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海のひつじを忘れないようです

1 ◆JrLrwtG8mk:2017/08/19(土) 21:55:33 ID:rN6ohdMg0
紅白作品
微閲覧注意

2名無しさん:2017/08/19(土) 21:57:12 ID:rN6ohdMg0
               ※

ぼくらはひつじを飼っている。
罪のひつじを。
贄のひつじを。
屍のひつじを。

一頭、十頭、百頭、千頭――
どれだけいるかは定かじゃない。
けれどいつも、感じてる。
彼らの鼓動に悔悟する。


ぼくは、歩く。
命に焼かれた背中を負って、
一歩一歩と、歩いてく。
歩いて歩いて、歩いて歩く。

海知る丘の、その先へ。
彼女が焦がれた、その場所へ。
数多の変遷、思いつつ。
遥けき軌跡を、描きつつ――


.

3名無しさん:2017/08/19(土) 21:58:15 ID:rN6ohdMg0
               0

逆巻く波浪。寄せては返し、寄せては返し。
潮風に運ばれた香が、肺腑の内側にこびりついて胸の内が辛かった。
しかし辛いのは、匂いのせいだけではない。

風が出ていた。横殴りの風。浜辺付近では、
風に流れを乱された波が、不規則にうねりを上げている。
とぐろを巻いて、渦を生み、細かな泡を飲み込んで真空へと消える。

小さな、小さな無数の泡粒が、暴力的な力の発露にさらわれていく。為す術もなく。
それら身近で起こる現象から目をそらし、遠い、遠い水平線の彼方を見つめた。

世界が切り替わる地平。球状なこの世界の、
円によって果てなく結ばれた因果とは異なる、彼方の一箇所で収束したその地点。
その場所であれば、あるいは違うのだろうか。世界はもっと、凪いでいるのだろうか。
暴力的な力にさらわれる泡粒など、存在しないのだろうか。
そこでなら。そこでなら、あるいは、俺も――。

意図せず伸ばしかけていた腕を、意識的に折りたたんだ。

逃避だ、ただの。
わかっている。そんなものはただの空想に過ぎない。
直面した現実から逃げようとしている俺の生み出した、都合のよい幻想に過ぎない。

4名無しさん:2017/08/19(土) 21:59:14 ID:rN6ohdMg0
俺は逃げられない。
そんなことは、誰よりも俺自身が理解している。
俺はまだこどもで、ここは親父の街だった。
いや、この街だけではない。隣町であろうと、他所の国であろうと、
海を越えた見知らぬ土地であろうと、この球状な地平に在する限り、
親父の手は届くだろう。どこに逃げようとも。

受け入れるべきなのだ。兄がそうしたように。父がそうしたように。
父の父が、その父が、さらにその先に生きた男たちが受け継いできたように、
俺もまた、倣うべきなのだ。期待に応える時が来たのだ。
父の、兄の、顔も名も知らぬこの街の人々のためにも。
大人になるべき時が、来たのだ。

そんなことはわかっているのだ。

「やはりここにいたのですね」

呼びかける声。俺は振り向かなかった。
その声が誰のものであるか、知っているから。
声の主はこちらへと小走りに近寄ると、
払っても払っても砂しかない地面をそれでも平にしてから、俺の隣に座った。
ちょうどそいつが壁になって、横殴りの風が俺を逸れた。

「あなたは悩むと、いつもここ」

「……親父に言われて来たのか?」

「まさか」

5名無しさん:2017/08/19(土) 21:59:48 ID:rN6ohdMg0
そいつの綺麗に切り揃えられた前髪が、強い風に吹かれて乱れた。
俺は立ち上がり、二、三歩いてから、また座る。
再び俺の横顔に、風が直撃するようになった。
そいつがくすりと笑った。俺はそっぽを向いた。

「箱船は見つかりましたか?」

波と風によって、世界は静かにやかましかった。
そいつは一度問いかけたきり、答えを急くような真似はしてこなかった。
俺は波を、波と渦にさらわれるあぶくを、なおも凝視していた。

