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( ^ν^)四月、僕は泥棒になったようです
1
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:23:08 ID:qDslfyX60
“嘘吐きは泥棒の始まり”だというのなら、自分の手は、とっくの昔に汚れていたのだろうか。
人様の物を盗んでは、それを身銭に変えて生きる人生だった。
別にそれをわざわざ誇るような反社会的人格は有していない。
かといって、それを恥じるほどの真面な感性も今更残っちゃいない。
己の人生を振り返る。
盗みを働かざるを得ないほどに凄惨な人生だったのかと問われれば、これもNoだ。
どちらかと言えば生まれた家は裕福な方だったし、容姿や頭の出来もそれほど悪くないと自負している。
そんな自分が、どうして“盗み”なんて行為に勤しむようになったのか。
2
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:24:16 ID:qDslfyX60
その理由はとても単純で、それでいて、どんな言い訳よりも説得力のあるもの。
“人の物を盗む才能があった”。
本当にただ、それだけの話に尽きるのだ。
思い返せば、その才能の片鱗は幼少の頃からあったのかもしれない。
昔からよく意地を張っては、下らない嘘を吐いていた。
宿題や課題をやり忘れた時。テストの点数が悪かった時。遅刻して先生に怒られた時。
思い出していけばキリがない。それほどまでに自分は幼い頃から、変な所で意地を張り、嘘を吐く子どもだった。
端的に言えばまぁ、随分と捻くれたガキだったのだろう。
3
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:26:07 ID:qDslfyX60
そんな自分でも、受け入れてくれた奇特な人間が一人だけいた。
ふと、薄桃色の花弁を載せた暖かい風が髪を撫でた。
すっかり親しみが湧いたいつものベンチに腰掛けたまま、ちらりと隣に視線を向ける。
スラリとした細い指が紙を捲るのを目で追った。
一冊の文庫本にずっと落とされていた柔らかい眼差しが、ゆっくりとこちらを向く。
ふわりと上がった口角と共に、優しそうな言葉が自分に向かって発せられた。
「どうしたの?」
耳障りの良い声色が鼓膜を揺らす。
なんてことのない問いかけに、こちらも「ううん、見てただけ」と当たり障りのない言葉を返す。
詮無い返事でも雰囲気が険悪になることはなく、そのまま居心地の良い空気が僕らの間に流れた。
4
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:27:33 ID:qDslfyX60
互いに言葉を交わすことのないまま、目の前でゆったりと揺れる大木を見た。
都内でも随一の大きさを誇る桜の木。
三月の末を迎えたそれはまるで、夜空に打ちあがった夏の花火を思わせるほどに絢爛だった。
視線を桜の木よりも少しだけ更に上にやる。
太陽と青空をすっぽりと隠してしまっている分厚い雲が、視界のずっと向こうまで広がっているのが分かる。
せっかくのデートなのに。快晴とまでは言わずとも、どうせなら晴れが良かったな。
言葉にはしないものの、心の中で贅沢な愚痴を漏らす。
昨晩の天気予報がどうにか外れてくれないものかと祈ったのだが、どうやらその願いは無慈悲にも天には届かなかったらしい。
ふと、パタンと本が閉じられる音がした。
もう一度隣を見ると、柔和な瞳が本ではなく、自分の方に向けられていた。
何気なくベンチに置いていた左手に、相手の右手が優しく重なる。
まるでスローモーションの動画を見ているみたいに、愛しき人の口がゆっくりと動く。
5
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:28:54 ID:qDslfyX60
僕には、今から何を言われるのか分かっていた。
強烈な既視感があった。
眩暈のような浮遊感が、体全体をふわりと包み込む感覚がする。
桜の木が風で揺れ、周りに舞い散る花弁の数が竜巻のように多くなる。
風景も、相手の顔も、世界全てが桜で覆いつくされていく。
風の轟音が耳を震わせる中、不思議なことに相手の声だけが、岩に染み入る雨のようにしっとりと聞こえてきた。
「今日と違って、明日は晴れるらしいんだ」
「もし、明日の昼も、君の予定が空いているのなら」
「良かったら、またここで―――」
6
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:30:52 ID:qDslfyX60
言葉の後半部分を桜と風の音が覆い隠す。
一番肝要だったはずの箇所だけが全く聞こえずに終わってしまう。
だけど、どうしてだろうか。
僕は、何を言われたのか、はっきりと理解していた。
重ねられた手を握り返しながら、僕は判然と肯定の意を口にする。
風と称するには少々強すぎる音が満ちていたが、自分の言葉は相手にちゃんと伝わったらしく、相手の口角は嬉しそうに上がった。
本がベンチにそっと置かれる。
この前出版してから、未だ一ヶ月も経過していない新作。
その本のタイトルを見て、ようやく僕は気が付いた。
7
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:33:21 ID:qDslfyX60
そうか。
今見ているこの風景は。
あの本は。このベンチは。僕らが今いる公園は。
優しく置かれたあの文庫本は。
空を覆い尽くしている鈍色の曇天は。
瞬きすら億劫な程に、立派に咲き誇る桜の木は。
普通じゃ考えられないほどに舞い上がる無数の花びらは。
僕の目の前で、にこやかに微笑んでいる君は。
この世界は。
全ては。
8
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:33:57 ID:qDslfyX60
―――僕が見ている走馬灯か。
9
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:35:21 ID:qDslfyX60
*
生まれたばかりの雛鳥を彷彿とさせるような、そんなうざったい喧騒の音で目が覚めた。
随分と、懐かしい夢を見ていたような気がしていた。
体の凝りをほぐすために伸びをする。いつの間にか、自分はすっかり居眠りをしてしまっていたらしい。
反射的に出てしまった欠伸を左手で隠しつつ、僕は寝ぼけたままの瞳をキョロキョロと左右に動かした。
10
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:39:07 ID:I1lJkrZ.0
新作遭遇支援
11
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:57:35 ID:qDslfyX60
眼前では、小綺麗なスーツに身を包んだ大人たちが右往左往していた。
眠りに落ちる前からなんら変わっていない景色に安堵の息を吐く。
どうやら自分が起きていようが眠っていようが、さほど大した影響はないらしい。
ソファーに沈み込みながら、壁の上方にかけられた時計を確認する。
会見が始まると知らされた時刻まで、あと10分というところだった。
背中に体重を掛けながら、やれ記者がどうだの、段取りがどうだのと吠えている人々を見ながらゆっくりと秒針が進むのを待つ。
矢面に立って話をするのは僕だというのに、特に話をする訳でもない彼らは一体何を騒いでいるのかと少しおかしく思えた。
「そろそろですよ。新島さん」
意識外の方向から掛けられた声に少しぎょっとする。
顔を左に向けると、そこには周囲の人々と同じような恰好をした青年が立っていた。
12
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 22:59:39 ID:qDslfyX60
( ・∀・)「移動をお願いします。……あぁ、もちろん、その草臥れた襟元は正してくださいね」
“森野モララー”。僕の担当編集だ。
モデルと見紛うほどに整った顔立ちとスラリとした体型は、一見しただけでは出版業界の人間だとは分からないだろう。
嫌味なほどに恭しい態度や一連の動作も、どこか芸術的な魅力を感じさせる。
これで自分より年下だというのだから、全く世の中というものは不平等だと感じざるを得ない。
森野くんの後ろをついていく形で控室を歩き、開かれたままであった仰々しい扉をくぐる。
廊下を一歩一歩進む度に、フカフカとした心地よい感触が靴から伝わってきた。
流石は国内でも特に有名な一流ホテルである。ただ歩くだけの廊下にも惜しむことなく投資をしているらしい。
以前は本を一冊出したところで貰えたのは良くてせいぜい諭吉二人分程度。それこそ最初の方は樋口の一枚にすら満たない銭にしか出さなかったらしいのに、今では一言僕が“新作を出す”と呟いただけでこの待遇だ。
彼らの手際の良さと手首の柔らかさには舌を巻く。次の会見の時にはレッドカーペットでも敷いて貰おうか。
13
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:00:32 ID:qDslfyX60
( ・∀・)「それじゃあ新島さん、こちらで待機をお願いします」
下らないことを考えながら廊下を進むこと数分。
これまた随分と威圧感のある扉の前で、森野くんはぴたりとその足を止めた。
扉の横に立っている看板に書かれた文字を見る。
やけに力が込められた大きな黒フォントで、でかでかとこう記されていた。
“新島ニュッ、二年ぶりの新作発表・記者会見会場”
( ・∀・)「いやー、流石“新島ニュッ”だと言わざるを得ません。いくら人気作家とはいえ、ここまで話題になるなんて普通はありえないですよ」
端正な顔立ちに愉快そうな色を浮かばせながら、森野くんはニヤニヤと笑う。
それは例えるなら、花火大会を楽しみにしている無邪気な子どもというよりも、仕掛けたイタズラがいよいよ発動する数秒前といった悪ガキの表情だった。
14
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:02:20 ID:qDslfyX60
「そうだな、光栄なことだ」
「二年ぶりだというのに、僕の小説を楽しみにしてくれてる人が数えきれないほどに沢山いる。こんなに嬉しいことはないな」
「一人の作家として、心から嬉しく思うよ」
無意識に上がっていた口角を押さえる。
扉の前から微かに聞こえてくる記者たちの声に、自分もいつの間にか当てられているようだった。
小説家にとって、一番嬉しいことは何だろうか。
出した小説が売れること。有名になること。好きな話を書けること。
書いた話がドラマや映画になること。それらを契機として有名人に会えること。
僕の名前が売れない時、無我夢中で物語を書いていた頃に想像していたらしいことを羅列する。
どれもこれも、“こうなったらいいな”と思っていたこと。
だが、その“どれもこれも”を手にした今の僕には、はっきりと言える。
そんなものは、作家という生き物にとっては何の価値もないものだ。
15
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:06:54 ID:qDslfyX60
他の創作家はどうかは知らないが、僕の欲しいモノは一つだけ。
それは“誰かに読んでもらえた”という事実のみである。
自分が書いた話を読んでもらえる、面白いと言ってもらえる。楽しみにしてもらえる。
いや、なんなら否定してもらっても構わない。
