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民明書房〜FF編

1 ( ・ ω ・ ) </b><font color=#FF0000>(VhaLdA5Y)</font><b>:2004/03/14(日) 09:34 ID:XZINyPx6
おまいらがしってる民明書房を語れ。
参考文献
http://www.is.osaka-kyoiku.ac.jp/~a9608m/minmei.html
http://yokohama.cool.ne.jp/nikutaijin/minmei.html
http://www1.mahoroba.ne.jp/~kemorin/minmei/minmei.html
http://www.geocities.co.jp/Playtown/9445/o1.html

6(・ω・):2004/03/15(月) 11:31 ID:kZ1D3htk
初代サブリガスレにサブリガもあったな
ログもうのこってないけど(;´Д`)

73:2004/03/15(月) 19:43 ID:eFc5pMQg
>>5 thx
>>6 情報thxさがしてみるぜ

8(・ω・):2004/03/16(火) 03:37 ID:j5haO7pU
テレポ
体練歩
とかいうのもなかったっけ?

9これだな:2004/03/16(火) 11:47 ID:LQT9BIAE

遙か昔、三大強国の誇る武の達人が
「我こそはヴァナディール1の猛者」と
クフィム島に集い、その漢気の強さを競い合った事があった。
鳳来:/sh パワーーー!
 Holaのためる×∞
伝無/:sh パワーーー!
 Demのためる×∞
瞑亞:/sh パワーーー!
 Meaのためる×∞
しかし漢達の大きすぎる気のぶつかり合いにより大爆発が生じ、
達人達はそれぞれ遙か彼方へと吹き飛ばされた。
そしてこの時彼らがが降り立った岩を、それぞれホラ、デム、メアと名付け、
このときから「気による遠距離移動」すなわち体練歩(ていれんぽ)の研究が始まり、
いまのテレポへと発展した。

民明書房刊「レッツプレイ・マッスルフライト」より。

10(・ω・):2004/03/18(木) 12:14 ID:.jkpU0wk
「煮解吐」とか「酸下吐」とかもそうだよな

11(・ω・):2004/03/18(木) 18:02 ID:GrhAegew
耶偶人(やぐうど)

 戦国時代末期、耶蘇会の努力により諸国に耶蘇教が浸透しはじめた。
しかしその成功の裏で昔からの神仏を拝む風習から抜けきれず
戒律を破り神を象った偶像に信仰心を向ける人々が後を絶たなかったという。
 教義に叛いた集団に対する耶蘇会の弾圧は凄まじいものであり
生きたまま皮を剥ぎ贄にされる者もいたのである。
弾圧により命を失ったものは亡骸を破壊された偶像とともに野ざらしにされ
その周囲には常に漆黒の鴉の群れが覆っていたそうだ。

 この弾圧の対象になった耶蘇教徒の偶像信仰派の人々の事を「耶偶人」と呼び
今尚彼等の子孫は畜生の扱いを受け続けているのは嘆かわしい現実である。

民明書房刊『信仰の光と闇 -3-』より

12(・ω・):2004/03/18(木) 18:51 ID:Mz1SRWmc
【魁】熱い漢を語るスレ【男塾】
http://mst.s1.xrea.com/test/read.cgi?bbs=ff11&amp;key=042296056

13(・ω・):2004/03/19(金) 00:15 ID:PBEpb7aY
ようはトリビア?

14(・ω・):2004/03/19(金) 00:21 ID:jU2iVh4A
完全にネタなものをさも本物のように解説したもの・・かな。
トリビアは一応本当のことやってるから違う

15(・ω・):2004/03/19(金) 01:11 ID:XTFh57DU
>>13-14
君等は男塾読むべき。
読んだらここの面白さが解るよ。

163:2004/03/19(金) 02:12 ID:PkCWun.6
>>10
にげと、さんげとは FF用語ではないので微妙にスレ違いかな。
>>11
こんなのあったのね...。
>>12
2代目?マターリ板にあったのか・・・よんでみまつ。
>>13>>14
>>15
マジでおすすめ。

17サルベージ:2004/03/19(金) 02:15 ID:PkCWun.6
206 名前:既にその名前は使われています ama 投稿日:02/07/24 14:49 ID:BjQOR8M2

古代中国 戦乱の時代 屈指の名将として名高い周の
沙武李我 将軍が考案したといわれる腰衣が起源である。
一見、露出部分が多く、防具としては好ましくないと
思われがちだが、肌に触れる微妙な空気を流れを読むこと
ができ、五感をフルに活用した戦い方ができることから、
かつての英雄たちも好んでこれを用いたという。

余談ではあるが、沙武李我 の発展系である 武利威布 という
腰衣が現在のブリーフのルーツであることは、あまりにも
有名な話である。

           民明書房刊「戦国武将人情譚」より

18(・ω・):2004/03/19(金) 09:14 ID:s1SFnV0I
呉竜府あげ

19(・ω・):2004/03/19(金) 09:56 ID:7BAnbW52
あまりにも有名な話sage

2011:2004/03/19(金) 10:21 ID:tcc50hZM
>>16
民明書房もしらなかったけど
このスレみながら創作してみたんだよ・・・orz

21(・ω・):2004/03/19(金) 12:51 ID:/uBvyItw
我永久に氷をアイスあげ

22(・ω・):2004/03/19(金) 14:37 ID:YXSL69JQ
>>13は本屋で「世界の怪拳奇拳」を探してしまうと診断。

23(・ω・):2004/03/19(金) 17:54 ID:awwuVQeo
民明書房が実在すると思ってたヤシ挙手せよ

(´・ω・)ノ

24(・ω・):2004/03/19(金) 18:16 ID:bMm6jvgw
>>15
一応読んでたよ〜 ヽ(´−`)ノ
ガキの頃だしもうあんま覚えてないけどな・・(´・ω・`)

(・ω・)ノ 当時はあるの!?と思ってた

25(・ω・):2004/03/19(金) 18:53 ID:XTFh57DU
紀伊国屋で探したとも!!

