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        大  聖  人  門  下  掲  示  板

1  御遺文関係は此方で  (Res : 115)

1名前:管理者 投稿日:2003/11/12(水) 21:46  
便宜上、このスレッドを立ち上げました。
96名前:直人 投稿日:2004/04/24(土) 05:34  
自己レス

>「本門寺の本尊造立記文相伝別に之有り」

 日尊上人がこう云われたのは日興上人から本門寺本尊造立に関する教示
を受けたからではないだろうか。とすれば、当然、日興上人在世の時代には
本門戒壇之大御本尊など存在しなかったことになる。
 「久成釈迦造立の事」は造仏について触れられており、日興上人は「広宣
流布の時分まで大曼荼羅を安置し奉る」(宗全2-419)と云い、日尊上人は
宗祖在世の時代に造立された二つの仏像(富木常忍・浄妙比丘尼)を「略本
尊」(宗全2-420)とした上で、「但し本門寺の本尊造立記文相伝別に之有り」
と述べている。「久成釈迦造立の事」全体から察せば広宣流布のときに造立
される御本尊は一尊四士のような仏像であったかもしれない。日順師・日代師
に同様の思想が見られることがそれを裏づけているように思える。察して云え
ば「本門寺の本尊造立記文相伝別に之有り」とはどの大曼荼羅を設計図とし
て造立されるべきかについて記されていたものかもしれない。
97名前:川蝉 投稿日:2004/04/24(土) 11:40  
直人さん今日は。

>日尊上人が御本尊書写をしなかったのであれば日大師は何を拠り
>どころとして御本尊書写をしたのか気になるところです。

日尊上人より「付法の弟子なら書写してよい」との教示を受けていたこと、日尊制作の本尊の印版が手元になかったことから、御本尊書写をされたとも推測出来ますね。

日尊制作の本尊の印版は、日尊上人が建てられた上行院を継いだ日伊上人の手元に保管されていたのであろうと推測出来ます。系図によると、日大上人は住本寺祖ですので、手元に日尊制作の本尊の印版が手元になかったのでしょう。

>「本門寺の本尊造立記文相伝別に之有り」

興門には、本尊造立ついての何かの相伝が残っていたようですね。
『宗学全書第二巻・410頁5行目から8行』を見ると、
上行院の日伊上人が日代上人(西山本門寺)に

「伝わっている話によると、大聖人の御記文に、帝王が崇敬し本門寺が建立される前には仏像造立してはいけないとあり、また故上人(日興)も同じ見解であるとの事だが、事実そうした記文が伝えられているのなら、記文の文面を教えて頂きたい」旨を依頼した事が分かります。

この「日代上人に遣す状」も、「本門寺の本尊造立記文相伝」のような物が有ったことを示していますね。

直人さんの云われるように、
「本門寺の本尊造立記文」と云われる物には
国主が帰依したさ建立される本門寺の本尊は、一尊四士像か曼荼羅の木像化であることを記していたいたようですね。
98名前:直人 投稿日:2004/04/24(土) 19:41  
川蝉さん、こんばんは。

>御本尊書写をされたとも推測出来ますね。

 私も川蝉さんと同じように考えています。

>上行院の日伊上人が日代上人(西山本門寺)

 これは釈迦立像・十大弟子像の寄進をめぐっての質疑ですね。西山で思い出し
ましたが、西山には「円融大曼荼羅口決」という御本尊書写に関する相伝書があ
るようです。これは『本尊論資料』『富士学林教科書研究教学書』にも載っておらず、
如何なる内容かは私にはわかりませんが、西山の「円融大曼荼羅口決」と云い、
大石寺の「御本尊七箇相承」と云い(西山は「御本尊七箇相承」を「円融大曼荼羅
口決」の換骨奪胎と云いますが)、尊門では尊師実録に「本尊書写の事」があり、
上代興門には御本尊書写に関する何らかの伝承があったものかもしれませんね。
 「御本尊七箇相承」には宗祖本仏思想が見られますから、後代の偽書であること
は明らかですが、偽文書と云ってもイキナリ作れるわけではないでしょうから、上代
興門には御本尊書写に関する何らかの伝承があり、その発展として「御本尊七箇
相承」といった本尊相伝書が成立していったものかもしれませんね。
 実際、興門諸師の書写本尊を見たとき、首題の直下の「日蓮」「日蓮在御判」「日蓮
聖人」は別としても、大体は同じように御本尊を書写しているようです。(小泉久遠寺
蔵・日郷上人書写本尊は他の興門諸師と比べてシンプルすぎますが)
99名前:空き缶 投稿日:2004/05/08(土) 13:35  

 實成寺に確認しました。

 日尊師は生涯、曼荼羅御本尊は書かれなかったそうです。したがいまして、実録の記述どおりのようです。
 「日蓮宗の本山めぐり」の記述は正しくないようです。
 聴講見聞録につきましても、現在は實成寺には無く「西のほうのお寺」にあると伝わっているそうです。
 「西のほうのお寺」がどこの寺院かは不明です。
100名前:直人 投稿日:2004/05/08(土) 19:50  
空き缶さん

 わざわざありがとうございます。それにしても「>「日蓮宗の本山めぐり」の記述は
正しくない」とのこと、本山会は何をもとにこう書いたんでしょう。もう少し忠実に調
べて欲しかったと思います。
101名前:慎之輔 投稿日:2004/05/10(月) 06:43  
もうじき12日は伊豆法難会ですね。
ところで、船守弥三郎許御書に出てくる地頭の伊東氏と弁度御消息に出てくる
伊東八郎左衛門とは同一人物でしょうか?日蓮宗事典には同一と見る考えと
伊東八郎左衛門祐光と朝高と別の人物と考えるものと2説あるようですが、
吾妻鏡など見ますと同名の八郎左衛門が祐光、祐兼、朝高と3名いるようです
弁殿御消息に出てくる伊東八郎左衛門は信濃守なので祐光で間違いないと
思います。しかし、どうも同一人物というのは無理があるような気がします。
102名前:管理者 投稿日:2004/05/10(月) 13:42  
慎之輔さん、今日は。
>伊東の八郎左衛門
について以下、大川善男先生の未定稿論文に

 その信濃守朝高のことにしても『御書略注』では「工藤祐経─印東大和守祐時─伊東信濃守朝高」と説いているが、真実は「工藤祐経─伊東大和守祐時─工藤信濃守祐光─工藤八郎四郎朝高」である。そして、吾妻鏡の康久元年(建長八年)正月四日・九日・十三日条に、平左右衛門尉頼綱等と的始めの射手として工藤八郎四郎朝高の名が見える。
  《11》
 いわゆる、建治二年の『弁殿御消息』に「伊東の八郎左衛門、今は信濃守……」というのは、工藤祐光のことなのであるが、それを伊東八郎左衛門朝高といっているのは『注画讃』以降の所伝なのである。
103名前:慎之輔 投稿日:2004/05/10(月) 18:57  
管理人さんおひさしぶり(^○^)
信濃守が八郎左衛門祐光というのは吾妻鏡や伊東家系図、仁科?系図からも
間違いないようです。実は吾妻鏡のサイトや工藤、伊東家関連のサイトで
調べました。原図は見ていませんが、あだ討ちで有名な曽我兄弟も縁者なのですね。
工藤祐経の兄弟が祐親でその子が、祐通、祐泰(曽我兄弟の父)祐清の兄弟
祐清の子が祐光(信濃守)その子が祐兼、または朝高で、僕の見た資料では
朝高では無くて祐兼が登場していました。工藤祐経は源頼朝についていたので
北条泰時や政子が政権をとった後では工藤祐経の家系が身内人となり信濃の守
になることは不可能であろうと思いますがどうでしょう?
祐経は1198年に名前が上がっており、この時17歳であれば1261年の
時には78歳、ましてや弁殿御消息の時点では年をとりすぎているような気も
しないではありませんが、どうも今ひとつわかりません。
でも、もし伊東八郎左衛門が船守と弁殿の同一人物であるならば、立像仏を
御聖人はなぜ生涯大切にされたのでしょうか?
私には弁殿御消息の伊東八郎左衛門と船守弥三郎許御書の地頭の伊東は別人だと
思うのですが?
(なんか脈絡がなくてすいません<(_ _)>)

また、伊東家はもともと工藤氏で曽我兄弟のあだ討ちは親族の不動産をめぐる
争いが発端ですね。歴史研究家の中には曽我兄弟のバックに北条氏がいると
考えていられる方も多いようです。余談
104名前:慎之輔 投稿日:2004/05/10(月) 19:05  
訂正
>祐経は1198年に名前が上がっており、この時17歳であれば1261年の
祐光ですね。
ようは富士の裾野で打たれた工藤祐経の直系が伊東の地頭にはなりえないと
思います。地頭の伊東氏がご聖人を庇護できたのも北条氏の身内人であった
からだと思います。
105名前:管理者 投稿日:2004/05/11(火) 10:26  
皆さん、お早う御座います。

慎之輔さん、お早う御座います。
追記
>伊東の八郎左衛門
に就いて、山川智應先生の「日蓮聖人伝十講」に伊東八郎左衛門祐光と発表されてます。聯盟も「伝十講」の説を取り入れてます。
大川先生の説を紹介したのは、古文書学の専門家の説ではどの様なお考えかを書いたまで、で

 大川先生>>102 の前の方の頁に

【玉沢手鑑】では「日昭師が藤原北家・摂家流の近衛家猶子だから」。
【御書略註】では「日昭師の父印東二郎左衛門尉祐昭が大職冠藤原鎌足の末裔だから」。
ということである。確かにイトウ(伊東)氏の先祖は鎌足で、藤原南家・工藤支流である。だが、印東氏は平姓であって藤原姓ではない。しかし、既説においては「印東」を「イトウ」と読ませて虚妄を働かせている。そうしたことは、下総国印旛郡内の埴生庄や印東庄、或いは葛飾群の平賀郷の領知関係を追求すれば解明できるのである。そのことは、総州における金沢北条氏の領知関係と、千葉氏族と金沢北条氏との血縁関係を追求すれば解ることである。
 いわゆる、昭師の伝説に係る諸説は、全て創作であって史実ではない。

-----------------------------------------
で、「イトウ(伊東)氏の先祖は鎌足で、藤原南家・工藤支流」等、ご参考まで。

六老僧・門下等の一代記等、門派・門流の脚色された物を、改めて研究の余地が有るのではないでしょうか。
106名前:川蝉 投稿日:2004/05/11(火) 14:27  
宗祖の祈願で病悩が癒えたのは伊東朝高と、漠然とインプットしていました。朝高でなく祐光だったんですね。

103 慎之輔さんが
>もし伊東八郎左衛門が船守と弁殿の同一人物であるならば、立像
>仏を御聖人はなぜ生涯大切にされたのでしょうか?

と云われていますが、感情的には、伊東八郎左衛門が、宗祖の教化を受け、生涯妙法の信仰を続けた人で有って欲しかったですね。
後で妙法に背いた伊東八郎左衛門から、貰った釈尊像では何だか有り難みが、その分だけ減るような・・。

鎌倉龍口寺の新倉貫主さん著「日蓮聖人伝百話」を見ましたら、
海中出現の釈尊像に言及している「船守弥三郎許御書」は、真蹟不伝で、「文体的にも、内容的にも、疑問点が多い」(126頁)
とし、さらに
「冨士門流所に伝わる『五人所破抄』に、「日蓮聖人所持の釈尊像は弘長配流(伊豆流罪)の昔、これを刻み、弘安帰寂の日も随身せり。と記している(取意)」と言及しています。

新倉貫主さんが「五人所破抄」は、室町初期の建武年間(1334〜8)頃に成立していたと考えられるとしています。
祖滅50年ごろには海中出現の伝承がなかったことになりますね。
海中出現を記す「船守弥三郎許御書」は「御遺文辞典歴史編」に依ると、「祖滅300年ごろの本満寺御書に初めて名称が出てくる御書で、身延期の御書を下地にしたものでないか」と、解説しています。
とすると、本当は海中出現の像でなく日蓮聖人が自ら刻まれた釈尊像であったという可能性が大ということになりますね。

むかしに読んだ物語風な祖伝は鵜呑みにできないなと云う感じです。
107名前:慎之輔 投稿日:2004/05/11(火) 19:23  
川蝉さん、管理人さん御教授ありがとうございます。
海中出現の仏像を大事にされたのがどうも気にかかっておりました。
不受不施の考えからいっても退転された人からもらった仏像では、
おかしいと思っておりました。しかし、伊東氏が後に退転した人で
あったとしても、ご聖人を庇護された一時は心に仏界があったとい
っても良いのではと思います。例え史実がどのようなものであれ
未必の殺意をもって伊豆に流されたご聖人が助からなかったら、
今、私たちは教えにめぐり合うことはなかったわけですから、船守
弥三郎や地頭の行為に感謝いたしたいと思います。
108名前:初心者 投稿日:2012/04/09(月) 01:25:33  
あわわ・・・、書き込むスレを間違えてしまいました。
慌てて真言宗関係のスレに投稿してしまいました。なにとぞご容赦を。

改めまして御遺文関係のスレッドで質問させていただきます。

日蓮宗寺院の檀家で、日々読経唱題をさせていただいている一般信徒です。

日蓮聖人の御遺文『上野尼御前御返事』を、お勤めの際に読み上げる御妙判に加えたいと思うのですが、
漢字の読み方がわからない箇所があるので、ご教示いただければと思います。その箇所は、

「或いは前花後果と申して花は前に果は後なり。或いは前果後花と申して果は前に花は後なり。
或いは一花多果、或いは多花一果、或いは無花有果と品々に候えども蓮華と申す花は果と花と同時なり」

の部分です。意味についてはもちろん分かるのですが、勤行の際に唱えるものなので、
読み上げ方に間違いがあってはならないと思い、法明教会様の掲示板でこの部分の読み方をお尋ねいたします。

どうぞよろしくお願い致します。
109名前:管理者 投稿日:2012/04/09(月) 12:59:22  
初心者さんへ
初めまして、管理人の上田です。
読み方の部分がどこなのか、お書きになってないので全部をルビーふります。

上野尼御前御返事 弘安四年十一月十五日

「或(ある)いは前花後果(ぜんけごか)と申(もう)して花は前(さき)に果(み)は後(のち)なり。或いは前果後花(ぜんかごけ)と申して果(み)は前(さき)に花(はな)は後(のち)なり。
或いは一花多果(いっけたか)、或いは多花一果(たけいっか)、或いは無花有果(むけうか)と種々(しゅじゅ)に候(そうら)へども蓮華と申す花は果(み)と花と同時(どうじ)なり」
です。同じ単語はルビーを省略しました。

所で、もう直ぐ電子書籍版の御遺文が完成します。
そのソフト並びに御遺文の正誤・脱字等のスレッドを別に設けます。
お知恵をお貸し下さい。

また気楽にお越し下さい。
110名前:108 投稿日:2012/04/10(火) 21:27:29  
>>109
管理者様、

初心者です。
早速のご回答、誠に有り難うございます。

「上野尼御前御返事」については、是非読み上げたい御遺文だったので、
おかげさまで、これで安心して勤行の際にお唱えすることが出来ます。
本当に有り難うございます。

>所で、もう直ぐ電子書籍版の御遺文が完成します。
>そのソフト並びに御遺文の正誤・脱字等のスレッドを別に設けます。
>お知恵をお貸し下さい。

非常に楽しみな話です。
浅学非才の私ではありますが、是非お手伝いさせていただきたいと思います。
今後ともよろしくお願い致します。

有り難うございました。
111名前:日蓮信者 投稿日:2012/08/18(土) 16:59:24  
ヤフーオークションで日蓮と検索すると書籍、仏像と並んで曼荼羅が多く出品されています。多くは江戸時代や明治以降の先師の曼荼羅、或は木版が多いのですが、希に、題目の下に「日蓮」の署名、花押入りの物が出品されています。
多くは、立正安国会のご本尊目録の123幅と比べて明らかにまがい物と思われるものが多いのですが、希に123幅と別の日だけれども書体はそっくりの物が出る場合が有ります。それらの多くとは別に、6月から1億円の価格で出品されているものが有り
落札が無いため延長されています。
現在は明日、終了 http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/162992847
立正安国会 24番本尊 静岡 妙立寺所蔵の本尊と全くウリ二つです。

考えられるのは、本物が売りに出された(考えにくいですが…。)
本物が盗まれた。
古い時期に本物を横に模写が行われたものが有った などですが。

イロイロ考えている内にあちこちで話題、問題となり24番所蔵の妙立寺の貫主は
オークション出品も盗難も否定しているようです。

http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/10282984.html
http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/2012-07.html?p=3#20120704
112名前:管理者 投稿日:2012/08/19(日) 08:13:23  
>>111
日蓮信者さん、情報ありがとうございます。
日蓮聖人の偽御真筆は江戸時代に盛んに造られたようです。
今回のヤフーオークションの写真は、真偽未決でしょうが本物と瓜二つ。
もし本物だとしたら大問題です。今後の調査に期待します。
113名前:日蓮信者 投稿日:2012/08/20(月) 22:18:35  
管理人様、有難うございます。

偽御真筆が江戸時代に盛んだったのは、知りませんでした。

一部の本尊(通称、万年救護の本尊)のように版木が造られて
木版画が出回ったような物を除くと日蓮署名、花押のある曼荼羅も
立正安国会の123幅の写真でその相貌を伺い知ることの出来る現代では、
すぐに贋作で有ることが判るくらい似ていないものが多いように
思います。
ただ年中、ヤフオクを見ていると、稀に「むむ、これはっ…」と思う
特徴の似ているものが有ります。
これらの何幅かは真筆か現在は真筆自体が失われた、かって存在した
真筆を横に置いて模写したものでは在るまいかと思わせられるものが
存在します。
これらは中尾先生の云うように文字ではなく紙で判断するのが正しい
鑑定であるのかも知れません。

尚、ヤフオクに出てくる諸先師の曼荼羅の体裁はいろいろパターンが
違っているので、日蓮聖人の曼荼羅の体裁は今の私たちのように写真で
見ることの出来なかった時代では数々のパターンが存在しています。

そういった時代の曼荼羅はおそらく身近な師僧の曼荼羅を真似ていただけの
ように思われます。
中央の題目の下に直接、自身の署名、花押を記したもの有り
題目の下に日蓮 在御判と記し脇に自身の署名、花押のもの有り
題目の下に日蓮大菩薩と記し脇に自身の署名、花押のもの有り
題目の下に自身の門流の先師名、自身の諸名、花王のもの 等々
本当に種類が豊富ですが、いろいろ見ていると各門流毎の相伝のようなものが
存在したのかも知れません。

(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
114名前:常修院二番弟子 投稿日:2014/09/13(土) 12:40:27  
本門戒壇の大御本尊に対し、間違いな解釈が横行してます。
下のサイトで勉強が必要です。
エイチティティピー://zyoushuin2.web.fc2.com
115名前:日査 投稿日:2016/11/27(日) 02:46:25  
「はちす文庫」
『石山(せきざん)本尊の研究』京都要法寺僧侶 柳澤宏道編著
file:///C:/Users/ISMS/Downloads/石山本尊の研究-01.pdf
特に、三十三~三十四ページを読んで下さい。

を、ご参考に。
名前
E-mail(省略OK)
内容

2  神を祀るということ  (Res : 38)

1名前:金星 投稿日:2004/05/16(日) 18:22  
日蓮聖人は、天照や八幡神などにたいして、
「これは法華経を守護するという誓いを立てたのに、
日蓮を守護しないとは」と仰せになっています。
つまり、天部はもとより日本の神々についても、
彼らは法華行者を守護しなくてはならない、とのことです。

ここまではわかるのですが・・・

どうして日蓮門下の者が、例えば稲荷や鬼子母神等に対して給仕し、
また彼らに対して唱題するということになるのでしょうか。
原理的には、逆ではないんでしょうか?
そのあたりの「根拠」というものがよくわからないのです。

・・・と言うと、創価学会からの論難のように受け取られても困るのですが、
僕は創価ではなくて、単称日蓮宗の流れにある者です。
馬鹿馬鹿しい疑問かも知れませんが、よろしく御願いします。
19名前:空き缶 投稿日:2004/05/21(金) 00:50  

 金星さん、はじめまして。

 金星さんの思想は、かなり創価思想的ですね。

 そちらの寺院で出家されるより、創価学会に入会された方が幸せかもしれませんね。

 私は現在某掲示板にて、創価学会員と思われる人物と論争していますが、「身延は鬼子母神があるから謗法だ」の繰り返しであり、「鬼子母神を祭ることが自体が謗法であるとする文証を出して下さい」との私の問いかけに、「文証も何も鬼子母神があるという現証そのものが謗法である動かぬ証拠だ」とのわけのわからない反論をする方です。
 学会員に多いのは学会系の出版物だけで全てを判断し、自分達が批判対象としている宗派や団体の出版物にはほとんど目も通していないということです。

 直人さんなどは、大石寺の出版物で大石寺教学の批判を完璧に仕上げてしまいます。
 学会員にも身延の批判を、身延系の出版物だけでやってみていただきたいものです。
 
 いつのまにか学会批判のようになってしまいましたが、あまりにも現在私が論争中の方と、似た主張がみられたため気になってしまいました。
 これにて失礼します。
20名前:金星 投稿日:2004/05/21(金) 01:29  
あの、鬼子母神様等をお祀りすることは否定してませんよ?

