを参考にw

365名無しリゾナント:2016/04/05(火) 13:01:27
>>356-363 の続きです



春菜が聖に話を持ちかけたのは、各メンバーがミラーハウス跡地へと駆け出した時のことだった。

「譜久村さん。お話が」
「どうしたのはるなん、改まって」

いつになく真剣な、春菜の表情。
これから戦地に向かうのだ、気を引き締めざるを得ないのは当然の話だが。
彼女の表情は、それともまた違っていた。

「『金鴉』と『煙鏡』の対策なんですけど…」
「攪乱作戦だよね。あ、もしかして作戦の補足?」
「ええ、まあ…」

妙に春菜の歯切れが悪い。
おそらく、聖を前にして言い辛いことなのだろう。
聖自身も思い切りのあるほうとは決して言えないのだが、今は非常事態だ。
意を決して聞き出すことにした。

「はるなん。聖なら、大丈夫だから」
「譜久村さん」
「それが勝利に繋がることだったら、何だってやってみせる。だから…」
「…わかりました」

覚悟を決めたのか、春菜は少し目を伏せ、それから。

366名無しリゾナント:2016/04/05(火) 13:02:45
「今から私が言うことは、誰にも言わないでください」
「うん」
「譜久村さんは、『金鴉』に『接触感応』を試みてほしいんです」
「えっ…」

なるほど。
春菜が躊躇ったのも頷ける。それほど、春菜の言っていることにはリスクがあった。

「接触感応」。
聖が現在敵への攻撃ないし防御の手段として使用している「能力複写」の根本となっている能力。つまり、「接触感
応」によって相手の能力を読み取ることで、能力を「複写」する仕組みになっている。

しかし。相手は、どう考えてもまともな精神の持ち主ではない「金鴉」。
聖が彼女の精神を読み取ることによる被害は、想定すらできないものだった。

「あの二人は、『二人で一人前』という言葉に異常に反応してました。そこに、彼女たちを攻略する大きなカギがあ
ると、私は思うんです」

春菜はさゆみと「金鴉」が対戦している時の、さゆみが口にした件の言葉が「金鴉」と「煙鏡」を激しく動揺させて
いたことを、見逃さなかった。相手がフィジカルで自分たちを凌駕しているなら、付け入る隙は精神面において他は
無い。

「新垣さんは、その戦闘力もさることながら、相手の精神の脆い部分を突くことによって勝利を得てきたそうです。
本来なら、新垣さんに一番能力の質が近いのは生田さんですが…」
「うん、わかってる。えりぽんにはそんなこと、させられない」

367名無しリゾナント:2016/04/05(火) 13:03:34
春菜の言わんとしていることは、聖にもすぐに理解できた。
里沙の能力に、メンバーで最も近い能力を持っているのは衣梨奈なのは間違いない。
しかし、精神に「干渉」するのと、精神を「破壊」するのとでは、その力の込め方、加減がまるで違う。端的に言え
ば里沙と同じようなことをすれば、衣梨奈は狂気を孕んだ相手に対し、その狂気に飲み込まれてしまう可能性が高い。
かつて、春菜とともに和田彩花を救った時。
そうならなかったのは、彼女の中に人間らしい部分が多く残されていたからに過ぎなかった。

「新垣さんは、直接、精神の触手を使って相手の心を『押す』ことができる。けど、私たちにはそれができない。だ
から、まずは譜久村さんに相手の心の形を読み取って欲しいんです」
「…わかったよ、はるなん」

聖は、春菜に対し力強く返事を返した。
必ず成し遂げる。光り輝く、強い意志を持って。

368名無しリゾナント:2016/04/05(火) 13:04:40


狂気に顔を歪め、笑っている「金鴉」の前に。
立っているものは、最早誰一人いない。

彼女が宣言した通り。一人ずつ、確実に仕留める。
殲滅という目的の前に冷静になった小さな破壊者にとって、リゾナンターたちは敵ではなかった。

「…ちっくしょう!!」

最後の力を振り絞るように、亜佑美が立ち上がりながら僕を呼ぶ。
「金鴉」の体を鉄巨人の重厚な手が押さえつけ、躍り出た藁人形が縄状になった体を巻き付け締め付ける。
それでも。

「ぬるいんだよ!!」

鉄と藁の拘束を力づくで引き千切ると、火の出る勢いで亜佑美に向け突進する。
破壊の鉄槌とも言うべき拳を、腹部にまともに受けてしまった亜佑美はもんどり打ってロケットを支える鉄柱に激突した。

「のの、ちょいと本気出し過ぎとちゃう?」
「はぁ?バカ言ってんじゃねーよ!こんなの準備体操だっつうの」

上空に漂いつつ茶々を入れる「煙鏡」を軽くいなし、「金鴉」は肩をぐるりと回す。

「全員、再起不能。でもな、そんなんで終わらすつもりはないからな。アタマぶっ潰して、とどめ刺してやる」

「金鴉」にとっては、相手の生命の停止こそが任務完了の唯一の証。
彼女に以前ターゲットにされた菅谷梨沙子や夏焼雅は、邪魔が入ったとは言えどもある意味幸運だったのかもしれない。

369名無しリゾナント:2016/04/05(火) 13:06:06
「まずはどいつからいくか…」

「金鴉」が最初の処刑者を品定めしていた、その時だった。
それまでぴくりとも動かなかった聖が、ゆっくりと立ち上がったのだ。

「何だよお前、自殺志願か?」
「……」

挑発する「金鴉」に対し、言葉を発することもなくゆっくりと近づいてゆく聖。
「接触感応」を仕掛けるなら、油断しきっている今しかない。

「おい。のん、気ぃつけや。そいつ何かする気やで」
「大丈夫大丈夫。こんな死にぞこないの攻撃、今更受けたところで…」

ゆらり、ゆらりと体を揺らしながら。
一歩一歩、「金鴉」に近づく。そんな様を半笑いで見ていた「煙鏡」だったが。

「やばい!避けろや!!」
「なっ!!」

聖の手が「金鴉」の体に触れようとしたその瞬間に。
「煙鏡」が叫んだ。反射的に、体をずらして避ける「金鴉」。目標を失った聖はバランスを崩し、床に崩れ伏せた。

「そいつ…そいつはお前に『接触感応』、サイコメトリーするつもりや! 体に絶対に触らせたらあかん!間接的に!
そいつを早よぶっ殺せや!!!!」

当人の間において、言葉を使わない意思疎通が可能であるならば。
「金鴉」に「接触感応」を仕掛けられるということは。「煙鏡」にも「接触感応」を仕掛けられるということ。
そのことを、「煙鏡」は瞬時に理解したのだ。

370名無しリゾナント:2016/04/05(火) 13:07:06
「触れずに殺せ、ってか。ちっ、面倒くせーなぁ」

言いつつも、相方の苛立ちを感じたのか、「煙鏡」は指示通りに行動しようとする。
念動力で、破壊した床の瓦礫を浮上させ、聖の頭上へと移動させる。高速で叩き付ければ、人の頭など簡単に砕けてし
まうだろう。

「という訳。悪く思うな…よっ!」

コンクリート片を叩きつけようとした刹那、「金鴉」の目に聖の左手が自分の足を触ろうとしているのが映る。
しつけえんだよ、そんな言葉の込められた一撃。コンクリート片はその重量で聖の手をぐしゃぐしゃに潰してしまった。

「ったく油断も隙もねえなあ。あとはもう一回。今度はお前の頭に…」

潰された。
確かに、聖のそれは原型を留めないほどに潰された。
聖の、能力で生やした手の形をした、植物の根は。

本物の聖の手は。
しっかりと、「金鴉」の足首を握っていた。

「て、て、てめえ!!!!」

狼狽えるも、足を振って手を振り切るも。
もう、遅い。
発動した「接触感応」により、あらゆる情報が聖の中に流れ込んで来る。

371名無しリゾナント:2016/04/05(火) 13:07:54
「み、見るな!見るんじゃねえっ!!!!」
「触るな!その!!薄汚い手で!!!うちの心に触るんやない!!!!!」

抵抗するかのように、喚き散らす「金鴉」「煙鏡」だが。
止まらない。一度栓を切った瓶の中身の流出は、もう止まらない。

「双子のように」「明確な違い」「格差」「劣等感」…「失敗作」
「うちらは二人で一人なんかじゃない」
「嫉妬」「絶望」「憤怒」「憎悪」「殺戮」「殺戮」「殺戮」
「あいつとは違う。一緒にするな」

組織からも忌み子として扱われてきた二人の、闇を闇で塗り潰したような歴史、事実が濁流のように聖の中に押し寄せ
てくる。まずい。飲み込まれる。小高い丘にぽつんと立つような聖の存在は、今まさに凶暴な奔流によって。

― させませんっ!! ―

体の節々までをも侵そうとする絶望、崩れかけた聖を支えたのは。春菜。
「五感強化」により、聖の精神面をサポートし瓦解するのを必死に防いでいた。

「はる…なん…」
「させません!私が言ったんだもの!絶対に譜久村さんを取り込ませません!!」

とは言うものの、聖と精神的に繋がった春菜自身もまた、悪意ある流れに晒されていた。
耐えろ。耐え切れ。まだ、私にはやることがあるんだから。

そう。これで終わりではない。
春菜に、春菜にしかできないことがある。
それなくして、あの悪魔のような二人を倒すことなどできないのだ。

372名無しリゾナント:2016/04/05(火) 13:08:33
歯を食いしばり、膝に力を入れる。
春菜は、彩花の精神の中に入った時のことを思い出す。
そうだ。あの時に比べれば。これは。こんなものは。

ふと、体が軽くなる。
聖が「金鴉」に触れた、ほんの僅かな時間。その間に流れ込んできた闇の濁流が、流れきったのだ。
安心したかのように、聖の体から力が抜け、そして気を失う。

「譜久村さん、ありがとうございます。そして、ごめんなさい」

感謝の気持ちは、敢えて辛いことを引き受けてくれたことへの、感謝。
そして。先輩に辛い思いをさせることでしか活路を見いだせなかったことへの、謝罪。

「…よくも。よくも、のんたちの中を」
「あとは。後の、汚いことは。私が引き受けます」

春菜が、「金鴉」の正面に立つ。
聖が「接触感応」によって得たものは、聖を通して自分も受け取った。

「引き受ける?お前みたいなゴボウ女に、何ができるんだよ!」
「のん、そいつの生皮ひん剥いて、ゴボウのささがきにしたれ!!」

威圧をかけてくる二人。
大丈夫。怖くない。腕力勝負は苦手だけれど。

「あなたたちって。本当に『半人前』なんですね」

「金鴉」と「煙鏡」の顔色が、変わる。
私、「こっち」の勝負なら、自信があるんです。

373名無しリゾナント:2016/04/05(火) 13:09:13
>>365-372
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

374名無しリゾナント:2016/04/06(水) 12:37:45
>>365-372 の続きです



「何や。よう聞こえへんかったな。声が高すぎて」
「なんか梨華ちゃんみたいじゃね? アニメ声きめえんだよ!!」

春菜の発したキーワードは。
目の前の二人を動揺させるのに、十分すぎるほどの威力があった。
だが、こんなものは序の口だ。もっと。もっと揺さぶるんだ。
春菜は決意を示すかのように、さらに口を開く。

「もう一度、言ってあげましょうか?あなたたちは、二人一緒じゃないとまともに戦闘すらできない『半人前』って、
そう言ったんです!!」

まるでどこかの漫画のように、びしっと音が出るくらいの勢いで二人を指さす春菜。
虎の尾を踏む行為、なのは百も承知だ。

「金鴉」にやられ、意識を失っていた面々も、数人は意識を取り戻していた。
優樹。遥。香音。比較でしかないが、手ひどくやられた亜佑美やさくらに比べれば軽傷で済んだメンバーたちだ。
気が付くと春菜が何やら敵と口喧嘩をしている。不思議な光景ではあるが、春菜に何か考えがあるのかもしれない。
三人は息を潜めて、様子を窺っていた。

「…どうやら、苦しんで死にたいみたいだなぁ!!!!」
「私はあなたなんて、ちっともこわくないですよ。だって、二人でやっと一人前の『失敗作』じゃないですか。あ
なたたちって。どういう理屈かは知りませんけど、『金鴉』さん。あなたは、『煙鏡』さんのバックアップがない
と戦えない。だからあなただけが戦ってる。あっちの人は戦闘に参加できない。そうでしょ?」
「な、なにぃ!?」

激怒する「金鴉」に、春菜は聖の接触感応で得た知識を口にする。
浮き上がったこめかみの青筋が、大きく波打つのがよく見える。「金鴉」の怒りは、頂点に達していた。

375名無しリゾナント:2016/04/06(水) 12:39:18
「二人で一組の働きしかできなきゃ、ダークネスの人からも『半人前』扱いされますよね。一人じゃ運用すらまま
ならない、ただの『失敗作』です」
「こっ!のっ!やろう!!!!言わせておけば!!!!!!!」
「特に『金鴉』さん。あなた、絶望的に頭が悪すぎます。ただ目の前にいる人間を殴って、ぶち殺す…そんなの、『戦獣』だってできますよ?」

人の長所を見つけ、褒めることのできる人間は。
逆に言えば、人の短所を探り当て、これ以上無い言葉で罵ることができる。

これは、当時のリーダーだった新垣里沙に言われた言葉だ。
太鼓持ちを自称していた春菜の、表裏一体の特性にいち早く気付いたのは里沙だった。

― 同じ精神系の能力だけれど、生田は単純すぎるし、ふくちゃんは優しすぎる。心理戦って意味においては、あ
たしの戦法を引き継ぐのは飯窪しかいなさそうなのよねえ ―

そう言いながら、人を褒めることの裏側の意味、戦闘における使い方を里沙は教えてくれた。
無論、人の悪口を言うよりは人を褒め称えていたほうが性に合う春菜であるからして、そのような戦い方をするこ
とは無かった。しかし。

自分たちは、確実に勝たなければならない。生きて帰る、そう先輩たちに約束したから。

ならば、手段を選んでいる場合ではない。
春菜は、自らの心を敢えて鬼とすることにした。

376名無しリゾナント:2016/04/06(水) 12:40:20
「あなたはいつもいつも、『煙鏡』さんにコンプレックスを抱いてた。彼女に比べて、自分の扱いが悪いと。どうし
て自分はこんなに雑用みたいなことばかりやらされるのかと」
「やめろぉ!!ふざけんなぁ!!!!」

春菜は、口撃の標的を「金鴉」へと移す。
聖の接触感応でより心模様が明らかになったのは、こちらのほう。
そして、今回の主たる目的も、彼女の側にあるからだ。

「彼女に追いつきたい。超えたい。それでようやく自分は自分になれる」
「はあぁ!?でたらめなこと言ってんじゃねえよ!!!!」
「でも、それは一生無理ですね。だってあなたは、『煙鏡』さんのおまけだから」
「!!!!!」

『金鴉』の表情が、大きく、大きく歪む。

「あなたの力だって、所詮は借り物じゃないですか。だから、道重さんに翻弄されるし、鞘師さんにも歯が立たない」
「うるせえ!!!!!その!薄汚い口を!閉じろっ!!!!!」
「借り物の顔、借り物の能力。本当のあなたって、何者なんですか」
「殺す!殺す!ぶっ殺!殺っ殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺!!!!!!!!!!!!!!!」
「ああ。『失敗作』でしたよね」

堪忍袋の緒が切れるというのは。
あくまでも比喩であって、実際に何かが切れたりすることはない。
だが。その時確かに。

ぶちん、という音がした。

377名無しリゾナント:2016/04/06(水) 12:41:49
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!」

「金鴉」は、獣の咆哮ですらない耳障りな金属音を上げると。
自らの懐に隠し持っていた、「全ての」血液の入っていた小瓶を口の中に放り込んだ。その数、10は下らない。
ばりばりと、硝子をかみ砕く音は。彼女が摂取した全ての血液の持ち主の能力を取り込んだことを意味していた。

顔が。「金鴉」の顔が。
目まぐるしく変わってゆく。見たことのない顔、そしてどこかで見たことのあるような顔。それらが入れ替わり立
ち替わり、やがてない交ぜになって融合してゆく。

「あ、あはは…やってもうた…もう知らんぞ…うちは知らんぞ!!!!」

「煙鏡」は今、相棒を襲っている状況を理解していた。
彼女の目に見えるのは、最早敵の確実な死という未来だけだった。

「金鴉」の手からは、炎が、氷が、粘液状の何かが。変貌する顔と同じように、交互に現れ、そして消えていた。
取り込んだ能力が暴走しているかのようにも見える。それが、春菜の最大の狙いだった。

さゆみと「金鴉」が交戦している際に。
最初に「変化」に気付いたのは、「千里眼」の能力を持つ遥だった。

378名無しリゾナント:2016/04/06(水) 12:42:42
「なあはるなん。あいつの体、何かおかしくね?」

そう言われ、自らの視力を強化する春菜。
すると、妙なことに気付く。

「金鴉」の体が、わずかではあるが悲鳴を上げている。
悲鳴、というのは物のたとえではあるが。不自然なまでに皮が撓み、肉が軋んでいる。

「…能力にって、肉体に負荷がかかってるってこと?」
「間違いねえ。あいつの体の細胞がヒィヒィ言ってる」

この時は。
さゆみの「治癒」という膨大な力を擬態したことによるもの、という考えも棄てられなかった。しかし、この地下
深くのロケット格納庫で「金鴉」と直接対決をすることで、予測は確信へと変わる。

「金鴉」の「擬態」という能力は、本人の肉体に唯ならない負荷を与えている。

フィジカルな戦いで敵わないのなら、精神的な隙を突き、自滅させるしかない。
それが、8人のリゾナンターたちが出した結論であり、勝利の方程式だった。

「くっそ…!ぜってえ…ぜってえぶっ殺してやる…!!肉片一つこの世に残してやんねえからな!!!!!」

「金鴉」の体は、過剰な能力摂取により崩壊しかけていた。
その意味では、リゾナンターたちの作戦は成功しつつあった。
ただし、そのような状態の彼女とまともに戦い、時間を稼ぐという人間がいればの話だが。

379名無しリゾナント:2016/04/06(水) 12:43:40
「のん!10分、10分が限界や!それ以上は、うちが『鉄壁』つこうて血ぃ抜いても、もう元には戻らへん!!」
「10分? 1分で十分だっての!」

「金鴉」の、血を、相手の阿鼻叫喚を求める視線が。
奥歯の根が震えながらも、恐怖に折りたたまれまいとする春菜の元に止まる。
知っているのだ。本能が、目の前の相手がこの状況を作り出したことに。
こいつは。潰さなければならない。そう、訴えていた。

「弱っちいくせに。のんのこと、ここまで追い詰めたこと。褒めてやるよ。じゃあな!!!!」

別れの言葉は、確実に息の根を止めるための、意思表示。
今まさに、春菜の命が絶たれようとしている。にも関わらず、優樹も、遥も、香音も。指ひとつ、動かすことすら
できない。与えられた恐怖に、生命の危機に、身が竦むのだ。

最早ここまでか。いや、違う。救いの光は、すぐ目の前に。

「金鴉」の、春菜の頭を叩き潰そうとした拳を遮ったのは。
透き通るような刃。水が織り成す、強き、刃だった。

「みんな…遅れてごめん」
「鞘師さんっ!!」
「里保ちゃん!!」
「やっさん遅いよ!!」

四肢を地に据え、水の刀を一文字に構えて。
鞘師里保は、そこに居た。

380名無しリゾナント:2016/04/06(水) 12:44:13
状況は、既に把握していた。
まともに戦える人間が、既に自分一人をおいて残っていないことも。
しかし。ここを凌げば、勝機が見えてくることも。

「どれくらい…保てばいい?」
「じゅ、10分です!!」

春菜は、先ほど「煙鏡」が口にした限界時間と思しき時間を叫ぶ。
「金鴉」の体の損傷からして、その言葉に嘘は無いのは明白だった。

「わかった」

拳に合わせた刃を大きく弾き、距離を取る里保。
10分。死闘を繰り広げ、緋色の魔王の力を引き出してしまった彼女にとって、あまりにも長い時間。
けれど、やるしかない。それが、全員が生きて戻って来ることができる、唯一の方法だから。

「さっきの、リベンジだ…徹底的に、やってやるよ!!!!!!」

獣の如き咆哮が、最後の戦いの幕開けとなる。

381名無しリゾナント:2016/04/06(水) 12:45:36
>>374-380
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

382名無しリゾナント:2016/04/11(月) 01:03:37
降り続く雨音が、室内の雑音を消していた。
女の長いため息が、机の上に落ちる。
時計は十時十三分。
早朝からの書類整理がやっと終了して、右肩を回す。
次に左肩を回し、首も回す。
疲れが泥の様に全身にまとわりついている。

携帯端末を起動し、呼び出してみる。
二回目の呼び出しで相手に繋がった。

 「もしもしあゆみん?」
 『ちょっと!こんな時に電話かけないでよ!』

石田亜祐美の叫びの背後に轟く爆音。
雨音の合間に金属が打ち鳴らされる音。

 「うわーなんか凄い音してるね」
 『あっちが爆弾持ち出してきてんのよ!
  これなら小田達も呼べば良かった!
  あ、ちょっと生田さん!勝手に突っ込んでかないで!
  で、何!?何か用!?』
 「あ、いや。うん、頑張ってね」
 『はあ?いやいや、はあ?』
 「いや、ごめん。また後でかけ直すから集中集中」

石田が何かを言おうとして轟音が重なり、通信は途切れた。
女は携帯を眺めてみた。

 「……とりあえず、小田ちゃん達に連絡いれとくか」

383名無しリゾナント:2016/04/11(月) 01:04:25
携帯端末を再び起動させる。
用事を済ませた後、女はリビングにあるテレビに向かった。
最近見ている番組の録画情報を呼び出す。
先週放映分を録画し忘れて、二週間前の番組になっているのを
見ると何気に泣けてくる。

映像が立ち上がり、主人公が喋り、主題歌が流れる。
続く番組本編の内容は、アニメだった。


正義の味方として変身する主人公が毎回苦難や強敵に対し
仲間達と協力して戦って解決する。
三年ほど放映が続いているから、もう第四期になるだろうか。

先々週の最後に不吉な前兆があったから、先週で何かが起こって
今週くらいに黒幕を倒すのだろう。
実際の番組も、そういう展開だった。
見終わると、毎回そうなるのだが、自分が正義を行って
勝った様な気になれて爽快さがたまらない。
次の放送は今日の夜だっただろうか。

384名無しリゾナント:2016/04/11(月) 01:05:03
一呼吸すると、見る前よりさらに疲れている自分に気付いた。
物語のなかの正義の味方は、たとえ裏切られ戦いに一時的は負けても
最後の大事な戦いでは必ず勝っている。

一方で、敗北したり、金の為に地を這ったり、守るべき依頼人が
殺されたり敵になったりした正義の味方のことは描いてくれない。
主人公に自分を重ねるのがよくある見方なら、誰でも自分が正しい
勝者の側に身を置きたいのは当然のことだろうが。

携帯端末が鳴り響く。
出ると、子供の泣き声を背景にした女性の挨拶だった。

 「はい。ああはい、そうですが……ええ、はあ…」

長く続いた依頼人の説明を遮り、受けるかどうかをあとで
答えると言って携帯を切った。
既にアニメは終わっており、二度見た事がある別のアニメが放映していた。

窓の外に視線を戻す。
雨はまだ止まらない。
テレビで確認した天気予報では、明日まで降るらしい。
この時間になっても石田から連絡がないというのは少し心配だが
喫茶店の留守番を任されている身として優先すべき事は先ほどの依頼を
受けるかどうかを決めなければ。
立ち上がり、椅子の背に掛けていた上着を取る。

呼び鈴が鳴った。

385名無しリゾナント:2016/04/11(月) 01:05:51
 「はーい?どちら様ですか?」

扉の外には、傘を差した人物が見えた。
開けると、横殴りの雨と湿気を含んだ風が吹き込んでくる。
雨と雲以上に午後の光を遮っていたのは、女性用の背広の人物だった。
耳たぶに付けられた耳飾りが、外からの風に揺れる。
閉じられた女モノの傘の先端からは、雨の雫が滴っていく。

女は一瞬、息を止めた。
表情が強張りそうになった、が、耐える。
客人を迎えるいれるための笑顔を作るために徐々に口角を上げる。
女だからこそ出来る他人への振る舞いをこなす。

 「あの、どなたでしょうか?」

女の問いかけに対し、口紅が塗られた唇に笑みが浮かぶ。

 「自己紹介をすると、あたしは鮎川夢子。
  あなたと同じ正義の味方、かしらね」

実際に目にするという衝撃に撃たれたが、なんとか耐えた。

 「……もしかして、貴方があの有名な鮎川夢子さん、ですか?」
 「ええ、その、申し訳ないんだけど室内に入れてもらえます?
  少し寒さがこたえてしまって震えが止まらないの」
 「あ、ええ、分かりましたどうぞ」

女が後ろに下がると、鮎川が店内へ入ってくる。
傘に入りきらなかった左右の肩や裾が雨に濡れていた。

386名無しリゾナント:2016/04/11(月) 01:07:09
 「ありがとう。それにしても驚いた。
  まさかあたしの事を知ってるだなんて」
 「鮎川さんこそ、どうして私達のことを?」
 「ここの常連客に話を聞いたのよ。若い少女達が様々な
  事件を調査して解決している集団があるって。
  まるでアニメのようだと思ったけれど、会ってみて分かったわ。
  客の中には本当に助けてもらった者も居るともね」
 「なるほど。鮎川さんにこうして注目されてるなんて、ビックリです」


 「なるほど、同じ者同士としては気になってたわけね。
  本当はあたしの仲間も紹介したいところだけれど…」
 「そうですね、皆にも会ってほしかったです」

女は肩を竦めておいた。

 「あ、すみません。私の名前は…」
 「飯窪春菜さん、よね」
 「ご存知でしたか」
 「ええ、私もそれなりに情報入手に関しては負けてないから」
 「さて、と。お互いの紹介は済ませましたが、ここに居る
  理由をお聞かせ頂いてもよろしいですか?」

387名無しリゾナント:2016/04/11(月) 01:07:42
鮎川の表情が曇った。ひとたび押しとどめた言葉を吐き出す。

 「襲撃されたの。
  あの仇敵のマッドサイエンティストによって
  作られた屍傭兵たちに三人の仲間が殺された。
  ESPや改造人間だった彼らでも太刀打ちできないほどの数に
  圧倒された他の派生組織らも造反に賛同したのよ。
  追っ手から逃げたものの、全ての隠れ家も破壊されていた。
  私は姉の響子と離れ離れになってしまって、命からがら
  この町に逃げ込んできたの」

一気に事情を話し、鮎川は苦い感情を顔に滲ませる。

 「まさかそんな事になってたなんて知りませんでした」
 「ええ、私も予想外の事だった。
  ようやくあの仇敵、デ・パルザの悪の計画を潰したと思えば
  まさか残党達が生き残っていたなんて…」

鮎川の苦渋の表情を飯窪は眺めた。

 「逃げている他の仲間を待って再起するまでの間
  しばらくここにおいてもらえないかしら?
  勝手な言い草だとは思うけど、ここが最適の隠れ家なの。
  なにも差し出せないけど解決すれば謝礼だって払うっ。
  だから…!」

飯窪は思考し、用意していた台詞を述べた。

 「良いですよ。しばらくここに居てください」

鮎川の顔には、驚きと疑いが絡み合って表現されていた。

388名無しリゾナント:2016/04/11(月) 01:08:15
 「ほ、本当に?」
 「困っている人を放り出すなんて正義の味方のする事じゃないです。
  噂の中にはありませんでしたか?
  どんな相手の依頼でも引き受ける、それが私達です」

鮎川が軽く息を吐く。
柔和な瞳が飯窪を見つめた。

 「ごめんなさい。実はその情報から、ここを訪ねたの。
  とくに心底困ってる依頼は絶対に断らないって聞いたから」
 「なるほど。あながち間違ってはないですけど、少しさっきの
言葉を修正すると、依頼の度合い的には断ることもあります。
  明らかに怪しい方とかね。
  ただ鮎川さんは有名な方ですから、その理由にも同情する余地がある。
  という私の独断と偏見で承諾したんです」
 「ありがとう。貴方に頼って本当に良かった」
 「ただ、交換条件を一つ付けさせてもらっても良いですか?」

飯窪はなるべく優しい表情を作った。

 「急ぎの依頼があるんですが、ご覧の通り、私は留守番係です。
  なので鮎川さんのお力をぜひともお借りしたいんですが」
 「それは非常に厄介な依頼なの?」
 「そうですね。鮎川さんの力が必要になるかもしれません」

彼女の心情を理解した鮎川が微笑む。
素直な笑顔を直視できず、飯窪は自然と逸らす。

 「では急で申し訳ないんですけど、行きましょうか」
 「ええ、きっと役に立ってみせるわ」

鮎川の足がまた外に向かう。

389名無しリゾナント:2016/04/11(月) 01:08:50
 「あ、待ってください」

飯窪は厨房に入ると、棚の隣に掛けられた雨除けの外套を手に取る。
男性客の忘れ物だったが、一年経っても取りに来なかった為に
壁の装飾となっていたものだが、この為にあったのだと思い考える。
頭の上の雨除けの庇を掴むと、視線を遮るように隠した。

 「追手に勘付かれてもしたら大変ですからね」

鮎川の唇が笑みを刻んだのを見て、飯窪も笑みを浮かべ返す。
鮎川が扉の外に出ていく瞬間、飯窪は視点を下に向けた。

静かなため息を落とす。

そして意を決したように鮎川の後を追い、扉を閉めた。

390名無しリゾナント:2016/04/11(月) 01:18:49
>>382-389
『雨ノ名前-rain story-』
お久しぶりです。以前、鞘工で『銀の弾丸』という作品を書いてました。
今回は飯窪さんのお話、能力描写はほぼありませんが
それでも良いよという方はお付き合いください。

391名無しリゾナント:2016/04/11(月) 21:55:08
>>374-380 の続きです



愛の放つ光に包まれた里沙が、両手から複数の鋼線を展開させる。
いや、鋼線ではない。一筋一筋がしなやかに波打ちつつも、眩い光を湛えている。
その正体とは。

「光のワイヤー、か。考えたね…」

天空には程遠い、地べた。
大の字に横たわり空を見上げていた「黒翼の悪魔」がひとりごちる。
二人の共鳴、は想定していたものの、このような結果を齎すとは思わなかったのだ。

一方。
文字通りの光のワイヤーを、鋼線と同じように撓らせ、波打たせ。
里沙は「銀翼の天使」を、迎え撃とうとしていた。

「里沙ちゃん…」
「『捕縛』できたら…あとは任せて」

里沙のやらんとしていることを理解し、愛が静かに頷く。
それが、作戦決行の合図だった。

「天使」が、白き翼を大きく広げる。
その小さな体の、何倍もの大きさの翼。羽毛ひとつひとつが、他者の消滅を願った言霊そのもの。
無数に犇めく羽根は、ゆらゆらと毛先を揺らし。零れ落ちる羽毛が、ひらひらと大空の下を舞う。ほんの僅か
な、静寂。
そして。

392名無しリゾナント:2016/04/11(月) 21:56:17
一斉に。木々に群れる鳥の大群が押し寄せるかのように。
言霊の羽根が、二人の前に拡散され、一気に飲み込んだ。身構えることさえ許されない、一瞬で。

羽毛はやがて光り輝く球を形作り、空に漂う。
傍から見ると、まるでもう一つの太陽が生まれたかのような光景。
ただし、その中では愛と里沙がどうなっているのか。まともに考えれば、既にこの世から消滅しているはず。

かつての後輩、そして自分を敬愛してやまないと公言する後輩の今際に立ち会っていても。
「天使」の表情は、少しも崩れることはない。悲しみも、憐みも、何もない。虚ろな双眸だけが、自らの作り出した分身と
も言うべき冷たい太陽を映している。

瞳に映る、輝く球体。
球体は。愛と里沙を飲み込んだはずの球体の表面は。
突然。破裂するように、波を打ち。偽りの太陽を突き抜けるように幾条もの光が拡散された。
愛と里沙の共鳴の形。言霊さえも透過する、光のワイヤー。

球を象っていた羽毛が、花火のように散らされる。
言霊が生み出した偽の光は、真実の光には抗えなかった。

「やっぱり、気付いてたか…さすがはダークネスが特別に警戒する人物、だね」

「天使」は、無意識のうちに愛の光を回避していた。
「悪魔」の放った黒血は避けることさえせずに消滅させていたのに。
それは、言霊の力では光を消すことはできないから。感情は無くとも、防衛本能がそう働いていた。
いくつもの死線を潜り抜けてきた愛と里沙が、そのことに気付かないはずがないのだ。

393名無しリゾナント:2016/04/11(月) 21:57:18
「愛ちゃん、お願い!!」
「わかった!!」

全身に光を纏い、「天使」へと切り込む愛。
自分の光は、虚ろな天使の攻撃の、唯一の防御手段となる。そのことを確信した愛は、容赦なく「天使」の懐に入り、近接
攻撃を繰り出した。

光に包まれた手が、そして足が「天使」を攻め立てる。
その度に、白い羽が揺れ、輝く羽根がふわりと散る。渾身の、蹴りと拳の乱打。
もちろん、全ての攻撃はまるで機械仕掛けのような正確さで次々とかわされる。だが、それで構わなかった。何故なら、愛
の特攻は「本命ではない」から。

「ぬぅん!!」

里沙の張り巡らせた輝く光が、弧を描いて天使に襲いかかる。
さらに光が、いくつもの光に。軌跡を描きながら無限に分裂し続ける光のワイヤーは、やがて「天使」を捉える鳥籠に姿を
変えた。

「天使」が、その翼を折り畳み、鳥籠が完全に閉じきってしまう前に上空へと急上昇を始める。
光が完全に出口をしまう前に外に飛び出されてしまっては、再び「天使」を捕まえるのは困難であった。が。

待ち構えていた。
里沙は、黒き翼を従えて。「天使」が突き抜ける軌跡の上に。
「銀翼の天使」は、里沙の姿を確認するや否や、右手に輝く剣を携える。
「悪魔」をも斬り伏せた、虚構の刃。それを、里沙は。

敢えて、受け止めた。
腹部に深々と刺さる言霊の剣から、血が滴り落ちる。
傷口から、じわりじわりと広がってゆく真っ赤な染み。

394名無しリゾナント:2016/04/11(月) 21:58:06
「この時を…ずっと待ってました」

里沙は、自分の体から急速に力が抜けてゆくのを感じつつ。
その蒼白になった両手のひらを。
「天使」の頭を挟み込むように、添えた。

精神干渉の、極たる業。
自ら卑しい汚れた力とさえ罵った、相手の心に自らの心を滑り込ませる ― サイコダイブ ―。
この一瞬に、里沙はすべてを賭けた。
無慈悲な天使の奥底に、安倍なつみの心が残っていることを信じて。

395名無しリゾナント:2016/04/11(月) 21:59:02


これまでにも、何度も里沙はサイコダイブを敢行してきた。
敵にも、そして味方にも。
ただ、こんな日が。安倍なつみに精神潜行を仕掛ける日が来るとは、思いもしなかった。

自らの心とは別の世界に、自分自身が再構築されるような感覚。
里沙の視界がはっきりしてくると、そこは見たこともない景色だということがわかる。

白。白、白。白。
そこには、何もない。
普通の人間であれば、何にせよ様々な景色が広がっているはず。
だが、白という色彩の他には、本当に何もなかった。言うならば、「無の世界」。

対象の人物にサイコダイブした精神干渉の使い手は、まず最初に様々な景色を目にすることになる。
例えば、大海原に面した砂浜であったり、太陽の降り注ぐ草原だったり。それらは全て、サイコダイブの対象となった人間
の精神世界であり、心模様であった。
つまり。

「銀翼の天使」 ― 安倍なつみ ― には、景色を描くような心は残っていない。

里沙をも塗り潰さんと広がっている白一面の世界が、何よりの証明だった。
彼女が操っていた白き言霊同様に、色彩すら見当たらない世界。

396名無しリゾナント:2016/04/11(月) 21:59:41
それだけではない。
かつて里沙が「黒の粛清」と対峙した時のこと。
粛清人に精神干渉を試みた里沙を阻んだのは、まるでとっかかりのない、鉄の球体のような相手の心だった。
それを知った時のような絶望が今、里沙に襲いかかろうとしていた。
いや、形すら見当たらない今の状況の方がより、残酷だ。

そんな…もう安倍さんの心は、残ってないの?

無力感が、足を伝い膝を落とさせた。
だが、すんでのところで力を振り絞り、再び立ち上がる。
ある人物の顔が、脳裏を過ったからだ。

今も、深い眠りについている、里沙の親友。亀井絵里。
絵里を何とかして再び目覚めの世界に導こうと、里沙は日夜彼女のいる病院へと足を運んでいた。
「銀翼の天使」の襲撃によって、昏睡状態に陥った絵里を救う唯一の方法。それが、サイコダイブだった。
その作業は広大な砂漠の中から一粒の砂を見つけ出すような、ほぼ不可能に近いもの。それでも。

窮地に陥った里沙を救うべく、絵里は束の間の目覚めを得ることができた。
明けない夜はないし、止まない雨もない。里沙は暗がりの中で一条の希望を見た気がした。

だから。
里沙は、白い、何もかも白く消し去ってしまうかのような砂漠に。足を、踏み入れる。
絶対に。絶対に安倍さんを探し出して見せるんだ。
後輩たちに生きて帰って来いと言った以上、自分たちも。
里沙の心には、あの日見たような希望の光が差していた。

397名無しリゾナント:2016/04/11(月) 22:01:47
>>391-396
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

光のワイヤーは以前拝見した過去作からのリゾナントだとは思うのですが
失礼なことに失念 してしまいました…申し訳ない

398名無しリゾナント:2016/04/12(火) 02:01:45
家を出て二十分、雨はまだ続いている。

 「あれが依頼のあった現場です」

目の前にあるのは一棟の社屋。
右に同じような洒落た外装をした建物が隣接している。
飯窪は傘を差し、鮎川は傘を差し、外套を着たまま歩く。
鮎川の足元で水たまりが弾けた。

社屋ビルの前を通り、隣の邸宅前に到着。
低い三段の階段を上がって、扉の前に立つ。

 「依頼主からは許可を取ってありますから、扉は開いてますよ」

無断侵入の説明をしつつ、飯窪は扉を開ける。
曇天でさらに陽光が射し込まなくなった薄暗い廊下が見えた。
戸口を覗き込もうとする鮎川のために横に退く。

 「まず現場を見てもらったほうが良いですね」

飯窪と鮎川が廊下を歩いていく。
途中の階段を通り過ぎて、突き当りを左に曲がる。
奥に開け放しの扉と、警察が張った立ち入り禁止の帯が見えた。

黄色い帯を手で払い、奥の部屋に入る。

399名無しリゾナント:2016/04/12(火) 02:03:14
 「勝手に入っていいの?」
 「入室の許可は出てます。事故として処理されてますから」
 「事故?」
 「死亡したのはリルカ・オーケン。映像や書物、ようするに物語関係の
  輸出入と制作を行ってる方で、この貿易映像社の副社長でした。
  今朝、彼女は自宅の書斎で死体となって見つかりました」
 「外国の人?」
 「ハーフだそうですね」

部屋にある家具は、書類棚と重厚な執務机。
貿易社の商品である書籍やDVDは山と積まれている。
苛烈な仕事が私生活にまで浸食してきたのが見てとれた。
絨毯を控えめに染める血痕が、不運な事故を静かに物語る。

 「そこがリルカさんの死体があった場所ね。
  殺人の可能性はないの?」

鮎川の目は血痕が落ちた絨毯を見下ろす。
血痕の周囲には陶器の破片が落ちていた。

 「朝にご家族が発見し、通報して警察が調査しました。
  現場と物証の状態から見ても、リルカさんは深夜まで
  自宅で仕事をしていて、立ち上がった時に過労かなにかの
  原因で足下がふらついた。
  そして寄りかかった棚の上にあった花瓶が落ちて、頭に落下」

飯窪は一歩歩み寄り、陶器の破片を指で示す。

 「痛みで後方に倒れた時、机に後頭部を打ってしまった。
  当たった角度が悪かったみたいで、午後一時から二時の間に
  死亡したと考えられます」

400名無しリゾナント:2016/04/12(火) 02:04:14
入手した警察の簡単な検死情報を思い返す。

 「そう見えて、実は誰かが仕掛けた殺人事件、という展開は?」


 「物語ならともかく、一般人は手のこんだ殺人はしません。
  ないとは言い切れませんが」
 「殺人じゃなく単に事故死だとしたら、救われないわね…。
  まだこんなに若いのに副社長になっても、机に頭を打って
  死ぬなんて悲しすぎる」

鮎川の面差しに哀しみが宿った。

 「副社長という座も大変だったようですね。
  この映像会社を社員二百人規模の会社に育てあげ、三男一女を
  会社の各部門を任せるほどに育て上げた訳ですから」
 「夫はどうしていたの?」
 「ルリカさんが発見される前夜にすでに行方知れずになってます。
  元々気弱な方であまり経営に向いてなかったそうです」
 「驚くほど夫が怪しいじゃない」
 「元々あまり家に寄りつかなかったみたいで、事故死という結果もあって
  警察の動きも鈍い。娘さんだけが心配して、旦那様の身柄を
  捕捉してほしいと依頼してきたんです。それも警察よりも先に」

鮎川を眺める。

401名無しリゾナント:2016/04/12(火) 02:05:25
 「私の目的は、その旦那様を見つけ出すことにあります」
 「見つけて、それで?」
 「それだけですよ」
 「それ、だけ?」
 「それだけです。この事件には鮎川さんが恐怖している事は
  ほとんど影響していないお話ですから」
 「余計な仕事はしない、ってこと?」
 「……私達が正義の味方をしているのは、誰かの人生を
  めちゃくちゃにした相手に復讐するためではありませんから」

まだ納得していない鮎川に飯窪は携帯端末を差し出した。
そこにはこの貿易社の経営主の経歴と、顔や全体の写真があった。
鮎川の鼻先に不快感の皺が浮かぶ。



机に座って控えめに微笑む社長、ロック・オーケン。
痩せた体に白の混じった髪は三対七という半端な横分け。
何かを睨み付けるような鋭利な目。
貧相な顔にペイントで十字架を模した模様が描かれている。
まるでピエロか何かの様だ。

 「……いかにもって感じね。
  怪しいDVDでも売ってたんじゃないかってぐらいの面構え」
 「見た目で判断するのは良く無いですよ。
  それなりにいいところもあったと思いますよ」

402名無しリゾナント:2016/04/12(火) 02:05:57
小声で「多分」と付け加えてしまった飯窪の弁護にも
鮎川は侮蔑の小さな笑みを口の端に刻む。

 「ロックさんの私室は二階です」

二人で部屋を出て、廊下まで戻る。
階段を上って二階に到着すると、廊下の横手にある扉を開けた。
左右の壁一面と床に、雑誌と本とDVDが溢れている。
左手の棚の中段ほどに、画面と録画再生機がそれぞれ六台。
何の為かは分からないが、六つの画面を一度に見る事態が想像できない。

窓際の机の上では、数年前に上映された映画がテレビで放映されていた。

 「なんで勝手にテレビが?」
 「自動再生でしょうか」

映像のひとつには、飯窪も見た事がある映画があった。
丁度、変身ヒーローが悪の計画を阻止している最中で
ヌンチャクを振り回す特撮ヒロインというのも斬新ではある。

 「まるで子供の部屋じゃない…」

鮎川の言葉通り、貿易社の社長の部屋に仕事の用具は何もない。
時間を知らせる時計すらなかった。
この部屋は、ただ子供のままで大きくなった男のための
夢物語と玩具で埋め尽くされ、戯れるためだけの部屋だった。
楽器や電子器具の山。
音楽楽器の雑誌が混ざっているのを見るに、彼は音楽にも精通してたらしい。

403名無しリゾナント:2016/04/12(火) 02:07:13
ロック・オーケンの理想を投影したような本は床に転がっていた。
表紙では、勇敢な戦士が右手に剣を握り、美女を
左腕で抱きつつ、白い歯を見せて笑っていた。
二人でさらに部屋を捜索したが、ロックの行方を示すようなものは出ない。

携帯端末を見つけて電話帳や住所録を見つけたが、空白ばかり。
何件かはあったが馴染みの楽器店のものがほとんどで
個人的な友好関係がほとんどない。
数少ない交友関係にその場で電話してみるが、誰も彼の事を知らない。

鮎川の不機嫌さが頂点にまで達する前に、二人は外に出る事にした。

404名無しリゾナント:2016/04/12(火) 02:19:33
>>398-403
『雨ノ名前-rain story-』 以上です。

「鮎川夢子」さんを知ってる人はその人物像で見てもらえると
ある意味で面白いかもしれません。
ちなみに書いている人はあの映画を見ておらず、原作との混合なので
別人として捉えてもらっても大丈夫です。

(スレ内)>>212
自分ではどうして推理モノを書こうとしたのか理由を
覚えていないのですが、これは当時書いてた話を掘り起こしてきました。

405名無しリゾナント:2016/04/13(水) 01:56:29
 「納得いかないわ!」

叫び声に数人の視線が向いたが、降り続ける雨の鬱陶しさに
早足でその場を後にしていく。
横目で見ると、鮎川の眼が怒りに燃え、唇が不快感に歪む。
雨除けの外套から静かに雨粒が流れた。

 「ロックという男は、自分の責任を全部放棄して
  奥さんに被せていただけじゃない!」
 「もう少し声を静めてください」
 「仕方がないじゃない、本当に不愉快なんだから」

鮎川は本当に怒っていた。

 「私は母親が殺されてから、姉を守るために人生を切り開いていった。
  言葉すら通じない屍傭兵の群れを薙ぎ倒してきた。
  女だからといって、引っ込んでる必要はないからね」

鮎川の声量が大きくなっていく。

 「夫なら、妻と家族を守るべきでしょ!?
  それを奥さんに任せて自分は夢物語に逃げ込むなんて!」

自分でも張り上げている事に気づき、鮎川は口を噤んだ。
落ち着いたところで、足を止めていた二人は再び歩き出す。

406名無しリゾナント:2016/04/13(水) 01:57:13
 「誰もが貴方のように勇気をもって苦難に立ち向かうような
  人生は送れないと思います。
  むしろほとんどの人はロックさんのようにしか生きれない。
  勝者が居れば必ず敗者が居る。
  強い人間がいれば、弱い人も居るんです。
  立ち向かう人間が居れば、逃げてしまう人も居る」
 「それはそうだけど…」
 「弱いということで否定されるなら、この世界では
  まるで英雄と犯罪者以外の人達は被害者でしか居られない。
  それを肯定することになるんですよ?」
 「………それでも、私は許せないわ…」

鮎川の声は、軽蔑と哀れみの色を帯びていた。

 「私が彼なら自分を恥じる、それか即死ぬわ。
  現世は諦めて、次の人生に懸けるしかないじゃない」
 「そう考えてしまう可能性があるから、依頼があったんですよ。
  警察は徘徊に近いロックさん相手に親切にはなってくれません。
  地道に捜すしかないんです、噂を頼ってでも」

鮎川が顎の下に手を添えて、飯窪がほのめかした事実を考え込む。

 「そうね、こんな弱い男なら自殺する可能性もあるか。
  じゃあ、急がなきゃね。で、次はどこに?」
 「依頼主の元へ行きます」

雨が酷くなっていく。雷雲が漂い始めていた。

407名無しリゾナント:2016/04/13(水) 01:59:05
質素な二階建ての家の玄関に立ち、呼び鈴を鳴らす。
扉から出てきた女性は、幼児を抱えていた。
母親の腕のなかにいる男の子が、二人を不思議そうな瞳で見つめた。
子供に目線で軽く挨拶して、依頼人の女性に自己紹介をする。

 「依頼を受けた飯窪です」
 「臨時手伝いのあゆ…鮎田です」

女性は複雑な表情をした。

哀しみと苦味を堪えるような瞳だった。
苦い物を呑み込んだように、女性が口を開く。

 「……父の失踪の件でしたね。どうぞ奥へ」

家の一室、女性は幼児を抱えたまま居間の椅子に座った。
向かい側の椅子に二人も座る。
ロック・オーケン捜索の依頼者である一人娘、モモコは
深呼吸したあと、飯窪だけに視線を向けて口を開く。

 「難しい捜索かと思いますが、よろしくお願いします」
 「はい。分かってます」

頭を下げるモモコに、飯窪は厳粛な面持ちで頷く。
これまでにない意味での難事件になる。
それは飯窪自身も強く感じていた。

408名無しリゾナント:2016/04/13(水) 02:00:01
モモコに抱えられた幼児は、飯窪と鮎川を興味深そうに眺めている。
幼児が丸みを帯びた手を伸ばしてくる。
鮎川の口元が綻び、子供に挨拶をした。

 「可愛いお子さんですね。人を怖がらないなんて良い子だわ」
 「本当は、親族以外には絶対に慣れない子なんですけどね」

モモコが侘しく微笑んだ。

 「すみませんが、早速質問をしてもよろしいでしょうか?」

遮る形となったが、飯窪の話にモモコが頷く。

 「行方不明のロックさんの人柄、友人関係を教えて下さい。
  そこから調査していきたいと思います」

間を取るように、モモコが椅子に深く身を沈めた。

 「父のロックは、実に不遇な男でした。
  虐げられ疎外されていたけれど、とてもいい人でした。
  優しくて、映画鑑賞や読書が好きなおとなしい男でした。
  若い頃には音楽を目指していた傍ら、良い物語を紹介したいという
  理想に燃えて、大好きだった日本に渡り、外国の映画や書籍
それらを輸入する小さな貿易会社を立ち上げました。
  社員は父と友人達だけだったので、個人輸入といった方が正しいですかね」

モモコの声の調子が下がる。

409名無しリゾナント:2016/04/13(水) 02:00:40
 「そこへ転がり込んできたのが、リルカ、私達の母です。
  母のリルカは、父の貿易会社を手伝い始めました。
  最初はよくあるように経理をしていたそうです。
  二人の協力で会社は次第に大きくなって、制作も手掛ける様に
  なっていきましたが、途中から数字に強い母が仕切りだしたんです」

よくある話だと、飯窪は思う。

 「数年後、会社の実権は母が握り、売り上げ至上主義の会社に変貌。
  そこで父はお飾りの社長になってしまったんです。
  父の生き甲斐であった居場所は変わってしまい、言うなれば
  言葉通りの………乗っ取りがあっさりと成功しました。
  それでも父は、母にとっての良き夫、私達にとっての
  良き父、時代に場所を譲る物わかりの良い経営者を演じたのです」

モモコが続ける。
よほど誰かに言いたかったのか、その言葉には憤りを含む。

 「でも長くは続かない。会社は利益追求の道具に成り果て
  父は生き甲斐を奪われて、なお逃げ場所がなかった。
  あとはもう目を閉じて耳を塞いで、自分の夢の世界で
  眠っているのか起きているのか分からない日々を過ごすしかなかった」

あのロックの私室は夢の繭として彼を生きながらさせていた。

 「ルリカさんの死にロックさんのせいである可能性は?」
 「………それは、無いです。絶対。だってあれは事故でしたから」

410名無しリゾナント:2016/04/13(水) 02:06:16
断言するモモコの顔に迷いは無かった。
母を失い、父を捜すモモコに同情はしても、それだけだ。

本当に、それだけだ。

 「ロックさんの行きそうな場所、何か参考になることはありませんか?」
 「警察は役に立ちませんね。まだ見つかってないとしか報告が来ません」

鮎川の眼が周囲を探る。

 「そういえば、貴方の他にも三人の兄弟が居ると聞いたけど
  その方々はどこに居るのですか?」

その言葉に、モモコの血相が変わった。

 「父が行方不明になっても、兄弟の誰も捜そうとしない!
  彼らは父より母の跡を誰が継ぐかを会社で会議してますよ。
  だから、だから私が依頼したんです!」

母親の怒気と怒声に、腕の中の幼児が泣きだす。
モモコが慌てて幼い息子をあやす。

411名無しリゾナント:2016/04/13(水) 02:06:55
 「兄さん達に話を聞いてもムダですよ。
  ……むしろ、聞いてほしくありません。
  それなら、父の古い友人がここから30分ほどの所に
  住んでらっしゃっるそうで、その方を頼っては如何でしょう。
  警察に訊かれた時にも連絡先を出しましたので」
 「ではその情報を頼らせて頂きます」

棚から取り出した黒革の手帳を開き、住所を携帯端末に入れる。

 「……あの、父に会ったら、伝えてもらえますか?」
 「ええ、どのように?」
 「…………もう我慢しなくていいよ、と」

モモコは飯窪と、そして鮎川を見据えて言った。
母親の腕のなかで、幼児が右手の指を咥えて微笑んでいる。

412名無しリゾナント:2016/04/13(水) 02:09:30
>>405-411
『雨ノ名前-rain story-』

もしかしたら途中でレス投下が途切れている可能性があるので
そのときはどなたか代理投稿よろしくお願いします。
リゾスレ8周年おめでとうございます。

413名無しリゾナント:2016/04/15(金) 02:46:37
家の扉を背に二人は再び歩き出す。

 「それにしても湿気が酷いわね」

雨除けの外套に手をかける鮎川に、飯窪の目が引きつけられる。

 「追手から逃れている最中の人間が迂闊に顔を出さない方がいいです。
  せっかくの雨ですから、そのまま隠しておけばいいじゃないですか」
 「あ、そっか」

鮎川が頭を覆う外套を手で引き下ろして、口元だけで微笑む。

 「探し物をしている内に自分の存在を忘れるだなんて」
 「たまには自分を忘れてもいいと思いますよ。けど
彼のように幻想へと完全に逃げるのはどうかと思いますけどね」

飯窪の呟きに、鮎川が理解不能と首を左右に振る。
その時、目の前から傘を差した男が近づいてきた。
絹のシャツに仕立てた背広。
整った容貌に軽薄な眼差しがあった。

 「やあこんばんわ。ちょうど印象的な人影を見つけたものだから」

男の唇が朗らかな声を紡ぐ。
危険信号が全身をめぐる。

 「何か用ですか?」
 「失礼、私はロメロ。リルカ・オーケンの三男だ」

含みを持たせた粘着質のある物言い。
しかも事故死した母の名前のみを口にし、失踪した父のロックの
息子であることを無視した事に、飯窪が気付かない訳もない。

414名無しリゾナント:2016/04/15(金) 02:47:45
 「そちらの素敵な方は?」
 「鮎川よ、鮎川夢子」

鮎川が胸を張って答えた。
先ほどの会話と矛盾が生じている事に本人は気付いていない。


鮎川の名乗りを聞いた男の唇と頬には、極大の皮肉な笑みが刻まれた。

 「へえ、へえそうか。そういう事か。あんたがあのダメ子か」
 「その名前を口にしないで。私を知っているなら話は早いけど」
 「これは失礼。それにしても、正義のヒーローが地味な仕事をしている」
 「余計なお世話よ、そっちこそ何が目的?」
 「姉さんの家に行こうと思ってたんだが、今家から出てきたあんた達を
  見かけてね、ちょっとお話をしないか?何か聞きたいんだろう?」

嫌な笑みを解かず、ロメロは飯窪の顔を舐める様に見つめる。
不気味さが増す。

 「それは聞いてほしいという事?」
 「………ロック・オーケンは、迫害された男でも
  優しい男でも無かったよ」

懐かしむように色を帯びていた。

415名無しリゾナント:2016/04/15(金) 02:48:15
 「自分が無い男。多分、あの男は自分が妻を殺したと思って
  現場から逃げたんだろうよ」
 「彼が夢見がちで他人に流されやすかったのは分かってます」
 「なにごとにも程度があるのさ。あの男はやり過ぎた」

言葉の一撃に飯窪は言葉を失った。
自分が主導権を奪ったことを確認し、ロメロがクツクツと笑う。

 「あの男が見つかったら俺にも教えてくれ」

毒液が滴るような悪意に満ちた笑みをずっと浮かべ続けた。
気障な仕草で回転し、雨の町へと去っていく。
不愉快さを振りまきつつ去っていく男の背を、鮎川は眺めている。
敵意に満ちた瞳が、まさに刃となって睨み付ける様に。

416名無しリゾナント:2016/04/15(金) 02:49:22
まるで老人が擬人化したような古色蒼然とした家だった。
この季節に、窓には厚い紗幕。
残る壁の三方を雑誌と本とDVDプレイヤーが埋め尽くしている。
堆積物に囲まれた革椅子に、老人が座っていた。
男が見ているテレビでは、アナログ時代の映画が映っていた。

ゾンビにされてしまった少女が愛した男に殺されてしまう悲恋は
男が持つリモコンによって遮断される。
男は二人の顔を見ようともせず、顎で傍らの応接椅子を指し示す。
飯窪と鮎川は顔を見合わせたが、仕方なく椅子に近づく。
雑誌と本と宅配食品が乱雑する床。
埃が積もった背を払って、二人は腰を下ろした。

男が顔を上げる。
眼窩に収まるのは、濁った瞳孔。
あらかじめ聞いていたとおり、白内障を発症して目が見えない様だ。

 「渋川さん、休んでる所をすみません」
 「いや大丈夫だよ。暇になってたんだ。さて、早速本題に行こうか」
 「お願いします。昨夜のことでなくても、ロックさんの事を
  聞かせていただけませんか?ご参考にしたいと思いまして」
 「参考、参考ねえ」

白いものが混じった顎鬚を撫でつつ、渋川が言いよどむ。

 「まず僕とあいつの関係だが、あの会社が今みたいになる前の
  共同経営者といった所だな。奥さんのものになってからは
  ぼくぁ退職金をもらって手を引いたけれど」

417名無しリゾナント:2016/04/15(金) 02:49:56
見えない目が本棚に向けられる。
そこには作成したと思しき映画や本が並んでいた。

 「そこに並ぶのは、難病の恋人を持った主人公の悲恋話や
  同性が妙に少ない学園もの、魔法や超能力で主人公が戦い
  宇宙や未来人がなにかをしたりしなかったりする話だ。
  奥さんが言ったように、これらは売れるだろうな。
  だが変わったよ。あの時から、あの時代から全てな」

見つめる鮎川は、侘しい眼差しになった。
一瞬訪れた沈黙を割るように飯窪は問いかけてみる。

 「ロックさんというのはどんな方でしたか?」
 「あいつはどうしようもない男さ、優しい男でも
  ましてや自分がないだけの男でもなかった気がする。
  そういえばリルカは可哀相だったね。
  きつい女だったが、あんな風に無意味に死ぬこともなかった。
  性格はきつかったが、あれだけ努力して会社に尽くした人間が
  あんなつまらない事故で死ぬなんて…ああ、そうか」
 「なんですか?」

418名無しリゾナント:2016/04/15(金) 02:50:33
 「いやさっきの言葉さ。ロックには自分がないようにも見えたが
  自分しかいないようにも思えたってね。
  ああクソッ、上手く言えないな。年をとると頭が錆びてしまいがちだ。
  そもそもロックがこの道に誘わなければ…。
  だがこの道の奥深さには感謝しているんだ、少なからずな…」

鮎川が小さく微かに呟いた。
「話の結論が前後していて聞くに堪えない」と。

 「…では、渋川さんから見て、ロックさんがどこに行くと思います?」
 「それは僕に対する皮肉かい?」
 「いえ、同じ夢を見ていた、同志である貴方に問いかけてるんです」
 「…どこにも行かないし、行けないよ」

苦い言葉が渋川の唇から漏れた。

 「幻想が逃げ場にならないなんて事は、あいつもとっくに知ってる。
  正義の味方が悪漢を倒し、美女と戯れるような幻想に逃げる事は簡単だ。
けど僕達が現実であるかぎり、逃げ続ける事は無理だ。
いつかは現実に帰ってこなくてはならなくなる。
逃げた分だけな……」

渋川は自分に反論した。

 「いや、行きたいんだよ。僕達は、自分がいない場所に。
  矛盾してるのは分かってるが、この気持ちは確かなんだ」

盲目の男は寂しげに笑った。

419名無しリゾナント:2016/04/15(金) 03:00:01
>>413-418
『雨ノ名前-rain story-』 以上です。

立て初めのスレの最初に投稿するのは恐れ多いです。
と、同時に話も中盤が終わろうとしていますとだけ。

420名無しリゾナント:2016/04/16(土) 17:32:49
ロック・オーケンは何処を捜しても居なかった。
行き先をなくした彼の様に、飯窪と鮎川の二人も街角で術を失くし佇む。
鮎川の手には紙袋が握られており、渋川から譲り受けた本が詰まっている。

 「ロックさんのグループが作ったのは、異世界に行った主人公が
  仲間とともに魔法や超能力で戦って大団円となるお話。
  奥様のリルカさんのグループが作ったのは、大きな敵に立ち向かう
  主人公や、取り柄のない主人公に美女や美男、美少女や
  美幼女が惚れて学園生活をするお話です」
 「感想は?」
 「…私はロックさんの作品が好きですね。奥さんのも魅力的ですが」
 「へえ、幻想物語が好きなのね」
 「ご都合主義の物語でも現実があるのは確かですから」
 「リルカさんの作品の方がその気は強いと思うけど」
 「そうですね。物語は物語であればいいと思います。
  ただ面白いだけでいいと思います、それは幻想ですから。
  でも、それって結局は、物語のための物語ではないでしょうか。
  面白いだけなら、こうしてお話にして残すよりもっと簡単に
  面白くなれる事はたくさんありますよ」

飯窪は長い息を吐く。

 「私も幻想好きだけどね。もっと言えば愛すべきものと思う」
 「私もですよ」

鮎川の想いに、飯窪は信条を返した。
雨の街角で、一歩進んだ。そこはあのオーケンの家だった。

 「ここで始まったからには、ここで終わらせるべきですね」

421名無しリゾナント:2016/04/16(土) 17:33:38
携帯端末が震えた。
飯窪はそれを一度確認すると、それを鮎川に示す。

 「警察の検死が確定したようです。リルカさんは何かの理由で
  棚に寄りかかり、頭に花瓶が落ちました。
  死因は脳挫傷。紛れもなく事故死です」
 「……そう」


鮎川が残念そうにため息を吐く。

 「ロックは哀れね。自分がリルカを殺したと勘違いして
  思わず逃げてしまうなんて。でも、無実が証明された以上は
  もう逃げなくてもいいのよね。早く捜しだしてあげないと」
 「そうですね。そろそろ助けてあげなくては」
 「その本人がどこに居るのか見当もつかないけどね…。
  さてと、次はどこに行く?」

鮎川の瞳に映る飯窪の表情は曇っていた。
数々の情報を組み合わせ、結論を出す覚悟を決める。

 「いえ、調査はこれで終わりです」
 「え?」
 「ロックさんは、逃げたままでいいのでしょう」

422名無しリゾナント:2016/04/16(土) 17:34:11
鮎川は驚きの表情と色を瞳に浮かべた。

 「何を言っているの?」
 「過酷な現実から逃れたのなら、もう彼を追う必要はないですよ」
 「良いの?それで貴方は、貴方の正義は許せるの?」
 「私が許す許さないという問題ではないです。
  彼が幸せであれば、それは私の願っていることと一致します」
 「後悔はないの?……いえ、それこそ私が言う事ではないわね。
  私は貴方の助手なんだから、従うわ」
 「一旦お店に帰りましょう。鮎川さんの事は私達がなんとかしますから…」
 「へえ、本当に終わるんだ」

背後の声に、二人は瞬間的に振り向く。
路地から姿を現したのは背広の男。
壁に寄りかかり、ロメロが苦しげな顔をして立っていた。
傘も差さず、頭や高価な背広の肩から背中が濡れている。

 「貴方は…」
 「兄貴達に追い出されてね、実権分与から外された。
  もう俺には何もないよ。ああ絶望だ。絶望だなあ。
  ……あいつだけ夢に逃げ込むなんて、そんなのは認めない。
  一緒に現実を認め合うことこそ家族じゃないか、そうだろう?」

ロメロの言葉に、飯窪の表情が歪む。
男の頬には痙攣した笑み。

423名無しリゾナント:2016/04/16(土) 17:34:55
 「ダメ!言わないで!」

飯窪は瞬間的にロメロへ走りだそうとする。
男は危険だ。全ての幻想が崩れていく音が聞こえた気がした。
綻びの溝から、右腕が現れて緩慢に上がっていく。
示された指先と、哄笑。

夢は現実へ。










 「そこであんたは何をしている?オトウサン」

424名無しリゾナント:2016/04/16(土) 17:43:55
  なあ、なぜあんたはそんな女ものの背広を着ている?
  どうしてそんな仮装をしている?
  ねえ父さん
  鮎川夢子っていうのはさ、これを言うんだよ

ロメロが鞄から取り出した箱は、地面に放り投げられた。
叩きつけられた箱は雨粒に徐々に濡れていく。
其処にはピンク色の彩りを纏った女性二人が映っている。
一人がまるで鮎川と同じ姿をしていた。

 「なんで?なんで私がここに映っているの!?
  これは私で、こっちも私……どういう事?どういう…!」

極度の混乱状態。
小さな瞳孔が恐慌するように戸惑う。
対して、DVDの表紙の鮎川は、自らが本物であることを誇る様に
胸を張っていた。

 「自分を見てみればいい。自分が自分であるという事を思い知れ」

ロメロの冷えた声に従って鮎川の瞳が下げられ、自らの手を眺める。
見るのは、細く皺が乗って枯れ木のような五本の指。

425名無しリゾナント:2016/04/16(土) 17:45:15
恐怖にかられた鮎川が鏡を捜す。
必死な瞳は、路上駐車されていた自動車の窓を見つける。
雨に濡れた表面に手をつき、自らの姿を映す。
自らを見返すのは華奢で柔らかい女性の姿、ではない。

鮎川を見返すのは、初老の角張った顔だった。
鮎川夢子は、いやロック・オーケンが両手を掲げる。
指先は恐る恐る自らの顔の造作を確認していった。

感触に跳ね上がった手が髪を触ると、女のカツラがずれて
白の混じった髪が露わになる。
怯えるように震える手で次に触った胸には、詰め物。
そこには女の様に化粧をして、カツラを被った哀れな男の姿があった。

雨音を切り裂く絶叫。
言葉にならない悲鳴。男は歩道に膝をついた。
雨水が女ものの背広の膝を濡らす。

幻想が、砕かれた。

鮎川夢子は、飯窪自身の知人が以前出演していた映画の主人公だ。
妙に事情に詳しかったのもその所為。
彼がどうしてあの映画に固執したのかは分からない。
だが、彼女が本来存在し得ない人物だというのは知っている。
知っているが故に、飯窪は気付かせない様にしてきた。

 「………これはどういう事です?」

飯窪は傘を差したまま、重い口を開く。

 「依頼人のモモコさんは、最初から事の起こりを知っていました」

426名無しリゾナント:2016/04/16(土) 17:47:48
>>420-425
『雨ノ名前-rain story-』 以上です。
次回ネタバラシ。

427名無しリゾナント:2016/04/16(土) 19:10:11
>>391-396 の続きです



10分。
10分、凌げばいい。
それは里保の覚悟であり、彼女を見守る春菜たちの願いでもあった。
しかし。

「のん、相手は専守防衛で行くみたいやで」
「…ああ、そんなこと、させるかよ」

こちらの心を見透かすように、やり取りをする二人。
双子みたいなのに双子じゃない「金鴉」と「煙鏡」の思考のコンビネーションは明らかに脅威だった。

里保が、水で象った刀を横に寝かせて構える。
防御を意識した構え。それを見た「金鴉」は。

「のんの能力は、擬態。能力者の血を摂取することで、そいつの能力もいただくことができる…」

里保に説明するように、呟く。
何を今更。そう思う里保に、追い打ちをかけるような言葉が続く。

「せやけど。基本的なこと、忘れてるやろ」

「煙鏡」がそう言うのと、「金鴉」が懐から取り出した「何か」を口に入れるのはほぼ同時だった。
それが何なのか、「千里眼」の能力を持つ遥の目が捉える。

428名無しリゾナント:2016/04/16(土) 19:12:33
「ああっ!あいつ、あいつ!!」
「どうしたの、くどぅー」
「蟲を!たっぷり血の詰まった蟲を食いやがった!!」

遥の言うとおり、「金鴉」は隠し持っていた蟲を、ばりばりと音を立てて噛み潰す。
かつて組織の幹部だった「蠱惑」の能力である「蟲の女王(インセクトクイーン)」と、血を摂取する必要が
ある「金鴉」の「擬態」は抜群の相性だった。結果。

「その目で。よーく、見とけ! のんの『擬態』の正確さをな!!」

それまで、体を崩壊させ、維持することもやっとだった体のフォルムが。
徐々に、変わってゆく。艶やかな黒髪。透き通るような白い肌。西洋人形のような整った顔立ち。
口元のほくろでさえも、完璧に。

「な、なんてことを」
「どう? 『さゆみ』の能力は」

里保の目に映るのは。
紛れもなく、道重さゆみ。

「あいつ!よりによってみにしげさんに!!」
「はははは!あんだけうちらの精神揺さぶったんや!今度はこっちの番やで!!」

憤る優樹を嘲笑うかのように、「煙鏡」が吐き捨てる。
相手の姿形に擬態する能力を「金鴉」が乱用しなかったのは。それを相手への致命的な切り札とするため。

429名無しリゾナント:2016/04/16(土) 19:13:07
「おいで、りほりほ。さゆみがあの世に送ってあげる」
「みっしげさんの声で!ふざけたことを!!」

リゾナンターたちは、現リーダーであるさゆみを慕っているものばかりではあるが。
普段はその感情を表に出すことができずにいた里保にとって、さゆみへの想いは格別なものがあった。
それだけに。

一気に「金鴉」のさゆみとの距離を詰めつつ、もう一振りの水の刀を出現させる。
二刀流。里保の心は揺さぶられ、荒ぶっていた。
精神的な揺さぶりとしては、効果覿面。

完全に刀の間合いに標的を捉えた里保は、片方の刀を上段から振り下ろす。
さらに、中段からの胴薙ぎ。これらをほぼ同時に、仕掛けた。
さゆみの姿をしていても、所詮相手は本物ではない。
覚悟と気合が、生まれつつある躊躇を凌駕していた。

「さすがは水軍流の使い手。情には流されんか。でもまあ…」

二つの刀の軌跡が、交わる。
「金鴉」は、さゆみの姿をした「金鴉」は避けることもせずに身を踊り出し、そして斬られた。
迸る鮮血が、里保の柔らかな頬に飛び散る。

「目の前で起こった『事実』に、耐えられるんかなぁ?」

430名無しリゾナント:2016/04/16(土) 19:14:27
殊更に。必要以上に。
さゆみの姿をしたその女は、痛みによる悲鳴を上げた。

「いっ!痛いよ!痛いよ、りほりほ!!」

斬られた箇所を手で押さえながら、助けを懇願するような目で里保を見る「さゆみ」。
そのビジュアルは。視覚から得た情報は。予想以上に強烈なインパクトとなって里保の脳に襲いかかった。

― うちが、うちが道重さんを斬った? ―

ありえない話。
もちろん、目の前にいるのは本物のさゆみではない。

「さゆみは、こんなにりほりほのことを愛してるのに」

血を流し、苦悶の表情を浮かべつつ、さゆみの姿かたちをしたものが。
こちらへと、ゆっくり向かってくる。

里保の心は、激しく動揺する。
自らの手で「さゆみ」を斬った罪悪心。そして「さゆみ」を斬らせた「金鴉」への怒り。
本物ではない。本物ではないとわかっているのに、感情が止められない。
身が裂けんばかりの憤怒は、やがて再び深淵の魔王のもとへ。

「ずいぶんうちらをコケにしてくれたからな。ささやかな復讐、っちゅうことや」

自分たちの心を春菜に乱された「煙鏡」は、憎悪の矛先を里保へと向けていた。
身の毛も弥立つような、里保の暴走。その凄まじい威力、脅威は承知済み。だが、こちらには能力を限界
まで引き上げた「金鴉」がいる。さらに、里保のことを仲間たちが放っておくわけがない。

431名無しリゾナント:2016/04/16(土) 19:15:31
いずれにせよ、連中を襲うのは破滅。
それに付き合う必要などあるわけもない。「Alice」をフイにするのは少々惜しいけれども、組織に復讐す
る方法など他にいくらでもある。
「煙鏡」は、まさしく純然たる悪意をもってこれからの未来図を描いていた。

その間にも、里保の体を怒りが駆け巡る。
様子がおかしいことに気付いた仲間たちが、次々に叫んだ。

「鞘師さん!その人たちの策に乗ったらいけません!!」
「里保ちゃん!そいつは道重さんじゃない!!」
「鞘師さんしっかりしろ!そんなやつに負けんじゃねえ!!」
「やっさん!!!!!」

だが、その声は里保には届かない。
心の闇のクレバスから、赤い目をした魔王が顔を覗かせる。
破壊。暴虐。ここにいる、全ての人間を血祭りに上げ、亡き者にする。
邪な、赤い衝動が里保の心を覆い尽くそうとした時。

― 鞘師は、そんなこと。しない ―

そこには、さゆみの顔があった。
無論それも、本人ではない。里保が描く、記憶の中のさゆみ。
いつも里保を陰日向から見守り、助言を与え、時には過度なスキンシップもあったが。
そのさゆみが、里保を食らい尽くそうとした幻を打ち消した。
外れかけた地獄の窯が、ゆっくりと元に戻ってゆく。

「そうだ…うちは…うちじゃ…」
「可哀相なりほりほ。せめて…さゆみの手で殺してあげるねっ!!」

あくまでも「さゆみ」を装い、里保を捕まえ縊り殺そうとする「金鴉」。
だがそれはもう、通用しない。

432名無しリゾナント:2016/04/16(土) 19:20:05
すれ違いざまに、二度、三度。
里保の放った剣戟は、「さゆみ」の体を切り刻んでいた。

「ぐっ!て!てめえ!!」
「無駄だ。その小細工は、うちには通用しない」

膝をついた「金鴉」は、ついに「さゆみ」の形を保てなくなる。
再び肌が煮立ち、顔が崩れ、崩壊の兆しが顕となった。

余計なことしやがって。
「金鴉」は「煙鏡」の奸計に乗ったことを後悔した。あの「緋の眼をした魔王」と再戦できるというから、
敢えてくだらない策を受け入れたというのに。
そのような意志を込めた視線を送るも、相手は素知らぬ顔で空に浮かぶだけだった。

「…ま、いいや。お前さえぶっ潰せば、全部終わる…」

気持ちを切り替え、改めて里保に目を向ける。
問題ない。こんな奴に、負けるわけがない。何故なら自分は、ダークネスの幹部。
「失敗作」などでは、決してないのだから。

「金鴉」に残された時間は、そう多くない。
早く「煙鏡」に処置を受けなければ。だがしかし、時間がないのは里保も同じ。
激戦のダメージは、徐々に限界へと近づいていた。
恐らく、次の段階はない。互いが、この戦いに決着をつけようとしていた。

433名無しリゾナント:2016/04/16(土) 19:24:39
>>427-432
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

そんなこと鞘師はしない的なリゾナント元は「旅立ちの挨拶」であって
決して「りほりほこわい」ではありませんw

434名無しリゾナント:2016/04/18(月) 03:04:08
 昨夜、モモコの熱心なとりなしで、険悪になっている
 ロックとリルカが話し合った。
 昔のような物語だけど売り出す会社に、仲の良い家族に戻ろうと。
 だがリルカに自らの経営手腕のなさから、弱さと愚かさを指摘された。
 ため息交じりの『いい加減に夢から醒めなさい』という一言。
 その一言で、ロックは逆上し拳を振り上げた。

 「しかし、拳をどうすることもできずにいるあなたに、リルカさんは
  静かにため息を吐いた。これが最後の引き金になったんですよね。
  あなたはリルカさんを突き飛ばして逃げた。
  モモコさんは雨の町中であなたを追いました。
  そのあとは警察の検死どおり、起き上がったリルカさんが書類棚に
  手をついた時に花瓶が頭に落ちて、倒れた拍子に頭を打って亡くなった」

残酷な事実を告げ、飯窪は心理を解剖していく。

 「モモコさんに説得された貴方は戻ってくると、二人で死体を発見。
  自分が殺したんだと勘違いして耐え切れなくなったあなたは
  逃げ場所を捜したんです。でも、会社にも家庭にもなかった。
  その瞬間、閃いたんですよね。
  唯一逃げられる場所が、貴方が愛した物語だという事に」

そうする事でしか自我の崩壊を押しとどめられなかった。

435名無しリゾナント:2016/04/18(月) 03:05:05
 「映画の中に居る鮎川夢子さんを演じるために自分が設定付けた
  シナリオと、誰かが必要だった。
  噂で聞いた自分と同じ正義の味方を語る誰かが。
  私達のお店を知ったのは単なる偶然ですか?」
 「……」
 「私、三番目のテーブルの窓際に座っているのを見かけた事があるんです。
  何度かお話もしたと思うんですが、覚えてますか?」
 「……」
 「漫画の話や映画の話、俳優さんや女優さんのことなども」
 「……」
 「私の人探しというのは、そのまま貴方自身を取り戻させるため。
  モモコさんや渋川さん達が話す自己像でロックさん自身を
  受け入れさせるためのものだったんです」

声が暗転する。

 「けれど、貴方は最後まで受け入れなかった。
  それを、貴方の息子さんが台無しにしてしまったんです。
  どうして教えてしまったんですか!?
  ロックさんを夢から引き戻す必要なんてなかったはずです!」

リルカが亡くなった以上、仲直りはできない。
リルカの力だけで成長した会社は、彼女の死によって衰退するか
崩壊していくのだろう。
息子たちは今まで以上に愛想を尽かしてしまうのも目に見えている。

436名無しリゾナント:2016/04/18(月) 03:05:28
ロック・オーケンの余生を満たすのはもう幻想しかないのだ。
鮎川夢子として居てくれたなら、その精神のままで安寧の心を
維持させることだって出来たのだ。
自分達はそうする事が出来る存在なのだから。

この世には醒めない方がいい夢もある。
 どんな悲惨な悪夢であっても、最悪の現実より酷い事はない。

だがロメロは毒蛇のようにクツクツと嗤った。

 「こいつだけ幸せな夢のなかにいるなんて許す訳ないだろ」

男の目には断崖絶壁の上にいる道化の幸福を指摘する悪意。
それ以上の激しい憎悪に満ちている。

 「母さんは弱いこいつに苦しんでいた。
  夢物語に没頭してまったく頼りにならないこいつに代わって
  会社を、家族を一人で支えたんだ。
  最後は過労からの事故死だって?過労になるまで追い込まれたのは
  こいつの、父さんのせいだ。
  元凶の男が一人だけ安楽な夢に逃げ込むなんて許されない!」

それは残酷なまでに、正しかった。
だが、それでは人は生きていられない。
弱い人間に過酷な現実だけを見つめろというのは、死を直視しろと
言っているのと同じことなのだ。
雨に打たれて、ロメロが哄笑をあげていた。

437名無しリゾナント:2016/04/18(月) 03:06:00
 「全部終わりだよ。兄さん達もモモコも見えていないんだ。
  全てを支えていた母が死んだ時点で会社も家も終わったんだ」

雨の紗幕が音の全てを消し去っていく。

 「………そうか」

女装した男の唇から、感情の断片が零れ落ちた。
雨に濡れてカツラが落下し、顔を上げる。
化粧が溶けて斑となり痩せ細った顔。
小さな瞳には、理性の光が灯っていた。

 「……僕は鮎川夢子ではなく、ロック・オーケンだったんだな」

それはまさに、完全なる自分を取り戻した彼の言葉。

 「僕は弱くて愚かで間抜けた男、僕自身であることが許せなかった」

全てを理解した顔に責めるように雨が降りしきる。
男は責め苦を受け入れる様に、両手を広げた。
両手で断罪の夜の雨を受け止める。

 「僕はこれからどうしたらいいんだろう。
  夢から醒めて哀れな男に戻った僕はどうすればいい?」

だれか ねえねえ だれか

438名無しリゾナント:2016/04/18(月) 03:06:30
夜の雨の底で、飯窪は何も言えずに無言で立っていた。
自分を守る傘を彼に差しだすことが出来ない。
ロメロが降りしきる雨よりも冷たい笑みを浮かべていた。
飯窪は奥歯を噛みしめて、結末を見届けた。

携帯端末を取り出し、依頼主を呼び出す。

 「ロックさんが正気を取り戻しました」
 「え?」
 「今から保護して頂けないでしょうか」
 「……という事は、父を見つけてしまったのですか?」
 「はい、お父様は生きておられました」

モモコが迷った声を出す。

 「困ったわね。会社と家督相続の資金捻出や会社のことで
  兄さん達ともめているし、子供の養育や離婚訴訟のことが
  あるので私の家ではとても……」

通信を切った。
携帯を戻すと、雨はロックとロメロに降り注ぐ。
同じように打たれながら、飯窪は雨に濡れる親子を眺めていた。
天から降る雨に、ただ自分だけを守って。

439名無しリゾナント:2016/04/18(月) 03:09:05
>>434-438
『雨ノ名前-rain story-』以上です。

次回で最終投下、後日談となります。
オリジナルキャラとして確立されそうだった時には思わず言いそうに
なってしまったんですが、こういう結果になって良い裏切り方ができたんじゃないかと。
ありがとうございました。

440名無しリゾナント:2016/04/19(火) 02:42:24
飯窪は見た事がある風景を見ていた。
自分があの会社と邸宅の前を歩いていることに気付き、足を止める。

 「飯窪さん?どうしました?」

小田さくらが隣に歩いていたはずの人影に声を掛ける。
だが飯窪は「うん」と曖昧な返事をしたまま顔を上げた。

建物の前には、売家の札が立っていた。
会社のほうはすでに別の人間が買収したらしく、ビルの入り口に
掲げられた社名は変更されていた。
一抹の寂しさとともに、再び歩き出した。
こればかりは慣れない。
慣れてはいけない。

異能者として強くなったとしても、人間としてはまたひとつの
欠片を失っていくのだから。

途中で歩道の人影とすれ違う。
一目で分かったのは、車椅子に座ったロック。
そして背後から押している人物、ロメロだった。
ロックは痛切な感情を込めた横顔で建物を見つめている。
ロメロの顔が動き、振り向く飯窪に気付いた。

唇の端を歪め、ロメロは例の皮肉な笑みを見せてくる。
全てを失った父を引き取ったのは、厳しい現実を突き付けたロメロだった。
意外な結末に、飯窪は複雑な感慨を抱く。

441名無しリゾナント:2016/04/19(火) 02:43:10
ロメロは車椅子を回転させる。
背中を向けて、父の車椅子を押しはじめた。
去っていく男の背中を見送ると、ロックが何かを語りかけ、ロメロが
鼻先で笑う光景が見えた。
耳を澄ませば、二人の会話が遠く聞こえる。


 「あんたの好きな夢物語は甘すぎるよ、これからは現実に
  則った話が売れるんだぜ」
 「何を言うんだ、物語は夢を語ってこそ物語なのさ」
 「寝ぼけてんじゃねえよ。
俺がおまえの夢を終わらせたから、今の再出発を始められたんだぞ」
「だから、全てを含めて今が夢の始まりなのさ。
いつの時代も、そういう苦難からの再生が物語の基本なんだ」
「再生すればいいけど、そう都合よくいくのか?」
「するしかないのさ」

飯窪は前に向き直り、工藤の元へと歩き出す。

「ねえ小田ちゃん、小田ちゃんはさ、物語好き?」
「物語?漫画や小説はたまに読みますが」
「私も好き。だって物語は救いなんだから」
「救い?」
「助けてくれる人が居て良かったよね、私達」
「…話が見えないんですが。あ、ちょ、飯窪さんっ?」

飯窪が唐突に走りだした事で、小田が叫ぶ。
だが数歩進んだところでバランスを崩した。
両手に持っていた荷物が揺れて体勢を保てなかったのだ。
「危ないですよー」と小田が手を差し伸べてくる。

442名無しリゾナント:2016/04/19(火) 02:44:25
「ちょっと二人―!そんな所でなにやってんの!?」

遠くの方からこちらに叫ぶ声があった。
前方に居た石田が手を振っている、片手には袋を持って。

「もう皆待ってるんだから。文句の電話がこないうちに帰るよ!」
「飯窪さんがこけちゃったんですよ、石田さんも手伝って」
「はあー?なにやってんのよもーっ」

文句を言いながらも戻ってくる石田に、飯窪は恥ずかしそうに笑った。
乾いた夏の風が吹き込んでくる。
まるで自身を取り戻したかのように、真上の雲が晴れていく。

久しぶりの蒼い日射しは夢のように綺麗だった。

443名無しリゾナント:2016/04/19(火) 02:50:14
>>440-442
『雨ノ名前-rain story-』これで終わります。
タイトルに関しては完全に比喩です。
こんな作品に付き合ってくださりありがとうございました。再び潜ります。

444名無しリゾナント:2016/04/29(金) 00:37:15
120話立てたけど眠いしレス消費で鞘石でもと思ったけど連投エラーで規制食らいました…w
見たいって言う人も居たけど貼れ無くてごめんなさい
いつまで規制なんだかもちょっと不明なので良かったら以下を転載よろー

って事でネタが古いけどレス消費のためやむなく投下
リゾスレ要素皆無・カプ要素有なので苦手な人はスルーしてくだされ


この前物販撮影をしてる時に亜佑美ちゃんの撮影を見てたんですね。
そしたら、初めて人の生写真を買いたい!って思ったんですよ。
自分の中で衝撃が起こったっていうか、何かが目覚めた気がしました。
タイプだったんだと思います―――

最近、亜佑美ちゃんと℃-uteさんをはじめとした先輩方との仲が良い。
どうも原因は、私達中学生メンバーは未だ参加できていない農作業系TV番組・SATOYAMAライフにて、
一見すると中学生位なのに、実際は高校生のお姉さんである亜佑美ちゃんの参加率が非常に高いってのがありそうだ。


同じ10期は仕方ないとしても。私と同期のフクちゃんだったり、香音ちゃんだったり、…道重先輩だったり、
私も尊敬してる鈴木愛理先輩だったり、光井先輩だったり。その他にも一杯。
ハロコンに向けて私自身も事務所の先輩達と過ごす時間が大幅に増え、
相対的にモーニング娘。としての仕事現場以外で一緒に過ごす時間はどんどん減っていった。

新人が先輩方と仲良くする事、それ自体はとても良い事だってのは分かっている。
分かっているのだけれど、複雑な乙女心が渦巻いて嫉妬と欲望に囚われる。

445名無しリゾナント:2016/04/29(金) 00:38:21
「それでですね、鈴木さんが…あ、愛理先輩の方なんですけど」
「譜久村さんって何だか一緒に居ると落ち着きますよね」
「光井さんに譜久村さんとこの間遊びに連れて行って貰って」
「矢島さんって背も高いしとっても優しいのに天然なところもあって」
「この間まーちゃんと須藤さんと菅谷さんと一緒の企画だったんですけど」
「はるなんが主に新しいネタ考えてくるんです。今日のは深海魚とか言ってて」

SATOYAMAでの先輩達との体験やら、
外で遊んだ時やレッスンの事とかも逐一報告混じりに話してくれるのはとても嬉しい。
後輩達が自分も尊敬している先輩達や同期達と仲が良いというのは喜ばしい事だ。
それに亜佑美ちゃんは後輩だけど年上だし、学校も違う。
大好きだけど同い年なフクちゃんとかちょっとズルイって思ってしまう。

それぞれに任せられる仕事の区分が違う時も多いという事も分かっている。
私としてはレッスンやお仕事で会う度に、亜佑美ちゃんの口からその様子が知れるのはとても嬉しい。
先輩達の素敵な部分を語る明るい亜佑美ちゃんも含めて微笑ましいし、
他人の良い面を見つけられるその姿に、負けず嫌いだけどそれを含めて素直で可愛いなって思う。
けれど、も・・・・

その口唇からは次々と私以外の名前ばかり出てくるのが何だか少しだけ面白くなかった。

「でも、どうせなら鞘師さんと一緒にダンス企画がやりたかったですよね〜…なんちゃって」
「ああー」
「って聞いてます?」
「うん」
「生田さんも心配してましたよ?鞘師さんが何だか最近特に上の空だって」
「そっかぁ」
「…鞘師さん、今何考えてるんですか」
「うん」
「私の事でも考えてるんですか…なーんて」
「そう」
「……じゃあこっち見て下さいよ」
「あー」

亜佑美ちゃんから発せられるのは、今日も相変わらず先輩達の話題ばかりだった。
最初は新曲の確認を口実に一緒に振りや歌の練習をしていたのだけれど、それも一通り済んでの帰り際。
優しくされてるというのは良いんだ。でも同時に先輩方にも優しく接してるんだろうなと勝手に嫉妬をしてしまう。

446名無しリゾナント:2016/04/29(金) 00:39:08
いや、もしかしたらとグルグル考え込んでいる内に、それ以外の話題も喋っていたかもしれない。
でも一生懸命話してる亜佑美ちゃんは可愛いなぁ等とどこか上の空で微笑みながらも、
今の私はただ次から次へと聞こえてくる話題に適当な相槌を打つのが精一杯だった。

暫らくして「へぇ」とか「そう…」と、生返事しか返さない私に業を煮やしたのか、
顔を覗き込みながら「鞘師さん、何か怒ってるんですか?」と尋ねられて、ハッと我に返った。
本人は全く意識していないだろうが、私にとっては戸惑う程に魅力的な上目遣いでつい視線を逸らしてしまった。

・・・あれ?なんで亜佑美ちゃんが泣きそうな顔してたの?