“つまらない”だの“よく分からなかった”だの、“キャラクター造詣が甘い”だの“そもそも日本語がおかしい”だの“ご都合主義すぎる”だの、なんだっていい。
とにかく、読んでもらえること。誰かの人生の一ページに、自分の作品が少しでも載ること。
物書きにとって、それ以上に嬉しいことなどこの世に存在しない。
誰かに読んでもらえる。自分が書いた小説を、読んでくれる人がいる。
それだけでいい。
本当に僕は、たったそれだけで――。
( -∀-)「――嘘吐きだなぁ」
嘲笑うような、小さな呟きが聞こえた。
16
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:09:00 ID:qDslfyX60
先ほどまで思い描いていた“つまらない”イメージが霧散していく。
矮小で欲深い人間を嘲笑うような、そんな悪魔みたいな笑みが森野くんの顔に張り付いているのが見て取れた。
( ・∀・)「あ、もしかしてそれを記者たちの前で言うおつもりでした?それならいいですよ!どこにも文句なし、100点満点!」
( -∀・)「……なんですけど、ねぇ」
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、彼はゆっくりとこちらに近付いてくる。
先ほどの控室で見せていたハリボテの笑顔は、すっかりと剥がれ落ちていた。
( ・∀・)「安心してください。この扉は見た目通りちょ〜分厚い。ここで何を喋ろうと、向こう側にいる白痴どもにはな〜〜んにも聞こえやしません!モーマンタイ!」
( -∀・)「だから、ね、新島さん」
ひどく歪に歪んだ口元が僕の耳元にまで近づく。
まるで、契約に臨んだ愚かな人間を嗤う悪魔みたいな表情。
自分のすぐ傍まで近づいて来た森野くんがさっと屈む。
普段は自分のずっと上から聞こえてくる言葉が、すぐ傍から聞こえてきた。
( ∀ )「――“本音”、聞かせてくれちゃったり、しません?」
17
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:09:33 ID:qDslfyX60
ウッドベースを思わせるような、低く、重みのある声色が耳を揺らす。
視線を彼に向けた。おそらく出版社の誰にも見せたことのないであろう邪悪な笑みが浮かんでいるのが見える。
すぐに応えを返すことなく、彼の胸板を拳で押しのける。
先ほど言われた通りに胸元を少し整えた後、未だニヤケ面をしたままの彼に向けて僕は口を開いた。
「創作に触れる時、一番気を付けなければならないことは何だと思う?」
( ・∀・)「……へ?」
どこか勝ち誇ったような笑みが崩れるのを見て、僕は少し気分を良くする。
森野くんは少しだけ考えるような素振りをした後、名推理を思いついたような探偵のように指を鳴らして答えた。
18
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:10:45 ID:qDslfyX60
( -∀・)「――“ネタバレ”!」
「………正解」
初めて会った時から変わらない頭の回転の速さに舌を巻きながら、僕はパチパチと軽く手を叩く。
担任に褒められた小学生みたいに胸を張った彼は、すぐさまその整った顔をしかめた。
どうやら、僕がこれから言おうとしていたことにまで気が付いたらしい。
“一を聞いて十を知る”。全く、どこまでも有能な編集だ。
( -∀-)「あー……なるほど。そうか、そういうことですか」
( ー∀・)「これはこれは…俺としたことが。野暮な真似をするところでした」
大きな瞳を細めながら、感心したように顎をさする。
( ・∀・)「いやぁ、そっかそっか。“編集”って立場になってから随分経つから、今に至るまで気付けなかった。自分も鈍ったもんだなぁ」
彼の両目に妖しげな光が灯る。
何かを期待するような、面白がるような、驚いているような。あらゆる“好奇”の感情がぐちゃぐちゃに入り混じった瞳。
19
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:12:11 ID:qDslfyX60
( ー∀・)「――俺も、“読者”なんですね。新島さん?」
彼の質問に、僕は言葉を返さなかった。
無言のまま口角だけを上げ、くるりと彼に背を向ける。
この廊下のどこにも時計の類はない。僕の手首にも腕時計なんて悪趣味なものはついていない。
それでも分かる。森野くんとの会話中に、とっくに会見の時間は過ぎていた。
おそらくこの扉の先では、親鳥からのエサを待つヒナみたいな記者どもがぎゃあぎゃあと騒いでいるのだろう。
( ー∀ー)「いやはや……」
背後から感嘆の呟きが聞こえる。
森野くんはつかつかと此方に歩を進め、眼前の大扉に手をかけた。
20
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:12:55 ID:qDslfyX60
( ・∀・)「いやぁ、流石新島さんだ。拙い浅慮、お恥ずかしい限りですよ」
( ・∀・)「“新島ニュッ”の作品が世間をどう沸かすのか。俺もめちゃくちゃワクワクしてきましたよ」
面白がるような彼の言葉に、僕は片目を軽く閉じてみせる。
( ・∀・)「さて、それじゃあ、もうお時間ですね」
( ・∀・)「あなたがずっと待ち焦がれてた瞬間の一つだ。憂いを残すことのないように……」
( ・∀・)「――行ってらっしゃい、泥棒さん?」
森野くんの腕力により、大扉がゆっくりと開かれる。
それと同時に、けたたましい程の白光とフラッシュ音に襲われた。
21
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:13:46 ID:qDslfyX60
数えきれないほどのカメラが僕を捉えている。
想定よりもずっと広い会場の奥には、どこかしらのテレビ局のものであろう大きなビデオカメラなどが、生き物みたいに動いているのが分かる。
白に染まる世界の中、僕は瞬きもせずに進んでいく。
椅子を引き、ゆっくりと腰を落ち着ける。
自分一人の為に用意されたとは思えない長机の上に置かれたマイクに触れる。
キィンと耳障りの悪い高音が響くと共に、喧しくて仕方がなかったカメラのフラッシュ音が鳴り止んだ。
「あ、あ、あー………」
マイクに自分の声がちゃんと乗るかどうかを確認する。
ずっと待っていた瞬間なのだ。決して不備があってはいけない。
視線を左から右へ、嘗め回すように移動させる。
所々には見知った顔や社名が見える。一般人でも知っているような所から、この業界にいないとピンとこないであろうマイナーな所まで。
“とにかくメディアが集まるように”。
自分の要望はどうやらしっかり通っていたらしいことに、ほっと胸を撫で下ろす。
22
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:15:02 ID:qDslfyX60
―――待っていた。
ずっと、この時を待っていた。
四年前から。
出したくもない顔を出し、面倒な取材やインタビューに答えたのも、流したくもない小説を頻繁に流したのも、下らないSNSアカウントをいくつも創設したのも。
そうして意欲的に活動した二年前、何の前触れもなく活動休止宣言をしたのも。
全ては、この時のためにやったのだ。
マイクを握り、立ち上がる。
息を十全に吸った後、僕はマイクに向けて口を開いた。
「皆さん、お久しぶりです。新島ニュッです」
「足元の悪いなか、今日は僕の新作発表の会見にお越しいただき、ありがとうございます」
僕がマイクに向けて話した途端、大の大人たちが息を揃えて前のめりになる。
心にもない上っ面の常套句をペラペラと述べつつ、僕は笑顔が崩れないように努めた。
「さて、それでは早速、本題に入らせていただきます」
再び椅子に腰を落ち着け、机の下に手を伸ばす。
予め準備させておいた、一冊のハードカバーを手に取り、それをゆっくりと顔の横まで掲げた。
23
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:15:49 ID:qDslfyX60
「こちらが、再来月に出る、僕の本です」
二年ぶりの、“新島ニュッ”の新作を高々と掲げる。
すると記者たちは、まるでエサを投げられた池の鯉のように、どこか憑りつかれたような面持ちで僕が掲げた本にカメラを向けた。
どうにか僕の新作を綺麗に画角に収めようと、無数のシャッター音が鳴り響く。
どうせもう少し経てば嫌という程の量が書店に並ぶのに、滑稽なものだ。
(;ノAヽ)「何というタイトルなのでしょうか!?また、どうして二ヶ月前というタイミングでの発表なのですか!?」
<(' _';<人ノ「既に朗読劇や映画化などの話も進んでいるという噂は本当ですか!?」
(;十)「以前、先生ご自身が“最高傑作”だと仰っていましたが、どのようなお話なのですか!?」
シャッター音に負けないほどの記者からの大声が、質問という形を纏ってこちらに届く。
一体どこから情報を嗅ぎつけているのか。ハイエナみたいだなと内心思いつつ、僕は営業スマイルを崩さないまま再びマイクを握った。
24
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:17:09 ID:qDslfyX60
「まだ詳しいことは何も話せませんが…もう少しすれば、また新しい情報が解禁されると思います」
「今日はあくまで、“再来月に僕の本が出る”というご報告だけです」
「………と、思ってたんですけど」
本来なら聞こえる筈のない声量の呟きがマイクに乗る。
その言葉を聞いた瞬間、記者たちの目がギラリと光り、後方の隅にいたうちの出版社の人間が青ざめたのが分かる。
当然だ。出版社とは、“必要最低限のことしか言わない”と約束している。
万が一僕の口から余計な情報が出れば、大損を被る可能性だってある。そりゃあ顔の一つや二つ青くなるだろう。
いつの間に移動していたのか、その内の一人、森野くんだけは、空に打ち上がる花火を心待ちにしている子どもみたいな笑みを浮かべていた。
「せっかく、こんなに広い会場を用意して下さった上に、皆さんにはここまでご足労頂いたんだ」
「ただ“小説を出します”だけじゃ、面白くないし失礼ですよね」
マイクを置き、小説を右手に持って前に出す。
どうせ話すのは僕一人。そして今ここにいるのは、どいつもこいつも僕の言葉を聞きたくて来ている数寄者ばかりだ。
こんな拡声器など使わずとも、僕が喉を張りさえすれば、声は隅の隅まで届く。
25
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:19:12 ID:qDslfyX60
別に、余計なことを言うつもりはない。
なにせ、本番はまだなのだ。
僕が本当に見たい景色を見られる前に、躓くつもりなど毛頭ない。
これは“狼煙”だ。
例えるなら、異様に長い導火線に、火をつける程度の行為にすぎない。
けれども、非常に大事な行程だ。
奥の方にいる森野くんに軽く目配せをした後、本を握る手に力を込める。
二年以上のお膳立てをして用意にこぎつけたこの会見で、僕が絶対に言っておかなければならないのは一つだけ。
「詳しい情報はまだ言えませんが、今日、僕から一つだけ、皆さんに伝えたいことがあります」
本を前に出し、声を張る。
さながら、公共の面前で爆破予告をする爆弾魔のように。
26
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:20:20 ID:qDslfyX60
「僕が出すこの話は、ありとあらゆるものを巻き込んでいく」
「対岸の火事じゃ終わらない、終わらせない。さながら、粉塵爆発みたいに何もかもを連鎖的に燃え上がらせる」
