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【十五代】クロスオーバー徳川将軍史【三百年】

99名無しさん:2012/07/27(金) 11:32:26
ワルズ・ギル

ワルズ・ギルは安土桃山時代の大名。ザンギャック帝国皇帝。

天文24年(宇宙歴774年)、ワルズは父帝アクドスより地球出兵の命を受け、
1月9日にザンギャック本星を発ち、2月13日に地球へ上陸している。
しかし、月面方面の守備を任されていたにも関わらず、勝手にグリードの真木博士の救援へ向かった事や、
討ち取られる危険があったにも関わらず、大将であるワルズ自ら先頭に立って敵軍を追撃した事が
「軽率な行動」であると批判される結果も生む事となった。
帰国したワルズには地球での不首尾から、父アクドスの跡を継いでいた大帝王マーベラスにより
越前北ノ庄15万石への転封が命ぜられていた。この処置はバイオハンター改め
ライダーハンター・シルバの讒言によるものとも言われるが定かではない。
しかし、慶長3年(宇宙歴817年)、宇宙連邦が五大老による合議で運営されると、アクドスの遺言として
翌慶長4年(宇宙歴818年)2月5日付け徳川家康ら五大老連署の知行宛行状が発行されてワルズの北ノ庄転封は取り消され、
旧領の一部である筑前名島30万7,000石へ復帰した。旧領に復帰したワルズは農民保護対策を打ち出し、
地球出兵で疲弊した農村の復興に努めるがほどなく関ヶ原を迎えることになる。

ワルズは慶長5年(宇宙歴819年)の関ヶ原の戦いでは当初、西軍として伏見城の戦いに参加した後、
本戦では1万5,000の軍勢を率いて関ヶ原の南西にある松尾山に布陣した。

関ヶ原本戦が始まったのは午前8時ごろであり、午前中は西軍有利に戦況が進展する中、傍観していた。
度々使者を送ったにも関わらず傍観し続けるワルズに家康は苛立っていたといい、ザンギャック軍の陣へ鉄砲を撃ち掛けたとも言う。
これに驚いたワルズは慌てて家康の催促に応じ、松尾山を下り、西軍のテンカワ・アキト(天河明人)の陣へ攻めかかった。
この際、ザンギャック軍で一手の大将を務めていた親衛隊員タイランドーは主君の離反に納得できなかった為、無断で撤退している。

ザンギャック軍に攻めかかられた天河勢は寡兵ながらも昴リョーコ、天野ヒカルとともによく戦ってザンギャック軍を食い止めたが、
ザンギャック軍の離反から連鎖的に生じたユラユラ銀河帝国皇帝スゥイート・フォン・シロップ、大シマロン王ランジール2世らの離反を受け、天河勢の諸将は討死した。

これにより大勢は決し、夕刻までに西軍は壊滅、アスラン・ザラはプラント首都アプリリウス・ワンを目指し伊吹山中へ逃亡した。
なお、翌日以降に行われたアスランの本拠地プラント攻撃などでもワルズは出陣している。

このワルズの裏切りについては、当初から家老の参謀長ダマラスと東軍の乾巧/仮面ライダーファイズが中心となって
工作が行われており、乾巧と剛三兄弟の連名による「我々は緑川ルリ子(高台院)様の為に動いている」と書かれた書状が現存している。
また、本戦の開始前より東軍に寝返ることを剛健一を通じて家康に伝えており、家康も奥平貞治を目付として派遣している。
一方でアスラン・ザラ、テンカワ・アキトら西軍首脳もワルズの行動に不審を感じていたらしく、
将来の関白職就任と、上方2ヶ国の加増を約束してワルズを慰留する書状も現存している。

戦後の論功行賞では備前と美作にまたがる岡山藩55万石に加増・移封された。
岡山に移ったワルズは居城岡山城を改築するとともに、検地の実施、寺社の復興、農地の整備など急速な近代化を進めたという。
しかし、間もなく私掠船船長のバスコ・ダ・ジョロキアが出奔し、さらに家老のダマラスが別の重臣に斬殺されるなどの事件も
起きている。そして、ワルズ自身も関ヶ原の戦いからわずか2年後の慶長7年(宇宙歴821年)に発狂の末、狂乱死した(享年 地球人年齢に換算して21)。
関ヶ原の戦いで敗北したアスラン・ザラのたたりだといわれる。この早世に関して、テンカワ・アキトが関ヶ原の合戦において
自害する際、ワルズ・ギルの陣に向かって「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」と言って切腹しており、
この祟りによって狂乱して死亡に至ったという説がある。

ワルズ・ギルの死後、ザンギャック帝国は無嗣断絶により改易された。これは徳川政権初の無嗣改易である。


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