「トソン」

「はい」

俺の言葉を待っていたかのような素早さで、トソンは声を返した。
その勢いが逆に、俺の気勢をそいだ。こんなことを尋ねるのはあまりに愚かで、
幼稚に過ぎるのではないかと、恥を退けようとする臆病な心が頭を覗かせた。

口を閉じた。トソンは何も言わなかった。
急かすことも聞き返すこともせず、俺がそれを言葉にする心持ちになる時を、
ただ待ってくれていた。だから俺も、それを口にすることができた。

6名無しさん:2017/08/19(土) 22:00:20 ID:rN6ohdMg0
「大人とは、なんだ」

「生き延びた人です」

間髪入れぬ返答。
俺はトソンの顔を覗き見た。真面目な顔。冗談で言ったわけではないらしい。
けれどその答えは、俺を満足させるものではない。

「それだけか?」

「私も大人ではありませんから、実際のところはわかりません。
 小旦那様こそ、どうお考えなのですか」

「俺は……」

とつぜん返された質問で、言葉に詰まる。
大人。誰もがいつかなるもの。俺がこれから、なろうとしているもの。
こどもと大人の境界。そこには何があるのか。何が変わってしまうのか。
脳裏によぎったのは、やはり、あいつのことだった。

「俺にも、よくわからない。けれどフォックスは、あの日以来変わってしまった」

フォックス――血を分けた、俺の兄。
俺より先に変わってしまった、かつてこどもだった大人。

7名無しさん:2017/08/19(土) 22:00:55 ID:rN6ohdMg0
「フォックスは親父を蛇蝎のごとく嫌っていた。
 大人になったらこの街を出て、一旗揚げてやるといつも言っていた。
 けれどあいつはいま、親父と共にいる。親父と同じ仕事をして、
 親父の代わりまで務め始めている。まるで、まるで……親父の、コピーみたいに」

良い兄ではなかった。
しょっちゅう問題を起こしていたし、乱暴も振るってきた。
ケンカをしない日がないくらいに、俺と兄は仲が悪かった。
いなくなれと思ったことも、一度や二度ではなかった。

けれど、本当にいなくなるとは思っていなかった。
これからもバカみたいに取っ組み合い、
ケンカし続けていくものだと根拠もなくそう信じていた。
フォックスはもう、俺に拳を振るうことも、街中を暴れまわることもなかった。
フォックスはもう、フォックスではなかった。

「大人になるとは、自分じゃなくなることなのか? 
 自分がなくなったら、そこには何が残るんだ?」

手首をつかむ。血管の脈動が、循環する血液が指の腹を打つ。
俺の中に流れる、俺でない者たちによって受け継がれてきたその血が。

「フォックスもそうだった。己に流れる血に負けた。
 俺もきっと、“通過儀礼”を果たしてしまえば、きっと――」

8名無しさん:2017/08/19(土) 22:01:59 ID:rN6ohdMg0
「小旦那様は大丈夫です」

俺の手が、トソンの両手に包まれていた。
傷だらけの指。俺のものとは異なる律動が、ほのかな温かみと共に伝わってくる。

「あなたは、やさしいから」

トソンが俺を見つめていた。真剣な顔で。
けれどトソンの言葉と態度を受け取るだけの心構えが、俺の方にはなかった。
俺はお前が思うような男じゃない。俺は……ただの、臆病者だ。

トソンの手を解き、立ち上がった。

「風が強まってきた。そろそろ帰ろう」

トソンに背を向ける。疾風が顔を、真正面から打った。
本当に風が強くなってきた。荒れるかもしれない。海も、それに人も。俺も。
けれどもう、いい。諦めてしまえば、それで済むのだ。
収まるべくして収まるところに、結局は落ち着くものなのだ。
だからもういいのだ。俺が大人になれば。罪を背負い、大人になれば――。



「私は父を殺しました」

9名無しさん:2017/08/19(土) 22:02:25 ID:rN6ohdMg0
風鳴りが、耳をつんざいた。俺は耳を抑えながら、振り向く。
トソンは立っていた。立って、こちらを見ていた。
彼女がいつも携帯している、その刃を手にして。
刀身に波の如き奇妙な紋様の浮かんだ、異国の短刀。

トソンが近づいてくる。一歩、一歩。着実に、ゆっくりと。
俺は動かなかった。動かずに、彼女が来るのを待った。
そして、俺よりもわずかに背の高い彼女の身体が、目の前で止まった。

「父は、“楽園”を目指していました――」


.