「とびっきりの期待をして待ってて下さい。今、僕が持っているこの一冊は、間違いなく文芸界を、いや、この国全てを沸かせるでしょう」
一旦そこで言葉を区切り、思いっきり息を吸い込む。
ずっと保っていた笑顔の仮面を外し、心からの笑みを浮かべる。
27
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:21:34 ID:qDslfyX60
間違いなく、今の僕はひどく下品な顔をしているのだろう。
性犯罪者のような、薬物依存者のような、そんな類の笑顔を浮かべているに違いない。
それでも、口角が上がるのを止められない。心臓から湧き上がる興奮が止められない。
それも仕方がないことだろう。
ずっと、ずっとずっと待っていた。心の底から渇望していた。
この作品を世に出せる時を。
“これを世に出す”と、世界に声を荒げられる瞬間を。
「……ああ、そうだ。サービスでもう一つ。ちょっとした予言をしておこうかな」
「きっと、あなた方、読者の皆様は、全部読み終わったら、こう言うよ」
28
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:22:02 ID:qDslfyX60
「―――“ずっと騙されてたのか”ってな」
29
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:24:15 ID:qDslfyX60
*
幕が上がった。
30
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:24:36 ID:qDslfyX60
『
31
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:25:53 ID:qDslfyX60
( ^ν^)四月、僕は泥棒になったようです
32
:
名無しさん
:2023/11/17(金) 23:27:52 ID:qDslfyX60
第一話"宵月を読む"
33
:
名無しさん
:2023/11/18(土) 12:21:29 ID:i3o.HdC20
乙
物凄い導入だ
これは超期待
34
:
名無しさん
:2023/11/18(土) 19:09:53 ID:IZNfkiNE0
wktk
35
:
名無しさん
:2023/11/19(日) 16:21:10 ID:mC4/GI2Y0
プラ心の人の新作と聞いてすっ飛んできた
支援
36
:
名無しさん
:2023/11/21(火) 21:25:59 ID:Ds8r.sBA0
>>32
ミスってました。
“宵月を詠む”が正しいタイトルです。細かい拘りに過ぎないんですけど、一応訂正します。申し訳ありません。
37
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 18:57:18 ID:MHoifvuU0
背後で何かが落ちた音がして、僕はピタリと手を止めた。
椅子を少し引いて振り向く。
後ろの棚の上にあったはずのものが、フローリングの床の上に力なく転がっているのが見えた。
はぁと小さく溜息をついてから、万年筆を置いて立ち上がる。
歩を進める度に裸足と床が触れ合って、ペタペタと音を立てる。
数歩ほど歩いてから、僕はゆっくりとしゃがみこんで、床に落ちたものを拾った。
写真立てだ。
木材を使用して作られたフォルムからは、何とも言えない不思議な暖かみが感じられる。
裏面を見ると、支えとなる肝心な部分が折れていた。
十中八九、典型的な経年劣化によるものだろう。
38
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 18:58:34 ID:MHoifvuU0
これを買ったのは一体いつだっただろうかと考えながら、写真立てを裏返す。
表には、一枚の写真が入れられていた。
服の袖を使って表面の汚れを軽く拭き取り、ふっと息をかけて埃を飛ばす。
ある程度鮮明になった写真には、満開の桜を背景にして笑っている二人の男女が写っていた。
(*^ν^)ζ(^ー^*ζ
僕と妻だ。
右下には、数年前の日付が記されている。
この写真立てだって、別に上等な品じゃない。家の近くの雑貨屋で適当に買った物だ。
そりゃあ数年程度で壊れるだろう、寧ろ今日までよく保った方だと感心しながら写真立てを掴み、棚の上に裏返して戻した。
39
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 18:59:13 ID:MHoifvuU0
それと同時に、ぐぅと奇妙な音が部屋に響いた。
今のは一体何の音だろうかと疑問に思いながら部屋を見回す。
すると、もう一度同じ音が鳴った。
そこで僕は、音の発生源は自分の腹からであることにようやく気付いた。
時計を見ると、短針が指し示しているのは数字の6。
僕の頭にはとある素朴な疑問が浮かぶ。執筆を始めたのは確か、太陽が沈み始めた午後5時頃だったはずだ。
にもかかわらず、まだ1時間ほどしか進んでいないのはおかしい。
まさかと思い、スマホを見ようと仕事部屋を出てリビングに向かう。
部屋の中心にあるテーブル。そこに無造作に置かれていたスマホに素早く手を伸ばす。
パッと明るくなった液晶画面に表示された日付は、自分が認識していた翌日だった。
どうやら自分は、飲まず食わずで24時間以上も執筆作業にふけっていたらしい。
40
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:00:02 ID:MHoifvuU0
「小説家の鏡だな、我ながら」と心中でぼやきながら、冷蔵庫へと向かう。
自身の生命活動すら投げうって仕事に勤しんだのだ。そりゃあ腹の一つや二つは減るというもの。
だが残念ながら、冷蔵庫の中にはビール缶が数本と、最後に使ったのはいつかも分からない調味料が数本あるだけだった。
下の冷凍庫も開けてみたが、さっと食べられそうな冷凍食品すら一つも見当たらない。
失意に苛まれるまま扉を閉め、そのまま床に寝転がる。
大の字になった体勢のまま天井を仰ぐ。
( ^ν^)「……あの展開はやっぱないな…」
さっきまで、何かに憑りつかれたように書いていた小説のことを考える。
これほど飢えているというのに考えるのは小説のことばかりかと、自分で自分のことが少しおかしく思えた。
41
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:00:32 ID:MHoifvuU0
目を瞑り、頭の中にある参考図書を片っ端から漁る。
自分が今執筆しているのは、短編の恋愛小説だ。
先方から希望された文字数は3万字程度。締め切りは明後日…いや、明日の午後3時まで。
文字数のノルマ自体は既に満たしているものの、未だ内容に納得がいかず足踏みしているというのが現状だ。
そもそも、自分が今抱えている案件はこれだけではない。
別ジャンルの短編が3本、別作家に寄稿する後書きの文章が2本。そして、自分が今一番力を入れたい長編小説が1本。
要するに、色々とキャパオーバーなのだ。
もう少し詰めるか、それともいっそこのまま提出してしまおうか。
小説家の端くれとしてのプライドと、楽を求める人間的な自分が綱引きをする。
今のところは圧倒的に後者が優勢だ。
42
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:01:41 ID:MHoifvuU0
( ^ν^)「………いや、そもそも頭が回らん」
空腹を抱えながら、むくりと上体を起き上がらせた。
体内に残されていた糖分は1日ぶっ続けの執筆作業によって疾うに枯渇している。とにもかくにも、何か口にしてから考えよう。
そう思って立ち上がると同時に、聞き慣れたインターホンの音が鳴った。
( ・∀・)
途端に、腹立たしいニヤケ面がぼんやりと脳裏に浮かぶ。
まさかあの小生意気な編集じゃないだろうなと訝しみながら、インターホンのモニターを見る。
そこに映っていた人物に、僕はホッと胸を撫でおろしながら通話ボタンを押した。
( ^ν^)「開いてる。入っていいぞ」
ボタンを押して通話を切るや否や、玄関の方からガチャという音がする。
「お邪魔します」という声が廊下から響いてから数秒、先ほどまでモニターに映っていた制服姿の少年が、ひょこりとリビングに現れた。
43
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:03:17 ID:MHoifvuU0
( ФωФ)「お疲れ様です。今日は起きてらしたんですね、新島先生」
『杉浦ロマネスク』、小説家志望の高校生だ。
この年齢で小説家なんぞを志すだけでも相当変わっているのに、よりにもよって僕なんかに師事しているという相当な数寄者である。
( ^ν^)「“今日は”とはなんだ。人を社会不適合者みたいに言うな」
(; -ωФ)「“物書きに碌な人間はいない”と常々仰っているのは先生の方でしょうに…」
( ФωФ)「あ、これ差し入れです。モララーさんから」
(; ^”ν^)「うげっ…、あいつに会ってきたのか」
( ФωФ)「編集部に寄ってから来たので。そうだ、言伝も預かっていますよ」
有名な百貨店の名前がプリントされた紙袋を受け取り、もしや何か食べ物の差し入れかと期待しながら袋を開く。
しかしそんな都合の良いものをあの編集が寄越す訳もなく。
中に入っていたのは、自分が長年愛用しているメーカーのインクの山であった。
44
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:04:32 ID:MHoifvuU0
( ФωФ)「“明日の夜までなら何とかしますよ先生”だそうです」
これでもかと紙袋に詰め込まれたインクを睨みながら長い溜息を吐く。
( ^”ν^)「…ああそうかい。死刑執行までの猶予が5時間も伸びた訳だ。優秀な編集さんだよ、全く」
業腹にも程があるニヤケ面を思い返しながら作業部屋へと移動する。
何か一つでも有益なものを持ってきてくれたかと期待したのだが、そんなものを望んだ自分がバカだったらしい。
そういえば数か月前、執筆の催促をしに来たモララーに「インクが空なので物理的に書けない」と言い訳し、帰らせたことを思い出す。
おそらくこれもあの時の仕返しなのだろう。全く、心底憎たらしい男だ。
( ФωФ)「それで先生、進捗はどうなんです?」
( ^”ν^)
( ФωФ)「いや自分にそんな顔されても……」
空いていた適当なスペースに紙袋を置きつつ、全力で嫌な顔をする。
杉浦から顔を背け、デスクの上に置かれたままの原稿用紙を指差した。
45
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:05:52 ID:MHoifvuU0
( ФωФ)「相変わらず非効率なやり方ですね。今時、原稿用紙に書く小説家なんていませんよ」
(; ―ωФ)「まったく。天下の“新島ニュッ”が、こんなアナログな方法で書いてるだなんて……」
( ^ν^)「今更ケチをつけてくるな。僕はこれじゃないと書く気が起きないと言ってるだろう」
昔からずっと愛用している万年筆に目を向ける。
パイロット社の『ブラックマット』。ボールペンを彷彿とさせるほどに使いやすく、キャップレス故の手軽さが魅力の万年筆だ。
インクはカートリッジ式だから、色を変えるのも楽に済ませられるのも魅力の一つ。
執筆作業だけではない。僕は文字を書く時は余程何か火急の用でもない限り、必ずこれを使うと決めている。
46
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:06:30 ID:MHoifvuU0
