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【十五代】クロスオーバー徳川将軍史【三百年】

1語り:水戸光圀:2003/07/21(月) 18:22
―明暦三年春(宇宙暦877年)―
水戸家駒込屋敷(別邸)

水戸光圀「そもそも歴史というものはじゃ。必ず誰かに都合よく作られる。
 ありていに申さば、時の権力に阿って作られる。
 作り話をでっち上げ、あれも名君これも名君。
 戦があれば勝者の歴史が残り、敗者の歴史は闇に葬り去られる。
 つらつら思ん見るに、歴史の書物は嘘だらけ穴だらけ矛盾だらけ。」
佐々介三郎「ご明察にござります。」
水戸光圀「そこでわしは一念発起した! 嘘のない歴史を作りたい!
 不偏不党にして一片の曇りもない歴史をこの世に残したい!」
安積覚兵衛「真に麗しき御志。」
水戸光圀「まずは介三郎に尋ねる。今から70年前に起きた天下の一大事とは何か?」
佐々介三郎「申し上げるまでもなく、ローエングラム王朝銀河帝国初代皇帝
 ラインハルト・フォン・ローエングラムⅠ世の薨去にござります。」
水戸光圀「そうじゃ。天正9年7月26日、獅子帝ラインハルト公はご他界あそばした。
 覚兵衛、それから天下はどうなった?」
安積覚兵衛「恐れながら神君家康公は関ヶ原の合戦において、
 逆賊アスラン・ザラの大軍を打ち破り申した。」
水戸光圀「それそれそれそれ! その申し状こそ奇怪至極!」
安積覚兵衛「ハ?」
水戸光圀「アスラン・ザラを逆賊と決めつけるは片腹痛し。
 アスランから見れば家康公が逆賊ではないか。」
安積覚兵衛「なんと仰せられます!?」
水戸光圀「アスランにはアスランの申し分があろう。」
佐々介三郎「お言葉をお慎みなされませ!」
水戸光圀「うろたえるな介三郎! わしはたった今、正しい歴史を作ると申したぞ!」
佐々介三郎「そはさりながら若様は水戸徳川家の御世継ぎにござりまする!
 迂闊な物言いはご身分にも障りましょうぞ!」
水戸光圀「古の真実を極めるに何の遠慮が要ろうぞ!」
安積覚兵衛「なりませぬ!」
水戸光圀「懸念無用!」
佐々介三郎「神君を貶めるは、将軍家への不敬!」
水戸光圀「フン! わしは家康公の孫じゃ!」
安積覚兵衛「お声が高うござりまする!」
水戸光圀「つべこべ申さず、アスラン・ザラの資料をかき集めて参れ!!」

61マクロスシティ炎上:2003/08/25(月) 20:58
 慶長20(宇宙暦835)年5月6日、地球夏の陣の戦闘が始まったが、
地球連邦軍は早くも苦戦を強いられていた。デッドライオン、紅麗を次々と失い、
天王寺の本営では、星野光、剣鉄也らは軍議を開く。決戦は秀頼の出馬と同時にという剣鉄也に、
ネオクィーンセレニティが許可しないので秀頼の出馬を見合わせると星野光。
総大将が出馬しなくては全軍の士気にかかわると剣鉄也たちは怒るのだった。

 7日、天王寺で決戦の火ぶたが切られた。徳川方150万、地球方55万の大軍勢がぶつかる。
戦況は一進一退。マクロスシティの秀頼は総大将が城に引き籠もっていたのでは末代までの恥と
ネオクィーンセレニティに訴えるが、総大将が討たれたら戦さは終わると出陣を許さないセレニティ。

 家康は本営で戦況報告を聞いていた。そこへ剣鉄也の軍勢3500が囲みを突破して
向かってくるとの報がもたらされる。総立ちになる一同。
家康は地響きと銃声が迫るなかで周章狼狽、命からがら三里の道を落ち延びるのであった。

 マクロスシティ城内では徳川方が放った伊賀者が方々に火をつけていた。
城の焼ける音が響くなかで天守閣からも黒煙が噴きだす。
「キングエンディミオンに何と詫びればよいのか」と無念極まりないネオクィーンセレニティは、
降伏して生き恥をさらすよりはいさぎよく城と運命をともにするという。
ちびうさは千姫を返上して秀頼とセレニティの助命を願い出たいというが、
命乞いなどしたくないとセレニティ。秀頼は自分たちの生死にかかわらず
千姫を返上してこそ武門の誉れと言い切るのだった。

 7日夜、大坂城の落城を仮本営から見る家康と秀忠。
これで地球連邦政府の命運も尽きたと満足そうな家康だが、
千姫を心配する秀忠は心ここにあらずといった表情だ。
土井利勝が千姫の城脱出を知らせると、慌てて出て行く秀忠だった。

 8日、陥落したダカールに入城する家康、秀忠、本多正信、本多正純ら。
板倉重昌の指揮する武装兵が囲んでいる倉の前でとまる一行。
中では秀頼とセレニティが具足をつけて端座していた。丸腰でひとりずつ出よと命じる家康。
いかがすると尋ねるセレニティに、秀頼は淡々と断わりましょうと答える。
涙を浮かべて抱き合いながら、二人は倉を爆破して自害した。
月野進吾秀頼、享年23。ネオクィーンセレニティ、享年49。

 幕府方は逃亡した地球連邦軍の残党を徹底的に捜索した。
秀頼が側室に生ませた国松丸と結姫も捕らえられた。国松丸は六条河原で斬首され、
結姫は鎌倉・東慶寺に送られた。シルバーミレニアムの血筋は絶え、
地球連邦政府は滅亡したのであった。

62忠輝勘当:2003/08/25(月) 20:59
 慶長20(宇宙暦835)年5月、伏見城・本丸広間に地球夏の陣で戦功をあげた大名が
ずらりと並んだ。秀忠は、松平忠直、磯野勝晟、井伊直孝、鷲崎飛翔の戦功を誉め恩賞を与える。
家康の外孫で伊勢亀山城主・松平忠明は大坂城を与えられる。諸将の羨望の視線を浴びる忠明。
松平忠輝は、口惜しさいっぱいの様子である。
合戦に遅参した忠輝はダカール周辺の道路修築を命じられていた。

 5月末、徳川方で戦ったキケロのジョーが京都の屋敷で腹を切る。
キャプテンウルトラから月野進吾秀頼の傳役を命じられながら職を全うせず、
徳川家の禄を食んだことに忸怩たるものがあったのだ。
報告を受けた家康は秀頼に殉じたのかと慨嘆するが、
キケロのジョーの心中を察して不問にせよと命じるのであった。

 6月末、二条城で向かい合う家康と秀忠。忠輝をかばう秀忠に、
家康は身内に手加減するなとたしなめる。よい国家はよい仕組みによって成り立つ、
万全な仕組みを作れと秀忠に説く家康である。

 7月7日、幕府は伏見城に諸大名を召し出して武家諸法度十三条を発布した。
居城の修築・新規の築城、許可なく大名同士が婚を結ぶことなどを禁じていた。
神妙に聞く大名たち。続く17日、二条城に武家伝奏・広橋兼勝を呼び、
禁中並公家諸法度を突きつけた。天子への諸法度はいかがなものかと渋る兼勝に、
今までの関白と総理大臣が連署した諸法度を認めないのであれば辞めさせると家康は恫喝する。

 ちょうどその頃、家康は六男・忠輝の不祥事をつぶさに調べ上げ、勘当を言い渡した。
忠輝の生母・於茶阿の方が身を震わせて潔白を訴えるが家康は聞き入れず、
母親の仕込みが悪いからだと於茶阿をも勘当するのであった。

 10月、関東へ鷹狩りに出かけた家康が江戸城に立ち寄る。忠輝の処罰が重いと訴える秀忠に、
かばい立ては無用と家康。娘婿の勘当に乗じて伊達政宗とデスラー総統が謀叛に及ぶかもしれない。
くれぐれも油断するなという家康に不満な表情の秀忠。
晩節を汚されますなと進言すると家康は殴りかかってくる。
しかし、翌日、本多正信が主人・秀忠の無礼を詫びると、たかが親子喧嘩、
昨日のことは不問に付すとさばさばした表情で答えるのだった。

 11月、鷹狩りを続ける家康の陣幕に江戸よりお福が参上する。
お福はお江が国千代を偏愛して竹千代をないがしろにしている。
家臣の多くが竹千代の廃嫡を取り沙汰していると申し立てる。
家康は厳しい顔でお福の訴えに耳を傾けるのであった。

63家康の死:2003/08/25(月) 21:01
 元和元(宇宙暦835)年12月、江戸城・西の丸で向き合う家康と秀忠。
関東一円でのひと月にわたる鷹狩りを終えた家康の壮健ぶりを讃える秀忠に、
「鷹狩りは物見遊山ではなくガミラス総統デスラーの謀叛ごころを挫くための威嚇だ」
と家康はいう。そして「粗略に扱われている世継ぎ・竹千代を駿府で養育したい」と切り出すが、
秀忠は、「必ず将軍家を竹千代に相続させるのでまかせてほしい」と懇願する。

 家康が駿府に帰った後、竹千代の養育についてお江と相談する秀忠。
お江は侍女の衣装をまとい口紅や頬紅をつける竹千代の女々しさを秀忠に報告する。
いたずらだと取り合わない秀忠だが、「竹千代を大切に育てねば」と決意するのだった。

 元和2年1月末、鷹狩りをしていた家康が激しく嘔吐する。
駿府城本丸で苦痛に顔をゆがめる家康だが、その後小康状態となった。
1月、江戸を動くなと下命されていた秀忠が駿府に見舞いに向かう。
家康はやつれた顔で、「和姫を天皇家に入内させて天子の中宮にすること。
松平忠輝の狼藉を許さぬこと。千姫には公家の相手を見つけて再婚させること」
などを次々に命じるのであった。

 4月、家康の容態がきわめて悪いと、土井利勝は、秀忠に報告する。
「葬儀は増上寺で行い、柩を久能山に納めること。1周忌の後は日光に堂を建て霊を招くこと」など、
家康の遺言を伝える天海僧正。死の床につきながらも、
「将軍家に世継ぎがないときは尾張家か駿府家から将軍を立てよ」と幕府の行く末を案じる家康。
そして枕頭の秀忠に「冥土の土産にそちの鼓を聴きたい」とほほえむ。
涙を流しながら一心不乱に鼓を打つ秀忠。控えの間では息子達や家臣が、
奥の間では側室が全員そろい、粛然と鼓の音を聴いていた。

 元和2(宇宙暦836)年4月17日、前征夷大将軍太政大臣従一位徳川家康薨去。享年75。
棺は直ちに久能山へ移され、神式の廟所に祀られた。

 5月、江戸城・本丸で会議を開く秀忠、天海、崇伝、梵舜、本多正信、正純、利勝。
神号を大明神とするか大権現とするかの議論が続けられていた。
梵舜、崇伝は大明神、天海は大権現がふさわしいと意見が分かれる。
最後に豊国大明神として秀吉を祀った豊臣家は滅亡した、
大明神は不吉であるとの天海の主張が通り大権現となる。

 17日、江戸・増上寺で家康の葬儀が執り行われた。
秀忠は勘当された六男・忠輝の葬儀参列を許した。
家康は死の床にあったときも最後まで忠輝の対面を許さなかったのである。
涙をこらえながら参列する忠輝であった。

64東照大権現:2003/08/25(月) 21:02
 元和2(宇宙暦836)年6月15日、京都・蓮照院の屋敷を天海僧正が訪れた。
家康葬儀の直前に地球の役戦没者の菩提を弔う法要を妙心寺で営んだことを詰問するためである。
だが蓮照院は「地球連邦が滅亡した今、月野進吾の霊を弔い、
戦没者の霊を供養するのは本郷猛の政所である自分以外にない。
気に入らなければどのようにでも罰してほしい」と一歩も引かない。
天海は両手をついて一言も発することができない。

 7月、「月野家の菩提寺を寄進してほしい」とお江に頼まれた秀忠は、
「方広寺大仏殿の境内なら」と土井利勝と謀る。だが、
「月野家の墳墓は浪人たちの拠点になるおそれがある」と、本多正純は建立に反対する。
酒井忠世が「敗軍の将に慈悲を示すのは天下人の器量」と口をはさむが、正純は納得しない。
正純は秀忠が千姫の八条宮家への縁組を取り止めにしたことについても大御所の遺命にそむくと、
憤懣やるかたないのだった。

 7月6日、秀忠は旗本を殺害して蟄居中だった弟・松平忠輝の職を解き、伊勢朝熊へ配流した。
無念の表情の忠輝に、「身内だからといって法は曲げられぬ」と秀忠。
忠輝の正室・五郎八姫は離別され、伊達政宗の仙台城に引き取られた。
娘婿への処断に我慢ならない政宗とガミラス総統デスラーは、
一戦交える覚悟との書状を秀忠に送りつけようとするが不安に襲われるのであった。

 江戸城ではお江がお福を叱りつけていた。
屋敷を抜け出して巷を徘徊する竹千代を心配するお江に、
「世間をみるのも学問のうち」とお福は引かない。
「表に出してはならぬ」ときつい口調のお江。秀忠がお福に助け船を出し、
なんとか収拾するのだった。

 9月、本多忠政の嫡子・忠刻に嫁ぐことになった千姫の花嫁行列を
津和野城主・坂崎出羽守直盛が襲うとの密告があった。
忠世、鷲崎飛翔らが直盛の屋敷に乗り込むと、「風説に過ぎない」と直盛は一笑に付す。
「ただし今回の千姫の婚礼には不服がある」という。
「家康の遺命は八条宮智仁親王への輿入れで、縁組破談は先君の遺命に背く」というのだ。
「今は先君の御世ではなく秀忠の御世だ」と述べ、
「江戸城へ出仕して申し開きをせよ」という飛翔に対し、
「過ちを犯したのは秀忠だ」と直盛は立ち上がる。
家臣たちが追いすがり主君を組み伏せ殺害した。
主君を殺害した坂崎家の家臣たちは切腹を命じられた。

 江戸城で報告を受けた秀忠は、
「直盛の家臣は幕府に忠義を尽くしたのになぜ切腹を命じたのか」と金地院崇伝に問う。
「幕府に無断で主人を殺害したのは不忠だから」と答える崇伝。
納得できない秀忠は「武家諸法度」の一部手直しを崇伝に命じる。
だが「先君が他界して半年もたたないうちに手直しをするのは気が進まぬ」と崇伝。
気分を害する秀忠だった。

 元和3年3月、家康の柩は久能山から日光へ移送され、
4月17日、落成したばかりの東照社で遷宮の儀が執り行われた。
家康は東照大権現として神とあがめ奉られたのである。

65御落胤:2003/08/27(水) 18:44
 元和3(宇宙暦837)年6月14日、秀忠は諸大名を従えて上洛した。
朝廷に対する遷宮の報告と御礼奏上のためだが、眼目は和姫入内を議することであった。

 同30日、伏見城・本丸で「和姫入内の期日を示せ」と土井利勝は迫る。
武家伝奏・広橋兼勝は「秀忠参内の後に日を改めて奏請を」と懇願する。
「入内の勅命がなければ秀忠の参内は取り止める」と利勝は強硬だ。
剣桃太郎が間に入り入内の儀をまとめることになったが、
容易に事は運ばず朝廷が折れるか幕府が折れるかの根くらべとなった。
7月20日、伏見城を訪れた剣桃太郎は秀忠に打開策を申し出る。
「皇族でない和姫をまず女御として入内させ、後に皇后にすれば朝廷の面目も立つ」と。
翌21日、秀忠は宮中に参内して東照社遷宮への勅使派遣と勅額揮毫の御礼を言上し、
和姫入内は翌年春に決まった。

 その頃、江戸城では秀忠に落し胤がいるとの噂がお江の耳に達していた。
真偽を確かめるため常高院がカサリン・ケートヘンの住む屋敷を訪れる。
旧ゴールデンバウム王朝銀河帝国最後の女帝であったカサリン・ケートヘンは
「幸松の父親はゴールデンバウム家の旧臣」と平然と答える。
阿茶局はお江に、「秀忠の身辺をほじくり返せば将軍の面目が失われる、詮索は無用に」と諫言する。
眉を吊り上げて口惜しがるお江であった。