26(・ω・):2004/03/20(土) 08:49 ID:rpwEjeWI
学生の頃本屋さんでバイトしてた時、民明書房の本ってありますか?って質問が結構あったけど・・・・






やっと謎が解けましたorz
店長も頭を捻るわけですよ

27(・ω・):2004/03/22(月) 12:59 ID:pr11WlLk
樽手有

 時は紀元前二百年頃、秦の始皇帝によって秦字以外の書物は焼却され
異を唱えた学者は穴埋めにされたという。
 この政策に危機感を覚えた学者達は大樹の下に集い並べた樽の中に入った。
そして互いの腕を組み頑としてその場を動かないという抗議行動を行ったというのだ。
焚書坑儒に対するこの活動を、その姿から「樽手有(たるたう)」と呼び
その後も学者の間で密かに続いたそうだ。
 無学なものが樽手有を行ってもそれではただ休んでいる事と同じだという揶揄は
「下手な考え休むにタルタル」というコトワザとして現代にも残ってるのは有名な話だ。

 蛇足ではあるが、樽手有を無理に続けた結果体型が短肢短身となった例があるらしい。

民明書房刊『THE PROTEST RALLY IN THE WORLD』より

28(・ω・):2004/03/22(月) 14:30 ID:/1H6z85w
儀呂椿
明の将軍。武器として大鎌を愛用したことで知られ、その重く巨大な鎌を振るい、一瞬で
敵を4度切り刻む大技は今なお彼の名をもって呼ばれる。
なお、フランス革命において多用された処刑具であるギロチンの発明者であるジョゼフ・
イニャス・ギヨタンが彼の子孫であることはあまりにも有名である。

29(・ω・):2004/03/22(月) 16:22 ID:o7aq9zpg
pavy さん 2004/01/06 (火) 15:33
<斧逸神具>
古代中国にて決闘や戦争のみならず全ての生活で斧を
自在に操る逸家に伝わる長くしなやかな柄をもつ戦斧は
普通の武者には扱えぬものだった。

時の皇帝の愛娘が船から落ち、巨大な雷魚に飲み込まれたとき、
逸家の逸宝舜がその斧で巨魚を巧みに操り陸地に持ち上げて
娘を助け出したときその神業を称え、「斧逸神具」と賞賛し、
それを真似て、それまでは固い枝を使っていたのを止め、
竹などの長くしなやかな竿を用いた釣りが主流となった。
これが現代釣具の起源である。
 
         民明書房館「古き中国の武具伝承」より抜粋

30(・ω・):2004/03/22(月) 18:24 ID:2lMpFMz2
出路遠

 冒険において危険を察知しての回避は最も重要であるが
生命の危機に瀕した際に発揮される冒険者特有の帰還能力が
この出路遠である。
 元々は戦闘不能に陥った際、路を外れて死ぬ事を怨むという
気持ちを込めて「死に出路怨」と呼ばれていたこの能力を
人体の科学に学の深い名家鵬氏の烏鵡、胤杜兄弟が戦闘不能に
ならずに発揮出来ること発見したのである。
呪言により対象を生命の危機と錯覚させ発揮するこの死に出路恐は
その安全性からいつしか「出路遠」と呼ばれるようになったという。

 この鵬兄弟が危険な冒険を繰り返して発見した数々の帰還地点は
両名の名を冠して「鵬烏鵡鵬胤杜」と称されているのは冒険者を
目指すものなら誰もが知るところだ。

民明書房刊『冒険野郎!菩撫庵と舞句』より

31(・ω・):2004/03/23(火) 00:37 ID:d3fvaZHQ
>>27 たるたる
>>28 ギロチン
>>29 フィッシング
>>30 デジョン
スマソ どこでもいいから読み方キボンヌ

32(・ω・):2004/03/23(火) 09:13 ID:OYqkNnkU
「鵬烏鵡鵬胤杜」ほおむぽいんと
でいいのか。

33(・ω・):2004/03/24(水) 12:24 ID:z0XRoSaA
フォーマット

名前(よみがな)

説明

民明書房(太公望書林、日本曙蓬莱拳法)刊『誌名』より

でどうだ?

34(・ω・):2004/03/24(水) 13:30 ID:OxRak.WU
「百歩偉」ワラタ

35(・ω・):2004/03/25(木) 00:47 ID:FR04k8CM
関連スレ
http://jbbs.shitaraba.com/game/bbs/read.cgi?BBS=6493&amp;KEY=1069480679
男塾塾長江田島平八が■に物申すスレ

36(・ω・):2004/03/26(金) 01:08 ID:MTrAXL02
<毛有>
魏呉蜀がそれぞれ覇を唱えていた三国時代。魏皇帝曹操は一人の将に絶対の信頼を置いていた。
その男の名は毛有(もうゆう)。
馬を駆れば一日千里を走り、矛を持てば城門を突き通し
戟を振るえば十の武将の首が空を舞ったと言われる大陸を震撼させた猛将である。
しかし歴史はその男を語らない、それを裏付ける関羽の言葉が近年発見された。
曹操の恩に報いるために魏に赴いていた関羽はそこで毛有に会いこう叫んだという。
「貴様、毛が無いのか!」
そう、彼は名に反して禿であったのだ。そしてその事を何よりも恥じていた。
この後、関羽は激昂した毛有に散々殴られ、死線を彷徨ったと言う。
関羽千里行の逸話は有名であるが、その実は毛有に恐れをなし逃げ帰り
追おうとした部隊を毛有が「あの程度の男は信に足らず!追うに及ばず!」と一喝したからだという説も囁かれている。
魏が大陸を統一した後、彼は一つ秘術書と置手紙を残し姿を消した。
「我が恥は魏が天下を輝かせるほどに恥辱である。この仙丹は南下仙人の残せし秘法を記した物である。
我が意思を継ぎし者よ、どうかこれで我と同じ悲しみに苦しむ人々を救ってくれ」
この手紙を受け取った司馬懿仲達はこの秘術書より一つの秘法を生み出し、その秘法を生み出した。
しかしそれは彼の恥を無くすものではなかった。なんと仲達は彼の苦しみとは戦場で怪我をすることだと勘違いしてしまったのだ。
人々は恥を払拭させることの出来なかった毛有を哀れみ、この秘法に彼の名を関した。
それは海を渡り日の本の国へと伝わり、ケアルと呼ばれたその秘法は堺の商人の手により世界へ広まることとなった。
当時、兵達は「龍の逆鱗に触れる」と同義として次の言葉を良く用いたと言う。
「毛有の兜を取る」