僕の疑問は、
●大曼荼羅本尊が本堂の脇におしやられ、信者がそれに目もくれない状況
●題目は仏法をきちんと学んだものに対してではなく、無知な者に対するものという論旨
●祈祷と因縁切りで法外な値段を取り、それが中心的な仕事になっていること
という点についての某寺院への疑念と、
●一尊四士像が秘仏とされている状況(これは新事実ですが)
がよくあることなのかどうかという疑問、
こういうことです。
これって創価的ですか?

僕は教学には疎いですから、法論なんてとてもできませんが、
純粋な疑惑・疑念として思いついただけです。

そう言えば昔、ちょっとした議論をする中で「エホバ」のレッテルを貼られて、
さんざん誹謗中傷されたことがありますよ。
嫌なことを思い出してしまいました。
21名前:金星 投稿日:2004/05/21(金) 01:45  
とは言え、無学を顧みずに色々と書き連ねたことは反省いたします。
不快感を与えてしまったこともお詫び致します。

もう少し色々と勉強・経験をしてから、意見は主張すべきですよね。
そうでないと、自分の言葉にも責任というものがもてないですし。
申し訳ありませんでした。
22名前:慎之輔 投稿日:2004/05/21(金) 02:37  
空き缶さんこんばんは、金星さんは学会ではありませんよ。むしろ真言と縁が深い 爆
また、一連の疑問、発言は当然のことでこれを学会と即結びつけるのは
空き缶さんの中である種の二元論的な反学会対学会というような考えが
支配してきているのではありませんか?人間だけでなく宗教団体とか組織
にも十界互具があり、いろいろな部分があると思いますから。
また、金星さんも18番の発言のみとるとそうとも取られかねないですね。笑
宗派のことはわかりませんが、管理人さんが7番でおっしゃっているように
>大聖人の御本尊は、大曼荼羅御本尊1幅です。
>略式は、一尊四士像・一塔両尊本尊を本尊として勧請しております。
これが通常の日蓮宗の寺院だと思います。
他の諸天神は本尊ではありません。金星さんも一つことに熱中されるタイプ
だとお見受けしますので常に一念三千、十界互具を忘れずにいきましょう。
空き缶さん、金星さんえらそうな事を書きましてごめんなさい。
23名前:通りすがり 投稿日:2004/05/21(金) 09:21  
金星さんはじめまして

因縁切り、除霊等はまったくの民間信仰であり、これらの行為の源泉を法華経・真筆御書に求める事は不可能です。
高額のお布施を要求する祈祷にいたっては、日蓮聖人の教義に無縁なばかりではなく、宗教的に無知な信者の恐怖心を煽り、金銭を脅し取るものであり、その行為は社会悪そのものです。

金星さんが、こちらで書かれているお悩みは、純粋な法華・日蓮聖人信仰を求めている金星さんと、現実の日蓮宗寺院内での信仰のギャップにあるように思います。
通りすがりの私が言うような事ではありませんが、なにも出家などしなくてもよいのではないでしょうか。特定の宗派に属さなくとも、個人でも信仰は出来ます。所詮、信心は常にその個々人の行体にかかっていると私は考えております。
24名前:空き缶 投稿日:2004/05/21(金) 11:56  

金星さん、失礼なカキコになってしまいすみませんでした。
 慎之輔さん、ご助言ありがとうございます。

 私は、正信会や創価学会にも沢山の友人がおり、御講や座談会にも参加させていただくことが多いのです。
 決して創価学会だからどうということはないのですが、最近素直でない創価学会員の方と論争中でチョッと疲れ気味だったかもしれません。

 有意義な語らいに水を差すようなことになってしまい、重ね重ね申し訳ありませんでした。
25名前:慎之輔 投稿日:2004/05/21(金) 16:42  
今日は台風一過で良いお天気です。少し暑い。
空き缶さん、そんなに気にされなくて大丈夫ですよ。掲示板の発言と
いうのは難しいですね。お会いして話しているのと違い、文字で考えや
思いを伝えないといけませんからね。出版と違い再考する時間もないの
で僕もいつも失敗です。今後ともご意見をお願いいたします。
って、管理人さんでもないのにでかい口を!<(_ _)>
26名前:あのう・・・ 投稿日:2004/05/21(金) 22:03  
穿った見方をすれば、一つの特殊な形態の寺院を例にして
日蓮宗全体がそうであるかのような書き込みに見えない事もありません。
その点が空き缶さんも気になったのではないでしょうか。
私の菩提寺(日蓮宗)はそのような様相はかけらも呈しておりませんし
所詮特殊はどこまで行っても特殊です。良い事は模倣し納得できない事は
反面教師にしながら真の日蓮仏法のなんたるかを学習し精進していきましょう。
と、横からすいませんが書き込んでみます。
27名前:金星 投稿日:2004/05/21(金) 22:15  
某寺院への疑念、とちゃんと書いているつもりですが・・・

地方や各々の伝統に基づく特殊はいいのですが、
どこまで行ったら「行き過ぎ」なんかな、なんて。
それを考えただけです・・・
拝み屋といわれる一部の寺院って、
日蓮宗内ではどう思われているのかもわかんないですし、
僕自身、やるなら少なくとも、
宗祖日蓮聖人の教えに背くことだけはしたくないと、
そう考えて、色々と目の前の事実を考えていただけです。

申し訳なかったです。
28名前:ぽん州 投稿日:2004/05/22(土) 00:37  
皆さん こんばんは。

ちょっと話からずれますが、金星さんと あのう・・・さんの書き込みで
「日蓮仏法」という言葉がありますが、 これを使うのは 日蓮本仏の
教団ではないですか。 もちろん 日蓮宗にも おそっさま信仰 と
いうのがありますが 「日蓮仏法」とは言わないはずです。
最近 創価何とかが 日蓮宗教学を盗み取っているような気がするのですが
反対に 日蓮宗の信者が 創価用語を平然と使われているようで 心配です。
29名前:直人 投稿日:2004/05/22(土) 01:01  
ぽん州さん、こんばんは。

>「日蓮仏法」という言葉がありますが、 これを使うのは日蓮本仏の教団

 宗祖が云われるところの仏法は釈尊から相承したものですから「日蓮仏法」というのは相
応しくありませんね。創価学会などでは釈尊を脱仏とし宗祖を本仏としますので「釈迦仏法」
「日蓮仏法」と使い分けていますね。

>創価何とかが 日蓮宗教学を盗み取っているような気がするのですが

 気のせいではなく、その通りでしょう。血脈断絶説なんかは安永弁哲氏がかつて『板本尊
偽作論』で展開しましたが、確か創価学会は弁護団を組んで時の大石寺貫首・水谷日昇師
を原告として訴えたことがあります。それが、破門になると安永氏がかつて主張した血脈断
絶説をそのまま用いて大石寺を批判しています。
 私は未見ですが日蓮宗は『創価学会批判』という書を昭和30年頃に出しています。その後、
創価学会から『創価学会批判の妄説を破す』というのが出ていますが、『創価学会批判の妄
説を破す』を見る限り、創価学会の大石寺批判は日蓮宗が出した『創価学会批判』とほとんど
同じですね。
30名前:ぽん州 投稿日:2004/05/22(土) 01:03  
慎之輔さん こんばんは。
>侵入を検知すると遮断しますからノートンやバスターなど
>はお使いですか?

アンチウイルスとファイアーウオールを入れてます。 其の性でしょうね。
もとい そのせいでしょうね。 それと webサーバーをシャットダウンして
書き込んでいます。 スレに関係ない話ばかりですみません。
31名前:ぽん州 投稿日:2004/05/22(土) 01:05  
直人さん こんばんは。

いつも直人さんの書き込みで頭をリフレッシュさせていただいています。
これからも宜しく ご教示ください。
32名前:あのう・・・ 投稿日:2004/05/22(土) 08:55  
>「日蓮仏法」という言葉がありますが、 これを使うのは日蓮本仏の教団

おはようございます。
言われてみればその通りで、軽率な語彙の使用を深く反省致します。
そういう点もこうして指摘して頂けるとありがたいです。
今後ともしっかり勉強させて頂きます。
33名前:金星 投稿日:2004/05/22(土) 10:43  
日蓮仏法・・・って、創価用語(正宗用語?)ですね。
無意識に使っていました・・・。

気をつけてるんだけど、やはり日頃耳にしている単語は、
クチから出てしまいますね。
ネット世界で創価用語のシャワーを浴びていますから・・・
あと、僕の場合は友達に創価、親戚に正宗の人がいますから・・・

それはそうと、日蓮大聖人というふうにお呼びしたいのですが、
そう言うと創価だと思われてしまう今日この頃、
言葉遣いはなかなか難しいものですね。
34名前:通りすがり 投稿日:2004/05/22(土) 22:07  
日蓮宗寺院で行なわれている「因縁切り」、「除霊」、法外なお布施を要求する「祈祷」については何のご意見も無いのですか、掲示板にご参加のみなさん。
私にはすこぶる異常な宗教行事に思えますが。

石山系(創価、顕正含む)の宗旨・教学の見解には敏感に反応して批判をしていらっしゃいますが、日蓮宗内の問題については見なかった事にしているように感じます。

どうなのでしょうね、管理人さん、川蝉さん。
上記の行為は、正当な日蓮宗の宗義に則った宗教行事なのでしょうか。また、「因縁切り」、「除霊」等に根拠はあるのでしょうか。
35名前:慎之輔 投稿日:2004/05/22(土) 22:28  
通りすがり さん、別スレッドをお立てになったらどうですか?
当初の金星さんの個人的な特殊な寺院のケースの話題とはそれてきてお
ります。また、ハンドルが何度も登場なさるのには合わない感じがしま
すね。お直しになられたらいがですか?遠慮なさらずに別スレをどうぞ。
36名前:空き缶 投稿日:2004/05/23(日) 11:09  

石山系に敏感に反応してしまうのは、管理人さんや川蝉さんではなく、私では。。。

 他所での因縁があり、どうしてもそうなってしまいます。今後気をつけたいと思います。
37名前:今川元真 投稿日:2006/04/09(日) 13:05:00  
法華仏法?
38名前:法华味醂 投稿日:2016/02/29(月) 12:42:03  
这怎么样?
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3  上代の興門流について  (Res : 15)

1名前:史志高 投稿日:2004/11/17(水) 12:35  
管理人様はじめまして。宗門上古の頃の大石寺と重須本門寺の関係はどのような状態だったんでしょうか?
よろしければ御教示を賜りたく存じます。
2名前:直人 投稿日:2004/11/20(土) 20:49  
史志高さん、はじめまして。

 日興上人は正応二年春(日蓮宗では正応元年末)、波木井実長と法義上の確執から身延を離
山して大石寺を建立しました。けれど、日興上人は9年後の永仁六年、重須へ移っています。しか
し、大石寺には永仁六年以降に書写された本尊が32幅あるので、日興上人は重須へ移った後も
大石寺と交流があったことが窺えます。大石寺四代・日道師も重須で学ぶなど初期興門における
中心的拠点は大石寺ではなく、重須であったと云えますね。
 けれど、正慶二年、日興上人が寂し日目師も京都にて寂した後はどうでしょう。興目二師の寂後、
重須は西山と正嫡争いをし、大石寺は目師寂後、七十二年間に渡って郷門と争います。要山日辰
師の時代になると重須と西山の和睦がなろうとしましたが、西山が日代師を加歴することを要求し、
重須が反対したことによって和睦はなりませんでした。
 また、日辰師は日院師に通用を申し入れていますが、日院師は日辰師の《造仏読誦》を批判して
通用を拒否しましたが、大石寺は日主師の時代、相当衰退したようで日主師は要法寺に通用を申
し入れています。日辰師は造仏読誦論者ではあったけれど、仏像を造立していないようです。けれ
ど、日辰師の後継者である日?師は要石通用の六年後、一塔両尊四菩薩像を造立してこれは享保
十五年まで続くわけです。大石寺と通用があった頃の要法寺の本堂には大曼荼羅ではなく、仏像
が安置されていたわけです。
3名前:川蝉 投稿日:2004/11/21(日) 09:34  
すでに直人さんのコメントがあり重複しますが。

「日蓮宗大事典」の「本門寺(西山)」の項に次のような解説がありました。
日代師が西山に移った以後において、重須本門寺は保田の妙本寺と組んで西山や大石寺を攻撃したこともあったようですね。

「あるいは西山が大石寺と結び重須を攻撃し、重須は保田の妙本寺と組んで西山や大石寺を攻撃するなど内訌を繰返し来った。これに対し京都要法寺日辰は弘治二年(一五五六)より永禄二年(一五五九)にわたる間、西山、重須に下ること二度、両者を説いて和融の道を開かんとした。」(日蓮宗大事典)
4名前:史志高 投稿日:2004/11/21(日) 14:29  
直人さんレスご丁寧にありがとうございます。
なるほど・・
 とすると、大石寺と重須の通用は興目上人御遷化の後にほぼなくなっていくということでしょうか。
5名前:直人 投稿日:2004/11/21(日) 19:17  
史志高さん、こんばんは。

 重須で学んだ大石寺歴代は大石寺五代・日行師が最後ですね。『家中抄』に「日興に給仕し兼
ねて法華を習学す。興師滅後の後、目師に随順し常に下之坊に居住す」とあります。それ以後の
大石寺歴代は武州仙波に天台を学びに行き、重須とは交流がなかったようですね。
 その後は川蝉さんがコメントされているように、重須は保田と組み、大石寺は西山と組み互いに
対立してきたわけです。
6名前:史志高 投稿日:2004/11/22(月) 17:39  
直人さん、ありがとうございます。
 興師寂後において、代師がその跡目を相続したとされていますが、「八通の譲り状」を見る限り、正直非常にうさんくさくみえてしまうのは私だけでしょうか?
一人の弟子に対してそこまでするかなあと一人疑問に思っております。
 

>重須は保田と組み、大石寺は西山と組み互いに
>対立してきたわけです

この辺の根拠となる文献を教えて頂けたら幸いです。
7名前:直人 投稿日:2004/11/22(月) 22:58  
史志高さん、こんばんは。

 日代師が日興上人から重須を付属されたのは史実でしょう。これは日蓮宗でも大石寺でも
異論はないはずです。しかし、方便品読不読をめぐって日代は重須から擯出され、そして、建
武元年から以後320余年にわたって重須と西山は正嫡論争をするわけです。この過程で、自
山の正統性を示そうとして重須は『二箇相承書』『與日妙書』を、これに対して西山は『日代置
状』を偽作してきたわけでしょう。日順師の『摧邪立正抄』に『二箇相承書』を指す記述がある
こと、日代師の『目安』、日時師の『大石記』に『日代置状』の記述があることから、それらの相
承書は早くは聖人滅後60年代に成立、80年代には大体出揃っていたでしょう。
 『二箇相承書』は重須が西山に対して自山の正統性を示そうとしたものであって、大石寺と
は何ら関係のない文献ですね。大石寺十四代・日主師は『日興跡条々事示書』の中で「相承
書を以ってのことは他山のことである。大石寺は本門戒壇の大御本尊・譲座本尊を以って唯
授一人の付属とする(趣意)」と云ってますね。
8名前:川蝉 投稿日:2004/11/23(火) 10:49  
史志高さん今日は。

>この辺の根拠となる文献を教えて頂けたら幸いです。

「日蓮宗事典」には具体的な文献資料を挙げられていません。

平楽寺書店刊・執行海秀教授の「日蓮宗教学史」に、文書資料を挙げていませんが、

「室町時代に於ける興門の大勢は・・大石寺は重須本門寺との間に伝統の正潤を争い、日郷門徒の保田妙本寺とは、戒壇の坊地問題でその係争は文明年間に及んだ。
大石寺日有は文明年間、大石寺根本道場、重須隠居説を主張したが、これに対し、重須日浄は保田日安と結んで抗した。
而してあその余塵は大石寺日鎮の代に重須の本門寺号問題となって、重須の日国と争ったのである。
一方、重須は西山との間に本門寺伝統論を争ったが、西山は石山と結び、その確執は天正年間に及んだ。」(136頁)

と記しています。
9名前:史志高 投稿日:2004/12/19(日) 14:44  
レスありがとうございました。いろいろと勉強になります。わからないことだらけで恥ずかしい限りです。
 管理人さん、また他の方々にも御教示願いたいのですが、大石寺六世日時について、どのような人なのか、もし宜しければ資料や伝説その他諸々教えて下さい。
10名前:直人 投稿日:2004/12/20(月) 06:01  
史志高さん、こんにちは。

 日時師の事蹟・伝承は不詳な部分が多いのが現実です。その昔(昭和30年代後半)、大石寺
の教学部が『三大秘法抄』『本因妙抄』の写本に日時本があるという発表をしたようですが、これ
に対して元大石寺僧侶の研究者(興風談所)から否定的見解が出されています。(『興風』14、
『興風叢書』6)
 また、大石寺においては日道師以後、日有師に至る迄の間の歴代の学説については今日の
史料からは直接的に窺がえません。後代の伝承によって類推するほかない、というのが現実で
しょうか。
11名前:史志高 投稿日:2004/12/20(月) 09:52  
直人さんありがとうございます。
日時師について、御影の返還の訴状や、その他にも各末寺の信徒にあたえた曼荼羅本尊が残っているぐらいかと思うのですが、そこからなにか見えてくるものがあるとおもうのです。
例えば、大石寺は道郷72年の係争と言われる「東坊地問題」に端を発し、その後日有師まで疲弊していたという話ですが、日時師の垣間見える動向からはそうでもないのではと思えるのです。
非常に漠然とした意見ですが、いかがでしょうか?
12名前:直人 投稿日:2004/12/22(水) 06:31  
史志高さん、こんにちは。

 今日の日時師の事蹟から「何かが見えてくる」とする何かとはは史志高さんが研鑚して見出して
下さい。史志高さんとは別の観点になりますが、大抵は日有師に至って教学基盤ができる、とする
ようですが私は日時師の時代、ある程度の教学基盤はできていたであろうと考えています。ただ、
日時師の学説を伝える直接の文献が現存しない以上、後代の伝承から推考するしかないというわ
けです。
13名前:名無し 投稿日:2010/06/17(木) 19:21:44  
 日蓮大聖人様は諸宗は無得道・堕地獄の根源、南妙法蓮華経のみ成仏の法なりと折伏され国家権力による死刑を受けられました。 熱原の法華講衆は平左衛門から法華経を捨てて念仏を唱えよとの脅しに屈する事なく自らの命に代えて「南無妙法蓮華経」と唱え答えに替えました。日霑上人は明治政府から身延に合併しろとの命令に身延が大きいから身延に入れという命令例え道端に餓死する事があっても断じて断わると、規模の大小ではなく、法が正しいか間違っているかで判断しなさいと、命を賭けて明治政府に訴えました。全て国家権力に対しての日蓮大聖人様及び弟子の起こした行動です邪宗を絶対認めない姿勢が伺えます しかし戦時中の大石寺は軍の圧力に屈して邪宗の神札を受取り境内に神棚を祭ってしまいました。その現罰で法主は寺の火災で焼死しました、その後も、援交や強姦などて゛僧侶の逮捕者がでたり遺骨問題で寺側が完全敗訴など罰は続きます。
14名前:ななす 投稿日:2010/07/05(月) 20:31:58  
いつも大変お世話になっております
15名前:常修院二番弟子 投稿日:2014/09/13(土) 12:44:39  
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↗︎↗︎
こちらで、本門戒壇の大御本尊が正しい事を確認しましょう。
名前
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内容

4  御本尊のご開眼について  (Res : 74)

1名前:慎之輔 投稿日:2004/03/27(土) 10:50  
教えてください。昨年、私は一之江にて佐渡始顕の御本尊を
いただきました。その時のご開眼式では自分の名前を大曼荼羅
の中に書き入れていただきましたが、日蓮宗のお寺においても
同じくご開眼式で授与される御本尊には名前をいれていただく
のでしょうか?
自分の名前が入る事は非常に重要な事で、一念三千の一員と
なっていく感じがいたします。
55名前:顕正居士 投稿日:2005/05/24(火) 14:10:34  
ところで「体用」の「体」を「実体」と理解すると、「体用論」は全く非仏教的なものにみえます。
仏教、特に大乗仏教は現象の背後にあって、永遠に不変である実体というものの存在を認めません。
「体用」が中国ではどういう意味に使われるのか、中国社会科学院の蒙培元教授はこう解説します。