「いや、別に怒ってないよ?何で?」
慌てて手と首を振りながら全力で否定した。顔は引きつっていたかもしれない。
「ウソだ。絶対嘘だ。絶対機嫌悪いです。どうしたんです?私何か気に触るような事しました?」
「違うよ、何も。何もしてないよ」
と言うより何もないから色々考えていた、とは言えなかった。
「じゃあ、どうして。上の空だし明らかに私の話聴いてくれないし、その上さっきから何で一回も私の顔を見ないんですか、鞘師さん」
「………それ、は」
しまった。いつも通りの優しさに甘えて、ボーっとしてしまった上に困らせるどころか怒らせてしまったかもしれない。
そもそも言えるわけがないのだ。
あなたと私以外のメンバーとの仲に実は嫉妬しています、なんて子供じみた独占欲。
重苦しい沈黙が部屋を包む。
黙ったまま口を開こうとしない私に愛想を尽かしたのか、
「私には………言えないんですか」と言って立ち上がった。

「あっ………」
嫌われた?亜佑美ちゃんに?
いやだ。それだけはいやだ。
いや。嫌いにならないで。どこかに行かないで。


喉が渇く、息が苦しい。なんだこれ。こんなのしらない。こんなのいやだ。

447名無しリゾナント:2016/04/29(金) 00:39:59
「何ですか?…私と居ても面白くないんでしょう?」
気づくと、亜佑美ちゃんの腕を咄嗟に掴んでいた。この位置からでは亜佑美ちゃんの顔が見えない。
いつも通り明るい亜佑美ちゃんの声。
それなのに冷たく、どこか突き放すような言葉に聞こえて胸に突き刺さる。
「――やっぱり、私には何も言ってくれないんですね」
「……や」
「や?」

「いや。行かないで」
「…答えになって無いですよ」
都合が良すぎることは、自分でも分かっている。
これじゃ呆れられても文句は言えない。
でも。

「でも、いやなの。行かないで…!」
「鞘師さん、だから」
「嫌だ!」

静かな部屋に私の声が響く。


「……ごめんなさい。さっきの態度は私が悪かったです。言う通り上の空だったし、謝るから。
自分でも、都合の良いこと言ってるのは分かってる。…でも、嫌いにならないで。
お願いだから、一人にしないで。私から、いなくならないでっ……!ご、めんなさっ…ぃ」
心からの叫びだったのか、最後の方は喉が渇いて上手く声にならなかった。

亜佑美ちゃんの顔を、見ることはできなかった。リアクションも出来ない位驚いてるんだろうってのは分かった。
自分でもめちゃくちゃなことを言ってしまったのはわかる。
これでは、ただの駄々っ子。
勝手に嫉妬して、困らせて、勝手に不安になって、泣いて相手の気を引いて。
最低だこんなの。


なんとか呼吸をして、「ごめん、忘れて」と同時に掴んでしまった手を離し、壁際に身体を沈めた。
こんな自分に彼女を、年上の後輩を縛りつけてはいけないのだ。
目の前が暗くなるのを感じる。こんな薄汚れた感情は晒してはいけない。知られてはいけなかったのに。
どうしようもない程気分が落ち込むと、目の前が暗くなると言うけれど、そうか本当に暗くなるのか、と
渇いた心で考えていると、ぎゅっと抱きしめられた。気付いたら好きになってしまった亜佑美ちゃんの匂いがした。

448名無しリゾナント:2016/04/29(金) 00:40:30
「ごめんなさい、鞘師さん。気付かなくて。寂しかったんですね」
そう言って小さな子をあやすように、ぽんぽんと背中を優しく撫でられた。
なぜ彼女はこんなにも優しいのだろうか。私がメンバーだから?私が先輩だから?私が子供だから優しいのだろうか。
こんなに私はわがままなのに。好きな事以外には言葉足らずだし寝てばっかりだし、面倒くさいやつと思われても仕方ないのに。
「…ごめん。もう良いから。私のことは放っておいて、構わないから、行って…良いよ」
私なんかに、彼女は勿体ない。

「そうは言いますけど、鞘師さん。私の服、掴んだまま離してないですよ?」
確かに、見るとレースで縁取られたブラウスの裾を私の手ががっちり掴んでいた。
「あっ、これは、その…」
鼻を啜りながら服の裾を掴んで駄々をこねるなんて、本当に幼い子どものようだ。

その事実に気が付いて自分が恥ずかしく思える。
一体どうしてしまったんだ、私は。

「・・・どうしちゃったんですかって訊くのは簡単ですけど、話したくなるまで待ってますから」
そうして暫らく亜佑美ちゃんに撫でられていたらさっきの薄汚れた感情はだいぶ薄まっていった。
不思議だった。フクちゃんにこの気持ちを教えられた時、これからは隠し通さなきゃいけないって決めた時。
あの日、今と同じ様に慰めてくれた時にはこんなに薄まる事はなかったのに。

「………私は笑ってる鞘師さんの方が好きですよ?」
「ふぇっ!?」
笑いながらよしよしと頭を撫でられる。これじゃどっちが先輩なんだか分からない。
慰めてくれてるだけなのだろうけど、ふいに好きという単語を告げられてどうしたらいいか分からなくなってしまった。

意味なんて無い。
あったとしてもこれは親愛という意味での好きに決まっている。
私のような下心の好きではない。

「踊ってる鞘師さんも歌ってる鞘師さんも好きです」
「え、あ…」
「仕事に真面目な鞘師さんも、照れ屋だけど面白くて、ちょっと不器用な鞘師さんも好きです」
「あ、ありがとう」
亜佑美ちゃんの話し方があまりにもいつも通り過ぎて真意が掴めないけど、どうやら嫌われてないという事はよーく解った。

449名無しリゾナント:2016/04/29(金) 00:41:27
「それと、ですねっ」
「う、うん」
ふいに亜佑美ちゃんがニヤニヤしだした。こういう時はあまり良い予感がしない。
これが巷で話題のだーいし感というやつか。
「意外とお子様な鞘師さんも嫌いじゃないですよ」
「……あー」
「いやー、可愛かったですよぉ」
先程醜態を晒した身としては何にも言い返せなかった。
というより、立て続けに好きだの可愛いだの繰り返されて頭が沸騰しそうだ。


「鞘師さんは?」
「ん?」
「鞘師さんは今…何考えてるんですか?」
まただ、亜佑美ちゃんの今にも泣きそうな顔。ウチはそんな顔させたい訳じゃなかったのに。
そう思ったら自然と口が動いていた。
「…亜佑美ちゃんを泣かせたくないから言えん」
「そう簡単に泣きませんよ」
「嘘じゃ、泣き虫のくせに…」
「ふふっ…大丈夫です今日は泣きませんから」
なんか年上の余裕を醸し出してるみたいだけど、ドヤ顔にしか見えない。
笑った顔の唇も弾力があって美味しそうじゃなって無意識に思ってしまったのはいつからだったか。

「亜佑美ちゃんの唇が可愛い」
「またそういう…」
「事故じゃないチューしたい位」
「へ!?」
あ、今度は亜佑美ちゃんが真っ赤になってる。って唇を手で隠されてしまった。
この前の事思い出したのかな?あの時も真っ赤になってたっけ…フクちゃんに見られてたってのもあるけど。

「そ、そっ、そういう事はですね、あの、えっとす、好きな人とするものですし…」
消え入りそうな声で私は良いですけどって言うのがとても可愛くて、唇を隠した小さな手にそっと自分の手を重ねた。
「好きじゃよ」
「うあ…」
「唇だけじゃなくて、タイプって言うか亜佑美ちゃんが好き」
そこまで言うと、隠してた手の力がふわりと抜けていった。
「嘘じゃないですよね……もう一回、言って下さい」
「チューしたい」
「もう!そっちじゃなくて!」
「好きじゃよ」
言いながら重ねた手をゆっくり下ろした。
真っ赤になったほっぺと泣きそうな瞳とぷるっぷるの唇がもうウチを誘ってるようにしか見えなかった。

450名無しリゾナント:2016/04/29(金) 00:42:01
「ごめんなさい・・・鞘師さんの気持ち知ってたんですよ実は」
「はっ?」
OKなのかと思って近づこうとしたらごめんなさいってちょっと!!
バレバレだったのか!いやまあ唇唇言ってたのは否定できないけど。
「あの、ですね。私、譜久村さんに、相談に乗って貰ってて」
「・・・フクちゃん?」
あれ?私もフクちゃんに相談してて、って。えっ!?亜佑美ちゃんも?
「譜久村さんが、鞘師さんはバレバレだけど隠し通すつもりで居るから難しいかもよって言われて、それで」
「・・・・う」
「で、荒療治だけど嫉妬させてみたらって……ごめんなさい」
「うわー……めっちゃ恥ずかしい」
「でもちゃんと言ってくれて嬉しかったです」

「…亜佑美ちゃんは?」
「え?言いましたよね散々」
「えーーー…そうだけどさぁ」
「ふふふっ」
「わっ」
笑いながらスッと顔を近づけられた。このパターンは予測してなかった。
あれ?私から行きたかったのにと思った時には亜佑美ちゃんが近過ぎて慌てて目を瞑ってしまった。

「…私も好きです、鞘師さん」
名残惜しそうに離れた愛しい唇から待ち望んだ声が聞えたのは暫く経ってからだった。

451名無しリゾナント:2016/04/29(金) 00:48:44
以上でーす。古いネタ過ぎるスレ汚しでゴメンちゃいまりあ
連投し過ぎてエラー暫らく寝てろを喰らいましたし…大人しくしときますw
後は頼みますホゼナンターの皆様。・゚・(ノД`)・゚・。

452名無しリゾナント:2016/04/29(金) 22:27:27
>>427-432 の続きです



里沙が不退転の決意を固めてから、程なくして。
転機は、訪れる。
何もないはずの白の空間に、人の姿を見たからだ。
ただ、それは里沙が思い望む人物ではなかった。

静けさを表すかのような黒さを湛えた、ショートボブ。
そのふくよかな頬は幼さを感じさせるのに、瞳の色は妙に落ち着いていていた。
里沙は目の前の「少女」を、知っていた。
会ったことがあるわけではない。けれど、すぐに理解できた。
この人が、いつも安倍さんから聞かされていたあの人なのだと。

「もしかして、福田…さん?」

少女は答えない。
ただ、その場に立っている。
まるで、何かを守るために里沙に立ちはだかるように。
だが、里沙は確信した。彼女が、なつみがいつも話していた「福ちゃん」であることを。
そして。

「明日香」は、予備動作すら見せることなく。
何かを展開させ、そして里沙目がけ打ち放つ。その動き、そしてその軌跡。
里沙のよく知っている、ある得物。

「まさか、ピアノ線!?」

なつみから、福田明日香は精神操作のスペシャリスト、という話は聞いていた。
けれど、まさか自分と同じような戦い方をするなんて。
「明日香」の放ったそれをやっとの思いで回避し、態勢を立て直そうとする里沙は、思わず己の目を疑う

453名無しリゾナント:2016/04/29(金) 22:29:27
「違う…これは。福田さんの精神エネルギー、そのもの」

「明日香」が、里沙が使うピアノ線を扱うように。
自分の精神エネルギーを線状にして飛ばし、そして操っていた。
これはピアノ線という物体を媒介して精神の触手を伸ばすよりも何倍も効率がよく、そして効果的。

里沙も負けじと、自分の得物であるピアノ線を展開させた。
しかし、こちらがあくまでも物理的な制限によってその本数に限界があるのとは違い、相手のそれはあくまでも形のない精神エネ
ルギー。例えではなく、無数の条を編み出せる。

圧倒的な物量の差。
里沙はあえなく、「明日香」の操る精神の糸に絡め取られてしまった。

「く…これが…オリメン…の実力…」

かつては里沙も所属していた「ダークネス」。
その大元となった組織を作ったのはたった五人のメンバーだったと言う。

中澤裕子。
安倍なつみ。
飯田圭織。
石黒彩。
福田明日香。

彼女たちのことを、組織の構成員たちは敬意を表しオリジナルメンバー、「オリメン」と呼んでいた。彼女たちのすぐ後に組織に
入った「詐術師」こと矢口真里は時に自らのことを「オリメン」と嘯いたが、彼女程度では到底届かない高みがその称号にはあっ
たと言っても過言では無かった。

454名無しリゾナント:2016/04/29(金) 22:32:10
その称号に恥じない実力が今、形となって里沙を締め付け、そして縛り上げる。
精神の糸は容赦なく里沙の心を縛り、引き千切ろうとしていた。
それでも。

「こんなところで…あたしは…安倍さんを…安倍さんを助けるんだ!!」

強い意志が、叫び声となって放たれたのと。

「…もういいよ、『福ちゃん』」

柔らかな、春の日差しのような声が響くのは、同時だった。

精神の触手が、一斉に引き上げられる。
それとともに、「明日香」は掠れるように実体を失い、そして消えていった。
「明日香」と入れ替わるように。声の主は姿を現す。

白い世界に溶け込むような、白のワンピース。
その人の周りにだけ、さきほどの声と同じような、暖かな光が溢れているような雰囲気。

「『福ちゃん』がなっちの、『ガーディアン』だったんだねえ。こうなるまで、知らなかった」

「ガーディアン」。
高次能力者の精神世界において具現化されるという、世界の主を守護する存在。
かつて里沙がダークネスに所属していた時。上司の「鋼脚」の力を借りてとある能力者の精神世界に侵入した際に、中枢にて行く
手を阻んだのが、まさしく「ガーディアン」であった。ということは。ここは、精神世界の中枢であり。
目の前にいる人物は。呼吸が、意図せずに矢継ぎ早になってゆく。

栗色の、肩にかかるかかからないかの髪。
屈託のない笑顔。すべてが、里沙のよく知る彼女のままだった。

455名無しリゾナント:2016/04/29(金) 22:51:01
「待ってたよ、ガキさん」

ずっと、ずっと聞きたかった声。
そしてずっと、会いたかった。
深々と雪が降り積もる、聖夜の惨劇。あの悪夢のような事件を経てなお。いや、より一層。
多くの仲間が傷つき、リゾナントを去ることになってしまったにも関わらず。
心は、ずっと彼女を求めていた。

「あ、安倍…さん…」

今、目の前にいるなつみが現実なのか幻なのか。
それ以前に、今自分がどこにいるのかすらわからない。
それほど里沙の心は、激しく揺れていた。感情が、溢れそうになるのをただ堪えることしかできずにいた。

なつみが、里沙の目の前までやってくる。
そして、小さな体を、両手を思い切り広げて。
里沙を、抱きしめた。

「今までよく、がんばったね。なっち、ずっと見てたよ」
「そ、そんなことされたら…もう…なんでこう…」

普段は涙なんて、絶対に誰にも見せないのに。
どうしてこう、精神世界というものは自分の魂を剥きだしにしてしまうのだろう。
かつて親友の心の中で、堰を切ってしまった時と同じく。

里沙は、声を上げて泣いた。
まるで、なつみにあやされるのを求めるかのように。

456名無しリゾナント:2016/04/29(金) 22:58:05


どれほどの時が経っただろうか。
精神世界は現実の世界とは時の流れを異なものにする。
ただ、それほど悠長なことを言っている場合でもない。
里沙はようやく己の感情を収め、それからなつみと今一度、向き合った。

「安倍さん…これまでの経緯を説明していただけると、助かります」

里沙がここまでの危険を冒してなつみの精神世界にダイブした理由。
それは、なつみを救うために他ならない。ゆえに暴走とも言うべき今のなつみの状況を把握しておくことは、絶対不可欠であった。

なつみは、ゆっくりと、今まで自らの身に起こったことを語り出す。

ダークネスのやり方に異を唱え、自らの力を組織のために使うことを拒否したなつみを待っていたのは。
Dr.マルシェこと紺野あさ美の主導する「薬物による別人格の抽出」、そのための人体実験だった。
薬の強制的な投与により、日増しに自らの「闇」が深くなってゆくのを恐れたなつみは、ついにダークネスの居城を抜け出し里沙に
会うことを決意した。
しかし、その脱走劇さえも紺野の計画のうち。まんまと罠に嵌ったなつみは、喫茶リゾナントにおいて「聖夜の惨劇」を引き起こす。
紺野による野外実験の結果、なつみは表人格の面と破壊の権化とも言うべき別側面という、まるで異なる性質を不規則に繰り返す
ようになった。そうしたなつみの危険性を鑑み建設されたのが、「天使の檻」と名付けられたなつみのためだけに作られた隔離施設
だった。

ところが。
なつみの表の人格と、破滅的な力を振るう虚無の人格を融合させようと、警察機構の対能力者部隊の責任者であるつんくが動き
出す。かつてダークネスの科学部門の統括であった彼にとって、「天使の檻」のセキュリティはほぼ無力。まんまとなつみと接触し、
そして彼の開発した薬を強制的に服用させた。

「でもね。そんなつんくさんでも、読めないことがあった」

457名無しリゾナント:2016/04/29(金) 23:05:14
紺野は。
つんくが機を窺いそのような行動に出ることを予測していた。
そして最後の砦として、なつみに「本当の最後の切り札」を仕掛けたのだ。
つまり。何者かがなつみの人格に関わるような薬理的作用を施した時。虚無の人格がなつみのすべてを支配し、表人格を完全に隔離
してしまうという罠。
つんくはその罠にかかり、そして命を落とした。

「…つんくさんが」
「ガキさんも知っての通り、つんくさんは裕ちゃんが率いる組織の表も裏も知り尽くした人だけど。あの人にはそのこと以上の、罪
があったの」

現状を引き起こす最後の引き金を引いたのは、つんく。
そのことが、里沙に大きな衝撃をもたらしていた。
確かに、ダークネスの前身組織の礎を築き、そしてリゾナンター立ち上げにも関わっていたということは里沙も知っていた。また、
組織在籍時にはあまり聞こえのよくない実験もしていたということも、ダークネスの諜報機関に所属していたが故に把握していた。
つまり、現在の警察組織における能力者部隊を率いる正義の味方、などという人物ではないことを十分に理解してはいた。いたのだが。

「つんくさんの罪…って…」
「つんくさんは。能力者の卵をスカウトすると称して、幼い子供たちを警察とダークネス双方に引き渡していた。ガキさんは知って
るかわからないけど、数年前に矢口…『詐術師』がその子供たちを組織から掠め取った事件も、つんくさんが噛んでるはず」
「そんな!!」

里沙が感情を乱すのも当然の話。
以前リゾナンターを急襲した「ベリーズ」や「キュート」といった能力者集団は、元はと言えばつんくが各地から集めてきた子供た
ちだった。さらに、警察内の対能力者部隊を形成している「エッグ」もまた、つんくがスカウトしてきたという。とすれば、つんく
は自らが集めてきた人材を対立する集団同士に供給してきたと言うのか。

458名無しリゾナント:2016/04/29(金) 23:07:15
「だいたいそんなこと、何の目的で…!!」
「普通に考えれば、両者から利益を得るため。なんだろうけど、つんくさんの性格からしたらそれも違うと思う。あの人が何を目的
としてそんなことをしたのかはわからない。けど…」

言うか、言わないでおくべきか。
そんな風にも取れる表情を見せた後に、なつみは。

「つんくさんは、なっちに使った薬のプロトタイプを…リゾナンターの誰かに試していたのかもしれない」
「!!」

まさか、つんくがそこまでやる人間だったとは。
それに、一体誰をそのような薬のモルモットにしたというのか。
いや、一人だけ思い当たる人物がいる。なつみと同じように、自分の中にもう一人の人格を内包している人間を。

「まさか!さゆみんが!?」
「たぶん。ほんとにごめんね。なっちのせいで…」
「いや!そうじゃないです!!」
「いいんだよ」

なつみはそう言ったきり、俯いてしまう。
だが、里沙には伝わる。なつみの精神世界に足を踏み入れた里沙には、はっきりとなつみの声が聞こえる。

― なっちが、みんなを傷つけた事実は…変わらないから ―

「でも!それはあさ美ちゃんが!つんくさんが!!」

里沙はなつみの言葉を、必死に否定する。
確かに「銀翼の天使」は、あの日あの時に里沙の仲間たちを無残にも蹂躙した。結果、絵里はいつ目覚めるともわからない昏睡に落ち、
小春や愛佳は能力を失い、そしてリンリンとジュンジュンは祖国へ帰ることになってしまった。
「天使の檻」で起こった出来事に関しても、また然りだ。
それでも、そのことはなつみが意図してやったものではない。つんくと紺野という二人のマッドサイエンティストの思惑の果てに起こ
ってしまった不幸な事故だったのだ。

459名無しリゾナント:2016/04/29(金) 23:10:26
「なっちの中にいるもう一人のなっちはね。きっと自分を取り巻いているすべての人やものが嫌になって、『ホワイトスノー』を生
み出したんだと思う。その気持ちは、わからなくもないかな。だって、あの子となっちは、おんなじ根っこだからさ。けど、それは
間違いだった」
「そんな…何を…」
「本当に消さなきゃいけないのは。なっち自身だったんだよね」
「やめてください、そんな、嫌だ」

さびしそうに微笑むその表情。声のトーン。
里沙は狼狽え、頭を振り、懇願する。そんな、馬鹿げたことは。
何故、なつみが消える必要があると言うのか。

「なっちは…ずっと昔に、親友だった子。『福ちゃん』の能力を、この手で奪ってしまった。しょうがなかった。そうするしかなか
った。正当化すればするほど心が苦しくなって。だから、決めたんだ。『やれないことは、なにもしない』って」

なつみの言葉で、里沙は組織にいた時に彼女の時折見せる儚げな笑顔の意味をようやく知る。
なつみはいつだって、組織の動向に対し消極的だった。異を唱える時も、あくまでも自分の意見は出すこともなく。それは、今彼女
の言ったことが大きく影響していたのだろう。

「でもね。そうじゃなかったんだよ。なっちが『やるべきことを、なにもしない』せいで、より多くの人を傷つけた。より多くの人
の命が奪われたのかもしれない。今…こういうことになって、それがやっとわかったんだよ」
「安倍さん…」
「きっと、なっちが存在してる限り。紺野が。悪意ある人たちが。なっちを利用して、そしてもっと多くの人たちが苦しむことになる」
「そんな、そんなことないです!あたしが!安倍さんと力を合わせればきっと!!」

460名無しリゾナント:2016/04/29(金) 23:14:19
薄汚い、卑しい力と卑下されてきた、精神干渉の力。
しかしそれと同時に、里沙の力は今まで多くの人々を救ってきてもいた。
ハイジャックにより墜落しかけた機内では、偶然乗り合わせていた芸人を介して乗客の心を繋ぐことができた。
難病の子を抱えた母親の悲しき未来を、彼女の心に入り解きほぐすことで変えることができた。
そんな積み重ねや、仲間たちの支えが、やがて里沙自身の考えを変えてゆく。
この力は、人を救う道しるべにすることができる能力でもある。

だから、今は。
強い想いが、里沙の手をなつみへと差し伸べさせる。
しかし。

手に取ったはずのなつみの手は。
砂糖菓子のように儚く、脆く砕けてゆく。

「ガキさんの気持ちは、凄くうれしいんだ。けど。この世界を覆う『白い闇』はもう、なっちのことを蝕んでる」
「嘘だ!そんなことない!安倍さんは!安倍さんはあたしが助けるって!決めたのに!!」

受け入れられない。
認めることができない。
強く、叫ぶ。未来が、変えられるように。
けれど、あの日見た景色と同じ。
白く染められた空から、ふわり、ふわりと「雪」が降り始める。

「なっちね、もう決めたんだ。これ以上、誰のことも傷つけないって。もちろん、ガキさんのことも」
「あたしはどうでもいいんです!安倍さんが!安倍さんさえいてくれたら!!」
「…ふふ。ガキさんにも、できたんだね。ガキさんのことを慕ってくれる、後輩が」
「えっ」

光り輝く雪が、積もってゆく。
なつみの体だけを、掠め消し去りながら。
不意にかけられた言葉。里沙は思い出す。ただひたすらに自分についてきてくれる、たまに天邪鬼だけれども、まっすぐな瞳を。

461名無しリゾナント:2016/04/29(金) 23:19:44
その後輩が、窮地にいたら。
きっと自分は、その身を投げ出してでも救いに行くだろう。

「そんな…安倍さん…いやだよ…いやだよう…」

なつみの姿が、薄れてゆく。
おそらく今の自分の顔は、ぐしゃぐしゃなのだろう。
よくも衣梨奈に、「簡単に泣いちゃだめだよ」などと言えたものだ。
なつみを失いたくないという思いと、今の自分となつみを衣梨奈と自分へと置き換えてしまう思い。
その思いは矛盾することなく、里沙の心を駆け巡る。

「大丈夫だべ…どうしてもなっちと話したい時は、ほら…こうやって…」

消えてゆくなつみと同じように、やはり消えてゆく白い世界。
その中で、なつみは。自らの手首を口の前に持ってゆく。

見えないけれど、見える腕時計。

なつみと里沙が初めて出会った日。
父と母を亡くした里沙になつみが、不思議な腕時計型の通信機の話をした時の出来事が、鮮明に蘇る。
どこからどう見ても、手首に向かって独り言を言っている変な人にしか見えなかったが。真剣に通信機の向こうの「お母さん」と話
してみせるなつみを見ているうちに、知らない間に自分の心がほぐれてゆくのを感じていた。
そのことを話していた時のなつみは、まるで暖かな日差しのような笑顔を見せていた。

― この通信機があればね、いつでも。会いたい人と、話せるんだよ ―

そう、今まさに存在が消えゆくこの時に、見せているような笑顔を。

自らがこの世から消滅することを願った言霊は。
天使の温もりだけを残して、成就した。

462名無しリゾナント:2016/04/29(金) 23:22:16
>>452-461
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

463名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:06:07
>>452-461 の続きです



「は、はっ、な、な、なんだよこれはああああああああああああああっ!!!!!!!!!!」

溶ける。崩れる。剥がれ落ちる。
「金鴉」の体が、煙を立てて崩壊してゆく。
馬鹿な。10分にはまだ早すぎる。なのに、なぜこんなことに。
縋るような思いで相方のほうに目をやる。「煙鏡」は。

腹を抱えて、笑っていた。

「あああああああああああああいぼんてめえええええええええええええええ」

そこで、「金鴉」はようやく気付く。
自分が、「騙されていた」ことに。

「いやぁ、済まんなぁ。ちょっと時間間違えてもうたみたいや」
「ふふふふふふざざざざざざけけけけけけ」
「ま。そもそもうちの『鉄壁』でも、自分のオーバードーズは解除できひんかったけどな」
「はああああああああああああああああああああああ」

10分が限界など、真っ赤な嘘。
「鉄壁」で助けることができるというのも嘘だった。
最初から「金鴉」が助からないことを、「煙鏡」は知っていた。
いや、そうなるように自ら仕向けたのだ。

464名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:06:44
無意識のうちに、「金鴉」が自らのキャパシティーを超えて血液を服用するように。
それが勝利の、唯一の条件だと思い込ませるように。

「はあうああああああああああああああああああああ」

「金鴉」の顔が、目まぐるしく変化してゆく。
今まで擬態した人間の顔が同時に、多発的に浮かび上がり、そして消えてゆく。

形を、形を保たなければ。
「金鴉」は必死に自分の姿を脳裏に思い浮かべ、体を再構築しようとする。
だが。逆らえない。既に能力者の情報を限界以上に取り込んだことによる揺り戻しの力には。
それでも、この流れに従うわけにはいかない。
自分の。自分本来の姿を強くイメージすることで。形を。元の形を。
そこで、「金鴉」はようやく気付く。

本当の自分って、どんなんだっけ。

「擬態」を得意とする彼女は。彼女には。
元より本来の姿などないに等しかった。他者に姿を変え、そして能力すら変えてしまう。そして、元に戻る時に。
ほんの少しだけ、姿を変える前の自分とは違っていた。それが、何十、何百と繰り返されてゆく。
そのことに、気付かないはずはない。けれど。気付いてはいけなかった。

今ここにいる自分の存在さえも信じることができなければ、一体どこに足をつけて立てばいいのだろう。
何を拠り所にして生きていけばいいのだろう。わからない。わからない。わからなわからわかわかわわわわ

465名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:08:09
まるで、堰を切ったかのように。
手も、足も、筋肉も、骨すらも。ぐずぐずと音を立てて壊れ、腐り、流れ落ちる。やがて、頭だった塊を残し、
赤黒い液体の中に沈んでいった。

呆気に取られている春菜たちを尻目に。
「煙鏡」は、ゆっくりと赤黒い水たまりのほうへと降下してゆく。
心底汚らしいものを見るような目、それと、恨みがましく相手を見上げる目が合った。

「……」
「最後に言うとくわ。うちな。お前のこと…ほんまに嫌いやってん」

最早口も利けなくなった肉の塊に言いながら、「煙鏡」はそれに靴底を合わせ。
踏み潰す。
しんと静まり返った静寂に、鈍い音が低く響いた。

先程まで生きていた人間が、瞬く間に赤黒い液体に成り果てる。
燃え盛っていた命が、消えてしまう瞬間。
その場にいたリゾナンター全員の、魂が凍えてしまうような風が吹いた。

466名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:09:16
「ひ、ひどい…」

そして春菜からそんな一言が出るほどに。
「煙鏡」の行いには慈悲が無く、そして残酷だった。

「ひどい、やって? のんをこないな姿にしたんは、お前らやないか」

「煙鏡」は自らの行為をまるで悪びれないどころか、過酷な現実を突きつけた。
確かに、間接的に「金鴉」が自滅する原因を作ったのは自分たちだ。けれど、こんな結果を望んでいたわけではない。
抗議の思いは次々に言葉を迸らせる。

「うるせえ!ふざけんな!!」
「まさたちそんなことしてないもん!!」
「だいたい、こんな風になるように仕向けたのはあんたじゃないか!!」

香音が糾弾するのと。
「煙鏡」がいつもの高めの声を低くして言葉を発するのは同時。

「甘えたこと言うなや。うちらに牙剥いて、双方無事で済むと思うたんか。これは…殺し合いやで。もちろん、それは
うちとのんの間にも言えることやけどな」
「…少なくとも、私たちは殺し合いをしにきたんじゃありません!!」

結果はともかく。
きっと聖なら、同じことを言うだろう。春菜は、強く、そしてきっぱりと言い切った。
が。春菜の心はまったく「煙鏡」には届かない。

467名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:10:26
「おいそこの黒ゴボウ。お前は、うちの心に間接的に触れたはずや。せやから…もう知ってるやろ? うちが『コイツ』
んこと、どう思ってたか」

― うちは、こいつとは違う ―

それが、聖を通して春菜が受け取った断片的なメッセージだった。
にしても。それにしても。ここまで憎悪を滾らせるほどのものだったとは。

「さあて。お仲間もお目覚めのようやし。そろそろ『メインディッシュ』と行こうやないか」

「煙鏡」の言うように、「金鴉」に手ひどくやられていた衣梨奈や亜佑美も意識を戻しはじめていた。
しかし、戦うだけの力が残されてるとは到底言えない。

「その前に一つ、謝らなあかんことあんねや」
「は?今更お前が何を謝るってんだよ!」

思わせぶりな「煙鏡」に噛みつく、遥。
吠える子犬を往なすように手をやった「煙鏡」、刹那、その手のひらから電撃が迸る。

「うわああああっ!!」
「くどぅー!!」

敵の攻撃をまともに受け倒れる遥に、優樹が駆け寄る。
そこへ、今度は鋭い風のかまいたちが。足元を切られ、勢いのままに転倒する優樹。

468名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:11:38
「複数の能力を!?」
「お前ら知ってるか知らんかわからへんけど。うちらダークネスの幹部にはそれぞれ、誰にも明かせん『秘密』がある。
うちの能力は…ほんまは『鉄壁』とちゃうねん」

床に倒れつつ見上げるもの。膝をつき、動けないもの。
「煙鏡」の言葉は、リゾナンター全員を戦慄させた。

「うちの本当の能力は、一度見た相手の能力を。見ただけでコピーできる。『七色の鏡(ミラーオブザレインボー)』、
そういうこっちゃ」

高らかに笑い声を上げながら、漂う水の球体を出現させる「煙鏡」。
まさしく、倒れている里保の能力だ。

「そんな…そんなことが…」
「お望みとあらば、お前らの能力なんぞなんぼでも真似できるで? ま、全員分披露する前に…全員、あの世逝き
やろうけどな」

やっとの思いで「金鴉」を倒したのに。
里保を欠いた状態で、この敵に太刀打ちできるのか。
誰もが困惑と絶望に向き合う中。
ただ一人、「真実」を見つめているものがいた。

469名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:12:40


「天才」。
それが、彼女に与えられた最初の「二つ名」。
確かに、彼女はその名に相応しい活躍をしてみせた。
特に、悪魔の頭脳とも言うべき思考能力。標的を陥れ、知略の闇に葬り去る力は組織の上層部に賞賛されることになる。
しかし。それが彼女の欲するものに見合うものだったかと言えば。

違う。そうじゃない。
自分はもっと、評価されるべきだ。何故なら評価に相応しい才能の持ち主だから。
だが、現実に見合った評価がされているとはとても思えない。

― こいつらは、失敗作だ ―

遥か昔の記憶に残る声が、不吉な響きを持って囁いてくる。
うちが、失敗作やと? そんなはず、あらへん。
ではどうして。

答えはすぐに、導き出される。
「こいつ」のせいだ。この世に産み落とされた時から金魚の糞のようについてくる、不快な存在。
双子のようで、双子じゃない。そうだ。こんなやつと双子であってたまるか。
なぜなら自分は「天才」であり、「こいつ」は途方もないマヌケだから。
切りたい。切り離して、自由になりたい。
その思いを、組織の「首領」に訴えたこともあった。

― あかん。自分らは、二人でひとつのニコイチやからな ―

その言葉は、激しく彼女を苛立たせた。
ふざけるな。何故そのようなことを強制させられなければならないのだ。
「あいつ」と、あんな役立たずと死ぬまで離れられないなど、そんな理不尽なことがあってたまるものか。
彼女は決意する。
こうなったら、何が何でも独り立ちしてやろうと。
自分の影のようにくっついてくる「こいつ」さえ切り離せば、自分は真の「天才」として真っ当な評価を得られる。
そのためには、何だってやる。
彼女の血を吐き泥を啜る決意は、固まっていた。

470名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:13:56


「お前らも知っての通りや。うちとのん…『金鴉』は能力を扱う上で重要な精神力を共有しとった。逆に言えば、今はう
ち一人でその精神力を自由に使える」

言いながら、倒れている遥を指さし、さらなる電撃を振るう。
追い打ちをかけられた形になった遥は、びくっと大きく痙攣しそしてそのまま気を失ってしまった。

「そんな…あなたは『金鴉』と二人で一人のはず、一人きりでこんな力を使うなんて」
「うちが半人前扱いされてたんは、頭の悪いおまけがひっついてたせいや!」

今度は、氷。急激に冷やされた空気が白く煙る。
そして生成された氷柱が、春菜目がけて突き刺さる。
急所は免れたものの、鋭い氷の牙が肩と足の甲を深々と刺し貫いていた。
激しい痛みは、春菜の痛覚を限りなくゼロに近づける能力をもってしても決して消えはしない。

「さあ。次はどんな能力、見せたろか。ま、うちみたいな天才にできないことはないからな」

「煙鏡」の広げた両手から。
炎が。大岩が。風が。ありとあらゆる自然の力が。生み出されてゆく。
彼女の相方は、自らの体を犠牲にしてようやく複数の能力を扱うことができた。それなのに、目の前の相手はそのことを
軽々とやってのけている。そんな相手に、勝つことができるのか。

「大体や。うちがこないなヨゴレ仕事せなあかんのも、元はと言えばあの筋肉馬鹿がしくじったせいや。『蟲惑』ぶっ殺
せとは言うたけど、よりによって反感買う方法でやりおって…ほんま余計なことばかりしくさるわ」

リゾナンターを「力」で圧倒しているはずの「煙鏡」は。
激しく、苛立っていた。それこそ、過去の「金鴉」の失態を詰るほどに。
余計な足枷からようやく自由になれたというのに、何なのだ、この不快感は。
その理由は、程なくして明らかにされる。

471名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:15:41
「嘘つき」

意識のあるメンバーたちが顔を青くさせる中、その声が一際大きく響き渡る。

「…誰や。うちのこと嘘つき呼ばわりしたアホは」
「まーちゃんだよ!!」

叫んだ少女 ― 佐藤優樹 ― が、胸を張る。
先ほど「煙鏡」に斬られた足からは、痛々しいほどに血が流れていた。
それでも揺るがない心、揺るぎない意志。果たして、その言葉の意味は。

「何や…腹立つな。アホさ加減があの役立たずによう似てるわ」

そうか、うちの苛立ちの原因は、こいつか。
「煙鏡」は、一人平然と自分の前に立つ優樹にその原因を求めた。

「知らない!まーちゃんは、まーちゃんだ!!」
「さよか。さっさと死ねや、まー何とか」

声を張り上げる優樹に、鬱陶しげに掌を翳す「煙鏡」。
現れたいくつもの水球が、うねりながら優樹に向かって飛ぶ。
すると、不思議なことに。
凶暴な水の塊は、優樹に触れることなく消滅した。

472名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:16:47
「な、何やと?」
「だから言ったじゃん!お前は、うそつきだ!!」

明らかに、狼狽えた表情を見せ始めた「煙鏡」は。
身を低くし、床に手を添える。コンクリートを突き破り、現れたのは無数の人影。
ある者は片手が千切れかけ、ある者は腹を抉られ中の臓物が顔を覗かせ、そしてある者は顔の半分が欠けていた。
どこから呼び出されたのかはわからない。けれど、リゾナンターたちを取り囲んだのは紛れもなく、既に命を絶たれた亡
者たちだった。

「ははは、どや!死者を操る力や。うちの能力を一つ一つ披露しつつなぶり殺すつもりやったけど、気が変わったわ。う
ちのことを嘘つき呼ばわりしたお前が悪いんやで?」

虚ろな目をした亡者たちが、包囲網を狭めてゆく。
さくらさえ健在であれば、一瞬の隙をついて逃げ出すこともできるだろうが。
今戦えるメンバーでは、物理的に攻撃を凌ぐしかない。

「衣梨奈はピアノ線で防御するけん、亜佑美ちゃんはあのでっかい巨人で!」
「了解です生田さん!!」

戦闘態勢に入る衣梨奈と亜佑美。
しかし、優樹は二人の間に割って入る。

「優樹ちゃん!?」
「あゆみも、生田さんもあいつに騙されてる。そんなんじゃ、だめ」

いつも妙なことを言って周囲を困らせる優樹ではあるが。
こういう時の優樹の言うことは正しいのもまた、事実。

473名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:18:03
「うっさいクソガキ!ゾンビの餌食になってまえ!!」

号令代わりの叫び声とともに、優樹に向かって一斉に襲い掛かる亡者たち。
しかしその鋭い爪も。牙も。優樹の体を掠めることすら叶わずに、消えてゆく。まるで、最初から存在していな
かったかのように。
そこで「煙鏡」ははじめて、「ありえない」現実に気付く。

「う、嘘やろ…なんで、何でお前だけ」

失意は、その場に立つ気力さえ失わせる。
思わず膝をつく「煙鏡」。いや、そのことだけが原因ではない。

「嘘!嘘!全部ウソ!!お前の言ってることは、ぜーーーーーーーんぶ、ウソだぁ!!!!」
「や、やめろや!!それ以上は!!!!」

懇願空しく、「煙鏡」の呼び出した亡者たちはそれこそ煙のように、消えてなくなってしまった。
後に残るは、すっかり消耗しきった小さな少女のみ。

「よくわかりませんが。もしかして、『金鴉』さんがあなたの精神力を共有していたように。あなたも、『金鴉』
さんの体力を共有していたのでは?」

春菜の、鋭い一言。
もしそれが事実なら、「煙鏡」の急速なガス欠状態にも説明はつく。が。

474名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:18:39
「答える義務は…ないわぁ!!」

息も絶え絶えに叫び、「煙鏡」が何かを地面に投げつけた。
途端に溢れる、激しい光。

「せ、閃光弾!?」
「しまった!!!!」

すっかり油断していた。
閃光弾や煙幕のような道具は、強力な能力者は所持していないことが殆どだ。
何故なら、自らの能力があればそのようなものを使わずとも窮地を切り抜けることができるから。
その油断が、このような隙を作ってしまった。

さくらが起きていればまだしも。
突然の閃光に抗う術を持たないメンバーたちは、目を瞑らずにはいられない。
光がひとしきり退いた後には、既に「煙鏡」の姿はなかった。

「逃げられた!!」
「ちくしょう!はるの千里眼でも捉えられないなんて!!」
「あんなやつどうでもいい!それより、やっさんが!!!!」

「金鴉」に強烈な一撃を食らい倒れた里保のもとに、リゾナンターが集まる。

里保は、目を閉じて床に倒れている。
口からは、一筋の赤い血の跡が。
そして。

475名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:20:50
「…サイダー、いっぱい…しゅわしゅわ…ぽん…」

寝言。
どうやらただ、寝ているようだった。

「人騒がせな!!」
「でも、どうして無事で…」
「きっと、里保ちゃんに攻撃する前に『金鴉』の体は限界を迎えてたんだろうね」

香音の冷静な考察。
ともかく、里保の命には別状はなさそうだが。

「ひとまず、ここを出ましょう。譜久村さんたちの容態も気になります」

「金鴉」と「煙鏡」の撃退という一つの目的は果たした。
本来であれば無力化し身柄を拘束するのがベストではあったが、取り逃がしてしまったものは仕方がない。それ
に、あれだけの慌てぶりでは今すぐリベンジの為の何かを仕掛けるような余裕はないはず。
鉄骨の中に佇む巨大なロケットのことは気にかかるが、自分たちでどうこうできるような代物でもない。

「金鴉」によって荒らされた場所、今は静かな湖のような静寂を湛えている。
ただ、床にべっとりと広がる血とも肉ともつかないような液体が毀れ流れている。そのことだけが、この場所で
激戦が繰り広げられていたことを物語っていた。

「金鴉」は、死んだ。
それは、若きリゾナンターたちが経験した、最初の「戦闘による」能力者の死でもあった。
「煙鏡」の言うように、自分たちが望んでしたことではない、本意ではない結末であったとしても。結果的に
「金鴉」は死んでしまった。それだけは間違いない事実であり、少女たちの心に生涯に渡って焼き付けられる
であろう烙印だった。

それでも今は、その罪に膝を落とし蹲ることは許されない。
わずかに残された「煙鏡」の悪あがきの可能性に警戒しつつも、リゾナンターたちは地下のロケット格納スペ
ースから撤退を始めるのだった。

476名無しリゾナント:2016/04/30(土) 20:22:49
>>452-475
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

477名無しリゾナント:2016/04/30(土) 21:50:06
と思ったら1レスを残して規制されてしまいました
お手すきの方代理していただけるとありがたいです

478名無しリゾナント:2016/05/01(日) 13:02:09
こちらは番外編と言えば番外編なのですが
厳密に言えばhttp://www35.atwiki.jp/marcher/pages/1062.html のネタバラシ的な要素を含んでいます




「はーい、空いてますよ?どうぞ」

重厚な革張りの椅子に体を埋めつつ、部屋の主が促す。
扉を開けて入って来たのは、目に染みるような白のタキシード。

「おう、邪魔するで」
「ああ、いやいや、どうもお久しぶりです」

「煙鏡」は余所行きの笑顔を作り、軽く会釈をする。
対する来客者 ― つんく ― は、「煙鏡」の記憶と寸分違わずの砕けた対応。いつ見ても、胡散臭い。

「中澤に長いことお仕置きされてた言う話やけど、元気そうやな」
「そちらもお変わりなく…って敬語はここまでにしよ。今となっちゃ、あんたはうちらの『上の立場』でも何でも
ないんやからな。ざっくばらんにタメ語でいかしてもらおか」

ふと、現在の自分たちの立ち位置を思い出し、営業用の笑顔を引っ込める「煙鏡」。
今や自分はダークネスの幹部であり、目の前の相手は組織を抜けた何の関係もない中年である。そのこと
を強調するために敢えて、尊大な態度を取ることにした。

「…何や。俺の顔になんかついてるか?」
「はは、随分下品な顔に変えたみたいやけど、うちならあんたやってわかるわ。ま、座ってや。適当にお茶
でも出させたるから」

身なりや態度こそ記憶と一致しているものの、つんくの「顔」はとても同一人物とは思えないものであった。
ただ漂わせている胡散臭さは、本人であると納得させられるものがある。

479名無しリゾナント:2016/05/01(日) 13:03:39
おい、お客さんにお茶出しや。本場のアールグレイのやつやで。

社長室の外にいる事務員に聞こえるように、言う。
過去のしがらみはともかくとして。「煙鏡」はつんくが現在は警察機構の要職にいることを思い出してい
た。そんな人物が自分の元を訪れるということはすなわち、「もう戦いは、はじまっている」ということ。

「ずいぶん羽振りがええやないか」
「ああ、ぼちぼち儲けさせてもらってるわ。とは言っても前任のクソチビのシマ、そっくりそのまま貰ろ
ただけなんやけど。あいつも身内殺すようなマネせえへんかったら、こないな美味しいポジション失うこ
ともなかったのにな」

テーブルを挟み、「煙鏡」とつんくは相対する形となる。
組織から抜けたとは言え、目の前の人物が「煙鏡」のことをよく知っていた男であることには変わりない。
増してや、あの白衣の狸の師匠格的存在だったのなら猶更、警戒が必要だ。
もっとも、警戒するだけでは何も得ることはできない。おいしい情報を、いかに相手から引き出し自分の
利益とするか。

「なるほどな。矢口の後釜に入ったっちゅうわけか」
「アホ言え、あいつよりももっと稼いだるわ」
「おお、それは頼もしいな」
「せっかく娑婆に出たからには、腕の違いを見せ付けんとあかんやろ」

肚の探り合い。
「煙鏡」の最も得意とする分野ではあるが、そう簡単に相手も手の内を見せてはくれない。
搦め手が駄目となると。

480名無しリゾナント:2016/05/01(日) 13:04:53
「で、何の用や」

直球。
つんくがどうして、「敵」である自分の元へやって来たのか。
まずはそれを知る必要があった。

「俺も一応警察の人間やし。『組織』の現状がどうなってるか、気になってな」
「…なんでそんなんうちに聞くねや。ついこないだ戻ってきたばっかやぞ」

まだ本音を見せないか。
いや、組織について知りたがっているのは案外本気かもしれない。
「煙鏡」は、当たり障りのない範囲で情報を開示することにした。

「矢口さんと飯田さんと亜弥ちゃんは死んだわ。梨華ちゃんも半死半生。何でもリゾナンター、っちゅうや
つらのせいでそないなことになったらしいな。うちもよう知らんけど」
「…高橋の後輩たちか」
「せや、あのi914が率いてた連中や。今は代替わりしてるみたいやな。ま、そんなんどうでもええわ」

「煙鏡」が、苦い表情を作りつんくを一瞥する。
何が高橋の後輩たちか、や。自分、あの喫茶店を随分贔屓にしてるらしいやん。まったく白々しい。そう言
いたいのをぐっと飲み込み、つんくの次の言葉を待つ。

「そんな中。自分らが復帰したんは、組織にとったら渡りに船やったろうな」
「のんの奴はともかく、うちが帰ってけえへんかったらどないするつもりやったんやろ。美貴ちゃんも何や
おかしなことなっとるし、よっちゃんだけで孤軍奮闘してるみたいやで」
「ああ。吉澤のやつか。新人教育も兼務しとるみたいやし、めっちゃ忙しいやろな」
「って、知ってたんかい」

481名無しリゾナント:2016/05/01(日) 13:06:10
思わずそんな突込みが出てしまうのとともに。
「煙鏡」の心に、徐々に苛立ちの色がにじみ出る。話の内容に実がないのなら、いつまでもこの哀愁漂う
中年男と語らいを繰り広げている暇などないのだから。

「…うちに何の用で来たん?」

再び、ストレートに訊ねる。
しかしつんくの答えは。

「さっきも言うた通りや。組織の現状把握を踏まえた、顔見せ」
「は?ただの挨拶やって?そんなくだらない用事のためにわざわざ顔出しよったんか。はっ、弟子によう
似て食えないやっちゃ」
「はは、紺野のやつもええ感じになってるみたいやな」
「ええ、そうですそうです。あんたの弟子はあんたが見込んだ通りに立派に育ってますとも。底意地が悪
くて常に人をおちょくったような態度なんてソックリや!!」

ついに、溜まっていた怒りが爆発する。
もう心理戦はしまいや。こうなったら、とことん問い詰めたろうやないか。
苛立ちからかそれとも時間を惜しむからか。相手が望んでいることをこちらから敢えて口にすることにした。

「ところでほんまにそないな下らん挨拶しに来たん?大方あれや、うちらの動向探ろうと思て来たんやな
いか?」
「動向、と来たか。復帰して早速、動くつもりか」
「はっは、そんなん言えるわけないやん。何で部外者のお前なんかにうちの可憐な胸の内をオープンハ
ートせなあかんねん」

早速、ぶら下げた餌に反応したか。
内心、湧き上がる喜びを隠せない。さて、どうこいつを料理すべきか。
しかしつんくの次の一言は、浮足立った「煙鏡」に冷や水を浴びせる。

482名無しリゾナント:2016/05/01(日) 13:07:05
「久しぶりに『遊園地』にでも遊びに行くつもりか?」

遊園地、という思わせぶりな単語。
「煙鏡」は直感で理解する。こいつは、自分たちが「夢と光の国」で何をしようとしているか、知っている。

「何やと。お前その情報どこで手に入れた」
「ま、俺も色々情報網持ってるからな。よりええ取引をするためのな。例えば…中澤との取引、とかな」

つんくの言葉が、「煙鏡」の肝を冷やす。
冗談じゃない。目的を果たすことなく再びあの牢獄にぶち込まれたまるものか。

「ちょ、待てや。それはあかん。せや、こんなんはどうや。うちは今日、お前と会ったことは綺麗さっぱり
忘れたるわ。べ、別に取引のええ材料見つけたとか思ってへんで。最初から秘密にするつもりやったわ。そ
の代わり。うちとのんがこれからしようとしてる事も組織には内緒や」
「…ええで。別に俺も本気でそないなことしようなんて思ってへん。それに、お前らの目的は大体想像つくしな」

いつの間にか、追い詰めるつもりが追い詰められている。

「…ほう。何となく目的はわかる、やって?目的はほれ、ただの遊びや。それ以上もそれ以下もあらへん」
「目的は。せやな、不思議の国に囚われた少女を『救い出す』、とかな」

先程から、冷や汗がぬるりと背中を流れている。
こいつは。こいつは、どこまで知ってると言うのだ。

483名無しリゾナント:2016/05/01(日) 13:08:34
「は?お前何言うてるん?」
「けっこうイイ線いってると思うんやけどな。で、その少女を使って何をするか、や」
「ええわ。言うてみ」
「ええんか?」
「あいぼんさんは心が広いから、お前の話が厨二病丸出しの最終ファンタジーでも聞いたるわ…」

それまで、にやけ顔をしていたつんく。
その緩んだ表情が、驚くほど急激に鋭く。

「長い長い、牢獄生活。そんなものを与えた組織への、復讐」

ふざけるな。
何なんだ、こいつは。なぜそこまで、こちらの考えていることを言い当てられる。
確かこいつは能力者でもなんでもなかったはずなのに。
どうしてこの男は、こちらの手の内をまるで最初から知っているかのように話すのだ。
「煙鏡」の嘆きは、心の中でぐるぐると蜷局を撒き始めていた。

「は、はは。意外とええ線言ってるやないか。まあ外れやけど」
「そら残念。顔引き攣るくらいに、不正解やったんやなあ」
「べっ別に顔なんて引き攣らせてへんわ」
「そか。お肌の調子が悪いんやな。日本の米食うたら直るで」
「アホ。ドアホ。はぁ…聞いて損したわ。うちの貴重な時間返せ。ったくお前のつまらん妄想話でうちの毛
根細胞1万個くらい死んでもうた」

言葉ではおどけてはいるものの。
「煙鏡」は、1秒でも早くつんくとの会話を切り上げたかった。
これ以上この男と話をしてはいけない。それは経験則でもあり、本能でもあった。

484名無しリゾナント:2016/05/01(日) 13:10:56
「毛根細胞と言えば。うちの能力はなあ、「鉄壁」言うてな。自分の精神力の強さで、周りの事象を「拒否」
することで絶大な防御力を得ることができる。理論上は核ミサイルの直撃も防げるんやて。別にそんなんに
使うつもりもないし、ほんまに防げるとも思ってへんけど」
「ほう。俺も科学部門の統括やってたこともあるけど、凄い能力やな」
「チートな能力やな、今そんな顔してたで? ただな…」

思えば、こいつがここに来てから、自分は煮え湯を飲まされっぱなしである。
一矢くらいは、報いさせてもらうで。
そんな思いで、自らの能力について「煙鏡」は話し始める。
確かに目の前の相手は自分たちの「生みの親」ではあるが、保有能力について全容を把握しているわけでは
ない。その無知を、思い知らせてやる。そんな意図を込めつつ。

「ダークネスの幹部が全員能力を二重底にしてるのはお前も知ってるやろ」
「そやね」
「自分の能力をひけらかす馬鹿は早死にする。つまりはそういうこっちゃ。うちかて、ただぼけーっとあの
地下で隔離されてたわけと違うからな。乙女の言葉にささやかな嘘はつきものやで?まあ、お前に今更こん
な講釈垂れてもしゃあないか。 とにかく、精神めっちゃ使うから、こっちに来んねん。おかげで能力使う
た翌朝は枕元に抜け毛がべっとり…」
「若ハゲも大変やな…」
「って何言わすねん! 誰が若ハゲじゃ、やかましいボケ」

「煙鏡」の話には、2つの目的があった。
一つは、先ほどのように、自分の能力はあくまでもブラックボックスであり、つんくの知りえないものである
ということ。そのことを知らしめてやること。これは知を武器とするものにとっては屈辱以外の何物でもない。
もう一つは、こいつから早く「Alice」の話題を遠ざけること。
だったはずだが。

485名無しリゾナント:2016/05/01(日) 13:12:06
「『金鴉』と、『煙鏡』。古代の双子のような太陽神を模してつけられた二つ名か。まったく、ようできとる。金
の鴉は、己の光で自らの輪郭を変えてみせ、そして煙る鏡は。漂う煙で鏡を覆い隠す。か」
「おいお前…どういう意味や」
「さて。そろそろお暇させてもらうわ。せや、うちのとこで開発したリラクゼーション靴下の試供品、おいとくわ。
興味あるんやったら、安くさせてもらいまっせ」

「煙鏡」がつんくの言葉を訝しむ暇もなく。
つんくはソファから立ち上がり、帰る支度を始めた。
いかにも胡散臭そうな、靴下一式を机に残して。

「は?もう帰る?まさかお前、ハナからそのくっだらないもん売りつけるんが目的やったんか」
「ばれたか。うちんとこも、新薬作ったりせなあかんから、研究費が嵩むねん」
「しょうもな。余裕のよっちゃんってやつか」

高笑いを残しつつ立ち去ろうとするつんく。
それを、「煙鏡」が呼び止めた。

「あんたが何企んでるか知らんけど、これだけは言うとくわ。近いうちに組織の勢力図は塗り替えられるやろな…」
「不思議の国の少女、でか?」
「せやから、さっきの話とは関係ない言うてるやろ」
「そなの?ごめんね」
「うっさい、ひつこいわ。もうとっとと帰り」

おい、お客様がお帰りや。そこらへんに塩撒いとき。何やったらその胡散臭い男目がけて直接塩投げつけてもええ
ねんで。

どうにも調子が狂う。
やはりこの男は苦手だ。話していると、自分の知の指針が、狂ってしまう。

「自分、長いこと幽閉されてた割には時代に敏感やん。ツンデレ、っちゅうやつやろ?」
「ってまだお前おったんかい。今日は午後からうちも出かけるんや。どこへ何でお前に話せるわけないやろ。
いい加減にしいや。あほ。ぼけなす。出てけ出てけ。その下品な顔二度と見せるなや」

486名無しリゾナント:2016/05/01(日) 13:13:53
>>478-485
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編 「Answer」 了

487名無しリゾナント:2016/05/05(木) 22:41:50
「いててて・・・ちくしょう、あの小生物が!今度あったら、ボスに献上なんてしないでおいらのサンドバックにしてやる」
草原で目を覚ましたのはすでに眩しい太陽が頭上に現れることになっていた
アフリカの大地で無防備な状態で倒れていたというにも関わらず危険な肉食獣に襲われなかったのは幸運なことだった
「ああ、ちくしょう、リゾナンターも逃げてしまったし。まあ、おいらを恐れて撤退したんだろ
 命拾いだな、リゾナンター。キャハハハ。しかし、おいらの部下たちはどこにいったんだ?」

改めて視界のいい草原を見渡したもの、矢口の都合のいい黒ずくめの男達は一人もみあたらなかった
「おかしいな?転送装置はおいらが預かっているのに。ここにあるよな??
 しっかし、あついな・・・ま、いいやあいつらの代わりなんていくらでもいるし
 帰って冷たいビールでも飲むか。キンキンに冷やして、こう、喉元をくぅーっと潤して・・・!! 誰だ」
誰かに視られている、そう感じた詐術師は慌てて戦闘態勢を整えた
丈の低い叢に隠れているのであろう、人一倍空気を読むのが得意であった詐術師は誰かの臭いを感じていた

「ありゃりゃ、さすが詐術師さんですね。こっそり叢に隠れるようにしていたんですが。mistakeでしたね」
あっさりと姿を現した女を詐術師は知らなかった
「・・・誰だ?おまえ、おいらのことを知っているということは敵、のようだが」
素朴そうな肌の白い少女は特徴的な舌を巻いたような声で返した
「敵、で構いませんよ。あなたの部下は私が拘束させていただきましたので、詐術師さん、あなたにも来ていただきます」
「リゾナンターか?きさまも?」
「Resonanntor??」
「まあ、なんでもいい、おいらと会ったことを後悔しな」

少女に向かい駆け出し、一気に距離を詰める
手にしたナイフで少女の腹部を目がけて切りつけようと振るった
しかし少女は特に動揺することもなく、数歩後ろに下がり、しゃがみこみ、詐術師の足元を崩そうと足を突き出した
詐術師も幹部の名に恥じない動きで足を跳ね上がり躱し、その勢いのまま回し蹴りの体制に入る
少女は両手を地面につよく叩きつけ、倒立の姿勢になり、そのまま一回転
詐術師の回し蹴りをはじき、勢いのまま後方へとバック転で距離を置く

488名無しリゾナント:2016/05/05(木) 22:42:56
「おまえ・・・何者だ?」
こんなやつ、データにないと思いながら、詐術師は息を整える
「ふふふ、、、名前は教えませんよ」
一方少女はまったく疲れている様子はない
「でも、本気でいきますよ」
指揮棒を振るうように両手を掲げると、周囲に砂埃が巻き上がった
砂埃だけではない詐術師が手にしていたナイフが手を離れ、宙に浮いた
ナイフだけではない、詐術師の隠していたピストルも、鉄球も浮いている
「Oh! ずいぶんとdangerousなもの隠していたのですね」
「ちっ、まあ、いいや。まだおいらには武器があるんだから
 これ?おまえの能力だろ。ナイフに鉄球にピストル、砂埃
 金属だけが宙に浮いているんだから、磁力を操るってところか?
 キャハハ・・・無駄だよ、おいらの前ではすべての能力は無に帰す!!『阻害』発動!!」
余裕綽々な表情で笑いながら少女の顔向かい指さした

しかし・・・鉄球が落ちない、砂埃がやまない、ナイフの刃が元の持ち主へと向かう

「な、なんだと?能力を封じたはずなのに?も、もしかして、お前、ダブル(能力者)か??」
余裕綽々な笑顔は少女に移っていた。アニメ声で少女は答えた
「W??なんのことですか?」
指揮者のように両手を振るい、ナイフを右へ左へと操る姿をみて、詐術師は焦りを感じていた
「こんなやつ、データに入っていない。まずいぞ、ボスに伝えないと」
ポケットに手を伸ばす詐術師を見て少女は慌ててナイフを詐術師に跳ばした
指先がボタンに触れるのが一瞬早く、詐術師は姿を消し、ナイフは何も無い空を斬った

「・・・逃してしまいました、か」
構えを解くと砂埃は止んだ。自身も砂埃に目をやられてしまい、眼をこすりながら叢へと歩を進めた
何も言わずにナップザックから通信機を取り出し、起動させる
『Sorry. I miss Ms tricker. 』
『OK, I know, I know. But you tried hard, Chelsy.』
『Thanks, teacher.』     (まー修行番外編、『Chelsy』 episode0

489名無しリゾナント:2016/05/05(木) 23:01:03
>>
「Chelsy episode0」です。
おかしのチェルシーはCHELSEAが正しいスペルですが、code nameなのでChelsyにしました。
まー修行は完結。次はこっちを適当に書いていこうと思います。
まー修行を長い間読んでいただきありがとうございました。

490名無しリゾナント:2016/05/06(金) 23:34:47
転載ありがとうございます。
いや、単純にまー修行あげたし、一日に二作落とすのは14日しかもたないスレだからもったいないなって思っただけ。
もし、したらばで気づいた人いれば代理してくれるであろうし、そこは任せようかなっと。
別に深い意味はない(笑)

491名無しリゾナント:2016/05/07(土) 07:16:08
深読みし過ぎてしまったw

492名無しリゾナント:2016/05/14(土) 16:39:33


愛と里沙が作り上げた、光の鳥籠に里沙が突入してから。
愛は、その様子を固唾を呑み見守ることしかできずにいた。

「銀翼の天使」の精神世界へとサイコダイブしたのは間違いないが、そこでどのようなやり取りが繰り広げられて
いるかまでは愛には知りようがない。ただ一つだけ言えるのは精神世界における死は、肉体的な死となって能力
者に降りかかる。里沙に教えられたことだ。それでも、愛は信じていた。里沙が、無事で帰ってくることを。

不意に、鳥籠から光が溢れる。
天使が展開していた白き言霊、それらが、形を失いながら空中に溶けてゆく。
天使を天使たらしめていた、輝く翼もまた、消滅しようとしていた。
つまり。

「あぶないっ!!」

天駈ける翼を失ってしまえば、あとは落下するだけ。
「銀翼の天使」、いや、安倍なつみの身に何が起こったかはわからないが。
このまま地面に落下したら、無事で済むわけがない。

悪魔より授かりし黒き翼を尖らせ、ゆっくりと引力への抵抗を失ってゆくなつみのもとに飛んでゆく。
何とか間に合うか。だが、問題はそれほど単純では無かった。

493名無しリゾナント:2016/05/14(土) 16:40:54
「里沙ちゃん!?」

なつみとともにいるであろう里沙に声をかけようとした愛は、顔を青くする。
気を失っているらしき里沙は、なつみの後を追うように落ちてゆく。
どうして。その理由はすぐに判明する。里沙の体を支えているはずの黒い翼もまた、ぼろぼろと崩れはじめていた。

まさか、時間が来たのか!?

「黒翼の悪魔」が言っていた、タイムリミットが来てしまったのだろうか。
となると、自分の翼も危ない。いや、危機はもう迫ってきている。鋭い矢のように二人に向かい飛翔しているその
軌跡が、少しずつではあるが下へとずれ始めていた。

「こんな時に瞬間移動さえ使えたら!!」

思わず苛立ちが口に出る。
瞬間移動と精神感応の「二重能力者(デュアルアビリティ)」だった愛だが、自らの内包していたi914と呼ばれる
存在と意識を統合してからは、新たに光を操る能力者として生まれ変わった。瞬間移動能力は、もう使えない。

だが、そんなことを嘆いている場合ではない。
悩む暇があるなら、体を動かす。それは愛の信条でもあった。

失いつつあった推進力を振り絞り、何とか里沙のもとへは辿り着く。
だがそれだけでは駄目だ。なつみを、助けなければならない。ぐったりしている里沙を抱き寄せ、愛は地面に吸い
寄せられるように落下してゆく目標視界に入れる。愛たちも既に翼を失い、同じように落下していた。

494名無しリゾナント:2016/05/14(土) 16:42:02
このままいけば、三人ともアスファルトに叩き付けられて木端微塵。
そうならないためには、どうすればいいか。まずはなつみを捕まえなければならない。

終着地との距離は、すでに半分ほどに縮まっていた。もうあまり時間は無い。
そんな中、視界に飛び込んできたのはこの地に打ち据えられた頑丈そうな鉄塔。おそらく、「天使の檻」の通信機能
を担っていたものだろう。これを利用しない手は、ない。

残った力を振り絞り、手のひらから光を迸らせ、空に放つ。
普段は反動を抑え身を固めるが、思うままに放出した光の帯は愛の体を後方へと吹き飛ばした。だが、それでいい。
急速に近づいてくる太い鉄骨。愛は里沙を抱きしめたまま身を捻り、そして溜めた脚力で思い切り蹴りつけた。

衝突のインパクトが、骨を通じて強烈に伝わる。
ただ、痛みに怯んでなどいられない。自らの落ちてゆく軌道を、なつみのそれと重ねあわせて一直線に突き進む。
なつみと地面の距離、それと自身の距離。そのどれもが既に危険水域に達していた。一瞬の気の迷いが、最悪の結果
を生むことになりかねない。

風を斬り、空を裂く。
もしもなつみの身に何かあれば、里沙に顔向けなどできるはずがない。それは、里沙自身を失うことに等しかった。

里沙ちゃんの願いは、あーしの願い!!

目測距離、5メートル。

組織に居た頃、里沙はいつもなつみのことを愛に、自分のことのように誇らしく話していた。
時には姉のように、そして時には母のように。

目測距離、3メートル。

そして愛もまた、そんな里沙のことを微笑ましく見ていた。

1メートル。

だから絶対に。
里沙にとって希望の光でもある存在を奪わせては、いけない。

495名無しリゾナント:2016/05/14(土) 16:42:52
雲を掴む思いで必死に伸ばした愛の手が、ようやくなつみの手を捉える。
素早く引き寄せ、里沙とは逆の脇に抱えた。
だが、その時既にはアスファルトの粗い目までもがはっきりと見えるくらいに、地上に近づいていた。

どうする。
たっぷり加速のついた軌道はもはや変えようがない。
このまま地面に激突し惨めなミンチに姿を変えるのか。光の力で自らの身を覆えばあるいは。
いやだめだ。先ほどの軌道変更のために、力はあらたか絞り切ってしまった。自分自身ならまだしも、三人分を賄う
ほどの余力は愛には残されていない。

答えは最初から決まってる。
やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいい。
限界のさらに先まで、生命エネルギーを光に変換する。自分はどうなったって構わない。なつみと、里沙が無事であ
るのなら。

愛が覚悟を決めた数秒後。
岩盤を抉り込むような重苦しい音が、遥か遠くまで響き渡った。

496名無しリゾナント:2016/05/14(土) 16:44:00


結果から言えば。
なつみも。そして里沙も。堅いアスファルトの上で、静かに横たわっている。
まったくの、無傷。なつみや里沙はもちろんのこと、愛にもかすり傷一つついていない。
光の加減、落下時のダメージ、当たり所。全てが幸運によってうまくいったとしても、これほどまでの成果が出せる
とは、いくら愛とは言え俄かには信じられなかった。

「なんやこれ…どうして…」

思わずそんな呟きが口をついてしまうほど、この状況は信じがたいものだった。
奇跡なのか。これは神が自分たちに気まぐれで与えた、人智を超えた奇跡なのか。

あれ…ちょっと…調…が…ああ、いけません…これ…の…

不意に、空から聞こえる声。
途切れ途切れではあるものの、愛には。
その神の声が、誰のものか瞬時に理解する。
降り注いだ奇跡に喜びさえ感じていた心は、急速に冷え切ってゆく。

「…あ、直った。あー、あー。聞こえますか。聞こえますか」
「あんたの声なら、嫌でも聞こえてるやよ」

姿なき声に、向けられる敵意。
愛は自然と、立ち上がった状態で戦闘態勢を作っていた。

「やだなあ。そんな顔しないでよ。せっかく『友達』のよしみで助けてあげたのに」
「いつもの慇懃無礼は口調はどうした。正直、虫唾が走るやよ」
「『友達』と話す時は、いつもこうだよ。愛ちゃん」

497名無しリゾナント:2016/05/14(土) 16:45:21
空を引き裂くように現れた、真っ黒な空間。
漆黒のスクリーンに徐々に色彩が加えられ、やがて愛の良く知っている人物が大写しになる。

「まさかあの状態から逆転勝利するなんてね。さすがは愛ちゃん、『最強のリゾナンター』の名は伊達じゃない」
「ドクター…マルシェ!!」

染みひとつない、真っ白な白衣。
それとは真逆の、自身の闇を現したかのような黒髪。
二つのまるで違う色彩は、狂気の頭脳により相克することなく存在している。
Dr.マルシェ。紺野あさ美は、眼鏡のレンズ越しに、愛を見下ろしていた。

「ただ、詰めは甘かったかな。駄目だよ、『遠足は家に帰るまでが遠足』って言うじゃないか」
「あーしらが無傷なのも、あんたの仕業か」

愛は、紺野の言葉で理由を察する。
おそらく、重力制御装置か何かを遠隔操作で使ったのだろうと。

「まあね。愛ちゃんやガキさんはもちろんのこと、安倍さん…『銀翼の天使』もこんなところで失うわけにはいかない」
「よくもそんなことを…あんたのせいで!絵里も!小春も!ジュンジュンやリンリンも!何よりガキさんの心もみんな
みんな…傷ついたんやろ!!!!」

我慢の限界だった。
どの口が自分たちを失うわけにはいかない、などという綺麗事を紡げると言うのだ。愛の感情はすでに、臨界点に達し
ようとしていた。

「そのことは、それなりに申し訳ないとは思ってる。けど、私にも『夢がある』んだよ」
「夢ってなんや!どうせ組織の幹部連中が嘯いてる『能力者たちのための理想社会』を作ることやろ!そんな下らない
ことのために、みんなが、みんなの想いが踏みにじられていいはずがない!!!」

愛の怒号が、空しく空に響く。
困ったような、諦めたような表情を浮かべた紺野は。

498名無しリゾナント:2016/05/14(土) 16:46:19
「愛ちゃんには教えるけど。私の夢は、そんなちっぽけなものじゃない」
「なっ!?」
「とにかく。今日は口論をしに姿を現したわけではないんですよ」

困惑する愛をよそに、紺野の口調はいつもの「叡智の集積」のものへと戻っていた。
すなわち、目的を遂行するための、態勢。

横たわるなつみを、漆黒の空間が覆い尽くす。
遥か遠方の地すらも目と鼻の先へと近づける、空間転移。ダークネスが誇る科学技術、「ゲート」。

「あんた!一体何を!!」
「『銀翼の天使』は返して貰います。彼女には、もう一働きしてもらわないといけないのでね」
「そんなことさせ…ぐうっ!」

攫われてゆくなつみを奪還しようと立ち上がろうとする愛を、尋常でない力が押し返す。
愛たちを救った重力制御装置が、今度は救いの手を阻もうとしていた。

「一連の戦いで力を使い果たしたあなたには、これを跳ね除けることは不可能なはず。それではごきげんよう。ガキ
さん…新垣里沙にもよろしく伝えておいてください」
「待て!待てやぁ!!!」

いくら四肢に力を入れようと、声を枯らして叫ぼうと、重力は決して緩まない。
愛には、ただ黙ってなつみが消えてゆくのを見ていることしかできなかった。

「くそっ!くっそおおおおおおお!!!!!!!!!!!」

空に映し出された紺野の姿もまた、消えてゆく。
怨嗟と憤怒の叫び声も、それとともに空に彷徨いそして掻き消される。
後には、当てつけのように澄んだ青空しか、残らなかった。

499名無しリゾナント:2016/05/14(土) 16:49:49
>>492-498
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

500名無しリゾナント:2016/05/15(日) 12:43:14
>>492-498 の続きです



「『銀翼の天使』の、帰還を確認いたしました」
「状態は」
「意識レベルにおいては確認できませんが、目立った外傷はないようです」
「結構。すぐに、総合医務室に搬送をお願いします」
「はっ!!」

ダークネス本拠地。
「天使の檻」からの中継画像が消えてゆくのを眺めながら、紺野はゲート発生装置前に待機している構成員に指示
を出す。
装置は本来、紺野以外に操作できる人間はいないのだが、先ごろ開発した技術によりこうして紺野の私室からでも
遠隔操作が可能になっていた。

501名無しリゾナント:2016/05/15(日) 12:45:29
さて。あとは…「あの子たちの『帰還』」を迎え入れるだけですかね。

あと、少し。
あと少しで、紺野の思い描く計画の下準備は全て整う。
かつて巨大な電波塔にて実験した、拡散電波の威力。田中れいなから抽出した、共鳴能力。そして、「彼女」たち。
それらの欠けたピースを嵌め込めば。それもじき、手に入る。

「…さすがに無傷、というわけにもいかないんですね」
「あはっ。さすがこんこん。部屋を訪ねる人間には敏感だねえ」
「ここの人たちには、部屋のノックをするという習慣がないみたいですから」

背後に感じる、強い気配。
「黒翼の悪魔」は、体を壁に凭せ掛け、いかにも疲れましたといった表情を作っている。

いつもはシルクのような艶を持った金髪は、埃と汗と血に塗れ、金色の光をくすませていた。
戦闘服だよと嘯くチューブトップやミニスカートも、ところどころが破れ、裂かれている。それは彼女が先程まで
繰り広げていた戦闘の激しさを暗に物語っていた。

502名無しリゾナント:2016/05/15(日) 12:52:42
「任務、ご苦労様です。あなたの働きがなければ、『天使』の身柄はあちら側に移されていたかもしれません」
「だねえ。今頃裕ちゃんに詰められてるかも」
「ええ。想像するだけで、生きた心地がしませんよ。研究に没頭できるのはありがたいですが、異空間の牢獄には実
験器具を持ち込むわけにいきませんからね」

冗談はさておき。
そう言いつつ、回転椅子をモニターから反転させた。
紺野の目に、「悪魔」の姿が入る。

「それにしても、ずいぶんと満身創痍なんですね」
「しょうがないじゃん。『キッズ』やら『エッグ』やらとの交戦、なっちとの戦い。つんくさんが総力戦って銘打っ
てただけのことはあるねえ、うん」
「楽しそうでなにより」
「できれば、『まともな状態の』なっちと戦いたかったんだけどね。あとまあ、愛ちゃんやガキさんと一緒に戦うっ
てのも新鮮だったかな」
「ほう。もう、満足ですか?」
「まっさかぁ。ごとーを満足させるには、まだまだ足りないねえ」

言いながら、力こぶを作ってみせる「悪魔」。

「空元気もそこまで出せるなら、心配無用のようですね」
「確かに。早く部屋に帰ってさあ、モンハンの続きやりたいもん」
「…それでは、締めの仕事をお願いしますか」

そう来ると思ったよー、と肩を落としつつ。
「黒翼の悪魔」からは、ある種の力が漲ってくる。

503名無しリゾナント:2016/05/15(日) 12:54:06
「『黒翼の悪魔』さんにお願いしたいのは」
「わかってる。『あの子たち』の回収、でしょ」
「やけに乗り気じゃないですか。何か、それ以外の目的があるみたいですね」

是非聞かせてもらいたいものです、そう言う前に。
悪魔の姿は、既に部屋から消えていた。

気の早い人だ。
まだゲートの再起動もしていないと言うのに。

呆れつつも、紺野は「黒翼の悪魔」のために次の転送先を手元の端末装置に入力しはじめる。
自分と、ダークネスの幹部たちは果たして「同じ夢」を見ているのだろうか。
ある時の幹部会議での自分自身へのエクスキューズだ。
答えはある意味イエスで、ある意味ノーだ。そもそも、彼女たちは紺野の本来の目的など、知る由もない。

そして、目的の障害になる人間は悉く排除した。
まずは、目的を達する手段に異を唱えそうな「詐術師」。
さらに、紺野の目的をいずれは予知したであろう「不戦の守護者」。
「赤の粛清」や「黒の粛清」の暴走と敗北は想定の外ではあったが、いなくなって困るかと言えばそうでもない。

「金鴉」と「煙鏡」の敗北もすでに、紺野は把握していた。
このような形の幕引きはさすがに紺野も考えてはいなかったが、高橋愛の意志と力を引き継ぎし若きリゾナンターた
ちなら、乗り越えられない壁ではなかったのかもしれない。彼女たちにも、引き続き自分の演出する「舞台」に上が
ってもらうつもりだ。となれば、役者に力が伴っている方が都合がいい。

504名無しリゾナント:2016/05/15(日) 12:55:04
つんくは。
かつて紺野が師と仰いだ人物は。
持てる才覚をフルに使い、自らが演出していた「舞台」を盛り上げようとしていたように、紺野の目に映っ
ていた。
だが、彼は気付いていなかった。彼もまた、「舞台」を構成するただのいち役者に過ぎなかったことに。だ
から、志半ばで「舞台」を降りることになるのだ。今回のつんくの失態を、紺野はそう分析していた。

だが、紺野は自分自身を舞台のいち役者。ゲーム盤の「駒」に過ぎないことを自覚していた。
逆に言えば、「駒」だからできること。「駒」にしかできないことも、理解している。

最良の一手(チェックメイト)は、すぐそこだ。

505名無しリゾナント:2016/05/15(日) 12:55:44
>>500-504
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

506名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:22:02
>>500-504 の続きです



くそ…最悪や。

「煙鏡」は、煌びやかな内装のエレベーターに身を預け、顔を顰める。

まさかうちの力が…あないなクソガキに見破られるなんて…ああ、胸糞悪ぅ!

絶対の自信を誇っていた能力が。
少女の、佐藤優樹のたった一言で覆されてしまう。
あのまま撤退を決意していなかったら、優樹の強い想いはやがて仲間たちに伝わってしまっていた。
あのタイミングの撤退は、最悪の中でも最良の手段でもあった。

「煙鏡」の能力は、全ての脅威を寄せ付けない「鉄壁」でも。
増してや、一目見ただけでその能力を行使できる「七色の鏡」でもない。
彼女の能力の本質は、それこそ優樹が糾弾したように、「嘘」なのだ。

507名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:23:20
ただし、ただの「嘘」ではない。
対象の精神に働きかけ、決して消えることのない足枷を嵌めることのできる「嘘」だ。
言うなれば精神干渉の一種であり、新垣里沙が得意とする記憶の改竄に近いものではあるが。
里沙の能力よりもずっと限定的で、そのかわりに比較にならない強力な効力を持つ。

「嘘つき針鼠(ライアーヘッジホッグ)」、「煙鏡」は自らの能力を親しみを込めてそう呼んでいた。
この能力の特筆すべき点は二つ。一つは、自らに悪感情を抱く人間にだけその効力を発揮するという点。も
う一つはその感情が消えない限りは、その効力は半永久的に持続するという点だ。

「煙鏡」はこの力を使い、自ら宙に浮遊しているように見せ、さらには相手の攻撃を全て、外させた。認識
を誤魔化し、まるで見えない何かに攻撃を阻まれているのだと思い込ませながら。

向けられる悪感情を操るのに「煙鏡」のパーソナリティが大いに役立っているのも、彼女が優秀な「嘘つき
針鼠」となるまたとない条件であった。「煙鏡」の、子供のような外見とは裏腹の賢しい物言いは、対する
相手を必ずと言っていいほど苛立たせる。この時点で既に針鼠の嘘はその身に突き刺さっていると言えよう。

リゾナンター相手にも、その能力は遺憾なく発揮された。
特に彼女のパートナーである「金鴉」が圧倒的な暴力によって、リゾナンターたちの悪感情と恐怖を引き出
していたのも大きい。

ただ、無敵の様に思える能力にももちろん、弱点はある。
一つは、恐怖や悪感情すら抱かないバーサーカーのような状態の人間には針鼠の嘘は刺さらない。暴走状態
に陥った鞘師里保に「煙鏡」が恐れおののいたのはこの理由からである。
もう一つは、何かを信じて疑わないような、純粋な人物にもこの能力は効き辛い。どういう契機でそう思っ
たかはわからないが、一旦「煙鏡」の能力自体を疑ってしまった優樹の心を再びねじ伏せることはできなかった。

508名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:27:17
うちの、うちの精神力さえ保てば!!

歯軋りする思い、後悔。
結局最後は、「金鴉」と共有していた精神エネルギーが半減していたことでガス欠を起こしてしまう。すな
わち、その場にいる全員を騙し通せるほどの余力はなくなってしまっていた。非常用の閃光弾を携帯してい
なければ、どうなっていたか。
長年の監禁生活が微妙に影響したのかもしれない。リゾナンターとやる前に、ある程度の噛ませ犬とでもや
り合うべきだったのかもしれない。

とにかく、一時退避には成功した。
戦闘を続行せずに速やかに撤退したのは正解。おそらく、優樹一人の意見ではあの場にいた全員の認識を覆
すのは不可能だろう。しかも、意識を失っていたものもいた。期間を空けて襲撃すれば、間違いなく針鼠の
嘘は効果を発揮するだろう。邪魔な優樹は、前もって仕留めればいいだけの話だ。

エレベーターが、地上階に着いたことを知らせる電子音が聞こえる。
垂直ではなく、斜めに軌道を持つこのエレベーターは、施設の中心からはほど遠い場所に入口を構えていた。
リゾナンターたちが「煙鏡」たちを追跡時にこの場所を見つけられなかったことはもちろん、彼女たちに気
づかれることなくこの地を去ることにも役立つ、というわけだ。
元々はリヒトラウムの真のオーナーである堀内専用のエレベーターだという。お忍びで地下のロケット格納
庫を訪れるには都合のいい移動手段、とも言えた。

それにしても。あいつらを惑わす「偽の地図」くらいは後に残してもよかったかもな。

自らが消え去った後に、思わせぶりな地図を残しておけば。
もしかしたら逃走経路の地図だと勘違いし、地図の通りに動いてくれたかもしれない。
ただ今回は、そこに罠を張るまでの余裕はなかった。まあいい、それは今度会った時にでも使ってやろう。

そんなことを考えている間に。
高級感溢れる扉が、音もなくゆっくりと開かれる。
そこで、「煙鏡」は予想もしなかった人物と対面することとなった。

509名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:27:49
「あいぼん、お疲れ」
「な、なっ!!」

度肝を抜かれる、とはこのこと。
手に入れた情報では、こんなところにいるはずのない人間だった。

「ど、どないしたんや・・・ごっちん・・・」

「黒翼の悪魔」。
この地から遠く離れた「天使の檻」で、つんく率いる能力者集団と戦闘しているはずの悪魔が。
目の前に、立っていた。

「迎えに来たんだ」

髪は乱れ、体中のあちこちに黒い血糊がこびり付いていたが。
それでも「悪魔」は、満面の笑みを「煙鏡」に向けていた。

510名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:28:56


さっきまで昇っていた軌道を、今度はゆっくりと下ってゆく昇降機。

「…なんや。紺野の差し向けた『迎え』っちゅうことか」

不機嫌そうにぼやく「煙鏡」。

「うちはてっきり、教育係やったごっちんがうちのこと心配して来てくれたんやとばっかり…」

言いながら甘えた顔をしてみせると、当の「教育係」はふっ、と鼻で笑う仕草をする。
こうやって子供じみた態度を取っていると、誰もが「煙鏡」のことを侮る。それもまた、彼女の手口なのだが。

愚にもつかない言葉を重ねつつも、「煙鏡」はお得意の深慮遠謀を張り巡らせる。
まずは、紺野の懐刀である「黒翼の悪魔」がここに来た理由。
「煙鏡」の本来の目的 ― ダークネスの本拠地に「Alice」を打ち込む ― からすれば、「黒翼の悪魔」が
不在の粛清人に代わり「煙鏡」を粛清する目的でやって来たとしても、何ら不思議はない。
けれど、「黒翼の悪魔」が未だ組織にとっては行方不明扱いであるということ。さらに紺野が反逆者の粛清など
ということに執心するような人物ではない。

となると、どういう目的でこの地にやって来たのか。

511名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:30:17
「ま、うちみたいな脅威の頭脳の持ち主を、紺野が…いや、『組織』が放っておくわけないもんなあ。ごっ
ちんクラスの大物がお迎えに来たとしても不思議でもないんでもないか」

当然のことながら、自分ほどの人材をダークネスが手放すことなどありえない。
「鋼脚」の手のものが自分と「金鴉」の居場所を突き止め、さらにはリゾナンターたちと交戦していること
を知った。そこで紺野はその成果を真っ先に知るべく「黒翼の悪魔」を使いに出したのだろう。
そう、踏んでいた。

「で。その天才ちゃんは、リゾナンターとはどうだったのよ」
「ははは。あんなやつら、屁でもなかったわ。今回は色々あって見逃してやったけど、あないな連中、ダー
クネスが注目するような存在と違うわ。聞けば代替わりしてめっちゃ弱なった、って話やしな」
「ふうん、そうなんだ」

悪魔は納得してるのかしてないのか。
相変わらず読めない表情、そしてその口から。

「つーじーは、どうしたの?」

感情が読み取り辛いからこそ、こちらの心理が抉られる。
まさか、邪魔な存在だったからリゾナンターを利用して謀殺してやった、などとは口が裂けても言えない。
取りあえずは「下のフロアにいる」とだけ話し、それで来た道を戻ってきているわけだ。

「…まあ、百聞は一見にしかずや」

ここで饒舌になるのはまずい。
あくまでも、相方の死を悲しむ、そしてその事実が言えずにいる。そう、装わなければならない。
必要最低限の言葉を、選ばなければならない。

512名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:31:42
必然的に、沈黙が続く。
それでいい。そのことが、「金鴉」の死は避けては通れないものだったという演出に繋がる。
組織には必ず復讐してやる。だが、その前に尻尾を掴まれることだけは、あってはならい。

「ところでさ」

意外にも、静寂を破ったのは「黒翼の悪魔」だった。

「あいぼんたちさぁ、『Alice』に、何の用だったの?」

思わず、心の中で舌打ちした。
紺野と繋がってるからには、当然この場所がどういう意味を持つかも知っているだろう。「煙鏡」が新人の頃、
そして「悪魔」がその教育係を担っていた時から。ぼーっとした顔をしているくせに、時たま核心を突くこと
を聞いてくるのだ。

「たまたまや。あいつらがリヒトラウムに遊びに行ってることを知ってなあ。うちとのんで急襲かけたんや。
そしたら、ちょうどいい具合に隠し通路が見つかってん」
「とか何とか言って。『Alice』をダークネスの本拠地に向けて発射するつもりだったんじゃないの?」
「まさか!そんなんやったら、中澤さんに殺されるわ!!」

冗談めいた悪魔の口調に、全身で否定のポーズを取る「煙鏡」だが、内心は穏やかではない。

「そっか。でもまあ、疑われてもしょうがないシチュエーションだし、気をつけな」
「あ、ああ、肝に銘じとくわ」

悪魔に姿を見られてなければ、激しい勢いで睨み付けたことだろう。
うっさいぼけ、あのババアの操縦方法はうちがよう知っとるんや。子供らしく、無邪気に、そして傲慢に。
たまに甘えた顔もする。それだけで、あいつのガードは甘なるねん。知ったふうな口を利くなや、この力
だけのボンクラが。

513名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:33:03
ただ確かに、「黒翼の悪魔」の言うことも一理ある。
自分たちは、幹部殺しの罪で長年収監されていた要注意人物だ。それが、「Alice」の格納庫にいたとなれば、
よからぬ想像をする輩がいるかもしれない。

それを払拭するのが、これからの見せ所だ。
床に流れる、惨たらしい赤黒い液体。自分たちは「組織のために」リゾナンターと激しい戦いを繰り広げた。
結果、相方は命を落とし自らも何とか死地を抜けるのがやっとだった。そのことだけで、茨の視線を抑える
ことができる。

「…それよりごっちん。ずいぶん、ぼろぼろやん。どないしたん?」

もちろん理由は知っている。
「銀翼の天使」を奪いに来たつんく率いる能力者たちの相手をしたから。戒厳令が敷かれているダークネス
の中で、紺野が唯一自由に動かすことのできる駒は、「黒翼の悪魔」を置いて他にいない。
だが、下層につくまではまだ時間がある。暇つぶしにその話を聞くのもまた一興だろう。

「まあ、色々ね。でももう、回復してきたかな」

何の変哲もない、会話の返し。
だが、「煙鏡」はそうは取らなかった。
何故、今になって回復具合を確認している。何のために。それは。

突如出現してきた黒い槍が、深々と刺し貫く。
「煙鏡」の右頬の、わずか数センチ。「黒血」が生み出した漆黒の槍が、エレベーターの壁面に突き刺さっ
ていた。

「ご、ごっちん…どういう、つもりや」
「見ればわかるじゃん。あいぼん…死んでよ」

ふわりと笑う、その笑顔の影に今ははっきりと見て取れる。
確かな、殺意の形を。

514名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:34:21


「うちを…殺す? 冗談やろ。だって、さっきうちを『迎えに来た』言うてたやん」

尻を地につけ、「煙鏡」は信じられないといった表情で「黒翼の悪魔」を見上げる。

「冗談でもなんでもないってば。ごとーは、あいぼんを殺しにきたんだから。それに。迎えるのはあんたじ
ゃない。下にいるつーじーのほうだよ」
「な、何やて…」

少ない情報の中から、「煙鏡」は自らの置かれている状況について分析し、そして激しい怒りを覚える。
うちが殺される? さっきの「Alice」の質問が思わせぶりやなと思ってたら、やっぱりうちを粛清しに来
たんか!!
せやったら、何でうちが殺されてあいつが迎えられんねや!? こいつの言ってることはおかしいやろ!!

「う、うちが粛清されるんなら…あいつも…のんも同罪のはずや」
「少なくとも、こんこんはあんたよりつーじーのことを評価してたみたいだけど」

頭の血管がぷつぷつと切れるような感覚。
「煙鏡」の怒りは既に何周もその小さな体を駆け巡っていた。
あいつがうちより優秀やと?ふざけんなや!!こいつ、うちの教育係やと思って優しくしとったら!付け
上がりおって!
最早、公然と悪魔のことを睨み付けていた。

515名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:35:21
「なあ…うちを殺すんなら、もうちょっと待ってくれんか。のんがどこにいるか、知らへんのやろ…?」

まずは、時間を稼ぐ。
確かに目の前の人物は、「銀翼の天使」と双璧をなす組織の最強能力者。ではあるが、今は激戦を経てやっ
と戦える程度の回復具合。付け入る隙は、十分にある。そうでなくとも。

「駄目だね。あんたは、このエレベーターが格納庫に着く前に、殺す」

悪魔は、今、こちらに悪意を向けている。
「嘘つき針鼠」の能力を発動させる条件は、整った。
煙に巻かれて、鏡の放つ一撃に斃れるがいい。
「煙鏡」は、懐に忍ばせていたダガーナイフの位置を、頭の中で確認していた。

「黒翼の悪魔」は、自らの背後にいくつもの黒き刃を浮かび上がらせる。
なるほどこれでうちを串刺しにするつもりか。せやけど。
うちも、「能力」使えるくらいには体力、回復しとるんやぞ。うちのこと舐めたこと、後悔しながら死に晒せ。

「じゃあね。バイバイ、あいぼん」

命を奪う切っ先は、「煙鏡」を避けるように四方八方へと逸れてゆく。
それだけは、確実に起こる出来事。
そこから先は、懐のナイフだけが知っている。

ぶっ殺してやる。
あんなマヌケをうちの上に置いたこと、たっぷり後悔させてやる。
このナイフで心臓を一突きするのもいい。趣を凝らして、無限の加速度の往復でその頭を爆ぜさせるものいい。
さあ、刺し貫いて見せろ。

516名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:36:46
エレベーターが下層に到着する、電子音。
黒き悪魔の槍は一斉に「煙鏡」へ向け放たれ、そして小さな体を次々に刺し貫いた。
夥しい量の血が、悪趣味な内装に彩りを添える。

「な…?!」

悪夢でも見ているかのような、信じがたい光景。
だが、現実は四肢を貫く、気絶するような激しい痛みとなって襲い掛かる。

「がぁ!!!!なん…で、や!なんでうちに、騙されへんのやあぁあぁ!!!!!!!!!」

用を果たした黒血の槍は消滅し、解き放たれた「煙鏡」は両膝を付き悶え苦しむ。
「煙鏡」は俄かにはこの状況を受け入れることができなかった。体力を消耗しているとは言え、たった一人
の人間を、なぜ術中に嵌めることができない、と。

「ごとーはさ」

そんな中、「黒翼の悪魔」は、静かに口を開いた。
静かすぎるくらいに。

「あんたの顔を見た時からずっと…殺したくて殺したくてしょうがなかった」

激しすぎる、憎悪。
それが、自分の「嘘」を打ち消したとでも言うのか。
馬鹿な。ありえない。組織の反逆者を粛清する程度で、ここまでの憎悪を込めることなどできるものか。

517名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:42:25
「たかが…粛清ごときで、このうちを」
「あんたさあ、何か勘違いしてるよね。ごとーがあんたを殺すのは、組織のための粛清でも、こんこんに頼
まれた仕事だからでもないよ」
「は…?」

地にうつ伏せになっている「煙鏡」の、小さな頭。
そこに、ゆっくりと「悪魔」の靴底が押し付けられる。
これは。この形は。

「うちがのんにしたことと、同じことするつもりか!!」
「は?つーじーのことなんて知らないよ」
「くそっ!のんはな、うちが殺したんや!のんにどんな用事があったか知らへんけど残念やったなぁ!!」

相手の意図を理解し、意趣返しとばかりに元相方の殺害を高らかに宣言した。
これで精神が少しでも揺らげば、まだ「嘘つき針鼠」の嘘が突き刺さる可能性はある。
だが、「悪魔」は首を振る。そんなことはどうでもいいとばかりに。
そして、静かに、言った。

「あんた、いちーちゃんを殺したでしょ」

いちーちゃん。
言葉は耳に入ってきても、その意味はしばらく頭の中で形を成さない。
すぐ目の前まで迫ってきている死という現実に、意識が追い付かない。いや、それ以前に、なぜそれが悪魔
の憎悪の理由になるのかが、理解できない。

518名無しリゾナント:2016/05/16(月) 13:42:58
「イチイ…ああ、うちらがぶっ殺した、まぬけな…幹部」
「いちーちゃんは、ごとーの大切な人だった。それを、あんたたちが虫けらみたいに殺したんだよ」

かつて悪童たちが葬り去った「蟲の女王(インセクト・クイーン)」は。
悪魔の、組織内における教育係であった。そしてそれ以前に、心の拠り所となる存在だった。
そのことを、「煙鏡」が知らないはずがない。ただ、あまりにもその事実を軽視していた。

組織の最強能力者が、今は亡き、落ちぶれかけていた幹部職のことを今も心の裡に留めているなど。
想像だにしていなかった。

額に、顔全体に。
悪魔の全体重を乗せた、いや、それ以上の圧が掛かる。
このままでは、頭を潰されてしまう。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。それだけは、どうしても避けなければ。
渦巻く恐怖とそこから逃れるための方策が入れ替わり立ち替わり脳内を駆け巡る。

「ううううううちを殺す気か!このうちを!組織に有用なこの頭脳を!!」

そうだ。敵方を陥れるのに、これだけ優秀な頭脳が、能力が潰えていいはずがない。
実利という、実に判りやすい取引材料だが。

「あんた。そうやって命乞いしたいちーちゃんのこと…助けてくれた?」

無駄だった。復讐に心を奪われた人間に、理屈など通用するはずがない。
自らの能力が通用しないのと同様に。

深い絶望に覆われるとともに、目の前が暗くなる。
優秀な頭脳を自称した頭は、鈍い音を立てて爆ぜ、脳漿をまき散らした。

519名無しリゾナント:2016/05/28(土) 23:21:59
私は嵐 あなたは・・・なに?

★★★★★★

カランコロンと音を立ててドアが開き、制服姿の少女が飛び込んできた
「ただいま〜まさ、ジュース!」
カバンをカウンターに放り投げ、元気に手をあげて注文をする佐藤に道重は笑顔を向けた
「お帰り、まーちゃん。工藤もいらっしゃい。同じいいかな」
「こんにちは、道重さん、ありがとうございます。ほら、まーちゃんもお礼言って」
「ありがとうございます、みにしげさん」

奥の冷蔵庫から桃色と黄色の液体の入った容器を掲げてみせ、まさきちゃんはどっちがいいかな?と問いかける
オレンジ!!と元気な返事が返ってきて、譜久村は瓶のふたを開けてグラスに注いだ
お盆にのせたところで、ふと思い、コーヒーカップを二揃え加えた
サイフォンから零れるコポコポとした音と芳醇な香りが気持ちを安らげる
「道重さんもどうぞ。聖がいれました」
「あら、フクちゃん、ありがとう。うん、美味しいよ」
自分は砂糖をひと欠片カップに加えたのちに、口元に運んだ。熱さに舌をやられて、舌をだしたまま恥ずかし気に下を向いた

「ほらほら、そこどいて、どいて、私もせっかく自信作作ったんだから、食べてよね」
「あら、石田も作ったの?何かな、ロールパン?」
「え〜まさ、あんぱんがいいなう」
ストローで一気にジュースを飲み干した佐藤が足をぶらぶら振りながら不満げな顔で石田を見つめた
「はるはクロワッサンがよかったな」
「・・・なんでみんなパン限定なのかな?」
「・・・石田さんですから」
「はあ?小田ぁ、私だってホットケーキくらい作るんだよ!」
いつも通りの落ち着いた日常

520名無しリゾナント:2016/05/28(土) 23:23:19
「・・・ところでどうして生田さんは気持ちが沈んでおられるのですか?」
けだるそうに机に突っ伏している生田の向かいに小田が座った
普段なら「エリはそんなことないと!」と過剰演技気味に反応するのだが、今はぴくりとも動かない
「・・・生田さんの元気な姿、小田としては是非拝見したいところなのですが、昨日、リンリンさんから指導されましたので」

「え〜なになに?小田ちゃんはリンリンさんにダメだし食らってたわけ?」
にやにや笑いながら石田が飲んでいたコーヒーを机に置きながら、目を爛々と輝かせ、るんるんとしている
恋々とした思いにあふれた少女のような、姿を見て小田はカンカンになりそうだが、懇々と
心身を落ち着かせるように戒める
(・・・一晩中ジュンジュンさんに延々と淡々と抱かれていた方に怒ってはいけません)
そんな思いを知ってか知らずか、カンカンなのは佐藤だ。
「あゆみん、小田ちゃんにそんないじわるするなんて、まさ、あゆみん嫌いになるよ」
「確かに優樹ちゃんのいうとおりかもしれないですね。あゆみん、言い過ぎよ」
「うん、そうだよ。いいすぎだって」
同期として仲のよい三人に同時に攻められ、石田はじょ、冗談だよと大げさに手を振るいながらごまかす

「でも生田さんがこれほど静かなのもなんだか落ち着かないっすね」
コーラを片手に工藤が生田に近寄り、飲みますか?と言いながら、肩を叩くが生田は無反応
「生田らしくないんだろうね。新垣さんになにか言われたでもしたのかな?」
「え、ええ、そうなの香音ちゃん。実はね・・・」
譜久村が語りだそうとすると急に生田が起き上がり、ダメーっと大きな声を出した
「なに聖勝手に昨日のことをみんなに教えようとすると!!
 仲間っちゃけど、隠しておきたいことだってあるとよ。友達っちゃろ?
 昨日のことは聖の胸の中にだけしまって欲しいとよ!
 まだまだ半人前っていわれたとか、戦闘に向いていないとか、私を目標にしないでって新垣さんに言われたとか!」
鈴木がぽつりと「自分で言っちゃってるし」と呟き、聞こえないふりをしていた仲間たちの間に気まずい沈黙が走る

521名無しリゾナント:2016/05/28(土) 23:24:26
「そ、そういえば昨日、私、光井さんからとってもタメになるアドバイスをいただいたんですよ」
あわてて飯窪があえて場の空気を変えようと明るい口調で語りだした
「へえ〜愛佳がね。愛佳はやさしいし、とても頭がいいからね。それに後輩思いだしね。
 それで何を教えてもらったの?さゆみにも教えてくれる?」
「ええ、私の『感覚共有』、その本質、とは何かということについて考えていただきました。
 感覚とはそもそも、脳が認識する・・・光の反射を・・・微粒子の・・・」
「・・・うん、うん・・・脳の中の小人が・・・れーなのから揚げの味を・・・」

道重と話し込む飯窪は興奮した様子で昨日のことが充実していたものであったことを物語っていた
「はるなんがあんなに興奮しているなんて、何かきっかけになったのかもしれないね」
「うん、手帳にいろいろメモしていたよ。でも、香音には難しすぎて、何をいっているんだか??疲れていたから寝ちゃった
 なんだか、認識がどうこうとか、聴覚は空気の振動である、とか云々・・・ふわぁぁああ、また眠くなってきた」
鈴木がへこんだまま突っ伏している生田の頭の上に器用にメニュー表をのせる遊びをしながらあくびを噛み殺しもせずに堂々とみせた
あくびが移ったのだろう、石田も大きく口をあけてあくびをした
「ふ、ふぅわぁあああ・・・私も昨日は暖かかったからついつい寝てしまったよ」
「え?昨日はあんなに外が寒かったのにあゆみん何言っているの?」
石田はあわてて、こ、こっちの話しよ、とあわてて逃げ出した

「あれ?もうみんな着てるんだ」
そこにカランコロンと音を立てて鞘師が入ってきた
「・・・なんでえりぽんの上におてふきとお皿とグラスとコースターが置かれているの?」
「鞘師さん、こんにちは」「りほちゃん、おかえり」「りほりほ、ようこそなの」
遅れて、というが決してここに集まる約束をしていたわけではない
ただ、なんとなくこの店に来ることが日常になっているだけなのだが、遅れた、という感覚に自然となっているのだ
「それ?危ないよね?」
「大丈夫、生田は今、落ち込んでいるから」
「??」
事情を知らない鞘師には当然困惑の色が浮かんだが、触れてはいけない約束のように感じた

522名無しリゾナント:2016/05/28(土) 23:25:24
「道重さん、体調はもう大丈夫なんですか?」
昨日、泣き疲れて泥のように眠った姿を誰よりも知っている鞘師は道重が何よりも心配であった
高橋から道重の抱えていた重荷を知った鞘師には道重の顔色は決して良いように見えなかった
「あ、うん、大丈夫。ありがとうね、元気になったよ」
微笑んだ頬にうっすらと残るうつぶせで眠った痕に鞘師は安心したが、作り笑いに思えて仕方なかった
「そう、、、ですか」

「あれ?そういえば里保ちゃん、高橋さんはどうされたんですか?
 昨日、ここに泊まるっておっしゃってましたけど、どちらにもおられないんですよね」
「高橋さんはもう出かけたよ。道重さんを起こさないように気を付けようとしたんですが・・」
朝早く、こっそりと布団から抜け出し、足音を立てぬように移動する高橋だったが、鞘師はその気配に目覚めてしまった
鞘師が起きたことに気付いた高橋は声にださずに、いってきます、と伝えてみせた
「残念だな〜愛ちゃんに朝ごはん作ってほしかったのにな〜」
本当に残念そうに道重は石田のパンケーキに手を伸ばした
「うん、おいしいよ。石田、また料理上手くなったんじゃない?」
「ありがとうございます!!」

「鞘師さんも食べます?」
お皿を差し出した石田だったが、その時、全員に頭痛が走り、数秒の映像の欠片が飛び込んできた

タイルの上に散らばった無数の書類
宙に舞い、闇へと落ちていく工藤
緑色の炎に包まれうずくまる石田
掌に眼球を乗せて笑う飯窪
手首から血を流して虚ろな眼で刀を構える鞘師
そして、、、自らの首にナイフを当てる無表情な女、亀井絵里

「い、いまのは?」

523名無しリゾナント:2016/05/28(土) 23:26:14
「な、なにこの映像は?どうして?」
「こ、怖いよ・・・はる、落ちていってた」
「なんで私で笑っているの??」
「・・・」
鞘師は何もいわず、テーブルにおいた鞘に眼をむけた
(こ、これって??)
一方で他のメンバーの視線を痛いほどに道重は感じていた
何か言わなくてはならない重圧を感じ、ゆっくりと言葉を選びながら口を開く
「さゆみも初めてみたけれど・・・もしかしたら、これは未来の姿かもしれない」
「未来?」
「そう、愛佳が視える未来は断片的に写真のように飛び込んでくるって教えてくれた
 今視えたみんなの姿はどれくらい先のことかはわからないけれども、起こりうる未来なのかもね」

黙り込む一同、特に工藤と石田は明らかな危険な状況であったためひと際深刻な表情を浮かべている
(・・・高いところから落ちているよね??怪我しちゃうよ)
(炎に包まれて無事ってことはないよね?それよりもあの色の炎って・・・)

「・・・大事なことはそれがいつで、どこかっていうことでしょうか」
比較的精神的に強い小田は冷静に状況をまとめようとする
「・・・私には見覚えのない場所でしたが、室内でした。あとは書類でしたね」
「そうね、小田ちゃん。でも、どこかでえり、あの場所をみたことがあるような??」
「えりぽんも?みずきもなにか見覚えがあるんだよね」
何人かは見覚えがあるようだが、はっきりと思い出せないようでむず痒い感覚を抱いていた
それを打破したのはある意味意外な人物だった
「びょーいん」
「まーちゃん?」
「病院! まさ、いったことある!壁に見覚えある」
「まーちゃんが知ってる病院って一つしかないよね??」
脳裏に浮かぶのは全員が同じ病院であった
「そうよ、えりが入院していた病院」

524名無しリゾナント:2016/05/28(土) 23:53:54
>>
『Vanish!Ⅲ 〜password is 0〜』(13)です
間隔空きすぎですね。3人いなくなってもうた・・・
ズッキ笑顔をありがとう。君の活躍があるからね!