 
         民明書房館「時代に埋もれし英雄」より抜粋

37ごめw一部修正w:2004/03/26(金) 01:18 ID:MTrAXL02
<毛有>
魏呉蜀がそれぞれ覇を唱えていた三国時代。魏皇帝曹操は一人の将に絶対の信頼を置いていた。
その男の名は毛有(もうゆう)。
馬を駆れば一日千里を走り、矛を持てば城門を突き通し
戟を振るえば十の武将の首が空を舞ったと言われる大陸を震撼させた猛将である。
しかし歴史はその男を語らない、それを裏付ける関羽の言葉が近年発見された。
曹操の恩に報いるために魏に赴いていた関羽はそこで毛有に会いこう叫んだという。
「貴様、毛が無いのか!」
そう、彼は名に反して禿であったのだ。そしてその事を何よりも恥じていた。
この後、関羽は激昂した毛有に散々殴られ、死線を彷徨ったと言う。
関羽千里行の逸話は有名であるが、その実は毛有に恐れをなし逃げ帰り
追おうとした部隊を毛有が「あの程度の男は信に足らず!追うに及ばず!」と一喝したからだという説も囁かれている。
魏が大陸を統一した後、彼は一つ秘術書と置手紙を残し姿を消した。
「我が恥は魏が天下を輝かせるほどに恥辱である。この秘術書は南下仙人の残せし秘法を記した物である。
我が意思を継ぎし者よ、どうかこれで我と同じ悲しみに苦しむ人々を救ってくれ」
この手紙を受け取った司馬懿仲達はこの秘術書より一つの秘法を生み出し、それを用いるようになった。
しかしそれは彼の恥を無くすものではなかった。なんと仲達は彼の苦しみとは戦場で怪我をすることだと勘違いしてしまったのだ。
人々は恥を払拭させることの出来なかった毛有を哀れみ、この秘法に彼の名を関した。
それは海を渡り日の本の国へと伝わり、ケアルと呼ばれたその秘法は堺の商人の手により世界へ広まることとなった。
当時、兵達は「龍の逆鱗に触れる」と同義として次の言葉を良く用いたと言う。
「毛有の兜を取る」

 
         民明書房館「時代に埋もれし英雄」より抜粋

38(・ω・):2004/03/26(金) 01:25 ID:ieIDJqCo
マジウケww
貴様毛が無いのかwww

39(・ω・):2004/03/26(金) 11:52 ID:EV7OeSNg
曹操は帝位についてない、と言ってみる

40(・ω・):2004/03/27(土) 18:31 ID:HGKsWcUg
魏蜀呉それぞれの君主は皇帝を名乗ってるぞ。
曹操は皇帝を脅してむりやり帝位を継いだ
孫権は金璽を持っていたからそれを皇帝の証として呉皇帝を名乗った
劉備は漢王室の血を継いでることを理由に蜀皇帝を名乗った

41(・ω・):2004/03/27(土) 19:14 ID:AwSsLZN2
>>40
曹操は魏王にはなったが帝位には就いていない
献帝から禅譲されて皇帝になったのは曹丕

42(・ω・):2004/03/27(土) 20:04 ID:KN9hn1Sw
POLに出てるPvPの紹介はなんか民明書房っぽい…

43(・ω・):2004/03/28(日) 00:27 ID:dRoVZgpw
>>40
>魏蜀呉それぞれの君主は皇
魏王になったのも死んでからでは?といってみる

44(・ω・):2004/03/28(日) 03:17 ID:kYtIYaG2
毛有・・・・思わず三国志8を引っ張り出してきて武将一覧で確認してしまった・・・・orz~

45某スレより加筆修正:2004/03/28(日) 03:30 ID:oiSrK1gs
不破嵐楠(ふわらん・くす)

弘安初期、毎年の台風に苦しめられた円焔村ではその被害を食い止める為、
藩より学者が招かれていた。
学者の名は「亜迦摩」。若干10歳にして藩に重用された子供であった。
彼は町の地形をくまなく調べた結果、町の周りに楠の苗木を植えただけで
対策は終わったと帰ろうとした。それに村の人は怒り亜迦摩を木の棒で
殴り殺してしまった。以後台風の被害は止むことは無かったが、
亜迦摩の死から23年後の夏、かつて無い台風が全国に爪跡を残す中、
円焔村では最小限の被害に留まったばかりか、以後台風の被害は
減少の一途を辿っていった。
亜迦摩が植えた苗が大きく育ち、防風林の役割を果たしたのである。
それに気付いた村人は亜迦摩の死を悼み、自分達の過ちを悔い、
村の広場に石碑を建てた。そこにはこう記されている。

「亜迦摩童子、齢三十三にして不破嵐楠を築く」

以後その村の楠の木は優秀な防風林として国内はおろか、海外でも
その高い効力をいかんなく発揮した。特にハリケーンの被害が大きい
アラバマ州の図書館の資料にこう記されている。

「We got Phalanx at Burning-Circle village in Japan.」

以後建築様式が進化した現代社会において円焔村の名は地図から消え、
不破嵐楠が植えられる事もなくなり、亜迦摩の名前を忘れ去られていった。
しかし大人数が遊ぶという、あるゲームにおいてダメージを軽減する魔法に
ファランクスという名が、その使い手としての赤魔道士、
その取得場所としてのバーニングサークルにその名残を垣間見る事ができる。

余談だが、その職業の優れた点を妬み追求する事を「赤魔叩き」というのは
亜迦摩が村人に撲殺された故事に由来しているのはいうまでもない。

民明書房館−「迫害される天才」より一部抜粋

46(・ω・):2004/03/28(日) 17:56 ID:/vBCwNW6
>>41
どうでもいいけど呉蜀の君主が皇帝を名乗ったのは魏で曹操が皇帝を名乗って、負けてられるかと追うようにして名乗った・・・ってのが通説
通説ってのは最も可能性が高いんじゃないか?って言われてるだけでそれが確実じゃないってこと
つまり三国史自体にいくつもの説と話がありどれも信憑性に欠けるものが多くある
オマイさんが力説している説もたくさんある説の一つ、こんなところで何を張り合ってるのかね?しかも民明書房に対してwww