「中国哲学も「本体論」をいうが、西洋哲学とは非常に大きな相違がある。西洋哲学のいう「本体」
とは「実体」である。これは哲学において最後に要請されるものである。中国哲学のいう「本体」
も要請されるものではある。しかしそれは「実体」ではなく、「本源的なもの」あるいは「潜在
的なもの」である。なんらかの創造や発展の可能性であって、それが実現して作用、効能となる。
これがつまり中国哲学の「体用観」である」(『実体と境界』)
別の文章では「心に体用有り、未発の前は是れ心の体、已発の際は是れ心の用なり」(朱子語類)
を実例であるとします。
http://www.confucius2000.com/poetry/shtyjj.htm

さて、曼荼羅の中尊と釈迦仏について「体用本迹」を述べた御抄があります。『諸法実相抄』です。

「妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」
「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」

「法身五道に流転するを名けて衆生と曰ふ」(不増不減経)ので、中尊を仏と解すると、それは
法身の意味ですから、理即の仏である衆生のことにもなります。「体」とは「潜在的なもの」を
いうから、凡夫のほうが「体」であり、仏のほうが「用」です。そして「体」が本、「用」が迹
です(体用本迹)。「五百塵点は迹仏の寿命、森羅万像は本仏の寿命」(文句略大綱私見聞)。
しかし凡夫がほんものの仏であるとか、釈迦仏よりもえらい仏だといっているのではありません。
56名前:川蝉 投稿日:2005/05/24(火) 14:42:32  
顕正居士さん今日は。

「四に體用に約して本迹を明かすとは。昔最初に修行し理に契ふに由り、法身を證するを本と為す。」

「六重本迹」の中の
「理事本迹」や「理教本迹」の場合は、「本」は「無住の理」「本時の実相真諦」「実相の真本」と説明されているので、「理法」を指していますが、
體用本迹の場合の「本」とは、
「修行し理に契ふ」「法身を證する」身ということですから、慈悲救済の念熱い人格的仏身(報身的)を指して「本」としていると思います。

「初に得る法身本なる故に」とありますが、ここに云う「法身」とは、人格的仏身(報身的)を指していると思います。
法身は真如実相の理をも指しますが、涅槃経では、悟りを開き(真如を悟り)常住不滅金剛不壊の身となった仏身をも法身と表現しています。この用例に順じて、一分中道を証悟した菩薩を「法身の大士」とか「法身の菩薩」と云う用例もあるわけです。

このように體用本迹を理解して、綱要の日導上人や茂田井教亨師は、中央題目を「本」(体の三身本仏・本体仏)とし右側の釈尊を「迹」に配当したのだと思われます。


凡夫が仏の教の媒介なしに直接に実相真如を証悟して行くことはできません。故に単なる法身としての実相真如の理法は本尊と成り得ません。

山川智応居士の以下の解説をなるほどなと納得しています。
「最初に覚った仏と法とは不二一体のものである。能覚の内容を能説の根本原理として、一言に説き顕したのが南無妙法蓮華経の五字七字であるから、本尊問答抄に云うところの法本尊とは、決して本有の理乗二法を云うのではなくて、覚法の直潟たる根本教法、神力別付の結要の大法を指している。神力結要の題目は本仏の御覚り一念三千の結論、根本教法で、本仏の心であるから、名は法で体は本仏の覚りである。すなわち『名法体仏』である。
これに対して、報恩抄に『本門の教主釈尊を本尊とすべし』とある本尊形貌の中尊は本仏の一念を妙法蓮華経の智慧光明であるから、これは『名仏体法』である。(取意)」(本門本尊唯一精義50〜52頁)

「御本尊を拝見すると、ただ妙法蓮華経ではない。理法をば妙法蓮華経と仏が結論的に名づけた。それが法である。南無とは帰依帰命である。帰依帰命ということはどうしても人でなければならない。南無妙法蓮華経ということは、本有の法に帰依帰命していることだ、本有の法に帰依帰命していることは何だ、この七字の全体がそのままこれは人格を示したものである。すなわち法仏一如の人格を示したものだ。所謂無始の妙法蓮華経に南無すること、それをば絶対的に完全に実行している人格は何だ、それは無始の仏界である。(取意)」(本門本尊論168頁)


ご紹介の執行海秀教授の『日蓮宗の本尊』掲載の「みのぶ」が手元に残っていました。
執行海秀教授は
「観心本尊抄には曼荼羅の用語がなく、それに対する明瞭な解説がない。曼荼羅そのものは、本尊でなく、本尊の原理本質を図示された図表である。日蓮聖人の正意本尊は久遠の本仏で、その表現形式は一尊四士の造立にある」
等と主張されたとのことです。
一尊四士も本尊とすることには異論はありませんが、曼荼羅は本尊でないという見解はだいぶ無理があると思っています。
57名前:顕正居士 投稿日:2005/05/24(火) 17:27:14  
川蝉さん。今日は。

>単なる法身としての実相真如の理法は本尊と成り得ません。

わたしは、本尊問答抄は中尊が法であることを示されたのであって、一遍首題がより正式の本尊である
と示されたとは思いません。そういう宗派がありますが。中尊が法であるからこそ、曼荼羅が人法ともの
本尊になるのだとおもいます。また中尊が法であるといっても、単なる実相真如の理というよりは法華経
という教法としてあらわれたものであるから、智応居士のおっしゃる「本仏の一念」というのも適切な方面
があります。

しかしそれでもやはり法身として理解するべきでははないかとおもう理由は、「諸法実相抄」があります。
「諸法実相抄」を依用しないのなら別ですが、宗門諸派の先師、近代の智学居士や智応居士は依用して
おられます。同抄の文脈は在纏位の法身をいっておりますから、いきなり「本仏の一念」というと矛盾が
生じます。また体用本迹の「体用」を蒙培元教授のいわれるように解すれば、この抄には論理的な飛躍
があるわけではありません。
58名前:川蝉 投稿日:2005/05/26(木) 09:46:47  

顕正居士さん今日は。

『諸法実相抄』の本迹は、「六重本迹」の中の「理事本迹」に大分近いというか、また「真如は不変真如であるばかりでなく、染浄の諸法を顕現する動性である。事相差別の当相がそのまま真如の動態に外ならず、十界は悉く真如の随縁であり平等不二である」とする真如随縁思想に極めて近い思想であると思います。

「諸法は真如の随縁変作であり、諸仏も真如の変作である」と云う思想はすでに五大院安然の「教時義」にあると、浅井円道立正大教授も指摘していますので、『諸法実相抄』の前半は「日蓮己証の法門等をかきつけて」と言い得るのかな?と思ったりしています。

浅井円道教授が、
「一代聖教大意には心生十界論は別教説であるとしている。日蓮聖人は心生と心具を分別し、心生十界論を厭捨する教えがある。そして心生十界論とは真如随縁論のことに外ならない。なぜなら真如随縁論とは真如の随縁生起が万法であるという心生論だからである(取意)」(日蓮聖人教学の探求・226頁)
と指摘していますが、別教に摂属する真如随縁論に極めて近い『諸法実相抄』の前半部分の思想を日蓮聖人の本義とは言い難いと思います。
傍系思想の書と指摘されている『諸法実相抄』の前半を以て大曼荼羅の意味合いを推測す依文とするのは危険があるように思えます。
『諸法実相抄』の前半において、真如随縁思想の上から、実相としての妙法蓮華経が本仏であるとし、釈迦多宝の二仏を用の仏としているわけですが、はたして、大曼荼羅上の南無妙法蓮華経と釈尊の関係を語っているものでしょうか。

『諸法実相抄』の後半に、
「既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来にたてまつり給し時、妙法蓮華経のはた(旛)をさし顕はし、」(1360頁)
とあります。これは虚空会の様相であり、また大曼荼羅を述べているものと理解すべきでしょう。中央の題目は「さし顕はされたはた(旛)」であるとしていますが、その旗は、
「釈迦仏、多宝仏、未来日本国の一切衆生のために、とどめ(留)をき給ふ処の妙法蓮華経なりと。かくのごとく我も聞きし故ぞかし。」(1361頁)
とあるように、単なる実相真如や、単なる在纏位の三身如来(仏性)を表す妙法蓮華経でなく、釈尊の教法(衆生を本有の尊形と為さしむ妙法)・釈尊の証悟・お心・全現の三身如来を表す題目とするのが本義であろうと思われます。

ちなみに、偽書説がありますが
偽書説がありますが、「阿仏房御書」では、行者の肉身が妙法五字の宝塔であると教示しています。この場合は、中央の題目は衆生本具の三身如来(仏性)を表すと云えますね。

「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我ら衆生との三つ全く差別無し」であれば、何れにも重点を置いた説明されることがあると思うので、法だとか人だとか一方的に限定しない方が良いのかも知れませんね。
59名前:伝六 投稿日:2005/05/27(金) 11:03:57  
まとまったことは書けないのですが、思ったことを書きます。「末代悪世の凡夫は何物を以って本尊と定むべきや。答云く、法華経の題目を以て本尊とすべし」ということは深い意味のあることと思いますが、本尊として礼拝修行の対象とするのは五字七字の題目であるということは、万人に明白であると思います。この御文を解釈して、一尊四士等を本尊とすべしと読む智者があるでしょうか。しかし、一尊四士も二尊四士も日蓮聖人の指導の下に造立されたのは事実のようです。これについては「本尊造立私議」に、「そもそも本門本尊を顕はすに就いて、之を法門の立場よりすると、修行の立場よりすると、因縁の立場よりするとの次第がある」と言われています。一尊四士二尊四士は法門の立場からの本尊であって、われらの修行のために模範としておつくりになったものではないと信じます。本尊造立私議には「本化妙宗の正式正意としては、局って文字曼荼羅に在ること・・・」と言われています。
60名前:川蝉 投稿日:2005/05/28(土) 14:09:57  
伝六さん今日は。

「この御文を解釈して、一尊四士等を本尊とすべしと読む智者があるでしょうか。」とのことですが、
昔から、「本尊問答抄」をもって一尊四士本尊の依文としてあげる先師は居ないと思います。

本尊に関する教示は観心本尊抄等の他の御書にもあります。本尊に関する教示を総覧し勘案して、「一尊四士の形も本尊として日蓮聖人は認められていた」と先師がたは領解したのだと思います。

「一尊四士二尊四士は法門の立場からの本尊であって、われらの修行のために模範としておつくりになったものではないと信じます。」とのことですが、一尊四士二尊四士は御本尊として不適当であると云うご意見なのですか?。

修行時の本尊とならないのならば、そもそも本尊としての資格はないことになるので、日蓮聖人が造立を否定されたと推定されます。
田中智学大居士も
「(一尊四士は)本尊のことであるから修行の所対でないことはないが、この重に於いては法門が面になって修行が裏面に廻って居る。即ち『法面行裏』である。」(本尊造立私議・75頁)
と述べていますが、修行時の本尊にならないと云っていませんね。
また、
「予は今この一尊四士又は二尊四士を『(大曼荼羅の)妙略』といふた。」(同書86頁)
とも
「即ち文字式ならば御聖筆の正範である教義的整斉の原式に拠り(例せば佐渡始顕本尊の如き)、形像式ならば一尊四菩薩、又は二尊四菩薩の内にてその一方を取って、闔宗通同教内統一の式と定めたいというのである。」(同書84頁)
とも述べていますね。

(お願い)
引用典拠の書名と頁数を記して下さい。
61名前:伝六 投稿日:2005/05/29(日) 10:42:16  
川蝉さん、おはようございます。本尊造立私議の単行本はもっていないので、師子王全集教義篇続々のページ数ですが、「そもそも本門本尊を顕はすについて、之を法門の立場よりすると、修行の立場よりすると、因縁の立場よりするとの次第がある」は、207頁で、二、教義上の不可能 (其二)教意不成立 の節にある文章です。「本化妙宗の正意正式としては、局って文字曼荼羅に在ること、・・・・」は冒頭の部分で、くわしく引載しますと、「本尊を勧請し造立するに就いて、木像、絵画、文字等、さまざまの形式ある中に本化妙宗の正意正式としては、局って文字曼荼羅に在ること、随って絵画や木像、就中、木像で具体勧請を全うすることは断断乎として不可能であるという理由を述べるのが、この篇の主張である。」です。大居士が「即ち文字式ならば・・・」(同書86頁)と言われるのは、本尊を正しくしたい、形像式ならば一尊四菩薩、又は二尊四菩薩が正しく、文字式なら一機一縁に授与されたものでない等のことを考えて原式と考えられるものにより、正しくしたい、そして統一の式を定めたい、二つのなかでは文字曼荼羅にすべきであるという主張だと私は理解します。三、実行上の不可能 其一勧請不能 の節に、「或る学説には「木像で本尊を造立するのは、四海同帰の暁、本門戒壇勅立の時のみであって、それまでは文字曼荼羅に限る」という古伝がある」と言われていますが、私は、この古伝がほんとうではないかと思います。それは未来のことだから、それ以前にできれば結構なことだと思いますが。
62名前:今川元真 投稿日:2006/04/09(日) 12:30:05  
伝六さん、はじめまして。文字漫陀羅を上一人下万民の目にするように掲げていたので本尊を漫陀羅で教えるのは自然な流れでは、と思います。戒壇堂は僧の授戒だけしか使わないなら後回しになるのも当然では無いでしょうか。相対的に東大寺、延暦寺に替わる物なら闇雲に建てても二の舞三の舞に成り兼ないですから。
63名前:伝六 投稿日:2006/04/10(月) 09:36:54  
今川元真さん、はじめまして。何が問題であるのか、よくわかりません。本門戒壇についてがテーマなら、前提から確認しないとなりませんので、戒壇論は他日を期したいと思っています。
64名前:今川元真 投稿日:2006/04/10(月) 11:04:39  
個人的感想なので論議できる挙証を持っているわけでは無いのです。宜しければ「此の時地涌千界出現して本門のシャクソンを脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし」の真偽解説をお願いします。
65名前:伝六 投稿日:2006/04/10(月) 21:52:09  
富士宗学要集等を読んだことがないので、富士門流の本門釈尊脇士の要義はわかりませんが、昨今の日蓮本佛論は日蓮聖人のほうが釈尊よりエライと言っているのに等しく、それだったら謗法だと信じます。
66名前:今川元真 投稿日:2006/04/10(月) 23:06:04  
日蓮正宗:日蓮本仏+戒壇様本尊+唯授一人法主=三位一体説、 創価学会:日蓮本仏≒掛軸本尊≒池田本仏、 各々個人の見方考え方は千差万別になっていくと思います。
67名前:一寸法師 投稿日:2006/04/14(金) 02:56:02  
御曼陀羅の地涌の菩薩の位置は、釈尊を脇士としていないでしょう。大石寺派の意図的な御遺文の歪曲であることは明確ですね。
68名前:一寸法師 投稿日:2006/04/19(水) 00:00:32  
shamonさんの法輪のBBSの転用です。http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/

本来の「法体」とは、法華経の教えの本体、法華経の本質となる教え、所謂法華経の肝心である教えを言います。ですから、「南無妙法蓮華経」は法華経という優れた教え、特に寿量品を中心とした教えへの信心となります。その信心を以て、人生を懸命に修行して真理・真実に至らんとするのです。勿論、法華経の教えを謗る世の中或いは人達の中に交わって、法華経の教えこそ最勝であると「南無妙法蓮華経」と唱えて宣伝するならば、法華経を説かずとも、法華経の哲学を理解するに至らずとも、その功徳はとても大きいでしょう。

ところが、中古天台的な本覚思想に影響された人達、そして彼等が創りだした日蓮聖人の書にあらざるものを日蓮聖人の書と信じてきた人達は、「法体」とは即ち「真理(妙法)」であるからと、前述の「南無妙法蓮華経」を置き換えます。即ち「南無妙法蓮華経」そのものが真理の名称であって、その真理をただ口に出して唱えていれば、真理を悟る身になる、本来自分が仏であることを覚ると、仏教の常識では有り得ない極端な事を言うわけです。ですから、彼等にとっては釈尊も法華経も必要なものではなくなるのです。そして日蓮聖人の教えを、矮小なカルトとしてしまいながらも、最も優れた教えであると自負するに至ります。

日蓮門下にあっても、近代の文献的な研究を尊重せず、或いは日蓮聖人の御遺文を勉強せず、その本来の宗教的・哲学的思想を理解せずして、創価学会と同じようなことを言う僧侶が結構います。まあ、最近は本覚思想に影響されていると言うよりも、面倒な勉強も厳しい実践もしなくて楽だからのようですが。一方で堕落した教えに満足できない人、日蓮聖人の教えを誤解している人達は、心の持って行き場がないので、荒行に入って祈祷を学んだり、或いは慈善活動に傾倒したりしているようでもあります。
69名前:今川元真 投稿日:2006/04/19(水) 06:28:20  
一寸法師さん、はじめまして。  「本覚」思想の進化発展が「本因妙・本果妙」なのでしょうか。日蓮聖人は三時・三身・三証を学問の軸に考えられていたと思いますか。
70名前:一寸法師 投稿日:2006/04/19(水) 11:05:53  
逆ですね。本覚思想は、本因本果からの堕落ですよ。別に、学問の軸とは思いませんけど
71名前:今川元真 投稿日:2006/04/27(木) 11:25:05  
学問の軸は、注法華経でしょうか?
72名前:問法第三 投稿日:2009/07/05(日) 05:58:13  
私は細かいことは良く分かりませんが、末法において法華経は有効でしょうか。この件について日蓮は釈尊を指して、末法の衆生を救済しないのは慈悲が有って無きが如しと云っていましたが、どうなのでしょうか。私は各宗各派は無力だと聞いていますが?基本的なぎもんです。
73名前:問法第三 投稿日:2009/07/19(日) 02:49:26  
失礼しました。スレの最終の日付けを確認しませんでした。
74名前:常修院二番弟子 投稿日:2014/09/12(金) 13:25:38  
本門戒壇の大御本尊は、真実です。
下記サイトにて。
エイチティティピー://zyoushuin2.web.fc2.com
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5  書籍情報はこちらで  (Res : 137)

1名前:管理者 投稿日:2003/09/15(月) 09:15  
書籍紹介のコーナーを設けました。
新旧の書籍を問わず、此方へお書き下さい。
118名前:管理者 投稿日:2004/09/24(金) 09:40  
慎之輔さん、早々に有り難う御座います。

>予約特価¥6000円
大部お得になって要るんですね。

未だお手持ちにない方は、この機会にどうぞ。(施本用としてもどうぞ)
119名前:直人 投稿日:2004/10/11(月) 19:24  
管理人さん、慎之輔さん、御無沙汰しています。

>直人さんおめでとうございます。

 ありがとうございます。「予定は未定であって決定ではない」と云うようにまだ
確定したわけではないですが、来年の早い時期に補筆版を出そうと考えています。
120名前:直人 投稿日:2004/10/11(月) 19:33  
 10月7日に拙書のことでメールをいただきましたが、幾度、返信を試みても送信先エ
ラーということで返ってきます。PCのメールアドレスへも送信を試みましたがネットか
ら離れられたようでこれも送信できません。
 まだ、本掲示板を見ていられましたら連絡先等を明記の上、再度メールをいただきた
く思います。

 管理人さん、私事で掲示板を汚してしまいまして申し訳ありません。
121名前:川蝉 投稿日:2004/11/28(日) 16:36  
お知らせ頂いた田中智学大居士著「日蓮聖人の教義」を購入しました。
復刻とのことなので印字の不鮮明さを心配していましたが、新組で印刷が鮮明で活字も大きいので、ホッとしました。
四日ほど前に読み終わりました。初心の人の為めの教学入門書として名著ですね。
122名前:慎之輔 投稿日:2004/11/28(日) 22:09  
「日蓮聖人の教義」ご購読ありがとうございます。
今後はこういった名著の現代語訳(現代語版)が必要ですね。
123名前:HAPPY 投稿日:2005/08/06(土) 02:09:20  
直人様