文字を書くというのは、作家にとって自分の魂を削るに等しい行為だ。
だからこそ、自分の身を削ってこそ、誰かの心に残るような作品が書けると信じている。
にもかかわらず、パソコンの前でカタカタとキーボードを打つことが、本当に“執筆”といえる行為足りえるだろうか。
紙の上にインクを垂らし、なくなれば補充し、また書き進める。
書き損じないように繊細な注意を払い、単語という一つの括りではなく、一文字そのものに執念を込めて物語を綴っていく。
そんな面倒な行程をあえて踏襲することでこそ、真に“身を削っている”と言えるのではないだろうか。
…とまぁ、理由を問われればこのようなことがサラサラ言えるが、実際はそんなに大した理由ではない。
昔、妻に貰ったプレゼントがこの万年筆だった。それを使いたいがための口実に過ぎない。
詰まるところは、モチベーションの問題なのだ。
( ^ν^)「…そうだ、ちょうどいいか」
机の上の原稿を無造作に掴み、杉浦に押し付けるように手渡す。
少し動揺しながら紙の束を受け取った彼は、その大きな瞳を数度瞬かせて首を傾げた。
47
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:06:59 ID:MHoifvuU0
(; ФωФ)「えっ?あ、あの……」
( ^ν^)「読んでみてくれ。ひとまずの感想が聞きたい」
(; ФωФ)「い、いやいや!自分なんかが、そんな…!!」
首をブンブンと振りながら原稿をつっ返してくる杉浦の姿に舌打ちをする。
どうせこういう反応をするとは思っていたが、想定以上につまらないなという感想しか浮かんでこなかった。
( ^ν^)「なんだ、いつも僕が君にやっていることだろう。それが逆になっただけで…」
(; ФωФ)「“だけ”って話じゃないですよ!!い、いやそりゃ、真っ先に読めるっていうのは本当に嬉しいんですけど、でも…!」
(; -ν-)「面倒だな…。あぁわかった、じゃあこうしよう」
組んでいた腕をほどき、空になった左手を前に出す。
48
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:09:15 ID:MHoifvuU0
( ^ν^)「代わりに、君のを読んでやる。今日も持ってきてるんだろう、小説」
( ^ν^)「いつもみたいな添削じゃない。作家としてじゃなく、一人の読者としての意見も加える。それならいいか?」
僕の申し出に、杉浦はピタリと動きを止めて唇を嚙みしめていた。
迷っている、それも相当に。
本来ならば編集が一番最初に目を通すもの。それを、正式なアシスタントですらない自分が真っ先に読んでよいものか。
…といったことを悩んでいるのだろう。
良く言えば実直な、悪く言えば分かりやすい少年だ。杉浦の考えていることなど手に取るように分かる。
杉浦がうちに来るのは何も、ただ近所に住んでいるからという理由だけではない。
定期的に、彼は僕に小説を書くにあたってのアドバイスを貰いにきているのである。
49
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:10:42 ID:MHoifvuU0
きっかけは、ちょうど今から1年ほど前のことだった。
出版社に渋々出向いた時、編集長と何か話をしている学生服を着た少年が目に留まったのだ。
確かに気にはなる構図だったが、何かしらの面倒ごとに巻き込まれるのは御免だとして、足早に立ち去ろうとしたその瞬間。
編集長が目ざとく僕を見つけ、大声で「新島先生!」と叫びやがったのだ。
そこからは芋づる式だ。
とある公募で新人賞に選ばれたという杉浦を紹介され、何がどう話が転がったのか「彼の面倒を見てやって欲しい」と頼まれた。
もちろん、二つ返事で断った。僕は僕の抱えている案件で手一杯なのだ。
それに小説家というのはどいつもこいつも何かしら人間的に問題がある生き物であり、僕もその例に漏れない社会不適合者だ。
誰かに何かを教えるなど、そんな能力も適正も道理もない。
…が、結論から言うと、結局押し切られてしまった。
僕の矜持のために弁明させてもらうと、別に情に絆されたとかでは断じてない。
単に編集長に借りを作れるのは自分にとってもメリットがあると思っただけだ。
それに、杉浦という若い学生作家を近くに置けば、新鮮なインスピレーションを得られる可能性も高かった。
決して、熱のこもった目でファンだと言われたからとか、初期の頃の自作品について熱い感想を長々と語られたのが嬉しかったとか、そういう訳ではない。決して。
50
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:11:05 ID:MHoifvuU0
(; ФωФ)「…わ、わかり、ました。そういうことなら…」
大事そうに原稿を受け取った杉浦は、自身の学生鞄をゴソゴソと漁る。
その中から出てきたのは、手のひらにすっぽり収まるサイズのUSBメモリだった。
( ^ν^)「よし、それじゃあ早速……」
「読ませてもらう」と言おうとした瞬間、奇妙な音が部屋に響いた。
この音には聞き覚えがある。というか、さっき聞いたばかりの音だ。
( ーωФ)「……先生、またご飯抜いたんですか?」
非難するような冷たい目線が注がれる。
仮にも師と仰ぐ人間に対して向けるそれではないだろうと思ったが、糖分が欠乏した頭では何も言い訳が出そうにない。
結局僕は閉口したまま、そっぽと向くという小さな抵抗に留まった。
51
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:11:48 ID:MHoifvuU0
( ^ν^)「……よし。予定変更」
USBメモリを机に置き、床に無造作に転がっていた鞄を開く。中には、学生の頃から使っている草臥れた黒の革財布があった。
開いて中身を確認し、そこから一枚のクレジットカードだけを抜き出す。
それをスマホの手帳カバーに差し込み、杉浦の肩をぽんと叩いた。
( ^ν^)「腹が減ってはなんとやら。夕飯でも食べに行くぞ、杉浦」
(; ФωФ)「……え!?い、今からですか!?締切は明日までって…!」
( ^ν^)「引っかかる部分が多少あるだけで一応はもう出来てる。それに、“明日の夜まで”なら大丈夫なんだろう?特に問題はない」
リビングへと移動し、椅子にかけてあった薄手のスプリングコートを羽織る。
既に桜は散りかけている今の季節といえど、流石に夕方以降は冷え込むだろう。
そんな外を出歩いて風邪をひくのは御免こうむる。
52
:
名無しさん
:2023/12/01(金) 19:12:14 ID:MHoifvuU0
(; ФωФ)「明日までに修正しなきゃいけないのに大丈夫な訳ないでしょ!食べ物なら自分が適当に買ってきますから、先生は執筆を…!」
杉浦の必死な制止を、再び奇妙な音が遮る。
音が部屋中に木霊すると同時に、熱弁していた杉浦の唇がピタリと止まった。
僕の口角は意地悪く上がり、対照的に杉浦は顔を下げて恥ずかし気に俯く。
その理由は単純。今腹の虫を鳴らしたのは、僕ではなく、生真面目な小説家志望の未来ある学生だったからである。
( ^ν^)「決まりだな、いつもの所に行くぞ」
「ついて来い」と声をかけ、玄関へと歩く。
隅っこに転がっていた草臥れたスニーカーを履き、コートのポケットにスマホが入っているかどうかだけを軽く確認した。
(; ―ωФ)「……お酒は一杯だけですからね」
背後から聞こえる声に明確な返事をしないまま、僕は玄関のドアに手をかけた。
53
:
名無しさん
:2023/12/02(土) 13:07:19 ID:4EHlzT4A0
乙
54
:
名無しさん
:2023/12/02(土) 20:41:55 ID:B3lUk63U0
オツ
55
:
名無しさん
:2023/12/12(火) 04:00:24 ID:P3wO6Mn.0
乙
面白い
56
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:43:05 ID:DrdBCTAo0
*
家を出て、暗い夜道をゆっくりと歩くこと数十分。
住宅街から少し離れた道。本当に都内なのかと疑いを持ってしまうほど静寂な空間の中に、一軒家のようにポツンと佇む店があった。
妻と付き合う少し前、当時はまだ新卒だった森野から教えてもらった小料理屋。
居酒屋『花道』。
多種多様な日本酒と丁寧で繊細な料理が評判の、所謂“知る人ぞ知る”店である。
57
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:44:05 ID:DrdBCTAo0
店内では、聞き覚えのある音楽が流れていた。
世界で一番美しいコード進行だと呼ばれている、十七世紀末の傑作。
パッヘルベルのカノン、ニ長調。
バイオリンのソロ用にアレンジされたのであろうそれは、小料理屋全体に優雅な雰囲気をもたらしていた。
( ∵)コトン
( ^ν^)「どうも」
(; ФωФ)「あ、ありがとうございます」
( ∵)ペコ
相変わらず寡黙なマスターに軽く会釈をし、テーブルに置かれた数々の料理に目を向ける。
空きっ腹でも食べられそうな前菜のサラダに、岩塩だけで味付けされたシンプルな焼き鳥の盛り合わせ。
若い杉浦が好みそうな分厚い唐揚げや、口直し用の塩漬けキュウリ。
より一層空腹を促進させる料理が視覚と嗅覚を刺激する中、マスターがグラスに酒瓶を傾けた。
58
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:44:39 ID:DrdBCTAo0
『雨後の月・大吟醸“月光”』
広島で造られる、全国でも有名な日本酒の一つだ。
全体的な特徴としてはやはり、柔らかな優しい、それでいて切れ味のある口当たりだろう。
果実酒を思わせるようなフルーティーさを、超軟水ならではの味わいが包み込む。
初心者も日本酒好きも唸らせる、まさに万能な日本酒だ。
( ^ν^)「ありがとうございます」
( ∵)ペコ
グラスはおろか枡が溢れるほどに酒が注ぎ、無言のまま頷いただけのマスターの背中を目で追う。
いつもメモも取らず注文を聞いては厨房に帰っていくが、彼が注文を間違えたところを見たことがない。
余談だが、この店にはバイトや他の従業員といった人間はいない。オーダーどころか、調理も提供も、果てにはレジまで。全てマスターが一人でこなしているのだ。
地味ながらまるで魔法のようなその芸当に昔は興味を超えて恐怖を覚えたものだが、今ではとんと気にしなくなった。“慣れ”とは末恐ろしいものである。
59
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:45:09 ID:DrdBCTAo0
しっかり火が通ったせせりを食し、舌鼓を打つ。
枡に沈んだグラスを手に取り、軽くおしぼりで周りを拭いてから酒を一口含む。
ほのかな米の旨味と香りが広がり、口内に残った油を綺麗に洗い流していった。
( ФωФ)「うわ、本当に呑んでる…」
( ^ν^)「“一杯まで“と言ったのはお前だろう」
(; -ωФ)「全く…間に合わなくても知りませんからね」
信じられないといった目をする杉浦を袖にしつつ、再び料理を口にして、また酒を呑む。
そんな自分に呆れながら、杉浦もまた来たばかりの唐揚げに箸を伸ばした。
( ФωФ)「…そういえば、長編の方の進捗はどうなんですか?」
もぐもぐと上手そうに咀嚼をしていたのも束の間、再びいつもの生真面目な顔に戻った杉浦から質問の声が上がる。
僕は心底嫌そうな顔をしながら、焼き鳥の串に思いっきりかぶりついた。
60
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:47:09 ID:DrdBCTAo0
