1
ルイジVShydrogen
(書き込み数 : 2)
-
1:
ぷ闇★
:2018/02/11(日) 22:04:15
- ログ貼っときます。引用とかで使ってどうぞ。
<hydrogen>
「~とは言ってない」って普通、一字一句同じく~を言ってるか否かじゃなくて、~と読み取れるような発言はしていないって意味じゃない?
<ルイジ>
普通ってなんだよ
<hydrogen>
そう読み取るのが妥当だってこと。
<ルイジ>
妥当とか普通とかそういうのは誰にとっての話であるか、また、どういった基準で定めているのかとか決めてるの?
<hydrogen>
俺に取っての妥当性しか担保できていないから、それが普通じゃない?って持ちかけたんだけど。
<ルイジ>
日本語不全なのか知らんけど質問に答えてくれね?
<hydrogen>
妥当に読み取れるというのは、俺に取ってのもの。でも、妥当とか普通って概念の性質上多くの人に共有され得るものだとは思っている。基準に関しては、明確なものはない。
<ルイジ>
妥当に読み取れるっていうのはどこから出てきたの?
俺が聞いてんのは「妥当」や「普通」が誰にとっての話であるかであって「妥当に読み取れる」事自体が「誰にとっての話なのか」ではないよね。
そう読み取るのが妥当っていうのは「そう読み取る」のを「お前(~にとって に当たる人)」が「妥当」だと判断した という意味でしょ?
一方で「妥当に読み取れる」というのは「読み取れる中での妥当的なもの」という意味合いであって、「それ自体」がお前にとっての話なのかどうかは別問題だよね笑
簡単な例で説明するために、二つの文章を設定するね。
①「わちゃわちゃ騒ぐ のは 元気だ」
②「元気にわちゃわちゃ騒げる」
①の内容は「わちゃわちゃ騒ぐ」内容を「元気だ」と判断する「誰にとって」の、今回のケースで言う「お前」に当たる人が判断したという内容だよね。
一方で②の内容は「元気に」という部分が「お前」の判断に基づく結果だったとしても、「元気にわちゃわちゃ騒げる」内容が「お前の判断」であるとは限らないよね。
「元気に」という内容が「お前基準」であれど、【お前の基準】を用いて「わちゃわちゃ騒げるかどうか」を判断した“誰か”がいるのであれば、【②の文章そのものは“お前にとって”ではない】わけよ。
おまけに最初は「そう読み取る」事自体について述べていたのに、なんで今「読み取“れ”る」なんていう可能的な話になっているの?(笑)
<hydrogen>
1.Aと読み取るのが妥当
2.妥当にAと読み取れる(可能)
まず、俺はこの2つを同値なものだと考えている。つまり、「Aと読み取るのが妥当」ならば、当然「妥当にAと読み取れる」わけだし、「妥当にAと読み取れる」ならば、「Aと読み取るのが妥当」であると言える。
1.Aと読み取るのが妥当
2.妥当にAと読み取れる(可能)
まず、俺はこの2つを同値なものだと考えている。つまり、「Aと読み取るのが妥当」ならば、当然「妥当にAと読み取れる」わけだし、「妥当にAと読み取れる」ならば、「Aと読み取るのが妥当」であると言える。
※わかりやすくするために、読み取れるのが妥当である対象だとか妥当に読み取れる対象をAと置く。
そしてこれを、さらに噛み砕くと、1と2はそれぞれ、
1.Aと読み取る解釈が、俺にとって妥当
2.Aと読み取る解釈が、俺にとって妥当にできる
と表せる。
※読み取れるは、読み取ることができるに変形させられる。あとは語順を変えて、「俺にとって」を付け加えただけ。
一応だけど、妥当の意味も押さえとくな。Google検索で一番上に出てきた定義によると、「その判断(や処置)が、その場合だけでなく、同類のすべてにも当てはまる正しいものであること」らしい。(仮に他の定義で進めよう!ってのがあれば、別にそれを提示してもらっても構わないが)