 はじめまして。

 先日、「大石寺教学の研究」を購入いたしました。

 私は、創価学会員ですが、学会の教学・石山教学に疑問を抱き、今勉強中です。

 直人様の本を読み、今後の為に役立てたいと思います。

 ありがとうございました。
124名前:川蝉 投稿日:2005/09/13(火) 09:39:43  
今日は。
清澄山の教紙に紹介されていた「いのちの本源」を読んでみました。
著者は、成五年に95歳で亡くなった寺庭婦人の新林妙華さんです。
若い未信時代から法華経に巡り会った機縁、五十歳から出家されたご主人との二人三脚での弘経の経過などを語っています。
法話の話題にも使えるエピソードも二、三ありますし、信徒さんに購読を勧めたい本です。

ただ脱帽、合掌するばかりのご一家の話です。

出版社は文芸社です。1500円(+税)です。
125名前:管理者 投稿日:2005/12/03(土) 13:07:29  

本年発刊されました、

「身延山御書」非売品

を、ご希望の方に「義納金」として2.000円にてお分け致します。
http://www.honge-myoushu.or.jp/

本化妙宗連盟本部へ、お問い合わせ下さい。

尚、書籍購入ページには「身延山御書」が載っておりませんので、其方のページからは購入出来ません。
126名前:慎之輔 投稿日:2005/12/05(月) 10:20:31  
管理人さんおはようございます。
これは、解説付なのですか?
127名前:管理者 投稿日:2005/12/05(月) 10:27:19  
慎之輔さん、お早う御座います。

今、改めてみましたら、抜けてました。
正しくは、
 「身延山御書講話」
です。

身延山御書の御文章を、平易に解説した物です。
訂正して、お詫びします。
128名前:慎之輔 投稿日:2005/12/10(土) 14:52:28  
管理人さんありがとうございました。m(__)m
来週にはいただけそうです。(^^)v
129名前:川蝉 投稿日:2005/12/11(日) 09:33:42  
池上のお会式のさい本化妙宗の詰め所の机に「身延山御書講話」が置いてなかったので、まだ発売していないのどろうと推測して帰ってきました。

私も早速、注文しました。
130名前:慎之輔 投稿日:2005/12/15(木) 10:24:56  
身延山御書講話、昨日届きました。
しっかりした表装ですね。
まだ読んでおりません。ぼちぼちいきます。
ありがとうございました。m(__)m
131名前:直人 投稿日:2007/01/02(火) 20:46:03  
 明けましておめでとうございます。

 『興門教学の研究』の著者である故執行海秀教授の『御義口伝の研究』が出版されました。

書名:『御義口伝の研究』
出版社:山喜房仏書林
価格:9500円+税
ISBN:4−7963−0691―9C3015

附録として、

「十如是事の研究」
「御義口伝の研究(一)」
「御義口伝の研究(二)」
「日蓮教学上に於ける御義口伝の地位」

が所収されています。
本篇・附録合わせて411ページです。

参考までに。
132名前:川蝉 投稿日:2007/01/04(木) 09:05:44  
皆さんおめでとうございます。

直人さん「御義口伝の研究」出版のニュースをありがとうございます。
今さっき、クロネコヤマトブックセンターに注文しました。
133名前:川蝉 投稿日:2007/02/10(土) 08:59:21  
やっぱり、名著ですね。


首を長くして待っていた山川智応大居士全集の「法華経十講」「日蓮聖人研究」の配本がありました。

早速、昨日より、「法華経十講」の下巻より、読み始めました。実際の講義の筆録のようで、解りやすい文章ですね。

今までは、古書店に出ても、べらぼうに高価なので、購入できないで居ました。

出版に携われた管理人さんは大功徳を積まれましたね。
134名前:管理者 投稿日:2007/02/10(土) 11:01:33  
川蝉さん、お久しぶりです。

「法華経十講」「日蓮聖人研究」、お喜び頂きまして、とても嬉しいです。

著作権の関係で今年の配本となり、
お申し込み者の方々にご迷惑をお掛けしましたことを心苦しく思っております。

只今、第二回目の配本の2冊を制作中で、年内の配本予定です。
今しばらくお待ち下さいませ。

猶、誤植・誤字等が御座いましたら、本部までお知らせ下さいませ。
135名前:直人 投稿日:2008/08/05(火) 20:35:28  
管理人さん、ご無沙汰しています。

久しぶりに書かせて戴きます。

過去にこの掲示板で『興門教学の研究』の入手方法が尋ねられていたと記憶していますので、『興門
教学の研究』に関して。

過日、山喜房佛書林さんの書籍案内を見ていたところ、

執行海秀 御義口伝の研究 450 9500
執行海秀 興門教学の研究 400 近刊

とありました。

オリジナルの分量は337頁ですから400頁というのは関連論文を追加するのか、多く見積もって
いるだけなのかは分かりません。
時期は未定ですが、山喜房佛書林から『興門教学の研究』が復刊されることは確かなようです。

参考までに。
136名前:日蓮正宗信者の新書 投稿日:2008/12/03(水) 01:03:58  
講談社から話題の新書 
 創価学会・公明党「カネと品位」 著者:福本じゅんいち

「P献金」「上納金」の真実 矢野・福本・竹入・池田の国会招致なるか!
話題の元国会議員福本潤一が 命がけの告発{ころしもあるからな創価テロを糾弾}

入会歴40年、2期12年も国会議員を務めた男が知りえた巨大集団の
「政治とカネ」「除名」「おどし」を追及 信仰生活40年と政治

東大生信者約400名のリーダー福本博士が 総体革命の実態と
創価公明の変貌の実態を書き下ろしで描く(2008年10月27日発行)
福本博士が池田ニセ博士を断罪!福本博士が池田ニセ博士を断罪!
137名前:管理者 投稿日:2014/01/10(金) 08:03:29  
あけましておめでとう御座います、本年も宜しくお願いします。
安土法難論、田中智學著の電子書籍版をパブーにて発行しております。
一月一杯まで無料ですのでこの機会にダウンロードして下さい。
なお、お知り合いの人達に興味のある方もこの機会にどうぞ。
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内容

6  祈り・祈祷に関する事  (Res : 17)

1名前:ドプチェク (Liye31iI) 投稿日:2004/10/28(木) 10:21  
管理人さん、皆さん、初めまして。

こちらの掲示板は、以前からちょくちょくROMさせていただいています。
お聞きしたい事がございますので、初めての書き込みであるにも関らず、いきなりスレッドを立てさせていただきますけど、そこのところは何卒お許し下さいませ。
ちなみに、私は創価学会に籍こそあるものの、3年前の春からあそこに対して批判的な考えを持つようになり、現在は組織との関りを避けていて、脱会したのに等しい状態で、単独信者のスタンスをとっています。

祈りに関する事なのですが、日蓮聖人は、伊豆流罪の時期に地頭の伊東八郎左衛門の病を祈祷により治癒させて、同じく、故郷の地に戻られた際、死の淵にあった聖人の母・妙蓮を祈祷で蘇らせたというお話は有名ですよね。
聖人の祈りが通じたのは、伊東八郎左衛門の場合、わずかながらも法華経への信仰心を抱いた、母・妙蓮の場合には、法華経の信者であった為なのだそうですけど、ならば、祈られる側に信仰心がなくては、(祈る側が)いくら祈っても通じないという事になるのでしょうか?
また、日蓮系の宗派の中には、病悩の治癒や厄除けの為の祈祷を行なっているところがあるようですが、効果はどうなのでしょうか?
他者の事を想っての祈りは、はたして通じるのだろうか・・・?と、私が前々から抱いている大いなる疑問なのです。

ご意見・ご教示のほど、よろしくお願い致します。
2名前:川蝉 投稿日:2004/10/29(金) 10:49  
ドプチェクさん今日は。

諸天は、原則的には「法の為めの故に護る」ということですから、祈願の範疇は
1、法華経の信行者。
2、その人を守護すると、結果的に信行者を護ることになる人。
3、意識的ではないが、信行者を助けているような人。
4、未信であるがやがて信行者になるであろう人。

を考えてよいのかなと思われます。

4に付いて、さらに云えば、やがて信者に成るかどうかは不測のことですが、もしかしたら祈願を機縁として妙法との宿種が芽生えるかも知れないと云う思いで、未信の人の祈願を行います。

日蓮宗では、祈祷を縁として、あるいは祈願成就を機縁として、信徒に成る人が多いのが現実です。
未信の人であっても、頼みすがる思いが強くなければならないですね。
建治三年「四条金吾殿御返事」に
「だんな(檀那)と師とをもひあわぬいのりは、水の上に火をたくがごとし。又だんなと師とをもひあひて候へども、大法を小法をもつてをかし(犯)てとしひさし(年久)き人人の御いのりは叶候はぬ上、我身もだんなもほろび候也」(昭定1303頁)

弘安三年五月「新田殿御書」
「経は法華経、顕密第一の大法なり。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり。行者は法華経の行者に相似たり。三事既に相応せり。檀那の一願必ず成就せんか」(昭定1752・真蹟)

等とありますね。
すでに御存知とは思いますが、祈願成就の条件として大切な、三事すなわち、師・檀那・法については、真蹟では有りませんが建治三年「法華初心成仏抄」に

「譬へばよき火打と、よき石のかどと、よきほくそと、此三つ寄り合ひて火を用ゆるなり。祈りも又是の如し。よき師とよき檀那とよき法と是三つ寄り合ひて、祈りを成就し国土の大難をも払ふべき者なり。よき師とは指したる世間の失無くして、聊のへつらふ(諂)ことなく、少欲知足にして慈悲あらん僧の経文に任せて、法華経を読み持ちて、人をも勧めて持たせん僧をば、仏は一切の僧の中に、吉第一の法師なりと讃められたり。吉檀那とは貴人にもよらず、賎人をもにくまず、上にもよらず下をもいやじまず、一切人をば用ひずして、一切経の中に法華経を持たん人をば、一切の人の中に吉人なりと仏は説き給へり。吉法とは此法華経を最為第一の法と説れたり。」(昭定1423頁)
と説明されています。

これによると、祈願を受ける人も守護を信じ正法を信受している事が理想ですね。

病気平癒の祈願でも、(摩訶止観に六種の病因を挙げていますが)主原因が霊障の場合は効果が顕著であった話しを沢山聞きます。
(この場合、祈願とともに供養も行います)
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
3名前:ドプチェク (Liye31iI) 投稿日:2004/10/30(土) 11:42  
川蝉さん、お久しぶりです(一昨年の秋、富士門流信徒の掲示板でお会いして以来ですね)。
ご教示ありがとうございました。

>>2

>2、その人を守護すると、結果的に信行者を護ることになる人。
>3、意識的ではないが、信行者を助けているような人。

法華経信仰者にとっては、何らかの形でプラスになる(なっている)存在という事になるのでしょうか。
信仰と直接的に関係する存在のみならず、たとえ信仰と無関係であっても、信仰者自身にとっては個人的に大切な存在も含まれるのでしょうかね?

>4に付いて、さらに云えば、やがて信者に成るかどうかは不測のことですが、もしかしたら祈願を機縁として妙法との宿種が芽生えるかも知れないと云う思いで、未信の人の祈願を行います。

過去に私が入信させた人間は一人だけなのですが(私の友人ですけど、彼は入信してまもなく辞めてしまいました)、昔はそういう想いで祈っていました。
単独信者のスタンスでいる今は、昔ほどではありませんけど、でも、そういった気持ちは心の中に存在していますね。

>日蓮宗では、祈祷を縁として、あるいは祈願成就を機縁として、信徒に成る人が多いのが現実です。

それは初耳でした。
私は日蓮正宗系(富士門流)の教団(創価学会)に所属していた為、これまで祈祷に関する事とはまったくの無縁であり、知らなかったのですが、日蓮宗では祈祷が縁で入信される人が多いのですか。

>未信の人であっても、頼みすがる思いが強くなければならないですね。

日蓮聖人に祈祷で病を治癒された伊東八郎左衛門が、そのような感じではなかったのでしょうかね。
最初、八郎左衛門が日蓮聖人に「祈って治せ」と命じたのを聖人は申し出をきっぱりと断られて、その後、八郎左衛門が僅かながらでも法華経を信じる気になったので、祈祷を行なったら、聖人の祈りが通じたという事だったのでは。

ところで、昨年の初め頃、某掲示板(すでに閉鎖されましたが)で「動物の成仏はあるのか?」という事が話題になっていましたけど(川蝉さんもご意見されていましたよね)、祈りは人間に対してだけでなく、動物や植物へも通じるのでしょうかね?
以前、ネット上で凍死しそうになった昏睡状態の猫の為にお題目を唱えると、猫が意識を取り戻し元気になったというお話に接した事があります。
また、ずいぶん昔に動物園の飼育係の人が話していたのですが、その人が世話をしていた病気で危険な状態に陥った動物の回復を願いお題目を唱え続けたら、少しずつ健康を取り戻して行ったという事なのでした。
「山川草木悉皆成仏」と言いますけど、それはいったいどのようなものなのだろうか?と思っているのです。
4名前:川蝉 投稿日:2004/10/31(日) 10:06  
ドプチェク さん今日は。

2、その人を守護すると、結果的に信行者を護ることになる人。
3、意識的ではないが、信行者を助けているような人。

は同趣旨なので二つに分ける必要は無かったようですね。
2、3、は建治三年九月「崇峻天皇御書」の

「さてはなによりも上の御いたはり(所労)なげき入て候。たとひ(設)上は御信用なき様に候へども、との(殿)其内にをはして其御恩のかげ(蔭)にて法華経をやしなひまいらせ給へば、偏に上の御祈とぞなり候らん。大木の下の小木、大河の辺の草は正く其雨にあたらず其水をえずといへども、露をつたへいき(気)をえてさかうる(栄)事に候。此もかくのごとし。阿闍世王は仏の御かたきなれども、其内にありし耆婆大臣、仏に志ありて常に供養ありしかば、其功大王に帰すとこそ見へて候へ。」
(昭定1390頁・真。学会版1170頁)
の部分を思って挙げました。

>信仰者自身にとっては個人的に大切な存在も含まれるのでしょう
>かね?

「薬草喩品」に 
「皆苦を離れて 安穏の楽  世間の楽 及び涅槃の楽を得せしむ」
とありますが、「安穏の楽  世間の楽」は、心(精神)、健康、財が護られて得られる楽だとおもいます。
信行者の心(精神)、健康、財の為めに支えになる人が入ると思います。

ある婦人信徒さんは、お酒にだらしないご主人に苦労しておりまして、参詣を続けていました。ご主人は立ち直りかけたいたところ急死しました。二人の息子さんは父親を反面教師としたようで、真面目に成人し、現在では兄弟二人とも嫁さんともども、母親を大事にしております。
息子さん達が良く成長したには、その婦人の晩年の幸せのために、諸天の影の力が関与していたに違いないと思っています。
    
>日蓮宗では祈祷が縁で入信される人が多いのですか。

若いときに新寺建立を果たした説教の大家である千葉誕生寺の現貫主さんや、瀬戸内寂聴さんのような例外は有るでしょうが、昔から説教では寺は建たないと云われているそうです。

現に、寺院・教会・結社で盛んな所は修法師とか霊能力のある教師の所が多いようです。

一般的には、お参りの動機のほとんどは病気や何かの悩みですから、修法師とか霊能力のある教師の所に先ず足を運びたくなるのでしょう。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
5名前:川蝉 投稿日:2004/11/01(月) 16:06  
ドプチェクさん今日は。

>「山川草木悉皆成仏」と言いますけど、それはいったいどのよう
>なものなのだろうか?と思っているのです。

駒澤大・田上太秀教授が「大般涅槃経」の
「この説明(仏性に関する釈尊の説法のこと)を聞いたバラモンてちは仏性がすなわち我(アートマン)であると知って、阿耨多羅三藐三菩提を求めるこころを起こし、すぐに出家し、修行を始めた。この成り行きをみていた鳥や水陸に所属するものも、阿耨多羅三藐三菩提を求めるこころを起こし、いまの生き方を捨てて仏道にしたがった生活を始めた。」第二十七巻師子吼菩薩品第十一の一・田上口語訳)
を引き
「先にのべた魚や貝も、蟻もゴキブリも、ハイエナもライオンも五蘊から成るので仏性があるといえるが、果たしてこれらの生類が菩提心を起こすだろうか。八正道を修めるだろうか。常識的見解では有り得ないと考えられる。しかし『大般涅槃経』がものは衆縁和合のダルマに則って生滅していて、固定した在り方はなく、不定だと説いたのは、これらの生類でもいつかは菩提心を起こし、八正道を修める可能性があると考えたのである」(大蔵出版・仏性とはなにか・261頁)
と述べ、「大般涅槃経」は、畜生でも成仏の可能性を認めていると論じています。

六道輪廻の教説から云えば、畜生でも心識を有するから、死んだ後、その心識が次の身体を受けると云うことになりますね。
もしも、罪を償い終わった場合は畜生の身体を脱する事ができるわけですから、菩提心を起こせる身体を受ける可能性があるといえますね。
追善廻向は心識に功徳を送る事ですから、功徳を送られたペットの心識は、その分だけ善功徳が増加し、より一歩、菩提心を起こせる身体を受ける可能性を高めることが出来ると考えても良いのでしょうね。

田上太秀教授は
「草木にいのちがあるとは、意識とまでいわないが、感覚があると釈尊は考えていたといえよう。(原始経典ブィナヤに植物を、一つの感覚器官のある生命と呼んでいる例がある)
じつはこれが『大般涅槃経』の中で草木に悪心を抱いてはならないと説法した論拠になっているのではないだろうか。(第十六巻梵行品第八の二)
これが仏性説と関わるとすれば、先の土壁、瓦礫、石ころとは区別して、草木にも仏性があるろ考えていたとも忖度される。しかし『大般涅槃経』にはこれを明言した文句はない。・・たとえ仏性があるとはいえ、菩提心を起こす能力がない者は成仏は不可能である。」(260頁)
と、「大般涅槃経」は、草木にも仏性があるろ考えていたとも忖度される余地があるが、成仏出来るとは考えてない立場であろうと論じています。

さらに
「(大般涅槃経は)五蘊からなるものに関してのみ仏性内在説、仏性現象説を唱えている。山川草木は五蘊からなるものではない。仏性は五蘊に内在し、五蘊がなければ仏性は無いのであるから、山川草木に仏性はなく、仏性でもないことが明白である。(取意)」(262頁)
と、「大般涅槃経」は 山川草木に仏性無しと云う立場であると論じています。(続く)
6名前:川蝉 投稿日:2004/11/01(月) 16:07  
(続きです)
もし 「大般涅槃経」が、 山川草木に仏性無しと云う立場であるとすると、「非情有仏性」を主張する天台教学と相違する点があることになりますね。

妙楽大師は十義を挙げて「非情有仏性」を説いています。(摩訶止観輔行伝弘決第一の二・天台大師全集 摩訶止観1・96頁)
ただし宝地坊証真の「私記」によると、妙楽大師も草木の発心修行成仏は論じていないようです。

妙楽大師の十義についての宝地坊証真の「私記」の注釈を見てみましたが、天台教学では草木の発心修行成仏を認めていないですね。
>「山川草木悉皆成仏」
は、「一仏成道 観見法界 草木国土 悉皆成仏」の略のようですね。中陰経の文と云われていますが 中陰経にはないそうです。
宝地坊証真がこの文を
「仏眼の照らす所は一色一香も遮那に非ざることなし。故に成仏と云う。始成に非ざるなり。
若し彼の経の如くんば、一切の依正皆已に成仏す。唯だ仏界有り。故に知んぬ、聖に望むれば皆聖、凡に望むれば皆凡なり。金ぺい論に云はく迷悟殊なりと雖も、事理体一なり。故に一仏成道すれば法界、此の仏の依正に非ざること無し」
(天台大師全集 摩訶止観1・98頁)
と解釈しています。

この解釈のおおよその意味は、
「仏眼で見ればすべて法身でないものはないと云うことである。そこのところを指して成仏と表現しているので、草木が発心修行して成仏したという意味ではない。
聖に望むれば皆聖、すなわち、仏にとっては仏界であり、仏界の依正であるから皆成仏しているというのである。
妙楽大師の金ぺい論にも、迷に在る者と悟った仏と境涯(依正)は異なるが、事理体一(別のものでないの意味か?あるいは真如と事象は一体の意味か?)であるから、一仏が成道すれば法界はすべて仏の依正(身・土)でないものはない。」
というような意味と思います。

「山川草木悉皆成仏」といっても、草木が発心修行して成仏すると云う意味でなく、草木は仏界の依報となるということを表現している事になりますね。

天台大師全集には、慧澄痴空の講義と大宝守脱の解説が載っていますが、まだ読んでいないので省いて置きます。
7名前:ドプチェク (Liye31iI) 投稿日:2004/11/02(火) 07:23  
川蝉さん、こんにちわ。