( ^”ν^)「食事中にしていい話とダメな話があるだろ、空気読め」
( ФωФ)「いや、これは明らか前者に入ると思いますけど」
咀嚼を続けつつ視線だけは巧みに逸らす。
杉浦が言及したのは、僕が一番頭を悩ませている仕事に対してである。
今抱えている中で一番優先すべき案件、ずっと前から進めている長編小説のことだ。
( ФωФ)「モララーさんが心配してましたよ。最近、またどうも先生の調子が悪そうだって。」
( ^”ν^)「今度あいつに会ったら“自分の出世の心配でもしてろ青二才”とでも言っといてくれ」
(; -ωФ)「出世なんて、あの人の頭から一番遠い概念でしょうに……」
共通の知り合いの悪口で盛り上がる。
これは持論だが、他人の悪口ほど酒が進むつまみもないだろう。
61
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:48:39 ID:DrdBCTAo0
『森野モララー』
間違いなく優秀な編集ではあるが、どこか人間性に問題がある若者だ。
入社して僅か三か月で、当時パワハラで有名だった上司の一人を舌戦でボロカスにし、退職にまで追い込んだという噂を聞いた時は身震いしたものである。
知り合って一年ほど経ったある日、いったいどんな風に論破したのかと本人に尋ねたら
( ・∀・)『いや?普通にちょっと恫喝の録音データと浮気の証拠写真ちらつかせただけっすよ』
( ・∀・)『理由もねぇ残業なんかで彼女とのデート潰されたくないっすもん』
と笑顔で返された。
とんでもないガキだと震えたあの日のことは、今でも脳裏に焼き付いている。
( ФωФ)「…あぁ、そういえば」
律儀に箸を皿の上に置き、杉浦は徐にスマホを操作する。
こちらに向けられた最新機種の画面には、どこか懐かしさを感じるような沢山の屋台と、大きな花火が映し出されていた。
( ФωФ)「モララーさんから聞いたんですけど、今年はやるみたいですよ。夏祭り」
( ^ν^)「……へぇ、またやるのか」
なくなった焼き鳥の串をまとめ、再び日本酒を一口飲む。
杉浦のスマホを少し下にスクロールすると、そこには今から三か月ほど後の日付が記されていた。
62
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:49:29 ID:DrdBCTAo0
( ФωФ)「もう数年やってませんでしたからね。自分は小学校の頃すら行ったことないですけど」
( ^ν^)「お前にも小学生の頃なんてあったのか。それは少し興味あるな」
(; -ωФ)「いくらなんでもありますよそりゃ…」
揶揄いの色を隠そうともしない僕の声色に、杉浦は不愉快そうな顔をする。
彼の身長は既に、高校二年生時点で180cm後半はある。
老け顔なこともあり、学生服を着ていなければまず間違いなく学生だとは分からないだろう。
実際、自分も編集長に紹介されなければ同い年だと勘違いしたに違いない。
「小学生の頃の時点で高校生と間違えられた」とは本人の弁だ。人一倍多感な彼にとっては、そこそこのコンプレックスであるらしい。
( ФωФ)「先生は行ったことあるんですか?もう長いこと、この街に住んでらっしゃるんですよね?」
中途半端に余っていたサラダを噛みつつ、無言で頷く。
数年前、どこぞの出店がボヤ騒ぎを起こしたとかで祭りが中止になるまでは毎年行っていた。
別に、全国的に有名だとか、由緒正しい歴史があるだとか、そんな特殊な事情は一切ない。
街の中にある少し大きな神社を中心として、出店や屋台が出る、至って普通の祭りである。
ただ、都内にある区の祭りであるから、その規模はそこまで小さくはない。
特に、目玉のメインイベントである打ち上げ花火は、中々に目を見張るものがあった。
あれを目当てに隣町から来る若者も多いと聞く。実際、祭り当日は例年、ある程度の交通規制がなされていた。
要するに、大きくも小さくもない。そのぐらいの規模の夏祭りである。
63
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:49:51 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「なんだ、もしかして興味あるのか?」
( ФωФ)「……少し」
杉浦の返答に、僕は唐揚げを取ろうとしていた手を止めた。
彼と知り合って疾うに一年。ある程度の趣味嗜好や人間性は把握している。
思慮深く、周りのことをよく見ている。それでいて生真面目な性格が災いし、見えている筈の物への配慮に欠ける時がある。
まぁ端的に言えば、実直な青年だ。少なくとも自分よりはずっと人間的に優れている。
年の割に落ち着いていて、どこか世俗から一歩引いたスタンスを崩さない。
そんな彼がまさか夏祭りに興味を示すとは思いもしなかった。
( ФωФ)「…少し、行き詰まってまして」
杉浦の食事をする手が完全に止まる。
彼の表情にはどこか、焦っているような影が見えた。
( ФωФ)「今までのようにスッと指が動かないというか…自分で自分の作品を、“面白い”と思えなくなってきていて……」
彼の言葉に短く「なるほどな」と返す。
これでも、十年以上は文字を書いて飯を食っている人間だ。彼の今の現状には嫌と言うほど心当たりがある。
64
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:50:12 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「今まで触れてこなかった類のものに、自分から触れようと思っている訳か」
コクリと頷く杉浦を肴にしつつ、いつの間にか半分を切っていた日本酒を飲む。
“夏祭り”なんて一般の人間なら誰しもが経験しているはずのイベントを知らない。
だからこそ、大衆とは違った感性を基にした物語が書ける。そう言えば聞こえはいいし、確かに彼の武器の一つではあるだろう。
けれどそれは裏を返せば、“普通の物書きなら書ける話が書けない”ということだ。
基本問題が解けなければ応用問題に歯が立たないのと同義。
王道を理解出来ずに、邪道の良さを語れる訳がない。
「そんな詰まらないことするより、一文字でも多く書けるようになった方が良くないですか」などと仏頂面でほざいていた少年は何処へやら。
自分が以前から口酸っぱく言っていた忠告の意味を、ようやく理解したようだった。
(; ФωФ)「…すいません、前に偉そうなことを言っておいて、こんな……」
( ^ν^)「いや?いいんじゃないか」
どこか居心地が悪そうな顔から一転、杉浦はその猫のような瞳を大きく見開く。
呼び出し用のベルを軽く叩き、僅かに残っていた酒を喉に流し込む。
「よく勘違いしてる人間が多いんだがな」と前置きをしつつ、僕はグラスを置いて二の句を継いだ。
65
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:50:53 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「剣を抜ける人間ってのは、世の中が想定しているよりもずっと多い。“何かに反発する”だの“多数派に逆らう”だの、別に珍しくも凄くもなんともない」
( ^ν^)「でもな、一度抜いた剣を振らず、そのまま鞘に収めて頭を下げられる人間ってのは、本当に一握りなんだ」
( ^ν^)「お前は後者だった。なら、それでいい。そういう一握りの人間にしか書けない話ってのは、間違いなく需要がある。売れるかどうかは別にしてな」
( ^ν^)「まぁ何にせよ……下らない矜持を守って停滞依存に陥るより、百倍マシだ」
( ^ν^)「作家としても、人間としてもな」
( ФωФ)「…………」
( ФωФ)「そう、ですかね」
杉浦の瞳に柔和な光が小さく灯る。
らしくもない自論を恥ずかしげもなく語ってしまったが、どうやら気休め程度にはなったらしい。
( ^ν^)「とにかく、自分から動くのはいいことだ」
( ^ν^)「何が刺激になるか分からない以上、物書きにはある程度のアグレッシブさが…あ、マスター、ぼんじりとつくね二本ずつ。塩で」
( ∵)コク
( ФωФ)「真面目な話の途中でちゃっかりおかわりしてる…」
( ^ν^)「こちとら丸一日何も腹に入れてなかったんだ、許せ」
物言わぬまま去っていくマスターの背中を見送り、空いた皿を端に寄せる。
これらも目を離した一瞬のうちに、あのマスターに片付けられるのだろう。もはや魔法と言われたほうが納得のいく所業だ。
66
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:51:34 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「……“おかわり”、か」
( ФωФ)「ん?どうしました?」
ふと、何かひっかかりを覚えた言葉をボソリと復唱する。
“おかわり”。別になんてことはない、何も珍しくはない単語。
特に美しさを感じるような響きもなければ、掛け言葉にもし辛い語感。
肘をつき、すっかり空いたテーブルの表面を見つめながら思考を巡らせる。
何も珍しくない、なんら特別な魅力も感じない単語がぐるぐると頭を巡る。
そうしていると、カタンとテーブルに先ほど注文した焼き鳥が置かれた。
「失礼します」と言って、杉浦がその内の一本に手を伸ばす。
炭火で丹念に焼かれたぼんじりが、ゆっくりと彼に咀嚼されていく。
( ^ν^)(……“おかわり”、“料理”、“食事”…)
明日までに提出しなければいけない小説のことを思い返す。
先方から頼まれた、三万字程度の恋愛小説。
67
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:52:31 ID:DrdBCTAo0
今回、自分が話の中心に添えたテーマは“食”だった。
小説が“面白い”という評価を受けるためには、メインストーリーの軸一本では足りない。
味が複雑であればあるほど料理が美味しく感じるのと同じように、小説ともいうのも、ショートショートの類でないのなら軸が一本では単調になり、つまらなくなってしまう。
話に厚みを持たせるのと、読者の意識を散らすことで展開を読ませにくくする。シンプルな手法だが、得られるメリットは大きい。
そういった考えから今回、“恋愛”という一本の太い柱を支える要素して“食”を選んだ。
食事デートだのディナーだの、食と恋愛は絡めやすい。そういった安直な考えからだったが、これは昔からよく使える手法だった。
一応全部書き終えはした。だが、何処かが気に入らなかった。
作家の端くれとして何年も生きてきた経験が告げていた。
「これは駄作だ」と。「出しても大して売れない、読まれない」と。
原因はぼんやりとだが分かっていた。
大して人に誇れるような才能はないが、昔から、物事を分析する能力だけは長けていた。
終わり方が詰まらない小説は美しくない。ダラダラと続く物語は、途中がどれほど秀逸だろうと駄作である。
タイトルと、終わり方。
自分が今まで一番拘っていた部分に、納得が足りていないのだ。
68
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:52:54 ID:DrdBCTAo0
毎日のように舞い込んでくる依頼。
“誰か”を忘れるために、遮二無二筆を走らせる日々。
そんな生活を年単位で続け、ついに、譲れない部分にまでヒビが入った。
今まで大切にしていた“何か”が、すっと思い出せなくなっていた。
今、その“何か”が埋まりそうな予感がした。
置かれた焼き鳥に手を付けず、思考の海を泳いでいく。
ずっと求めていたピースが、そこにある。
僕は何に引っかかった?何に魅力を感じた?