>>45
円焔=Burning-Circle カヨww
思わず笑ったが貴様!赤魔だな!w

47(・ω・):2004/03/28(日) 18:00 ID:/vBCwNW6
そういや横山光輝の三国史はたしか曹操が皇帝になるところを描いてたよ

48(・ω・):2004/03/28(日) 18:04 ID:VUWnjgF2
古来より帝は1人、王はイパーイ、で
覇者たらんとするものが帝を名乗ったという流れでおkかと。
三国時代の表現で「皇帝」でよかったっけ?「帝」かと思うが...
しらべてくるわー。

>>37 >>45
禿藁GJ!!!

49(・ω・):2004/03/28(日) 18:11 ID:VUWnjgF2
ごめん皇帝で問題なかった...
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%B8%9D
ttp://www.synapse.ne.jp/syunjyu/syunjyu/tyugoku.html

50(・ω・):2004/03/28(日) 21:46 ID:YnUtCu82
鎖歩丈夫

江戸時代、戦乱の終わりとともに多くの不逞武士達による犯罪行為が各地で起きた。
徳川家康の家臣、徳川四天王と称えられた本田平八郎忠勝公はその事を憂い、大罪を犯した不逞武士に対して鎖歩の刑を科すよう命じた。
鎖歩の刑とは両足に五貫あわせて十貫(一貫はおよそ4kg)もの重りを鎖によりつなぎ、それを着けたまま町中を引き廻した後斬首するという恐ろしいものであった。
これにより不逞武士たちはおとなしくなり、犯罪も格段に減ったという。
慶重十一年(AC1607年)、ある町奉行が権力をかさに町人から私財を搾取するという事件が起きた。
その奉行、名を田ノ中三郎弘道といった。そのことはすぐに幕府の知るところとなり、その犯人には鎖歩の刑が下されることとなった。
しかしその町奉行は咎めを受けることはなかった。なんと奉行所に勤めていた一人の男を身代わりに立てたのだ。
その名も語られぬ男は田ノ中に妻子を人質に取られ、家族を守るために何も語らず刑を受けた。
いよいよ鎖歩の刑は執行された。ところがなんとその男は自ら足に縛られた十貫もの重りを担ぎ上げ足早に歩を進めはじめた。
そして処刑場に入るなりその男は言い放った。
「我は決して延命されぬ!さぁ!我が首を斬るがよかろう!」
こうして名も語られぬその男は斬首され、何も語らずに短い人生を終えた。
多くの人々が「このような悪事を働く男とはとても思えぬ」と語ったと言う。
この事件の真相が知られるのは五年後のことである。
度重なる暴挙から田ノ中は摘発され、芋蔓式に数々の悪事の真相が明るみに出たのだ。
人々は田ノ中のあまりの暴挙に怒り、妻子を守るため死んでいった男を哀れに思い。
何も語らぬ名も知らぬその男を「鎖歩丈夫」と呼んだ。
このことから鎖歩の刑は廃止されることとなり、かくして田ノ中は鎖歩の刑最後の受刑者となった。
田ノ中の最後の言葉としてこうある。
「俺は何も悪くない!」
鎖歩丈夫とは縛り付けられながらも歩みを捨てぬ者のことである。
このことは歴史に埋もれた史実である。しかし神の悪戯か多くの時代に似たような事件は起きるものである。

      民明書房刊「歴史が語る真の悪人・悪行」より抜粋

51(・ω・):2004/03/29(月) 12:04 ID:8Ajev3f.
田ノ中:「俺は何も悪くない!」

  ↑ワロタ

52(・ω・):2004/03/29(月) 17:25 ID:2dRkrMoY
なんとヤツはこんな時代でまでこのような暴挙を・・・
なんということだ

53(・ω・):2004/03/29(月) 18:45 ID:ZSknbxYI
田中は油風呂の刑確定だな。

54(・ω・):2004/03/30(火) 01:48 ID:XUUTkD5.
「罪道」

時は春秋戦国初期、世が戦乱に乱れる中、出州(今の南京一帯)に三人の盗賊がおり、民に非道を尽くしていた。
那亜頑、張文句、津灰半汰の三人は盗賊団「出州最守」を名乗り、自ら義賊を名乗っていた。
しかし実は強き者からは鼠のごとく逃げ出し、力持たぬ者には将のごとく振舞うという愚か者どもであった。
あるとき三人は旅の老人を襲った。その老人は田中仙人という仙人であった。
田中仙人は金銭の類は全く持っておらず、それに腹を立てた三人は田中仙人を殺そうとした。
田中仙人は命乞いをし、その代わりに三人に望む力を手に入れられる宝玉「紅零紅零」を差し出した。
三人は残虐にも田中仙人を殺したうえ、宝玉を奪ってしまった。
三人は紅零紅零に様々な力を要求し、世界最強の腕力、世界最高の武器、自然を操る法力、誰も使えない特別な秘術を手に入れた。
しかしこの宝玉「紅零紅零」は望みをかなえる代償に知性を無くしていくという恐ろしいものであったのだ。
結局、世界のバランスを崩すほどの力を手に入れた時、三人は獣以下の知性しか持ち合わせていなかった。
そして三人はお互いを妬み憎み殺し合い、その果てに「廚坊」という醜い妖怪になってしまった。
人々は相手の行動すら分からず殺された愚鈍な田中仙人と、欲望に飲まれ廚坊に成り下がった愚かな三人のことを教訓として語りつぐことにした。
その教訓を語った物語が「罪道」である。人々は「罪道、暗愚にして欲深き事この上なし」と酒の肴にして語ったという。
今では長い年月の中、忘れ去られた物語であるが、これらの名は愚か者の象徴として未だにその名残をみせる。
現在においてもインターネットの掲示板では愚か者のことを「厨房」と呼ぶのもそのひとつである。
心ある人々よ、ゆめゆめ罪道を歩むこと無かれ。

      民明書房刊「本当にあった愚か者の物語」より抜粋

55(・ω・):2004/03/30(火) 03:41 ID:rdp8EGiw
>>46
>どうでもいいけど呉蜀の君主が皇帝を名乗ったのは魏で曹操が皇帝を名乗って、負けてられるかと追うようにして名乗った・・・ってのが通説

ちゃんと調べろ、曹丕が皇帝を名乗った後だYO!
 
