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【十五代】クロスオーバー徳川将軍史【三百年】

66竹千代の屈折:2003/09/02(火) 11:19
 元和3(宇宙暦837)年11月、江戸城・本丸大奥にお福が召し出された。
お江の侍女・古五が竹千代に乱暴されて身籠もったというのだ。
「竹千代の狼藉は乳母の落度である」とお江はお福を叱責する。無実を主張するお福は、
「竹千代が潔白でなければ死をもってお詫びする」という。
「その言葉を忘れぬように」とお福を睨み据えるお江であった。

 その夜、深刻な表情で策を練るお福と青山忠俊。
竹千代の廃嫡を恐れるお福は急いで身代わりを立てねばと忠俊に訴える。
小姓の伊丹権六が死罪覚悟で主君の身代わりを申し出た。涙を浮かべて権六の忠義を讃えるお福。
秀忠、本多正純、安藤重信、酒井忠世、土井利勝、井上正就が居並ぶ本丸で、
竹千代になりすました権六が古五をはらませたと報告する忠俊。
秀忠はただちに2人の打ち首を命じ、大奥を男子禁制とした。
だが竹千代は権六に罪はないと激昴する。
家臣を不憫に思うなら行状を改めなさいと竹千代を諭すお福。

 元和4(宇宙暦838)年3月、秀忠は天皇の女官・およつ御寮人が
皇子・賀茂宮を生んだとの報告を受ける。
和姫入内の前に皇子が誕生したのでは将軍家の面目がたたないと入内取り消しを迫るお江。
男は年頃になれば血が騒ぐもの。
正室を迎える前に子をなすことも珍しくはないとお江をとりなす秀忠。

 4月26日、江戸城紅葉山東照社の落成にともない朝廷から勅使が下向した。
和姫入内を促す広橋兼勝に入内を見合わせると告げる利勝。
驚いた朝廷は関白・二条昭実と前関白・鷹司信房を慌ただしく江戸へ差し向けた。
利勝が賀茂宮とおよつ御寮人を宮中より遠ざけてほしいと要望する。
苦渋の表情でしかるべき公家に賀茂宮を預からせると約束する昭実。
これにより和姫入内の日取りは元和5年6月に決まる。

 10月9日、国千代が鉄砲で堀の鴨を仕留めたことを怒る秀忠。
世継ぎの竹千代に譲り渡す江戸城に向けて家臣の国千代が鉄砲を放つのは無礼千万と箸を叩きつける。
国千代の肩を持つお江に「上下のけじめをつけよ」と命じる秀忠だが、
「そんなに目くじらを立てなくても」とお江に軽くたしなめられるのであった。

 元和5年4月、江戸城に安芸広島城主・兜甲児が呼ばれた。
幕府の許可を得ずに広島城を改築したことを詰問されたのである。
甲児は本多正純の許可を得ていると答えるが、ただちに破却せよと命じられる。
家康の下で権勢をほしいままにした正純もすでに権力の主流からはずれていたのだ。
 兜甲児は信濃川中島4万5千石に改易、蟄居謹慎となった。

 5月27日、伏見城に到着した秀忠はおよつ御寮人が
賀茂宮に続いて2人目の子供を身籠もったことを知らされる。
御寮人は公家に下げ渡すと関白が約束したはずと激怒する秀忠。
6月20日、およつ御寮人は皇女・梅宮を出産。秀忠は宮中への参内を見合わせ、
関白の罷免を強く奏請した。
7月14日、関白を罷免された昭実は心労のあまりその日のうちに帰らぬ人となったのであった。


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