525名無しリゾナント:2016/05/28(土) 23:54:31
>>518 の続きです



いつからだろう。
自分の中に、「おねえちゃん」が存在するようになったのは。

さゆみは、自らの意識の中を漂い続けながら、そんなことを考えていた。

金鴉によって自分が「倒された」のは、よく覚えている。
愛する後輩たちを、守れなかった。押し寄せる後悔を消し去ったのは、それ以上に自分の無念はその後輩たちが必ず晴ら
してくれるという確信だった。彼女たちはもう、ただ守られるだけの存在ではない。小さな背中たちは、いつの間にか頼
もしい背中たちになっていた。そのことは、見守ってきたさゆみが一番良く知っていた。

自分の命は失われたのかもしれない。
とも思ったが、先ほど里保と思しき赤い意識と触れ合った感覚があった。
内容はよく覚えてはいないのだが、そこでさゆみは自分が「生きている」ことを確信する。
それは生と死を司る能力を持つさゆみならではの直観でもあった。

里保と「別れ」、再び取り留めもない意識の中へと沈み込むさゆみが考えていたのが、先ほどの疑問。
何故そんな疑問が生まれてきたのかはわからない。が。

気が付けば、側にいた存在。
リゾナンターに関わりのある人間は、彼女のことをさゆみの「姉人格」と定義づけた。
それはきっと、正しいのだろう。
それでも、さゆみはどこかで信じていた。

さえみは。
「おねえちゃん」は、本当のおねえちゃんなのだと。

526名無しリゾナント:2016/05/28(土) 23:55:28
― 確かに。かつて…あなたには、本当の姉がいた。 ―

「おねえちゃん?」

さゆみは、自らに問いかける声の主がさえみであることに気付く。
桃色を帯びた意識の雲の中で、さゆみが。そしてさえみが、形を成していった。

「こうして、お互いを認識するのははじめてね」
「そうだね…って、おねえちゃんって、こんな顔してたんだ」

さゆみは、初めて自らの中で具現化したさえみを見て驚く。
確かに自分に似てはいる。しかし、その肌の色はさゆみよりさらに白く、そして髪の色もさゆみとは違い栗色であった。

「あなたの目にそう映るなら…きっとそうなんでしょうね」
「それより…さっき言ったことって」
「ええ。あなたが生まれる前のこと。あなたには、生まれてすぐに亡くなってしまった『姉』がいたの」
「え…」

そんなこと、あの両親は一言も言ってくれなかった。
最も、さゆみの能力にだけご執心だった彼らにはどうでもいいことだったのだろうが。

「あなたは知らなくても、心のどこかで『姉』の存在を感じ取っていたのね。だから…私はさゆちゃんの中に『生み出さ
れた』んだと思う」

そうだ。
物心がついた頃にはすでに、さえみは存在していた。
最初は受け入れられなかった。自分の中に、別の誰かがいるなんて認めたくなかった。
けれど、紆余曲折があり最終的には現実を受け入れた。すると、心がすっと楽になったような気がして。
そこからは。
寂しい時。辛い時。いつもさゆみの中にはさえみがいて、時に励まし、時に慰めてくれた。
実の両親からは愛を与えられなくとも、さゆみが孤独に潰されることはなかった。

527名無しリゾナント:2016/05/28(土) 23:57:43
だが、さえみは自分が孤独から逃れるために作り出した想像の「おねえちゃん」で、本当はそんな存在はどこにもいなの
では。そう思った時もあった。だが。病院の屋上で亀井絵里に出会った時。

― へえ、素敵な「おねえちゃん」だねぇ 絵里も欲しいな。おねえちゃん ―

絵里と一緒に出かけた先に、高橋愛に出会った時。

― あんたの中には、「おねえちゃん」がおるんやね ―

彼女たちは、さえみの存在を受け入れてくれた。
れいな。小春。愛佳。ジュンジュン。リンリン。そして、里沙。リゾナンターの仲間たちも、決してさえみのことを一
笑に伏さなかった。そのことは、さえみが存在しているというさゆみの認識を、より強くさせた。

「でもおねえちゃん、急にどうして…」

言いかけたさゆみの言葉が、止まる。
さえみの姿は、ゆっくりと、けれど確実に形を失い始めていたからだ。

「そろそろ、お別れの時みたいね」
「う、嘘。どうして!どうしておねえちゃんが消えなくちゃいけないの!?」

取り乱すさゆみ。
だが、さえみは妹を優しく諭す。

「おそらく…あなたを助ける時に、わたしは力を使い果たしてしまった。私と言う存在はさゆちゃんの中から消えてしまう」

話しているそばから、さえみの姿が、声が、少しずつ消えてゆく。
なぜ、どうして。思い当たる節はひとつしかない。

528名無しリゾナント:2016/05/28(土) 23:58:55
「まさか…つんくさんの薬が」

― ただし、揺り戻しはきっついで? ―

任意に表人格と裏人格を入れ替えることができるという薬を渡された時に。
つんくは確かにそう言った。
揺り戻しとは何を意味するのか。わからないまま、その薬を服用し続けていた。
でも、まさかこれが、このことがそれを意味するなんて。

「つんくさんを恨んでは駄目よ。だって、こうやってさゆちゃんと同じ時を共有できるのは、間違いなくつんくさんの作
った薬のおかげなんだから。それに、私が消える理由は…それだけじゃない」

金鴉に胸を貫かれ、滅びの力を体内にねじ込まれた時。
さゆみは自らの命が消えてゆくのを感じていた。しかし、今、自分は生きている。
その理由が、まさか、さえみの力によるものだったとは。

「駄目なの!おねえちゃんが消えるなんて!そんな、そんなこと!! ねえ、何とかならないの?」

元の人格が一つとは言え、二人いるのだから何か回避策を思いつくはず。
そう思考を仕向けてみても、結果はわかっている。
証拠に、さえみが悲しげに首を横に振る。彼女の消滅は、最早避けようのない事実と化していた。

対象の生命活動を活発化させるという、さゆみの治癒の力を暴走させ、最終的に生命そのものを終焉に導く「滅びの力」。
だが、その恐ろしい力の印象とは裏腹に、さえみはあくまでも穏やかな、優しい人物であった。
さゆみの中で生み出されたせいか世間知らずなところもあり、さゆみの知らないところで愛や絵里と仲良くなっていたり、
里沙に失礼な態度を取ったりと問題がなかったわけではないが。

思えば思うほど、さえみとの思い出が甦る。
人も羨む大病院の娘として生まれながらも、両親の愛情に恵まれなかったさゆみにとって、さえみは「唯一の肉親」と言
っても差支えのない存在だった。それが、今、失われようとしている。

529名無しリゾナント:2016/05/28(土) 23:59:59
駄目だ。自分のためにさえみが犠牲になるなんて、耐えられない。そんなことになるくらいなら。
けれど、優しき姉はそのことすら既に読み取っていた。

「あなた。りほりほに言ったじゃない。『それ』もひっくるめて、自分自身なんだって。わたしが消えても、さゆみはき
っと、さゆみのまま。だから私は、安心して消えていける」
「やなの!やなの!おねえちゃんが消えるならさゆみも…」
「駄目よ。私が消えるから、さゆみは生きなさい」

さえみが、優しく微笑む。
けれどその言葉は力強く、さゆみの中で響く。まるで弱気な自分の背中を、押し出すように。

わた…が…きえ…ずっと…見…ま…も……

さえみの声が、姿とともに薄れてゆく。
何度も、何度も「姉」の名を呼ぶさゆみ。けれど、呼べば呼ぶほど形はおぼろげになっていって。
そこで、自分自身が光に包まれる感覚があった。
行かなければならないの。その声はさゆみのものなのか。さえみのものなのか。

もう、わからなかった。

530名無しリゾナント:2016/05/29(日) 00:03:21
>>525-529
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

ラス1のさえみさんの台詞は『Vanish!Ⅱ〜independent Girl〜』からの引用です

531名無しリゾナント:2016/06/03(金) 13:31:03
>>525-529 の続きです



ここは、社会の縮図だ。
ダークネスの首領・中澤裕子は自らの私室の奥にあるこの部屋に入るたび、そう実感する。
大小さまざまなモニターが裕子を取り囲み、そして一際大きな画面が、五つ。
現代日本を思いのままに操る妖怪たちの、支配系統がそこにはあった。

「また派手に暴れてくれたようだな」
「我が国最大級の娯楽施設であのような騒ぎなど」
「揉み消すのにどれだけの金と労力を費やしたのか、わかっているのか」
「しかも騒動の主はあの忌まわしき悪童どもらしいではないか」
「聞くところによるとリゾナンターに始末されたというが」
「それは喜ばしい。だが問題はそこではない」
「彼奴らが生きていようが死んでいようが、罪からは逃れられんぞ、中澤」
「わかっているのだろうな」

矢継ぎ早に、浴びせられる非難。罵倒。
ある者は、警察組織のご意見番として。ある者はマスコミを陰で操る重鎮として。その他の者たちも、この国を形成する
ありとあらゆる権力機構の上に立つものとして。いずれもその地位にいることで利益を貪り、肥え太ってきた怪老ばかり。
そのご老体たちが、思いつくままの呪詛を浴びせ続けていた。
折り込み済みではあるが、いつ聞いても耳の腐る思いしかない。
滲み出そうになる嫌悪感を、裕子はかろうじて抑えていた。

ふと、罵詈雑言の流れが収まる。
降臨したのだ。彼らを束ねる五人の長「ブラザーズ5」が。

532名無しリゾナント:2016/06/03(金) 13:32:03
「…正直。君には失望したよ、中澤裕子」

いかにもこれまで目をかけていたのに、とばかりにため息をつく長髪のサングラス・同士Ⅰ。

「ご希望に添えることができず、誠に申し訳ございません」
「形だけの謝罪はもういい。我々も、そのような膠着状態は望んではいないのだよ」

頭を垂れる裕子に対し、髪を短く切り揃えた老人・同士Sは含みのある言葉を投げつけた。

「と、言いますと…」
「我々とお前の付き合いも長い。確か、あれはまだお前らが『M』と名乗っていた頃」
「昔話はやめましょう。単刀直入にお願いします」
「腹を割って…話そうじゃないか」

人のよさそうな笑顔を浮かべ、恰幅のいい老人・同士Bが語りかけた。
だが言葉とは裏腹に、老人たちの表情はあくまでも悪意に塗らつき、鈍く光を放っている。

「私は物事を包み隠さずお話しているつもりですが」
「はは…ならば、こういうのはどうかな。もしも…我々が『ダークネス』と縁を切り。『先生』率いる能力者集団にそれ
までお前たちに任せていたすべてのことを委譲する。と、言ったら?」

色黒の、口髭を生やした男が、得意げに問いかける。
「ブラザーズ5」の筆頭たる男・同士Hこと堀内の、唐突なる提案。いや、提案ですらない最後通牒だった。
どよめくのは、五人の長老の子飼いの権力者たち。
そのどよめきには、多分の歓びが含まれていた。

533名無しリゾナント:2016/06/03(金) 13:33:46
「おお…それはいい考えですなぁ」
「今や資金力ではあちらのほうがむしろ頼れる存在かもしれませんぞ」
「『天使』も『悪魔』もいない状況では、致し方ありませんなあ」
「これは愉快だ!いい様だな、中澤!!」

現在ダークネスが所有しているすべての利権を手放すということは、組織の「衰退」を意味していた。組織は弱体化し、
結束力は失われ、外からの簒奪者と内部分裂の危機に絶えず晒されることになる。
回避するためには、戦わなければならない。もちろん、それが困難を極めることは想像に難くないが。

自らの権力で私腹を肥やし続ける醜い老人たちは。
一見自分たちが「ダークネス」をいいように使っている気でいて、その実飼い犬に手を噛まれるのをひどく恐れていた。
それは突き詰めて言えば、人間としての原初の恐怖。能力者という存在への恐れに他ならない。その証拠に。

「…さっきから、ごちゃごちゃごちゃごちゃうっさいねん。その臭い口、永遠に閉じさせたろか」

それまで、静かに頭を垂れていた裕子が、顔を上げ。
鋭く研ぎ澄まされた視線を、老人たちへ向けた。途端に顔を青くさせる彼らの脳裏には、裕子が地を這う虫に対する捕
食者であるかのようなイメージが強烈に刻み込まれたことであろう。

「き、貴様ようやく本性を現したか!!」
「許さんぞ!我々に向かってそのような物言い、捨て置くわけにはいかんぞ!!!」
「化け物風情がよくも…思い知らせてやりましょうぞ、『ブラザーズ5』!!!」

刻み込まれた恐怖はすぐさま屈辱へと姿を変える。
憤りが醜く太った、または皺がれた皮だけの体を駆け巡り、自分たちの指導者たちへ懇願させる。
異端者どもへの、制裁を。
彼らにとって、否、歴代の為政者たちにとって、能力者は厄介な異端者にすぎなかった。

534名無しリゾナント:2016/06/03(金) 13:35:02
「喜べ中澤。楽しい、能力者同士の全面戦争の始まりだ。資金力で勝る彼らに、君たちがどれだけ持ち堪えられるのか。
高みの見物をさせてもらうとしようか」

あくまでも落ち着き払ったものの言い方をする細面の老人・同士T。
瞳に宿るのは、侮蔑と、そして昏い炎。自分たちに服従しているようで、その実常に喉元に突き立てるための牙を研い
でいる。その態度への、復讐の色だった。

「それもええですけど」

だが、裕子は揺るがない。
嘲りに満ちた、為政者たちの放つ炎に炙られながらも。
凛とした表情を少しも崩さなかった。

「ほう。余程闇の組織の長は血で血を洗う争いを好むと見える」
「いいだろう。その身が崩れ落ちるまで、存分に戦うがいい!!」

裕子を鼻で嗤う同士Ⅰ。
嫌味なほどだった満面の笑みを消して、憤怒の表情を顕にする同士B。
だが、彼らの表情は次の裕子の一言で一瞬にして破壊される。

「うちらも手ぇ、拱いてる場合と違いますから。そちらがその気なら…差し向けますよ。『粛清人』を」

嘲り嗤う余裕も、憤る傲慢も。
一瞬で止めてしまうほどの、言葉の威力。

彼らが、自分たちの障害となるもの、徒に正義を振りかざすものに対して。
差し向け、その命を悉く狩ってきたのが「粛清人」だった。
その死神の刃が、自分たちの喉元に宛がわれている。
肝を冷やさずにいられないわけがなかった。

535名無しリゾナント:2016/06/03(金) 13:36:04
一瞬の躊躇、それが、すぐに雪解け水のように流れ消え去ったのは。
彼らの切り札が、まだ隠されていたから。

「ならば我々も惜しまずに使うとするか。『Alice』をな」

堀内は、笑っていた。子供のように。ずっと隠していた秘密を、打ち明けた時のように。
そこで裕子の表情が、はじめて動いた。
感情の揺らぎを確認し、悦に入る5人の老人たち。

「さすがにそこまでは想定できなかったようだな。だが我々は、こうなる前から既に『Alice』の使用を検討していたの
だよ。お前らが牙を剥くその時に備えてな!!」
「お前のところの生意気な科学者…ドクター・マルシェと言ったか。いくら優秀な知能を備えていても、しょせんは女子
供か。我々が、独自のルートを駆使し『Alice』を使いこなすようになるとは夢にも思わなかっただろう」
「さあ。どうする? と言っても」

意地悪く、堀内が微笑む。
それは言うなれば、確勝の笑み。

「我々が『Alice』の発射ボタンを押す決定は、覆らないがね」

536名無しリゾナント:2016/06/03(金) 13:38:43
>>531-535
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

ひさしぶりのおっさんたちの登板(誰得)です

537名無しリゾナント:2016/06/03(金) 20:02:20
>>531-535 の続きです



大きな画面に、五人の老人たちが嬉々として人差し指を掲げているのが見える。
彼らの信奉者にとってそれは、神の指。それまでの屈辱を晴らし一気に溜飲を下げる、正義の鉄槌だった。

「我々がこの指で同時にスイッチに触れた時。君たちの栄光は灰となる」
「精神エネルギーを起爆剤とした、破壊兵器。君のところの科学者も実に便利なものを作ったものだ」
「十分な量を蓄積するには時間がかかるが、周囲の土地を汚染しない、クリーンな兵器。素晴らしい」
「量産できれば、能力者などという危険な存在に頼ることもなく、諸外国と軍事力で渡り合える。なあに、心配しなく
てもいい。あの科学者にはすべてのノウハウを吐いてもらうさ」
「さて。何か最後に、言い残すことは?」

慈悲深い演出。それすらも悪意に塗れている。

「そやね…」

裕子は、昏き部屋の天井を仰ぎ。
それから。

「なーにがブラザーズ5や。あまりのネーミングセンスの悪さに、えずきそうやで。おえっ、おええっ」

顔を思い切り顰め、手のひらを口の前に差し出すポーズを取る。
脆弱な血管たちが、ぷつぷつと切れる音が聞こえた。

538名無しリゾナント:2016/06/03(金) 20:02:56
「それでは…よい死出の旅を」

だが、怒りの感情はすぐに収められる。
指先ひとつで憎き相手を葬り去ることができる。その喜びが憤怒を上回ったのだ。
皺に覆われた、節くれだった五本の人差し指が、同時に発射スイッチに添えられた。

訪れる静寂。
大モニターの前に傅く小さなモニターに映し出された老人たちも、固唾を呑んでその瞬間を待つ。
だがしかし。一向に、破滅の時は訪れない。
彼らが、めいめいの場所から覗いている、ダークネスの本拠地を映した画面は、消えてはくれない。

疑問は焦りとなり、やがてざわめきとなって波のように押し寄せた。

「ブ、ブラザーズ5!これはいったい!!!」
「ええい、狼狽えるな!!こんなものは、慎重にやれば!!!!」

堀内の叫び声を合図に、再び押されるボタンたち。
静寂。何も、変わらない。
暗闇の中で、裕子が一人佇んでいるだけだ。その体は、小刻みに震えている。

「なぜだ!なぜ発射されない!!」
「何度も起爆実験を行ったはずだぞ!!」
「こんなバカな!!」
「どうすれば」
「そ、そうだ!我々のタイミングが合わなかったのかもしれん!」

焦り、苛立ち、狼狽した挙句、老人たちは。
互いのタイミングを合わせるために、わざわざ、掛け声をあげてからボタンを押し始めた。
せーの、かちっ。せーの、かちっ。
その様子が何度も映し出されると、いよいよ裕子の体が大きく揺れ始めた。

539名無しリゾナント:2016/06/03(金) 20:04:00
「は、ひっ、ははははは!!!!!」

裕子が、さもおかしそうに笑い始める。
鼻白んだのはもちろん笑われた老人たちだ。

「き、貴様ぁ!何がおかしい!!」
「だって、そやろ。いい年こいたおっさんどもが、せーの、かちって!これが笑わずに…あぁ、思い出したらまたおかし
なってきた、はは、あはははは、おっさんが、ひい、せーのって、あ、あかん、腹よじれるぅ」

腹を抱え、苦しそうにしている裕子に、ついに老人1が声を荒げる。
怒りと恐怖が、ないまぜになりはじめていた。

「なぜだ!なぜ『Alice』が発射されないのだ!!」
「はぁ…はぁ…あーおかし…」
「答えろ!答えろ中澤ぁ!!」
「『Alice』はな、とっくの昔に紺野の手で回収されてんねん」

老人たちが、一様に耳を疑う。
そして、同じように自らの前の端末を操作し、リヒトラウムの地下格納庫の中継カメラに切り替えた。
画面には、見慣れた銀色の巨大なロケットが相変わらず静かに佇んでいる。

「ふざけたことを!『Alice』はちゃんとここにあるではないか!!」
「まさか!時間稼ぎか!!我らを謀るための罠か!何かの妨害を仕掛けたな!」
「すぐに技術者どもに解決させてやる!どのみち貴様らの運命は終わりだ!!」

目の前の事実に安堵し、再び老人たちが勢いづく。
が。

540名無しリゾナント:2016/06/03(金) 20:05:33
「あんたらみたいなおっさんにはわからへんと思うけど。紺野は。『Alice』の基幹システムをそのロケットから抜き取
ってるんやて」
「な!なにぃっ!!!!!」
「つまりは…」
「そ。自分らが有難がってるんは…ただの、鉄の塊」

にぃっ、と裕子が微笑む。
老人たちの希望を打ち砕く、慈悲のない笑み。

「さて。最後に…言い残すことは?」
「ど、どういう意味だ…」

絶望に呆けている「ブラザーズ5」に、裕子が追い打ちをかける。

「さっき言うたやん。『粛清人』を差し向けたって」
「な、な、なんだと!!!!」
「あんたらが高笑いしてた時に指示出したからな。そろそろ着く頃やろ」

余裕のあまり、口笛さえ吹き始めそうな裕子。

粛清人の恐ろしさを最もよく知る人間たち。
それは昏き死神たちを意のままに寄越していた「ブラザーズ5」とて例外ではない。
今までに、彼らの敵対者たちがどのような末路を迎えたのか。
彼らは、まるで他人事のように惨劇について理解していた。
鋼鉄の爪に引き裂かれ、血まみれの鎌に四肢を切断された死体たち。中には、爆破されたのかただの肉塊になっていたも
のまであった。
それがまさか自らの身に降りかかるとは。夢にも思わなかったに違いない。

541名無しリゾナント:2016/06/03(金) 20:07:13
老人たちは顔を引き攣らせ、血の気を失くし、涙を、鼻水を流しはじめる。
それでも、堀内だけは何とか踏みとどまっていた。それは、「ブラザーズ5」を纏める者としてのプライドからだけで
はない。

「我々を…舐めるなよ」
「それが最後の言葉ですか? 健気過ぎて泣けてくるわ」
「貴様らの粛清人…リゾナンターとの抗争でほぼ空位状態なのを、知ってるぞ」
「お生憎様。うちんとこ意外と、人材揃ってんねんで?」
「黙れえええ!!!!」

堀内が鬼の形相で、机を叩き、立ち上がった。
目は血走り、脂汗を垂らし、口髭を引き攣らせ。
最後の切り札を、切る。

「俺は!『先生』と、新たな契約を結んでいたのだ!!契約内容は我々五人の護衛!!!配備されるのはあの組織が誇
る最強の七幹部クラスの能力者の達人たちよ!!!!」
「ほう…」

リヒトラウムの警護という契約は反故になってしまったものの。
『先生』は、新たなビジネスを堀内に持ちかけていた。来たるべき日に備えての、身辺警護。
いざと言う時の命綱、堀内がそれを断るはずはなかった。

「貴様のところの粛清人はどうだ!さすがに『赤の粛清』『黒の粛清』レベルではあるまい!残念だったな!我々の力
を甘く見たのが、詰めの甘さだったなあ!!!!!」

さすがにその契約は他のブラザーズ5には隠していたのだろう。
思わぬサプライズに安堵し、老人1の高笑いに釣られ、同じように笑い始めた。
響き渡る5つの笑い声。そのうちの1つが、モニターの映像とともにぷつりと途絶えた。

542名無しリゾナント:2016/06/03(金) 20:08:46
「…え?」

突然の出来事に、呆ける間もなく。
大きなモニターが、次々と沈黙してゆく。
何かが、潰れる音。引き千切られる音。破裂音。断末魔。
残されたのは、すっかり狼狽している堀内の顔を映し出しているモニターのみだった。

「自分らを甘く見たつもりはない。あんたたちがうちらと敵対した場合…真っ先に頼るんは、『先生』んとこやろ。だ
から…先手、打たしてもらいました」
「は…はぁ!?」
「今の5人のおっさんは年だけ食ってる無能な連中ばかりやから。うちらが責任もって、首挿げ替えます。そう言うた
ら『先生』、快諾してくれたで? 自分ら、騙すのをな」
「ば、馬鹿なぁ!!こっちは億単位の手付金をやつらに払ってるんだぞ!!それをいとも容易く裏切るだと!!!そん
な、そんなことが」
「どうでもええけど、お客さんやで?」

裕子の言葉と同時に。
老人1の邸宅内の書斎、その重厚なドアがゆっくり開かれた。
おかっぱ頭の、小さな少女。

「だ、誰だ!!!!」

わかってはいる。
だが、訊ねずにはいられない。
相手が、何者なのか。
そして、これから自分が「何を」されるのか。

「なかざわさーん、おじさん一人しかいないんですけど?」
「佳林ちゃんの好きなじっちゃんやで。よかったなぁ」
「えー、佳林は好きじゃないのに」

堀内を無視し、デスクの上にあるモニターの裕子に話しかける粛清人。

「貴様!!俺の!俺の質問に!!!!」
「じゅてーむ、びやん?」
「は?」

それが、学生闘争の混乱に乗じ財を成し、この国を掌握するまでとなった五本指が一指の、最期の言葉だった。

543名無しリゾナント:2016/06/03(金) 20:10:11
>>537-542
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

おっさんの出番、終了

544名無しリゾナント:2016/06/09(木) 11:55:46
>>537-542 の続きです



表社会と闇社会、その両方に跨り支配し続けてきた老人たち。
そのあっけない死を前に、権力者たちは明日は我が身とばかりに震えだす。
中には腰を抜かし、そのまま卒倒するものまでいた。

「ま、そういうこっちゃ。後任には、うちらが選んだ若手の五人を選んだる。ま、若手言うてもおっさんやけどな」

ひ、ひぃぃぃ!!!!!
誰かの悲鳴を合図に、風に吹かれたように消えてゆくモニターたち。
粛清人たちの仕業ではなく、すっかり神経の磨り減った哀れな老人たちが耐え切れずに自らモニターの通信を切っ
ていったのだ。そして、暴風雨に晒された弱弱しい松明は、ひとつ残らず消えてしまった。
訪れる、闇。

背後から、拍手の音が聞こえる。
裕子は、あからさまに舌打ちしてみせた。

「鮮やかなお手並みでした。さすがは我らが『首領』です」
「自分が言うと、素直に喜べへんよ」

暗闇に映える白衣。
Dr.マルシェの名を掲げるダークネスの頭脳は、感心しきりに首を縦に振る。

545名無しリゾナント:2016/06/09(木) 11:56:59
「ま、あいつらがアホやっちゅうのも勝因の一つやな。最後まで基幹システムの抜き取りに気付かへんかったし」
「あの御老人たちを責めるのは酷というものでしょう。むしろ警察OBやマスコミに圧力をかけて、あれをあくま
で『近日中にオープンするはずだったアトラクションのギミック』と言い張った努力は褒めてあげないといけませんね」
「どの道閉園するんやから意味ないけどな」

肩を竦めつつ、ため息をつく『首領』。
それは5人の老人たちが引き起こした事件が茶番に過ぎなかったことへの、憐みを意味していた。

「しっかし。終わってみるとあっけないもんやね」
「ええ。ただ、彼らが明確な反逆の意志を見せたからこその結末でもありましたが。影の指導者たちを失った政財
界も一瞬は混乱するとは思いますが、すぐに平静を取り戻すでしょう」

そう。
彼らは確かにこの国の光と闇を支配する、文字通りのドンたちであった。
しかしながら、彼らの代わりなどいくらでもいるというのもまた事実だ。確かに彼らは自らの才覚でここまで伸し
上がってきたが、だからと言って彼らに比肩する能力の持ち主がいないわけでもない。ダークネスが手を下さずと
も、遅かれ早かれ「世代交代」は実現していたことだろう。

「で。そっちのほうはどないやねん」
「ええ。問題ありません。『Alice』に『のんちゃん』、無事、回収してますよ」
「ごっちんか。あの子も大変やな。公式には行方不明なばっかりに、あんたにいいように使われて」
「人聞きが悪い。あくまでも、『組織のために』動いていただいてるだけです」

546名無しリゾナント:2016/06/09(木) 11:58:12
紺野によって、部屋の照明がつけられる。
裕子を囲うように配置された画面だけが、暗い闇をいつまでも湛えていた。

「これで、我々の計画に異を唱えるものはいなくなりましたね」
「そやね。せやけど…『先生』のところに借り、作ってもうたな」

紺野の言葉に、『首領』は苦笑を返す。

「まあ確かに。彼らに…いや、既存の地位にいる能力者たちにとってこれから起こることは面白くはないでしょう
からね」
「勝算は、あるん?」
「いずれ、こちらからお伺いしますよ。それで、全ては解決です」

国内の大都市に、そしてアジア地域にまで拠点を広げる大組織。
そのような一大勢力を築いている連中が、紺野の説得如きに耳を傾けるとは、『首領』には到底思えなかった。

しかし。
紺野がやれないことをやるなどと軽々しく口にする人間ではないことも、知っている。
ダークネスは、全ての未来を見通す「不戦の守護者」を失って久しい。だが。
紺野は、未来が見えずとも理想への道を着実に切り拓いている。だから、敢えて何をするかは問わない。
それが、「理想の能力者社会」の実現に必要不可欠であることを、裕子は。ダークネスの『首領』は、知っている。

547名無しリゾナント:2016/06/09(木) 11:59:56


「…続いてのニュースです。原因不明の爆発事故を起こした東京ベイエリアのアミューズメント施設・リヒトラウムです
が、運営会社による会見が行われ、改めて施設閉園の方向で話を進めるという発表がありました。会見には運営会社『H
IGE』の取締役らが出席し…」

いかにも草臥れた中年たちが、涙ながらに詫び、そして土下座を繰り返す映像が流される。
死者こそ出なかったものの、大混乱を引き起こしたリヒトラウムでの一連の騒動。
被害者たちの「記憶」は消すことはできたが、各アトラクションの崩壊などはどうにも誤魔化せず。処理班お得意の「爆
発事故」となって世間を賑わすことになった。

喫茶リゾナント。
入院中のさゆみの代わりに、メンバーの亜佑美がキッチンを任されるも。
相も変わらずの閑古鳥。いや、店主さゆみ目当てで通っていた常連客の足も遠のいているのでそれ以下の有様だ。

よって、喫茶店は義務教育を終えたリゾナンターのメンバーたちによって占拠されていた。

「やっぱり、閉園されちゃうんですね。リヒトラウム」

カウンターに突っ伏しながら、恨めし気にテレビに視線をやる春菜。

「だよねえ。あれだけの騒動を起こしたわけだし。しかも地下にあんな物騒なモノまで隠しちゃっててさ」
「国の偉い人たちは対応に四苦八苦してるって。リヒトラウムを閉園するのも、騒動以上に、地下のあれを完全に隠ぺい
するためらしいし」

カウンターを挟み、亜佑美と聖が互いにため息をつき合う。

548名無しリゾナント:2016/06/09(木) 12:02:03
リヒトラウムから無事脱出した一行は、すぐさま愛佳と連絡を取り、後は偉い人たちに対応を一任することとなった。
どういうわけか、警察の能力者機構である「PECT」も人手が足りずに、やって来たのはかつて聖たちと一戦を交えた
カラフルTシャツの7人組のみだった。

何でも、これまでの活躍が認められ末席ながらもつんく率いる能力者部隊の一員に入れてもらうことができたとのこと。
昨日の敵は今日の友、を地で行く展開ではあるが。

「つんくさんたちとは、連絡が取れないみたいで…」

リーダーの仙石みなみは、ダークネスの幹部が跳梁跋扈したにも関わらず人手が割かれなかった理由についてそう説明
していた。何が起こったのかはわからないが、その情報は不穏な印象を聖たちに与えた。

ともかくその日を境に、聖たちリゾナンターに情報は一切入らなくなった。
あの時連絡を取りあった愛や里沙も、機会が来たら全て話す、とだけしか言わない。もともと多忙な彼女たちとは、連
絡すら取れていない。

「そう言えば、朱莉ちゃんが言ってた。つんくさんたち、大きな任務があってどこかに行っていたって」
「あかりちゃんって。ああ、あの顔の丸い人ですか」

スマイレージは。
今回の勝手な出動を咎められ、現在は行動を大幅に制限されている状態だと聞く。
その中でこっそり監視役の目を盗み、聖に会いに来た際にそんなことを話していたのだ。

つんくたちの消息はもちろん心配だ。
この喫茶リゾナントを初代リーダーである愛が立ち上げる際に、各方面に尽力したというつんく。
それから、リーダーが里沙へ、そしてさゆみへと代替わりした後も何かとリゾナンターの活動に協力してくれたなじみ
深い人物でもある。メンバーたちがその消息について気になってしまうのは当然のことと言えた。

「とにかく、今日みなさんが集まることで…色々わかってくる、わかる必要があるんだと思います」
「…そうだね」

549名無しリゾナント:2016/06/09(木) 12:03:20
聖は、春菜の言いたいことを即座に理解する。
自分たちはあの光と夢の国で起こった出来事の全てを把握するとともに、自分たちがあの日背負った罪の十字架を意味を
問わなければならない。あれから、リゾナンターのメンバーは何もなかったように、通常通りの振る舞いを見せている。
しかし、それが仮初のものであることは誰もが知っていた。
懺悔して何かが変わるのか。わからない。けれど、きっと先輩たちには話さなくてはならない。

みなさんが集まる。
それはあの日以来入院していたさゆみが喫茶リゾナントに帰ってくることを意味していた。
それだけではない。さゆみが帰ってくるということで、多忙にしている里沙や愛もリゾナントに顔を出すという。
そこには、聖たちリゾナンターが「金鴉」「煙鏡」と交戦しているその陰で、里沙や愛もまたつんくの作戦に絡む活動を
していた、そのことに対する説明があるらしい。

「いろんな意味で、動きがありそうですね」

亜佑美が大げさな顔をして、言う。
リゾナンターとしての立ち位置、ありようが変わってしまうのではないか。そんな予感が、亜佑美だけではなく聖や春菜
にもあった。

俄かに立ち込める重い空気、それを破ったのは。

「とーーーーうちゃーーーーーーーく、なうなうー!!!!!!!」

騒がしい声とともに、降ってくる。
比喩ではなく本当に、亜佑美の頭上から降って来たのだ。
優樹が。遥が。里保が。さくらが。そして、さゆみが。

550名無しリゾナント:2016/06/09(木) 12:04:12
「ぐえっ!」
「あ、石田さん」
「まーちゃん!テレポートする時はよく考えてって言っただろ!!」
「イヒヒ、ごめんちゃーい」
「み、みっしげさんすいません!!」
「あ〜ん、りほりほったらいきなり激しいの〜」

三人が折り重なるように。
下敷きになっている亜佑美が、人の山から這って出てくる。

「ちょ、ちょっとあんたねえ…」
「わーっみんなどいてどいてぇ!!!!!」

そこへ、メンバー最重量のぽっちゃり娘。が。

ずしぼきぐしゃっ。

身体中のあちこちから鈍い音が鳴り響くのを感じながら、亜佑美はきゅう、と漫画のような音を立てて気絶した。

「いやー遅れた遅れた、あっ道重さんもう来てる! …あれ、あゆみん何でそんなとこで寝てると。道重さんに失礼っち
ゃろうが」

遅れてやって来た衣梨奈が無残にも潰れている亜佑美を見て、一言。
その後亜佑美がさゆみと聖の治癒尽くしに遭ったのは、言うまでもない。

551名無しリゾナント:2016/06/09(木) 12:05:33
>>544-560
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

552名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:43:21
>>544-560 の続きです



「みんな、心配かけてごめんね」

リゾナンターたちが揃う中、さゆみが最初に発した一言がそれであった。
当然、全員が首が千切れるほどに首を横に振る。

「そそそそんなことないです!みっしげさんがいなかったら今頃うちらは!」
「そうですよ!道重さんのおかげで、私たちはあの二人を倒せたようなものですから!!」

さゆみが目を覚ましてから幾度となく病院で繰り返されたやり取りでもある。
里保と春菜の言うとおり、さゆみが「金鴉」を追い込み弱体化させていなければ、後の勝利があったかどうかもわからな
かった。それだけは確実であった。

「あの…そのことなんですけど、道重さん」
「なに、フクちゃん」

メンバーを代表して、聖が口を開く。
このことだけは、決して避けて通ることはまかりならない。
さゆみが目覚めたばかりの時は、心配かけまいと敢えて触れなかったこと。
つまり、「金鴉」の死。それが、間接的にとは言え自分たちによって引き起こされたということ。

聖が、言葉を詰まらせながらも、そのことを話している間。
さゆみはずっと、静かに聖の言うことに耳を傾けていた。

愛が掲げた、不殺の心得。
自分たちは、決して人を殺めるために能力を身につけたわけではない。
若くしてリゾナンターとなった八人の少女たちは、そのことを不文律としてきた。
ダークネスが無から生み出した存在だったさくらもまた、リゾナンターたちと触れ合う中でそのことを学んできた。

553名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:44:26
しかし、経緯はどうあれ、破ってしまった。
「金鴉」は、どろどろの赤黒い液体となって死んでいったのだ。
例え、相手が。何人もの人間を欲望のままに殺めた救いようのない悪人だったとしても。
その事実だけは、決して曲げることはできない。

ひとしきり聖が話した後。
さゆみは、優しく諭すように話し始める。

「ねえ。もし『金鴉』が…自滅の道を選んでなかったら。どうなってたと思う?」

沈黙。その言葉の意味は、痛いほどにわかるから。
でも、それを答えていいのか。いや、答えるべきなのか。

「私たちは…確実に、死んでいたと思います」

毅然と答えたのは、「金鴉」と直接戦った里保だった。
直接一戦交えた里保が一番よく知っていた。相手の強さを、そして恐ろしさを。
自分たちが勝ちを拾ったのは、様々な要因が重なった上でのことだということを。

「さゆみも、そう思う。逆に。みんなは、『金鴉』のことを殺そうと思って戦ってたの?」
「まさ、あのチビのことすっごいむかつく奴だしぶっ飛ばしたいって思ってたけど、殺したいなんて全然思わなかった!」

今度は優樹が即答した。

「そうだよね。なのに、そんなつもりじゃなかったのに…彼女は死んでしまった。どうしてだと思う?」

誰も、答えられない。
すぐに答えが見つかるのなら、さゆみに話を持ち込んだりはしない。
それでも、さゆみは待った。

554名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:45:33
「…弱かったんだと、思います。うちら自身が」

どれほどの時が経ったかわからない。
ただ、里保が絞り出した答えは、限られた時間の中で自らを見つめ直した結果のものだった。

「愛ちゃんは、これからさゆみが言おうとしてること…絶対に言わなかった。あの人は、凄く優しい人だったから。ガキ
さんも、言わなかった。あの人は、手堅く考える人だったから。けど、さゆみは」

一同が、固唾を呑んでさゆみの言葉を待つ。

「『不殺』は…実力のあるものにしか、守れない」

皆、薄々は感じていたことだった。
ただ、それを認めるということは、自らの力不足を認めること。
さゆみや歴代リーダーたちの期待を裏切ることに他ならなかった。
それでもさゆみは、言葉を続ける。

「さゆみは愛ちゃんにもなれないし、ガキさんにもなれない。けど、みんなに期待してるから。壁を乗り越えてくれるっ
て信じてるから。敢えて言うね。『不殺』を守れるような、実力を持った人たちになってください」

それは、敵の死を仕方ないと片付けるのではなく、自らが未熟な証として、罪の十字架として背負い続けなければならな
いということを意味していた。

さゆみは、後輩たちの顔を見る。
もちろん、期待を込めて、期待に応えてくれると信じて発した言葉だ。
嘘偽りや後悔などあるはずない。
それでも、強い、強すぎる自分の言葉に誰かが挫けてしまうのではないか。
そのような不安がないわけではなかった。

555名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:46:40
だが、どうだろう。
聖。衣梨奈。里保。香音。春菜。亜佑美。遥。優樹。そして、さくら。

さゆみに導かれてきた若きリゾナンターたちは、挫けるどころか、燃えるような瞳を湛えさゆみのことを見ている。
覚悟と決意。誇り高き精神が、そこにはあった。
後輩たちの背中を見守ってきたさゆみだが、これほどまでに彼女たちの存在を頼もしいと思ったことは無かった。

愛から、そして里沙から受け継いだリゾナンター。
形が変わり、メンバーが変わっても。
こんなにも、力強く輝いている。そのことが、さゆみには誇らしかった。
これならば。

喫茶リゾナントの玄関前。
ドアのガラスから様子を窺っていた、二つの影があった。

「このことについてはうちらの出番、なさそうだね」

肩を竦めつつ、安心したように里沙が言う。

「当たり前やろ、あーしらの後輩なんやから」

言いつつ、愛は里沙の背中をバチーン。喜びは、そのまま力に。
いたっ、まーったく愛ちゃんはすぐ手が出るんだから。
そんな愚痴をこぼしつつも、里沙は。そして、愛も。かつての9人、つまり自分たちかつてのリゾナンターの姿を今に重
ねていた。

あの時とは違う、それでもそれとはまた別の強い輝き。
今のメンバーたちの織り成す、青き共鳴。
彼女たちもまた、受け継いでいるのだ。自分たちが抱いていた、いや、今も抱き続けている志を。

556名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:47:47


里沙と愛が、喫茶店に入って来たのは、それからすぐのこと。
彼女たちの口から告げられたのは、彼女たちが警察組織に属する能力者であるからこそ知ることのできた、裏事情の
数々だった。

「煙鏡」が精神エネルギーを利用した兵器と謳っていた「Alice」。
しかし、専門の研究者たちが調べたところ、あの鋼鉄のフレームで象られた物体は単なるロケット型の鉄の塊に過ぎ
ないことがわかった。蓄えられているはずの精神エネルギーも存在していなかったという。ただしこれは表向きの話。

「Alice」をロケット格納庫から発射するための基幹システムが、そっくりそのまま抜き取られていた。
誰かが、存在の証拠隠滅を図ったのか。

「それって、あの『煙鏡』がやったんじゃないですかね」

亜佑美の問いに、愛は首を振る。
『煙鏡』は、何者かの手によって惨殺されていた。
おそらくダークネスの手の者が彼女を始末しつつ、「Alice」の重要機構をそのままどこかへ運び去ったのではない
か。あくまでも推測に過ぎないが、ありえない話ではなかった。

あれほど自分たちを苦しめた「煙鏡」が、あっさり始末された。
そのことに衝撃を受けるメンバーたちだが、それを上回る情報が里沙からもたらされた。

「それと、行方不明のつんくさんのことだけど。残念ながら…」

つんくが「銀翼の天使」の討伐のため能力者たちを率いて進軍し、結果不慮の死を迎えたことが伝えられた。
そしてそれ以上に、驚愕の真実が告げられる。

557名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:49:33
つんくが、元々はダークネスに出自を発した人物であったこと。
そればかりか、ダークネスを抜けた後に「能力者プロデュース」と称して能力者の卵たちを全国から集めていたのは、実
はダークネスと警察機構の両者への人材供給行為の意味合いがあったということ。
その上で、自ら「対ダークネスの能力者部隊」を率いる本部長の座についていたということ。

「つんくさんが…どうして…」
「そんなの…ひどすぎます!それじゃ、彩ちゃんが!スマイレージの人たちがあまりにも!!」

時折喫茶店を訪れ、リゾナンターたちの日々の悩みに耳を傾け時にはアドバイスまでしていたつんく。
そのリゾナンターのオブザーバー的な立場からは程遠い人物像に、聖は裏切られ打ちひしがれる。
そして春菜は、残酷な事実に憤りを覚え思わず声を荒げる。春菜が覗いた、和田彩花の過去。あの闇と血で塗り潰された苦
難の元凶が、つんくによって齎されたという事実に。

「でも、おかしくないっすか? つんくさんは、ダークネス討伐の先頭に立っていながら何でそんな面倒なことをしたんす
かねえ」
「そうですね…それに両陣営から得ていた利益を捨ててまで、なぜ『天使討伐』に向かったんでしょう」

遥とさくらの疑問も当然である。
つんくのしていたことはダークネスに敵対する存在でありながら、自らその敵に利を与える行為だ。
そしてさくらの言うように、両者から利益を得ることで私腹を肥やしていたなら、総力戦を仕掛けるというのはその利益を
自ら潰す行為でしかない。

「それについては。『PECT』の人たちがつんくさんの事務所や自宅を調べてるところ。ただ、私には…ううん、真実は
これから明らかにされるはず」

言いかけたところで、自らの思考に蓋をする里沙。
里沙には。ダークネスとリゾナンターを行き来していた彼女には、どうもつんくが単純な理由で動いていたとは思えなかっ
た。それに、今際の際のつんくは、何かを途中でやり残しながら死んでいったようにすら見えた。そこには「銀翼の天使」
を手中に収める作戦の失敗も含まれていたと思うが。
ただ今は、不要な情報を与えて若きリゾナンターたちを混乱させるべきではない

558名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:50:51
「とにかく。協力関係にあった警察機構の対能力者部隊の戦力も削られた。あんたたちにかかるプレッシャーは、これま
で以上になると思う」

愛の言葉に、身が引き締まる思いになる若きリゾナンターたち。
つんくという中継地点はあったものの、これまで彼女たちは国家権力とは無縁の場所で活動をしてきた。
だが、彼らが対ダークネスの切り札として保持していた能力者たちは「天使」との戦いで少なくない被害を受けた。多く
が負傷し、中には能力を失ってしまったものまでいるという。
となると、民間人でありながらも多くの功績を上げてきたリゾナンターに注目するのは自然な流れ。

「それでも、あーしは信じとるよ。新しい体制で、困難を乗り越えてくれるのを」

愛からの信頼、それはメンバーたちにとってまた格別な響きがあった。
リゾナンター発足時のリーダーであり、自分たちがまだ右も左もわからない時に導いてくれた存在。
そこで、ふと思考が止まる。彼女のある言葉に、引っかかったのだ。

「あの、今…“新しい体制”って」

聖の問いかけに、愛は答えない。
代わりに、さゆ…とだけ口にして、先を促した。

「今日、さゆみがここに来たのは。みんなに言わなくちゃならないことがあったからなの。本日をもってさゆみは…リゾ
ナンターから離脱します」

今日という日は、リゾナンターたちにとって受け入れがたい事実の連続だったのに。
中でも、さゆみが今言ったことは最たるものだった。
その証拠に、メンバーの誰もが口を開くことができない。反応できない。
晴天の霹靂どころの話ではない。空は晴れ渡っているのに、なぜか冷たい雨が土砂降りのように降っていた。
さゆみの表情が、やけに晴れやかであるということも、含めて。

559名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:52:08


「なんで!なんでみにしげさんがリゾナンターやめるの!」

今にも泣きそうな顔で、優樹がさゆみに詰め寄る。
それをきっかけに、リゾナンターたちがさゆみを一斉に取り囲んだ。

「実はね…おねえちゃんが、いなくなってしまったの」
「えっ」

「おねえちゃん」がいなくなる、そのことが何を意味しているのか。
何人かは、ある可能性を頭に過らせてしまう。つまり。

「それって、物質崩壊の力が使えないってことですか!!」

香音が、自らの考えを否定するような大声で叫ぶ。
リゾナンターの歴史において、過去にも能力を失ってしまったメンバーがいた。
「銀翼の天使」の襲撃によって能力を失くした久住小春、光井愛佳。
Dr.マルシェの実験によって力を奪われた、田中れいな。
能力を持たない存在になってしまった彼女たちが選んだ道は、一つだった。

「やけん!治癒の力は無事なんですよね!?」

縋るような衣梨奈の言葉に、さゆみはゆっくりと首を横に振る。
さゆみの力は、「さえみ」の消滅とともに完全に失われてしまった。
過剰な治癒はやがて物質の崩壊に至る、というのがさゆみの能力とさえみの能力の関係性のはずだったが、自らの力が消
えてしまった今なら理解できる。
物質崩壊の力が弱められたのが、治癒の力だったのだと。

560名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:53:17
さゆみの離脱は、避けられない。
我流ながらも威力の高い格闘術を持っていたれいなでさえ、いつ終わるとも知れない治療の道のりを選ばざるをえなかった
のだ。増してや能力抜きの戦闘能力の低いさゆみなら、なおさらだ。
暗い現実は、立ち込める暗雲が如く、若きリゾナンターたちの心を押しつぶしてゆく。

「やだ!まさ、みにしげさんいなくなるのやだ!!」
「お、落ち着けよまーちゃん!そ、そうだ!道重さん能力がなくなったとしても喫茶店のマスターとしてなら残れるんじゃ
ないっすか!?」

取り乱す優樹を宥めようとした遥の咄嗟の一言。
だがそれは沈みかけたメンバーたちの心にあっと言う間に広がっていった。

「それです!道重さん、それならリゾナントに残れますよ!!」
「うちらもまだまだ料理ができるとは言えないですし」
「そうですよ!レンジでチンだってコツがいるんですから!」

最後のは微妙にフォローになっていないが、ともかくさゆみを引き留めるために、あの手この手を後輩たちが尽くそうとす
る。それほどまでに、さゆみの離脱は想定外であり、できれば避けたいことだった。

そんな健気な姿に思わず涙ぐみそうになるさゆみだが。

「…みんな、さゆみの、周りのみんなの声を、聴いて。心を、重ねてみて」

さゆみの言葉の意図に、すぐに気付くメンバーたち。
これから行おうとしているのは、「共鳴」。

なぜ、この場でという疑問はあったものの、さゆみの意に従い、深く瞳を閉じた。
彼女の心模様を知るために、必要なことなのかもしれない。その時はそう、思っていた。

561名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:54:35
濃桃、黄緑、赤、緑、黄、青、橙、翠、藤色。
それぞれの光が溢れ、渦を巻き、一つの形を作り始める。
彼女たちが、共鳴者たちの異名を取る理由。つまり、響き合うものたち。

「おおっ」
「へえ。今は『こういうかたち』なんだ」

愛が目を丸くし、里沙が感心するように何度も頷く。

若きリゾナンターたちの作り出す、大きな奔流。
しかし。大きく膨らんでゆくはずの風船は、ある時を境に途端にバランスを崩し。
共鳴の力は弾けて消えてしまった。

「え!!」
「どうして!こんなこと今までなかったのに!!」
「あゆみが空回りし過ぎなんだよー」
「はぁ!?何であたしなのよ!!」

予想外の結果に、戸惑いを見せるリゾナンターたち。
いや違う。一人だけ、結末を予期していたものがいた。

「びっくりしたでしょ。でも、これは…さゆみのせいなの。さゆみの存在が、みんなの共鳴のかたちを…変えてしまう」

さゆみは自分が能力を失った以上は、こうなることを知っていた。
響き合うものたちが作り出す、蒼き共鳴。
だがその形は、メンバーが抜け、そしてまた新たにメンバーが加入することで生き物のように形を変えてゆく。
その中で、どうしても変化についていけないものが出てくる。
共鳴の乱れ、不調和となって顕在化する。そうなってしまうのを防ぐ方法は、リゾナンターの歴史が示していた。

562名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:56:02
芸能界の活動に専念することを決めた、久住小春。
故郷へ帰り「刃千吏」の活動に身を投じた、リンリン。ジュンジュン。
警察組織のスカウトに応じ、新組織に身を置くことになった高橋愛。新垣里沙。
何でも屋としてリゾナンターを陰から支えることにした、光井愛佳。
自らの能力を取り戻すべく、終わらない旅に出た田中れいな。
いつ目覚めるとも知れない眠りについている、亀井絵里。

彼女たちが、一人としてリゾナントに残らなかった理由が、そこにあった。
例え能力を失ったとしても、「今の」リゾナンターと行動を共にしてしまうと、今の彼女たちに大きな影響を及ぼしてしま
う。そうならないためには、自ら身を引く以外に方法は無い。

一様に、顔を青くさせるメンバーたち。
特に、聖の消耗はより激しかった。さゆみと、自分たちとで奏でられる共鳴。それが乱れ、弾けそうになってしまうのを最
後まで食い止めようとしたのは聖だった。

リヒトラウムで「金鴉」に致命傷に等しい攻撃を受けた時。
聖は、たださゆみの近くに駆け付けたい一心で走り出していた。その時のように、さゆみの元に届く。そう思っていた。し
かし、状況は聖が思っていたよりも悪い。最悪と言ってもよかった。
そうしてもがき、足掻き続けた結果の、劇的な体力・精神力の消耗だった。

563名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:57:01
「みんな。落ち込んでばかりはいられないの。だって、これから…さゆみはこれからこのリゾナントを取り仕切る後継者を
指名しなければいけないから」

聖の意識は、やがてゆっくりと遠のいてゆく。
他のリゾナンターたちは、さゆみの衝撃的な発言のせいか、そのことに気付かない。

― さゆみの…後継者は… ―

薄れゆく意識の中で、さゆみの声が遠くから聞こえてくる。
そうか…後継者か…リゾナンターになった歴で言えば聖だけど。本当に聖でいいのかな。
だって、頼りないし。いつもえりぽんやはるなんに頼りっきりだし。どうしよう。

視界が揺れる。
そして聖自身の感情もまた、大きく揺れていた。
やがてその震えも、形を失い消えてゆく。彼女の精神力は、限界を迎えていた。

― は…る…なん… ―

白い意識の彼方にあると言うのに、さゆみが春菜の名を呼ぶ声だけが聖の中に刻み込まれる。

そ…っか…そう…だ…よ…ね…やっ…ぱ…みず…き…じゃ…だ……め……

聖の意識が途絶えるのと、吸い込まれるように床に倒れたのは、ほぼ同時。
メンバーたちが聖の異変に気づき懸命に呼ぶ声は、聖には届かなかった。

564名無しリゾナント:2016/06/11(土) 22:59:49
>>552-562
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

絶えて久しかったリゾスレの映像作品復活に感動しています
一枚絵だけでも自作でリクエストしたい気分でいっぱいですが負担になりそうなので我慢しておきますw

565名無しリゾナント:2016/06/13(月) 22:24:57


…ちゃん…フ…クちゃん…

深い意識の奥から、聖がゆっくりと浮上してゆく。
耳に入るは、自分を呼ぶ甲高い声。だが、違和感がある。
この声の主は、自分のことをそんな呼び方はしないはずだ。

瞑っていた目を見開くと、そこには見慣れたまんまる顔が心配そうに覗きこんでいた。

「あれ…あかり…ちゃん?」

しかし目の前の丸顔は怪訝な表情を浮かべて、

「フクちゃん、まだ寝ぼけてるの? うちはタケ。タケ・ガキダナーだよ!」

聖の頭は、混乱している。
何のことだ。朱莉ちゃんは朱莉ちゃんじゃないか。
しかも変な格好までしている。
黒を基調とした衣装は、まるで中世の騎士の正装のようだ。

思わず、寝ていた体を起こし上げる。
体が重い。見ると、なぜか全身が鎧に包まれている。
ここはどこだ。喫茶リゾナントではないのか。
視線を目まぐるしく「部屋」の隅々にまで行きわたらせる。
何だ。何なんだ、この部屋は。石を組んで作った壁、壁につけられた松明の明かり。

566名無しリゾナント:2016/06/13(月) 22:27:28
「聖…どうしてこんなとこに…」
「はぁ?まだ寝ぼけてんの。ミズキって誰だよ。フクちゃんの名前は、フク・アパトゥーマでしょ。もう、いくらハルナンに不意
打ちされて気絶してたからって記憶まで失くしたなんてことないよね?」

意識が混濁しているのと勘違いしたのか、朱莉にしか見えないタケ・ガキダナーはこれまでの状況を説明した。
聖は、モーニング帝国が誇る剣士集団・Q期団の団長であり、サユ王の退位に伴い次期国王候補になっていること。
Q期団のライバルである天気組団の団長ハルナン・シスター・ドラムホールドもまた候補に選ばれ、彼女と激しい後継者争
いをしていること。そして、ハルナンとの反目からアンジュ王国のマロ・テスクが聖の加勢をするよう、タケ含む四人の
「番長」を送り出したこと。

「ちょっと朱莉ちゃん何言ってるか全然わからないんだけど」
「わからなくてもいいの!うちらはフクちゃんを帝国の王にするため動いてるの!!フクちゃんの同期のエリポン・ノーリ
ーダーもサヤシ・カレサスもカノン・トイ・レマーネも天気組の奴らと今戦ってるんだっての!!」
「もうわけわからん!!」

朱莉、ではなくタケが必死になればなるほど頭が混乱する聖。
いや待て。今、里保ちゃんっぽい名前の子たちが天気組とやらと戦っているとか言ってなかったか。
天気組の顔ぶれは、団長がハルナンであることからすれば容易に想像できた。
途端に、聖の顔から血の気が引いてゆく。

「大変!みんなを止めなきゃ!リゾナンターが分裂しちゃう!!」
「チョトマテクダサイ!どこ行こうってのさ!!」
「こんなとこで寝てる場合じゃない!早く喫茶リゾナントに行かないと!!」
「キッサ?リゾナント?何だよまだ頭打った影響が出てるの!?」

よくわからないが、春菜がリゾナンターのリーダーに選ばれたことを不満に思った里保たちが反旗を翻したのかもしれない。
ってそんな馬鹿な。でも、朱莉の性格からしてとてもではないが嘘をついているようには見えない。ならば、直接この目で
確かめるしか方法はない。話の整合性や経緯などこの際どうでもいい。
聖はとにかく、焦っていた。

567名無しリゾナント:2016/06/13(月) 22:28:00
タケの制止を振り切って部屋から出て行こうとする聖。
その足が止まったのは、部屋の入り口から人のような何かが勢いよく投げ込まれたからだ。

「カナナン!メイ!リナプーまで!!」

タケが絶叫するのも無理はない。
彼女が叫んだその三人らしき少女は、ずたぼろの血まみれ状態で投げ込まれたからだ。
ぴくぴくと体を痙攣させているのみで、意識があるかどうかもわからない。
三人の顔を見ると、やはり見たことのある顔。
ここは、一体どこなんだという疑問が再び聖の中から湧き上がってゆく。

「アンジュ王国が誇る『番長』たちをここまで痛めつけられる人なんて…あの人しかいない…」

急に、タケががたがたとその身を震わせはじめた。
その理由は、三人を投げ込んだ張本人が現れることで明らかになる。

「…ハルナンを虐める子は、死刑だよ」

思わず、ひぃ! という言葉が出てしまうほどに。
長い髪を振り乱しつつ部屋の中に入ってきた女性の狂気は、二人を圧倒した。

「あ、あ、アヤチョ王!!」
「和田さん!?」

聖が現れた女性を和田彩花だと認識する前に。
隣にいたタケの体が、豪快に吹っ飛ぶ。
風神のようなスピードで、目にも止まらない攻撃を繰り出したのだ。

568名無しリゾナント:2016/06/13(月) 22:28:54
「タケェ!よくもハルナンを!こうしてやる!こうしてやる!」

彩花、いやアヤチョ王は雷の如き迫力で倒れているタケを踏みつける。何度も、何度も。
その表情は、まるで仁王。
何かが潰れ、折れる音が何度も響き渡る。
ついには、タケの口から大量の血が吐き出された。

「ゲホッ!……うぅああ……」
「悪いヤツめ!悪いヤツめ!こうしてやる!」
「朱莉ちゃん!!」

突然の惨劇に見舞われた朱莉を救うべく、彩花に体当たりを仕掛ける聖。
アヤチョ王の体を大きくよろけさせ、ひとまずの蹴りの嵐を止めることはできたものの。

「アヤ知ってるよ。フクちゃんは、ハルナンが国王になろうとするのを邪魔してるんでしょ?」

思い切り、標的が聖へと向いてしまった。
だが、彩花、ではなくアヤチョ王の言葉には聞き捨てならないものがある。
恐怖に潰されそうになる心を奮い立たせて、聖は叫んだ。

「違う!聖は、はるなんがリーダーになることに反対してないもん!!そりゃ聖のほうが先にリゾナンターになったのにって気持
ちがないわけじゃないけど…でも、はるなんは戦闘力こそ低いけど、作戦を考える力はすごいし!みんなをまとめる力もある!!」
「……」
「だから!聖は、聖ははるなんがリーダーになっても、はるなんのことを支え続ける!!」

569名無しリゾナント:2016/06/13(月) 22:29:54
聖の剣幕に、しばしきょとんとした顔をしていたアヤチョ王、しかしすぐに鬼の形相を取り戻す。

「そんなの、口だけならいくらでも言えるし。とにかく、フクちゃんはハルナンの王位継承には邪魔な存在なの。カクゴして?」

力強い構えとともに繰り出されるのは、風神と雷神の力を練り合わせたような必殺技。
疾風迅雷の手刀が、聖に襲い掛かる。ダメだ、避けられない。
絶望と、手刀の衝撃が聖の体を激しく駆け巡ってゆく。
あれ、変だ。手刀を受けた当たりの腕の部分が、妙に気持ちいい。

やがて、視界が暗転する。

570名無しリゾナント:2016/06/13(月) 22:30:29


…ちゃん…フ…クちゃん…

聖を呼ぶ、声がする。
また同じ光景? ただ自分を呼ぶ声は、朱莉のような甲高い声ではない。
むしろ、興奮を抑えられないと言った感じの、気持ち悪い低めの声だ。

瞑った目を開いてみると、そこにはなぜかうっとりとした顔で聖の二の腕を摩っている里保がいた。

「りっ里保ちゃんいったい何を!!」
「え、いや、フクちゃんを起こそうと思って体をゆすってたらつい」

何が「つい」なんだかよくわからないが。
聖はベッドの中で寝ている状態であった。ここは、見慣れた喫茶リゾナントの2階。
さゆみが自らの私室として使っている部屋だった。

そう言えば、道重さんの匂いがする…

思わず、布団に顔を埋める。
そして、さっきまで自分が見ていたものが夢だったのだと改めて実感した。

窓から差し込む日差しの加減から、先ほど気を失ってからそれほど時間が経ってないことを理解する。

571名無しリゾナント:2016/06/13(月) 22:31:37
それにしても。聖は改めて思い返す。
わけわからない夢だったな。
でも、微妙に今の状況と合ってる感じもするし。
そうだ。道重さんがリゾナントを抜けるって話になって、それで、次のリーダーがはるなんに。

「…みんなは?」
「夜から道重さんの送別会やるって言うから、買い出しに出かけた」
「そう…」

聖が考え事をしてる間にも、里保は聖の二の腕を撫で続けている。
いつからか何故か里保は聖の二の腕に異常に執着するようになったのだが、今はそんな場合ではない。
なおも触ろうとする手を布団から追い出し、再び自らの思考に没頭する。

例え、夢であっても。
聖がアヤチョ王に宣言したのは、心からの言葉。そこに嘘偽りはなかった。
自分がリゾナンターになったのは、闇に苦しむ人々を救いたかったから。それは、別にリゾナンターのリーダーじゃなくてもでき
ること。
だから、笑ってはるなんのことを迎え入れることができる。
でも。

「もう、しつこい」

変態中年のセクハラさながらの里保の手をぴしゃり。
ええじゃろ、減るもんでもなしに、とでも言いたげな里保を尻目に、聖は部屋を出て階下に向かう。
けじめを、つけるために。

572名無しリゾナント:2016/06/13(月) 22:33:09
>>565-571
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

知ってる人は知っている「マーサー王」からのリゾナントでした
そしてガキさんおめでとう

573名無しリゾナント:2016/06/23(木) 00:25:03
>>565-571 の続きです



「…でね。こうやって、こうやって。はい。『リゾ・リゾ』の出来上がり」
「うわぁ!おいしそうですねえ…さすが道重さん、レンジでチンだけじゃなかったんですね!!」

階段を下りてゆく途中で、さゆみと春菜らしき二人の会話が聞こえてくる。
こちらまで漂ってくるいい匂いに、聖は憶えがあった。確かこれは。

まだ、リゾナンターが最初の9人だった頃。
ふとしたことがきっかけで喫茶リゾナントに顔を出すようになった聖、そんな彼女に当時のメンバーだった亀井絵里がよく振る舞
ってくれたのが、「リゾ・リゾ」。メインのリゾットもさることながら、デザートの豆腐ヨーグルトの優しい甘さは小学生の聖を
瞬く間に虜にした。
それ以来、「リゾ・リゾ」は聖にとって喫茶リゾナントを代表する味となっていた。

キッチン裏の階段を下りたところで、こっそりとさゆみと春菜の様子を窺う聖。
さゆみと春菜は、まるで姉妹のように仲睦まじく料理を作っている。
その姿を見て、聖はこれまでのさゆみと自分の関係を思い出していた。

新しいメンバーとして、リゾナンターに加入した聖たち四人。
しかしそれは想像以上の茨の道でもあった。
既に能力者としてキャリアを積んでいる先輩たちに比べ、あまりにも弱い自分たち。
水軍流という武術を修め、水限定念動力を少なくとも聖の目には自在に操る里保はともかく、他の三人はまるで戦力にならなかっ
た。特に聖は能力者の養成所に通ってまで自らのスキルアップを目指していたのに、それが実戦では役に立たない。そのことに気
付いた時から、聖にとって喫茶リゾナントは常に気の抜けない修羅場と化していた。

だが、自分たちの後に入ってきた春菜たちは、偉大なメンバーたちとの間に聖たちという年齢も実力も近い存在を挟むことで。
幾分かは和らいだ状況で先輩たちと接することができた。聖がさゆみに対して未だに遠慮がちなのに比べて春菜がさゆみと距離を
縮めているのも、そういう背景に原因があるのではないだろうか。

574名無しリゾナント:2016/06/23(木) 00:26:08
思いかけて、聖は首を思い切り横に振る。
そんなのは、ただの言い訳に過ぎない。春菜も、何の努力もなしにさゆみと仲が良くなったわけではないのは聖も重々知っている
ことだ。
春菜はさゆみの嗜好や考え方などを徹底的に研究した上で、さゆみと良好な関係を築いている。さらに、天性のコミュニケーショ
ン能力も互いの関係を円滑するのに役立てている。
それらのことは、聖には決して真似のできないことであり、自分自身に欠けている部分だと自覚していた。

聖は、はるなんに引け目を感じてるんだ…

改めて自分の劣等感が浮き彫りにされていることが、聖の心に暗い翳を差す。
どうした。きちんと「けじめ」をつけるんじゃなかったのか。必死に自らの心を奮い立たせる。ここで尻込みなんかしていては、
これから先リゾナンターの一人としてもやっていけない。
決意が、強い一歩を生み出した。

「道重さん!はるなん!!」

急に聖に大声で声を掛けられたせいか、飛び跳ねたように首を向ける二人。

「ふ、ふくちゃん!?」
「よかった…もう体の調子はいいんですか?」
「あの!みずき、二人にどうしても言わなくちゃいけないことがあって!!」

並々ならぬ決意を感じたのだろう、すぐにさゆみも春菜も畏まった顔になる。
聖がこんなことを言いだすのは、それだけ珍しい、かつ大きな何かがある時だけだということを二人とも知っていた。

キッチンの前に出ると、いよいよ二人と正対することとなる。
襲い掛かる緊張感と言ったら、眩暈がしそうなほど。それでも。

575名無しリゾナント:2016/06/23(木) 00:27:22
「はるなん!これから道重さんのすべてを受け継ぐのは大変かもしれないけど、迷った時困った時、いつでも聖ははるなんの力に
なるから!!道重さんも聖たちのこと、見守ってて下さい!!」

あの夢の中でアヤチョ王に宣言した言葉そのままに。
聖は、思い描いた言葉をはっきりと口にした。
だが、それを聞いた二人の反応は。

「いや…でも、こればっかりは譜久村さんはちょっと…」
「だよねえ。ちょっとフクちゃんじゃ頼りないよねえ」
「え?」

決意を持って話した割に、あんまりな反応。
さすがにこれには聖も反駁したくなってしまう。

「そんなことない!聖は、はるなんよりも少しだけどリゾナンターの経験も長いし、そりゃちょっと頼りないところはあるかもし
れないけど、でも聖だけじゃなくて里保ちゃんやえりぽん、香音ちゃんだって」
「ストップストップ!フクちゃん何言ってるの?」

聖の感情が高ぶりそうになるのを制止したのは、さゆみ。

「何の話って!はるなんがこれからリーダーになるから、聖はその時の」
「あれ…もしかして譜久村さん、何か勘違いされてません?」
「…え、え?」
「私が後継者に指名されたのは、この喫茶リゾナントの店主ですよ」

今度は聖がストップをかけたい気分だ。
だって道重さんはあの時後継者ははるなんだって…と口にしそうになったが、ふと思い返す。
そう言えば確かに、あの時さゆみは「リゾナント」の後継者と言っていたような気が。

576名無しリゾナント:2016/06/23(木) 00:28:40
「で、でも!歴代のリーダーは喫茶店のマスターも兼任してたし!!」
「だって、フクちゃん。あなた、料理できないでしょ?」
「それに譜久村さんにお店を任せると、採算の取れないような高級素材ばかり買ってきますし」

さゆみと春菜から交互に、言い返せない事実が。
確かに聖は料理などほとんどしたことない。卵焼きすらまともに作れない。しかも、さゆみが風邪をひいて寝込んでしまった時に
代わりに食材の買い出しをしたことがあり、良かれと思って自分の行きつけのスーパーで買い物をした結果さゆみに大目玉を食ら
ったこともあった。曰く、レシートの数字の桁が1つばかり多いとのこと。

先程までの勢いはどこへやら。
気持ちも体も小さくなる思いで恐縮する聖だが、あることに気付く。
歴代のリーダーの話をしていたのに、さゆみが聖のことに言及する理由とは。

「あの…道重さん、次のリーダーって」

さゆみは、呆れたような、それでいて優しげな眼差しを向ける。

「フクちゃん。リゾナンターのこと、よろしくお願いね」
「え…あ…」

緊張とそこからの緩和と、言葉の重み。
それらが一気に襲い掛かったのか、聖の目から、次から次へと涙が溢れる。

「譜久村さん。今度は私から言わせて下さい。私は譜久村さんよりほんの少しだけ人生経験が長いから、迷った時。困った時。い
つでも、譜久村さんの力になりますから。あゆみんやくどぅー、まーちゃん…はまあ。でもあれで意外とまともなこと言ったりす
る時もありますけど。とにかく、みんながいますから」
「うん…ありがと…ありがとね、はるなん…」

泣き崩れる聖を、そっと抱きしめる春菜。
その姿に、リゾナンターの未来を見たさゆみは。

577名無しリゾナント:2016/06/23(木) 00:29:42
フクちゃんとはるなんならきっと、新しいリゾナンターとして他のみんなを率いてくれるはず。あとは…

さゆみが、まだ誰にも話していない「腹案」について思いを巡らせようとした時。

「あーっ!!」

聖が、思い出したように大声を上げた。

「ど、どうしたのフクちゃん」
「何かあったんですか譜久村さん」
「あの、聖がリーダーになるって話。他のみんなも、知ってるんですよね?」
「うん。そうだけど…」

さゆみの言葉を聞くや否や、聖は先ほどまでの泣き顔などどこへやら。
信じられないと言いたげに顔を膨らせ、猛烈な勢いで階段を駆け上っていった。

「もう!里保ちゃん!!」

確かに聖は料理などほとんどしたことない。卵焼きすらまともに作れない。しかも、さゆみが風邪をひいて寝込んでしまった時に


そう。
聖がリーダーとなることを知っていた里保から、それらしき一言があれば、妙な勘違いをしないで済んだかもしれない。
それなのに、二の腕を触ることに夢中になって何も話さなかったという有様。怒りやら恥ずかしさやらなんやらのすべての感情が、
八つ当たり気味に里保へと向かっていくのも、無理もない。

その後、なぜかベッドの中ですやすやと寝ていた里保は聖にたたき起こされ、たっぷりとリーダー任命の件を話さなかったことに
対しての恨み節を聞かされることとなる。

578名無しリゾナント:2016/06/23(木) 00:30:32
>>573-577
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

579名無しリゾナント:2016/06/24(金) 11:40:41
>>573-577 の続きです





対能力者部隊「エッグ」本部長・寺田光男に関するレポート(仮)

1.「天使の檻」襲撃及び「銀翼の天使」保護作戦失敗の経緯

○月×日 17:00 「エッグ」本部長・寺田光男は部隊内小隊「ベリーズ」「キュート」「ジュース」及び複数の能力者(構成員名
簿を別紙1に記載)を率い、反社会的組織「ダークネス」が一施設、通称「天使の檻」を襲撃。
空間転位能力者・R(正式な隊員でないため略称にて)の能力により防衛システムを掻い潜り敷地内に到達するも、組織の能
力者である「黒翼の悪魔」の迎撃を受ける。
交戦の結果、複数の死者・戦闘不能者を出し、最終的に寺田自身も接触した「銀翼の天使」の暴走に巻き込まれ、死亡。
「銀翼の天使」はさらに寺田の指令を受け現地へ出動した元リゾナンター高橋愛・新垣里沙の両名と交戦。「天使」の活動停止
に成功するも、結果的には組織の手により回収。

2.十人委員会の関わりについて

「天使の檻」襲撃及び「銀翼の天使」保護作戦については、ほぼ寺田の独断により立案・実行されたものと確認されている。「エ
ッグ」上部組織である警察庁内「十人委員会」の作戦実行許可書類も、寺田によって偽造されたものと確認。よって「十人委員
会」は、寺田の行動について関与しておらず、また一切の責任を負う義務は皆無である。

3.寺田光男の処分について

寺田については、項目2の他、後述の項目5の看過できない重大な背任行為の疑いが浮上している。
しかし、本人死亡のため、また、機構内の混乱を避けるため、対能力者部隊関係者にはあくまでも「作戦実行中の殉職」と発表
する。なお、寺田の遺体については司法解剖の後、速やかに焼却を遂行している。

580名無しリゾナント:2016/06/24(金) 11:42:01
4.今後の対能力者部隊について

寺田死亡のため、新たな本部長を寺田直属ではない能力者から選考中。理由は項目5にて記載。
「ベリーズ」は構成員の半数以上が再起不能状態なため、解体・別小隊への再編成を検討。「キュート」については更なる能力強化プ
ログラムを実施予定。なお、行方不明の「ジュース」については構成員全員がダークネスのスパイであったことが確認されている。そ
の他死亡者・再起不能者については別紙1にて記載。

5.寺田光男の背任行為について

今回の件を受け、寺田が都内(東京都○○区××町4丁目71番地4号)にて構えている事務所を捜索。
その中で事務所内PCのデータ(巧妙に断片化されていたが「PECT」情報システム部により一部復元済)から、寺田が「エッグ」
(部隊名ではなく、当機構における未開発能力者の総称)を若干名ダークネスに横流ししていた事実を確認。これは利敵行為に当た
り、当機構大憲章27条5項に違反する背任行為である。当人死亡のため立件はしないとの「十人委員会」の方針ではあるが、機構
内での協力者の存在の有無を含め、調査の必要がある。

6.その他(項目に追記するか未定)

・「天使」の生死について(ほぼ絶望、ダークネスの実験材料として回収された?)
・寺田PC内に残された謎のファイルフォルダ「ヤコブの梯子」について(解読についてはほぼ不可能)
・寺田の当機構加入前の過去について(現在調査中)
・本部長候補「城マニア」「木霊使い」について
・「キュート」強化プログラム、通称「キューティーサーキット」
・「ベリーズ」後継の新小隊について

581名無しリゾナント:2016/06/24(金) 11:43:23


福田花音は、目を通した紙の束を、無造作に部屋のゴミ箱に投げ捨てる。
そして、深い、深いため息をついた。

「十人委員会」に「機構」。どいつもこいつも、ボンクラばかりだわ。

今回の件に関する機密文書があっさりと一隊員である花音が手に入れられてしまうあたり、彼女の評もあながち間違いではないのかも
しれない。もちろん、「隷属革命」を有効に活用した結果の産物ではあるのだが。

だが、この書きかけの出来損ないのレポートによって花音が元から持っていた情報は補完された。
すなわち、自分たち「エッグ」が元々はダークネスの所有物、もしくはつんくとダークネスの共同財産だったということ。そうである
なら、自ずと理解できる。

この胸に燻る、正義の味方面した連中への憎悪の理由を。

とは言え、すでに花音はリゾナンターに何をすることもできない。
やれたとして、精々地味な嫌がらせを仕掛けるくらいのものだろう。そもそも、「スマイレージ」はリヒトラウムの一件で絶賛謹慎中
の身だ。あざらしのように寝転がりながらから揚げを食べるくらいしか、やることはない。

それにしても気になるのは、つんくの残したとされる解読不能のデータプログラム。
それに、「銀翼の天使」の消息についてだ。
執筆者が無能であることを差し引いても、今後の対ダークネスの戦略を構想するのにこれほど不確定な要素を放置するなど、花音には
信じられなかった。

582名無しリゾナント:2016/06/24(金) 11:44:35
「ヤコブの梯子」。
確か天から降り注ぐ光を、天国への階段へに見立てた言葉、そう花音は記憶していた。
つんくはいったい何を成そうとしていたのか。何らかの方法で「天国」へ行くことを模索していた? それとも自分たちの知らない
「第三者」の指示をただ忠実に履行しようとしていただけ? 当人が死んでしまった以上、答えを出すことはできなかった。

思えば思うほど、不可解なことだらけだ。
そもそも、あの「天使」がそう簡単に死んでしまうものだろうか。花音は心に強く、天使の姿を思い描く。

花音が「銀翼の天使」に相まみえることができたのは、ただの一度きり。
ダークネスの施設に収容されていた時に、その姿を見たたった一度きりだ。
それなのに。

柔らかな日差しのような、笑顔。
万人に注がれているかのような、優しげな眼差し。
ぱっと見少女のように幼いのに、その裡に秘める凄まじい能力。
どれもが一瞬にして花音を魅了し、そして生涯尊敬する人物として心に刻まれた。

今回の作戦は文字通りの「天使」の保護。彼女をこちらの味方に引き入れ対ダークネス戦の切り札として使うという、つんくの目論見
は花音にとって福音とも言うべきものだった。彼女とともに戦える日が来るかもしれない。この上ない、喜び。

それも、つんくの作戦の失敗及び「銀翼の天使」の限りなく死に近い凶報によってご破算になってしまったが。

583名無しリゾナント:2016/06/24(金) 11:45:44
「ちょ、それあかりの!」
「たけちゃんは靴下汚いからだめー」
「はぁ?別に汚くないし!!」
「いやいやこれはアウトでしょ。ゴリラも死ぬ臭さ」
「うほっ!う、うほぉ!!!!ばたっ」
「めいもやる!う、う、うほおおお!!!!」
「ざけんなっての!ゴリラがそんな簡単に死ぬかよ!!」
「いや死ぬね。タケは靴下汚いしハンカチも持ってない。和田さんにこの前注意されたのに」
「あかりはあのブォーッって吹くやつで乾かすからいいの!」
「馬鹿じゃん。てか竹内のばーか」
「竹内のばーか」
「竹内のばーか」

花音からすればどうでもいい、お菓子の取りあい。
相変わらず、「追加メンバー」の四人はかしましい。
そんな様子を見ていると彼女たちは本当に自分と同じ「エッグ」だったのか、甚だ疑問に思えてくる。外部からつんくがスカウトして
きたという芽実や香菜はともかく、朱莉や里奈は自分と同じような境遇だったはず。

「ただいまー」

そして、「スマイレージ」が現在本拠地としているこのマンションの一室に帰還するリーダー。
花音は彼女のことが一番、解せない。

「ちょっと和田さん、また美術展行って来たんですか?」
「だって謹慎って言ってもどこにも出かけるなって言われてないでしょ」
「そりゃそうですけど」
「そうだ、みんなあやが見た美術展の感想聞きたい?聞きたいでしょ?」

我らがリーダー和田彩花の壮大なる美術論が展開されるのを予想し、一様に憂鬱な表情になる四人。
相手のことなどお構いなしなのは、昔から変わらない彩花の悪い癖だ。

584名無しリゾナント:2016/06/24(金) 11:46:50
楽しそうに自分の好きな美術のことについて止まらない話を続ける彩花、そんな彼女のことを遠目で眺めつつ。
「スマイレージ」は。結成当初のあの四人は。闇の中で生を受け光の中で地獄の苦しみを味わわされた同じトラウマを持っているは
ずだ。なのに、なぜそうやって何もなかったかのように笑っていられるのだ。
花音は自らが歩んできた道を思い返す。先の見えない未来、次々と脱落してゆく「エッグ」の同士たち。そんな環境の中で生き残れ
たのは、ひとえに自分の能力に絶対の自信を持つこと。強烈なエリート意識があったからこそだった。

自分たちをあのような目に遭わせた張本人とも言うべきつんくは死んだ。
前々から信用できない面はあったものの、まさかここまでこちらの運命に絡んでいるとは思いもしなかった。とは言え、その怨嗟を
ぶつける対象はもういない。彼が「大事」にしていた、響き合うものたちを除いては。

花音がそんなことを考えている間にも、彩花の「ありがたいお話」は続いている。
さすがに10分を超えると、四人の精神力にも限界が訪れるのだろう。最初から聞く気のない里奈は既にスマホ弄りに没頭している。
芽実や香菜の顔からは愛想笑いが消え、朱莉に至っては顔に表情というもの自体が消えていた。

「もう。はるなんだったら楽しそうに聞いてくれるのに」

ようやく美術の楽しさ素晴らしさを後輩たちに伝道することを諦めた彩花、しかしその言葉を花音は聞き逃さなかった。

「ねえあやちょ…それ、気をつけな?」
「花音ちゃんなにそれ。どういう意味?」
「だってさ。おかしいじゃん。そんな会ったばっかの人と仲良くなるなんて」
「そう?はるなんいい子だよ」

もちろん、聞いてて気分のいい話ではない。
花音にとっては屈辱とも言うべき仕打ちを受けた人物だ。
あんな、偽善者の集まりのリゾナンターなど。そう言いたい気持ちを抑え、花音は努めて冷静に振る舞おうとする。

585名無しリゾナント:2016/06/24(金) 11:48:00
「大体あやちょ、世間知らずなんだから。しっぺ返し食らっても知らないからね」
「べーだ、はるなんはそんな子じゃないですよーだ」

実に子供じみた仕草で花音に返す、彩花。
あの屈辱の日々を忘れたの? またしても言葉は感情とともに自らの中に飲み込まれる。
結果、鬱屈した思いだけが溜まってゆく。

結局何もかも投げ出した花音はソファを占領していた朱莉たちを追い払い、おもむろに横になる。
どうして自分はここにいるんだろう。
きっと全てを割り切って、後輩たちの輪の中に入ってしまえば楽なのかもしれないし、容易にそれができることもわかっていた。が。

気分じゃない。
表向きはそんな理由を立ててみるものの。
リヒトラウムで自分に反旗を翻した時の、後輩たちの冷たい表情は決して記憶から消えることは無い。
こんな時、あの「天使」が自分に降りてきたらいいのにと思う。白き翼をはためかせ、自分をこの息の詰まる空間から連れ出して欲
しいと、願う。
でも花音は知っている。自分の願いなど、誰も叶えてくれないということを。

「ねえ、花音ちゃん」

彩花が話しかけてくる。
花音はわざと、背を向け瞳を閉じた。

「何? 美術や仏像の話なら、聞かないから」
「…シンデレラの話は知ってる?」
「誰に聞いてんのよ」

仮にもシンデレラの生まれ変わりと称していた人間にそんなことを聞くか。
憤慨しつつも、話の続きがあるようなので黙って耳を傾ける。

586名無しリゾナント:2016/06/24(金) 11:48:37
「意地悪な継母や義姉妹に虐げられたシンデレラ、けれど最後は王子様に見初められ幸せになる」
「…それで?」
「だから、シンデレラは。幸せにならなければならない」
「…っ!!」

何を、見透かしたようなことを。そんな心の反駁もまるで役に立つことはなく。
花音は、彩花に背を向けたままでよかったと心から思った。
今自分がしている表情、これだけは。彩花だけには。絶対に見られたくない。
そんな同情なんて、欲しかったわけじゃないのに。

「お生憎様。もう、シンデレラの生まれ変わりはやめたんだよね」
「そうなの?」

代わりに、背中で言葉を発する。
周りから同情される哀れなシンデレラなんかに、絶対になってたまるものか。
そうだ。私は、孤独だ。どんなに馴れ合っていようが、本質はたった一匹の呪われた狼だ。

「これからあたしのことは、まろって呼んで」
「まろ?」

魔狼と書いて、まろ。
魔に呪われし一匹狼に相応しい名前だ。
今自分にできる精一杯の強がりに過ぎないけれど、それでも。
強がりさえ無くしてしまったら、今の自分を構成しているものすべてが流れ出てしまうような気がしたから。

587名無しリゾナント:2016/06/24(金) 11:49:41
>>579-586
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

588名無しリゾナント:2016/06/30(木) 11:13:57
>>579-586 の続きです



さゆみの送別会は、盛大に行われた。
現役のリゾナンターたちだけではなく、多忙なスケジュールを縫って愛と里沙、近日中に「何でも屋」の技術のさらなる発展のために
渡米すると言う愛佳も参加、それに療養中のれいなも少しの時間だけならということで特別に「下界」に降りて来ていた。

ここに、里保たち新たなリゾナンターたちが加わった当時の先輩五人の顔が揃う。
楽しい宴の、はじまりだ。

喫茶リゾナントの厨房を使った、焼きそばや焼き肉といった料理の数々。
衣梨奈が持ち込んだ総菜や遥の母が作ったという手作りローストビーフがテーブルを彩り。
さらに、さゆみが持ち込んだたこ焼き器による、一大たこ焼きパーティー。
香音が持ち込んだアイドルのDVDのせいもあり、皆が食べ、歌い、そして踊る。

そんな中、さゆみからのサプライズが。
新しく聖をリーダーとした新体制で再出発することになったリゾナンター。
春菜以外にもう一人、サブリーダーを任命すると言う。
その人物とは…

「…えりが、サブリーダー!?」
「そう。フクちゃんもはるなんも真面目すぎるところがあるから、生田の感じがちょうどいいかもしれないってね」

リゾナンターの第二サブリーダーとして指名されたのは、衣梨奈。
はじめは目を丸くしていた衣梨奈だったのか、里沙の「生田ぁ、しっかりやんなさいよ」というからかいとも激励とも取れる言葉に段
々と実感が湧いてくる様子。

589名無しリゾナント:2016/06/30(木) 11:14:53
反対に、なぜかざわざわしてるのは他の若きリゾナンターたちだ。
まさかの展開というのが半分で、生暖かい目で見守るかというのがもう半分。
特に里保などは、複雑な表情の半笑い状態であった。
だが、エーイングこそが、衣梨奈の力の源。

「みなさん!これが現実です!!えりがサブリーダーになったからには、想像以上のリゾナンターにしてくけんね!!」

実に衣梨奈らしい所信表明。
想像以上のリゾナンター、が何を意味するのかは彼女にしかわからないことではあるが。新しいリゾナンターを聖が、春菜が、そして
衣梨奈が率いてゆくことにメンバーの異論はなかった。

時は夕方を過ぎ、夜になろうとしていた。
宴もたけなわ、と言った感じのテーブルの上にはまだまだ御馳走が残っている。
たこ焼き用の溶いた小麦粉も全てを使い切ってはいなかった。

「どうしよう。このままじゃ勿体ないね」
「でもけっこう食べましたよ…」
「え? かの全然足りてないよ」
「そうだ、惣菜とか焼き肉とかまだ余ってるけど」
「たこ焼きの中に入れちゃえばいいんじゃね?」
「じゃあまさがやるー!!」

勢いよく飛び出てきたのは、優樹。
やっほーたーい!という掛け声とともに、能力が発動する。
瞬間移動能力でたこ焼きの中に具材を入れるという暴挙だった。

590名無しリゾナント:2016/06/30(木) 11:15:41
「こら佐藤!そんなんで能力使うのやめり!!」

れいなの叱責も何のその、たこ焼き器に降り注ぐありとあらゆる食材。
しかし、降り注いだのは食材だけでは無かった。

「あれ、これってまさか」
「お酒!?」
「え?ウイスキーですか?」

キッチンの奥にしまっていた、ウイスキーの瓶。
その中身が、あろうことかメンバーたちの頭上に転位し、降りかかってきたのだ。
これが、とんでもない事態を引き起こす。

「あれぇ?にーがきさんがいっぱいおる…えへへぇ…」
「はぁ?生田何酔っぱらってんのよ!」
「う…ううっ、み、みついさぁん〜かのを置いてくんですかぁ〜」
「いきなり泣き出しよった!鈴木あんた泣き上戸やったんか!!」
「みずき…そんなんじゃないもん」
「フクちゃんいきなり脱ぎだすのはやめり!!」

次々とアルコールの餌食に陥ってゆくメンバーたち。
さらに壊れたように笑い始める遥、寝てしまう春菜、なぜかフランスフランスと呟き続ける亜佑美。

「ひとまず酔っぱらった子は寝かせるやよ!」
「せや、さ、鞘師は?」

愛佳が辺りを見回すと、そこには仏頂面で必死に酔いと戦っている里保がいた。
不測の事態に備えるため、酒を飲んでも飲まれないようにするのも水軍流の神髄。だが、まだ子供の里保には早かったようで、意識を
保っているのが精いっぱいだ。

591名無しリゾナント:2016/06/30(木) 11:16:34
「ふう…佐藤がウイスキーを転送したのは未成年メンバーだけか…」
「い、いや…うちら何か大きなことを見落としてませんか」
「こんな時、確か一番酔わせちゃいけない存在がいたような」
「あ、ああっ!!」

れいなが、見てはいけないものを見てしまったような顔と表情。
忘れかけていたトラウマが、れいなだけではなくオリジナルリゾナンター全員に蘇る。
そう、あいつの名前は。

「フッフフフ…かわいい子猫ちゃんがいっぱいなの…」
「ぴ、ぴ、ピンクの悪魔!!!!!!!!!!!!!!!」

そう。
かつてこのリゾナントの地に降臨し、リゾナンターたちを次々とピンクの嵐に巻き込んだ破壊の女神。
その忌まわしき存在が、再びこの地上に降り立ったのだ。
リーダーだから、と今まで抑圧されてきた反動か、覚醒したさゆみは目にも止まらない動きで獲物たちに急接近した。

まず餌食になったのは旧リーダー高橋愛。
瞬間移動と精神感応の力を失ったとは言え、数々の修羅場を潜り抜けたはずの戦士の唇はあっと言う間に欲望の権化に奪われた。仮想
りほりほとして日々さくらんぼと格闘していたさゆみの舌技が今、爆発する。

「ああぁっふっふぅ!!!!」
「愛ちゃん!!!!」

全ての気を奪われ倒れた愛を目の前にして、恐れおののく後輩メンバーたち。
中には、酔いとさゆみの全身から発せられた瘴気に当てられ気絶するものまで出てくる始末だ。
舌なめずりしつつ次の標的をターゲッティングするピンクの悪魔、その視線が、すっかり怯えきった生き残りのメンバーたちに容赦な
く注がれる。

592名無しリゾナント:2016/06/30(木) 11:17:05
獲物を狙う肉食獣の目と不幸にも合ってしまった人物。
それはフレンチキスと聞くだけで何か高級なものを思い浮かべてしまう石田亜佑美だった。

「ひいっ!カムオンリオ…」

咄嗟に自らを守るべく幻想の獣を呼び出そうとする亜佑美だが、真の獣のスピードには間に合わず。
懐に潜り込まれ、抱き上げられ、その指がピアノの鍵盤の上を滑るように亜佑美の平坦な体を攻略する。

「ああぁっふっふぅ!!」

本日二回目のああぁっふっふぅが木霊する頃には、立っているメンバーはれいな・里沙・愛佳と里保のみ。

「これは大変なことになったのだ」
「ガキさん落ち着いてる場合じゃなかとよ!」
「そうです!このままやったらうちら全滅…」

メインディッシュの里保の前に、前菜として籐の立った三人を喰ってやろう。
とでも言いたげに、徐々ににじり寄ってゆくさゆみ。
しかし。奇跡はその時起こった。

「いひひひ、やっほーたい!!」

自らも酔ってしまった優樹が、あさっての方向に転移の能力を放つ。
そして、それまで鼻息荒く体を震わせていたピンクの悪魔の動きが止まる。

593名無しリゾナント:2016/06/30(木) 11:17:41
「え…あ…えええーっ!!!!!!」

何と、優樹は。
器用なことに里保の衣服だけを空の彼方へと転送させたのだった。
つまり、さゆみの目の前には強制「パァーッ!!」された里保のあられもない姿が。
それまで何とか気力で立っていた里保は突如の辱めに、ゆっくりと崩れ落ちた。

「あ、あ、ああああぁっふっふぅぅぅぅぅ!!!!!!!!!!!!!!」

店内に響き渡る、悪魔の雄叫び。
風が吹き荒れ、雲を突き抜けるが如く、ピンクの悪魔の纏っていた瘴気がリゾナントの屋根を貫く。
この日、喫茶店の周辺では、天まで届く勢いの桃色の光柱が目撃されることとなった。

「お…終わったと…?」
「ええ、そのようですわ…」

悪魔は滅びた。
床には、「さやしの…りほりほが…」と謎のうわ言を繰り返しながら恍惚の表情を浮かべたさゆみが転がっているだけであった。

「さて、後片付けをしないとね」

面倒そうに特製グローブを嵌め、ピアノ線をほどき出しはじめる里沙。
こうして、狂乱の宴は幕を閉じたのだった。

594名無しリゾナント:2016/06/30(木) 11:18:25


「はぁ。あいつら、食うだけ食って後片付けもせんと」
「しょうがないですよ田中さん。あんなことがあった後やったら」

店内の後片付けがひと段落。
れいなと愛佳は、先に窓側のテーブルに座り休憩中。
死屍累々だった後輩メンバーたちは、皆二階の部屋で寝かされていた。

「はい、みんなお疲れ様」

言いながら、里沙がキッチンからコーヒーカップを3つ、トレイに入れてやって来る。

「新垣さんの淹れたコーヒー、久しぶりやな」
「ふっふふ、元2代目マスターの腕は鈍ってないよ?」

そんなところへ、先ほどの惨劇から立ち直った愛が二階から降りてきた。

「おはよ、愛ちゃん」
「久しぶりにひどい目にあったやざ」

まるで夏の終わりの蚊のようにふらふらとこちらへ近づき、どっかと里沙の隣に座る。

「あ、里沙ちゃんコーヒー淹れたんや。あーしにもちょうだい」
「誰か」
「甘えないの。愛ちゃん自分で淹れれるでしょーが」
「ねえねえ誰か」
「二杯目はうちも高橋さんが淹れたやつがええです。リゾナントオリジナル」
「誰か、ねえねえだれか」
「懐かしいっちゃね。昔はれいなも愛ちゃんの淹れたコーヒーをテーブルに」

595名無しリゾナント:2016/06/30(木) 11:19:19
里沙のピアノ線によって厳重に縛られたその人物、ついに堪らず大声を上げる。

「そろそろさゆみを解放してなの!!もう十分反省したからぁ!!!!」

後ろ手に縛られた元ピンクの悪魔で今はか弱き子兎は、涙ながらにそう訴えた。

「だーめ。きちんとお酒が抜けてからでないと、また変態になるでしょ」
「そうそう。れいなたち油断させといて、二階の子たちの寝込み襲うけんね」
「うちも佐藤に『みにしげさんにぱんつ盗られたんです』って訴えられましたもん」
「そういうこと。もう少しそこで反省するやよ」
「ううう…」

