[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
( ^ν^)四月、僕は泥棒になったようです
1
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:23:08 ID:qDslfyX60
“嘘吐きは泥棒の始まり”だというのなら、自分の手は、とっくの昔に汚れていたのだろうか。
人様の物を盗んでは、それを身銭に変えて生きる人生だった。
別にそれをわざわざ誇るような反社会的人格は有していない。
かといって、それを恥じるほどの真面な感性も今更残っちゃいない。
己の人生を振り返る。
盗みを働かざるを得ないほどに凄惨な人生だったのかと問われれば、これもNoだ。
どちらかと言えば生まれた家は裕福な方だったし、容姿や頭の出来もそれほど悪くないと自負している。
そんな自分が、どうして“盗み”なんて行為に勤しむようになったのか。
2
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:24:16 ID:qDslfyX60
その理由はとても単純で、それでいて、どんな言い訳よりも説得力のあるもの。
“人の物を盗む才能があった”。
本当にただ、それだけの話に尽きるのだ。
思い返せば、その才能の片鱗は幼少の頃からあったのかもしれない。
昔からよく意地を張っては、下らない嘘を吐いていた。
宿題や課題をやり忘れた時。テストの点数が悪かった時。遅刻して先生に怒られた時。
思い出していけばキリがない。それほどまでに自分は幼い頃から、変な所で意地を張り、嘘を吐く子どもだった。
端的に言えばまぁ、随分と捻くれたガキだったのだろう。
3
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:26:07 ID:qDslfyX60
そんな自分でも、受け入れてくれた奇特な人間が一人だけいた。
ふと、薄桃色の花弁を載せた暖かい風が髪を撫でた。
すっかり親しみが湧いたいつものベンチに腰掛けたまま、ちらりと隣に視線を向ける。
スラリとした細い指が紙を捲るのを目で追った。
一冊の文庫本にずっと落とされていた柔らかい眼差しが、ゆっくりとこちらを向く。
ふわりと上がった口角と共に、優しそうな言葉が自分に向かって発せられた。
「どうしたの?」
耳障りの良い声色が鼓膜を揺らす。
なんてことのない問いかけに、こちらも「ううん、見てただけ」と当たり障りのない言葉を返す。
詮無い返事でも雰囲気が険悪になることはなく、そのまま居心地の良い空気が僕らの間に流れた。
4
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:27:33 ID:qDslfyX60
互いに言葉を交わすことのないまま、目の前でゆったりと揺れる大木を見た。
都内でも随一の大きさを誇る桜の木。
三月の末を迎えたそれはまるで、夜空に打ちあがった夏の花火を思わせるほどに絢爛だった。
視線を桜の木よりも少しだけ更に上にやる。
太陽と青空をすっぽりと隠してしまっている分厚い雲が、視界のずっと向こうまで広がっているのが分かる。
せっかくのデートなのに。快晴とまでは言わずとも、どうせなら晴れが良かったな。
言葉にはしないものの、心の中で贅沢な愚痴を漏らす。
昨晩の天気予報がどうにか外れてくれないものかと祈ったのだが、どうやらその願いは無慈悲にも天には届かなかったらしい。
ふと、パタンと本が閉じられる音がした。
もう一度隣を見ると、柔和な瞳が本ではなく、自分の方に向けられていた。
何気なくベンチに置いていた左手に、相手の右手が優しく重なる。
まるでスローモーションの動画を見ているみたいに、愛しき人の口がゆっくりと動く。
5
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:28:54 ID:qDslfyX60
僕には、今から何を言われるのか分かっていた。
強烈な既視感があった。
眩暈のような浮遊感が、体全体をふわりと包み込む感覚がする。
桜の木が風で揺れ、周りに舞い散る花弁の数が竜巻のように多くなる。
風景も、相手の顔も、世界全てが桜で覆いつくされていく。
風の轟音が耳を震わせる中、不思議なことに相手の声だけが、岩に染み入る雨のようにしっとりと聞こえてきた。
「今日と違って、明日は晴れるらしいんだ」
「もし、明日の昼も、君の予定が空いているのなら」
「良かったら、またここで―――」
6
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:30:52 ID:qDslfyX60
言葉の後半部分を桜と風の音が覆い隠す。
一番肝要だったはずの箇所だけが全く聞こえずに終わってしまう。
だけど、どうしてだろうか。
僕は、何を言われたのか、はっきりと理解していた。
重ねられた手を握り返しながら、僕は判然と肯定の意を口にする。
風と称するには少々強すぎる音が満ちていたが、自分の言葉は相手にちゃんと伝わったらしく、相手の口角は嬉しそうに上がった。
本がベンチにそっと置かれる。
この前出版してから、未だ一ヶ月も経過していない新作。
その本のタイトルを見て、ようやく僕は気が付いた。
7
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:33:21 ID:qDslfyX60
そうか。
今見ているこの風景は。
あの本は。このベンチは。僕らが今いる公園は。
優しく置かれたあの文庫本は。
空を覆い尽くしている鈍色の曇天は。
瞬きすら億劫な程に、立派に咲き誇る桜の木は。
普通じゃ考えられないほどに舞い上がる無数の花びらは。
僕の目の前で、にこやかに微笑んでいる君は。
この世界は。
全ては。
8
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:33:57 ID:qDslfyX60
―――僕が見ている走馬灯か。
9
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:35:21 ID:qDslfyX60
*
生まれたばかりの雛鳥を彷彿とさせるような、そんなうざったい喧騒の音で目が覚めた。
随分と、懐かしい夢を見ていたような気がしていた。
体の凝りをほぐすために伸びをする。いつの間にか、自分はすっかり居眠りをしてしまっていたらしい。
反射的に出てしまった欠伸を左手で隠しつつ、僕は寝ぼけたままの瞳をキョロキョロと左右に動かした。
10
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:39:07 ID:I1lJkrZ.0
新作遭遇支援
11
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:57:35 ID:qDslfyX60
眼前では、小綺麗なスーツに身を包んだ大人たちが右往左往していた。
眠りに落ちる前からなんら変わっていない景色に安堵の息を吐く。
どうやら自分が起きていようが眠っていようが、さほど大した影響はないらしい。
ソファーに沈み込みながら、壁の上方にかけられた時計を確認する。
会見が始まると知らされた時刻まで、あと10分というところだった。
背中に体重を掛けながら、やれ記者がどうだの、段取りがどうだのと吠えている人々を見ながらゆっくりと秒針が進むのを待つ。
矢面に立って話をするのは僕だというのに、特に話をする訳でもない彼らは一体何を騒いでいるのかと少しおかしく思えた。
「そろそろですよ。新島さん」
意識外の方向から掛けられた声に少しぎょっとする。
顔を左に向けると、そこには周囲の人々と同じような恰好をした青年が立っていた。
12
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:59:39 ID:qDslfyX60
( ・∀・)「移動をお願いします。……あぁ、もちろん、その草臥れた襟元は正してくださいね」
“森野モララー”。僕の担当編集だ。
モデルと見紛うほどに整った顔立ちとスラリとした体型は、一見しただけでは出版業界の人間だとは分からないだろう。
嫌味なほどに恭しい態度や一連の動作も、どこか芸術的な魅力を感じさせる。
これで自分より年下だというのだから、全く世の中というものは不平等だと感じざるを得ない。
森野くんの後ろをついていく形で控室を歩き、開かれたままであった仰々しい扉をくぐる。
廊下を一歩一歩進む度に、フカフカとした心地よい感触が靴から伝わってきた。
流石は国内でも特に有名な一流ホテルである。ただ歩くだけの廊下にも惜しむことなく投資をしているらしい。
以前は本を一冊出したところで貰えたのは良くてせいぜい諭吉二人分程度。それこそ最初の方は樋口の一枚にすら満たない銭にしか出さなかったらしいのに、今では一言僕が“新作を出す”と呟いただけでこの待遇だ。
彼らの手際の良さと手首の柔らかさには舌を巻く。次の会見の時にはレッドカーペットでも敷いて貰おうか。
13
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:00:32 ID:qDslfyX60
( ・∀・)「それじゃあ新島さん、こちらで待機をお願いします」
下らないことを考えながら廊下を進むこと数分。
これまた随分と威圧感のある扉の前で、森野くんはぴたりとその足を止めた。
扉の横に立っている看板に書かれた文字を見る。
やけに力が込められた大きな黒フォントで、でかでかとこう記されていた。
“新島ニュッ、二年ぶりの新作発表・記者会見会場”
( ・∀・)「いやー、流石“新島ニュッ”だと言わざるを得ません。いくら人気作家とはいえ、ここまで話題になるなんて普通はありえないですよ」
端正な顔立ちに愉快そうな色を浮かばせながら、森野くんはニヤニヤと笑う。
それは例えるなら、花火大会を楽しみにしている無邪気な子どもというよりも、仕掛けたイタズラがいよいよ発動する数秒前といった悪ガキの表情だった。
14
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:02:20 ID:qDslfyX60
「そうだな、光栄なことだ」
「二年ぶりだというのに、僕の小説を楽しみにしてくれてる人が数えきれないほどに沢山いる。こんなに嬉しいことはないな」
「一人の作家として、心から嬉しく思うよ」
無意識に上がっていた口角を押さえる。
扉の前から微かに聞こえてくる記者たちの声に、自分もいつの間にか当てられているようだった。
小説家にとって、一番嬉しいことは何だろうか。
出した小説が売れること。有名になること。好きな話を書けること。
書いた話がドラマや映画になること。それらを契機として有名人に会えること。
僕の名前が売れない時、無我夢中で物語を書いていた頃に想像していたらしいことを羅列する。
どれもこれも、“こうなったらいいな”と思っていたこと。
だが、その“どれもこれも”を手にした今の僕には、はっきりと言える。
そんなものは、作家という生き物にとっては何の価値もないものだ。
15
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:06:54 ID:qDslfyX60
他の創作家はどうかは知らないが、僕の欲しいモノは一つだけ。
それは“誰かに読んでもらえた”という事実のみである。
自分が書いた話を読んでもらえる、面白いと言ってもらえる。楽しみにしてもらえる。
いや、なんなら否定してもらっても構わない。
“つまらない”だの“よく分からなかった”だの、“キャラクター造詣が甘い”だの“そもそも日本語がおかしい”だの“ご都合主義すぎる”だの、なんだっていい。
とにかく、読んでもらえること。誰かの人生の一ページに、自分の作品が少しでも載ること。
物書きにとって、それ以上に嬉しいことなどこの世に存在しない。
誰かに読んでもらえる。自分が書いた小説を、読んでくれる人がいる。
それだけでいい。
本当に僕は、たったそれだけで――。
( -∀-)「――嘘吐きだなぁ」
嘲笑うような、小さな呟きが聞こえた。
16
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:09:00 ID:qDslfyX60
先ほどまで思い描いていた“つまらない”イメージが霧散していく。
矮小で欲深い人間を嘲笑うような、そんな悪魔みたいな笑みが森野くんの顔に張り付いているのが見て取れた。
( ・∀・)「あ、もしかしてそれを記者たちの前で言うおつもりでした?それならいいですよ!どこにも文句なし、100点満点!」
( -∀・)「……なんですけど、ねぇ」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、彼はゆっくりとこちらに近付いてくる。
先ほどの控室で見せていたハリボテの笑顔は、すっかりと剥がれ落ちていた。
( ・∀・)「安心してください。この扉は見た目通りちょ〜分厚い。ここで何を喋ろうと、向こう側にいる白痴どもにはな〜〜んにも聞こえやしません!モーマンタイ!」
( -∀・)「だから、ね、新島さん」
ひどく歪に歪んだ口元が僕の耳元にまで近づく。
まるで、契約に臨んだ愚かな人間を嗤う悪魔みたいな表情。
自分のすぐ傍まで近づいて来た森野くんがさっと屈む。
普段は自分のずっと上から聞こえてくる言葉が、すぐ傍から聞こえてきた。
( ∀ )「――“本音”、聞かせてくれちゃったり、しません?」
17
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:09:33 ID:qDslfyX60
ウッドベースを思わせるような、低く、重みのある声色が耳を揺らす。
視線を彼に向けた。おそらく出版社の誰にも見せたことのないであろう邪悪な笑みが浮かんでいるのが見える。
すぐに応えを返すことなく、彼の胸板を拳で押しのける。
先ほど言われた通りに胸元を少し整えた後、未だニヤケ面をしたままの彼に向けて僕は口を開いた。
「創作に触れる時、一番気を付けなければならないことは何だと思う?」
( ・∀・)「……へ?」
どこか勝ち誇ったような笑みが崩れるのを見て、僕は少し気分を良くする。
森野くんは少しだけ考えるような素振りをした後、名推理を思いついたような探偵のように指を鳴らして答えた。
18
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:10:45 ID:qDslfyX60
( -∀・)「――“ネタバレ”!」
「………正解」
初めて会った時から変わらない頭の回転の速さに舌を巻きながら、僕はパチパチと軽く手を叩く。
担任に褒められた小学生みたいに胸を張った彼は、すぐさまその整った顔をしかめた。
どうやら、僕がこれから言おうとしていたことにまで気が付いたらしい。
“一を聞いて十を知る”。全く、どこまでも有能な編集だ。
( -∀-)「あー……なるほど。そうか、そういうことですか」
( ー∀・)「これはこれは…俺としたことが。野暮な真似をするところでした」
大きな瞳を細めながら、感心したように顎をさする。
( ・∀・)「いやぁ、そっかそっか。“編集”って立場になってから随分経つから、今に至るまで気付けなかった。自分も鈍ったもんだなぁ」
彼の両目に妖しげな光が灯る。
何かを期待するような、面白がるような、驚いているような。あらゆる“好奇”の感情がぐちゃぐちゃに入り混じった瞳。
19
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:12:11 ID:qDslfyX60
( ー∀・)「――俺も、“読者”なんですね。新島さん?」
彼の質問に、僕は言葉を返さなかった。
無言のまま口角だけを上げ、くるりと彼に背を向ける。
この廊下のどこにも時計の類はない。僕の手首にも腕時計なんて悪趣味なものはついていない。
それでも分かる。森野くんとの会話中に、とっくに会見の時間は過ぎていた。
おそらくこの扉の先では、親鳥からのエサを待つヒナみたいな記者どもがぎゃあぎゃあと騒いでいるのだろう。
( ー∀ー)「いやはや……」
背後から感嘆の呟きが聞こえる。
森野くんはつかつかと此方に歩を進め、眼前の大扉に手をかけた。
20
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:12:55 ID:qDslfyX60
( ・∀・)「いやぁ、流石新島さんだ。拙い浅慮、お恥ずかしい限りですよ」
( ・∀・)「“新島ニュッ”の作品が世間をどう沸かすのか。俺もめちゃくちゃワクワクしてきましたよ」
面白がるような彼の言葉に、僕は片目を軽く閉じてみせる。
( ・∀・)「さて、それじゃあ、もうお時間ですね」
( ・∀・)「あなたがずっと待ち焦がれてた瞬間の一つだ。憂いを残すことのないように……」
( ・∀・)「――行ってらっしゃい、泥棒さん?」
森野くんの腕力により、大扉がゆっくりと開かれる。
それと同時に、けたたましい程の白光とフラッシュ音に襲われた。
21
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:13:46 ID:qDslfyX60
数えきれないほどのカメラが僕を捉えている。
想定よりもずっと広い会場の奥には、どこかしらのテレビ局のものであろう大きなビデオカメラなどが、生き物みたいに動いているのが分かる。
白に染まる世界の中、僕は瞬きもせずに進んでいく。
椅子を引き、ゆっくりと腰を落ち着ける。
自分一人の為に用意されたとは思えない長机の上に置かれたマイクに触れる。
キィンと耳障りの悪い高音が響くと共に、喧しくて仕方がなかったカメラのフラッシュ音が鳴り止んだ。
「あ、あ、あー………」
マイクに自分の声がちゃんと乗るかどうかを確認する。
ずっと待っていた瞬間なのだ。決して不備があってはいけない。
視線を左から右へ、嘗め回すように移動させる。
所々には見知った顔や社名が見える。一般人でも知っているような所から、この業界にいないとピンとこないであろうマイナーな所まで。
“とにかくメディアが集まるように”。
自分の要望はどうやらしっかり通っていたらしいことに、ほっと胸を撫で下ろす。
22
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:15:02 ID:qDslfyX60
―――待っていた。
ずっと、この時を待っていた。
四年前から。
出したくもない顔を出し、面倒な取材やインタビューに答えたのも、流したくもない小説を頻繁に流したのも、下らないSNSアカウントをいくつも創設したのも。
そうして意欲的に活動した二年前、何の前触れもなく活動休止宣言をしたのも。
全ては、この時のためにやったのだ。
マイクを握り、立ち上がる。
息を十全に吸った後、僕はマイクに向けて口を開いた。
「皆さん、お久しぶりです。新島ニュッです」
「足元の悪いなか、今日は僕の新作発表の会見にお越しいただき、ありがとうございます」
僕がマイクに向けて話した途端、大の大人たちが息を揃えて前のめりになる。
心にもない上っ面の常套句をペラペラと述べつつ、僕は笑顔が崩れないように努めた。
「さて、それでは早速、本題に入らせていただきます」
再び椅子に腰を落ち着け、机の下に手を伸ばす。
予め準備させておいた、一冊のハードカバーを手に取り、それをゆっくりと顔の横まで掲げた。
