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( ^ν^)四月、僕は泥棒になったようです

1名無しさん:2023/11/17(金) 22:23:08 ID:qDslfyX60



“嘘吐きは泥棒の始まり”だというのなら、自分の手は、とっくの昔に汚れていたのだろうか。



人様の物を盗んでは、それを身銭に変えて生きる人生だった。
別にそれをわざわざ誇るような反社会的人格は有していない。
かといって、それを恥じるほどの真面な感性も今更残っちゃいない。

己の人生を振り返る。
盗みを働かざるを得ないほどに凄惨な人生だったのかと問われれば、これもNoだ。
どちらかと言えば生まれた家は裕福な方だったし、容姿や頭の出来もそれほど悪くないと自負している。
そんな自分が、どうして“盗み”なんて行為に勤しむようになったのか。

129名無しさん:2024/08/03(土) 00:01:01 ID:lb1RpH0.0

話を纏めると、とにかく僕の態度だの、言葉使いだの、試験の点数が気に入らないとのことだ。
最初からそう言えばいいのに。全く、大した理由もなく人に石を投げたがる人間の多さには辟易する。
よほど暇なのか、それだけ自分の人生に余裕がないのか、その両方か。

“とかくに人の世は住みにくい”
幼少の頃から親しんだ名作の一文が胸に沸く。
これが今眼前にいる幼馴染のように朗らかならば上手く流せたのだろうが、生まれ持った性分というのは容易には変えようにもない。
結局、論争ともいえぬただの罵詈雑言の嵐は、泥沼化する前に一人の少女の仲介でなんとか収まったというのが真実だ。

人ζ(゚ー゚*ζ「はい!じゃあ今から二時間、私を楽しませるお喋りをしてください!どーぞ!」

パンと叩いた手の音が、どこか心地よく鼓膜を揺らした。
暇を潰すための本もなく、こんな田舎のバス停付近に、娯楽施設がある訳もない。
僕は負け惜しみのような舌打ちを一つわざと零した。

ζ(゚、゚*ζ「うわっ舌打ち…ま、見逃してあげます。はい、どうぞ!」

130名無しさん:2024/08/03(土) 00:04:08 ID:lb1RpH0.0

( ^ν^)「…この前、好きな小説のプレミアムカバーが出た」

ζ(゚ー゚*ζ「却下。はい次」

( ^ν^)「……うちの図書館、”ジャン・クリストフ”の間の二巻がなくて…」

ζ(- -*ζ「申し込んでから1年経つのにまだ入ってきてないんでしょ。何度か聞いた。次」

( ^ν^)「………夏目漱石の本名は”金之助”なんだが、じゃあなんで漱石にしたかっていうと…」

ζ(- -*ζ「その話もう百回聞いてる。次」

( ^”ν^)「…………チッ」

σパチンζ(゚―゚#ζ「舌打ち二回目ペナルティ」

(;  ν )「痛っつ…!」

額に響くデコピンの痛みに顔を顰める。
そもそも、碌にクラスメイトと会話もできず、本と睨めっこをすることしか能のない人間に面白い話を期待することが間違っている。
十数年来の付き合いなのに分かっててこんな無理難題を押し付けてくるなど、僕よりも彼女の方がずっと性格が悪いのではないだろうか。


…なんて、文句を彼女に面と向かって言える訳もなく。
結局、頭を悩ました末に僕が口にしたのは、当たり障りのない平凡な話題だった。

131名無しさん:2024/08/03(土) 00:05:22 ID:lb1RpH0.0

――気が付けば、いつも通りの僕らの会話だった。

時間の流れも雨音も、なにも気に留めることなく、ただただ話がゴム毬みたいにあらゆる方向へ弾んで飛んでいく。

いつの間にか3年生になっていたこと。
高校の受験勉強が面倒なこと。
流行りの映画を観に行きたいが、最寄りの映画館まで片道2時間かかること。

そして。
毎年二人で行っている、隣町の夏祭りが、もう3日後にまで迫っていること。

ζ(゚ー゚*ζ「…あっ、そうそう!」

ζ(^ワ^*ζ「今年はね、私、浴衣着ていこうと思ってるんだ!」

夏祭りの話題になった途端、デレの声のトーンが一つ上がった。

聞き慣れないワードと朗らかな声色に惹かれて、視線を眼前の雨から幼馴染へと移す。
デレの大きな瞳が、いつもより一層煌めいているように見えた。

132名無しさん:2024/08/03(土) 00:06:10 ID:lb1RpH0.0

( ^ν^)「……浴衣?」

ζ(゚ー゚*ζ「そう!お母さんのお古なんだけどね、結構良いの貰ったんだ〜!」

楽し気に話すデレと違って、僕の心中はあまり穏やかではなかった。

隣町と言っても、気軽に行ける距離の場所ではない。
バスを使って駅まで30分。そこから電車に揺られて1時間。
ここは、それだけの時間をかけても、隣の町に足を踏み入れるのがやっとの、そんな田舎だ。

それに、夏祭りといってもそこまで派手な催しではないのだ。
地元民しか知らないような小さい神社の境内で、いくつか屋台が出るだけのイベントに過ぎない。
訪れるのだって地元の住民か、自分たちのような暇を持て余した田舎の子ども程度。
有名人がゲストで来たりはしないし、大きな花火が上がる訳でもない。

そんな所にわざわざ、浴衣という非常に動きにくいことこの上ない装備で赴くというのか。
小さい催しとはいったが、現地の人の数は少なくない。
ただでさえ敷地が狭いのだ。人口密度という点だけに着目すればまさに”人ごみ”。
帰りについても考慮すれば負う疲労やダメージは想像に難くない。

「やめておけ」。そう言おうとした。
意地悪ではない。数少ない友人の体を労わっての、僕にしては珍しい親切の色を帯びた注意。
だが、その言の葉は姿を現すことなく、喉の奥へと落ちていった。