が、返って来た言葉はけんもほろろ。
魔王に攫われた囚われの姫の如く、とは言っても先ほどまではさゆみが魔王だったのだが、おとなしくしているしかないさゆみであった。

「それにしても…」
「久しぶりの五人、か」

この場にいる五人。
それはつまり、聖夜に「銀翼の天使」の襲撃を受け、散り散りになってしまったリゾナンターの、辛うじて残った五人。

「あの時は、もうこの五人だけでダークネスとやり合わんといけん、と思ってた」
「まさかうちらに後輩たちが…リゾナントの意志を継ぐ子たちが現れるなんて。夢にも思わなかった」

596名無しリゾナント:2016/06/30(木) 11:21:25
打ちひしがれ、途絶えそうになった共鳴は。
新たにリゾナントのドアベルを鳴らした四人の少女たちによって繋ぎ止められる。
それぞれの事情によって一人、また一人とリゾナントを離れてゆく中で、繋がれた共鳴は少しずつ形を変え、新たなメンバーたちを加
え、やがて大きな流れを作ってゆく。

「あいつらも、立派になって…」
「あーしたちが作ったリゾナンター…かたちは違うのかもしれないけど、それでもあの時みたいな、ううん、あの時とはまた違った輝
きがある」

新生リゾナンターとして、先輩の後をついてゆくだけのか弱い存在だった彼女たちは。
今では立派に新たな後輩たちを引っ張っている。今回の敵だって、決して生易しい相手ではなかったはず。だけど、彼女たちは愛や里
沙に約束した通り、生きて還って来た。これほど頼もしい存在は、ない。

「…さゆみが抜けたら、あの時リゾナンターだった人間は誰ひとりいなくなってしまう」

愛。里沙。絵里。さゆみ。れいな。小春。愛佳。ジュンジュン。リンリン。
原点の9人、とも言うべき彼女たちは闇の組織、とりわけダークネスにとって忌々しい存在であった。
数々の激闘が繰り広げられ、困難が訪れる度に彼女たちは共に手を取り乗り越えて来た。
それが、さゆみを最後に当時のメンバーが誰もいなくなってしまう。
一つの時代の終わり。けど。

「でもね。さゆみは全然心配してない。だって、ずっと見てきたから。あの子たちが悩んで、苦しみながらもさゆみたちがしてきたよ
うに、あの子たちも共に手を取りあって困難を乗り越えてきたのを、見てたから」
「さゆ…」

愛たちは、さゆみの中に光を見た。
それは、消えゆく光ではあったが、同時に力強くもあった。
すなわち、後輩たちを見送り、自らは退くという決意。

597名無しリゾナント:2016/06/30(木) 11:22:07
「愛ちゃんが抜けて、ガキさんが抜けて。愛佳が、れいなが抜けた時も大丈夫だった。これからはフクちゃんが、はるなんが、生田が。
新しいリゾナンターをかたち作ってゆく」

後輩たちのことを思ってか、優しげな表情になるさゆみ。
そこへ、れいなが。

「さゆ」
「何?」
「さっきからカッコつけて言ってるっちゃけど、縛られながらの台詞やと、ぜんぜん締まらんとよ」
「なっ!だ、だったら早くこれ、解いてよぉ!!」
「それはだーめ」

久々に喫茶リゾナントに集った五人。
彼女たちは今まさに、肌で感じていた。
新しきリゾナンターの、新しき時代の到来を。

夜が、白む。
やがて朝の光が、世界を包んでゆく。

598名無しリゾナント:2016/06/30(木) 11:23:04
>>588-597
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

599名無しリゾナント:2016/07/05(火) 12:54:50
>>588-597 の続きです



時は少し、遡る。
さゆみのための宴の最中。
小田さくらは、喫茶リゾナントから離れた空き地にいた。
正確に言えば、空き地に行ったのではない。無理やり、来させられたのだ。
目の前にいる、人物によって。

「…ひさしぶりね。『s0312』。いえ、今は『小田さくら』と名乗ってるのかしら」

闇色に染め上げられた、パンツスーツ。
白いブラウスは襟元できっちりと留められ、彼女の「生真面目さ」の象徴として存在感を放つ。
その性格同様に、正確に時を刻み、そして掌握する。永遠すら殺すことができると謳われた能力だ。

600名無しリゾナント:2016/07/05(火) 12:56:00
「わたしに…何の用ですか。『永遠殺し』さん」

「時間停止」能力によって拉致され、この場所に連れて来られたさくらは。
突如現れたダークネスの幹部の目的について、考えあぐねていた。

「どうして私を、って顔してるわね」
「……」
「答えはシンプルよ。私の『能力』が、あなたの今の『能力』に対抗できるかどうかの、実験」
「!!」

さくらと「永遠殺し」が比較的長い時間、行動を共にしたのはただの一度きりではあるが。
「永遠殺し」はさくらの前で能力を発動させた。しかし、時を統べる手はさくらのことを拘束することはできなかった。
何故なら時間停止が発動する前に、時はさくらの「時間編輯」によって支配されていたから。
さくらは、時間を切り取ることで「時間停止」によって停止した自分を「なかったことに」して、時間停止中にその場を離脱した「永遠
殺し」の繰る車の後部座席に移動していた。
さくらは、明らかに「永遠殺し」よりも上位の能力を保有していたのだ。

ところが、今はそうではない。
「叡智の集積」Dr.マルシェの実験によりさくらの能力は奪われ、わずか1秒ほどの時しか止められない「時間跳躍」の能力を残すの
みとなった。もちろん、通常であれば1秒のタイムラグとは言え戦闘では大きなアドバンテージを得られるほどの強力な能力ではあるの
だが。

「『時間跳躍』では、私の時の手からは逃れられないようね」
「くっ…!!」

さくらが1秒の時を止められるのに対し、「永遠殺し」はその8倍、8秒の時を自らの手中に収めることができる。
それがどのような状況を招くのか。さくらがこの場に誰にも気づかれずに拉致されたことから、火を見るより明らかだ。

601名無しリゾナント:2016/07/05(火) 12:57:16
「それがわかっただけでも、大きな収穫だわ。束の間の宴、楽しんできなさい」

険しい作りの顔を笑顔に象り、背を向けその場を去ろうとする「永遠殺し」。
その背中に、さくらが言葉を投げつけた。

「待ってください!まだ、わたしの質問に答えてもらってません!!」
「…ふうん?」

呼び止められたことを、まるで予想外の出来事のように。
「永遠殺し」は、再びさくらと正対する。

「あなたのその能力があれば、全滅とはいかなくとも、メンバーの多くのことを傷つけることができた。それをしなかったのはどうして
ですか!」
「ふ…ふ、ふふふっ」
「何がおかしいんですか!?」

先程の作り笑いとはうって変って、さも滑稽そうに笑い始める「永遠殺し」。
相手の意図がわからないさくらは、馬鹿にされたと感じて憤っていた。

「小田さくら。やはり以前の『お人形さん』とは別物のようね。あなたたちをいいように『使いたい』紺野があなたをリゾナンターに預
けたのは、どうやら正解だった、と見ていいのかしら」
「それはどういう」
「単刀直入に言うわ。もう紺野の思惑なんて関係ない。わたしは裕ちゃん…いや、『首領』の、組織のためにあなたたちを全滅させるこ
とに決めた。その上で、あなたの能力を確かめに来たのよ」

「永遠殺し」の猫科の猛獣のような瞳が、ぎらつく。

602名無しリゾナント:2016/07/05(火) 12:58:35
「今回はそのための、予行演習。そして、十分な結果が得られたわ。あなたたちは、わたしの襲撃を防ぐことはできない。
ただ、安心しなさい。すぐに行動に移すつもりはないわ。こちらは、紺野の動きに合わせて実行する。ただそれだけ」
「いつでも、私たちを殺せるとでも言いたげですね」
「その通りよ。あなたたちはもう、『時の処刑台』の階段を昇るしかない」

無慈悲な言葉に抗うが如く、さくらは「永遠殺し」を睨み付ける。
ただそれは、狩られる恐怖との、表裏一体でもあった。

「帰って、頼れる先輩たちに相談してみるといいわ。徒労に終わるでしょうけど、少なくともあなたの心に吊り下げられた重石を軽くす
ることはできるはずよ。でもさっきも言ったけど、あなたたちは既にギロチンに首を預けた身。『時間停止』を破る術なんて、ないんだもの」
「それは…」
「無駄に抗ってみなさい。足掻いてみせなさい。それこそが、あなたがあの喫茶店で得た人間らしい心の証左なのだから。『天使』も
『悪魔』も逆らえないわたしの規律の中で、『永遠』にね」

そう言い切った後に、「永遠殺し」は。
ただ、あすかなら、あるいは。そう呟いた。ようにさくらには聞こえた。
「あすか」が何を指しているのか。人名なのかそれとも違う何かなのか。わからなかった。
と言うよりも、今のさくらを支配しているのは圧倒的な絶望。このままだといずれ自分たちは始末されてしまうという、光なき未来だっ
た。その他のことに心を向ける余裕など、どこにもなかった。

「それでは、今度こそ本当にさよならね。次に会う時は…わたしがあなたたちに『永遠』を与える時」

その言葉だけを残して、「永遠殺し」は完全にさくらの目の前から消え去った。
「時間停止」の能力がまたしても発動したこと、それを防げなかったことが与えられた絶望にさらなる漆黒を塗り重ねてゆく。まるで、
どうにもならなかった。

すっかり暗くなった空き地に、さくらの悲痛な叫び声がこだまする。
今のさくらにできることは、ただそれだけ。崩壊してしまいそうな心を、必死に食い止めることしか、できなかった。

603名無しリゾナント:2016/07/05(火) 13:00:10


「あれ小田、どこ行ってたの?」

足取り重く喫茶リゾナントへ帰ると、さゆみがそう言いながら出迎えてくれた。
どうやらふらりと一人で店を抜け出したと思っていたようだった。

「だって道重さん、様子が怪しかったんですもん」
「う…あれはちょっとお酒がいたずらしただけなの」

さくらが攫われたのは、ちょうどさゆみが酒に酔って狼藉を働こうとしていた時。
咄嗟にさくらのついた嘘は、嗅ぎ取られることなくさゆみに納得されたようだった。

「あれ…道重さん、何してたんですか?」

自らの中の気まずさを隠そうと、さゆみの背後、つまりカウンターの上のものに目を向けるさくら。
そこには、色とりどりの洋封筒が置かれていた。そのうちの一枚からは、便箋らしきものが顔を覗かせている。どうやら手紙をしたた
める作業の途中だったようだ。

「うん。みんなにね、メッセージをと思って」
「ああ、なるほど」

言われてみれば、カウンターの封筒は9。つまり、さゆみを除いたリゾナンターの数と符号する。

「そんな。直接伝えてくれればいいのに」
「ふふ。そんなことしたら、さゆみ泣いちゃうから」

その時の表情で、さくらはさゆみの心情を読み取る。
本心ではきっと、この喫茶店を離れたくないのだ。と。

604名無しリゾナント:2016/07/05(火) 13:01:54
「やっぱり…無理なんです、よね?」
「うん。さゆみはきっと、みんなの足手まといになっちゃう。れいなですらそう思ったのに、運動音痴のさゆみだったら尚更でしょ?」
「そんな…」
「みんながそうだったように。さゆみも、誰かに守られるだけの存在にはなりたくない」

聞けば、さゆみは明日の早朝にもリゾナントを発ち、警察機構の中でも愛や里沙と懇意にしている信頼ある人間の手によって何重にも位
置情報を秘匿された場所に移り住むのだという。能力者の中でも治癒という敵の利になるような、しかもそれをさらに発展させた物質崩
壊という力を持っていたさゆみ。ダークネスではなくても、実験材料にと手を伸ばしてくる輩がいるかもしれない。その為の対策であった。

さゆみの存在が、手の届かないところに行ってしまう。
その事実は、ついさっきの敵との邂逅ですっかり心が弱っていたさくらの涙腺を緩ますには十分であった。

「み、道重さん…!!」

ひしとさゆみに抱きつくその姿は、通常よりもずっとずっと小さいものに映った。

「わたし、がんばりますから…道重さんがくれたこの場所で、ずっとがんばりますからぁ…」
「ありがとう、小田ちゃん」

さくらの言葉は、堅い決意。
「永遠殺し」からの宣戦布告は、もう自分たちの問題だ。
少なくとも、これから旅立つさゆみには余計な心配をかけるわけにはいかない。
強い心とか細い心は渾然一体となって、さくらに涙を流させ続けた。

605名無しリゾナント:2016/07/05(火) 13:03:06
少しして。
落ち着いたさくらが、ようやく自らの不作法に気づく。

「あ、ごめんなさい。きっとほかのみなさんもこうしたいだろうに」
「大丈夫だよ。実はみんなにはさっきお別れを済ませてきたから。特にりほりほには」
「うん?鞘師さんがどうかしました?」
「いやいや、こっちの話なの。フッフフフ」

途端にいかがわしい笑みを浮かべるさゆみ。
顔と耳を赤らめながら自らの唇に手を当て、身を捩らせている姿はどう見ても何かの事後のようにしか見えない。
が、さくらはそのことについてはあまり触れないでおくことにした。
これから旅立つ人をおまわりさんに突き出すのは、あまりにも忍びない。

「じゃあ小田ちゃんにはこうして会っちゃったから、はい」
「あ、ありがとうございます」
「今ここで開けたりしないでね。さゆみが下手な文章でがんばったのに、意味なくなっちゃうから」

改まってさゆみから渡される、ラベンダー色の洋封筒。
手渡されただけなのに、そしてさゆみは治癒の力を失っているはずなのに。さくらは、自らの心が癒しの手によって翳されたような温か
みを感じた。この温もりと、しばしのお別れをしなければならない。

「それじゃ、おやすみ小田ちゃん。さゆみも、すぐは無理かもしれないけどそのうち、会いに行くね」
「はい…それまでわたし、もっと、もっと強くなってますから…」
「今日はもう遅いから、リゾナントに泊りなよ」
「はい。お言葉に甘えて」

2階に上がってゆくさくらを見送りながら、さゆみもまた自らの胸に暖かいものが流れ込んでくる感覚を覚えた。
さくらだけではない。聖、衣梨奈、香音、春菜、亜佑美、優樹、遥。そして、里保。それぞれから、さゆみは貰ったのだ。これから強く
生きてゆくための、糧となる心を。思い出を。

今宵、一つの時代が終わりを告げる。
だが、新しい時代の幕開けでもある。さゆみも、そして後輩たちも。
未来という名の大海原へそれぞれ、旅立ってゆく

606名無しリゾナント:2016/07/05(火) 13:05:30
>>599-605
『リゾナンター爻(シャオ)』更新終了

話の都合上さゆとのお別れシーンは小田ちゃんだけになってしまいましたが
鞘師とのやりとりは非公開の予定でw

607名無しリゾナント:2016/07/08(金) 22:51:04
>>599-605 の続きです



「なるほど…これは…」

部屋の照明を一切つけぬまま、仄かに光を放つモニターを注視する、白衣の科学者。
そこに映し出されていたのは、「叡智の集積」が欲していた情報の全て。

「jacob's ladder ですか。天へと続く階段とは、よく言ったものです」

つんくが密かに作成し、自らのパソコンに厳重に保管していたデータファイルの名称「ヤコブの梯子」。
再構築不可能なレベルにまで細断化されたファイルの内容の復元は、既に終えていた。

しかしながら、能力者への対処を専門とする警察機構もこんなものである。
反逆者と言ってもいいつんくの保持していた最高機密の情報を、こうもあっさり闇組織に奪われるとは。
奪われたことにすら気づいていないとは言え、その守りの弱さは紺野にとって憐れむほどのレベルであった。
現場における最高指揮官を失った今、彼らの存在は今まで以上に希薄なものになるだろう。

608名無しリゾナント:2016/07/08(金) 22:51:36
データ上で復元されたファイルに、紺野は改めて目を通す。
つんくの目指していたもの。

― 「幸せは地獄の一歩手前」という言葉があります。
大好きなお菓子でも100個食べろと言われれば、誰もが嫌になります。
何個がちょうどいいのか。人の話をよく聞き、気づいたことをメモに残す地道な習慣こそがアイデアの源です。―

一見すると、単なる呟きにしか見えない文章。
彼らの持つ技術力ではこの文章すら復元させることは不可能だろうが、たとえ復元できたとしても意味の分からないポエムとして捨て置かれたに違いない。
しかし紺野には、この文章が何を意味しているのかが理解できた。
いや、紺野にしかわからない、と言い換えてもいいだろう。つまり。

逆に言えば、「地獄の一歩手前」こそが幸せ。
つんくは、紺野に「地獄」を再現させることで「幸せ」を顕在化させようとしている。
まるで世界を満たす闇が、一筋の光を際立たせるように。
そう、解釈した。

そしてその結論は紺野が目指していた目的と、寸分狂わず符合する。
改めて自らの推測が正しかったことが、確信を持って理解できた。

つんくさん。あなたの遺志は…私が受け継がせて貰いますよ。

今は亡き師に花束を捧げるかのように、思いを馳せたその時だった。

「随分、用心深いのね」
「おや、どこかに出かけられてたんですか? 『永遠殺し』さん」

609名無しリゾナント:2016/07/08(金) 22:53:00
苦虫を噛み潰したような顔をして扉を開けたのは、「永遠殺し」。
自らの能力が阻害されていることに気付き、不機嫌を顕にしていた。

「わたしに能力を使われて、不味いことでもあるのかしら」
「いえ。『計画』も最終段階に入っているので、用心深くさせていただいてるだけですよ。ちなみにこの部屋を覆っている『能力阻害』
の力ですが、本拠地のメイン電源と直結させていますので、どこかの輩が私の命を狙おうとすれば本拠地の電源を全て殺す必要が出て
くるわけです」
「本拠地を人質にしてるつもり?」
「いやいや。本拠地の主電源が落ちれば、非常防衛システムが作動して侵入者は絶対に外に逃げ出せませんからね。例え私が死んでも侵
入者は必ず捕まるということです」

「永遠殺し」はため息をつく。
この程度で尻尾を出すような人間ではないことは百も承知ではあるが。

「リゾナンター…小田さくらと会ってきた」
「ほう。『さくら』ですか。元気にしていましたか」
「あんたの目論見通り。きちんと『リゾナンター』らしく、成長してるわ」
「そうですか。別に彼女をリゾナンターにしたくて差し向けたわけではありませんが。まあ、私の自信作が今も健在であるならば、何よ
りです」
「ついでに、最後通牒を突きつけてきたわ」

そこで初めて、紺野は椅子をゆっくり回転させて「永遠殺し」と向き合った。

「それは…いけませんね」
「あら、どうして? あなたも彼女たちを殲滅させるつもりで『金鴉』『煙鏡』の二人を差し向けたんじゃなくて?」
「確かにそうですが、状況が変わりました」

1ミリたりとも表情を崩さない「叡智の集積」。
時の支配者は、思わず声を荒げそうになるのを抑える。状況? あんたはただ、自分の計画のためにリゾナンターを温存させたいだけで
しょう。冗談じゃない。何を企んでるか知らないし興味もないけど、その計画、ご破算にしてあげるわ。喉まで出かかった言葉は、彼女
が本来持つ冷静さによって胸の奥底へと押し戻された。

610名無しリゾナント:2016/07/08(金) 22:54:28
「状況ね。何が変わったと言うのかしらね」
「簡単ですよ。リゾナンター程度に関わってる時間は、なくなったと言うことです」

物は言いよう、と噛みつきたくもなるが。
しかし「永遠殺し」はその時間がなくなった理由のほうに意識が向く。

「算段がついたんですよ。『能力者の理想社会』の実現のね」
「何ですって?」
「私はこれまで、いくつかの下準備を仕掛けてきました。『電波を利用した物質の拡散効果の実験』『共鳴能力の入手』、それに今回
のこともそうです。それらが、いよいよ実を結ぶんですよ」

紺野は、口角を上げずにレンズ越しの目だけで笑って見せる。

「幹部のみなさんにも、色々動いてもらう必要が出てきます。有体に言えば、我々がこの国の頂点に立つための準備、と言ったところ
でしょうか。片手間にリゾナンターを相手にしている暇など、なくなるはずです」
「『首領』はこのことを?」
「もちろん。能力者の理想社会の実現は彼女の悲願ですから」

紺野の言うことには、何の矛盾も無い。
実際に幹部たちがそのような特命を与えられるとしたら、道重さゆみを失いオリジナルリゾナンターを全て失った連中にちょっかいを
掛けている場合ではなくなる。
だが、何かが引っかかる。「永遠殺し」は眉間に皺を刻み、紺野のことを見る。

「ただ。彼女たちが我々の計画の成就に立ち向かって来るなら、話は別です。その時は、好きにしたらいいでしょう。まあ、自らの手
で彼女たちを始末しようとしているライバルは多いと思いますが。『氷の魔女』さんなんかは、特にね」

611名無しリゾナント:2016/07/08(金) 22:55:32
『氷の魔女』。
盟友とも言うべき『赤の粛清』を高橋愛に殺されてから、魂が抜けたようになっていた彼女は。
「金鴉」「煙鏡」がリゾナンターに戦闘を仕掛けた後も不気味な沈黙を保ったままである。その静けさが逆に、彼女の心の中の嵐を表
現しているような気さえ「永遠殺し」には感じられていた。

「次の幹部会議で、話は大きく動くことでしょう。『黒翼の悪魔』さんも戻って来られますしね」
「やっぱり…戻って来るのね」

「鋼脚」から事前に聞かされてはいたものの、改めて紺野の口から聞かされるとその衝撃は決して小さくない。
彼女は何のために姿を消し、そして何のために戻って来るのか。仔細については「鋼脚」からは聞かされてはいなかったが、紺野がら
みの案件だったことは容易に想像できる。おそらくこのことすら「首領」は了承済みであろう。
組織の右腕だったはずの自分が、計画の中心部からはるか遠方へと遠ざけられている。憎しみは全て、目の前の科学者へと注がれた。

「いずれにせよ我々の見る夢は、同じはず。違いますか?」
「…楽しみにしているわ。幹部会議」

それだけ言い残して、「永遠殺し」は紺野の私室を出てゆく。
紺野が見かけ上にしろまっとうな動きをしている限り、自分のほうから行動に移すわけにはいかない。それを紺野はよく知っていた。

「ふう。相変わらずおっかねえなあ、保田さんは」

入れ替わるように、おどけたような声がする。

「ただ、あの凄まじい気の中で平然としてられるお前もお前だけどさ」
「…いらっしゃったなら話に加わってくださいよ、『鋼脚』さん」
「よせよ、疑われるのはお前の日頃の行いが故ってやつだ。それにそんな義理もねえしな」

闇をかき分けるように紺野に近づく、金髪のライダースーツ。
「鋼脚」は、紺野の座る回転椅子に肘をかけ、既にブラックアウトされたモニターに顔を近づける。

612名無しリゾナント:2016/07/08(金) 22:57:14
「…情報部にも教えられない計画、ってか」
「申し訳ありません。ただ、先程も『永遠殺し』さんに話した通り。能力者の理想社会実現のためにはこの計画は必ず実行しなければ
ならない。計画が組織にとって有用であることは…きっと『不戦の守護者』さんが生きていたら、証明してくれたでしょうね」
「お前、相変わらずいい趣味してんな。自分で殺っといてさ」
「彼女を殺したのは里田さんです。私ではありませんよ」

取りつく島もない、とはこのこと。
これ以上紺野から情報を引き出せないと見るや、「鋼脚」は屈めていた体をすっと伸ばす。
まるで、獲物を狩る野獣のように。
空気が、一瞬にして張りつめた。

「能力阻害システム…あたしの体術は、阻害できないだろ?」
「吉澤さんは、そんなことはしませんよ」

お前そういう時だけ名前で呼ぶのな、呆れるような調子で呟いた後。
背を向ける紺野の肩に、そっと手を置いた。

「どうかな。あたしも組織に忠誠を誓った身だ。お前が組織に仇成す存在なら…迷わず蹴り潰すさ」
「なら尚更です。私は決して組織に後ろめたいことをしているわけではありませんからね」
「どうだか」
「ああ、そう言えば」

諦めを帯びた言葉を残し、その場を立ち去ろうとする「鋼脚」に、今度は紺野が声を掛けた。

「今更ですが。『金鴉』さんと『煙鏡』さんのことは、残念でした」
「…同期も、あたし一人になっちまったな」

そこには、悲しみも、怒りすらもなく。
ただただ。喪ったものの姿があった。

それきり、一言も話すことなく。
「鋼脚」は、入って来た時とは打って変って、力なく部屋を出て行った。

あと1年。
紺野が自らに課した計画遂行のタイムリミットだった。
それ以上かかってしまうと、これまで保ってきた組織の危ういバランスが崩れてしまう。
「永遠殺し」「氷の魔女」「鋼脚」そして「首領」。彼女たちの思惑は複雑に絡み、ともすればのっぴきならない状況にもなりかねな
かった。
その上姿を「消させていた」組織最強の能力者が、帰ってくるのだ。彼女のことをどう説得しても、やはり1年が限界だろうと踏んで
いた。

役者が揃うには、もう少し、か。

紺野の描く絵図、それが日の目を見るには、今しばしの時間が必要だった。

613名無しリゾナント:2016/07/08(金) 22:58:18


愛佳の走らせる車は、ひたすら深い森を突き進んでゆく。
この現代社会に、ここまで俗世と隔離されたような場所があったのか。ハンドルを執りながらも、つくづく愛佳は能力者社会の懐の深
さを思い知る。

「能力者たちの隠れ里、ですか」
「うん。姿を隠すには、うってつけの場所なの」

よんどころのない事情で闇組織の手から逃れなければならない能力者たちが、一時的に身を寄せる場所。
文字通り隠された場所であることから、「能力者たちの隠れ里」と呼ばれていた。
さゆみはそこに身を寄せると言う。

「そこでね、お店をやってみようかと思うの。簡単な料理を作ったり、ケーキを焼いたり。もともとは絵里と一緒にそういうお店をや
りたいって思ってたんだよね」
「ああ、そう言えばそんなこと言うてはりましたなあ」

いかにも懐かしい、といった表情をする愛佳。

「りほりほや、他のみんなとは一緒にはいられないけど。そうやってお店をやることで、あの子たちとは繋がってるような気がするの」
「…あいつらに、道重さんの居場所を教えてあげなくてもよかったんですか?」

愛佳の何気ない質問。
さゆみは、瞳を伏せて俯きつつも、

「それは、あの子たちを危険な目に遭わせてしまうから」

ときっぱり言い切った。

614名無しリゾナント:2016/07/08(金) 23:00:07
治癒と崩壊の力を併せ持っていたさゆみの存在はそれほどの、闇社会の人間からは垂涎の的であった。
ならば、余計な情報はできるだけ与えない方がいい。
さゆみが最後の別離を手紙で済ませたのも、その理由が大きかった。

「でも、愛佳だって」
「ええ。今回のことで、思い知らされました。うちが『予知』の力を持っていた過去ですら、敵にとっては利用すべき手段なんやって」

愛佳もまた、さゆみを送ったその足で空港まで向かう予定であった。
彼女が渡米を決意したのは、もちろん必要最低限の戦闘能力や諜報能力を身に着けるためでもあるが。
敵に付け入る隙を与えてしまった、いざという時の精神の脆さを鍛え直すためでもあった。

「ちょうどええ具合に、ロス市警のハイラム警部がええとこ紹介してくれるらしくて」
「ああ、あの…」

さゆみは、異国で出会った人のよさそうな中年の顔を思い出していた。
とある依頼で当時のリゾナンター全員がロサンゼルスに渡った時のこと。
彼女たちの行動をサポートしてくれたのが、ロサンゼルス市警のハイラム・ブロック警部だった。その後も、愛佳は語学留学も兼ねた
米国の渡航時に、しばしば連絡を取っていたのだった。

「まあ見といてください。必ず今のリゾナンターの力になれるようになって、帰ってきますから。何なら新たなリゾナンター候補でも
送り込みますか?」
「いいね。でも、それに関してはさゆみの方が先かもね。だって、『隠れ里』には元気な子がいっぱいいるから」

「能力者の隠れ里」には、さゆみたちリゾナンターがダークネスやその他の非合法組織から保護することになった、未成年の少女たち
も多く暮らしていた。もし彼女たちの中にリゾナンターとしての素質を持つものがいれば、今のメンバーたちの戦力増強にはうってつ
けとも言えた。

615名無しリゾナント:2016/07/08(金) 23:00:54
「しかし、警備のほうは大丈夫なんですか? いくら厳重に結界によって守られてるとは言え」
「それは大丈夫。隠れ里と言っても、防衛に特化した能力者の人たちが何人もいるし、いざとなったら『空間転位』で隠れ里ごと移動
することもできるらしいから」
「里ごと…」
「それと能力を失ったとは言え、かわいい子はさゆみが身を挺して守ってあげるの。フッフフフ」

もしかして隠れ里にとって、さゆみが一番の脅威なのでは。
そんな疑念が愛佳の脳裏に過ったのは秘密の話。

一本道の道路はやがてゆるいカーブを描きながら、森を抜ける。
両脇に草原が広がる拓けた場所で、さゆみは愛佳にここでいいから、と声をかけた。

「え、ここなんですか?」
「うん。あとはさゆみ一人で大丈夫。それに危険な目に遭わせられないのは、愛佳もだから」

ほんの一握りの人間以外は、里がどこにあるのかさえもわからない。
「隠れ里」の安全性を、愛佳は改めて思い知らされる。

「落ち着いたら…またみんなでパーティーしましょうよ。その時は、ジュンジュンやリンリン、久住さんも呼んで」
「そうだね。愛ちゃんやガキさんに…絵里も」

別れが辛くなるといけない、とさゆみは足早に車を降り、愛佳が再びエンジンをかけるのを見送る。
遠ざかる車体はしばらく視界の奥に佇んでいたが、やがてそれも見えなくなっていった。

616名無しリゾナント:2016/07/08(金) 23:01:40
柔らかな風が、草原を揺らす。
さゆみの頬を撫でるその優しさは、必然的に亀井絵里のことを思い出させた。

このような形でリゾナンターを離脱することを、絵里はどう思うだろうか。
さゆみは、自らに問いかける。
リーダーという重責を拝命した時から。ダークネスの、闇の脅威のない景色を後輩たちに見せたい。その思いだけで、ひたすら走って
きた。けれどその夢は、思いがけない形で後輩たちに託すこととなった。

― それもまた、さゆらしいんじゃないかな ―

もちろん、絵里がさゆみの問いにそう答えた訳では無い。
けれど、さゆみには彼女ならそう言うだろうと、思っていた。
それもまた絵里らしい。そんな言葉を添えつつ。

若葉薫る草原へと、足を踏み入れるさゆみ。
どこからともなく空間転位の力が具現化された光が差し込み、その姿を包み込むと。
後には誰の姿もなく、そよそよと風が草葉を揺らしている光景だけが、残されていた。

617名無しリゾナント:2016/07/08(金) 23:03:11
>>607-616
『リゾナンター爻(シャオ)』 了

完結させるのに2年もかかってしまいました…
次回作はまたのきかいに

618名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:26:05


夜。
都心の一等地に立てられた真新しい高層ビルの前に、一組の男女がいた。
男は、撚れた黒のジャケットを羽織った、白のTシャツとジーンズという簡素な身なり。一方、女は所々にリボンがあしらわれつつも
その全てが漆黒に染められたゴシックロリータ調のドレスを着ていた。
明らかに、不釣り合いな組み合わせ。

「…いいんですか?」

男が、にやつきながらそんなことを言う。
疎らな無精髭の、錆びついた中年の貌だ。

「問題ない。てか、前金払ったろ。文句言うなっての」

これだけの規模の高層ビルでありながら、行き交う人間はまるで見当たらない。
男は、女が「これから行う儀式」のために、ビルのオーナーに毎月のように高額の謝礼を渡しているという話を思い出した。だからこ
の時間はビジネスマンはおろか、ガードマンすらいない。

高層ビル群の中に出現した、静寂の空間。
それは、建物の中に入ってからもまるで変わらなかった。
受付にも、エントランスの一角にあるカフェにも、人影はまるでない。
硬いハイヒールと、そのあとをおずおずとついてくる草臥れたスニーカーの音だけが、空しく鳴り響いていた。

619名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:27:11
ここはまるで誰かの為に立てられた巨大な墓碑のようだ。
男は何とはなしに、そう思った。この静謐さは、雨の降り止まない墓地のそれによく似ている。
男が生業とする仕事で、よく訪れる場所だ。
そう考えると、目の前を歩く女の、黒いドレスが喪服のそれに見えてくるから不思議なものだ。

そう言えば、と最初に女と会った時のことを思い出す。
女は妙に覇気に欠ける、シンプルに言えば生気のない表情をしていた。それは仕事を執り行う今日になっても変わらない。まるで葬式
で棺に入る死体のよう、とは言い過ぎだが葬式に出席する参列者の持つような陰鬱さは十分に感じられていた。

男は。
「記憶屋」と呼ばれる能力者の集団の一人だった。
人間誰しもいつかは死が訪れるものだが、そう簡単に割り切れるものはあまりいない。その死者と生者の橋渡しをするのが彼らの能力
であり、仕事であった。

女が、何もない壁に手をやる。
すると、重厚な作りの石扉が壁の表面に現れ、重苦しい音を立てながら左右に開き始めた。
職業柄、大抵のことには驚かないつもりではいたが、それでも男の目を丸くさせるには十分の仕掛であった。

「…オーナーに作ってもらった、んですか」
「余計な詮索は前金の中に入ってない。とっとと行くよ」

だが、そんな男の様子など気にも留めずに、女は扉の先の階段を下りてゆく。
秘密主義。どうにもいけすかねえや。
思いつつも、それを口走ったとたんに己の身が危うくなることも男は知っている。

620名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:28:33
ダークネス。
闇社会の末端にいる男ですら、その名前は良く知っていた。
規模だけで言うなら例の「国民的犯罪組織」には劣るものの、それでもその名を聞けば大抵の能力者たちは尻込みしてしまうほどの存
在であった。特に「幹部」と呼ばれる能力者たちはこの国でも有数の実力者たちだという。そんな連中が、悪事に手を染めているのだ。
肝を冷やさずにはいられないだろう。

そして、その「幹部」の一人と目される女が、男の先を歩いているゴスロリだということも。
男は、十分に知っていた。知っていながら、依頼を受けたのだ。
リスクをはるかに上回る前金が振り込まれたのももちろん理由の一つではあるが、それよりもそこまでの地位に上り詰めた人間ですら、
自分たちの力を必要としている。そのことをこの目で確かめたくなったのだ。

男の力は、ありていに言えば「接触感応」に分類される。
モノや場所に残された残留思念を読み取る能力。そして彼ら「記憶屋」は、特に人間が死ぬ際にその場所に刻まれた残留思念を読み取
ることを得意とする。死者の最後の声を聞く、というのが彼らの商売における宣伝文句だった。

薄暗い階段を、ゆっくりと降りてゆく。
沈黙。そして静寂。まるで死者の世界に乗り込むかのような陰鬱さに、男がたまらず口を開く。

「ここは、どういう場所なんで?」

お前には関係ない。そう言われるのを覚悟で聞いてみた。
口を噤んで沈黙に押し潰されるよりはいくらかはましだ。そう思ったのだが案外女は答えてくれた。

621名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:29:51
「…このビルの前に建ってたビルが『謎の爆発事故』で木端微塵に吹っ飛んだ事件は知ってるだろ」
「ああ。テレビを賑わせてましたね。何せあれだけの質量の建物が一気に崩壊して瓦礫になるんだ。マスコミは色々騒ぎ立ててました
ね。やれ地下に戦時中の不発弾が埋まってただの、関東広域に分布するガス田からガスが漏れただの、ね」

男は暗に原因がそれらのことではないだろうということを匂わす。
「謎の爆発事故」はお偉いさんが能力者絡みの事件をもみ消す時の常套手段。半年ほど前の巨大アトラクション施設の事故もそうだ
ったのではないかと、業界の中では噂されているほどだ。

「その事故で…仲間が死んだ」
「へえ」

その氷を思わせる冷ややかな表情に、似つかわしくない台詞。
だが、そんな事情でもない限り自分のような「記憶屋」には依頼しないだろうとも思った。

「で、そのお仲間は。どんな人だったんで?」
「…お前には関係ねえだろ」

少し踏み込み過ぎたようで、男は明らかな拒絶を食らわされる。
まあいい。その死んだ仲間とやらのことは、あとでたっぷりと知ることになる。
男は自分の残留思念感知能力に、絶対の自信を持っていた。

階段が終点を迎える。ほんの僅かのスペースの先にある、頑健そうな鉄扉。
大の大人でも手こずりそうなデカブツを、女は表情ひとつ変えずに開けて見せた。

622名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:31:03
「…入んな」
「あ、ああ」

扉の先には。
打ちっぱなしのコンクリートの広がる広間、その中心には瓦礫のようなものが積み上げられていた。
いや。瓦礫だらけの場所を後からコンクリートで囲い固めた、そんな印象さえ受ける。

「この場所は、あの日あの時のままだ。やりやすいだろう?」

瓦礫のモニュメントの前に立ち、女が言う。
男はそれには答えず、瓦礫の前まで歩み寄ると、そのまま跪いた。
そして掌をそっと、瓦礫に添えた。

流れ込んで来る、残留思念。
女が二人、そこにはいた。一人は黒衣の、赤のスカーフが特徴的な女。
そしてもう一人は、編上ブーツに黒と白の戦闘服らしき服に身を包む女。
赤いスカーフの女が手を翳した瞬間、空気が、そして瓦礫が激しく爆ぜる。かなりの能力者。記憶の残像だけで身震いがする。だが、
対抗する女も負けてはいない。俊敏な動きで敵を翻弄し、手からは溢れる…これは、光? 聞いたことがある、全てを光に還す至高の
能力者の存在を。
光と、爆風。二つの激しい争い。永遠に続くかと思われた戦いは、光の女が放った光線が相手の心臓を貫くことで決着を見る。溢れる
鮮血と、染め上げられた赤い夕陽がシンクロし、倒れる女。女は満足そうに微笑み、そして…

そこで、思念は途絶える。
額には汗が玉のようにこびり付き、拭うと不快な湿り気となって手の甲に纏わりついた。
「記憶屋」となってから幾多の経験を経てきた男だったが、これほど濃密で強烈な残留思念に触れるのは、ほぼはじめてのことだった。

「あんた、大したもんだね」
「何が、だ」
「今まで連れてきた『記憶屋』はほとんど、この時点で半分気絶しかけてた。あたしが喝入れるまで、呆けてるやつがほとんどだった
からさ」
「へっ。何年この仕事やってると思ってんだよ」

強気な口を利く男だが、正直体力の消耗の激しさを実感していた。
それほどまでにあの記憶は、凄まじい力を持っていたのだ。

623名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:32:08
だが、ここでへばっている暇はない。男の仕事はまだ、終わっていないからだ。

「それじゃ、この記憶を。あんたに移すぜ? いいな」
「…さっさとやんな」

男は立ち上がり、女の前に立つ。
女は自らの身を委ねるように、瞳を閉じ、そして自らの額を差し出した。
「記憶屋」の本領は、ここから発揮される。
残留思念を読み取り、相手にその情報を寸分違わず受け渡す。それが男の能力であり、そして女の依頼でもあった。

瓦礫から記憶を吸い取った掌が、女の額に当てられる。
すると、それまで表情のなかった女に変化が現れた。
男がそうであったように、女もまた尋常でない量の脂汗を流し始める。そして、眉は引き攣り、皺が深く刻まれ、口元が大きく歪ん
だ。これはまさしく。激しい憤怒によるもの。

「う…お、お、うああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!」

女のものとはとても思えない、叫び。むしろ、獣の咆哮に近い。それほどの殺気、そして重圧。
空間がびりびりと震えるような、衝撃。記憶を流し続けている張本人の男ですら、立っているのがやっとの状態だった。
記憶の凶悪さに加え、女自身の凶暴性、地獄のマグマのような煮え滾る怒りがこの状況を生み出している。女と、記憶の中の二人が
正確にはどのような関係かは男は知らない。だが、これだけは言える。
女の怒りと悲しみは、永遠に癒されることは無い。と。

「がっ…はっ…はぁ…はぁ…」

記憶が全て渡されると、女は崩れ落ちるように両膝を落とした。
息は乱れ、体で大きく息をしている状態。
男は女の前で屈み、声をかける。

624名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:33:12
「どうだい。これで満足かよ」
「ああ。あんた、相当の腕利きだね…おかげで…」

女は、伏せていた顔をゆっくりと上げ。

「これで『最後』で済みそうだ」

急激に冷却されてゆく空気。
氷の槍が交差するように、男を刺し貫く。

「さっきも言ったよな。『何年この仕事やってると思ってるんだよ』ってな」

だが、女の作った磔の交差点に、男はいない。
それどころか、女の体から急速に力が抜け始めた。

「能力阻害」。いつの間にか、仕掛けられていたらしい。

「…ちっ。初めから知ってたのかよ」
「ああ。あんたの仕事を受けた『記憶屋』が何人も行方不明になってる。記憶を移し終わったところで、用済みになった『記憶屋』を
憤怒のままにぶち殺したってとこか。だが派手にやり過ぎたな、氷の魔女ミティさんよ」

男が、再び女の前に現れる。
手には、凶悪な光を湛えた銀の刃が握られていた。

625名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:34:22
「ここであんたに無残に殺された『記憶屋』たちの残留思念も流れ込んできたぜ。それを読み取った俺が、そいつらの無念を晴らす
ためにお前をここで殺す。何もおかしくはねえだろ」
「…ダークネスに喧嘩売るとは、いい度胸してるよな」
「はっ。噂じゃ奇行が過ぎて組織でも鼻つまみになってるらしいじゃねえか。却って厄介払いができていいだろうよ」

再び、男が身を屈める。
今度は女の髪を掴み、そして引っ張り上げる。その首を、掻き切るために。

「ちなみにあんたの力を奪ってるのは、闇市場で手に入れた能力阻害装置の賜物さ。おかげで俺の貯めてきた蓄えが半分ほど吹き飛
んだがな。性能には半信半疑だったが、弱ったあんたには十分すぎる効き目だったようだ」

女は。
相も変わらず、色のない目で男を見ている。
死の間際ですら、枯れた感情は戻らないようだ。

「じゃあな。ミティさんよ」
「なあ。なんであたしが『魔女』って呼ばれてるか、知ってるか?」
「さあ? 知らないね」

大方、力に酔った連中による僭称だろう。
だが男はそんなことは言わなかった。女の命乞いにも似た時間稼ぎに乗る必要など、まるでないからだ。
すぐにでも、その口を命とともに閉じてやる。

いや違う。
一刻も早く、この女を殺さなければならない。
でないと。でないと俺は。

「あたしの中に…『魔女』がいるからさ」

声にならない叫びを上げながら、男がナイフを走らせる。
白い喉元を引き裂いたはずの銀の刃。しかしそれはすでにこの世界には存在していなかった。

そして、男自身も。

626名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:35:45


「…“極上の記憶”をいただいたお礼、とは言えサービスし過ぎたか」

まるで、何事もなかったかのように立ち上がる女。
墓所に似たその部屋には、相変わらず瓦礫が積まれているだけだった。

女  ― 氷の魔女 ― の、真の能力。
能力阻害状況においては使うしかなかった、がその効果は絶大だ。
魔女を亡き者にしようとした男は、肉片ひとつ残さずこの世から消え失せた。

ヘケート…。

力を解放した「氷の魔女」が、呟く。
今となっては人の名前なのか、それとも戒めの楔なのかすらも判然としない。
だが互いに自らの能力を隠しあうダークネスの幹部たち、そのうちの「氷の魔女」の能力の中枢であることには間違いなかった。そ
れはあの日あの時。その「力」を受け継いだ時から、ずっと。

黒のドレスを翻し、その場を立ち去ろうとする女。
しかし、その身は再び崩れ落ちる。頭の中を、漆黒の渦が逆巻きはじめた。

くそ…記憶の揺り戻し…か?

右手で顔を覆い、襲い掛かる悪意から逃れようとする魔女だが、一度流れ込んだ記憶を追い出すことなどできない。
最初は自らの復讐心を絶やさぬよう、黒き炎を猛らせようと「記憶屋」と呼ばれる輩に依頼したのが事の端緒であった。刻まれた記
憶は魔女の求めるままに、鮮やかな色をもって凶暴化してゆく。戯れに仕事を終えた「記憶屋」たちの命を奪うのも、裡に育つ記憶
の魔物の成長具合を確かめるためだった。

627名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:36:46
だが今度のそれは、それまでのものとはまるで比較にならない。
舞い上がる土埃。滴る赤い血。血液の赤よりなお赤い、沈みゆく夕陽。全てが、まるで「氷の魔女」自身が体験したかのように彼女
の脳に刻まれ、焼き付けられていた。

顔を覆う右手の指の力が、抑えられない。
爪はやがて皮膚に食い込み、魔女の顔から血を滴らせる。
先程と同じだ。膨れ上がる、激しい怒り。憎い。憎い憎い憎いにくいにくいにくいにくいにくいにくいいいいいいいいいいいいいい
いいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

一番許せないのは。
高橋愛にとどめを刺され、安らかに死んでゆく「赤の粛清」。
「記憶屋」の写し取った記憶は。彼女の残した思念すら魔女に伝えていた。
そこで垣間見た、残酷なる真実。

「赤の粛清」が「氷の魔女」に遺したものは。なにも、なかった。

ふざげんな。
ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな。
怒りを通り越し悲しみの感情すら飛び越えて、最早涙すら出ない。
爪が抉る傷口から溢れる血も、表面に出た途端に凍り付いてゆく。
これは十分だ。十分すぎる理由づけだ。

高橋愛の守ってきたものを、悉く壊してやる。

628名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:38:02
まずはあの幼さを残した次世代の少女たちだ。
一人残らず、縊り殺してやる。そして、彼女たちの全身を凍らせ氷の墓標とするのだ。
魔女の背後に聳える、響き合うものたちの生きた証。それを、愛の目の前で粉々にしてやろう。

凍りついたままの表情で、原型を留めぬほどに破壊される、共鳴の少女たち。
愛から受け継がれたであろう意志は、そこで終わる。もう、心が鳴り響くことはない。

愛の悲鳴が、怒りが、嘆きが零れ落ちやがて大河になり。
魔女の心の砂漠を流れるだろう。それでもなお、渇きは。いや、永遠に潤されはしないのだ。

― そう遠くないうちに、ご用意しますよ。とってきの、舞台をね ―

組織の頭脳である「叡智の集積」は、魔女にそう約束した。
「氷の魔女」は組織に傅いているわけではない。それは彼女の「nonconformity(不服従)」の別名からも明らかだ。
彼女が組織に属し、今までやってきたのは偏に成り行きに過ぎない。「永遠殺し」や「鋼脚」らの他の幹部が組織に忠実に動いてい
るのとは、明らかに一線を画してきた。

しかし。かのDr.マルシェがそう言うのなら。
舞台が整うまで待ってやろう。約束が果たされなければその時はその時。膨れた面を白衣ごと引き裂いてやればいいだけの話だ。最
早彼女に失うものなど、何もないのだから。

再び魔女が、立ち上がる。
頭の中で渦巻いていた黒い記憶の波は、あらかた引いてしまっていた。

629名無しリゾナント:2016/07/22(金) 12:39:42
>>618-628
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編「凍てつく、闇」 了

630名無しリゾナント:2016/08/03(水) 19:34:43


天高く、聳え立つ鉄塔。
近年新しい東京のシンボルタワーとして建設され、観光名所としても名高いその塔は。
多くの人が知るその姿とは異なる点が、二つ。
一つは、時が遡ったかのようにいくつもの鉄骨の組まれた作りかけであるということ。
そしてもう一つ。
白く輝く素材で作られたはずのそれは。黒く。黒く、染め上げられていた。

言うなれば、漆黒の塔。

さらに言えば、塔が指さす空もまた異様であった。
雲一つないはずの空は光を失い、どこまでも黒を湛えている。どことなく闇夜にも似ていたが、決定的に違うのは月も星もそこには
存在していないということ。
ここは、空間作成能力者たちが心血注いで作り出した、異空間。
本物の電波塔と緯度・経度を同一にしながらまったく別物の塔が存在を許された、特別な空間であった。

突如、塔を正面に見据えた空に亀裂が走る。
小さな皹は鋭い音を立てて広がってゆき、やがて。

空間の裂け目から、伸びてゆく二本のレール。
その上を、豪奢な外装の列車が滑るように走る。
空から地に沿って伸び続ける線路、列車は塔の入り口をプラットホームとして狙い定めたように、滑り込んでゆく。

631名無しリゾナント:2016/08/03(水) 19:36:00
塔の真下では、黄色の安全ヘルメットを被った女が黒ずくめの作業員たちに逐次指示を与えていた。
工事帽には似合わぬプリン色の髪、しかし作業服を着たその姿はあまりにも似合いすぎていた。彼女が末席ながらも組織の幹部など、
言わなければ誰も分らないだろう。

その女が、列車の到着に思わず身を飛び上がらせる。
入線、というよりは着陸に近い列車の到着、女は弾かれたように搭乗口まで走って行った。

ゆっくりとした動作で停車した車両、その重厚で豪華なつくりの車体に相応しい、威圧感のある鉄扉が左右に開く。
現れたのは、パンツスーツの猫目の女。泣く子も黙る、ダークネスの大幹部だ。

「すっげえ列車ですねぇ、保田さん!!」
「…任務中に名前を呼ぶのはあまり感心できないわね」
「あっ!ご、ごめんなさい『永遠殺し』さん!!」
「まあいいわ。『首領』の『空間裂開』を使うことなく、異空間を移動することができる『unusual space train ― 異空列車』。例
の計画遂行時にも、大きく役立ってくれるはずよ」

列車から降り立ち、塔を見上げる「永遠殺し」。
建設途中とは言え相当な高さにまで建築されたそれは、闇色の塗装も相まって文字通り「あの塔の影」のように見えた。

「…大分、完成に近づいてるみたいね。オガワ」
「そうなんですよぉ! この調子で行くと予定よりも早く完成しちゃうんじゃないかってくらいに」

だらしない笑顔を浮かべ、猫目の女 ―「永遠殺し」― ににじり寄るオガワ。

「ただ。いくら早く完成したとしても、あの子は実験期間が増えたと喜ぶだけでしょうけど」
「あさ美ちゃんすか? あー言いそうですね。『実験は繰り返すことで、精度が向上しますから』とか言って」

オガワは「親友」の口真似をしてみせるが、「永遠殺し」は無反応。
意外とクオリティに自信があっただけに、がっくりと肩を落とした。

632名無しリゾナント:2016/08/03(水) 19:37:32
「ともかく。この『もうひとつの塔』はマルシェの計画にとって重要なものらしいから。あなたの責任も重大よ」
「そ、そりゃもちろん!! …あ」
「何? そんな呆けた顔して」
「いやー、あさ美ちゃんには何か聞けなかったんですけど。この『塔』っていったいどういう役割を果たすんですかね」

言いながら、デシシ、と音が出そうな笑いを見せるオガワ。
あの子、肝心なことは何も教えてないのね。と呆れつつも、「永遠殺し」は哀れな後輩のために簡素な説明をしてやることにした。

「…数年前の、『ステーシー計画』は知ってるでしょう?」
「あー、あの電波を使って人々をゾンビみたいな存在にしちゃうやつですよね。リゾナンターたちに阻止された」

苦い顔で、オガワはその時のことを回想する。
『ステーシー計画』とは、かの有名な電波塔から発せられる電波に特殊な仕掛けを施し、電波の影響下にある人間を人ならざる存在に
しようという計画であった。だが、当時のリゾナンターたちに塔内に乗り込まれ、電波発生装置を破壊されたことにより計画は失敗に
終わる。計画発案者である紺野にとっては取るに足りない戯れの一つに過ぎない、という評価のものだったと記憶していたが。

「あの原理を使って、日本中の全国民をダークネスの支配下に置くのよ」
「ええっ!そんなこと、可能なんですか!?」
「可能らしいわよ。田中れいなから奪った、共鳴増幅能力があればね」
「マ、マジっすか…」

紺野が自らの実験の成功を高らかに謳った、田中れいなの能力簒奪。
だが、奪ったモノの使い道については多くを語らなかった。まさか、このような使い道があるとは。普段からぽかんと口を開ける癖の
あるオガワではあるが、あまりに突飛かつ壮大な計画に開いた口を閉じることすら忘れてしまう。

「その計画を実行するには、表の塔と『もうひとつの塔』の存在が必要不可欠…というわけ」
「はぁ。なんで電波塔が二つ必要なのかはよくわかんないすけど、なんとなくわかったような」
「そこまでは知る必要もないでしょ。あなたも、もちろん私もね…ところであんた、今暇?」
「え?」

オガワは、「永遠殺し」の突然の質問に目を白黒させる。

633名無しリゾナント:2016/08/03(水) 19:38:43
「いや…作業は下っ端の連中に任せてるんで。ちょっとくらいなら大丈夫ですけど」

答えるか答えないかくらいのところで、「永遠殺し」が背を向ける。

「えと…保田さん?」
「何をぼーっと突っ立ってるのよ。折角だから、『異空列車』の案内をしてあげようじゃない。あんたも一応幹部の端くれなんだから、
勉強しておきなさい」
「は、はいっ!ぜひお供させてくださいっ!!」

オガワは、幹部の中でも末席の存在だった。
他の幹部たちと比べ、重要なポジションにいるわけでも、組織に大きく貢献しているわけでもない。怪しげな英会話レッスンのビデオ
で小銭を稼ぐのが精いっぱいである。

「弾薬庫」、と他の幹部に倣って二つ名を自称するもまるで定着しない。最近では「鋼脚」が率いる五人の新人たちにすら圧され、そ
の影をますます薄くさせていた。
Dr.マルシェと旧知の仲であること以外、取り立てて特色のない彼女。一応「物質転移」の能力は持つが、他の幹部たちと比べると
聊か地味なのは否めない。最近では「叡智の集積」の旧友という看板すら、古ぼけてきていた。

そんな彼女にとって、大幹部とお近づきになれることは決して悪くない話だ。
それに。オガワには予感があった。
この「永遠殺し」の提案には。何かがある、と。

634名無しリゾナント:2016/08/03(水) 19:39:57


豪奢な列車の内装は、さらに贅を極めていた。
高級レストランと見紛うばかりの食堂車に、貴族のプライベートルームを思わせる客室。
車両の先頭には礼拝堂すらあった。最早列車の形をした高級ホテルである。

「いやいやこれは…どういう経緯で組織はこんなものを?」
「とある小国を実効支配した時に接収したものを、そのまま使ってるらしいわよ。詳しいことは私も知らないけど」

おっかなびっくりに煌びやかな絨毯を踏むオガワに、「永遠殺し」が素っ気なく答える。
その様子はまるで田舎者を引き連れて歩いているようだ。
途中の鏡張りの部屋で自分の姿を見るまでは、ヘルメットを被ったままという情けない恰好であたりをきょろきょろしているという覚
束なさである。

きらきらと輝くシャンデリアが吊り下げられているその下を歩く二人。
やがて、「永遠殺し」は狙い定めたかのように客室のドアを開け、中に入る。

「『永遠殺し』さん?」
「オガワ…あなたに、お願いがあるのよ。まずはそこに座って頂戴」

後ろ手にドアを閉めた「永遠殺し」が、食い入るような目でオガワを見る。
何事か、という思いと、来た、という予感が交差し、複雑な軌跡を描いていた。

言われた通り、部屋のソファーに腰を落とす。「永遠殺し」もまた、向かい合うように反対側のソファーに腰を落とした。すると、タ
イミングを見計らったように黒服の男が部屋の中にすっと入って来た。

「オガワも、飲めるんでしょ」
「ええまあ、人並みには…あ、そうだ」

何かを思いついたのか、右手を天に掲げるオガワ。
しかし、

635名無しリゾナント:2016/08/03(水) 19:41:17
「それはやめておきなさい」

という「永遠殺し」の一言によって、右手を下げざるを得なかった。
一体、どういうことなのか。

「あんた今、物質転送を使おうとしたでしょう?」
「いや…はい、そうですけど。お酒、持って来ようと思って」
「この異空列車はね。空間と空間の間を行き来するために、自らの存在自体を異空間としているの。つまりこの場所自体が通常とは別
の空間ということね。そんな場所に転送用とは言え、穴を空けたらどうなるか」

ひええ、と思わず声が出てしまうほどに。
最悪、空けた穴に吸い込まれて二度と戻れなくなってしまうかもしれない。それは彼女たちのボスの能力である「空間裂開」級の恐怖
であった。

「それに、こういった余所行きの設備には、きちんと常備されているものよ」

黒服にいつものやつ、と声を掛ける時の支配者。
恭しく一礼した黒服は、入って来た時と同じように軽やかな身のこなしで部屋を出てゆく。

「…ただものではないようですね」
「ええ。この異空列車の給仕兼、ダークネスによって肉体を強化された特殊戦闘員。だいたい10〜20人は列車内に常備させてるのよ」

例の計画時にはこの列車は唯一無二の「運搬」の役目を負う。
不測の事態に備え警備を万全にするのもまた当然か。オガワがそんなことを思っていると、先ほどとは別の黒服が銀色のトレイを手に
乗せやって来た。上には、背の低いグラスが二つと。

「し、白子…」
「何よ、嫌いなの? 芋焼酎にはぴったりよ」
「いえ…ただ、わたしとしてはてっきりワインとかクラッカーみたいのが出てくるかと」
「ありきたりな発想ね。マルシェに呆れられるわよ」

明らかに場にそぐわない酒とそのつまみ。
だが、先輩のチョイスに不服を申し立てて機嫌を損ねるほどのものでもない。
供されたものを、ありがたく頂くことにした。

636名無しリゾナント:2016/08/03(水) 19:42:34
「では、ダークネスの栄光とますますの繁栄に」
「…ベタねえ」

苦笑しながら、オガワが差し出したグラスに軽く自らのグラスを当てる。
緊張感からなのか、いきなり中のものを一気に呷り、かーっ!やっぱ芋の香りがいいっすねえ、などと調子のいいことを言いだすオガワ。

最近どうなのよ? という定番の話題を足掛かりに、「永遠殺し」はオガワの現状を色々と聞きだす。
やはり、待遇はあまりよろしくないようだった。

「久住小春をダークネスに入れようって話になった時、あたしは自分の新潟キャラを取られるかと」
「…今日はあんたの愚痴を聞きに来たわけじゃないの。そろそろ本題に入るわよ」
「へ?は、はい…」

酒が進み、滑らかになった弁舌に冷や水。
だが、次に語られる「永遠殺し」の言葉は。

「あんた。計画の当日、マルシェを『物質転移』でどこか遠くに飛ばしてちょうだい」
「…え」

それ以上の衝撃を持ってオガワの胸に突き刺さった。

「あの子が何を考えてるのか、わたしにはわからない。けど、あたしがやることの邪魔だけは…絶対にさせない」
「それってどういう」
「計画の当日。わたしが、リゾナンターたちを抹殺するわ」

言葉が出ない。代わりに口の中の白子を飲み込む。
リゾナンターを抹殺する、という言葉が「永遠殺し」から出たと言う事実。確かにこれまでも、組織は自らに仇なす存在であるリゾナン
ターの始末について何度も試みてはいる。だがそれはあくまでも、目の前を飛ぶ小五月蝿い存在を手で払うかのような対応だった。

637名無しリゾナント:2016/08/03(水) 19:44:21
だが、今回は今までとは違う。
何せ、ダークネスのオリジナルメンバーに比肩する幹部「永遠殺し」の発言なのだから。
粛清人制度が誕生する前は、彼女が中心となって組織の敵対者を葬って来たという。それを、組織内外の情報統制、つまり今の「鋼脚」の
役割をしつつこなしていたと言うのだから驚きだ。その彼女が、ついにリゾナンターの始末に動く。

「だけど。あんたも知っての通り、マルシェ…紺野はあいつらのことを高く買ってる。まるで、いざという時に都合よく使えるチェスの駒
みたいに。だからその駒を使う前に」
「前に…?」
「私がこの手で潰す。だから、変な邪魔はされたくないのよ」

粘りつくような視線が、オガワに向けられる。

「迷うのはわかるわ。けど…」

確かに、オガワは迷っていた。
紺野あさ美は、オガワの同期である。今となっては一方的ですらあるが、ある種の友情を感じているのも事実だ。同じく同期だった高橋愛
や新垣里沙が組織を去った今、たった一人の同期なのだ。そんな人間を裏切るようなことをして、果たしていいのだろうか。

「どちらにつくのが賢明か。考えてみなさい」

オガワは、あさ美の恐ろしさもまた、知っていた。
自らの研究の妨げになる人間には、決して容赦しない。かつて彼女が生み出した「れでぃぱんさぁ」なる異形の化け物は、彼女の研究に異
を唱えた研究者が素体になっていたと聞く。また、科学部門統括の座を虎視眈々と狙っていた主任クラスの人間も、彼女の逆鱗に触れ人知
れず粛清されたとか。

だが。
今そこにいる「永遠殺し」のほうが、より恐ろしい。
かつて「蠱惑」「詐術師」ら古参の幹部とともに組織の暗部を担っていたほどの人物だ。彼女の持つ、威圧感、凄み。どれもがオガワの恐
怖心を煽るには十分すぎるほど。そして何よりも怖いのが。

638名無しリゾナント:2016/08/03(水) 19:48:19
否定的な返答をした瞬間に、自分が時の流れから切り離され、知らぬ間に亡き者にされるという可能性。

「もし、協力してくれるなら。今のあなたの地位からは想像もつかないくらいのポストを用意してあげるわ。『運び屋』程度で終わりたく
はないでしょう? 自分が何をすれば一番得することができるか…一晩、ゆっくり考えてみることね」

次の瞬間には、「永遠殺し」の姿はもう目の前から消え失せていた。
と言うより、自分自身が車両の外にぽつねんと立っていたのだが。ご丁寧に、後ろに下げていたはずの工事用ヘルメットまで被せてくれて
いた。
大幹部の振るう能力の恐ろしさとともに、現実問題としての彼女の誘いが蘇ってくる。

事実上二つ名を名乗ることも許されていない、名ばかりの「幹部」。
それが今のオガワの現状だった。だが。
もし仮に計画当日、あさ美を本拠地から遠ざけることに成功すれば、今よりも遥かにいい待遇を用意してくれると「永遠殺し」は約束し
てくれた。

彼女は、義理堅い人間として組織の内外に知られていた。
「詐術師」のような1ミリたりとも信頼するに値しない人間とは違う。
ただその信頼を形に変えるためには、提示されたミッションを確実に実行しなければならない。

瞳を閉じると、三人の少女の姿が浮かぶ。
組織が期待する至高の人工能力者。精神干渉のスペシャリスト。そして、組織の頭脳に最も近い科学者。
自分は。自分には何もない。彼女たちと肩を並べようとすること自体、おこがましかった。
けれど。

― 「運び屋」程度で終わりたくはないでしょう? ―

答えは、最初から決まっている。

オガワはヘルメットを深く被り直し、未だ天を目指す漆黒の巨塔へと歩き始めた。
異空間の空は、どこまでも昏く、塔の黒とまるで混じり合うかのように。

639名無しリゾナント:2016/08/03(水) 19:49:53
>>630-638
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編「諮る、闇」 了

まこっちゃんは何年ぶりの登場でしょうかねw

640名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:19:43


その能力が故に、野戦に駆り出されることの多かった彼女はミリタリー柄の衣服を好んで着ていた。
そしてその日も、所謂迷彩服に身を包んでいた。

「なあ、後藤」

彼女は、「黒翼の悪魔」のことを二つ名で呼ぶことは無かった。
彼女にとってはあくまでかわいい、甘えたがりの後輩。そう位置づけていた。いや、今となってはそれもただの願望に過ぎなかったの
かもしれないが。

絶海の孤島に浮かぶ、ダークネスの本拠地。
その日は、組織の幹部たちがこの本拠地に勢ぞろいしていた。
全ては明日の、新たに幹部に選ばれた少女たちのお披露目のために。

「なあに? いちーちゃん」

そして「悪魔」もまた、二人きりの時は彼女のことを二つ名で呼ぶことは無かった。
「永遠殺し」に注意されるせいで、公式の場では「蠱惑」と呼ぶように努めてはいたが、その度に堅苦しい、むず痒い気持ちになるの
だった。「悪魔」の言葉を借りれば、「いちーちゃんは、いちーちゃん」だ。

孤島の先端となる、断崖絶壁。
「蠱惑」と「黒翼の悪魔」は、孤島から飛び立たんばかりに突き出たその岬に立っていた。

「明日の会議を乗り切ったら、あたしは組織を割って出る」

「蠱惑」は、いつもの飄々とした顔をやめて、至極堅い表情になってそう言った。
組織を割る。つまり、「ダークネス」への裏切り。
反逆者の粛清を取り仕切る「永遠殺し」にでも聞かれたら、とんでもないことになる話だが。

641名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:20:59
「ふっ…」

「黒翼の悪魔」は、笑う時に鼻を使う癖がある。
それが彼女にとって、最大限の歓びの表現でもあった。
しかし、聊か場にそぐわぬ場合もあり。

「何がおかしいんだよ。本気なんだぞ、あたしは」
「ううん。何か、いちーちゃんらしいと思ってさ」

潮風が、「悪魔」の金色の髪を揺らす。

「あのなあ…こういうのはさ、あたしらしいとかそういう問題で片付けられるような」
「そういう問題だよ」
「ったく。ホントに事の重大さをわかってんのかよ…」

呆れつつも、「蠱惑」も思う。
実に、「後藤らしい」、と。

「蠱惑」には、何が何でも組織から独立しなければならない理由があった。
確かに、彼女はここ数年で急激に自らの評価を上げてきた。それに伴い、組織での発言権も増してきている。
だが、限界がある。組織には絶対的な存在である「首領」が君臨し、さらには二枚看板の一人である「銀翼の天使」もいる。このまま
では自分がトップになれる日は来ないだろう、と「蠱惑」は考えていた。

それに…あたしが「こいつ」と釣り合うには。組織の頭張るくらいじゃないとダメなんだ。

「蠱惑」は。
「悪魔」のことを可愛い妹分として扱う一方で、その限界にも気づいていた。
「黒翼の悪魔」。ダークネスによって生み出された最強の人工能力者は、「蠱惑」以上にその名声を轟かせていた。幹部に昇格する前
から「天使」と同等クラスの評価が与えられ、今や二枚看板の片翼を担うまでに。彼女の教育係であった「蠱惑」の地位も相対的に上
昇するが、口さがない連中からは「後輩の手柄で伸し上がった」と揶揄されることもあった。

642名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:21:55
その評価を払拭するためには、組織を割るしか方法は無い。
幸い、水面下で自らのシンパをある程度確保することには成功している。このまま彼らを率いて組織を出たとしても、ある程度の恰好
はつくだろう。しかし、そこに「悪魔」がいるといないでは、天地の差ほど状況は変わってくる。

彼女の「我が闘争」を成功に導く鍵。それは、「黒翼の悪魔」が握っていると言っても過言では無かった。

「で。どうすんだ。お前は、あたしに…」
「ごとーは。ずっといちーちゃんについてくよ」

即答だった。
それくらい、「悪魔」にとっては当たり前のことだった。

「お前なあ。少しは迷えよ」
「だって決めたんだもん。ごとーはいちーちゃんの剣にも、盾にもなるって」
「簡単に言うなって。あいつら全員、敵に回すことになるんだぞ」
「ごとーは平気だよ。裕ちゃんだって、けーちゃんだって。世界中の人間を敵に回しても、例えごとーといちーちゃんしか味方がいな
くなっても、ね」

呆れた素振りを見せつつも。
「蠱惑」は「悪魔」がそう言うのを、知っていた。最早確信に近いものがあった。
「悪魔」が「蠱惑」に傾けるものは、無償の愛。それを、自分は利用している。
罪悪感がないと言えば嘘になる。けれど、自分の野望を実現することがその贖罪になるのではないか。悪魔と呼ばれるものに許しを請
うなど、滑稽以外の何物でもないと嘲りつつも。信じることをやめられなかった。

「大丈夫だよ、いちーちゃん。ごとーが…世界を見せてあげる。いちーちゃんの手に収まる、世界を」

その願いが叶うことは。
永遠に、訪れなかった。

643名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:23:00


「蠱惑」が、組織も手を焼く悪童の二人に惨殺されてから。
「黒翼の悪魔」の私室には、誰も近づかなかった。いや、近づけなかったと言った方が正しい。
部屋の外周が、びっしりと黒い荊に覆われていた。悪魔の黒い血が作り出す棘付きの荊は、近づくものすべてを容赦なく刺し貫く。

それは、形容するならば「殺意」そのもの。
「蠱惑」を惨殺しておきながら、決して手の届かない場所へと隔離された「金鴉」と「煙鏡」。やり場のない殺意は周りの存在すべて
を殺害対象へと変えるバリケードとして具現化していた。

「悪魔」の脳裏にこびり付くようにして決して離れない、最期の一場面。
空に垂れこめる暗雲が如く群がり犇めいていた蟲たちが、散り散りに消えてゆく。それは「蟲の女王」の力が消え失せてしまったこと
に、他ならなかった。
そんな中、刎ねられた首を得意げに踏み潰す、「煙鏡」の狂気に染まった表情。
氷のように冷え固まった感情が、例えようもない怒りによって一気に煮え立つ。そしてその怒りがどこにもぶつけられないという事実、
「蠱惑」がもう存在していないという事実が、彼女の心を再び絶対零度にまで落としてゆく。それが、延々と繰り返されていた。

何日、いや、何週間。
時間の感覚さえすり減っていたある時。

鼻を突く、生臭い臭い。
ぴちゃ、ぴちゃという、粘りつく水音。
固く閉ざされていた部屋の扉が、ゆっくりと開かれた。

「いやあ…元気そうで、何よりです」

部屋中に満たされた殺気にそぐわない、のんびりとした声が聞こえてくる。
だが、声の主の呼吸音は自らの命の灯が消えかけていることを如実に示していた。

644名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:24:03
興味なさそうに、瞳を開く「黒翼の悪魔」。
それは能動的な行為ではなく、部屋の扉が開かれたことによる反射的なものだったが。

「あんた…何してんの」

目の前に姿を見せた声の主は、「悪魔」に呆れられるほどに。
白衣らしきそれは、ずたずたに引き裂かれ、白い部分がまるでないほどに血で染まっていた。

「どうしても『黒翼の悪魔』さんに会いたくて、ここまで来ました」
「どうでもいいけどあんた、もうすぐ死ぬよ。紺野」

黒き荊の洗礼を浴びつつここまでやって来たと思しき少女 ― 紺野あさ美 ― は、そこに立っているのがやっとというくらいに
消耗しきっている。「悪魔」の言葉に偽りがないことは、紺野の足元を濡らす夥しい量の出血が物語っていた。

「ご心配なく。適切な処置を受ければ、死にはしません。ただし、交渉が短く済めばの話…ですが」
「…いちーちゃんのクローンなんて、絶対に作らせない」

命を賭してまでの要件とは思えないが。
紺野は確か組織の科学部門に所属する研究者だったはず。となればその長は例の変わり者だ。彼ならば自らの戯れのために使いの者
を寄こすことなど、朝飯前だろう。道化らしいやり方ではある。
だが、終わってしまった命を弄ぶつもりなら、容赦はしない。

「私がここに来たのは、『黒翼の悪魔』さんにある提案を持ちかけるためです。このことは、統括にも話していませんよ」

今にも紺野に絡みつき、身を引き千切らんばかりににじり寄っていた荊の動きが、ぴたりと止まる。

645名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:25:00
「提案?」
「ええ。単刀直入に言いますと。あなたの恨み、晴らすことに協力を惜しまないということです」
「…その場凌ぎの嘘なら、やめたほうがいい」

「悪魔」の恨みを晴らすこと。それは「金鴉」「煙鏡」の二人を亡き者にするということ。
しかし、彼女たちは表向き「懲罰」ということで「首領」によって異空間に隔離されている。例え「首領」を殺したところで、能力
が解除されることはない。

「嘘ではありません。彼女たちを『合法的に開放』し、かつ『合法的に抹殺』すること。これは、私にしかできないと言っても過言
ではないでしょう」

しかし、紺野の表情はまるで揺るがない。
どころか、自信たっぷりにそう言い切って見せた。
その自信の根拠や、生命の危機に瀕してなお失われない目の輝き。
「悪魔」は、少しずつではあるが紺野に興味を抱き始めていた。

「とりあえず、話だけはしてみなよ。下らない話じゃなかったら、聞いてあげる」
「そうしていただけると、助かります」

紺野は血の気が失せた真っ白な顔のままで、自らの計画について語り始めた。

646名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:26:01


「…面白いことを考えるんだね。科学者ってのは」

紺野の話を一しきり聞いた後。
「黒翼の悪魔」は心底呆れかえった感じで言い放った。
ただし、彼女とその私室を取り巻いていた漆黒の荊はすっかり消え去っていた。

「どうやら。私には、『力』という存在に対して並々ならぬ執着があるみたいなんですよ。だから、それが活かされる最良の環境を
常に追い求めている、そう解釈していただけると助かります。さて…」

血糊でべたついた眼鏡を、ゆっくりと外す。

「面白いかどうかは別として。ごく当たり前のことをしても、あなたの憎しみや悲しみは消えない。『煙鏡』さんや『金鴉』さんを
縊り殺したとしてもね。けれど、私のやり方なら…」

紺野は。
激しい体力の消耗、出血量の多さによって徐々に意識を失いかけていた。
それでも、口を止めるわけにはいかない。

「それこそ『半永久的に』仇敵を『殺し続ける』ことができる」

「悪魔」を説得するには、それなりの見返りが必要だ。
それも、彼女の興味を引き付けるような形で。そういう点においては、これ以上の提案はないと自負していた。

紺野の言うとおり、あの二人をただ殺しただけで胸の奥底の暗黒が晴れるとは到底思えない。
言わば、底の抜けた甕にいくら水を注いだとしても次から次へと流れ出ていくようなもの。
ならば、永遠に注ぎ続ければいい。注いでいる間は、甕の水位は一定に保たれるのだから。

647名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:26:55
「いいよ。紺野、あんたの提案に乗ってあげるよ」
「よろしいんですか?」
「今んとこ、解決策を持ってるのはあんたしかいないしね。その計画が成すまでは、紺野…こんこんの剣となり、盾となってあげる
よ。それが、ごとーのためでもあり、こんこんのためでもあるならね」

「黒翼の悪魔」は再び、誓いを立てる。
あの時と同じ言葉。違うのは、誓いの対象となる人間だけだ。
「蠱惑」の代わりと言うわけではない。あの時に宙を舞ったままの言葉が、緩やかに落ちるべき場所に落ちた。ただ、それだけのこ
とだった。
だが、「悪魔」は直感する。この目の前の少女は、自分の飽くなき欲望を満たすことのできる唯一の人間だと。

「…はは…どうやら…間に合、った…ようですね…」

それまで一本の糸で辛うじて体を支えていたような、紺野。
その糸がぷつりと切れ、壁に背をなする形で崩れ落ちた。

「大丈夫だよ、こんこん。あんたのことは、死なせはしない」

悪魔の呟きは、紺野の耳に緩やかに響き。
そして、意識は深い闇へと沈んでいった。

648名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:27:54


次に紺野が目覚めると、そこは彼女がいつも羽織っている白衣の如く真っ白なベッドの上だった。
紺野を覗き込むように、見知った顔が、三つ。

「あさ美ちゃん!心配したんやよ!」
「ちょっともー、いきなり倒れたって聞いたから」
「いやいやいや、よかったぁ!!」

高橋愛。新垣里沙。小川麻琴。
紺野が組織にスカウトされた時に、同期だった三人だった。

「大げさだって。貧血で倒れただけだから」

嘘は言ってはいない。
血を失いすぎて危うく死にかけるところではあったが。

紺野は、短い会話の中で即座に状況を把握する。
「いきなり倒れた」と里沙が言うからには、ある程度の処置を施されてからこの医務室に運びこまれたのだろう。
となると、「悪魔」との接触の件も知らない筈。もちろん、そうなるように用意はしておいたのだが。

「空手やってるのに貧血だなんてさ、研究室に篭り過ぎなんじゃないの?」
「確かにそうかも。研究も、ほどほどにしようかな」

言いながら、別のことを考えていた。
確かに、自分はまだ「一介の研究員」だ。あまり研究にばかり没頭していると、思わぬミスに繋がる可能性がある。
そう言えば、紺野の所属する科学部門の統括が「飯田が一度解散した特殊部隊を再結成するらしいで」と言っていたのを思い出す。
いつの話になるかはわからないが、志願してみるのもいい隠れ蓑になるかもしれない。

649名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:29:01
もちろん、こんなことを考えていられるのも「篤い友情」があってこそ。
精神感応の使い手である愛や精神干渉を得意とする里沙も、さすがに友人の心の中を無暗に探りたくはないようだ。

医務室の窓から、オレンジ色の光が漏れている。
もう夕刻か。確か「黒翼の悪魔」の元を訪れたのは午前中だったから、それほど時間は経ってないことになる。

「とにかく。今日のところは大丈夫だから。明日になれば元気になると思うし」

とは言え、長居してもらう訳にもいかない。
この体が「どれだけ治されたか」はわからないが、この様子だと言う通り明日には通常業務に戻れそうだ。
紺野は言葉を尽くして三人には早々とお暇してもらうことにした。
麻琴だけはなかなか帰ろうとしなかったが。

そんな濡れ落ち葉のような彼女もようやく帰り、紺野は一息つく。
まずは、大きな駒をひとつ、手に入れた。だが、計画はまだはじまったばかりである。計画の準備はもちろんのこと、自分自身の足
場も少しずつ固めないといけない。少しずつ、というのがこの場合は重要で、急ぎ足で駆け抜けようものなら道は脆く崩れ去ってゆ
く。悪目立ちするものは、必ずそれを妬むものに足を引っ張られるからだ。

それに、自分が頭角を現してゆけばいずれは「神の眼」の観察対象になる。
全てを見通すとされている幹部「不戦の守護者」の予知能力。彼女の走査網から逃れる術も、考えなければならない。

天を仰ぎ、ため息をついたその時だった。
新たな人物が、姿を現す。この医務室の主だ。

650名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:30:27
「あんたも物好きやねえ。ベッドに入ってても研究、研究か」
「…平家さん」

平家みちよ。
着崩した白衣と金に染めた長い髪。学園もののライトノベルなら「遊んでそうな保健の先生」といった肩書がついていそうな風体で
はあるが。

「しっかしあんたも無茶したなあ。あの状態のごっちん相手に丸腰で説得なんて。ごっちんがあんた運び込むん遅れてたら、ほんま
にあの世行きやで?」
「確かに。まあ私の命一つで彼女の機嫌が直るなら、安い代償というものです」
「はぁ…その言葉、裕ちゃんが聞いたら鬼の形相やな」

中澤裕子、つまり組織の「首領」と旧知の仲であり。
さらには組織の科学部門統括の右腕でもある。さらに滅多に戦闘の前線に出ることは無いが、一たび力を振るえば戦場は荒野と化す、
と実しやかに語られているほどの存在であった。

「で。実際のとこはどうなん? あんたが言う以上の『戦果』は、あったんやろ」
「『首領』の差し金ですか。彼女も人が悪い。私が『黒翼の悪魔』さんにお会いしたのは、彼女に一日でも早く現場復帰してもらう
ため。それ以上でも、それ以下でもありませんよ」

自分が科学部門統括に「一本釣り」されて組織に入った経緯から、「首領」が紺野のことを特別視していることは、紺野自身もよく
知っていた。いずれは、自らの描く計画についても話さなければならないだろう。ただ、今はその時ではない。

「ま、ええけど。紺野のことは面倒みてやってくれ、って統括にも言われてるしなぁ」

瀕死の重傷、からただの貧血の症状としか思えない状態にまで回復しているのも、そのせいか。
紺野は自らの体力が予想以上に回復していることに気付く。

「ところで、せっかくの機会なので一度お聞きしようと思っていたのですが」
「答えられることなら、な」
「あなたは『首領』に近しい存在だと聞いています。そんなあなたが、『能力者による理想社会の構築』についてどうお考えなのか」

651名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:31:41
「能力者による理想社会の構築」。
それはダークネスという組織の悲願であり、また存在意義でもあった。
歴史を紐解いても、常に弾圧の対象とされ、地位を固めたところで為政者の言いなりになるしかなかった「能力者」という存在。そ
んなか弱き存在に救いの手を差し伸べることができる社会の実現は、暁に立つ五人の時代からの目標であり、それは闇に堕ちてから
も本質としては変わらなかった。

「ここだけの話やけどな」

平家は、昔話でもするかのように語り始める。

「それ、一番最初に言うたんは…私なんやで」
「ほう?」
「まだ『アサ・ヤン』とすら名乗ってなかった頃や。あの5人は前線部隊に駆り出されて、うちがお偉いさん直属のエージェントと
して動いてた。その時に私が裕ちゃんに『いつか能力者による能力者が安心して暮らせるような時代が来たらええなあ』って、話し
たんよ。そしたら、あの人、えらく感動してなあ」
「なるほど」
「つまり、それの言いだしっぺは私なんよ。今でもそういう未来が来たらええなと、思ってる」

思わぬルーツを聞き、紺野の知識欲の食指が動く。
しかしそれは感動秘話のほうではなく。

「そう言うからには、平家さんも苛烈な経験をしてきた。そう考えてよろしいんですね」
「…まあ、うちの場合は色々『特殊』やからね」
「どういうことですか?」
「抱える秘密はお互い様、やろ。あんたなら、自分で探り当てるやろうし…うちがいなくなる、その時にな」

まるで近い将来に自分がいなくなるかのような物言い。
紺野は自らの知識欲がさらに擽られるのを感じるが、おそらく相手は何も答えてはくれないだろう。自分が自らの秘密を明かさない
のと同じように。

そう言えば、と紺野は思い出す。
科学部門に転属する前の彼女には、幹部級の待遇を表す二つ名があったはずだ。

確か…「隠(なばり)の魔女」。

紺野は窓の外を、見やる。
夕陽は、黒く濡れた闇によって覆い尽くされてゆく。

652名無しリゾナント:2016/08/18(木) 13:34:45
>>640-651
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編「護る、闇」 了

了 は「おわり」とか「END」の意味でつけているのでタイトルに入れないでいただけると助かります

653名無しリゾナント:2016/09/09(金) 12:50:17


ダークネス情報統制局局長「鋼脚」より

組織新幹部「ジャッジメント」に関する報告。

序.

「ジャッジメント」には五人で幹部1ポストを割り与える。

1.「ジャッジメント」メンバー

宮崎由加
金澤朋子
高木紗友希
宮本佳林
植村あかり

654名無しリゾナント:2016/09/09(金) 12:51:29
「まだ『アサ・ヤン』とすら名乗ってなかった頃や。あの5人は前線部隊に駆り出されて、うちがお偉いさん直属のエージェントと

2.能力

宮崎由加:「影操作能力」
自らの髪の毛を影と同化させ操る「影のジャッジメント」。
同化した影はその時点で能力者の所有物となる。

金澤朋子:「結晶化」
自らの血を触媒として「紅水晶」を生み出す能力。「晶のジャッジメント」。
好戦的な性格からか、主に自らの拳に結晶を纏わせ殴打の威力を飛躍的に上げている。

高木紗友希:「毒生成能力」
毒物質を意のままに発生させる能力。形態は気体液体を問わず多岐に渡る。「毒のジャッジメント」。
なお使用者本人は育成過程において耐性を獲得しているため、自家中毒に陥ることは無い。

宮本佳林:不明
彼女の使役能力については、未だメカニズムの解明は進んでいない。
標的となったものは全て地に伏し絶命している。その致死率は9割5分に及び、死を免れたものも廃人化は免れない。
今回幹部に昇格したことにより、能力の謎を解き明かすことはほぼ不可能になったと思われる。

植村あかり:「肉体強化?」
戦闘に置いては圧倒的な膂力を発揮するため、「肉体強化」の能力者と推定できる。
ただ、こちらにおいても確定では無く、何らかの別原理の力が働いている可能性もある。

3.昇格経緯

ダークネス科学部門能力開発部主任の手記より

「全育成過程を修了した五人の『エッグ』メンバーで『ジャッジメント』を結成。同時に敵対組織である警察庁内特殊機構対能力者
部隊に潜入を指示。部隊内ユニット「ジュース」として、機構内の秘密文書・計画を多くを盗み出し、また機構内「十人委員会」及
び対能力者部隊本部長寺田光男の発案した「天使獲得に関する計画」瓦解に貢献。この功績をもって、審議会の満場一致によりダー
クネス『首領』への推薦状作成が決定された」

4.運用について

当面は「黒の粛清」「赤の粛清」が死亡、ないしは再起不能となったことによる粛清人の空座を埋めるべく、粛清業務を指示。その
間の統括については幹部「鋼脚」が執り行う。また、「叡智の集積」が進める「能力者による理想社会建設のための最終計画」にお
いても

655名無しリゾナント:2016/09/09(金) 12:53:07


「ふう…」

パソコンのモニターと顔を付きあわせていた「鋼脚」が、天を仰ぐ。
慣れないデスク作業のせいか、視界には未だに文字の羅列が彷徨い続けている。

ったく。こういうの、あたしの柄じゃねえんだよな…

誰に言うでもなく、「鋼脚」はひとりごちる。
情報統制局局長、つまり情報部のトップという堅苦しい肩書を付けられて早数年。だが、自ら体を動かすことを得意とする彼女には
いつまで経っても馴染めないものだった。そして皮肉なことに、彼女の「能力」はその性格とは違い、あまりにもその仕事に適し過
ぎていた。

精神干渉の能力はその効用や適用範囲等により様々な呼称が存在するが、「鋼脚」のそれについては主に「催眠」と呼ばれる特殊な
ものであった。精神干渉と言えば、相手の精神を意のままに操ることができるのが大きな特徴であり、通常はその操られていた期間
は「記憶の空白」として処理される。簡単に言えば、思い出そうとしても思い出すことができないという状態である。
しかし「催眠」は、相手の精神を意図的に操った上であたかも自発的に行った所作として当人の中で処理させてしまうことができる。
操られたにも関わらず、操られたという意識すらない。敵組織の人間を「催眠」にかけて、スパイ活動をしていることすら意識させ
ないままスパイをさせることも可能となる。

「鋼脚」が「ジャッジメント」の5人を警察の対能力者組織に潜り込ませる時に使ったのも、この手法だった。
この場合は、5人に対し「自分たちは警察組織の人間である」という認識を刷り込ませ、さらには特殊な条件下においてその刷り込
みが解除されるという複雑な式を組み込んでいた。もちろん彼女たちに関わる警察側の人間にも「催眠」を仕込んであるので、彼女
たちの素性が割れることはなかった。

だが「鋼脚」は思う。
保田さん…「永遠殺し」ならばもう少しスマートにことを運ぶことができただろうと。

「永遠殺し」は「鋼脚」の前の代、すなわち情報統制局の初代局長であった。
もともと同期の「詐術師」や「蠱惑」とともに組織の暗部を担っていた彼女にとって、組織内外の情報を収集・運用するのはうって
つけの仕事と言えた。

656名無しリゾナント:2016/09/09(金) 12:54:04
大きく、背伸びをする「鋼脚」。
目を絶え間なく刺激していたブルーライトはなかなか消えてはくれず、それどころかじわりと滲んであたかも眼球全体を侵食してい
るようにすら思えた。

五人の「ジャッジメント」たちの能力分析。
彼女たちが幹部に昇格するに当たり、情報統制局としては是が非でも把握しておきたい項目ではあるものの。
ダークネスの幹部たちにおける不文律。すなわち、自らの真の能力は決して明らかにしない。そのことは五人の新人たちにおいても
例外では無かった。
全ては、能力を全て明かしてしまったがゆえに命を落とした先人の轍を踏まないがため。
しかしながら、情報を司る長としては少しでも多くの情報を握る必要がある。その為に「鋼脚」は過去のデータと、直接本人たちに
面談した結果を踏まえて報告データを作成していた。
そのうちの一人は――

657名無しリゾナント:2016/09/09(金) 12:54:58


「えっ? 私に、ですか?」

大柄な男に連れて来られた少女は、いかにもか弱き存在を主張したような口調でそう言った。
おかっぱの髪型と白い肌、それと黒目がちな瞳が印象を強調する。

「そうだ。君を含めた五人には、これから戦闘員としての正式運用という大きなチャンスが待っている。そのための、面談だ」
「よかったじゃん!これでお前も大スター確定だぞ!」

「鋼脚」が説明する横から、男がピントのずれた言葉を少女にかける。
大スターの意味するところは「鋼脚」には理解できなかったし、またしようとも思わなかった。

「ところで、君は」
「俺っすか? 俺は『ジャッジメント』のマネージャーっす!」
「……」

ますます持ってさっぱりな話。
将来有望である彼女たちの身の回りを世話させるために組織が宛がったのは、眼鏡をかけた小柄な中年だったはず。
このような落ち着きのない男ではない。

「あれ?俺のことご存じない? これでもキノシタさんの下でめっちゃ活躍してたんだけどなぁ! ま、キノシタさんが死んじゃっ
たから俺がジャーマネやってんだけど」

そうだ。
確か中年の名前はキノシタ。性格に難はあるものの冷静な判断ができるとして『ジャッジメント』の世話役に抜擢された構成員だっ
たということを「鋼脚」は思い出した。

658名無しリゾナント:2016/09/09(金) 12:56:57
「しかし、死んだとは…」
「ああ。心筋梗塞らしいっすよ。突然胸押さえたかと思うと、あううううって。なんかドラマのワンシーンみたいで、俺、不謹慎だ
けど興奮しちゃいましたよ!!」

「鋼脚」は男から目線を外す。
話していて疲れるし、この手の軽い男はいずれ仕事を失うだろう。
それよりも、今回の目的は「ジャッジメント」の少女。彼女から、引き出せる情報は全て引き出さないといけない。

「さて。君の能力についてなんだけど」
「あのですね! こいつの能力は至ってシンプル!! ずばり、『ありがとうって気持ちが本当に伝わる能力』です!!すごいでし
ょう!?」
「お前…いや、君には聞いてないんだが」
「まじっすか! ハハハ、サーセン!!!!」

「精神干渉」能力でこの煩い男を廃人にしてしまいたい気持ちを抑えつつ。

「それは、精神に作用する能力。ということでいいのかな」
「そうですねぇ。まあ、色々複雑なんですけど」
「たとえば! 相手に全粒粉を喰わせて健康にするとか! ホットヨガをやらせて健康にするとか! ハイレゾのヘッドホンで音楽
を聞かせて健康にするとか!!」

男の戯言はともかくとして、「鋼脚」には、少女が何かを隠しているように思えた。
優等生然とした風貌の割に、やるじゃねえか。
思わずそんな素の言葉が出てしまいそうになるほどに。

「そうだ。論より証拠だ。そこの男に、君の力を使ってみてくれないか」
「えっ?」
「思い存分、使ってみろよ。お前の『本当の力』を」

我ながらうまいやり方だと思う。
もしかしたら、面白いものが見れるかもしれない。「鋼脚」は確信に近いものを感じていた。

659名無しリゾナント:2016/09/09(金) 12:57:24
「本当に、いいんですか?」
「ああ。責任はあたしが持つ」

一瞬だけ、少女が口元を歪めたように見えた。
それは。類推する間もなく、少女は男の方を振り向いた。

「それじゃ、行きますよ?」
「え、ちょ、マジで? お手柔らかに頼むよ…」

苦笑いを浮かべつつおどける男。
男と、少女の目が合う。
黒目、漆黒の闇のように黒い瞳に。男は釘付けになる。

「ふふ…【死刑】」
「っがっ…」

突然、胸元を押さえながら苦しむ男。
顔は既に青ざめ、玉のような汗を額に浮かべていた。

「ケッ、ケッ、ケルベロ…あが!ぎっ!やめ!ごっごぁっごっごっ」

この世のものとは思えないものを見たような恐怖に引き攣る表情は、永遠に崩れることはない。
男は既に、事切れていた。

「私の『ジャッジメント』に、無罪はないんですよ?」
「それが、お前の能力かよ」

言いつつも、「鋼脚」には彼女の能力の全容が浮かんでこない。
精神干渉を最大限に利用して、男を自死させたのか。もしかしたら、キノシタの死因も。

660名無しリゾナント:2016/09/09(金) 13:05:11


それから、少女 ― 宮本佳林 ― は、実戦運用下にて95パーセントという極めて高い致死率を誇る能力を振るい続けた結果、め
でたく他の四人の同僚とともに幹部昇格となった。能力のソースはレポートに記した通り、未だ解明されていない。能力に名前を敢
えてつけるなら、ジャッジメント・アイ ― 瞳のジャッジメント ― となるのだろうが、能力発動に彼女の瞳が関わっているか
どうかも、定かではない。

彼女たちの「産みの親」ならば、能力についてはある程度把握しててもおかしくはない。が。
「叡智の集積」たる科学部門の長ですら、

「能力の可能性は無限にあると言っても過言ではありません。使い方、発展性、そして能力者自身の資質。型に嵌めようとすること
自体、おこがましいと言えるでしょう」

それが本当のことなのか。あるいは情報を外に漏らさないための方便に過ぎないのか。
「鋼脚」には確かめる術はないが、こと自らの使う「精神干渉」においては頷ける部分も少なくはない。
現に彼女が重用していた新垣里沙はサイコダイブの「相乗り」を誰に教えを受けるともなく成功させているし、さらに里沙の後輩で
ある生田衣梨奈は元から持っていた自分の能力を「精神干渉」寄りにカスタマイズしつつある。

作成文書に保存をかけ、厳重にプロテクトをかける。
その上でパソコンのモニターを落とし、「鋼脚」はある場所へと赴く。
友が今でも眠る、あの場所へ。

661名無しリゾナント:2016/09/09(金) 13:10:41


「鋼脚」は、暗い階段を一歩ずつ降りながら、思い返す。
手にした小瓶、その中の液体が揺蕩うのと、歩を重ねるように。

― 残念ながら、ほとんど望みはないと言っても過言ではないでしょう ―

白衣の科学者・Dr.マルシェこと紺野は、何の感情も乗せずにそう言った。
望みがないというのは、「鋼脚」の盟友であった「黒の粛清」の意識回復について指していた。

紺野が言うには、「黒の粛清」が組織の裏切り者である新垣里沙と対戦した際に、その精神に甚大なるダメージを負ってしまったの
だという。それは、物理的な側面もさることながら。

あれほど侮っていた後輩に、完膚なきまでに叩きのめされた。

このことが、普段から聳え立つようなプライドを誇る彼女の心を、木端微塵に粉砕してしまったのだという。

実際、フィジカル面においては粛清人は圧倒的に里沙を圧倒していた。
自らの本来の能力である「鋼質化」を隠し、獣化能力者として振る舞い、そして純粋なる暴力でかつての後輩を蹂躙していった。だ
が。

結局「黒の粛清」は、敗北した。
自らの心の弱さを突かれ、突破された。実力では凌いでいたものの。数々の死線を潜り抜けた経験を持ち、相手の心理を何重にも揺
さぶり続けた里沙の前に、鋼だったはずの彼女の心は脆くも崩れ去ってしまったのだ。

あいつも、馬鹿だよな。妙なことにこだわりやがって。

金髪の麗人は、そうひとりごちる。
元々「黒の粛清」が新垣里沙にこだわったのは、「キッズ」粛清の邪魔をされて一矢報いられたのがきっかけ。
受けた屈辱は、何倍にも返す。それが粛清人の流儀ではあったが、それが仇となり里沙に倒された。

662名無しリゾナント:2016/09/09(金) 13:11:54
いや。
彼女たちの因縁は、意外とそれ以前に遡るのかもしれない。
つまり、組織内の一部隊であった「ダンデライオン」の先輩と後輩であった時から、既に。

過去のことに考えを巡らせても、詮なきこと。
だが、そう思えば思うほどとうの昔に過ぎ去った時間はさらなる闇へと思考を誘う。

― 肉体は、完全に回復しました。ただ、意識のほうは。私の専門分野ではないのですが、組織お抱えの医師たちはみな口を揃えて
そう言ってますね ―

どいつもこいつも、馬鹿ばかりだ。
「黒の粛清」以外の、同期たち。「金鴉」は、自らの能力を過信し自滅に近い形で滅んでいった。「煙鏡」の顛末についても「鋼脚」
はある程度は知っていた。彼女の場合は、人間の情というものをいささか軽視し過ぎた。闇に心を喰われているからと言って、何も
感じないわけではないのだ。

階段を踏みしめる度に、闇が深まる。
手にした瓶の液体が、闇に馴染もうとするかのように、揺れていた。

― ただまあ。方法がないわけでは…ありませんが。ここから先の話は、私の得意分野ですから ―

「叡智の集積」は、眼鏡を掛け直してそう囁く。
だが、その方法とは。さすがの「鋼脚」もそれを即断するだけの心構えはなかった。

663名無しリゾナント:2016/09/09(金) 13:12:37
どうする。
いずれこの世は、血に飢えた獣たちが解き放たれた荒野と化す。
ならば、そこに獣がもう一匹増えたとしても、何の問題も無いはず。それでも。

なあ。あたしは…どうすればいい?