呼吸も瞬きも鼓動も忘れて、只管に海底へと潜る。
月光すら届かないはずの下で、淡く、それでいて確かに輝く光に向かって懸命に手を伸ばす。
( ФωФ)「先生、せっかく頼んだんですから、ちゃんと食べないとダメですよ」
( -ωФ)「まったく、ノリと思い付きで頼まないで下さい。場末のライブのアンコールじゃないんですから……」
果たして、それは、見つかった。
69
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:53:26 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「それだ」
手を伸ばし、残っていた串を全て掴む。
締切間近の事務作業のように急いで咀嚼した後、僕はいつの間にか注がれていた冷水を一気に飲み干した。
(; ФωФ)「えっ?ちょ、あの、先生?」
戸惑いを隠せず狼狽える杉浦を無視しながら、背凭れにかけていたコートを羽織る。
(# ^”ν^)「そうだ“言い換え”だ!なんで思いつかなかった…!?くそっ、柔軟さが足りなかった、ダメだと思ったらすぐ手法を変えるのも常套だったのに」
(# ^”ν^)「タイトルはそうするとして…いや、なら展開も変えよう。変にストーリーそのものを弄ったら寧ろくどくなる。となると…終わり方は単純に……いやそれなら料理のジャンルも…」
(; ФωФ)「ちょっと!?え、あの、か、帰るんですか!?」
(# ^”ν^)「書き直す!!」
(; ФωФ)「……へ?」
頭の中で思考を巡らせながら足早にレジへと歩く。
当然のように立っていたマスターにカードを渡し、手早く暗証番号を押した。
70
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:53:58 ID:DrdBCTAo0
(; ФωФ)「……か、書き直す!?そ、それは、全部…今からですか!?」
(# ^”ν^)「全部だ!タイトルから結末まで全部!…あぁ、あの原稿は捨てる!もういらん!」
(; ФωФ)「明日までなの分かってますか!?別に全部じゃなくても、気に入らないとこだけ修正すれば……!」
(# ^”ν^)「全部気に入らなくなった!だから全部書き直すだけの話だ、ごちそうさま!」
(; ФωФ)「ま、待って下さ…!あ、あの、ごちそうさまでした!」
( ∵)コク
足早に店を出て、スマホに入れていたタクシーアプリを起動する。
横で喧しく何かを主張している杉浦を無視しながら、タクシーを待つ間、頭の中でプロットを組み立てていく。
メインの料理、それを描写していた小説の表現はどうだったか。
どれほど調理の記述に割いていたか。
心理描写は。料理人特有の感想や、感性のリアリティを出すにはどうしていたか。
参考に出来そうな話を手早くスマホのメモ機能に書き起こしていく。
久しぶりに、“書きたい話”が書けそうな予感がしていた。
71
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:54:19 ID:DrdBCTAo0
*
甲高い機械音が聞こえてきて、手に持っていた文庫本から目を離す。
東京都内、千代田区。その中にある一つビルのロビーにいた。
エレベーターから、見慣れた顔が現れる。
学生服ではなく、やや大人びたシックな黒の私服に身を包んだ少年。
杉浦だ。
( ФωФ)「お疲れさまです、せんせ……」
( ^ν^)「どうだった」
挨拶を遮り、単刀直入に問いただす。
口を噤んだ彼は少し押し黙った後、ゆっくりと首を横に振った。
72
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:55:01 ID:DrdBCTAo0
( ω )「………ダメでした、選考」
( ^ν^)「……そうか」
空いている隣のスペースを軽く叩き、座るように促す。
わざわざ「失礼します」と断りを入れ、彼は空間を空けて僕の隣に腰掛けた。
( ^ν^)「森野からはなんて言われた」
気を遣うこともなく、余計な慰めを言うこともなく、ただ聞かなければならないことだけを聞く。
彼に余計な言葉は要らない。むしろ、そういった類の慰めを嫌う気性だ。
( ФωФ)「…“つまらなくはない。ただ、特徴がない”と」
杉浦の発言に、自然と長い溜息が出る。
ただ後ろでニヤニヤしているだけかと思えば、誰よりも物事の本質を見ている。
それでいて、中途半端なアドバイスしかしない。
森野が言いそうな言葉だなと思いながら、僕はもう一度息を長めに吐いた。
73
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:55:44 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「…でも、あいつが“つまらなくない”って言ったんなら、充分に及第点か」
見る目は誰よりもある編集だ。
“面白い”か“つまらない”か。その判断を分けた上で“売れる”か“売れない”か。
その見極めに関しては、ただ物語の書き方のコツを伝授するだけの僕よりも遥かに上だろう。
それならハッキリと理由を呈示して欲しいものだが、「そこは作家本人が察しないと」だの「作家を成長させるのも編集の仕事なんで〜」だのとほざくのがオチだ。
その辺りに関してはもう諦めている。説得を試みるだけ時間の無駄だ。
( ^ν^)「まぁ、僕の所感からしても、悪くなかった」
( ^ν^)「けどやっぱり、キャラクター一人ひとりの、行動の基になる動機付けが浅かったな。次はその辺りに重点を置いて――」
( ФωФ)「先生は」
杉浦にしては乱暴な、それでいて低い声がロビーに響く。
彼は視線を下げたまま震える声で話を続けた。
74
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:57:00 ID:DrdBCTAo0
( ФωФ)「先生は、気付いてましたよね。自分のあの話は最後まで通らないって」
( ω )「落ちるって…予め分かってて、持ち込ませたんですよね」
( ^ν^)「………」
時に、沈黙というのはあらゆる会話や発言を凌駕する。
現実におけるコミュニケーションにおいても、小説や映画などの創作においても、よく使われる手法だ。
僕は無言のまま、口を堅く一文字に結ぶ。
杉浦もまた少しの間黙り、ロビーに短い沈黙が充満した。
( ФωФ)「…もう、最初の本を出してから一年経ちました」
( ^ν^)「なぁ、何度も言うが、お前なら別にそこに関して焦る必要は――」
( ω )「あるでしょう」
静かで、それでいて鉛のように重たい呟きが漏れた。
膝の上で握られた彼の両拳は、声と同様、氷点下の掌のように震えている。
…そういえば昔、彼に向かって言ったことがある。
創作の原動力の一つは“飢え”だ。
物書きが人生で書ける文字数の限界は決まっている。それをどれだけ消費しようとしているかで、物語への“熱”が変わる。
それを求めない人間に、“面白い話”は書けない、と。
75
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:58:03 ID:DrdBCTAo0
( ω )「先生なら、分かってくれるでしょう。否定しないでくれるでしょう」
( ω )「一冊でも多く、早く、売れないと、出さないとダメなんですよ、自分は」
視線を杉浦から外し、彼が肩から下げている鞄を見る。
見る人が見れば分かるブランドのロゴが入ったそれは、よく手入れがなされているように見えるものの、買い替えないのかと声をかけたくなるほどの隠しきれない経年劣化の痕がある。
少なくとも、高校生が使うには相当に年季の入った代物だ。
( ω )「教えてください先生。どうすれば面白い話って書けるんですか。面白い話ってなんですか」
( ω )「先生がよく仰る、面白い話と、売れる話の、違いって正確には一体なんなんですか」
( ω )「いつになれば、あと何文字書いたら、何作書いたら」
( ω )「どうすれば自分は、先生みたいになれますか」
未だに視線はこちらに注がれていない。それでも、彼の真剣さは震える声から痛い程に伝わってきた。
そんな彼の摯実な様子を見ながら、僕は呑気にも“懐かしいな”と思っていた。
彼を編集長から任され、うちにまで押しかけて来た日。
その時にも彼は、僕が昔出した小説を握りしめながら、同じことを尋ねてきたのだ。
あの時のように、適当な言葉で流せそうにはないな。
そう思った僕は、上着のポケットに手を突っ込みながら立ち上がった。
( ^ν^)「歩きながら話そう。動いた方が、頭の回転もマシになる」
杉浦がゆっくりと腰を上げるのを待って、ロビーを出る。
東京都内のビル街の中では、四月といえど、未だに夜は冬と勘違いしそうな冷風が吹き荒れていた。
76
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:59:06 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「この辺りは不便だよな」
ビルが建ち並ぶ道を歩く途中、特に何か意図がある訳でもない言葉が口から飛び出る。
自分が昔から、なんとなく思っていたことだ。
( ФωФ)「…?いや、寧ろ便利な方かと思いますけど……」
( ^ν^)「周りを見てみろ、ここから電車に乗るまでどれくらいかかる?」
歩きながら周りをぐるっと見渡してみる。
首の骨が折れそうになるくらいに高いビルの下には、スタイリッシュを気取ったガラスの看板が知並んでいる。
そこには随分と読みやすい大きさのフォントで“東京駅”だの“大手町駅”だの、300m先だのという情報が、日本語以外の言語でもご親切に書かれているのが見て取れた。
( ФωФ)「近いじゃないですか、それに地下もあるから、雨が降ってても行きやすいし…」
( ^ν^)「駅まではな。実際、電車に乗るとなったらめちゃくちゃ時間がかかる」
( ^ν^)「人だって夏の虫みたいに多いから、電車が来たところで乗れるか分からない。雨が降っても大丈夫というが、濡れた地下道なんて滑り易くてまったく便利じゃない。ビショビショの傘を持った奴らと電車に乗り合わせるのも最悪だ」
( ^ν^)「それに、どこもかしこも同じような建物ばかり。これなら、田舎の市役所案内の方が百倍は分かりやすいと思わないか?」
( ^ν^)「……どれだけ高いビルを建てようが、この街じゃ、大して目立たないだろうな」
僕の話を黙って聞きながら、杉浦は何かを考える素振りを見せる。
律儀なヤツだと思いつつ、僕は途中で進路を変えた。
77
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 00:59:38 ID:DrdBCTAo0
大通りのように大して舗道もされていない小道を歩く。
脇には手入れもされていない雑草が生い茂り、さっきまでよく見かけたような洗練された建物など何処にも見当たらない。
そんな小道を数分歩くと、目の前に小さな公園が現れた。
時世の煽りを受けたのか、小さな公園特有の簡易な遊具すらない。
隅っこに砂場と、小学生の身長くらいしかないジャングルジム。
この辺りに住んでいる子どもたちが心配になるくらいには、非常に簡素化された空間だった。
( ^ν^)「最近見つけたんだ。誰も来ないし、都会の喧騒も聞こえない。一人で考え事をするときに良さげだろ?」
臆することなく公園に入り、適当なベンチに座る。
一応行政の敷地ではあるのか、人が来ない割にはある程度清潔に保たれていた。
( ФωФ)「……あの先生、さっきの話の続きですが」
( ^ν^)「なぁ杉浦」
話を意図的に遮り、空を指差す。
真っ暗な、黒のインクが入ったバケツをひっくり返したような夜空。
小さな雲がシミみたいに漂うキャンバスの中心に、一つ、煌々と光る物体が浮かんでいた。
今日は、月に一度の満月の日であった。
78
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:00:13 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「月を綺麗だと思うか?」
上を見上げたまま杉浦に疑問を問いかける。
視界に彼の顔は映ってはいないものの、相当困惑した表情になっていることは容易に把握できた。
(; ФωФ)「えっ…?なんですか、急に」
( ^ν^)「いいから。難しく考えず率直に答えろ」
質問を投げかけ、数十秒の間、公園内には冬の夜らしい静寂が広がる。
都会の喧騒も、未だ慌ただしい残業の様相も聞こえない。
まるでここら周辺だけ、別次元に切り取られたのかと錯覚するほど不自然な静けさがあった。
(; ФωФ)「…綺麗だと思います」
杉浦の口から出た答えは、極めて単純なものだった。
奇をてらった訳でもなく、洒落を利かせた訳でもない。