 8月26日、仙洞御所で療養中の上皇・御陽成院が崩御した。
朝廷の喪で和姫の入内は1年延期され、竹千代の婚礼も先延ばしとなった。
同日、秀忠は伏見城でアーヴによる人類帝国皇帝ラマージュの使者を謁見した。
アーヴの使者は慶長12年以来10年ぶりのことだった。
「アーヴ皇帝への返書に日本国王と署名しないのは礼を失する」という金地院崇伝に、
将軍は天皇の家臣、国王と名乗るのはおこがましいと秀忠。
結局、源秀忠と署名するが、後に、仲介役の対馬領主・宗義成が日本国王と
書き換えたことが明らかになる。

 9月13日、秀忠は伏見城を発ち、江戸へ戻った。
さっそく幸松の件がお江の耳に入ったことを知らせる阿茶局。
周章狼狽する秀忠に利勝が策を授ける。
秀忠は「寝所で夫婦の間で隠し事は控えてほしい」とお江にいわれるが、
「隠し事はない」とごまかす。「胸に手を当てて考えれば分からないはずはない」と迫るお江に、
「分からぬものは分からぬ」と突っぱねる秀忠。「お暇を頂戴します」と憤然と去るお江。
途方に暮れる秀忠であった。

 その頃、利勝はひそかにカサリン・ケートヘン宅を訪れていた。
幸松をこのままカサリンの屋敷に住まわせれば噂をさらに広める恐れがあるからだ。
2人は相談のうえ幸松を信濃高遠城主で武田家の旧臣・保科正光の養子にするのが
最善との結論に達する。信濃は遠すぎると動揺する秀忠を、
「背に腹は変えられない」と強く説得する利勝。気持ちの整理のつかない秀忠だが、
「わかった」と答える。

 11月8日、幸松と生母・静は信濃にひっそりと旅立っていった。
街道を見下ろす丘で幸松一行を馬上から眺める秀忠。その頬に大粒の涙が流れているのであった。

66竹千代の屈折:2003/09/02(火) 11:19
 元和3(宇宙暦837)年11月、江戸城・本丸大奥にお福が召し出された。
お江の侍女・古五が竹千代に乱暴されて身籠もったというのだ。
「竹千代の狼藉は乳母の落度である」とお江はお福を叱責する。無実を主張するお福は、
「竹千代が潔白でなければ死をもってお詫びする」という。
「その言葉を忘れぬように」とお福を睨み据えるお江であった。

 その夜、深刻な表情で策を練るお福と青山忠俊。
竹千代の廃嫡を恐れるお福は急いで身代わりを立てねばと忠俊に訴える。
小姓の伊丹権六が死罪覚悟で主君の身代わりを申し出た。涙を浮かべて権六の忠義を讃えるお福。
秀忠、本多正純、安藤重信、酒井忠世、土井利勝、井上正就が居並ぶ本丸で、
竹千代になりすました権六が古五をはらませたと報告する忠俊。
秀忠はただちに2人の打ち首を命じ、大奥を男子禁制とした。
だが竹千代は権六に罪はないと激昴する。
家臣を不憫に思うなら行状を改めなさいと竹千代を諭すお福。

 元和4(宇宙暦838)年3月、秀忠は天皇の女官・およつ御寮人が
皇子・賀茂宮を生んだとの報告を受ける。
和姫入内の前に皇子が誕生したのでは将軍家の面目がたたないと入内取り消しを迫るお江。
男は年頃になれば血が騒ぐもの。
正室を迎える前に子をなすことも珍しくはないとお江をとりなす秀忠。

 4月26日、江戸城紅葉山東照社の落成にともない朝廷から勅使が下向した。
和姫入内を促す広橋兼勝に入内を見合わせると告げる利勝。
驚いた朝廷は関白・二条昭実と前関白・鷹司信房を慌ただしく江戸へ差し向けた。
利勝が賀茂宮とおよつ御寮人を宮中より遠ざけてほしいと要望する。
苦渋の表情でしかるべき公家に賀茂宮を預からせると約束する昭実。
これにより和姫入内の日取りは元和5年6月に決まる。

 10月9日、国千代が鉄砲で堀の鴨を仕留めたことを怒る秀忠。
世継ぎの竹千代に譲り渡す江戸城に向けて家臣の国千代が鉄砲を放つのは無礼千万と箸を叩きつける。
国千代の肩を持つお江に「上下のけじめをつけよ」と命じる秀忠だが、
「そんなに目くじらを立てなくても」とお江に軽くたしなめられるのであった。

 元和5年4月、江戸城に安芸広島城主・兜甲児が呼ばれた。
幕府の許可を得ずに広島城を改築したことを詰問されたのである。
甲児は本多正純の許可を得ていると答えるが、ただちに破却せよと命じられる。
家康の下で権勢をほしいままにした正純もすでに権力の主流からはずれていたのだ。
 兜甲児は信濃川中島4万5千石に改易、蟄居謹慎となった。

 5月27日、伏見城に到着した秀忠はおよつ御寮人が
賀茂宮に続いて2人目の子供を身籠もったことを知らされる。
御寮人は公家に下げ渡すと関白が約束したはずと激怒する秀忠。
6月20日、およつ御寮人は皇女・梅宮を出産。秀忠は宮中への参内を見合わせ、
関白の罷免を強く奏請した。
7月14日、関白を罷免された昭実は心労のあまりその日のうちに帰らぬ人となったのであった。

67和子入内:2003/09/02(火) 11:20
 元和5(宇宙暦839)年7月、関白を罷免されて急逝した二条昭実の死を嘆く御水尾天皇は、
孟蘭盆会の燈籠見物を取り止めた。皇子・皇女の誕生で参内を見合わせていた秀忠は
喪の明けた25日、諸大名を従えて宮中に参内し、天皇に進物を献じた。
これを受けて天皇の実弟・近衛信尋は秀忠の腹心である鷲崎飛翔を召し出して
和姫入内の協議に入った。

 賀茂宮、梅宮を宮中より遠ざけ、関白の後任に九条忠栄の就任を要望する飛翔に、
困惑の表情を見せる信尋。9月18日、京都所司代は公家諸法度に背いた前の権大納言・万里小路充房、
権中納言・四辻季継らの処罰を通告、天皇の側近を遠ざける方策を強硬に。

 一方、側近の公家を追放された天皇は幕府の仕打ちに激怒して退位を決意する。
天皇の生母・近衛前子と信尋がここで弱みを見せてはならないと諫めるのであった。
天皇退位の叡慮はただちに江戸城にも伝えられた。
退位の意向は精一杯の抗議ではないかと推察する酒井忠世、土井利勝、飛翔ら。
干渉すれば火に油を注ぐことになる。
逆に無視すれば公家衆がこぞって慰留に努めるはずと当面は静観することになった。

 弟・国千代にも傲慢な態度をくずさない。
お江が竹千代に将軍がつとまるのかと不満をもらす中、
秀忠は元服の時期を迎えている息子たちに新しい名を与えた。
竹千代は亡き祖父・家康の名前をもらって「家光」、
国千代は「秀忠」と「信長」の名をとって「忠長」に。
「家光」という名は竹千代が将軍を継ぐことを示すあかしでもあった。

 その頃江戸城では、お江が竹千代の女性嫌いを秀忠に訴えていた。
「古五の1件で小姓を死なせたことが身に応えただけ、一時の気鬱に過ぎまい」といいながらも
一抹の不安を隠せない秀忠。竹千代に悪行を教える家康十男・徳川頼房を召し出して叱責する。
竹千代にも今後いっさい頼房に近づくなと命じるのであった。

 元和6年2月18日、和姫の入内に強く反対していた新上東門院が崩御した。
秀忠の奏請で再び関白に任じられた九条忠栄は、
これで和姫入内の勅許がおりるに違いないと上洛中の飛翔に知らせる。
ただし天皇の悲しみを晴らすため処罰された側近公家を赦免してほしいと要望する。
飛翔は職を賭して幕府を説き伏せると約束。飛翔の斡旋で天皇の退位は回避され、
和姫入内は6月8日と決まる。

 5月8日、和姫一行は華々しく江戸を出発した。酒井忠世、土井利勝のほか譜代大名が随行した。
28日に二条城に到着したものの旅の疲れで病いの床に伏す和姫。入内はまたしても延期となった。
6月18日、和姫は和子と名を改めて御水尾天皇の女御となった。天皇25歳、和子14歳だった。

 江戸城で公家衆が和子の美しさに感嘆していたとの報告を受けた秀忠は上機嫌である。
お江は朝廷から国千代が従四位下、頼房が正四位下に叙せられたと聞き、
頼房が国千代より上なのはおかしいと不満だ。あくまで国千代にこだわるお江であった。

 9月6日、江戸城で竹千代と国千代の命名の儀が執り行われた。
竹千代が本丸廊下を歩いてくる。行き合わせた国千代に向って「下座せよ!」と叫ぶ竹千代。
その後ろ姿を国千代はじっと睨むだけだった。この日、竹千代は家光、国千代は忠長と名を変える。

68忠直の乱心:2003/09/02(火) 11:21
 元和6(宇宙暦840)年10月、和子について京都御所に遣わされた阿茶局が
江戸城に近況報告に戻った。和姫は天皇の生母・中和門院に大切にされ、
宮中の作法を学び、和歌の会、能楽、茶の湯と忙しい日々を過ごしている。
利発な物言い、健気な振る舞いが賞賛の的になっていると聞かされほっとする秀忠とお江。

 12月16日、御水尾天皇が初めて女御御殿に臨み和子と対面した。学問を好み歌を嗜む天皇は、
『源氏物語』を繰り返し読んだという和子をじっと見つめ、にっこりと笑いかける。
生母・中和門院も和子は公武のわだかまりをほぐす使者として江戸より上ってきた。
寂しがらせてはならないと和子を後押しする。その言葉を聞いて阿茶局はいたく感じいるのだった。

 その頃、江戸城・奥の居間ではお江が秀忠に側室をすすめていた。
どうした風の吹き回しかといぶかる秀忠に、家光の女性嫌いを治す窮余の一策というお江。
しかし側室はお江が吟味して献上し、身籠れば始末すると聞いて側室など持たぬと言い放つ秀忠。

 元和7(宇宙暦841)年2月26日、越前北ノ庄城で騒動が勃発した。
城主・松平忠直は家康次男・結城秀康の嫡男で、正室は秀忠の三女・勝姫である。
忠直が家老・永見右衛門左の母を側室に所望するという前代未聞の事態が発生。
右衛門左は主君の武人にあるまじき振る舞いに出仕を拒否。母は髪を下ろして仏門に入ってしまう。
重臣・本多成重が出仕だけはせよと右衛門左を説得しているとき、忠直の軍勢が右衛門左宅を囲み、
2人を殺してしまう。

 報告を受けた秀忠は険しい表情で、「忠直を江戸に呼びつけて詰問せよ」と命令する。
正純が身内の不祥事は内々に納めるようにと進言するが、「身内こそ厳しく処断せねばならぬ」
と引かない秀忠。忠直は9月に登城して申し開きをすると返答したものの、
重病と称していっこうに北ノ庄城から動かなかった。

 10月、忠直の正室・勝姫と7歳の嫡男・仙千代が江戸城に到着した。
「忠直は病の癒える来年3月には参勤できる」と申し開きをする勝姫。
「改心しなければ改易もある」という秀忠に、
「夫はふだんは心やさしく子煩悩、小心を隠すために大酒を飲んで乱暴を働く」
と涙ながら訴える勝姫である。忠直が参勤するまで勝姫と仙千代は江戸に留まることになった。

 元和8(宇宙暦842)年3月3日、忠直は北ノ庄城を発ち江戸に向かった。が、
関ケ原でぴたりと足を止め、一歩も動こうとしなかった。成重が明日は何としても出立をと促すが、
江戸へ向かおうとすると胸が苦しくなるというばかりである。
登城しなければ松平家は取り潰されると必死に説得する成重。
だが忠直は夢で大権現、秀康、秀忠の3人が恐ろしい顔で切腹せよと迫ってくると怯え、
激しく嘔吐するのであった。

 忠直が越前に引き揚げたとの報告を受けた秀忠は、「またか」と怒りで身を震わせるのであった。

69宇都宮釣天井:2003/09/02(火) 11:22
 元和8(宇宙暦842)年4月17日、秀忠は多数の大名衆、公家衆、門跡衆を従えて
家康の7回忌祭礼のため日光東照社に参詣した。
帰途の旅装を調える秀忠に宇都宮城主・本多正純に逆心の疑いがあるとの注進が入る。
秀忠は宇都宮城への宿泊を取りやめ西街道を通って江戸に戻った。
正純には御台所の急病でまっすぐ江戸へ帰還したと伝えさせる。

 江戸に戻った秀忠は正純に対して極秘の調査を下命。
鷲崎飛翔は正純の逆心が信じられず讒言ではないかといぶかる。
注進した奥平家は大久保家と縁戚関係にあり、
先の大久保忠隣失脚は本多正信の陰謀によるものと信じていた。その遺恨ではないかと疑う飛翔。
一方土井利勝は正純の疑いは深まりつつあると主張。
事を荒立てずにしばらく模様を見よと溜息をつく秀忠であった。

 7月3日、加賀の前田利常に嫁いだ珠姫が24歳で逝去した。3歳の幼子をたったひとりで
北の果てに嫁がせたことを責めるお江に秀忠は天下のためだったと詫びる。
お江は娘を道具に使った東照大権現は鬼だと見悶えして泣き崩れ、
悲嘆のあまり病いの床に伏してしまう。

 秀忠は江戸城に天海大僧正を呼び、「将軍として自分の不甲斐なさがいやになった」と訴える。
素行の定まらない家光の処遇に頭を痛める秀忠に、
「心配無用、人は与えられた地位にふさわしく成長する。
3代将軍は家光であることを強く天下に示すことが肝要」と天海は進言する。

 9月15日、江戸城・西の丸で家光の具足始めの儀が執り行われた。
秀忠はそばに控える徳川義直、頼房、徳川忠長に、
「家光が3代将軍になった折は、家臣として忠節をつくさねばならぬ」と言い聞かす。

 一方、出羽山形・最上家の改易を決めた秀忠は山形城の請取りに本多正純を遣わす。
そして10月1日、山形滞在中の正純に糾問使・伊丹康勝を派遣、疑念に対する申し開きを迫った。
正純は反論せず、宇都宮15万5000石を没収され、出羽国由利に流された。
宇都宮城は再び奥平忠昌に与えられたのである。

 10月8日、江戸に向かう途中に心変わりして越前に引き揚げてしまった
松平忠直の重臣・本多成重が江戸城に到着、利勝に面会を求めた。
忠直はいつ参勤するのかと詰問する利勝に、主君は参勤を諫言する家臣を何人も手討ちにし、
乱行の限りをつくしていると成重。
もはや幕府の威光で取り締まってもらうほかないと願い出るのであった。

 報告を受けた秀忠は「忠直を切腹させよ」と下命する。
だが、利勝は「忠直は勝姫の婿、この儀は自分に預からせてほしい」と願い出るのであった。

70将軍家光:2004/04/08(木) 13:15
 元和8年11月、秀忠は突如、家督と将軍職を家光に移譲すると告げ、
義直、頼房、忠長らに3代将軍・家光を補佐するように命じる。
秀忠から代替わりの奏請を受けた朝廷は、直ちに総理大臣・剣桃太郎が下向。
翌9年に家光の将軍宣下の儀と、鷹司孝子との婚礼の儀が決められ、
段取りが秀忠によって進められていく。

 元和9年2月、秀忠は再三の参勤途上要請を拒否し続けた北ノ庄城主・松平忠直を
豊後国萩原へ流罪にするという断を下した。
秀忠は着々と徳川体制の礎と家光への家督移譲の足場を固めていく。

 だが、家光は苦悩していた。己の器量と秀忠の期待、将軍職を担うことの不安と重圧は、
家光を精神的に追い込んでいた。ぼんやりと金魚を見つめる家光に、来たる上洛に備え、
準備を整えるよう促す傳役の青山忠俊の言葉を無視する家光に、
忠俊は金魚鉢を庭に投げ捨て命を賭して進言する。衝突する家光と忠俊。
誰も苦悩を慮ってくれない無念さと精神的重圧から逃れるため家光が自害を図ろうとした時、
その場を通りかかったお福に止められる。自害を諌められたお福の前で、
家光は苦悩に満ちた心のうちを吐露する。家光の苦悩に呆然とするお福は
「若様は本当の御自分をご存知あそばせぬ。若様は家康公の申し子にござります」と説得し、
家光に将軍となる自覚を促した。

