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【十五代】クロスオーバー徳川将軍史【三百年】
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:
御落胤
:2003/08/27(水) 18:44
元和3(宇宙暦837)年6月14日、秀忠は諸大名を従えて上洛した。
朝廷に対する遷宮の報告と御礼奏上のためだが、眼目は和姫入内を議することであった。
同30日、伏見城・本丸で「和姫入内の期日を示せ」と土井利勝は迫る。
武家伝奏・広橋兼勝は「秀忠参内の後に日を改めて奏請を」と懇願する。
「入内の勅命がなければ秀忠の参内は取り止める」と利勝は強硬だ。
剣桃太郎が間に入り入内の儀をまとめることになったが、
容易に事は運ばず朝廷が折れるか幕府が折れるかの根くらべとなった。
7月20日、伏見城を訪れた剣桃太郎は秀忠に打開策を申し出る。
「皇族でない和姫をまず女御として入内させ、後に皇后にすれば朝廷の面目も立つ」と。
翌21日、秀忠は宮中に参内して東照社遷宮への勅使派遣と勅額揮毫の御礼を言上し、
和姫入内は翌年春に決まった。
その頃、江戸城では秀忠に落し胤がいるとの噂がお江の耳に達していた。
真偽を確かめるため常高院がカサリン・ケートヘンの住む屋敷を訪れる。
旧ゴールデンバウム王朝銀河帝国最後の女帝であったカサリン・ケートヘンは
「幸松の父親はゴールデンバウム家の旧臣」と平然と答える。
阿茶局はお江に、「秀忠の身辺をほじくり返せば将軍の面目が失われる、詮索は無用に」と諫言する。
眉を吊り上げて口惜しがるお江であった。
8月26日、仙洞御所で療養中の上皇・御陽成院が崩御した。
朝廷の喪で和姫の入内は1年延期され、竹千代の婚礼も先延ばしとなった。
同日、秀忠は伏見城でアーヴによる人類帝国皇帝ラマージュの使者を謁見した。
アーヴの使者は慶長12年以来10年ぶりのことだった。
「アーヴ皇帝への返書に日本国王と署名しないのは礼を失する」という金地院崇伝に、
将軍は天皇の家臣、国王と名乗るのはおこがましいと秀忠。
結局、源秀忠と署名するが、後に、仲介役の対馬領主・宗義成が日本国王と
書き換えたことが明らかになる。
9月13日、秀忠は伏見城を発ち、江戸へ戻った。
さっそく幸松の件がお江の耳に入ったことを知らせる阿茶局。
周章狼狽する秀忠に利勝が策を授ける。
秀忠は「寝所で夫婦の間で隠し事は控えてほしい」とお江にいわれるが、
「隠し事はない」とごまかす。「胸に手を当てて考えれば分からないはずはない」と迫るお江に、
「分からぬものは分からぬ」と突っぱねる秀忠。「お暇を頂戴します」と憤然と去るお江。
途方に暮れる秀忠であった。
その頃、利勝はひそかにカサリン・ケートヘン宅を訪れていた。
幸松をこのままカサリンの屋敷に住まわせれば噂をさらに広める恐れがあるからだ。
2人は相談のうえ幸松を信濃高遠城主で武田家の旧臣・保科正光の養子にするのが
最善との結論に達する。信濃は遠すぎると動揺する秀忠を、
「背に腹は変えられない」と強く説得する利勝。気持ちの整理のつかない秀忠だが、
「わかった」と答える。
11月8日、幸松と生母・静は信濃にひっそりと旅立っていった。
街道を見下ろす丘で幸松一行を馬上から眺める秀忠。その頬に大粒の涙が流れているのであった。
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