ある解釈Aが妥当であれば、解釈Aをすることは妥当にできるし、解釈Aを妥当にすることができるのなら、その解釈Aは妥当だと言えるというトートロジーの出来上がりだ。この両者は「できる」が省略されているか否かの違いはあるものの、本質的には同じことを言っているに過ぎない。
さて、お前は、1について、『そう読み取るのが妥当っていうのは「そう読み取る」のを「お前(~にとって に当たる人)」が「妥当」だと判断したいう意味』だとして、2については、『「妥当に読み取れる」というのは「読み取れる中での妥当的なもの」という意味合いであって、「それ自体」がお前にとっての話なのかどうかは別問題』としている。
が、先に示したように1も2も本質的に同質な意見なので、2についても、1同様に、『「Aと読み取る」のを、俺(~にとって、にあたる人)が妥当(にできる)と判断した』という理屈を適用させられてしまうわけ^^
言葉の綾っていうか、単なる語順の問題に惑わされて、元気にわちゃわちゃ騒いでるだけだよお前(笑)
<ルイジ>
http://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=thread&no=7615&res=5
-
2
:
寝取られ妻★
:2018/02/12(月) 07:52:41
- (俺がルイジだって)はっきりわかんだね
2
私と一夜を過ごす気はない?///
(書き込み数 : 7)
-
1:
寝取られ妻★
:2017/08/21(月) 17:35:02
- 一夜とは言わず、どれだけ長くても私は歓迎するけどね????///
-
2
:
ぷ闇★
:2017/08/21(月) 17:35:29
- 草
-
3
:
ぷ闇★
:2017/08/21(月) 17:40:12
- のきもちvsルイジのログ見て指摘しようしたんだが、まぁ指摘する箇所が見つからない。
-
4
:
寝取られ妻★
:2017/08/21(月) 17:43:24
http://jbbs.shitaraba.net/study/12866/#5
↑このスレッドに関してダラダラと書こうと思うわ!///
>その中で、そう受け取れているのにも関わらず、辞書的な定義に合わないが故に、その用法が間違えであるとするケースをいくつか見たこと事がある。
「そう受け取れている」とはどういったケースを指しているのかな?
-
5
:
寝取られ妻★
:2017/08/21(月) 17:45:10
- なんだかおかしいわね!
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12866/1496153295/
-
6
:
ぷ闇★
:2017/08/21(月) 17:49:25
- 書き手が辞書的な定義に合わない言葉の使い方をした時、書き手の使い方通りに受け取れているというようなケースを指している。
-
7
:
寝取られ妻★
:2017/08/21(月) 18:19:50
- >>6
それは「書き手」の辞書的に合わない言葉のニュアンスを「受け手」が読み取ったというケースでいいわね?
そもそもの話として、辞書に記載されている”言葉の意味”は「一般的に正しい用法」という考えはいいかしら。
相手の用いた辞書的に誤りである言葉のニュアンスを受け手が完璧に読み取ることは難しいわ!
「受け取った」という内容が非常に難しいものであり、非常に厳密性に値しない概念であることが伺えると思うわ!(詳しくは私が叙述したhttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12866/1482553529/l50に記載されているわよ!)
上の内容を換言すると「意思疎通が図れている」という状況には完璧性が付与されないということ。
私が叙述したスレッドにも書かれている通り、意味の認識の「完全な合致」がありえない。
そういった事実を踏まえると、「意味の共通認識を近づける」為の【確認作業】といった形での辞書の意味の提示(いわゆる指摘)には有用性が感じられるわ!