23
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:15:49 ID:qDslfyX60
「こちらが、再来月に出る、僕の本です」
二年ぶりの、“新島ニュッ”の新作を高々と掲げる。
すると記者たちは、まるでエサを投げられた池の鯉のように、どこか憑りつかれたような面持ちで僕が掲げた本にカメラを向けた。
どうにか僕の新作を綺麗に画角に収めようと、無数のシャッター音が鳴り響く。
どうせもう少し経てば嫌という程の量が書店に並ぶのに、滑稽なものだ。
(;ノAヽ)「何というタイトルなのでしょうか!?また、どうして二ヶ月前というタイミングでの発表なのですか!?」
<(' _';<人ノ「既に朗読劇や映画化などの話も進んでいるという噂は本当ですか!?」
(;十)「以前、先生ご自身が“最高傑作”だと仰っていましたが、どのようなお話なのですか!?」
シャッター音に負けないほどの記者からの大声が、質問という形を纏ってこちらに届く。
一体どこから情報を嗅ぎつけているのか。ハイエナみたいだなと内心思いつつ、僕は営業スマイルを崩さないまま再びマイクを握った。
24
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:17:09 ID:qDslfyX60
「まだ詳しいことは何も話せませんが…もう少しすれば、また新しい情報が解禁されると思います」
「今日はあくまで、“再来月に僕の本が出る”というご報告だけです」
「………と、思ってたんですけど」
本来なら聞こえる筈のない声量の呟きがマイクに乗る。
その言葉を聞いた瞬間、記者たちの目がギラリと光り、後方の隅にいたうちの出版社の人間が青ざめたのが分かる。
当然だ。出版社とは、“必要最低限のことしか言わない”と約束している。
万が一僕の口から余計な情報が出れば、大損を被る可能性だってある。そりゃあ顔の一つや二つ青くなるだろう。
いつの間に移動していたのか、その内の一人、森野くんだけは、空に打ち上がる花火を心待ちにしている子どもみたいな笑みを浮かべていた。
「せっかく、こんなに広い会場を用意して下さった上に、皆さんにはここまでご足労頂いたんだ」
「ただ“小説を出します”だけじゃ、面白くないし失礼ですよね」
マイクを置き、小説を右手に持って前に出す。
どうせ話すのは僕一人。そして今ここにいるのは、どいつもこいつも僕の言葉を聞きたくて来ている数寄者ばかりだ。
こんな拡声器など使わずとも、僕が喉を張りさえすれば、声は隅の隅まで届く。
25
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:19:12 ID:qDslfyX60
別に、余計なことを言うつもりはない。
なにせ、本番はまだなのだ。
僕が本当に見たい景色を見られる前に、躓くつもりなど毛頭ない。
これは“狼煙”だ。
例えるなら、異様に長い導火線に、火をつける程度の行為にすぎない。
けれども、非常に大事な行程だ。
奥の方にいる森野くんに軽く目配せをした後、本を握る手に力を込める。
二年以上のお膳立てをして用意にこぎつけたこの会見で、僕が絶対に言っておかなければならないのは一つだけ。
「詳しい情報はまだ言えませんが、今日、僕から一つだけ、皆さんに伝えたいことがあります」
本を前に出し、声を張る。
さながら、公共の面前で爆破予告をする爆弾魔のように。
26
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:20:20 ID:qDslfyX60
「僕が出すこの話は、ありとあらゆるものを巻き込んでいく」
「対岸の火事じゃ終わらない、終わらせない。さながら、粉塵爆発みたいに何もかもを連鎖的に燃え上がらせる」
「とびっきりの期待をして待ってて下さい。今、僕が持っているこの一冊は、間違いなく文芸界を、いや、この国全てを沸かせるでしょう」
一旦そこで言葉を区切り、思いっきり息を吸い込む。
ずっと保っていた笑顔の仮面を外し、心からの笑みを浮かべる。
27
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:21:34 ID:qDslfyX60
間違いなく、今の僕はひどく下品な顔をしているのだろう。
性犯罪者のような、薬物依存者のような、そんな類の笑顔を浮かべているに違いない。
それでも、口角が上がるのを止められない。心臓から湧き上がる興奮が止められない。
それも仕方がないことだろう。
ずっと、ずっとずっと待っていた。心の底から渇望していた。
この作品を世に出せる時を。
“これを世に出す”と、世界に声を荒げられる瞬間を。
「……ああ、そうだ。サービスでもう一つ。ちょっとした予言をしておこうかな」
「きっと、あなた方、読者の皆様は、全部読み終わったら、こう言うよ」
28
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:22:02 ID:qDslfyX60
「―――“ずっと騙されてたのか”ってな」
29
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:24:15 ID:qDslfyX60
*
幕が上がった。
30
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:24:36 ID:qDslfyX60
『
31
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:25:53 ID:qDslfyX60
( ^ν^)四月、僕は泥棒になったようです
32
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:27:52 ID:qDslfyX60
第一話"宵月を読む"
33
:
名無しさん
:2023/11/18(土) 12:21:29 ID:i3o.HdC20
乙
物凄い導入だ
これは超期待
34
:
名無しさん
:2023/11/18(土) 19:09:53 ID:IZNfkiNE0
wktk
35
:
名無しさん
:2023/11/19(日) 16:21:10 ID:mC4/GI2Y0
プラ心の人の新作と聞いてすっ飛んできた
支援
36
:
名無しさん
:2023/11/21(火) 21:25:59 ID:Ds8r.sBA0
>>32
ミスってました。
“宵月を詠む”が正しいタイトルです。細かい拘りに過ぎないんですけど、一応訂正します。申し訳ありません。
37
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 18:57:18 ID:MHoifvuU0
背後で何かが落ちた音がして、僕はピタリと手を止めた。
椅子を少し引いて振り向く。
後ろの棚の上にあったはずのものが、フローリングの床の上に力なく転がっているのが見えた。
はぁと小さく溜息をついてから、万年筆を置いて立ち上がる。
歩を進める度に裸足と床が触れ合って、ペタペタと音を立てる。
数歩ほど歩いてから、僕はゆっくりとしゃがみこんで、床に落ちたものを拾った。
写真立てだ。
木材を使用して作られたフォルムからは、何とも言えない不思議な暖かみが感じられる。
裏面を見ると、支えとなる肝心な部分が折れていた。
十中八九、典型的な経年劣化によるものだろう。
38
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 18:58:34 ID:MHoifvuU0
これを買ったのは一体いつだっただろうかと考えながら、写真立てを裏返す。
表には、一枚の写真が入れられていた。
服の袖を使って表面の汚れを軽く拭き取り、ふっと息をかけて埃を飛ばす。
ある程度鮮明になった写真には、満開の桜を背景にして笑っている二人の男女が写っていた。
(*^ν^)ζ(^ー^*ζ
僕と妻だ。
右下には、数年前の日付が記されている。
この写真立てだって、別に上等な品じゃない。家の近くの雑貨屋で適当に買った物だ。
そりゃあ数年程度で壊れるだろう、寧ろ今日までよく保った方だと感心しながら写真立てを掴み、棚の上に裏返して戻した。
39
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 18:59:13 ID:MHoifvuU0
それと同時に、ぐぅと奇妙な音が部屋に響いた。
今のは一体何の音だろうかと疑問に思いながら部屋を見回す。
すると、もう一度同じ音が鳴った。
そこで僕は、音の発生源は自分の腹からであることにようやく気付いた。
時計を見ると、短針が指し示しているのは数字の6。
僕の頭にはとある素朴な疑問が浮かぶ。執筆を始めたのは確か、太陽が沈み始めた午後5時頃だったはずだ。
にもかかわらず、まだ1時間ほどしか進んでいないのはおかしい。
まさかと思い、スマホを見ようと仕事部屋を出てリビングに向かう。
部屋の中心にあるテーブル。そこに無造作に置かれていたスマホに素早く手を伸ばす。
パッと明るくなった液晶画面に表示された日付は、自分が認識していた翌日だった。
どうやら自分は、飲まず食わずで24時間以上も執筆作業にふけっていたらしい。
40
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:00:02 ID:MHoifvuU0
「小説家の鏡だな、我ながら」と心中でぼやきながら、冷蔵庫へと向かう。
自身の生命活動すら投げうって仕事に勤しんだのだ。そりゃあ腹の一つや二つは減るというもの。
だが残念ながら、冷蔵庫の中にはビール缶が数本と、最後に使ったのはいつかも分からない調味料が数本あるだけだった。
下の冷凍庫も開けてみたが、さっと食べられそうな冷凍食品すら一つも見当たらない。
失意に苛まれるまま扉を閉め、そのまま床に寝転がる。
大の字になった体勢のまま天井を仰ぐ。
( ^ν^)「……あの展開はやっぱないな…」
さっきまで、何かに憑りつかれたように書いていた小説のことを考える。
これほど飢えているというのに考えるのは小説のことばかりかと、自分で自分のことが少しおかしく思えた。
41
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:00:32 ID:MHoifvuU0
目を瞑り、頭の中にある参考図書を片っ端から漁る。
自分が今執筆しているのは、短編の恋愛小説だ。
先方から希望された文字数は3万字程度。締め切りは明後日…いや、明日の午後3時まで。
文字数のノルマ自体は既に満たしているものの、未だ内容に納得がいかず足踏みしているというのが現状だ。
そもそも、自分が今抱えている案件はこれだけではない。
別ジャンルの短編が3本、別作家に寄稿する後書きの文章が2本。そして、自分が今一番力を入れたい長編小説が1本。
要するに、色々とキャパオーバーなのだ。
もう少し詰めるか、それともいっそこのまま提出してしまおうか。
小説家の端くれとしてのプライドと、楽を求める人間的な自分が綱引きをする。
今のところは圧倒的に後者が優勢だ。
42
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:01:41 ID:MHoifvuU0
( ^ν^)「………いや、そもそも頭が回らん」
空腹を抱えながら、むくりと上体を起き上がらせた。
体内に残されていた糖分は1日ぶっ続けの執筆作業によって疾うに枯渇している。とにもかくにも、何か口にしてから考えよう。
そう思って立ち上がると同時に、聞き慣れたインターホンの音が鳴った。
( ・∀・)
途端に、腹立たしいニヤケ面がぼんやりと脳裏に浮かぶ。
まさかあの小生意気な編集じゃないだろうなと訝しみながら、インターホンのモニターを見る。
そこに映っていた人物に、僕はホッと胸を撫でおろしながら通話ボタンを押した。
( ^ν^)「開いてる。入っていいぞ」
ボタンを押して通話を切るや否や、玄関の方からガチャという音がする。
「お邪魔します」という声が廊下から響いてから数秒、先ほどまでモニターに映っていた制服姿の少年が、ひょこりとリビングに現れた。
43
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:03:17 ID:MHoifvuU0
( ФωФ)「お疲れ様です。今日は起きてらしたんですね、新島先生」
『杉浦ロマネスク』、小説家志望の高校生だ。
この年齢で小説家なんぞを志すだけでも相当変わっているのに、よりにもよって僕なんかに師事しているという相当な数寄者である。
( ^ν^)「“今日は”とはなんだ。人を社会不適合者みたいに言うな」
(; -ωФ)「“物書きに碌な人間はいない”と常々仰っているのは先生の方でしょうに…」
( ФωФ)「あ、これ差し入れです。モララーさんから」
(; ^”ν^)「うげっ…、あいつに会ってきたのか」
( ФωФ)「編集部に寄ってから来たので。そうだ、言伝も預かっていますよ」
有名な百貨店の名前がプリントされた紙袋を受け取り、もしや何か食べ物の差し入れかと期待しながら袋を開く。
しかしそんな都合の良いものをあの編集が寄越す訳もなく。
中に入っていたのは、自分が長年愛用しているメーカーのインクの山であった。
44
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:04:32 ID:MHoifvuU0
( ФωФ)「“明日の夜までなら何とかしますよ先生”だそうです」
これでもかと紙袋に詰め込まれたインクを睨みながら長い溜息を吐く。
( ^”ν^)「…ああそうかい。死刑執行までの猶予が5時間も伸びた訳だ。優秀な編集さんだよ、全く」
業腹にも程があるニヤケ面を思い返しながら作業部屋へと移動する。
何か一つでも有益なものを持ってきてくれたかと期待したのだが、そんなものを望んだ自分がバカだったらしい。
そういえば数か月前、執筆の催促をしに来たモララーに「インクが空なので物理的に書けない」と言い訳し、帰らせたことを思い出す。
おそらくこれもあの時の仕返しなのだろう。全く、心底憎たらしい男だ。
( ФωФ)「それで先生、進捗はどうなんです?」
( ^”ν^)
( ФωФ)「いや自分にそんな顔されても……」
空いていた適当なスペースに紙袋を置きつつ、全力で嫌な顔をする。
杉浦から顔を背け、デスクの上に置かれたままの原稿用紙を指差した。
45
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:05:52 ID:MHoifvuU0
( ФωФ)「相変わらず非効率なやり方ですね。今時、原稿用紙に書く小説家なんていませんよ」
(; ―ωФ)「まったく。天下の“新島ニュッ”が、こんなアナログな方法で書いてるだなんて……」
( ^ν^)「今更ケチをつけてくるな。僕はこれじゃないと書く気が起きないと言ってるだろう」
昔からずっと愛用している万年筆に目を向ける。
パイロット社の『ブラックマット』。ボールペンを彷彿とさせるほどに使いやすく、キャップレス故の手軽さが魅力の万年筆だ。
インクはカートリッジ式だから、色を変えるのも楽に済ませられるのも魅力の一つ。
執筆作業だけではない。僕は文字を書く時は余程何か火急の用でもない限り、必ずこれを使うと決めている。
46
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:06:30 ID:MHoifvuU0
文字を書くというのは、作家にとって自分の魂を削るに等しい行為だ。
だからこそ、自分の身を削ってこそ、誰かの心に残るような作品が書けると信じている。
にもかかわらず、パソコンの前でカタカタとキーボードを打つことが、本当に“執筆”といえる行為足りえるだろうか。
紙の上にインクを垂らし、なくなれば補充し、また書き進める。
書き損じないように繊細な注意を払い、単語という一つの括りではなく、一文字そのものに執念を込めて物語を綴っていく。
そんな面倒な行程をあえて踏襲することでこそ、真に“身を削っている”と言えるのではないだろうか。
…とまぁ、理由を問われればこのようなことがサラサラ言えるが、実際はそんなに大した理由ではない。
昔、妻に貰ったプレゼントがこの万年筆だった。それを使いたいがための口実に過ぎない。
詰まるところは、モチベーションの問題なのだ。
( ^ν^)「…そうだ、ちょうどいいか」
机の上の原稿を無造作に掴み、杉浦に押し付けるように手渡す。
少し動揺しながら紙の束を受け取った彼は、その大きな瞳を数度瞬かせて首を傾げた。
47
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:06:59 ID:MHoifvuU0
(; ФωФ)「えっ?あ、あの……」
( ^ν^)「読んでみてくれ。ひとまずの感想が聞きたい」
(; ФωФ)「い、いやいや!自分なんかが、そんな…!!」
首をブンブンと振りながら原稿をつっ返してくる杉浦の姿に舌打ちをする。
どうせこういう反応をするとは思っていたが、想定以上につまらないなという感想しか浮かんでこなかった。
( ^ν^)「なんだ、いつも僕が君にやっていることだろう。それが逆になっただけで…」
(; ФωФ)「“だけ”って話じゃないですよ!!い、いやそりゃ、真っ先に読めるっていうのは本当に嬉しいんですけど、でも…!」
(; -ν-)「面倒だな…。あぁわかった、じゃあこうしよう」
組んでいた腕をほどき、空になった左手を前に出す。
48
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:09:15 ID:MHoifvuU0
( ^ν^)「代わりに、君のを読んでやる。今日も持ってきてるんだろう、小説」
( ^ν^)「いつもみたいな添削じゃない。作家としてじゃなく、一人の読者としての意見も加える。それならいいか?」
僕の申し出に、杉浦はピタリと動きを止めて唇を嚙みしめていた。
迷っている、それも相当に。
本来ならば編集が一番最初に目を通すもの。それを、正式なアシスタントですらない自分が真っ先に読んでよいものか。
…といったことを悩んでいるのだろう。
良く言えば実直な、悪く言えば分かりやすい少年だ。杉浦の考えていることなど手に取るように分かる。
杉浦がうちに来るのは何も、ただ近所に住んでいるからという理由だけではない。
定期的に、彼は僕に小説を書くにあたってのアドバイスを貰いにきているのである。
49
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:10:42 ID:MHoifvuU0
きっかけは、ちょうど今から1年ほど前のことだった。
出版社に渋々出向いた時、編集長と何か話をしている学生服を着た少年が目に留まったのだ。
確かに気にはなる構図だったが、何かしらの面倒ごとに巻き込まれるのは御免だとして、足早に立ち去ろうとしたその瞬間。
編集長が目ざとく僕を見つけ、大声で「新島先生!」と叫びやがったのだ。
そこからは芋づる式だ。
とある公募で新人賞に選ばれたという杉浦を紹介され、何がどう話が転がったのか「彼の面倒を見てやって欲しい」と頼まれた。
もちろん、二つ返事で断った。僕は僕の抱えている案件で手一杯なのだ。
それに小説家というのはどいつもこいつも何かしら人間的に問題がある生き物であり、僕もその例に漏れない社会不適合者だ。