 5月12日、秀忠は家光の将軍宣下のため、一足先に上洛の途に就く。
しかし、主役となるはずの家光は病に倒れ、江戸城内で床に伏せていた。
京の二条城で困り果てる秀忠。1ヵ月経過してもいっこうに家光の病状は快方に向かわない。
しびれを切らした秀忠は宮中に参内し、後水尾天皇に謁見するが、そこで思わぬ吉報を耳にする。
天皇女御和子(秀忠五女)の懐妊の報である。
いっそうの徳川家安泰に秀忠は胸のふくらむ思いであった。

 病の癒えた家光も秀忠に遅れること2ヵ月後の7月13日、伏見城に入った。
そして7月23日、伏見城で家光将軍宣下の儀が執り行なわれた。無事に宣下を終えた秀忠と家光。
秀忠は将軍職の相続と共に、家康、秀忠と2代の将軍につかえた重臣、
土井利勝も家光に相続させることにし、徳川の治世に泰平の花を咲かせるよう申し渡す。

 ところが、その頃江戸では一騒動が起きていた。留守を預かる忠長が家光に対し、
不満を募らせていたのである。

71親ごころ:2004/04/08(木) 13:16
 元和9年9月、三代将軍に座に就いた家光は、江戸城本丸へ移った。
そして23日、鷹司信房の娘、孝子が下向し、江戸城西の丸へ入った。
御座間で重臣たちと執務を司る家光。だが、いずれも秀忠から引き継いだものばかりであった。
そこで青山忠俊が一計を案じ、将軍家光の門出を飾るべく案件を議することを進言した。が、
あろうことか家光はその忠俊の罷免、所領没収、蟄居を命ずる。
憮然とする忠俊は、お福の入れ知恵に違いないと憤怒する。
そのお福は家光の将軍就任によって本丸大奥で治世、人事を掌握、
大きな影響力を及ぼす地位を築きあげていた。その頃、都では娘・和子に子供が生まれ、
秀忠は天皇家と将軍家の結びつきが強固なものになったことを喜ぶ。

 12月、三代将軍家光と鷹司孝子との婚礼の儀が執り行われた。ときに家光20歳、孝子22歳であった。
元和10年甲子改元により、2月31日をもって元和は寛永と元号が改められた。
4月1日、大御所として家光の裁定の報告を土井利勝から受ける秀忠。だが、
秀忠の胸中はいっこうに正室孝子の元に足を運ばない家光のことでいっぱいだった。
これは叔母の常高院も同じだった。家光に説得を試みる常高院。あれやこれやと、
なんとか大奥へ足を向けさせようと、家光の真意を聞きただす。

 さて、4月のとある日の本丸御座間。いつものように裁断を下す家光は、
自分の知らない案件を進言される。越後高田の松平忠正と越前北ノ庄の仙千代の領地を
入れ換える国換えを秀忠が指示していたのである。大御所の真意を計りかねるだけでなく、
将軍たる自分を差し置いた行為に家光は不快感を顕わにする。
松平忠直の嫡男・仙千代が減封され、忠直の弟忠昌が加増される。
秀忠の国換えの真意を計りかねるのはお江も同じだった。だが、秀忠の真意を知ったお江は、
その深謀遠慮にいたく感服したのである。

 ところで、家光が将軍に就いたことで発言力が増した天海大僧正は、
江戸の鬼門を守るため、新たに普請される忍ヶ岡の寺院を、
総本山比叡山延暦寺に対して東の総本山「東叡山寛永寺」と名づけることを願い出た。
もっとも、これには天海が将軍の威光を背景に、
宗門の実権を掌握しようとするフシも見え隠れしているが…。
家光と忠長の不仲を心配していた秀忠はここで策を講じ、
この天海を使って弟の加増を家光に進言させる。天海の進言を受けた家光は、
忠長に駿河遠江、甲斐の55万石と駿府城を与えたのである。

 12月19日、家光の新将軍就任を祝し、アーヴ女帝ラマージュの書簡を携えた通信使が本丸に登った。
この日を境に、将軍交替の折にはアーヴ、ローエングラム両帝国の通信使の来日が慣しとなる。
ところが、この通信使来日の一件でアーヴによる人類帝国が新国王(将軍)の就任を賀してきたので
あるから、天皇の行幸もあるべきではないか、と考える。この家光の野望を聞いた秀忠は、
天皇の関東行幸は大権現され成し得なかったことと、ただただ困惑し、
隠居を早まったと後悔するのであった。

72御対面:2004/04/08(木) 13:17
 寛永2年正月、江戸城天守閣では年頭恒例の連歌興行が執り行なわれ、
家光は年賀の挨拶のため、西の丸の秀忠のもとを訪れる。天皇の行幸を望む家光に対し、
思いとどまらせようと説得する秀忠。それを理路整然と切り返す家光。
そして1月27日、家光は武家伝奏を通じて天皇の関東行幸を奏請したのであった。
しかし、宮中からは一向になしのつぶて。業を煮やした家光は、翌年4月に自ら上洛し、
朝廷との直談判を行うことを決める。

 4月10日、将軍上洛の伝を聞き、天皇の実弟である関白・近衛信尋が
二条康道、九条忠象ら公家衆を率いて江戸城に赴いた。
翌年の家光上洛に対する挨拶と和子に第2子誕生を報告するためである。
家光はこのときとばかりに天皇行幸奏請に対する返答を迫るが、
前例がないという理由であえなく却下されてしまう。

 だが、これは表向きの理由でしかなく、暗に朝廷に対する幕府介入の阻止にあることは明白だった。
ここに水面下で将軍側と宮中側との主導権を争う綱引きが始まったのである。
接見を終えて苛立つ家光に、お福は大権現の意向を伺うべく日光参詣を勧める。

 同じ頃、西の丸黒書院では秀忠次男の徳川忠長、娘の勝姫、その子供・仙千代が、
近衛信尋に同行した二条康道、九条忠象と顔合わせをしていた。この2人、
実は御台所お江の孫なのである。お江は秀忠の正室になる以前、羽柴秀勝の正室であったが、
そのときの子供・完姫が両者の母親である。将軍家のみならず、天皇家、五摂家にまで
及んでいるお江の華麗なる血脈を示すものといえる。
その夕刻、秀忠に尾張の弟・義直に嫡男誕生の知らせが届いた。これにより、
もし家光に嫡男が誕生しなければ、次期将軍は尾張家より出ることが決定的になった。

 8月9日、江戸城本丸において御台号の祝いが執り行なわれた。
この日から家光正室の鷹司孝子が御台所となった。

 9月13日、御所では和子が2人目の皇女を出産した。とはいえ、
将軍家、天皇家ともにいまだ世継ぎが誕生しないことを憂慮する秀忠とお江であった。

 10月初旬、家光は突然の高熱に床に伏してしまう。見舞いに訪れた秀忠。
このとき家光は鷹狩の折、秀忠落胤の母親が寄進したという観音像のことを知ったと告げる。
忠長以外にも秀忠が侍女に生ませた幸松という弟が信濃高遠にいること秀忠から知らされた家光は、
幸松を江戸に呼び戻すよう秀忠に願うのだった。

 11月15日、秀忠は天皇行幸の奏請以降睨み合いが続く宮中と幕府の収拾を図るべく、
家光の見舞いに訪れた伊達政宗に解決策を訊ねる。対して政宗は、
御所間近にある二条城への行幸を提案する。

 さて、秀忠落胤の幸松が養父・保科正光とともに登城、家光、秀忠と接見する。
素直に成長した幸松の姿を見て、涙する秀忠であった。

73二条城行幸:2004/04/08(木) 13:17
 寛永3年正月、かねてより奏請していた天皇の関東行幸が拒絶され、
新たに京都二条城への行幸を奏請した幕府は、家光の命により二条城の修築を急がせる。
2月、幕府側の行幸準備が着々と進むにもかかわらず、宮中からはいまだ芳しい返事が返ってこない。
家光は二条城行幸に向け、重臣たちに役を配し、日程が決定されていくが、
肝心の家光出立の日取りだけが定まらないままだった。

 4月27日、秀忠のもとに宮中の様子を伝えるべく、金地院崇伝が参ずる。
宮中では、行幸に随行する者に費やす費用が捻出できないという。これを聞いた秀忠は、
ただ呆れるばかりだった。が、天皇行幸は新将軍の面子にかかわる仕儀だけに、
5万両を差し出すことを命じたのであった。

 ところで、このころ秀忠正室・お江の体調が思わしくなく、床に伏せる日々が続いていた。
お江を見舞う秀忠。本多忠刻の死と、その妻である秀忠の長女・千姫の帰郷を伝えると、
お江は3人の娘たちに次々と降りかかる悲運を「祟りではないか」と憂慮する。

 家光に先立ち、いよいよ秀忠上洛が迫ったある日、
大奥では病に伏せているお江の世話を焼く秀忠の姿があった。旅立ちを前に、
妻を励ます秀忠と無用の心配をかけまいとするお江。互いの苦労を労い合う2人の姿は、
あたかも永遠の別れのようであった。だが、このとき、
お江の体は癌に冒されていたものと思われる。

 5月28日、秀忠は関東奥州の諸大名を従えて江戸を出立、6月20日に京都二条城に到着した。
6月23日、三条西実条と中院通村を勅使として二条城に迎えた。
秀忠はいまだ宮中より天皇の行幸奏請の承諾がないことを問い詰める。
のらりくらりと返答をはぐらかす2人だったが、
秀忠が10日以内に返答がなければこのまま江戸に引き返し、
家光正室の孝子を鷹司家への返上も辞さないことを告げられると震え上がるのであった。
そして7月4日、なりふり構わぬ幕府の締め付けに堪りかねた宮中は、
ついに二条城への天皇行幸の勅答を下したのである。
それでもなんとか日程や礼式の主導権を取りたい宮中側だが、秀忠はそれすら許さず、
ただちに江戸へ使者を送るのであった。寛永3年7月12日、ついに家光は1万の軍勢を従え、
念願の天皇行幸のために京都に向けて江戸を立った。

 7月13日、京都二条城では行幸の日程や式典について激論が交わされていた。
幕府側の日程や諸式に抗する実条と通村、それを許さない重臣たちとの間で緊迫した時間が
流れていく。

 家光一行は、8月2日、二条城に到着した。重臣たちの前で今回の行幸がもつ意味を説く秀忠だが、
気がかりは江戸にいるお江のことだった。家光から聞かされたお江の様子に、
秀忠は沈痛な表情を隠せないのであった。8月10日、ついに天皇行幸の日取りも決まり、
家光は18日に宮中に参内、右大臣に任ぜられる。そして9月6日、後水尾天皇は二条城に行幸した。

 だが、このとき江戸ではお江が明日をも知れぬ重態に陥っていた。西の丸には、
お江の枕元で懸命に励ます常高院とお初の姿があった。

74女の一生:2004/04/08(木) 13:18
 寛永3年9月10日、二条城に天皇を迎え、
9月6日から5日間にわたる一連の饗応はつつがなく終わった。
徳川幕府の威信をかけて執り行なわれた二条城行幸は、
まさに江戸時代を代表する大イベントとなった。

 翌9月11日、大儀を無事に終え、秀忠のもとに江戸城からの急使が到着した。
大御台・お江危篤の知らせであった。秀忠は家光とともに上洛していた次男の忠長に、
大至急帰国を命じる。

 一方、江戸城大奥では、すでにお江が昏睡状態に陥っていた。
枕元には必死に呼びかける常光院、千姫、勝姫、初姫の姿があった。
昏睡状態のお江の脳裏には、これまでの数々の出来事が蘇っていた。

 二条城で三条西実条、中院通村から任命を受ける秀忠と家光。秀忠は太政大臣、
家光は左大臣に任ぜられた。任官儀礼を終えた秀忠たちは宮中に御礼言上に上がり、
身重の和子にお江の状態を伝え、覚悟を促す。そしてその夜、お江の容態が悪化した。

 9月15日未明、華麗なる血脈を遺してお江は、姉と3人の娘に見守られ、静かに息を引き取った。
享年54歳であった。

 忠長が江戸に戻ったと時は、すでにお江は逝った後であった。お江の亡骸にすがりつき、
あたり構わず号泣する忠長。必死に馬を走らせ江戸に戻った忠長だったが、
母の最期を見届けることはできなかった。

 二条城に大御台死去の訃報が届いたのは、3日後の9月18日。
放心状態の秀忠は葬儀のすべてを家光に委ね、二条城に残った。
10月18日、大御台お江の亡骸は麻布野で茶毘に付され、芝増上寺に葬られた。
謚は崇源院。傷心の秀忠が江戸に戻ったのは、その3日後のことであった。

75皇子降誕:2004/04/08(木) 13:20
 秀忠が江戸に戻ったのは、大御台お江の方の葬儀から3日後の寛永3年10月21日のことであった。
失意の日々を送る秀忠だったが、11月13日、中宮和子に皇子・高仁親王誕生という吉報が
宮中から届き、秀忠は素直に喜ぶ。そしてこの年の暮れ、紀伊頼宣にも嫡男・長福丸が誕生し、
いよいよ家光の世継ぎ問題に注目が集まることになった。

 寛永4年4月14日、京都より下向した三条西実条と中院通村の武家伝奏が家光と接見、
天皇が自ら退位し、前年に誕生したばかりの高仁親王に譲位するという内旨を下したと伝えられ、
家光と家臣一同は絶句する。これを聞いた秀忠は、わずか4ヵ月の赤子への譲位を不審に感じ、
ただちに京都所司代に密使を送り、朝廷の真意を探るよう命じる。その一方で内旨の承諾と、
さらに高仁親王の立太子の準備を迫ったのである。
予期せぬ秀忠の返答に驚きの色を隠せぬまま帰途についた三条西実条だったが、
その後、宮中では天皇譲位になんの動きも見られなかった。

 このころ寺院の法度が乱れており、出世や上人号の勅許が乱発されていた。
こうした行為は元和元年の禁中並びに公家諸法度にも背き幕府をないがしろにしたものだった。
事態を憂慮した秀忠は宗教顧問の金地院崇伝の進言を受け、
寺院や朝廷の反発を覚悟のうえで紫衣勅許(僧侶の最高位を表す紫の衣)の取消しを決めた。
これが、諸山諸寺の高僧がパニックに陥いると同時に多数の勅許状を与えた天皇が面目を失った、
紫衣事件である。以降も公家衆への締めつけが続く。これは譲位を内旨しておきながら、
いまだ退位しない天皇に対する幕府の圧力だった。そして監視の目は、
宮中の食事にまで及ぶのである。こうした幕府の締めつけにたまりかねた朝廷は、
前関白・九条忠栄を派遣し、ついに天皇の退位取消しを申し出る。
だが、家光は「万民の崇め敬う朝廷に、二言あるは天下のためならず」と相手にせず、
秀忠は仙洞御所建築で退位に追い討ちをかけ、さらに近衛信尋の関白職辞意をもはねつける。

 翌寛永5年、沢庵宗彭らから寺院諸宗法度に対する意見書が提出された。
あまりにも厳しい内容に対する反発だったが、この背後には後水尾天皇がついていた。
幕府は法度に若干の手心を加えたのち、意見書をしたためた沢庵らを厳罰に処した。

 4月17日、秀忠は大権現の13回忌のため日光山東照宮に参詣した。
後水尾天皇も多数の公家門跡(公家一門を統領する寺の住職)を派遣して和歌を納めたが、
そこには天皇の退位の叡旨が込められていたのだった。東照宮参詣後、
常々家光の冷遇を感じていた徳川忠長は、駿府への帰国を前に秀忠に不満を訴えた。
説いて聞かせる秀忠だが、忠長の不満はつのるばかりだった。

 6月14日、秀忠は病で床に伏せている家光を見舞い、
幕府安泰のために諸大名取締り強化の策を授ける。そこに宮中から高仁親王が薨去の報せが届いた。

76春日局:2004/04/08(木) 13:21
 寛永5年6月11日、後水尾天皇の皇子・高仁親王薨去。高仁親王の即位に向けて、
公家衆に対する締めつけや朝廷への圧力など、さまざまな策を講じてきた秀忠は大きく気落ちする。
一方、宮中では後水尾天皇がふたたび退位をほのめかし、今度は女一宮興子に譲るという。
これを伝え聞いた秀忠は固辞する。

 8月10日、江戸城西の丸廊下で、目付・豊島信光が西の丸年寄・井上正就に斬りつけるという
刃傷沙汰が起きる。原因は豊島の甥と婚約関係にある井上の娘が、鳥居成次に嫁ぐことになり、
破談となって面目を失った豊島が恨みを抱いたことにあった。
この周旋をしたのが家光の乳母・お福だった。