>>4

>「薬草喩品」に 
>「皆苦を離れて 安穏の楽  世間の楽 及び涅槃の楽を得せしむ」
>とありますが、「安穏の楽  世間の楽」は、心(精神)、健康、財が護られて得られる楽だとおもいます。
>信行者の心(精神)、健康、財の為めに支えになる人が入ると思います。

その人自身は信仰していなくても、間接的に信仰している人へ、特に信仰へプラス作用をもたらす存在という事になるのですね。
お話されたご婦人のケースは、ご主人の事で苦労されていた時にはわからなくても、後に振り返ってみたら、結果的に諸天の力が働いていたというわけなのでしょうか。

>一般的には、お参りの動機のほとんどは病気や何かの悩みですから、修法師とか霊能力のある教師の所に先ず足を運びたくなるのでしょう。

そういった気持ちになるのは、誰しも皆、基本的には同じではないのかと思いますし、私自身もそうです。
平穏無事な時には信仰に対して無関心な姿勢であったり、あるいは、信仰者としての勤めを怠ったりしていても、いざ自分自身や周囲の者に悩みや不幸な出来事が生じた場合、苦しい時の神頼みで、神仏にすがりたくなる人が多いのでしょうね。
そういうのは良くない事であり、常日頃信仰心を忘れずに精進を心がけて行くべきだと思いますけど、しかし、喉元過ぎれば、元の木阿弥になってしまうケースが多いのかもしれません。
でも、何かがきっかけとなって、信仰というものが少しずつでもわかるようになり、本物の信仰者への道が開けて行けたらと思っています。
言うは易し行なうは難しなのかもしれませんけど。
私はここ2年位の間で信仰というものが次第にわからなくなって来て、迷いの状態に陥り、そして、かなり冷めてしまって、この1年間はほとんど勤行・唱題をしておらず、ずいぶん長く仏壇の扉を閉じたままでいたのですが、最近になり、ちょっとした事がきっかけで、再び実践し始めたところなのです。

>植物(作物)は病虫害の対処などの生育上の工夫努力と気象が極めて強く作用するので、個人の祈願の作用が関与する余地がないのだろうと思われます。

そのような場合、信仰者が自らの信仰によって智慧を働かせ、何らかの方策を考え出して行くべきという事になるのでしょうかね(私の所属していた教団では、こういうのをよく仏智を働かせるとか、御本尊から仏智をいただくとか言っていたように思います)。

>>「山川草木悉皆成仏」
>この熟語は聞き慣れた言葉のようにも思えますが、御書に無い熟語のようですね。(有りましたかね?)
>御書には「草木成仏」の語はありますが、草木が修行開覚すると云う意味ではないようですね。

私自身は不勉強の為、詳しくないのですけど、御書に「山川草木悉皆成仏」という語句が出て来たのを目にした記憶はありません(私のそれは、まったくと言っていいほどの当てにならないものなのですが^^;)。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
8名前:初心者 投稿日:2012/11/11(日) 01:32:18  
御無沙汰しております。
以前は、日蓮聖人の御妙判についてお教えいただきありがとうございました。

さて此の度は、寺院の参拝の仕方について少しご教示いただきたいのですが、よろしいでしょうか?
私は東京の柴又帝釈天に参拝させてもらうことが多いのですが、
お題目だけ唱えて参拝するだけでは何か物足りないというか、申し訳なく思うようになりました。
幸いあちらのお寺は自由に昇殿できるので、御宝前の片隅で他の方の迷惑にならないようにして、
法楽の読経を捧げたいと思うのですが、どうでしょうか?

またその際の次第なのですが、

礼拝>奉請>開経偈>読経(方便品、如来寿量品)>唱題>祈願廻向文>帝釈天廻向文>四弘誓願
>お題目三唱>礼拝(参考:日蓮宗勤行要品(大八木興文堂))

のような感じでは如何でしょうか?

お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願い致します。
9名前:管理者 投稿日:2012/11/11(日) 10:50:16  
初心者さん、こんにちは。
仰せの通りの式次第で結構です。

>御宝前の片隅で他の方の迷惑にならないようにして、
>法楽の読経を捧げたいと思うのですが、どうでしょうか?
はい宜しいと思います、が山務員の方に一声おかけになると気兼ねなく読経・唱題が出来るのではないでしょうか。
ますますのご信仰をお祈り申し上げます。
10名前:初心者 投稿日:2012/11/11(日) 21:23:36  
管理者さま、さっそくご回答をいただき有り難うございます。

>>9
>仰せの通りの式次第で結構です。

ありがとうございます。
なかなかこういうことを相談できる場所がないので、本当に助かります。
さっそく次回の参拝から読経・唱題をさせていただきたいと思います。

>が山務員の方に一声おかけになると気兼ねなく読経・唱題が出来るのではないでしょうか。

貴重なアドバイスをいただき誠に有り難うございます。
確かに読経・唱題をすれば、普通の参拝より長い時間御宝前に居ることになりますから、
山務員の方にお断りを入れてからのほうが、気兼ねなく読経・唱題ができますね。

此の度はご教示いただき有り難うございました。
今度ともよろしくお願い致します。
11名前:初心者 投稿日:2012/12/17(月) 17:55:36  
お世話になっております。
いつも質問ばかりで恐縮なのですが、本日は読経の方法について質問させていただきます。

普段の読経の際に、欲令衆や提婆達多品の訓読を読誦させていただいているのですが、
どこでこれらのお経を読誦すればよいのか迷っております。

現在私は、方便品と如来寿量品の間に挟んで読ませていただいていますが、
音読の読誦が全て終わった後に訓読の読誦をすることが多いようで、
正式にはどちらが正しい読誦の仕方なのでしょうか?

毎回毎回、初心者丸出しの質問ばかりで申し訳ありませんが、
どうぞよろしくお願い致します。
12名前:初心者 投稿日:2012/12/21(金) 01:50:02  
管理者さま、

まだご回答がいただけていないようですが、>>11の質問に何か不都合がございましたでしょうか?
もしかして、檀信徒は欲令衆や提婆品の訓読は読誦してはいけないのでしょうか?

今後の参考の為に、御回答がいただけない理由をどうぞお教え下さい。
13名前:管理者 投稿日:2012/12/23(日) 08:00:22  
>>11
大変遅くなりまして、ごめんなさい。
メールを開ける暇なく、先ほど読ませて貰いました。

>欲令衆や提婆達多品の訓読を読誦
>方便品と如来寿量品の間に挟んで読ませていただいています
日蓮宗の寺院ではご指摘の通り「真読」「訓読と分けての読誦が殆どかと。
それは回向文にも現れて、真読は祈願・訓読は回向という風に勤行してます。

そこで、欲令衆・方便品・提婆達多品・如来寿量品と品の順番通りの拝読方法が良いのでは。

田中智学居士の制定されたお経本、順番通りに真訓が並び回向文もその他も付いて本化妙宗聯盟にて販売してます。
私も田中居士の説の通りに拝読してます。

>毎回毎回、初心者丸出しの質問ばかりで申し訳ありませんが
いいえ、一向にお構いなく私が知る限りでしたらお答え致します。大変お待たせしましたが、またお越し下さい。
14名前:管理者 投稿日:2012/12/23(日) 08:06:07  
追伸
初心者さんへ
書き込みの有無を知らせる機能があります、上のスレッド一覧の下段
掲示板の使い方 / 新着をメールで受信 / 過去ログ倉庫 / スレッド一覧 / リロード
の中の新着メールを受信に必要な事項を記入すれば、新着があった場合メールで知らせてくれます。

以上、お知らせまで。
15名前:初心者 投稿日:2012/12/26(水) 00:09:04  
>>13
管理者さま、

>メールを開ける暇なく、先ほど読ませて貰いました。

それはそれは…、大変お忙しいところ、初歩的な質問に付き合っていただいて、
誠に申し訳ございません。ご回答をいただき本当に有り難うございます。

>日蓮宗の寺院ではご指摘の通り「真読」「訓読と分けての読誦が殆どかと。
>それは回向文にも現れて、真読は祈願・訓読は回向という風に勤行してます。

なるほど、確かに真読は祈願・訓読は回向ということは小耳に挟んでおりましたが、そうなりますと、

>欲令衆・方便品・提婆達多品・如来寿量品と品の順番通りの拝読方法が良いのでは

品の順番通りの読誦が理の当然になりますね。
日蓮宗のお経本はいろいろな種類のものがあるので、少し迷っておりましたが、
おかげさまですっきりと致しました。

>いいえ、一向にお構いなく私が知る限りでしたらお答え致します。大変お待たせしましたが、またお越し下さい

有り難うございます。
ひとりで法華経に取り組んでいると、どうしても分からない事が出てきて煮詰まってしまうので、
そのように仰っていただけると本当に助かります。

これからもよろしくお願い致します。失礼致しました。
16名前:明星 投稿日:2013/05/16(木) 02:10:04  
ご無沙汰しております。
本日は読経・供養の方式について質問させていただきます。

先日、ある日蓮宗のお寺の供養会に参加したのですが、読経の順番が、

方便品>如来寿量品>如来神力品>観世音菩薩普門品>提婆達多品(訓読「大智徳勇健にして・・・」)

というものでした。提婆達多品の訓読を最後にもってくる読経を体験するのは初めてだったので
非常に興味深く思い、そこの信者さん達に質問したのですがよくわからないようでしたので、
改めてこちらでお伺いしたいと思います。私の持った興味というか疑問というのは、

…麈銘B辛覆楼人成仏・女人成仏の品と云われるが、その訓読は供養や因縁消滅の為に読誦される品なのか?
何故「大智徳勇健にして〜」からなのか?(そこからが重要なのか?)
この読経方式を自宅の朝夕の勤行で用いてもよいか?(それとも在家はあまり込み入った事はしない方がよいか?)

というものです。

私及び我が家は因縁が深くいろいろな問題が噴出しておりまして、
少しでもそれらの解消をはかる為、今は毎日の読経唱題に力を入れています。
そういう経緯があるのでそこのお寺の読経方式に興味を持ちました。

本来ならばそのお寺の住職に聞くべきなのでしょうが、なかなかお会いする
機会が得られないようなので、申し訳ございませんがこちらの掲示板でお伺い致します。

どうぞよろしくご教授ください。
17名前:佐藤敬 投稿日:2013/06/20(木) 19:13:52  
ドプチェクさんへ

「祈られる側に信仰心がなくては、(祈る側が)いくら祈っても通じないという事になるのでしょうか」
そんなことはありません。
「日蓮系の宗派の中には、病悩の治癒や厄除けの為の祈祷を行なっているところがあるようですが、効果はどうなのでしょうか?
効果抜群!
「他者の事を想っての祈りは、はたして通じるのだろうか・・・?」
当たり前だろ。通じないわけはない。信念を持ってさっさとやれ!それが我々の使命だ。
名前
E-mail(省略OK)
内容

7  門下・門流史関係  (Res : 110)

1名前:管理者 投稿日:2004/05/08(土) 14:42  
門下・門流史関係は此方へ。
91名前:顕正居士 投稿日:2005/05/18(水) 20:55:20  
直人さん。久し振りです。It's been ages!

>日寛師でさえ、『聖人御難事』を依文としていない。

いえ。この義は日寛師からです。

「宗旨建立已後第二十七年に当って己心中の一大事、本門戒壇の本尊を顕したまえり」(観心本尊抄文段)

http://nakanihon.net/nb/honnzonnsyoumonndann.html
92名前:直人 投稿日:2005/05/18(水) 21:13:25  
顕正居士さん、こんばんは。

 御教示ありがとうございます。
日寛師は「此の法門…」を直接の依文(引用がなかった)としていなかったと記憶
していましたのであのような書き方になりました。
93名前:今川元真 投稿日:2006/05/18(木) 10:40:20  
日有上人の化儀(てへん)少には、法華宗もしくは法華経の信あれば、改宗時に他宗の本尊等を漫陀羅の御前に並べても問題無いように書かれ、守(札)や漫陀羅を書く時は判形あるべからずと書いてあった憶えがあります。日有上人等が戒壇本尊を模造した時、高祖・開祖の漫陀羅では畏れ多いので日禅上人の漫陀羅等を模造したのでは無いかと考えるのですが、如何でしょう。それとも、戒壇本尊と言う位置の本尊は無かったのでしょうか。
94名前:川蝉 投稿日:2006/05/19(金) 12:00:47  
今川元真さん今日は。

日有上人の「化儀抄」をザット見てみました。

「法華宗もしくは法華経の信あれば、改宗時に他宗の本尊等を漫陀羅の御前に並べても問題無いように書かれ」ている部分は見あたりませんでした。

「有師化儀抄」に
「他宗の法華宗に成る時、本と所持の絵像木像ならびに神座(イハイ)其の外他宗の守りなんどを法華堂に納むるなり。・・」
(富士宗学要集第一巻70頁)
とありますが、これは改宗以前に拝んでいた他宗の本尊などは、法華堂に納めてもらうべきである(引き取ってもらい処分して貰うべきである )との意味でしょうね。

「漫陀羅を書く時は判形あるべからずと書いてあった憶えがあります」
第二十条と二十一条のようですね。(富士宗学要集第一巻71頁)末寺の住職はお守りや曼荼羅を書くときには判形を書くべきでないと云う意味のようですね。

「日有上人等が戒壇本尊を模造した時、高祖・開祖の漫陀羅では畏れ多いので日禅上人の漫陀羅等を模造したのでは無いかと考えるのですが 」
との事ですが、「日禅上人に授けられた所謂、日禅漫陀羅が日蓮聖人筆でない(偽物)と、日有上人等が知っていたから、それを板本尊として模造しても不敬に当たらないと考えて模造したのではないか 」と云う文意ですか?。

板本尊にした方が、保存性が勝ると考えたり、筆跡鑑定もされにくいと思ったかも知れませんね。
95名前:今川元真 投稿日:2006/05/19(金) 12:42:50  
川蝉さん、返答ありがとうございます。 聖人滅度後、法華一乗を宣揚するには漫陀羅本尊が末法無戒の世に合っていると考え(依法不依人其他) 日有上人等は熱原三烈士もしくは蓮・興・目に続く人材の願主を弥四郎国重と表して板本尊を模造したのでは無いかと過った事を思い計り書き込みしました。       板本尊にしたのは耐久力の問題だと自分も思います。紙幅の漫陀羅を板に貼り所表にしたと言われたり、仏像もしくは漫陀羅は修行の道具であると考えていたのであれば、 罪と罰の多少はあれど結果往来だと割り切っていたのかもしれません。
96名前:アキラ 投稿日:2006/11/25(土) 14:54:50  
アマゾンで近日発売とのことです。どんな本ですか。詳細が分かる人、教えて下さい。
97名前:アキラ 投稿日:2006/11/25(土) 14:55:39  
失礼しました。書名は『日蓮正宗の神話』です。
98名前:ドプチェク ◆UILiye31iI 投稿日:2006/12/18(月) 22:48:50  
管理人さん、皆さん、お久しぶりです。
ちょっとだけお邪魔させていただきます。

アキラさん
>>96>>97
書き込まれてからもう1ヶ月近くが経ちますので、もしかすると、すでにご存知なのかもしれませんが、『日蓮正宗の神話』という本は、多分、論創社から出版されているものではないのか?と思われます。
先日、書店で“それらしい本”をたまたま見つけて、手に取ってざっと目を通したのですけど、著者は1992年に日蓮正宗(大石寺)を離脱して、現在、創価学会擁護派の日蓮正宗改革同盟だったか日蓮正宗青年僧侶改革同盟だったかに所属している松岡という人でした(フルネームは覚えていません)。
本の内容は、日蓮正宗と前法主の阿部日顕氏による数々の行状を糾弾したもので、本尊に関する事も取り上げられていました。
じっくり読んでいない為、詳細はわかりませんが。
まぁ、そのようなところです。

いきなり失礼致しました。
99名前:ララ 投稿日:2007/02/24(土) 15:39:11  
初めまして。ララといいます。立場としましては元創価学会員です。
教えていただきたいのですが、「中古天台本覚思想」とはどういったものなのでしょうか?
いろいろとサイトを見て回りましたが私の理解力に合った文が見つからず、お恥ずかしながら質問させてください。
日蓮聖人の御遺文の中でその思想が出てるものは偽書の可能性が高いと聞きました。それはどういった理由なのでしょうか?
お教えいただければ嬉しく思います。
100名前:川蝉 投稿日:2007/02/25(日) 10:13:33  
ララさん初めまして。


真如(宇宙の理法)を単なる理法、真理と見ないで、人格的(理智身)なものとし、一切の諸法はこの法身佛の現れ、流類とし、法界全体を法身仏と考える思想と、

寿量品の久遠実成の教説は、凡夫も無作三身の本覚の仏であることを顕すためのものであると解釈する思想とが、一緒になった思想が中古天台思想と云えましょう。

中古天台の亜流では、ついには、迷いの衆生の振る舞い(行為)は、そのまま仏の行いである、と考えて、修行軽視、釈尊軽視に、おちいった思想も出たようです。


日蓮聖人は、真如をそのまま無作三身の本覚の如来とは捉えていないのです。

久遠実成は、釈尊が三身具足の無始の古仏であることを教示するものであると、日蓮聖人は解釈されています。

十界互具論から、衆生も仏界(仏心)を具していると見ますが、あくまで、妙法五字を介して、釈尊の智徳(因行果徳の功徳)を譲与されなければ、仏心の顕現は出来ない、と云う思想です。

真如を無作三身の本覚佛とし、総ての存在は本覚仏であると考える一元論から、衆生本来仏なり、と云うのではなく、十界互具の実相論から、衆生も三身即一の仏を具している、としているのが、日蓮聖人の立場でしょう。

もし中古天台の思想と同じものならば、日蓮聖人の法門は、内相承の法門とか、別頭の法門とか、神力別付の法門であるなどと、云えないことに成ってしまいます。

ですから、中古天台の思想と酷似している御書は、日蓮聖人の思想としては傍系であるか、偽書と判断されています。
101名前:顕正居士 投稿日:2007/03/03(土) 18:59:45  
天台本覚思想と祖書との交渉に関する基礎的な書物

日本思想大系・天台本覚論(中の田村芳朗師の本覚思想概説)
浅井要麟・日蓮聖人教学の研究

昭和初期の浅井要麟師の一部祖書への疑問と昭和中期の田村芳朗師の文献年代推定が
今日のあらゆる議論の前提になっています。

日本天台本覚思想そのものについては
島地大等・日本仏教教学史
上杉文秀・日本天台史
が基礎的な書物であることは今も変わらないでしょう。

日本天台本覚思想とは日本天台宗を中心に鎌倉・室町時代に発達したわが国独自の
仏教思想であり、以後の日本文化の根底をなすものと一般に理解されています。
鎌倉時代に新仏教なるものが出現しますが、依然、室町時代に発達したのは天台思想で
新仏教もこれを輸入して教義を形成していました。しかし比叡山の破却後、後期中国天台の
思想が輸入され、天台宗、日蓮宗などの学問が一変しました。

祖書との関連で問題になるのは一部祖書には室町時代を待たないと現れない高度に
発達した天台思想が含まれているのではないかということです。
(今日では口伝は問題にならないとおもいます。これらは明らかに室町時代のものですから)
なお前掲書の入手については検索すれば容易に発見できます(リンクが貼れないので)。
102名前:開目 投稿日:2007/03/05(月) 17:52:58  
「妙法蓮華経五字非経文 非其義 唯一部意耳」

上記の「四信五品鈔」の意味は、妙法蓮華経の五字は、法華経一巻の意(こころ)だと日蓮聖人が述べている部分です。

然るに某富士門の掲示板では、それは現代的アレンジで、日蓮は経典を切り離して「妙法蓮華経の五字」を主張したのだと述べています。こういうのも中古天台的思想の影響です。
103名前:問法第三 投稿日:2009/07/05(日) 08:44:04  
日蓮は釈尊を文上と文底で同一の呼称で呼ぶので意味が混同して文意が分かりませんでした。真意を汲むには口伝は必要だと思います。
104名前:明星 投稿日:2013/03/10(日) 02:50:28  
碩学の皆様に安土宗論についてお尋ねします。

安土宗論については、日蓮宗が信長の策略に嵌められたということで
日蓮宗側では決着が付いているようですが、それは日蓮宗側のウソであるという知識人が多いようです。
このことについては如何でしょうか?