誰かに何かを教えるなど、そんな能力も適正も道理もない。
…が、結論から言うと、結局押し切られてしまった。
僕の矜持のために弁明させてもらうと、別に情に絆されたとかでは断じてない。
単に編集長に借りを作れるのは自分にとってもメリットがあると思っただけだ。
それに、杉浦という若い学生作家を近くに置けば、新鮮なインスピレーションを得られる可能性も高かった。
決して、熱のこもった目でファンだと言われたからとか、初期の頃の自作品について熱い感想を長々と語られたのが嬉しかったとか、そういう訳ではない。決して。
50
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:11:05 ID:MHoifvuU0
(; ФωФ)「…わ、わかり、ました。そういうことなら…」
大事そうに原稿を受け取った杉浦は、自身の学生鞄をゴソゴソと漁る。
その中から出てきたのは、手のひらにすっぽり収まるサイズのUSBメモリだった。
( ^ν^)「よし、それじゃあ早速……」
「読ませてもらう」と言おうとした瞬間、奇妙な音が部屋に響いた。
この音には聞き覚えがある。というか、さっき聞いたばかりの音だ。
( ーωФ)「……先生、またご飯抜いたんですか?」
非難するような冷たい目線が注がれる。
仮にも師と仰ぐ人間に対して向けるそれではないだろうと思ったが、糖分が欠乏した頭では何も言い訳が出そうにない。
結局僕は閉口したまま、そっぽと向くという小さな抵抗に留まった。
51
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:11:48 ID:MHoifvuU0
( ^ν^)「……よし。予定変更」
USBメモリを机に置き、床に無造作に転がっていた鞄を開く。中には、学生の頃から使っている草臥れた黒の革財布があった。
開いて中身を確認し、そこから一枚のクレジットカードだけを抜き出す。
それをスマホの手帳カバーに差し込み、杉浦の肩をぽんと叩いた。
( ^ν^)「腹が減ってはなんとやら。夕飯でも食べに行くぞ、杉浦」
(; ФωФ)「……え!?い、今からですか!?締切は明日までって…!」
( ^ν^)「引っかかる部分が多少あるだけで一応はもう出来てる。それに、“明日の夜まで”なら大丈夫なんだろう?特に問題はない」
リビングへと移動し、椅子にかけてあった薄手のスプリングコートを羽織る。
既に桜は散りかけている今の季節といえど、流石に夕方以降は冷え込むだろう。
そんな外を出歩いて風邪をひくのは御免こうむる。
52
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:12:14 ID:MHoifvuU0
(; ФωФ)「明日までに修正しなきゃいけないのに大丈夫な訳ないでしょ!食べ物なら自分が適当に買ってきますから、先生は執筆を…!」
杉浦の必死な制止を、再び奇妙な音が遮る。
音が部屋中に木霊すると同時に、熱弁していた杉浦の唇がピタリと止まった。
僕の口角は意地悪く上がり、対照的に杉浦は顔を下げて恥ずかし気に俯く。
その理由は単純。今腹の虫を鳴らしたのは、僕ではなく、生真面目な小説家志望の未来ある学生だったからである。
( ^ν^)「決まりだな、いつもの所に行くぞ」
「ついて来い」と声をかけ、玄関へと歩く。
隅っこに転がっていた草臥れたスニーカーを履き、コートのポケットにスマホが入っているかどうかだけを軽く確認した。
(; ―ωФ)「……お酒は一杯だけですからね」
背後から聞こえる声に明確な返事をしないまま、僕は玄関のドアに手をかけた。
53
:
名無しさん
:2023/12/02(土) 13:07:19 ID:4EHlzT4A0
乙
54
:
名無しさん
:2023/12/02(土) 20:41:55 ID:B3lUk63U0
オツ
55
:
名無しさん
:2023/12/12(火) 04:00:24 ID:P3wO6Mn.0
乙
面白い
56
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:43:05 ID:DrdBCTAo0
*
家を出て、暗い夜道をゆっくりと歩くこと数十分。
住宅街から少し離れた道。本当に都内なのかと疑いを持ってしまうほど静寂な空間の中に、一軒家のようにポツンと佇む店があった。
妻と付き合う少し前、当時はまだ新卒だった森野から教えてもらった小料理屋。
居酒屋『花道』。
多種多様な日本酒と丁寧で繊細な料理が評判の、所謂“知る人ぞ知る”店である。
57
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:44:05 ID:DrdBCTAo0
店内では、聞き覚えのある音楽が流れていた。
世界で一番美しいコード進行だと呼ばれている、十七世紀末の傑作。
パッヘルベルのカノン、ニ長調。
バイオリンのソロ用にアレンジされたのであろうそれは、小料理屋全体に優雅な雰囲気をもたらしていた。
( ∵)コトン
( ^ν^)「どうも」
(; ФωФ)「あ、ありがとうございます」
( ∵)ペコ
相変わらず寡黙なマスターに軽く会釈をし、テーブルに置かれた数々の料理に目を向ける。
空きっ腹でも食べられそうな前菜のサラダに、岩塩だけで味付けされたシンプルな焼き鳥の盛り合わせ。
若い杉浦が好みそうな分厚い唐揚げや、口直し用の塩漬けキュウリ。
より一層空腹を促進させる料理が視覚と嗅覚を刺激する中、マスターがグラスに酒瓶を傾けた。
58
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:44:39 ID:DrdBCTAo0
『雨後の月・大吟醸“月光”』
広島で造られる、全国でも有名な日本酒の一つだ。
全体的な特徴としてはやはり、柔らかな優しい、それでいて切れ味のある口当たりだろう。
果実酒を思わせるようなフルーティーさを、超軟水ならではの味わいが包み込む。
初心者も日本酒好きも唸らせる、まさに万能な日本酒だ。
( ^ν^)「ありがとうございます」
( ∵)ペコ
グラスはおろか枡が溢れるほどに酒が注ぎ、無言のまま頷いただけのマスターの背中を目で追う。
いつもメモも取らず注文を聞いては厨房に帰っていくが、彼が注文を間違えたところを見たことがない。
余談だが、この店にはバイトや他の従業員といった人間はいない。オーダーどころか、調理も提供も、果てにはレジまで。全てマスターが一人でこなしているのだ。
地味ながらまるで魔法のようなその芸当に昔は興味を超えて恐怖を覚えたものだが、今ではとんと気にしなくなった。“慣れ”とは末恐ろしいものである。
59
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:45:09 ID:DrdBCTAo0
しっかり火が通ったせせりを食し、舌鼓を打つ。
枡に沈んだグラスを手に取り、軽くおしぼりで周りを拭いてから酒を一口含む。
ほのかな米の旨味と香りが広がり、口内に残った油を綺麗に洗い流していった。
( ФωФ)「うわ、本当に呑んでる…」
( ^ν^)「“一杯まで“と言ったのはお前だろう」
(; -ωФ)「全く…間に合わなくても知りませんからね」
信じられないといった目をする杉浦を袖にしつつ、再び料理を口にして、また酒を呑む。
そんな自分に呆れながら、杉浦もまた来たばかりの唐揚げに箸を伸ばした。
( ФωФ)「…そういえば、長編の方の進捗はどうなんですか?」
もぐもぐと上手そうに咀嚼をしていたのも束の間、再びいつもの生真面目な顔に戻った杉浦から質問の声が上がる。
僕は心底嫌そうな顔をしながら、焼き鳥の串に思いっきりかぶりついた。
60
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:47:09 ID:DrdBCTAo0
( ^”ν^)「食事中にしていい話とダメな話があるだろ、空気読め」
( ФωФ)「いや、これは明らか前者に入ると思いますけど」
咀嚼を続けつつ視線だけは巧みに逸らす。
杉浦が言及したのは、僕が一番頭を悩ませている仕事に対してである。
今抱えている中で一番優先すべき案件、ずっと前から進めている長編小説のことだ。
( ФωФ)「モララーさんが心配してましたよ。最近、またどうも先生の調子が悪そうだって。」
( ^”ν^)「今度あいつに会ったら“自分の出世の心配でもしてろ青二才”とでも言っといてくれ」
(; -ωФ)「出世なんて、あの人の頭から一番遠い概念でしょうに……」
共通の知り合いの悪口で盛り上がる。
これは持論だが、他人の悪口ほど酒が進むつまみもないだろう。
61
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:48:39 ID:DrdBCTAo0
『森野モララー』
間違いなく優秀な編集ではあるが、どこか人間性に問題がある若者だ。
入社して僅か三か月で、当時パワハラで有名だった上司の一人を舌戦でボロカスにし、退職にまで追い込んだという噂を聞いた時は身震いしたものである。
知り合って一年ほど経ったある日、いったいどんな風に論破したのかと本人に尋ねたら
( ・∀・)『いや?普通にちょっと恫喝の録音データと浮気の証拠写真ちらつかせただけっすよ』
( ・∀・)『理由もねぇ残業なんかで彼女とのデート潰されたくないっすもん』
と笑顔で返された。
とんでもないガキだと震えたあの日のことは、今でも脳裏に焼き付いている。
( ФωФ)「…あぁ、そういえば」
律儀に箸を皿の上に置き、杉浦は徐にスマホを操作する。
こちらに向けられた最新機種の画面には、どこか懐かしさを感じるような沢山の屋台と、大きな花火が映し出されていた。
( ФωФ)「モララーさんから聞いたんですけど、今年はやるみたいですよ。夏祭り」
( ^ν^)「……へぇ、またやるのか」
なくなった焼き鳥の串をまとめ、再び日本酒を一口飲む。
杉浦のスマホを少し下にスクロールすると、そこには今から三か月ほど後の日付が記されていた。
62
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:49:29 ID:DrdBCTAo0
( ФωФ)「もう数年やってませんでしたからね。自分は小学校の頃すら行ったことないですけど」
( ^ν^)「お前にも小学生の頃なんてあったのか。それは少し興味あるな」
(; -ωФ)「いくらなんでもありますよそりゃ…」
揶揄いの色を隠そうともしない僕の声色に、杉浦は不愉快そうな顔をする。
彼の身長は既に、高校二年生時点で180cm後半はある。
老け顔なこともあり、学生服を着ていなければまず間違いなく学生だとは分からないだろう。
実際、自分も編集長に紹介されなければ同い年だと勘違いしたに違いない。
「小学生の頃の時点で高校生と間違えられた」とは本人の弁だ。人一倍多感な彼にとっては、そこそこのコンプレックスであるらしい。
( ФωФ)「先生は行ったことあるんですか?もう長いこと、この街に住んでらっしゃるんですよね?」
中途半端に余っていたサラダを噛みつつ、無言で頷く。
数年前、どこぞの出店がボヤ騒ぎを起こしたとかで祭りが中止になるまでは毎年行っていた。
別に、全国的に有名だとか、由緒正しい歴史があるだとか、そんな特殊な事情は一切ない。
街の中にある少し大きな神社を中心として、出店や屋台が出る、至って普通の祭りである。
ただ、都内にある区の祭りであるから、その規模はそこまで小さくはない。
特に、目玉のメインイベントである打ち上げ花火は、中々に目を見張るものがあった。
あれを目当てに隣町から来る若者も多いと聞く。実際、祭り当日は例年、ある程度の交通規制がなされていた。
要するに、大きくも小さくもない。そのぐらいの規模の夏祭りである。
63
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:49:51 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「なんだ、もしかして興味あるのか?」
( ФωФ)「……少し」
杉浦の返答に、僕は唐揚げを取ろうとしていた手を止めた。
彼と知り合って疾うに一年。ある程度の趣味嗜好や人間性は把握している。
思慮深く、周りのことをよく見ている。それでいて生真面目な性格が災いし、見えている筈の物への配慮に欠ける時がある。
まぁ端的に言えば、実直な青年だ。少なくとも自分よりはずっと人間的に優れている。
年の割に落ち着いていて、どこか世俗から一歩引いたスタンスを崩さない。
そんな彼がまさか夏祭りに興味を示すとは思いもしなかった。
( ФωФ)「…少し、行き詰まってまして」
杉浦の食事をする手が完全に止まる。
彼の表情にはどこか、焦っているような影が見えた。
( ФωФ)「今までのようにスッと指が動かないというか…自分で自分の作品を、“面白い”と思えなくなってきていて……」
彼の言葉に短く「なるほどな」と返す。
これでも、十年以上は文字を書いて飯を食っている人間だ。彼の今の現状には嫌と言うほど心当たりがある。
64
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:50:12 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「今まで触れてこなかった類のものに、自分から触れようと思っている訳か」
コクリと頷く杉浦を肴にしつつ、いつの間にか半分を切っていた日本酒を飲む。
“夏祭り”なんて一般の人間なら誰しもが経験しているはずのイベントを知らない。
だからこそ、大衆とは違った感性を基にした物語が書ける。そう言えば聞こえはいいし、確かに彼の武器の一つではあるだろう。
けれどそれは裏を返せば、“普通の物書きなら書ける話が書けない”ということだ。
基本問題が解けなければ応用問題に歯が立たないのと同義。
王道を理解出来ずに、邪道の良さを語れる訳がない。
「そんな詰まらないことするより、一文字でも多く書けるようになった方が良くないですか」などと仏頂面でほざいていた少年は何処へやら。
自分が以前から口酸っぱく言っていた忠告の意味を、ようやく理解したようだった。
(; ФωФ)「…すいません、前に偉そうなことを言っておいて、こんな……」
( ^ν^)「いや?いいんじゃないか」
どこか居心地が悪そうな顔から一転、杉浦はその猫のような瞳を大きく見開く。
呼び出し用のベルを軽く叩き、僅かに残っていた酒を喉に流し込む。
「よく勘違いしてる人間が多いんだがな」と前置きをしつつ、僕はグラスを置いて二の句を継いだ。
65
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:50:53 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「剣を抜ける人間ってのは、世の中が想定しているよりもずっと多い。“何かに反発する”だの“多数派に逆らう”だの、別に珍しくも凄くもなんともない」
( ^ν^)「でもな、一度抜いた剣を振らず、そのまま鞘に収めて頭を下げられる人間ってのは、本当に一握りなんだ」
( ^ν^)「お前は後者だった。なら、それでいい。そういう一握りの人間にしか書けない話ってのは、間違いなく需要がある。売れるかどうかは別にしてな」
( ^ν^)「まぁ何にせよ……下らない矜持を守って停滞依存に陥るより、百倍マシだ」
( ^ν^)「作家としても、人間としてもな」
( ФωФ)「…………」
( ФωФ)「そう、ですかね」
杉浦の瞳に柔和な光が小さく灯る。
らしくもない自論を恥ずかしげもなく語ってしまったが、どうやら気休め程度にはなったらしい。
( ^ν^)「とにかく、自分から動くのはいいことだ」
( ^ν^)「何が刺激になるか分からない以上、物書きにはある程度のアグレッシブさが…あ、マスター、ぼんじりとつくね二本ずつ。塩で」
( ∵)コク
( ФωФ)「真面目な話の途中でちゃっかりおかわりしてる…」
( ^ν^)「こちとら丸一日何も腹に入れてなかったんだ、許せ」
物言わぬまま去っていくマスターの背中を見送り、空いた皿を端に寄せる。
これらも目を離した一瞬のうちに、あのマスターに片付けられるのだろう。もはや魔法と言われたほうが納得のいく所業だ。
66
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:51:34 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「……“おかわり”、か」
( ФωФ)「ん?どうしました?」
ふと、何かひっかかりを覚えた言葉をボソリと復唱する。
“おかわり”。別になんてことはない、何も珍しくはない単語。
特に美しさを感じるような響きもなければ、掛け言葉にもし辛い語感。
肘をつき、すっかり空いたテーブルの表面を見つめながら思考を巡らせる。
何も珍しくない、なんら特別な魅力も感じない単語がぐるぐると頭を巡る。
そうしていると、カタンとテーブルに先ほど注文した焼き鳥が置かれた。
「失礼します」と言って、杉浦がその内の一本に手を伸ばす。
炭火で丹念に焼かれたぼんじりが、ゆっくりと彼に咀嚼されていく。
( ^ν^)(……“おかわり”、“料理”、“食事”…)
明日までに提出しなければいけない小説のことを思い返す。
先方から頼まれた、三万字程度の恋愛小説。
67
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:52:31 ID:DrdBCTAo0
今回、自分が話の中心に添えたテーマは“食”だった。
小説が“面白い”という評価を受けるためには、メインストーリーの軸一本では足りない。
味が複雑であればあるほど料理が美味しく感じるのと同じように、小説ともいうのも、ショートショートの類でないのなら軸が一本では単調になり、つまらなくなってしまう。
話に厚みを持たせるのと、読者の意識を散らすことで展開を読ませにくくする。シンプルな手法だが、得られるメリットは大きい。
そういった考えから今回、“恋愛”という一本の太い柱を支える要素して“食”を選んだ。
食事デートだのディナーだの、食と恋愛は絡めやすい。そういった安直な考えからだったが、これは昔からよく使える手法だった。
一応全部書き終えはした。だが、何処かが気に入らなかった。
作家の端くれとして何年も生きてきた経験が告げていた。
「これは駄作だ」と。「出しても大して売れない、読まれない」と。
原因はぼんやりとだが分かっていた。
大して人に誇れるような才能はないが、昔から、物事を分析する能力だけは長けていた。
終わり方が詰まらない小説は美しくない。ダラダラと続く物語は、途中がどれほど秀逸だろうと駄作である。
タイトルと、終わり方。
自分が今まで一番拘っていた部分に、納得が足りていないのだ。
68
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:52:54 ID:DrdBCTAo0
毎日のように舞い込んでくる依頼。
“誰か”を忘れるために、遮二無二筆を走らせる日々。
そんな生活を年単位で続け、ついに、譲れない部分にまでヒビが入った。
今まで大切にしていた“何か”が、すっと思い出せなくなっていた。
今、その“何か”が埋まりそうな予感がした。
置かれた焼き鳥に手を付けず、思考の海を泳いでいく。
ずっと求めていたピースが、そこにある。
僕は何に引っかかった?何に魅力を感じた?