10名無しさん:2017/08/19(土) 22:02:51 ID:rN6ohdMg0



彼女が話終えるのを、俺は黙って聞いた。
遠い、遠い異国から始まる話。彼女が辿った軌跡。そして、罪。
話が終わってからも、おれは何も言えずにいた。
目を合わすこともできず、うつむいて、
彼女の握られた短刀を意味もなく見つめていた。
その手が、動いた。

「トソン?」

「にぎってください」

トソンが短刀を、俺が握るような形に移動させる。
俺は力を込めなかった。けれど短刀は落ちない。
トソンの手が、短刀を握る俺の手の、その上から包み込んできていたから。

トソンはそのまま握り込んだ俺の手ごと短刀を上昇させ、
そしてその切っ先を、自らの胸に触れさせた。
先端に触れた衣服に向かって、細かな皺が集中する。

11名無しさん:2017/08/19(土) 22:03:15 ID:rN6ohdMg0
「冗談はよせ!」

「冗談ではありません」

ぴしゃりとした言い切りに、俺は言葉を失う。
唐突なトソンの行動の真意がわからず、ただただ混乱する。
そんな俺に向かってトソンは、追い打ちをかけるような言葉を放ってくる。

「このまま私を刺してください」

「はぁ!?」

反射的に身を引こうとした俺を、トソンの手が離さなかった。
服に寄った皺がぷつりと緊張を緩め、小さな穴が開いた。
短刀のその切っ先が、衣服一枚分の壁を超えて、
トソンの肌へとさらに近づいた。彼女の心臓へと、わずかに近づいた。

「説明しろ、こんなことに何の意味がある! 俺をからかっているのか!」

「大切なことなんです」

「なにが!」

「これが大人になること――いえ、生きることだから」

12名無しさん:2017/08/19(土) 22:03:55 ID:rN6ohdMg0
再び、言葉を失った。
大人になること。トソンは確かにそういった。そして、この状況。
俺は思い出す。かつて覗き見た、あの光景を。
フォックスが果たした、“通過儀礼”を。

「私の言葉を、聞いてもらえますか」

俺はうなづくこともできなかった。
そんな俺の狼狽に関係なく、トソンは続ける。

「あなたは罪を負います。それはきっと、逃れることのできないあなたの運命。
 いまのあなたにそれを避ける術はない」

そうだ、俺は罪を負う。
この地に、この血に生まれたその瞬間から、それは既に定められていた。
俺は俺以外になるべくして、この世に生を受けたのだ。それが、事実だ。
それが、俺という生命の存在理由だ。

けれど――と、トソンは俺の思考を打ち消した。

13名無しさん:2017/08/19(土) 22:04:32 ID:rN6ohdMg0
「その先は違う。あなたは選ぶことができる」

「選ぶ?」

「昔、ある人に言われました。罪を負ったからこそ、
 何を伝え、何を残さないか選ぶことができるのだと。
 残せるもの、良いと思うものはきっと、人によって様々だと思います。

 ある人にとって良いと思うものが、
 他の人にとって残すべきでないと思うものである場合も、多々あると思います。
 あなたにとっての良いものが何であるのか、私にはわかりません。
 ……だからこれは、私の勝手な願い」

いよいよ勢いを増してきた暴風が、短刀を握る俺とトソンの腕を揺さぶる。
切っ先が、わずかではあるがしなりを上げてぶれる。
トソンの肌と接触しているはずの、その切っ先が。気が気ではなかった。
けれど当の本人は、痛みも恐れも表すことなく、言葉を続ける。

「小旦那様。あなたは罪を負います。
 だからあなたはあなたの“楽園”を見つけてください。
 あなたにとって幸福の象徴となるその久遠を。そして――」

14名無しさん:2017/08/19(土) 22:04:57 ID:rN6ohdMg0




多くの迷い子を、あなたの楽園に導いてあげて。


.


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