↓のように資料を呈示しながら日蓮宗側の負けを言い立てている人もいますし、
http://ameblo.jp/rekishisukikai/entry-10628409246.html

また、井沢元彦氏なども安土宗論は日蓮宗側の完敗と言っています。

これについて、どのように皆さんはお考えでしょうか?
105名前:川蝉 投稿日:2013/03/11(月) 09:22:26  
明星さんへ、その一。
安土宗論の資料を所有していないので、資料を検討しての私の見解は現在の所、述べられません。
「日本仏教全書97」に、日蓮宗日淵の「安土宗論実録」・「信長公記」・日蓮宗日Г痢岼妥斂篥」の三が収録されているそうです。法蔵館の「仏教大辞典によると、「前半は日Р沼の偽書、後半も後世の編集である」としています。
明星さん紹介のブログの見解が、如何なる資料を基に論述しているか解りませんが、かなり一方的な理解の様ですね。
「日蓮宗が武力戦闘集団で有った」旨を語って居ますが、その前に日蓮宗の教線拡大(武力戦闘力に依る勢力隆盛ではありません)を危惧した比叡山の僧兵による「天文法難」が起こり、そのご幾年かは、日蓮宗寺院は京都から追放され、その後、漸く京都布教を許されたので、日蓮宗の布教が再び盛んになり教線拡大著しく成った時点で起きたのが安土宗論です。
「日蓮宗事典」に、日蓮宗の一般的な安土宗論観が説明してあるので、ご参考に以下、紹介します。
●天正七年(一五七九)五月、織田信長の命による日蓮宗と浄土宗との安土宗論の結果、日蓮宗側が蒙むった法難をいう。安土宗論の発端は次のようにいわれる。普伝日門は信長の膝下の安土城下にきて猛烈な折伏伝道を行い、これによってまず土地の有力者大脇伝介、建部紹智は日門の熱心な帰依者となり、かくして、毎日一〇〇人、二〇〇人という改宗者を生じたという。あたかも天正七年五月中旬頃、関東より浄土宗の霊誉玉念という長老が安土城下にきて説法していた。そこへこの大脇伝介、建部紹智の二人が説法の座で疑義を問うたのに対し、玉念は「仏法の深義は若輩の汝らに話してもわからぬ、汝らのたのむ宗門の僧を出せ」といって、七日の法談を一一日間にのばしたことより端を発し、宗論へと進む。しかし本宗論の背景には信長の仏教弾圧政策があり、また浄土宗と信長の計画によって周到に準備されていた。浄土宗の僧聖誉貞安はかねてから信長の寵を得、新しく出入を許されていた人物であったが、安土における日蓮宗の急速な発展をみて痛憤し、これを信長に訴え、信長にとってもまた、かねてから各所に展開された日蓮宗徒の烈しい折伏伝道は、一個の強力な社会勢力として、天下統一を企図する信長にとって無視できぬ存在であった。信長はたえず自身の制覇の障害となるものを除したという。例えば比叡山の焼打ちや石山本願寺との対立などにみられる仏教弾圧政策があり、それ故信長は、これを機に浄土宗との宗論を命じ、日蓮宗の弾圧にのりだしたものといえる。
106名前:川蝉 投稿日:2013/03/11(月) 09:24:18  
明星さんへ、その二。
 さて日蓮宗側では宗論を行う法則五ヵ条を作り、公正を期せられんことを上申したが、勿論これが取上げられるわけはなく黙殺され、いよいよ五月二七日安土城下の浄厳院で両宗は対決。日蓮宗側より頂妙寺日緩・妙覚寺老僧常光院日諦・寂光寺久遠院日淵・法音院(記録者)の四人、浄土宗側では阪東長老哀愍寺霊誉玉念・長老西光寺聖誉貞安・遍照寺信誉洞庫・一心院助念(記録者)の四人、判者には南禅寺長老鉄叟景秀・伴僧稷西堂・因果居士・法相宗の仙覚坊、信長の名代として織田七兵衛尉信澄、奉行・長谷川竹秀一・菅谷九右衛門・堀久太郎が列席し行われた。因果居士自記の『安土宗論』によると、因果居士は景秀が耳遠く聞こえぬので(時に八四歳)、自ら判者を買って出た。そして信長の依頼をうけて浄土宗側に不利な時は「内証あるによって批判せず」と記るし、また問答中にもたびたび浄土宗側に助言し援助するに及んでいる。本宗論の情景を日淵の『安土問答実録』によって再現してみると、法華宗側の傍聴者はみな場外に追い出され、浄土宗側のものは内陣にかくれ、局にひそみ「椽・芝の上まで奉行衆の人数みなみな法華宗の方を取巻き長道具にて、二、三千程もあるかと見えたり、雑人は幾千・万という数をしらず候き。法華宗のてい、かごの中の鳥と見えたり」という物々しさの中で進められた。そして一問一答をとげながら浄土宗はたびたび因果居士の助言のもとに危機を脱したが、そのうちに貞安は「四十余年未顕真実の文を以て破せば、方座第四の妙の一字を捨つるか」と、「方座第四の妙」という経論釈疏にない名目を言いだしてきた。法華宗側では初めて聞く名目にまごついたが、数番の問答で貞安は「汝知らずや法華の妙よ」と答えたので日淵は直ちに応酬し「汝愚癡なり、法華宗に対して法華の妙を捨つるかと問ふ歟、法華宗は法華の妙より立って其外の余法を悉く皆捨つ、汝、言はうずる事なきによって戯言(たわごと)を申すか」と答えた。このとき浄土宗暫く無言、赤面したという。日淵そこで奉行に対し「聞し召されよ、申つめて候」、すると玉念は「此妙、彼妙、妙義殊なることなし、妙は何れも同じ物よ」と、法華経を説く前に説いた諸経(爾前の経)と法華の妙とは同じであるという天台一家の円体無殊論をだした。このような円体同一の議論は法華宗では論じつくされた初歩の教義であり、議論が詭弁より一応の学問論となったから、日諦は物の響きに応ずるが如く「但以帯方便、不帯方便為異はいかに」と問うた。「ただ方便を帯すると、方便を帯せざるを以て異となす、爾前の経は帯方便の麁妙、法華は不帯方便の純妙、妙の名同じけれど義は天地の各別である、この義如何」と責められて玉念は無言、そこで日淵は奉行衆に「浄土両人共につめて候」と「問答の法なれば袈裟を給はらうずる」といったとき、玉念、つと立ち上るや「勝ったり、勝ったり」と二声叫ぶ。これを合図に周囲の人数どっと鬨の声をあげて殺到し、日緩らの袈裟をとり、打つ、なぐる、蹴るの狼藉を加え、日緩らをしばりあげ、場外にあって様子如何とうかがっていた法華宗徒二、三〇〇人を召しとらえ投獄した。信長は知らせを受けて直ちにかけつけ、日緩らをさんざんにはずかしめ、玉念・貞安にむかい「今日の法論近頃手柄で候、前々方々にて法論ありて種々の沙汰は聞いたれども、今度のように手柄なこととは知らなんで候、ここで果てた(この安土で決着した)事なる程に天下日本国かくれあるまじ」とほめたたえたと伝えている。
 こうして宗論は日蓮宗の負けと決せられた。そして信長は普伝日門・大脇伝介を拷問してそのあげく斬り、建部紹智を堺に捕えて殺した。また日諦・日緩・日淵の三人を安土の正覚院に拘禁し、日蓮宗が負けたこと、今後他宗に対して一切法論をせぬこと、日蓮宗を立て置かれて忝けないとの、京都諸本寺連署の起請文を信長に提出しなければならなかった。このようにこの宗論は純粋な教義の争いでなく、信長の計画的日蓮宗弾圧であったといえよう。かくて日蓮宗の態度に変化が生ずる。長老指導者たちによって、従来の強硬な折伏的弘教方法を柔軟な摂受的方法に切換え、おだやかな布教態度、教義づけが行われるようになるのである。しかし、これは信長あるいは秀吉の強力な近世政権を直接に身に感ずる京都を中心とする地域の大勢で、関東ないし中国方面では、この恥辱によって更に折伏的態度を堅持し各地に伝道し、京都にあっても、長老たちの態度に批判的な関東系教学を奉ずるものは、摂受主義の流れの中で毅然とした折伏的態度をもち続けていた。《立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上、宮崎英修『日蓮とその弟子』》(松村寿巌)
107名前:川蝉 投稿日:2013/03/11(月) 09:31:27  
「明星さんへ、その一」の訂正です。

投稿「その一」の四行目を{法蔵館の「仏教大辞典によると、「安土問答の前半は日Р沼の偽書、後半も後世の編集である」としています。}と訂正して下さい
108名前:明星 投稿日:2013/03/13(水) 20:16:56  
川蝉様、

さっそく、安土宗論に関する詳しい資料を教えて頂き有り難うございます。

日蓮宗を批判する人達は、安土宗論によって日蓮宗が詫び証文を書き、
それ以降折伏を行わなくなったのだから、日蓮宗の負けであると一方的に断じますね。

しかし、このたび教えていただいた資料によれば、これは信長の政権確立を
肌で感じていた京都周辺の話であり、関東ないし中国方面ではさらに折伏の
態度を強めていったとなりますと、これは話が違ってきます。

また個人的な感想としては、信長の政策(世俗権力による天下統一)からしてどう考えても
日蓮宗の折伏をそのまま放置するとは考えられませんので、やはり安土宗論には
なんらかの思惑があったものと推察されます。

安土宗論について今後とも自分なりに調べていきたいと思います。
今回はご丁寧に有り難うございました。
109名前:伝六 投稿日:2013/03/18(月) 15:50:00  
安土宗論について考えるには田中智学著「安土法難論」を読むといいと思います。師子王全集論叢篇に収録されています。その一端を紹介しますと、信長の行動のあとをみると、キリスト教を保護して仏教の勢力を一掃しようという政策があった。比叡山は焼き討ちにあって女子供までみな殺しにあった。本願寺もほろぼそうとした。法華宗は戦争をしないから、法華宗得意の宗論で、問答を強制して負け証文を書かせて勢いをなくしてしまう。そういうながれの中の安土宗論です。キリスト教をなぜ保護したかというと、己の政策に利用しようとした。あさはかだが大きな思いつきがあった。歴史的キリスト教が侵略の手先になったということは今日では公論と思います。信長も後にはそのことに気がついたらしい。今も昔も信長の英雄的なところに眩惑されて、彼の殺人鬼的な面など暗部を剔抉する人はほとんどいないと思います。そういう点からも安土法難論は参考にするとよいと思います。
110名前:明星 投稿日:2013/04/15(月) 00:39:15  
>>109
伝六様、

御返事が遅くなりまして申し訳ありません。
ご丁寧に有り難うございます。

やはり安土宗論の背景には信長の政治的戦略がありますよね。
仏教勢力を快く思わない信長が、法華宗の折伏を放置しておくはずがありません。

田中智学先生の「安土法難論」、機会があったら是非拝読したいと思います。
有り難うございました。
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8  真言宗系は此方で  (Res : 24)

1名前:管理者 投稿日:2003/11/12(水) 21:42  
便宜上、このスレッドを立ち上げました。
5名前:野菊 投稿日:2003/11/13(木) 06:51  
因縁仏というのは?
釈尊といえど長い間の修行が因行となって成仏をえたのだと思いますから
別に悪い仏じゃないでしょ?また、その因行果徳はすべて妙法蓮華経に
こめられているのですから、己一人が成仏するような、自家発電的成仏の
真言の即身成仏よりも、ご聖人の説かれる即身成仏の方がすばらしいの
じゃないですか?ただ、一般的に単なる自己目的の達成、先祖供養に
止まるようなお題目では、ご聖人の意思に背くだけでなく他宗とくらべて
も値打ちの無いものになってしまいますよね。ですから、この世を仏国土
にせんとしたご聖人の意にかなったお題目、回向、ご修行でなければと
思います。
6名前:川蝉 投稿日:2003/11/13(木) 09:29  
込山さん今日は。

空き缶さんが
>「山岸観深氏」の説は、私どもからするとごく自然な主張に思わ
>れます。

と云われるとおりですね。

込山さんの友人が

『信仰の読経を因縁とする成仏なら、得られるとしても因縁仏です。これは滅仏です。例えば我心を放下して仏に成るというような発想に近いものが潜んでいると思います。もちろんこの道にも悟りは有りますが、低次の悟りです。少なくとも空海の即身成仏頌を見れば、即身成仏は因縁処生の法には引っかかりません。』

と云っているとのことですが

恐らく、「因縁所生の存在(いろいろな条件によて生じたもの)は、やがて変化消滅する無常の存在である」と云う佛教の教説に基づいて、その友人は
「信仰の読経という修行によっての成仏は修行いう条件によって得た成仏であるから、因縁仏であり、やがて滅する仏である」
と批判しているのでしょう。

法華経では十界互具思想があります。元々具している仏界を唱題受持によって顕現化することを成仏といいます。修行と云う条件によって、元来無かったものが新たに生じたと云う思想ではないのです。
ですから法華経が説く成仏を因縁仏とか、やがて滅する滅仏だとかと貶すことは、法華教学にたいする無知に基づいています。

涅槃経にも「法をが常住であるから、常住の法を悟った仏は未来常住不変の仏である」と主張されています。
7名前:野菊 投稿日:2003/11/13(木) 09:38  
>法華経が説く成仏を因縁仏とか、やがて滅する滅仏だとかと貶すことは、法華教学にたいする無知に基づいています。
ああ、そういう意味なのですか、本と、僕は無知だなぁ〜
無い知識で判断したり、余計な事を言ったり書いたりしてしまうんですね。<(_ _)>
川蝉さんありがとうございます。
因縁仏は褒め言葉と思っていた私。(-_-;)
8名前:込山 投稿日:2003/11/13(木) 11:36  
川蝉さん、野菊さん こんにちは。込山です。

川蝉さんの説明はとても分かりやすくて勉強になります。
ありがとうございます。
日蓮宗は、仏教の諸宗派に対して「法華経」の持つ 文献学的優位性を、
五綱の教判を元に論争することが 可能だと何かの本で読んだことが
ありますが、川蝉さんの説得力ある説明を聞くと、なるほどそ
うなんだなあって納得させられます。
唯心院日忠が宗論ではキリスト教神学さえも打ち負かした歴史が
あるようですが、法華教教学って無敵の教学なのですね。何かワクワクして
きますね。

野菊さん いつもレスをありがとうございます。

>無い知識で判断したり、余計な事を言ったり書いたりしてしまうんですね。

私は、自分の意見を堂々と主張できる野菊さんは立派だと思います。
私なんて、自分の見解を主張するどころかそれ以前に何も判ってないので、
誰かに何か言われても反論することも出来ません。

余談ですが、私は個人的に学問には誤解や過ちはつきものだと
考えています。
ですから、私は誤解、過ちをあまり否定的に考えないよにしています。
誤解や過ちがあるから真理への道が生まれるのであって、
過ちも犯さなければ、真理へも到達しないのではないかと考えてます。
私の場合は誤解以前に、何も判ってないので論外ですが・・・
9名前:空き缶 投稿日:2003/11/13(木) 21:16  
川蝉さん、野菊さん、込山さん こんばんわ。
富士門流の流浪人こと「空き缶」です。

私は狭義な学習しかしていない為、皆様の問題提起と御所論は、大変勉強にになりました。

ありがとうございました。
10名前:空き缶 投稿日:2003/11/13(木) 21:17  
こみやまさん

なんのお役にも立てず、すみませんでした。
11名前:込山 投稿日:2003/11/13(木) 22:29  
空き缶さん こんばんは。

>なんのお役にも立てず、すみませんでした。

そんなこと無いですよ!
私こそ人にばかり頼って、何か恥ずかしいです。

彼女(友人)の日蓮批判はあれだけでは終わりません。
一遍に問題提起して、皆様に負担を掛けるのも心苦しいので
自分でも勉強しながら、彼女の見解を考察して行きたいと
考えてます。
近いうちに、友人(真言宗)の日蓮聖人批判その2『日蓮が即身成仏を
説法したとは時代背景からして考えにくい』を紹介したいと思います。

その時は又宜しくお願いしますね!頼りにしてます。
12名前:今川元真 投稿日:2006/04/09(日) 13:20:08  
大乗仏典を範とするなら、真言宗は、シャクソン・蓮華宝珠・飛天(天蓋から提げる薬王、文殊、弥勒、普賢、四天王、明王)様、四大菩薩(上行・浄行・安立行・無辺行)を造立した方が良いのでは無いかと思います。
13名前:初心者 投稿日:2012/04/09(月) 01:11:47  
はじめまして。
日蓮宗寺院の檀家で、日々読経唱題をさせていただいている一般信徒です。

御遺文のことで質問があるのですが、どちらで質問したら良いのかわからず、
こちらのスレッドで質問させていただきます。もしスレ違いならご容赦のほどを。

日蓮聖人の御遺文『上野尼御前御返事』を、お勤めの際に読み上げる御妙判に加えたいと思うのですが、
漢字の読み方がわからない部分があるのでご教示願えればと思います。その箇所は、

「或いは前花後果と申して花は前に果は後なり。或いは前果後花と申して果は前に花は後なり。
或いは一花多果、或いは多花一果、或いは無花有果と品々に候えども蓮華と申す花は果と花と同時なり」

の部分です。意味についてはもちろん分かるのですが、勤行の際に唱えるものなので、
読み方に間違いがあってはならないと思い、法明教会様の掲示板でこの部分の読み方をお尋ねします。

どうぞよろしくお願い致します。
14名前:明星(初心者改め) 投稿日:2013/01/27(日) 01:04:25  
川蝉様、いつもお世話になっております。「初心者」改め「明星」です。

さて、真言宗の方達は日蓮聖人についてかなり否定的な方が多いようですが、
彼等にとって一番引っ掛かるのは「“真言亡国”と強く非難しておきながら、不動・愛染の両明王を
勧請したり、密教の尊格の梵字をアレンジした花押を使用したりして、密教の影響を多分に受けて
いるではないか。日蓮の主張は矛盾だらけだ!」という点にあるようです。

これについては以前ほかのスレでお答えをいただきましたが、再度確認いたしますと、
日蓮聖人が真言宗を批判されたのは、法華経・釈尊をないがしろにする真言宗の教義を批判したのであり、
密教そのものについては否定していないということでよろしいでしょうか?

さてこのたび新たに質問させていただきますが、観普賢経に釈尊のことを毘廬舎那遍一切処と称する箇所があり、
ここには既に密教の影響が見られるように思うのですが、日蓮聖人は釈尊と毘廬舎那佛(大日如来)との関係をどのように
お考えになっていたのでしょうか?やはり釈尊を本仏、毘廬舎那佛(大日如来)を分身佛と看做しておられたのでしょうか?
(この辺りも真言宗関係者は気に入らないようです(笑))

また、日蓮聖人と密教については複雑な関係にあると思うのですが、以前読んだ本の中で、日蓮聖人の非凡なところは、
台密の伝法灌頂を受けていたり、東密系の理性院流血脈を相承したりしてはいるが、それら相承した秘伝や口伝を
法華経思想のもとに体系化し直し活用した点にある、ということが書いてありました。
これについて川蝉様はどのようにお考えになりますか?
15名前:明星(初心者改め) 投稿日:2013/01/27(日) 01:11:59  
>>14の7行目を少し訂正します。

×・・・日蓮聖人が真言宗を批判されたのは、法華経・釈尊をないがしろにする真言宗の教義を批判したのであり

○・・・日蓮聖人が真言宗を批判されたのは、法華経より真言三部経を上に置き、釈尊ではなく大日如来を根本佛とする教義を批判したのであり
16名前:管理人 投稿日:2013/01/27(日) 11:22:24  
>>14>>15
明星さん、こんにちは。
川蝉さんは下記のサイトを開設しております、そちらに直接おたずねされますことをお願いします。
http://houmyou.blog.ocn.ne.jp/houmyoukyoukai_/
17名前:明星 投稿日:2013/01/27(日) 13:25:24  
あれ?管理人さんは川蝉さんではないのですか??