返事の代わりに、冷たく凍える扉が目の前に現れた。
終着点だ。そこを開ければ、物言わぬ友が待っている。

「鋼脚」の手にした瓶には、かつて「黒の粛清」が趣味として作っていた梅酒が入っていた。
組織に仇なすものたちの首を狩る粛清人が、自らの部屋で梅の実を酒に漬けている。笑えない冗談のような話ではあったが、出来上
がりの酒を二人で飲みたいと、「鋼脚」によく話していたものだった。

ただの気晴らしだ。一杯、付き合えよ。

誰に言うとでもなく、「鋼脚」はドアノブに手を掛ける。
墓場に漂うような冷気が、彼女の体を包み込んだ。

664名無しリゾナント:2016/09/09(金) 13:17:18
>>655-663
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編「探る、闇」 了

参考資料
http://www45.atwiki.jp/papayaga0226/pages/233.html
http://www45.atwiki.jp/papayaga0226/pages/446.html

665名無しリゾナント:2016/09/09(金) 13:18:36
訂正

>>653-663
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編「探る、闇」 了

参考資料
http://www45.atwiki.jp/papayaga0226/pages/233.html
http://www45.atwiki.jp/papayaga0226/pages/446.html

666名無しリゾナント:2016/09/09(金) 13:20:32
2.能力

宮崎由加:「影操作能力」
自らの髪の毛を影と同化させ操る「影のジャッジメント」。
同化した影はその時点で能力者の所有物となる。

金澤朋子:「結晶化」
自らの血を触媒として「紅水晶」を生み出す能力。「晶のジャッジメント」。
好戦的な性格からか、主に自らの拳に結晶を纏わせ殴打の威力を飛躍的に上げている。

高木紗友希:「毒生成能力」
毒物質を意のままに発生させる能力。形態は気体液体を問わず多岐に渡る。「毒のジャッジメント」。
なお使用者本人は育成過程において耐性を獲得しているため、自家中毒に陥ることは無い。

宮本佳林:不明
彼女の使役能力については、未だメカニズムの解明は進んでいない。
標的となったものは全て地に伏し絶命している。その致死率は9割5分に及び、死を免れたものも廃人化は免れない。
今回幹部に昇格したことにより、能力の謎を解き明かすことはほぼ不可能になったと思われる。

植村あかり:「肉体強化?」
戦闘に置いては圧倒的な膂力を発揮するため、「肉体強化」の能力者と推定できる。
ただ、こちらにおいても確定では無く、何らかの別原理の力が働いている可能性もある。

3.昇格経緯

ダークネス科学部門能力開発部主任の手記より

「全育成過程を修了した五人の『エッグ』メンバーで『ジャッジメント』を結成。同時に敵対組織である警察庁内特殊機構対能力者
部隊に潜入を指示。部隊内ユニット「ジュース」として、機構内の秘密文書・計画を多くを盗み出し、また機構内「十人委員会」及
び対能力者部隊本部長寺田光男の発案した「天使獲得に関する計画」瓦解に貢献。この功績をもって、審議会の満場一致によりダー
クネス『首領』への推薦状作成が決定された」

4.運用について

当面は「黒の粛清」「赤の粛清」が死亡、ないしは再起不能となったことによる粛清人の空座を埋めるべく、粛清業務を指示。その
間の統括については幹部「鋼脚」が執り行う。また、「叡智の集積」が進める「能力者による理想社会建設のための最終計画」にお
いても

667名無しリゾナント:2016/09/10(土) 17:43:58
http://resonant4.cloud-line.com/resonant4/logmap/128/128-200/
の続きです。

668名無しリゾナント:2016/09/10(土) 17:44:28
走る
走る!
走る!!

リゾナントを飛び出した黒髪ロングの客を探す為に、ハルは1人で街の中を走る

それにしても

「新垣にはマジでビビった……」

さっき新垣が、ハルの事を呼んだ時
声のトーンがマジ過ぎて
ハルの目的がバレるかと思った

「大丈夫、だよな? 怪しまれてたりしたら、こうして1人で動けてないだろうし」

アイツは調査対象ではないんだけど
見つけちゃったんだから、ほっとけないでしょ
さて、どこに行ったんだ

──透視──トランスペアレント

商店街の方は……居ない
公園の方は……居ない
川の方は──見つけた!
堤防の上だ!



──

669名無しリゾナント:2016/09/10(土) 17:45:13
「おい! アンタ!」

黒髪ロングの後ろから声をかける

「ひいっ!?」

かなり高い声を出した
と思ったら、

「ごめんなさーいっ!」

いきなり逃げ出した
しかも、変な走り方で

「え、ちょ、待てよ!」

土手の一本道で、追いかけっこかよ!

ハルも慌てて追いかける

身長ってか脚の長さは負けてる
けど、小学生を舐めんなよ!

「うおぉぉぉぉっ!」

あっという間に追いついた

「話を……聞けぇ!」

黒髪ロングも背中に向かって、タックル!

「うらぁ!」
「はうっ!」

ズザザザッ!

「なあぁぁぁぁっ!?」
「きゃあぁぁぁぁっ!?」

タックルしたらバランスを崩して、2人一緒に土手を転がり落ちた

670名無しリゾナント:2016/09/10(土) 17:46:03
「……痛ってぇ」

怪我は、擦り傷くらいか
日頃の行いのおかげかな

「痛たた……」

黒髪ロングも大丈夫みたいだな

「おい」
「ひいっ!?」

思いっきり目を見開いて、飛び上がる黒髪ロング

ビビり過ぎだっての!
ま、仕方ないか

「あ、あの……?」
「ん」

新垣から渡された2千円を差し出す

「え? もしかして……足りませんでしたか!?」

財布を取り出し、お金を出そうとする黒髪ロング

「多分だけど違う。でも、店長にコレをアンタに返して連れて戻って来てって言われたんだよ」
「戻るんですか? あのお店に……」

黒髪ロングは、ネガティブな感情が全部まとめて出た様な暗い表情になった
そのまま俯き、身体を震わせる

「なあ、そんなに怖いのか?」
「え……」

だって

「アンタ、能力者だろ」

671名無しリゾナント:2016/09/10(土) 17:48:24
>>668-670
Rs『ピョコピョコ ウルトラ』9 side D-Kudo

新スレのレス稼ぎに活用頂ければ幸いです。
共鳴サタデーチャット!は22時過ぎに参加予定です、予定です。

672名無しリゾナント:2016/09/24(土) 13:36:24


気が付くと、男は見知らぬ場所に倒れていた。
コンクリートの床の冷たい感触が、徐々に男の意識をクリアにしてゆく。

あれ…俺、どうして…

確か。
昨晩は会社の同僚たちと酒を飲んでいた。その帰り。
いささか飲み過ぎたせいで、帰り道の途中の路上で倒れて、それから…

それが、どうしてこんな場所にいる?
男はゆっくりと立ち上がり、辺りを見回す。
だだっぴろい、空間。何かの建造物の中なのか。見渡す限り、数百メートル四方くらいの広さはありそうだ。
おまけに、天井も高い。遥か頭上の壁の一部はガラス窓のようになっていて、白衣を着た何人かの人影が見てとれた。

「お、おーい!! ここは、ここはどこなんだ!?」

男は白衣の男たちに向けて、叫ぶ。
だが反応はまったくない。天井の高さと場所の広さによってわぁん、と反響が返ってくるのみだ。

何だ、こいつら。もしかして、こいつらが俺をこの場所に?

湧き出た疑いとともに、出口らしきものを探す。
男が目を凝らすと、遠く離れた壁際に、鉄格子のような門が視認できた。
それが、からからと音を立てて口を開けてゆく。
出口が開いた、というより嫌な、予感がした。

673名無しリゾナント:2016/09/24(土) 13:37:28
男の予感は的中する。
上げられた格子から飛び出してきたのは、猛り狂う大きな獣。その数、五頭。
黒い剛毛に覆われたその猛獣たちは、凄まじいスピードで男のもとへ走ってきた。
差し迫る生命の危険は、男の脳に単一なメッセージを送り込む。

ヤバイ!ヤバイ!殺される!!

最早本能と言ってもいい。
男は酔いの残った体を必死になってフル活動させた。
すぐに限界を迎える肉体と体力、それでも諦めることは許されない。
息が…!苦しい…!!
走らないとぉ!追い付かれるぅ!!
あんな!デカイ奴!何頭も!殺される!殺される!
助けて!助けて!助けてえええええ!

足を縺れさせて、倒れた男に。
漆黒の巨獣たちが次々と伸し掛かる。
柔らかな腹に牙を立て、食い破り、鋭い爪が男の眼窩に食い込む。
肉が裂け骨がへし折られ血飛沫を飛ばしながら、男は獣たちの餌となっていった。

674名無しリゾナント:2016/09/24(土) 13:39:22
「ラビットno.1、生命反応消失」
「アビリティ発動エラー確認」
「…最終精神シンクロ率は23%でした」

硝子の障壁越しに、白衣の男たち。
設置されたモニターに算出される実験データを次々と読み上げる。

「23%って…クズじゃねえか。次の実験体を降ろせ」
「はい。それではラットno.2 投下します」
「事前調査は」
「45%のシンクロ率を観測しています」
「ふむ…実戦では60いくか? 楽しみだ」

白衣の長と思しき男は、薄暗い部屋の奥に目を向ける。
無精髭を生やした、痩せ形の体に明らかにサイズの合っていないだぼだぼの白衣。男の緩さ、だらしなさを窺わせる風体ではあるもの
の。彼は、組織の中では優秀な科学者として分類されていた。
そんな男の視線の先には。
大小さまざまな機器に繋がれた少女が、機械仕掛けの椅子に固定されていた。
同じように電子機器に接続されたフルフェイスのヘルメットに顔を覆われ、その表情を窺うことはできない。

「次は…頑張ってくれよな。m202ちゃんよ」

ヘルメットから覗いた口だけが、僅かに動きを見せる。

イヤダ…イヤダ…ヤリタク…ナイ…

675名無しリゾナント:2016/09/24(土) 13:40:29


次の「ラビット」が投下される。
白衣の男は、思わず目を疑った。

「おい、どういうことだ」
「はい、何でしょう」
「お前、あの女…知らないのかよ」
「どういう意味ですか?」

実験場に倒れている、黒髪の女性。
くっきりした二重の瞳。口元の黒子。見間違えようがない。
櫛すら通していないぼさぼさの髪を掻き毟り、苦い顔をしていた男だったが。

「偶然…か。いや、馬鹿な…そうか。そういうことか」
「あの、いったいどういう」
「いいだろう。構わねえ。実験を続けろ」
「は、はい」

白衣の部下たちは、上長の意味深な発言に訝りながらも、それぞれの持ち場に戻る。
程なくして、機械に囚われた少女を取り巻く電子光が明滅しはじめた。

女性が目を覚ましたようだった。
それまでの哀れな被害者たちと同じように、周囲を見渡し、そして頭上の実験制御室の存在に気付く。

「…今に見てろよ」

男は、硝子越しに女を見下すように。
この位置関係が、現実のものとなることを思い知らせてやる。
そして、指示を下す。

676名無しリゾナント:2016/09/24(土) 13:41:22
「マインドセットの対象変更だ。ラビットno.2から、『猟犬』。フルパワーで構わん。思いっきりやってやれ」

男の部下たちは、耳を疑った。
「精神干渉」能力を有する「研修生」の能力実験。それは、あくまで彼女の能力が一般人に対しどれだけの影響を与えるかのデータを
取るためのものだ。それを『猟犬』に仕掛けるとなると投下されたラビットは意味も無く貪り殺されてしまうことになる。

「ですが、実験は」
「ばーか。敵襲だ。あそこにいるのはな…『滅びの聖女』だ」

数人の研究員がその名を聞きざわめく。
組織が勝手につけた名ではあるが、その二つ名は末端の組織構成員にとっては死に似た響きを持っていた。

「慌てんな。覚醒前にぶっ殺せば、問題ねえ。それにこっちには『これ』があるだろ」

それに対し、実験施設の責任者たる男の落ち着きぶり。
後方の、機械に囚われた少女を指さしあまつさえ薄笑いすら浮かべている。
研究員の男たちは肩を竦め、少女の能力がフルに活用できるよう機器の調整を始めた。

少女の体が痙攣し、能力が強制的に引き出された。

イヤダ…ダレカ…タス…ケ…テ…

677名無しリゾナント:2016/09/24(土) 13:47:36


全国各地に存在する、ダークネスの研究施設。
自分と同じような目に遭う少女たちを、少しでも救いたい。リーダーである高橋愛の信念に基づき、リゾナンターたちはそういった研
究施設を見つけ次第無力化してゆくことを繰り返していた。
そして今さゆみがいるこの場所も、そういったターゲットの一つであった。

何とか被験者を装い施設に潜入したまではよかったが。
実験場には、既に腹を空かせた「猟犬」たちがスタンバイしていた。

「…潜入とか、さゆみ向きの仕事じゃないんだけどね」

飢えた猛獣を前にして、道重さゆみはぽそりと愚痴る。
ただこの場合は自業自得、研究施設に囚われていると思しき少女の写真を見てつい「さゆみがやる!」と立候補してしまったのだから。

しかし愚痴を言っても始まらない。
日頃何かと後ろ向きな発言をしがちな後輩・譜久村聖にそれはよくないと窘めているのに、自分がこれでは先輩としての沽券に関わっ
てしまう。

大丈夫。こういう時のために、りほりほにも稽古つけてもらったんだから。

ダークネスの差し向けた「ベリキュー」との対決を経て。
さゆみは自らの戦闘力のなさを悔いた。もう少し戦える力があれば、あんなうんこヘアーの苛つく女に苦戦することは無かったかもし
れない。
そこで、恥を忍んでさゆみは後輩の里保に近接戦闘の手ほどきを受けることとなる。なんで田中さんじゃないんですか、という里保の
問いは徹底的に無視した。とにかく、組みついたり、抱きついたり、たまに首筋の匂いを嗅いで里保に気持ち悪がられながらも、何と
か戦闘の基礎は学ぶことができたのだった。

678名無しリゾナント:2016/09/24(土) 13:48:08
「さあ!どっからでもかかって来るの!!」

キャラに似合わない勇ましい掛け声。
それも、目を血走らせ鋭い勢いで走り寄る「猟犬」たちを見るや否や。

一目散に、逃げ出した。
や、やっぱ怖い! れいなが来るまで時間稼ぎする!!
奮い立たせた勇気はあっと言う間に萎んでしまい、あとは逃げつ追われつの大運動会。

それを見ていた制御室の研究員たちは、腹を抱えて笑っていた。

「何だありゃ、口ほどにもない!」
「主任、『これ』の能力を使うまでもなかったですね!!」

「滅びの聖女」と聞き身構えていたのに、あまりにも滑稽な結末。
すっかり気が緩んでしまった部下たちに対し、男はあくまでも表情を崩さない。

「お前らは機器のコントロールに集中してろ。最後まで気ぃ抜くんじゃねえよ」
「は、はいっ!!」

男は、「滅びの聖女」の真の恐ろしさを知っていた。
何故なら、以前にも彼女に会ったことがあるから。
突如襲撃を受けた組織の研究施設。その時男はまだ一介の研究員だった。
一人、また一人と炭にされてゆく同僚たちを、機械の影で震えて見ているしかなかった。

だが今は違う。
この研究施設は、全て男の支配下に置かれている。
そして。

679名無しリゾナント:2016/09/24(土) 13:49:23
ただこの場合は自業自得、研究施設に囚われていると思しき少女の写真を見てつい「さゆみがやる!」と立候補してしまったのだから。

「出力、120%に上げな」
「いや、しかしこれ以上は『m202』の精神がもたな…」
「いいからやれって言ってんだよ」

こちらには、切り札がある。
運命のめぐり合わせと言うべきか、囚われの少女は「滅びの聖女」をモデルに生み出された人工生命体だった。
「物質の活性化・過活性による崩壊」の再現を狙ったものだったが、残念ながら少女はその特性を得ることはなかった。
その、代わりに。

「出力、120%オン!!」
「いやあああああああああっ!!!!!!!!!」

少女の悲鳴が、心地よい。
「m202」が聖女の能力の代わりに得たのは、物質にではなく精神に働きかける力。
精神を活性化させ、さらに過活性によって崩壊へと導くという、「滅びの聖女」の力の精神干渉版とも言うべき非常に珍しい能力であった。
男はその能力を「応援(エール)」と名付けていた。

その能力を、知性のまるでない「猟犬」たちに仕掛ける。
彼らなら、適合性を無視して精神活性化の最大限の恩恵に預かることができるだろう。
多少無理しても構うものか。どの道彼の上司 ― Dr.マルシェ ― にはすべての実験を終了させてから報告するつもりだったのだ。
ここで良き結果が得られればよし、潰れてもそれはそれで構わない。それには確固たる理由があった。

一つは、「叡智の集積」は例のi914をベースとした人工能力者にかかりきりであること。
故に、実験体一つ潰れたところでそれほど咎められることはないだろうと踏んでいた。
一つは、「滅びの聖女」が手を緩めて勝てるような生易しい相手ではないということ。
殺せれば上出来、出来なくともデータだけ持ち出してここから逃げ失せればこちらの実質的な勝利である。
最後に、欲をかく人間はいずれ身を滅ぼすということ。男より一足先に出世したとある女科学者は、つい先日組織の手によって粛清
されたと聞く。男も引くほどに欲深い人物だっただけに、当然の結果とも言えたが。

とにかく。どう転んでも男に損害が発生することはない。
そう、踏んでいた。

680名無しリゾナント:2016/09/24(土) 13:50:06
能力を機械に搾り取られ、次々と制御室外の実験場の獣たちに注がれてゆく中で。
少女は、心から叫ぶ。

ダレカ…ネエ…ネエ…ダレカ…

― 大丈夫。さゆみが、助けてあげる ―

ダ…ダレ…

― ふふふ。さゆみはね、いつでもかわいい子の味方なの ―

ド…ウ…シ… テ…

少女の心の声が途切れ行く中で、さゆみは声に出して言った。

「だって、助けを呼んでくれたでしょ。誰か、ねえねえ誰か、って」

逃げていたさゆみが、くるりと向き直る。
それは、「間に合った」何よりの証拠。

さゆみの眼前にまで近づいていた猛き獣たちは。
突然雷に打たれたかのように痙攣し、地に伏したまま動かなくなってしまった。

制御室内に警報と爆発音が同時に鳴り響く。
少女を取り囲んでいた機器のいくつかが、閃光を発しながら煙を吐き、機能を停止した。

681名無しリゾナント:2016/09/24(土) 13:51:04
「な、何事だ!」
「しゅ、出力低下…いや、逆に『m202』が「猟犬」たちの精神エネルギーを!!」
「そ、それよりもこの警報は、敵襲!?」
「ちっ…「聖女」は囮だったのかよ」

やれやれ、と首を振り、男は懐に手を入れる。
これは実験データを持ち出して退散しなければならない事態のようだ。
だが、「後始末」だけはきっちりやらないといけない。

「短い付き合いだったが…じゃあな、お嬢ちゃん」

機器に体の自由を奪われたままの少女の頭部に、拳銃の照準を定める。
こんな危険なものが「彼女たち」の手に渡ってしまえば、責任を問われる。だけならまだましなほうで、最悪、あの「能力阻害装置の小
型化に成功した」女上司のように粛清される可能性すらある。

迷わず、撃鉄を起こし引き金を引いた。
しかし、銃弾はなぜか床に向かって放たれていた。
どうして。答えは単純。男の腕は既に、折られていた。

「…さすがダークネスの科学者。やることがえげつないっちゃろ」
「が、あああっ!!!!」

あまりの速さに、まったく気付けなかった。
常人の眼には止まらないほどの身のこなし。共鳴増幅による、身体能力増強の能力者。

682名無しリゾナント:2016/09/24(土) 13:59:36
「た…田中、れいな…最初から、無理ゲーじゃねえか、よ…」

痛みを堪える間もなく、電光石火の追撃で顎を砕かれる男。
失敗。追及。そして、粛清。断片的な言葉が次々と頭に浮かび、音もなく崩れて消える。
彼の部下たちが、次いで現れた刀を携えた少女や獅子を引き連れた少女に昏倒されられる姿を見るまでも無く、一足先に意識混濁の彼方
へと飛んで行った。

「ざまーみろっての!」

威勢よく叫ぶ、幻想の獣の使い手・石田亜佑美。
研究施設の中枢部にたどり着くまでに、仕掛けられた様々なトラップに手を焼いていた彼女は相当の鬱憤が溜まっていたようだった。

彼女たちの「目標」である、囚われの少女。
悪魔の機械は煙を吹き紫電を迸らせながらも、未だに少女のことを捕え続けていた。

「田中さん、この子が」

同意を求めるように尋ねる、水の剣士・鞘師里保。
れいなは、無言のままに首を縦に振る。
里保の手にした鞘から一瞬、光が溢れるとともに、鋭い刃の軌跡が幾重にも機械に重ねられた。
音もなく、静かに。鈍色の金属は断ち切られ、少女の拘束は解かれてゆく。
崩れ落ちる少女を、抱きとめる里保。

「さゆ!終わったとよ!!」

放送設備らしきマイクを手に、外の実験空間へと呼びかけるれいな。
さゆみは、満面の笑みでれいなたちに向かって手を振っていた。

683名無しリゾナント:2016/09/24(土) 14:03:45


「ええっ! あの子、リゾナンターとしてうちに来ないんですか!?」

数日後。
喫茶リゾナントに非難めいた声が響き渡る。

「能力がなぁ、まだ安定せえへんねや。ま、心配せんでも『能力者たちの隠れ里』で匿うことになってるから」
「そういう問題じゃなくて!!」

カウンター越しのつんくに掴みかかる勢いで、身を乗り出すさゆみ。
それもそのはず、さゆみは先日実験場から救出した少女が喫茶店にやって来るのを楽しみにしていたのだ。
それも、「真莉愛」という名前までつけて。

「真の愛をさゆみに齎してくれるから、まりあなの」

名前を考えている時にそんなことを呟きながらフッフフフ、と怪しげな笑みを浮かべるさゆみは、どう見ても通報対象にしか見えなかったが。
それもこれも、愛情あってのこと。さゆみの愛情は、幼き全てのものに注がれるのだ。
だがしかし、そんなさゆみの密かな欲望は一瞬にして立ち消えてしまったのだった。

684名無しリゾナント:2016/09/24(土) 14:06:06


「まりあ…ですか?」

恐る恐る、少女が訊き返す。
少しの不安と、そして大きな期待。

「うん。あのね、まりあちゃんを見てぱっと思いついたの」

もちろん、顔がさゆみのタイプということもあるがそれはさておき。
彼女を一目見た時の、さゆみのインスピレーション。少女の使う、精神に作用する「治癒」能力に、聖母のような慈しみを感じたのは事
実だった。

名前をつけるというのは、大事な行為である。
そんなことを自分がしてしまうのも、おこがましい話なのかもしれない。
気に入って貰えないかもしれない。けれど、いい加減な気持ちで考えた名前では決してない。
俯き加減な少女の顔を、複雑な気持ちで窺っていると。

「…です」
「ん?」
「とっても…」
「まりあちゃん?」
「まりあ、とってもうれしいです!!」

始めてさゆみに見せた、弾けるような笑顔。
そうか、この子は、こういう風に笑う子なのか。
自然と彼女を救出した時のことを思い出す。

あの日の彼女は、まるですべての感情をごっそりと奪われたような顔をしていた。
それまでの研究所での実験がいかに苛烈なものであったかを物語るような爪痕。だが、すぐに気を失い、倒れてしまう。緊張の糸がほど
け安堵した末のことなのだろう。
それから数日、つんくの手配した病院でさゆみたちリゾナンターと交流していく中で、少しずつ人としての感情を取り戻してはいたのだが。

きっとこの子は、組織の実験に晒されるまではこういう、明るいパーソナリティを持っていたのかもしれない。
それを奪い去った組織に改めて憤りを憶えると共に、リゾナンターとして常に抱いている思いを強くする。

これ以上、この子が味わったようなつらい経験を、他の子たちにはさせたくない、と。

685名無しリゾナント:2016/09/24(土) 14:07:29


と言う訳で、真莉愛を引き取る意思を示したさゆみだったのだが。
つんくの言葉でそれがなくなってしまったことに、落胆とそれ以上に怒りを覚える。
しかしさゆみの思惑はそれだけではなかったようで。

「だって!まりあちゃんは度重なる実験で心身ともにボロボロだから、さゆみの『治癒』でいっぱいハグしたり撫でたりしなきゃいけな
かったのに…スー」
「さゆにちっちゃい子は預けられんね。つんくさんの判断は正しいと」
「…ええ、色々な意味で危険ですから」

テーブル席に座っていたれいなと里保から、相次ぐ非難の言葉。
それが、特に彼女が日頃寵愛している少女からのものだと気付いたさゆみは慌ててカウンターから走って来る。

「ちっちがうの!さゆみはただリーダーとして、未来のリゾナンターになる子を保護しようと」
「いや。いいんですよ。道重さんが若い方へ若い方へ流れるのは知ってますから」
「そうそう、幼ければ幼いほど…ってりほりほ!なんてことを言うのなんてことを。あ。もしかしてりほりほ、嫉妬してるの? だった
ら『私も可愛がってください』って言ってくれればいいのに」
「…全力で遠慮させてもらいます」

ある意味「リホナンター」と化すさゆみを見てやれやれ、と言わんばかりのつんくに。
れいなは改まって話しかける。

686名無しリゾナント:2016/09/24(土) 14:08:51
「つんくさん。あの子は」
「ああ。資質はある…せやけど、まだまだやな。あいつらが道重をベースに仕込んでるっちゅうことは、それだけ危うい部分もある。そ
ういうこっちゃ。ま、安心せえ。ツボは心得てる」

何のツボだかよくわからないが。
ここは敢えて突っ込んではいけないところなのだろう。

相変わらずの胡散臭さだが、リゾナンターがまだ高橋愛が率いる9人だった時からの付き合いでもある。
いかにも怪しげ、しかしやる時はやるおじさん。それがれいなのつんく評だった。

愛ちゃんやガキさん、愛佳が喫茶リゾナントを離れたように。
れいなも、ここを離れる日が来るっちゃろか。そんなこと、想像できんけど。その時は。

れいなは、いつか真莉愛が、リゾナンターとしてこの喫茶店を訪れる日を想像してみる。
その時に自分がいるかどうかはわからない。けれど、それは悪くない想像だった。

687名無しリゾナント:2016/09/24(土) 14:11:36
>>672-686
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編「癒す、光」 了

688名無しリゾナント:2016/09/24(土) 14:13:00
訂正 >>679

「出力、120%に上げな」
「いや、しかしこれ以上は『m202』の精神がもたな…」
「いいからやれって言ってんだよ」

こちらには、切り札がある。
運命のめぐり合わせと言うべきか、囚われの少女は「滅びの聖女」をモデルに生み出された人工生命体だった。
「物質の活性化・過活性による崩壊」の再現を狙ったものだったが、残念ながら少女はその特性を得ることはなかった。
その、代わりに。

「出力、120%オン!!」
「いやあああああああああっ!!!!!!!!!」

少女の悲鳴が、心地よい。
「m202」が聖女の能力の代わりに得たのは、物質にではなく精神に働きかける力。
精神を活性化させ、さらに過活性によって崩壊へと導くという、「滅びの聖女」の力の精神干渉版とも言うべき非常に珍しい能力であった。
男はその能力を「応援(エール)」と名付けていた。

その能力を、知性のまるでない「猟犬」たちに仕掛ける。
彼らなら、適合性を無視して精神活性化の最大限の恩恵に預かることができるだろう。
多少無理しても構うものか。どの道彼の上司 ― Dr.マルシェ ― にはすべての実験を終了させてから報告するつもりだったのだ。
ここで良き結果が得られればよし、潰れてもそれはそれで構わない。それには確固たる理由があった。

一つは、「叡智の集積」は例のi914をベースとした人工能力者にかかりきりであること。
故に、実験体一つ潰れたところでそれほど咎められることはないだろうと踏んでいた。
一つは、「滅びの聖女」が手を緩めて勝てるような生易しい相手ではないということ。
殺せれば上出来、出来なくともデータだけ持ち出してここから逃げ失せればこちらの実質的な勝利である。
最後に、欲をかく人間はいずれ身を滅ぼすということ。男より一足先に出世したとある女科学者は、つい先日組織の手によって粛清
されたと聞く。男も引くほどに欲深い人物だっただけに、当然の結果とも言えたが。

とにかく。どう転んでも男に損害が発生することはない。
そう、踏んでいた。

689名無しリゾナント:2016/09/24(土) 14:13:32
新スレが落ち着いてから転載します

690名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:32:15


田中れいながリゾナンターを離脱してから、数か月。
非合法組織の中でも最高峰クラスとされるダークネスに抗いかつ退けてみせたリゾナンターは、高橋愛が率いていた9人のリゾナンター時
代のそれに迫る勢いを得ていた。
チームのアタッカーであったれいなを失ったものの、彼女がメンバーたちに分け与えた力と各人の研鑽により、れいなの抜けた穴を補って
いた。そのことは、彼女たち新生リゾナンターたちの成した功績からも明らかであった。

道重さゆみが率いる若き能力者たちの元に、次々と舞い込む案件の数々。
通称「Password is zero」と呼ばれる極秘プロジェクトの参加を皮切りに、シージャック事件の解決や、九州地方を本拠地とする巨大組織の
下部団体との衝突、果ては元ダークネスの幹部「蠱惑」が引き起こした騒動の鎮圧。秩序を司る側からも、闇に生きる集団からも。リゾナン
ターは注目を集め始めていた。

これは、彼女たちリゾナンターが解決した案件のうちの一つ、とある話。

691名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:33:21


「この子の、奪還…?」

リゾナンターに舞い込む仕事の窓口を一手に引き受ける、後輩光井愛佳の訪問を受けたさゆみ。
愛佳から受け取った一枚の写真には、あどけない表情の少女が写されていた。
喫茶リゾナントは相も変わらず閑古鳥ではあるが、逆にこのようなあまり公にはしたくない話をするには丁度いい。というのも皮肉な話
ではあるが。

「ええ。この子をとある屋敷から救い出す、というのが先方の意向らしいです」
「…監禁されてる、ってこと?」
「あくまでも、依頼人の話を100%信じれば。ですけど」

多分に含みのある愛佳の言葉。
この依頼には裏がある、それはさゆみにも何となくではあるが伝わっていた。

「正直な話。うちはこの話、道重さんに受けて欲しくないです。せやけど…」
「目が…助けを求めてる?」

さゆみの言葉に、ゆっくりと頷く愛佳。
写真に写った少女は、どことなく怯えているように見えた。
表情は固く、その瞳は。

誰か…ねえねえ、誰か…

そう、呼びかけているようにすら思えた。
愛佳が、リゾナンターから離脱してからかなりの年月が経つ。しかし。志を共にした最初の9人がこの喫茶店で過ごした日々のことを、
今でも鮮やかに思い出すことができた。
メンバーたちはそれぞれ、辛い過去を抱えていた。悩み、苦しみ、そして助けを求めていた。
愛佳自身も、そうだ。あの日、薄暗いホームの上で助けを求めていなければ。その声を、「彼女」が拾ってくれなければ。

692名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:34:17
「わかったよ。この仕事…受けさせてもらいます」
「…ええんですか」
「資料を見るに、敵戦力に能力者の存在は認めらない。どんな罠が仕掛けられていても、今のメンバーなら大丈夫だと思う。それに、今
回はちょっとした組み合わせを試してみたいの」

愛佳は首を傾げる。
おそらく、派遣するメンバーのことを言っているのだと思うが。
それよりも愛佳は、さゆみに言いたいことがあった。

「あの、道重さん。この子…」
「ん? さゆみ好みの年齢だよね」
「いや、そうやなくて。この子、昔の道重さんに似てません?」
「そうかな」

艶のある黒髪や、はっきりとした目元。おまけに、左右逆ではあるが口元に黒子があるところまで。
さゆみ自身はあまりしっくりとは来てないものの。
愛佳には、写真の少女とまだ幼さを残した当時のさゆみは何となく重なるものがあるように思えた。

693名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:35:09


数日後。
鬱蒼とした木々に囲まれた山道を、二人の少女が歩いていた。
少女、と言ってもそのうちの一人は汗を拭く仕草すら年相応に見えない色気を放ってはいたが。
見た目、ハイキングにでも来たかのような格好。赤と濃ピンクのリュックサックが、ゆさゆさと揺れる。
空は灰色の雲に覆われ、森の深さも相まって薄闇の様相を呈していた。

「里保ちゃん、もうすぐ目的の村に着くね」

後ろを振り返りながら、リゾナンターのサブリーダーである譜久村聖が言う。
後方には、とぼとぼと歩く小さな姿。戦う際の凛々しき姿はどこへやら、メンバーいち歩くのが遅いと揶揄含みの称号を戴いている鞘師
里保は、あくまでもマイペースを崩すことなく歩いていた。空模様からすると、急な雨に見舞われる恐れもある。できればその前に、目
的地にたどり着きたかったのだが。

「……」
「ねえ、里保ちゃん聞いてる?」

里保の返事は、ない。
最寄りのバス停から、歩くこと数時間。
確かにバスの中でぐっすりと熟睡していた里保は、叩き起こされたせいか道中顔に表情がずっとなかった。
だが、それとは聊か様子が違うように見えた。
その理由は、すぐに判明する。

「…敵襲」
「えっ?」

里保が口を開くのと同時に、二人の前に躍り出る数体の影。
大きな影が、四つ。そしてその影に寄り添うようにぴったりとついて来る影が同じく、四つ。

694名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:35:59
「ここから先は通すわけにはいかんな」
「”くるとん”は渡さんぞ!!」
「しかしどんな連中が差し向けられたかと思ったら、ただの小娘ではないか!」
「怪我したくなければ、尻尾を巻いて逃げることだな」

黒ずくめの忍者のような服を身に纏い、顔も黒子がするような頭巾と布で隠されていた。
このような格好をする連中は、大抵何らかの秘術を扱うと相場は決まっているが。

「…それは、こちらの台詞です」

里保が、いつの間にか刀を抜いていた。
抜刀の瞬間、いや、帯刀していることすら気づかなかったことに男たちは焦り、そして一気に緊張の度合いを強める。

「ふくちゃん。後ろに、下がってて」

里保に言われ、後方で待機する聖。
相手は一人で十分、と思われたと悟った男たちは揃って怒りを顕にした。

「随分舐められたものだ!」
「とくと見よ、我らが『刃賀衆』の秘技を!!」

小さな四つの影が、一斉に襲い掛かる。
後方の男たちと同じく頭巾と布で顔を覆い隠した格好の黒子たちが、携えていた小刀を同時に里保目がけ振るった。
しかし。

695名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:37:15
流水のような、淀みない足さばき。
利き手の右側に最も近い黒子の刀を愛刀「驟雨環奔」で止め、逆側から斬りかかる黒子の刃は水が象る第二の刀が防ぐ。
ぎりぎりと食い込む刃と刃。激しい鍔競り合いではあるが、徐々に里保が圧してゆく。力でねじ伏せるのではなく、体重移動によって巧
みに相手を往なし、勢いを殺しつつ。
その間にも残りの黒子が里保の体を貫きにかかるが、それも叶わない。

何故なら先ほど地面に撒いた水が珠状に渦を巻き、黒子たちの体を打ち据えていたから。
さらに、両側から里保を攻める黒子たちも完全に力を逃がされ、態勢を崩されたところを遭えなく峰打ちの餌食となってしまう。

「…まだ、やりますか?」
「『四人』相手にそこまでやるとは、そこそこ腕が立つようだ。だが、もう四人を同時に相手にできるかな」

大の男でも昏倒してもおかしくない衝撃を与えたはずだった。
しかし、里保の攻撃を受けたはずの黒子たちは、何事も無かったかのようにむくりと立ち上がる。

「我々を見下した無礼、その命で償え!!」

里保を取り囲む小さな黒子たち、そこからさらに男たちが襲い掛かる。
だが、里保は動かない。代わりに。

「ふくちゃん。後方の男たちを」
「わかった!!」

聖は、里保一人に戦闘を任せるために後方に下がったのではなかった。
得意とする念動弾による、援護射撃。元はかつて対峙した能力者、「キュート」の岡井千聖の能力であったが、オリジナル以上の照準精
度によって聖の能力の主力となっていた。

696名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:38:24
四つの「壁」と、里保。
このいずれにも当ることなく、弾丸は標的である男たちの体に命中する。

「ば、馬鹿な…!!」

予想だにしない攻撃を受け、男たちは次々と地に伏せてゆく。
それに呼応するように、小さな黒子たちも膝を落とし、そしてそのまま動かなくなった。

「やっぱり…」
「どういうこと?里保ちゃん」
「『刃賀衆』…こんなところにいたなんて」

言いながら、黒子のうちの一人を抱き起して、聖にその背を見せた。
そこには禍々しい紋様の描かれた、細長い紙切れのようなものが。

「これは…お札?」
「札に念を込めて、命なきものを傀儡とする。『刃賀衆』の一派だけに伝わる秘術、らしいよ」
「だから操り手を倒したことで傀儡も沈黙したんだ…でも、刃賀衆って?」

聖にとっては、耳馴染のない名前。
里保は目的地に向かって歩きながら、「刃賀衆」に纏わるとある昔話について説明する。

時は戦国時代。天下統一を目指したとある武将が、敵方武将の根城を攻めるために当時裏の世界で一大勢力を築いていた「刃賀衆」を雇
い入れた。しかしそれを聞いた敵方の武将は、西方よりある集団を呼び寄せることで対抗する。
その両者の争いは、苛烈を極めたという。

「その末裔が、今でも細々と裏稼業をしつつ暮らしてる。とは聞いてたんだけどね」
「どうでもいいけど里保ちゃん」
「なに?」
「何で聖の二の腕をさすりながら話してるの?」

真面目ぶった顔で話している里保であったが、なぜかその右手はすりすりと。

697名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:39:36
「いや、これはふくちゃんの肌が勝手に吸いついて」
「もう。変なとこだけ道重さんの影響受けてるんだから」

聖たちリゾナンターの本拠地である喫茶リゾナントは、一部の常連のおかげで何とか商売が成り立っている暇な店。その最中にさゆみが
見つけた大発見、それが聖の二の腕がすべすべしていてとても良い触り心地だということだった。そして聖は、どさくさに紛れて聖の二
の腕をぺたぺた触る里保の行動を見逃していなかったのだ。

「それより、話の続き。長い争いの中で、「刃賀衆」はとある弱点を突かれてその戦闘集団に敗れ去ったんだけど、その弱点というのが
ね…」

話を逸らしつつも、二の腕を触ることをやめない里保。
しかしそれも、あるものを目にしてぴたりと止まる。

「里保ちゃん」

おそらくこの先は「刃賀衆」の里なのだろう。
里保たちの前に城壁の如く立ち塞がる、黒子たちの大群がそのことを示していた。
先程の人数など比べ物にならない、数十、いや百近くはいるように思える。

泣き出しそうだった空から、雨粒がぽつり。ぽつり。
里保の「認識」が正しければ、彼らは決着を急ぐはず。

「ちょうどいいから、再現してあげるよ。「刃賀衆」が、「水軍流」に敗れ去った理由をね」

敵の「大群」に物怖じすることなく、里保は刀を抜いた。
かつては雨が降るたび、里保は自らの能力の暴走に怯えていた。幼き日に友を喪った、心の奥底に沈めておきたい過去が頭を過ってしま
うからだった。けれど。

さゆみに。多くの先輩たちに導かれ。そして、自らもリゾナンターとして。
数々の困難を乗り越えて来た今なら、できるはず。
里保は、ゆっくりと、そして目を細めつつ天を仰いだ。

698名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:41:28


瞬く間の出来事。
少なくとも、聖にはそうとしか見えなかった。
刀を空に向けたかと思うと、降り始めた雨は巻き取られるように刀身に集められ、そして里保を押し潰さんと迫りくる鋼の黒子たちを容
赦なく水浸しにしてゆく。
まさに、水の暴力。荒ぶる水の流れによって、「大群」は完全に鎮圧されてしまった。

「水使い…だと?」
「『刃賀衆』の操る傀儡の弱点」

尚も立ち上がろうとする男を柄先で昏倒させ、里保は傀儡の黒子に貼られていた札を剥す。

「それは、札が水に濡れてしまうと完全に効力を失うこと。この札は何かのコーティングがされてたみたいだけど、うちの操る『生きた
水』の前には通用しない」

聖は、目の前の少女の実力に改めて気づかされる。
ほぼ同時期に喫茶リゾナントの扉を開いているはずなのに、彼女は常に自分の二歩も三歩も先を行っている。もちろん、里保はかつてそ
のポジションを担っていた田中れいなの後継を期待されている存在なのは重々承知の上。しかし、聖にもプライドがある。負けたくない。

ただ、そんな今はそんなライバル心はどこかへ置いておかなければならない。
さゆみがわざわざ自分と里保を指名してこの仕事へ向かわせたことの意味。単純に考えれば同じ時期にリゾナンターとなったもの同士の、
アタッカーとサポーターの組み合わせだろうが、さゆみがそんな理由で自分たちを選んだのではないことくらい、聖にもわかっていた。
その答えを仕事が終わる前までに、用意しておかないといけない。おそらく仕事の成果とともに、さゆみに聞かれるはずだ。

699名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:43:13
「里保ちゃん。クライアントの依頼内容は、あの建物の中に囚われてる女の子を助け出すこと。だったら、その子を監禁してる人の部隊
が他にもいるかもしれない。急ごう」
「うん。そうだね」

返事とともに、抜いた刀を鞘に納める里保。
向こうのほうに、城と見紛うばかりの大きな屋敷が見えていた。
祖父から聞いた、「刃賀衆」の話。それと現実に彼女たちに襲い掛かって来た軍勢の実力は、ほぼ変わらず。ならば例えこの先にどんな
人間が待ち構えていたとしても、自分たちの敵ではないはず。そう踏んでいた。
しかし事態は、思わぬ方向へと向かってゆく。

「誰だ!!」

思わず鬼の形相で、現れた人影に叫ぶ里保。
そこで、ようやく聖も気付く。気配を完全に殺して近づいてきた小さな影に。

「お前さんたちが、『りぞなんたあ』とかいう。なるほど。正義の味方を気取るだけの実力はあるようじゃが」

芥子色の単着物に、えびぞめ色の羽織姿。目にかかるほどの豊かな白い眉毛は、まさに好々爺といった様相を醸し出してはいたけれど。

「あなたは…?」

聖と里保は、完全に警戒態勢に入っていた。
対峙しているだけで、皮膚がひりつくような感覚。そして、里保を持ってしても接近を許してしまうほどの隠形術。
これだけの人物が、ただもののはずがない。下手をすると、敵の新手の可能性すらある。
ただそれは半分正解で、半分外れであった。

「わしは…『刃賀衆』の頭目を務めておる。そして、今回の依頼人でもあるのじゃ」
「えっ」
「ここでは色々とまずい。案内してやろう。あそこの屋敷にな」

老人が何を企んでいるのかはわからない。そして、彼が依頼を出した理由も。なぜ少女を捕えている「刃賀衆」の頭領がそれを救出する
依頼を出す必要がある。
が、ここは少女が囚われているであろう屋敷に近づくチャンスでもある。虎口に入らずんば虎児を得ず、の諺よろしく、老人の後を二人
はついて行くのだった。

700名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:52:15


「もぐ…なるほど…囚われの…ぱく…少女というのは…もぐ…おじいさんの…くちゃ…お孫さんでしたか…ごっくん」

屋敷の中にある、囲炉裏の設けられた一室にて。
暖かな湯気をくゆらせながら、当地の名物らしい「ほうとう」が丁度いい具合に煮立っている。
頭領の思わぬもてなしに、遠慮なく舌鼓を打っている里保。そんな強心臓にある意味賞賛、ある意味呆れつつも聖もまた「ほうとう」の
旨さに心を動かされていた。

「ほほほ、『鞘師』の子は腕だけでのうて、食の方も立つようじゃ。遠慮はいらん。仕事の前に、たんと食っていくがいい」
「あの…」

最初は少しずつ食べていたのが、段々とその一口が大きくなって頬を膨らませている里保を余所に、聖が不安げに「刃賀衆」の頭領であ
る羽賀老に訊ねる。

「何じゃ、嬢ちゃん」
「お孫さんを助け出して欲しい。それが依頼内容だったはずですが。聞いた話ではこの屋敷の中にいらっしゃると聞いていたのに」
「ああ。孫の朱音は、この屋敷におる」

実にあっさりとした、羽賀老の答え。
なので、聖の抱く疑問はさらに膨れ上がる。

「そんな。じゃあどうして助け出して欲しいなんて」
「あの子はな…呪われた子なんじゃ」

それまで止まらぬ勢いで膳を掻き込んでいた里保の、箸が止まった。
が、羽賀老は、淡々と話を始める。

701名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:53:34
「『刃賀衆』にはの。代々、一族の秘儀を受け継ぐ素質のあるものが生まれる。わしらは、そのものを『繰沌(くるとん)』と呼んでお
るのじゃが。そして、当代の『繰沌』に…朱音が選ばれた。だがの。一つだけ、大きな問題があった」
「問題…とは?」
「朱音は、あまりにもその素質が強すぎたのじゃ。そしてその素質に対し、あまりにもその器は小さすぎた。結果…力の暴走を生むこと
になる」
「……」
「一族の秘儀の他に、あの子に作用する力が存在する力があるのやもしれん。ただ一つ、確かなことは。制御できん力は、周りの人間を
傷つける。もう、何人も里のものが朱音の力で命を失っておる」

制御できない、巨大な力。
聖は確信する。羽賀老の孫であるその少女は、「能力者」であると。

「今は、刃賀に伝わる緊縛術でその身を抑えておるが…いずれはそれも解かれ、より多くの犠牲を生みかねん。そこで、わしはある一つ
の決断を下した」
「そんな!なんてことを!!」

羽賀老が言うより早く、里保が大きな声を上げる。
その顔は真剣さと怒りが入り混じり、ある種の硬さを帯びていた。

「さすがにわかるか。わしが出した依頼の、本当の意味が」
「里保ちゃん…?」
「制御できないからって、それで殺すなんて乱暴すぎる!! 何でそんなことを、簡単に!!!!」

里保の刺すような視線を浴びてもなお、老人は静かな佇まいを見せている。
暴風にしなやかに揺らぐ木のように。いや、最早折れてしまうほどの「硬さ」がないだけかもしれない。
なるほど、自らの手引きで孫娘を殺すなどとは口が裂けても部下たちには言えまい。それで、外部からの依頼という形を取ったのか。聖
は何とか老人の思惑に辿り着くも、その心中までは理解することはできなかった。

702名無しリゾナント:2016/11/05(土) 23:59:16
「簡単ではない。わしも苦悩し、躊躇した。じゃがの、この里を、刃賀の歴史を守るためには仕方がないのじゃ。朱音の『次の繰沌』の
ためにもな。もうこれ以上、犠牲を出すわけにはいかな」
「ふざけるな!!!!!!!!!!!!!!!」

喉を裂くような声を張り上げ、里保が立ち上がる。

「このような非情な決断を、『水軍流』…『鞘師』のものに委ねると言うのもまた、運命じゃな。ただ。朱音を救うためには、あの子の
命を絶たねばならん。あの子に会えば、わかる」
「『チカラ』をコントロールできなければ命を絶たれるなんて!そんなの、そんなの何の解決にもなってない!!だったら!!うちは!!
もっとずっとずっと前に死んでなきゃならないんじゃ!!!!!」

あまりの里保の剣幕に、割って入ろうとした聖も思わず二の足を踏んでしまう。
自らの孫の命を絶つことで「救ってほしい」と願う羽賀老。数百年を超える因縁の一族の末裔にそのようなことを頼まなければならない
彼の心境は、いかほどのものだろうか。聖には想像すらつかないであろうが、そこに並々ならぬ決意、苦渋の決断があったことは徐々に
ではあるが、伝わってきてはいた。

その一方で、普段は滅多に感情を高ぶらせることのない里保がここまで怒りを見せる理由も。
かつて。里保は聖たち同期の3人に、幼き頃に親友を自らの制御できなかった力で死の淵に追いやった苦い過去を告白したことがあった。
滅多に自分の弱みなど話すことのない里保、いや、それを乗り越えると宣言するあたり、強がっているという見方もできてしまうが。
乗り越えなければならない壁である、そう自分に言い聞かせていた幼い顔。
平気な顔をしていても、どことなく辛そうに見えてしまう表情は深く深く聖の心に刻まれた。
今の里保は、かつての自分と似ている朱音の境遇に、思わず感傷的になってしまったのではないか。

だから聖は、里保の手をそっと握り締める。
里保を説得するような言葉は、到底持ち合わせてはいない。けれど、これだけは伝えることができる。
自分はいつでも、里保の味方であると。

703名無しリゾナント:2016/11/06(日) 00:00:04
「あ…ごめん…」

聖の心が通じたのか。我に帰り、恥じ入るように座り込む里保。
確かに、あまりにも朱音という少女と自分の過去は符号し過ぎていた。ただし、自分には理解ある家族がいた。自分の成長を、暖かな眼
差しで見守る祖父の姿があった。背格好は違うが、目の前の老人が里保の祖父と重なったのも感情が抑えきれなくなった理由の一つかも
しれない。

危うく、自分を見失うところだった。
里保は自分たちが何のためにここへやって来たのかを改めて思い返す。
仕事として、そして、リゾナンターの一員として。聖とともに、この山々に囲まれた里へとやって来たのだ。
仕事は、完遂しなければならない。

「取り乱して、すいませんでした。まずは、お孫さんに合わせて下さい。話はそれからです」
「そうだね。お願いします。私たちなら、本当の意味でお孫さんを救うことができるかもしれません」

そうだ。自らの目と耳で判断しなければ、何も始まらないのだ。
そのことは、闇の機械に囚われた小田さくらを救い出した時に実感したことだった。

「…運命に、身を委ねた身じゃ。朱音を『救って』くれれば、わしは何も言わんよ…」

その言葉は諦めか、希望の託しか。
老人は静かに立ち上がり、そして階上へと続く階段に向かってゆっくりと歩き始めた。

704名無しリゾナント:2016/11/06(日) 00:05:44
>>690-703
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編 「繰る、光」 

もう少し続きます

705名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:35:01
>>690-703 の続きです



羽賀老に連れられ、聖と里保は屋敷の階段を昇ってゆく。
昇るにつれ、外の窓から差し込んでいた光は薄れ、徐々に闇の気配が漂い始めていた。

「朱音は、岨道流捕縛術の使い手が交代で拘束しておる。じゃが、彼らも生身の人間。朱音が力を暴走させてから数か月…さすがに、限
界じゃよ」
「……」

老人が呟いた限界、という言葉が何を意味するのか。
先程のやり取りからも、二人には十分に伝わっていた。おそらく、限界なのはその使い手たちだけではない。と。

「わしは…『刃賀衆』の頭領として。いや、朱音の祖父として。あの子を、救ってやらんといかんのじゃ。例え、どれだけの罪を背負おうと」
「それ以上は、言わせませんよ。あなたは既に、私たちに事の成り行きを託している」
「そうじゃったな…」

里保の諌めを背中で聞いていた羽賀老の小さな背中が、ぴたりと止まる。
階段の先には、頑丈そうな木製の扉。どうやらここに、例の少女がいるらしい。

扉を開けずとも、伝わってくる「圧」。
中に、とんでもないものが待ち受けているという感覚が聖と里保を襲う。

「気をつけることじゃ。手練れのものが四人がかりでようやく抑えられる力、それも代わる代わるでな。下手をすると…命を失いかねん」
「…大丈夫です」

里保がそう答えたのは決して希望的観測ではなく。
扉から伝わってくる重苦しい闇の中に、何かが見えたからだろうか。
ともかく、意を決して扉を開く。そこには。

窓も無い閉鎖された薄闇の部屋で、四方から頑健な縄で身動きを封じられている少女がいた。
白装束の和服に映える、白い肌。しかしそれも長い監禁生活のせいで、青白く弱く。
それと相反するように、彼女の秘めし黒き狂気は瞳に、そして体全体に宿っていた。

706名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:39:17
「相変わらず、か。四人がかりの『捕縛術』を持ってしても、未だ狂気をその身に宿しているか」
「…御館、様?」

部屋の四隅に配置された、これまた屈強な体躯を誇る男たち。その一人が怪訝な声を出す。
両手で支えし、大人の胴ほどはあろうかという太き縄。綱引きでもしているかのようなその態勢、四肢の筋肉は張り裂けそうなほどに漲
っていた。

「まだ、交代の時間には早いはずですが」
「その者たちはいったい」

他の男たちも、口々にいつもとは違う状況に戸惑いの色を見せる。
岨道流の捕縛術を極めたものだけに課せられている、「繰沌」の番。その交代時間が来たわけではないということは、なんとなく全員が
理解していた。

「今から朱音を…『繰沌』を解放する」
「今何と?」
「『繰沌』はこの者たちが鎮める。そなたらは、外へ下がっておれ」
「お言葉ですがそのような小娘にそんなことができるわけが…」

男の一人が反駁しようとしたその時だった。
肌が、感じる。目の前の二人の少女が「ただもの」ではないということを。
もちろん彼は里保たちが異能の持ち主であることは知らない。しかし、すっかり疲弊している感覚は逆に研ぎ澄まされ、二人の少女が内
包する「強い力」を咄嗟に感じ取ったのだった。

「御館様の、仰せのままに」
「うむ…」

頭領の命令は絶対。
心に思うところはあれど、四人は雪崩を打つように自ら握りしめていた大縄を次々に落とす。
四条の縄が張力を失った瞬間、縛られていた少女の体から黒い霧のようなものが立ち込めはじめた。

707名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:40:29
「よいか。わしが良いと言うまで、決してこの扉を開けてはならんぞ。もし。一刻ほど経った場合…屋敷に、火を放つのじゃ。よいな?」

四人の屈強な男が、ほぼ同時に息を呑む。
それほどまでに、老人の放つ気迫は剛の気を帯びていた。「刃賀衆」の歴史の重み、そして不退転の決意。
すっかり押し黙ってしまった男たちは、ゆっくりと後ずさり、そして部屋を後にした。

朱音の体から、漆黒の靄が次から次へと湧き出てくる。
意思を持つかのように、そして、悪意を持つかのように。

「羽賀老、あれは」
「…墨、じゃ」
「墨…あの書道に使う、墨ですか?」
「左様。朱音は…『繰沌』は代々。『墨字の、具現化』…自らの描きだした文字を、実際のモノとしてこの世に顕す力を受け継いできた。
じゃが…朱音の力は、あまりにも強すぎた。抑えきれん力はやがて朱音自身を蝕み、あのようなモノになった」

朱音から出る、墨の霧が形を作ってゆく。
長く、そしてうねりながら部屋中を駆け巡る様は。蛇と言うよりも、竜に近い。

「気をつけなされ。あの竜に飲み込まれたら、命を失う」
「…承知!!」

里保が、腰のホルダーからペットボトルを取り出す。
水は、下の水場で十分に汲んで来ていた。水限定念動力を発揮できる、十分な環境だ。

そして、里保の後方に立つ聖もまた既に戦闘態勢に入っていた。
朱音を取り巻く、不気味な物体との戦いが険しいものになるということは戦う前から肌で感じ取っていた。屈強な男たちが日替わりで押
さえつけなければならないほどの力、やすやすと鎮めることができるはずもない。

708名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:42:04
だが、里保もそして聖自身もいくつもの死線を潜り抜けてきた。
何度も命を失いかけたことも、そして何度も絶望したこともあった。
その経験を持ってすれば、決して乗り越えられない壁ではない。
そして何よりも。リゾナンターのリーダーであるさゆみが、聖と里保を信頼してここへ寄こしたのだ。その信頼に応えなければ、いや、き
っと応えられるはず。

里保もまた、聖と同じ気持ちでいた。
確かに得体のしれない「能力」ではある。しかし、決して御せない相手ではないことは里保の感覚が教えてくれている。羽賀老の言うよう
な「命を奪わなければならない」展開には決してならないし、させない。それは自らの過去に対する一つの答えであり、また自分よりも遥
か年上の存在に憤ってみせた意地でもあった。

ペットボトルから床へと注ぐ水が、形を成しクリアな球体として浮上する。
同時に、愛刀「驟雨環奔」を抜刀する。聖とともにこの仕事を任された理由。さゆみが自分たちに寄せる期待。そして、期待に応えるため
の強い意志を。
水を友とし、水を操ると謳われし名刀の刃に、載せる。

「やああああっ!!!!!」

不安定にうねる墨の竜、頭に見立てたその先端に向け、大きく里保が踏み込む。
綺麗な一閃が、混沌たる黒を切り裂いた。
しかしその切り口から血のように湧き出た新たな墨が、枝分れし幾筋もの鋭い矢となって自らに害をなしたものへと一斉に襲い掛かる。

「里保ちゃん!!」

後方から、銃を構えるような態勢で聖が打ち出すのは念を弾状にして打ち出す念動弾。
先程の傀儡戦においても際立つ照準能力の高さが、ここでも発揮される。里保を狙い澄ました墨の矢はひとつ残らず、念動弾によって打ち
砕かれた。

ナイス、ふくちゃん。
言葉の代わりに、なおも里保に襲い掛かろうとした竜の頭を袈裟懸け。
これならいけそうだ、そう思いかけていた矢先のことだった。

709名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:43:17
「お嬢ちゃんがた、あまり妄りに墨に触れるでない。乗っ取られるでな」

羽賀老の、思いがけない一言。
それが意味するものとは。

「それはどういう」
「墨字具現化とは。物質を操ろうとする意思の力じゃ。意思に何の考えなしに触れれば、その意思に飲み込まれる」
「…ならば、意思には意志で当たればいい。習字なら、多少の心得はあります」

言いながら、里保は鎌首をもたげている墨竜に再び刀を向けた。
里保を染め上げようとする黒き意思をかき分け、そして刀を振るう。
切っ先の軌道は、流れ、そして力を溜め、また払われる。まるで、習字の「払い」「留め」「撥ね」のように。

「ほう。墨字の権化にその形で挑むとは、若いのになかなかやりおる。じゃが…」

老人が見越していたかのように。
里保はそれまでの舞うような動きを止め、大きく後ずさる。

斬れば、斬るほどに。刀が鉛のように重くなってゆく。
これが、「乗っ取られる」ということか。
周囲の水球に刀を突き刺し、墨で黒く染まった刀身を洗う。一時しのぎにはなるが、根本的な問題は解決していないままだった。

そんな里保の様子を見ながら、聖は自分がどのようにして里保のサポートをするべきかを考えていた。
今日、この任務のために聖が複写してきた能力。その中には、扱いは難しいものの、強力な力を秘めた能力があった。聖は、その「能力」
を複写させてもらった時のことを思い返す。

710名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:45:11


「で、ももちに相談ってなあに?」

聖と里保がさゆみの指示により刃賀衆の里へと向かう前の日。
聖は、ベリーズのメンバーである嗣永桃子のもとを訪れていた。

「あの…ももち先輩にお願いあるんですけど」
「何かなぁ? あっ、もしかしてサインが欲しいってやつ?」
「いえそのサインはサインで欲しいんですけどっ、て言うかももち先輩ってほんとかわいいですよね! 目とか鼻とか口とか色が白いとこ
ろとかそのかわいいらしいももちヘアーとか!!」
「お、おう、ありがと…」

突然の訪問はまだしも、目の前の少女から感じる只ならぬ圧力に、桃子は少し。いや、かなり引いていた。
もともと、リゾナンターの敵として立ち塞がったベリーズ。しかし、紆余曲折があり今では共にダークネスと戦う身である。リゾナンター
のエースとなった里保に至ってはベリーズの実力者である須藤茉麻の胸を借りる打診までしているという。そんな中、普段はあまり人望の
ない桃子にも聖からの面会の申し出があったのだが。

どうも、ペースが乱される。
先程のやり取りで言えば、サインが欲しいかと聞いたのはあくまでも話のとっかかりである。いくら自分のことが可愛い桃子と言えど、精
々「うわぁ、是非」くらいの反応しか求めていなかった。
ところがどうだ。目の前の少々、いやかなり不審な少女は聞いてもいないことまで早口にまくし立てるではないか。一歩譲って、褒められ
てはいるのだからそれはいい。しかし。

「あとあと!華奢に見えて意外と筋肉質なところとか!!おしりのとこがプリプリッってしてるところとか、とってもいいと思います!!
!!」
「……」

711名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:45:43
何と言うか、このなぜか顔を赤らめている少女に対しては。
身の危険を感じるのだ。この研ぎ澄まされたももちヘアーの先っちょが、ビリビリと妖気を感じ取っているのだ。
桃子は、この少女と密室で二人きりにはなりたくないと、心の底から思うのだった。

「で、譜久村ちゃん…用件って」
「は!私としたことが!すっすいません…じゃなくて、許してにゃん♪」
「うん、あの、そういうのいいから」
「ごめんなさい!実は、ももち先輩の私物が欲しいんです!!」

思わず、うわぁ、と心からどん引きした声を上げてしまいそうになった。
この子、ももちの私物で一体何をする気なんだろう。いっそのこと、バナナに貼ってあるシールでも渡そうか。
ただ、それ「だけ」は桃子の杞憂に終わる。何でも、明日任務で出かけるので能力の複写をさせて欲しいのだと言う。

「でも、まあ、ももち先輩が直接って言うなら…」
「わ!わ!私物私物ね!えっと、この普段持ち歩いてる携帯ゲーム機とかどうかなっ!!」
「え、触ってもいいんですか!!」
「そこ、すりすりしない!!」

あまりの感動に、自らの両腿を両手ですりすりとこすり合せる聖。そして桃子のダメ出し。
とんでもない子を育てましたね、みっしげさん。
桃子は、聖の先輩筋にあたるさゆみに恨み節を呟かずにはいられなかった。

712名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:46:43


桃子の心情はともかく、彼女の「腐食」能力を複写した聖。
扱いの難しい能力ではあるが、応用できればこれほど心強いものはない。

回想を挟んだ第二ラウンド。
聖が「切り札」を使うことを感じ取ったのか、里保が竜を相手に大きく踏み込む動作を取る。
迎え撃つは、竜の肋骨を模したような屈強な槍。サーベルのように撓った形をしたそれらが、里保を串刺しにしようと回り込むように迫った。

同時に襲い掛かる、六つの牙。
初撃の刃で、上段の槍2本をあっさり斬り落とし。
振り向きざまに水で象ったもう一本の刀で双方向からの攻撃を止め。
足を刈り取る下段の牙は周囲に纏わせた水球を打ち出し、完全にへし折ってしまう。
これぞ、対多人数を想定した水軍流の剣術の極み。
そして、竜が里保に攻撃を集中させている隙を縫い。

「里保ちゃん伏せて!!」

後ろからの言葉に、咄嗟に里保が身を屈める。
その頭上を、「腐食」の力を帯びたいくつもの念動弾が通過してゆく。
黒き竜の胴体に着弾した念動弾が、綿飴を溶かすかのようにじわじわと銃創を広げていった。

今回の敵については情報に無かったものの、聖の言わば「腐食弾」は水溶性の体を持つ墨の竜には効果覿面だった。
さらに、聖の念動弾が頭上を通過するのと同時に、里保は動きだしていた。

墨竜の体から無数に突き出す迎撃用の槍、それらを横跳びで避けながら、聖が穿った銃創を水を纏わせた刀で大きく薙いでゆく。哀れ、竜
は鯵の開きが如く二つに引き裂かれた。

713名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:47:50
「やった!!」
「ふくちゃん、まだだ!!」

同期ならではのコンビネーションがうまくいったかと思いきや。
里保は、正眼に刀を構え続ける。
引き裂かれた胴体から滴る墨、行く筋も垂れ落ちる黒い液体は傷ついた肉体を瞬く間に修復していったのだ。

「朱音を力の源とする墨の竜、やはり力の源を絶たねば…」

老人の言葉を否定するかのように、猛然と里保が竜に攻勢をしかける。
が、焼け石に水とはこのこと。斬られても、砕かれても、次々に肉体を復元されてしまう。

里保が、肩で大きく息をし始めている。
体力の消耗だけでは無い。墨による水の濁り、そして何よりもこの状況を打開できないことへの自らへの憤りが彼女の体捌きに大きく影響
していたのだ。

さゆみが、聖と里保という最低限の戦力をこの事案に差し向けた理由。
それは能力の相性もあるが「司令塔」と「攻撃手段」という単純かつ最も重要なポジションの構成。それがきちんと機能するかどうかのテ
ストでもあった。二人が上手く立ち回れないのなら、グループ全体として動くことも難しい。さゆみにとっては現状の把握とともに、いつ
来るかわからない「未来を託す時」のためのもの。

よって今の場合聖に求められる役割は、戦況の立て直しとアタッカーへの的確な指示。

「里保ちゃん!今出せる、ありったけの水を出して!!」

しかし里保は耳を疑う。
この状況で水を全て使い切るのは、自殺行為に等しい。
漆黒の竜の墨に侵食されきったら、もう対抗手段はなくなってしまうからだ。

714名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:49:20
ふくちゃん自身も、焦ってる…?

つい、そんなことを疑ってしまう。
もちろん聖のことは信頼している。しかし、先の見えない戦いで彼女が破れかぶれの策を選択しないという可能性がないわけではない。

そうこうしている間にも、竜の体から滲み出るように勢力を伸ばしている墨の触手。部屋の全てを覆いつくし、そして闇に返さんばかりに溢れ
ていた。このままではどのみちじり貧である。

いっそのこと、朱音本体に攻撃を仕掛ける…?

自らの中で禁じ手としていた手段が頭に思い浮かび、即座に否定する。
そんなことをしたら、羽賀老に感情をむき出しにしてまで貫こうとした自分自身の信念まで否定することになる。

最優先にすべきなのは。大事なのは。いったい何なのか。任務か。朱音の無事か。聖への信頼か。自らの、信念か。僅かな時間の間に、里保は
取捨選択を迫られていた。

「ああああ、もうっ!!!!」

やるしかない。
気合の雄叫びとともに、ストックのペットボトルの水を全て床に流す。
溢れだす水は、ゆるりと渦を巻き、やがて漆黒の竜にも劣らない水の竜を象っていった。

二匹の竜が、咆哮を上げながら互いの体に絡みつく。
清涼な水が流れのままに闇色の墨を押し流せば、墨もまた根を張るように水の中に広がってゆく。
水が墨を砕き墨が水を濁す鬩ぎ合い。だが。

苦悶の表情を浮かべる、里保。
どうやら軍配は漆黒の竜に上がったようだった。現れた時は水晶のような透明度を持っていた水の竜が、煙に巻かれてしまったかのように薄く
濁ってしまっていた。体のあちこちに墨を穿たれ、半分はもう体を奪われている、そんな様相すら呈していた。

715名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:50:18
その時、聖が動いた。
形あるものを腐食させる、念動弾と腐食能力のハイブリッド。
弾幕が出来上がるほどに、前方に展開させた。

「ふくちゃん、無謀だ!!」

やはり一か八かの策だったのか。
里保は聖の言葉に安易に乗ってしまったことを後悔する。
しかし、すぐに考えを改める。後悔しなければならないのは、自分の考え。

墨の竜を狙っていたはずの腐食弾は、悉くその体を避けるような軌道を取り、背後の壁に着弾してゆく。
当然のことながら、木製の壁は腐れ落ち、やがて光とともに外の景色を顕にした。

聖が、一度にストックできる能力は「四つ」。
今日の為に持ってきた能力。一つは、念動弾。一つは、腐食能力。それと、使わないと決めている大切な人の「あの能力」。そして。

ぽっかりと穴の空いた壁、そこから滑り込むように侵入してくる何か。
蠢くように、這いずるようにして室内に入って来たのは。

聖は、この屋敷の周囲の環境を予め確認していた。
屋敷を囲むような、森。これならば持ってきた能力を最大限に使えると。
そう、彼女が最後にストックした能力は「植物操作」。崖っぷちの七人組の一人である森咲樹からいただいた力だった。

広大な森から這い出た木の根は、部屋中に溢れていた水にその身を浸すと。
もの凄い勢いで、それを吸収しはじめた。と、同時に、朱音の顔に苦悶の色が浮かぶ。

木の根が吸い込んだ、里保が使役していた水には相当量の墨が溶け込んでいた。それを吸収すれば自然に、朱音の墨の竜も引き込まれることに
なる。いくら次から次へと自らの体を復元してゆく再生能力と言えど、自然の力に抗えるはずがない。力の元はあくまでも人間。あの小さきか
弱い少女なのだから。

716名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:51:21
そこで、里保は大きなことに気付く。
植物の根が朱音の力を吸い尽くしてしまえば。
このままでは、朱音が。

ふくちゃん!と里保が呼びかける前に。
聖は、動いていた。朱音を取り巻く黒い靄が途切れる、ほんの一瞬を狙い澄ませて。

なるほど、そういうことか。ならば今度は、間違えない。

里保は聖がしようとしていることを、先読みする。
足元に僅かに残っていた、汚されていない水たまり。それを気化させ、駆け出した聖に纏わせた。
それはまさしく、里保が今できる最適解だった。聖は無防備になった朱音を、墨に遮られることなく抱きすくめる。

接触感応。
それが、聖が本来持ち合せた能力。
普段戦闘用に使用している「能力複写」は接触感応の応用でしかない。触れたものの残留思念を読み取る能力、生田衣梨奈や先輩の新垣里沙の
ように相手の精神に働きかけることができない、言わば受け身の能力ではあるけれど。

それでも僅かに残った墨の残滓が、聖の肌を焦がすように侵食しはじめる。
同時に、そこから流れ込んで来る「朱音の残留思念」。
全てを悟った聖は、優しく朱音の頭を撫でた。しばらく寒気に当てられていたかのように体を震わせていた朱音も、やがて安堵したかのように
瞳を閉じ、頭を垂れた。

「え!ふくちゃんまさか絞め技で」
「失礼な。安心して眠ってるだけだって」

朱音の急激な変化に「フクムラロック」が発動したのではないかと訝る里保だが、聖は憤慨しつつ否定する。
もちろんこうなることを想定していたわけでは無い。ただ、結果的に朱音は持てるすべての力を使い果たし、眠りについたようだった。

717名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:52:43
「なんということじゃ…まさか本当に朱音を鎮めるとはの…」

一連の動向を見守っていた羽賀老は、ただただ驚きを隠せずにいた。
大の大人四人の力を持ってしても、現状維持がやっとだったほどの凄まじい力。それが、たった二人の少女に鎮圧されてしまった。今までの、
自分たちの苦悩は。年月はなんだったというのか。
いや、今は事態が沈静化したという事実だけを受け入れるべきか。

「…羽賀老。少し、お話したいことがあります」

時に置き去りにされたような老人に、聖が話しかける。

「朱音ちゃんの、これからのことについてです」

718名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:54:00


場所を移し、里保たち3人は頭領の部屋にいた。
聖はしばらく誰かと連絡を取り指示を仰いでいたようだが、やがて話が済むと改めて客用の座布団に座り直す。

「結論から言います。朱音ちゃんを…わたしたちに預からせて、いただけますか」
「何と…」

まさか見ず知らずの者からそのような意見が出るとは。
予期していなかった申し出に羽賀老が戸惑っている間に、聖が畳み掛ける。

「朱音ちゃんの力の暴走。その原因は間違いなくこの里にあります」
「なぜそう言い切れるのじゃ」
「私の能力は、人やモノに触れることでそこにある残留思念を読み取ります。だから、さっき朱音ちゃんを抱き竦めた時に、流れ込んできまし
た。辛い、記憶が」

朱音は、奥の部屋で寝かされていた。
今は童子のように安らかな表情で眠ってはいるものの。

「『繰沌』となるための修業は、あの子にとって壮絶なものだったんでしょう。周囲からのプレッシャーも。頭領の血のものともなれば、尚更
でしょう。でも、それは彼女の心を『酷く傷つけた』」

聖の話を傍で聞いている里保には、修業の辛さというものが理解できない。
それは「水軍流」の修業と呼ばれるものが全て、日常の生活と強く結びついているから。誤って力を暴走させてしまった時でさえ、祖父は優し
く諭すのみだった。

719名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:55:41
「おそらくですが。彼女は、この里には『辛い思い出』しかないと思われます。里の景色が、空気が、里を構成する全てが力の暴走のトリガー
になり得る」
「そんな馬鹿な…わしらは一体どうすれば」
「私たちの上司からの提案ですが」

聖は、一言断りを入れてから、

「『能力者の隠れ里』という場所があります。朱音ちゃんを預からせていただけるのならば、その施設で能力の調整を行い、最終的には刃賀衆
のみなさんにお返しすることができます、と」

淀みなく言った。
里保はその時点で、悟る。きっと聖はその耳で聴いたのだろう。
朱音が誰かに助けを求める、心の声を。

羽賀老は、表情を険しくしたまましばらく、黙り込んでいた。
一度は亡き者にしてでもその暴走を止めようとしたものの、里の宝とも言うべき「繰沌」を、そう易々と里の外のものに渡して良いものだろう
かと。悩み、決断しかけ、再び悩む。思考の堂々巡りは沈黙となり、それがしばらく続く。
そこに助け船を出したのは。

「羽賀老。こう考えてはどうでしょう。里の外に出すのもまた、『繰沌』としての能力を高めるための修業の一環なのだと。そういうことにす
れば、里の人たちを説得することができるのではないですか」
「…ううむ」

最終的に、刃賀衆を束ねる頭領が首をゆっくりと下に動かした。

「ありがとうございます。お孫さんは、私たちが責任を持って育てますので」

聖の言葉に若干の妙な空気を感じつつも、それに追随する里保。

「孫を…朱音を。よろしく頼みますじゃ」

深々と、頭を下げる羽賀老。
既に、彼は孫を思う一人の老人だった。
そこに、里保は自らの祖父がぴたりと重なるのを感じていた。

こうして、朱音はしばらく「能力者の隠れ里」で自らの能力を安定させる暮らしを送ることになった。

720名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:56:42


「ねえふくちゃん」

刃賀衆の里からの帰り道。
電車の中で横並びになった里保は、聖に話しかける。
車窓の景色は、畑ばかりの田園地帯から徐々に民家が増えていた。

「なに?里保ちゃん」
「ごめん。ふくちゃんのこと、信じきれなくて」

里保は素直に、朱音との戦いの中で生まれてしまった疑念について話した。
聖は黙ってそれを聞いていた。電車の揺れが、心地いい。こういう一定のリズムを刻まれると、ついつい。

「だーめ。仕事中でしょ」

二の腕に伸ばされた不埒な手を、ぴしゃり。

「ええじゃろ、減るもんじゃなしに」
「帰るまでが仕事なんだからね。それに、減ります」
「けち」
「あのね、里保ちゃんが言ってたことだけど」

聖が、ゆっくりと話し始める。
おそらく、自分の考えを咀嚼しつつなのだろう。

「そういうことも想定に入れつつ、里保ちゃんの能力を最大限に生かすのが『司令塔』の役割なんだと思う。聖は、高橋さんみたいに行動で規
範を示せないし、新垣さんみたいに理性的な考えができるわけでもない。はるなんみたいに頭良くも無いし、香音ちゃんみたいにいざと言う時
に割り切ることもできない。でもね」
「でも…?」
「里保ちゃんが、何を考えてるか。というのはわかるよ、きっと」

言いながら、聖は思い出していた。
里で、さゆみに事案の報告をしていた時のことだ。

721名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:57:54


「…なるほど。お疲れ様。さっきも言ったように、その子は『能力者の隠れ里』で能力の使い方を勉強してもらった後にリゾナントで預かるの
が一番だと思う」
「そうですね。聖もそれがベストだと思います」

さゆみは、聖や里保の仕事ぶりについてはまったく心配してなかったようだ。
朱音を隠れ里に預けるというのも、予め考えていた結論、という風に聖には思えた。

「ところで。ふくちゃんに聞きたいことがあるんだけど」
「はい。どうして、この仕事に聖たちを向かわせたか。ですよね」

想定していたとは言え。
さすがにさゆみ本人から問われると、緊張が走る。
まるで、聖がリゾナンターとして生きてきた時間の全てを問われているような感覚にすら陥っていた。
それでも、答えなければならない。今回の仕事で学んだことの、全てを。

「もちろん、能力の相性というのもあると思うんです。里保ちゃんの能力は攻撃に特化しているし、聖の能力は、どちらかと言えばサポートに
向いてると思うので。でも、それ以上に」

722名無しリゾナント:2016/11/29(火) 19:59:21
聖は、大きく息を吸う。

「今のリゾナンターの最大の攻撃手段である里保ちゃんを、どのように動かすべきか。たぶんなんですけど、同じ攻撃タイプの子にはその役割
を果たすのは難しいと思うんです。そうなると、候補として聖の他にもはるなんと香音ちゃんも、だと思うんですけど」
「ふふ。じゃあどうして3人の中からふくちゃんを選んだんだと思う?」
「それは…聖が、『能力複写』の持ち主…だから?」
「どうしてそう思うの?」
「きっと、『司令塔』として考えたことを実行するのに、手数が多いほうがより多くの可能性を広げることができるからなんだと思います」

少しの沈黙。
さゆみの答えは。

「まあ、正解にしときましょう」
「ほんとですか!!」
「ええ。でも、補足するなら…さゆみが今回りほりほのパートナーにふくちゃんを選んだのはね。簡単に言えば、ふくちゃんはちょうどいいの」
「えっ?」

意味がわからず、思わず訊き返す。

「はるなんだと、きっと先輩であるりほりほを立てるあまりに正しい判断ができなくなるかもしれない。その点鈴木ならきっとそういうことは
ないんだろうけど、あの子の強さは時にりほりほを傷つけてしまうかもしれない。その点、ふくちゃんは受け身でしょ。今回の件では、それが
いい方向に働く、そう思ったの」
「受け身…ですか」
「あ、今の全然悪口じゃないからね。それがふくちゃんのいいところでもあるんだから。もっと自信持っていいとさゆみは思うよ」

さゆみのフォローを全身で受けつつも。
確かに今の自分には能動的な点が欠けてるのかもしれない。ただ、時には受け身がいい方向に働くのかもしれない。聖はそう、前向きに考える
ことにした。

723名無しリゾナント:2016/11/29(火) 20:00:34


受け身だから、いや、受け身であることでわかることもある。
聖は今回の仕事でそのことを学んだ。それは今回パートナーとして行動した里保だけではない。きっと他のメンバーと組んだ時にも、そのこと
が役に立つ日が来る。そう信じていた。

「でね。ふくちゃんにもう一つ言いたいことがあるんだけど」
「ん?何でも言っていいよ?」
「朱音ちゃんを預かるって決めた時、ラッキー、とか思ったでしょ」

不意打ち。
言われてしまうと、今でも鮮明に蘇ってくる、朱音の柔らかな感触。
聖のストライクゾーンは小4〜小6ではあるが、朱音ならばもう1、2学年上げても良いと思っていた。
おまけに、帰り際に目を覚ました朱音と少しだけ話をしたのだが。顔に似合わずはきはきとしっかり喋る。それが、またいい。これにはきっと
道重さんも同意してくれるに違いないと。

「ついでに朱音ちゃんに抱きつけてキラーン!とか思っとったじゃろ」
「み、聖そんなんじゃないもん!!」
「どうだか。罰として二の腕すりすり100回の刑ね」
「それはだめ!だって聖、里保ちゃんに触られすぎて敏感に…ああぁっふっふぅ!!」

人もまばらな電車の中でこだまする、歓喜の叫び。
コンクリートの建物が増えてゆく、旅路は終着駅に近づいていた。

724名無しリゾナント:2016/11/29(火) 20:04:04
>>705-723
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編 「繰る、光」  了

さすがに長くなりすぎましたが(汗
他の作者さんが12期執筆に果敢に挑戦してる中、乗り遅れ気味に書いてるともう13期w
メンバーははーちぇるを残すのみですが果たしてお披露目までに間に合うのか…

725名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:24:45

 かえでぃー 気付いてるんでしょ? きみの心が繋がってる事
 いつでも待ってるからね いつか一緒に歩ける事
 え? はは そうだけど でももっと近づけるよきっと
 かえでぃーがここに居る事もちゃんと意味があるんだからさ
 …本当に待ってるんだよ皆 皆 ね
 かえでぃーを信じて 待ってるから
 例えどんな立場になっても 敵になっても 信じてる

726名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:28:45
それは死の閃光。
男の首が飛び、断面からは鮮血が噴出し、天井から床を染める。
頭部が本人の足下の床に落ち、転がった。
断面から血が溢れて、血の海を広げていく。
女が刃を振って血糊を払い、鞘に納める。

笑声。

床に転がる男の首が掠れた声で笑っていた。
女が硬直していると、床に倒れた男の胴体が動く。
左手を伸ばし、傍らに転がる頭部を掴んで当然のように首の断面に合わせた。

途端に傷口が埋められ、皮膚が繋がる。
数秒で首が繋がり、男の口から呼吸が漏れる。

 「ははは、あああああーああーあー………ふう。
  肺がないとやっぱり声が出ないもんだなあ…」

声と共に切断で逆流してきた血が唇から零れる。
男は左の手の甲で血を拭った。

 「餓鬼だと思って見くびったよ。立派な能力者じゃないか。
  今日のお人形は中々に威勢がいい。最高の優越感が得られそうだ」

男の額の右、左眼球、鼻の下、胸板の中央、左胸、鳩尾。
それぞれに『風の刃』がどこからか現れて串刺しにしていく。
全てが人体の急所を狙って貫通している。

727名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:30:35
女が黒塗りの刃を振り下ろす度に『風の刃』が発射。
右側頭部、右頬、首の右側、右胸板、肝臓がある右下腹部。
致命傷を与えるために次々打ち込まれ続けた。

倒れていく男の足が止まる。
腕が振られ、血飛沫。どこから取り出されたか分からないナイフで
女の左肩が抉られていた。
傷口を気にせず、女が間合いをとって後退する。

 「いってえな……普通なら十回は死んでる」

血の穴となった左の眼窩の奥で、蒸気と共に蠢く物体。
視神経と網膜血管が伸びていき、眼球を形成していく。
水晶体、瞳孔が再生すると上下左右に動いて正面に止まる。

それを合図に男の全身から湯気があがると、他の傷口も再生の兆しを見せた。

 「”お人形さんが言った通り”、俺は不死者なんだ。
  組織に居た科学の大先生がある能力者の研究で入手した細胞を移植したのさ。
  つまりは普通の武器じゃ殺せない。さあどうする?」

不死身の男を前にして少女の態度は変わらない。
黒塗りの刃を構えて前に出る。同時に男の胸板を切り裂く一閃。
だが切断された肋骨は癒合し、筋肉が接着し、皮膚が覆っていく。
時間が逆流したかのような再生を見せつける。

だが女の刃は揺るがない。
溜息のような息を一つ、吐いた。
その姿に男が反応する。

728名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:31:33
 「なんだよその面倒くさそうな態度は。ムカつくなあ。
  死ぬ可能性があるのはそっちなんだぞ。
このままじゃジリ貧なのを理解できないぐらいはやっぱり餓鬼のやり方か」
 「そうね、だから、面倒くさい事は任せようかと思うの」

女が久しぶりに言葉を発した。
それに対して男が僅かに笑みを浮かべたが、一瞬で消失する。

黒塗りの刃から異様な波長を感じたのだ。
狂気の波が男の肌に粘着し、気味悪さに鳥肌が立つ。

 「なんだよ、それ」
 「気付いた?でも、もう決めてあるのよ。アンタを餌にする事は」

刃が静かに振られる、男にではない。
まるで”ソコ”に何かがあるかのように刃が空を斬る。

 【扉】が視えた気がした。

その瞬間、女の左右には黒犬と白犬が着地する。
体色が違うだけで同じ大型犬。猟犬に似た逞しく伸びた四肢に尖った耳。
筋肉によって覆われた全身の終点には太い尻尾。

 「犬の餌にってか?ふざけてんじゃねえぞ」

729名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:33:05
男が右手を掲げる。
違和感。男は自らの右手首の断面を眺めた。
血と共にナイフを握った右手が宙を飛んでいく。
激痛とともに跳ねて部屋の中央に着地。

 「なっ………!!!!????????」

右手が落下する前に、男が長年の殺人で身に付けた肉食獣の直感は
今のこの場において捕食者は自分ではなく、眼前の女こそが
捕食者であると告げていた。

 「気付いた時にさっさと逃げれば良かったのにね」

女の言葉に反撃よりも逃走に移るために膝を撓める。
伸ばそうとした男の姿勢が崩れた。
体重がかけられると共に右膝と左脛に朱線が引かれ、鋭利な切断面が描かれた。

 「ぐぎぃっ」

残った左手を床について男は転倒を避ける。
先に切断された右手がようやく床に跳ねて落下。
左手一本で上半身を起こすと、女が見下ろしていた。
横手には黒犬が侍っている。口には鮮血を吐く男の手を咥えて。

 「この子達、良い子でしょ?普通の子達よりも頭が良いの。
  人殺しの首を掻き切ってくれるとても従順な良い子達でしょ?」
 「ころず、ごろじっで……!?」

730名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:33:59
反撃に動く左手と同時に、鮮血に気付いた時には左肘が切断。
不死者の背後で白犬が左腕を咥えていた。
通常の人間なら右腕を失った衝撃で即死するか、手足の失血で死亡する。

だが不死者を自称する男は既に血液を作り、手の指が復活し始めていた。
自らの血の海に転がる男の前に女が立つ。
右手は無造作に黒塗りの刃を下ろし、刃は男の右肩に突き刺さる。
全身の激痛に足される新たな痛みに、男は悲鳴を漏らした。

 「ああ、やっと痛がってくれた。
そんな事してるから100%の力が発揮できないんじゃない」
 「なん、くそっ、なんで俺を見つけてこんな事を……」
 「意味がないことは話したくないの。無意味は嫌い。
  アンタはただ餌になるしかないんだ、殺人鬼」

女が刃を引き抜く。男の新しい四肢を再び切断。
右手が握る刃に再び全体重をかけていく。
激痛にまた男が全身を震わし、刃を引き抜き、空中に掲げる。
女の峻厳な目が男を射すくめる。

殺意を込めて、憎悪を込めて、何度も何度も殺す、殺す、殺す。

 「大丈夫、精神を強く持ってれば死なないわ。
  死ぬ前に抵抗して、さっきみたいに殺気を見せて」

女は男の肉へ、刃を振り下ろしていく。
肉を突き貫く音に悲鳴が混じる。

731名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:35:15
 「なんなんだ、なんだよおまえはあ!」
 「言ったよね、無意味は嫌いなの、さあ早く、治さないと死ぬよ?」

冷徹に冷静に告げる女は既に自分の異常さを自覚していた。
だから止めない、止まらない、止める理由がない。

床の上の肉、貫かれた肝臓の表面で肉色の泡が立ち、修復していく。
砕かれた骨が再生し、再統合されていく。
裂かれた筋肉たちが繊維を伸ばして統合していく。
桃色の真皮が修復され、続いて表皮が張られていく。
表情に正気がなくとも、男は生存していた。
生きたい。生きたい。生きたい。生きたい!!

 「………」

誰かの名前を呼んでいたが、その言葉にも意味はない。
男が崇拝していた者も今は居ない。
存在しない。だから女はただただ刃を振り下ろす。

732名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:36:07
白犬と黒犬はその光景をただ見つめていたが、背後の気配に
気付いて懐くように駆け寄っていく。
その間際、女は感知していた。
男の今までにない、生きたいと願い発現する異能力の鼓動を。
甘い匂いだ。
どんな果実よりもどんな甘菓子よりも濃厚で柔軟で強硬な甘い匂い。
嗅ぐのは三度目だろうか。短髪をかきあげ、汗を拭う。
その甘い匂いを反応するのは、もう一人の影も同じだった。

 「――― 充分です、加賀さん」
 「……じゃ、五分で終わらせて。
  時間がかかり過ぎたから早めに移動したいの」
 「はい」

左右に犬を従えた長髪の女が一歩、また一歩と前進。
向かうのは事切れようと座り込む男の頭頂。
一度手を合わせたのを見て、それがどちらを意味するのかと思ったが
どちらにしても結果は同じなのだからと考えを遮断する。

宙を見上げる女は何かに触れたかと思うと、一呼吸して口を開けた。

 咀嚼。嚥下。それは生物が行う基本的食事行動。

女は彼女が何をしているのか理由を知っている。
だが理解は出来ない。空気を直接喰らった所で得られる力はない。
だがそうしなければいけない理由がある。

733名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:36:50
僅かに目を細めれば、其処には確かに”何か”が浮遊している。
常人には見えない、異能者であるからこそ視得るもの。

 【異能力】

彼女が一生懸命喰らっているのはそれだ。それしかない。
女にはまるで臓物を喰らう化け物に見えた。
何故なら彼女が『異獣』である事を知る数少ない人間で、故意に彼女に
異能力を食べさせているのは紛れもなく女自身である。
満ちる事に僅かな笑みを零す彼女に、女は凍てついた視線を送った。

相手の男は不死者だと豪語していたが、女にとっては二度目の遭遇だった。
一度目の不死者は『LILIUM計画』と称した研究に命を捧げて
真の不老不死に近づくあと一歩の所だったが、結局その命題を捨てる事となった。

リゾナンターと呼ばれた者達の抑止力が、その支配を止めたのだ。

思えば、あの力を得ることが出来たなら既に目的は達成できていたかもしれない。
この界隈に詳しい情報屋から得たもので一番近い人物を選んだのだが、これでは足りない。
足りなさすぎる。

 「加賀さん、ごちそうさまでした」

女は律儀にそう言った。何とも人間に近い事をするのだろうこのバケモノは。
人間に近すぎるせいで『異獣』の尊厳などまるで無い。
人型であるが為に能力という能力を持ち合わせる事なく現れている異界の住人。
異獣召喚士としての自分の力の弱さに、女は拳を固く握りしめる。

734名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:37:26
 「行こう。あとは警察が何とかしてくれる。
  証拠も何もないからきっと迷宮入りになる事件だろうけど」
 「それって加賀さんには不都合なことですか?」
 「どうともならないよ。今までもそうだったでしょ?」
 「そうでしたね。……あの、加賀さん」
 「何?」
 「……ご、ごちそうさまでした」
 「それさっきも聞いた」
 「あ、あはは、へへ。ごめんなさい」

何がおかしいのだろう。言おうとして、溜息が零れる。
バケモノに人間らしさを求めても仕方がない。
ただ力のままに鍛えるだけの存在に関係性を見つける事は無意味だ。

異獣召喚士である以上、異獣を鍛えなければいけない。 
喰らって喰らって喰らい尽くしてバケモノを強くしなければ。
たとえどんな事をしてでも、たとえどんなものを利用してでも。

あどけない笑顔を見もせずに女は刃を構える。
黒塗りの刃に掛かれた文字の列が線となり、宙に描かれていく。

文字で象られたのは鎖が散らされた【扉】
 黒犬と白犬の両目が煌めいたかと思うと、その扉に向かって
 飛び跳ねた姿が白煙のように消えた。

文面を最後まで読むことなく、再び右手が振られる。
刃が紡いでいた光の文字が掻き消され、【扉】が閉じられる。
鎖が戻り、錠前が施され、目が閉じるように闇へ消えた。

735名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:38:31
黒塗りの刃は鞘へと収まり、不気味な気配が一切遮断される。

 「行こう、レイナ」
 「はい加賀さん」

女、加賀楓の後を異獣、レイナが付いて歩いていく。
血生臭い世界を背負い、加賀は静かに前を見つめている。





 ――― もし時間が開いたらお店に遊びに来てよ
 コーヒーが飲めないなら紅茶もお茶もあるし
 美味しいフレンチトーストでもてなしてあげるよ
 待ってるね ずっとずっと待ってるから
 君のお友達も連れておいでね かえでぃー

736名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:50:19
>>725-735
『朱の誓約、黄金の畔』

とりあえず冒頭部分のみを書かせて頂きました。
本編の開始は今しばらくお待ちください。

【注意事項】
長いです。残虐な描写を含みます。
あくまでも13期2人の成長録です。リゾナンターと特定名の無い人達が出ます。
それでも良いよという方はお付き合いください。

737名無しリゾナント:2017/01/02(月) 02:54:24
この掲示板に気付いた方がいらっしゃいましたら
いつでも構わないのでスレに投下してもらえたら有難いです。
自分のPCでは途中で上げられなくなる可能性がある量になってしまったので…。
今後は少なめにして投下する予定なので今回のみよろしくお願い致します…。

738名無しリゾナント:2017/01/03(火) 09:02:59
久しぶりの転載行ってきます!