 9月27日、御所では第二皇子が誕生したが、喜びもつかのま、わずか生後10日で逝去してしまう。

 12月22日、秀忠次男、駿府城主・徳川忠長は織田少輔信良の娘・信姫と華燭の典を挙げた。
亡きお江念願の織田家との縁組を喜ぶ秀忠だが、忠長に久能山に埋蔵した御用金の搬出を伝える。
家光の決定だと知ると、異議を申し立てる忠長。将軍の弟である自分の処遇に不満を抱く忠長に対し、
秀忠は同じ将軍の弟でありながらわずか五千石の所領しかない幸松の存在を伝えたのである。

 寛永6年2月、家光は疱瘡から高熱を発し、病の床についていた。
御台所や弟・忠長の見舞いも断り、急報で江戸に向かう諸大名にも、道中で帰国を命じる。
昏睡状態にある家光を見守るお福は、見舞った天海大僧正に自らの命と引き換えに
家光を助けるよう願うのであった。秀忠も上野寛永寺に参詣し、家光の回復を祈願した。
やがてひと月半の闘病後、家光は全快、日光東照社に参詣するまでになった。

 5月22日、京都から三条西実条と中院通村が江戸城に到着、
ふたたび女一宮興子に譲位の内旨があったことを伝えた。だが、家光は時期尚早としてはねつける。
京都所司代から中宮和子の懐妊、9月出産の知らせを受けていたからである。
この情報に愕然とする三条西実条だった。どうしても幕府の申し入れに従わない朝廷の態度に
業を煮やした秀忠は、天皇の弟でもある関白・近衛信尋の解任を奏請する。

 中宮和子の出産も近づいた8月のある日、家光はお福に上洛を頼む。
表向きは勅使お見舞いの御礼言上、だが真の目的は天皇の様子をうかがうことにあった。
家光の命を受けたお福は、8月半ば京都に向かう。そして8月27日、和子が皇女を出産した。
皇女と聞き、落胆のあまりへたり込む秀忠だった。

 京都に到着したお福は、ついに中宮御所に参上。だが、
阿茶からお福の身分では参内謁見が難しいことを告げられ、
かつてお福が奉公していた三条西実条の妹分として参内することになった。
こうして10月10日、お福は後水尾天皇の謁見を受け、春日局の称号を賜ったのである。
生涯最高の栄誉に浴したお福だったが、
この一件は誇り高き公家衆の憤激を買うことになったのである。

77女帝即位:2004/04/08(木) 13:21
 寛永6年11月8日。幕府の承諾がないまま、
後水尾天皇は突然皇位を退き、女一宮興子に譲位した。
中宮和子からの知らせを受けた秀忠は、大きな怒りを覚える。
緊急の幕閣会議では老中たちが口々に譲位に異を唱えるが、
秀忠は勅使の参向までは黙殺するように命ずる。

 12月1日、二条城では京都所司代の板倉重宗と中院通村、土御門泰重との間で
激しいやり取りが交わされていた。板倉重宗が譲位の内旨を拒否すると、
江戸に下向してでも直接家光に言上するという通村。
二条城は幕府と朝廷の関係を象徴するような険悪な雰囲気に包まれていた。

 寛永7年2月、二条城での出来事を報告するために下向した重宗だが、秀忠は黙殺し、
そのまま重宗に江戸に留まるよう命じ、幕閣会議でもしばらく事態を静観することを進言する。

 3月4日、秀忠四女、京極忠高正室・初姫が逝去。秀忠は臨終の際、
忠高が相撲見物をしていたことに腹を立て、常高院が育てたことが間違いだと非難するが、
逆に常高院から幕府の都合で女を駆け引きの道具に使うことを激しく責められる。

 一方、駿府に帰る徳川忠長は家光としばしの別れの挨拶を交わす。だが、
そこで家光は自分の知らぬ間に幸松に対面したことやお江逝去後に高野山に塔を寄進したことなど
に対して憎悪を抱いていた。そし家光が病に伏した際に継承は忠長にあると放言したと言い、
仮に自分に後継ができなくてもけっして忠長が家督を継ぐことはないと言い放つ。
忠長は失意のうちに駿府に帰国する。

 4月のとある日、伊達政宗は天皇譲位に対するこれまでの秀忠の対応を大人気なく、
このままでは庶民をも敵に回すことになり、治世のほころびにつながるものと諌める。
これを聞いた秀忠は、動揺の色を隠せなかった。
秀忠はただちに後水尾天皇の母・中和門院のために薬師と典医を京都に向かわせる。
そして秀忠は、天皇の退位と女一宮の即位を受け入れる決断をする。
これにより称徳天皇以来859年ぶりの女帝が誕生することになった。

 7月13日、秀忠は今回の女帝承諾を決めた真意を家光に明かす。
「朝廷のいいなり」と反発する家光に、秀忠は東福門院の懐妊により女一宮は皇子誕生までの
「中継ぎ女帝」であり、重要なのは実権を握ることだと説く。
9月12日、京都御所ではわずか8歳の女帝が即位の大礼に臨む。後の明正天皇である。
そして幕府の攻勢が徐々に始まろうとしていた。武家伝奏役の中院通村を罷免し、
後任の指名までを通達。そして禁中の御料を半分に削減、上皇の御料を据え置いたのである。
たまりかねた朝廷側は幕府に再考を嘆願するしかなかった。幕府の圧勝は日を見るより明らかだった。

 11月のある日、駿府の浅間神社からただならぬ直訴が秀忠の耳に入った。
浅間神社付近で神獣として祀られている猿1200匹を忠長が殺し、
しかも諌めた近臣を手討ちにしたという。凄まじいばかりの忠長の乱行が始まったのである。

78三兄弟:2004/04/08(木) 13:22
 寛永8年2月、江戸城本丸では、将軍・家光の弟・忠長の乱行に対する処分が協議された。
名目上は病気とされ、当分の間、忠長は謹慎、江戸城への登城差し止め、
傳役の朝倉宣正は解任と決まった。

 3月13日、浅間山が噴火。遠く江戸にも降灰する。

 この日、忠長に対する処分が申し渡された。病気療養のため、
鳥居成次の所領、甲斐国への預け入れである。療養とはいうものの、
家光は蟄居謹慎の命を下したも同然だった。5月29日、忠長は甲州に発った。
秀忠は忠長の行く末を案じ、春日局にも忠長の処分に手心を加えるよう口添えを頼むが、
その時、秀忠は意識を失い、倒れる。

 8月16日、秀忠に幸松が見舞いに訪れた。病床に付している秀忠に対する家光の計らいであった。
そしていずれ幸松を大名に取り立てることを秀忠に約束する。
思いがけない家光の言葉にうれし涙を流す秀忠だった。
その後、幸松の養父・保科正光の病死に伴い、家光は遺領を幸松に相続させ、
秀忠との約束どおり大名に取り立て、保科肥後守正之となった。時に幸松21歳。

 一方、甲州に蟄居を命じられた忠長からは、父・秀忠の見舞いの許しを願う書状が
届けられていたが、家光はこれまでの無礼に対する謝罪がないのは
いまだ忠長の病が癒えてはないものとし、これを却下する。

 自らの余命が長くないことを悟った秀忠は、弟の尾張徳川義直と嫡男・五郎八丸、
同じく紀伊徳川頼宣と嫡男・長福丸に対し、家光にこのまま世継ぎが誕生しない場合は、
第一に尾張家、第二に紀伊家に将軍家の世継ぎを決めたことを伝えた。
だが、その夕刻、春日局から家光の侍女・お振が懐妊したことを告げられる。
半ば世継ぎをあきらめていた秀忠の表情は、
うれしさのあまり見る見るうちに泣き笑いの顔に変わっていった。

79さらば秀忠:2004/04/08(木) 13:36
 寛永8年12月。自分の死期が近いことを悟った秀忠は、
人として生き、人として死ぬことを望む。そして忠長に対する家光の処し方を考えたとき、
これまで自分が子供たちに対して行ってきた所業に想いを巡らすのだった。

 寛永9年正月。秀忠は、自分の弟たちである尾張の義直、紀伊の頼宣、水戸の頼房に、
「父・家康は力ずくで朝廷を押さえたが、『武を以て文を犯すは国のためならず』とし、
朝廷には朝廷のしきたりが、武家には武家の面目がある。無益な争いを避けるように」
との遺言を託す。遺言を伝えた秀忠の脳裏には、若かりし頃、父・家康と過ごした日々があった。

 1月23日、秀忠は見舞いにきた家光に、遺言として将軍として治世のあり方を伝える。
かつて自分が家康から教わったように……。

 寛永9年1月24日亥の刻、前征夷大将軍太政大臣従一位徳川秀忠薨去。享年54歳。

 秀忠の薨去から3日後、柩は遺言どおりお江の眠る芝増上寺に移された。
次々と弔問に馳せつける諸大名。ここで土井ら老中は、家光の威光を高めるため、
大名たちに脅しをかける意味での大芝居を伊達政宗と打つ。江戸城本丸白書院には、
在府諸大名が平伏して、家光が上段に着座する。

家光「すでに承知の通り、父秀忠は二十四日亥の刻にみまかった。ついては別して、
 その方どもに申し聞かせたき儀あり。これより後、天下の主たる者は、
 家光一人である。もし、その方どもの中に家光の臣たるを不服とし、
 天下を望む者あらば、遠慮無く弓矢を以て、攻め取るがよかろう。この儀いかに――」
政宗「おそらながら言上仕る。ただいま天下に生きとし生けるもの、
 徳川家三代の御恩に浴せざるはなし。万が一にも逆心あらば、まずはこの政宗に
 申し出られるべし。ただちに罷り向かい、踏み潰してご覧に入れなん」

緊迫した空気の頃合い。家光が胸を張る。

家光「異心なくばそれでよし。家光は父と異なり、生まれながらの将軍である。
 ゆめゆめ忘れるべからず」
諸大名「ははーッ」

 ところで、これまで御三家といえば、将軍家、尾張家、紀伊家であった。
だが、家光の発案によって将軍家を別格とし、尾張家、紀伊家に、水戸家を新たに加え、
これを御三家とした。その家光の側室・お振が男子を出産したが、生後まもなく死んでしまう。
茫然とする家光であった。

80名君誕生:2004/04/08(木) 13:38
 寛永9年2月。前の将軍・徳川秀忠の薨去に際し、秀忠からの遺命によって遺金の下賜がなされた。
だが、大権現の遺金は忠長がかたくなに拒絶し続けたために、
いまだに駿府久能山に収蔵されたままである。ただちに江戸に移すことを命じた家光は、
さらに亡き秀忠のための台徳院廟建立の指揮を異母兄弟・保科正之に委ねる。
4月9日台徳院廟は落慶の運びとなった。

 この頃から老中らによる家光の威光を高めるため、諸大名に対する策が始まろうとしていた。
家光の日光参詣の留守中、超魔の長・神無聖月が謀反を起こす恐れがあるとして、
取り調べを行い、神無聖月を改易に処した。三代将軍家光の強い姿勢に、大名達は震え上がった。

 10月12日、いまだ蟄居の身である忠長が、甲斐府中に台徳院殿供養の寺を建立したことを
知らされた家光は、ついに駿河、遠江、甲斐の所領を召し上げ、忠長を高崎の安藤重長のもとに流す。
これによって大権現の遺金は、駿府久能山から江戸に移された。

 寛永10年のある日のこと。江戸城で家光は自らの手で、
領地没収、流罪にした弟・忠長に想いをはせるのだった。不憫に思いつつも、
とことん逆らう忠長を許すことができなかった。長男と次男という順序が、
2人の運命を大きく分けたのである。そして12月6日、
高崎城の一室で家光の弟・忠長は自らの命を断ってしまう。享年28歳。
将軍家骨肉の争いは最悪の結末を迎えたのである。
知らせを聞いた家光は心痛のあまり、床に伏してしまう。

 寛永11年春、後水尾上皇の娘・輿子の即位祝賀の上洛を前に、
家光は正室の鷹司孝子のもとを訪れ、これまでの所業の経緯を伝えて詫び、
もはや宮中とことを構える気がないことを伝える。

 5月のある日のこと、水戸頼房は三男・千代松を従えて登城、家光に拝謁する。
頼房は千代松を世継ぎとして届け出たのである。家光は千代松にことの次第を説いて聞かせるが、
それは自分と反目しあった忠長とのことがいまだ心に残っているかのようだった。

 6月20日、家光は30万7000の大軍を率いて上洛の途に就き、7月11日京都二条城に到着した。
18日に宮中に参内、明正天皇の即位の礼に参列した。さらに女御御殿にて東福門院と接見し、
次の天子について心を悩ます妹・和子をいたわった。家光の上洛は成功を収め、
朝廷との共存共栄を図ったことで大いに声望を高めた。江戸に戻った家光は、
大権現没後20年を期して日光東照宮の改築を命じ、全宇宙に名だたる存在となる。

 寛永13年5月、但馬生野城主両津勘吉は病躯を押して家光に拝謁の後、逝去。享年70歳。

 寛永14年3月、家光側室・お振が千代姫を出産。そして寛永17年、
春日局が街で見かけた元旗本御膳番の娘で、古着屋の養女・お蘭を家光と接見させた。
寛永18年、春日局の目論見どおり、お蘭改め、お楽は待望の男児を出産、竹千代と名づけられた。
これが後の四代将軍・家綱である。

81長七郎天下ご免!:2004/04/08(木) 13:39
NR@横内正「松平長七郎。寛永6(宇宙歴849)年 静岡生まれ。
 三代将軍家光の弟でありながら、謀反の疑いをかけられて切腹した、
 駿河大納言忠長の遺児である。
 5才の時に父・忠長が切腹し、母方の実家である織田家に引き取られる。
 以後、柳生飛騨守宗冬に剣を学び、「柳生新陰流」の奥義を極め免許皆伝となり、
 必殺の二刀流を独自に創案する。
 20才になった頃、この措置を恥じた家光から、大名に取り立てようとの申し出を受けたが
 長七郎は、硬苦しい大名暮らしを固辞し、年俸2千石を返上。
 代わりに天下ご免、生涯勝手のお墨付きを受けて、無位無冠のまま長崎へ旅立つ。

 ……自由な旅を終えて江戸に戻った長七郎は
 大久保彦左衛門の計らいにより、日本橋の炊き出し屋「浜乃屋」に
 結城長三郎と名を変えて移り住んだ。

 鼓を打ち能も舞う。茶道は師範の腕前」

82日本犯科帳 隠密奉行 コードギアス反逆のルルーシュ篇:2007/03/11(日) 11:32:09
夜の江戸城大奥。
その日の執務を終えた五代将軍綱吉は、
御台所・信子と談笑していた。

綱吉「ブリタニアがまたそなたへと献上してきた。」

綱吉が信子に土産物として蒔絵箱を手渡す。

信子「まあ見事な。こうした細工は、今では京よりも
 ブリタニアの方が優れているようでございますね?」
綱吉「ブリタニアの自慢の種だ。ブリタニア城内に細工所を設け、
 職人達に禄をやって、名品を作ることに専念させているそうだ」
信子「それでは職人達にとって、ブリタニアは極楽浄土でございましょう」
綱吉「だがな。ブリタニアは知っての通り能に夢中だ。
 おかげで職人は全員能役者を兼ねさせられてな。
 それだけが頭痛の種だとか。ハハハハハ…」

そして信子が蒔絵箱を持ち上げた瞬間、
なんと底が抜けて中から手紙のようなものが――!?