呼吸も瞬きも鼓動も忘れて、只管に海底へと潜る。
月光すら届かないはずの下で、淡く、それでいて確かに輝く光に向かって懸命に手を伸ばす。
( ФωФ)「先生、せっかく頼んだんですから、ちゃんと食べないとダメですよ」
( -ωФ)「まったく、ノリと思い付きで頼まないで下さい。場末のライブのアンコールじゃないんですから……」
果たして、それは、見つかった。
69
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:53:26 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「それだ」
手を伸ばし、残っていた串を全て掴む。
締切間近の事務作業のように急いで咀嚼した後、僕はいつの間にか注がれていた冷水を一気に飲み干した。
(; ФωФ)「えっ?ちょ、あの、先生?」
戸惑いを隠せず狼狽える杉浦を無視しながら、背凭れにかけていたコートを羽織る。
(# ^”ν^)「そうだ“言い換え”だ!なんで思いつかなかった…!?くそっ、柔軟さが足りなかった、ダメだと思ったらすぐ手法を変えるのも常套だったのに」
(# ^”ν^)「タイトルはそうするとして…いや、なら展開も変えよう。変にストーリーそのものを弄ったら寧ろくどくなる。となると…終わり方は単純に……いやそれなら料理のジャンルも…」
(; ФωФ)「ちょっと!?え、あの、か、帰るんですか!?」
(# ^”ν^)「書き直す!!」
(; ФωФ)「……へ?」
頭の中で思考を巡らせながら足早にレジへと歩く。
当然のように立っていたマスターにカードを渡し、手早く暗証番号を押した。
70
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:53:58 ID:DrdBCTAo0
(; ФωФ)「……か、書き直す!?そ、それは、全部…今からですか!?」
(# ^”ν^)「全部だ!タイトルから結末まで全部!…あぁ、あの原稿は捨てる!もういらん!」
(; ФωФ)「明日までなの分かってますか!?別に全部じゃなくても、気に入らないとこだけ修正すれば……!」
(# ^”ν^)「全部気に入らなくなった!だから全部書き直すだけの話だ、ごちそうさま!」
(; ФωФ)「ま、待って下さ…!あ、あの、ごちそうさまでした!」
( ∵)コク
足早に店を出て、スマホに入れていたタクシーアプリを起動する。
横で喧しく何かを主張している杉浦を無視しながら、タクシーを待つ間、頭の中でプロットを組み立てていく。
メインの料理、それを描写していた小説の表現はどうだったか。
どれほど調理の記述に割いていたか。
心理描写は。料理人特有の感想や、感性のリアリティを出すにはどうしていたか。
参考に出来そうな話を手早くスマホのメモ機能に書き起こしていく。
久しぶりに、“書きたい話”が書けそうな予感がしていた。
71
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:54:19 ID:DrdBCTAo0
*
甲高い機械音が聞こえてきて、手に持っていた文庫本から目を離す。
東京都内、千代田区。その中にある一つビルのロビーにいた。
エレベーターから、見慣れた顔が現れる。
学生服ではなく、やや大人びたシックな黒の私服に身を包んだ少年。
杉浦だ。
( ФωФ)「お疲れさまです、せんせ……」
( ^ν^)「どうだった」
挨拶を遮り、単刀直入に問いただす。
口を噤んだ彼は少し押し黙った後、ゆっくりと首を横に振った。
72
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:55:01 ID:DrdBCTAo0
( ω )「………ダメでした、選考」
( ^ν^)「……そうか」
空いている隣のスペースを軽く叩き、座るように促す。
わざわざ「失礼します」と断りを入れ、彼は空間を空けて僕の隣に腰掛けた。
( ^ν^)「森野からはなんて言われた」
気を遣うこともなく、余計な慰めを言うこともなく、ただ聞かなければならないことだけを聞く。
彼に余計な言葉は要らない。むしろ、そういった類の慰めを嫌う気性だ。
( ФωФ)「…“つまらなくはない。ただ、特徴がない”と」
杉浦の発言に、自然と長い溜息が出る。
ただ後ろでニヤニヤしているだけかと思えば、誰よりも物事の本質を見ている。
それでいて、中途半端なアドバイスしかしない。
森野が言いそうな言葉だなと思いながら、僕はもう一度息を長めに吐いた。
73
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:55:44 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「…でも、あいつが“つまらなくない”って言ったんなら、充分に及第点か」
見る目は誰よりもある編集だ。
“面白い”か“つまらない”か。その判断を分けた上で“売れる”か“売れない”か。
その見極めに関しては、ただ物語の書き方のコツを伝授するだけの僕よりも遥かに上だろう。
それならハッキリと理由を呈示して欲しいものだが、「そこは作家本人が察しないと」だの「作家を成長させるのも編集の仕事なんで〜」だのとほざくのがオチだ。
その辺りに関してはもう諦めている。説得を試みるだけ時間の無駄だ。
( ^ν^)「まぁ、僕の所感からしても、悪くなかった」
( ^ν^)「けどやっぱり、キャラクター一人ひとりの、行動の基になる動機付けが浅かったな。次はその辺りに重点を置いて――」
( ФωФ)「先生は」
杉浦にしては乱暴な、それでいて低い声がロビーに響く。
彼は視線を下げたまま震える声で話を続けた。
74
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:57:00 ID:DrdBCTAo0
( ФωФ)「先生は、気付いてましたよね。自分のあの話は最後まで通らないって」
( ω )「落ちるって…予め分かってて、持ち込ませたんですよね」
( ^ν^)「………」
時に、沈黙というのはあらゆる会話や発言を凌駕する。
現実におけるコミュニケーションにおいても、小説や映画などの創作においても、よく使われる手法だ。
僕は無言のまま、口を堅く一文字に結ぶ。
杉浦もまた少しの間黙り、ロビーに短い沈黙が充満した。
( ФωФ)「…もう、最初の本を出してから一年経ちました」
( ^ν^)「なぁ、何度も言うが、お前なら別にそこに関して焦る必要は――」
( ω )「あるでしょう」
静かで、それでいて鉛のように重たい呟きが漏れた。
膝の上で握られた彼の両拳は、声と同様、氷点下の掌のように震えている。
…そういえば昔、彼に向かって言ったことがある。
創作の原動力の一つは“飢え”だ。
物書きが人生で書ける文字数の限界は決まっている。それをどれだけ消費しようとしているかで、物語への“熱”が変わる。
それを求めない人間に、“面白い話”は書けない、と。
75
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:58:03 ID:DrdBCTAo0
( ω )「先生なら、分かってくれるでしょう。否定しないでくれるでしょう」
( ω )「一冊でも多く、早く、売れないと、出さないとダメなんですよ、自分は」
視線を杉浦から外し、彼が肩から下げている鞄を見る。
見る人が見れば分かるブランドのロゴが入ったそれは、よく手入れがなされているように見えるものの、買い替えないのかと声をかけたくなるほどの隠しきれない経年劣化の痕がある。
少なくとも、高校生が使うには相当に年季の入った代物だ。
( ω )「教えてください先生。どうすれば面白い話って書けるんですか。面白い話ってなんですか」
( ω )「先生がよく仰る、面白い話と、売れる話の、違いって正確には一体なんなんですか」
( ω )「いつになれば、あと何文字書いたら、何作書いたら」
( ω )「どうすれば自分は、先生みたいになれますか」
未だに視線はこちらに注がれていない。それでも、彼の真剣さは震える声から痛い程に伝わってきた。
そんな彼の摯実な様子を見ながら、僕は呑気にも“懐かしいな”と思っていた。
彼を編集長から任され、うちにまで押しかけて来た日。
その時にも彼は、僕が昔出した小説を握りしめながら、同じことを尋ねてきたのだ。
あの時のように、適当な言葉で流せそうにはないな。
そう思った僕は、上着のポケットに手を突っ込みながら立ち上がった。
( ^ν^)「歩きながら話そう。動いた方が、頭の回転もマシになる」
杉浦がゆっくりと腰を上げるのを待って、ロビーを出る。
東京都内のビル街の中では、四月といえど、未だに夜は冬と勘違いしそうな冷風が吹き荒れていた。
76
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:59:06 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「この辺りは不便だよな」
ビルが建ち並ぶ道を歩く途中、特に何か意図がある訳でもない言葉が口から飛び出る。
自分が昔から、なんとなく思っていたことだ。
( ФωФ)「…?いや、寧ろ便利な方かと思いますけど……」
( ^ν^)「周りを見てみろ、ここから電車に乗るまでどれくらいかかる?」
歩きながら周りをぐるっと見渡してみる。
首の骨が折れそうになるくらいに高いビルの下には、スタイリッシュを気取ったガラスの看板が知並んでいる。
そこには随分と読みやすい大きさのフォントで“東京駅”だの“大手町駅”だの、300m先だのという情報が、日本語以外の言語でもご親切に書かれているのが見て取れた。
( ФωФ)「近いじゃないですか、それに地下もあるから、雨が降ってても行きやすいし…」
( ^ν^)「駅まではな。実際、電車に乗るとなったらめちゃくちゃ時間がかかる」
( ^ν^)「人だって夏の虫みたいに多いから、電車が来たところで乗れるか分からない。雨が降っても大丈夫というが、濡れた地下道なんて滑り易くてまったく便利じゃない。ビショビショの傘を持った奴らと電車に乗り合わせるのも最悪だ」
( ^ν^)「それに、どこもかしこも同じような建物ばかり。これなら、田舎の市役所案内の方が百倍は分かりやすいと思わないか?」
( ^ν^)「……どれだけ高いビルを建てようが、この街じゃ、大して目立たないだろうな」
僕の話を黙って聞きながら、杉浦は何かを考える素振りを見せる。
律儀なヤツだと思いつつ、僕は途中で進路を変えた。
77
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:59:38 ID:DrdBCTAo0
大通りのように大して舗道もされていない小道を歩く。
脇には手入れもされていない雑草が生い茂り、さっきまでよく見かけたような洗練された建物など何処にも見当たらない。
そんな小道を数分歩くと、目の前に小さな公園が現れた。
時世の煽りを受けたのか、小さな公園特有の簡易な遊具すらない。
隅っこに砂場と、小学生の身長くらいしかないジャングルジム。
この辺りに住んでいる子どもたちが心配になるくらいには、非常に簡素化された空間だった。
( ^ν^)「最近見つけたんだ。誰も来ないし、都会の喧騒も聞こえない。一人で考え事をするときに良さげだろ?」
臆することなく公園に入り、適当なベンチに座る。
一応行政の敷地ではあるのか、人が来ない割にはある程度清潔に保たれていた。
( ФωФ)「……あの先生、さっきの話の続きですが」
( ^ν^)「なぁ杉浦」
話を意図的に遮り、空を指差す。
真っ暗な、黒のインクが入ったバケツをひっくり返したような夜空。
小さな雲がシミみたいに漂うキャンバスの中心に、一つ、煌々と光る物体が浮かんでいた。
今日は、月に一度の満月の日であった。
78
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:00:13 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「月を綺麗だと思うか?」
上を見上げたまま杉浦に疑問を問いかける。
視界に彼の顔は映ってはいないものの、相当困惑した表情になっていることは容易に把握できた。
(; ФωФ)「えっ…?なんですか、急に」
( ^ν^)「いいから。難しく考えず率直に答えろ」
質問を投げかけ、数十秒の間、公園内には冬の夜らしい静寂が広がる。
都会の喧騒も、未だ慌ただしい残業の様相も聞こえない。
まるでここら周辺だけ、別次元に切り取られたのかと錯覚するほど不自然な静けさがあった。
(; ФωФ)「…綺麗だと思います」
杉浦の口から出た答えは、極めて単純なものだった。
奇をてらった訳でもなく、洒落を利かせた訳でもない。
実直な杉浦らしい解答だ。無論、僕が望んでいたのはまさにこういう答えだった。
学生時代の頃を思い出す。
授業中、生徒に質問をやたらと投げかけていたあの面倒な教授は、こういう気持ちだったのだろう。
79
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:00:49 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「そうか。なら、月が嫌いな人間はどれくらい居ると思う?」
( ФωФ)「そんな人ほとんどいないでしょう。いるとすれば、よっぽどのひねくれ者ですよ」
再び単純な質問をした。
そしてまた、返ってきたのは単純な答え。
僕は顔を空に上げたまま、脳内で纏めておいた文章を作業の如く口にした。
( ^ν^)「知ってるだろうが、月は別に、太陽みたいに自分で光ってる訳じゃない」
( ^ν^)「あれは、太陽の光を反射してるだけだ」
別に珍しくもなんともない。雑学の類にも入らない一般常識の知識。
月の光は月自身が放っている訳ではない。あれは、ただ太陽の光を反射しているだけだ。
その日の月が地球の周りのどこにあるか、ただそれだけの話に過ぎない。
もちろん、僕はそんな小学生でも知っている知識の再確認がしたい訳ではない。
ここでようやく、僕は月から杉浦へと視線を戻す。
ずっと空に向けていた首をさすりながら、不思議そうな顔をしている少年に改めて向き直った。
80
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:02:18 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「自分が光ってる訳じゃないのに、何故か世間は太陽じゃなくて月を褒め称えてる」
( ^ν^)「それどころか、“月光”だの“月明かり”だの“月下美人”だの、まるで光の主体が月であるかのような言葉だって言語圏を問わず山ほどある」
夜逃げを“ムーンライトフリット”と訳す大陸があるように。
女性を口説く時、“月のようだ”と褒め称える国があるように。
歴史ある儀礼から、普段何気なく使う言葉まで。
国や時代を問わず、月を神格化する風潮というのは人類の歴史上、よくあることだ。
( ^ν^)「本当は皆知ってる筈だ。月が光ってる訳じゃないと。なのに、皆が持て囃すのは月なんだ。なんでだと思う?」
( ^ν^)「僕からみれば大衆はまるで、盗んだ高級品を自慢する泥棒の方を褒めているように見えるんだがな」
月光を賛美するという風潮。それが僕は、昔から不思議で仕方なかった。
狂ったように月に意味を求める人々や創作を見る度に、もはや宗教染みた洗脳を見る時のような、そんなうすら寒さすら感じていた。
81
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:03:37 ID:DrdBCTAo0
(; ФωФ)「そ、それは……」
( ^ν^)「それは?」
(; -ωФ)「……月そのものが、綺麗に見える、から……?」
不安そうに自分なりの答えを述べる眼前の少年に、僕は軽く頷いた。
正解である。本人は不安そうにしているが、簡潔に言えばそれで合っている。
だが、それだけでは70点だ。
( ^ν^)「もう少し厳密に言ってみよう。月自身が光ってないことなんて、皆知ってる。なのにどうして、太陽ではなく、月そのものを褒めたがるのか」
( ^ν^)「月が光ってるみたいに見えるから。それでいい、正解だ。だけどまだ少し言葉が足りない」
( ^ν^)「…大雑把に言えば、単に面倒だからだ」
やや乱暴な物言いに、杉浦は要領を得ないといった顔をする。
それでもそこで口を挟むことなく沈黙に徹している様子が、まさに優等生といったところだなと思わせた。
82
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:04:32 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「大事なのは、ぱっと見なんだよ。分かりやすさ…明確さと言い換えてもいい。大衆にとって、重要なのはそこなんだ」
( ^ν^)「夜の満月がどう見えるか、それを見てどう思ったか。価値の核心というのはそこにある。本当に光ってるのは月かどうか、じゃない」
( ^ν^)「月がどう見えたか。真に大事なのはそれだけなんだ。それ以外はただの情報に過ぎない。意味どころか価値すらもない」
随分と乱暴な物言いを、少しも躊躇うことなく口にした。
聞く人によっては、相当に物議を醸す自論だろう。別に僕は言語学の研究者でも、歴史のスペシャリストでもない。
大した教養もなく、人の興味を惹く文章がどういうものかほんの少し知っているだけの、ただのしがない物書きだ。
杉浦の表情が、どんどん懐疑的なものになっているのが分かる。
さっきから一体何の話をしているのか。いつになったら自分の質問に答えてくれるのか。
彼の胸中では、そんな不満が渦巻いていることだろう。
(; ФωФ)「あの、それが一体――」
( ^ν^)「小説も同じだ」
耐えきれないといった様子で口を開けた杉浦を間髪入れず黙らせる。
随分と長く、迂遠な前振りになってしまったが、まぁよしとする。
自分は教師という職業には適していないのだろうな、という何の意味もない発見を得ながら、僕は杉浦の質問にようやく答えることにした。
83
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:05:05 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「小説も同じなんだよ。内容が、タイトルが、展開が、手法が、語彙が、結末が、どこか一つが、月光みたいに輝いていればいいんだ」
( ^ν^)「それの元ネタがなんだの、作家の意図だの、誰が書いただの、そういうのは全部、読者にとっては些事に過ぎない」
とんでもないことを言っている。
とんでもないことを、まだ若い、未来の作家の卵に説いている。
出版、執筆、美術、その他“創作”に類する者が聞けば怒髪天モノの考えだ。
だが、口を閉ざす気は一切ない。
彼と出会って一年。もうそろそろ、一切の忌憚なくアドバイスをしてもいい頃だろう。
仮にそれで失望されたとしても、どうでもいい。そもそも“良い教師であろう”なんて気は毛頭ない。
否定しようが、肯定しようが、それは彼の自由意思。
ただこれが、“新島ニュッ”という作家が辿り着いた、一つの創作論であるというだけの話だ。
84
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:06:04 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「どうすれば面白い話が書けるのかと聞いたな。答えてやる」
( ^ν^)「手段を選ぶな。使えるものはなんでも使え。自分の経験だけじゃなく、他人の経験も、作品も、思い出も、罪も、全部消費しろ。世界そのものを足蹴にしろ。燃料にしろ」
( ^ν^)「“これがこの作品の月光なんだ”と思ったら、それを多少形を変えて使えばいい。どこから引用したかなんて大衆にとっては関係ない。それを鋭敏に探し分ける能力を身に付けろ」
( ^ν^)「前に僕がお前に言った“飢えろ”ってのは、そういうことだ。今のお前にはそこが足りない」
( ^ν^)「そうすればある程度は、面白いと言われる作品を頻繁に書けるようになる。あの性悪編集に認められるかはさておき、まぁ…少なくとも、僕程度には成れる」
( ^ν^)「……以上。これが、お前の質問に対する答えだ」
言葉を失ったままの杉浦に「なにか質問は?」と尋ねる。
彼はしばらく黙って固まったあと、恐る恐るといった様子で口を開いた。
(; ФωФ)「…すごく、危険なことを仰ったように思えます」
( ^ν^)「そうか。しっかり伝わったようでなによりだ」
(; ФωФ)「……いや、というか、その、 」
(; ω )「今の口ぶりだと、その、先生は……」
85
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:06:55 ID:DrdBCTAo0
――まるで、“盗め”って言っているように、聞こえました。
震えた声が公園に響く。
失言をしたと思ったのだろうか。肌寒い春風が、頭を下げた杉浦の髪を撫でて去っていく。
よく分からない謝罪の言葉を述べる彼の頭部に向かって僕は「そうだ」と短く返答をした。
(; ФωФ)「………えっ…?」
( ^ν^)「そうだ。僕は、盗んでもいいと言った」
( ^ν^)「物書きらしい表現風に言うなら、“月になれ”と言ったんだ」
( ^ν^)「まぁ、長々と教師の真似事みたいなことを言ったが、要するに――」
( ^ν^)「“泥棒”になれ。それが一番手っ取り早い」
すっかり緑になった葉桜を風が運ぶ。
僕らの間を、数枚の葉が音を立てて過ぎていく。
夢から覚めたようにはっとした杉浦が声を荒げたのは、ようやく風が止んだ頃だった。
86
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:09:23 ID:DrdBCTAo0
(; ФωФ)「――それは、ダメ、でしょう!?」
杉浦らしからぬ、熱のこもった大声が夜の公園の中に木霊する。
僕はそれに何も言わない。ただ目だけで「何が」と問いかける。
言葉で干渉するまでもなく、彼はわなわなと言葉を絞り出した。