実直な杉浦らしい解答だ。無論、僕が望んでいたのはまさにこういう答えだった。
学生時代の頃を思い出す。
授業中、生徒に質問をやたらと投げかけていたあの面倒な教授は、こういう気持ちだったのだろう。
79
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:00:49 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「そうか。なら、月が嫌いな人間はどれくらい居ると思う?」
( ФωФ)「そんな人ほとんどいないでしょう。いるとすれば、よっぽどのひねくれ者ですよ」
再び単純な質問をした。
そしてまた、返ってきたのは単純な答え。
僕は顔を空に上げたまま、脳内で纏めておいた文章を作業の如く口にした。
( ^ν^)「知ってるだろうが、月は別に、太陽みたいに自分で光ってる訳じゃない」
( ^ν^)「あれは、太陽の光を反射してるだけだ」
別に珍しくもなんともない。雑学の類にも入らない一般常識の知識。
月の光は月自身が放っている訳ではない。あれは、ただ太陽の光を反射しているだけだ。
その日の月が地球の周りのどこにあるか、ただそれだけの話に過ぎない。
もちろん、僕はそんな小学生でも知っている知識の再確認がしたい訳ではない。
ここでようやく、僕は月から杉浦へと視線を戻す。
ずっと空に向けていた首をさすりながら、不思議そうな顔をしている少年に改めて向き直った。
80
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:02:18 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「自分が光ってる訳じゃないのに、何故か世間は太陽じゃなくて月を褒め称えてる」
( ^ν^)「それどころか、“月光”だの“月明かり”だの“月下美人”だの、まるで光の主体が月であるかのような言葉だって言語圏を問わず山ほどある」
夜逃げを“ムーンライトフリット”と訳す大陸があるように。
女性を口説く時、“月のようだ”と褒め称える国があるように。
歴史ある儀礼から、普段何気なく使う言葉まで。
国や時代を問わず、月を神格化する風潮というのは人類の歴史上、よくあることだ。
( ^ν^)「本当は皆知ってる筈だ。月が光ってる訳じゃないと。なのに、皆が持て囃すのは月なんだ。なんでだと思う?」
( ^ν^)「僕からみれば大衆はまるで、盗んだ高級品を自慢する泥棒の方を褒めているように見えるんだがな」
月光を賛美するという風潮。それが僕は、昔から不思議で仕方なかった。
狂ったように月に意味を求める人々や創作を見る度に、もはや宗教染みた洗脳を見る時のような、そんなうすら寒さすら感じていた。
81
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:03:37 ID:DrdBCTAo0
(; ФωФ)「そ、それは……」
( ^ν^)「それは?」
(; -ωФ)「……月そのものが、綺麗に見える、から……?」
不安そうに自分なりの答えを述べる眼前の少年に、僕は軽く頷いた。
正解である。本人は不安そうにしているが、簡潔に言えばそれで合っている。
だが、それだけでは70点だ。
( ^ν^)「もう少し厳密に言ってみよう。月自身が光ってないことなんて、皆知ってる。なのにどうして、太陽ではなく、月そのものを褒めたがるのか」
( ^ν^)「月が光ってるみたいに見えるから。それでいい、正解だ。だけどまだ少し言葉が足りない」
( ^ν^)「…大雑把に言えば、単に面倒だからだ」
やや乱暴な物言いに、杉浦は要領を得ないといった顔をする。
それでもそこで口を挟むことなく沈黙に徹している様子が、まさに優等生といったところだなと思わせた。
82
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:04:32 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「大事なのは、ぱっと見なんだよ。分かりやすさ…明確さと言い換えてもいい。大衆にとって、重要なのはそこなんだ」
( ^ν^)「夜の満月がどう見えるか、それを見てどう思ったか。価値の核心というのはそこにある。本当に光ってるのは月かどうか、じゃない」
( ^ν^)「月がどう見えたか。真に大事なのはそれだけなんだ。それ以外はただの情報に過ぎない。意味どころか価値すらもない」
随分と乱暴な物言いを、少しも躊躇うことなく口にした。
聞く人によっては、相当に物議を醸す自論だろう。別に僕は言語学の研究者でも、歴史のスペシャリストでもない。
大した教養もなく、人の興味を惹く文章がどういうものかほんの少し知っているだけの、ただのしがない物書きだ。
杉浦の表情が、どんどん懐疑的なものになっているのが分かる。
さっきから一体何の話をしているのか。いつになったら自分の質問に答えてくれるのか。
彼の胸中では、そんな不満が渦巻いていることだろう。
(; ФωФ)「あの、それが一体――」
( ^ν^)「小説も同じだ」
耐えきれないといった様子で口を開けた杉浦を間髪入れず黙らせる。
随分と長く、迂遠な前振りになってしまったが、まぁよしとする。
自分は教師という職業には適していないのだろうな、という何の意味もない発見を得ながら、僕は杉浦の質問にようやく答えることにした。
83
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:05:05 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「小説も同じなんだよ。内容が、タイトルが、展開が、手法が、語彙が、結末が、どこか一つが、月光みたいに輝いていればいいんだ」
( ^ν^)「それの元ネタがなんだの、作家の意図だの、誰が書いただの、そういうのは全部、読者にとっては些事に過ぎない」
とんでもないことを言っている。
とんでもないことを、まだ若い、未来の作家の卵に説いている。
出版、執筆、美術、その他“創作”に類する者が聞けば怒髪天モノの考えだ。
だが、口を閉ざす気は一切ない。
彼と出会って一年。もうそろそろ、一切の忌憚なくアドバイスをしてもいい頃だろう。
仮にそれで失望されたとしても、どうでもいい。そもそも“良い教師であろう”なんて気は毛頭ない。
否定しようが、肯定しようが、それは彼の自由意思。
ただこれが、“新島ニュッ”という作家が辿り着いた、一つの創作論であるというだけの話だ。
84
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:06:04 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「どうすれば面白い話が書けるのかと聞いたな。答えてやる」
( ^ν^)「手段を選ぶな。使えるものはなんでも使え。自分の経験だけじゃなく、他人の経験も、作品も、思い出も、罪も、全部消費しろ。世界そのものを足蹴にしろ。燃料にしろ」
( ^ν^)「“これがこの作品の月光なんだ”と思ったら、それを多少形を変えて使えばいい。どこから引用したかなんて大衆にとっては関係ない。それを鋭敏に探し分ける能力を身に付けろ」
( ^ν^)「前に僕がお前に言った“飢えろ”ってのは、そういうことだ。今のお前にはそこが足りない」
( ^ν^)「そうすればある程度は、面白いと言われる作品を頻繁に書けるようになる。あの性悪編集に認められるかはさておき、まぁ…少なくとも、僕程度には成れる」
( ^ν^)「……以上。これが、お前の質問に対する答えだ」
言葉を失ったままの杉浦に「なにか質問は?」と尋ねる。
彼はしばらく黙って固まったあと、恐る恐るといった様子で口を開いた。
(; ФωФ)「…すごく、危険なことを仰ったように思えます」
( ^ν^)「そうか。しっかり伝わったようでなによりだ」
(; ФωФ)「……いや、というか、その、 」
(; ω )「今の口ぶりだと、その、先生は……」
85
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:06:55 ID:DrdBCTAo0
――まるで、“盗め”って言っているように、聞こえました。
震えた声が公園に響く。
失言をしたと思ったのだろうか。肌寒い春風が、頭を下げた杉浦の髪を撫でて去っていく。
よく分からない謝罪の言葉を述べる彼の頭部に向かって僕は「そうだ」と短く返答をした。
(; ФωФ)「………えっ…?」
( ^ν^)「そうだ。僕は、盗んでもいいと言った」
( ^ν^)「物書きらしい表現風に言うなら、“月になれ”と言ったんだ」
( ^ν^)「まぁ、長々と教師の真似事みたいなことを言ったが、要するに――」
( ^ν^)「“泥棒”になれ。それが一番手っ取り早い」
すっかり緑になった葉桜を風が運ぶ。
僕らの間を、数枚の葉が音を立てて過ぎていく。
夢から覚めたようにはっとした杉浦が声を荒げたのは、ようやく風が止んだ頃だった。
86
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:09:23 ID:DrdBCTAo0
(; ФωФ)「――それは、ダメ、でしょう!?」
杉浦らしからぬ、熱のこもった大声が夜の公園の中に木霊する。
僕はそれに何も言わない。ただ目だけで「何が」と問いかける。
言葉で干渉するまでもなく、彼はわなわなと言葉を絞り出した。
(; ФωФ)「それはっ…!それは、もはや“盗作”だ!“創作”じゃない!」
(; ФωФ)「自分が、自分がやりたいのは、そんなのじゃ――!」
( ^ν^)「何が違うんだ」
走っている途中に足をかけられた子どもみたいに、杉浦の勢いが止まった。
( ^ν^)「“盗作”と“創作”、何がどう違うんだ」
( ^ν^)「僕も昔からずっと気になっている問題なんだ。答えてくれ、どう違う?」
質問する側と答える側が一転、さっきまでとは立場が丸ごと変わる。
月光が照らす僕らの影の伸びる方向すら、いつの間にかここに来た時とは違っていた。
87
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:10:51 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「例えば、『神様のカルテ』って小説があるよな。お前が昔、好きな小説の一つだと挙げていたやつだ。面白いよな、僕も好きだ」
『神様のカルテ』、古風な青年医師を主人公とした小説だ。
小難しい表現を用いて難解な医療の描写をしているにもかかわらず、不思議と読みやすい文体と親しみやすいキャラクターが評判の作品。
いくつか賞を取ったどころか、漫画化や映画化など、幅広いメディアミックスもされたことも記憶に新しい。
自分にとっても、好きな小説の一つである。
(; ФωФ)「……それが、なんですか」
( ^ν^)「あれは“創作”か?」
(; ФωФ)「それは、そうでしょう。巧みな語彙と、それでいて読みやすい流麗な文章と医療描写。あれはれっきとした“作品”で――」
( ^ν^)「各話のタイトルはどれも、夏目漱石の作品そのままなのにか?」
杉浦の言葉が止まる。
やはり彼は聡明だ。どうやら、今の一言で僕の言いたいことに気が付いたらしい。
88
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:12:04 ID:DrdBCTAo0
(; ФωФ)「…いや、あれはオマージュとか、引用で」
( ^ν^)「アイデアや言葉を盗んでいることには変わりないよな?ただ元ネタを明かしただけで、それは“盗作”から“創作”へと変わるのか?」
(; ФωФ)「…っ!いや、盗作には悪意が……!」
( ^ν^)「それはどうやって証明するんだ?法律学のように、一定の定義や要件があるのか?それに従えば、明確に線引きが出来るのか?」
( ^ν^)「というか、じゃあ百歩譲ってオマージュ、リスペクトだと認められたとして、その作者が“悪意をもって書きました”と言えば、どんなに面白い作品でも“盗作”に成り下がるのか?」
杉浦の口はパクパクと魚のように開いたまま。だが、そこから何か言葉が飛び出てくる様子はなかった。
89
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:13:29 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「…さっき居酒屋でかかってたパッヘルベルのカノン、良い曲だよな」
(; ФωФ)「…そう、でしたね」
( ^ν^)「あれも、盗作だったらどうだ?」