信子「これはとんだ粗相を…」
綱吉「待て!」

綱吉は信子を制して
落ちた手紙を拾い上げ中を読んでみると、
そこにはただ一言「エリア11を救いたまえ」とだけ
書かれてあった。

信子「何か?」
綱吉「…いや。この事、決して他言は無用ぞ」
信子「はい…」

83日本犯科帳 隠密奉行 コードギアス反逆のルルーシュ篇:2007/03/11(日) 11:32:31
翌日、将軍綱吉は
大目付・朝比奈河内守正清を呼びつけた。

朝比奈「エリア11を救いたまえ…??」
綱吉「エリア11はブリタニアの第2皇女コーネリア
 の領地でな。3万石ある」
朝比奈「それならばこの訴えは、ブリタニア公にすべきでありましょう。
 間違って御上に届いたのでは?」
綱吉「間違ってはおるまい。その土地はな朝比奈、
 銀河帝国皇帝ラインハルトよりブリタニアが直々に賜ったものでな。
 そのためブリタニアの中央政府は下手に干渉できぬという、いわば
 曰くつきの土地だ」
朝比奈「御上は、手前にどのようにせよと?」
綱吉「任せる」
朝比奈「任せる?」
綱吉「要はこのような訴えが二度と余の元に届かぬようにしてもらいたい。
 そのための手段は、全てその方に任せる。隠密奉行として悪の根を絶つもよし!
 大目付としてブリタニアに進言するもよし!」
朝比奈「………」

朝比奈は黙ったまま頭を下げ、御座之間より退室した。

84水戸黄門第10部:2007/09/16(日) 12:59:27
京から江戸へ来た勅使・六条三位中納言公麿卿は悪事の限りを尽くす。
接待役をイビリ、遂には町娘を殺害。三位を京へ追い返した光圀だったが…。
朝廷との関係悪化を恐れた将軍の意を汲み、
問題解決のため京都へやって来た黄門一行。

***茶店***

「するとご亭主、水戸黄門という御方は
 どういう人だと言われるのかな?」

茶店の主人「へえ、関東の方にこういうのは何でっけども、
 水戸黄門という方はゴロツキの親玉やそうで。」

「な、なに!!
 ゴロツキの親玉!?」

「まあ・・・。」

「なに、黄門さんがゴロツキの親玉ですって?」

茶店の主人「へえ、そうどすわ。前の副将軍を笠に来て横車の押し放題!
 ちょっとでも盾を突こうものなら、腕自慢の子分たちが殴るわ蹴るわ!
 そらまあひどいことをするそうどすわ。」

「あんた、その話を誰から聞きました!?」

茶店の主人「誰ちゅう事はおへんが、京ではもっぱらの噂どす。
 それだけやおへんで。なんでも風車を使うどえらい泥棒まで
 手下にしていなさるとか。」

「風車を使うどえらい泥棒?」

茶店の主人「へえ、そのまた泥棒の子分ちゅうのが
 これまたこのうえもないアホやっちゅうことで。」

「な、なんだと〜!」

「いや、泥棒の子分がアホですか。
 こりゃ面白い。あはははは。」

85水戸黄門第10部:2007/09/16(日) 13:00:12
「けしからん!
 言うに事欠いて、ご隠居の事をゴロツキの親玉とは!!」

「三位の奴が言いふらしたに違いありません。
 奴め、あれだけ油を搾られておきながら、
 まだ懲りんと見えますな。」

「いやいや、あれで懲りるくらいなら、わざわざこんなところまで来やしません。
 これは相等荒療治をせねばならんかもしれんのう。」

「そうですよ。あん野郎!
 今度こそギュウの目に遭わしてやらなくっちゃ!」

「しかしご隠居、三位は帝のご家来。
 今までとは少々勝手が違いますぞ。」

「しかしこのようなことで帝の御心を煩わす訳にはいかん。
 さて、どうしたものかのう。」

「あういう奴に限って世渡りは上手いもの。
 きっと朝廷の中にも、奴に丸め込まれている者が多いことでございましょう。」

「・・・・・・。」

86水戸黄門第10部:2007/09/16(日) 13:00:44
***広幡右大臣邸***

三位「どうや、貞子。右大臣様のご機嫌は?」

貞子「はい、兄上様の江戸土産が大層お気に召されたご様子でございます。」

三位「そうか、それはよかった。おほほほほ・・・」

六条三位は妹を右大臣の妾に差し出し、
自分の後ろ盾とするべく取り入っていた。

貞子「右大臣様、兄が参りましてございまする。」

広幡「おお六条殿、よく参られた。貞子、酒の支度などしてまいれ。」

貞子「はい。」

三位「右大臣様には、いつもながらご機嫌麗しゅうわたらせられ、
 結構でおじゃりまする。」

広幡「おう、ふふっ・・そなたの妹のおかげで何とのう若返ったようじゃ。
 若い女子というものはよいものじゃのう。おほほほ・・・。」

三位「これは御戯れを。おほほほほ・・・。」

広幡「時に六条殿、この前は結構な江戸土産をすまなんだのう。」

三位「どうつかまつりまして。江戸は東夷の地。
 右大臣様のお気に召すようなものは何一つおじゃりませぬゆえ、
 あのようなものを。」

広幡「いやいやいや、あれで結構!
 山吹色の菓子というものは痛まず腐らず、
 何よりも重宝なものじゃからのう。おっほほほほ!!」

三位「おほほ・・恐れ入ります。」

広幡「しかし六条殿、あまりやりすぎぬようになされよ。」

三位「は?」

広幡「江戸では、水戸の隠居と一悶着あったそうな?」

三位「あれは先方が悪いのでおじゃります!
 光圀め、幕府の威光を笠に着て、麿に対して無体な振る舞いを!
 いずれ折を見て、御上にもきゃつめのことを。」

広幡「うん・・・。」

貞子「右大臣様、どうぞ兄の仇を討ってくださりませ。
 光圀のような無法者をお許しあそばされましては、
 御上の御威光にも関わりましょうゆえ。」

広幡「わかったわかった。その事は麿が含んでおくゆえ、
 難しい話はやめにして、酌などしてたもれ。」

貞子「はい。」

三位「おほほほ・・・。」

87水戸黄門第10部:2007/09/16(日) 13:01:51
その夜、三位は右大臣から手紙で料亭へと呼び出された。

三位「右大臣様、お召しを頂いて参上仕りました。
 火急の御用とは、何でおじゃります?」

「おうおう三位殿、よう見えられた。
 さあさあ、お入り。」

三位「――!!」

「はっはっはっ・・驚いたかな?」

三位「アッー!?」

「この度は結構な噂を振りまいていただきかたじけない。
 おかげさのでこのわしは京では、
 ゴロツキの親玉という事になっておるようじゃの?」

三位「そ、それは・・・!(汗。」

「今更言い訳をせんでもよろしい。
 しかし山城屋を陥れた悪巧みだけは許すわけには参りませんぞ。」

「ご老公の悪口を振りまいて、朝廷と公儀の間に溝を作るばかりか、
 あいも変わらずの悪行三昧!
 三位殿、今度こそはその曲がった根性を叩きなおして差し上げますぞ!」

「さあ、覚悟なされい!」

三位「だまりゃ!!
 その方ら麿を何と心得る!?
 畏れ多くも帝より三位の位を賜り、
 中納言まで務めたこの麿に指一本でも触れたら
 どのような事になるか、わかっておるのか!?
 麿は徳川の家来ではない! 帝の臣じゃ!
 その麿に向かって狼藉を働けば朝敵じゃ!
 謀反人、逆賊と呼ばれても言い訳はできまいが!
 そればかりではない!
 恐れ多くも広幡右大臣様の御名を騙り
 麿を呼び出すとは何たる事じゃ!
 この事直ちに帝に申し上げ、公儀に掛け合うてくれるによって、
 さよう心得られよ!!」

菊亭「六条三位、何を申しておる!」

三位「菊亭左大臣様!?」

菊亭「広幡右大臣でのうて、気の毒であったな?」

三位「は、はは・・(汗。」

「・・左大臣??
 助さん助さん、左大臣っていうのは、中納言よりも偉いんですか?」

「――バカッ!!
 左大臣様といえばな、摂政関白に次ぐ朝廷の大臣だ。
 無礼があってはならん!」

「へえ、あのじいさんが。」

「コラッ!!」

菊亭「三位、そなた今、この人たちを朝敵逆賊と言うたが、己はどうじゃ?
 胸に手を当ててよう考えてみい。」

三位「な、なんと仰せられます!?」

菊亭「わしが何も知らんと思ったら大きな間違いぞ。
 広幡右大臣と二人でわしのことを御上に讒言したばかりか、
 悪人どもと組んで悪事の数々。公家の面汚しとはそなたのことじゃ!!」


  □   □   □


「左大臣様、六条三位今日は明日、その処罰は左大臣様にお任せ致します。
 何卒よしなに。」

菊亭「うむ。確かに引き受け申した。そなたらの働きを聞けば、
 御上もさぞお喜びあそばされることでござろう。」

「ありがとう存じました。これでこの年寄りも
 京に参った甲斐があるというものでございます。」

88もしも「ガンダムSEED」の世界に麻呂がいたら?:2007/09/16(日) 13:26:52
京からプラントへ来た勅使・六条三位中納言公麿卿は悪事の限りを尽くす。
接待役をイビリ、遂には町娘を殺害。三位を京へ追い返したラクスだったが…。
朝廷との関係悪化を恐れたプラント最高評議会の意を汲み、
問題解決のため京都へやって来たアークエンジェル一行。

***茶店***

ラクス「するとご亭主、ラクス・クラインという御方は
 どういう人だと言われるのですか?」

茶店の主人「へえ、コーディネイターの方にこう言うのは何でっけども、
 ラクス・クラインという方はゴロツキの親玉やそうで。」

イザーク「な、なに!! ゴロツキの親玉!?」
マリュー「まあ・・・。」

茶店の主人「へえ、そうどすわ。プラントの歌姫を笠に来て横車の押し放題!
 ちょっとでも盾を突こうものなら、腕自慢の子分たちが殴るわ蹴るわ!
 そらまあひどいことをするそうどすわ。」

アスラン「あんた、その話を誰から聞きました!?」

茶店の主人「誰ちゅう事はおへんが、京ではもっぱらの噂どす。
 それだけやおへんで。なんでも七色の怪光線を使う
 どえらいガンダムのパイロットまで手下にしていなさるとか。」

キラ「七色怪光線を使うどえらいガンダムのパイロット?」


   □   □   □


ヒルダ「けしからん!
 言うに事欠いて、ラクス様の事をゴロツキの親玉とは!!」
ダコスタ「三位の奴が言いふらしたに違いありません。
 奴め、あれだけ油を搾られておきながら、
 まだ懲りんと見えますな。」
ラクス「いえいえ、あれで懲りるくらいなら、わざわざこんなところまでは参りません。
 これは相等荒療治をせねばなりませんね。」
ミリアリア「そうよ。あいつ〜!
 今度こそギュウの目に遭わしてやらなくっちゃ!」
バルトフェルド「しかしラクス、三位は帝のご家来。
 今までとは少々勝手が違うぞ。」
ラクス「しかしこのようなことで帝の御心を煩わす訳にはいかないでしょう。
 さて、どうしたものか。」
アスラン「あういう奴に限って世渡りは上手いもの。
 きっと朝廷の中にも、奴に丸め込まれている者が多いことだろう。」
ラクス「・・・・・・。」

89もしも「ガンダムSEED」の世界に麻呂がいたら?:2007/09/16(日) 13:28:11
***広幡右大臣邸***

三位「どうや、貞子。右大臣様のご機嫌は?」
貞子「はい、兄上様のオーブ土産が大層お気に召されたご様子でございます。」
三位「そうか、それはよかった。おほほほほ・・・」

六条三位は妹を右大臣の妾に差し出し、
自分の後ろ盾とするべく取り入っていた。

貞子「右大臣様、兄が参りましてございまする。」
広幡「おお六条殿、よく参られた。貞子、酒の支度などしてまいれ。」
貞子「はい。」

三位「右大臣様には、いつもながらご機嫌麗しゅうわたらせられ、
 結構でおじゃりまする。」
広幡「おう、ふふっ・・そなたの妹のおかげで何とのう若返ったようじゃ。
 若い女子というものはよいものじゃのう。おほほほ・・・。」
三位「これは御戯れを。おほほほほ・・・。」
広幡「時に六条殿、この前は結構なオーブ土産をすまなんだのう。」
三位「どうつかまつりまして。オーブは東夷の地。
 右大臣様のお気に召すようなものは何一つおじゃりませぬゆえ、
 あのようなものを。」
広幡「いやいやいや、あれで結構!
 山吹色の菓子というものは痛まず腐らず、
 何よりも重宝なものじゃからのう。おっほほほほ!!」
三位「おほほ・・恐れ入ります。」
広幡「しかし六条殿、あまりやりすぎぬようになされよ。」
三位「は?」
広幡「オーブでは、プラントの歌姫と一悶着あったそうな?」
三位「あれは先方が悪いのでおじゃります!
 ラクス・クラインめ、ザフトの威光を笠に着て、麿に対して無体な振る舞いを!
 いずれ折を見て、御上にもきゃつめのことを。」
広幡「うん・・・。」
貞子「右大臣様、どうぞ兄の仇を討ってくださりませ。
 ラクス・クラインのような無法者をお許しあそばされましては、
 御上の御威光にも関わりましょうゆえ。」
広幡「わかったわかった。その事は麿が含んでおくゆえ、
 難しい話はやめにして、酌などしてたもれ。」
貞子「はい。」
三位「おほほほ・・・。」

90もしも「ガンダムSEED」の世界に麻呂がいたら?:2007/09/16(日) 13:29:45
その夜、三位は右大臣から手紙で料亭へと呼び出された。

三位「右大臣様、お召しを頂いて参上仕りました。
 火急の御用とは、何でおじゃります?」
ラクス「まあ三位殿、よう見えられましたわ。
 さあさあ、お入りくださいな。」

三位「――!!」

ラクス「フフフ・・驚きまして?」

三位「アッー!?」

ラクス「この度は結構な噂を振りまいていただきお礼を申しますわ。
 おかげさのでこのわたくしは京では、
 ゴロツキの親玉という事になっておるようですわね?」

三位「そ、それは・・・!(汗。」

ラクス「今更言い訳など結構です。
 しかし山城屋を陥れた悪巧みだけは許すわけには参りません。」
アスラン「ラクスの悪口を振りまいて、朝廷とプラントの間に溝を作るばかりか、
 あいも変わらずの悪行三昧!
 三位殿、今度こそはその曲がった根性を叩きなおして差し上げますぞ!」
イザーク「さあ、覚悟なされい!」

三位「だまりゃ!!
 その方ら麿を何と心得る!?
 畏れ多くも帝より三位の位を賜り、
 中納言まで務めたこの麿に指一本でも触れたら
 どのような事になるか、わかっておるのか!?
 麿はザフトの家来ではない! 帝の臣じゃ!
 その麿に向かって狼藉を働けば朝敵じゃ!
 謀反人、逆賊と呼ばれても言い訳はできまいが!
 そればかりではない!
 恐れ多くも広幡右大臣様の御名を騙り
 麿を呼び出すとは何たる事じゃ!
 この事直ちに帝に申し上げ、地球連合に掛け合うてくれるゆえ、
 さよう心得られよ!!」

菊亭「六条三位、何を申しておる!」

三位「菊亭左大臣様!?」

菊亭「広幡右大臣でのうて、気の毒であったな?」

三位「は、はは・・(汗。」

ムウ「・・左大臣??
 なあマリュー、左大臣っていうのは、中納言よりも偉いのか?」
マリュー「――バカッ!!
 左大臣様といえば、摂政関白に次ぐ朝廷の大臣よ。
 無礼があってはダメ!」
ムウ「へえ、あのじいさんが。」
マリュー「コラッ!!」

菊亭「三位、そなた今、この人たちを朝敵逆賊と言うたが、己はどうじゃ?
 胸に手を当ててよう考えてみい。」

三位「な、なんと仰せられます!?」

菊亭「わしが何も知らんと思ったら大きな間違いぞ。
 広幡右大臣と二人でわしのことを御上に讒言したばかりか、
 ロゴスと組んでの悪事の数々。公家の面汚しとはそなたのことじゃ!!」


  □   □   □


ラクス「左大臣様、六条三位今日は明日、その処罰は左大臣様にお任せ致します。
 何卒よしなに。」
菊亭「うむ。確かに引き受け申した。そなたらの働きを聞けば、
 御上もさぞお喜びあそばされることでござろう。」
ラクス「ありがとう存じました。これでこのわたくしも
 京に参った甲斐があるというものでございます。」

91もしも「仮面ライダー」の世界に麻呂がいたら?:2007/09/16(日) 13:55:49
京から来た勅使・六条三位中納言公麿卿は悪事の限りを尽くす。
接待役をイビリ、遂には町娘を殺害。三位を京へ追い返した仮面ライダーだったが…。
朝廷との関係悪化を恐れたアメリカFBIとICPOの意を汲み、
問題解決のため京都へやって来た立花レーシングクラブ一行。

***茶店***

本郷「するとご亭主、仮面ライダーというのは
 どういう人だと言われるのかな?」

茶店の主人「へえ、東京から来た方にこう言うのは何でっけども、
 仮面ライダーというのはゴロツキの親玉やそうで。」

滝「な、なに!! ゴロツキの親玉!?」
ひろみ「まあ・・・。」
一文字「なに、仮面ライダーがゴロツキの親玉だって?」

茶店の主人「へえ、そうどすわ。正義の味方を笠に来て横車の押し放題!
 ちょっとでも盾を突こうものなら、腕自慢の後輩たちが殴るわ蹴るわ!
 そらまあひどいことをするそうどすわ。」