辞書の意味合いを持ち出すことによって、書き手が用いた言葉が「本来の意味合い」であるのか「別の意味合い」であるのか、完璧な区別をするということ。
受け手による混乱を減らすという大きな指標が存在するということね。
上記のような有用的な辞書指摘の方法が存在しているのにも関わらず
>要らなくなった線引きを持ち出すということ。そこに馬鹿馬鹿しさを感じるのである。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
-
1:
ぷ闇★
:2016/12/08(木) 22:16:41
- 会員制の喧嘩特設板です。
この掲示板はディスカッションモードで動いており、登録されたハンドルネームとパスワードが一致した場合にしか書き込めません。
登録されたハンドルネームを名前欄に、パスワードをE-mail欄に入力することで投稿が可能になります。
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-
29
:
ALE★
:2017/06/06(火) 23:04:57
- >>1
-
30
:
甘酒★
:2017/06/17(土) 12:05:32
- おーい。みんな生きてるんか。
-
31
:
甘酒★
:2017/06/17(土) 12:20:09
- 今日の22:00から、ピグパで「cosmos会議パ」開くから、参加できる人は来て。内容は、①「cosmosの低調改善」と②「イベント考案」の2本立て。
-
32
:
甘酒★
:2017/06/17(土) 22:10:00
- 誰も来ねえから中止。
-
33
:
ぷ闇★
:2017/06/30(金) 19:40:38
- すっかり更新が途絶えて顔も出さなくなってたわ。
-
34
:
ろき★
:2017/08/20(日) 23:54:34
- aaaaa
-
35
:
寝取られ妻★
:2017/08/21(月) 00:00:00
- わたしがおまんこしてやろうか?
4
問い「なぜ、論拠を添えると、説得力が生まれるのか」
(書き込み数 : 7)
-
1:
甘酒★
:2017/06/02(金) 13:37:45
- よく「説得力を持たせるためには、根拠を添えよ」と言われる。たしかに、丸裸の意見よりも、論拠を備えた意見の方が、相手に「なるほど」と思わせる力がある。だからなのか、弁論や討論の場では、これはもはや「必須の作業」として扱われるまでになっている。
しかし、「なぜ論拠を添えると、説得力が生まれるのか」というメカニズム(仕組み)そのものについては、あまり考えられていない気がする。よくある啓発本にも「論拠を添えると、説得力が生まれますよ」ということこそ書かれてきたけれど、「論拠を添えると、"しかじかの理由によって"、説得力が生まれますよ」という書き方は、いよいよされることがなかった。
この仕組みは、「自明」とは言わない。自明というのは「もう証明や説明の必要がないほど、明るみの中にある」という意味である。つまり「説明しようと思えば説明できる事柄である」ということだ。しかしながら、「なんで根拠を添えると、説得力が生まれるの?」という質問を受けて、明確な答えの出来る人が、果たしてどれくらい居るだろうか。もし多くの人がこの質疑にはっきりと答えることが出来ないならば、むしろ、この仕組みというのは、"暗がり"の中にあるのではないか。このことは「鉄の塊である飛行機がなぜ、ああも飛ぶことができるのか」という問いに対して、未だ科学が、確かな答えを出せていないのと同じ状態である。(まだ、科学は、"揚力"という仮説(=漸次的な答え)を用意してる点、マシである。)
当スレの目標は、仮説という形でもいいので、とにかく「なぜ論拠を添えると、説得力が生まれるのか」という問いに対して、何かしら答えを与える、ということだ。みんなの積極的かつ独創的なアイデア・意見を募る。
-
2
:
甘酒★
:2017/06/06(火) 17:58:28
- まだ、自分自身、この問題について、意見だけでなく、良いアイデアすら浮かんでいないので、このスレは、研究の途中報告の場として活用することとする。
みんなも、どんな些細なことでもいいので、アイデアや疑問、意見などあれば、レスよろしく。
-
3
:
ぷ闇★
:2017/06/10(土) 05:01:23
- 説得力、"わからせる力"な訳だけど、それってつまり"わからない状態"に対してどれだけ力があるかって話だと思うんだよ。