これは大変失礼致しました!ずっと同じ方だと思っておりました・・・ポリポリ (・・*)ゞ

知らぬ事とはいえ、見当違いの質問を書いてしまい申し訳ありません。
法明教会様のサイトに質問し直すことにします。有り難うございました。
18名前:川蝉 投稿日:2013/01/28(月) 15:12:49  
明星さんへ。

日蓮聖人についての誤解浅識から、勝手に「日蓮の主張は矛盾だらけだ!」と思っているのでしょうね。
日蓮聖人は「法華経は仏教の大綱を説いてあり、細目は諸経に説いてある」と見ています。だから法華経の教理に反していなければ引用したり、法華経的意義を与えて用いています。
梵字は印度の古語で真言宗に特許権があるわけで無いですね。
日蓮聖人の花押が「真言宗の菩薩あるいは明王の梵字種子を原型にしている」と云う確かな証拠が有るのですかね?。
「密教そのものについては否定していないということでよろしいでしょうか?」との事ですが、明星さんは「真言宗所依の真言三部経」などをさして、密教と表現しているのと思いますが、日蓮聖人は真言三部経を未顕真実の経・方等部に摂属している経と見ています。

経典成立史からいえば法華経の方が真言三部経よりずっと成立が早いのでしょうし、法身・応身・報身などの呼称も、真言三部経成立以前より、すでに使われていた語句と思います。
観普賢経に釈尊のことを毘廬舎那遍一切処と称しているからと云って、それが「密教の影響」と即断するのは間違いでしょう。
天台密教では、大日如來と釈尊とは別仏で無いと見ているようです。釈尊の法身の徳を大日如來として表していると云う考えですね。
「日蓮宗事典」にも、
日蓮聖人は「大日法身と云ふは法華経の自受用報身にも及ばず。況んや法華経の法身如来にはまして及ぶべからず」(『真言天台勝劣事』定四七九頁)と批判し「大日は只是釈迦の異名」(定四八〇頁)であるとした。なお天台密教では大日法身と釈迦応身とは二仏同体、東寺密教では釈迦・大日は別体とする。」
と解説しています。
「(真言宗の)秘伝や口伝を法華経思想のもとに体系化し直し活用した」と云う確かな証拠や事実があるのですか?。
先方が勝手に思い込んでいるだけだと思われますね。
19名前:明星 投稿日:2013/01/28(月) 23:18:45  
川蝉さま、

こちらから教会のサイトにお伺いしようと思っていた矢先に、
川蝉さまの方から詳しいご回答をいただきまして、誠に感謝の至りです。

>日蓮聖人は「法華経は仏教の大綱を説いてあり、細目は諸経に説いてある」と見ています

これは重要なご指摘です。私も破邪顕正というのは、単に他の経典を頭から排撃する
ということではないと思っておりましたが、できればこのことを説いた御妙判を
教えていただけませんでしょうか?

>観普賢経に釈尊のことを毘廬舎那遍一切処と称しているからと云って、それが「密教の影響」と即断するのは間違いでしょう。

そうですね。この辺りは諸経典の成立史をもう少し研究しなければなりませんね。

>「(真言宗の)秘伝や口伝を法華経思想のもとに体系化し直し活用した」と云う確かな証拠や事実があるのですか?。
>先方が勝手に思い込んでいるだけだと思われますね。

これはですね、豊嶋泰國氏が著書で指摘されていたことなのですが、
藤巻氏は真言宗側の説明を鵜呑みにされたのでしょうかね?
他宗派では、四箇格言をいまだに根に持って日蓮聖人を貶めようとする方が多いのですかね。

また世間的には、創価学会や顕正会などの影響もあり、日蓮聖人という人はエキセントリック
な過激な僧侶というイメージが定着しており、日蓮信徒としてはなんとも歯痒い次第です。
こんなサイトもありまして、しかもなかなか好評のようです。
http://d.hatena.ne.jp/Halalneet/20091109/1257784704

私も時間があればもっと深く勉強して、しっかりと自身の信仰を確立したいところですが、
なかなかそういうわけにもいかず、歯痒い日々です。
これからもご指導よろしくお願い致します。
20名前:明星 投稿日:2013/01/29(火) 00:34:49  
>>19の13行目訂正いたします。申し訳ございません。

×・・・藤巻氏は真言宗側の説明を鵜呑みにされたのでしょうかね?

○・・・豊嶋氏は真言宗側の説明を鵜呑みにされたのでしょうかね?
21名前:川蝉 投稿日:2013/01/29(火) 11:38:10  
明星さんへ。

『観心本尊得意抄』に有る次下の文です

総じて一代聖教を大に分つて二と為す一には大綱二には網目なり、初の大綱とは成仏得道の教なり、成仏の教とは法華経なり、次に網目とは法華已前の諸経なり、・・・所詮成仏の大綱を法華に之を説き其の余の網目は衆典に之を明す、法華の為の網目なるが故に法華の証文に之を引き用ゆ可きなり、・・ 問う法華を大綱とする証如何、答う天台は当に知るべし此の経は唯如来説教の大綱を論じて網目を委細にせざるなりと、問う爾前を網目とする証如何、答う妙楽の云く「皮膚毛綵衆典に出在せり」云云、
22名前:明星 投稿日:2013/02/01(金) 02:21:16  
川蝉様、ご教示有り難うございます。

なるほど、やはり大聖人様のお考えは法華経思想に反しない限り、他経も包摂するというものですね。

ただ、ここでひとつ疑問が生じるのですが、よく大聖人様のお言葉として引用される、
「正直捨方便不受余経一偈」との整合性はどのように考えたら良いでしょうか?
一見、矛盾するように思えてしまうのですが・・・
23名前:川蝉 投稿日:2013/02/01(金) 15:54:14  
明星さんへ。
先に、お知らせした「観心本尊得意抄」の文は、「爾前の経を未顕真実と捨てながら安国論には爾前の経を引き文証とする事は自語相違では?」との他宗の僧侶の質問に対して「一代聖教を大に分つて二と為す一には大綱二には網目なり、初の大綱とは成仏得道の教なり、成仏の教とは法華経なり、次に網目とは法華已前の諸経なり、彼の諸経等は不成仏の教なり、・・・但し権教に於ても成仏得道の外は説相空しかる可からず」と答えた部分です。
この他宗の僧の質問は明星さんの「正直捨方便不受余経一偈との整合性は?」との疑問と同じですね。「但し権教に於ても成仏得道の外は説相空しかる可からず」の部分を注視して下さい。

「譬喩品」の「ただ楽って大乗経典を受持して乃至余経の一偈をも受けざる」との句について日蓮聖人が
「秋元御書」に「法華経を行ずる人の一口は南無妙法蓮華経一口は南無阿弥陀仏なんど申すは飯に糞を雑へ沙石を入れたるが如し、法華経の文に『但大乗経典を受持することを楽うて乃至余経の一偈をも受けざれ』等と説くは是なり、世間の学匠は法華経に余行を雑えても苦しからずと思へり、日蓮もさこそ思い候へども経文は爾らず」と、「行(成仏の行)としては、他宗の行と法華経の行を同等に思ったり、雑えて行じてはならない 」との教示だとしています。
方便品の「正直捨方便」の句は、
「如来出でたる所以は仏慧を説かんが為の故なり 今正しく是れ其の時なり 舎利弗当に知るべし 鈍根小智の人 著相・慢の者は 是の法を信ずること能わず 今我喜んで畏なし 諸の菩薩の中に於て 正直に方便を捨てて 但無上道を説く」の文の中に有る句ですね、「弟子達の機根が調ったので、今までの方便の教経を捨てて(方便の教えを説くことを止めて)、いよいよ出世の目的である真実の教え法華経を説くのである」との意味ですね。
24名前:明星 投稿日:2013/02/13(水) 20:53:28  
川蝉さま、
御礼が大変遅くなりまして申し訳ありません。
わかりやすいご回答をいただき有り難うございます。

>但し権教に於ても成仏得道の外は説相空しかる可からず

なるほど、成仏得道の行法においては権教は交えてはならないが、
それ以外の部分なら権教も参考にしてもよいという立場ですね。

>「行(成仏の行)としては、他宗の行と法華経の行を同等に思ったり、雑えて行じてはならない 」との教示だとしています。

なるほど、よくわかりました。

>「弟子達の機根が調ったので、今までの方便の教経を捨てて(方便の教えを説くことを止めて)、
>いよいよ出世の目的である真実の教え法華経を説くのである」との意味ですね。

「正直に方便を捨てて」というのは「方便を廃棄する」ということではなく、準備が整ったので
「いよいよ真実の教えに入るぞ」という意味なのですね。誤解を招きやすい表現だと思いますが、
これはサンスクリットの原典に当たれば誤解も解けるのでしょうね。

本当に勉強になりました。有り難うございました。
今後ともよろしくお願い致します。
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9  本門の戒壇について  (Res : 164)

1名前:野菊 投稿日:2003/10/09(木) 09:02  
またまた新スレッド作ってしまいました。<(_ _)>
本門の戒壇というとすぐ国立だの富士山だのとなってしまいますが、
私は一番重要なのは、自誓戒ということが本門の特徴だと思うのです。
偉い坊さんから授かるのではなくて、自らすすんで御本尊に誓う。
折伏といえどもこの例外ではなくて、説き伏せて、泣き脅して(笑)
某教団などとは違い、我々はそんなことはしませんが、そんな方法で会員を
増やしたところで、他人に強制されて立てた誓いでは本門の戒壇ではないわけです。
どうでしょう?
145名前:大東亜の星 投稿日:2010/03/08(月) 13:47:21  

国柱会の田中智学という人物の元を糾せば、邪宗日蓮宗身延派の坊主をやっていたが途中で坊主の職を投げ出し還俗して明治13年に蓮華会を設立したのである。その2年後の明治15年に我が日蓮正宗に教義論争を仕掛けてきたのであった。後の「横浜問答」といわれるものだ。この時、本宗第52世の日霑上人が教義論争の主席を務められ、田中智学は口をして鼻の如くコテンパンにやっつけられたのである。

その後、田中智学は姿を晦まし秘かに我が日蓮正宗の教義を深く学び、明治35年に彼の著述した「本化妙宗式目」と後の「日蓮聖人の教義」の中で盛んに「富士戒壇論」や「国立戒壇論」なる語句を好んで使用することになったのだ。正確には、田中智学の方が我が日蓮正宗の教義を盗んで「国立戒壇論」を口真似したのは明白な事実なのである。誰が考えても解るとおり、日蓮正宗の信徒でもない身延の坊主崩れが、大聖人の終窮究竟の本願を知る道理は存在しないという事だ。

その証拠を示す。本宗第六十五世日淳上人は「田中智学氏の『日蓮聖人の教義』なる著書は、日蓮正宗の教義を盗んで書いたものであることは明白である」(興尊説冤盲説を破す)と御教示であり、また、創価学会から発行された(日蓮正宗創価学会批判を破す)書籍には「じつに国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人にのみ御遺命になったのである。そしてその場所も、富士山と明白にご指示になっている」との記述に明らかである。

また「あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきたことは明白になった。近頃は田中智学門流でも、本宗の国立戒壇を囀っているではないか」などと、田中智学の国立戒壇論を批判しているのである。

かつて日蓮正宗の信徒団体であった創価学会ですら、このように田中智学を批判していたのである。田中智学は後年、戒壇の御本尊ばかりは如何にしても手が届かない事を悟り、それに対抗するため「佐渡始顕の本尊」なるものを編み出したのである。身延の坊主だった過去を持つ田中智学が、日蓮正宗の宗門古来からの「国立戒壇」を言い出した。等という悪坊主日顕の邪義ということが歴然としたことであろう。

憲法違反の的外れの批判を恐れる悪僧日顕は「国立戒壇」は田中智学が創唱したという邪説を展開し「国立戒壇」なる教義は、本宗には存在しない邪義だとする事で国家を欺き、八百万信徒を騙し続けているのである。「国立戒壇」を否定する事によって、憲法に従属、迎合する形で安住の地を得ようと計ったのであるが、現今の正宗僧侶の全ては悪僧日顕の邪義に染まって、心底から「国立戒壇」は田中智学の創唱と思い込んでいるのであるから始末が悪いのである。
146名前:伝六 投稿日:2010/03/10(水) 20:20:23  
145の書き込みについて参考までにききますが、横浜問答については、富士山宗学要集の記録を読んだ上で書いているのか、それとも誰かから聞いたことをそのまま書いているのかどちらですか。
147名前:大東亜の星 投稿日:2010/03/12(金) 11:10:20  

邪義破折班の「最後に申すべき事」を砕破す(P.9)に、悪坊主日顕さんをヨイショして胡麻すりながら諂って云く「御法主日顕上人御登座二十七年の長きに亘る宗門教導のお振る舞いと、僧俗一致の真の広布大前進の実相こそ、大聖人の門底下種仏法を日顕上人が厳然と承継遊ばされていることを証明しているのである」云々と。

思い起こせば、悪坊主日顕さんが猊座を簒奪したのは昭和54年7月22日、先代の悪僧日達管長さんが「国立戒壇」の御遺命を歪曲した仏罰により、入院先のフジヤマ病院で退院の朝、突然の激烈な発作に見舞われて、臨終思うようにならなず黄泉の国へ旅立ったのです。その期に乗じて悪坊主日顕さんは自己申告によって猊座にしがみつかれたのでした。それは、当日の夜の日達管長さんの通夜の席で参列者の多くが茫然自失して意気消沈している最中、「実はあっしが相承の授受を賜っとったんよ」などと。まさか、そんな、と思う間もなくおもむろに宣言して、第六十七代を継くに至ったのでした。

それでも管長職に就いた当座は何とか乗り切れたものの、悪坊主日顕さんは突然黄泉の国へ旅立った悪僧日達管長さんに輪を掛けたような下劣な人で、それこそ、創価学会の走狗のような諂いぶりでした。昭和52年の教義逸脱問題から法華講総講頭の重職を投げ出して責任を取った池田大作さんを、再び彼の誕生日を選んで総講頭の要職に任ぜられたのでした。そんな悪坊主の日顕さんに異論を唱え反旗を翻した坊さん達は、宗門全僧侶の2/5に達するほどの200人を超える数に及んだのでした。

これら200人を数える坊さん達が一斉に血脈相承の授受を疑い、悪坊主日顕さんを「法主に有らず」として裁判の席に誘き出して決着を付けようと裁判を仕掛けたのです。そうしたところ、悪坊主日顕さんはその報復として、その者達の頸を斬るべく、擯斥処分(宗門追放)で対抗する事となり、宗門挙げての前代未聞の大騒動となったのです。処分を受けた200余名の坊さん達が支配する寺院数も200ヵ寺に及び、その坊さん達の後には約10万人の正宗信徒が控えていたのです。それが現在の正信会です。今現在176ヵ寺が正信会系の寺院なのです。

悪坊主日顕さんは、200人を超える坊さんの頸を斬ったものだから、自動的に200ヵ寺を超える寺院と10万人の正宗信徒の頸を斬ることに繋がったのは云うまでもありません。こんな酷い仕打ちは出家僧侶としてあるまじき無慈悲な所業です。頸を斬られた坊さんの中には、その象徴的な存在として、あの第六十六代の猊座を務めていた悪僧日達さんの次男坊である、実修寺の住職をしていた細井琢道が含まれている事は、驚きと共に特筆される出来事でした。

こんな驚天動地の不祥事は邪教日蓮宗、諸山でも決して起こらない忌まわしい出来事です。これこそが、宗祖日蓮大聖人の御遺命である「国立戒壇」の本願に背いた仏罰なのです。「国立戒壇」を放棄した正宗信徒は、唯一の大目的を失ってしまったのです。そうなってしまえば活力を無くしてしまうのは当然の帰結です。まるで、信徒の大半は老人ばかりの無気力な集団に成り果ててしまったのです。

宗門では昨年「立正安国論正義顕揚七百五十年」と銘打って大きな掛け声と共に3年がかりで盛大な式典を催しました。その折、本山に78,423人の信徒を総動員して無意味で虚しい式典を開きました。なんの感激も沸かないまま、次への目標を打ち出しました。それは、‘興上人御誕生七百七十年の平成27年までに、法華講員数の50%増を目指す。大聖人御誕生八百年の平成33年までに、法華講員数を現在の40人万体勢から80万人体勢にするというものですが、いずれの目標も掛け声倒れで虚しく終わるものと思われます。
148名前:伝六 投稿日:2010/03/12(金) 12:53:41  
146の書き込みの富士山宗学要集は富士宗学要集の打ちまちがいにつき訂正します。
149名前:大東亜の星 投稿日:2010/03/13(土) 10:31:52  

邪義破折班の「最後に申すべき事」を砕破す(P.10)に、悪坊主日顕さん諂って開き直って云く「御法主日顕上人が、いつ御本仏一期の御遺命を破壊せんとしたのか。それこそ事実無根の妄言である」云々と。

邪義破折班のこれほどの開き直りは他に類例を見ない悪質なものだ。邪義破折班に籍を置く諂いの面々も、宗祖大聖人の御目は恐ろしくはないとも、悪坊主日顕さんのギョロ目は怖いと見えて、上記のような言辞を弄して魔僧のお先棒を担いで平然としている有様だ。悪坊主日顕さんの御遺命を破壊した言説は、枚挙に暇も無いほど存在するが、その代表的な実例を少しく挙げると次のとおりである。

昭和42年、正本堂の建立発願式に参列した後に悪坊主日顕さんの云く「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、本懐成就より六百八十年を経て、現法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕さんとしている」などと。悪坊主日顕さんは、正本堂を指して「事の戒壇の建立」と言って邪義を展開しているではないか。

次に悪坊主日顕さんは「国立戒壇の誤りについて」と題する冊子の中では、三大秘法抄の文々句々を曲会して云く「王法」=「政治をふくむあらゆる社会生活の原理」等と、頓珍漢な出鱈目解釈をして創価学会の「国立戒壇」放棄を助けたのである。更に「王臣一同」=「民衆一同」と捩じ曲げ「有徳王」=「池田先生」と諂い「勅宣並びに御教書」=「現行憲法の信教の自由の保証によって実現」などと、とんでもない解釈をして池田大作さんを喜ばせている。

「霊山浄土に似足らん最勝の地」=「大石寺境内」と牽強付会し、「時を待つべきのみ」=「現在は王仏冥合の時であり、現在戒壇建立の意義を持つ戒壇堂を建てるベき時」として、正本堂の建設を諸手を挙げて賛成していたのである。また「覚徳比丘」=「日達上人」などと解釈して、いぶかる信徒を、衣の権威で威圧したのは他でもなく、悪坊主日顕さんであったのは紛れもない時事なのだ。

序にいうと、「王法」とは、一義的には王の法であるから天皇の定める法令をいうのであるが、具体的には「王法」とは、国家統治の法則を指すことは云うまでもない事なのである。
150名前:大東亜の星 投稿日:2010/03/16(火) 13:30:00  

邪義破折班の「最後に申すべき事」を砕破す(P.11)に云く『御法主上人には、その折、某二老師の古稀の宴席に他の第六十世日開上人の遺弟、法類の方々と共に、それも夫々夫人同伴で招待されたものである。したがって、汝が誹謗する如き、「芸者あそび」などではない。二老師の一生に一度の晴れのご招待の席を「芸者あそび」などと貶すとは無慚極まるというほかない』などと。

これは悪坊主日顕さんが、創価学会から贅を凝らした「芸者あそび」を指摘された時の言い訳である。おおよそ、出家僧侶たるものは、小欲知足を以って旨とすべきなのである。御開山上人の二十六ヵ条には「先師が如く予が化儀も聖僧たるべし、但し時の貫首或いは修学の仁に於いては、設ひ一旦の媱犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事」と御教示であるが、この誡文の冒頭部分の「先師が如く予が化儀も聖僧たるべし」とは、坊主の妻帯を禁じておられる誡文そのものなのである。

それを、棚に上げて「某二老師の古稀の祝いの宴席に夫々が夫人と同伴で宴席に招待された」とは恐れ入る。これはいうなれば出家僧侶の堕落以外に何ものでもない。大体、出家僧侶の衣食住の全ては、在家信徒が供養という簿財で一切を賄っているのである。僧侶たるものその一端に思いを馳せれば、温泉場で贅沢三昧の宴席を挙行するなどもっての外であろう。

また、御開山日興上人は「未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて髄力弘通を致すべき事」とのご教示を併せ拝する時、大聖人の御遺命たる「国立戒壇」を永久放棄しながら、古稀を祝う宴席を設けるとは言語道断、正系門家の名はすでに地に落ちたという以外に言葉もない。ここで正系門家たる所以は、何を以って正系門家と呼ぶに値するかと云えば、「一期弘法付嘱書」に明白にお示しなのである。それは、大聖人の御存生の御時から、本門の本尊と、唯授一人の血脈と、国立戒壇の三ッを頑なまでに堅持して来たが故に正系門家と呼ばれて来たのである。

ここで「一期弘不法付嘱書」を謹拝してみよう。「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり。時を待つべきのみ。事の誡法と謂うは是なり。就中我が門弟等此の状を守るべきなり」と。

「日蓮一期の弘法」とは「本門の本尊」の御事である。次に「白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す」とは「唯授一人の血脈」である。次に「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり」とは正しく「国立戒壇」ではないか。

ところが、昭和45年5月3日、悪僧日達さんは創価学会の第33回総会の席で、池田大作さんの身に余る奢侈に溺れ、遂に諂いが高じて「国立戒壇」の永久放棄宣言をやってのけ、取り返しのつかない過ちを犯してしまったのである。こうなっては、最早当然の事ながら正系門家とは言えないのである。この宣言を耳にした邪宗日蓮宗はもとより、日本のあらゆる宗教団体は諸手を挙げて、「国立戒壇」永久放棄を歓迎し、今に我が家の春を謳歌しているのである。