133名無しさん:2024/08/03(土) 00:07:32 ID:lb1RpH0.0

ζ( ー *ζ「……貴方と行けるのも、きっと今年が最後だし」

激しい雨音の中でも、その寂しそうな声はハッキリと聞こえた。


デレは、来年の春に、この町を出ることが決まっている。


彼女の家は、こんな田舎には相応しくないほどに裕福な家庭だ。
父は医者、母は著名なバイオリン奏者。
父方が代々経営している小さな病院が、この町にあるからという理由で、家族でここに住んでいる。

だが、その病院も去年の冬に閉まり、更には彼女の父は来年から東京の病院で働くことが決まった。
母親の音楽の仕事も踏まえると、どう考えても家族で東京に移り住んだ方が合理的だ。そんなことは世間のいろはも知らない自分にも分かる。
結果、デレは東京へ。そして自分は変わらずこの田舎で、高校生活を送ることが決まっていた。

何と返事をすればいいのか分からず口ごもる。
途端にシンとした空気にいたたまれなくなったのか、デレは濡れた髪をかき上げながら何かを誤魔化すように笑った。

134名無しさん:2024/08/03(土) 00:09:27 ID:lb1RpH0.0

ζ(゚ワ゚;ζ「…そ、そうだ!今年の紙芝居、何のお話してくれるだろうね!」

ζ(゚ー゚*ζ「去年は途中で雨が降って、中途半端なところで終わっちゃったから」

「今年は晴れるといいね」なんて、明らかに繕った明るい声色が続いた。
僕は話に合わせて頷きながら、去年のことを思い返す。

気のいいおじさんが毎年、夏祭りでやってくれる紙芝居。
お世辞にも精緻とは言えないが、味のある色彩と画力で描かれた、暖かみのある絵。
それに合わせて、じわりと鼓膜の奥に響く声が、童話をベースにしたオリジナルの物語を語る。
夏祭りに出る屋台やイベントの中で、その朗読がデレの一番のお気に入りだった。

だが、去年は話を聞いている途中に雨が降ってきてしまったのだ。
強い雨風が神社を襲ったのは30分にも満たない短い時間だったが、その間に紙芝居を含めたほとんどの出店は撤退してしまっていた。
雨でぬかるんだ帰り道、「あの続き、どうなるんだろうね」と、二人で展開を予想しながら帰路についたことを、今でもよく覚えている。

135名無しさん:2024/08/03(土) 00:11:40 ID:lb1RpH0.0

ζ(゚、゚*ζ「……あれ?雨、止んでる」

続いた会話を止めたのは、デレの少し驚いた声だった。

視線を前方にやると、あんなに沢山振っていた雨は、一粒たりともその姿がない。
会話に気を取られて気付かなかったが、あれほど煩かった雨音もすっかり止まっている。

隣のデレが、慌てた様子で携帯をポチポチと触る。
すると、彼女はこちらに携帯電話の液晶画面を見せてきた。

いつの間にか、大雨警報が解除されている。
気象予報士が読み違えたのか。それとも、プロの予想すら上回るほどに強すぎる風が、青嵐を吹き飛ばしたのか。
子どもの頃、そんな童話を読んだなとぼんやり思いながら、僕はデレに「よかったな」と声をかけた。

さっきちらりと見た画面に映し出されていた時刻は、僕が予想していたよりもずっと遅い時間だった。
感覚的には無駄話を30分くらいしただけだったが、どうやら実際にはその2倍以上の時間が流れていたらしい。

136名無しさん:2024/08/03(土) 00:13:00 ID:lb1RpH0.0

ふと、遠くから聞き慣れた重低音がした。
体を少し前のめりにし、満足な街灯すらない夜道の先を見る。
そこには期待通り、予報よりも早く来たのであろう、自分たちが乗るバスの光が近づいてきていた。

( ^ν^)「デレ、来たぞ」

ζ(゚、゚;ζ「えっ?」

ζ( ー ;ζ「………早い、ね」

弾かれたように立ち上がったデレは、テクテクとバス停の屋根の下から外へ出る。
雨は止んでいるといっても、即座にその痕跡がなくなる訳じゃない。
足元には未だ変わらず、川のように変貌した水溜まりが鎮座している。

なんとなく、夏祭りで毎年よく見る、金魚すくいの屋台を思い出した。
金魚の生態についてなど何も知らないが、今この足元を流れる水溜まりほどの量なら、金魚でも案外生きられるかもしれないな。

普段、自分たちが歩く道が川となり、そこを悠々と泳ぐ金魚の姿を想像すると、なんだか面白く思える。
そんな、どうでもいいことをぼんやりと考えていた、その時。

137名無しさん:2024/08/03(土) 00:15:29 ID:lb1RpH0.0

変な音が聞こえてきて、顔を別方向に向けた。
バスの音じゃない。
もっと低くて、荒々しい、危険な音。

視線を前にやる。
デレは今か今かと、道路に出てバスの到着を待っている。
彼女の視線が向いている方向の、逆側。


――とんでもないスピードのバイクが、水上スキーのように水を跳ねて近づいてきていた。


(;  ν )「―――っ!?」

ζ(゚ー゚*ζ「え?」

力全てを足に込めて、駆け出す。
懸命に腕を伸ばす。
手に衣服が触れた瞬間、グイと、力の限りひっぱる。



爆弾が破裂したような、激しい波音がした。

138名無しさん:2024/08/03(土) 00:18:09 ID:lb1RpH0.0

ζ( 、 ;ζ「…………」

(;  ν )「……大丈夫 か」

ゆっくりと、出来るだけ落ち着いた声色を作って尋ねる。
自分の胸元に当たる彼女の後頭部が、ぎこちなく縦に数回揺れた。

ζ( 、 ;ζ「………あ、あ 、 あり がと…」

さっと体から彼女を離す。
念のために怪我はないかと尋ねると、デレはさっきと違って首を横にブンブンと振った。

(; ^ν^)「……悪い、咄嗟で、つい」

ζ( ー ;ζ「……ううん」

未だに大量の水が道路に残る中。
とんでもないスピードで、堂々と道交法を違反しながらデレに迫るバイクを見た途端、咄嗟に体が動いていた。

本来なら肩を寄せるだとか、声を掛けるだとか、そういうスマートなやり方があったのだろう。
こういう危機的な状況になってやっと分かる。どうやら僕には咄嗟の決断力だとか、行動力だとか、そういった類の才能もないらしい。
慌てて動いたことで、ただでさえ濡れていたズボンは完全に浸水してしまった。明日はジャージ登校が確定だ。