僕の言葉に、杉浦は不思議そうな顔をする。
だが、その次の瞬間、みるみる顔が青白くなっていった。
( ^ν^)「あれは原曲じゃない。というか、お前や世間がイメージするカノンは大抵“パイヤール盤”、要するに、オリジナルじゃなく、オマージュ…アレンジされたものだ」
( ^ν^)「さて、じゃあ盗作だとして、あのカノンはダメな作品になるのか?許されないと?」
聞く人によっては、ただの泥棒の言い訳にしか聞こえないような論理だ。
それは自覚している。それでも、僕は大真面目に言っている。
騒がしい都内とは思えないほどに静かな広場で待つこと数分。
どれだけ待っても、眼前の少年からはもう、何かしらの応えが返ってくる気配は伺えなかった。
90
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:14:23 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「…僕はな、“盗作”と“創作”に、大した違いはないと思ってるんだ」
少しいじめすぎたかと反省しながら声を発する。
ここまで言っておいて、何も示さないのは流石に不真面目が過ぎるというものだろう。
“これすらも僕の自論だが”という前置きを置いた上で、僕は続けて講釈を垂れることにした。
( ^ν^)「そもそも、“完全オリジナルの作品だ”って作家が言ったものすら、結局はその人が今まで培ってきた人生で出来てるだろう?」
( ^ν^)「その人が好きなもの、嫌いなもの、聞いたことのある音楽、読んだことのある話や表現…そういうもの蓄積で出来てる、出来てしまう。なら結局、人の手で生み出されるものは必ず、別の作品の要素を含むものになる」
( ^ν^)「そもそも、創作の歴史っていうのは途方もなく長いものだ。なら、“これは斬新な表現だ”って自分では思っても、それはほぼ確実に、一度は、創作という歴史の中で現れた手法に違いない。そう考えると、もはや“盗作”じゃない“創作”はあり得ない」
そこで一旦言葉を区切る。
丁寧に説明しようとして、また遠回しな表現になっている。
自分の悪い癖だ。分かりやすく、情景が目に浮かぶように文章を書こうとして無駄な言葉を使いすぎて、却って分かり辛くなる。
用心しないとなと自身を心中で戒めつつ、また改めて言葉を紡いだ。
91
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:15:27 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「二つの違いを強いて挙げるとするなら…“意図的にやったか”ってことだ。そしてそれはただの情報でしかない。作品の本質には何ら影響を及ぼさないものだ」
( ^ν^)「だってそうだろ?例えば、そうだな…お前が、“月光”って言葉の響きや表現が綺麗だと思ったとしよう」
杉浦の目を真直ぐに見据える。
( ^ν^)「その言葉の引用元が、とある小説の一ページからだと作者から明かされたとして」
( ^ν^)「そんなただの情報が、“綺麗だな”って感じたお前の感情を否定するものに成り得るか?」
( ^ν^)「“綺麗だ”と感じたお前の感想は、感情は、想いは、間違ったものだと言われて納得できるか?」
長ったらしい僕の質問に、杉浦はしばらく考える素振りを見せる。
そして、彼はゆっくりと、自前の首を左右に振った。
( ^ν^)「大事なのは、その作品の“本質だ”。どこから盗ってきたものなのかだの、誰が書いただの、そんなのは全く関係ない。」
( ^ν^)「それが理解できるようになれ。何が“月明かり”なのか、どうして“綺麗”なのか、どういうものが大衆にとっての“月光”足りえるのか、分析できるようになれ。自分の血肉に出来るようになれ」
( ^ν^)「…結局、僕がお前に教えられるのは、それくらいだ」
“終わりだ”と短く呟き、はぁっと力強く息を吐き出す。
何とも言えない渇きを感じながら、久しぶりにこんなに話したなと喉を押さえた。
92
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:16:21 ID:DrdBCTAo0
杉浦を見る。月明かりがよく通る晩だ。外灯が少ない公園でも、彼の表情がよく見える。
理解は出来ない。賛同する気も、肯定する気も全くない。
だが、不本意ながらも納得は出来た。そういった顔だった。
( ^ν^)「…じゃ、帰るか。もう暗い、タクシーくらいは呼んでやる」
ポケットからスマホを取り出し、使い慣れたアプリを起動する。
俊敏な動きで指を動かしている途中、ふと、影がこちらに近付いているのが見えた。
( ФωФ)「…先生、もう一つ、質問いいですか」
( ^ν^)「なんだ」
液晶画面を見つめながら聞く。
スマホには、「約10分ほどで到着します」という文章が浮かんでいた。
( ФωФ)「さっきの説明、先生は月を例え話に使ってましたね」
( ^ν^)「…あぁ。分かりやすい例えだと思ったからな」
( ФωФ)「それで、前から疑問に感じてたことを思い出したんです」
“前から”という言葉に引っかかりを感じ、僕はスマホからゆっくりと顔を上げた。
93
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:17:28 ID:DrdBCTAo0
( ФωФ)「先生の作品にも、よく月の描写が出ますよね」
そう言われて、自分の書いた作品を思い返す。
僕はあまり、一度自分が書いた作品には頓着しない人間だ。
使った語彙や表現、例え話などはそもそも大抵、他の作品から引用したものだ。
自分の作品を読み返すのは精々、何かシリーズ物を執筆したときくらい。
だが、指摘されて思い返すと、確かにいくつか思い当たるフシがある。
というか、先日締切ギリギリで出した短編小説も、月をテーマの一つに添えていたなと思い出した。
( ФωФ)「この前の新作とか、なんなら、先生の処女作にも出てました」
( -ν^)「……そうだっけか。まぁ、それがどうした?」
再び視線をスマホに戻す。
この短時間で、先ほど示されていた待機時間は5分も縮まっていた。
( ФωФ)「やっぱりあれは、月明かりに対して、何か思い入れがあるから…」
( ^ν^)「別に」
短く、なおかつ、迅速に答えた。
94
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:18:56 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「僕は別に、月を綺麗とは思わない。あれ単体に興味はないし、今までの人生の中で月に何かしらの魅力を感じたことは一度もない」
( ^ν^)「馬鹿の一つ覚えのように月明かりを描写する創作家どもを見る度に、芸がないとすら思う。全くもって理解なんて出来ないな」
口早につらつらと讒言を垂れる僕に、杉浦は再び言葉を失ったようだった。
それもまぁ、仕方のないことだろう。
さっきまで熱心に月を比喩に用いていた人間が、それどころか、自分の作品にすらよく使っている人間が、全く真逆のことを口にしたのだ。
矛盾にも程があるというもの。面食らって当然だ。
( ^ν^)「いいか杉浦、“面白い話を書く方法”と“書きたい話を書く方法”は違う」
( ^ν^)「僕が月を創作に用いるのは、主に前者が理由だ。他に大した意味はない」
( ФωФ)「いや、それにしては、頻度が…」
( ^ν^)「ないと言ってるだろう。そんな下らない質問、固執する時間がそもそも無駄だ」
ぶっきらぼうに言い放ちながら、ちらりと彼に視界のピントを合わせる。
さっきとはまるで違う、理解も納得も出来ていないという表情が浮かんでいるのが見て取れる。
別にそれでいい。これ以上、この話を詰めるつもりもない。
もうすぐタクシーが来る。それに彼を押し込んで今日は終いだ。
そもそも実際、大した意味はない。彼のこれからの執筆活動になにか影響を与えるとも思えない。
いちいち、わざわざ、口にする価値なんて毛ほども――。
95
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:19:55 ID:DrdBCTAo0
『貴方は、昔から嘘が下手ね』
ふと、懐かしい声が頭に響いた。
ζ(― *ζ『変なところで意地を張って、嘘を吐いて』
ζ(― *ζ『でも、それが本当に下手。私でも簡単に見抜けちゃうくらいに』
ζ( ワ *ζ『…まったく、子どもの頃からずっと、不器用なんだから――』
折り紙で作られた風車を回したような、楽し気な声色が鼓膜を揺らす。
一瞬、奥にある何の変哲もない木に、満開の桜が咲いているように見えた。
96
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:20:37 ID:DrdBCTAo0
幻覚だ。幻聴だ。
目を瞑り、深呼吸を繰り返す。
頭部を少しポリポリと掻いた後、僕は地面を見つめながら、観念した被疑者のような心持ちで声を発した。
( ν )「……難しいのは、後者なんだ」
( ФωФ)「えっ?」
もう僕は何も言わないと思っていたのだろう。
間の抜けた声が、地面の砂場に転がった。
( ^ν^)「“書きたいものを書く”…これが案外難しい。物書きなんて仕事を長くやっていることの弊害なのかは分からないが」
( ^ν^)「“灯台下暗し”とはよく言ったものだ。自分が何を求めているのか、自分のことなのに分からなくなる。僕もこの方法は、未だに答えが出せてない」
そこまで言って再び閉口する。
また自分の悪い癖が出ていた。僕が言いたいことは、言わなくてはいけない“答え”はこれじゃない。
もっと簡潔に、分かりやすく、正直で無邪気な、子どもみたいに。
97
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:21:14 ID:DrdBCTAo0
( ^ν^)「……僕が知りたいのは、月が綺麗な理由じゃない」
( ^ν^)「月を綺麗だと思えた理由だ」
左手の薬指をぎゅっと握りしめる。
今でも未練がましく輝く、プラチナの指輪。
( ν )「月が光ってる訳じゃないと知っていて、ただ太陽の功績を借りているに過ぎないと分かっていて」
皆から賛美されている人間が、本当は只の泥棒に過ぎないと分かっていても。
誰もかれもが指を差し、石を投げている世界の中でも。
月明かりが、ハリボテの照明に過ぎないと知っていても。
誰も見向きもしなかった、陳腐でつまらない話でも。
それでも。
98
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:22:01 ID:DrdBCTAo0
( ν )「…“月が綺麗だ”と胸を張って言えた、その理由が知りたいんだ」
( ^ν^)「それを知るために、まだ書いてるんだ」
手のひらのスマホが数回、震えた。
ふと、近くから車のエンジン音が近づいてくるのが分かる。
スマホから目を離し、上を見る。
一切の欠けが見当たらない満月が、煌々と輝いているのが見える。
良い月だ。
素直にそう思えるほどに、美しく、丸い月だった。
99
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:22:37 ID:DrdBCTAo0
*
機械音が鼓膜を揺らしていることに気付き、動かしていた手を止めた。
無造作に投げ捨てていたスマホを手に取り、画面を見る。
そこには、忌々しい編集者の名が表示してあった。
どうせここで居留守を使っても、今度は直接ここに来るだけだろう。
ここで通話に出ることと、この家に押しかけられることを天秤にかけて逡巡すること数秒。
左に傾いた天秤に従い、僕は嫌々ながらも空いていた左手で通話ボタンを押した。
100
:
名無しさん
:2023/12/20(水) 01:23:55 ID:DrdBCTAo0
( ^”ν^)「……もしもし」
( ・∀・)「あっ!お疲れさまです先生〜!今日は出てくれるの早いですね〜珍しい!」
電話口から、やけに明るい森野の声が聞こえる。
思わず通話終了のボタンを押しそうになった指をグッと堪え、引き続きスマホを耳元に当てた。
( ^ν^)「やかましい。さっさと要件だけ話せ」
( ・∀・)「うっげぇ冷たい!先生のために文字通り魂を削ってる専属の編集になんて物言いを…」
( ^ν^)「執筆中なんだ。切るぞ」
( ・∀・)「えっマジすか?またまためっずらし」
( ^ν^)「切る」
(; ・∀・)「わ〜!!待った待った!!言います言います!」
スマホ越しに慌ただしい声が聞こえてくる。
このわざとらしい緩急も彼の人心掌握術の一つなのだろうなと思うと、余計に腹立たしく思えた。
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