(; ФωФ)「それはっ…!それは、もはや“盗作”だ!“創作”じゃない!」
(; ФωФ)「自分が、自分がやりたいのは、そんなのじゃ――!」
( ^ν^)「何が違うんだ」
走っている途中に足をかけられた子どもみたいに、杉浦の勢いが止まった。
( ^ν^)「“盗作”と“創作”、何がどう違うんだ」
( ^ν^)「僕も昔からずっと気になっている問題なんだ。答えてくれ、どう違う?」
質問する側と答える側が一転、さっきまでとは立場が丸ごと変わる。
月光が照らす僕らの影の伸びる方向すら、いつの間にかここに来た時とは違っていた。
87
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:10:51 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「例えば、『神様のカルテ』って小説があるよな。お前が昔、好きな小説の一つだと挙げていたやつだ。面白いよな、僕も好きだ」
『神様のカルテ』、古風な青年医師を主人公とした小説だ。
小難しい表現を用いて難解な医療の描写をしているにもかかわらず、不思議と読みやすい文体と親しみやすいキャラクターが評判の作品。
いくつか賞を取ったどころか、漫画化や映画化など、幅広いメディアミックスもされたことも記憶に新しい。
自分にとっても、好きな小説の一つである。
(; ФωФ)「……それが、なんですか」
( ^ν^)「あれは“創作”か?」
(; ФωФ)「それは、そうでしょう。巧みな語彙と、それでいて読みやすい流麗な文章と医療描写。あれはれっきとした“作品”で――」
( ^ν^)「各話のタイトルはどれも、夏目漱石の作品そのままなのにか?」
杉浦の言葉が止まる。
やはり彼は聡明だ。どうやら、今の一言で僕の言いたいことに気が付いたらしい。
88
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:12:04 ID:DrdBCTAo0
(; ФωФ)「…いや、あれはオマージュとか、引用で」
( ^ν^)「アイデアや言葉を盗んでいることには変わりないよな?ただ元ネタを明かしただけで、それは“盗作”から“創作”へと変わるのか?」
(; ФωФ)「…っ!いや、盗作には悪意が……!」
( ^ν^)「それはどうやって証明するんだ?法律学のように、一定の定義や要件があるのか?それに従えば、明確に線引きが出来るのか?」
( ^ν^)「というか、じゃあ百歩譲ってオマージュ、リスペクトだと認められたとして、その作者が“悪意をもって書きました”と言えば、どんなに面白い作品でも“盗作”に成り下がるのか?」
杉浦の口はパクパクと魚のように開いたまま。だが、そこから何か言葉が飛び出てくる様子はなかった。
89
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:13:29 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「…さっき居酒屋でかかってたパッヘルベルのカノン、良い曲だよな」
(; ФωФ)「…そう、でしたね」
( ^ν^)「あれも、盗作だったらどうだ?」
僕の言葉に、杉浦は不思議そうな顔をする。
だが、その次の瞬間、みるみる顔が青白くなっていった。
( ^ν^)「あれは原曲じゃない。というか、お前や世間がイメージするカノンは大抵“パイヤール盤”、要するに、オリジナルじゃなく、オマージュ…アレンジされたものだ」
( ^ν^)「さて、じゃあ盗作だとして、あのカノンはダメな作品になるのか?許されないと?」
聞く人によっては、ただの泥棒の言い訳にしか聞こえないような論理だ。
それは自覚している。それでも、僕は大真面目に言っている。
騒がしい都内とは思えないほどに静かな広場で待つこと数分。
どれだけ待っても、眼前の少年からはもう、何かしらの応えが返ってくる気配は伺えなかった。
90
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:14:23 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「…僕はな、“盗作”と“創作”に、大した違いはないと思ってるんだ」
少しいじめすぎたかと反省しながら声を発する。
ここまで言っておいて、何も示さないのは流石に不真面目が過ぎるというものだろう。
“これすらも僕の自論だが”という前置きを置いた上で、僕は続けて講釈を垂れることにした。
( ^ν^)「そもそも、“完全オリジナルの作品だ”って作家が言ったものすら、結局はその人が今まで培ってきた人生で出来てるだろう?」
( ^ν^)「その人が好きなもの、嫌いなもの、聞いたことのある音楽、読んだことのある話や表現…そういうもの蓄積で出来てる、出来てしまう。なら結局、人の手で生み出されるものは必ず、別の作品の要素を含むものになる」
( ^ν^)「そもそも、創作の歴史っていうのは途方もなく長いものだ。なら、“これは斬新な表現だ”って自分では思っても、それはほぼ確実に、一度は、創作という歴史の中で現れた手法に違いない。そう考えると、もはや“盗作”じゃない“創作”はあり得ない」
そこで一旦言葉を区切る。
丁寧に説明しようとして、また遠回しな表現になっている。
自分の悪い癖だ。分かりやすく、情景が目に浮かぶように文章を書こうとして無駄な言葉を使いすぎて、却って分かり辛くなる。
用心しないとなと自身を心中で戒めつつ、また改めて言葉を紡いだ。
91
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:15:27 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「二つの違いを強いて挙げるとするなら…“意図的にやったか”ってことだ。そしてそれはただの情報でしかない。作品の本質には何ら影響を及ぼさないものだ」
( ^ν^)「だってそうだろ?例えば、そうだな…お前が、“月光”って言葉の響きや表現が綺麗だと思ったとしよう」
杉浦の目を真直ぐに見据える。
( ^ν^)「その言葉の引用元が、とある小説の一ページからだと作者から明かされたとして」
( ^ν^)「そんなただの情報が、“綺麗だな”って感じたお前の感情を否定するものに成り得るか?」
( ^ν^)「“綺麗だ”と感じたお前の感想は、感情は、想いは、間違ったものだと言われて納得できるか?」
長ったらしい僕の質問に、杉浦はしばらく考える素振りを見せる。
そして、彼はゆっくりと、自前の首を左右に振った。
( ^ν^)「大事なのは、その作品の“本質だ”。どこから盗ってきたものなのかだの、誰が書いただの、そんなのは全く関係ない。」
( ^ν^)「それが理解できるようになれ。何が“月明かり”なのか、どうして“綺麗”なのか、どういうものが大衆にとっての“月光”足りえるのか、分析できるようになれ。自分の血肉に出来るようになれ」
( ^ν^)「…結局、僕がお前に教えられるのは、それくらいだ」
“終わりだ”と短く呟き、はぁっと力強く息を吐き出す。
何とも言えない渇きを感じながら、久しぶりにこんなに話したなと喉を押さえた。
92
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:16:21 ID:DrdBCTAo0
杉浦を見る。月明かりがよく通る晩だ。外灯が少ない公園でも、彼の表情がよく見える。
理解は出来ない。賛同する気も、肯定する気も全くない。
だが、不本意ながらも納得は出来た。そういった顔だった。
( ^ν^)「…じゃ、帰るか。もう暗い、タクシーくらいは呼んでやる」
ポケットからスマホを取り出し、使い慣れたアプリを起動する。
俊敏な動きで指を動かしている途中、ふと、影がこちらに近付いているのが見えた。
( ФωФ)「…先生、もう一つ、質問いいですか」
( ^ν^)「なんだ」
液晶画面を見つめながら聞く。
スマホには、「約10分ほどで到着します」という文章が浮かんでいた。
( ФωФ)「さっきの説明、先生は月を例え話に使ってましたね」
( ^ν^)「…あぁ。分かりやすい例えだと思ったからな」
( ФωФ)「それで、前から疑問に感じてたことを思い出したんです」
“前から”という言葉に引っかかりを感じ、僕はスマホからゆっくりと顔を上げた。
93
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:17:28 ID:DrdBCTAo0
( ФωФ)「先生の作品にも、よく月の描写が出ますよね」
そう言われて、自分の書いた作品を思い返す。
僕はあまり、一度自分が書いた作品には頓着しない人間だ。
使った語彙や表現、例え話などはそもそも大抵、他の作品から引用したものだ。
自分の作品を読み返すのは精々、何かシリーズ物を執筆したときくらい。
だが、指摘されて思い返すと、確かにいくつか思い当たるフシがある。
というか、先日締切ギリギリで出した短編小説も、月をテーマの一つに添えていたなと思い出した。
( ФωФ)「この前の新作とか、なんなら、先生の処女作にも出てました」
( -ν^)「……そうだっけか。まぁ、それがどうした?」
再び視線をスマホに戻す。
この短時間で、先ほど示されていた待機時間は5分も縮まっていた。
( ФωФ)「やっぱりあれは、月明かりに対して、何か思い入れがあるから…」
( ^ν^)「別に」
短く、なおかつ、迅速に答えた。
94
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:18:56 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「僕は別に、月を綺麗とは思わない。あれ単体に興味はないし、今までの人生の中で月に何かしらの魅力を感じたことは一度もない」
( ^ν^)「馬鹿の一つ覚えのように月明かりを描写する創作家どもを見る度に、芸がないとすら思う。全くもって理解なんて出来ないな」
口早につらつらと讒言を垂れる僕に、杉浦は再び言葉を失ったようだった。
それもまぁ、仕方のないことだろう。
さっきまで熱心に月を比喩に用いていた人間が、それどころか、自分の作品にすらよく使っている人間が、全く真逆のことを口にしたのだ。
矛盾にも程があるというもの。面食らって当然だ。
( ^ν^)「いいか杉浦、“面白い話を書く方法”と“書きたい話を書く方法”は違う」
( ^ν^)「僕が月を創作に用いるのは、主に前者が理由だ。他に大した意味はない」
( ФωФ)「いや、それにしては、頻度が…」
( ^ν^)「ないと言ってるだろう。そんな下らない質問、固執する時間がそもそも無駄だ」
ぶっきらぼうに言い放ちながら、ちらりと彼に視界のピントを合わせる。
さっきとはまるで違う、理解も納得も出来ていないという表情が浮かんでいるのが見て取れる。
別にそれでいい。これ以上、この話を詰めるつもりもない。
もうすぐタクシーが来る。それに彼を押し込んで今日は終いだ。
そもそも実際、大した意味はない。彼のこれからの執筆活動になにか影響を与えるとも思えない。
いちいち、わざわざ、口にする価値なんて毛ほども――。
95
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:19:55 ID:DrdBCTAo0
『貴方は、昔から嘘が下手ね』
ふと、懐かしい声が頭に響いた。
ζ(― *ζ『変なところで意地を張って、嘘を吐いて』
ζ(― *ζ『でも、それが本当に下手。私でも簡単に見抜けちゃうくらいに』
ζ( ワ *ζ『…まったく、子どもの頃からずっと、不器用なんだから――』
折り紙で作られた風車を回したような、楽し気な声色が鼓膜を揺らす。
一瞬、奥にある何の変哲もない木に、満開の桜が咲いているように見えた。
96
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:20:37 ID:DrdBCTAo0
幻覚だ。幻聴だ。
目を瞑り、深呼吸を繰り返す。
頭部を少しポリポリと掻いた後、僕は地面を見つめながら、観念した被疑者のような心持ちで声を発した。
( ν )「……難しいのは、後者なんだ」
( ФωФ)「えっ?」
もう僕は何も言わないと思っていたのだろう。
間の抜けた声が、地面の砂場に転がった。
( ^ν^)「“書きたいものを書く”…これが案外難しい。物書きなんて仕事を長くやっていることの弊害なのかは分からないが」
( ^ν^)「“灯台下暗し”とはよく言ったものだ。自分が何を求めているのか、自分のことなのに分からなくなる。僕もこの方法は、未だに答えが出せてない」
そこまで言って再び閉口する。
また自分の悪い癖が出ていた。僕が言いたいことは、言わなくてはいけない“答え”はこれじゃない。
もっと簡潔に、分かりやすく、正直で無邪気な、子どもみたいに。
97
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:21:14 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「……僕が知りたいのは、月が綺麗な理由じゃない」
( ^ν^)「月を綺麗だと思えた理由だ」
左手の薬指をぎゅっと握りしめる。
今でも未練がましく輝く、プラチナの指輪。
( ν )「月が光ってる訳じゃないと知っていて、ただ太陽の功績を借りているに過ぎないと分かっていて」
皆から賛美されている人間が、本当は只の泥棒に過ぎないと分かっていても。
誰もかれもが指を差し、石を投げている世界の中でも。
月明かりが、ハリボテの照明に過ぎないと知っていても。
誰も見向きもしなかった、陳腐でつまらない話でも。
それでも。
98
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:22:01 ID:DrdBCTAo0
( ν )「…“月が綺麗だ”と胸を張って言えた、その理由が知りたいんだ」
( ^ν^)「それを知るために、まだ書いてるんだ」
手のひらのスマホが数回、震えた。
ふと、近くから車のエンジン音が近づいてくるのが分かる。
スマホから目を離し、上を見る。
一切の欠けが見当たらない満月が、煌々と輝いているのが見える。
良い月だ。
素直にそう思えるほどに、美しく、丸い月だった。
99
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:22:37 ID:DrdBCTAo0
*
機械音が鼓膜を揺らしていることに気付き、動かしていた手を止めた。
無造作に投げ捨てていたスマホを手に取り、画面を見る。
そこには、忌々しい編集者の名が表示してあった。
どうせここで居留守を使っても、今度は直接ここに来るだけだろう。
ここで通話に出ることと、この家に押しかけられることを天秤にかけて逡巡すること数秒。
左に傾いた天秤に従い、僕は嫌々ながらも空いていた左手で通話ボタンを押した。
100
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:23:55 ID:DrdBCTAo0
( ^”ν^)「……もしもし」
( ・∀・)「あっ!お疲れさまです先生〜!今日は出てくれるの早いですね〜珍しい!」
電話口から、やけに明るい森野の声が聞こえる。
思わず通話終了のボタンを押しそうになった指をグッと堪え、引き続きスマホを耳元に当てた。
( ^ν^)「やかましい。さっさと要件だけ話せ」
( ・∀・)「うっげぇ冷たい!先生のために文字通り魂を削ってる専属の編集になんて物言いを…」
( ^ν^)「執筆中なんだ。切るぞ」
( ・∀・)「えっマジすか?またまためっずらし」
( ^ν^)「切る」
(; ・∀・)「わ〜!!待った待った!!言います言います!」
スマホ越しに慌ただしい声が聞こえてくる。
このわざとらしい緩急も彼の人心掌握術の一つなのだろうなと思うと、余計に腹立たしく思えた。
101
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:24:33 ID:DrdBCTAo0
( ・∀・)「杉浦くん、どうです?この前のコンペから、調子良くなったと思いません?」
森野からの質問に短く「ああ」と答える。
どうやら、僕が彼に何かしらの話をしたと勘付いたのだろう。
もしその“話”とやらが、作家の卵を潰す類のものであるなら編集者として見逃すわけにはいかない。
それの確認といったところだろう。全く、どこぞの編集長よりもずっと頭の回る男だ。
( ^ν^)「……僕なりの“書き方のコツ”を少し教えただけだ。後はあいつの素養だよ」
( -∀・)「…へー、教えたんですか?やっぱり一年も一緒にいたら多少なりとも師匠としての自覚が……」
( ^ν^)「違う。切る」
(; ・∀・)「ウェイトウェイト!!ジョークですよ先生、編集者ジョーク!やだなぁもー!」
海外のコメディ俳優を彷彿とさせる笑い声が耳に届く。
次に何かめんどうな事を口走った瞬間切ろうと心に決めた。
102
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:27:53 ID:DrdBCTAo0
( ・∀・)「……ま、それなら良かったです。どっかに先生のことを吹聴されたら困るなーって思ってましたけど、その心配はひとまず要らなそうですね」
( ・∀・)「勝手に失望するとか、筆折るくらいならいいかなーって感じだったんですけど、まさかプラスになってくれるとは思いませんでした」
( ・∀・)「いやぁ、“良い”ですねー杉浦くんも、個人的には先生ほどじゃありませんけど」
さらっと伺えた森野のおそろしく利己的な性格に眉をひそめて舌打ちをする。
出会った頃から何ら変わらない。悪魔を思わせるような言動理由。
( ・∀・)「俺が一番、先生の作品を楽しみにしてるんですから。書き終えるまでに、変なやらかししないでくださいよ〜?」
( ^ν^)「ならあんな奴の面倒を押し付けてくるな。真面目過ぎて肩が凝るんだよ」
( -∀・)「まぁまぁ。何だかんだでちゃーんと、“先生のため”になってるでしょう?」
通話中、二度目の舌打ち。
口惜しいが、こいつの手腕と先を見る目は本物だ。
これで自分より年下だというのだから、世の中は全く油断ならないと評する他ない。
103
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:28:59 ID:DrdBCTAo0
( ・∀・)「…じゃ、本題です。といっても簡単な確認ですけど」
( ・∀・)「――例の小説、進んでます?」
森野の声のボリュームが一回り下がる。
いつになく真剣な問いであることが、電話越しの声色でも分かる。
( ^ν^)「……」
すぐに返答しないまま、僕は右手に握っていたままの万年筆を離す。
そして、作業机の上から二段目の引き出しを開けた。
その更に奥、指にコツンと当たったそれを握り、引き出しからゆっくりと取り出す。
( ^ν^)「……あぁ、順調だよ」
( ^ν^)「これは嘘じゃない、この調子なら、思ったより早く書き上げられそうだ」
そう言うと、電話の向こうで森野がクスリと笑ったのが分かった。
104
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:30:28 ID:DrdBCTAo0
( ・∀・)「…オッケーオッケー、それならいいです」
( -∀-)「小説、心底楽しみにしてますよ。新島先生」
森野からの「失礼します」という言葉で通話が終わり、無用となったスマホを机の上に置く。
空いた方の左手で頬杖をつきながら、僕は自身の右手を見る。
自然と口角が上がってしまったのを自覚しながら、それをクルクルと片手で回す。
――指先には、手のひらに収まるサイズのUSBメモリが握られていた。
105
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 02:04:32 ID:DrdBCTAo0
>>89
×( ^ν^)「…さっき居酒屋でかかってたパッヘルベルのカノン、良い曲だよな」
○( ^ν^)「…この前行った居酒屋でかかってたパッヘルベルのカノン、良い曲だよな」
ミスがありました。申し訳ない…。
106
:
名無しさん
:2023/12/22(金) 21:53:15 ID:gipnhPGk0
乙乙
107
:
名無しさん
:2023/12/23(土) 00:16:01 ID:qVDy7ni60
おつ
108
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:35:09 ID:xVkuW.I60
幼い頃から、記憶力だけには自信があった。
無論、テレビ番組とかで取り上げられる海外の天才とか、そういう怪物たちと比べれば流石に劣る。
どこぞの海外文学の文章を最初から最後まで一字一句違わず書き写したり、一度見た景色を完璧にそのまま絵に描いたりと、そういう神様染みたものじゃない。
だがそれでも、一般的な大多数の人たちがするような努力が些か不要になるくらいには、自分は記憶する力に長けていた。
視界の隅に映った車のナンバープレート。気に入った本の一文。感動した絵。数ヶ月おきに様相が変わる街並み。お気に入りの喫茶店で流れるポップソング。日が沈みきる前の茜色。
十年以上前の出来事だったとしても、それが何年何月何日何曜日のことだったのかくらいまでなら、いつでも瞬時に思い返すことが出来る。
生まれた環境も、容姿も、性格も、何にも恵まれなかった自分にとっては、それだけが唯一誇れる特技だった。
けれど、所詮は“他人より少し物覚えがいい”程度の能力だ。
生まれてから見てきた景色の全てを網膜に焼き付けているのかと問われれば、にべもなく首を横に振るしかない。
109
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:36:10 ID:xVkuW.I60
現に僕は、自分が本を好きになったきっかけを覚えていない。
唯一の肉親である父が家を空けがちで、寂しさを紛らわせるため、幼少の頃は家にあった絵本をずっと読んでいたからだろうか。