139名無しさん:2024/08/03(土) 00:19:49 ID:lb1RpH0.0

ζ( 、 ;ζ「………あ…!」

慌てたようにデレがまた道路に出る。
しゃがみこんだかと思えば、何かを拾うような動作をしているのが見えた。

「どうしたのか」。
そう声をかけるのやめたのは、彼女の顔が、ひどく申し訳なさそうだったからだ。

ζ( ー ;ζ「……ごめん、これ…」

デレの手には、ずぶ濡れになった本があった。
バス停で、彼女に取り上げられてしまった、僕の小説。
おそらく、僕が無理にデレを引っ張った時、鞄から飛び出してしまったのだろう。

彼女の手から本を貰う。
表紙も、中のページも、デレから昔貰った栞も、余すところなく水浸しだ。
印刷されていた文字は滲み、開くともはや何という文章が綴られていたのかの判別すら出来なくなっていた。

140名無しさん:2024/08/03(土) 00:21:19 ID:lb1RpH0.0

ζ( ー ;ζ「………」

デレはじっと黙ったまま俯いている。
その小ぶりな唇が時々、「ごめん」と動いているのだけがかろうじて見て取れる。

僕は、黙ったまま何も言わなかった。
怒っていたからじゃない。失望していたからでもない。
胸中に占める感情は、たった一つの”安堵感”だ。

本なんてどうでもよかった。
文章は一字一句頭に入っているし、なんなら同じ出版社から出た同じ本が、まだ部屋の本棚にある。貰った栞は紙製ではないから、水気さえ取ればまだまだ使える。

とにかく、デレがバイクに轢かれずに済んだ。
その事実だけが、ずっと頭を巡っていた。

141名無しさん:2024/08/03(土) 00:22:40 ID:lb1RpH0.0

(; ^ν^)「………いや…」

なんと声をかければいいのか、分からなかった。
現代文のテストなら、教師が授業中に話していた言葉を、空欄に上手く収まるようにかみ砕いて書けばいいだけだ。
紙の上か、そうでないか。大きな差異など、精々そこにしかない。
今まで、「筆者や登場人物の心境を答えなさい」という問題で、点が取れなかったことなどない。
なのに、これはどうしたことか。

ζ( ー ;ζ

もう、十年以上付き合いのある友人に。
気の利いた言葉一つ、パッと答えられてないではないか。

(; ^ν^)「……まぁ、その、あれだ」

ぎこちなく口を開く。
僕の喉から声が出る度に、デレの肩が小さく跳ねる。

142名無しさん:2024/08/03(土) 00:24:18 ID:lb1RpH0.0

(; ^ν^)「気にしてない。怒ってもないし……その、なんだ」

(; ^ν^)「君が、気にやむ必要なんてのは皆無だ。栞は無事だし…それに、同じ本ならもう一冊持ってる。問題も支障も生じてない」

ζ( ー ;ζ「………でも、ごめん」

ζ( ー ;ζ「大事な本だって、知ってたのに」

ζ( ー ;ζ「……私が、取らなかったら…」

何を言っても、頭が上がることはない。
“優しいな”と、羨望と嫉妬交じりにそう思った。

仮に僕がデレの立場だったとして、ここまで深く頭を下げられるだろうか。
「別にいい」と言われた時点で、頭を上げるのではないだろうか。
いや、そもそも。
彼女のように、素直に人に謝ったことなど、人生で一度でもあっただろうか。

143名無しさん:2024/08/03(土) 00:25:15 ID:lb1RpH0.0

バスの音が近づいてきているのが分かる。
このままだと永遠に平行線だ。

デレもまた、僕と同じくらいに自分の意見を曲げず、頑固だ。
もしかしたら、あのバスが行っても、明日になってもずっと、彼女はここで頭を下げ続けるのかもしれない。

流石にない、と言い切れないぐらいには、彼女のことを知っている。
本がどうだの、気にしてないだの、そんなんじゃきっとダメだ。

嘘はついてない。いつもみたいな、強がりの嘘や意地ではない。
けれど、僕は多分、本当のことは何も言えていない。

僕は、何を言いたいのだろう。何を望んでいるのだろう。
気にしてほしくないのだ。落ち込んで欲しくないのだ。
明るく、真夏の向日葵みたいな笑顔でいて欲しいのだ。

これも、一種の押し付けなのかもしれない。
見方を変えれば、笑っていて欲しいとい願うことすら、傲慢なのかもしれない。
けれども、その、なんというか。彼女には。


きっと、笑顔が一番、似合うと思うから。

144名無しさん:2024/08/03(土) 00:27:45 ID:lb1RpH0.0


(; ^ν^)「――――濡れてない!」


互いに黙り込むこと、数秒。
ようやっと口から出たのは、あろうことか、とんでもない大嘘だった。


手に握られている本は、少し力を入れれば水が滴り落ちるほどにびしょ濡れだ。
表紙はおろか、中に印刷された文字も満足に読めやしない。
仮に、家で丁寧に乾かしたりと処置を施したところで、とても後日、満足に読めるようにまでの回復は望めないだろう。
それなのに、”濡れてない”などとは、大嘘にも程がある。

