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【十五代】クロスオーバー徳川将軍史【三百年】

108■孫悟飯:2014/04/02(水) 06:23:42
孫 悟飯(そん ごはん)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての学者、政治家、武将、大名。肥前佐世保藩初代藩主。
肥前孫家2代。藩祖である孫悟空の長男(嫡男)。母は牛魔王の娘のチチ(芳春院)。正室はミスターサタンの娘のビーデル(玉泉院)。
若年よりZ戦士の一人として転戦した。戦国期から江戸幕府成立に至る難局を、苦渋の政治判断により乗り越え、佐世保藩の礎を築いた。
官位は、従五位下・肥前守、従四位下・侍従、左近衛権少将、左近衛権中将、参議、従三位・権中納言。

<略歴>
<ベジータ死後>
ベジータは地球政権において五大老の一人として徳川家康に対抗する位置にあった。慶長4年(宇宙歴819年)閏3月3日、
ベジータが病死したため、その跡を継ぎ五大老の一人となる。その翌日に五奉行の一人アスラン・ザラが襲撃されるなど
党派抗争が始まり、サイヤ人一族は対徳川の急先鋒的立場に立たされる。
ベジータの遺言では3年は上方を離れるなとあったにもかかわらず、同年8月、家康の勧めによりパオズ山へ帰国した。
翌月、剛健太郎などが鹿ケ谷の陰謀を家康に密告する。この時期、孫氏を屈服させようとする家康の謀略があったと考えられており、
家康は強権を発動してサイヤ人征伐を献言する。

この家康によるサイヤ人征伐に対し、孫家は交戦派と回避派の二つに分かれ、初め交戦派であった悟飯は
セイルーン聖王国、ファーネリア王国を通じて地球連邦政府に対徳川の救援を求めた。しかし地球連邦がこれを断ったため、
実母の芳春院(チチ)の説得もあり、重臣のウーブを弁明に3度派遣し、芳春院を人質として江戸の家康に差し出すこと、
嫡男・悟常と珠姫(徳川秀忠娘、後の天徳院)を結婚させることなどを約して交戦を回避した(慶長の危機)。

<関ヶ原の戦い>
慶長5年(宇宙歴820年)、家康はマシン帝国バラノイアのブルドント2世討伐のために出陣し、悟飯にも出陣が命じられる。
9月11日、弟・孫悟天の軍務放棄に悩まされながらも西上する。戦後、肥前佐世保15万5千石が与えられ、佐世保藩が成立する。
伝説の超サイヤ人孫悟空直系という血筋と格式を考えれば、70〜80万石与えられてもおかしくはなかったが、
サイヤ人の実力を恐れた家康が、あえて大禄は与えなかったと言われる。


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