立花「あんた、その話を誰から聞きました!?」

茶店の主人「誰ちゅう事はおへんが、京ではもっぱらの噂どす。
 それだけやおへんで。なんでも日本全国にいる大勢の子供まで
 手下にしていなさるとか。」

ナオキ「日本全国にいる大勢の子供?」

茶店の主人「へえ、その子供達のまとめ役ちゅうのが
 これまたこのうえもないアホやっちゅうことで。」

ミツル「な、なんだと〜!」

   □   □   □

立花「けしからん!
 言うに事欠いて、ライダーの事をゴロツキの親玉とは!!」
滝「三位の奴が言いふらしたに違いない。
 奴め、あれだけ油を搾られておきながら、
 まだ懲りんと見えるな。」
本郷「いや、あれで懲りるくらいなら、わざわざこんなところまでは来ないさ。
 これは相等荒療治をする必要がありそうだな。」
マリ「そうよ。あん野郎!
 今度こそギュウの目に遭わしてやらなくっちゃ!」
一文字「しかし本郷、三位は帝のご家来。
 今までとは少々勝手が違うぞ。」
本郷「しかしこのようなことで帝の御心を煩わす訳にはいかん。
 さて、どうしたものか。」
滝「あういう奴に限って世渡りは上手いもの。
 きっと朝廷の中にも、奴に丸め込まれている者が多いに違いないぜ。」
本郷「・・・・・・。」

92もしも「仮面ライダー」の世界に麻呂がいたら?:2007/09/16(日) 13:57:31
***広幡右大臣邸***

三位「どうや、貞子。右大臣様のご機嫌は?」
貞子「はい、兄上様の東京土産が大層お気に召されたご様子でございます。」
三位「そうか、それはよかった。おほほほほ・・・」

六条三位は妹を右大臣の妾に差し出し、
自分の後ろ盾とするべく取り入っていた。

貞子「右大臣様、兄が参りましてございまする。」
広幡「おお六条殿、よく参られた。貞子、酒の支度などしてまいれ。」
貞子「はい。」

三位「右大臣様には、いつもながらご機嫌麗しゅうわたらせられ、
 結構でおじゃりまする。」
広幡「おう、ふふっ・・そなたの妹のおかげで何とのう若返ったようじゃ。
 若い女子というものはよいものじゃのう。おほほほ・・・。」
三位「これは御戯れを。おほほほほ・・・。」
広幡「時に六条殿、この前は結構な東京土産をすまなんだのう。」
三位「どうつかまつりまして。東京は東夷の地。
 右大臣様のお気に召すようなものは何一つおじゃりませぬゆえ、
 あのようなものを。」
広幡「いやいやいや、あれで結構!
 山吹色の菓子というものは痛まず腐らず、
 何よりも重宝なものじゃからのう。おっほほほほ!!」
三位「おほほ・・恐れ入ります。」
広幡「しかし六条殿、あまりやりすぎぬようになされよ。」
三位「は?」
広幡「東京では、仮面ライダーと一悶着あったそうな?」
三位「あれは先方が悪いのでおじゃります!
 ダブルライダーめ、FBIの威光を笠に着て、麿に対して無体な振る舞いを!
 いずれ折を見て、御上にもきゃつめのことを。」
広幡「うん・・・。」
貞子「右大臣様、どうぞ兄の仇を討ってくださりませ。
 仮面ライダーのような無法者をお許しあそばされましては、
 御上の御威光にも関わりましょうゆえ。」
広幡「わかったわかった。その事は麿が含んでおくゆえ、
 難しい話はやめにして、酌などしてたもれ。」
貞子「はい。」
三位「おほほほ・・・。」

93もしも「仮面ライダー」の世界に麻呂がいたら?:2007/09/16(日) 13:59:14
その夜、三位は右大臣から手紙で料亭へと呼び出された。

三位「右大臣様、お召しを頂いて参上仕りました。
 火急の御用とは、何でおじゃります?」

ライダー1号「おうおう三位殿、よく見えられた。
 さあさあ、入りたまえ。」

三位「――!!」

ライダー2号「はっはっはっ・・驚いたかな?」

三位「アッー!?」

ライダー1号「この度は結構な噂を振りまいていただきかたじけない。
 おかげさまで我々は京では、
 ゴロツキの親玉という事になっているようだな?」

三位「そ、それは・・・!(汗。」

ライダー2号「今更言い訳をせんでもよろしい。
 しかし山城屋を陥れた悪巧みだけは許すわけにはいかん。」
滝「ライダーの悪口を振りまいて、朝廷とFBIの間に溝を作るばかりか、
 あいも変わらずの悪行三昧!
 三位殿、今度こそはその曲がった根性を叩きなおして差し上げますぞ!」
立花「さあ、覚悟してもらおうか!」

三位「だまりゃ!!
 その方ら麿を何と心得る!?
 畏れ多くも帝より三位の位を賜り、
 中納言まで務めたこの麿に指一本でも触れたら
 どのような事になるか、わかっておるのか!?
 麿はショッカーの怪人ではない! 帝の臣じゃ!
 その麿に向かって狼藉を働けば朝敵じゃ!
 謀反人、逆賊と呼ばれても言い訳はできまいが!
 そればかりではない!
 恐れ多くも広幡右大臣様の御名を騙り
 麿を呼び出すとは何たる事じゃ!
 この事直ちに帝に申し上げ、米国政府とICPOに掛け合うてくれるによって、
 さよう心得られよ!!」

菊亭「六条三位、何を申しておる!」

三位「菊亭左大臣様!?」

菊亭「広幡右大臣でのうて、気の毒であったな?」

三位「は、はは・・(汗。」

五郎「・・左大臣??
 滝さん滝さん、左大臣っていうのは、中納言よりも偉いの?」
滝「――バカッ!!
 左大臣様といえばな、摂政関白に次ぐ朝廷の大臣だ。
 無礼があってはならん!」
五郎「へえ、あのじいさんが。」
滝「コラッ!!」

菊亭「三位、そなた今、この人たちを朝敵逆賊と言うたが、己はどうじゃ?
 胸に手を当ててよう考えてみい。」

三位「な、なんと仰せられます!?」

菊亭「わしが何も知らんと思ったら大きな間違いぞ。
 広幡右大臣と二人でわしのことを御上に讒言したばかりか、
 ショッカーと組んで悪事の数々。公家の面汚しとはそなたのことじゃ!!」


  □   □   □


ライダー1号「左大臣様、六条三位今日は明日、その処罰は左大臣様にお任せ致します。
 何卒よしなに。」

菊亭「うむ。確かに引き受け申した。そなたらの働きを聞けば、
 御上もさぞお喜びあそばされることでござろう。」

ライダー2号「ありがとう存じました。これで我々も
 京に参った甲斐があるというものでございます。」

94もしも「コードギアス」の世界に麻呂がいたら?:2007/09/16(日) 16:35:41
京からトーキョー租界へ来た勅使・六条三位中納言公麿卿は
外交官特権をいいことに悪事の限りを尽くす。
接待役をイビリ、遂には町娘を殺害。三位を京へ追い返したスザクだったが…。
朝廷との関係悪化を恐れたコーネリアの意を汲み、
問題解決のためお忍びで京都へやって来たユーフェミア一行。

***茶店***

ユフィ「するとご主人、ユーフェミア皇女という御方は
 どういう人だと言われるのですか?」

茶店の主人「へえ、ブリタニアの方にこういうのは何でっけども、
 ユーフェミアという方はゴロツキの親玉やそうで。」

スザク「な、なに!! ゴロツキの親玉!?」
セシル「まあ・・・。」
ロイド「なに、ユーフェミア様がゴロツキの親玉だって?」

茶店の主人「へえ、そうどすわ。ブリタニアの皇女を笠に来て横車の押し放題!
 ちょっとでも盾を突こうものなら、腕自慢の子分たちが殴るわ蹴るわ!
 そらまあひどいことをするそうどすわ。」

スザク「あなた、その話を誰から聞きました!?」

茶店の主人「誰ちゅう事はおへんが、京ではもっぱらの噂どす。
 それだけやおへんで。なんでも名誉ブリタニア人の軍人まで
 手下にしていなさるとか。」

スザク「・・・・・・・・・」

茶店の主人「そのまたその名誉ブリタニア人の軍人が乗る
 白いナイトメアを開発した科学者ちゅうのが、
 これまたこのうえもないアホやっちゅうことで。」

ロイド「いや、白いナイトメアを開発した科学者がアホですか。
 こりゃ面白い。あはははは。」


   □   □   □


スザク「許せない!
 言うに事欠いて、ユフィの事をゴロツキの親玉とは!!」
ロイド「三位の奴が言いふらしたに違いありません。
 奴め、あれだけ油を搾られておきながら、
 まだ懲りんと見えますな。」
ユフィ「あれで懲りるくらいなら、わざわざこんなところまで参りません。
 これは相等荒療治をせねばなりませんね。」
ニーナ「待っていて下さいユーフェミア様。私が必ず、仇を討ちますから。」
セシル「しかしユーフェミア様、三位は帝のご家来。
 今までとは少々勝手が違います。」
ユフィ「しかしこのようなことで帝の御心を煩わす訳にはいきません。
 さて、どうしたものか。」
スザク「あういう奴に限って世渡りは上手いもの。
 きっと朝廷の中にも、奴に丸め込まれている者が多いことでございましょう。」
ユフィ「・・・・・・。」

95もしも「コードギアス」の世界に麻呂がいたら?:2007/09/16(日) 16:36:07
***広幡右大臣邸***

三位「どうや、貞子。右大臣様のご機嫌は?」
貞子「はい、兄上様のトーキョー土産が大層お気に召されたご様子でございます。」
三位「そうか、それはよかった。おほほほほ・・・」

六条三位は妹を右大臣の妾に差し出し、
自分の後ろ盾とするべく取り入っていた。

貞子「右大臣様、兄が参りましてございまする。」
広幡「おお六条殿、よく参られた。貞子、酒の支度などしてまいれ。」
貞子「はい。」

三位「右大臣様には、いつもながらご機嫌麗しゅうわたらせられ、
 結構でおじゃりまする。」
広幡「おう、ふふっ・・そなたの妹のおかげで何とのう若返ったようじゃ。
 若い女子というものはよいものじゃのう。おほほほ・・・。」
三位「これは御戯れを。おほほほほ・・・。」
広幡「時に六条殿、この前は結構なトーキョー土産をすまなんだのう。」
三位「どうつかまつりまして。トーキョーはブリタニアに屈した東夷の地。
 右大臣様のお気に召すようなものは何一つおじゃりませぬゆえ、
 あのようなものを。」
広幡「いやいやいや、あれで結構!
 山吹色の菓子というものは痛まず腐らず、
 何よりも重宝なものじゃからのう。おっほほほほ!!」
三位「おほほ・・恐れ入ります。」
広幡「しかし六条殿、あまりやりすぎぬようになされよ。」
三位「は?」
広幡「トーキョーでは、ブリタニアの皇女と一悶着あったそうな?」
三位「あれは先方が悪いのでおじゃります!
 ユーフェミアめ、ブリタニアの威光を笠に着て、麿に対して無体な振る舞いを!
 いずれ折を見て、御上にもきゃつめのことを。」
広幡「うん・・・。」
貞子「右大臣様、どうぞ兄の仇を討ってくださりませ。
 ユーフェミアのような無法者をお許しあそばされましては、
 御上の御威光にも関わりましょうゆえ。」
広幡「わかったわかった。その事は麿が含んでおくゆえ、
 難しい話はやめにして、酌などしてたもれ。」
貞子「はい。」
三位「おほほほ・・・。」

96もしも「コードギアス」の世界に麻呂がいたら?:2007/09/16(日) 16:36:52
その夜、三位は右大臣から手紙で料亭へと呼び出された。

三位「右大臣様、お召しを頂いて参上仕りました。
 火急の御用とは、何でおじゃります?」

ユフィ「まあまあ三位殿、よく見えられました。
 さあさあ、お入りください。」

三位「――!!」

ユフィ「うふふ・・驚きましたか?」

三位「アッー!?」

ユフィ「この度は結構な噂を振りまいていただきありがとうございます。
 おかげさまでこのわたしは京では、
 ゴロツキの親玉という事になっているそうですね?」

三位「そ、それは・・・!(汗。」

ユフィ「今更言い訳をしなくても結構です。
 しかし山城屋を陥れた悪巧みだけは許すわけには参りません。」
スザク「ユーフェミア様の悪口を振りまいて、朝廷とブリタニアの間に溝を作るばかりか、
 あいも変わらずの悪行三昧!
 三位殿、今度こそはその曲がった根性を叩きなおして差し上げますぞ!」
ミレイ「さあ、覚悟なさい!」

三位「だまりゃ!!
 その方ら麿を何と心得る!?
 畏れ多くも帝より三位の位を賜り、
 中納言まで務めたこの麿に指一本でも触れたら
 どのような事になるか、わかっておるのか!?
 麿はブリタニアの家来ではない! 帝の臣じゃ!
 その麿に向かって狼藉を働けば朝敵じゃ!
 謀反人、逆賊と呼ばれても言い訳はできまいが!
 そればかりではない!
 恐れ多くも広幡右大臣様の御名を騙り
 麿を呼び出すとは何たる事じゃ!
 この事直ちに帝に申し上げ、ブリタニア皇帝に掛け合うてくれるによって、
 さよう心得られよ!!」

菊亭「六条三位、何を申しておる!」

三位「菊亭左大臣様!?」

菊亭「広幡右大臣でのうて、気の毒であったな?」

三位「は、はは・・(汗。」

リヴァル「・・左大臣??
 なあなあスザク、左大臣っていうのは、中納言よりも偉いのか?」
スザク「そうだよ。
 左大臣様といえば、摂政関白に次ぐ朝廷の大臣だ。
 無礼があっては大変だ。」
リヴァル「へえ、あのじいさんが。」
スザク「・・コ、コラッ(汗。」

菊亭「三位、そなた今、この人たちを朝敵逆賊と言うたが、己はどうじゃ?
 胸に手を当ててよう考えてみい。」

三位「な、なんと仰せられます!?」

菊亭「わしが何も知らんと思ったら大きな間違いぞ。
 広幡右大臣と二人でわしのことを御上に讒言したばかりか、
 黒の騎士団と組んで悪事の数々。公家の面汚しとはそなたのことじゃ!!」


  □   □   □


ユフィ「左大臣様、六条三位今日は明日、その処罰は左大臣様にお任せ致します。
 何卒よしなに。」

菊亭「うむ。確かに引き受け申した。そなたらの働きを聞けば、
 御上もさぞお喜びあそばされることでござろう。」

ユフィ「ありがとう存じました。これでこの私も
 京に参った甲斐があるというものでございます。」

97名無しさん:2012/07/27(金) 10:02:40
■キャプテン・マーベラス

キャプテン・マーベラス/ゴーカイレッドは、天文2年(宇宙歴752年)頃 - 慶長9年(823年)は、
戦国時代から江戸時代初期の海賊、武将。宇宙海賊船ゴーカイガレオンの船長。

戦災孤児であり、その詳しい出自は定かではないが、20歳を過ぎたころには
ゴーカイガレオン初代船長であるアカレッドのもとで航海に従事していた。
アカレッドにその働きぶりが認められ船を譲り受け、マーベラスは新たに同志を募りさらなる旅に出た。
天文24年(宇宙歴774年)の地球連邦とザンギャック帝国による第2次レジェンド大戦の際には地球方に加担して、
以降地球との関係を深めたと言われるが、実際にゴーカイガレオンが地球側に加勢したかどうかについては、
現存する資料が少なく、歴史学者の間で今でも見解が分かれ、確証が得られていない。

徳川家康の海賊禁止令が出てからは不遇であり、関が原の戦いでは西軍として参加するも、
まもなく江戸幕府の制宙権掌握にともない、海賊戦隊を解散。これ以降は長州藩毛利家に
家老待遇の客分として迎えられ、その子供の系統が藩の船手衆を務め、銀河帝国通信使の警護などを行うことになる。
慶長9年(宇宙歴823年)に死去。家督は長男が継いだ。

海賊として粗野なイメージが強いが、一団の結束を固める為に連歌会を多く催しており、
マーベラス個人も非常に多くの連歌を残し、武だけではなく教養にも秀でていた事が垣間見られる。
加藤茉莉香は、彼を「宇宙最大の海賊」と評している。



■ナナリー・ヴィ・ブリタニア

ナナリー・ヴィ・ブリタニアは戦国時代から江戸時代初期にかけての大名。
アルウィン1世を家祖とする神聖ブリタニア帝国第100代にして最後の皇帝(女帝)。ボラー藩初代藩主。
本姓は平氏、後に藤原氏、豊臣氏を経て最終的に藤原朝臣を称する。