小学生になっても周りに馴染めず、それでいて家に帰りたくもなく、逃げるように図書館に引き篭もっていたからだろうか。
いくつか推論は立てられるが、どれもイマイチしっくりこない。
どれもが正解なのかもしれないし、間違いなのかもしれない。
とにかく僕は、物心がついた頃からずっと、中毒者のように本を読む人間だった。
クラスメイトと目を合わせた回数より、本を開いた回数の方がずっと多いという確信がある。
大人になった今でも、かつて同じ学び舎にいた人々の名前より、学校の図書室に並んでいた児童書のタイトルの方がずっと覚えている。
いくら記憶力に長けているといってもこの程度。
唯一の特技ですらこの程度だという事実に、我ながら呆れてしまう。
110
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:36:32 ID:1dCNtr3A0
おっしゃ待ってたぜ
111
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:37:17 ID:xVkuW.I60
僕は、僕が本を好きになった理由を覚えていない。
かつてのクラスメイト達の名前や顔も、とんと記憶にない。
テストで良い点数を取るために必要な努力が他の人よりも少なくて済む。言ってしまえば、その程度の記憶力。
それでも、一番最初に自分で書いた話だけは、今でも鮮明に覚えている。
誰に頼まれた訳でもない。
自分も作家になりたいと、幼心に夢想した訳でもない。
けれど、気が付けば自分は手を動かしていた。
中途半端に使わなくなったノートの余り。自分の人差し指よりも短くなっていた鉛筆。ほとんど欠片ほどの大きさまで縮まった消しゴム。
そんな惨めな道具を並べて、悪霊に憑りつかれたかの如く一心不乱に、昔の自分は何かを書いていた。
112
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:38:52 ID:xVkuW.I60
僕は今、”それ”を見ていた。
眼前に、よれよれのシャツを着たまま机に向かっている少年が見える。
正確には、少年と呼ぶには些か成熟しており、青年というにはあまりに年若い。
それくらいの年頃の子が、どこか懐かしい匂いのする一室に座り込んでいた。
(; ν )っ|
僕だった。
今目の前にいるのは、紛れもない、中学生の頃の僕だ。
文字を書き、時折止まり、頭をガシガシと掻いたかと思えば消しゴムを動かし、面倒そうにカスを払って、また鉛筆を持った手を動かす。その繰り返し。
卓上に積まれた消しカスの量が、彼の作業時間の長さを優に物語っている。
そして、大人の僕は何もせず、黙ったまま、嘗ての自分の背中を眺めていた。
113
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:39:55 ID:xVkuW.I60
ふと、何か大きな物音がした。
音が聞こえた方を見ると、窓ガラスが外の風に吹かれてガタガタと揺れていた。
お世辞にも、裕福とは言えない住まいだ。インターネットで「あばら家」と調べれば、ここが出てくるだろうと思えるようなアパートの一室。
窓は汚れていて、上手く外の様子は見えない。それでも、ギシギシと揺れる窓ガラスや壁の様子から、外では相当強い風が吹いているのだろうことが見て取れる。
とても作業に集中できるような環境ではない。
外からの音は鼓膜を破りそうに五月蠅く、当時の建築基準法に適うかどうかすら不安になる壁や床は、物理的にギシギシと揺れている。
それに、昔の自分が向き合っている机は、中学生はおろか、小学生が使っているような学習机ですらない。
ただのちゃぶ台だ。
それも、所々にヒビが入っている上に、足は一本途中で欠けていて傾いている。
そんな劣悪な環境の中でも、少年はまるで集中を切らすことなく物語を紡ぎ続けていた。
少年に一歩近づく。床が軋むことはなく、僕の歩数は何故か音にならない。
上から、ノートを覗き見る。
ひどく既視感のある文字が、見覚えのある展開を綴っている。
一体、何が彼をこうさせているのだろう。
どうしてこの頃の自分は突然、物語を書こうだなんて思い、行動に移したのだろう。
上から堂々と盗み見をしながら、他人事のような考えが頭に浮かぶ。
中学の課題とかではなかった筈だ。
そもそもこの頃は確か、受験を控えた3年生の夏前で、過度な課題やホームワークはなかった時期。
僕は何処かの部活に入っていた訳でもないし、誰かに強制された覚えもない。
頭を捻りながら、僕は嘗て住んでいた我が家をぐるぐると歩く。
壁にかけられたカレンダーには、僕の記憶の中では疾うに過ぎた筈の四桁の数字と共に、水色の文字で「七月」と記されているのが見える。
微塵も床が軋む音がしないまま、ただただ外の雨風がアパート全体を揺らす音と、鉛筆が走る音だけが聞こえる。
114
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:40:58 ID:xVkuW.I60
ふと、視界の隅で、何か白いものが風鈴のように小さく揺れるのが見えた。
花だった。
こんなオンボロで汚れた空間には全く似合わない、白く気高い、綺麗な一輪の花。
ラベルを剝がされたペットボトルに活けてあるその白花は、暗闇を照らすフィラメントのように輝いているように感じる。
「これは何の花だろうか」と近付き、まじまじと見る。
心が落ち着くような香りを感じられる距離まで狭めて、ようやく分かった。
アネモネだ。季節的には春、四月から五月にかけて咲く花。
そこまで珍しい花でもないが、七月の今の時節に花屋以外で見かけることはあまりない。
やや時期外れだというのに、その花弁には毛ほどの萎れも見当たらない。
花瓶代わりのペットボトルに入れられている水にすら濁りがない。日頃から相当に丁寧な手入れがなされていることが分かった。
115
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:42:23 ID:xVkuW.I60
そういえば、アネモネの花言葉は何だっただろうか。
いや、そもそもこの花は、どうしてうちにあったのだろうか。
意識を遥か過去に飛ばし、ゆっくりと記憶の紐を解いていく。
そして、僕は唐突に思い出した。
こんな荒れた部屋でも絢爛に咲く白花を、誰から貰ったのか。
中学三年生だった頃の僕は何故、こんなにも必死に物語を綴っていたのか。
僕はどうして、興味もない筈の花の名前を、今でも覚えているのだろうか。
再び窓を見る。
汚れが比較的ない僅かな隙間から、無数に降り注ぐ雨粒が見える。
どうして忘れていたのだろう。
どうして今更、思い出したのだろう。
どうして、もっと大切にしなかったのだろう。
そうだ。そうだった。思い出した。
116
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:42:57 ID:xVkuW.I60
確かあの日も、今日みたいな、強い雨風が吹いていた。
117
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:44:22 ID:xVkuW.I60
第二話"風早み"
118
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:45:41 ID:xVkuW.I60
ζ( ー ;ζ「――ねぇ、早く早く!間に合わないよ!」
どこからか、切羽詰まった声が聞こえた。
はっとして顔を上げる。
途端、全身に鉛が巻き付いたかのような重さを感じる。
身に着けている衣服はビショビショで、上空からは針のような雨粒が無数に降り注いでいる。
顔を空に向ければ、とても七月とは思えないような曇り空が果てしなく続いていた。
ζ( Д ;ζ「ちょっと、なんで止まってるの!ほら!」
雨の中、よく耳に馴染む声が、再び耳の奥を刺激する。
日常の位置に視線を戻し、声の主を確認しようとした。
だが、上手くその相貌は伺えない。
異常なまでに強い雨風と、しばらく切っていない前髪から滝のように水が流れているせいだ。
119
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:46:48 ID:xVkuW.I60
そうこうしているうちに、鞄を持っていない方の左手をぎゅっと掴まれる。
上手く現状を理解しきれないまま、焦ったように走る彼女に従って、僕も両の足を忙しなく動かす。
びちゃびちゃと、足が地面に着地する度に水が跳ねた。
道路は既に川のように変貌しており、更には靴の中で水溜まりが出来ている。
上手くいつも通りに足を動かせないながらも、僕は目の前の少女を真似るように、懸命に駆けた。
ζ( Д ;ζ「あっ…!」
僕を引っ張っていた少女の足がピタリと止まった。
落胆や失望の感情が色濃く表れた声に、僕はどうしたのだろうかと顔を上げる。
その疑問はすぐに溶けた。
とんでもない雨風の中、懸命に目を凝らして先の風景を確認する。
朧気な視界の先で、人工的な光が段々と小さくなっていくのが見て取れる。
そうだ。あれはバスだ。
僕と彼女がほぼ毎日、通学のために使っているバス。
それが今、僕らを置いて無情にも出発したのだ。
120
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:47:41 ID:xVkuW.I60
ζ( ー ;ζ「行っちゃった…そんなぁ……」
息を切らしながら少女は僕から手を離し、トボトボと肩を下ろして歩く。
バスの時刻が書いてある停留所のすぐ隣。
“待合所”とは名ばかりの、まるで手入れがされていない、ただ屋根があるだけのスペース。
ζ( 、 *ζ「……しょーがない、座って待とっか」
やや残念さが伺える声を漏らしつつ、彼女は待合所へと歩を進めた。
早足のまま駆ける彼女に続いて、屋根の下に入る。
まあまあ広めの待合所の中には、僕ら二人以外に誰もいなかった。
見慣れた木製の固い長椅子、その奥には錆びだらけの傘立てがポツンと置かれている。
屋根と椅子しかない空間には当然、空調設備らしきものは見当たらず、じめじめとした不快な湿気が満ちていた。
121
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:49:19 ID:xVkuW.I60
ζ( ー *ζ「はぁ〜………」
ζ(゚ー゚*ζ「結局間に合わなかったね、ニュッ君」
さっきからずっと一緒にいた少女とようやく目が合った。
自分の数倍はあるであろう大きな両の瞳、綺麗な鼻筋に、小ぶりな唇。
二つ結びにした淡い栗色の髪先からは、ポタポタと雫が垂れている。
とてもバスに置いて行かれた哀れな少女とは思えないほどに、頑是ない笑顔。
彼女の顔を真正面から見た、その瞬間。
全身に、雷そのものが流れたような衝撃が走った。
喉が詰まって言葉が出ない。
瞬きすら惜しいと思えるほどに、彼女の顔から目が離せない。
何よりも、見慣れている筈のその表情に、なんと言えばいいのか分からない。
昨日も見た筈だ。一昨日も、先週も、先月も、去年も。
いや、もっと。もっと前から見てきた筈だ。
十数年以上前からずっと、僕は彼女の顔を見続けてきた。
今更、彼女の笑顔一つに動揺する理由など、ない筈なのに。
122
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:50:58 ID:xVkuW.I60
ζ(゚、゚*ζ「……?」
ζ(゚、゚*ζ「ニュッ君?どうしたの?」
鈴を転がしたような彼女の声が、じんと心に染み入った。
自分を君付けで呼ぶ人間は、記憶の限りたった一人しかいない。
3歳の頃から付き合いのある、自分にとっては唯一手放しで友人と呼べる少女。
( ^ν^)「…………デレ」
喉の奥からなんとか絞り出せた声は、ひどく口触りの良い、彼女の下の名前だった。
“照屋デレ”。十年以上の付き合いがある、僕の唯一の友人で、幼馴染。
ζ(゚、゚*ζ「…?さっきからどうしたの、ぼーっとして」
大きな瞳を丸くしたまま、彼女は不思議そうに首を小さく傾ける。
嫌というほど見慣れた筈の彼女の仕草が、何故だか、泣きそうになるくらいに懐かしく思えた。
123
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:52:17 ID:xVkuW.I60
ζ(゚ー゚*ζ「ほら、貴方も座りなよ。次のバスまでえっと…」
様子がおかしい僕を不必要に追及することなく、彼女はいつも通りだった。
僕を隣に座るよう促しながら、デレは鞄から出した携帯を慣れた手付きで操作する。
こんな田舎に住んでいる学生にしては珍しいアイテムだ。
家が経済的に貧しい僕はおろか、クラスメイト達だって持っていないだろう。
ζ(゚―゚;ζ「…うわ!警報出てる!次来るのは…2時間後!?」
ζ(゚、゚;ζ「えっ嘘どうしよう…!ど、どうするニュッ君!?」
( ^ν^)「…いや、どうするって…なら、ここで2時間待つしかないだろ」
「歩く訳にもいかないし」と付け加えつつ、僕は一つ席を空けて、彼女の近くに腰掛ける。
右隣りを見ないように視線を逸らしながら、髪に溜まった水を手で払った。
足元に落ちた水滴を呆と見ながら、僕は自分の記憶をゆっくりと想起していく。
そうだ。
僕らは確か、通っている中学から自分たちの家へと帰る途中だったのだ。
124
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:53:34 ID:xVkuW.I60
僕らが通う学校と住んでいる家は、お世辞にも近いとは言えない。
バスに揺られる時間と徒歩にかかる時間を合わせれば、2時間ギリギリかかるかどうか。
学校を出たのが 18時手前だったから、デレがさっき言った遅延を含めればおそらく家に着くのは夜の22時を回るだろう。
不便なことこの上ないが、咲く場所を選べない花と同様、人間も生まれる場所は選べない。
どんなに田舎だろうが、どんなに交通手段に乏しかろうが、甘受しなければならないことでこの世の中は溢れている。
それに、人間というのは順応性に長けた生物である。
あれだけ不便だったこの通学にも、流石に3年目ともなれば2人揃って慣れてしまっていた。
ζ(゚ー゚*ζ「あ、お父さんから連絡来てる…」
外で降りしきる雨音と、デレが文字を打つ音が待合所の中で反響する。
自分は一度も持ったことのない彼女のピンクの携帯もまた、何故だか懐かしく思える。
この待合所に人は来ない。
というかそもそも、僕ら以外に使ってる学生を見たことがない。
田舎といっても、ほとんどは中学から徒歩圏内の所に住んでいる学生が殆どだ。
一時間に一本しか来ないようなバス停を使ってまで通学する生徒など、3学年全員を合わせても自分とデレくらいのもの。
学区ギリギリの辺鄙な場所に住んでいる、自分たちの運が悪いのだ。
125
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:55:03 ID:xVkuW.I60
ζ(゚―゚;ζ「うわ、見てよニュッ君。制服絞れちゃう!すっごい雨だよね〜」
( ν )「……一々報告すんな、やめろ」
ζ(゚、゚*ζ「え?なんで?というか、貴方も服とか絞った方がいいよ」
ζ(゚ー゚*ζ「風邪ひいちゃっても知らないんだからね!」
まるでこちらの意図を汲もうとしないデレから視線を逸らす。
いくら気心知れた幼馴染といっても、いつまでも昔のままという訳にはいかない。
幼い頃とはまるで異なる体つきに成長した彼女の肌は、今の自分にはあまりに刺激が強すぎる。
だが、いくら指摘をしても彼女は改善しようとせず、昔の距離感のまま接してくる始末。
時折クラスの男子に言い寄られているのだから、自分の女子としての価値は分かっている筈。
それなのに、こうして何の躊躇いもなく肌を見せてくるのは如何なものだろうか。
ζ(゚ー゚*ζ「ありゃ、ソックスもダメだ…気持ち悪いし、脱ごっと」
絹が擦れる音が否応にも耳に届く。
エアコンの一つはおろか満足な壁すらもない。雨風を完全には凌げない、屋根だけの待合所。
そんな劣悪環境を踏まえれば当然、隣から聞こえてくる幼馴染の動作音は嫌というほど聞こえてくる。
126
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:56:20 ID:xVkuW.I60
僕は少し身体の向きを変え、他のことをして気を紛らわせようと、隣に置いていた鞄を開けた。
必要最低限の教科書やノートの奥、大切にしまってあった本を一冊取り出す。
“永日小品”。
日本を代表する文豪、夏目漱石の短い作品集である。
趣味も特技も人並みに持ち合わせていない人間である僕にとって、読書は数少ない趣味の一つだった。
物語なら何でも好い。
恋愛でも、ミステリーでも、ホラーでも、悲劇でも、ギャグでも、詩集でも、何でも。
それが何かしらのストーリーを構築しているのならば、それだけで手を伸ばすに足る。
分かり切ったことしか耳に入らない授業、何の中身もないことを都度繰り返す同級生たち、たまに帰ってきたかと思えば聞くに耐えない罵詈雑言を吐き散らす父親。
僕を取り巻く現実があまりに詰まらないのか、僕自身が詰まらないのか、創作というものが持つ特性があまりに魅力的なのか。
正直、理由はどれでもいいし何でもいい。
欲を言うのなら、一日中ずっと本を読んで過ごしていたいくらいだ。
中学に入ったばかりの頃にデレから貰った、白い花の栞が挟まれているページを開く。
目に入ってきた短編のタイトルは“泥棒”。
夏目漱石が書いた小品の中でも、特にお気に入りの話の一つだ。
127
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:57:49 ID:xVkuW.I60
ζ(゚、゚#ζ「――こら、また本なんて読んで!」
再び侵入してきた二人目の泥棒の正体が明らかになるという終盤。
この短いながらひどく明瞭で美しい物語の緞帳は、無残にも無下なやり方で降ろされた。
顔を上げると、僕から無理やり本を奪い取ったデレの顔があった。
昔、彼女から貰ったアネモネを思わせるほどに白い頬が、風船のように膨らんでいる。
( ^”ν^)「……なにすんだよ、返せ」
ζ(゚ぺ#ζ「返しません。こんな大雨の中でまで読書?それもう依存症だよ」
少しばかり目を細めて睨んだところで、デレはまるで動じず毅然とした態度のままだ。
教師やクラスメイト達にも不評である、睨みつけているように見えるらしい自前の眼も、彼女に通用したことはこの十年余りで一度もない。
ζ(゚ぺ*ζ「そもそも、貴方が問題起こして私までこうして雨宿りしてるんだから」
ζ(゚ー゚*ζ「責任もって、お喋りくらい付き合うよーに!」
僕から取り上げた小説を後ろ手に回し、悪戯好きな子どもみたいに彼女は小さく”べぇ”と舌を出す。
大事な本を人質ならぬ物質にされた上に、”僕のせい”と言われれば流石に僅かだが良心が痛む。
昔から、彼女は僕の細やかな心の隙を突くのが妙に上手い。まことに小賢しく、憎たらしいことである。
128
:
名無しさん
:2024/08/02(金) 23:59:27 ID:xVkuW.I60
ζ(゚、゚*ζ「…あ、”勝手に出張ってきたくせに”って顔してる」
( ^”ν^)「……言ってはないだろ」
ζ(゚ぺ*ζ「顔に書いてます!そんなんだから、色んな人たちから反感買っちゃうんだよ」
ζ( ― *ζ「…いつまでも、私が助けてくれると思ったら、大間違いだからね」
( ^”ν^)「そもそも、君に“助けてくれ”なんて言った記憶がない」
ζ(゚、゚#ζ「うわ、可愛げなっ!」
吐き捨てるように言葉を吐く。
事実、今回も、今までの人生においても、僕は一言たりとも彼女に”助けてくれ”と頼んだことはない。
今回だってそうだ。
勝手に僕の態度や言葉を捕まえて、訳の分からない言いがかりをつけてきた顔も名前も碌に覚えていないクラスメイトに、少々言いたい事を言っただけである。
自分としては火に水をかけた行為だったのだが、どうやらそれは相手にとっては油だったようで。
結局、教師が数人ほど間に出張ってくるほどの事態となった。
自分のことが気に入らないのならば、何故わざわざこちらに近付いてくるのか。そもそも、彼ら自身に僕が言葉を向けたことなど一度たりともないというのに。
129
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:01:01 ID:lb1RpH0.0
話を纏めると、とにかく僕の態度だの、言葉使いだの、試験の点数が気に入らないとのことだ。
最初からそう言えばいいのに。全く、大した理由もなく人に石を投げたがる人間の多さには辟易する。
よほど暇なのか、それだけ自分の人生に余裕がないのか、その両方か。
“とかくに人の世は住みにくい”
幼少の頃から親しんだ名作の一文が胸に沸く。
これが今眼前にいる幼馴染のように朗らかならば上手く流せたのだろうが、生まれ持った性分というのは容易には変えようにもない。
結局、論争ともいえぬただの罵詈雑言の嵐は、泥沼化する前に一人の少女の仲介でなんとか収まったというのが真実だ。
人ζ(゚ー゚*ζ「はい!じゃあ今から二時間、私を楽しませるお喋りをしてください!どーぞ!」
パンと叩いた手の音が、どこか心地よく鼓膜を揺らした。
暇を潰すための本もなく、こんな田舎のバス停付近に、娯楽施設がある訳もない。
僕は負け惜しみのような舌打ちを一つわざと零した。
ζ(゚、゚*ζ「うわっ舌打ち…ま、見逃してあげます。はい、どうぞ!」
130
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:04:08 ID:lb1RpH0.0
( ^ν^)「…この前、好きな小説のプレミアムカバーが出た」
ζ(゚ー゚*ζ「却下。はい次」
( ^ν^)「……うちの図書館、”ジャン・クリストフ”の間の二巻がなくて…」
ζ(- -*ζ「申し込んでから1年経つのにまだ入ってきてないんでしょ。何度か聞いた。次」
( ^ν^)「………夏目漱石の本名は”金之助”なんだが、じゃあなんで漱石にしたかっていうと…」
ζ(- -*ζ「その話もう百回聞いてる。次」
( ^”ν^)「…………チッ」
σパチンζ(゚―゚#ζ「舌打ち二回目ペナルティ」
(; ν )「痛っつ…!」
額に響くデコピンの痛みに顔を顰める。
そもそも、碌にクラスメイトと会話もできず、本と睨めっこをすることしか能のない人間に面白い話を期待することが間違っている。