デレの顔が躊躇いがちに少しだけ上がる。
水気が残る髪先から、大きな瞳の光が少しだけ濡れているのが伺えた。

145名無しさん:2024/08/03(土) 00:28:58 ID:lb1RpH0.0

(; ^ν^)「本において大事なのは、書かれた文章だ。それは、間違いない。表紙も挿絵も、後書きも、大切な要素の一つではある」

(; ^ν^)「でも、真に価値があるのは、読んだ文章を、どう自分の中で消化するか、だと思うんだ」

自分でも、何を言っているのか判然としない。
目の前の少女の瞳にも、戸惑いの色が垣間見える。
それでもどうしてか、僕の舌は適当な口述を流すのをやめてはくれない。

(;  ν )「…別に、この本が濡れたからって、漱石の文章が丸ごと全部、この世から消える訳じゃない。漱石が書いた物語自体は、少しだって濡れてやしない」

(; ^ν^)「僕が、漱石に触れた得た感傷や感動は、少したりとも滲んだり、褪せたりしない。あくまで”この本”という物質的損失が発生しただけで、この作品が有する本質的な価値や実存は、少しだって揺らがない」

(; ^ν^)「そもそも、文章だって全部暗記済みなんだ。僕の記憶力は知ってるだろ?24時間365日、漱石だろうが芥川だろうが鴎外だろうが、いつでも諳んじることが出来る僕にとって、一冊本が読めなくなったくらい、何の問題もない」

べらべらとよく回る舌だと、他人事のように感心する。
学校で教師やクラスメイトに詰められた時は、地蔵のように黙ったままだという癖に。
それにしたって、まるで内容が伴っていない文言だ。
説得という目的に用いるには、いささか抽象的が過ぎる言葉の泡々だ。

146名無しさん:2024/08/03(土) 00:30:37 ID:lb1RpH0.0

デレを見る。そして分かる。
彼女の瞳には、”納得”という文字が浮かんでいない。
こんな言葉、ただ彼女を動揺させるだけで、納得させるには至らない。

要するに、僕は何が言いたいのか。
大切にしていた好ましい本が濡れた。もし、これが他のクラスメイトを原因とするものだったのなら、僕は間違いなく怒り狂っていただろう。

なのに、そうはならない。それは何故か。
単純な比較を、脳内で行う。
昔、とある法曹を主人公とする小説によく出てきた、”比較衡量”という言葉。

(; ^ν^)「………要するに、その…なんだ……」

(;  ν )「……つまり… あれ、だ。要は、結果として この本、より」


濡れなかったものがある。轢かれなかったものがある。
それが無事だったから、良かった。安心した。胸を撫で下ろした。
他は、本は、どうでもよかったから。


だから、僕は。

147名無しさん:2024/08/03(土) 00:32:21 ID:lb1RpH0.0



(; ^ν^)「……………君の方が、大事 だから」

(; ^ν^)「だから…………だから、別に いい」

(;  ν )「………君が、無事なら、いい」

148名無しさん:2024/08/03(土) 00:33:12 ID:lb1RpH0.0


近くで、エンジン音が止まる音がした。

急に、僕らの横顔が強く照らされる。
あれほど待ち望んでいたバスが、いつの間にか、停留所に着いている。

顔を上げると。

ζ( 、 *ζ

ζ( ー *ζ「――――そっか」

照れたように微笑む、幼馴染の姿があった。

149名無しさん:2024/08/03(土) 00:36:32 ID:lb1RpH0.0

ζ( ー ;*ζ「……の、乗ろっか!」

僕の隣を通り過ぎ、彼女は軽やかな足取りでバスへと向かった。

少し遅れて、腰につけているパスケースから定期券を取り出しつつ、慣れた動作でバスに乗り込む。
いつもお世話になっている初老の運転手は、定期券を確認してこちらに軽く会釈をした後、バスのドアをゆっくりと閉めた。

先に座席に座っていたデレの方を見る。
進行方向を見て、左側。後ろから数えて2列目の、二人掛けの席。

どこかぎこちなさを感じながら、ゆっくりと彼女の隣に座る。
途端、「ねぇ」と揶揄うような声がかけられた。

150名無しさん:2024/08/03(土) 00:37:37 ID:lb1RpH0.0


ζ(^―^*ζ「――私、本より大事なんだ?」


さっきまでの、儚くてしおらしい雰囲気はどこへやら。
あの強い雨嵐が吹き飛ばしたのだろうか。
それとも、僕が見た束の間の、都合のいい幻覚か何かだったのだろうか。

舌打ちをし、顔を左に背ける。
「3回目!」という楽しそうな声と、僕の額が再び弾かれる音が、合計3人しかいないバスの中に響いた。

151名無しさん:2024/08/04(日) 01:25:33 ID:ZRamFMRU0

*


額に走る痛みを感じたその瞬間、目を瞑った。
開くと、場面が一瞬で変わっていた。

152名無しさん:2024/08/04(日) 01:26:10 ID:ZRamFMRU0

いつの間にか、僕は両の足で立っていた。
さっきまで随分と下半身にジメジメとした不快感があったのだが、それも今はない。

視線を上げる。
思わず背筋が伸びてしまうほどの、格式高い扉が眼前にある。
白を基調としたその扉は、ドアノブから些細な装飾にまで、やけに高級感が漂っていた。

それを見て僕はまたハッとする。
そうだ、ここは照屋家の、デレが住んでいた家だ。

153名無しさん:2024/08/04(日) 01:28:48 ID:ZRamFMRU0

思い出した。
僕は今、デレのお見舞いに来ていたんだった。

抱えていた違和感がふわりと消える。
同時に、僕は躊躇いなくドアを手の甲でトントンと叩く。
「2回ノックはマナー違反」だと、いつか読んだ本に書いてあったのを覚えているが、一々そんなことを気にする間柄じゃない。