正系門家切っての英邁な猊下であられた第六十五世の日淳上人は「真に国家の現状を憂える者は、其の根本たる仏法の正邪を認識決裁して、正法たる国教樹立こそ必要とすべきであります。(大日蓮 昭和32年1月号)とご教示なのである。この堂々たる獅子吼こそ、日蓮門家は味職すべき金言なのである。
151名前:大東亜の星 投稿日:2010/03/18(木) 15:54:11  

邪義破折班の「最後に申すべき事」を砕破す(P.17)に、悪坊主日顕に諂い迎合して云く「血脈付法の御法主上人は、御内証に大聖人以来の法水を御所有遊ばされ、以って御遺命を捧持されているのである」云々と。また、(P.17)に云く「そもそも、唯授一人金口嫡々の血脈相承により大聖人の御遺命を捧持あさばされる御法主上人が、御遺命に背くなどということは絶対にありえないことである」などと。

何度も云うようだが、日蓮正宗が正系門家たる所以は、三つの大事を堅持して来たからである。)槎膕壇の大御本尊がお在すこと。⇒授一人の血脈が存すること。K槎膕壇=「国立戒壇」を本願としていること。これ等の三つの大事は日蓮正宗の命なのである。故に、一期弘法付嘱書には、この三大事が明確に示されているのである。

悪坊主日顕は管長職に就く以前から、現在の日本国憲法を主、仏法を従としての認識に立ち、の「国立戒壇」を否定し続けてきたのであれば、邪義破折班の吹聴する如く「大聖人以来の法水をご所有遊ばされ、御遺命を捧持されている」云々は、まるで当らない嘘八百という事だ。

邪義破折班は、大聖人の御遺命に背いた悪僧日達管長と、悪坊主日顕管長を両上人として持ち上げて(P.18)に云く「両上人は、令法久住、広宣流布を第一義として、僧俗一同を教導あそばされてきたのである。御慈悲あふれる日達上人、日顕上人に反逆」などと、聞いて呆れて寒気でゾクゾクするような賛辞を並べて両管長を絶賛しているが、拙者がその化けの皮を剥がしてあげよう。

「国立戒壇」を永久放棄して正本堂を「事の戒壇」と偽り宣伝した悪僧日達管長の云く「今振り返って我々が戒壇を論ずる時、三大秘法抄・一期弘法抄に云う処の戒壇は理想の大戒壇である。それは望ましい戒壇である。然し、今我々は現実に帰り、この戒壇の御本尊在します所は即ち、常寂光土・真の霊山であるという深い信念の下に御本尊を信じて行かなければならない。
152名前:大東亜の星 投稿日:2010/03/18(木) 15:55:48  

もし、現在のこの戒壇の御本尊在します所が、事の戒壇でなければ、所詮義の戒壇であるならば、だだ理論上のことだけになってしまう。それならば、何も本山まで貴い時間と金を費やしてお参りする必要はないことになる。もしどうおしても三大秘法抄の立派な戒壇を望んで、それが最高の戒壇として、そこに於いて成仏を遂げようとするならば、それまで本山にこなければよろしい。それまで成仏しなければよろしい。

ただいつ来るか判らない未来の世界に浸っておるよりも、現実のこの世界に於いて我々は信心の誠を行かなければならない」云々と。(大日蓮 昭和45年7月号)とある。

これは正に驚きである。凡そ血脈を継がれた貴い貫主にあった方の言葉とは到底思えない言辞である。「現在のこの戒壇の御本尊の在します所が、事の戒壇でなければ、所詮義の戒壇であるならば、ただ理論上のことだけになってしまう」とは、正本堂を指して事の戒壇と牽強付会して、800万進とを騙したうえに、日本国家をも騙し続けたのである。

次に、正本堂が義の戒壇であり事の戒壇でないならば「何も貴い時間と金を費やして本山にまで足を運ぶ必要がない」とは恐れ入る。金だけ毟り取られた挙句、こんな下衆な言葉が返ってくるとは悲しくなってくる。また「もしどうしても三大秘法抄の立派な戒壇を望んで、それが最高の戒壇として、そこに於いて成仏を遂げようとするならば、それまで本山にこなければよろしい。それまで成仏しなければよろしい」とは、何たる言い草だ。これでは、まるで悪ガキの捨て台詞そのものではないか。

こんな暴言を吐いて純真の信徒を愚弄して信心を欺くような貫主だから、仏罰を蒙ることになったのであろう。悪僧日達は、昭和54年7月22日の未明、退院の朝、入院先のフジヤマ病院で、激烈な発作に見舞われ急死を遂げ、正系門家の貫主に有らざる見っとも無い死にざまを晒すことになったのである。
153名前:あんだお前? 投稿日:2010/04/30(金) 23:09:32  
創価学会かよ?
154名前:通りすがり 投稿日:2011/01/25(火) 12:48:16  
大東亜の星←どうも顕正会系の人らしいですね。
 それにしても表現の仕方が余りに汚く、到底、礼儀礼節を重んじる筈の仏教徒とは思えないお人柄です。
 この板の注意事項にも抵触しているような…。
 私の御師匠様はいつも言われています。「仏教徒は何故、合掌礼に始まり合掌礼に終わるか。それは礼儀礼節を重んじる証でもある」と。
 別に綺麗事をならべるつもりはありませんが、ネットという顔を知らない人同士の対話であるならば、尚更、こういうことは気をつけて互いが無用な感情に走らないようにするべきではないでしょうか?
155名前:伝六 投稿日:2011/02/26(土) 20:22:38  
大東亜の星というハンドルネームだから、大東亜の星たることをめざしているのかもしれないが、書いてあることは掲示板のゴミである。富士宗学要集の一局部を読んでのことか、その他の伝聞?を読んでかしらぬが、「口をして鼻の如く」などと事実無根のことを書くのは正気の沙汰ではない。自らの修養につとめられよ。
156名前:名無し天 投稿日:2012/01/11(水) 18:52:49  
本門の戒壇を論じるときに、「国立か、民衆立か。どこに立てるか」といった議論ばかりが目立ちますが、
その戒壇堂が建立されたとき、授戒する師はどなたがなるのでしょう?

妄語ばかりついて、すでに妄語戒を破りまくっている人でも授戒師になれるでしょうか?
また、「我等こそ大聖人の正統なり」主張する在家団体の人が授戒をしようなどと、およそ仏教史に例を見ないことですが、

’鵬の人でも授戒師になれるのか
∈濂箸任蘯戒師になれるのか

以上の2点について、どなたかご教授願えませんでしょうか。よろしくお願いいたします。
157名前:名無し天 投稿日:2012/01/11(水) 23:29:41  
訂正 ×妄語戒 → ○不妄語戒

「妄語戒」では嘘をついても良いことになってしまいますね(笑)失礼しました。
158名前:伝六 投稿日:2012/01/13(金) 10:03:02  
本門戒体抄によれば、受戒には必ず三師一証一伴で、三師は迹門の受戒は和尚(わじょう)釈迦如来、阿闍梨文殊師利菩薩、教授弥勒慈尊でほかの戒師はもちいられていません。信者が師としている人から戒を授かるのは、その人から授かるのでなく、三師から授かるので、その場合授戒の儀式をおこなう人は伝戒であるという位置づけになると思います。どんなえらい人でも伝戒師であって、伝授戒師ではない。日蓮聖人は公場対決がおこなわれたら、「わが弟子等の出家は主上上皇の師となり在家は左右の臣下に列せん」となることを言われています。この場合の出家はいわば宗教の専門家という意味だと思いますが、肉食妻帯をしない文字どおりの出家であるという意見もあると思います。
159名前:名無し天 投稿日:2012/01/13(金) 14:36:19  
>158伝六さん

大変ありがとうございます。私が持っております米田版・御遺文集には本門戒体抄が載っておりませんので、
いずれ全文を読んでみようと思います。

戒を授けるのは、迹門の場合でいえば釈迦と文殊・弥勒であって、儀式を行う人は仲介役という理解でよろしいでしょうか?
仲介役でしたら破戒など一切ない完全無欠の人でなくても勤まりそうですね(笑)

「わが弟子等の出家は主上上皇の師となり在家は左右の臣下に列せん」
これも本門戒体抄の御文でしょうか?大聖人のご真筆かどうかはともかく、この文が書かれた当時としては、
伝戒は出家が執り行うもので、在家が執り行うものではないという意識があったのでしょうね。

私はこの文を読んだかぎりでは、出家は文字どおりの出家であろうと思うのですね。宗教専門家という意味だとすると、
受戒の場にいるような人は僧侶でない人も宗教専門家と自称できるでしょうし、するとそこには在家が存在しないことに
なるのではと思ってしまいます。

すると、本門の場合の戒師は釈迦、地涌の菩薩(二人)となるのでしょうか。曼荼羅の座配から推察すると上行菩薩と浄行菩薩
ということになりそうですね。

以前、あるサイトで「日蓮花押がバンからボロンに変わったのは、授戒を意識したからではないか」といった内容の記述を読んだことがあります。
(うろ覚えなので、詳細な説明ができませんが)曼荼羅の中の「日蓮・花押」が、大聖人は伝戒師であることを意味している・・・と、ふと思いました。

御叱正等いただければ幸いです。
160名前:伝六 投稿日:2012/01/13(金) 19:39:23  
伝戒の師の資格の問題はよくわかりません。戒というのを五戒とか十善戒とかの具体的なものだとすれば、末法は無戒ですから、破戒の問題はおこりません。妙法受持の根本戒を破っている場合は問題外でしょう。「わが弟子等の・・・・」は「諸人御返事」の御文で真蹟があります。本門の場合の戒師は本門戒体抄には書かれていません。「南無妙法蓮華経釈迦多宝上行菩薩血脈相承修行したまへ」(生死一大事血脈抄)という御文からかんがえると、上行菩薩は三師のなかの一師で、上行菩薩の応現としての日蓮聖人は伝戒師ではなく、伝授戒師の資格となると私は考えます。日蓮聖人には凡夫日蓮の立場と上行日蓮の立場とがあると考えます。
161名前:名無し天 投稿日:2012/01/14(土) 15:13:21  
「末法は無戒」という言葉をよく聞きますが、実を申しますと私がここで質問を始めたのはまさにこのことについて疑問を持ったからなんですね。

(スレ違いかと思ったので、ストレートに書かなかったのですが)戒が無いなら戒壇も必要ないことになり、妙法を受持することが戒で肉食妻帯は可なら、日本はいざ知らず、アジアの他の仏教圏でそんな出家者の声に耳を傾ける人がいるでしょうか。

(是非はともかく)日蓮宗の修法師のところで、それぞれ悩みをかかえた人たちが御祈祷を受けるのは、100日間の厳しい荒行を終えた人を信用しているからです。
スリランカの道端で僧侶たちが供養を受けるのは、釈尊の時代から続く戒律を守っている人だからと信用されているからです。

私の言いたいことは、犀角独歩さんがすべて書かれていらっしゃるので、多くを述べるのは控えたいところではあります。
ttp://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51855044.html#

明治政府による廃仏毀釈で建物や仏像が壊されたことがよく語られますが、「肉食妻帯勝手たるべし」によって仏教の精神が壊されたことに、どれだけのご僧侶方が気付いておられるでしょうか。
「日本仏教は時代の変化に応じて発展した」と語られますが、広宣流布は日本一国ではありません。

妙法受持の戒を言い訳に在家同様の生活を送る僧侶に一閻浮提広宣流布など果たしてできるでしょうか。

「戒壇で受ける戒とは何か」が判明すれば、戒壇堂のあり方は自ずと解決される問題であると思っています。

「大地を的とするなるべし」と言われる広宣流布を真剣に考えていらっしゃる方、特にご僧侶のご意見を賜りたいと存じます。
162名前:伝六 投稿日:2012/01/15(日) 11:24:23  
「出家在家、法を護らんには其の元心の所為を取り、事を棄て理を存してまさに大教をひろめよ」という章安大師のことばがあって、事の戒というものを持たないという意味で無戒ということであって、戒が無いなどということではない。今の僧侶は昔の基準からは、ウバソクであって、比丘と称しても南方仏教では認めないというのはあたりまえでしょう。現在日本の仏教界に比丘は存在しない。しかし将来において、宗団において比丘が存在するようになるかもしれない。そんなことはわからない。「妙法受持の戒を言訳に」とはなんという言いぐさか。いったいあなたは、信者なのか、疑者?なのか。なにを広宣流布するつもりなのか。
163名前:名無し天 投稿日:2012/01/17(火) 14:34:49  
できましたら他の方のご意見も賜りたかったのですが、この掲示板をご覧になる人は少なかったのでしょうか。

末法無戒の意味がよく分かりませんでしたが、少なくとも私が意味を間違えてとらえていたことが分かりました。ご教示に感謝いたします。

私が書き込んだ後に、「そういえば昔は、入道という存在があったな・・・」と思い至りました。もちろん、私は仏様の教えを信じる信者であるつもりですが、出家のあり方に疑問をいだく疑者であったかもしれません。

広宣流布する法体は素晴らしくても、広める人の行いが正しくなければ、人々の理解は得られないのではないかと思ったのですが、「同じ法を信じる者として、僧侶も信徒も力を合わせていくべき」と、結局私の中では元の結論に戻ってしまいました。行いの正しさを言うのであれば在家も同じことで、まずは自らを律することも大事ですしね。

言葉の使い方が下手なので誤解を与えかねませんが、
「五戒を破るよりも法華誹謗の罪は重い」→「法華誹謗の罪よりも五戒を破る方が罪は軽い」→「法華を守るためには五戒を破ってもよい」→「例えば親を殺すこともやむなし」

かなり極端な例ですが、オウム真理教はこのような思考を持っていましたよね。
また、これも極端な例ですが、「教団を守るためには、教団の破壊をたくらむ者を盗聴してもよい」(*あくまでも例え話です*)ということになった場合、法は立派であると言ってみたところで、説得力はありませんよね。

飛躍した話で大変恐縮ですが、そこで、本門の戒壇で受ける戒とは妙法受持だけでよろしいのか、そもそも出家の肉食妻帯を禁じる戒など無いのか・・・どなたか菩提寺のご住職に質問できる勇気のある方はいらっしゃいませんか?(汗)
164名前:伝六 投稿日:2012/01/22(日) 14:39:05  
オウム真理教については、事件をおこす前の記憶としては、何の選挙だったか、転輪聖王麻原ショウコウというポスターが街にはってあって、ずいぶんとイカレタやつがでてきたと思った記憶があります。空想の中で世界を統一するつもりだったのかもしれない。サリン事件の後に、オウムではどんなことを教えていたのかと思って、図書館でオウム発行の本を読んだら、仏教の十二因縁のでたらめ解説が書いてあって、真面目に検討するほどの教義的なものはなかった。弟子は出家で佛弟子の名をつけていたようだけれど、仏教を形でいつわろうという意図があったかもしれない。空中浮遊を神通力であるかのように宣伝していたけれど、そういうものに価値を認めるなら、外道である。「例えば親を殺すこともやむなし」というのは、言葉の使い方が下手というよりは、例が悪い。オウムはサリンをまくのもやむなしと考えたのでなく、何かの妄想からあるいは妄的意図からサリンをまいたのだったと思いますが。
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内容
1名前:本尊は本物? 投稿日:2005/10/06(木) 12:56:28  
『石山本尊の研究』この本を読んで大石寺の板本尊は本物でないことが理解出来ました。東京神田の古書店「東陽堂」で買いました。写真がたくさん掲載されていて、わかりやすかったですね。
2名前:ニセ本尊 投稿日:2006/04/04(火) 22:42:59  
昭和の板本尊伝説
1945年(昭和20年)6月17日未明、大石寺の大書院から出火、またたくまに大坊と客殿を焼き尽くし時の法主(62世日恭)は焼死した。御隠尊猊下(61世日隆)は、戦争から板本尊を守るため、以前住職を務めていた東京の某寺院の法華講員を呼び寄せた。当時は、アメリカ軍が富士山を目指して上陸してくるという噂も飛び交っていたこともあり、一方、東京の下町は3月の大空襲以降は、もう目立った目標物もなく、かえって安全と思われた。終戦間際という大変な時期に、車で来いというのだ。なぜ車か?それは重さ200kgはあろうかという板本尊を密かに運び出し、某寺院の境内に埋めて守るという計画だった。

日蓮正宗では、9世日有の時代に、板本尊を大石寺から別の場所に移して守ったという伝統があり、計画そのものは何の障害も無く実行された。当時、創価教育学会は壊滅し、何の役にも立たず、戸田城聖にも知らされない話だった。宗務院の重役の中でも、極一部の者しか知らないこの計画は、秘密裏に実行されおよそ1年間、秘密は保たれた。

それから約半年後、次期法主(63世日満)が決定すると、ふたたび秘密裏に板本尊を本山に戻すことになった。しかし、ここで思わぬ事態が勃発する。某寺院の境内に埋めて置いた板本尊(楠の半丸太)の下部が、なんと腐ってしまって3分の1以上が脱落してしまったのだ。1946年(昭和21年)のことである。戦争のため物資が乏しい中、なんとか油紙で包んで大事に土に埋めて置いたのだが、埋めた場所が隅田川の近くであり、水分を多く含んだ土壌だったために、わずか半年という短い期間で腐ってしまったのだ。上野の赤沢朝陽の社長は大変な苦労して、およそ半年の歳月を掛けて板本尊の復元を行った。彼は一級の技術を持つ本物の佛師だった。復元に当たっては、当時法道院にあった日禅授与本尊、および1911年(明治44年)に出版された日蓮聖人という本に掲載された戒壇の大御本尊の写真が使用された。この写真は第二次大戦中にお守りとして、多くの法華講員が所持していた。こうして1946年(昭和21年)に復元された戒壇の大御本尊は、もちろん1279年(弘安2年)の板本尊と呼ぶことは出来ない。
3名前:今川元真 投稿日:2006/04/06(木) 09:22:20  
皆、漫陀羅は修行道具と思っているのでしょうか。
4名前:スレ違いの為削除します 投稿日:スレ違いの為削除します  
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7名前:ニセ本尊 投稿日:2006/04/08(土) 10:27:38  
犀角独歩氏の

大石寺漫荼羅本尊の真偽について
所謂「本門戒壇の大御本尊」の図形からみら見た鑑別

は、おすすめですよ。
8名前:ニセ本尊 投稿日:2006/05/01(月) 22:13:47  
昭和の板本尊伝説 追加
早朝、東京を出発した法華講員が富士大石寺についたのは深夜だった。
御宝蔵の前では、御隠尊猊下がずっと唱題を続け、彼らが来るのを待っていた。
彼らは休む暇も無く密かに板本尊を運び出すと、布団に包んで大事に車に積み込んだ。
翌朝、彼らは焼けた客殿の後片付けを手伝った。
東京から人が来れば、すわ何事かと地元の人々に騒がれる可能性があったが、
焼けた客殿の後片付けであると説明すれば、地元の人々も不審には思わなかった。
焼けた木材は車に積まれ板本尊の上を覆い隠し、さらには東京へ帰るための燃料にもなったのだった。

実話です!
9名前:今川元真 投稿日:2006/05/02(火) 07:43:48  
読まさせて頂きました。 21世紀にもなったので改革解放すれば良いのにと思います。本仏シャクソン、本尊漫陀羅、祖師日蓮
10名前:輝一 投稿日:2009/12/04(金) 02:01:20  
2のような事実があれば、当時、大石寺に居た河辺慈篤が何かメモなど残してい
るのではないでしょうか。大火で死んだ鈴木日恭についても、かまどに落ちて上
半身は黒こげ、下半身は生焼け、「ありゃー、2度焼いたんじゃ(火葬)」とい
う河辺の話は有名。
11名前:輝一 投稿日:2009/12/12(土) 23:41:09  
2昭和の板本尊伝説
巧妙にのべられているが、筆者に楠の植生についての知識が欠落していること
があきらか。楠は丸太を半分に割ってくりぬき丸太舟にしたほど水に強い木材
である。大阪近辺で湿地帯から腐敗していない丸太船の遺跡が出土しているこ
とは考古学に興味のある人なら周知の事実。何の塗装もしていない楠がこのよ
うに丸木船に使われた事実をもってしても、かりに東京の湿地帯に埋めた漆で
表面を処理したご本尊が腐敗して原型を留めないということは、歴史上の常識
現代の植物学をよく勉強してから発表すればよかったのに・・・
たまたま戸田氏らが、権力と闘争中ということを利用した根拠薄弱な論である。
運搬した人物の立場と氏名、埋蔵した住所を明らかにされたし。実地調査や地
勢学から実験証明すればすむこと。
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