曹操は帝位についてない。
死後、帝位についた息子の曹丕から武帝の称号を送られたんだよ

56(・ω・):2004/03/30(火) 03:45 ID:6CMovjyQ
>>55
>>46の言ってる意味わかんない?
何千年も昔の話なのにどんな確信を持ってそんなこと力説してるの?
証明する動画でもある?
いくつも説があるって書かれてないか?
民明書房に対して必死に「それは間違っている!」って馬鹿?アホ?どこの国の人?ww

>>54
うはww恐ろしい話だwww

57(・ω・):2004/03/30(火) 04:02 ID:B1vypL9s
三国志演義では曹操が献帝から武力で禅譲を強行させ帝位についたとされている。
なぜなら演義は劉備を主人公にしているために「武力で無理やり皇帝になった曹操を討つ」という大義名分が欲しかったから。
逆に三国志正史はお宅の説を取っている。これは曹操を主人公にしているために武力で禅譲を強行するような悪いイメージを残さないためと言われている。
どちらも数千年も昔の話で、どちらも記録物であっても過度の脚色は見られる。
どういう説を語ろうがどれも真実ではないし、間違っているとも言い切れない。

ただそんなことよりも民明書房にそこまで必死になれる>>55は天然記念物級の馬鹿
>>54も語っているだろ、罪道を歩むな厨房よww

58(・ω・):2004/03/30(火) 04:11 ID:B1vypL9s
ちなみに三国志演義と三国志正史はこの時代の記録物で有名なものってだけ。
どちらも食い違うところは多々あるし、どちらが正しいということもない。
これ以外にも様々な歴史書の類はあるので全ての説を数え上げれば星の数ほどある。

59(・ω・):2004/03/30(火) 04:36 ID:rBNI7oko
ちなみに演技はSF小説だからw
正史はあくまで歴史書。
どちらが正しい事が多いかなんて比べるまでもないだろw

60(・ω・):2004/03/30(火) 04:48 ID:.yjgg9TE
オマエ本当の馬鹿だな
民明書房に云々言ってるのはまぁ置いておくとして
正史はなぜ正史と名づけられ演義はなぜ演義と名づけられたかわかるか?
その時まだ魏の支配下にあったからだよ
自分の国の英雄を敵視したものを正しいものだと言うわけないだろ?
オマエは演義がSFで正史が歴史書だと言い張っているが
正史では黄巾の乱の記述で張角は妖術で岩を降らせ豪雨を呼び川を凍らせた、その中曹操凍った川を馬で駆け抜け進軍した・・・とあるがこれも真実だと?w
どちらも過度な脚色はあるしどれが真実だと言い切れるものではない。

正史と演義の違いについてはここを読め
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97%E6%BC%94%E7%BE%A9

61(・ω・):2004/03/30(火) 04:57 ID:.yjgg9TE
魏じゃないや、晋だな。
司馬家に命じられて陳寿という役人が執筆したものが正史。

62(・ω・):2004/03/30(火) 04:59 ID:rBNI7oko
( ゚Д゚)ポカーン
演技が書かれたのは三国時代から約1000年後の明の時代ですよ・・?

63(・ω・):2004/03/30(火) 05:01 ID:B1vypL9s
演義はSFで正史は歴史書なんてどこの阿呆だw
まぁ十年くらい前までそう信じられてきたがな。
今ではどちらも同じように歴史書として扱われている。
ちなみにだが皇帝になったかどうかというのは>>46の言ってることが通説。
なぜなら時代背景からそのように書くよう命じられた可能性が高いから。
頭の悪いレスはお断りですよw

64(・ω・):2004/03/30(火) 05:09 ID:.yjgg9TE
>>62
アホかwんなこと知ってるよw
その時代より千年後に羅貫中が書いたものが演義。
だからなぜその時代に劉備を語った書物が残されなかったかわからないのかい?
花関索伝の存在すら知らないんだろ?
演義の基になった可能性の高い関索を主人公にした文献だよ

65(・ω・):2004/03/30(火) 05:12 ID:pOsFsArk
民明書房に間違いを訂正しろとわめいてるキチガイのいるスレはここですか?w

66(・ω・):2004/03/30(火) 05:14 ID:B1vypL9s
ところで
>正史では黄巾の乱の記述で張角は妖術で岩を降らせ豪雨を呼び川を凍らせた、その中曹操凍った川を馬で駆け抜け進軍した・・・とあるがこれも真実だと?w

これには答えてくれないんだろうか・・・

67(・ω・):2004/03/30(火) 05:19 ID:Yj8gvRl2
亜湯津利宣言

その昔、中国に・・・以下略

民明書房刊「必死になる厨房」より抜粋

68(・ω・):2004/03/30(火) 05:20 ID:.yjgg9TE
>>67
確かにそろそろそれやりそうw

69(・ω・):2004/03/30(火) 05:21 ID:B1vypL9s
>>67
先手打ちキターww

70(・ω・):2004/03/30(火) 05:24 ID:Yj8gvRl2
しかし民明書房に食い下がる厨房というのは初めて見たな
なかなかいないぞこんなアホ

71(・ω・):2004/03/30(火) 05:26 ID:B1vypL9s
>>70
だって普通じゃないしw

72(・ω・):2004/03/30(火) 05:44 ID:.yjgg9TE
rBNI7oko は民明書房に間違ってると電波飛ばす時点で馬鹿確定なワケなんだが
あまりこういう歴史とかに興味の無い人のために書いておくと、中国の歴史書のたぐいは物凄い量が発掘されている
だがそのほとんどが脚色されたもので、日本の天照大神が海をかき混ぜて大地を作り・・・みたいな記述が非常に多い
特に三国時代は魏呉蜀と大国3つに割れていたせいか歴史書は大量にあり説も物凄い数ある
特に正史と演義が有名だというだけで、曹操、劉備だけでなく孫権を主人公にした文献もある。
中には張飛は臆病者で関羽の影でビクビクしていただけの小物・・・というふうに描いているものもある。
どれもが主人公にされている人物に都合のいい部分だけを取捨選択して作ったという見方が正しい。
正史だから正しい、演義だから正しいなんていうことは有り得ない。
なぜなら当然、正史も曹家・司馬家に都合のいいように書かれているから。
勉強になったな rBNI7oko