中からか細い声が聞こえ、遠慮なくドアを開く。
自分の部屋どころか、家全体と比べても広いであろう、デレ個人の部屋。
大きな学習机や本棚に、可愛らしいぬいぐるみ。部屋の隅には、大きな存在感を纏ったグランドピアノが置かれている。
どれもこれも、自分の家には縁のないものばかりだ。
そして、その奥。大の大人3人は寝れそうなベッドの中心に、幼馴染が横たわっていた。

ζ( ― *ζ「あ……い、いらっしゃい…」

ゴホゴホと力無い咳をしながら、起き上がろうとするデレ。
「そのままでいい」と制止しながら、僕は学習机の前にある椅子をベッドの隣に移動させた。

154名無しさん:2024/08/04(日) 01:30:36 ID:ZRamFMRU0

( ^ν^)「……大丈夫か?」

ζ( ー ;ζ「……まぁまぁ、かな」

椅子に腰を落ち着け、持ってきた荷物を床に下ろしてから、デレの頬に触れる。
手の甲に、淹れたてのコーヒーを彷彿とさせるような暑さが滲んだ。

ζ( ー *ζ「……ふふ。ニュッ君の手、冷たい」

( ^ν^)「こんなので冷たく感じるのに、何が”まぁまぁ”だ。嘘吐きめ」

豪雨に晒され、あのボロボロなバス停で雨宿りをした日から3日。
“憎まれっ子世に憚る”とはよく言ったものだと感心すると同時に、”馬鹿は風邪をひかない”とはやはり妄言だとも確信した。
風邪を引いたのは、自分ではなく、デレだった。

ζ( ー *ζ「……手が冷たい人は、心があったかい人なんだってね」

( -ν^)「どうやら相当重症らしい。せん妄の気もありそうだな」

軽く聞き流しつつ、デレの周りを見る。
ベッドの棚の上には、医者である彼女の父が置いていったらしき薬がいくつか見られた。

155名無しさん:2024/08/04(日) 01:34:53 ID:ZRamFMRU0

ζ( ー *ζ「…お見舞い、ありがと」

( ^ν^)「気にするな。大した手土産も持ってきてない」

( ^ν^)「お陰で、ツンには露骨に嫌な顔をされた。”バイオリンの一つでも持ってきてよ”だと」

ζ( ワ *ζ「へへ、そういうとこも、かわいーでしょ」

“ツン”というのは、年が離れたデレの妹のことだ。
まだ小学生だというのに、その言動はデレよりも成熟したものを思わせる。

だが、似ているのは精々、顔のつくりのみ。昔からずっと、どうしてか俺には懐いてくれない。
今日も「見舞いに来た」と顔を出した瞬間、まるで人殺しでも見るような顔で睨まれた。性格だけを見れば、とてもデレと同じ血が流れているとは思えない。

( ^ν^)「顔以外まるで似てないよな。それこそ赤ん坊の頃から知ってるが、僕に笑ってくれたことなんて一度もないぞ」

ζ(- - *ζ「………昔から、好きになっちゃダメって言ってるからね」

( ^"ν^)「…?なんだ、君が黒幕か。どういう嫌がらせだ?」

ζ( ー *ζ「ふふ、お姉ちゃんだって、回りくどいワガママの一つくらいあるのです」

いまいち言葉の意味が理解できずにいると、デレはゴホゴホと咳き込んだ。
広いからこそ、この部屋は嫌に静かに感じる。
ただの咳が、末期癌の患者のそれのように掠れて聞こえた。

156名無しさん:2024/08/04(日) 01:36:39 ID:ZRamFMRU0

窓からは、未だにパラパラと降る雨の音が聞こえてくる。
3日前のそれと比べれば小雨とはいえ、今日の天気は紛れもない悪天候だ。

ζ( ー ;ζ「……昨日に比べれば、けっこう、元気になったんだよ」

そう言って、唐突にデレはその上体を起き上がらせた。
頬は明らかに異常な赤みを帯びている。時々聞こえる異常な呼吸音は、外の微かな雨音では誤魔化しきれないような悪音だ。

ζ( ー ;ζ「……だから」

ζ( ワ ;ζ「今からなら、さ、ギリギリ――」

( ^ν^)「ダメだ」

デレの言葉を途中で遮る。
この家に来た時、彼女の母親からも、妹のツンからも、きつく言われている。
“今回ばかりは何があっても、デレのお願いを聞かないで”と。

157名無しさん:2024/08/04(日) 01:39:21 ID:ZRamFMRU0

デレの言いたいことは、それこそ手に取るように分かる。
「隣町の夏祭りに行きたい」、だ。

約10年、一度もかかさず、行ってきた夏祭り。
最初こそデレの母親に連れられていたのが、気が付けば、二人で行くようになっていた。
途中で雨が降ったり、電車が事故で来なかったり、アクシデントが起こった年もあった。
それでも、「行かない」なんてことは、今まで一度たりともなかった。

その無念は痛いほど分かる。忌憚なく本音を言えば、僕もずっと楽しみにしていた。
だが、デレに過大な負担をかけてまで、行きたいとは思わない。
世の中には、仕方のないことはある。デレの引越ししかり、今回のことしかり。