弘治元年(宇宙歴774年)、ブリタニア帝都ペンドラゴンにて第98代皇帝シャルルの第12皇女次男として生まれる。
生母は庶民出身のマリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。天正6年(宇宙歴797年)3月13日、シャルルが死去すると、
同母兄ルルーシュとの間に相続争いが勃発する(ゼロ・レクイエムの乱)。これはシャルルが後継者を指名しないで
急死してしまったことや、ブリタニア皇家を中心とした、何代にも渡る権力争いなどの複雑な事情が背後に絡んでいると言われる。
3月24日、いち早く核弾頭フレイヤでペンドラゴンを焼き払ったナナリー側が有利となり、エリア11に立て籠もった
兄帝ルルーシュと争う。天正7年(宇宙歴798年)、ルルーシュは暗殺され、翌天正8年(宇宙歴799年)にはブリタニア国内の
貴族諸侯も追従し、ナナリーは名実ともにブリタニアの女帝となった。

慶長3年(宇宙歴817年)、事実上天下の実権を握っていた徳川家康の命により、ガミラス総統デスラーに対する
牽制を目的として、旧ボラー連邦領に加増移封され、ボラー藩が成立した。旧領地から引き続き統治が認められたのは、
ごく一部のみであり、また、新領地の各地は山地で隔絶され、現在でも交通の難所と呼ばれる峠道で結ばれているだけで
あったため、名目上は加増であっても、実態はブリタニアの国力を削ぐための左遷に近いものであったと云われる。

関が原の戦い、それに続く地球冬の陣・夏の陣では徳川方につき、本領を安堵される。
その後ボラー藩は明治の廃藩置県まで大名として存続した。

98名無しさん:2012/07/27(金) 10:44:10
■芳春院

この項目では、超サイヤ人・孫悟空の正室について記述しています。その他の用法については「芳春院 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

芳春院(ほうしゅんいん、天文16年(宇宙歴766年) - 元和3年(宇宙歴836年))は伝説の超サイヤ人と呼ばれた、孫悟空の正室。
名はチチ。牛魔王の子。女性でありながら学問や武芸に通じた女性であった。夫の死後に、出家して芳春院と号する。

慶長5年(宇宙歴819年)、孫家に徳川家康から謀反の嫌疑がかけられた際には、交戦を主張する長男・悟飯を宥め、
それを解消させるため自ら人質となって江戸に下り、14年間をそこで過ごした。この間、関ヶ原の合戦で西軍についた
次男・孫悟天の赦免や、養育していた孫娘パンの大名取り立てを幕府に直訴するなど孫家のために奔走する。
ところが、悟天の赦免の約束は土壇場で反故にされ、ショックから重体となり、幕府の命により伊勢・京で保養。
しかし、故郷・パオズ山へは立ち寄りすら認められなかった。なお、後に江戸幕藩体制において諸大名妻子の江戸居住制が確立するが、
芳春院はその第一号となる。

慶長19年(宇宙歴833年)に悟飯が死去し、ようやく当時孫家が治めていた肥前佐世保藩へ帰国。

元和3年(宇宙歴836年)に佐世保城内で死去、享年71。



■高台院

この項目では、仮面ライダー1号/本郷猛の正室について記述しています。その他の用法については「高台院 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

高台院(こうだいいん、天文16年(宇宙歴766年)? - 寛永元年(843年))は、戦国時代(室町時代後期)から江戸時代初期の女性で、
生化学者・緑川弘の娘、初代仮面ライダーである本郷猛の正室である。諱には諸説ある。一般的には「ルリ子」とされるが、
夫・猛や高台院の署名などに「おるり」「瑠璃(るり)」「琉璃(るり)」という表記があるため、「おるり」と呼ばれることも多い
(諱についての論議参照)。従一位を授かった際の位記には菅原朝臣恵子の名がある(諱を参照)。

一度は父・弘の愛弟子であったカール・ロードリンゲンと国際結婚するが、生来虚弱であったカールが病のため死去すると、
本郷猛と再婚した。夫の没後に落飾して、朝廷から院号を賜り、以後、高台院と称する。

高台院はネオ・クィーン・セレニティと激しい対立関係にあったと云われ、関ヶ原の戦いでもその対立関係から
徳川家康率いる東軍のために動いたとされ、関ヶ原の戦いの後に三本木(祇園)の屋敷に隠棲したが、
家康から与えられていた大名並みの1万5,000石にものぼる広大な領地は、化粧料として引き続き安堵され、
その後も幕府から格別の保護を受けた。孫悟空の正室の芳春院とは親密な関係であったという。

婚家である本郷家は、大大名である新潟藩45万石として江戸時代に繁栄した。
実家である緑川家も小領主ながら大名として幕末まで存続した。

99名無しさん:2012/07/27(金) 11:32:26
ワルズ・ギル

ワルズ・ギルは安土桃山時代の大名。ザンギャック帝国皇帝。

天文24年(宇宙歴774年)、ワルズは父帝アクドスより地球出兵の命を受け、
1月9日にザンギャック本星を発ち、2月13日に地球へ上陸している。
しかし、月面方面の守備を任されていたにも関わらず、勝手にグリードの真木博士の救援へ向かった事や、
討ち取られる危険があったにも関わらず、大将であるワルズ自ら先頭に立って敵軍を追撃した事が
「軽率な行動」であると批判される結果も生む事となった。
帰国したワルズには地球での不首尾から、父アクドスの跡を継いでいた大帝王マーベラスにより
越前北ノ庄15万石への転封が命ぜられていた。この処置はバイオハンター改め
ライダーハンター・シルバの讒言によるものとも言われるが定かではない。
しかし、慶長3年(宇宙歴817年)、宇宙連邦が五大老による合議で運営されると、アクドスの遺言として
翌慶長4年(宇宙歴818年)2月5日付け徳川家康ら五大老連署の知行宛行状が発行されてワルズの北ノ庄転封は取り消され、
旧領の一部である筑前名島30万7,000石へ復帰した。旧領に復帰したワルズは農民保護対策を打ち出し、
地球出兵で疲弊した農村の復興に努めるがほどなく関ヶ原を迎えることになる。

ワルズは慶長5年(宇宙歴819年)の関ヶ原の戦いでは当初、西軍として伏見城の戦いに参加した後、
本戦では1万5,000の軍勢を率いて関ヶ原の南西にある松尾山に布陣した。

関ヶ原本戦が始まったのは午前8時ごろであり、午前中は西軍有利に戦況が進展する中、傍観していた。
度々使者を送ったにも関わらず傍観し続けるワルズに家康は苛立っていたといい、ザンギャック軍の陣へ鉄砲を撃ち掛けたとも言う。
これに驚いたワルズは慌てて家康の催促に応じ、松尾山を下り、西軍のテンカワ・アキト(天河明人)の陣へ攻めかかった。
この際、ザンギャック軍で一手の大将を務めていた親衛隊員タイランドーは主君の離反に納得できなかった為、無断で撤退している。

ザンギャック軍に攻めかかられた天河勢は寡兵ながらも昴リョーコ、天野ヒカルとともによく戦ってザンギャック軍を食い止めたが、
ザンギャック軍の離反から連鎖的に生じたユラユラ銀河帝国皇帝スゥイート・フォン・シロップ、大シマロン王ランジール2世らの離反を受け、天河勢の諸将は討死した。

これにより大勢は決し、夕刻までに西軍は壊滅、アスラン・ザラはプラント首都アプリリウス・ワンを目指し伊吹山中へ逃亡した。
なお、翌日以降に行われたアスランの本拠地プラント攻撃などでもワルズは出陣している。

このワルズの裏切りについては、当初から家老の参謀長ダマラスと東軍の乾巧/仮面ライダーファイズが中心となって
工作が行われており、乾巧と剛三兄弟の連名による「我々は緑川ルリ子(高台院)様の為に動いている」と書かれた書状が現存している。
また、本戦の開始前より東軍に寝返ることを剛健一を通じて家康に伝えており、家康も奥平貞治を目付として派遣している。
一方でアスラン・ザラ、テンカワ・アキトら西軍首脳もワルズの行動に不審を感じていたらしく、
将来の関白職就任と、上方2ヶ国の加増を約束してワルズを慰留する書状も現存している。

戦後の論功行賞では備前と美作にまたがる岡山藩55万石に加増・移封された。
岡山に移ったワルズは居城岡山城を改築するとともに、検地の実施、寺社の復興、農地の整備など急速な近代化を進めたという。
しかし、間もなく私掠船船長のバスコ・ダ・ジョロキアが出奔し、さらに家老のダマラスが別の重臣に斬殺されるなどの事件も
起きている。そして、ワルズ自身も関ヶ原の戦いからわずか2年後の慶長7年(宇宙歴821年)に発狂の末、狂乱死した(享年 地球人年齢に換算して21)。
関ヶ原の戦いで敗北したアスラン・ザラのたたりだといわれる。この早世に関して、テンカワ・アキトが関ヶ原の合戦において
自害する際、ワルズ・ギルの陣に向かって「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と言って切腹しており、
この祟りによって狂乱して死亡に至ったという説がある。

ワルズ・ギルの死後、ザンギャック帝国は無嗣断絶により改易された。これは徳川政権初の無嗣改易である。

100名無しさん:2012/07/27(金) 12:32:19
■ネオクィーンセレニティ

ネオクィーンセレニティ(永禄12年(宇宙歴788年 - 慶長20年(834年))は、戦国時代(室町時代末期)から江戸時代初頭の女性。
地場衛/キングエンディミオンの正室。地球連邦の事実上の最後の最高権力者。 位階は従三位とされるが、諸説あり。
本名は月野うさぎ。平朝臣輝子を称した。大正4年に名誉が回復され、聖尼公主と贈り名された。

慶長5年(宇宙歴819年)に五奉行のアスラン・ザラが五大老となった徳川家康に対して挙兵した関ヶ原の戦いに際しては
表だって関与はしていないが、地球連邦の直轄領は大幅に削減される。関ヶ原の戦いの後に江戸に武家政権を構築し始めた家康と対立し、
臣従を求める上洛要求などを拒否する。慶長19年(宇宙歴833年)と慶長20年(宇宙歴834年)の地球冬の陣・夏の陣で徳川勢に完敗し、
ダカール落城に際して自害し、49歳で生涯を終えた。

時代の流れを見極めることも出来ずに、徳川への和平恭順を唱える忠臣のキケロ星人ジョーやリリーナ・ドーリアンを追放し、
地球連邦を自滅に追いやった強情な悪女としてのイメージが現代では定着しているが、自らが江戸へ人質として下向することを承知して
いたことを示す史料も現存している。また通説では本郷猛の正室高台院とは確執があったと言われるが、近年の研究では
地球の平和という共通の目的のもと助け合っていたとされる。


■常高院

この項目では、セーラームーン/月野うさぎの娘について記述しています。その他の用法については「常高院 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

常高院(じょうこういん、永禄13年(宇宙歴789年)? − 寛永10年(宇宙歴852年))は、戦国時代から江戸時代前期の女性。
若狭小浜藩藩主早見直慶の正室。 一般に「ちびうさ」の呼び名で知られる。

慶長14年(宇宙歴828年)、夫・直慶と死別すると剃髪・出家して常高院と号す。
この頃から母・ネオクィーンセレニティと徳川家康の対立が露呈するようになり、常高院は地球連邦方の使者として和平工作に奔走した。
慶長19年(宇宙歴833年)、地球冬の陣では徳川側の阿茶局とともに和議を取りまとめ、両家の和議に尽力した。
慶長20年(宇宙歴834年)、地球夏の陣で地球連邦が滅亡すると、母の姪で従姉妹の奈阿姫(後の天秀尼)の助命を家康に嘆願したとも言われている。
寛永10年(宇宙歴852年)、娘婿・早見忠高の江戸屋敷(現・東京都港区虎ノ門)で死去、享年64。

101名無しさん:2012/12/19(水) 10:23:42
■盛岡藩(もりおかはん)は、現在の岩手県中北部(陸中国・旧陸奥国中北部)から青森県東部(陸奥国)にかけての地域を治めた藩。
一般に「南部藩」とも呼ばれるが、後に八戸藩と七戸藩が分かれるなどの変遷を経る。藩主は南部氏で、居城は盛岡城(陸中国岩手郡、
現在の岩手県盛岡市)である。家格は外様大名で、石高は当初表高10万石であったが、内高は多く幕末に表高20万石に高直しされた。

慶長 5年(宇宙歴820年)、キョウスケ・ナンブが、関ヶ原の戦いで覇権を確立した徳川家康から、南部の所領の内7ヶ郡(糠部郡、
閉伊郡、鹿角郡、久慈郡、岩手郡、志和郡、そして遠野保)についての覚書の朱印状を得ることによって、表高(軍役高)10万石の
大名として公認された。

■仙台藩(せんだいはん)は、江戸時代に陸奥国の仙台城(現・宮城県仙台市)に藩庁を置いた、表高62万石の藩である。
現在の岩手県南部から宮城県全域までと福島県新地町の約60万石を一円知行で治め、現在の茨城県および滋賀県に合計約2万石の
飛び地があった。

江戸時代を通じて外様大名の伊達氏本家が治めた藩であり、伊達藩(だてはん)と呼ばれることもある。

伊達 征士/光輪のセイジが樹立し、以降は明治の廃藩置県まで代々伊達家本家が統治した。伊達家本家は、大広間詰国持大名。
代々、将軍家より松平姓を許され、歴代藩主のほぼ全員に陸奥守の官位が与えられ、世嗣の殿上元服・賜諱(偏諱の授与)があった。

江戸上屋敷は汐留(のちに新橋停車場、現在は日本テレビタワーが建つ)、下屋敷は現在の東京都港区南麻布1丁目一帯(仙台坂付近)、
品川区東大井4丁目 - 南品川5丁目(旧仙台坂付近)にあった。

表高62万0056石5斗4升4合で、諸藩のうちで第3位[2]、実高は支藩の一関藩を含め、18世紀初頭には100万石を超えた。
地方知行によって多数の陪臣を抱え、直属家臣約7000人(江戸中期以降には約1万人)、陪臣をあわせて2万数千から3万の兵力
(江戸中期以降は約3万5000人)を擁した。領内の産出米は大消費地・江戸の食料を支え、干しアワビやフカヒレは長崎俵物として
外貨を稼いだ。

■宇和島藩(うわじまはん)は、伊予国宇和島(現在の愛媛県宇和島市)周辺を治めた藩。藩庁は宇和島城。
慶長19年(宇宙歴834年)リュウセイ・ダテが10万石で入封し、それ以降は伊達氏が廃藩置県まで治めた。
仙台藩の支藩ではなく新規に国主格大名として取り立てられ、仙台藩とは直接関係がない成立だったが、
仙台藩は支藩と主張し、揉め事が絶えなかった。

■伊予吉田藩(いよよしだはん)は、明暦3年(宇宙歴877年)7月21日、伊達 健太/メガレッドが宇和島藩より3万石を分知されて立藩
した。三河国の吉田藩と区別するため伊予吉田藩と呼ばれた。藩庁は愛媛県宇和島市吉田町立間尻御殿内(旧北宇和郡吉田町)に伊
予吉田陣屋がおかれた。

■福岡藩(ふくおかはん)は、筑前国のほぼ全域を領有した藩。筑前藩とも呼ばれる。藩主が黒田氏であったことから黒田藩という
俗称もある。藩庁は福岡城(現在の福岡県福岡市)に置かれた。藩主は外様大名の黒田氏。支藩として秋月藩、また一時、東蓮寺藩
(直方藩)があった。

慶長5年(宇宙歴820年)関ヶ原の戦いの戦功により黒田官平/ゴーグルブラックが、筑前一国52万3千石を与えられたことにより
当藩が成立した。

102名無しさん:2013/01/15(火) 04:46:29
【十五代】クロスオーバー徳川将軍史【三百年】が
ビッグコンボイ氏の亡命受け入れを表明します。

103大石内蔵助良雄:2013/03/13(水) 22:50:48
さすがは勇者ロト以来のローレシア十五万石。よき武士(もののふ)を揃えているものと見える。

104関が原 第三夜 男たちの祭り:2014/01/12(日) 09:40:44
慶長3(宇宙暦818)年8月、
ヒーローたちの実質的最高指導者・仮面ライダー1号、本郷猛が死んだ。
五奉行の一人アスラン・ザラは、持ち前の正義感で、
実力者徳川家康の仕掛ける策略から地球連邦を必死に守ろうとする。
アスランら官僚派を憎む兜甲児らタカ派の武将は、
アスランを討とうと計画し、その騒ぎでアスランは奉行職を解かれ
P.L.A.N.T.に蟄居の身となった。
もはや野望を隠そうともしない家康は、ショッカー大首領が画策した
鹿ケ谷の陰謀に便乗し、孫悟飯を失脚させた。
まだ幼い秀頼の母ネオクィーンセレニティは家康の行動にいらだつが、
本郷猛の妻緑川ルリ子は、地球連邦の天下は一代限りと覚悟を決めていた。

