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御本尊のご開眼について

68一寸法師:2006/04/19(水) 00:00:32
shamonさんの法輪のBBSの転用です。http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/

本来の「法体」とは、法華経の教えの本体、法華経の本質となる教え、所謂法華経の肝心である教えを言います。ですから、「南無妙法蓮華経」は法華経という優れた教え、特に寿量品を中心とした教えへの信心となります。その信心を以て、人生を懸命に修行して真理・真実に至らんとするのです。勿論、法華経の教えを謗る世の中或いは人達の中に交わって、法華経の教えこそ最勝であると「南無妙法蓮華経」と唱えて宣伝するならば、法華経を説かずとも、法華経の哲学を理解するに至らずとも、その功徳はとても大きいでしょう。

ところが、中古天台的な本覚思想に影響された人達、そして彼等が創りだした日蓮聖人の書にあらざるものを日蓮聖人の書と信じてきた人達は、「法体」とは即ち「真理(妙法)」であるからと、前述の「南無妙法蓮華経」を置き換えます。即ち「南無妙法蓮華経」そのものが真理の名称であって、その真理をただ口に出して唱えていれば、真理を悟る身になる、本来自分が仏であることを覚ると、仏教の常識では有り得ない極端な事を言うわけです。ですから、彼等にとっては釈尊も法華経も必要なものではなくなるのです。そして日蓮聖人の教えを、矮小なカルトとしてしまいながらも、最も優れた教えであると自負するに至ります。

日蓮門下にあっても、近代の文献的な研究を尊重せず、或いは日蓮聖人の御遺文を勉強せず、その本来の宗教的・哲学的思想を理解せずして、創価学会と同じようなことを言う僧侶が結構います。まあ、最近は本覚思想に影響されていると言うよりも、面倒な勉強も厳しい実践もしなくて楽だからのようですが。一方で堕落した教えに満足できない人、日蓮聖人の教えを誤解している人達は、心の持って行き場がないので、荒行に入って祈祷を学んだり、或いは慈善活動に傾倒したりしているようでもあります。


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