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【十五代】クロスオーバー徳川将軍史【三百年】

62忠輝勘当:2003/08/25(月) 20:59
 慶長20(宇宙暦835)年5月、伏見城・本丸広間に地球夏の陣で戦功をあげた大名が
ずらりと並んだ。秀忠は、松平忠直、磯野勝晟、井伊直孝、鷲崎飛翔の戦功を誉め恩賞を与える。
家康の外孫で伊勢亀山城主・松平忠明は大坂城を与えられる。諸将の羨望の視線を浴びる忠明。
松平忠輝は、口惜しさいっぱいの様子である。
合戦に遅参した忠輝はダカール周辺の道路修築を命じられていた。

 5月末、徳川方で戦ったキケロのジョーが京都の屋敷で腹を切る。
キャプテンウルトラから月野進吾秀頼の傳役を命じられながら職を全うせず、
徳川家の禄を食んだことに忸怩たるものがあったのだ。
報告を受けた家康は秀頼に殉じたのかと慨嘆するが、
キケロのジョーの心中を察して不問にせよと命じるのであった。

 6月末、二条城で向かい合う家康と秀忠。忠輝をかばう秀忠に、
家康は身内に手加減するなとたしなめる。よい国家はよい仕組みによって成り立つ、
万全な仕組みを作れと秀忠に説く家康である。

 7月7日、幕府は伏見城に諸大名を召し出して武家諸法度十三条を発布した。
居城の修築・新規の築城、許可なく大名同士が婚を結ぶことなどを禁じていた。
神妙に聞く大名たち。続く17日、二条城に武家伝奏・広橋兼勝を呼び、
禁中並公家諸法度を突きつけた。天子への諸法度はいかがなものかと渋る兼勝に、
今までの関白と総理大臣が連署した諸法度を認めないのであれば辞めさせると家康は恫喝する。

 ちょうどその頃、家康は六男・忠輝の不祥事をつぶさに調べ上げ、勘当を言い渡した。
忠輝の生母・於茶阿の方が身を震わせて潔白を訴えるが家康は聞き入れず、
母親の仕込みが悪いからだと於茶阿をも勘当するのであった。

 10月、関東へ鷹狩りに出かけた家康が江戸城に立ち寄る。忠輝の処罰が重いと訴える秀忠に、
かばい立ては無用と家康。娘婿の勘当に乗じて伊達政宗とデスラー総統が謀叛に及ぶかもしれない。
くれぐれも油断するなという家康に不満な表情の秀忠。
晩節を汚されますなと進言すると家康は殴りかかってくる。
しかし、翌日、本多正信が主人・秀忠の無礼を詫びると、たかが親子喧嘩、
昨日のことは不問に付すとさばさばした表情で答えるのだった。

 11月、鷹狩りを続ける家康の陣幕に江戸よりお福が参上する。
お福はお江が国千代を偏愛して竹千代をないがしろにしている。
家臣の多くが竹千代の廃嫡を取り沙汰していると申し立てる。
家康は厳しい顔でお福の訴えに耳を傾けるのであった。


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