( ^ν^)「……僕も行かない。そもそも今日は雨だ。どうせ祭りは中止だし、紙芝居もない」

( ^ν^)「もしかしたら後日、またやってくれるかもしれないだろ。…今日はもう寝ろ」

デレの上体を軽く押し、寝るように促す。
力無くベッドに倒れこんだ彼女は、ひどく申し訳なさそうに片腕で顔を隠した。

ζ( ー *ζ「………ごめんね」

( ^ν^)「気にしてない。いいから今日は…」

ζ( ー *ζ「今年、もう最後だったのに」

“最後”という言葉に、継ごうとした二の句が喉の真下で霧散した。

158名無しさん:2024/08/04(日) 01:40:57 ID:ZRamFMRU0

ζ( ー *ζ「……浴衣、見せたかった」

ζ( ー *ζ「綿飴食べたり、金魚掬いとか、スマートボールとか、やりたかった」

ζ( ー *ζ「紙芝居、見たかった、聞きたかった」

ζ( ー *ζ「……………ごめん」

( ^ν^)「…………いいって」

普段と違って、少しボサッとした髪を撫でる。
ここまで元気がないのは、なんというか、随分と彼女らしくない。
なんだか先日から、変に謝られてばかりに思う。

そもそもあの日だって、自分が変に問題を起こさなければ、デレはいつも通りの時間に帰れた。
あんな突発的な大雨に遭うことはなかったのだ。

いや、3日前に限った話じゃない。
僕に巻き込まれてデレが辛酸を舐めた出来事が、今まで一体いくつあっただろう。
デレは来年でいなくなる。僕はもう、彼女の世話になれなくなる。

そんな事実を目の前にして、ようやく気付いた。
今の今まで、数えきれないほど、僕は彼女に迷惑をかけていたということに。

159名無しさん:2024/08/04(日) 01:42:45 ID:ZRamFMRU0

ζ( ー *ζ「……ねぇ」

( ^ν^)「なんだ。いいから、もう寝た方が…」

ζ( ー *ζ「あの鳥、結局、どこに飛んでいったのかな」

デレの問いかけに、僕は少しだけ目を泳がせた。

何の話をしているのか、僕にはよく分かる。
去年、途中で雨が降り始めたせいで中止になってしまった、夏祭りでの紙芝居の話だ。

聞いたことのない童話だった。
いや、何かしらのモデルや、引用元はあるのだろう。話を全部聞いた訳ではないから、そこまで強い確証はないが。

160名無しさん:2024/08/04(日) 01:43:25 ID:ZRamFMRU0

一羽の、白い鳥を主人公にした物語だった。

その鳥は、何かを探して長い旅をしていた。
日が照りしきる夏を渡り、香り豊かな秋を飛び、寒さ厳しい冬を凌いだ。
巡る季節を旅して、色んな生き物や考え方と出会って、ようやく、暖かな春に辿り着けそうになった、その途端。

空気の読めない雨が降ってきて、そこで、その話は終わってしまった。

そして残念なことに、どうやらあの話はオリジナルだったようで、何をどう調べても類似する話は見つからなかった。
いや、厳密には少し似た話は見つかった。
だが、それはどれもこれも、ほんの一部が似通っているだけ。
例えばオスカー・ワイルドの”幸福な王子”だったり、宮沢賢治の”よだかの星”だったりと、言われてみれば少し設定が似てなくもないと、うっすら感じるものばかり。

結局、今に至るまであの話の正式な続きは知らない。
あの白い鳥は果たしてどこに辿り着いたのかは分からない。

161名無しさん:2024/08/04(日) 01:43:58 ID:ZRamFMRU0

ζ( ー *ζ「……続き、聞きたかったなぁ」

ζ( ー *ζ「今日、やってくれたのかな」

結末の分からない話だったが、デレは随分と気に入ったようで、自分たちなりの終わり方を想像してはそれを互いに話しあったりしていた。
“暖かな春に辿り着いた”、”春は夢で、あの話は冬の厳しさを耐えられなかった鳥が見た走馬灯だった“、”各々の季節の素晴らしさに気付いた鳥は、また四季を巡る旅に出た”など。

あの紙芝居の朗読をしてくれるおじさんは夏祭りでしか会えないのだ。
彼に会わない限り、どうやったって本当のところは知る術がない。
それでも、僕らはこれで満足だった。十二分に楽しかったし、面白かった。
話の続きや終わりを空想しては、学校のからの帰り道や課題をしている途中に、楽しく話しあっていた。

それだけで、僕らは充分に笑えたのだ。

162名無しさん:2024/08/04(日) 01:44:23 ID:ZRamFMRU0

( ^ν^)「………」

僕は黙ったまま、床に置いた荷物をそっと手に取った。

家にあった中で、一番綺麗かつ真面に見えた紙袋。
その中からは、一冊の本が見える。

…いや、”本”と呼んだのは些か、形容が華美すぎたかもしれない。
上から袋の中身をちらと覗いただけでも分かる。
それは、”本”と言うにはあまりに杜撰な代物だった。

だが、作ってしまったものは仕方ない。
それをここまで持ってきたのだから、尚のこと仕方ない。
僕はゆっくりと、紙袋に手を入れて中に入っているものを取り出した。

163名無しさん:2024/08/04(日) 01:45:03 ID:ZRamFMRU0

( ^ν^)「…………なぁ」

遠慮がちに声をかける。
隠れていたデレの左目だけと視線が合う。

一瞬の躊躇いが生じた。
こんなものを作って、何の意味があるのだろうかと。
こんなもので、彼女は喜んでくれるのだろうかと。

けれど生憎、デレを少しでも喜ばせられるものが、他に思いつかなかったのだ。
うちは決して裕福ではない。僕が持っている中で一番高い服は制服だし、古本屋でしか本を買ったことがない。そんな家庭だ。
とても年頃の女子が喜びそうな物は買えないし、用意も出来ない。
そんな中、唯一、思いついたものがこれだった。

( ^ν^)「……僕なりに、あの話の続きを書いてみたんだ」

紙袋の中から現れたのは、紙の束だった。

店で売っているような文庫本じゃない。
それどころか、あの夏祭りでおじさんが作った、絵本のような形にもなっていない。
ただ、文章が印刷されただけの紙の束。
それを、ホッチキスで無理やり綴じた、不格好にも程がある代物だ。

164名無しさん:2024/08/05(月) 00:18:27 ID:cfzOUW3g0

ζ(゚、゚;ζ「……え…?」

デレの両の瞳が、平時より更に大きく開かれた。
それはそうだろう。見舞いにフルーツでも経口補水液でも手紙でも花でもなく、ただの紙クズを持ってきただなんて話、小説でもドラマでも中々見られるものじゃない。