739名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:10:03
依頼のあった第六区内の住宅街は静まり返っていた。
目の前には古い家がそびえ立ち、昼だというのに暗く見える。
玄関の前に立ち、呼び鈴を鳴らしたが返事は無い。
その代わりに鍵が解除された音が鳴り、自動で扉が少し開かれる。

 「そのまま中へ入ってくれ」

電子合成された声が響く。老いた男の声だった。
彼女、譜久村聖は警戒しつつ、扉を抜けて邸内に足を踏み入れる。
同時に玄関から続く廊下へと、照明が灯っていく。
通路の両脇には黄土色の紙箱が積み上げられており、七段の箱は
まるで壁のように廊下を狭くしていた。
埃が積もっているのを見るに、引っ越しした当初から長い間
放置していたような光景だった。

足下に蜘蛛の巣があって、小さく悲鳴を上げて避けながら廊下を進む。

 「こっちだ」

740名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:10:43
廊下の奥からまたも合成された声が響く。
薄暗い照明の下、紙箱の谷間を通って、譜久村の足は廊下を抜ける。
箱の壁が途切れた地点の左右には、閉められた扉と開け放たれた扉があった。

開け放たれた方の奥には本棚が見えており、革の背表紙が並んでいる。
床には絨毯がなく、脇には扉が設えている。地下室だろうか。
すると徐々に鼻先をかすかな消毒液と汗のすえた臭いが掠める。

戸口を抜けると、部屋が広がる。
天井まで届く本棚が壁を埋め尽くし、膨大な本の山が現れる。
詩集や美術書、戦史や歴史書まで分野は広い。
机の上には見た事のない機械や工作器具。
まるでブリキ店の作業場を想像させる。

 「なるほど、話には聞いていたが可愛らしいお嬢さんだ」

夜景が見えるほど天井近い窓の前にはベッドが設置され、男が横たわっている。
額に刻まれた皺と黄ばんだ白髪、眉の下にある目は閉じられている。
老人の口は透明な樹脂製の呼吸器に覆われており、喉に穴が開けられ
別の呼吸器が取り付けられている。
ベッドの横にある機械に連結していて呼吸を補助していた。

布団から出た細い腕には、いくつもの輸液のための管が繋がれ
傍らの装置に続いている。最先端の管理装置だった。
病人の体調変化を感知したらしく、機械が軽い警告音を発する。

 「気にしないでくれ、いつもの事だから」

741名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:11:20
喉についている発音装置が、老人の声を電子合成する。
老人の眼はいつの間にか開いていたが、瞳孔の焦点が合わない。
同時に機械に付属する回転筒が旋回して薬液を選ぶと、輸液管に流す。
しばらくして病状が安定したのか、警告音が止まった。

年老いて瀕死の病人を包む空間は病院を思い出させる。

 「そこに座ってくれ。立って話を聞くのは辛いだろう」
 「は……はい」

聖は横手にあった椅子の背を掴み、引寄せる。
老人の隣に椅子を置い座り、男の姿を改めて見つめる。
視覚を失い、自律神経も不可能となった姿で静かに横たわる。
薄暗い室内には呼吸音だけが響く。

 「”私が依頼者だ”。経歴や名前は、知らない方がいい。
  言うほどのものではないし、君にとってはただの老人。
  私にとって君はただの機械として利用するに過ぎない存在だ」

老人は奇妙な会話を始めた。
情報屋から極秘で依頼された時に分厚い封筒を預かっていた。
今では悪戯や冗談が混じるような余地が一切見当たらない。
だが、日本紙幣を扱う依頼を聖は断っている。
危険性を十分に把握しているから断るのだ。

742名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:12:02
 「あの、私は今回の依頼を受ける気はありません。
  この封筒を返しにきたんです」
 「……私は、半年前にこの町へ引っ越してきた。
  その時はまだ元気でね、つい二ヶ月前に還暦を迎えた」

聖の話を一切受け入れずに始まった話に、老人を直視する。
細い体。金髪に染めていたであろう白髪。
傘寿は越えていると思わせる顔に目が見開いてしまう。

 「遺伝的にいつか発症すると言われていた病気だ」
 「病気……どんなものなんですか…?」
 「欠乏症に近い。だが人間では成り得ない。
  能力者の中でも五万分の位置の確率で発症される奇病さ」
 「能力者しか発症しない病気という事ですか?」
 「病気というのも正しいかどうか分からないがね。
  何せ症状を生む患部というものが存在しない。
  だが神経の壊死や呼吸器不全、内臓機能不全で死ぬ。
  正式な病名もない事から、この病魔を『異能喰い』と呼ぶものが多い。
  患部がないという時点で、治療法も一切無いのさ」

老人は説明を省くように結末を告白した。
聖はどう聞いて良いのか分からず表情が曇り、無意識に手が口に触れる。

743名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:12:48
 「どうしてそんな事に……原因も分からないんですか?」
 「能力者だから、では納得できないかい?
 …すまない。脅す訳じゃないんだ、そうだな…原因があるとすれば
  能力者の力を失ったから、だろうかね…」
 「そのチカラも聞いてはいけませんか?」
 「聞いたところでどうにもならんよ。もう全てが遅すぎた。
  だが…医療とは不思議なものだな」

老人が毒を含んだ薄笑いを浮かべる。
自らとこの世を笑うかのような表情に聖は痛みを感じ続けている。

 「この病魔を放置して死ねば、自然死で話は簡単だった。
  だが私の家族がそれを許さず、意識不明の私にこの機械たちを
  付けさせてしまった、一度付けてしまったものを外すと、これは
  家族や医師、本人であっても殺人行為とみなされ、罰せられる」

老人の声は、機械じみた冷たい響きを帯びていた。

 「私にはもう自力では何もできない。介護士という他人の手を借りて
  全ての世話をしてもらうしか存在しえなくなってしまった」

男の顔には苦痛が広がる。

 「若い時から能力者としての自分が生きる術を模索し、研究し
  音楽や詩を愛し、学問を身に付け、他人の運命を支配してきた。
  そんな私が、私が下の世話さえも他人に委ねている!
  その介護士に小銭や思い出の宝飾品を奪われても何もできない!」

744名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:13:31
老人の怒りを機械が再現しきれず、電子音声が掠れる。
見えない瞳孔が見開かれ、傍らの機械を見つめた。

 「私はこうなった自分を終わらせたいが、既に動けない」
 「だから私に……あなたのその命を終わらせてほしい、と?」

聖の先取りした確認に、老人が目を上下に動かし肯定した。
もはや首を動かすことも出来ないほど病状は進行していた。
これがあと何年も続くのかと思うと背筋が冷える。

 「それは私に……殺人者になれ、と………」
 「誰にも頼めないんだ、私には既に自死する力が無い。
  この病院に縛り付けた私の家族はもう六年も会いに来ない。
  患者の苦しみを終わらせようと違法行為をするような
  熱血医師が担当でもないならば……あとは他人だけだ」

 リゾナンターの名は聞いている。
 君はそのリーダーを継承した事も。
 ならば私ではなくとも、君は体験した事があるはずだ。
 人を殺す、その経験を。

電子音が響く。

745名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:14:36
 「私が能力者として自覚したのはもう四十年も前だ。
  しかも都内で幼い少女達が活動するほどの腕利きを束ねる
  組織リーダーが人を殺した事がない、など、ありえない」

【異能者】と総称される者達に厳密な法律は存在しない。
だが人間の世界で生活する個人としては当然適応される。
今回の老人の依頼ははっきりとした殺人依頼だ。
本人が望んでいても、これは殺人なのだ。
聖は封筒を握りしめ、結論と共に突き返す。

 「出来ません。私には、出来ません……!
  私は貴方に対して何の思い入れもありませんし
  私は能力者としての自覚はありますが、人間です。
  リゾナンターは人を殺す事を良しとしません。
  先代達が懸命に守ってきた不殺の心を違えはしません!」

席を立ち、封筒をベッドの上に置いて話は終わりだと示して扉へと掛ける。

 「本当にそうなのか?」

老人の声が聖の歩みを止めさせた。

 「この封筒に入った金は偽造口座から動かしたものだ。
  君が怪しまれない限界の金額。そして私が病に伏せる以前から
 調べたリゾナンターと呼ばれる存在への価値を厚さで表している」
 「調べた?どういう事ですか?貴方は一体……」
 「この状況を予期していなかった訳ではない、という事だよ」

746名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:15:21
老人は声だけを痙攣させて、笑っていた。

 「君が四代目リーダーになる前のリゾナンターの経歴は相当だ。
  不殺を教え込んだのはその時の経験から組織を存続させるための
  処世術だったとしても不思議ではないぐらいにね」
 「貴方は私達に何も話さないのに、私達の事はお見通しだと?」
 「情報は与えているだろう、私は、能力者さ」

聖の息が途絶する。

 「え?ちょ、待っ…」

老人の声で、聖の眼は生命維持装置の電源を見る。
スイッチを下に一センチ下げればそれで老人が死ぬ事に悪寒と
恐怖が背筋を一刷毛していく。子供でも可能な殺人だ。

 「何をしてるんですか!?」
 「その封筒にはある仕掛けがあってね、君の触れた手から
  採取した指紋に反応して能力を発動させることが出来る。
  支配系の象りは実にシンプルなのさ」
 「やめてください!」
 「頼む、私を楽にしてくれ。救ってくれ、リゾナンター」
 「何でですか、なんで私達なんですか!?」

精神支配が老人の異能であるならリゾナンターである意味はない。
理由もない、だが老人は求めている。紛れもなく彼女達に救いを、希望を。

747名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:16:11
 「それが君達の存在意義だと知っているからだ」

聖の目が開かれると同時に、一滴の涙が溢れた。
決然と答えた聖の左手は伸びていた。

機械の手前の空間で、指先が揺れていた。
視線を振って、機械を見る。
警告の赤い点滅。知らない間に、電源が落ちていた。
止まったという事は、事実として聖の指が動いた事になる。

 「やだ、そんな…こんな……!」

慌てて聖は電源を入れ直す。
しかし一度途切れた場合、すぐには立ち上がらない仕組みだった。
画面は暗く、声明を維持していた薬液が止まったまま。
聖は反射的に機械を叩きようやく注入が再開されて画面が戻る。

画面の心拍数は急降下の一途を辿っていく事に絶望した。

 「報酬を受け取れ、リゾナンター。それが君達が行った正義の対価だ」
 「違います!」
 「違わない。現に私は救われたのだ。もう何も悔いは、…ない」

老人の息が浅くなっていく。
血圧の急降下で意識が薄れていき、全身が死に近づいていく。

748名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:16:58
 「ああ、これが死か」

老人の声が響く。

 「痛い苦しい。怖い、本当に怖い」

電子合成された声は混乱の極みで、動かない筈の老人の四肢が跳ねる。

 「私はこれ、ほどの、苦し、み、を、与えていた、の、か」

謎の言葉とともに老人の顔には笑みが刻まれた。

 「…………すまない…」

老人の息が大きく吐かれ、そして止まった。
四肢の痙攣が続いたが、それもすぐに止まる。

 「おじいさん!」

ベッドに横たわる男の顔は苦悶の表情のまま硬直する。
難病と老いが重なった顔。口に手を掲げても呼吸の気配はない。
蘇生処置をしようにも原因不明の病魔に施す術を聖は持っていない。

749名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:17:41
口が震え、添えた指を噛む。うっ血したがそれどころではない。
この状況下において気を休める事は出来ない。
この家に来るまでに通りに人が居ない事を思い出し、用心して
この部屋の物には一切指紋を残してはいない。

だがハッとして、老人の胸に置かれた封筒を見下ろす。
そして機械のスイッチにも目を通す。
絨毯に落ちてしまった髪を拾う時間は惜しい。
触れた事実がない事に自信を無くしている、焦りが募る。

深呼吸をするが手が震え、グッと爪を立てて拳を作る。
廊下に出ると七段の箱の一つに開き入っていた手袋を拝借。
掃除機が無造作に置かれていた為、起動。
簡単に床を掃除すると、ゴミは袋に入れて持ち帰る事にする。

手袋で機械の指紋を拭き取り、そのまま封筒を掴み上げて
一緒に袋の中へと放り込む。酷く重く感じた。
機械が停止した事で連動した通信により連絡が入っている筈だ。
聖は扉に向かい、家を出た。

足跡から追跡される可能性もある為、単語帳を使用する。
川縁に寄って靴を封筒の入った袋と共に紙片の付属能力【発火】で燃焼。
予備の靴がないため、裸足で場所を移る。
小石で傷ついた跡から血が滲んだ。後味の悪さに吐きそうになる。

携帯端末を取り出し、急ぎ早に電話帳を開いて応答を待つ。
すぐに繋がった事への安心感に、一気に脱力感が増した。

750名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:19:20
 「えりぽん、えりぽん、ごめん。ちょっと、迎えに来てくれないかな。
  あと誰かもう一人……はるなんを……っ、ごめん、大丈夫。
  ごめん、ごめん、ごめんなさい…っ」

焦げた匂いが取れない。携帯端末が滑り落ちる。
その匂いを近い過去に嗅いだ事がある。


悲劇の百合の結末。それを語れる者は数少ない。
灰となった白黒の世界の中で静かに咲いていたのは枯れた花々達。
焼かれて消えた命の幾星霜。終止符を打ってしまったのは。
否定できなかった自分の胸を切り刻みたい。

絞めつけられた痛みを取り除く術を知らず、聖は俯きむせび泣いた。

751名無しリゾナント:2017/01/06(金) 05:25:18
>>739-750
『朱の誓約、黄金の畔 -ardent tears-』

変に小分けしてしまったのでレスが増えてしまった事をお詫びします…。
タイトルにサブタイトルを付けてみる試みを始めました。

752名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:31:31
夏の暑さに何度も夢を見る。
青い月明かりすら届かない夜の森は、深い海の底のようだった。
雨の止んだ後のような湿気る匂い。

リゾナンターはこれまでの再会の中でこれほどの残酷なものを知らない。

 「まーちゃんが連れて行った!?」
 「誰も見なかったの?小田も?くどぅーも?」
 「ごめんなさい……私が部屋に入った時にはとっくに…」
 「ベッドも冷たかったから多分随分前に出て行っちゃったんじゃないかって」
 「どうしよう譜久村さん、これかなりヤバイんじゃない?」
 「まーちゃんが行きたい場所なんてたくさんあり過ぎるし…」
 「とにかくここに居ても仕方がないよ、とりあえず情報屋さんに電話するね」
 「佐藤さん、大丈夫かな…」
 「大丈夫だよ、あの子はしぶといし根性あるから」

誰もが心配していたが、信じていた。
彼女が無事帰ってくる事を。だが、それだけでは何の進展もない事に気付いている。
無情にも時間は過ぎていく事に歯痒さを覚えた。

カランコロン。
店内に響く音に反射的に振り返る。
『close』と書かれたプレートを掛けた筈なので常連客の入店は有り得ない。
宅配は裏口から対応を求めるようにお願いしている。
初めての入店で勝手が分からない一見さん。その判断で声を掛けた。

 「すみません、今日は臨時休業で……」

聖の代わりに飯窪春菜が対応しようとすると、言葉が詰まる。
それに気づいた石田、工藤、小田と視線を向けていく。

753名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:32:10
 「か、かえでぃー?」

言葉にしたのは牧野真莉愛だった。
扉から顔を出したのは彼女が一番見知ったもので
何故ここに居るのか本物なのか頭が理解するのに十秒かかった。

 「かえでぃー!どうしてここに!?」
 「久しぶりだねまりあ」
 「え、ええ?本当に?本当に?本物?」
 「本物だよ、もう顔すら忘れちゃった?」
 「そんな事ないよ!忘れてないよまりあは!」

興奮して矢継ぎ早に喋り出す真莉愛に冷静に対処し、女は視線を先に向けた。

 「お久しぶりです。加賀楓です」
 「どうして君がここに?あの事件で家に帰った筈じゃ…」
 「…正直私にも今どんな状況に追い込まれてるのか分からないんです。
  でも私がここに来た理由は、あります。夢を見るんです」
 「夢?」
 「はい、皆さんと、そして鞘師さんの夢を」

喉を鳴らす音がどこからか響く。
二年前に真莉愛を含む六人の異能者の実験被験体となった少女達を
救出した『トレイニー計画』の一人。
半年後に同じく計画の被験体だった羽賀朱音を救出した事も記憶に
新しいが、二人を引き取ったのは”血縁者不明”が一番の理由だった。

楓の場合は身内の人間が見つかった事で預けたのだが、その彼女が
再びこの店に現れた事とその言動に周囲の空気は鋭さを増していく。

754名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:33:15
 「なんだか、穏やかな再会って訳じゃないみたいだね」
 「加賀、ちゃん、君が見る夢ってどんなの?」
 「……鞘師さんが、”人を殺す夢”」

楓の強い言葉に張り詰める。
電話を終えた聖が戻ろうとして足を止めた。
目の前に居たのは自身が見た夢の中に居た少女の一人だったからだ。

 「鞘師さんはどこに?」
 「鞘師さんは……居なくなっちゃったの。もう、ここには居ないよ」

真莉愛の言葉に明らかに悲しさを帯びる表情を浮かべた。
だが吹っ切るように顔を上げる。

 「何があったか話してくれませんか?
 どうにも私には、自分が無関係だとは思えないんです」
 「巻き込まれる事になるんだよ?せっかく普通の生活に
  戻れたのにまた……もしかしたらもう二度とも戻れないかもしれない」

石田亜祐美の言葉に、楓はひたすら前を向いていた。

 「……この二年間、私に平穏な時間なんてありませんでした」
 「え?」
 「能力者にとってどんな状況でも状態でも、平穏なんて有り得ない。
  私を引き取ってくれた人達ですら未だに私を受け入れてませんしね」

陰りを見せる表情に同情したのも事実だった。
追い込まれてしまった異能者が集う、リゾナンターの根底にも確かにある現実。
追い返すように帰路を促したところで、彼女の不安は拭えない。

755名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:34:17
 「分かった。話すよ」
 「譜久村さん」
 「でも聞いたらもう、引き返せないよ」
 「覚悟の上です」

楓の目に、聖は口を開く。闇の中を彼女は静かに見つめていた。
何の憂いも見せない、冷淡な無表情のままに。

再会する事は喜びを招く事もあるが、悲しみを招く事もある。
鞘師里保が殺戮を犯した、などという虚言を信じる者は居ない。
居ないと思っていた。

信じる者が居れば信じない者も居るのは当然の事で、そういった者は
大抵の確率で敵となって立ち塞がってくる。
取るに足らない存在であれば力でねじ伏せる事も出来るのだろうが
それが自分にとって無関係でなければ、これほど厄介なものはない。



 半年前、現在封鎖されている都内第三区。


路上で、店の前で、社内で、窓の向こうで。
無表情な殺戮者達の、静かな虐殺が行われた。
青白い顔と肌の人間達が蠢き、区民に牙を爪を立てていく。

眉一つ動かさずに、数人が男の腹部に爪を立てる。
指先が腎臓を引き出し、腸詰のような小腸が夜気に湯気を立てた。
一人が女の上顎に手をかけ、もう一人が下顎に手をかけて
剛力で引き裂いていく。見知った顔だとは思いたくない。

756名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:34:56
リゾナンターの面々が口を開けたまま硬直している。
一歩を踏み出したのは耐え切れなかった工藤遥と石田亜祐美。

 「リイイイイイオオオオオオオオン」
 「ウオオオオオオオオオオオオォォン」

もはや慟哭の叫びで亜祐美が『幻想の獣』を発動。
同時に遥が『変身』を発動し、体毛が全身を覆い隠し牙をむく。
切断された人間の上半身と下半身がそれぞれ別方向に千切れ飛ぶ。

だが上半身だけは動きを止めない。
自らの下半身を捜すように手で地を這う。
両断された他の個体も上半身だけで動いていた。
青白い人間達の正体が分かると吐き気に苛まれる。

 「あの時と同じだ。田中さんの事件、『ステーシー事件』と…!」

春菜がパニックに陥り戦意を消失するのを鈴木香音が支える。
その言葉の真意に小田さくらは最悪の事態を予期した。

 「まるでゾンビみたいに増え続けてます。鈴木さんこれって」
 「ゾンビリバーだよ小田ちゃん。まさかあの悪夢がまた
  再来したのかと思うと私も意識失いたくなるよ…」

香音は諦めを帯びながら、それでも歯を食いしばって光景を見つめる。
『死霊魔術』によって死にたての死体を操作したあの事件でその
犯人は既に死亡している。死体も確認した。

757名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:35:41
だが今、その光景が広がっている。
『死霊魔術』が途絶えたならば『精神支配』を疑うべきなのだろう。

だが、その死体を誰が生成したのか。

 「終わらせてあげよう。私達があの人達の終わりになってあげよう」

意志が宿らない魯鈍な目が一斉にリゾナンターへ向けられる。
感情を持たない冷血動物、魚類の目。
その中に唯一つだけ、意志を持つ瞳があった。
血のように燃えるような圧力を込めた両眼。

 「里保ちゃん、私達は信じてるから。どうして里保ちゃんが
  そこに立っているのか理由を聞きたいけど、信じてるよ」

異能が吹き荒れる。死者はそれでも前進してきた。
圧倒的な数を抑えきれない。上半身、もしくは右や左半身となっても
死者は死に生きていた。

 「里保―!!!!」

生田衣梨奈が叫んだ。
死体を生成したのが里保ならば、黒幕は誰なのか。
何故彼女は何も話さないのか。気に喰わなかった。

『精神崩壊』を込めた拳を『水限定念動力』で構築された刃の表面に激突。
振動に耐え切れずに刃が水へ戻るが、突進は終わらない。
敵の狙いは里保か、リゾナンターか。
顎を掠める拳に横顔からギロリと視線を向ける。
左手に構築された水の刃が衣梨奈の横腹を食い破った。
追撃は、ない。
力を振り絞って首根っこを掴み、衣梨奈は里保の額に頭突きを喰らわす。

758名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:36:20
 「泣くと?里保。こんな事しでかして泣くと?ズルいやろそんなん」

衣梨奈を貫いた水の刃ごと引き剥がし、地面に叩きつける。
逃走を開始する鞘師の背中に遥と亜祐美が追うが動けない。
『精神支配』の黒幕が近くに居るのが分かっているのに何も出来ない。

 「鞘師さん、さやしさーん!!」

遥の叫びが響く。いつの間にか辺りは静寂に包まれていた。
さくらと共に野中美希が、尾形春水が死者の目を閉じさせる。

息の途絶えた女の子、男の子、赤子を撫でていく手にはもう
誰ものか分からない血液が何度も刷り込まれていく。
瞼の無い眼がこちらを見ている、心を貫く。
何度も、何度も、その度に涙の斑点が彼女達に降り注がれる。

死んでも生きてしまった彼らを認めるしかない。
道重さゆみの代から守ってきた不殺の掟を、ついに破ってしまった事を。

 「死んだ人達は物語のための障害物じゃないの。
  生きて笑って泣いていた人間、それを忘れないであげて」

例え誰かの人生を狂わせてしまったとしても、最終ラインだけは
その人が決めるものだと、その為の掟だと。
だがそれさえも奪ってしまう事があるならば獣になるしかない。

本当の獣に。バケモノになるしかない。

759名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:36:58
第三区の虐殺事件による犠牲者は四十二名。
ダークネスによる日本壊滅から新暦の中で史上最悪の事件となった。

 「香音ちゃんの潔い所は嫌いじゃないけん。
  里保があんなにいい加減なヤツとは思わんかったとよ」
 「…えりぽんはあれが本当に里保ちゃんだと思ってる?」
 「聖はそう思ってやったらええやん。えりは本人が何か
  言わん限りは何も言えん。だからいつか絶対言わせる。
  それが、全力で潰すことになっても」

香音との別れに落ち込む暇はなかった。
むしろそれを希望として「笑顔の連鎖」を絶やさない様に務めた。
リゾナンターである為の、人間としてある為の。
それが香音の願いでもあったのを誰もが覚えている。

  ―――おまえは夥しい夢の体を血で染めて
月明かりと星屑にただ手を掲げては涙を流すのでしょう
  花の庭は無為も無常も消え去り、赤眼の御使いは
  獰猛さを競う事を忘れて永遠の繭へと眠るでしょう



酷く暑い日だった。夢の中で何度も、何度も揺れ起こされる。
何処かも分からない、名前も知らない夢中の光景には
リゾナンターの面々と見知らぬ少年少女が集っていた。

760名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:38:25
 「まーちゃんは頑張り屋さんなんだよ。
  田中さんの時も道重さんの時もあの子は頑張ろうとしてた。
  今回もきっとそう、頑張りたかったんだと思う」
 「私の中で泣いてるんです。お姉さま、お姉さまって。
  まるで妹が泣いてるみたいで胸が疼くんです。
  ……まるで、本当に助けを求めてるかのようで、リアルだった」

楓の夢と聖の夢は差異はあるが、存在する世界は同じだった。
佐藤優樹が失踪した理由にももしかしたら、と思うぐらいに。

 「でももうあれが夢だとは思えないね……。
  そろいもそろってあの夢を見てるなんて思わなかったから」

譜久村聖、生田衣梨奈、飯窪春菜、石田亜佑美。
工藤遥、小田さくら、尾形春水、野中美希、牧野真莉愛、羽賀朱音。
そして加賀楓。きっと佐藤優樹も。

全員が其処に居たのも偶然ではない。
全員が夢を見ていたから、其処に居たのだ。

 「何か気付いた事はあった?」
 「……ハル、分かったかもしれません、まーちゃんが居る場所」
 「え、ホントに?」
 「でも自信はないよ、もしかしたらって思うだけ」
 「どんな事でもいいから言ってみなさいよ」
 「…まーちゃんがあの子を見つけた場所」

 鞘師さんを ”リリー”を見つけたあの庭園に似ている
 だってあの人を最初に見つけたのは まーちゃんだから

761名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:38:57
―――第三区には黒い歴史がある。
あの場所にはダークネスの本拠地があった所という事実。
区民は全て、組織に関わってきた者を血縁に持っていた。

その建造物は、湖から建物の群れが生えているようだった。
周囲から通された高架道路が橋の代わりになっている。
入り口には塔が無残に倒壊していた。

横倒しになった巨大な筒の内部には、赤錆を浮かべた機械が覗く。
おそらくかつてはこの塔から大規模な光学迷彩が発生し、塔の
存在を隠していたのだろう。

誰が作ったかは分からない。
拠点があった事実もあり、ダークネスの遺物として考える者も少なくはない。
立ち並ぶビルは炎に舐められたような焦げ跡が目立つ。
ほぼ全ての窓ガラスが割れ、内部の幾百幾千もの闇を晒していた。

崖に隣接したビルの屋上に滝が落ち込んでいて、道路へと小さな
支流を散らしていた。
アスファルトには点々と穴が穿たれ、雑草が伸びている。
路上には黒い骨格だけになった車が点々と打ち捨てられていた。
こういう雰囲気の施設をどこかで見た事がある。

 「ちぇるが居た養成所もこんな感じだったね」
 「……そうですね」

762名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:39:51
さくらの言葉に美希が無表情になる。虚ろになる目。
頭を優しく撫でる事で彼女が静かに微笑んだ。
清潔な墓地にも似た雰囲気が辺りを包んでいる。

 「思えばどうして佐藤さんはこんな所に来たんでしょう。
  こんなに寂しい場所を好き好んできたとは思えないんですが」
 「……何かあったんだよ。そうじゃないとあの子の説明もつかない」

 鞘師さんによく似た、鞘師さんじゃないあの子が居る理由

枯れた木々と雑草に覆われ、荒廃した庭園の敷地内。
聖の瞳は灰色の建物を真っ直ぐに凝視していた。
元は白塗りの塔だったが、火事の煤で汚れ、塗料が剥落していた。

塔の一角に、研究所とも病院とも取れるような不愛想な建造物があった。

 「入ってみよう」

玄関の大扉が大きく歪み、錠前も全て壊されていた。
膂力のみで扉を押し開き、隙間から入っていく。
床には乱雑に器具や書類が散乱し、全てが焼け焦げていた。
当時の猛火の幻臭すら漂ってきそうだ。

763名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:40:21
炎の跡も生々しい廊下を抜けていくと、壁の片側の一面に
ガラス窓があった。弾痕が残る窓以外は全て割れている。
暗闇の中に拘束具のついた手術台が設置されていた。

 「お化け屋敷だねホントに」
 「気持ち悪い……」
 「無理な子は外で待ってて。くどぅー顔色悪いよ」
 「出てこないお化け屋敷なら大丈夫です…」

廊下を進むと、いくつもの扉が破壊され、大穴が穿たれている
壁まである中で、終点の扉は四方から閉じられる隔壁という厳重さだった。

 「譜久村さん、まーちゃんの声が聞こえる」

遥の言葉に、その場に居る全員が固唾を飲んだ。
彼女の意志に押されるように、亜祐美の『幻想の獣』が発動する。

 「バアアアアルク!!!!」

板金鎧型の巨人がその膂力によって扉の表面に一撃を喰らわす。
緋色の火花が疾走し、向こう側の闇へと落下する重々しい音が鳴り響いた。
闇に沈んだ実験室は広大だった。
室内には生臭さと埃が充満している。

 「私、ここ、知ってる」
 「私も、知ってる気がする」

さくらと亜祐美の言葉が響く。
そこは絶対入ってはいけないと言われていた、ような気がする。

764名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:40:57
 不思議だ。建物に入ってからというもの、記憶が曖昧になるのだ。
 まるで夢に意識が喰われたように。

花の香りがした。
僅かに混じる血の匂いに、光明が静かに灯る方向へと視線を向ける。

 「まーちゃん!!!!!!!!!!!」

遥の絶叫。続いて春菜、亜祐美が駆け寄る。
刃を振り上げる佐藤優樹が何をしようとしているかは明らかだった。
血だまりの中に沈む”リリー”は泣いていた。
溢れだす血液的にも数十か所にも及ぶ傷口は全て致命傷。
即死にならないのが不思議なぐらい夥しい血液が床を濡らす。

それなのにリリーは泣いている。人間の様に泣いている。
鞘師里保の顔を持ったリリーが泣いている。
死にきれずに泣いているのか、痛みで泣いているのかは分からない。

ただ一つの真実として、リリーは死ねない。
優樹は虚ろな目で静かにリリーを殺すために刃を振り抜く。
人形のように、頬に飛び散る血が涙となって溢れて落ちた。
彼女が意識を失うまで何度も、何度も。

―――死者を操るものが死者であってはならない、という法則は無い。
蘇生するチカラはいくらでも存在する。
居なくなった人間を捜すチカラはいくらでも存在する。

765名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:41:40
けれど。それでも。
人間は手に入れたいものを必ず手に入れるチカラを持っていない。
幸せの大団円なんてものを期待していた訳じゃない。
ただ少しでも希望を、救いを残すことが出来たならそれで良かった。

それでもやはり、現実は、世界は、許さなかった。彼女を。

 「丹念に、入念に、肉体的に、精神的に外傷を作れば作るほど。
  その傷は膿となってその人間に悪害を及ぼす。
  リリーの心は、魂は限界の限界を超えてしまった。
  『精神支配』を実験で無理やり開花されてしまった事と
  支配する範囲、数の生成によって精神を崩壊させてしまった。
  どんな手当をしても、どんなチカラをもってしても彼女は救えない。
  もう彼女にはここに居る理由さえもなくなってしまったんだ」

佐藤優樹とリリーの間で何があったのか誰にも分からない。
衰弱するリリーに部屋に閉じこもってしまった優樹に尋問する事すら
出来るほど残酷にもなれなかった。
真相は闇に消え、進むべき道も失ってしまった。

 「どうして僕が黒幕だと?」
 「人が心を直すために必要なのは、療養。
  譜久村さん達とも面識があったみたいですね、通院記録もありました。
  睡眠不足に過度なストレスによる疲労。
  どんな薬を処方してたのか分からないぐらいめちゃくちゃな調合を
  してたみたいじゃないですか。例えば、血液、とか」

白衣の男の首には彼の名前と心理療法士の資格を示すネームホルダーが下がっている。
どこにも特徴のない平坦な顔。凡庸な雰囲気の男だった。

766名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:45:48
 「血液とは魂の通貨。意志の銀盤。血を吸う事、血を与える事というのは
  意識や記憶を共有するのと同じ事とは考えられないだろうか。
  支配とは恋愛感情に近い。愛に満ちた世界は理想郷だろう?」
 「だから子達の記憶を使って実験したと?」
 「シナリオはずっと前から存在してたものを利用したんだ。
  僕はダークネスの研究室にも出入りしていた事もあってね。
  永遠を探求するのは人間の本能だ。物語に縋っていると思われても
  仕方がないのかもしれない、臆病者の汚名も喜んで受けよう」
 「そんなもののために何人も殺したっていうの?」
 「ただの永遠じゃない、永遠の愛の夢だ。これしか人間が救える道はないんだ。
  皆で同じ夢を見れば、同じ道を共有できれば。
  それでこそ真の平和を得られるだろうと僕は信じている」

リリーが亡くなった後、裏ルートである異能者専門の闇医者に
死体解剖を要求した。結果、彼女は鞘師里保ではなかった。
異能力自体が矛盾していた事と、その存在の身体的調査をすると
人間の肉体とは到底有り得ない、”植物”の細胞が検出された。
人工皮膚を覆った植物人間。

その事実を含めた心理治療を優樹に後日行った。
優樹は静かに謝罪の言葉を口にしただけで、真実は硬く閉ざしたままだった。

 「まさかリゾナンターに二度も阻まれるとは思ってなかったけどね」
 「もう一つ、何であの女の子を鞘師さんに似せた?」
 「鞘師…?ああ、あの小娘か。
 “別の僕”だった研究員が不老不死まであと一歩の所で食い止められた。
 その時手に入れた血液で作ったのさ、失敗作もあったがね。
 丈夫な上にチカラの発現率も申し分ない。
 リリーは惜しかったが、あれが衰弱する様はとても爽快だったし良しとしよう。
 あれぐらいで計画を邪魔させたと思ってるなんて馬鹿なヤツだよ。
 一人を片付けた所で”僕”の代えはいくらでも居る。この僕のようにね。
 死ねば精神はまた別の”僕”へ移される、研究は無事に継続される。
 ははは、真実の永遠の愛を手に入れる日は近いぞ」
 「もういい、もう、お前は喋るな」

767名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:46:50
永遠の楽園は予定調和の牢獄に過ぎない。
自身が作った人格と物語は予想を越えず、自尊心の充足も肉の快楽も
どこまでも設定した通りものでしか成り得ない。
『LILIUM計画』と銘打った紙の上にしか存在し得ない。
妄想はどこまでも妄想であり、人間は人間でしかない。
異能者が異能者でしかない様に。

 「何故だ、何故殺さない」
 「本当の永遠が欲しいならくれてやろうと思ってね。
  ただし、殺人者は牢獄に、それが人間の法だもの」
 「お前は一体…!ひぁ」
 「永遠の孤独の中で泣き叫ぶ事がどんなものか思い知ればいい」

【扉】が口を開ける。
背後に現れた闇から伸びた物体が、白衣の男の顎を掴む。
それは、青白い肌をした人間の五指だった。
男が悲鳴を上げようとすると、背後の闇から次々と青白い腕が伸びて
肩や腕など上半身の各所を掴み、そして一気に引きずり込んでいった。

 「ぎゅあああああああああああああああああ」

闇から迸る黒々とした血液が浮遊して、再び【扉】に吸い込まれる。
無間地獄が咀嚼し、嚥下する音が聞こえ、また悲鳴。
甘い匂いを掻き消すような強い血臭が包み、【扉】は鎖で閉ざされた。
背後から静かに佇むバケモノは、その拷問を微笑んで見守っていた。

 「七つの地獄の苦しみを合計したものの千倍の苦しみを味わる無間地獄。
  お前のチカラはいらない。千年の孤独を、絶望を噛みしめろ」

768名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:47:37
楓と再会の約束を交わして一年が経った。
長いはずの月日をこれほど短く感じた事がないぐらいにあっという間の一年。
自身が成長したのか劣化したのか、その変化すらも分からないぐらいに。

時間が重い足を進ませ、リゾナンターは今も日々を戦い、生きている。

 「じゃあえりぽん、お店任せたからね」
 「はいはーい。って言っても聖だけでホントに大丈夫と?」
 「大丈夫。これ返すだけだから」
 「その大金払うぐらいの依頼ってめちゃ危ない感じせん?」
 「何かあったらちゃんと連絡する。情報屋さんにもこれから
  こういう仕事は受けないってちゃんと釘刺さなきゃだよホントにもう」
 「ま、気を付けて」
 「うん、行ってきます」

たとえ恨んで憎んで、心臓を刺し貫いたとしても。
毎夜の悪夢に亡霊となって出てきてくれても構わない。
そこでなら永遠の痛みと共に愛し、再会する事が出来るだろう。

 逃れようのない輪廻の運命の中で。

769名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:55:00
>>752-768
『朱の誓約、黄金の畔 -bloodstained cocoon-』

調べると加賀さんも鞘師さんに憧れてオーディションを受けた子なんですね。
影響力の高さを感じます。

よく分からない所はいつか行われるチャットなどで聞いてください。お答えします。

770名無しリゾナント:2017/01/13(金) 03:56:33
毎度毎度すみませんスミマセンスミマセンorz
レス量は十分考えてるはずなんですがどうしても長くなります、ので
小分けでもなんでもしてくださって結構なのでよろしくお願いしますorz

771名無しリゾナント:2017/01/13(金) 04:09:16
訂正
>>766
 「血液とは魂の通貨。意志の銀盤。血を吸う事、血を与える事というのは
  意識や記憶を共有するのと同じ事とは考えられないだろうか。
  支配とは恋愛感情に近い。愛に満ちた世界は理想郷だろう?」
 「だから適応した子達の記憶を使って実験したと?」

です。修正したのを削除してそのままだったのを忘れていました…。

772名無しリゾナント:2017/01/13(金) 17:49:49
最初に出会った時。
彼女は、希望と向上心に溢れた目つきをしていた。
こちらに挑み、そして敗れた時も。
悔しさ、自らの不甲斐なさを責める気持ちはあれど。
それでも、澄んだ目をしていた。目の輝きは、失われていなかった。

だからこそ、里保は思う。

何故今自分が対峙している彼女の瞳の光は、失われてしまったのだと。

773名無しリゾナント:2017/01/13(金) 17:51:31
無言のまま、少女が刀を構え、そして里保に襲い掛かる。
鋭い踏み込み、振り下ろされる刃。
禍々しい黒い斬撃を、里保は生み出した水の刀で受け止める。

「まだ…私のことを認めてはくれないんですね…」

虚ろな瞳のまま、少女は里保に問う。
腰に据えた刀を、あの時里保は抜かなかった。あくまでも水の刀で彼女の剣に応じ、そして捻じ伏せた。
少女の太刀筋は若く、そして拙かった。真の刀を抜いてしまっては、少女を傷つけてしまう。
伸び白のある少女の未来を慮ってのことだった。

少女は里保によって遮られた刃をひねるように回し、さらに斬り込もうとする。
その瞬間。彼女の刀と同じように黒く、そして昏い風が生みだされる。

…まずい!!

里保は咄嗟に、生成した水のヴェールを正面に張った。
巻き起こされた三つの風の爪が、しなやかな防御壁に深く食い込む。

「…それを防ぎますか」

少女は、里保との距離を大きく取る。
「仕掛ける」つもりか。里保は少女の行動に最新の注意を払い、警戒態勢に入った。

774名無しリゾナント:2017/01/13(金) 17:52:46
先に少女と手合わせをした時に、里保は少女の能力の特性を掴んでいた。
加賀流剣術、と少女は自らの流派を名乗っていた。聞いたことのない流派ではあるが、少女の真摯な太刀筋から、古くから
細々と伝わる伝統のある剣術と踏んでいた。

さらに言えば、その確かな腕前を支える異能。
少女は、自らの剣術に風の刃を交えることで自らの手数を増やしていた。
言うなれば、三つの風を合わせた「四刀流」。
だが、自らの剣術と異能を完全に統合できてはいなかった。一瞬の隙を突き、里保は少女に勝利した。そして。

― もっと強くなって、また来なよ。うちは、いつでもここにいる ―

激励の、つもりだった。
けれど、少女はそうは受け取らなかった。頬を紅潮させ、今にも泣きそうな顔で里保のことを睨み付けた。
それでもいい、里保は思った。悔しさや怒りは、時として自らを大きく伸ばすことができる。
そう信じて、少女の背中を見送った。

だが。少女が里保の前に再び姿を現した時には。
最初に会った時とは似ても似つかぬ修羅と化していた。
身に漂う気は黒く揺らめき、絶えず血を求めているかのように見える。
少女の瞳には、里保の姿は映っていなかった。ただ、目の前の人間を斬ることだけに捉われた、剣鬼。

775名無しリゾナント:2017/01/13(金) 17:53:59
少女が、刀を下段に持ち直す。
来るか。里保はペットボトルの水を撒き、そこから新たにもう一振りの刀を手に取った。

「…加賀流参之型『千刃走(せんにんそう)』」

そう呟いた少女の姿が、掻き消える。
いや、そうではない。少女は、目にも止まらぬ速さで一気に里保との距離を詰めていた。
そして、その走りは無数の凶暴な風とともに。
千の刃が走るとはよく言ったもの。一斉にこちらに向かってくる斬撃、水の防御壁ではあっと言う間に内側ごと切り裂かれ
てしまうだろう。

防御よりも回避。
里保は造り出した水の珠を足場に、天高く舞い上がる。
頭上を取り、制圧する。
上昇から下降に移行した里保が見たものは。

「甘いですね…」

攻撃対象を見失いそのまま突っ込むかに見えた少女はこれを見越したかのように里保の眼下で立ち止まり、構えていた。
左手を前に突き出し、弓を引き絞るかのように刀を後ろに引いた姿で。

「加賀流陸之型…『死螺逝(しらゆき)』」

ぎりぎりまで溜められた力が、一気に開放される。
捻りを加えた刀の一突きは、風を纏い螺旋の流れと化して、一気に上空の里保に襲い掛かった。

776名無しリゾナント:2017/01/13(金) 17:54:51
「ぐあああっ!!!!」

予想だにしない飛び道具、里保は荒ぶる風に巻き込まれ、全身を切り裂かれて墜落する。
通常であれば、再起不能の大怪我。それでも少女は戦闘態勢を解こうとはしない。

「まさか…この程度で、終わりませんよね?」

少女の言葉通り、里保は立ち上がった。
瞬時に纏った水の鎧によって被害は最小限に食い止められたものの、着衣は所々が切り裂かれ、浅い切り傷からはうっすら
と血が滲んでいた。

「その力は…間違った力だよ」

里保は、はっきりとそう言う。
確かに以前の少女とは段違いの強さだ。それは刃を交えても実感できた。
それでも。

手にした黒い刀を振るたびに、刀に生気を奪われてゆく。
少女の顔色は、病人であるかのように青白かった。
今の力が、その禍々しい刀によって与えられているのかもしれない。

「力に…正しいも間違いもないですよ…私は…鞘師さんを、斃します。ただ…それだけ…」
「そんなこと、ない」

777名無しリゾナント:2017/01/13(金) 17:55:34
あの時、あの人に言われた言葉。
里保はかつて自分を優しく見守ってくれた人物のことを思い出す。

― 鞘師はそんなこと、しない ―

そう言ってくれたあの人は、自分を緋色の魔王の手から救い出してくれた。
今度は、自分が目の前の少女に救いの手を差し伸べる番だ。

「力を、正しく使うこと。教えてあげるよ、加賀ちゃん」

すう、と息を吸い込み。
腰の刀を抜き、構える。
一瞬で決める。この子の、明日のためにも。
向けられた刃は、強固な意志と共に。

778名無しリゾナント:2017/01/13(金) 17:57:45
772-777
「剣の道」後半に続きます

加賀ちゃんの技ですが
千刃走→仙人草(クレマチスの和名)
死螺逝→白雪姫(クレマチスの品種)
が元ネタとなっております

779名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:04:33
脳は辛い記憶を忘却する機能がある。
苦痛を伴う記憶は薄れやすく、楽しい記憶は残りやすい。
大きな精神の傷は、揺り戻しで蘇る事もあるが、さらに限界以上の
過負荷がかかるような、あまりに辛い記憶は遮断してしまう。

 つまり、記憶をなかった事にする。

その上に自己に都合のいい記憶の物語が再構成されていき
精神の安定を保つ。

 「何も難しい事じゃないのよ。例えば今この店で流れてる音楽。
  これをアンタの脳に送るだけでも記憶の上書きになる。
  特にその人にとってとても印象強い曲をだよ。
  だから無理にもみ消すんじゃなく、代用する、が正しいわね」

喫茶『リゾナント』では音楽が流れている。
今日は繊細で力強い歌声より、切なくほろ苦い曲を聞きたい気分な為
店内には「Cold Wind and Lonely Love」が流れている。

先程までテレビが映っていたが、いつもの様に都内や世界の事件。
事故や災害や犯罪の報道ばかりで気分が落ち込む。
さらには芸能のことが続き、どこかの芸能人に恋人が発覚したり
離婚したりと忙しなくて仕方がない。

 「共鳴は強く結びつきを与える。それを信頼と呼んだり
  関係と呼んだりするけれど、作用するのは記憶ね。
  繋がりを得ようとする共鳴にとって脳は特別な器、記憶は雫。
  私達も何度も話し合ったけど、その度に反発したもんだしね」

780名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:05:31
新垣里沙が懐かしむように微笑んで、紅茶を飲んだ。
対峙する飯窪春菜も同じく紅茶を啜り、喉を潤す。

 「新垣さんは辛かったですか?」
 「…それはどっちの意味で?」
 「共鳴の結びつきを重く感じた事があるのかなって」
 「そりゃそうでしょ」

里沙がさも当然の様に肯定する。

 「下が高校生、上はまだ子供っぽさの残る大人。カメと私がちょうどその
  真ん中に居たわけだけど、ほんっとに苦労したからね。
  喧嘩はするし騒ぎ倒すし敵には容赦ないしで処理する身にもなれよってね」
 「…お察しします」
 「まあそんな状態でもさ、最初の頃は良かったのよ。
  まだ皆同じ道を目指して頑張ろうって気持ちにもなってたし。
  でも徐々に変わるものよ、ココロってやつわね」

リゾナンターが集束すればするほど、その集団にとって組織力が働いて
ダークネスを含めさまざまな敵と遭遇する事が増えていく
光井愛佳や久住小春が成長するにつれて自分という存在を考えるようになり
ジュンジュンやリンリンは自分の使命に向き合うようになり
亀井絵里や道重さゆみ、田中れいなはリゾナンターに対する思いを強めていき
高橋愛と里沙はそれぞれの決着のためにその時を迎えた

「それでも共鳴は結びつきを強める。むしろバラバラになりそうになる度に
 その繋がりを強めていく傾向を見せ始めた、これがどういう事か分かる?」

里沙は紅茶を置き、自身の腕に手を回す。
微かに力を込めたその意図に、春菜は僅かに理解した。

781名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:06:47
「心は同じ。
だけど考えるすれ違いに、いつしか体がいう事をきかなくなった。
心と体が違う方角にズレていく痛みは想像以上だったよ。
どんどん悲しさとか辛さが募ってって、反発心が強くなっていった」

仮想の憧憬に客と商品の関係を当てはめてみる。
彼らが言う「好き」や「愛している」は、一般的に使用される「好き」や
「愛している」と違うなどとでも言うのだろうか。
同性同士が分かち合う家族の愛情にも近い友情が世界の全てな気がした。
それをいつしか確認しなくてはいけなくなったと気付いた、果てしない寂しさ。

 「共鳴は記憶を強要する。思い出や記録が人間同士の一番強い繋がりだからね。
  何度も死にそうになったし、何度も仲間の裏切りにもあった。
  毎日の中で失うものもあったし、得るものもあった。
  誤魔化すことで日々を過ごしてたけど、あの時の私には方法が分からなかった。
  思い出を失ってほしくなかったって、今でも思うよ」

里沙の寂しそうな表情に、春菜も泣きそうになった。
だが堪えるしかない、これもまた共鳴の所為と言い訳にしたくない。
彼女が里沙に依頼するこれからの為にも。

 「白金の夜は、どうしたんですか?」

 ダークネスとの最終決戦。日本が壊滅するまで追い込まれたが
 原因不明の光明によって闇は払われ、世界が辛うじて救われたあの夜。

 「”白金の夜”、ね。誰が言ったんだか知らないけど
  あの日のことは、正直言うと私にも分からない事が多いの」
 「それはどういう…?」
 「さあね。皮肉だと思わない?相手の気持ちを何百と操ってきた人間が
  記憶が曖昧とか言ってるなんて。
  ……でも眩しいぐらいの光の中で、私は確かに生き残ったの」

782名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:07:53
自身の過去への決着をつけるための戦いで両目、両足、両腕を失い。
臓物すら飛び出す瀕死状態で倒れていた者達が次々と生還した。
闇の眷属以外は。

里沙が目が覚めた場所には意識を失った面々がそこら中で倒れていた。
敵や味方関係なく、そこが日本だという認識を一瞬忘れるぐらい枯れ果てた光景で。

 「分からないままに私達は生き残ったお店に帰って来て、なんだかんだあって
  それぞれの道を進むことを皆で決めた。全員で納得して、私は出て行った」
 「なんだかんだ、ですか」
 「そ、なんだかんだね。ここは曖昧な記憶っていうより気にしないでほしいかな」

「話したくない」という意味合いを明らかに浮かべた言葉に、春菜は頷く。
過去の事情を掘り返しても現実は変わらない。

 「そんな状況だったから、あの時の私は何もしてないよ。
  多分、生きてた人達は覚えてるんじゃないかな。
  終わりの果てまで忘れてるって、それはそれで寂しいでしょ」
 「そういうものなんですかね」
 「……その場に居た人にしか分からない事もある、覚えておきなね」

最後の最後で見せた里沙の甘さに、春菜は何も言えなかった。
店内の音楽が変わる。「ENDLESS SKY」が静かに流れ始めた。

783名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:09:00
 「大丈夫です新垣さん、私、ちゃんとやれますから」
 「生田やフクちゃんには相談したの?」
 「はい。もしもの時は……生田さんに、と」
 「ったく。あんた達は会うたんびに大人みたいな顔になるんだから。
 あ、飯窪とフクちゃんはもう大人か。じゃあこれね」

里沙が取り出したのは、錠剤入りのケース。
数を見るに、今用意できるのはこれだけなのだと納得して、受け取る。

 「一回につき一粒、いい?それ以上はダメだからね。
  チカラに作用し過ぎる記憶には必ずズレが出来ちゃうものだから
  あまり矛盾を作ってあげないように。じゃ、帰るわね」
 「分かりました。ありがとうございましたわざわざお店にまで…」
 「いいのよ。ちょっと皆に話を聞きたかったから寄っただけ。
  ……私が言うのもアレだけど、頑張んなさいよ」
 「はい、ありがとうございました」

店内を後にする里沙を見送って、春菜は早速連絡を取り付ける。

―――喫茶『リゾナント』を背に歩いていた里沙が振り向く。

何度も見上げてきた建物に別れを告げる事は何度もあったし
それに対して負い目を感じるような事も今は無い。
寂しさもなければ切なさも感じない。全てを任せたのだ。全てを。 

 「今のところ後遺症はない、か。他の子達の様子も見たかったけど
  上手くズレを調節してるみたいで安心したよ」

里沙は静かに微笑む。
改変された世界で生きる彼女達はとても人間らしい。
それだけでも分かれば後は彼女達の物語だ。

784名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:09:55
新たなリゾナンターになったとしても変わらないものがある。
繰り返された世界で、自分達がそうであったように。

 「記憶を何度も塗り替えても、愛情は変わらないものだね」

誰かに言うでもなく呟いた言葉に苦笑する。
繰り返される世界の中で、再び出逢える事をただ願っていた。



―――夜に浮かぶ、路上の信号はまだ変わらない。
一部の交通事情によって下校通路に利用するこの道路では車が
何度も行き来を繰り返すため、五分は待たなくてはいけない。
野中美希と尾形春水はその時間を会話で繋げる事で信号が青に
なるのを待っていた。点滅に変化して青へ。
小さな悲鳴。
振り返ると、人波の中で、女性が顔を手で押さえている姿が見えた。
指の間から赤い血が零れ、事件だと叫ぶ。

 「春水ちゃん! Stop!」
 「え?どうしたん……!?」

美希が肩を叩いて叫んだのに驚き、春水は後ろを向く。
事態に気付いて二人で人波を強引に掻き分けて進む。
屈んで苦しむ女の側に駆け寄って傷を確認した。

 「大丈夫ですかっ?」

額から頬に鋭利な傷跡。胸の奥に沸騰する憤怒に眉が歪む。

 「Damn it!」

美希は顔を上げて、雑踏を捜す。周囲には驚きと怯えの顔が並ぶ。

785名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:11:10
雑踏の先に、逃げる帽子の男達の背中があった。

 「春水ちゃん!この人お願い!」
 「あ、待ってえやっ、私も行くってばっ。すみません頼めます?」

手当と救急車への連絡はその場にいた親切そうな中年男性に任せ
美希は夜の街へ走り出す。春水はバックから靴を取り出し、履き替えて続く。

 「てか私達で何とかするの?ヤバない?あの人ら武器持っとるやろ?」
 「待ってたら逃げられちゃうよ!」
 「や、譜久村さんに追跡してもらうとか」
 「その間に犠牲者が増えるかもしれない!」
 「あーあー分かった、分かったよお、ホンマに野中氏は熱血やなあ」

前を逃げるのは容疑者達。
黒い帽子の右手には女性の顔を切った短刀。
赤い帽子の方は左手にバタフライナイフ。
二人の逃げる横顔が背後を伺い、そこには愉悦が混じった顔が前に戻される。
通り魔たちは人々を押し退けて逃げる。
美希と春水も人波の間を縫って走る。

 「なあ、もしかして誘われてない?」
 「That's just what I wan!痛い目見せてやろうじゃない」
 「ひー、野中氏が燃えとる、燃えてないけど燃えとるーっ」

女性の顔を傷つける通り魔など最悪だ。
逃走車たちはビルの角で右折。夜の歩道の人々に悪罵を投げられながら
二人は人波を抜けて犯人たちを追跡していく。
角を曲がると、ビルとビルの谷底に逃げる、男二人の後ろ姿があった。
左の赤帽子の男が背後を確認する。

786名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:12:08
唇には冷笑があった。犯人たちは曲がりくねった路地を逃げる。
どうやら疲労を待っているらしい。
女と男、そして体格差から見ても不利なのは美希と春水の方だ。

だが、速度で勝とうというのならこちらにも手が無いわけではない。
勝算があったからこそ美希も、春水も付いてきたのだから。

 「逃がさへんでーっ」

緩やかな強調のある声と同時に軽くジャンプした。

靴の裏側に装着されたローラーのベアリングが突出する。
スケート経験のある春水としては配管や粗大ゴミを避ける事は造作もない。
路地の闇を切り裂く閃光、ガリガリと地面を削っていくように音を鳴らす。

 「いっけー!春水ちゃん!」
 「さっさと捕まってやーっ」

黒帽子の顔に驚愕。犯人はさらに必死に走り、通路を曲がった。
脅しに一度『火脚』を喰らわせようと狙うが、射線が合わない。
突き当りには左右に抜ける路地、だが既に春水は黒帽子の背後を捉えていた。
間合いを詰めていき、男の左肩に届く寸前。

突き当りの道の右から左へ、一面の赤の壁が現れる。

 「……え?」

787名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:13:34
黒帽子の男が赤の暴風の中で黒い影になった。
熱風で春水は後方へ弾き飛ばされてダンボールの壁にぶつかる。
斜め横にいた赤帽子の男も熱波で転がっていく。

 「春水ちゃん!?」

突き当りを右から左へと吹き抜けたのは、赤の炎。
吹き荒れたと思った時には消失し、熱波が過ぎ去った夜の道路が現れる。

 「顔があ……顔が痛いいいいぃぃぃぅぅ…」

赤帽子の男の頬は火傷で爛れている。
前方では、右手を前に伸ばして足を掲げた姿勢のままで、黒帽子の男が
黒と灰色の塊となって立っている。
眼球は高熱で炙られて白濁し、末端部分の指や鼻、耳が徐々に炭化で落下。
頬や額の皮膚が割れて内部から赤黒い肉が見える。

肉の焼けた甘い炭の匂いに口を押えた。
放射の瞬間に口を開けていれば、熱気で気管と肺を焼かれていただろう。

 「春水ちゃん…な、なんて事を…」
 「違うっ、私やないってっ。あんな大量の炎なんか出せへんし…」


春水が発動できる『火脚』は千度を超える炎の帯で足を纏って
足技によって周囲を焼き尽くす小集団用。
だが眼前で発動したのは線や帯ではなく、道路の空間を全て埋め尽くす猛火。
まさに竜が放つ死の息吹に近い膨大な熱量だった。

788名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:16:21
道路を囲む壁やアスファルトの大地では、まだ燃え盛る炎が子鬼のように踊る。
高熱でアスファルトの一部は黒いタール状になっていた。
立ち尽くしたまま炭化した男の向こうに残り火が燃える。
高熱の余波で、月光と残り火が照らす路上には、夜には有り得ない陽炎が揺れる。

 「だ、誰……?」
 「あれ、おかしいな、一応面識はあると思うんだけど…まあいいや。
  そっちの方が都合がいいよね、うん」

現れたのは美希と春水と同年代ぐらいの女だった。
短い黒髪をパーカーの帽子に押し込み、その顔は半分だけ隠れている。
手の甲にローダンセが咲いており、五指に花弁を帯びていた。
刺青、ではなく、まるで水墨のようだ。

 「よくも、よくも弟を殺しやがったな!」

男の声が震えていた。
バタフライナイフを片手に泣いていた。
炭にされたかけがえのない兄弟を前に怒りで顔を真っ赤にする。

 「へへへ、ごめんなさい。でも当然の報いだと思いますけどね」
 「死ねよ」
 「わあ、怖いですね」

間合いを詰めた赤帽子の刃が振りかざされる。女は微笑んでいた。
武器を持たず丸腰であるにも関わらず、笑っている。
次の瞬間、女の右横を抜けた男の右足が、溶解し熱を帯びた大地を踏みしめる。
左足が続いて奇妙な歩行を見せた。
歩みの背後に、桃色の内臓がアスファルトに引きずられていく。

 「ぐえ、ぐあばああぁぁぁっっ」

胴体の断面から臓物が次々と零れていく。

789名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:18:10
大量の血液による海が出来たかと思うと、臓物が跳ねた。
上半身は街路の反対側に落ちていき、血の飛沫が女の靴に付着する。
何も感じない様に、女の左手が水平に掲げられ振られる。

 「い、今、斬ったの…?あの子?」
 「でも刃物なんて持ってないよ……どうやって…?」

まるで詐欺にでもあったかのような現実に背筋に冷や汗が流れる。
動体視力で抜刀すら見えないのだから、赤帽子の男が自らの死を
信じられないままに硬直していても仕方がない。

 「ああ、甘い匂いを辿っただけなのに殺しちゃった。失敗失敗」

女は微笑んでいた。パーカーの帽子で半分は隠れてはいるが
その唇は口角を歪ませて健気に笑って見せる。
美希は端末メガネを取り出し、見えない拳銃を打つかのような構えを取った。

 【Call:制御系『電磁場・銃身』
 銃身展開処理を一時記憶領域に四重コピー:完了
 円形筒に構築・直径三メートル:完了
 撃鉄用意:……】

『磁力操作』でそこら中に廃棄されている金属類を把握していた為
射出準備は既に完了している。端末メガネには照準の+が書き込まれた。
爆発寸前の美希の前に、右手の平を掲げて春水は制す。

 「Why?どうして止めるの?」
 「力では勝てんよ、だってあの子、能力者やもん」
 「そんなの分かってるよ、でもこのままじゃ殺されちゃう!」
 「野中氏が無茶したらその確率が上がるやろ、いいから見てて」
 「春水ちゃん…?」

790名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:20:13
我を忘れた様に戦闘態勢に入っていた美希に対し、春水は深呼吸した。
その姿を女は首を傾げてみている。思えば不思議だ。
何故女はあれほどの能力を持っていて静かに傍観していたのだろう。

赤帽子の男が死んで二分は経っているというのに。

 「な、なあアンタ、これはちょっとマズイんちゃう?」
 「どうして?」
 「この二人は確かに殺人者や、でも、能力者やない。
  ここは夢法則があるファンタジーワールドやない、法律があるんや。
  それにこれだけの大惨事、ほら、おまわりさんの音も聞こえてきたやろ」

聞くと、遠くの方からサイレンの音が響いてくる。
五区内にある自警団のものだろう。
その音に気付いているのか、女はウンウンと頷いている。

 「それで?」
 「や、それでって、人を殺されたら逮捕されるんや、罰せられるんやで」
 「なんだそんな事。それなら殺せばいいだけじゃないですか」

内臓が蠕動するような女の笑みに、春水の口が固まる。
ローダンセが咲き誇る手が左に振られた。
炭化して直立したままの通り魔が押され、アスファルトに倒れる。
乾いた音と共に、炭化した腕や足が折れて粉砕。

791名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:21:41
内部の赤黒い断面から体液が落下し、熱いアスファルトで蒸発。
隣には赤帽子の下半身が血の海を作っていた。

 「簡単なことじゃないですか。見た人が居なくなったら
  こんな事実なんて無いのも当然でしょう?」

突然、血液から炎が上がる。まるで灯油に引火したようにそれらは
亡骸にまで燃え移っていき、次々と覆い隠していった。
悪臭に美希と春水は耐え切れずに目を逸らし、吐いた。

美希は再び構えを取るが、春水がまた制す。

 「あれ、でもおかしいな。
この人達、朝のテレビで指名手配されてたと思うんですが」
「な、なんやて?」
「何でも女の人ばかりを十八人も刺殺してた通り魔とかで。
 ああそうですそうです、それで私、この人達の後を付けてたんでした。
 そんなに極悪人なら能力者かもしれないし、もしかしたら
 犠牲者が出てチカラを使ったら分かりやすいかもと思って」

新暦に入った頃、異能者の犯罪増加においてある法律が定められた。
裁判の迅速化と刑務所縮小化のために被疑者欠席のままの裁判と
死刑判決、および場所を問わない死刑執行可能とする法。

 【裁判の合理化】

それに適応されるのはリゾナンターと、第二十三区に定められた
『TOKYO CITY』内にある自警団のみとされている。

だが特別な条件下であれば、例えば指名手配されている殺人犯であれば
許可を得ていない一般人でも適応される事が稀にある。
法はここ数年で新暦を生きる人間としての責務ように人々は受け入れつつある。
それほどまでに”白金の夜”は、人々の記憶に刻まれていた。

792名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:23:07
 「あれ、知らなかったんですか?リゾナンターさん」
 「…!?あんた、まさか最初から知っててこんな事を…?」
 「いえいえ、お二人に会ったのは偶然です。でももしもお二人が
  リゾナンターじゃなかったら私、殺してたかもしれませんね。危ない危ない」

二人は底知れない畏怖を見ている気にさえなってくるその異常さに恐怖した。
その時、女が何かを思いついたように両手をパンと叩き鳴らす。

 「ああそうだ、ちょっと面白い悪戯をしましょう」
 「い、いたずら?」
 「はい。とりあえずお二人を誘拐する事にしましょう」

女の言葉に理解がついていかない。
だが反射的にまだ熱気を放つ道路から、周囲を探る。
左右のビルの壁面や陰に、いくつかの気配を感じた。
人が発する気配とは違う、この世界には、この世にはない異次元の気配。

“影”を知らない異形の者達の貌が穴を覗き込むように佇んでいた。

 「な、なんやこれ…!?」
 「Devil Demon…百鬼、夜行……」
 「大丈夫です。今は手出ししない様に言いつけてありますから」

春水が美希の服を掴み、美希は構えた姿勢を続けた。
だが一度で使用できる『磁力操作』の範囲は人間計算でもせいぜい十人。
気配は軽く四倍はある。だが登場から指一本はおろか、言葉すら発しない。

敵意ではなく畏怖。その理由は女にあるのだろう。
もし命令もなしに動けば女に逆に殺されると理解しているのだ。
それほどまでに女は別の威圧感を空間に漂わせている。

 「じゃあ取引しましょうか。私に誘拐される代わりに
  今ここに到着する人達のことは見逃します」
 「それ、完全にこっちは強制的じゃない」
 「まあそうですけど、このままでも何も変わらないですよ?」

793名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:28:09
涼やかな声で女は言った。
月下の路上には炭化し、切断された通り魔たちの死体が燃え尽きていた。
二人の死体は、単なる女の駆け引きの道具となっただけに過ぎない。
単なる取引の材料の為に人が死んだ現実に美希が歯を食いしばる。

 「……分かった。従うよ」
 「そう言ってくれると思いました。良かったですね、これで安心です」

何が安心なのか、女は嬉しそうにしている。
女に対して春水はどこか違和感を覚えたが、それが何か分からない。

 「アンタ、どこかで会った事あったりする?」
 「ヤダな、本当に忘れちゃったんですか?自己紹介したはずですよ。
 あ、影が薄かったならすみません。努力しますね」

女は笑って呟いた。パーカーを脱いだその顔に”見覚えは無い”。
だが女は困ったようにして、その名前を口にする。

 「横山玲奈です。よろしくお願いしますね」

朝の挨拶でもするようなお辞儀をする女に、二人は反応する事もなく固まっていた。

794名無しリゾナント:2017/01/20(金) 04:39:43
>>779-793
『朱の誓約、黄金の畔 -Mangles everlasting-』

横山ちゃんは完全に未知数です、加賀さんの「圧がある」という
知識しかないので少し圧めにしてみようかと思います。
12期日記を聞いたら「山ちゃん」呼びだったのが面白かったです。

795名無しリゾナント:2017/01/20(金) 05:02:30
>>793 訂正追加
女は笑って呟いた。
短髪だと思ったが、背後から絹のように濡れた輝きの長い黒髪を外界に散らす。
パーカーを脱いだその顔に”見覚えは無い”。
だが女は困ったようにして、その名前を口にする。

です。よろしくお願いします。今度も長くなって本当に申し訳ない…。

796名無しリゾナント:2017/01/20(金) 05:04:53
ん、少し文章が……。パーカーの帽子を脱いだ〜ですね。
パーカー脱いじゃったら全r(ry

797名無しリゾナント:2017/01/25(水) 03:33:25
五階建ての興業ビルは夜の中に静かに立っていた。
鋼鉄の正門は中央に大穴が穿たれ、強引に押し開かれている。
門の先、敷地には拳銃を握った腕が敷地の木の梢に引っ掛かっていた。

砕けたサブマシンガン、ショットガン、アサルトライフルが
芝生に無数に落ちており、散乱した金属片が月下に鈍く輝く。
ビルまでのコンクリートで舗装された道には赤い斑点が続き
やがて支流となって最後に血の川となった。

鮮血の流れの先に、伏せた禿頭の頭の上半身が転がる。
剥き出しの肩や腕には、虎の刺青があったが、更に赤や青や
紫の斑点が散り、絵の猛獣ごと腫瘍のように膨れがあっていた。
俯せの死に顔の頬や鼻も膨れ上がっていた。

男は黒社会の門番を任せられるほどの凶悪な性格を持ち
前科二十八犯の凶悪犯だった。過去に人間の身でありながら
ダークネスとの繋がりもあったと思われる要注意人物。
しかし、膨れた死に顔は闇を恐れる子供のような恐怖で凍り付いている。

小道の反対側には胴体。右肩や左腕や右脛から下が消失。
腹部にも大穴が開けられており、臓物が無残な断面を見せていた。
まるで”巨大な複数の獣たちに襲われたかのように”。

798名無しリゾナント:2017/01/25(水) 03:34:15
無残な胴体に続くのは眼鏡をかけた男の頭部。
眼鏡の右が砕け、大きく見開いた眼球の表面にハエが止まっていた。
頬へと涙の跡があり、鼻水は零れて顎まで伝っている。

冷酷な殺しをする殺し屋として組織の特効役を務めていた男は
泣きわめいた表情で死んでいた。
正面玄関の鋼鉄製の扉も無残に砕かれ、周囲には数十もの空薬莢が散らばる。
玄関付近は血の海。
人間の手や足が何本か転がり、挽き肉になった人体が撒き散らされていた。
原型を留めずに破砕された頭部もあり、何人が死んだのか正確には分からない。

廊下の壁や床に破壊の痕跡が穿たれている。
壁は爆砕されて大穴が開き、曲がり角の壁に突き立つのは槍の群れ。
天井には雷撃で焦げた跡。剛力で切断されたコンクリートの柱。
階段の手すりは砕け、使役獣の死骸が引っ掛かって舌を垂らしていた。

闇に沈む死山血河は二階へと続いていく。
二階の廊下の奥の扉も砕かれ、破砕された扉の奥に続く部屋の照明は壊され
街の灯りと月光だけが物体の輪郭をかろうじて浮き上がらせている。

799名無しリゾナント:2017/01/25(水) 03:34:58
室内は惨状だった。床から壁、天井にまで刀痕が縦横無尽に刻まれていた。
室内の机は砕け、本棚は内部の本ごと両断され、床に散らばる。
紙片がまだ空中を舞い、全てに黒い斑点や飛沫。
部屋には死体の山がある。

刀を握ったまま、首から食いちぎられた男、腕を『獣化』させた男は
前進を斑に染め上げて死んでいる。
異能者であった彼らの血臭が世界を覆っている。
死者たちの骸の間に、女が立っていた。
女、加賀楓の目は自らの足下を眺めていた。

黒塗りの刃の先に血の滴がつき、楓は右手を伸ばす。
指先で机に転がっていた誰かの肉片から千切れたシャツを掴み、血を拭った。

  「…やっぱり黒社会にもレベルがあるもんですね。
  弱小組織となると門番を務める人達を考えなければダメです。
  あのダークネスと対等まで張っていた三大組織なら相手が誰であっても
  無意味な脅しはせずに殺してから考えてたでしょうね
しかも異能者はたったの二人。殺し屋は二十人足らず。
  人数に装備、話にならないですよ、よくこんな世の中で生き残れてますね」

月光と街灯りが届かない闇で、楓の赤い眼が燐光を発していた。
夜に輝く夜行性の猛獣の目のようだ。

 「なんなんだ…」

虎の顔の刺青が血塗られている。支社を任された若頭の大柄の体が
執務机の向こうの椅子で硬直している。
武闘派であり、若い頃は人斬りとして鳴らした侠客の一人。
暗闘の死線を何十回と生き延びてきた折、組長から杯を直接受けた直参。
四人の若頭の中でも一家内では次期組長最有力候補とされる大物。
それが男の人生となる筈だった。

800名無しリゾナント:2017/01/25(水) 03:35:46
 「なんなんだお前は……全員殺して、何が目的だ?」

自他ともに全身が肝であると認めるほど剛毅な彼が怯えている。
彼の愛刀は部屋の片隅に握った右手ごと刺さったまま。
椅子に座った男の右腕は、肘から先が消失していた。

右足は肘から先が無く、傷口はそれぞれ食い千切られ、切断され
爆砕され、溶解していた。
二種類の断面からは大量の鮮血が椅子に零れ、さらに床に滴り
黒い血の海となっていた。
普通の人間ならば痛覚だけで死に、出血多量でも死んでいる。

だが男は死なず、そして体を動かす事をしない。
まるで”見えない触手”が締め潰すように。
男の体内で恒常的に発動する謎の異能力が彼に安らかな死を与えてくれない。

赤い眼は静かに男を睨み付ける。
背後の闇に、緑色の朧な光点が点滅する。さらに青や赤、数重もの瞳が現れる。

 「まあ分からないですよね。間接的にしか関わりはないですから。
  アンタとも、そこら中で倒れてる人達もね」

801名無しリゾナント:2017/01/25(水) 03:36:32
楓が黒塗りの刃を振る。背後の闇に灯る光点が尾を曳いて動き
異能者である二人の遺骸へと殺到、暗闇から肉を引き千切り
骨が砕ける音、無残な咀嚼音が続く。
異能力を”喰らった後の体”でも『異獣』達にとっては力の糧になる。

若頭だった男は自らの部下が闇の生物に喰われる光景から目を逸らす。
死に瀕しながらも、楓を見つめた。

 「分かっているのか。
 こんなことをすれば一家、組織を相手にする事になる」

精一杯の虚勢を震える声で紡ぐ。

 「さらに本家の協調関係にある黒社会の組織達も黙ってない。
  お前は死ぬ、死ぬんだ!」

白蝋の顔色で侠客が叫ぶ。

 「ええ、そうですね。でも、まあ言うなればそれが目的です。
 その事実がほしかったんです」
 「何……?」
 「その餌として選ばれた悪運を恨んでくださいね」

黒塗りの刃を掲げる。背後の動きが止まる。

【門】が現れ、鎖が跳ね上がり、開かれていく。

802名無しリゾナント:2017/01/25(水) 03:37:19
不可思議な文字が闇から青白く発光して螺旋を彩る。
膨大な文字は日本語でも英語でもない、古代文字でもない。
文字の一つ一つがまた小さな文字で描かれており、さらにその
一つ一つが多重多層の記号となって形成していた。

闇に残る燐光が数列を作り、実体化していく。
【門】から現れた存在が天井へと伸びていき、椅子に座る男の視線が
平行から角度を上げていき、ほぼ垂直となっていた。

 「なんだ、なんなんだこれは!?」

歴戦の侠客の顔には驚愕と恐怖で目に涙が滲む。
血臭と死臭に抱かれてしまった男に、楓は小さく息を吐く。

 「こんな非道な人生を選ばなかったら、アンタもちゃんとした
  家庭をもって、子供とキャッチボールして遊んだり、奥さんの
  愛に包まれて十分な大団円を送れたでしょうに」

悲哀の表情を込めて、右手の黒塗りの刃が下ろされる。
室内の天井にまで届く影が、重力に従って降下。
鮮血が噴き上がり、男の絶叫が室内に響く。
男の絶叫と咀嚼音を背景音楽に、楓は静かに目を伏せた。

表情が、消える。
顏が左側を向き、窓の外を眺める。
商業ビルの暗い連なりの向こうに、人間が居住すると示すように
人工照明が見えた。

 「一度滅びても闇は消えずに残ってしまう。こびり付く錆びみたい。
  …本当はあの時に死ぬはずだった人達を生かしたのはどうして?
  あの人達はもっと非情で、非道だって聞いてたけど…いや、それは
  もう随分前の話か、今の人達はどうにも甘いらしい」

803名無しリゾナント:2017/01/25(水) 03:37:50
  きっと、この男達が死に追いやってきた数も知らないのだろう
  “里が一つ滅ぶほどの虐殺を目論んだ組織”の下っ端達だが、同罪だ。
  同じ道を志した時点で、既に結末は選ばれていた。

楓の表情が崩れたかと思うと、大粒の涙が流れる。
天井を見上げて堪えようとするが、数滴が頬に落ちていく。
室内に響く若頭だった男の悲鳴は絶えていた。
彼がいた場所には闇色の塊が蠢き、物体が振り向いた。
緑や赤や青の眼の光点が、楓を見つめていた。

明らかに敵意、そして食欲と殺意。楓も赤い瞳で睨み付ける。

 「加賀さん、大丈夫ですか?」

レイナは左手を伸ばし、楓の持つ黒塗りの刃に触れた。
苦鳴。
光点の群れは、哀しい叫びと共に即座に分解されていく。
黒い物体から伸びた青白い燐光の文字が、【門】の鎖に
繋げられ、吸引されていった。

絶叫に嗚咽もまた分解され、鎖へと吸われていく。
猛風のように吸引され、あとには何も残らない。
【門】が自動的に閉じられ、鎖の捕縛の内に錠前が復活し、閉じられた。
眠るように目が閉じられ、存在は消えた。

804名無しリゾナント:2017/01/25(水) 03:38:21
静謐。
楓とレイナの横顔を遠い灯りが染めていた。

 「離してくれる?」
 「あ、へへ、ごめんなさい」

素直に手を離し、レイナは笑った。楓は目を逸らして鞘に刃を収める。
楓の眼は、人間味の帯びた黒い瞳へと戻っていた。
薄桃に赤らめる瞼を見せたくなくて振り返らずに言葉を漏らす。

 「それで、どうしたの?」
 「はい。全部”食べました”。証拠隠滅って、意外と大変ですね」
 「数が数だけに足跡を辿られても面倒くさいから。
  まあ……今度相手にするヤツはもっと面倒だろうけど。
  多分その証拠隠滅すら手掛かりにして来るだろうし」
 「能力者って面白いですね。私達とよく似てる人も居ましたし」
 「……それ、嫌味?」
 「いえ、あの、そういう意味ではなかったんです。ごめんなさい」

素直に謝罪するレイナだが、振り返る楓は明らかに怒っていた。
何かを言わなければとレイナは口を紡ぐ。

 「大丈夫ですよ加賀さんなら、もうチカラを意のままに操ってる。
  それなら今度こそできますよ、復讐を」
 「……当たり前じゃない。手伝ってもらうからね、レイナ。
  元々アンタや、あのバケモノのせいなんだから」
 「はい。私達は元々、そういう契約ですから」

805名無しリゾナント:2017/01/25(水) 03:39:39
『異獣』は異能力を得る代わりに、召喚士のチカラとなる事。

至極当然で、単純明快な契約である。
レイナは人型であると同時に、異獣召喚士が呼び出せる九十九の
異獣を使役する【門】の仲介人、百体目の人形異獣である。

レイナが依存する人間の女は随分前に自身が使役していた
異獣に誤って取り込まれてしまい、命を落としたという。
その彼女を楓が召喚した事で現世に戻ってきたが、中身は別物だ。

生前の年齢を考えると同年代だが、彼女と心を通わせる事はないだろう。
この先を考えても有り得ない。
彼女はただのバケモノであり、そして。

 ある目的を達成すれば、再び【門】に封じ込める。
 それまでの道具に過ぎない。

自身を取り戻す様に表情を引き締める。

 「とりあえず、しばらくこの地区の近くに居る。
  警察すらこの四区には無暗に近づかないらしいから。
  多分遭遇するなら……ここの親分でしょうね」
 「加賀さん、楽しそうですね」
 「……馬鹿言わないでよ。アンタ達じゃあるまいし」

レイナの黄金の目が闇の中で隣火となって光る。
死臭と血臭の舞う空間から出ていく楓の背後で、レイナは微笑んだ。

806名無しリゾナント:2017/01/25(水) 03:42:15


 「甘いなあ、加賀さんは。でも大丈夫ですよ。
  私が、私達が、ちゃんと叶えてアゲマスカラネ」


壁際に倒れた割れた姿見がレイナを映し出す。
もう一人の自分がこちらを見つめていた。
悲しそうに、嬉しそうに、苦しそうに、楽しそうに。
影を忘れた闇が静かに、ただ徐々に大きく蠢いた。

807名無しリゾナント:2017/01/25(水) 03:45:45
>>797-806
『朱の誓約、黄金の畔 - creature in a mirror-』

今回は少し短いです。
登場人物は多い予定だったんですが次回にでも。
B.L.T.買ってもう少し二人の知識を増やさなければ。

808名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:36:43
「おい!あいつは、あいつはどこや!!」

某国民的犯罪組織の、支店。
定例の支店会議を執り行う会議室に、勢い勇んで乗り込む人物が一人。
支店トップを張る女、普段は冷静沈着で知られる彼女は珍しく声を荒げていた。
どちらかと言えばフリーダムな雰囲気を醸し出している、彼女の言う「あいつ」。支店の二番手であり、女の相棒的存在で
もある「あいつ」が支店会議をサボタージュすることなど、日常茶飯事のことのはずだが。

「あの人なら、『白菊』さんと『黒薔薇』さん、それと店の一個小隊連れて出かけましたよ。何でも、『虎狩り』に出かけ
るとかで」
「なんやと!?」

先日、支店の参謀格に収まったばかりの髪の長い、前髪を七三に分けた少女が、事実を告げる。
「虎狩り」の意味はすぐに理解できた。間違いなく先日スカウトに失敗した少女のことだ。
その言葉に、驚きよりも先に怒りを覚える。
女が焦っていたのは、嫌な予感がしていたから。スカウトをするのに、わざわざ二人の幹部と大所帯を連れてゆく必要性と
は。

「アホが!何勝手なことしとんねん!!すぐに連れ戻し!!」
「いいんですか?『ちゃぷちゃぷ』さんの面子、丸潰れですよ?」
「なっ…!」
「それに。ニーチェも言ってるじゃないですか。『人生を危険に晒せ』ってね」

参謀の言葉が、女の感情に大きくブレーキをかける。
「あいつ」の「虎狩り」が、自らの命運を賭けるほどの大事だとすれば。
表だって自分が制止するわけにはいかない。この支店は自分と彼女の二枚看板で支えているようなもの、そんなことをすれ
ば組織内のパワーバランスに関わる。個人的な感情は、嫌でも収めなければならない。

「…くそが!!」

が。苛立ちまでもがそう簡単に収まるわけもなく。
負けるわけがない。という相手に対する信頼と、自分に背を向け独断で「虎狩り」に出かけた事実が女を板挟みにする。
それでも、女は知っているのだ。相手の帰りを待つ以外に、自分のすることなどないことを。

809名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:38:03


「で。そのミツイっちゅう人が、うちを匿ってくれるって話やけど」

あまり乗り心地がいいとは言えない車の中。
助手席に座った尾形春水が、運転している野中美希に話しかける。

「その人、ほんまに信用できるん?」
「実を言うとね。私も話に聞いただけで、会ったことないんだ」
「はぁ!?」

春水が怪訝な顔をするのも無理はない。
正直、普通に考えれば美希でもそんな伝手を頼るなんてどうかしてると思ってしまうが。

「Don't warry. うちの機構がお世話になってる、ロサンゼルス市警のハイラム警部って人がいるんだけど。その人のお墨
付きの人だから。大丈夫、信頼できる人だよ」
「へえ、そうなんや」

ハイラム・ブロック。
もともと市警のいち刑事課長に過ぎなかった彼は、ロサンゼルスにて勃発したテロ事件を「解決」することで飛躍的にその
名声を高めた。そしてその確かな実力は「機構」の知るところとなり、現在に至るまで良好な協力関係を築きあげている。
ただ、「機構」が彼に接触したそもそもの目的は、彼が日本のとある能力者集団との間に持っているコネクションであった。

その能力者集団の中に、先のミツイという女性は所属していた。
かつては驚異的な予知能力の持ち主だったそうだが、今では能力を失い、能力者時代に培った経験を活かして様々な活動を
しているという。
ハイラムの知己ということもあるが、美希は彼女の名前を聞いた時、その人に委ねれば何とかなる。そんな直感に似たもの
を感じた。言うなれば、心に響く何か。まさしくそれは…

810名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:39:54
「ちょ、さっきの交差点左と違うん?」
「あれ…そうだっけ?」
「また方向音痴が炸裂かい!はぁ…うちに運転免許があったらってつくづく思うわ」

呆れ顔の春水に、美希は肩を竦めずにはいられない。
ただ、抗弁する機会があるのなら言いたい。これは決して自分のせいではないのだ。どうしようもないことなのだ。とは言
うものの。
先程の交差点スルーはまだいいほうで、気が付くと東京と真逆の方向に走っている始末。方向音痴のプロ、方向音痴の
スペシャリスト。何度春水にそんなありがたくない二つ名をつけられそうになったか。
そして、今この瞬間も。

「オー…今の路地を右に曲がらなきゃならないんだった…」
「はぁ。こら気長にいくしかないねんなあ」

「機構」所属のエージェント。それが方向音痴だなんて、と美希は気が滅入る思いなのだが。
むしろそれが春水にとっては親近感を感じる要素であることを、美希は知らない。
春水が美希について行こうと思ったのも、偏に美希の人柄のおかげでもあった。

「それにしても、ええの? 任務とやらをほっぽり出してうちに付き合っても」
「ノープロブレム。ちょうど大阪の支部に同僚がいたから、きちんと引き継ぎできたし。その、春水ちゃんを無事に東京に送
り届けるには一日でも早く動かないと、って思ったから」

車は市街地を抜け、山道に入る。
峠を越えれば、とりあえずは関西圏を抜けることになる。

811名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:41:00
「ふう。ようやく第一段階突破だね」
「ああ、誰かさんのおかげで遠回りしたけどなあ」
「もう、春水ちゃんのいじわる…今のところは追っ手もいないみたいだし、少しは気を休めることができるね」
「そうやとええねんけどな」

おそらく春水は例の怪しいナース服の二人組の事を思い出している。美希はそう踏んでいた。
大阪であれほどの実力者がいる組織と言えば、思い当たるところは一つしかない。
美希が憎む「あの組織」ではないものの、全国の要所に拠点を持つメジャーどころの支店だ。時として海外にまでその欲望
の手を伸ばす彼らは、「機構」の監視対象組織の一つに入っていた。

春水が顔を顰めるのも無理はない。何せ彼らのやり口は一言で言えば「えぐい」からだ。
彼らの見初めた逸材を手に入れるためには、手段を選ばない。それは、春水の仲間たちを見せしめに殺したように見せかけ
たことからも明らかだ。ただし、それが通じないと解れば次は騙しではなく本当に実行する。
特に。あの二人組のピンク色のほうは、仲間に迎え入れると言うよりも、むしろ弱者を甚振り楽しむような素振りすら見せ
ていた。そんな彼女が、そう易々と「おもちゃ」を手放すだろうか。

今は、そんなことを考えても仕方ない。
美希は、車をただひたすら東へ向けて走らせる。

楽しいドライブ、とはいかずとも長い道中だ。
自然と会話は互いのことについて及んでくる。

「野中ちゃんの言う機構、ってどんなとこなん?」
「うーん、そうだね…」

812名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:41:57
春水に言われ、美希は自らの所属している「機構」について説明する。
アメリカにおいて外国での諜報・諜略活動を一手に引き受ける中央情報局。その下部組織でありながらも、半ば独立した指
揮体系を保持しているのが「機構」なのだと言う。
活動内容は、中央情報局の入手した情報をもとに行動すること。特に、「能力者」と呼ばれる異能の持ち主の絡む問題に介
入・解決するのが主になっているという。

「へえ。そんなエリートさんばっかのとこに野中ちゃんの年で在籍してるなんて、凄いやん」
「いやいや、私の場合は優秀なエンジニアさんが…」

そう言いかけたところで、美希が口を噤む。
どうやら何かに気付いたらしい。
バックミラーには、車間をぴったりと付けて追走する、スモークガラスの怪しい車が。

「春水ちゃん。後ろから、不審な車が」
「…ほんまや。もしかして、あいつらじゃ」
「わからないけど、振り切ってみる」

言うや否や、アクセルを思い切り踏みつける。
凄まじい爆音とともに、車両が急発進。見る見る間に、後方の車を置き去りにしていった。
これで必死に食らいついて来るなら、ビンゴなのだが。

「何やねん。あいつら、まったく追ってけえへんやん」
「うーん、私の思い過ごしだったのかな。人気のない場所に入ればもしかしたらアプローチをかけてくるかも、って思った
んだけど」

もし彼らが未だに春水のことを諦めていないと仮定して。
仕掛けるなら、ここ。そう美希は予想していた。それは「機構」のエージェントとしての直感だった。
その直感が正しいことは、すぐに証明された。

813名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:43:00
道の真ん中に立つ、ふたつの影。
車が近づきヘッドライトが影を照らすにつれ、姿が顕になる。

二人とも、白のナース服に白黒のボーダー柄のニットコートを羽織っていた。
ニットコートは、多少の模様の違いがあり。
白が多めのほうは、鬼の形相でこちらを睨み付け。黒が多めのほうは、下卑た笑顔で迎え入れる。
いかにも対照的な二人、けれども、こちらに向けている敵意は。ひとつ。

「尾形ちゃん!しっかり掴まってて!!」

言うや否や、美希はハンドルを大きく切った。
車体をぎりぎりまで近づけ、そして横に寄せる威嚇。だが、件の二人は顔色ひとつ変えることなくその場から一歩も動かな
い。その胆力、威圧感、ただものではないと美希は判断する。

「私が先に出る。尾形ちゃんはあいつらを無視して先に行ってて!」
「はぁ?何言うてんねん!うちも戦うわっ!!」
「こっちには車がある!すぐに合流するから!!」

ここで二人で共闘した場合と、一人でこの二人を相手にした場合をシミュレート。
結果、後者を美希は選んだ。これからやろうとしていることに関しては「一人の方が」都合がいいのだ。

不承不承ながらも首を縦に振る春水を確認し、美希は運転席のドアを開け放った。

「なかなかおもろいことするやん。ま、その鉄の塊ぶつけたとこで勝ち目なんてあらへんけど」
「つまらんことしてると、死ぬぞお前」

嫌らしい表情を浮かべ挑発する黒いほうと、殺意を剥きだしにする白いほう。
それを無視し、美希は訊ねる。

814名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:44:40
「あんたたちのボスは?」
「…お前ら如きに、姉さんが出張るわけないやろ」
「そう…いいよ、春水ちゃん」

それが、ゴーサインだった。
勢いよく車から飛び出した春水が、二人の刺客のボーダーラインを越えようと駆け出してゆく。

「なっ?!」
「逃がすかい!!」

春水を阻もうと、白いほうが手を伸ばしかけた矢先のこと。
掠める、紫電。攻撃をかわした時にはもう、春水は追いつけない距離に遠のいていた。

「ちっ…とんだ邪魔が入ったわ」
「まあええやないの。二人でこいつを甚振り殺す、っちゅうのも面白そうやし」

最悪一人だけでも足止め、と考えていた美希だったが。
まさか二人ともこちらに気を向けてくれるとは。春水に追手が差し向けられないことを喜ぶべきか、それとも巻き込まれ体
質の本領発揮を恨むべきなのか。
諦めたように、ふう、と美希は息を吐く。

「何やねんお前。もう白旗上げてんのかいな」
「ううん。あなたたちなら、『これ』を見せても問題ないかな、って」

美希がかぶりを振ると同時に、それまで普段着のように見えた彼女の衣服が形を変えてゆく。
体にフィットしつつも、防御性に優れたデザイン。それでいて機動性をまるで損なっていない。深い紫色の、プロテクトス
ーツ。

815名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:45:41
「ちっ、光学迷彩…?」
「It is not necessary to tell you.(あなたたちに教える必要は無い)」

それだけ言うと、美希は全速力で黒いほうへと向かってゆく。
先程見せた「飛び道具」から、距離を取って戦うタイプと見ていた黒いほうこと「黒薔薇」は少々面食らう。

「ちょ、何でうちやねん!」
「ええやん。甘いもんばっか食うてるから少しは体動かしや」

ひとまず自らが攻撃の対象から外れていることを知り余裕の白いほうこと「白菊」。
ついてない「相方」は不服そうに頬を膨らませつつ、すぐに思考を切り替える。

美希が、一気に敵との距離を詰める。
上段への突きや蹴りを主体とした、米軍軍隊格闘術に源を発した「マーシャルアーツ」。それが美希の戦闘スタイルであった。

矢継ぎ早に繰り出される、拳や蹴り。
だが「黒薔薇」も負けてはいない。美希の迅さに対応し、雨あられの攻撃を悉く防いでいる。
やがてこのままでは埒が明かないと見た美希が間合いを大きく取った。

「何や、逃げんの…」

言いかけた「黒薔薇」が、ぎょっとする。
右手を額の辺りに翳した美希。ともすると敬礼のポーズにも見えるそれは、体中から紫の光のようなものを集め。
一直線に、空間を斬り裂いた。

816名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:46:46
同時に、再び間合いを詰めてゆく美希。
謎の光線を回避するので精一杯だった「黒薔薇」の無防備な姿、さっきのような息もつかせぬ蹴り技と手刀のコンボを食ら
えばただでは済まない。

が、そこに立ちはだかるものがいた。
二人の戦いを静観していた「白菊」であった。

「近接と飛び道具の二段構えか。せこい真似するやん」
「くっ!!」

戦況は一気に二対一の不利な流れに。
「白菊」の乱入により態勢を立て直した「黒薔薇」も攻勢に加わり、美希は一気に窮地に陥る。

「おらあっ!!」

「黒薔薇」の上段蹴りに警戒し身構える美希を、死角から「白菊」の一撃が襲う。
見た目の華奢な感じからは想像もつかないほどの、重い拳。プロテクター越しに伝わる衝撃は、美希に確実なダメージを与
えた。
後方に態勢を崩す美希に、白の刺客は追い打ちをかける。蹴り技はないものの、右から左からやって来る剛拳。これには正
面を固めて防御に徹するしかない。

このままでは…
何とか状況を打開したい美希だが。

「うちのこと、忘れてへん?」
「なっ!」

今度は「白菊」の反対側から、「黒薔薇」が。
いつの間にか拾ってきたと思しきコンクリの塊のついた鉄パイプを、何の躊躇も無く重力に任せて振り抜く。
プロテクターの範囲外である頭にそれを受けた美希は、思い切り後方へと吹っ飛んでしまった。

817名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:48:04
「相変わらずえげつない攻撃やな」
「せやかてうち非力やもん。それに、これやったら血ぃ、いっぱい見れるやろ?」

けたけたと笑いだす、「黒薔薇」。
その笑顔は狂気に染まり、さらなる惨劇を求めて美希に近づく。
しかし、インパクトの瞬間に力を逃がした美希はゆっくりと立ち上がった。
こめかみのあたりから少し流血はしているものの、大きな怪我ではないようだ。

「つまらんなあ。もっとどばっ、と血出ると思ったのに」
「生憎、鍛えてるんで」
「ま、ええわ。今からここらは血の海になるから。なあ、『白菊」」

まるで歩調を合わせるかのように。
同時に歩き出す、二人。再びの連携攻撃を予測し身構える美希だが、異変はすぐに訪れる。

「え…」

立ち上がったはずなのに、力が抜けたように膝を落としてしまう。
さっきの一撃が予想外に効いていた? 違う。これは。可能性を模索する美希に、二人の悪魔が囁く。

「なあ。こう見えてもうちらも『能力者』なんやで?」
「うちらに囲まれた時点で、自分、もうしまいやねん」
「黒き薔薇は、相手に眠りをもたらし。白き菊は相手に死をもたらす。なんてなぁ」
「寒。あの哲学マニアみたいな物言いやな。せやけどま、そういうこちゃ」

なるほど。毒ガス使いか。
美希はすぐに、相手の能力を看破する。
おそらく二人でコンビを組んでいるのは、一方の力で相手を昏睡させ、さらにその間に致死性のガスを吸い込ませ確実に亡き者
にするためだろう。しかし。

818名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:48:35
「もう遅いで? あんたはもう、一歩も動けん。うちらに嬲り殺しにされるだけや」

毒ガス中毒に陥った人間がそのことに気付いた時は、最早手遅れ。
全身の機能は失われ、死を待つのみだ。

追い込まれた美希が取ったのは、自らの身を隠すこと。
今度はプロテクトスーツだけではなく、全身ごと。

「はっ、悪あがきやな。そういうの、めっちゃむかつくねんけど」
「ええやん。どうせ遠くには逃げられん。追い詰めて甚振って殺す楽しみが増えたっちゅうことや」

手負いの兎を狙う狼が如く。
二人の狩人の目は、赤く血走っていた。

819名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:50:46


急ぎ足に、雑草が絡みつく。
だがそれほど抵抗のあるものでもない。すぐに慣れてゆくだろう。

自らが選んだとは言え、民家の明かりすら見えない山道。
だが、道はまっすぐ続いている。
何事もなければ、合流することはそう難しくないはずだ。

ふと、後ろを振り返る。
先を見通せない闇が、そこには広がっていた。
きっと、そこでは「二輪の花」が当てもない探し物をしているに違いない。

美希は、先ほどの修羅場からまんまと逃げ果せていた。
先程まで彼女がいたあの場所。恐らくは毒ガスの使い手である二人が意図的に選んだ窪地だったのだろうが。
それが逆に、美希にこれとない好条件を与えていたことを彼女たちは知らない。

空気調律。
それが、美希の能力だった。
自分の周囲の空間の、温度、湿度、空気の流れを自在に操る力。
美希の纏っていたプロテクトスーツを隠したのも、空気中の静電気を集めて電磁砲を放ったのも、この空気調律のおかげである。
そして。

自らを取り巻く毒ガスを、通常の空気と置き換える。
さらには領域内にいる対象の空間認識を狂わせ、ちょっとした方向音痴状態に陥らせる。
毒ガス自体の毒性は、深く吸い込まなければ日ごろその手の訓練を受けている美希にとっては、大きな問題ではなかった。

「黒薔薇」と「白菊」はまんまと美希の能力に翻弄され、そして逃がしてしまったのだ。
美希は改めて、自らの能力とそれを増強させてくれるプロテクトスーツの存在に感謝する。

820名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:52:06
彼女の纏っているプロテクトスーツ。
「機構」に属するとある技術者が、美希のためにカスタマイズしてくれた一品ものであった。
その技術者の唯一無二と言っても過言では無い技術力によってスーツは生み出され、美希の「空気調律」能力は美希のポテンシ
ャルを最大限に引き出すことに成功した。元々能力についてはそこまで秀でていなかった美希が「機構」指折りの使い手にまで
上り詰めることができたのは、スーツのおかげだと美希は重々承知している。

ただ、その技術者は不幸な事故により、もうこの世にはいない。
だから、何らかのアクシデントでスーツが壊れてしまった場合。もう新しいスーツは作られない。それが意味するところを、美
希は知っていた。いつか、いつの日か。その日がやって来ることを。

山道を、ひたすら奥へと進んでゆく。
二人の刺客を巻くためには車を捨てざるを得なかった。ただ、春水と合流した後に麓の町で調達すれば何の問題も無い。
ひたすら続く、一本道。その形状が方向音痴な美希にはありがたい。そもそもその方向音痴も、美希が「空気調律」の能力者で
あることから起因しているものだのだが。

少し歩けば、春水とすぐに合流できるはず。そう美希は予測を立てていた。
しかし、歩けど歩けど春水の姿は見えない。それどころか、奥に進めば進むほど例えようのない嫌な予感が美希を襲っていた。
まさか。そう思った時に、鼻をつく臭い。

何かが、焦げたような異臭。
そして。荒らされた地面。激しい戦闘が行われた痕跡に違いない。
足跡は、引き摺られるように奥へと続いている。

まさか、あの二人はただの囮!?