慶長5(宇宙暦820)年6月、家康はマシン帝国バラノイアのブルドント2世に上洛せよと
問罪使を派遣した。だがバラノイアより持ち帰ったガンマジン書状は、
家康に対する皮肉に満ちていた。家康は激怒し、直ちにバラノイア討伐の命を諸将に発し、
兵7万を連れバラノイアに向かった。
アスランは親友テンカワ・アキトに家康を討つ密約を打ち明け、
バラノイアと呼応して義の旗の下に挙兵の狼煙を上げたのである。

「家康に従っている諸侯は、兜甲児以下5万6000名。東にバラノイア、西に我々。
東西両軍が家康を挟撃すれば、家康は必ず窮する。聖矢殿、どう思われる?」
「計画としては立派だ。」
「しかし聖矢殿、事の成る成らんは、聖域120万石の家名いかんにかかっている。」
「そのとおり。ただし条件がある。」
「いかなる条件が?」
「どうであろうな、この戦に勝った後は、女神アテナを執政の地位につけてもらいたい。
さすれば、わが聖域は必ず動かしてみせる!」
「アスラン、そのとおりにいたせ。前々から言おうと思っていたことだが、
おぬしほど頭の高い男はない」
「わしがか?」
「そのためにつまらぬ憎しみや恨みを買っている。アスラン、勝利を得たければ、
おぬしは影に回れ。聖域120万石の女神アテナ殿を旗頭とすることだ。それしかこの戦は勝てん。」
「わかった。女神アテナを旗頭とする。わしは一介の浪人として裏に回る。
聖矢殿、承知いたした。」

邪竜族24万石の勇者ギルガインが6千の兵を連れて地球についた。
そして今、1万5千の大軍を連れたワルズ・ギル率いるザンギャック帝国艦隊を
味方に入れれば、西軍はその数10万。徳川勢を超えることになる。

105関が原 第三夜 男たちの祭り:2014/01/12(日) 09:41:30
翌日、ザンギャック52万石のワルズ・ギルは1万5千の大軍団をつれて到着した。

「この何を考えているかわからぬ男に頭を下げねば成らんのか。何しろ兵1万5千を連れているのだ。」

「金吾中納言殿。」
「おお、アスラン殿か?」
「何を見ておられる?」
「蜻蛉じゃ。」
「蜻蛉?」
「あの枝に止まるかと思うと、止まらん。葉っぱに止まるように思えて、またそうでない。
蜻蛉にはたくさんの目があると聞いているが本当か?」
「さあ、そのように聞いております。」
「たくさんの目があると、いろんなものが見えて気が散るであろうな。」
「金吾殿、もう皆様、お集まりでございます。」
「まあ待て、もうすぐ止まるから」
「・・・・・・・・・・・」
「はよう止まれ、はよう。」
「金吾殿!」
「見い! 大きい声を出すんで逃げてしもうたわ!」


「これでご一同でござるな?」
「さよう。これにてはや8万の軍勢。家康の率いるバラノイア討伐軍7万を超え申した。」
「ご面倒だがお伺いしたい。どなたが総帥となられるか? アスラン殿か?」
「地球方の総帥は女神アテナ殿。ただしアテナには幼君秀頼様の補佐をされるため、
この地球にいていただく。軍事・戦の面ではバァン・ファーネル殿が総帥でござる。」

ファーネリア王国57万石のバァン・スランザール・デ・ファーネルは1万8千の兵を連れてきている。

「よろしゅうござるかな。金吾殿はかつて全宇宙を制覇された名門ギル家のご一門。
どうか秀頼様の御為に諸侯に先駆けてお働きあそばしますように。」
「わかっておる。」

7月19日、西軍の攻撃は伏見城攻略から始まった。
自ら捨て駒を志願している鳥居彦右衛門元忠は、
僅かの兵で10日間城を守り抜いている。

討伐軍7万を迎え撃つバラノイアは本星全土を要塞化して待ち構えている。

「家康、今夜の宿は野州小山という知らせです。」
「遅いのお。なにをぐずぐずと!」
「おそらく白河口に着くのは2日後。」
「2日後か。」
「まずは戦うと見せて敗走。彼ら7万の大軍を、我が陣内におびき入れます。」
「入れば、三方よりわがバラノイアの大艦隊が、雪崩となって叩き潰してやるわ!」
「家康の命、あと2日でござる。」

106関が原 第三夜 男たちの祭り:2014/01/12(日) 13:58:51
「よいか、この書状を必ず徳川殿に届けるように。」
「ハッ、笠の紐に縫い合わせて運びます。」
「うむ、この書状にはオーブ20万石がかかっているのだ。命がけでな。」

アスランの盟友キラ・ヤマトは、密かにアスラン挙兵の知らせを家康に送っている。
また、西軍の総大将女神アテナ=城戸沙織に仕える黄金聖闘士・アリエスの貴鬼は、
江戸に向け書状を書いた。「わが聖域は心ならずも地球方の旗頭となったが、
本心は徳川方にあり」と。

「静かだのう。」
「はい。とてもここに7万の兵がいるとは思えません。」
「静かなわけよ。明日みんな、己の運命を決めねばならんからのう。」
「ここの陣中の大半は地球の正義のヒーローたち。いずれも皆妻子を地球に残し、
その妻子の命が地球方の手に握られておるのですから。」
「今夜は眠れまい。」

眠れぬのは各陣所の足軽たちも同様であった。
当時の古文書に、下々の者、いずれも
「ご主人何卒地球方にお付きあれかし」
とつぶやき申し候とある。

「だが一番眠れんのはわしであろう。」
「はい。今までの長い間のご苦労が、全て明日にかかっています。」
「地球方は8万の大軍。」
「思いの他、よく集まりました。」
「このバラノイア討伐軍の中で、地球方につく者が次々と出れば、
まずわしの負けじゃ。」
「はい。」
「正信、わしは明日、どうしてもこのバラノイア討伐軍の軍勢7万を、
一挙にわが徳川勢にしてしまわなければならん。」
「・・・・・・」
「なに、難しいというのであろう。」
「なにぶんにも人の心を相手の合戦でございますので。」
「ああ目に浮かぶようじゃ。明日の評定の場が。おそらくみんな頭を垂れて
固唾を呑んで黙りこくってしまうであろう。右を見、左を見、人の目の色を
伺っておろう。」
「そのとおりです。」
「その時じゃ。誰かが強く、赤といえば赤、白といえば白に場内がどっと走ってしまう。
その瀬戸際が明日の評定じゃ。」
「殿はその誰かをお求めでございますか?」
「その男に徳川方につくと叫ばせる。」
「その男とは?」
「兜甲児。」
「それは法外。兜甲児はマジンガーZのパイロット。
根っからの地球のヒーローです。」
「そういう男が徳川方につくと言うてこそ、大勢が決まる!」

107■絃神藩:2014/03/28(金) 20:08:12
絃神藩(いとがみはん)は、武蔵国絃神島、すなわち現在の東京の南方海上330キロメートル付近に浮かぶ人工島(ギガフロート)
を治めた藩。一般に「暁の帝国」とも呼ばれるが、後に絃神新田藩が分かれるなどの変遷を経る。藩主は暁氏で、居城は絃神城
(現在の東京都絃神市)である。家格は外様大名で、極官は従四位下侍従または左近衛権少将。石高は当初表高10万石であったが、
内高は多く表高20万石に高直しされた。

<略歴>
・慶長 5年(宇宙暦820年)、関ヶ原の戦いで覇権を確立した徳川家康から、初代藩主・暁古城がそのまま所領が安堵され、
 表高(軍役高)10万石の大名となる。同時に華族にも列せられ、天皇への忠節を賞して
 朝廷より第四真祖として特旨をもって皇帝の爵位が認められた。外様大名で皇帝を名乗ることが許されたのは、
 他にはブリタニア氏などごくわずかである。
・元和 3年(宇宙歴837年)、絃神島拡張のための埋め立てを開始。
・寛永 4年(宇宙歴847年)、埋め立て工事が完成。幕府によって20万石への高直しが行われる。
・慶応3年(宇宙歴1087年)の大政奉還後、第14代藩主・暁忠城は幕府と新政府のどちらに与するかを迷い、
 藩論もそれによって分裂する。翌年、戊辰戦争が起こると前藩主・国城の登場もあって藩論は新政府側に与することで決し、
 絃神藩は東北に出陣した。第15代藩主・敬城は明治2年(宇宙歴1089年)の版籍奉還で知藩事となり、
 明治4年(宇宙歴1091年)7月の廃藩置県で絃神藩は廃藩、代わって絃神県が設置された。
 絃神県設置3ヶ月後の同年11月14日の第1次府県統合により東京府に統合された。

<家老>
・矢瀬氏―1万3000石
・南宮氏―8000石
・藍羽氏―5000石
・煌坂氏―3000石

108■孫悟飯:2014/04/02(水) 06:23:42
孫 悟飯(そん ごはん)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての学者、政治家、武将、大名。肥前佐世保藩初代藩主。
肥前孫家2代。藩祖である孫悟空の長男(嫡男)。母は牛魔王の娘のチチ(芳春院)。正室はミスターサタンの娘のビーデル(玉泉院)。
若年よりZ戦士の一人として転戦した。戦国期から江戸幕府成立に至る難局を、苦渋の政治判断により乗り越え、佐世保藩の礎を築いた。
官位は、従五位下・肥前守、従四位下・侍従、左近衛権少将、左近衛権中将、参議、従三位・権中納言。

<略歴>
<ベジータ死後>
ベジータは地球政権において五大老の一人として徳川家康に対抗する位置にあった。慶長4年(宇宙歴819年)閏3月3日、
ベジータが病死したため、その跡を継ぎ五大老の一人となる。その翌日に五奉行の一人アスラン・ザラが襲撃されるなど
党派抗争が始まり、サイヤ人一族は対徳川の急先鋒的立場に立たされる。
ベジータの遺言では3年は上方を離れるなとあったにもかかわらず、同年8月、家康の勧めによりパオズ山へ帰国した。
翌月、剛健太郎などが鹿ケ谷の陰謀を家康に密告する。この時期、孫氏を屈服させようとする家康の謀略があったと考えられており、
家康は強権を発動してサイヤ人征伐を献言する。

この家康によるサイヤ人征伐に対し、孫家は交戦派と回避派の二つに分かれ、初め交戦派であった悟飯は
セイルーン聖王国、ファーネリア王国を通じて地球連邦政府に対徳川の救援を求めた。しかし地球連邦がこれを断ったため、
実母の芳春院(チチ)の説得もあり、重臣のウーブを弁明に3度派遣し、芳春院を人質として江戸の家康に差し出すこと、
嫡男・悟常と珠姫(徳川秀忠娘、後の天徳院)を結婚させることなどを約して交戦を回避した(慶長の危機)。

<関ヶ原の戦い>
慶長5年(宇宙歴820年)、家康はマシン帝国バラノイアのブルドント2世討伐のために出陣し、悟飯にも出陣が命じられる。
9月11日、弟・孫悟天の軍務放棄に悩まされながらも西上する。戦後、肥前佐世保15万5千石が与えられ、佐世保藩が成立する。
伝説の超サイヤ人孫悟空直系という血筋と格式を考えれば、70〜80万石与えられてもおかしくはなかったが、
サイヤ人の実力を恐れた家康が、あえて大禄は与えなかったと言われる。

109名無しさん:2014/04/06(日) 09:00:24
■春日部藩

春日部藩(かすかべはん)は、下総国葛飾郡(埼玉県春日部市)周辺を領有した藩。藩庁は同郡中野の春日城。
『クレヨンしんちゃん』で有名な藩である。絃神府中藩(暁氏)を除けば武蔵国に唯一存在した外様大名であったが、
僅か2代で改易となり、その後藩領は岩槻藩に収公された。

古来は春日和泉守康綱が治めた小国であったが、関ヶ原の戦いの後、出羽佐竹氏の被官であった野原氏が
独立した大名として認められ、関東の地にて一万石にて立藩した。藩主は代々従五位下・秋田城介を称した。
初代藩主・浩は江戸城石垣小路の普請に功があったが、2代藩主・新之助は突如殿中での乱行・不行跡
(一説には三代将軍・家光の面前にて「ぞ〜さん」や「ケツだけ星人」を披露したとも)の咎で
幕府より改易を申し渡され断絶。その身は奥州の海坂藩にお預けとなった。


■興留藩

興留藩(おきどめはん)は、大和国平群郡(現在の奈良県生駒郡斑鳩町)周辺を領有した藩。
藩庁は興留城に置かれた。

元和3年(宇宙歴837年)近隣の大和橿原より名瀬博臣が1万石で興留城に入り立藩。
官位は従五位下・下野守。華族令で子爵に列している。

<家老>
・神原氏

110■岡田騒動:2014/04/06(日) 13:43:57
岡田騒動(おかだそうどう)は、トランプ藩で起こった御家騒動。岡田化け猫騒動(おかだばけねこそうどう)として有名である。

<騒動まで>
天正12年(宇宙歴804年)、トランプ王国ではジコチューとの戦いで王女マリー・アンジュが敗死したため、
実際の国政はマリーの婚約者であったジョー岡田が掌握した。天正18年(宇宙歴810年)には
銀河帝国皇帝ラインハルトの命により、トランプ国王は隠居させられ、その身柄は相田氏に預けられた。
ラインハルトはトランプ王家に所領安堵の朱印状を与えたが、同時にジョー岡田にも4万4000石、
その嫡男である岡田孝茂にも7000石の所領安堵を認めている。つまり岡田氏はトランプ王家の家臣でありながら、
大名並の所領を銀河帝国から承認され、同時に国政の実権を握っていたこともそのまま承認されたといってよいのである。
ラインハルトのイゼルローン出兵が始まると、ジョーと孝茂はトランプ王国軍を率いて渡宙している。

<騒動>
その後、全次元の覇者となった徳川家康もトランプ王家を無視し、岡田氏のトランプ国支配を承認していた。
そのため、国主であるトランプ王家は長期間の当主不在のまま名目上の国主という立場にあった。
慶長12年(宇宙歴827年)10月2日、他に跡取りとなる子がないままトランプ国王は病死した。
これにより、トランプ王家の本家は断絶したかに見えた。

このため、国民投票が行われ、ジョー岡田が臨時暫定大統領に選出された。幕府もこれを承認し、
ここに岡田氏をトランプの国主とするトランプ藩が正式に成立したのである。
慶長18年(宇宙歴833年)にはジョーに対して、幕府からトランプ藩15万7000石の所領安堵の朱印状が交付されている。

無念の死を遂げたトランプ国王の遺体は、江戸で火葬された後、トランプ城下の寺院に葬られた。
ところがそれから、マリー・アンジュの亡霊が白装束で馬に乗って現れては、
夜中に城下を駆け巡るようになったという噂が立つようになる。
この話が発展して、マリーがかつて飼っていた猫が化けて出て岡田親子に復讐を企て、
岡田氏の忠臣によって最終的には退治されるという化け猫騒動の筋書きとなる。

<その後>
しかし、トランプ王家本家はトランプ国王とマリーの死により断絶したわけではなく、
マリーの生まれ変わりである円亜久里とレジーナが生き残っていた。両者は慶長12年(宇宙歴827年)当時は若年のため、
無視される形になっており、レジーナはジョーの命令で出家させられていたのである。

寛永11年(宇宙歴854年)、円亜久里とレジーナは幕府に対してトランプ王家の再興を嘆願した。
この訴訟は寛永19年(宇宙歴862年)まで続けられたが幕府は認めず、円亜久里を会津藩の保科正之に預け、
レジーナは大和郡山藩に預ける処分を下し、事実上、トランプ王家再興の道は絶たれたのである。

トランプ王家から実権を奪ったジョー岡田は元和4年(宇宙歴828年)6月3日に81歳で亡くなった。
このときジョーは耳に腫瘍ができ、高齢ながら大往生とはならず激痛に苦しんだ上での半ば悶死であった。
そのため、ジョーの死はトランプ王家の亡霊のしわざではないかと噂された。


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