十数年来の付き合いなのに分かっててこんな無理難題を押し付けてくるなど、僕よりも彼女の方がずっと性格が悪いのではないだろうか。
…なんて、文句を彼女に面と向かって言える訳もなく。
結局、頭を悩ました末に僕が口にしたのは、当たり障りのない平凡な話題だった。
131
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:05:22 ID:lb1RpH0.0
――気が付けば、いつも通りの僕らの会話だった。
時間の流れも雨音も、なにも気に留めることなく、ただただ話がゴム毬みたいにあらゆる方向へ弾んで飛んでいく。
いつの間にか3年生になっていたこと。
高校の受験勉強が面倒なこと。
流行りの映画を観に行きたいが、最寄りの映画館まで片道2時間かかること。
そして。
毎年二人で行っている、隣町の夏祭りが、もう3日後にまで迫っていること。
ζ(゚ー゚*ζ「…あっ、そうそう!」
ζ(^ワ^*ζ「今年はね、私、浴衣着ていこうと思ってるんだ!」
夏祭りの話題になった途端、デレの声のトーンが一つ上がった。
聞き慣れないワードと朗らかな声色に惹かれて、視線を眼前の雨から幼馴染へと移す。
デレの大きな瞳が、いつもより一層煌めいているように見えた。
132
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:06:10 ID:lb1RpH0.0
( ^ν^)「……浴衣?」
ζ(゚ー゚*ζ「そう!お母さんのお古なんだけどね、結構良いの貰ったんだ〜!」
楽し気に話すデレと違って、僕の心中はあまり穏やかではなかった。
隣町と言っても、気軽に行ける距離の場所ではない。
バスを使って駅まで30分。そこから電車に揺られて1時間。
ここは、それだけの時間をかけても、隣の町に足を踏み入れるのがやっとの、そんな田舎だ。
それに、夏祭りといってもそこまで派手な催しではないのだ。
地元民しか知らないような小さい神社の境内で、いくつか屋台が出るだけのイベントに過ぎない。
訪れるのだって地元の住民か、自分たちのような暇を持て余した田舎の子ども程度。
有名人がゲストで来たりはしないし、大きな花火が上がる訳でもない。
そんな所にわざわざ、浴衣という非常に動きにくいことこの上ない装備で赴くというのか。
小さい催しとはいったが、現地の人の数は少なくない。
ただでさえ敷地が狭いのだ。人口密度という点だけに着目すればまさに”人ごみ”。
帰りについても考慮すれば負う疲労やダメージは想像に難くない。
「やめておけ」。そう言おうとした。
意地悪ではない。数少ない友人の体を労わっての、僕にしては珍しい親切の色を帯びた注意。
だが、その言の葉は姿を現すことなく、喉の奥へと落ちていった。
133
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:07:32 ID:lb1RpH0.0
ζ( ー *ζ「……貴方と行けるのも、きっと今年が最後だし」
激しい雨音の中でも、その寂しそうな声はハッキリと聞こえた。
デレは、来年の春に、この町を出ることが決まっている。
彼女の家は、こんな田舎には相応しくないほどに裕福な家庭だ。
父は医者、母は著名なバイオリン奏者。
父方が代々経営している小さな病院が、この町にあるからという理由で、家族でここに住んでいる。
だが、その病院も去年の冬に閉まり、更には彼女の父は来年から東京の病院で働くことが決まった。
母親の音楽の仕事も踏まえると、どう考えても家族で東京に移り住んだ方が合理的だ。そんなことは世間のいろはも知らない自分にも分かる。
結果、デレは東京へ。そして自分は変わらずこの田舎で、高校生活を送ることが決まっていた。
何と返事をすればいいのか分からず口ごもる。
途端にシンとした空気にいたたまれなくなったのか、デレは濡れた髪をかき上げながら何かを誤魔化すように笑った。
134
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:09:27 ID:lb1RpH0.0
ζ(゚ワ゚;ζ「…そ、そうだ!今年の紙芝居、何のお話してくれるだろうね!」
ζ(゚ー゚*ζ「去年は途中で雨が降って、中途半端なところで終わっちゃったから」
「今年は晴れるといいね」なんて、明らかに繕った明るい声色が続いた。
僕は話に合わせて頷きながら、去年のことを思い返す。
気のいいおじさんが毎年、夏祭りでやってくれる紙芝居。
お世辞にも精緻とは言えないが、味のある色彩と画力で描かれた、暖かみのある絵。
それに合わせて、じわりと鼓膜の奥に響く声が、童話をベースにしたオリジナルの物語を語る。
夏祭りに出る屋台やイベントの中で、その朗読がデレの一番のお気に入りだった。
だが、去年は話を聞いている途中に雨が降ってきてしまったのだ。
強い雨風が神社を襲ったのは30分にも満たない短い時間だったが、その間に紙芝居を含めたほとんどの出店は撤退してしまっていた。
雨でぬかるんだ帰り道、「あの続き、どうなるんだろうね」と、二人で展開を予想しながら帰路についたことを、今でもよく覚えている。
135
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:11:40 ID:lb1RpH0.0
ζ(゚、゚*ζ「……あれ?雨、止んでる」
続いた会話を止めたのは、デレの少し驚いた声だった。
視線を前方にやると、あんなに沢山振っていた雨は、一粒たりともその姿がない。
会話に気を取られて気付かなかったが、あれほど煩かった雨音もすっかり止まっている。
隣のデレが、慌てた様子で携帯をポチポチと触る。
すると、彼女はこちらに携帯電話の液晶画面を見せてきた。
いつの間にか、大雨警報が解除されている。
気象予報士が読み違えたのか。それとも、プロの予想すら上回るほどに強すぎる風が、青嵐を吹き飛ばしたのか。
子どもの頃、そんな童話を読んだなとぼんやり思いながら、僕はデレに「よかったな」と声をかけた。
さっきちらりと見た画面に映し出されていた時刻は、僕が予想していたよりもずっと遅い時間だった。
感覚的には無駄話を30分くらいしただけだったが、どうやら実際にはその2倍以上の時間が流れていたらしい。
136
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:13:00 ID:lb1RpH0.0
ふと、遠くから聞き慣れた重低音がした。
体を少し前のめりにし、満足な街灯すらない夜道の先を見る。
そこには期待通り、予報よりも早く来たのであろう、自分たちが乗るバスの光が近づいてきていた。
( ^ν^)「デレ、来たぞ」
ζ(゚、゚;ζ「えっ?」
ζ( ー ;ζ「………早い、ね」
弾かれたように立ち上がったデレは、テクテクとバス停の屋根の下から外へ出る。
雨は止んでいるといっても、即座にその痕跡がなくなる訳じゃない。
足元には未だ変わらず、川のように変貌した水溜まりが鎮座している。
なんとなく、夏祭りで毎年よく見る、金魚すくいの屋台を思い出した。
金魚の生態についてなど何も知らないが、今この足元を流れる水溜まりほどの量なら、金魚でも案外生きられるかもしれないな。
普段、自分たちが歩く道が川となり、そこを悠々と泳ぐ金魚の姿を想像すると、なんだか面白く思える。
そんな、どうでもいいことをぼんやりと考えていた、その時。
137
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:15:29 ID:lb1RpH0.0
変な音が聞こえてきて、顔を別方向に向けた。
バスの音じゃない。
もっと低くて、荒々しい、危険な音。
視線を前にやる。
デレは今か今かと、道路に出てバスの到着を待っている。
彼女の視線が向いている方向の、逆側。
――とんでもないスピードのバイクが、水上スキーのように水を跳ねて近づいてきていた。
(; ν )「―――っ!?」
ζ(゚ー゚*ζ「え?」
力全てを足に込めて、駆け出す。
懸命に腕を伸ばす。
手に衣服が触れた瞬間、グイと、力の限りひっぱる。
爆弾が破裂したような、激しい波音がした。
138
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:18:09 ID:lb1RpH0.0
ζ( 、 ;ζ「…………」
(; ν )「……大丈夫 か」
ゆっくりと、出来るだけ落ち着いた声色を作って尋ねる。
自分の胸元に当たる彼女の後頭部が、ぎこちなく縦に数回揺れた。
ζ( 、 ;ζ「………あ、あ 、 あり がと…」
さっと体から彼女を離す。
念のために怪我はないかと尋ねると、デレはさっきと違って首を横にブンブンと振った。
(; ^ν^)「……悪い、咄嗟で、つい」
ζ( ー ;ζ「……ううん」
未だに大量の水が道路に残る中。
とんでもないスピードで、堂々と道交法を違反しながらデレに迫るバイクを見た途端、咄嗟に体が動いていた。
本来なら肩を寄せるだとか、声を掛けるだとか、そういうスマートなやり方があったのだろう。
こういう危機的な状況になってやっと分かる。どうやら僕には咄嗟の決断力だとか、行動力だとか、そういった類の才能もないらしい。
慌てて動いたことで、ただでさえ濡れていたズボンは完全に浸水してしまった。明日はジャージ登校が確定だ。
139
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:19:49 ID:lb1RpH0.0
ζ( 、 ;ζ「………あ…!」
慌てたようにデレがまた道路に出る。
しゃがみこんだかと思えば、何かを拾うような動作をしているのが見えた。
「どうしたのか」。
そう声をかけるのやめたのは、彼女の顔が、ひどく申し訳なさそうだったからだ。
ζ( ー ;ζ「……ごめん、これ…」
デレの手には、ずぶ濡れになった本があった。
バス停で、彼女に取り上げられてしまった、僕の小説。
おそらく、僕が無理にデレを引っ張った時、鞄から飛び出してしまったのだろう。
彼女の手から本を貰う。
表紙も、中のページも、デレから昔貰った栞も、余すところなく水浸しだ。
印刷されていた文字は滲み、開くともはや何という文章が綴られていたのかの判別すら出来なくなっていた。
140
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:21:19 ID:lb1RpH0.0
ζ( ー ;ζ「………」
デレはじっと黙ったまま俯いている。
その小ぶりな唇が時々、「ごめん」と動いているのだけがかろうじて見て取れる。
僕は、黙ったまま何も言わなかった。
怒っていたからじゃない。失望していたからでもない。
胸中に占める感情は、たった一つの”安堵感”だ。
本なんてどうでもよかった。
文章は一字一句頭に入っているし、なんなら同じ出版社から出た同じ本が、まだ部屋の本棚にある。貰った栞は紙製ではないから、水気さえ取ればまだまだ使える。
とにかく、デレがバイクに轢かれずに済んだ。
その事実だけが、ずっと頭を巡っていた。
141
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:22:40 ID:lb1RpH0.0
(; ^ν^)「………いや…」
なんと声をかければいいのか、分からなかった。
現代文のテストなら、教師が授業中に話していた言葉を、空欄に上手く収まるようにかみ砕いて書けばいいだけだ。
紙の上か、そうでないか。大きな差異など、精々そこにしかない。
今まで、「筆者や登場人物の心境を答えなさい」という問題で、点が取れなかったことなどない。
なのに、これはどうしたことか。
ζ( ー ;ζ
もう、十年以上付き合いのある友人に。
気の利いた言葉一つ、パッと答えられてないではないか。
(; ^ν^)「……まぁ、その、あれだ」
ぎこちなく口を開く。
僕の喉から声が出る度に、デレの肩が小さく跳ねる。
142
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:24:18 ID:lb1RpH0.0
(; ^ν^)「気にしてない。怒ってもないし……その、なんだ」
(; ^ν^)「君が、気にやむ必要なんてのは皆無だ。栞は無事だし…それに、同じ本ならもう一冊持ってる。問題も支障も生じてない」
ζ( ー ;ζ「………でも、ごめん」
ζ( ー ;ζ「大事な本だって、知ってたのに」
ζ( ー ;ζ「……私が、取らなかったら…」
何を言っても、頭が上がることはない。
“優しいな”と、羨望と嫉妬交じりにそう思った。
仮に僕がデレの立場だったとして、ここまで深く頭を下げられるだろうか。
「別にいい」と言われた時点で、頭を上げるのではないだろうか。
いや、そもそも。
彼女のように、素直に人に謝ったことなど、人生で一度でもあっただろうか。
143
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:25:15 ID:lb1RpH0.0
バスの音が近づいてきているのが分かる。
このままだと永遠に平行線だ。
デレもまた、僕と同じくらいに自分の意見を曲げず、頑固だ。
もしかしたら、あのバスが行っても、明日になってもずっと、彼女はここで頭を下げ続けるのかもしれない。
流石にない、と言い切れないぐらいには、彼女のことを知っている。
本がどうだの、気にしてないだの、そんなんじゃきっとダメだ。
嘘はついてない。いつもみたいな、強がりの嘘や意地ではない。
けれど、僕は多分、本当のことは何も言えていない。
僕は、何を言いたいのだろう。何を望んでいるのだろう。
気にしてほしくないのだ。落ち込んで欲しくないのだ。
明るく、真夏の向日葵みたいな笑顔でいて欲しいのだ。
これも、一種の押し付けなのかもしれない。
見方を変えれば、笑っていて欲しいとい願うことすら、傲慢なのかもしれない。
けれども、その、なんというか。彼女には。
きっと、笑顔が一番、似合うと思うから。
144
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:27:45 ID:lb1RpH0.0
(; ^ν^)「――――濡れてない!」
互いに黙り込むこと、数秒。
ようやっと口から出たのは、あろうことか、とんでもない大嘘だった。
手に握られている本は、少し力を入れれば水が滴り落ちるほどにびしょ濡れだ。
表紙はおろか、中に印刷された文字も満足に読めやしない。
仮に、家で丁寧に乾かしたりと処置を施したところで、とても後日、満足に読めるようにまでの回復は望めないだろう。
それなのに、”濡れてない”などとは、大嘘にも程がある。
デレの顔が躊躇いがちに少しだけ上がる。
水気が残る髪先から、大きな瞳の光が少しだけ濡れているのが伺えた。
145
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:28:58 ID:lb1RpH0.0
(; ^ν^)「本において大事なのは、書かれた文章だ。それは、間違いない。表紙も挿絵も、後書きも、大切な要素の一つではある」
(; ^ν^)「でも、真に価値があるのは、読んだ文章を、どう自分の中で消化するか、だと思うんだ」
自分でも、何を言っているのか判然としない。
目の前の少女の瞳にも、戸惑いの色が垣間見える。
それでもどうしてか、僕の舌は適当な口述を流すのをやめてはくれない。
(; ν )「…別に、この本が濡れたからって、漱石の文章が丸ごと全部、この世から消える訳じゃない。漱石が書いた物語自体は、少しだって濡れてやしない」
(; ^ν^)「僕が、漱石に触れた得た感傷や感動は、少したりとも滲んだり、褪せたりしない。あくまで”この本”という物質的損失が発生しただけで、この作品が有する本質的な価値や実存は、少しだって揺らがない」
(; ^ν^)「そもそも、文章だって全部暗記済みなんだ。僕の記憶力は知ってるだろ?24時間365日、漱石だろうが芥川だろうが鴎外だろうが、いつでも諳んじることが出来る僕にとって、一冊本が読めなくなったくらい、何の問題もない」
べらべらとよく回る舌だと、他人事のように感心する。
学校で教師やクラスメイトに詰められた時は、地蔵のように黙ったままだという癖に。
それにしたって、まるで内容が伴っていない文言だ。
説得という目的に用いるには、いささか抽象的が過ぎる言葉の泡々だ。
146
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:30:37 ID:lb1RpH0.0
デレを見る。そして分かる。
彼女の瞳には、”納得”という文字が浮かんでいない。
こんな言葉、ただ彼女を動揺させるだけで、納得させるには至らない。
要するに、僕は何が言いたいのか。
大切にしていた好ましい本が濡れた。もし、これが他のクラスメイトを原因とするものだったのなら、僕は間違いなく怒り狂っていただろう。
なのに、そうはならない。それは何故か。
単純な比較を、脳内で行う。
昔、とある法曹を主人公とする小説によく出てきた、”比較衡量”という言葉。
(; ^ν^)「………要するに、その…なんだ……」
(; ν )「……つまり… あれ、だ。要は、結果として この本、より」
濡れなかったものがある。轢かれなかったものがある。
それが無事だったから、良かった。安心した。胸を撫で下ろした。
他は、本は、どうでもよかったから。
だから、僕は。
147
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:32:21 ID:lb1RpH0.0
(; ^ν^)「……………君の方が、大事 だから」
(; ^ν^)「だから…………だから、別に いい」
(; ν )「………君が、無事なら、いい」
148
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:33:12 ID:lb1RpH0.0
近くで、エンジン音が止まる音がした。
急に、僕らの横顔が強く照らされる。
あれほど待ち望んでいたバスが、いつの間にか、停留所に着いている。
顔を上げると。
ζ( 、 *ζ
ζ( ー *ζ「――――そっか」
照れたように微笑む、幼馴染の姿があった。
149
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:36:32 ID:lb1RpH0.0
ζ( ー ;*ζ「……の、乗ろっか!」
僕の隣を通り過ぎ、彼女は軽やかな足取りでバスへと向かった。
少し遅れて、腰につけているパスケースから定期券を取り出しつつ、慣れた動作でバスに乗り込む。
いつもお世話になっている初老の運転手は、定期券を確認してこちらに軽く会釈をした後、バスのドアをゆっくりと閉めた。
先に座席に座っていたデレの方を見る。
進行方向を見て、左側。後ろから数えて2列目の、二人掛けの席。
どこかぎこちなさを感じながら、ゆっくりと彼女の隣に座る。
途端、「ねぇ」と揶揄うような声がかけられた。
150
:
名無しさん
:2024/08/03(土) 00:37:37 ID:lb1RpH0.0
ζ(^―^*ζ「――私、本より大事なんだ?」
さっきまでの、儚くてしおらしい雰囲気はどこへやら。
あの強い雨嵐が吹き飛ばしたのだろうか。
それとも、僕が見た束の間の、都合のいい幻覚か何かだったのだろうか。
舌打ちをし、顔を左に背ける。
「3回目!」という楽しそうな声と、僕の額が再び弾かれる音が、合計3人しかいないバスの中に響いた。
151
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:25:33 ID:ZRamFMRU0
*
額に走る痛みを感じたその瞬間、目を瞑った。
開くと、場面が一瞬で変わっていた。
152
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:26:10 ID:ZRamFMRU0
いつの間にか、僕は両の足で立っていた。
さっきまで随分と下半身にジメジメとした不快感があったのだが、それも今はない。
視線を上げる。
思わず背筋が伸びてしまうほどの、格式高い扉が眼前にある。
白を基調としたその扉は、ドアノブから些細な装飾にまで、やけに高級感が漂っていた。
それを見て僕はまたハッとする。
そうだ、ここは照屋家の、デレが住んでいた家だ。
153
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:28:48 ID:ZRamFMRU0
思い出した。
僕は今、デレのお見舞いに来ていたんだった。
抱えていた違和感がふわりと消える。
同時に、僕は躊躇いなくドアを手の甲でトントンと叩く。
「2回ノックはマナー違反」だと、いつか読んだ本に書いてあったのを覚えているが、一々そんなことを気にする間柄じゃない。
中からか細い声が聞こえ、遠慮なくドアを開く。
自分の部屋どころか、家全体と比べても広いであろう、デレ個人の部屋。
大きな学習机や本棚に、可愛らしいぬいぐるみ。部屋の隅には、大きな存在感を纏ったグランドピアノが置かれている。
どれもこれも、自分の家には縁のないものばかりだ。
そして、その奥。大の大人3人は寝れそうなベッドの中心に、幼馴染が横たわっていた。
ζ( ― *ζ「あ……い、いらっしゃい…」
ゴホゴホと力無い咳をしながら、起き上がろうとするデレ。
「そのままでいい」と制止しながら、僕は学習机の前にある椅子をベッドの隣に移動させた。
154
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:30:36 ID:ZRamFMRU0
( ^ν^)「……大丈夫か?」
ζ( ー ;ζ「……まぁまぁ、かな」
椅子に腰を落ち着け、持ってきた荷物を床に下ろしてから、デレの頬に触れる。
手の甲に、淹れたてのコーヒーを彷彿とさせるような暑さが滲んだ。
ζ( ー *ζ「……ふふ。ニュッ君の手、冷たい」
( ^ν^)「こんなので冷たく感じるのに、何が”まぁまぁ”だ。嘘吐きめ」
豪雨に晒され、あのボロボロなバス停で雨宿りをした日から3日。
“憎まれっ子世に憚る”とはよく言ったものだと感心すると同時に、”馬鹿は風邪をひかない”とはやはり妄言だとも確信した。
