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大聖人はお酒を飲まれましたか?

1慎之輔(野菊):2004/01/17(土) 19:39
ご遺文を読むと、よく昆布とか米と同じく、お酒を頂いたお礼を
拝見しますが、大聖人はお酒も飲まれたのですか?
お強かった?のでしょうか?

2ご本人の希望により削除しました:ご本人の希望により削除しました
ご本人の希望により削除しました

3管理者:2004/01/18(日) 10:54
慎之輔さんへ。
今書き込みましたが間隔を取らず読みにくかったので削除しました。

>大聖人はお酒も飲まれたのですか?

酒についての御書

「殊に御祝として餅・酒・鳥目一貫文送給候畢。是また御本尊・十羅刹に申上て候。」 月満御前御書 文永8年5月

「はる(春)のはじめの御つかひ、自他申こめまいらせ候。さては給はるところのすずの物の事、もちゐ(餅)七十まい・さけひとつゝ(酒一筒)・いも(芋)いちだ・河のりひとかみぶくろ(一紙袋)・だいこんふたつ・やまのいも七ほん等也。ねんごろの御心ざしはしなじなのものにあらはれ候ぬ。」 南條殿御返事 建治2年1月19日

「今月二十二日、信濃より贈られ候し物の日記、銭三貫文・白米能米俵一・餅五十枚・酒大筒一小筒一・串柿五把・拓榴十。夫王は民を食とし、民は王を食とす。衣は寒温をふせぎ、食は身命をたすく。」 四條金吾殿御返事 弘安1年10月22日

「御使の申候を承候。是の所勞難儀のよし聞候。いそぎ療治をいたされ候て可有御参詣候。  鹽一駄・大豆一俵・とつさか(鶏冠菜)一袋・酒一筒給候。上野国より御帰宅候後未入見參候。」 南條兵衛七郎殿御返事 弘安4年9月11日

「の米一だ・聖人一つゝ[二十ひさげか]・かつかうひとかうぶくろ(一紙袋)、おくり給候了。このところのやうせんぜん(前々)に申ふり候ぬ。 (中略) この十余日はすでに食もほとをど(殆)とゞまりて候上、ゆき(雪)はかさなり、かん(寒)はせめ候。身のひゆる事石のごとし。胸のつめたき事氷のごとし。しかるにこのさけ(酒)はたゝかにさしわかして、かつかうをはたとくい切て、一度のみて候へば、火を胸にたくがごとし、ゆに入ににたり。あせ(汗)にあかあらい、しづくに足をすゝぐ。此御志ざしはいかんがせんとうれしくをもひ候ところに、両眼よりひとつのなんだをうかべて候。」 上野殿母尼御前御返事 弘安4年12月8日

聖人(すみざけ)=酒

「聖人二管、柑子一篭、・・十枚、薯蕷一篭、牛房一束、種々物送給候。得勝・無勝の二童子は仏に沙の餅を供養したてまつりて、」 上野殿御返事 文永11年11月11日

「聖人ひとつゝ(筒)、ひさげ(提子)十か。十字百。あめひとをけ(一桶)、二升か。柑子ひとこ(一籠)、串柿十連。ならびにおくり候了。春のはじめ御喜花のごとくひらけ、月のごとくみたせ給べきよし、うけ給了。」 上野尼御前御返事 弘安4年1月13日

「聖人一つゝ、味文字一をけ、生和布一こ、聖人と味文字はさてをき候ぬ。生和布は始にて候。將又病の由聞せ給て、不日に此物して御使をもつて脚力につかわされて候事、心ざし大海よりふかく、善根は大地よりも厚し。かうじん(幸甚)かうじん。恐々。」 大夫志殿御返事 弘安4年12月11日

「大餅五、聖人ひとつゝ、やまのいも五本、大根いつゝ   五月十二日   日蓮  花押   西山殿 御返事」 断片205

等のご遺文が御座います。(一部分・まだ検索で出てこない御遺文が在ります)
上野殿母尼御前御返事 弘安4年12月8日の書状のごとく、身を暖める為にお飲みになった様な?

4慎之輔(野菊):2004/01/19(月) 10:36
おはようございます。いつもありがとうございます。
「葷酒山門を入るべからず」というような文句をお寺の山門で見かけた
ような気がしますが、実際、お酒の扱いは昔のお寺はだおうであったの
でしょうか?

5管理者:2004/01/19(月) 15:31
皆さん、今日は。
慎之輔さんへ。
禅寺では今でも「酒飲んで入るな!!!」「修行中・・・」的に書かれてますね。
日蓮宗では余りとやかくは云いません。が、江戸時代の檀林・修行中などは厳格に規制をしてます。
大聖人の戒律は「受持一行戒」ですので、酒等の飲酒は「成仏不成仏に関係がなければ世間普通に営むべし」で余り関係がないのでは。

6慎之輔(野菊):2004/01/19(月) 21:15
いや、実はこのスレを立てたのは、曽祖父の書き物の中に「飲酒」と題した
記事が出てきたのです。
「日蓮主義者と名乗る程の者は必ず大聖人の御思想御行動御嗜好にいたるまで
儀表とし奉る事は申すまでもない。(中略)古来より多くの人が誤解している
事が一つある、それは大聖人が御酒を召したから飲んでも差し支えないと言う
者がある。話はここだ、恩師は是を大聖人が御酒を召したから飲んではいけな
いと仰せられた。いかにも御至富なお詞であると思ふ、飲む人の心理状態は己
はどれ程飲んでも大丈夫だと鼻高々と飲むが一杯一杯と重むに従て遂にあられ
もない醜態を演じ遂に他人の厄介となり心有る者より排斥され法にも疵がつく
に至る。大聖人は是の点を御訓あり酒を飲んでもかくあれと、末法無我を示す
と同時に吾等への逆の御教訓を示されたのだ。それを己も大聖人も等しく考へ
、聖人が召したから我も飲むなぞとみに我慢増上慢の限りである、大いに心せ
なければならん。」
これは、曽祖父の会社のガリ版刷りの社内報にのっていた記事ですが、思うに
恩師(智学先生)も曽祖父もお酒はあまり強くなかった、飲まなかったのか?
と思います。(笑)

7管理者:2004/01/20(火) 10:54
皆さん、お早う御座います。

慎之輔さん。
>曽祖父の書き物の中に「飲酒」と題した記事が出てきたのです。
この内容は恩師からも聞いてます。
大先生並びに門下生も、飲酒の機会が多々在りました。が、
>大聖人が御酒を召したから飲んでも差し支えないと言う者がある。
恩師が、ある人に「御遺文の中心のご修行を?」等の事を言われましたが、「酒を飲むことだけは実行してます」と冗談でしょうが言われたそうです。恩師は「此には閉口しましたね」と私達に話されました。

8野菊:2004/01/20(火) 17:50
智学門下では有名な話なのですね。(^○^)
昭和5年の記事に出ていました。
ところで、ご聖人が身延で飲まれたお酒は冷だったのでしょうね?爆

9管理者:2004/01/21(水) 09:22
皆さん、お早う御座います。

慎之輔さん。
>飲まれたお酒は冷だったのでしょうね
上の↑上野殿母尼御前御返事 弘安4年12月8日の
「しかるにこのさけ(酒)はたゝかにさしわかして、
温かく沸かしてと在りますように、時には温められていたのでは?


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