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民明書房〜FF編

37ごめw一部修正w:2004/03/26(金) 01:18 ID:MTrAXL02
<毛有>
魏呉蜀がそれぞれ覇を唱えていた三国時代。魏皇帝曹操は一人の将に絶対の信頼を置いていた。
その男の名は毛有(もうゆう)。
馬を駆れば一日千里を走り、矛を持てば城門を突き通し
戟を振るえば十の武将の首が空を舞ったと言われる大陸を震撼させた猛将である。
しかし歴史はその男を語らない、それを裏付ける関羽の言葉が近年発見された。
曹操の恩に報いるために魏に赴いていた関羽はそこで毛有に会いこう叫んだという。
「貴様、毛が無いのか!」
そう、彼は名に反して禿であったのだ。そしてその事を何よりも恥じていた。
この後、関羽は激昂した毛有に散々殴られ、死線を彷徨ったと言う。
関羽千里行の逸話は有名であるが、その実は毛有に恐れをなし逃げ帰り
追おうとした部隊を毛有が「あの程度の男は信に足らず!追うに及ばず!」と一喝したからだという説も囁かれている。
魏が大陸を統一した後、彼は一つ秘術書と置手紙を残し姿を消した。
「我が恥は魏が天下を輝かせるほどに恥辱である。この秘術書は南下仙人の残せし秘法を記した物である。
我が意思を継ぎし者よ、どうかこれで我と同じ悲しみに苦しむ人々を救ってくれ」
この手紙を受け取った司馬懿仲達はこの秘術書より一つの秘法を生み出し、それを用いるようになった。
しかしそれは彼の恥を無くすものではなかった。なんと仲達は彼の苦しみとは戦場で怪我をすることだと勘違いしてしまったのだ。
人々は恥を払拭させることの出来なかった毛有を哀れみ、この秘法に彼の名を関した。
それは海を渡り日の本の国へと伝わり、ケアルと呼ばれたその秘法は堺の商人の手により世界へ広まることとなった。
当時、兵達は「龍の逆鱗に触れる」と同義として次の言葉を良く用いたと言う。
「毛有の兜を取る」

 
         民明書房館「時代に埋もれし英雄」より抜粋


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