73(・ω・):2004/03/30(火) 05:45 ID:.yjgg9TE
日本の天照大神が海をかき混ぜて大地を作り→日本の神話のように天照大神が海をかき混ぜて大地を作り・

74(・ω・):2004/03/30(火) 06:18 ID:XUUTkD5.
>>72
普通に勉強になった

75(・ω・):2004/03/30(火) 08:52 ID:2lUUjuhc
民明書房にこれを突っ込むのは野暮と思うのだが、単語を感じに置き換えるときは
古代中国ネタなら訓読みは使わないほうがいいんじゃないだろうか? 
あるいは、それ自体がネタと考えてあえて使うのが粋なんだろうか?

76(・ω・):2004/03/30(火) 08:54 ID:iGb9S0rI
先に言っとくけどrBNI7okoじゃないよw

蒸し返すようでアレだけど、
一般には曹操は帝位についてない、で通ってると思うんだけどなぁ。
高校の世界史でもそう習ってるはず。

>>46

>どうでもいいけど呉蜀の君主が皇帝を名乗ったのは魏で曹操が皇帝を名乗って、負けてられるかと追うようにして名乗った・・・ってのが通説

とか言い切っちゃってるから、一三国志ファンとしては突っ込みたくなる。
まぁ、民明書房のスレでどうこう言う話題じゃないんだけどなw

77(・ω・):2004/03/30(火) 09:39 ID:0ZGaJlz2
>>57
いやいやいやいや、いくらなんでも演技と正史同列に扱ったらまずいべさ。
演技は歴史を題材にした物語であって史書と呼べるものではないよ。
地方に残る伝承などを取り入れて正史に無い事実を含んでいることはある
かもしれないけどね。

このスレ気に入ったのでわざわざDQNスレにリンク張ってくれたのは感謝す
るが、むしろ君がDQ・・・スレ違いだな

78(・ω・):2004/03/30(火) 10:15 ID:z947LG5g
いつの間にか脱線しておるぜよ・・・・・(・ω・)

皆が三国志好きってのは十分解ったから、次の民明書房刊の新しい文献を期待ageでいこうぜよ。(・ω・)

79(・ω・):2004/03/30(火) 10:34 ID:IHZQB43w
三国志スレにいってくれたまいよチミたち

80(・ω・):2004/03/30(火) 10:34 ID:IHZQB43w
スレじゃなくて板ねorz

81(・ω・):2004/03/30(火) 11:38 ID:aMhjZw/2
てか、読みかたわからねーyp

罪道の読み方はなに?
紅零紅零もよくわからん。

両手剣の名前はわかったんだけどな…

82(・ω・):2004/03/30(火) 12:16 ID:5oqpT55g
ざいど
くれくれ

だろwww

83(・ω・):2004/03/30(火) 14:27 ID:T7rPUbE6
乱平次

その昔。銭形平次という(以下検閲削除)

民明書房刊「八百八町歌舞伎旅」より抜粋

84(・ω・):2004/03/30(火) 14:48 ID:N6Mq4VJU
 | .   ┌────────────┐
 |[+].<   事得無(じーえむ)     .│
 |⊂ノ .└────────────┘
古代中国、費尾得(ぴおえる)という村では、驚くことに世界に先駆けて、現在の警察機構にあたる物を考案・実施していた。
「事無きを得る」という意味合いで、「事無(じむ)」と名付けられ、村で頻発するトラブル解決の為、若者の中から屈強な者を選抜し、巡回にあたらせていた。
他の村人と区別する為、全身赤の服を着せられ、特に男性は、風貌の統一化の為頭髪を生やすことも御法度とされた。
しかし、大切な働き手を取られる事を拒む家が多く、頭皮に刺青を入れられた罪人を特赦してその数を埋めていたようだ。
それだけに無学な者が多く、村人への対応が危ぶまれた為、村長の田弘(でんこう)は、事無用のマニュアルを作成し、その通りに対応させたが、その内容は薄かった。
何かトラブルがあっても「村人の間で解決してください。」
また、マニュアルに無い事は一切答えられず、答えに困ったら「費尾得村に設置された意見箱へお願いします。」
その、通り一遍の事務的な対応が村人の不評を呼び、いつしか田弘は村長の座を追われ、事無の制度も廃止となった。

現在一部で、使われているGM(ジーエム)という呼び名は、
当時村人達の間で、「呼んでも得られる物は無い」という事で、「事得無」と呼ばれていたのが元と言われている。

        民明書房館「世界各地の警察機構」より抜粋

85(・ω・):2004/03/30(火) 17:31 ID:XUUTkD5.
おお、人が増えておる。いいこっちゃ。
三国志で意見の違いがあるみたいだけどいくつも説のある数千年も前のことをどっちが正しいとかわかるわけないしどうでもいい。
自分じゃネタも出さず偉そうに(しかも民明書房にw)注文つける厨房はもっとウザー


>>84
(つ∀`)タハー

86(・ω・):2004/03/30(火) 18:40 ID:r12GPsoc
民明書房に噛み付いてるのって、EV7OeSNgだけだろ?
ことの発端は40(HGKsWcUg)に対して41(AwSsLZN2)が突っ込んだ
ことかと。
ところで、金璽って、井戸>孫堅>孫策>袁術>曹操じゃないの?

板違いとはわかってても、なんかねー

87(・ω・):2004/03/30(火) 18:46 ID:yrWkOE5E
>>75
亀レスだがそんなこと言ったら李莢振とかどうすんのよw

…字合ってるよな?