運ぶ足が、必然的に速くなってゆく。
春水の身が危ない。美希の推測通り「白菊」「黒薔薇」の二人組が囮ならば、春水を待ち受けているのは。
全速力になってすぐに、正面の暗闇が紅く輝く。ほんの、一瞬の瞬き。それでも、美希にはそれが春水の放つ炎であることは
理解できた。

821名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:53:35
光源が近づくにつれ、瞬きの間隔は広がってゆく。
まずい。早く辿り着かないと!! 必死の思いで、肺を絞るように駆ける美希が見たものは。

「あれ、ずいぶん早かったなあ」

最初に見た時と同じ、柔らかな笑み。
暖かく、そして甘いミルクティーのようなその表情。そしてそれとは反比例するような、瞳の色の冷たさ。

「もうちょっと遅かったら、こいつに『とどめ』のちゃぷちゃぷやったんやけど」

ピンク色の看護服に身を包んだ女の、足元には。
文字通り血に沈んだ、春水の姿があった。

「春水ちゃん!!!!」
「く…来るな…や…あん…たは、逃げ」

喘ぐように言葉を出そうとする春水、しかしその頭を女が無情に踏みつけた。

「こいつが悪いんやで。『あの子』に届こうなんて、身の程知らずのことをするから」
「今すぐ!!春水ちゃんを離しなさい!!!!」
「ま、楽しい殺人ショーや。ギャラリーが一人くらいおっても、ええかな」

美希の言葉などまるで届いていないとばかりに、懐から数本のナイフを取り出す女。
女の能力は、「磁化」。磁石化された春水の体にナイフが落とされたら。磁力の力で深くえぐり込まれるナイフ。飛び散る鮮血。
そのヴィジョンは。美希の感情を激しく昂ぶらせる。

「Free her(彼女を離せ!!)!!」

走る紫の電撃。
空を裂く勢いの光線に、思わず後ずさる女。

「…死体が、一つから二つに増えるだけ。そう、思わへん?」

女の笑顔が、消える。
瞳の色と。体を流れる液体同様に冷たく、感情のない顔。
流れ込む悪意と殺気に、思わず美希は身を震わす。
だが、ここで退くことは、春水の死を意味する。
「機構」きってのエージェントである美希でも経験したことの無い、修羅場が今、幕を開けようとしていた。

822名無しリゾナント:2017/01/29(日) 13:56:30
>>808-821
『リゾナンター爻(シャオ)』番外編 「煌めく、光」 
後編はまたのきかいに

今日は狼には転載できなさそうです
代理していただけると爻、とってもうれしいですw

823名無しリゾナント:2017/01/29(日) 19:05:19
転載行ってきます

824名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:28:13
 では あとの事はお願いします 生田さん
 すみません 同じサブリーダーなのに私が先だなんて
 もしも薬の効果が中途半端に切れてでもした時は生田さんの
 チカラでしか抑える事は難しいと思って…
 や 大丈夫ですよ なんならレアでもミディアムでも…
 ごめんなさいごめんなさい冗談ですひぃ 本気で焼かないでっ
 ……でも本当に お願いしますね “次の私とも”それなりに
 接してあげてください ではまた


連続殺人犯は短命だ。
何故なら最後には逮捕されるか、精神が崩壊して自殺する事が多い。
多いとはいえ、結果が分かっている場合だけで、ほとんどの事件に
倣えばほとんどは未解決のものとして過去に流れていく。

カウンターの上に接続されたパソコンの画面を見て、春菜は顎に手を、肘をつく。
喫茶店内の窓を横切るのは通勤する背広姿や学生。
『リゾナント』のある十四区より東にある第十八区、十九区は全年齢共通の
教育機関が設置してあり、第二十区は新暦を迎える以前に設立された
ベンチャー企業群が連なり、今では二十三区まで拡大している。

二年前の日本壊滅から、二年の歳月で他国の支援を得ながら
システム機能を少しずつだが回復の兆しを見せている。
本来東京が存在した地域に新たに設立した共同復興都市『TOKYO CITY』
その裏ではリゾナンターの志に賛同した後方支援部隊の活躍による所が
大きいという話だが、彼らはその姿を見せずに未だに行方をくらましている。
今でも各地区でひっそりと活動しているらしいが、真意は不明のまま。

825名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:30:10
朝早くからの経理手続きや仕出しの手配を終えて、春菜はネットによる
各地区の動向を探っていた。主に掲示板やチャットだが、馬鹿には出来ない。
壊滅した後の日本であっても、ネットに依存してきた月日を考えれば
こんな便利なシステムを簡単に手放す訳がない。

“隠れ蓑”である喫茶『リゾナント』での情報収集力は先代から受け継いだ
ネットワーク網を介してであり、信頼する”情報屋”よりもその性能は
良くないが、見過ごせないものも確かに文字として、事実として映る。

 『また第七区で殺人事件だってよ』
 『あそこは珍しくないじゃないか。あそこは黒社会の入り口。
  ま、昔宗教集団が起こしたバイオテロ事件の方がよっぽど凄いけどな』
 『生体実験もしてたってホントかな?ドンが酔狂してたって』
 『どんだけ地球嫌いだよ』
 『国一つ沈めようとしてた奴らがなんで西を牛耳ってるんだ?』
 『詳しい事は未だに政府が黙ってるから分かんねえよなあ。
 誰が黙らしたのかも知らねえし』
 『お前らまたその話してんの?何スレ立てたと思ってんだ。
 『半年頑張ったけど結論でなかった悪夢再来』
 『残り火がなにしようが東に来なきゃどうでもいい』
 『二十二区はヤクザの頭が背負ってるって話だぜ』
 『マジかよ。俺の兄貴が働いてんだけど』
 『兄貴カワイソス。転職勧めてやれよ』
 『お前ら誰か乗り込んで来い』
 『指名手配犯にもならねえから野放し状態』
 『法律なんてそんなもんだよな。日本壊滅フラグキター?』

 来させないっつーの

春菜はため息を吐きながらパソコンを閉じた。
関心や興味のない者達が集まった所で真実には辿り着かない。
だが不幸の味は蜜の味。
楽しみを失った人間は卑下する為に満たされようとする。

826名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:31:28
情報を与えるのは楽だが、不幸を撒く行為だけはしたくない。
こうして網に引っ掛かるだけの魚で居てくれた方が良い事もある。
そこまで考えて、苦笑した。

自分も同じじゃないか、春菜の鼻孔にコーヒーの香りが刺激する。

 「またそんなの見てんの?」
 「情報を集めるには一番効率いいんだよ」
 「ガセも多いけどね。あまり真に受けないことが吉よ」
 「占いでも始めた?」
 「一回千円」
 「地味に現実的な金額ね」

亜祐美がカウンターの椅子に腰を下ろし、マグカップを傾けた。
凛々しい眉に瞳は狼と悪戯っ子が同居した様な印象を受けさせる。
受け取ったマグカップのコーヒーは砂糖入りで甘みがあった。

 「でも学生生活の時ってさ、周りの情報だけが頼りだった所ない?」
 「ああうん、分からない事もないけど」
 「今も平行線な気がするんだよね。
友達や街の人達に気持ち悪いやつだと思われない様に、とか。
  明るく楽しい人を演じて、空気を維持したり、とか。
  将来の夢の心配とか、家族事情も空気を読まない話にしない様に、とか。
  あ、言っとくと私じゃないからね。周りがそうだったって事だから」
 「でもリゾナンターになったのも学生の頃だしさ、よくもったなって思わない?」
 「今思い出すとね、目標があったからだと思うよ」

827名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:32:24
 他人を虐待する学生は相対的に目標が遠ざかる。
 何も目標がなくて日々が退屈な獣たちが強制的に詰められた檻では
 生き残るための共食いが行われるからだ。
 
 「社会人になってみて分かったのは、学生時代とは比べものに
  ならないぐらいの我慢大会がそこら中で行われてるって事。
  …どこかの親が女の子一人での外出に何も言わない事と同じ。
  親としては成績が上がって進学実績を出してもらえるか、芸能界でも
  入って自立してもらえればどうでも良かったのかもね。
  でも、今は感謝してるみたい」

過剰な干渉を見せずにやりたい事をさせてもらっている。
知識や精神を、好き嫌いを洗脳されなかった事でこうして生きている。
それがきっと相対的に得られたこその祝福だと思った。

 「あれ、なんか私達、らしくない事話してる?」
 「今更かよっ。……私もなんか軽く語っちゃってた気がする。
  はは、ここ最近昔とか思い出さなかったのに、なんでだろ」

グイッとマグカップの中身を飲み干し、春菜は背伸びをした。
その顔は少しぎこちない。落ち着かない様に髪を掻き下げる。

だがそれも無駄だと理解したように、春菜は笑った。

828名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:34:11
 「ま、いっか。そういう時もあるよ。でもさービックリしたよね」

  鞘師さんが外国留学して一年、鈴木さんが福祉関係の仕事がしたいって言って
  もう半年が経つんだよ。早いもんだね。

 「最近はあんまり連絡来ないけど、忙しいんだろうし気長に
  待ってようかと思って。今頃なにしてるんだろうね二人」
 「外国かあ。遠いね」
 「でも、元気にしてるだろうから心配いらないでしょ」
 「心配は全然してないけどね、まーちゃんが最近よく気にしてるから」
 「まーちゃん、もう熱は引いた?ごめんね、私もお見舞い
  行きたいんだけど……」
 「何言ってんの、マスター代理なのに風邪で寝込んでる子の
 お見舞いなんてリスク高過ぎだから」
 「じゃあ、今回も何か持ってってあげてくれる?」
 「そのために来たのを今思い出したわ、ご馳走様」
 「今日は何を持っていく気?」
 「そうね、軽いものっていったらやっぱりパン?」
 「パン好きだねー」
 「お母さんが好きだったのものだからねーま、あれほど
  美味くはないけど、食べれないことは無いから全然」
 「あ、昨日のおかずの残りあるからお惣菜パンにする?」
 「なんでも持ってきて、挟めば全部惣菜パンだから」
 「雑だな〜」

それぞれマグカップを持ちながら厨房へ入ろうとすると
カウンターに置かれていた春菜の携帯に着信が入る。

829名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:34:44
 「あゆみん、ちょっと画面見てくれる?」
 「え?いいの?」
 「いいよ。その携帯は殆どメンバーだけだから」
 「じゃあ全然見るけど、えーと………あ、どぅーだ」
 「出てあげて。今冷蔵庫開けてるから」


工藤遥は第十五地区のマンション群で佐藤優樹、小田さくらと共に
過ごしている筈だが、何かあったのだろうか。
今から会いに行くのだからどんな惣菜がいいか聞いた方が良いだろう。

 「あ、どぅー?今はるなん手が離せないのよ。
  うん、今ちょっとお店に寄ってんの、ねえ差し入れにさ
  パンにしようかと思ってるんだけど中身とか…え?
  うん、うん……………え?尾形と野中が、居なくなったあ?」

春菜が厨房から顔を出し、その表情には困惑が浮かぶ。
亜祐美の表情は強張り、指示を出すと慌てたように電話を切った。

 「二人が昨日から帰って来てないって」
 「昨日!?なんですぐに言わなかったのよ…」
 「とにかく話を聞きに行こう、あ、生田さんにも連絡しないと」

第十六区に居る生田衣梨奈への連絡はすぐに繋がった。
用意していた材料を再び冷蔵庫に入れて裏口から外へ出る。

二人が走り出す姿の背後に静かに佇み、蠢く闇はすぐに消えた。

830名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:36:55
怪しいと感じたのはその錠剤の形状、色、そして匂い。
全てにおいて小田さくらはその薬がどんなものかを知っている。
ダークネスが幼い子供達を”手懐ける為”に開発したものであり
さくらや牧野真莉愛、羽賀朱音は効果を試薬された被験体だった。

 精神系異能者の手によって精神を支配、干渉する為の
 微細な成分が調合してあり、それによりまだ
 異能の制御が甘い子供達に何度も服用させては”洗脳”して
 都合のいい実験体を作り出していた。
 依存症はないが副作用による精神異常を来す者も多かった。
 だが稀に、異能として発現する者が居たのも事実だ。
 真莉愛のようなドーパミンにも似た『覚醒物質』を与える事に特化したり
 朱音のように痛覚を遮断する『制御法』を会得する者も居た。

真莉愛と朱音は精神的にも不安定な部分が多々あったり、身体的な
発達にも影響を与えていたが、今では落ち着きつつある。

そういえば一人、不可思議な女の子が居た。
他の子供とは違い、まるで”自分の意志でそこに立っている”とでも言う様な。
『鏡使い』と言っていたが、そのチカラは念動力のようで。
発火能力のようで。風使いのようで。水使いのようで。発電能力のよう。
多種多彩が混じり合って朱色から黒へ変換されていくような。

決して混じり合えないもの。
不気味な気配と共に佇んでいた彼女の隣に微かに見えた”穴”。
あれは一体何だったのか。もう一度再会した時に聞いてみたいと思っていた。

831名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:37:38
―――どうして今こんな事を思い出しているのだろう。
これに頼る”時”を迎えたからなのか、胸騒ぎが、止まらない。
錠剤をケースに入れる。処分する事を決めかねていると。

 「お団子ー入るよー」
 「それは入る前に言うセリフですよ佐藤さん。開けるのと同時じゃ意味ないです」

振り返ると同時に机の引き出しにケースをしまい込む。

 「はいはい。よいしょっと」
 「ちょ、当たり前みたいに布団の上に、しわが出来ちゃうから…。
  そういえば佐藤さん。工藤さんが熱冷ましの薬に飲んでないの怒ってましたよ」
 「お団子が飲んどいて」
 「それじゃ意味がないので。フォローするのも限度があるんで」
 「むー!てかもう前の前の日に治ったって言ったのに!」
 「ちゃんと処方してもらったんですから全部飲まなきゃ。
  ていうかこんな所でのんびりしてていいんですか?」

さくらが人差し指で扉を示す。黒い影が覗いていたかと思うと
おどろおどろしく片目を黒髪で隠し、揺れた言葉が響き渡る。

 「まーーーちゃーーーんーーー?」
 「脱出!」
 「小田ちゃん!」

フィンガースナップ。『時間操作』により巻き戻された佐藤優樹の
『瞬間移動』は簡単に容易に妨害されてしまった。
一瞬何が起こったのか理解できなかったが、瞬時に佐藤の睨みが
小田を射抜くが、見て見ぬ振りをする。

832名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:39:07
 「逃げんな!ぶり返したらまーちゃんが苦しいんだぞ?」
 「もう治ったってば!熱だって計ったら問題なかったし!
  どぅーの作ったあんまり美味しくないご飯だって食べれるしーっ」
 「はあー?まーちゃんだって同じようなもんだろ」
 「ちょっと佐藤さんやめ、ベットで飛ばないでー!」

優樹はこの二週間、寝込んでいた。絶対安静で。
肺炎によって気管に炎症を患っていた為、喋る事も困難だったほどだ。
病院で入院する事も考えたが、優樹が家に帰りたいと愚図ったのを
考慮してもらい、自宅療養してつい先日、ここまで回復したという訳である。

それぞれは部屋を設けてもらい、実質ルームシェアという形で
マンションを居住区としている。ちなみに隣部屋は春菜と亜祐美が共有している。

 「でも私の記憶違いでないなら、佐藤さん泣きながら工藤さんのご飯食べてましたよね」
 「美味しくなかったから泣いたの!責任とってよね!」
 「じゃあまたご飯作ってやるよ」
 「それはもう良い!てか何言っちゃってんの?なんで居るの?」
 「ここ私の部屋ですよ佐藤さん」
 「今どぅーと喋ってんの!だーさくだかさくらんぼーだか知らないけどあゆみんと言い合ってな」
 「ここに居ない人をディスるのやめなよ。
  …別にご飯のうまいマズイはいいんだって、自分でもよく分かってるから。
  でもやらなきゃいけない事はちゃんとやらなきゃダメだって事が言いたいのハルは。
  いつかもっとヒドい怪我や病気になるかもしれないんだぞ?」
 「そうですよ佐藤さん。工藤さんの言いたいことも分かりますよね?」
 「……わぁかったよぉー」

渋々だが最後には理解してくれる。
愚図ると分かっているから遥もさくらも始終の事柄に大きな声は上げない。
猫型のクッションに当て付けるように掌を振り上げてるのは気が気じゃないが。

833名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:39:50
 「じゃあ今日はまーちゃんが食べたいもの食べようぜ。何がいい?出前?」
 「別になんでもいー」
 「それが一番困るんだけど、何もないならまたハルの美味しくないご飯だからな」
 「別にいーよ……それで。まさも手伝うから」
 「じゃ、じゃあちゃんと美味しくなるように味見してよ?」
 「…しょーがないなあ。ホントに手間のかかる子だよ」
 「でかい顔できるのも今のうちだからな。まーちゃんの味見で
  美味いかマズイか変わるんだぞ」
 「じゃあやんなーい」
 「じゃ、まーちゃんだけ朝ご飯はおあずけだな」
 「…どぅーなんてだいっきらいっ」

結局は優樹の嫉妬心による所が大きいのだが、その心が向う先は
彼女への愛深きものなのも周知の事実である。
目の前で揉め合う二人を背後に皺の寄ったベットと暴れた拍子に落ちたぬいぐるみ。

 「あのー痴話喧嘩なら片付けてから始めてもらってもいいですか?」

朝食を済ませた後のブレイクタイム。
昼には亜祐美が様子を見に来るという事で何が言いかと思案していた。
玄関のチャイムが訪問者を告げる。

 「石田さん、じゃないですよね。いくらなんでも」
 「どぅー出番だよ」
 「粗いなあ」

834名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:40:43
優樹に背中を叩かれ、遥はリビングの扉に視線を向ける。
『千里眼』の発動に暖色の煌めきとピーナッツ型に瞳孔が変形。
視覚的物質無効化と透視で玄関先に立つ誰かを視た。
同時に呆れたような、困惑した顔を見せる。

 「まりあが号泣して立ってんだけど、どうする?」
 「そのままにしたらご近所に怪しまれます」
 「だよなあ、ちょっと出てくる」

遥が扉を開けたと同時に牧野真莉愛の泣き声と慰める声が辺りに響く。
リビングに遥に肩を支えられた真莉愛と背後から羽賀朱音が顔を出す。
今日は休校のはずだが、朱音と真莉愛は制服姿だった。

 「まりあのせいでーっまりあのせいでーっ」
 「ちょっと落ち着きなよまりあ。ほらティッシュ。お茶飲みな?」
 「うぅ、ぐ、あい……」
 「どこの泣き上戸のじっちゃんだよ…何があったのさあかねちん」
 「その、簡単に言うとはーちんと野中ちゃんが行方不明なんですよね」
 「はぁっ?いつから?朝?」
 「昨日の夕方から……」
 「昨日!?なんでもっと早く連絡しないんだよ」
 「確かあかねちんは書道の合宿に行ってたんだっけ」
 「はい。帰ってきたらまりあちゃんが居なくて、そしたら
  こんな状態で帰って来てどうしようと思ってここに」
 「お前まで行方知らずになってんじゃないよーもー」

835名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:43:00
 「う、気がついたら菜園場で寝てました。ごめんちゃいまりあ」
 「そこで茶化さない。菜園場って里山?」
 「違います。学校の、お茶畑でずっと摘んでました」
 「え、まりあも合宿か何かだったの?」
 「いえ、部屋に居ても落ち着かないし、探しに行っても誰も居ないし。
  作業してたおばちゃん達のお手伝いを。昨日と合わせて40キロも摘んじゃいました」
 「記録更新してるし、てか一人でそんな事してたんだ…いや違くて。
  で、で。それがなんでまりあのせいになるの?」
 「昨日菜園場に向かう途中で二人に会ったんです。先に帰ったはずなんです。
  なのに連絡がつかないし、あかねちんも居ないし、工藤さん達に
  迷惑かけたくなかったし、怒られる前に見つけようと思って…」
 「まりあ…でもお茶摘んだのね」
 「うう、他にもたくさん収穫してから大変そうでつい…」
 「まりあさあ……あ?」
 「牧野、顔を上げて」
 「うえ?ぅぷ……」

遥の声を遮る声に真莉愛が顔を上げると、優樹がタオルを彼女の顔に押し付けて拭った。
拭い終えると頬を引っ張って、ジッと視線を交える。

 「いたいれふ、さおうはん」
 「泣き止まないとこの十倍の力で引っ張るよ」
 「ほめんなはひほめんなは」
 「牧野が本気なのは分かった。探すよ、一から」
 「……はい」
 「まりまーでしょ!」
 「はいっ、はいっ!佐藤さん!ついて行きます!」

真莉愛の泣き顔にそれだけを言って、優樹は頬を離した。
さくらと遥に視線を向けると、パンッ、と両手で乾いた音を鳴らす。

836名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:43:40
 「って事でそっこーで探したいんだけど、これ以上なんかある?」
 「……ま、その通りだな、はるなんに連絡してくる」
 「あかねちん、とりあえず着替えてきな」
 「あ、はい。まりあちゃんの服も持ってきます」
 「まりあももう泣かないの。お腹すいてる?おはぎ食べる?」
 「あ、え、い、頂きます…」

さくらに差し出された市販のおはぎを無表情のまま食べ続ける真莉愛の背後で
脱衣所の洗濯機にタオルを投げる優樹にさくらが声を掛ける。

 「ありがとうございます佐藤さん。空気変えてくれたんですよね?」
 「落ち着かないんだよーああいうジメジメしたの。
  雨降ったみたいに気持ち悪いの嫌いなんだよね、外で遊べないし」
 「なら晴れてる内に探しましょうか。今日で見つかりますかね」
 「見つかるまで探せばいーんだよ。どぅーにも言っといて。
  あ、やっぱいいわ、まさが言うから言わないで」
 「分かりました」

記憶の差異はあるが、優樹の根本的にある起因は変わらないようだ。

 「なに笑ってんの。さっさと準備っ」
 「佐藤さんもしなきゃダメですよ」
 「今しに行くんだよーだ!」

試薬を作るのにどれだけの異能者が関わり、被験者が居たかは分からない。
だが製作者の中で一人でも「子供達に救いを」と願ってくれていたなら
例え重い罪でも微笑んで許してしまっただろうか。

考えて、さくらは静かに苦笑した。

837名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:44:35
街角の大画面では報道が流れている。
報道官は三日前の興業支社襲撃事件を都内で第一事件と報道していた。
二十七人が殺された事件に住民が不安がっている。
街を行く人々は「最近は物騒になった」と言っては娯楽として消費するか
そもそも無関係だという顔で歩いていく。
第十区から西側の映像も放送されていた。
街宣車が通り、道を行く人々のうち何人かは息を飲む。
車体には興業の名前や愛国の文字が並び、それは組織が復讐に
動き出した事を示していた。
強化ガラスの窓の向こうの運転手は血走った目で街を見渡している。
助手席の男の顔には歪な傷跡が無数にある、カタギの顔ではないだろう。

ああ、戦いは終わりを知らずにまた始まるのだろう。

陰惨な事件は解決しようとする人間、聞いて知った人間を蝕む。
普通の人が信じる平和で、秩序によって整頓された世界をそのまま信じてほしい。
西側も別の意味でも秩序であるならそれを信じてほしい。

けれど信じるだけじゃどうにもならない事も世の中にはある。

 「おはようございます生田さん。朝から運動なんて精がでますね」
 「おはよう。どう?情報屋の端くれになってみて」
 「日々勉強中です、あ、オムライスご馳走様でした。
  クールなのに優しい二面性がやっぱカッコいいですね」
 「素直に受け取っとくよ。で、事件の情報とかある?」
 「十区から凄い騒ぎですよ。第七区は警察の車で侵入禁止になってます」

838名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:45:21
警察官の群れは殺気だって武装する男たちを制止する。
組織の上層部たちが入れろと言えば、警察官は入れられないという
問答を繰り返していた。

 「救急隊によればそれはもう見るもたえない人達が倒れてて
  原型を留めてないものは袋に詰めなきゃいけなかったそうですよ」
 「そんな細かくはいいから、帰ったらご飯食べてんくなる」
 「まあ簡潔に言えば、その会社を取り締まっていた若頭と共に全滅。
  見た人の中には縋りついて泣いてる人も居たみたいで。
  やり方は強引でしたけど、人柄と人望は厚かったようですね」
 「情報屋の知識を借りるとして、犯人は複数?」
 「一人です」
 「根拠は?」
 「玄関や壁には組織に所属していた人の痕跡しかありません。
  爆弾跡や弾痕、扉を破壊したのは車を使った可能性もありますが
  それにしては襲撃の目的は一人に絞っていたと考えます」
 「監視カメラの映像とか写真はないの?」
 「死体の写真なら大量にありますけど」
 「分かった。何かあったら連絡してよ。てか心強いね」
 「やー耐性って怖いですね。憧れの生田さんとお話が出来て良かったです」

帽子を深く被り、”情報屋”は人混みへと消えていった。
生田衣梨奈は鬱陶しいとでも言わんばかりに空を見上げて髪を掻き
居住区へ帰る道のりを走っていく。

帰って来て早々冷蔵庫からペットボトルを取り出して部屋に入る。

839名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:46:19
衣梨奈はベットの端に背を預けて静かにため息を吐いた。
布団に丸まって眠り続ける彼女に目を落とす。
外に散らされた黒髪に衣梨奈がしなやかに伸び、後頭部を撫でる。
呻くと彼女は態勢を変えたのか、また寝息が聞こえた。頭を軽く叩く。

 「そろそろ起きんかい」
 「んー」
 「顔洗ってくるけん、はよ起きんとご飯食べるよ」
 「んー」
 「もうしらーん」
 「んーっ」

窓から差し込む朝の光が洗面所に満ちていた。
手摺りにかけられているタオルで洗った顔を拭き、戻す。
正面、洗面所の鏡に自らの顔が映り、茶髪に黒い目の整った輪郭が見える。
いつも浮かべている皮肉な笑みも今はどこか遠い。

 「えりぽんいい?」
 「ええよ」

洗面所の扉が開けられ、譜久村聖が顔を覗かせる。
赤いフレームの眼鏡が僅かに歪んでいた。
長い黒髪の下にある黒い目がまだ眠いと訴えかけてくるが、挨拶する。

 「おはよ」
 「おはよ……あーやっちゃった。今日あそこのスーパーで
  卵の特売日だったのに、あゆみちゃんに怒られる」
 「いくら安かったと?」
 「五十円。ここから近いから買っておくねって言ったの。
  えりぽんに頼めばよかった…」

840名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:47:45
 「えりそこまで散歩で歩いてきたけん」
 「うー、あ、だからお風呂入ってたんだ」
 「汗だくなの嫌やもん」
 「お昼どうしよっか、お店にでも行く?」
 「顔見せに行けると?」
 「うん。これ以上休んでもられないからね」
 「じゃあお風呂入り。準備しとくけん」

譜久村聖も優樹と同様に高熱で倒れていた。

二週間という長い期間で運動も出来ずに窮屈な生活を送っていたが
今では表情にも明るみを取り戻している。
聖に変わり喫茶『リゾナント』は春菜と亜祐美に任せていた。
調理に携わっていた二人だからこそ心配はしていないが
常連客からの声もあってそろそろ復帰しても良い頃合いだろう。

ドライヤーで髪を乾かし、ヘアブラシで整えて髪を結える。
衣梨奈の手で彼女の髪には艶が戻っていく。
お風呂から上がってきた聖からは眠気が消えていた。

 「はーなんか、こんなに休んだの初めてかも。
  寝すぎて体が痛い。里保ちゃんよくこんなに寝てたよね。
  香音ちゃんがいつも雑な起こし方してたなあ」
 「みずきがずっと騒いでるのと一緒やろ」
 「優樹ちゃん達よりはまったりしてると思うんだけど。あ、優樹ちゃんも大丈夫?」

841名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:48:37
 「熱があっても暴れ回ってたみたいやから心配ないよ」
 「いやいや、そっちの方が心配だよ。皆ちゃんと寝かせてあげて。
  他にも何かあった?テレビとか見てないから外の事全然分かんないや」
 「あると言えばあるけど、聞きたい?」
 「聞きたい。え、聞いちゃダメなの?」
 「西の方で殺人事件が起きたと」

目の色が、変わる。安堵。彼女の色が戻ってきた。
泣き腫らして濁りきった目ではなく、リゾナンターのリーダーとして
意志を込めた目で衣梨奈を見据える。

概要を話し終えると、録画しておいたニュースなどに全て目を通して
残しておいた新聞の記事を読み、一息入れる。

 「久しぶりだね。こんなに大きい事件」
 「情報屋によると犯人は一人じゃないかっていう話」
 「一人…?これだけ一人で出来るものなの?」
 「知らん。でも出来んことはないやろ……能力者なら」
 「そっか……よし、頑張ろうか」

受け入れる。聖は記事をまとめながら自分を奮い立たせる。
“記憶の予定調和を越えた”のだ。

 「すっきりしとおね」
 「ん?うん、なんかね爽やかなの。よく寝たからかな」
 「凶悪犯やけど、もしもの時はどうすると?」

842名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:49:23
 「道重さんの決めた心を変えることはしないよ。
  絶対に死なせない。死んで終わりになんてさせない。
  たとえ重い罪でも絶対に生きて償わせる」
 「じゃ、その為にえり達も頑張るよ」
 「頼むね」
 「出来るだけやけどね。やる事はやるよえり」
 「努力努力」

握手を促され、衣梨奈は握り返す。
その時、衣梨奈の携帯に着信が入る。二件の通知。
一件は工藤遥から。もう一件は情報屋からの依頼だった。

 ―――そういえば どうして生田さんじゃなく私が?
 新垣さんなら生田さんの方が…………ああ なるほど
 うまくダシに使われた訳ですね……ふふ 大丈夫ですよ分かってます
 はあ そうですね前向きに行きましょう何事にも
 覚えてなくても覚えてることがあるならそれでいいですよね
 だって、まーちゃん達とまた話せるのが楽しみで仕方がないですもん

843名無しリゾナント:2017/02/07(火) 03:54:28
>>824-842
『朱の誓約、黄金の畔 - Forget about me -』

ラジオでカップリングの話があったようで興味深かったです。
ひなフェスの最終日に横山玲奈ちゃんがソロで歌うというのを聞いて
生で聞いてみたかった…。

844名無しリゾナント:2017/02/07(火) 04:00:39
『転載について』※ここは投下しないでください。

今回だいぶレスが長いのでどこかで半分にして投下してくださるととっても嬉しいです。
どうしても日常描写が欲しくてほぼ全員分書いたらとんでもない事に…。
二度とこういう無茶な事はしないようにしますので……。

845名無しリゾナント:2017/02/07(火) 04:04:44
あ、また微妙に誤字がorz

846名無しリゾナント:2017/02/08(水) 18:56:06
転載行ってきます

847名無しリゾナント:2017/02/08(水) 19:07:00
>>824-829
取り敢えず前編って事で転載済

848名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:01:17
第七区より西側はもはや闇の吹き溜まりだ。
表面はそうではないが、裏面を見ればそこら中に死体の山がある。

西と東が区分されてしまった理由は想像に難しくない。
同じ敵を仕留める、という目的のあった同種が囲めばその目的を
達する期間だけ、お互いの存在を認め合えるのだろう。
だが、その目的が達成されてしまえば、次の目的を得るしかない。
達成すれば次を、達成すれば次を、達成すれば次を。
それは欲に近いものなのだろう。狩人は獲物が居なければ生きていけない。

闇の味を知ってしまった者は欲を満たすために自身への生贄を求める。
弱者を、強者になるために消し去ってしまえという自己中心的な考えに喰われる。
そうして生き残ってきたとしても、いつかは駆逐される側となるとも知らずに。

加賀楓の目の前で一家を率いる組織の右腕が大きく深呼吸する。

黒い目には怒りと殺意が充満していた。
ダークネスの日本壊滅後、大抗争の末に三大組織と中堅組織による
平和協定を組んで均衡が保たれていた黒社会に突然訪れた嵐。
翻弄される日々、それが何よりも男を腹立たせる元凶だった。

 「お前が叔父貴の仇か」
 「仇って何?」
 「お前が何者かなんてどうだっていいんだよ。
  だがこのままじゃ俺達が危ないんでね、早々に消えてもらう」
 「この外見で騙せれる時代じゃないか。上等。
  私もあんた達の今後一切の人生をこの世から断ち切ってあげる」

849名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:02:10
お前達の闇ごと切り裂く。報復と知れ。
侠客の突進の上空に炎。

 「骨すら残させない、焼き尽くして死ね!」

楓が黒塗りの刃を振り回す、円環から突然現れる【門】からの
無数の火炎鳥が飛翔していった。

 「蜂の巣にしてやる!」

組織の屈強な男たちが一斉射撃。
違法改造されたサブマシンガン、ショットガン、アサルトライフル。
機関部から凄まじい数の空薬莢が吐き出され、炸裂する。
火炎鳥の悲鳴が響くが、撃ち落とせないものは追撃を止めない。

 「武器屋を出せ!」

右腕の怒声に三人の男達が現れる。組織が雇った助っ人だろう。
黒いローブを纏う姿に見覚えがあった。楓の目が一際鋭くなる。
彼らが広げたローブから大量の火器銃器が召喚されていく。
数十丁にも及ぶグレネードランチャーの総員射出に全員が物影に隠れた。

 「粉々になりなあ………!!?」

爆裂が不自然に断ち割られる。全てが無効化されていた。
濛々とした破壊の煙の中で、生存者たちの顔が上げられていく。
女の背後に見えたのは巨大な朱色の柱が二本。
樹齢千年はあるであろう木材で作られたかのような太い朱色の柱。
闇に覆われていた【門】は【鳥居】だった。

850名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:02:53
丹塗りの表面に白い斑点がある。斑点は長方形の紙片。
夥しい解読不明の札が張り付けられているのだ。
それが異能に通じる者ならそうであると誰もが理解できたが、門扉を
建造する為の超巨大なチカラのみで襲撃を無効化してしまったのだ。
嵐の前では微風が掻き消される原理に似ている。

 「見えてる?これがある限り、所有者の許可されたチカラしか発動できない。
  門は邪悪なる獣を封じ込めるための、いわば罪の証だ」

【鳥居】の柱の表面に貼られた呪符が青白い燐光を放つ。
全ての呪符に描かれた凄まじい数の呪印が焼き切れた。
朱色の門扉の間、四角形の空間が歪む。凄まじい悪寒。

 「つまりあんた達がどれだけの能力者と武器を携えても無意味。
  ただ死ぬ人間を選別してお互いに心中し合うしかないんだよ」

男達が出会ってきた戦場において何度も救ってきた本能的な危機感。
右腕として一家を率いた男の両足は流れるように全速後退に移行。
歪曲した空間から現れたのは青白い塊だった。

仮面を被った八本足の異質な生物に絶句する。仮面に亀裂が開かれたかと思うと
鰐のような虎のような獰猛な牙が並び、口腔は白煙を上げる唾液が糸を曳いていた。
吹きつける吐息はおぞましい程に熱い。

 「殺せ!殺せ!殺すんだああああああ!!」

悲鳴混じりの銃火器を一斉射出。
『武器屋』が『炎使い』、『土使い』、『光使い』の異能者を次々と召喚する。
爆裂、雷、熱、光、砲弾。無いよりはましだが、無能には変わらない。

851名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:03:49
轟音。
巨大な仮面が閉じられ、異能が火炎鳥ともども食われる。
口腔が咀嚼するように動く。異能の燐光が零れた。

召喚された異能者の中に【鳥居】の無効化をただ茫然と思考する者が居た。
異能自身が咀嚼する事で異能力を還元している。

異獣と呼ばれる存在を行使する里があった事を記憶が呼び起こしていた。
ダークネスによる日本壊滅時に中国からの護衛官が”隠れ里”へ訪問し
“白金の夜に”参戦する交渉をによってそのチカラが外へ公になった。
だが四年前に突如”里ごと消えた”という話を風の噂で聞いた事がある。
女はその生き残りと見て間違いはない。
間違いはないが、だからどうだというのだろう。

黒い口腔の傍らに影があった。楓の右手が黒塗りの刃を持ち
悍ましい光の列が溢れだしている。
血の色に似た目と邪悪な笑みが全ての殺意を表す。

 「行け、行け、逝け!!」

突進。【鳥居】の空間から迸る津波の様に異獣の首が伸びていく。
男達、異能者達のチカラは開かれた口腔へ還元された。
加速した大顎。
迫る下顎はアスファルトの道を削っていく。
あまりの速度と視界を埋め尽くす口に思考と行動が停止していた。
それでも反射的に異能が紡がれる。

852名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:04:58
溢れだす涙と共に異能者達が消失した。
血飛沫と切断された手足が宙に舞い、アスファルトに落ちる。
十人が一口で吞まれたのだ。
異形の巨大な口腔と牙の間からは絶望の表情を浮かべた男達が覗く。
漏れ聞こえる悲鳴は咀嚼と共に消えた。

 「まだだ、まだまだまだあああ!!」

右腕の男が立ち向かう。刀身が煌めき、半月の軌跡の裏には既に広がる大口。
アスファルトの床が口の形に切り取られ、男の上半身は消えていた。
均衡を失って倒れる下半身を仮面は静かに飲み込んでいく。

 「ああああ、あああああ、あ、あああああああああ」

一家の男達の足が一歩下がる。
死ぬ覚悟はできても、喰われることは原始的な恐怖を呼び起こす。
人間がまるで虫のように喰い荒らされていく。
大口が喉を上げて、最後の一人を呑み込んだ。
嚥下されていく人間が異獣の喉に膨らみを作り、終わると平坦に戻る。

 「ハーッ、ハーッ、ハーッ、ハーッ」

楓は重い呼吸を繰り返す。手が震え、黒塗りの刀身にも伝染する。
間違えて滑り落ちてしまえばまだ暴れまわる異獣との契約が切れる。

そうなってしまえばどうにもならず、楓は彼と共に【鳥居】へ
取り込まれるしかない。黒塗りの刃に力を込める。
呼吸を整えて、楓は動悸と抑えるために貪るように呼吸する。

853名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:06:10
視界には赤々と燃える第六区の街が広がっていた。
炎は天を焦がすように燃え盛っている。
これでもう一般の人間が西側へ来ることもないだろう。
第六区から第一区までの領域は”牢獄”だ。

 「大丈夫ですか?」
 「あいつを止めて。これ以上の犠牲は要らない」
 「…分かりました」

レイナが黒塗りに触れて【鳥居】から無数の鎖が出現すると
街の通行人たちを襲い始めている異獣を絡み潰す。
悲鳴を上げながらも成すすべなく吸収されていった。
楓の息遣いも落ち着いていく。

 「いくら加賀さんでもこの短期間で二十も喚んでる上に
  大型異獣は命を削ります。無理しないでください」
 「命なんて大げさでしょ、精神力と寿命は比例しない。
  ちょっと疲れただけだよ」
 「私がやりますよ。私は疲れなんてものはないから」

楓の白い手が伸びる。レイナの喉を掴んだ。
爪が白い喉に薄く血を滲ませる。

 「馬鹿言わないで。あんたを野放しになんてしない。
  人の子の皮を被ったバケモノなんて信用しない」
 「私は加賀さんと契約してます。加賀さんの望む事は
  全部叶えますし、出来ることは何でも出来ます」
 「言葉では何でも言えるの。バケモノに人の心が分かってたまるかってんのよ」

854名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:07:28
震える膝を叩き、加賀は立ち上がる。
敵はまだ居るのだから油断は出来ない。
何十何千何万の敵であろうと喰い尽くすまで止まれない。

 皆を消したあの女を殺すその時まで。

業火の音の間に、消防車の悲鳴のような警報音が響いていた。
レイナは首に滲む血に触れて、その色を見る。
色は、無かった。

 「それでもワタシはアナタをタスケタイ。
  ワタシタチノイノチヲスクッテモラウタメニ」

レイナの黄金の眼が静かに閉じられる。
炎に象られた影の彼女に歪な羽根が映し出されていた。
鈍い悲鳴と倒れ込む影に、レイナは目を開けて凝視する。

鞘に収めて安心したのか、加賀は意識を失って倒れていた。
レイナは慌てて彼女を起こそうとするが、対格差があり過ぎる。

“取り込む人間を間違えたことをこれほど後悔する事があっただろうか。”

 「手伝ってあげようか?」

見上げると女が立っていた。知っている顔をしていた。
もはや見間違う事すら出来ないぐらい精巧に作られた仮面のように思えた。

855名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:08:34
 「どうして……?」
 「どうしてだと思う?」

自分と同じ顔をしている女が静かに微笑んでいる。
横山玲奈は静かに微笑んで二人を見下ろしていた。

 「『血の共融』の反動で私は貴方の中に取り込まれた。
  でも貴方が喚ばれた事で私もこっちに喚び戻されたの。
  呼び出された私は瀕死の状態で里に放り出されてた所をある人に
  助け出されて、傷を癒してもらってチカラを取り戻した。
  三ヶ月もかかっちゃってね、その条件に、ある事をお願いされたの」
 「お願い?」
 「貴方に言ったら加賀さんにも伝わるからいーわない。
  でもその方が都合がいいんじゃないかな。貴方も私と同じで
  何か企んでるんじゃない?私のフリまでして」
 「………」
 「ごめんね。自分自身にだとなんか饒舌になっちゃうな。
  じゃ、行こうか。外まで連れてってあげる」
 「恨んでないんですか?私は貴方を殺したも同然なのに」
 「……おあいこにしてあげる」
 「おあいこ?」
 「私も貴方の居場所を消しちゃったから、おあいこ」
 「まさか……」

856名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:09:48
玲奈の微笑みに、レイナは静かに息を呑んだ。
異獣が最も恐れるのはその術を持つただの人間であるという矛盾。
その矛盾に従うしかない異獣という異界の住人。
加賀楓が使役する異獣の”共融”も究極の所は横山玲奈であるという事だ。

 レイナは異獣として、仲介役として存在するだけに過ぎない。

玲奈は何も用いずに【鳥居】を出現させて鎖を素手で解き、開け広げる。
描かれたローダンセが孤独に咲いていた。
アスファルトがゴボリと液状化したかと思うと、玲奈は態勢を崩す事もなく
形成された穴から出てきた異獣の口腔へ飲み込まれる。
楓を支えるレイナも同じく飲み込まれた。

闇の中でひたすら抱え続ける温かみと冷たい水の感触。
楓は今どんな夢を見ているのだろう。
髪に触れて、レイナは静かに彼女の頭に額を押し付けた。




目が覚めた。
心臓の動悸が激しくなっていた。久しぶりの悪夢。
空間を視線で眺め、何も存在しない事に安堵する。
悪夢の内容は赤ん坊の泣き声から始まり、傍らの奇妙な生物が
軋む声で語りかけてくるのだ。蛇のように尖る瞳。
人間のような不敵な笑み。

 「獣は愛を鳴き、啄むのは春の水」

最近、現実が悪夢化していて見分けがつかなくなっているのだ。

857名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:14:24
“見知らぬ自分”が語りかけてくる事に怯えすぎているのだろう。
気にし過ぎだと目を閉じて開いて眠気を追い払う。
思わず上半身を起こそうとするが体勢が崩れ、背後に倒れる。鉄製の音が響く。

 「あいってっ」
 「んあ?野中ちゃん何しとんの」
 「春水ちゃん?あれ?私…あれ、腕が…」
 「ああ、ったくー寝るにも骨が折れるっちゅーねん。ホンマに骨折れそうやわ」

野中美希は身動きが取れない事に気付く。
そして傍らには尾形春水が眠そうな声を出している事に僅かに安堵する。
裸足なのか、板張りの感触を足に感じ、唯一見える窓からは月が見えた。
照明はついていないのか、辺りは薄暗い。
目の前に洋風の縦鏡が設置されている、美希の視線はそこに固定されていた。

美希も春水も制服姿であり、身動きが出来ないのは壁に繋がり装着された鎖と
身体を捕縛する奇妙な枷の所為だった。
春水も同じような鎖と枷を取り付けられているが、彼女は固定されずに寝転んでいる。
通学中に何があったのか記憶が定かじゃない。。

 「春水ちゃん、どうなってるの?私達」
 「なんや野中ちゃん寝ぼけとんの?誘拐されたんやんか」
 「ゆうかい?Ghostbuster?」
 「妖怪って言いたいんやったら大外れやで。お化け絡んできたら握り潰す」
 「怖いよ春水ちゃん。Soft joke」
 「突っ込み待ちされたって時と場合を考えなあかんで、野中氏。
  計り間違えると私達みたいなのに吹っかけた日には血を見る事になる」
 「やった事があるみたいに聞こえるよ」
 「私はないよ。乙女やから…ってこんな事言うてる場合やないんや。
  誘拐されたんやで、覚えてないん?」

858名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:16:51
 「う、うーん……確かにそんな気がしてきた……でも春水ちゃん。
  今普通に寝てたよね?確実に寝てたよね?」
 「育ち盛りは睡眠欲も人一倍なんや。でも大変な事態に気付いた」
 「今も十分すぎるぐらい大変な事態だよ?」
 「違うっ、私ら今眼鏡じゃないよ、コンタクトレンズだよ。
  このまま目薬もせんと放置されるかもっていう状況を考えてみ」
 「……Impossible!」
 「その感じやと察したようやな…コンタクトを取らんと
  寝てしまうことがどんなに悲惨なことか……ふわー」

欠伸を手で押さえられず春水の欠伸姿を直で見る事になる。
変顔は見慣れてるがこれは少し恥ずかしい。
上書きされた様な言葉の列が並び、息が止まる。

 「獣は愛を鳴き、啄むのは春の水」

また聞こえた。赤ん坊の声が響く。痛くないのに痛い。頭に響く。

 「獣は愛を鳴き、啄むのは春の水」

見ると壁に取り付けられた鏡に美希の姿が映り込んでいる。
美希の目が蛇のような瞳で黒色の体を帯びていく。

859名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:18:35
 「春水ちゃ、春水ちゃん!」
 「な、なんや野中氏、びっくりするやろ」
 「私の体が、鏡!鏡!!」
 「鏡?」
 「私の体どうなってる!?What on earth is that!?」
 「んえ?………何もなってへんけど?」

美希の姿が得体のしれない怪物へと変化していく。鏡が見せつける。
怪物の象るそれは、『鳥』だ。
鏡の中の美希は鳥類へと退化させらている映像だった。
変化に致死性はないが、それだけに恐ろしい。
鳥のままで生き続けるなど最悪だ。

 「いいいいいいいいいぃぃ」
 「ちょ、野中ちゃんしっかりしいっ。鏡がどうしたんや?」

幻覚かと思われたが、鏡が幻であっても体の異常が現実だと訴えてくる。
春水が認識できる頃には美希の姿は黒い体毛で覆われた鳥類へと変化しているだろう。

獣は愛を鳴き、啄むのは春の水。
その言葉の意味を、真意を解かす思考が美希には残っていない。
あの悍ましい姿を見てから身体中に悪寒が止まらないのだ。
悪寒が麻痺へ、異常を徐々に実感する。
浸食していく自分に翼が生え出す様など考えるだけでも吐き気を催す。

 「あああImpossible! Impossible! Impossible!」
 「怖い怖いて野中ちゃんっ、何やってんのっ?」

860名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:19:47
 「■■■■!!■■■■■■■!!■■■■■■■■■!!」
 「それヤバイ英語ちゃうのっ?ヤバイ英語使ってる野中氏クレイジーやわ…」
 「春水ちゃん助け春水ちゃ……」

啄むのは春の水。

理解できるのと納得するのは同時だった。
情報端末を起動させ、脳内掲示板が意識の中に浮上する。
黒板にチョークで白字を書き足すように英語を連ねていく。

【text:一般検索『解析』
分析結果:鉄 コバルト ニッケル 鎖:強磁性体】

結果を確認して美希は『磁力操作』を春水に向けて干渉を開始する。
春水は静かになった美希を心配して何事かを言っていたが集中する。
バイオレットの煌めきに春水を捕縛する鎖が呼応するように震えた。
それに気づいたのか春水の表情も変わる。

 「何しとるんや野中ちゃんっ?」
 「ちょっと無理するけど我慢し、け」
 「野中ちゃん?」
 「時間かき、く」

鳥化でもつれる舌を必死に動かすが、本当に時間がないようだ。
夜盲症になりかけているのか急激に視力が悪くなっていく。
顏に対応が覆っていくのを感じながら美希は必死に力を行使する。
春水の鎖を必死に”引力”で働きかけるが、”重力”を伴うために上手くいかない。

 「の、野中ちゃんの顔から髭が生えてきとるっ」
 「come on!」
 「ちょっとま、バランスが取れへん」
 「come on!」

861名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:21:43
とうとう美希の言葉が言葉として成立しなくなってきたが
何の悪戯か、英語には適応されていないらしく連呼する。
春水は変化し始めた美希の状態に気持ちが慌てる。
『磁力操作』で持ち上げられた体を板張りの上で足を踏ん張り耐える。

 「ど、どうしたらええのっ?」
 「Come along!」
 「かおっ?顔貸せってどこのヤンキー…」
 「Come along!!」
 「分かった分かったっ、もう好きにせーっ」

言って春水は野中の目の前に屈んで目を閉じる。
間を置かずに、頬に温かい粘膜の感触。僅かに体毛が触れた。
後に吸い付く様な鈍い痛みに襲われる。

 「にいいいぃぃたあっ。野中ちゃん痛いっ、痛いってっ」

春水が目を開けると、すでに美希の顔は離れていく所だった。
顏の輪郭を覆うとしていた体毛が引いていき、美希は深呼吸した。

 「何でほっぺ噛んでんのっ?めっちゃ痛いっ」
 「いやごめん。ごめんよ。余裕がなくて思いっきり噛んじゃった。
  でも大丈夫、血は出てないよ、ちょっと赤いけど
  I owe you my life. Thank you.」
 「なんか全然嬉しくない〜。てかさっきのなんやったの?
 野中ちゃんの顔がまるで動物みたいに毛がワサワサーって」
 「相手を変化させる事ができるチカラを使ったからですよ」

862名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:23:47
突然の声に春水と美希が背後を振り向く。
女が、横山玲奈が微笑んで佇んでいた。

 「効果の低さと遅さから凶暴な動物には変化させられませんが
  一度誰かに使ってしまうと止められません。
  でも、まさか頬を噛んじゃうなんて、あれぐらいの言霊なら
  キスしても解除できましたよ。知りませんか?『カエルの王さま』」
 「き、キスって……あ、あんた、野中ちゃんを苦しめて何がしたいん?」
 「お二人の関係を知りたかったのと、どうやって危機を回避するのか
  この目で見てみたかったんです。すみませんでした」

玲奈が律儀に謝罪をする姿に春水と美希は内心動揺していた。
だが、美希には一つだけハッキリしておかなければいけない事がある。

 「どうして…どうして私が鳥嫌いなのを知ってるの?」
 「それはですね、あの鏡が私の使う武器だからです」

玲奈が示すのは、美希の視線が固定されている縦鏡だった。
最初の頃は春水も分からなかった美希の変化を映し出していたものだ。

 「鏡でどうして私のことが…」
 「鏡は人の心を映すという事で様々な儀式に用いられてきました。
  人だけじゃなく自然も、世界も、宇宙も、光も、闇も。
  もう一つの世界で構成された心は捉えた心と同じ性質を持ちます。
  それが野中さんの心を投影したんです」
 「私の恐怖心が私の心を覆っていくイメージを見せたって事…?」
 「心を食べる者。私はそれを異獣と呼び、従うことが出来る召喚士です」

863名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:25:02
初対面の玲奈とは違い、今の彼女は落ち着いていた。
殺気や狂気じみた気配もなく、言動すらも丁寧で大人にすら思える。
律儀に解説までできる余裕を持った、これが本来の彼女なのか、それとも。

 「イジュウって何?」
 「うーん、言葉で説明するのは難しいのでここにスケブがあります」
 「なんか取り出してきた」

玲奈がいつどこで購入したのか分からないスケッチブックにマジックペンを走らせる。
四角い枠に「鏡」と書いてその左右に「異獣」と「人間」と書いていく。

 「異獣は何百年も前にもう一つの世界が生まれた時に同じく生まれた性質によって
 特別な能力を、その存在を作り上げていきました。
 そして百三十年前、鏡を移動手段にしてこちらへやってきたんです。
 どうしてこっちに来たのか、理由は誰にも分かりません。
 でも中には凶暴な子も多く、解決策を講じることになりました。
 それが私のご先祖様、当時は退治屋をしていたそうです」

「異獣」と「人間」の下に「召喚士」という明記が追加される。

 「こちらの武器では傷すら付けられなかったので、異獣が通り抜ける作用を持つ
  鏡を材料に刀や弾丸を作り出す事も多かったようです。
  つまり人を倒すためというより異獣を倒すためだけに。
  でも退治屋なんていう職業に普通の人は穢れを呼ぶとして疎遠しました。
  だから隠れ里を作ってこの世界に度々現れる異獣と戦うために
  ひっそりと戦い、暮らしてきました。でも四年前、事件が起こります」

玲奈はなんの躊躇もなく「召喚士」の文字を塗り潰した。
闇のように真っ黒な穴となって春水と美希に見せつける。

 「召喚士の里が消えてしまったんです。”里ごと”」

864名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:27:22
 「まるで大きな怪獣が踏み荒らしたというより、”食べ尽くしたように”。
  その有様に出来るとすれば、異獣のチカラしか有り得ないんです。
  あの子達は本能的に自分達のチカラを高める為に不思議な力を持った
  人間を食べます。きっと、その犠牲になったんじゃないかと」
 「で、でもおかしくない?ずっと、何百年も従えてきた人達が
  どうして今更そんな事になるの?」
 「……裏切り者が居たんです。そうとしか考えられない」

玲奈の声が重く感じる。春水が喉を鳴らし、美希も表情が険しくなる。

 「あなたはどうして助かったの?」
 「私は運良くその場に居なかったんです。こう見えても召喚士ですから
  何人かとグループを組んで退治する事もあったんですよ。
  でも、その時に一緒だった人達ももう居なくなってしまいました」

玲奈の言葉が響く。静かな闇に漂う悲壮感のようなものは、無い。
だが嘘をついている様にも見えない。本当に彼女は一人なのだ。
僅かな同情心が、二人に募る。

 「……それで、私達にその話をしたことと、この状況は関係あるの?」
 「異獣がどんなものかは分かってもらえましたか?」
 「なんとなく、でも、急に言われてもちょっと整理が追い付かへん。
  しかもまだ私ら、君のこと全然信用してへんし」
 「ああ、まあ、そうですよね。でもこうでもしないといくら
  リゾナンターさんでも協力してくれないだろうなって」
 「協力?」
 「私と一緒に異獣を倒してほしいんです。その子、ある召喚士を
  そそのかしてこの世界を支配しようとしてるんです」
 「その話が本当だっていう証拠は?」
 「本当か嘘かの問題を言っている暇はありませんよ。
  こうしてる間にも何かしらの事件を起こしてるかもしれませんね」

865名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:33:18
威圧感。言動を回避していく状態では全てをきり返してくるだろう。
表情には不気味なほど余裕を貼り付かせて玲奈はスケッチブックを閉じる。

 「きっと他の皆さんはお二人を探してるでしょう。
  その間にあの子は召喚士と一緒にこの町をめちゃくちゃにし放題です。
  後手後手に回させてしまうハンデは紛れもなく野中さん、尾形さん。
  あなたたちお二人なのではないでしょうか」
 「これ、もしかして脅迫受けてないか?」
 「尾形さん凄い。大正解です。あ、プレゼントがないですね。ごめんなさい」
 「じゃあ代わりにこの鎖を外してくれるっていうのは?
  ちょっと体勢的にもキツいんやわー」
 「良いですよ」

玲奈が言葉を発したと同時に、二人の鎖が砂の様に粉砕した。
量子分解されたそれに驚愕の表情を見せると同時に、恐怖が全身を駆けめぐる。
触れる事もしなかったのに言葉を一つ掛けただけで可能にする。
これも異獣が作用するチカラの一種なのだと見せつけられたのだ。

そしてなんの条件もなく解放されたという事は。
この空間から出る術も当然、遮断しているのだろう。

 「どうして私達が必要なの?貴方のチカラで十分成し遂げられる筈じゃない」
 「……そうしないといけないんですよ。私は、この世界を壊すことを望んでいません。
  そして私が、私であるために。だから私の復讐を手伝ってください。
  返事はいつでもいいですよ。でも早めにした方が良いです。お二人のためにも……ね」

玲奈の立つ床が突然、波を立てる。
大きな口を広げたように無機質な闇の穴が彼女の体を呑み込んだ。
美希が手を伸ばしたが、空虚を掴むだけでしかない。
さざ波の落ち着いた世界で、春水の声は僅かに強張った。

866名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:37:01
玲奈の立つ板張りの床が突然、波を立てる。
大きな口を広げたように無機質な闇の穴が彼女の体を呑み込んだ。
美希が手を伸ばしたが、空虚を掴むだけでしかない。
さざ波の落ち着いた世界で、春水の声は僅かに強張った。

 「い、今のもイジュウってヤツなんか?チート過ぎるやろ……。なあ、私らどうしよう?」
 「とりあえず連絡を取るよ。この場所を報せなきゃ。
  悔しいけど、私達にはそれぐらいしか出来ないみたいだから…」
 「連絡するってどうやって?」
 「You'll see. 私を信じてて」

美希は自分のこめかみを指で示す。

【call:一般処理『信号送信』
 新規系列:完了 白紙処理・脳内容量拡大:完了
 To:
 本文:                          】


内容を書き、見えない紫電となって美希の言葉が空間を彷徨う。
兎のように四肢を伸ばし、壁の外へと吸い込まれていく。
誰かが受け取ってくれると信じて。脳内に浮かぶ顔に必死に祈る。
春水が美希の手を握った。心強さに美希の心は穏やかになっていく。

 「じゃあ今日はここでお泊りやな…決めた。コンタクト取るわ」
 「あ、春水ちゃんだけ。私も取る」

一人だけならきっと恐怖心を鏡に喰われていただろう。
春水の笑顔に救われる心をしっかりと自分のものであると手を強く抱きしめた。

867名無しリゾナント:2017/02/17(金) 02:47:02
>>848-866
『朱の誓約、黄金の畔 - Twins' flower -』

行き当たりばったりなのはストック無しでそのまま書いているので
自分もどんな結末になるのか分からないスリルを覚えてます…w
横山玲奈ちゃんの分裂はほぼ書き手の実験によるものです。
果たしてどちらが生き残るのでしょう。
野中美希ちゃんの脳内掲示板と能力に関してはまたのきかいに。

868名無しリゾナント:2017/02/17(金) 03:06:40
(いつものお願いです…)
20レスに近いので前半と後半に分けて頂けるとありがたいです。
気付けば春が近くなってまいりました…。
苦労人かえでぃーを書こうと思っただけなのにどうしてこうなった…w

869名無しリゾナント:2017/02/17(金) 03:13:43
>>865 の終盤が >>866 と重複してました。

「玲奈の立つ板張りの床が突然、波を立てる。
大きな口を広げたように無機質な闇の穴が彼女の体を呑み込んだ。
美希が手を伸ばしたが、空虚を掴むだけでしかない。
さざ波の落ち着いた世界で、春水の声は僅かに強張った。」

の方でよろしくお願いします。

870名無しリゾナント:2017/02/21(火) 20:29:21
後編転載行ってきます

871名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:04:30
気だるい午後。
外の陽射しに身をさらしながら椅子に座り、テーブル側の壁に
背を預けていると眠くなる。
喫茶店の休日にする事といえば掃除や雑務。
それが終わった所で珍しく事件依頼もない上に予定も入ってない。
こういった弛緩した時間を過ごすことも嫌いではない。

テーブルに肘を載せ、飯窪春菜は愛読している雑誌に目を戻す。
とても学究的な態度で、興味深い主題を長年にわたって精力的に
追跡している雑誌に視線を走らせる。

足音がして、扉の開く音が続く。
視線の端に人影、顔を上げると厨房から出てくる背広姿が見えた。
僅かに跳ね上がる鼓動。

 「あれ、まーちゃんどうしたの?一人でなんて珍しいじゃん」
 「そんな日もあるんだよ。はーあ」

佐藤優樹が春菜の体にもたれ掛かる。重い、とは言えない。
ただ想像以上に重量を感じて「グフッ」と声が漏れる。

 「ちょっとちょっと、読書の邪魔しないで」
 「面白い?マンガ?」
 「昨日発売した雑誌。中身はまあ小説だったり漫画だったり」
 「かしこぶっちゃって」
 「…なんか怒ってる?なんか言い方にグサッと来るんだけど」
 「暇なだけだから気にしないで」
 「気になるってか重いっ。まーちゃんで潰れちゃう」

872名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:05:11
春菜は顔面の全表情筋を引き締めて哲学者の神妙さを作り
目には身代わりで処刑される親友のために走る英雄の真摯さを宿し
唇からは新しい学説を熱弁する徒ゆえの言葉を放つ。

 「いい?まーちゃん。私とまーちゃんの体格や年齢は確かに
  私の方が勝っているかもしれない、でも持ってる部分っていうか
  まだ発展途上の十代とちょっとギリギリな二十代との間にある
  僅かに薄くてそれでも大きな壁ってものがある訳よ」

春菜の論理的かつ思索的な言葉に、優樹の反応は一つだった。

 「うるさい」

完敗。大完敗だ。冷たい言葉に春菜の表情も僅かに陰りを見せる。
思わずこの場に居ない石田亜佑美に憎悪を向けかけて頭を振った。
抵抗しようと体勢を逆に傾けようとするが、その何十倍もの力で
優樹が自身の体を押し付けてくる。あ、押されてるなーどころではない。

最後の、究極の抵抗を遂行する。

 「どかないとーこうだっ」
 「わひゃひゃひゃーっ!」

無防備な背中の脇に細く長い腕を滑り込ませ、一気に動かす。
くすぐり攻撃にはさすがに耐え切れず大声を上げて飛び退いた。
大勝利。春菜の表情はまさに悪戯の成功に微笑みが浮かんでいた。

873名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:07:56
 「こしょばいー!!」
 「えいっえいっ、どうだっ」
 「きゃー!」

春菜のくすぐりに優樹は耐え切れない、だが春菜も止めない。
興奮状態の優樹が彼女の腕を掴み、制するが離してくれない。
世界が揺れる。手が離れない。振動が意識を揺さぶり揺さぶられ揺さぶった。

優樹がしっかりと掴んでいる為に離れない。既に手は離れていた。
あ、ヤバイ。春菜はこの状態に覚えがあった。
耳鳴りが激しくなる。合図だ。優樹の能力が発動している。

「ままままーちゃ、まーちゃ」
「きゃー!きゃー!」

優樹の声で掻き消されてしまう自分のか細い声が悔しい。
一瞬にして闇が覆う。
意識が消える。

ああ、せめて来月で最終回のアニメを見納めてからが良かったな。
そんな思考が巡り、途絶えた。



二階の居住区にある一室。
譜久村聖と工藤遥、そして優樹の姿が並んでいた。

三人の目はベットの中で眠る春菜に注がれている。
聖が『治癒能力』が付与された紙片を片手に春菜の容体を回復させていた。
異能で傷ついた傷は一般の病院ではどうにもならない事がある。
特に優樹の『振動操作』はガラス状の物体ならば簡単に粉砕できる威力だ。
脳震盪ならまだしも頭蓋内血種や意識障害が起こらないとは限らない。

874名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:09:02
 「ただいま帰りましたーって、どうしたんですか?」
 「まーちゃんがやらかしちゃってはるなんがぶっ倒れちゃったんだよ」

小田さくらの手には衣装鞄が提げられていた。
だがそれには何も発さず、遥は優樹に叱責する。

「まーちゃん、反省しなよ。無意識にしたってやり過ぎ」
「……」
「まーちゃん」
「……」
「優樹ちゃん、はるなんが目を覚ましたらちゃんと謝るんだよ?分かった?」
「……はーい」
「あたしにはだんまりかよ…」

どうやら優樹と遥の間には何かあるらしい。さくらは冷静に分析していた。

「でも、でもどうやって謝ったらいいの?」
「ただ謝まるだけでいいんだよ。はるなんも事情を話せば分かってくれるよ」
「でも、でもでも絶対怒ってる。まさがはるなん怒らせてるの分かるもん」
「何かしたんですか?」
「……」
「佐藤さんが怒らせたって思う根拠はなんですか?」
「……どぅーが悪いんだ」
「は?」
「どぅーが、どぅーがまさに何も言わずに出かけて行ったから!
 探してもいないし連絡もつかなかったから!
 はるなんだけしかいなくて退屈だし、なんかこおワーッてなってたから!」

875名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:10:23
 「何もって、ハルちゃんと言ったよ?昨日言ったでしょ出かける事」
 「まさ覚えてないもん!誰も教えてくれなかったもん。お団子も居ないし
  皆居ないし、でもはるなんだけ居たから、嬉しかったの…」

優樹の言い訳が、つまりは遥の不在が原因である事は分かった。
興奮状態に陥った事も春菜の存在があったが故の安心感からなのも分かった。
となればやる事は一つだろう。

 「じゃあ工藤さんにも謝ってもらいましょ一緒に」
 「ええ、そういう方向にもっていく?」
 「大丈夫ですよ。ちゃんとフォローもしてあげますから」

遥の動揺に、さくらは片頬に笑みを貼り付けた。
さくらが片手を掲げ、全員の視線が集まる。

 「実はさっきお仕事料金のおまけにこんなものを貰いまして」
 「……え、やだ。やだぞハルはそんな、な、なあまーちゃん!」

衣装鞄の中身に遥が声を上げる。

 「小田ちゃん、一体なんの仕事してきたの」
 「そうですね。しいて言えば石田さんが自信喪失するほど過酷な護衛を少し」
 「この格好で?」
 「はいなかなかのスリルでしたよ」

何の躊躇もなく微笑んで見せるさくらに、聖は亜佑美を抱きしめたくなった。

876名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:11:12
 「そういえば当の本人は?」
 「次の仕事に一人で向かってしまいました。私はこれを持って帰れと言われて」
 「なるほどね……でも、いい考えかもしれない。うん」
 「ちょ、譜久村さんまでそんな事言わないでくださいよ。
  譜久村さんが賛同しちゃったらそれだけで詰んじゃうんですから」
 「私をどんな奴だと思ってるの。でも、はるなんの機嫌を直すなら一番だよ。ね」
 「ええ、絶対うまく行きます。石田さんはともかく、飯窪さんは好きでしょうから」
 「ま、まーちゃん…なんで黙ってんのさ」

聖の肯定からさくらに阻まれ、優樹は衣装鞄を見下ろしたまま沈黙。
遥の顔には絶望が生まれていった。

877名無しリゾナント:2017/02/25(土) 02:16:50
>>871-876
『猫の気まぐれは黒く白く』(前半)

やっぱり短編は書きやすいな…(遠い目)

878名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:40:46
正直な所、次に目を開けた風景は天国か地獄か。
もっと言えば病室か霊安室かと思っていた。
まるで夢を見ていたかのように春菜の自室には遅い午後の陽光が射し込んでいる。
数分前に聖が春菜の容態を見に来た時に、彼女の安心と喜びの表情が見て取れた。

 「良かった、まだ安静にしてて。何か飲み物持ってくるから」
 「私は生きてるんですか?」
 「軽い脳震盪だよ。でも今日一日は休まないとダメだからね」
 「あ、はい。すみません」

聖が居なくなると、人の気配がいつも以上に遠いものになったような気がした。
閉まりきっていない扉の向こうからは、時折一階からの声や音が漏れてきた。
それ以外の音は一切ない、窓のカーテンが風に揺れる音すら聞こえそうなほど
世界は静かなものとしてそこに在る。

思えば、優樹はどうしたのだろう。記憶が少しずつ鮮明になってきていた。
事故だという事を春菜は知っているが、彼女が詳細まで説明するだろうか。
誤解を招いて皆に責められてやしないだろうか。
負傷すると心配と不安な連想しか浮かばない、心も同時に弱っていた。

廊下から足音が響く。
靴下で擦り歩く音が部屋に近づいてきている。
戸惑うような足音だなと思っていると、部屋の前で止まった。
廊下側から手がかけられたらしく、扉の取っ手が回され、扉が少し開く、止まる。
妙な沈黙。
焦れた春菜が声をかけようとすると、取っ手が震えた。

 「は、はるなん?ハルだけど起きてる…?」

879名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:41:42
扉の隙間から遥の声が聞こえた。

 「あ、おかえり。帰ってきたんだね。ねえまーちゃんは下に居るの?」
 「や、あ、その、と、隣に居る」
 「ごめんね。迷惑かけちゃって。まーちゃんから事情は聞いてるよね?」
 「まあ、一応。あの、入ってもいいかな?」

不思議だ。遥もそうだが優樹とのコンビを組めば騒ぐように部屋に
入ってくるのに、奇妙な間を感じる。
遠慮し過ぎる質問に、それでも春菜は笑顔で受けた。

 「いいよ。入ってきな?」

疑問ながらも春菜は返答する。上半身を乗り出して壁に体を預ける。
僅かに眩暈がしたが、意識は保てた。
しかし取っ手は途中で停止したままで動かない。

 「どぅー?まーちゃん?」
 「まーちゃんこらっ、押すなってっ、まーちゃんから先入れよっ。
  ああもうっ、はるなん、一個だけ約束してもらうぞ!」
 「は、はいっ?」

いつものハスキーボイスではなく、地獄の底にいる亡者の口から
出ているような声に春菜の声も高く上がる。

 「とりあえずハル達が入っても、見ても、何も喋るな、一言も、喋るな」
 「ひ、一言も?」
 「良いって言うまで一言も、そうじゃないとハルははるなんに手を出しかねない」
 「わ、分かった」

880名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:42:35
遥の真剣な懇願に春菜は唾を呑み込んだ。意味は分からないが理解させられる。
扉の向こうにいる彼女の言葉からは凄まじいまでの圧力と覚悟。
春菜は妹のように可愛がる遥や優樹への愛情が揺らがない自信はあった。

 「何も言わないよ。絶対」
 「絶対だからな」
 「絶対。うん、まーちゃん。絶対何も言わないからね」

優樹に呼び掛けるが返事は無い。もしかしたら落ち込んでいるのだろうか。
遥が先頭に立っているという事は、何かがあるとして腹筋に力を込めて身構える。
いよいよ取っ手が回転し、扉が開かれた。
春菜の目が、しっかりと二人の姿を捉える。

 「………………………………………………へ?」

それはギリギリ二人には聞こえない声が漏れ出す。

漆黒の布地の袖口や、大きく襟が開いた胸元には純白のレースの縁取り。
短いスカートからは白い素肌の太腿が伸び、すぐに白い膝上丈の口下に続く。
レースで包まれた袖から伸びた白色の腕の先、手の五指には白絹の手袋。
それだけなら可愛い侍女である。
だが衝撃は二段構えというのが通例だろう。

遥と、遥の背後で見えないように抱き付いている優樹の頭部を横断するのは
夜色のレースと、繊細な飾り布の左右からは、黒い獣毛に覆われた三角耳。
いわゆる黒猫の耳が飛び出ていた。
ご丁寧にスカートの下からは黒猫の長い漆黒の尻尾が揺れている。

881名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:43:31
工藤遥と佐藤優樹はいわゆる猫耳なんとやらになっていた。
春菜の輪郭が細くなる。呼吸を貪っている訳でも蛸の物真似の最中でもない。
声が上がらない。静かに視線が震えるしかない。

うつむく髪に隠れていたが、遥の頬に朱が昇っていくのが確認できた。
今度は意味も分からず、理解も出来ない。
ただ徐々に膨らむ喜びに口角が歪み始めるのを止められない。
二人の肩が震えて、猫耳と猫尾まで震えている姿にいっそう歪む。
口を手で塞ぐが、耐え切れずに笑いがこみ上げる。だが耐える。

 「うん、うん、よし。いいよはるなん。喋っていいよ」

遥も覚悟を決めたのだろう。頬が未だに朱色に染まっているが
その瞳は現実を受け入れた光を帯びている。僅かに諦めた色もあるが。

 「ははは、あはははははははははははははははははははははっ!」

春菜は爆笑した。
声を吐き出して、春菜は腹筋を痛めたように腹を押さえ、二人を指さす。
遥の拳が震えているのを見て春菜はグッと口を手で塞いだ。

 「どう、したの?その、喜びしか生まれないあられもない姿は。
  え、えっと………ま、まーちゃん?恥ずかしいなら無理しなくていいんだよ」

春菜の声に深呼吸。明らかに深呼吸した。溜息にも似た吐息を遥の背中に吹きかけている。
それに対して遥が「熱いっ」と引き剥がそうとするが、執着にはどうしようもない。
そして満遍なく吐き出した後、突き飛ばすように優樹が遥と共に部屋に侵入する。

 「はーよっし。癒しタイム終了!」

882名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:44:26
何かを吹っ切ったように、開き直ったように腰を叩いて胸を張り、宣言する。
どうやら遥の匂いで優樹には癒し効果が得られたようだ。
それは良かった。良かったが、問題はこれからだ。

 「じゃ、そういう事だから」

春菜の思考もむなしく優樹がまるで一人ファッションショー並みの時間で
颯爽と退場していこうとする、遥がそれを止めた。

 「いやいやいや待って待ってまーちゃん。ここまで文字通り身を削ったのに
  そりゃないでしょ、特にハルの頑張りを無駄にしないで。ほら、どうよはるなん」
 「え、え?」
 「別に頭がおかしくなった訳じゃないからな。その、まーちゃんが
  謝りたいから聞いてあげてほしいのよ。な、まーちゃん」
 「……もう平気なの?」
 「あ、うん。譜久村さんには一日安静にって言われたけど、明日にはちゃんと元気だよ」
 「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

悪気があった事を自覚している優樹の気持ちに春菜は感動すら覚えていた。
自分の意見は譲らないが、明らかに自分が悪いと思う事は素直に謝罪してくれる。
そんな彼女がとても愛らしい。

 「大丈夫だよ。ほら、仲直りの握手しよ」

883名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:45:11
>>878-882
『猫の気まぐれは黒く白く』(中間)

ぐぬぬ。規制が憎い…。

884名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:46:44
一瞬の空白。遥の顔には虚脱。

 「いや、それとこれとはまた別問題だから」
 「今のどぅーは猫娘なんでしょ?
  なら言葉の変化があっても不思議じゃないんじゃない?」
 「まーちゃんもやるよな?」
 「まーちゃんはもうこれだけサービスしてくれてるからねえ。
  謝罪も貰ってるから、あとはどぅーが体を張ってくれるだけでこの話は
  本当のエンディングを迎えるんだよ」
 「ラスボスに立ち向かう前にもうボロボロなんだけど」
 「どぅーが何もしないならはるなんもまさもどぅーをずっと嫌いになるから」
 「そうなっちゃうかもねえ。この前貸した漫画の続きとかアニメのDVDとか
  ラーメンを奢ってあげる約束も無くなっちゃうかもしれないねえ」
 「そんなあ〜」

情けない声で遥が訴える、が、二人からそれを阻止する術を与えられている。
羞恥の苦渋と春菜から与えられる筈の愛情に答えようとする健気さが
遥の表情と瞳に同居していた。
凄まじい自制心に遥は大きく深呼吸をした。

 「……言えばいいの?」
 「ん?」
 「何をはるなんに言えば、いいのさ」
 「そうだなあ。でも典型的なのは聞いた事あるからね、メイドさん的な奴。
  思い切って両手を掲げて片足上げた猫の格好で『ご主人様、大好きだニャン☆』
  とか言ってくれれば凄い満足するかも」
 「じゃあ壁に向かって言えばおっけーな」
 「ダメですー、ちゃんとこっち向かないと認めません」
 「うーあーーーーまーーーーちゃんーーーーっ」
 「どぅー、これも人生だから。早くやんないとはるなんの体が悪くなっちゃうから」

885名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:47:44
優樹の言葉に春菜がわざとらしく頭痛に悩むフリをする。
溜息。遥の切り替えは予想以上に早い。

結論からして、優樹も遥も、根は優しい女の子だった。
部屋の中央に背中を向けて立つ。
両手が緩慢に挙げられていき、丸めた両の五指を顔の前に上げて揃える。
左膝を曲げて跳ねるように掲げ、足首を傾げる。
そして春菜の方へと振り向きつつ、顔面の表情筋全てが引きつりながらも
満面の笑みを構成して口から下を微量に出し、唇を舐め、言った。

 「ご主人様、大好きだニャン☆」


一瞬の空白。凍りつく病室。誰かの唇が破裂した。

 「ぎゃははははははははははははははははははははははははは!」
 「なんでまーちゃんが爆笑してんだよ!てか見んな!」
 「ははははははははははははははははははははははははははは!」
 「んな!!?」

優樹の笑声に重なるように、扉の向こうからも笑い声が響いてくる。
扉から現れたのは三人。
目尻に涙を浮かべていたのはいつ帰ってきたのか石田亜佑美。
笑いを我慢して聖が顔を俯いている。
傍らに居た生田衣梨奈が悪そうな笑みを浮かべ。
さくらですら憂いのある表情に笑みを浮かばせていた。

886名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:48:49
 「やー凄いですね。まさか本当にやってくれるとは」
 「笑いの神様がぶっ倒れるぐらい喜んでるって絶対」
 「でもきっと似合うって信じてた。どぅー可愛いもん」
 「はい、くどぅー笑って笑って、可愛く撮ったるけん」

衣梨奈の構える携帯に硬直する遥、無情にもシャッター音が響いた。

 「み、見てたの?」
 「うん。丁度あゆみちゃんとえりぽんが帰って来たから。
  ちなみに見に行こうって言い出したのもこの二人」
 「待って、生田さんが帰って来てるって事は…」

遥の言葉に、三人が微笑んで扉の影に手招きをする。
先程まで同じ場所で見ていたであろう四人が謙虚な姿勢で顔を出した。
尾形春水は右手に携帯を構えて。
野中美希は先輩二人の姿を見て両手を頬に添える。
牧野真莉愛はこれ以上ないほどの煌めきを放った瞳と笑顔を。
羽賀朱音は何も言うまい。

 「工藤さん、ちゃんと保存しときましたんでね…」
 「So cute! Keep a pet!」
 「まりあ付いて行きますよ!たとえくどーさんが猫になっても!」
 「可愛かったですよ、とても、とても、工藤さんが可愛い。ふふふ」

朱音が公では見せられない笑顔を浮かべてジッと見つめる。
その後ろからもう二人の姿もある。
活動期間はまだ短いが、それでも教育係の凛々しい姿を見る事が多いであろう
遥のポーズには各々の反応を見せる。

887名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:49:43
 「いや、その、全然似合うと思います。私には出来ませんけど。
  工藤さんなら許せるっていうか、許してもらえるっていうか」
 「工藤さんの頑張りは勉強になります。為になります。
  なのであと一時間ぐらいはそのままで居てほしいと思っちゃったりしました」

加賀楓は僅かに目を逸らしながら照れ臭そうに感想を述べ。
横山玲奈は遥に現在の格好を継続しろと強気な眼差しで強要していた。

 「……今ハル、何を信じていいのか分かんない」

拳を掲げて立ち尽くす遥の瞳に、真っ黒な絶望が浮かんだ。
皮肉な痙攣を起こす唇が歪み、僅かに目尻に輝くものがあった。
顔を真っ赤にさせ、そして項垂れる。
「後で覚えとけよ」という小声が優樹と春菜には聞こえた。

 「さてと、良いものも見れたし、はるなんも目が覚めた事だし。
  皆も帰ってきたって事でご飯食べようか」
 「「「「さんせーい!」」」」
 「二人は着替える?それともずっとそのままで居る?」
 「「そっこーで着替える!」」
 「ちょっとこんな所で脱がないで、脱衣所行きなさいっ」

遥と優樹の声が被り、猫耳や夜色のレースを外し始めた。
そのままその場で全て脱ぐ勢いだった為に春菜が制す。
二人の姿が一瞬、昔の幼いものへと変わったような気がした。
瞬くだけで現代の彼女達に戻っていたが、春菜は笑う。

888名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:51:41
 「何笑ってんだよはるなん」
 「なんだか、身体はいっちょ前に大きくなったけど中身は変わらないよね」
 「はいはい。どうせガキですよ。はあ、まーちゃんのせいですっごい疲れた……」
 「どぅーを泣かすためにまたやろうね」
 「もうやんないよ。絶対着ないから」
 「まーちゃんが着るならどぅーも着るよね」
 「んーん。まさ着ないよ」
 「あれ、そうなんだ」
 「うん」
 「ちょっと寂しいなあ」
 「猫じゃなくてもいいでしょ。癒し期間は売り切れです」
 「じゃあ今度はまーちゃんで癒されようかな」
 「もうやんないよっ」
 「おーいそこの三人、何あたし抜きで盛り上がっちゃってんのさ」
 「あ、出た。猫になりきれなかった女が」
 「は?どういう意味?」
 「仕事先じゃあ随分苦労したみたいだねえ、猫かぶりのあゆみさん?」

春菜の言葉に首を傾げる亜佑美だったが、人差し指で示された方向には
床に脱ぎ落された三角耳を拾うさくらの姿があった。
三角耳を被らずに両手で頭に乗せて、さくらが呟く。

 「石田さんの猫メイド姿、可愛かったにゃーん」
 「お、小田ァ!!」
 「写真あとで見せてよねー」
 「了解だにゃん」
 「ちょっと話し合おうか?ん?携帯出しなさい!」
 「はっはっはっはっは」
 「あ、ちょ。待ちなさいよ、小田ァァァァァ!」
 「小田ちゃんがやるとどうしてああもあざとく見えるんだろうね。しかも棒読み」

889名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:53:08
二人が人間の姿を取り戻し、亜佑美がさくらの携帯からようやく画像を
削除した後、二階のリビングでそれぞれの夕食に舌鼓を打つ十一人の姿がある。
食事前、衣装鞄に残っていた猫耳を見つけたさくらは真莉愛に、美希に、朱音に装着させる。
春水には朱音が無理やり付けたが、予想以上に乗り気の様で、猫のようにねだり始める。
三人からのブーイングにどことなく喜んでいる。

楓が玲奈に装着させるが、玲奈は楓の隙をついてリボンの付属された猫耳を装着させた。
楓は気付かないまま付けていたが、真莉愛に突っ込まれて頬を赤らめる。
聖が衣梨奈に猫耳を取り付けようとするが「髪が乱れる!」と怒られて落ち込む。
あまりに落ち込むものだから衣梨奈は「自分で着ける」と言って装着した。
さくらが構える猫耳を遥に羽交い締めされた亜佑美が装着されそうになる所を
優樹がさくらの背中に突進したために二人が抱き合う事故が起こったりもした。

笑いながら見ていた春菜の傍に優樹が座り込む。

 「結局、みんな付ける事になってんじゃん」
 「まあそういうもんだよね。ああそういえば思い出した。今日が何の日か」
 「何?」
 「22日は猫の日だよ。猫と一緒に暮らせる幸せに感謝する日。
  猫とともにこの喜びをかみしめる記念日が今日なんだって」
 「人間が猫になるのってどうなの?」
 「じゃあ単に感謝の日、でいいんじゃない?」
 「なるほど。じゃあはるなん」
 「何?」

890名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:54:01
 「あゆみー!」
 「ん?」
 「生田さーん!」
 「はーい」
 「お団子―!」
 「なんですかー?」
 「らぶりーん!」
 「はい!らぶりんです!」
 「はーちーん!」
 「はーい!」
 「野中―!」
 「yeah!」
 「はがちーん!」
 「はーいっ」
 「かっちゃん!横山ちゃん!」
 「「はーい!」」
 「ふくぬらさーん!」
 「なーにー?」

優樹の弾ける笑顔と共に大きな愛を叫んだ。

 「だーいっすき!!」

痛々しいながらも輝かしい青春の中で彼女は笑う。
コルクボードに最初に載せられていた全員の猫コスプレ写真は
ある一部からの必死の懇願によって公開は差し控えられた。
その後、コスプレ衣装はどうなったかというと。

 「ねえ、せっかく貰ったんだからお店の正装にする?」
 「「却下!」」

大事な思い出として箱に詰められ、押し入れの中に封印されている。

891名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:55:20
>>884-890
『猫の気まぐれは黒く白く』(後半)

うーん。投下できるかどうかやってみます。

892名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:56:18
あ、冒頭の投下し忘れがorz

893名無しリゾナント:2017/02/25(土) 03:57:34
>>884の前

ベットから右手を伸ばし、微笑む。優樹が一歩進み、近寄り、手を伸ばす。
両手で包み込まれたかと思うと、優樹の体に抱きしめられたのが分かった。
嫌悪感など一切感じない、とても心地のいい幼さの代謝が残る体温だ。
滑らかな黒髪の上にある三角耳が傾いて揺れた。

 「猫耳は分かるけど、この服どうしたの?」
 「お団子のお土産。オタクのはるなんが喜ぶからって」
 「や、まあ、ええっと。なんだろう、素直に頷けない。
  でも可愛いよ二人共。嫌だったはずなのに私のためにしてくれたんだ。
  それだけでも嬉しすぎるし、ほら、もう元気になっちゃった」
 「……でも別にはるなんの為じゃないよこれ」
 「あれ、そうなの?」
 「どぅーの嫌がる事がしたかったの。まーちゃんが着るって言ったら
  どぅーも絶対に着るし、そしたらまさも着るけど、どぅーが着るなら
  まさも着るの全然イケるし、だからはるなんのためじゃないの。
  でも喜んでるなら結果オーライだと思う事にした」
 「…そっか。で、くどぅーは巻き込まれたわけね」
 「まあ外で着るわけじゃないし、はるなんの前だけだしもう全然慣れたもんね」
 「…ふーん」

遥の余裕の態度に、春菜の心に芽生える思いがあった。
言わなくてもいいのだが、もう少しだけ自分の為に居てもらおう。

 「じゃあ慣れてるならもう恥ずかしい事もないってこと?」
 「まあそうだな。猫耳は何回もやってるし、服だって似合ってない事ないし」
 「でた。自分大好き。じゃあさ、語尾にニャン☆とかつけても大丈夫よね?」

894名無しリゾナント:2017/02/25(土) 04:38:28
 「何笑ってんだよはるなん」
 「なんだか、身体はいっちょ前に大きくなったけど中身は変わらないよね」
 「はいはい。どうせガキですよ。はあ、まーちゃんのせいですっごい疲れた……」
 「どぅーを泣かすためにまたやろうね」
 「もうやんないよ。絶対着ないから」
 「まーちゃんが着るならどぅーも着るよね」
 「んーん。まさ着ないよ」
 「あれ、そうなんだ。ちょっと寂しいなあ」
 「猫じゃなくてもいいでしょ。癒し期間は売り切れです」
 「じゃあ今度はまーちゃんで癒されようかな」
 「もうやんないよっ」
 「おーいそこの三人、何あたし抜きで盛り上がっちゃってんのさ」
 「あ、出た。猫になりきれなかった女が」
 「は?どういう意味?」
 「仕事先じゃあ随分苦労したみたいだねえ、猫かぶりのあゆみさん?」

春菜の言葉に首を傾げる亜佑美だったが、人差し指で示された方向には
床に脱ぎ落された三角耳を拾うさくらの姿があった。
三角耳を被らずに両手で頭に乗せて、さくらが呟く。

 「石田さんの猫メイド姿、可愛かったにゃーん」
 「お、小田ァ!!」
 「写真あとで見せてよねー」
 「了解だにゃん」
 「ちょっと話し合おうか?ん?携帯出しなさい!」
 「にゃんにゃんにゃーん」
 「あ、ちょ。待ちなさいよ、小田ァァァァァ!」
 「小田ちゃんがやるとどうしてああもあざとく見えるんだろうね。しかも棒読み」

895名無しリゾナント:2017/02/25(土) 04:45:22
スレと間違えて連投しましたorz

896名無しリゾナント:2017/04/02(日) 22:52:18
規制かかってしまったようで…どなたか代理投下お願いいたします

897名無しリゾナント:2017/04/02(日) 22:52:49
「他者認識は、他者がその存在を目にし、認めることだが…
自己は、その他者の中にある自分を見つめることによって、自己を認識する…わかるかい?」

小難しい言葉が並ぶ。科学者らしい言い回しだと思う。
ギリギリと脳が締め付けられる。段々と呼吸が回らなくなる。
能力を発動したい。だが、発動できない。
鎖がチカラを阻害する。この場所から、逃れられない。

「つまり、自己の中から他者がいなくなれば、お前という存在を認識する術は何もなくなる。
お前は最初から、この世に存在しなくなる」

遠くなる意識の中で、男の言葉を咀嚼する。
私は、誰かから名前を呼ばれることで、誰かから触れられることで、初めて存在するのではないだろうかと。
そして、その「誰か」がいない限り、私は私の存在を認識できない。

「お前の記憶から、お前以外の人間の存在を消す…さて、それでもお前は、自分の存在を肯定できるか?」

哲学的な問いだ。
だが、さくらは滑稽にも、その問いの沼に嵌まりそうになる。
誰もが自分の名を呼ばなければ、自分に触れなければ、どうやって私が私であると証明できる?

898名無しリゾナント:2017/04/02(日) 22:53:20

―――「お前なんか、いらない」


能力の否定。存在の否定。
小田さくらという、人物そのものの否定は、生命の拒絶だ。

「存在の消滅は、死より恐怖だと思わないか、小田さくら―――」

大切な人の笑顔が、浮かんで、そして消えていく。
あの日確かに見つけた青空が、また色を失っていく。

「……て」

さくらの名を呼び、手を携え、ともに闘った仲間の記憶が。
「小田さくら」の存在とともに、消滅し始める。

「やめ……」

闇がすべてを呑み込んでいく。
さくらの中から、仲間の笑顔が、記憶が、思い出が、消えていく。
譜久村聖が差し出してくれた手が、前線で生命を張った鞘師里保の姿が、
がむしゃらに誠実に、真っ直ぐに突き進む野中美希の笑顔が、ボロボロとその輪郭を失っていく。

「やめてっ!!」

899名無しリゾナント:2017/04/02(日) 22:54:14
絶叫。
発狂。
声にならないままに、さくらは吼える。

その時だ。
闇をはっきりと切り裂くものが、あった。

男は咄嗟に、さくらを解放した。

光?
いや、これは、熱……か?