( ^ν^)「…去年から、よく考えてたんだ。あの話の結末」

( ^ν^)「君みたいに、綺麗なハッピーエンドは思いつかなかった。どうしても僕は、あの白い鳥が円満に春を迎えられるとは思えない」

( ^ν^)「…でも、今は少し、違う。前に僕が話した、”ただ雪に埋まって息を引き取る”だなんて終わり方も、やっぱり違うんじゃないかって思うようになった」

紙束をベッドの上に置く。
表紙も何もない、ただ手書きの文字の羅列が並んでいるだけの、とても本とは呼べない物体。

165名無しさん:2024/08/05(月) 00:19:40 ID:cfzOUW3g0

( ^ν^)「……昨日、ふと、思いついたんだ。これなら僕だけじゃなく、君も、納得できるんじゃないかって、結末が」

(; ^ν^)「紙芝居の代わり……になるかは、分からないが…」

(;  ν )「…これなら、その……」

まただ。
あのバス停前での出来事みたいに、言葉が喉に詰まる。

けれど、臆する訳にはいかなかった。
もう、デレと一緒に過ごせる時間は半年ほどしかない。
その間も今までのように、心ない言葉を投げつけるのか。

せめて、これから、春が来て君がいなくなるまでは。
不格好だろうが、恥ずかしかろうが。
そのままの本音を、本心を、言うべきだと決めたのだろうが。

166名無しさん:2024/08/05(月) 00:21:39 ID:cfzOUW3g0

(;  ν )「………君も」

(; ^ν^)「気に入ってくれる。……と、思う」

視線は合わない。合わせられない。
伏せた目の先に映るのは、デレの白い指先だった。

デレの手がゆっくりと動き、僕が置いた紙束に触れる。
彼女は、まるで水面に浮かぶ宝石を掬うように、両手で紙束をゆっくりと持ち上げる。
そして、愛おしそうな笑顔を浮かべながら、ぺらりと紙を一枚捲った。

ζ( 、 *ζ「………」

ζ( 、 *ζ「……私のために、書いて、くれたの?」

視線は紙へと向けられたまま、咳交じりの質問だけがふわりと投げかけられる。
未だ中途半端に閉まった喉に苛立ちを覚えつつ、僕はコクリと首と縦に振った。

ζ( 、 *ζ「………そっか」

ζ( ー *ζ「私のための、本なんだ」

星が転がったような声が部屋に響いた。

167名無しさん:2024/08/05(月) 00:23:34 ID:cfzOUW3g0

(; ^ν^)「……いや、別に本と言えるものじゃ…」

ζ( ー *ζ「はい」

デレの手がこちらに差し出される。
その手には未だに、僕が持ってきた紙束がある。

ζ(゚ー゚*ζ「君が読んでよ」

(; ^ν^)「………は?」

デレの口から出たのは、まるで予想していなかったお願いだった。

ζ(゚ー゚*ζ「紙芝居の代わり、でもあるんでしょ?」

ζ(゚ー゚*ζ「なら、君が朗読してよ。私、風邪ひいてるから、文章読むとしんどくなっちゃうし」

そう言って、彼女は可愛らしく小首を傾げながら僕に再び紙束を差し出す。
風邪のせいもあっていつも以上に儚げに見えるものの、その笑顔にはどこか有無を言わせぬ迫力があった。

168名無しさん:2024/08/05(月) 00:26:11 ID:cfzOUW3g0

朗読など、今までの人生でやったこともない。正しい読み方も、面白く聞かせるための技術も知らない。
小学生の時にあった音読の宿題なんて、自分で判子を押してやったことにしていたし、劇や舞台などといった文化的イベントに足を運んだ経験もない。
それこそ、唯一ある朗読の記憶は、夏祭りの紙芝居くらいのものだ。

ζ( ー *ζ「…ふふ、風邪ひいて良かっただなんて、初めて思った」

ζ(^ー^*ζ「じゃあ、私のために読んでね。ニュッ君」

無言のまま精一杯嫌そうな顔をしてみたのだが、デレはお構いなしに再び上体を寝かして横になった
紙束を開く。
生まれて初めて自分で書いた、物語を綴るための文章。
我が文字ながら、手書きということもあって読み辛い。なにより、物書きでもない完全な素人である自分が、自分で書いた文章を朗読するなど恥ずかしいにも程がある。

169名無しさん:2024/08/05(月) 00:27:03 ID:cfzOUW3g0

(;  ν )「………はぁ」

寸でのところで堪えた舌打ちの代わりに、重い溜息が漏れる。
ベッドの上で寝転びながら、嬉しそうに微笑むデレの顔を一瞥する。

( ^ν^)「……下手でも、面白くなくても、文句言うなよ」

ζ(^ー^*ζ「はーい」

笑ったままの彼女にいよいよ観念し、手元の紙束に視線を落とした。
軽く咳払いをし、一番最初の行を読む。
自分で書いた文章だ。
読まずとも一言一句全て記憶しているが、僕はいつも夏祭りで紙芝居のおじさんがやっていたように、しっかりと文字を追いながら口を動かした。

句読点のある箇所では、少し止まり、息継ぎをする。
その少しの空白に、外を流れる雨粒の音が混ざる。
風景を読む。台詞を読む。感情を読む。物語を読む。

決して長くはない。だが、とても短いかと問われればきっとそうでもない。
文字数で言えばきっと、3万字あるかどうか。
字書きとしてはこれが長いのかも分からない。だが、一読者として言うなら、3万字というのは比較的読みやすい短編程度の長さのように思う。