88(・ω・):2004/03/30(火) 18:53 ID:/zCeEvJY
>>87
なんて読むの?という二度手間とらせんように読みも書いとけよ

89(・ω・):2004/03/30(火) 19:36 ID:GfL.aB8Q
>>88
り ばしぶる だ。
魁!男塾22か23巻を参照しる。

90(・ω・):2004/03/30(火) 19:46 ID:iGb9S0rI
曹操でざっとぐぐって、目に付いたリンク。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D
http://www.hcn.zaq.ne.jp/cabtu105/sousou.htm
http://www1.interq.or.jp/~t-shiro/data/human/sousou.html

どこにも生前魏帝になったとは書いてない。
このリンクの資料的価値まで突っ込まれると困るが、
これが所謂「通説」じゃなかろうか。

別に民明書房のネタに突っ込むつもりは毛頭ないんだが、
>>46のしったかには突っ込みたくなる。

まぁ、民明書房のネタを楽しみにしてる人にはウザいことこの上ないだろうなw
これで三国志の話は終了しようかw

91(・ω・):2004/03/30(火) 20:01 ID:ua1eg/4k
>>84
の書き方はウマいと思う。
ネタかきたいけど難しいねコレ...

92(・ω・):2004/03/31(水) 02:38 ID:NN7GG7ms
>>86
上のほうのレスにも金璽ってあったけど、玉璽のことだよね?
あれって藍田の名石を削って作ったとか何とかコーエイの三国志6
あたりの説明にあったから、金じゃないんじゃない?民明には無関係だけど。
もし間違ってたらスマソ

93(・ω・):2004/03/31(水) 08:07 ID:EqDwdmfw
今からここは三国志スレに変貌します
馬鹿どもせいぜい言い合ってろ
ついでに証拠の動画か写真のせてね

94(・ω・):2004/03/31(水) 08:50 ID:TsNTDxjQ
三国志ヲタクはほとんど荒らしだな1000までその勢いで荒らしていってね

95(・ω・):2004/03/31(水) 09:31 ID:cPQ8GXb.
流れをぶった切ってみんとす。

壁砂数虎威杭(へきさすとらいく)

 古代において剣は権力の証として一般人は持つことが許されなかった時代。
兵士たちは槌を振るい。幾多の戦場を駆け回っていた。
しかし。バランスの悪い槌は大変扱い難く。振るっては構えなおし、また振るうという闘い方しか出来なかった。
 そんな時。夜の見回りを行っていた兵士の一人が、無数の虎が壁に激突し、穴を開けている場面を目撃した。
俊敏な動きの出来ない虎が連続で突撃する様を見て、その兵士はそれを戦場で活かせないかと考えた結果。
複数の人間が単一目標に向かって、順番に槌を振るう技が編み出された。
そして、絶大な威力を持ったその波状攻撃は、壁をも打ち砕いた虎達に習って「壁砂数虎威杭」と呼ばれることとなった。
 今日に伝わるヘキサストライクは、槌を片手棍へと帰ることで一人でも行えるように改良を加えられたものであるが、
その起源に関しては伝えられず。今ではそれを知る者は極一部の者達だけだという・・・

民明書房刊「失われた世界 -武術篇-」より抜粋

96(・ω・):2004/03/31(水) 11:28 ID:bMhr66oU
>>90
うん。うざいです。
自分だけ言いたいことを言って、「これで終わり、FA」とか
いう人はもっとうざいです。

97(・ω・):2004/03/31(水) 12:59 ID:4AwE6YLA
破輪凄辣手(ぱわーすらっしゅ)

古代中国で剣と言えば、青龍刀のような片手で扱う曲刀が有名であるが、
両手で扱う大剣を扱う武術も盛んであったことは意外と知られていない。

唐の時代の達人、呉 黎孟(ご・れいもう)は、ある日、自らの突き技を強化する為にある修行法を考案した。
両手首に20kgもの重りを装着し、木の枝からぶら下げた輪の中心を両の手で正確に突く。
この修行法によって身につけた呉 黎孟の突き技は、最終的には突きの衝撃波で鉄の輪を破壊するまでに至ったことから「破輪凄辣手」と名付けられた。

中国では広大な大地での騎馬戦闘が主流である為、その後、両手剣を扱う武術は殆ど失われてしまったが、その技術は西洋に渡りいっそう花開いた。
15世紀頃より西洋で幅広く使われ始めた両手剣「クレイモア」は、呉 黎孟の名前をもじったものと言われている。

現代人が筋力増強の時に手首に付ける重りを「パワーバンド」「パワーリスト」等と呼ぶのも、上記の修行法影響を色濃く残していると言えよう。
        民明書房館「剣術今昔-チャンバラから殺陣まで-」より抜粋

98(・ω・):2004/03/31(水) 14:27 ID:3O48vUnY
ずっと民明書房があると思っていて、
いつか見つけたら買うぞと思っていたら・・・

甲冑軍隊アリの話で
「不破武流昆虫記」(ふわぶる昆虫記・・・漢字忘れた)
が出てきて幻想を崩されたのは俺だけ?(´・ω・`)