瞬時には認識できないまま、二歩、三歩と男が後ろに下がる。

「……うちらの大切な先輩に触らんでくれます?」

雪を欺かんばかりの白さが、目に入った。
「ほう…」と思わず口を開く。

尾形春水は、その長き脚に焔を纏わせ、崩れ落ちたさくらの肩をしっかりと抱き止めた。

900名無しリゾナント:2017/04/02(日) 22:56:28
本スレ>>243-249 したらば>>897-899 ひとまず以上です
何処に着地するかは未定ですが頑張ります

901名無しリゾナント:2017/04/03(月) 00:56:19
投下できましたお騒がせしましたm(__)m

902名無しリゾナント:2017/04/09(日) 22:24:02
またしても規制がかかってしまいました
自分で行けるかもしれませんが一応こちらにも

903名無しリゾナント:2017/04/09(日) 22:25:23
まずいと思った瞬間には、美希の身体は大きく一回転した。勢いそのままに、彼女は春水へと投げつけられる。
春水はその身体をしっかりと受け止める。

「野中っちょ、もうちょっと考えてから……」

投げつけられたのは、ある意味でラッキーだった。漸く彼女とちゃんと話ができる。
こんながむしゃらに闘っても意味がない。とにかくしっかりと戦略を立てるべきだと言おうとした。
が、こんなに近くにいるのに、春水の声はまだ、彼女に届かない。彼女は男に再び突っ込まんと暴れる。

「ええいもう!ちゃんと聞け!」

大切な先輩が傷つけられて動揺するのは分かる。
だが、それで自分を見失って突っ込むのは自爆行為だし、ただのアホだと思う。
春水は美希の頭をぐいっと抑えつけ「小田さんは大丈夫やから。落ち着いて?な?」と少し宥めるような声を出す。

「小田さん傷つけたあいつは許さへん。だからちゃんと作戦立てんと意味ないやろ?」

殺気立っている彼女が、漸く呼吸を落ち着けてくれた。ただ真っ直ぐに、あの男を殺すことしか見えていなかった。
話にしか聞いたことはないが、鞘師里保のコインの裏―――すなわち赤眼の狂気も、こんな風に危うかったのだろうか。
だとしたら、彼女も内面に飼っているのだろうか。紫色の狂気を。

「“空気調律(エア・コンディショニング)”。
局地的に異常な湿度や不均一な密度を生み出し、それに伴う気圧の変化が音の伝わりや皮膚感覚をも乱す。
“発火能力(パイロキネシス)”よりは興味があるが、それも所詮は一時的なもの。大して研究意欲は注がれないな」

男はくいっとメガネをかけ直す。

904名無しリゾナント:2017/04/09(日) 22:25:58
再び美希が挑発に乗って突っ走ってしまいそうになるが、必死に手首を掴んで押さえつける。
数的有利なのは変わらない。
美希の“空気調律(エア・コンディショニング)”により、一度ではあるがその拳は入った。
先ほど男のズボンを燃やすことができた。距離を保ちつつ、火脚でも追い詰めることはできる。
強引に勝ちを求める必要はない。最悪、さくらを背負って逃げられればそれでも良い。
今はひとまず―――

と、春水が思考を組み立てているときだった。
目を疑った。
先ほどまで地に伏し、闇に呑まれて迷っていたさくらの姿が、なくなっていた。
どういうことだ?確かに男は「存在の消滅」と言った。
しかし、あれは他者認識を受けきれず、自己が自己を形成するのが困難になる「意識的な」消滅の意味ではないのか?
肉体ごと消滅するなんて、そんなことが…。

その疑問は、春水の腕の力が弱まるのと同時に美希が飛び出し、
再び男に攻撃を繰り出したことで、解消されることになった。

美希が大きく左拳を振り上げ、真正面から男に突っ込む。

と、インパクトの瞬間、それを受け止めた存在があった。
男の前に立ちはだかり、庇う姿が、あった。

春水も美希も、その存在に目を疑った。
だが、この部屋に居るのは、もう、彼女しかいない。

「小田、さんっ……?」

小田さくらは、両腕をクロスさせ、静かな瞳を携えて、美希の攻撃をしっかりと受け止めていた。

905名無しリゾナント:2017/04/09(日) 22:27:35
本スレ>>73-79 したらば>>903-904 ひとまず以上です
保全ネタの“悪夢”はこれのことでしたが、まさか落ちるとは思っていなかったです…

もし気付いた方がいたら代理投下お願いいたします

906名無しリゾナント:2017/04/09(日) 23:00:14
代理行こうと思ったけど自分も埋め立てですか?エラーが出てしまうので
しばらく時間をおいてから行ってきますねー

907名無しリゾナント:2017/04/09(日) 23:21:21
本スレにも書きましたが改めてこちらで

>>906
ありがとうございます!無事に行けました!
誰かが支援してくださったら投下できるんですかね?「埋め立ててですか?」エラーがよく分からない…

908名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:00:35
燦々と照りつける陽光が白い浜と青い波の繰り返しを照らす。
砂浜には日傘が並び、寝椅子に中高年が寝そべる。
子供と母親が浜で砂の城を作っていた。
原色の水着を着た若い男女が、波打ち際で水をかけあってはしゃいでいる。
水着姿の人々が溢れる、海水浴の光景だった。
そんな中で周囲を行く男達が振り返ってでも見たい景色がある。

赤と橙が横縞のホルターネックが、女の豊かな胸を覆っていた。
傷や虫の刺され痕すら一切ない肌に水着の赤と橙が映えて
自分の魅力を最大限に引き出す色合いを分かっているようだった。
譜久村聖はそんな視線を全く垣間見ることなく視線を横に向ける。

 「くどぅーのハリキッてる感がなんかウケる」
 「いーんですよ。譜久村さんだって借りる気満々じゃないですか」

横に立つ工藤遥は黄緑色のバンドゥで、腰には浮き輪の装備。
額には水中眼鏡を装備している。
浜辺の完全装備に本人も満足しているようだ。

 「しっかし海の家のご飯ってなんであんなに美味いんですかね。
  テンションが上がっちゃうとどうにも食べ過ぎちゃって、ふー」
 「朝ごはんにしてはちょっとハイペースだよ」
 「何か差し入れでも買ってってあげましょうか。
  生田さん達は今頃どうしてるんでしょうね」
 「さーどうかな、連絡もないみたいだし何とか頑張ってくれてるのかもね」
 「不機嫌なまーちゃんがハル的には心配ッスね…」

909名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:02:52
一週間も前に約束していた依頼に向かった生田衣梨奈、飯窪春菜、佐藤優樹。
三人を想いながらも、工藤にはある疑問がある。

 「んで、なんでハル達はこの”メンバー”で海水浴なんですか?
  まさか情熱的な特訓でもしようってんじゃないでしょうね」
 「そんな大げさなものじゃないよ、ちゃんとした依頼。
  この海水浴の警備と監視が今日のお仕事だよ」

譜久村の宣言に、工藤は少し間を置いて「なるほど」と付け加えた。

 「その依頼ってハル達だけですか?」
 「ううん、専門の人も来てるみたいだから、私達は気楽にやればオッケーだって」
 「なんか他人事じゃないですか?じゃあハル達なんで呼ばれたんです?」
 「そういう可能性があるからって事ではないでしょうか、工藤さん」

工藤がさらに問いかけようとすると、背後からの足音。
振り返ると加賀楓が立っていて、「よいしょっと」と呟きながら
近場にある日傘の下へ荷物をおろす。
藍色のラッシュガードに身を包み、ボーイッシュな出で立ちで佇む。

910名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:04:24
 「これだけ人が集まる場所では”何が起こるか分からない”。
  人一人が抱えられない事件が”起こるかもしれない”。
  浮きたつのは期待だけじゃないって事ですよね、譜久村さん」
 「本当に起こりそうだからやめろ。変に言葉に力籠り過ぎ」
 「あ、ご、ごめんなさい」
 「まあ私有地の海岸だし、所有してる人が単に心配性ってだけ。
  それにこの依頼の安全度はまあまあ高いから」
 「ハル達は別にいいんですけど、譜久村さんは日が浅いのに…」

言おうとして、工藤は口を噤んだ。
譜久村は少し困った顔をしたが「もう大丈夫だよ」と諭す。
一抹の寂しさに工藤が口を開こうとして、背後から声が上がった。

 「小田!おーだ!おい小田ァ!」
 「やめてくださいよ石田さん、暴力反対っ」

小田さくらが小走りでこちらに駆け寄る背後に、石田亜佑美が振りかぶった。
スイカの塊が、ではなく、スイカ柄のボールが何の合図もなく
見境なく後方から飛んできた。頭部の柔軟な衝撃に「ぶっ」と変な声が漏れる。

 「よっしゃ命中!」

石田亜祐美が両腕でガッツポーズを取り、砂浜に顔を出す。
赤と黒の横縞の水着にデニムパンツを履いた彼女は太陽のような笑顔だ。
砂浜に転げるボールを両手で拾い、小田は無表情に佇む。
薄紫のラッシュガードから水色の水着に覆われた谷間が覗いている。

911名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:05:29
 「石田さん、大人げないです」
 「別に痛くないんだから平気でしょ」
 「平気とかの意味じゃなくて、だから絡みづらいとか言われ」
 「シャラップ!それ以上は言わなくていいから」
 「あれだな、一発なんかしてやらないとっていうのが染み込んでんだよ」
 「芸人みたいに言うなし」
 「亜佑美ちゃんって何かと言うけど小田ちゃんに構ってるよね」

譜久村の言葉を聞いて、石田があらかさまに動揺した。
固まった表情が次第に震えだし、目を左右に揺れている。

 「そんなんじゃないですってば!小田ちゃんにはなんかこお…。
  そう!反応が鈍すぎるからこうして刺激してあげてるだけです!
  海に来てこんな無反応ってことあります!?」
 「あゆみんのテンションがどうにかなってるだけなんじゃねえの」
 「海に入ったら私だってテンション上げますよ」
 「じゃあ入ろう!すぐ入ろう!ほらどぅーも行くよ!」
 「はあっ?おいちょ、引っ張んなって!」

石田が工藤の腰に抱えられた浮き輪のロープを引っ張り
浜辺で跳ね上がったかと思うと、海水に飛び込んだ。

 「じゃあ私も先輩に付き合ってきますね」
 「怪我しない程度にねー」
 「はーい。あ、野中も行こう」
 「OK!行きましょう!」

912名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:06:43
いつの間にか背後から追いついてきた野中美希は薄緑色の映える
フレアトップの水着にストレートポニーを揺らせて小田と手を繋ぎ駆け出す。
浅瀬で沈むことなく浮き輪で海に浮上している工藤と海面をぷかぷか
浮いていた石田が浮き輪にしがみつく、その間に突っ込んでいった。
当然のように声が上がり、ボールが光に反射して空に飛び上がる。
海水に濡れた小田の表情が夕暮れ程度の明るさにまでなっていた。

 「ひと夏の一枚ゲット」

いつも以上に弾けまくる石田や工藤、小田と野中の姿を携帯で
収めながら、ふと思い、嬉しさが笑顔を浮かばせた。

 「………気を遣わせちゃってごめんね」

独り言からすぐに、背後から声が聞こえる。
とても楽しそうに海の家から駆けだす影が四つ。
砂の暑さに驚きながらそれぞれが水着を着こなせば
どこにでもいる女学生の海水浴デビューだ。

 「譜久村さん!遅くなりました!」
 「やっと来た。どう?初めての砂浜は」
 「熱いです!とってもとっても熱くてヤケドしてます!」
 「ホントにヤケドしたら大変だよ」
 「えへへへへえ」

譜久村の問いに笑顔で答えるのは牧野真莉愛。
白い水着にマントの様に羽織っていたバスタオルを両手で広げる。

913名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:07:25
 「水着はどう?サイズぴったり?」
 「はい。ごめんなさい、私ミズギって持ってなくて、わざわざ用意してもらって…」
 「横山ちゃんにはおさがりばかりでごめんね」
 「いえ全然。むしろたくさん欲しいです」
 「たくさんお姉さんが居るからわがまま言ったら貰えるよきっと」

横山玲奈が行儀の良いお辞儀をして礼をする。
薄紫のタンニキに、右肩にはアニメマスコットの形をした水筒を下げていた。
それは確か野中美希が所持していたものだったが、どうやら貰ったらしい。
その隣にはラッシュガードの裾を握ってレモン柄の水着を見せるのは尾形春水。
譜久村から見ても明らかに緊張しているように見える。

 「どうしたの尾形ちゃん、顔引きつってるよ?」
 「あーいえ、なんでもないんですなんでも」
 「そうには見えないんだけど、もう疲れちゃった?」
 「いや、自分的にはまだ心の余裕はあるんで、行ける気がします」
 「その余裕がもう限界に達しそうだけど、ていうかどこに?」

一人で屈伸をし始めると、それにつられて牧野と横山、加賀も参加する。
自分を奮い立たせているのか尾形が深呼吸をした。
譜久村の頭上に疑問符が立っていたのが見えているのか、ポツリと呟く少女が居た。

 「泳げないんだよね、はーちんは」

羽賀朱音が淡々とした口調で打ち明ける。
藍色の競泳水着にゴーグルを頭に装着してバスタオルを肩にかけている。
羽賀の言葉に何も言えずに尾形は奇声を放った。

914名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:08:25
 「なんで言うのーっ、自分が魚やって思えてきてたのにっ」
 「人間は魚にはなれないよ。エラだってないし」
 「そんなん分かってるわっ、でも泳げない人には大事な心なんや」
 「えっ、そうなの?知らなかった」

譜久村が驚き、尾形が照れくさそうに頭を掻く。

 「言ったことなかったんで。でも泳げないだけなんで海には
  全然入れるんですけど、でもあんまり積極的には入れないっていうか…」

その場で砂を蹴り、その砂が思った以上に飛んで牧野の足に掛かった。
その足をバタつかせて左右に地味に霧散するのを嫌がる面々。

 「尾形ちゃん以外は皆泳げるの?」
 「尾形ちゃん以上には泳げると思います」
 「最底辺みたいな言い方やめてっ。最底辺やけど……うっ」
 「自分で突っ込んで自分で落ち込んじゃった」
 「大丈夫だよ尾形ちゃん、近くに先生が居るじゃない」
 「ふぇ?」

尾形の肩を支えて、譜久村は浜辺に一歩進む。

 「くどぅー!出番だよ!くどぅー!」
 「はーい!?何ですかー!?」

915名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:09:01
呼ばれた工藤が浮き輪で海面に浮いて叫ぶ。
小田と石田はスイカのボールを不安定な立ち泳ぎで投げ合っていた。
野中はバランスを崩して水面に体を打ち付けて二人が助け出している。
工藤は浮き輪から出ると、紐を持って浜辺へと泳ぎ戻る。
海水で濡れた髪をたくし上げながら顔を振って海水を払う。

 「どうしたんですか、皆入らないんですか?」
 「問題が発生しちゃってね、くどぅーに救難信号を送ってみた」
 「ほう、助けてほしい事があるんですね?」

譜久村に助けを求められたという事に対して工藤が得意げな顔を浮かべる。
“いい女”からの頼み事というのは同性であっても悪い気がしないものだ。

 「何ですか?」
 「この尾形ちゃんに海の素晴らしさを教えてほしいの」
 「……ハルに頼んだって事は、泳ぎの方ですか」
 「さすがその道のプロだね」
 「プロ並みには教え込めませんけど。でも普通に
  泳げるぐらいにはしてあげられるかもしれないですね」
 「くどぅーは水泳が凄く上手い子なんだよ。
  前に道重さんにも泳ぎを教えてたんだって」
 「道重さん!?」

916名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:09:41
その名前に見事に反応した牧野が犬の様に体を伸ばす。
先ほどまで落ち込む尾形にちょっかいを出していた為に
右手の甲が横山の顎を打ち付ける。
「あうっ」と顔を無理やりあげさせられ変な呼吸音が上がった。

「牧野さん、地味に痛いですっ」
「ごめんなさい!まりあの手が勝手に動いて!」
「普通に自分からぶつけに行ってたけど」

羽賀の言葉に目もくれず、牧野は食い気味に工藤へ前のめりになる。

 「あの!工藤さん!まりあにも水泳教えてください!」
 「え?だって尾形ちゃんよりは泳げるってさっき言ってたじゃん」
 「さっきのはさっきので、今は今です。道重さんが工藤さんに
  教えてもらって泳げたって聞いた今が重要なんです!」

噛みつく様な牧野の姿勢に引き腰になる工藤。
先ほどまでのテンションを無理やり振り上げるような牧野は
両手を胸の辺りで祈るようなポーズを取る。

 「道重さんが教えてもらった事ならまりあは何でも
  吸収したいんです!道重さんが見てきたもの、感じたもの
  いろんなものを知りたいから!お願いします工藤さん!
  まりあもその勉強会に参加させてください!」
 「ああ分かった分かったってば。いくらでも教えるよ!」
 「わーい!工藤さん大好き!」

917名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:12:49
心底嬉しそうにして飛び跳ねる牧野を工藤は一歩引いて回避する。
無表情で見ていた羽賀が小さく挙手をした。

 「工藤さんが手取り足取り教えてくれるなら参加したいです」
 「羽賀ちゃん、誰からその言い回しを教えてもらった」
 「あの、何か手伝えることがあったら、あ、浮き輪持って来ましょうか」
 「そういえば浮き輪これしかないな、借りてくるか」
 「まりあ行くー!よこやんも行こー!」
 「牧野さん早いっ、早いですっ」

加賀が救援用の浮き輪を借りると言って海の家へと駆ける。
その背後を追うように横山と牧野も走っていった。

 「犬が二匹、か」
 「でも良かった、相性の合う子が居て」
 「あと一人ぐらい居たらバランス良いかも」
 「そうだね。そうなると良いなあ」

譜久村の言葉に少し首を傾げるが、深くは考えなかった。
いつかの話をしている、そう思っていたからだ。

918名無しリゾナント:2017/08/29(火) 04:17:57
>>908-917
『黄金の林檎と落ちる魚』

海に泳がせたかっただけなんです…それだけなんです…。
水着のイメージは皆さんのご想像にお任せします(真顔)

919名無しリゾナント:2017/08/30(水) 02:44:05
尾形が海面に上半身を伏せて、前へ出る。
顔を上げたまま、目を閉じて手足で水を叩いて進む。
見ていると、足から腰、胸、顔と順々に海中に沈んでいく。
見ると、尾形は水底に横たわっていた。

急上昇。
水飛沫と共に尾形が水面から顔を出す。
ゴーグルを外して黒髪から水を滴らせながら、得意げな笑みを浮かべる。

 「五メートルぐらいはいけたんちゃうかな?」
 「ない胸を張れるほどじゃないからね。全然泳げてねえよ。
  五メートル間ずっと溺れてただけじゃんか」

工藤が呆れながら出来の悪さに怒りながら指摘する。
顔から離れる海水を両手で拭い取る尾形は呼吸を整えると
ゴーグルを再び装着する。

 「やっぱり酸素量が足りひんのですかね…しかも今サラッとディスりました?」
 「そうだろうな。あとは浮くって事をちゃんとした方がいいよ。
  最初は水に顔をつけて、静かに浮く感じで」
 「はあ……まさかのスルー」
 「ほら持っててやるから頑張れ頑張れ」
 「工藤さん!あかねも!」
 「順番順番」

920名無しリゾナント:2017/08/30(水) 02:46:11
工藤の言葉に近くで泳いでいた羽賀が頬を膨らませる。
尾形は工藤に両手を預け、顔を海水に入れて、体を伸ばす。
華奢ではあるが、女性特有の曲線があるため、浮力で体が浮く。
水面から尾形が顔を上げ、笑みを見せた。

 「浮いた!今春水ちゃんと浮いてましたよねっ?」
 「そりゃ浮くって。次は泳ぐ練習な。
  太腿を動かすように意識して足先を上下させてみて」

言われたとおりに顔を見ずにつけては上げて、水平となった
尾形が足を動かす。手を取っている工藤が押される推進力が
出ていたが、ここからが難しい。

 「次は水中で鼻から息を出す。水面から出た口で吸う事を繰り返す」
 「えっと、鼻から息を出して、口で呼吸」

尾形が試す。右から顔を出して、盛大に咳き込んだ。
工藤の手を振り払って立ち上がり、鼻と口から水を出す。

 「うぇーしょっぱい」
 「口で吐こうとするからそうなるんだよ。
  海の中で鼻から息を吐けば自然に口が息を吸ってくれるんだ。
  これを繰り返して体に染み込ませないとどうにもならない。はい練習練習」
 「ヒーン」

921名無しリゾナント:2017/08/30(水) 02:50:40
正直な所、いくら練習しても一日で完璧に泳げるようになるということは無い。
だが尾形の場合は水面の恐怖自体がある為にこのままでは一人で貝拾いを
させる羽目になってしまう。それは絵的にも少し切ない。
あと何回か練習させて、残りは浮き輪の補助で遊ばせようと思っていた。

 「加賀、さっきから後ろで平泳ぎしてるけど何かアドバイスしてあげてよ」
 「え、えーいや、私は工藤さんみたいに詳しくは説明できないので」
 「まあ泳ぎなんて勘っちゃ勘だからな」
 「でも尾形さんはスケート経験がありますし、きっと泳ぐ姿も綺麗ですよ」
 「確かに、もうちょっと自信持とうぜ尾形。筋は良いんだからさ。
  ……尾形?何顔真っ赤にしてんだよ、疲れた?」
 「綺麗って言われて嬉しいんですよ。ね、はーちん?」
 「うっさいっ」
 「かえでぃー、もっと褒めてあげて。褒めて伸びる子だから」
 「あ、あーはい。えーっと、えー…」
 「…こりゃ当分はかかるな」

工藤がやれやれと笑い、このまま加賀に任せようと思った時だった。

 「工藤さん工藤さん!まりあ出来ましたよ!」

牧野が告げ、その言葉通り海面を泳いでいく。
速度が上がり、波を蹴り立てて左側から右側へと進んでいく。
まるで親に自慢したいという気持ちを堪えきれない笑顔。
完全に雑誌特集にでも出てきそうなモデルかという完璧な幸福感。
足でもつらないかな、などと思いながら温い笑顔を返した。

922名無しリゾナント:2017/08/30(水) 02:52:35
そうして手が両脇へを水を掻いて顔を上げようとした時
近くに居た羽賀に背中からぶつかっていく。完全な不注意だった。

 「うわっ、ぶぷっ、何?なになに?」

牧野はバランスを崩しそうになったのを食い止めようとその背中に
しがみつき、身長差のある牧野が羽賀に覆い被さる状態になるため
羽賀はパニックになって悲鳴を上げて溺れそうになっていた。
浅瀬なのに何故か二人はもがいているように見える。

 「まりあちゃん離して!」
 「待って!なんか引っ張られてる!ぷわっ」

笑っているのか泣いているのか怒っているのか分からない悲鳴を
上げて水面に波を起こしている二人を助けに行く加賀。
だが加賀自身ももつれるようにしてバランスを崩し始める。
肩よりも下だった水面が首元まで浸かっていた。

 「ちょっと何やってんのっ」

ただ事じゃないと判断して石田と譜久村も加勢に入る。
牧野を引っ張って助け出し、石田にしがみつく羽賀は半泣きだ。
加賀も自力で浅瀬へと戻った。

 「人を巻き込まないっ」
 「ご、ごめんなさい、あかねちんごめんね」
 「ゲホゲホ、鼻に入ったぁ…」
 「あかねちん、一旦上がろうか」

923名無しリゾナント:2017/08/30(水) 02:55:38
羽賀と一緒に砂浜へ上がる石田、二人の背中を見送って
牧野はショックだったのか頭を垂れる。
その頭を譜久村が撫でた。

 「後でちゃんと謝れば許してくれるよ。わざとじゃなかったもんね」
 「うう、はい…」
 「加賀ちゃんもなんか変だったけどどうして?」
 「なんか急に足を引っ張られたんです。こんなに浅瀬なのに」
 「ええ?まさか手で掴まれたとか言わないよね?」
 「まりあもっ。グーッて足を引っ張られたみたいに浮けなくなって」

工藤と牧野の会話の傍らで、加賀がゴーグルを装着する。
大きく息を吸って溜めると顔から水面に入り込む、陽射しの光で水中が見えた。
見ると、確かに砂が削られて大きな穴を作っている。
まるでスコップで掘り出されたような空洞。
手を伸ばすと、水流を吸い込む引力が腕を通して感じる事が出来た。
どうやら”原因”の一つと見て間違いないだろう。

加賀は穴の方へ腕を伸ばすと、水面が、僅かに撓む。
見えない何かが水流を操っているかのように、蛇が泳ぐように。
砂粒が舞い、穴へ移り、窪みを埋める。埋める。埋める。
血の色を帯びた眼が拳を握り上げ、砂が盛り上がるのを”止めた”。
あっという間に穴は消え、平坦な地面が形成される。

不意に、加賀は横から視線を感じた。
フグの物真似でもするように頬を膨らませた牧野の顔面。
耐え切れずに水上する。

924名無しリゾナント:2017/08/30(水) 03:00:42
 「ぶはっ、何やってんですか牧野さん!」
 「かえでぃーが急に我慢勝負し始めたからまりあも参加しようと思って」
 「してません。てか誰とですか」
 「さっきチカラ使ってたみたいだけど何かあった?」
 「あ、あーはい。多分まだたくさんあると思いますあの穴。
  多分ここの海の事故が多いのは、あの穴が原因とみて間違いないと思います」
 「穴?」
 「これぐらいの穴が開いてるんです。
  引力があって水が渦を巻いて、きっとあれに足を取られるみたいです」
 「でも普通気付くんじゃない?」

工藤が神妙な顔で呟き、加賀が首を傾げる。

 「深さからして、少し水が荒れればすぐに埋まってしまうほどです。
  多分時間があれば痕跡は消えるんじゃないかと」
 「わざわざ人の手で掘り出される理由が分からないし、天然の穴にしては
  なんか引っ掛かるな…どう思います?」
 「うーん、とりあえずまだ穴があるなら、まずはそれを埋め直さなきゃね」
 「全部を直すには時間は掛かると思いますが、横山となら一時間で出来ます、ね」
 「うん。ただ場所までは…」
 「ハルに任しとけって。ちゃんと探し当てるからさ」

工藤が自分の目を指で示す。牧野が右手を空へ上げた。

925名無しリゾナント:2017/08/30(水) 03:02:28
 「まりあも手伝っていいですか?」
 「牧野さんが良いならお願いします。スタミナを考えると心強いですから」
 「了解しちゃいまりあっ」
 「じゃあ一回休憩を挟もう、ごめんねはーちん。泳ぐの中断させちゃって」

譜久村が謝罪すると、尾形は気付いたように、首を横に振った。

 「ああいえ、全然平気です。というかこれ以上はうまくならない気がするんで」
 「なーに言ってんの。後でまた教えるつもりだから覚悟しとけよー」
 「堪忍してくださいー」
 「ファイトです尾形さん」
 「あ、う、うん。がんばる」

片手のガッツポーズで応援する加賀の言葉に尾形は大きく頷いて答える。

 「こういう事になるなら少しぐらい泳げるようになれば良かったかな」

小声を漏らすが、それを汲み取ってくれるのは野中ぐらいのものだろう。
尾形の本心を知る事が出来るのは、その本心に触れられるのはごく一部だ。
譜久村がやれやれ、という感じで視線を向けていたが、それも一瞬の事。

 リゾナンターが、始動する。

926名無しリゾナント:2017/08/30(水) 03:07:17
>>919-925
『黄金の林檎と落ちる魚』

すみません。一応続きモノですorz
現実世界ではいろいろ起こっていていつまで想像できるのかと
少ししんみりしてます…。いやまだ夏は終わらない、終わらないのだ…!

927名無しリゾナント:2017/09/01(金) 03:53:30
石田が砂浜に戻ると、羽賀は海の家の近くにある水場で顔を洗った。
砂混じりの塩味で溢れていた口がどんどん潤っていき、鼻には多少の
違和感が残ったが、状態が回復していくのが分かる。

 「はいタオル」
 「ありがとうございます」

石田からタオルを差し出され、素直に受け取った。
母親のような石田に、羽賀は少しだけ照れ臭さを感じる。
尾形、野中、牧野と同じく自身の過去を忘れてしまった為に
本当の両親が居るのかは分からないが、それでも姉のような、母のような
存在に囲まれての日々はとても楽しく、幸せだ。

 「はあ」
 「スッキリした?」
 「はい。もう大丈夫です」
 「まりあちゃんもさ、ほら、爆弾みたいなものだからあの子は。
  自分では抑えられない所があるっていうかね」
 「考えてみると、多分、まりあちゃんも同じだったと思うんです」
 「え?同じ?」
 「急に足を引っ張られてあかねもパニックだったから」
 「あ、足?足を引っ張られたの?誰に?」
 「分かんないです。でも、水面を見た時に影が見えた様な気がする」
 「悪戯だとしたら許せない」
 「人間じゃないです。でもあんなの見た事ないから、新種かも」
 「それ思い出せる?譜久村さんに報せなきゃ」

928名無しリゾナント:2017/09/01(金) 03:54:24
石田が右手を差し出すと、羽賀が左手で握り返す。
浜辺へと戻ろうとした時、足首までしか海水がない岩礁に目が留まる。
いつの間に移動したのか、小田と野中が両膝を抱えて並んで座っていた。
何をしているのかと思って近づいてみるが気が付かないのか
二人は水底をジッと見ている。

 「小田ちゃん、何見てるの?」
 「魚が泳いでないか探してるんです」

石田の問いに、小田は水底を見たまま答えた。
気付いてたのかよ、と胸中で呟く。

 「こんな浅瀬で?居るの?」
 「まあ小さいのがちらほら。石田さんはどうしたんです?」
 「ちょっとハプニングがあったのよ。二人も気を付けてね」
 「Noted with thanks.」
 「心配してくれるんですか先輩」
 「あんたに何かあったら野中ちゃんを助けられないでしょ」

「じゃーね」と石田は羽賀を連れて海へ戻っていった。

929名無しリゾナント:2017/09/01(金) 04:09:33
 「素直じゃないなあ石田さんは」
 「あ、見て下さい小田さんっ。sea cucumber!」
 「しーきゅーかんば?なにそれ?」
 「ほら、ここですここ」

野中が指し示す所にナマコが居た。

 「ああなるほど、これの事か。知ってる?これ食べられるんだよ?」
 「Seriously? 小田さん食べた事があるんですか?」
 「ううん。だって河豚と同じで、有毒生物だからちょっと考える」
 「へーそれでも食べられるって、誰が最初に食べたんでしょうか?」
 「そういうのを食べなきゃいけないほど、時代が酷かったんじゃないかな。
  私達が予想付かないぐらいの、ね」
 「fascinating story. 詳しいですね」
 「そんなんじゃないよ。ネット環境が優秀なの」

野中が立ち上がり、海岸の突堤を眺める。
何かを探しているようだが、コンクリートの上を見て「あっ」と
発見したように声を上げた。

 「angle!小田さん、釣りをしてる人が居ますよ」
 「何か釣れてるのかな?こんなに人が多いのに……行ってみる?」
 「I'd love to! 見学したいですっ」

二人で突堤を歩いていくと、高齢の男が椅子に座っていた。
日除け防止に、闇色のサングラス。手元に竿とくれば完全に釣り人だ。
男が傍らに立つ二人を見て軽く会釈をすると、二人もお辞儀を返す。
するとまた前に目を戻した。

930名無しリゾナント:2017/09/01(金) 04:11:25
突堤の先の海には騒いでいる男女。
すぐ近くを船遊びの大型クルーザーが波を蹴立てていく。
平和な光景に、男が馴染んでいた。

 「釣りですか?」
 「見たままさ」

男が釣竿を小さく回し、遠心力を得ていく。
近くで見ると分かるが、痩せて見える男の肩や足や背は強固な筋肉質だ。
袖口や裾から出る手や足に刻まれた傷跡。
漁師でもやっていたのだろうか。

 「少し前に仕事を辞めてね、知人から譲り受けた海の家をやっている」
 「まさか今釣ろうとしているのは」
 「ああ、昼食で出す魚だが、結局は自分用になるだろうけどね」

男が釣竿を小さく振りかぶり、糸を飛ばす。
驚くほど意図が伸びていき、沖に立つ消波堤に当たった。
跳ね返った釣り針は消波堤の根元に絡みついていき、止まる。
釣り針が海面に届くことは無かった。
男が引っ張っても、釣り針は取れない。
力を入れると竿が曲がりそうなほどしなり、外れた。
糸が切れた竿は男の手元で揺れている。
小田と野中は男を見るが、男は見ずに、苦笑した。

931名無しリゾナント:2017/09/01(金) 04:12:42
 「はは、まあ不器用とはよく言われるんだよ」
 「冷静に言いますが、これだけ人が居る真昼では釣れないと思います」

私設海水浴場といっても人が多い。
ましてやクルーザーの船遊びが海面を見出していては魚も寄り付かないのだ。
大物を狙うなら、あまり推奨できない。

 「ここでするなら夜か朝釣りが良いですよ」
 「分かっていて昼に釣りをしているんだが。
  実はあそこに見える海の家が流行らなくてね、時間つぶしさ」

男が示すのは、他の海の家が陣取る場所から僅かに離れた岸壁の近く。
お客の姿はおろか、看板を掲げた外見のみで、営みの気配すら感じない。

 「何か原因が?」
 「バイトと喧嘩してしまってね。置き土産に風評被害をしこたま
  叩きつけられて全員辞めてしまったんだ。
  ガラの悪いイメージが拭えないのはやっぱり痛いよな、接客業は」

サングラスの奥の細い目には微笑み。
悔しさの帯びない表情は既に諦めきっていた。
男は糸を失った釣竿を海面から上げて、左腕の腕時計を見つめる。

932名無しリゾナント:2017/09/01(金) 04:13:50
 「とはいえそろそろ開けないと、悪戯されてもかなわんからな。
  じゃあね、お嬢さん」

小田と野中は顔を見合わせて軽く微笑んだ。

 「Two heads are better than one」

野中の英語に、男は素直に首を傾げた。

933名無しリゾナント:2017/09/01(金) 04:17:56
>>927-932
『黄金の林檎と落ちる魚』

少し短いです。スレ立てお疲れ様です。
訳アリのおじさんが登場しました。

934名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:28:48
海の家に賑わいの声が響く。

工藤遥がカレーを頬張り、隣に座る牧野はかき氷を匙で掬って口に運ぶ。
頭痛が来たらしく、こめかみを指で押さえている。
隣で横山が再びかき氷を掬う。
彼女もこめかみを指で押さえる。二人で笑い合った。
譜久村はタコライスとかき氷、羽賀はラーメン、尾形はたこ焼きとかき氷。
小田はしらす丼、野中はカツ丼、加賀は焼きそばを注文した。

 「見事なまでに定番が揃ったね」
 「もうちょっと皆珍しいの選ぶと思ってた」
 「いやいやいや。海で定番っていうのが良いんだろ」
 「石田さん元気出してください。スイカならまた買いましょ」
 「その私のスイカ大好きキャラいつまで引っ張るつもり?
  しかもお店に用意されてないってだけで落ち込むこと前提なの止めてくれる?」
 「ほらほら、スイカ割りやりたい人が手上げてるよ。優しい後輩だね」
 「じゃあ皆で割ろうねー2つ余るから皆分けて食べようねー」
 「怒んなよー」
 「先輩、私も後輩です」
 「へー良かったね」
 「つめたーい」
 「すまないねお嬢さん、まさかこんなにたくさんお客が来てくれると思わなくてね」

店主の男が笑った。手には石田が頼んだ魚介パスタの皿を持ち、テーブルに置く。
魚介類の芳醇な香りが麺と具材を引き立てている。

935名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:31:06
 「なにこれめっちゃ本格的。一口ちょうだい」
 「言いながらフォークで巻きとってるじゃない。あ、いただきます」
 「ちょっと熱いかもしれないから気を付けるんだよ」

工藤がフォークを伸ばして麺を巻きとる。
口に運び、噛むと舌には独特の味が広がる。
魚介類の芳醇な味が麺と具材を引き立てていた。

 「うま、魚介だからかなんかいろいろ混ざってる。
  でも臭みもないし和風だけど洋風みたいな、とにかくうま」
 「こら、あんまり取るな。自分で注文してよ」

亜佑美が皿を自分の手元に戻す。
隠すように食べる姿を見て、隣の譜久村は笑うしかない。

 「ははは、秘伝のソースを気に入ってくれたなら嬉しいね」
 「勿体無いッスよねーこんなに美味しい料理を出してくれるお店をハブるなんて」
 「今はネットで何でも美味しそうな料理が食べれる場所を調べられる。
  こういってはなんだが、情報を食べに来てる気がしてならない。
  けれどお嬢さん達みたいな笑顔を見る為に、この店は皮肉にも在り続けてる」
 「好きなんですね。ここが」
 「そうなのかな…。まあ、この店の最後のお客さんとして精一杯振舞わせてもらったよ」
 「まだ諦めるの早いよ。おじさん」
 「しかし……」
 「まあ明日楽しみにしときなって」

936名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:36:13
 「何か秘策があるの?」
 「簡単な話、人を呼べばいいんですよ」
 「チラシ配り!」
 「呼び込み!」
 「いやいや、もっと簡単な事があるだろう?
  人を呼ぶだけならチラシ配りも呼び込みも必要ない方法で出来るじゃん」
 「そんな簡単なことが出来る訳……」
 「出来るよ。だってあたしら、リゾナンターだろ?」

心に光を。放つ光は闇を払って共に鳴る事を誓う者。
共鳴者に成りえる者達と響き合い、呼応する者達。
たとえそれがどんなに闇で覆われていたとしても必ず共鳴する。
それが光と闇に愛された者達の宿命。

 「……でも、一時気持ちを合わせた所でまた離れるかもしれない」
 「ハルは思うんですよ。多分きっと、たった一度のきっかけで良いんです。
  たった一度だけでも気持ちを合わせたなら、それだけで上手くいく気がする。
  だからあのおじさんに見せてやりましょう。見えなくても、視得るものを」
 「何言っちゃってんのよ。凄い大変なこと言ってるの分かってる?」
 「それにどぅー、明日の調査はどうするの?」

937名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:42:59
 「あ、あーあーえっと。まあほら、昼にはまたここで食べるんですからその時に。
  大丈夫ですよ、リゾナントのバイトリーダー張ってますから」
 「なんだかなあ。行き当たりばったり感でさっきの言葉の説得力が。
  うーん………でもまあ、悪くないと思うよ。一か八かやってみる?」
 「さすが譜久村さん」
 「一番頑張るのはどぅーだからね。頼りにしてるよ」
 「私達も手伝いますよ工藤さん」
 「やってやりましょう」
 「I'm going to do it!」
 「ノリがいい後輩で良かったね、どぅー」
 「ですね……ありがとう、皆」

工藤の言葉は静かに仲間を頷かせた。
彼女の強い言葉が響く。遠くを見ているような、そんな、響きを残して。

夕方の浜辺での野外焼き肉では、若い連中が肉の奪い合いとなる。
海の家の店主による厚意により、夜は花火大会の花火が見れる見晴らしのいい
隠れスポットに向かい大騒ぎとなった。
男が保護者として率先してくれた事により、未成年の多い彼女達には有難かった。
何度も奢らされそうになる姿に、親戚のおじさんのようでもある。

 「今日初めて会ったのにもうあんな風に。若さかなあ」
 「妥協してくれてるような気もするんですけどね。
  でもあのおじさんが喧嘩するなんて、一体何があったんでしょう」
 「さすがに詳しくは聞けないよ。でも、仲が良くても喧嘩しちゃうのが人間だからね」

938名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:45:06
花火を見終えた後、最初に牧野が眠気眼をこすり、次に横山、尾形と睡眠欲を露わにし出す。
依頼主から指定された民宿へと帰り、男ともそこで別れた。
大部屋に人数分の布団が敷かれ、牧野と横山はすぐに夢の中へ落ちていった。

 「じゃあ電気消すよー」
 「おやすみー」
 「おやすみなさーい」
 「おやすみー」

反応して部屋の照明が落ちる。
暗い部屋には静けさ。かすかに聞こえるのは、空調機の音と個々の寝息。
遠い潮騒の音が聞こえ、子守歌となる。

布団の中で、加賀は思い出していた。
今日一日だけでいろいろな事があった。
笑い驚き、泳ぎ走り、食べて飲んだ。
一日中がお祭り騒ぎで、自分が心底楽しかったのだと気付く。

明日の調査で海の異変を解決すれば、その時間も終わるのだろうか。
整理する間もなく、疲労ですぐに瞼が下りた。


目が覚めた。
暗い部屋に、窓を抜けた星と夜の街の光が微かに射し込む。
横を見ると、枕元の時計の表示は午前三時。
深夜か早朝か迷う時間。
夜の潮騒の音だけがまだ遠く聞こえていた。
横から小さな寝息が響く。

939名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:46:12
欠伸をしようとして止まる。真夜中に起きた原因は、喉の渇きだ。
空調機を見ると冷房ではなく乾燥になっていた。
それでも加賀しか起きていないようだ。
布団から起き上がり、靴を履く。
備え付けの冷蔵庫へ向かい開けると、缶ジュースやペットボトルの水が
入っていたが、何故か温くなっていた。
冷蔵庫は最新ではなく、ダイヤルで温度調節をする年期の入ったもので
そのメモリが「0」を示している。
仕方がないので財布を掴んで静かに部屋を進み、廊下に出る。
階段を下りて、民宿の裏口から出た。
周囲には潮騒の響き。磯の香り、夜の浜辺で騒ぐ人間も居ない。
背後を見上げると、加賀が居た部屋が見える。誰も起きていないらしい。

 「かえでー」
 「うわっ、った、あ、よ、よこ?あんた何してんの」
 「かえでーも飲み物買いに行くんでしょ?」
 「まさか起きてたの?なんで言わないの」
 「どうするんだろうと思って見てたの。冷蔵庫も使えなかったし」
 「…つまり?」
 「私もついてって良い?良いよね?」
 「……はー、ちゃんと自分のお金で買いなよね」
 「やった」

940名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:48:11
横山と共に街灯が点々と灯る夜の道路を二人で横断していく。静かな夜だ。
椰子の木の間に、皓々とした光を放つ自販機を見つける。
近くに寄って確認すると、予想した通りの通常価格。
民宿にも設置されていた自販機は観光客価格だった為、先は付近の住民の
ための価格設定なのだ。
富士山の頂上にある自販機とまではいかないが、それでも高い。
だからこうしてわざわざ外にまで出たのだ。

 「ほら先に選んで」

横山は少し迷ったようにして、冷たいお茶を選んだ。
加賀も違う種類のお茶を選び、落ちてきた商品を取り出した。
左頬の肌が粟立つ。左側に何かがいる。

 「かえでー、何か感じない?」

横山の言葉に急いで顔を左に向ける。
海辺の道路沿いに街灯が点々と続くが、闇を追い払いきれていない。

二車線の道路の中央に、先ほどまではいなかった人影がある。
一人ではなく、数えていくと四人。子供だ。
女の子か男の子かは分からないが、車道の中央で輪になっている。
見た瞬間から、背中に氷柱が突っ込まれた様な悪寒。
子供達は両手を掲げて、左右の子供と手を繋いでいる。

緩やかに左から右へと足が動いている。
無言で行われる輪舞。異界の光景だ。

941名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:49:54
 「何あれ…」

幽霊や超常現象を信じない訳ではないが、加賀が持っているのは
視る力ではなく聴く力だけだ。
だが、眼前にある現実は異常そのものだった。
そして気付く。路上の子供達が、二人を見ていた。

 眼球が、無い。

闇色の眼窩からは、黒いタールのような涙が頬に零れている。
黒い口の黄色い乱杭歯の間から、同じくタールの涎が垂れていた。
『異獣』にも奇怪で異様な容姿の者は何匹も在るが、人型なだけあって
あまりにも質が悪い。

横山が加賀の背中にしがみつき、一刻も早くこの場から逃げたいと思う。
子供達は眼球の無い目で二人を見ているが気にしていられない。
三歩目で止まって上半身を戻す。

 『刀』が無ければ『本』の意味がない。
 油断した。まさかこんな所で遭遇するとは思わなかった。

 「よこ!走って!」

横山の腕を掴み、そのまま民宿の裏口に飛び込み、階段を三階まで駆け上がる。
勢いのまま部屋を跳ね開ける。同時に布団から小田が跳ね起きた。

 「どうしたの?」

942名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:50:47
そこから石田、工藤、譜久村と起きていく。
尾形、野中、牧野、羽賀は未だ寝続けていた。

 「出ました」

幽霊だか超常現象だかを見たという説明をどうすれば良いのか分からない。
だからこそその手の話を重要視できるように、そう呟く。

 「出ました」
 「出たって何が?」
 「窓、窓見てください窓。道路、道路を見てください」
 「なんだよお、面白いものでもある訳じゃなし」
 「ある意味で面白いですから早く」

加賀の慌てぶりがおかしいのか石田と工藤は笑ったが、窓辺で言葉が止まる。
民宿の三階の窓からでも、路上の子供達が見える。
七人も黒い涙を流す目で見上げていた。
見ているだけで恐怖を巻き起こす、異様な姿だった。

 「あれ、幽霊ってやつですよね?」
 「ああ、あーまーそんな気がしないでもないっていうか」
 「肉眼で見るの初めてだけど、攻撃したら反応するのかな」
 「ええー…」

943名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:52:07
加賀は二人の反応に、絶句した。
あんなに異常な光景なのに戸惑う表情しか浮かべない。
僅かに引きつって、だが恐怖を感じているのかよく分からない。
路上の子供たちはこちらを見上げたままの姿勢で動かない。
横山はまだ譜久村と小田に慰められている。

加賀に違和感が生まれていく。冷静に考えれば疑問がある。
子供達がこちらを見上げている。
『異獣』を従えているから分かる。

 “まるで次の命令を待っているようだ”

加賀が荷物から『刀』を抜き出すと、小田と石田がギョッとする。

 「ちょ、かえでぃー、一体何する気?」
 「さっきの石田さんの言葉を貰ってみようかと思います」
 「あまり大きい事はしちゃダメだよ」
 「大丈夫です。サイズはアレに合わせますから」
 「サイズ?」

加賀が鞘から僅かに抜かれた刃を構える。
横山の瞳が煌めく。体内から召喚された『本』が燐光を放つ。
周辺に居た全員の背筋が凍り付く。

子供達の一人が吹き飛ばされた。
“見えない風”に遊ばれるように小さな体が空中で回転する。
さらに向かい側の輪にいる他の子供達も吹き飛ばされた。
黒い血が暗い夜に撒かれ、また街灯の下に落下していく。
無言の悲鳴で、だが異形の子供達は逃げ惑うことなく吹き飛んでいく。
次々と吹き飛び、落下。街灯の下で黒い血を広げていった。

944名無しリゾナント:2017/09/03(日) 01:56:34
工藤と石田がスプラッター映画を見るように引きつった表情を見せる。
そして互いを見た後、気分の悪さに部屋を出て行った。
小田が僅かに目を細めて呟く。

 「まるで大きい犬が暴れまわってるみたい」
 「ああ、あれは鯱です」
 「しゃ、鯱っ?」
 「子供ですけど、並の人間ならぶつかった瞬間に破裂します」
 「凄いね…」
 「でもこれで、ようやく分かりました」

暗い路上には、七人の子供たちの幽霊が倒れている。
這った姿勢からそとってこちらを黒い穴の目で見上げていたが
その輪郭が崩れ、青い光を発し、崩れていく。
ようやく理解したと同時に、胃の底から怒りが沸き起こる。

室内に顔を戻す。吐き切った石田とダウンした工藤が帰ってくる姿と
小田と譜久村の苦笑した表情。

 「まんまと引っ掛かったって事ですね。しかもよこも知ってたな」
 「あれ、なんでバレたんだろ」
 「あんな消え方をするのはアイツらしかない」

さっきまで怯えていた表情が悪戯を暴かれた子供のように表情を浮かべる。
見た事のない異種で気付かなかった、人型が操る異獣はあまりにも謎と種類が多い。

945名無しリゾナント:2017/09/03(日) 02:00:10
 「演出担当はどぅーとあゆみん、空調機を調節したのは私。
  喉の渇きで真夜中に起きる様に考えたのははるなんだけどね」

譜久村が自分を示す。
喉の渇きから全てが計画の内だった。

 「こうしてこんな…」
 「まあ恒例行事っていうかね。ハル達も譜久村さんに騙された方だから」
 「まだ眠りこけてるこの子達も去年同じ目に遭ってるよ。
  その時はあたし達も参加して死んだフリしたり、手間が掛ったけどね」
 「横山ちゃんには計画してる所をバレちゃってね。でもかえでぃーと
  一緒に参加させた方が雰囲気でるかなと思って。
 「でも厳密にいえば私達は騙してないよ、幽霊とは一言も言ってないし」

小田の言葉に、加賀が口を結んだ。
指摘されれば、確かに勝手に幽霊だと思って騒いだだけだ。
悪戯をする方が子供、と言いたいが、加賀自身にも反射してくる。

 「ちょっと出てきます」
 「あ、かえでぃー」

頬を朱色に染める加賀は部屋を出る。廊下で一人。
階段を下りて、ホテルを回り込み、浜辺に向かった。

946名無しリゾナント:2017/09/03(日) 02:04:56
>>934-945
『黄金の林檎と落ちる魚』

拗ねでぃー発動。無理やり肝試しも挟んでみました。
新曲の「若いんだし!」聞きました。ライヴでDo!DO!と叫びたい…。

--------------------------ここまで投下お願いします。

少し長くなってしまったのですが、余裕がある行に狭めてもらっても
全然かまいませんので、投下しやすい形でよろしくお願いしますorz

947名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:06:56
夜の浜辺の突堤に腰かける。
街の街灯が背中から淡く届き、寄せては返す黒い波頭を照らす。
引っかけられた悔しさはすでにない。
夏場におけるお節介な行事ではあるが、今思い返せば笑い話だ。
気付けばまだ数ヶ月しか会っていない面々とも普通に会話が出来ている。
横山とは冗談すら言い合える関係を築き始めていた。
命の取り合いの緊張は薄まったが、心地よさを感じているのも事実だった。

夜の潮騒の間に、足音。

 「おや、どうしたんだね」
 「あ……えっと、ちょっと風に当たりたくて。どうしてこちらに?」
 「夜釣りだよ。早朝に釣れる魚もいるらしいからね。楓ちゃんだったかな?」
 「はい。加賀楓です」

海の家の店主が折りたたみの椅子と釣り具入れを下ろし、加賀の横に座る。
無言で釣竿を振るう。
糸が夜空を渡り、暗い海に落ちていく。
着水音は潮騒に消されて聞こえない。
夜に灯る小さな火。座る男の口にある煙草に火は灯っていない。
彼なりの配慮だろう。

 「お嬢さん達は一体どんな仲なんだい?年もバラバラのようだし」
 「ちょっと変わった仲ですけど、楽しいですよ。まだ出逢って一年にも
  満たないけど、でも、これだけ絆のある人達に会えたのは幸運だと思います」
 「そうか、それは、とてもいい人生だね」

夜の海へと釣竿を緩く動かしつつ、男は笑った。

948名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:07:33
 「お店を経営してて、まるで、そう、学校のような家庭のような雰囲気があるんです」
 「へえ?店を?そんなにも若いのに」
 「ああいえ、私はまだ駆け出しなのでお手伝い程度しか。
  でも先代達からずっと受け継いでるんです。やり方はずいぶん変わりましたけど」
 「一度行ってみたいもんだねえ」
 「ぜひ来てください」

ふと、加賀は思った。
言ってはみたものの、譜久村達の判断なしで招待してもいいのだろうか。
明日聞いてみた方がいいだろう。謝罪と共に。

当たりがないらしく、男が釣竿を握る右手首を返す。
釣竿の先の意図が銀の曲線を描いて戻り、釣竿を左手に取る。
また釣竿が振られ、糸と針が夜空を飛翔していく。

 「私はずっと仕事の毎日だったからね。毎日毎日、飽きもせずに。
  何度も縁はあったが、それも全て蹴って仕事に明け暮れた。
  だが、最後の最後に親友だった男が裏切った。あいつはただ
  利用できる人間を捜していただけなんだ。全ての厚意すらも。
  だからどんな小さなことでも良いから恩を返したくて海の家を引き取った。
  ……数十年にも叩き込まれた警官の正義感でも、誰の心をも動かす事は出来ない」

暗い海面に釣り針を投げ込み、しばらくして手首を返し、糸を戻す。
釣り針には、漫画の様に海草が引っ掛かっていただけだ。
海草を外し、男は再び釣り竿を力強く振る。
釣り針は夜空を飛翔していき、海原に落ちた。
空から夜は去っていき、水平線の端が紫に染まっている。夜明けは近い。

949名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:08:11
 「君達はまだ若い。だから、何度でも挑戦する事が出来る。
  何度でも、何度でもね。それが人生さ」
 「それは誰もが持ってる特権ですよ」
 「……そうだね。もう少し、頑張る事にするよ。
  君達の厚意を無駄にしないために」

背後から足音。
顔を向けると、突堤の根本に人影。横山と工藤が歩いてきていた。

 「あ、おじさんこんばんわ。あ、おはようございますかな?」

欠伸をしながら工藤が進んでくる。

 「午前10時まではおはようございます、らしいですよ」
 「ふうん。加賀ちゃんもおはよう」
 「おはようございます。どうしたんですか」
 「迎えに来たんだよ」
 「その割には遅かった気がするんだけど」
 「二度寝しちゃったから多分そのせいかな」
 「完全にそのせいでしょ」

加賀の言葉に横山が笑った。笑って受け流した。

950名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:10:18
 「小田ちゃんが言い過ぎたってちょっと落ち込んでたんだけど
  睡魔に負けて眠りこけてる」
 「いえ、私もちょっと大人げなかったです。すみません。あとで謝りに行きます」
 「加賀ちゃんは真面目というか、もうちょっと言ってやってもいいんだよ。
  もう知らない関係じゃないんだからさ」
 「……じゃあ、これからはもう少し言わせてもらいますね、たくさんありますから」
 「あら、これはちょっと焚きつけ過ぎたか」

三人は再び海へ目を戻す。
暗い先の空が、紫から赤となっていく。
そして銀色の光が現れ始めていた。

 「来たっ」

男の声で横を見ると、釣竿が揺れている。
一気に急な曲線を描いていくと、糸の先、浮きが上下し、沈んだ。

釣り針にかかった魚が、糸を右へと引っ張っていく。
海を右から左へ横切る。銀の線。
獲物はとんでもない速度だ。男の体も左へ流れる。
加賀は慌てて横から男が握る釣り竿を掴む、凄い引きだ。

 「こいつあ二人でも無理だ。この竿の強度でも持つかどうか」
 「おじさんっ、人手集めてくるから頑張って!かえでぃーも頼んだ!」
 「力任せに引っ張らずに魚を泳がせて弱らせましょう!」
 「あ、ああ分かった」
 「私も手伝うっ」

三人で息を合わせて釣竿を操る。

951名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:13:29
竿先が一体なんの素材で作られているのかは分からないが、凄まじい曲線にも
耐えているという事はよほどの業物なのだろうか。
だがこれならば最悪の場合にも折れる事はない、ならば考える事は一つだ。
加賀も釣りの技術や経験が高い訳ではないが、基本知識ならある。
彼女の掛け声に男は糸を巻いては泳がし、泳がしては糸を巻き、魚を寄せていく。

 「連れてきたぞ!あたし達はどうすればいい!?」
 「とりあえず網の準備を……あ!」
 「うわっ、なんだありゃ!」

十数分の格闘で距離が縮まっていた先、赤紫の波間に銀鱗が見えた。
三人が竿を引くと、海原を蹴立てて百、いや二百センチを超える大魚が跳ねた。
青に赤、緑の鱗。
無表情な魚類の目が、明けていく夜空から見下ろしていた。
巨体が波間に落下して、水しぶきを立てる。

 「あれですっ、あれです工藤さんっ、あかねが見た影!」
 「まさかあれがあの穴を作った犯人?」
 「人じゃないから、犯魚ですかね」

石田と羽賀の背後から眠気眼の譜久村と小田も現れる。
尾形、牧野、野中はやはり熟睡中のようだ。

 「よし、釣りあげるぞ!」
 「能力使わないの?」
 「でもおじさんも居るし、下手な事するとバレちゃいますよ」
 「大丈夫ですよ工藤さん、絶対に逃がしませんから」

952名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:14:30
工藤は二人の背中を見つめている。
男が汗を滲ませている中、加賀と横山にはまだ余裕があるように見える。

 「おじさん、大丈夫ですか?」
 「ああ、手が痺れてるが俺が頑張らないとな。一緒に釣りあげよう」
 「はい。よこももうちょっと頑張って!」
 「分かってる、よおっ」

二十分近い格闘で、釣り糸は突堤にかなり引寄せられていた。
魚も弱ってきているが、あまりの大物で糸も限界に近い。
勝負に出なければ、負ける。

 「おじさん、よこ、合図したら竿を引いて…………………せーーーのっ!」

三人は呼吸を合わせて、一気に竿を引く。
海面が弾け、大量の水飛沫とともに大魚が空中に引き上げられる。
全力で釣竿を引く、加賀の目が僅かに朱色に染まった。
放物線を描き、大魚が突堤に落下。
水中の銀鱗は、コンクリートの上で青や赤、緑の鮮やかな体色を見せる。

953名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:15:42
背鰭や尾鰭を振り、水を散らして大魚は突堤のコンクリートの上で跳ねる。
浜釣りの装備でよく釣れたと呆れるほどの大きさを誇る。
突堤の上で魚がまた跳ねる。
押さえようと伸ばした加賀の手から魚が逃げる。
男が先に居る工藤へ顔を向けた。

 「網を!」

跳ねるように工藤が動き、男の構えた網で大魚を捉える。
青い網のなかで魚が暴れるが、徐々に落ち着いていった。

 「やりましたね」
 「ああ、はは。大きいなあ」

男が初めて心の底からの笑顔を浮かべた瞬間だっただろう。
横山も予想以上に大きな獲物に珍しいのか、加賀の肩越しに魚を見ている。

 「やったね、凄いよかえでぃー」
 「横山ちゃんも頑張ったね」

譜久村や石田から賛美され、笑顔を向き合って浮かべる二人。
羽賀と小田、工藤は腰を下ろして大魚を見下ろしていた。
小田が首を傾げ、少し神妙な表情を浮かべている。

954名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:16:41
 「まさかこんな魚がこの海に居たなんて」
 「でも凄い色してますよねこれ。こんな模様見たことない」
 「だってそれ、普通の魚じゃないですからね」
 「え?」
 「残念ですが、それ食べられないです」

全員が小田の言葉に呆けたが、石田が反射的に口を開く。

 「ちょっと小田ちゃん、またそんな空気読まない事を」
 「不味いですよ。強烈な味で人が簡単に死んじゃいます」
 「まさか、猛毒持ってる?」
 「数年に一度しか見られないので希少価値は高いです。
  でも食べるとなれば……止めませんよ?」
 「止めなさいよ!全力で止めて!洒落になんないから!」

小田が優しい毒を含む微笑みを唇に宿す。
食べる為の釣りだったが、大魚の自然の防御が上回る。
魚は網の下で跳ねている。悲鳴が上がって思わず吹き出す工藤。

 「なんだよこのオチーっ」

工藤の笑いに誘われて他の面々ももはや笑うしかない。

955名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:22:47
 「あーあ、楽しみだったのになあ。私もう焼いてるイメージ出来てました」
 「でも確かあかねちんが食べられないんじゃなかった?」
 「今心底ホッとしてるでしょ」
 「……えへへ」
 「はーもう何この状況、ウケルんだけど」

笑い終えて、魚の処遇を考えたが、人の手が入らない沖合いに帰す事となった。
元々沖合に棲みついていたが、荒波に揉まれて浅瀬に留まっていたのだろう。
砂の穴は毒魚の特性によるものだと断定付けられた。
それによって被害者が出てしまう事態になったが、これでもう事故は起こらない。
きっと。

 「ありがとうな」

男は何故か魚に感謝していた。強敵への賛辞にも似た爽快さを込めて。
その場には立ち会わなかったが、沖へ斜方投射された魚は頂点から放射線を描き
大海原へと落下すると、毒魚として雄々しい巨体に背鰭の戦旗を立てて帰っていったという。

 「見て、赤い林檎だよ」
 「何その表現、かっこつけー」
 「でも長い夜だった気がします」
 「ホントにね」
 「寝オチしてたヤツらが言うことじゃないけどなー」

956名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:23:35
海原の左側から太陽が姿を現し、巨大な黄金の林檎となって陽光を投げかけていた。

 「じゃあ帰ってもうひと眠りしようか」
 「あれ、でも今日も警備の仕事が」
 「大丈夫だよ。お昼からでも。途中で寝ちゃってもダメだしね」
 「リーダーにさんせーい」
 「よし、じゃあ帰ろう」

朝日の眩しさを片手で防ぎ、譜久村が告げた。
反転して突堤を戻っていく。彼女の背にそれぞれが続いていく。
加賀が男に礼を言って走り去っていくと、それを見届けた。
全員が笑い合い、進んでいく。

数時間後には予期しない、新たな出逢いを迎えるとは知らずに。

                             Continued…?

957名無しリゾナント:2017/09/07(木) 20:33:48
>>947-956
『黄金の林檎と落ちる魚』以上です。

お疲れ様でした。これで今年の夏を終われそうです…。
実はこの後、三人と合流して新しい子との絡みをと思ったんですが
工藤さんの記念作品に着手したいのでここまでとさせて頂きます。
ありがとうございました。

958名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:04:08

紅い刃が大地へ斜めに突きたつ。
反対側からはダガーナイフが交差して刺さる。
交差する刃の峰で、太陽の光が切断された様に煌めいた。

 「はー、くどぅーもタフだねえ。風邪はすぐ引くクセに」
 「やー鞘師さんこそ、よくもまあそんなに血を出して元気ですね。
  貧血だからすぐ寝ちゃうんじゃないですか?」

鞘師里保の言葉に、戦闘訓練の直後の為、工藤遥かの息が乱れながらも言った。
笑う鞘師の隣に工藤が座り込む。
二人して”リゾナンターの為の秘密の特訓場”という名の丘に並んで
沈みゆく夕日を眺めていた。

 「まあ、えりぽんよりは加減を知ってるから、訓練相手には助かってるかな」
 「生田さん凄そうですよねえ。この前もボロボロになった二人が
  鈴木さんに怒られちゃって、まるでお母さんみたいでしたね」
 「あっはっは。香音ちゃんがお母さんか。くどぅーにはそう見えるって
  香音ちゃんに言っておくかな」
 「やっぱり譜久村さんですか、好きですねえ」
 「くどぅーもじゃないの?一回触ってみれば?ハマるよ?」
 「ハルは同意なしでハグしてますから、じゅーぶん堪能してます」
 「む、なにそれ、うちだってフクちゃんのあーんな所やこーんな」
 「分かってますって。そんなムキになんないでくださいよお」
 「もう訓練に誘わない」
 「ごめんなさい調子に乗りましたごめんなさい。次の依頼のためにどうしても
  鞘師さんと組手してもらわないと。相手がちょっと強いみたいで」
 「大丈夫だよ。ちゃんとやれてる。今のくどぅーなら負けない」

959名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:04:44
茶化さない、真面目で率直な感想に、工藤の唇が緩む。
鞘師は事実を言う。嘘は言わない。言えない、というのが正しいだろうか。

 「チカラの使い方、人との触れ合い方、うちもずっと
  悩んでた所だから、その苦労もちょっとは分かるよ」
 「なるほど」
 「うん。でも、本当によく乗り越えたなって、凄いと思う」

工藤が見ると、鞘師の横顔には夕暮れのような憂いの表情が浮かんでいた。

 「うちは、まだまだだなって、そう思うぐらいに」
 「何言ってるんですか。鈴木さんも言ってましたよ。
  鞘師さんが皆を助けてくれてるって。ハルもそうだなって思うし
  まーちゃんなんて鞘師さんに頼りきってる所あるし」
 「あー、優樹ちゃんはほら、皆でサポートしてる部分あるから」
 「でも、鞘師さんの存在は大きいですよ。それは、認めてます、皆」

不安そうに見つめる工藤に、鞘師がおかしそうに吹き出す。

960名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:05:30
 「何で笑うんですか」
 「いや、優樹ちゃんもさ、そんな顔をして言ったなあって。
  ずっと一緒に居ようねってメールまでくれて」
 「まーちゃんも感謝してるんですよきっと。素直じゃないから
  本人には言わないけど、本心ですよそれも」
 「うん。ありがとう。くどぅーだと説得力あるよ」

片膝を立てて座る鞘師の目は、前方を眺めていた。
夕日が橙色の煌めきを放ち続ける。

 「綺麗だね。うち、オレンジ嫌いじゃないよ」

鞘師が再び告げた。工藤も暮れなずむ風景を眺める。
言われてみれば、訓練と戦闘が連続する半生で、こんなにも世界を
ゆっくりと見送った記憶が無かった。

リゾナンターはたくさんの感情を見てきて育った傭兵の様なものだ。
工藤もまた、ある機密的な異能者養成所で戦線に向かった事がある。
子供ばかりの傭兵たちに紛れて、夕日の下での悲喜劇を見てきた。

リゾナンターとして戦線に向かうのも、実はあまり変わらない。
生まれて死に、殺し殺されることが繰り返される光景。
目の前で倒れ伏す姿も見てきた。
乾く喉に血溜まりの川。溺れる屍に滑る肉。乱れる息。流れる汗。
工藤の胸の内で何かが軋む。

 「消えちゃうのが勿体ないね」
 「はい……でも、また明日見れますよ」
 「そうだけど、今日だけしか見れないよ、この色は」

961名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:06:05
鞘師が告げる。先ほどの何かを無視して、工藤も肯定する。
世界が美しい。世界は美しい。残酷でも悲劇でも受け入れる、世界は、広い。

座る工藤の右手が動く。
大地に刺してあるダガーナイフではない、体毛が覆われた、鋭い爪。
鞘師が怪訝な顔を浮かべる。一閃。
紅い一閃、鮮血、問う鞘師との間で、静かに、殺意が芽生える。

 「何で?この手は何?」
 「ハルにも、分かりません」

他人が鞘師を殺すかもしれない。工藤は敵に復讐するだろう。
だが工藤は、それ以前に鞘師をどうにかしなければいけない気がした。
理解できないままに鞘師の上段の切り下ろしを工藤の爪が迎撃。
二つの彗星が激突し、離れていく。

鞘師の右上腕が切られて鮮血が噴出。工藤の右肩にも痛みと出血。
両者が追撃を放ちつつ駆け抜け、チカラが激突、拮抗。
裏切り、狂乱、工藤の顔裏から伸びていく体毛、浮き出る口角。
もう工藤の面影は、顔から半分のみとなっていた。

 「何で急に、それはくどぅーの意志なの?」
 「分かりません。分からない、分からないんです…!」

突きに薙ぎ払い、上段下段、左右と数十から数百もの紅線となって
双方の間で刃と爪が激突する。胸は激痛を訴えていた。

962名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:06:49
ア゛ウォオオオオオオオオオオオオオ!

工藤遥だった”獣”が人間とは思えない咆哮を空に吐き出す。

 「くどぅー!」

訓練時の比ではないほどの閃光の嵐。
工藤は叫んでいた。心の底からの叫びだった。
既に自分が「大神」になった事を理解し、苦痛を訴える。
せめて鞘師に止めてほしい。今ならまだそんな心が残っていた。
この一片の良心が消えない内に、工藤は自身の命を止めるべきと考える。

 「工藤、それでいいの?それで本当に……うちは……止めなきゃいけなくなる」

鞘師が構えをとる。”獣”の背筋が冷える、凄絶な構えに絶望する。
赤い刃は獣の頭部と身体を分断した。
跳ね飛ばされる頭部が丘の芝生に堕ちていく。
半生で最高の一撃といっても良いぐらいの、歪みのない切っ先。
貫通した刃先は背後の大木すら両断し、上半分が横倒しになり、重々しい音を立てた。
夕暮れに散った葉の間に、頭部の体毛がざわめく。
鮮血と共に獣が横へと倒れていく。

 「工藤、ごめん。出来ないよ、うちには」

跳ね飛ばされた頭部が体液となって地面に染み込む。
純白の体毛に覆われた強固な骨格と筋肉は、”カワ”となって彼女を護る。
視神経や脳髄を切り離された”カワ”に意志は無く、”カワ”に覆われた
小さな工藤遥はまるで赤子のように丸まり、腹部の位置で生きていた。
赤ずきんが狼に食べられたかのように幻想的な異能。
筋肉、皮膚、体毛、骨格ですら自分のものではない、擬人化。

963名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:09:01
 「……うちは、やっぱりこのままじゃいられない。
  咲いても朽ち枯れるだけなんて、うちには出来ない。
  世界を見るべきなんじゃうちらは、例え一人でも、独りじゃないから」

工藤の意識はまだ、あった。
思わず左手で自らの唇に触れる。唇は両端が上がり、半月の笑みを作っている。
笑っていた。工藤遥、笑っている。

 「工藤、最近血の匂いがするけど、何をしとるんじゃ?」

心臓が跳ね上がる。体液もそのままに、工藤は体を起こす。
洗い流している筈の事実を、鞘師はきっぱりと言い当てた。

 「うちにはもう何も出来ないけど、皆が居るから心配はしない。
  きっと皆がなんとかしてくれる。くどぅーも、独りじゃない」

虚ろな視線の中に飢える光。工藤は何も言えなかった。
舌にこびり付いた血の味が鮮明に思い出せる。
本能が、吠える。

肉を食み、血溜まりの道を舌で這い舐めながら、どこに行けばいいと啼いていた。

964名無しリゾナント:2017/09/27(水) 13:12:43
>>958-963
『銀の弾丸Ⅱ -I wish-』

内容的に続編にするべきか悩んだのですが、この形になりました。
投げ出さない様にオープニングだけ置いておきます。
シリアス路線なので基本は深夜投下とさせて頂きますがよろしくお願いします(土下座)

------------------------------------ここまで
またしたらばでお世話になります…。

965名無しリゾナント:2017/10/16(月) 03:38:30
それは決戦前夜。
以前の日常を捨てるように前に進むための戦いへ。
体力温存のために僅かな休憩をする事となった。
異能者である以前に、彼女達は人間。

眠気眼が見開かれた先に、静かに佇むのは頼りの仲間。

 「おはよう愛ちゃん」
 「ごめ、どれぐらい経った?」
 「まだ30分しか経ってないよ。皆まだ眠ってる」
 「ガキさん交代しよう。あーしはもう良いから」
 「その前に、愛ちゃんにもう一度確認したい」
 「……二度は無い。もう引き戻れんよ」
 「いくら生まれがあの組織からだとはいえ、愛ちゃんは
  普通に暮らしても良いんだよ。全てを私に被せれば
  あっちは今の生活を約束してくれる。
  スパイである私を差し出せヴぁ…」

頬を摘ままれ、言葉が濁る。
その姿に笑って、歯を見せた。

 「あーしが望む世界にガキさんがおらんのは、ちょっと寂しいな。
  生きてさえいれば全てが上手くいく。そう思わんか?」
 「…たくさんやりたい事、あったんじゃないの?
  引き戻せないなら、二度と引き戻せない可能性だってあるんだ。
  その可能性の方がきっと高い。やりたい事が全部消えるよ」
 「いつも思うけど、あんたは頭使いすぎやよ。
  もっと良い方に考えればいいのに、そのおかげで今までも
  たくさん助けてもらっとるんやけどね」
 「この道は真っ暗で、闇に溶けこんでる。まるで光が小さく見えるの」
 「皆で照らせば怖くないやろ。頼りない光を、大きく皆で囲って。
  ガキさんも一緒に囲ってくれるやろ、小さな、本当に小さな光を」
 「…全部終わったら、どうするの?」

966名無しリゾナント:2017/10/16(月) 03:39:29
 「そうやなあ…もっと光を増やす、かな。九人の光が小さいなら
  もっともっと増やせばいい。あーしらの共鳴はそのためのものやから」
 「もし、この戦いで減ってしまうことになったら…?」
 「考えは変えん。この希望を途絶えない事が、あーしらに出来る小さな
  光だと思っとる。増やす事がきっと、あーしらの運命とやらの願いやよ」
 「…分かった。もう何も言わない。私もその希望、見てみたくなった」

無数の星々が煌めき、散っていった。
静かな世界が大きく揺るがされ、半数を失って、光が、現れる。
九つの光が瞬き落ちていく姿に誰かは両手を上げる。
掬いとった光に繋がれた細い線と、結ばれた共の心。

 「どうしたとーみずき」
 「ん?いや、なんか今星が落ちてった気がして」
 「え?それ流れ星やないと?」
 「そうなのかな?一瞬だったからよく分かんなかった」
 「願い事を聞く暇もないって感じやんね。伝説だし」
 「でも伝説になるぐらいなんだから、誰かは叶ってるのかも」
 「叶わないから希望として伝説になったんやない?」
 「えりぽんならどうやって願いを叶えてもらう?」
 「そんなの、手と足で叶いに行くに決まっとるやん。努力努力」
 「努力でも叶わないってなったら?」
 「そんな事絶対ないから。人が努力しないって事ないから」
 「どうして言い切れるの?」

967名無しリゾナント:2017/10/16(月) 03:40:28
 「努力してなかったら、途中で諦めたりせんよ。本当に努力を
  したことがないっていうんなら、苦しい事すらせんって」
 「ふうん、そういうものなのかな」
 「その証拠がえりだから」
 「そっか。そうだね」

コーヒーの匂いが辺りに漂う。
壁には色褪せた写真の隣に、新しい写真たちが並ぶ。
常連客の中で譲渡の声を何度も聞くが、その予定はない。
再びその景色を眺める先輩の懐かしい表情を見てしまえば分かるだろう。
料理の詰まれた皿にフォークを刺し入れ、口に含む。
何十種類ものオリジナルレシピのノートを全て頭に叩き込んでいる。

いつか先代達に披露できるよう腕を訛らせない様に何度も作る。

 「じゃ、そろそろ寝るよ。明日も早いけん」
 「おやすみ」
 「みずきー」
 「んー?」
 「…なんでもなーい」

明日もよろしく。その次の日も。そのまた次の日も。

星が散って、落ちていく。
辿り着いた先でもまた、多くの光に囲まれるだろう。
自分の手と足で集まれ光よ、胸の高鳴る方へ。

968名無しリゾナント:2017/10/16(月) 03:46:08
>>965-967
いい気分だったので保全作を載せてみました。

969名無しリゾナント:2017/10/16(月) 21:43:36
ごめん、約束の作品間に合わなかった

970名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:04:52
 「はー…疲れたっと」

頭を下げた宇宙人のような街灯が、夜道に白い光を落としている。
街灯に羽虫が群がっていた。
蛍光灯にぶつかる音が夜に響く。
駅前ならともかく、アパートや個人住宅が並ぶ地区に人通りは少ない。
言い訳のように街灯が光を放つ夜道が延々と続いている。
噎せ返るような湿気を含む夜と、汗で肌に張り付くTシャツがただでさえ
暑い八月の夜をさらに不快にしている。
日本はそろそろ亜熱帯になってるんじゃないかとさえ思えた。

若者にありがちな、この現実は何か違うという自己逃避と切って捨ててしまいたい。
学生時代から今まで、全てに違和感がある。
なにかの遊びに思えて、世界がふわふわしていた。
なぜみんなは真剣に現実を受け入れているのだろう。
この焼かれて溺れてしまいそうな現実は理解できない。

 「理解できても、きっと私はすぐに見捨てるだろうけどね」

一人呟いて、足でアルファルトを強く踏む。
そうえば今、あの店には誰が居るのだろう。
喫茶『リゾナント』はこの地一帯ではもう十年の節目を迎えた。
そこでは彼女、飯窪春菜は成人しているという事もあって責任者を任されている。
マスター代理は譜久村が担っているが問題はない。
最初の頃は不安がなかったわけではないが、今ではしっかりと責務をこなしている。
張り合いのある仕事は楽しい。未来は明るい。

このまま生活を送るのなら、それはそれで幸せな事なのだろう。

 「きゃっ、何?」

971名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:05:43
靴の裏で何かが潰れる感触で、思わず飛び退く。
薄紙の塊を潰したような感触だった。
街灯の楕円が作る円の外れ、アスファルトの上には、虫の死骸があった。
羽はちぎれ、体液がスファルトに染みを作っている。
夏につきものの蝉だった。

 「いいい……うそ、でしょー…」

路上に蝉が留まっているわけがない、元々ここで死んでいたのだろう。
ついていないというか、気持ちの悪さが勝る。
可哀想という気持ちが芽生えたのは、死骸の上を越えた後だった。

手を合わせて顔を上げると、半分の月が夜空に捧げられている。
まるで満月だったのに誰かが噛みついてしまったみたいだ。
喫茶店に辿り着く。
「Clause」のプレートが揺れて、微かに鳴り響く鐘の音。
だが本当に微かな音だった為に、店内からの反応はない。
そもそも、もしかしたら誰も居ないのかもしれない。

 「まあ、明日には帰ってくるよね」

972名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:07:09
依頼の数も増加したり減少したりとバランスが悪い。
向かう人数もその時による上に、帰宅時間も一致しない。
ここ一週間のリゾナンターは多忙の毎日を過ごしていた。
飯窪も今しがた依頼を終えて帰宅したのだ。
喫茶店の風景も少し寂しそうに見える。

 「明日からお店も開かなきゃいけないし、忙しいなあ」

以前は居住区として利用していた二階には空き部屋が三つある。
一つは空き部屋というよりロフトだが、そこは荷物置き場と化していた。
休憩室としてのリビングを抜けて、飯窪は違和感を覚える。

 「あれ?」

テーブルの上に、鞄が乗せてある。
それはポシェットに近いサイズで、メーカーのマークが縫われている。
誰のかは判別できないが、触れて持ち上げてみるとそれとなく重量を感じた。
何かが入っている。
良心が痛むが、名前すら書いていないとすると中身を確認しなければ
このまま放置も出来ない。

チャックを引き、飯窪は覗き見をするように真上から見下ろす。
予想していたものと遥かに違っていて、一瞬怪訝な顔を浮かべた。
手を入れて、それを持つ。

973名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:08:04
 「なにこれ」

その数は十四、弾丸だった。
個人が所持しているゴム弾とは違って先端が尖った銀製の小口径。
初めて見るものだったが、どうしてこんなものが放置されているのだろう。

飯窪の体が固まる。
背後の扉の奥から物音が聞こえ、息を止め、耳を澄ます。
立ち上がって、扉の前へと足を運び、耳を押し当てる。
空き部屋の筈だ。
鍵は一階の厨房にあるが、その場所を知っているのはこの店の関係者のみ。
どんな用事があろうとも滅多に開かれることは無い。

音は一種類だけではなかった。
ねちゃねちゃとした音と、途切れ途切れに熱を帯びた声。
心がざわざわと騒ぐ。
扉の前に静かに寄り、声を聴きとろうとする。

 「ねえ、今どんな気持ち?当ててやろうか?」

部屋に踏み込みたくなる衝動を堪え、さらに聞き耳を立てる。
快楽に咽ぶ声の主に気付いて驚愕の色を隠せない。

 「もしかして照れてんの?こんなにドキドキしてさ…。
  この一瞬だけはハルも、緊張するよ…………はあぁ。
  やっぱり、ハルの孤独を埋められるのは君だけだ…!」

974名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:08:52
瞬間、頭の内部で何かが切れた。
数百種類の恋愛漫画による妄想空想の嵐の中で、理性を保つ。
興奮と好奇心が今までの思い出を脳裏で真っ赤に染め上げる。

 「どぅー!」

リビングに通じる扉を細身の腕でぶち破ろうと勢いをつけるが
外側に開くタイプだった為に一瞬態勢を崩す。

 「っ、もうっ。どぅー!皆がいないと思って、誰と、なに、やって…」

再び内側に勢いよく足を踏み入れたが、飯窪を責める声は続かなかった。
ここでラブコメなら、彼女は実はテレビの猫だかドラマだかの映像でも
見て騒いでいて、少し卑猥に聞こえたみたいな展開が待っていただろう。
現実は予想の斜め上を行く。

手に持っていた弾丸が落ちた。床を転がっていく。
転がっていくフローリングの床の先には、一面に青いビールシートが
敷かれており、視界がカメラのように一部分ずつ切り取っていく。
分厚いシートの上には赤い水溜りが大量に出来ていた。
赤い水に弾丸が浸かる。
青いシートの中央にだらりと投げ出されているのは、長い肉片。

975名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:10:26
青白い肌の先に五本の指。指の先には爪があると、当たり前のように確認。
何をどう見ても、人間の腕だった。
肩の下から切断された右手がビニールシートの上に転がっている。
断面には白い骨と赤い肉、皮膚の下の黄色いイクラのような脂肪の層が見えた。

腕の先、部屋の奥へと視線が動いていく。
糸鋸に鉈、柳刃包丁に肉切り包丁、ハンマーにナイフという凶器が
青いビニールシートの上に几帳面に並べられている。
先には、また切断された白い足が転がっている。
愛するものの死体を想像して、飯窪の目は終点の窓際に向けられる。

しまわれていた筈のテーブルの上には、人間の胴体が横たわっていた。
首から上が無く、小さな胸が二つ、女性だ。
鎖骨に水平の線が描かれ、胸から腹部へと垂直に切り開かれている。
肋骨が折られ、赤黒い洞窟のような胸郭が見えた。
赤い穴の上には、光沢のある長い髪。
手先は血に染まり、赤い滴を垂らしている。飯窪の口は開いたままだった。

工藤遥がゆっくりと顔を上げ、飯窪の存在たった今気付いたようにこちらを見た。
濡れた様な目には暖色の鋭さの輝きに陶酔。
口から顎、そして前掛けをかけた胸が真っ赤に染まっている。

遥が正座をし、テーブルの上の女の胴体にフォークとナイフを当てて、硬直していた。
工藤の斜め左前には、皿があった。
皿の上に丸みを帯びる痙攣した物体、心臓が載っている。

 食べていた。

976名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:11:35
それは関係の比喩ではなく、単純に、本当に、食事として食べていた。
生で食べる訳でもなく、ある程度は料理されている事を頭の後ろで理解する。

頭に上っていた血が急速に下がっていく。
手や足の先が冷えて、痺れる。
心臓がドキドキと鼓動を鳴らす。
恐怖なのか驚きなのか分からない、緊張していた。
ようやく飯窪の脳は冷静に現実を解釈し始めていた。

 「は、あ?」

口が開き、開いたなら眼前の光景に感情が動き始める。

 「なにこれ?ねえ、くどぅー?なに、やってんの?」

ビニールシートの前で、工藤の前で、飯窪は動けない。

 「食べ、いや、くどぅーはお肉好きだし、でも、こ、殺し…」
 「…あーあ、とうとう見つかった」

いたずらを見つかった子供のように、工藤は首を傾げる。
肩にかかる黒髪、滑らかく幼い頬。暖色の獣のような眼光以外は工藤遥だった。
その目に見覚えがある、異能発動時の、彼女の目だ。

 「誰なの?あなた、本当にくどぅーなの?」

977名無しリゾナント:2017/10/27(金) 03:18:46
>>970-976
『銀の弾丸Ⅱ -I wish-』

お待たせしました。オープニングから少し間が空きました。
書き始めたのが夏場だったので季節は夏から冬へと入っていきます。
お食事中の人すみません。

978名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:49:45
>>73 続きです。

悪夢の光景に世界が回る。落ち着きを取り戻そうと息をすると
生焼けのレバーを食べた時のような味が喉に来る。
ようやく部屋に溢れる血の匂いに気付いた。
嗅覚は眼前の光景が嘘ではないと全力で主張している。
口角が上がっていて、工藤は微笑んでいるように見えた。

 「やだ、やだこんなの、こんな」
 「落ち着いてはるなん。とにかく聞いて、ちゃんと説明するから」
 「ひっ」

工藤が腰を浮かせると、飯窪の足は後ろに一歩下がる。
少し寂しい笑顔で、工藤が腰を下ろす。
後方に引けていた飯窪の腰はその場で停止している。

 「ハルはハルだよ」

工藤が淡々と告げる。

 「でも、こうしないとハルは生きられないんだ」

979名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:50:30
工藤の口から出た言葉がよく分からない。
それでも頭の中で単語を分解して理解しようとする。
工藤遥。17歳。口が悪い。ショート。中二病。トリプルエー。
病弱でヘタレ。能力は。

 「……あ」

出来てしまった。唐突に、いや既に答えは出ていた。
理解できたできないしないといけないできないでもできてしまった。
小柄な彼女の巨大な影に寒気を感じなかった訳がない。
だが、彼女の場合は肉体変異させる『獣化』ではない。
では彼女の異常性は一体どこから生まれているのか。

 人を食べる、その本能がどうして彼女に芽生えたのか。

考えるが、この現状で冷静な答えが出てくる訳もない。
飯窪には他に考える事がある。

残念ながら日本では死体が道に落ちている事はないし、たまたま食卓に
出てくることもない、ましてや土葬の習慣もない。
なおかつ人間の死体を食べる習慣も、ない。
眼前の食卓や床のビニールシートの上にある死体は新鮮なものだ。
飯窪は唾を飲む。
血の臭いが喉に再び広がっていく

 「どぅーが、殺した、の?」

工藤が口を開くが、言葉が出る前に予測できた。

 「私も、食べるの?」

980名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:51:42
言葉にした瞬間、頭の中でサイレンが鳴る。飯窪は反射的に屈んで
ビニールシートに落ちている一番近い武器、ナイフを手に取った。
サバイバルナイフの柄についた血で手が滑る。
ホラー映画だと、主人公はパニックになって叫び声を上げて逃げる
シチュエーションだが、飯窪はナイフを握った。

リゾナンターとしての責務が、彼女にはある。
裏切り、その言葉に、だがナイフの刃先が迷う。

これまでにも先代のリゾナンター同士で争いが起こった事がある。
裏切り、意志の違い、分かれる未来、将来性。
まさか工藤とその立場になるなど、飯窪は考えた事がなかった。
だから悲しい。
工藤が人を襲ってしまった、その事実が既に目の前に置かれている。
飯窪の目が濡れて光りが籠る。

ナイフを握ったまま立つ飯窪に、座ったままの工藤が部屋で向かい合う。
工藤は白い手を床に伸ばす。
指先が血で赤く染まっており、現実だとさらに主張する。
飯窪のナイフが僅かに反応して、刃先が跳ねた。
切っ先は血に濡れた工藤の顔へ向けられていた。

981名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:53:11
 「そんな事ある訳ないだろ?」

手が戻り、握った濡れタオルで口から喉、胸元を拭う。
一回では取れないので、顔の血をさらに拭っていく。

 「はるなんを食べるなんて事、絶対にないよ」

血の赤が消えて、白い工藤の顔が現れた。飯窪のナイフは、動かない。

 「だって、くどぅーは食べなきゃいけないんでしょ?」
 「うん。でも、メンバーは食べない。はるなんを食べる訳がない」
 「本当に?」
 「言っても信じてくれないだろうけど、本当」

工藤の目に感情が渦巻く。

 「多分皆にどんな目に遭わされても、ハルは皆を殺せない」

それでも飯窪はナイフを下ろさない。
部屋に横たわる死体、血液、内臓。鼻をつく血の臭いという現実が
工藤の言葉を信じる事を拒否させようとする。
真実であろうと頭が理解しても、体が拒否する。

 「じゃ、ハルは出てくね」

982名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:54:59
遥が立ち上がり、飯窪のナイフがまた跳ね上がる。
自分の心に連動するようにナイフが動く。
向けてはいけないのに、弱い心が命令する。

 「ずっと隠してたけど、バレたらもう一緒にいられない」

遥は寂しそうに微笑む。
両手を首の後ろに回し、前掛けを解く。
飯窪の手のナイフは遥が動くたびに刃先で追ってしまう。

 「どこに行くっていうの?」
 「言わない。必要な荷物は持っていくけど良いよね」

床に転がる弾丸を拾う。
指の中で遊ぶように回した後、静かにポケットに入れる。

 「えっと、片付けできなくてごめん」

黒い髪が尾を引くように、遥が頭を下げた。戻った顔には微笑み、頬を掻く。

 「片付けと掃除の方法は、流しの下の裏に封筒で貼り付けてあるから
  それをやってみる方が良いと思う。臭いの取り方はコツがあるし。
  あ、流しの下っていってもシンクの下じゃなくて横の方だから」

憂い顔のような笑顔。初めて見る表情だ。
何故こんなにも普通に会話をしているのだろう。
背後には食べかけの料理が残される。それなのに彼女はいつもの調子で話す。

983名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:56:12
 「この店に来るのも最後かあ……好きだったなあ…」

血臭に囲まれる空間で呟いた工藤が飯窪の横をすれ違う。

 「じゃ」
 「待って」

思わず言ってしまった。ナイフを握っていない手が前に出る。
飯窪の手と工藤の間には、女性の胴体だけの死体や血だまりが広がっている。
二人の間には、血塗れの現実が横たわる。

すべきことは分かっている。
理解している。人間として、サブリーダーとしてするべき事を知っている。

其れよりも優先されたのはナイフを床に捨てて、両手で工藤を抱きしめる事だった。
工藤の熱い体が怯える様に震えた。

 「はるなん?」
 「私に押し付けないでよ。一緒に片付けるから、それから考えよう?」
 「何、を」
 「説明してくれるんでしょ。この有様を」
 「……うん」
 「なら、出ていくって言うなら、全部話してから出て行って」
 「…分かった」

984名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 02:56:52
血が流れている肉の体。人間の体を飯窪は抱きしめている。
裏切る心は誰にでもある。
だからきっと、この感情は元々飯窪の中にもあったものだ。
だから認めるしかない。認めるしかないのだ。
彼女を信じるしかない事に。
工藤はただずっと困惑し、それでも笑顔のままだった。

985名無し募集中。。。:2017/10/29(日) 03:11:50
>>978-984
『銀の弾丸Ⅱ -I wish-』

工藤さんのセーラー服姿は女優さんになっても見れるのかな…。

>>86
おめでとうございます(他人事…w)

>>79
そうです。ファルスの台詞を貰いました。
興奮状態を表すために異常性を高めたかったので…w

986名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:49:54
飯窪から見て、工藤はまだ幼い。
大人の道に片足を突っ込んではいても、まだ17歳といえば子供だ。
リゾナンターは年相応に見えないメンバーも歴代を含めて多い。
彼女もその一人だが、生い立ちを考えると無理もないとは思う。
だが飯窪は、そんな大人びるだけの彼女があまり好きじゃなかった。
幼い子供が鉄の匂いを纏って死体に跨る姿などあってはいけない。
けれどそんな飯窪の想いを知る筈もなく、工藤は部屋の片づけを開始した。

慣れているとでも言いたげに既に首、手、足と切断されていたので
それぞれを市が指定するゴミ袋を二重にして入れて、口を縛る。
飯窪は言われるがままに解体に使った糸鋸や鉈、包丁やナイフに向かう。

指示通りに新聞紙に包んで同様にゴミ袋に入れる。
床の青いビニールシートは端から畳み、これもゴミ袋に入れる。
工藤がこちらを見つめていた。

 「壁の下の方まで広がる大きめのを使うと汚れなくて便利なんだよ」
 「…それ、あんまり役に立つ知恵とは思えないんだけど」
 「まあね。時と場合と人による、考えるとけっこー範囲狭いなこれ」

笑い声。普段通りに会話している事に気付き、ぞっとした。
十二個のゴミ袋が出来たが、下の方に血が溜まって重くなっている。
道具と敷物で数十キロを十二個に分割したものの、それでも一個に
対する重量が大きいのは確かだ。
硬直していた体は時間が経つと慣れてきたのか落ち着いていた。

987名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:50:31
 「ふう…で、これをどうするの?」
 「ハルが決めてある場所に埋める、はるなんは待っててよ」
 「どこに行くの?」
 「一回で行けるよ、今までもそうしてきた」
 「下、下まで手伝うよ」

飯窪は小さい袋を四つ持てた。工藤は一度に大きな八つの袋をまとめて持つ。
階段を軽やかに駆け下りていく工藤の背中を見る。
飯窪も続いて下りていく。
暑い夜のため、一階まで下りただけで汗が噴き出た。

 「工藤さん、こちらです」
 「すみません、また頼めますか」

車のエンジン音が聞こえたかと思うと、そこには見覚えのある
スーツを着た二人の男女がドアから現れる。
後方支援部隊、事前に応援を呼んでいたらしい。
つまりは、工藤の行動を以前から知っていた事になる。
それが少しだけ、悔しかった。

 「一緒に、来る?」


二人は無言のまま、車は夜の街に出る。
コンビニや二十四時間チェーンの店からの灯りを抜けていく。
車は郊外に向かい、当たり前のことだが、そこでようやく死体が
夜の山かどこかに捨てるのだと気付いた。

988名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:51:08
工藤の横顔に、飯窪は口を開き、悩みながらも聞いてみる事にする。

 「どぅーって本当は力持ちだったんだね」
 「え?」
 「ほら、さっきの私の二倍を運んだのに、この暑さなのに
  汗も出てないし、息も切れてない……いつもなら前髪が引っ付くぐらい
  もっと汗かいてるのに、もしかして隠してた?」
 「あー……うん。隠してた」

考えて、工藤が肯定する。

 「養成所に居た頃によく分からずにチカラを使いまくってたら
  周りの子達に怖がられてさ、それから手を抜くようにした。
  汗はチカラの分泌物でどうとでも見せられたし。
  目立つ事をしてると監視もキツくなるし、自由が少なくなるし。
  その頃から何度も抜け出してたしね」

車内にはまた沈黙。気まずい。
一時間ほどで、車は山中に入る。
国道は通っておらず、黎明技研の研究所と公務員の保養施設があるが
別ルートの山道を行けば、誰かに会う事もない。
山道を進み、中腹で停車する。
周囲に人がいない事を確認して、助手席の女はライトを脇に抱えた。
運転席の男は積んであったシャベルを担いで、ゴミ袋を持って外に出る。
工藤もゴミ袋を掴み、ガードレールをまたいでジャンプで越える。
重い荷物を持って飛び越えるなんて、どんな筋力だ。
飯窪はガードレールを跨いでようやく越えていく事がやっとだった。

989名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:51:43
ライトで照らしながら夜の山中を下っていく。
木々の梢の間から月光が降り注ぐが、森の闇は深い。
ライトで照らしても暗い下生えの雑草が足にまとわりつく坂を下っていく。
土の植物の匂い。
手に触れた枝が折れて、青臭さが鼻に突き刺さる。
飯窪は木の根で転ばない様に慎重に進むが、工藤は闇が見えているかのように
軽快に坂を下っていく。
飯窪は常に彼女の背中を見ながら降りていく。
月光がほとんど差しこまない夜の森を進むなど普通は怖いが、平気だった。

目の前に工藤が居るからだろう。
夜の闇の怪物だの、死者の霊だの、工藤の前では怖くともなんともない。

恐怖が目の前にあるのだから。

木々の間の開けた場所に出ると、雑草が茂る間に進み、工藤達が足を止める。
ゴミ袋を置いて、シャベルを握る。
垂直に下ろして、刃先を地面に深く突き立てた。

 「ここ?」
 「うん。はるなんは周りを見てて、大丈夫だろうけど念のために」
 「う、うん」

990名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:52:41
刃先で掘り返した土を脇に捨てる。シャベルを突き立て、繰り返す。
機械であるかのように一定のリズムでさくさくと土を掘っていく。
まるでケーキのスポンジでも掘っているかのような速度だ。

 「あのさ、穴ってどれぐらい掘るの?」
 「2メートルぐらいかな。浅いと野犬が掘り返して見つかる」
 「……焼いたりは出来ないの?」
 「場所が確保できないし、人をまるまる燃やすのに時間がかかる。
  あとは匂いですぐにバレるんだよ。だから埋めた方が簡単なんだ」
 「それも経験から?」
 「うん、経験から」

工藤が土を捨て、また地面にシャベルを突き立てる。
大人二人がようやく一回目の土を横に捨てる間に、工藤は三回も往復している。
まるで掘削機だ。
腰の深さまでになった穴に入り、工藤は男と共に本格的に掘っていく。
月光の下で数分ほど、無言で工藤は掘っていた。
男女二人も無言のまま言葉もなく手伝っていく。

胸辺りまで掘って、穴を広げる作業になる。

 「聞いても、いい?」
 「いいよ、なんでも」

工藤の手が止まった。動揺は一切浮かべない。

 「なんでも答えるよ。もう隠す理由もないし」
 「ええっと、工藤遥って名前は本名?」
 「あーていうか、ハルはもう死んだ事になってるから。
  でもこの名前で生きてきたから、この名前で呼んでくれると分かりやすい」

991名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:53:21
工藤の目は静かだったが必死さが籠る。冗談の表情では、ない。

 「分かったよ、どぅー」

二人の上に不愛想な月光が降り注ぐ。

傍らには土の山。
そして地面に置いたライトと分割された女の死体が詰まったゴミ箱。

 「この人は、どんな人間だった?」
 「能力者だよ。だから名前も分からない、分かるのは、今回の依頼を
  してきた人をつけ狙ってたから、返り討ちにした」
 「まさか持って帰ってきたの…?」
 「そのまま放置も出来なくて、せっかくだし」
 「…食べるようになったのって、そのチカラのせい?」
 「人の食べ物が食べられないって訳じゃないよ。
  でも全然食べた気がしないんだ。食べても食べてもすぐに消化する。
  牛肉や豚肉も好きだけど、気持ち的にも満たされるのはこっちなんだよね」

工藤はいつも肉類を美味しいと言って食べていた。
牛肉、豚肉、鶏肉、挽き肉。
彼女が食べて喜んでいる姿に微笑ましく感じていた。
だが人間の抱える飢えは限界を超えると相当、辛い。
意識が朦朧として正気を保てなくなる。それ以上の飢えを飯窪は知らない。
だが彼女はそれ以上なのだろう。
通常の食事では摂取できないほどの飢えを知ってるのだと遠回しに言っている。
彼女の気遣いを思うとかつての自らの愚かさを責めそうになる。
そんな飯窪に工藤は笑ってみせた。

 「普通の人を殺すのは抵抗があるけど、能力者ならまだマシかなって」

992名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:53:56
飯窪は返答できない。
彼女を妹のように愛しているし、勢いで許容はしたが人を殺すという事を
当たり前の様にしてはいけない。
家族から切り離された天涯孤独でも、ホームレスやカフェ難民でも日雇い派遣労働者でも。
異能者だとしても立場は変わらない。
自分に跳ね返る現実に、飯窪は顔を俯かせる。

 「ごめん」
 「それは、何の謝罪?」
 「黙ってた事、でもいくら皆でもこういうのって気味悪いでしょ、実際。
  この人達はハルと行動するって聞かないから手伝ってもらってるんだけど
  正直言って申し訳ないっていうか、やってほしくないんだよ。
  もうハルのわがままに誰も巻き込みたくない」

それでも工藤はリゾナンターとして活動を辞める事はしなかった。
都合が良かったのかもしれない。
だが、工藤遥はそれを容易な事態だと受け入れる事はしない。
どれほどの葛藤があっただろう。
別の意志とは裏腹に、仲間と共に過ごしていた時、彼女の中でどんな思いだったのか。
それでも真っ先に謝罪したのは工藤だった。

993名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:54:36
 「こんなヤツでも感情があって、普通に人間みたいに振舞うのって
  まともな人間からしたら凄く異常なことだしさ」
 「どぅーは怪物じゃないよ」

飯窪は反射的に言っていた。
本当は目の前の工藤が「悲しい」と言っている事に奇妙な違和感を覚えていた。
昨日までの工藤にだったらこんな感情は抱かなかった。
それでも好きだからと、納得させる。

 「工藤さん、これで良いですか」
 「あ、はい。これぐらいで大丈夫です」

既に穴は見下ろすほどに深く大きくなっている。
深さはすでに2メートル、幅は4メートルぐらいだろうか。
掘った土は小型トラックの荷台分ぐらいありそうだが、雑談をしながら
三人で十分の作業と思えば優秀過ぎるほど早い。
横に置いていた死体入りのビニール袋を運ぶ。重い。
振って投げようとして、工藤が声を上げた。

 「中身出して入れてほしいんだけど」
 「え?そんな事したら…」
 「入れたままだと土と同化するのに時間がかかる。だから出してあげて」

工藤にしてみれば、土に同化していつか証拠が消える方が安心できるのだ。
飯窪の手は迷う。工藤が心配顔になっていた。

994名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:55:10
 「きついならするよ。後ろ向いてゆっくりしてな」
 「うん……ごめん」

結び目を解いた途端、鼻につく血の臭い。
口で呼吸しても血の味が喉に来るようで思わず手で口を塞ぐ。
袋の下を持って、穴に向けて逆さにする。
右か左か分からないが、血に塗れた腕が穴の底へと落下していく。

穴の反対側では男達が同じように袋を逆さにして、女の太腿を落としていく。
三人で黙々と袋の結び目を解いては、手や足や太腿、分割された
胴体を落としていった。動物の肉とは違う、生々しい。

分解に使った道具すらも捨てるらしく、少し気になった。

 「道具も捨てるの?」
 「うん。一回使うと酸でも使わない限り証拠として残る」
 「ああ、ルミノール反応、ね」
 「中古ならそれなりの場所で安く買えるしね。ネット様様だよ」

穴の縁で、工藤が両手を合わせた。睫毛を伏せ、目まで閉じる。

 「ごめんなさい」

死者への礼儀と謝罪で自分の罪を誤魔化すための、偽善。
それでも工藤は手を合わせて、黙祷する。
する必要もないけど、それでもするのが工藤遥なのだ。
飯窪も手を合わせて黙祷する。男達も便乗する。

薄目を開けて前を見ると、工藤はまだ黙祷していた。
彼女は好きこのんで人を殺して、食べてる訳ではない。
もうすぐ死ぬ人に死んだら食べても良いですか、と聞くわけにもいかない。
生きにくい設定を二重に背負う彼女の心はまだ幼い。
どちらかがなければ普通とはいえないまでも、もっと楽に生きられただろう。

995名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:55:40
 「じゃ、埋めよっか」

工藤の顔はいつもの表情に戻っていた。
目には罪悪感が見えたが、触れない方が良い。
今度は四人で穴に土を被せていく。
工藤は相変わらずとんでもない腕力でシャベルを動かす。
ほんの三分で土が埋まっていき、草原に小さな山が出来る。
土の小山に乗って、工藤は足で固めていく。飯窪も足で踏む。

 「これでいいよ」

工藤が止まったので、飯窪も止まる。
まだ少し盛り上がってはいるが、そのうちに雨が降って土が固まり、周囲に
雑草が生えてくればもう見つかる事もないだろう。
こんな山に開発や建設で掘り返される事は、二人が生きている間にはないはずだ。

タオルで土塗れの顔や手を拭う。

終わった。全てが終わったのだ。儀式めいた事柄に、飯窪はようやく息を吐く。

 「じゃ、今までお世話になりました」
 「え」
 「はるなんはこの人達に送ってもらって。ハルはここから山を越えて
  向こうの街に出るよ。宛があるから、荷物はそっちに送ってもらう」

工藤のあの脚力なら山を越えるのに一時間も掛からない。

996名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:56:13
 「今日の事は、皆には黙っててほしいけど、でも多分誤魔化せないから
  話して良いよ。全部ハルのせいにして良いし」
 「本当に、出ていくの?だってまだどぅーはリゾナンターなんだよ?」
 「依頼は一人でもやれるヤツを連絡してくれたら動くよ。まあちょっと面倒だけどさ」
 「……どぅー」
 「また改めて皆には説明するし。ってどうにもならないか、どうしようかな」

その時にようやく溢れだす寂しさに、飯窪は泣きそうになった。
別れてしまう現実に、ようやく実感が沸いてきたのだ。
誰よりも罪悪を感じていた彼女。
二度と会えないような物悲しさ。手で口を籠らせる。
妹の様に愛しさを感じた彼女との別れがこんなにも辛いものだったなんて。

 「なんだよはるなん。何泣いてるんだよ。二度と会えない訳じゃないんだからさ」
 「……するから」
 「え?」
 「私が、なんとかするから、戻って来てよどぅー」
 「……」
 「大丈夫だよ、ちゃんと私も説明するから。だから帰ろう。一緒に」
 「どうにもならないって。話したところで納得できる話じゃないし」
 「それ、あゆみんやまーちゃんにも同じ事言える?」

差し出される手に、工藤の視線が注がれる。
立ち去ろうと足を引くが、再び下がる事はない。
飯窪が一歩進む。進む、手が、工藤の腕を掴んだ。

彼女は肯定も否定もせず、静かに飯窪と共に歩き出す。
鉄錆の匂いが濃度を増し、血の足跡が続いていく。

997名無し募集中。。。:2017/11/01(水) 03:58:11
>986-996
『銀の弾丸Ⅱ -I wish-』

拝啓、ハル君が面白そうなので見てみたいです。


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