170名無しさん:2024/08/05(月) 00:30:31 ID:cfzOUW3g0

はたと、音が止んだことに気が付いた。

結末まで読み終わり、紙束から顔を上げる。
ベッドの上に視線をやると、そこには、満足そうに眠っている少女の姿があった。

ζ(-、-*ζスースー

どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。

( ^ν^)「………こりゃ、また後日、アンコールかな」

紙束を閉じ、ベッドの隣に置く。
これはデレのために書いた話だ。自分が持っていたって仕方ないし、そもそも見舞いの品として持ってきたもの。ここに置いていくのが妥当だろう。

デレの寝顔を盗み見る。
彼女の柔らかな前髪が、瞳の上に被っている。
静まりかえった部屋の中、彼女の髪に軽く指先で触れ、目の上にかからないように払う。

ふと、静かすぎるのが気になって、僕はベランダへ続いている部屋の窓を見た。
雨風が止んでいる。
その窓の隣、細長く、綺麗なクリアブルーの花瓶に挿された、一輪の花が空調の風で揺れている。

171名無しさん:2024/08/05(月) 00:33:08 ID:cfzOUW3g0

僕は、その白い花の名前を知っていた。

アネモネ。
花に興味がない人間でも惹かれるほどに、大きな花弁が特徴的な春の花。
この部屋にあるみたいに白いものだと、確か4月2日の誕生花になる。
花言葉も色々とあるが、代表的なものなら、確か――。

(; ^ν^)(―――いや、待て)

(; ^ν^)(なんで、そんなこと、知ってるんだ?)

記憶の矛盾に気が付いて、思考を止める。
僕は花になど興味がない。小説を読んで触れた程度の知識なら知っているが、いつの誕生花なのかだの、花言葉だの、そんなことは知らないし調べた覚えもない。

僕は知らない。興味もない。
花が好きなのは僕じゃない。僕の幼馴染だ。
学校からの帰り道や、暇を持て余して休日に外へ遊びに行った時、いつの季節でも道端に咲いている花を指差しては愛でる、奇特な少女の方だ。

では、何故。僕が知っているのか。
いつ、どこで、どうして、こんなどこにでもありそうな花の名前を、覚えているのだろうか。

172名無しさん:2024/08/05(月) 00:38:19 ID:cfzOUW3g0

( ^ν^)「………あぁ、そうか」

一人、納得した声が漏れる。
雨の音も、窓を揺らす風の音もない静かな部屋の中で、僕はやっと気が付いた。
思えば、最初から変だった。
気が付いたら土砂降りの外にいたり、バスに乗ったと思ったら、幼馴染の家に居たり。

いや、そもそも。
君がまだ、僕の前で笑ってる時点で、気が付くべきだったのだ。

ベッドへと視線を移す。
健やかな寝息を立てて眠るデレの頬に、軽く手の甲を当ててゆっくりと撫でる。

思い出した。
僕が一番最初に書いた話は、これだった。
何かの童話をモデルにしたであろう話を、幼馴染のアイデアを勝手に拝借し、更にオマージュしただけの話。
つまらないにも程がある、いわば、盗作の盗作の、そのまた盗作。

そうだった。
一番最初に筆を執った理由は、ひどく陳腐で、つまらないものだった。
例えるなら、盗んできた無地の絵に、盗んできた絵の具で色を付けたような、そんな泥棒みたいな思い出だ。

それでも、そんなものでも。
理由も、行動も、結果も、どれもがひどくつまらないものに思えたとしても。
他人にどう思われようとも、僕自身がどう思おうとも。

173名無しさん:2024/08/05(月) 00:40:23 ID:cfzOUW3g0

( ^ν^)「………………デレ」

( ^ν^)「……………」

( ^ν^)「……君。そういえば、そうか」


君が笑ってくれたのなら。
それだけでいいかと、心の底から思えたのだ。


「そんな顔で笑ってたんだな」

全てが白に染まっていく。自分の輪郭すら、まるで知覚できなくなっていく。

名残惜しくも、彼女の頬からゆっくりと手を離す。
寸前、少しだけ、デレの口角が上がった気がした。

174名無しさん:2024/08/05(月) 00:40:50 ID:cfzOUW3g0


*


目が覚めると、そこは、見慣れたカフェの中だった。

175名無しさん:2024/08/05(月) 00:42:01 ID:cfzOUW3g0

正確にはカフェじゃない。
『ファンファーレ』という、カフェスペースのあるパティスリー。要するに、ケーキ屋だ。

顔を上げる。テーブルの上には白紙のままのメモ帳と、すっかり冷たくなったエスプレッソが置いてある。
カップの中の液体は未だになみなみとしていて、減った様子がない。

( ^ν^)(………寝すぎた)

頭をガシガシと掻き、眠気覚ましにコーヒーを一気に飲み干す。
ひどく冷たく、苦い液体が喉を痛いくらいに潤し、胃の中へと注がれていった。

ポケットからスマホを取り出す。
時刻は夕方。もうすぐ店は閉まる時間だし、進めるつもりだった文字は一字すら進んじゃいない。

諦めの色を含んだ溜息を吐く。
まぁ、久しぶりに良い夢を見れた。その分、リフレッシュは出来たと考えることにしよう。

176名無しさん:2024/08/05(月) 00:42:28 ID:cfzOUW3g0

テーブルに掛けられていた伝票を持ち、席を立つ。
左のポケットから財布を取り出しつつ、ガラス越しに外を見た。
傘を持ってはいるものの、開かずに歩いている人々がちらほらと見える。


どうやら、とっくに雨風は止んでいたようだった。

177名無しさん:2024/08/05(月) 00:45:14 ID:cfzOUW3g0
第二話は以上となります。
第三話の公演開始まで、今しばらくお待ちください。

178名無しさん:2024/08/13(火) 00:24:43 ID:p6ZSnx..0
茜ちゃん見て投下気付いた、おつ!
ファンファーレって店に、バイオリン好きのツンちゃんがいるデレちゃん…もしやプラ心ともリンクしてる?


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