99キモい三国志オタクどもが氏んでくれることを祈りつつネタ投下:2004/03/31(水) 15:54 ID:bHzGzPGs
田中丈夫

時は幕末、とある村に田中弘ノ介という下級郷士いた。
剣の腕は三流以下、頭も悪く不細工で、努力もせず草双紙(当時のマンガ)を一日中読みふけるという体たらくであった。
草双紙に頭をやられた弘ノ介は突如として立ち上がりこう叫んだという。
「俺は勇者だ!俺が弱いのは勇者の剣が無いからだ!」
草双紙に描かれていた見慣れぬ西洋の長剣を見た弘ノ介はそれを勇者の剣と勘違いしてしまったのだ。
方々手を尽くして苦霊茂悪と呼ばれる剣(今で言うクレイモアだと考えられる)を手に入れた田中は意気揚々と村の道場主に勝負を挑んだ。
案の定勝てるはずもなく折角手に入れた苦霊茂悪を一刀のもとに叩き切られてしまう。
西洋の剣なるものは質が悪く切れ味など皆無であったのだが弘ノ介はそのことにすら気付かず再び勘違いをしてしまう。
「勇者たる者、自分で作り上げてこそ勇者の剣だ!」
そういった弘ノ介は村の鍛冶屋の寝込みを襲って殺し(正面からでは返り討ちだっただろう)そこで勇者の剣を作り出した。
当時弘ノ介が読んでいたとされる草双紙は「部龍背龍苦」だとされており、その草双紙には人が持ち上げることすら出来るはずもない巨大な剣が描かれている。
通説では当時、日本刀の圧倒的な切れ味と頑強さに恐れをなした西洋人達を皮肉った作品であると言われているこの草双紙を本気にした弘ノ介はまさにその通りの剣を作ってしまったのだ。
もちろんそれは人の持ち上げられるような物ではなかった・・・がなんと弘ノ介はそれを振り回し操って見せた。
なんとそれは中身が空洞になっているハリボテであったのだ。
村人達はそのことに気付かず弘ノ介を恐れるようになった。
調子に乗った弘ノ介は尊皇攘夷を俺が導いてやると脱藩し京に上って天誅を働くようになった。
そしてとうとう犯行現場を取り囲まれてしまった。
弘ノ介はここぞとばかりに勇者の剣を見せつけ、我こそは勇者ぞと名乗りをあげた。
それを見た捕り手たちは腰が引けていたが、そこに駆けつけたのが新撰組三番隊組頭の斉藤一であった。
斉藤は一瞬でそれがハリボテであることを見抜き、勇者の剣ごと弘ノ介の右手を切り落としてしまった。
「張子(はりこ)で勇者とは笑わせる、張子丈夫なぞ斬っても手柄にもならん」と嘲笑された弘ノ介は尻をまくって逃げ出した。
このことがおきてから竹光を差している者や腕の無い傾き者たちを田中丈夫、張子丈夫と呼ぶようになったと言う。
今でも自信だけは過剰にあり、腕の伴わない者を勇者と呼ぶのもこの名残だと言われている。
この時右腕を切り落とされ、剣を振れなくなった弘ノ介は実は生き延びていて子孫にいつか彼岸を達成せよと言い聞かせたとも言われている。
もしかすると今でも田中の血を引く者は物理的に不可能な勇者の剣を振り回すことを夢見ているのかもしれない。

       民明書房刊「世界珍人変人伝」より抜粋

100(・ω・):2004/03/31(水) 15:59 ID:bHzGzPGs
/pet かえれ >>96 三国志

101(・ω・):2004/03/31(水) 16:35 ID:4AwE6YLA
施苦熱湯(しぐねっと)

南朝時代、拳法を教える寺では、食料になる山菜等を山に採集しに出かける修行僧に熱湯をかけて送り出すという習慣があった。
この熱湯が完全に乾くまでに寺に戻れない物は未熟者とされ、乾くまでにより遠く、より多くの採集物を集めて来ることが誉れとされていた。
また、一部の地域では、ごく至近距離に同じような修行寺が乱立していた為、修行僧にかける施苦熱湯に、染料を用いてそれぞれの寺で固有の色をつけ、修行僧からしたたる施苦熱湯どれだけの広範囲に広がるか、を競っていた事もあるという。

現在、町の出口でガードが冒険者にかける「シグネット」は、この施苦熱湯が起源であることは言うまでもない。
        民明書房刊「Do 湯 love me?」より抜粋

102(・ω・):2004/03/31(水) 18:14 ID:bMhr66oU
>>100
うはw三国志ファンだと思われたw。
ちなみに三国志のことなんてさっぱり知らない。
言いたかったのは、だらだらくだらんレスが続いてて嫌気がさしていたこと。
で、さらにスルーすることもできずに(これ俺もだね。ごめん)言いたいことを
言っておきながらこの話題は終わりとか言う人がうざいっていったの。
終わりとか言う前にレスをするなって意味で。
ただし、これに関してはオレモナーなので消えます。

103100:2004/03/31(水) 18:40 ID:bHzGzPGs
>>102
そうでしたか、スマソ
ネタに感想言う程度ならいいと思うし反応無いとネタ作ってる人もつまらんとは思う
けど自分じゃネタも書かずサルベージもせず偉そうに批評するだけの香具師は本気でウザい
あくまで民明書房だしねw

>>101
なんと大変な修行かww

104(・ω・):2004/03/31(水) 19:12 ID:EqDwdmfw
棍振苦闘(コンフリクト)

はるか昔、モンゴル帝国において、皇帝フビライ=ハンが自国の武力を見せつけるために広く行った武闘大会が棍振苦闘である。
この競技を考え出した者はタ=ナーカという騎馬民族出身の宰相であった。
棍振苦闘は二人の闘技者にはめた首輪を鎖でつなぎ、手に持った棍棒でどちらかが絶命するまで殴りあうという凄惨なものであった。
しかし、毎月開催されたこの大会は全ての村から必ず一人ずつ闘技者を出さねばならず、断った村は大変な重税を課せられるという暴挙も行われた。
数年間続いたこの恐ろしい大会だがその凄惨さから帝国の信頼を著しく失墜する結果となり、これを考えた宰相タ=ナーカは自ら考案した棍振苦闘によって嬲り殺されるはめになる。
棍振苦闘はマルコ=ポーロによってヨーロッパに伝えられ、現在でも衝突を意味する言葉として残っている。
またマルコ=ポーロの東方見聞録にこの大会が記されていないのは、彼自身がモンゴル帝国の名誉のために削除したからだとも言われている。
当時、民衆はこう言ってタ=ナーカを揶揄したと言われている。
「愚か者は人を首輪でつなぐ、愚か過ぎれば自らを首輪でつなぐ」
これは愚か者は先も考えずに暴挙を重ねるという見本である。しかし愚か者はいつの時代にもいるものである。
愚か者はこの事例を戒めとして受け取ることが出来るのだろうか。

        民明書房刊「世界に名を残す非道な権力者達」より抜粋

105(・ω・):2004/03/31(水) 19:24 ID:5o3dtMCg
>>104
Gj(・∀・)イイ!!


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