風邪を引いたのは、自分ではなく、デレだった。
ζ( ー *ζ「……手が冷たい人は、心があったかい人なんだってね」
( -ν^)「どうやら相当重症らしい。せん妄の気もありそうだな」
軽く聞き流しつつ、デレの周りを見る。
ベッドの棚の上には、医者である彼女の父が置いていったらしき薬がいくつか見られた。
155
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:34:53 ID:ZRamFMRU0
ζ( ー *ζ「…お見舞い、ありがと」
( ^ν^)「気にするな。大した手土産も持ってきてない」
( ^ν^)「お陰で、ツンには露骨に嫌な顔をされた。”バイオリンの一つでも持ってきてよ”だと」
ζ( ワ *ζ「へへ、そういうとこも、かわいーでしょ」
“ツン”というのは、年が離れたデレの妹のことだ。
まだ小学生だというのに、その言動はデレよりも成熟したものを思わせる。
だが、似ているのは精々、顔のつくりのみ。昔からずっと、どうしてか俺には懐いてくれない。
今日も「見舞いに来た」と顔を出した瞬間、まるで人殺しでも見るような顔で睨まれた。性格だけを見れば、とてもデレと同じ血が流れているとは思えない。
( ^ν^)「顔以外まるで似てないよな。それこそ赤ん坊の頃から知ってるが、僕に笑ってくれたことなんて一度もないぞ」
ζ(- - *ζ「………昔から、好きになっちゃダメって言ってるからね」
( ^"ν^)「…?なんだ、君が黒幕か。どういう嫌がらせだ?」
ζ( ー *ζ「ふふ、お姉ちゃんだって、回りくどいワガママの一つくらいあるのです」
いまいち言葉の意味が理解できずにいると、デレはゴホゴホと咳き込んだ。
広いからこそ、この部屋は嫌に静かに感じる。
ただの咳が、末期癌の患者のそれのように掠れて聞こえた。
156
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:36:39 ID:ZRamFMRU0
窓からは、未だにパラパラと降る雨の音が聞こえてくる。
3日前のそれと比べれば小雨とはいえ、今日の天気は紛れもない悪天候だ。
ζ( ー ;ζ「……昨日に比べれば、けっこう、元気になったんだよ」
そう言って、唐突にデレはその上体を起き上がらせた。
頬は明らかに異常な赤みを帯びている。時々聞こえる異常な呼吸音は、外の微かな雨音では誤魔化しきれないような悪音だ。
ζ( ー ;ζ「……だから」
ζ( ワ ;ζ「今からなら、さ、ギリギリ――」
( ^ν^)「ダメだ」
デレの言葉を途中で遮る。
この家に来た時、彼女の母親からも、妹のツンからも、きつく言われている。
“今回ばかりは何があっても、デレのお願いを聞かないで”と。
157
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:39:21 ID:ZRamFMRU0
デレの言いたいことは、それこそ手に取るように分かる。
「隣町の夏祭りに行きたい」、だ。
約10年、一度もかかさず、行ってきた夏祭り。
最初こそデレの母親に連れられていたのが、気が付けば、二人で行くようになっていた。
途中で雨が降ったり、電車が事故で来なかったり、アクシデントが起こった年もあった。
それでも、「行かない」なんてことは、今まで一度たりともなかった。
その無念は痛いほど分かる。忌憚なく本音を言えば、僕もずっと楽しみにしていた。
だが、デレに過大な負担をかけてまで、行きたいとは思わない。
世の中には、仕方のないことはある。デレの引越ししかり、今回のことしかり。
( ^ν^)「……僕も行かない。そもそも今日は雨だ。どうせ祭りは中止だし、紙芝居もない」
( ^ν^)「もしかしたら後日、またやってくれるかもしれないだろ。…今日はもう寝ろ」
デレの上体を軽く押し、寝るように促す。
力無くベッドに倒れこんだ彼女は、ひどく申し訳なさそうに片腕で顔を隠した。
ζ( ー *ζ「………ごめんね」
( ^ν^)「気にしてない。いいから今日は…」
ζ( ー *ζ「今年、もう最後だったのに」
“最後”という言葉に、継ごうとした二の句が喉の真下で霧散した。
158
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:40:57 ID:ZRamFMRU0
ζ( ー *ζ「……浴衣、見せたかった」
ζ( ー *ζ「綿飴食べたり、金魚掬いとか、スマートボールとか、やりたかった」
ζ( ー *ζ「紙芝居、見たかった、聞きたかった」
ζ( ー *ζ「……………ごめん」
( ^ν^)「…………いいって」
普段と違って、少しボサッとした髪を撫でる。
ここまで元気がないのは、なんというか、随分と彼女らしくない。
なんだか先日から、変に謝られてばかりに思う。
そもそもあの日だって、自分が変に問題を起こさなければ、デレはいつも通りの時間に帰れた。
あんな突発的な大雨に遭うことはなかったのだ。
いや、3日前に限った話じゃない。
僕に巻き込まれてデレが辛酸を舐めた出来事が、今まで一体いくつあっただろう。
デレは来年でいなくなる。僕はもう、彼女の世話になれなくなる。
そんな事実を目の前にして、ようやく気付いた。
今の今まで、数えきれないほど、僕は彼女に迷惑をかけていたということに。
159
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:42:45 ID:ZRamFMRU0
ζ( ー *ζ「……ねぇ」
( ^ν^)「なんだ。いいから、もう寝た方が…」
ζ( ー *ζ「あの鳥、結局、どこに飛んでいったのかな」
デレの問いかけに、僕は少しだけ目を泳がせた。
何の話をしているのか、僕にはよく分かる。
去年、途中で雨が降り始めたせいで中止になってしまった、夏祭りでの紙芝居の話だ。
聞いたことのない童話だった。
いや、何かしらのモデルや、引用元はあるのだろう。話を全部聞いた訳ではないから、そこまで強い確証はないが。
160
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:43:25 ID:ZRamFMRU0
一羽の、白い鳥を主人公にした物語だった。
その鳥は、何かを探して長い旅をしていた。
日が照りしきる夏を渡り、香り豊かな秋を飛び、寒さ厳しい冬を凌いだ。
巡る季節を旅して、色んな生き物や考え方と出会って、ようやく、暖かな春に辿り着けそうになった、その途端。
空気の読めない雨が降ってきて、そこで、その話は終わってしまった。
そして残念なことに、どうやらあの話はオリジナルだったようで、何をどう調べても類似する話は見つからなかった。
いや、厳密には少し似た話は見つかった。
だが、それはどれもこれも、ほんの一部が似通っているだけ。
例えばオスカー・ワイルドの”幸福な王子”だったり、宮沢賢治の”よだかの星”だったりと、言われてみれば少し設定が似てなくもないと、うっすら感じるものばかり。
結局、今に至るまであの話の正式な続きは知らない。
あの白い鳥は果たしてどこに辿り着いたのかは分からない。
161
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:43:58 ID:ZRamFMRU0
ζ( ー *ζ「……続き、聞きたかったなぁ」
ζ( ー *ζ「今日、やってくれたのかな」
結末の分からない話だったが、デレは随分と気に入ったようで、自分たちなりの終わり方を想像してはそれを互いに話しあったりしていた。
“暖かな春に辿り着いた”、”春は夢で、あの話は冬の厳しさを耐えられなかった鳥が見た走馬灯だった“、”各々の季節の素晴らしさに気付いた鳥は、また四季を巡る旅に出た”など。
あの紙芝居の朗読をしてくれるおじさんは夏祭りでしか会えないのだ。
彼に会わない限り、どうやったって本当のところは知る術がない。
それでも、僕らはこれで満足だった。十二分に楽しかったし、面白かった。
話の続きや終わりを空想しては、学校のからの帰り道や課題をしている途中に、楽しく話しあっていた。
それだけで、僕らは充分に笑えたのだ。
162
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:44:23 ID:ZRamFMRU0
( ^ν^)「………」
僕は黙ったまま、床に置いた荷物をそっと手に取った。
家にあった中で、一番綺麗かつ真面に見えた紙袋。
その中からは、一冊の本が見える。
…いや、”本”と呼んだのは些か、形容が華美すぎたかもしれない。
上から袋の中身をちらと覗いただけでも分かる。
それは、”本”と言うにはあまりに杜撰な代物だった。
だが、作ってしまったものは仕方ない。
それをここまで持ってきたのだから、尚のこと仕方ない。
僕はゆっくりと、紙袋に手を入れて中に入っているものを取り出した。
163
:
名無しさん
:2024/08/04(日) 01:45:03 ID:ZRamFMRU0
( ^ν^)「…………なぁ」
遠慮がちに声をかける。
隠れていたデレの左目だけと視線が合う。
一瞬の躊躇いが生じた。
こんなものを作って、何の意味があるのだろうかと。
こんなもので、彼女は喜んでくれるのだろうかと。
けれど生憎、デレを少しでも喜ばせられるものが、他に思いつかなかったのだ。
うちは決して裕福ではない。僕が持っている中で一番高い服は制服だし、古本屋でしか本を買ったことがない。そんな家庭だ。
とても年頃の女子が喜びそうな物は買えないし、用意も出来ない。
そんな中、唯一、思いついたものがこれだった。
( ^ν^)「……僕なりに、あの話の続きを書いてみたんだ」
紙袋の中から現れたのは、紙の束だった。
店で売っているような文庫本じゃない。
それどころか、あの夏祭りでおじさんが作った、絵本のような形にもなっていない。
ただ、文章が印刷されただけの紙の束。
それを、ホッチキスで無理やり綴じた、不格好にも程がある代物だ。
164
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:18:27 ID:cfzOUW3g0
ζ(゚、゚;ζ「……え…?」
デレの両の瞳が、平時より更に大きく開かれた。
それはそうだろう。見舞いにフルーツでも経口補水液でも手紙でも花でもなく、ただの紙クズを持ってきただなんて話、小説でもドラマでも中々見られるものじゃない。
( ^ν^)「…去年から、よく考えてたんだ。あの話の結末」
( ^ν^)「君みたいに、綺麗なハッピーエンドは思いつかなかった。どうしても僕は、あの白い鳥が円満に春を迎えられるとは思えない」
( ^ν^)「…でも、今は少し、違う。前に僕が話した、”ただ雪に埋まって息を引き取る”だなんて終わり方も、やっぱり違うんじゃないかって思うようになった」
紙束をベッドの上に置く。
表紙も何もない、ただ手書きの文字の羅列が並んでいるだけの、とても本とは呼べない物体。
165
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:19:40 ID:cfzOUW3g0
( ^ν^)「……昨日、ふと、思いついたんだ。これなら僕だけじゃなく、君も、納得できるんじゃないかって、結末が」
(; ^ν^)「紙芝居の代わり……になるかは、分からないが…」
(; ν )「…これなら、その……」
まただ。
あのバス停前での出来事みたいに、言葉が喉に詰まる。
けれど、臆する訳にはいかなかった。
もう、デレと一緒に過ごせる時間は半年ほどしかない。
その間も今までのように、心ない言葉を投げつけるのか。
せめて、これから、春が来て君がいなくなるまでは。
不格好だろうが、恥ずかしかろうが。
そのままの本音を、本心を、言うべきだと決めたのだろうが。
166
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:21:39 ID:cfzOUW3g0
(; ν )「………君も」
(; ^ν^)「気に入ってくれる。……と、思う」
視線は合わない。合わせられない。
伏せた目の先に映るのは、デレの白い指先だった。
デレの手がゆっくりと動き、僕が置いた紙束に触れる。
彼女は、まるで水面に浮かぶ宝石を掬うように、両手で紙束をゆっくりと持ち上げる。
そして、愛おしそうな笑顔を浮かべながら、ぺらりと紙を一枚捲った。
ζ( 、 *ζ「………」
ζ( 、 *ζ「……私のために、書いて、くれたの?」
視線は紙へと向けられたまま、咳交じりの質問だけがふわりと投げかけられる。
未だ中途半端に閉まった喉に苛立ちを覚えつつ、僕はコクリと首と縦に振った。
ζ( 、 *ζ「………そっか」
ζ( ー *ζ「私のための、本なんだ」
星が転がったような声が部屋に響いた。
167
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:23:34 ID:cfzOUW3g0
(; ^ν^)「……いや、別に本と言えるものじゃ…」
ζ( ー *ζ「はい」
デレの手がこちらに差し出される。
その手には未だに、僕が持ってきた紙束がある。
ζ(゚ー゚*ζ「君が読んでよ」
(; ^ν^)「………は?」
デレの口から出たのは、まるで予想していなかったお願いだった。
ζ(゚ー゚*ζ「紙芝居の代わり、でもあるんでしょ?」
ζ(゚ー゚*ζ「なら、君が朗読してよ。私、風邪ひいてるから、文章読むとしんどくなっちゃうし」
そう言って、彼女は可愛らしく小首を傾げながら僕に再び紙束を差し出す。
風邪のせいもあっていつも以上に儚げに見えるものの、その笑顔にはどこか有無を言わせぬ迫力があった。
168
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:26:11 ID:cfzOUW3g0
朗読など、今までの人生でやったこともない。正しい読み方も、面白く聞かせるための技術も知らない。
小学生の時にあった音読の宿題なんて、自分で判子を押してやったことにしていたし、劇や舞台などといった文化的イベントに足を運んだ経験もない。
それこそ、唯一ある朗読の記憶は、夏祭りの紙芝居くらいのものだ。
ζ( ー *ζ「…ふふ、風邪ひいて良かっただなんて、初めて思った」
ζ(^ー^*ζ「じゃあ、私のために読んでね。ニュッ君」
無言のまま精一杯嫌そうな顔をしてみたのだが、デレはお構いなしに再び上体を寝かして横になった
紙束を開く。
生まれて初めて自分で書いた、物語を綴るための文章。
我が文字ながら、手書きということもあって読み辛い。なにより、物書きでもない完全な素人である自分が、自分で書いた文章を朗読するなど恥ずかしいにも程がある。
169
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:27:03 ID:cfzOUW3g0
(; ν )「………はぁ」
寸でのところで堪えた舌打ちの代わりに、重い溜息が漏れる。
ベッドの上で寝転びながら、嬉しそうに微笑むデレの顔を一瞥する。
( ^ν^)「……下手でも、面白くなくても、文句言うなよ」
ζ(^ー^*ζ「はーい」
笑ったままの彼女にいよいよ観念し、手元の紙束に視線を落とした。
軽く咳払いをし、一番最初の行を読む。
自分で書いた文章だ。
読まずとも一言一句全て記憶しているが、僕はいつも夏祭りで紙芝居のおじさんがやっていたように、しっかりと文字を追いながら口を動かした。
句読点のある箇所では、少し止まり、息継ぎをする。
その少しの空白に、外を流れる雨粒の音が混ざる。
風景を読む。台詞を読む。感情を読む。物語を読む。
決して長くはない。だが、とても短いかと問われればきっとそうでもない。
文字数で言えばきっと、3万字あるかどうか。
字書きとしてはこれが長いのかも分からない。だが、一読者として言うなら、3万字というのは比較的読みやすい短編程度の長さのように思う。
170
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:30:31 ID:cfzOUW3g0
はたと、音が止んだことに気が付いた。
結末まで読み終わり、紙束から顔を上げる。
ベッドの上に視線をやると、そこには、満足そうに眠っている少女の姿があった。
ζ(-、-*ζスースー
どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。
( ^ν^)「………こりゃ、また後日、アンコールかな」
紙束を閉じ、ベッドの隣に置く。
これはデレのために書いた話だ。自分が持っていたって仕方ないし、そもそも見舞いの品として持ってきたもの。ここに置いていくのが妥当だろう。
デレの寝顔を盗み見る。
彼女の柔らかな前髪が、瞳の上に被っている。
静まりかえった部屋の中、彼女の髪に軽く指先で触れ、目の上にかからないように払う。
ふと、静かすぎるのが気になって、僕はベランダへ続いている部屋の窓を見た。
雨風が止んでいる。
その窓の隣、細長く、綺麗なクリアブルーの花瓶に挿された、一輪の花が空調の風で揺れている。
171
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:33:08 ID:cfzOUW3g0
僕は、その白い花の名前を知っていた。
アネモネ。
花に興味がない人間でも惹かれるほどに、大きな花弁が特徴的な春の花。
この部屋にあるみたいに白いものだと、確か4月2日の誕生花になる。
花言葉も色々とあるが、代表的なものなら、確か――。
(; ^ν^)(―――いや、待て)
(; ^ν^)(なんで、そんなこと、知ってるんだ?)
記憶の矛盾に気が付いて、思考を止める。
僕は花になど興味がない。小説を読んで触れた程度の知識なら知っているが、いつの誕生花なのかだの、花言葉だの、そんなことは知らないし調べた覚えもない。
僕は知らない。興味もない。
花が好きなのは僕じゃない。僕の幼馴染だ。
学校からの帰り道や、暇を持て余して休日に外へ遊びに行った時、いつの季節でも道端に咲いている花を指差しては愛でる、奇特な少女の方だ。
では、何故。僕が知っているのか。
いつ、どこで、どうして、こんなどこにでもありそうな花の名前を、覚えているのだろうか。
172
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:38:19 ID:cfzOUW3g0
( ^ν^)「………あぁ、そうか」
一人、納得した声が漏れる。
雨の音も、窓を揺らす風の音もない静かな部屋の中で、僕はやっと気が付いた。
思えば、最初から変だった。
気が付いたら土砂降りの外にいたり、バスに乗ったと思ったら、幼馴染の家に居たり。
いや、そもそも。
君がまだ、僕の前で笑ってる時点で、気が付くべきだったのだ。
ベッドへと視線を移す。
健やかな寝息を立てて眠るデレの頬に、軽く手の甲を当ててゆっくりと撫でる。
思い出した。
僕が一番最初に書いた話は、これだった。
何かの童話をモデルにしたであろう話を、幼馴染のアイデアを勝手に拝借し、更にオマージュしただけの話。
つまらないにも程がある、いわば、盗作の盗作の、そのまた盗作。
そうだった。
一番最初に筆を執った理由は、ひどく陳腐で、つまらないものだった。
例えるなら、盗んできた無地の絵に、盗んできた絵の具で色を付けたような、そんな泥棒みたいな思い出だ。
それでも、そんなものでも。
理由も、行動も、結果も、どれもがひどくつまらないものに思えたとしても。
他人にどう思われようとも、僕自身がどう思おうとも。
173
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:40:23 ID:cfzOUW3g0
( ^ν^)「………………デレ」
( ^ν^)「……………」
( ^ν^)「……君。そういえば、そうか」
君が笑ってくれたのなら。
それだけでいいかと、心の底から思えたのだ。
「そんな顔で笑ってたんだな」
全てが白に染まっていく。自分の輪郭すら、まるで知覚できなくなっていく。
名残惜しくも、彼女の頬からゆっくりと手を離す。
寸前、少しだけ、デレの口角が上がった気がした。
174
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:40:50 ID:cfzOUW3g0
*
目が覚めると、そこは、見慣れたカフェの中だった。
175
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:42:01 ID:cfzOUW3g0
正確にはカフェじゃない。
『ファンファーレ』という、カフェスペースのあるパティスリー。要するに、ケーキ屋だ。
顔を上げる。テーブルの上には白紙のままのメモ帳と、すっかり冷たくなったエスプレッソが置いてある。
カップの中の液体は未だになみなみとしていて、減った様子がない。
( ^ν^)(………寝すぎた)
頭をガシガシと掻き、眠気覚ましにコーヒーを一気に飲み干す。
ひどく冷たく、苦い液体が喉を痛いくらいに潤し、胃の中へと注がれていった。
ポケットからスマホを取り出す。
時刻は夕方。もうすぐ店は閉まる時間だし、進めるつもりだった文字は一字すら進んじゃいない。
諦めの色を含んだ溜息を吐く。
まぁ、久しぶりに良い夢を見れた。その分、リフレッシュは出来たと考えることにしよう。
176
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:42:28 ID:cfzOUW3g0
テーブルに掛けられていた伝票を持ち、席を立つ。
左のポケットから財布を取り出しつつ、ガラス越しに外を見た。
傘を持ってはいるものの、開かずに歩いている人々がちらほらと見える。
どうやら、とっくに雨風は止んでいたようだった。
177
:
名無しさん
:2024/08/05(月) 00:45:14 ID:cfzOUW3g0
第二話は以上となります。
第三話の公演開始まで、今しばらくお待ちください。
178
:
名無しさん
:2024/08/13(火) 00:24:43 ID:p6ZSnx..0
茜ちゃん見て投下気付いた、おつ!
ファンファーレって店に、バイオリン好きのツンちゃんがいるデレちゃん…もしやプラ心ともリンクしてる?
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板