そこで、もしある主張が"わからない状態"になった時、大きく分けて3段階になってると思うんだよね。
まず1段階目は主張そのもその理解。つまり「何が言いたいか」ということ。そこさえ理解できれば、後は、何が言いたいかがわかっても、どうしてそうなるかが"わからない"という根拠についての"わからない"と、どうしてそれが根拠になるのかという論拠についての"わからない"に別れる。
根拠が何か分からないなら根拠を、論拠が何がわからないなら論拠を それでそれぞれが何かは"わかる"わけだから、論拠っていうのは、わからせる力になるってことがわかると思うよ。
-
4
:
ぷ闇★
:2017/06/10(土) 05:03:17
- 論拠が何がわからないなら ✕
論拠が何か分からないなら 〇
-
5
:
甘酒★
:2017/06/13(火) 12:03:05
- 「説得」には様々な種類がある。理性に訴えかける説得、感情に訴えかける説得、催眠的な説得など。当スレッドは「なぜ、論拠を添えると、説得力が生まれるのか」という問題を扱っているので、ここでは、特に、「理性的説得」について取り上げて論じる。
まず、理性に訴えかけるというのは、論理的な説明によって、相手の理解・同意を促すということだ。例えば、「ソクラテスは人間である。人間ならば、必ず死ぬ。よって、ソクラテスは、必ず死ぬ。」という三段論法の推論がそうだ。筋道を立てて、当然の帰結まで導いている。これは何も難しい作業ではない。「当たり前」のことを、順番に並べて説明しているだけだ。しかし、我々の理性的理解というのは、この「当たり前」の積み重ねでしか成し得ない。数学の公式の理解も、その定理を導くまでの証明(=当たり前の順列)を理解した上に達成される。
しかしながら、多大に培われた経験則によって、論理の"ショートカット"が行われ、瞬時に正しい帰結を得られることもある。これを「直感」という。天才と呼ばれる人種の一部は、この能力を持っている。直感的天才に代表されるのが、プロ将棋棋士、羽生善治氏だ。氏は、次の一手を決定するのに、論理的な回路("当たり前"を順列して演繹的結論を導く道すじ)は殆ど用いない。いわば、論理の頭とケツのみを繋げた"ショートカット"的回路(直感回路)を用いている。このために、手が回ってきてから、次の一手を決定するまでの時間が非常に短縮される。将棋のように、限られた時間の中で、あらゆる指しパターンを考えなければならないゲームでは、非常にこの「直感」が役に立つ。
しかし、誰かを「説得」するというときには、直感はまるで役に立たない。羽生氏に対して、論理の飛躍した説明をするなら、理解してくれる可能性はある。それはショートカット的回路を氏が持っているからだ。しかし、一般人は普通、これを持たない。当たり前のことを並べてもらうという演繹的な論証の元でしか、理性的な理解が得られない。であれば、普通、誰かを「説得」するというときには、説明に論理の飛躍があってはならない。必ず、「当たり前」の事柄から次の「当たり前」を導き、この連鎖・連続によって、論理的な帰結まで到達させる。この論理の連続を、言語によって、【ある順番】で説明し、対者の理性の働きを助けるないし促す。これが「理性的説得」だ。
【ある順番】と言ったのは、「説明」には大きく、2種の仕方があるからだ。
1つが「順流的説明」だ。これは、【論拠&論拠...&論拠→主張(&は"かつ"の意)】という順番で説明する仕方だ。先の三段論法の例がこれである。もう一度ここに、説明の流れを示しておく。
【ソクラテスは人間である(論拠1)&人間ならば必ず死ぬ(根拠2)→ソクラテスは必ず死ぬ(主張;結論)】
この説明方法は、歴史的背景から始めて、主要な問題へとクローズアップしていくような説明のときに用いられる。
もう1つが「逆流的説明」である。これは、先に「主張;結論」を示し、その後に、その論拠を示していく説明方法だ。これは、次のような流れになる。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
-
6
:
甘酒★
:2017/08/20(日) 23:20:47
- このスレッドは、連続の哲学(http://nokimoti428.seesaa.net/article/452748337.html)で解決っと。
-
7
:
ぷ闇★
:2017/08/20(日) 23:25:43
- >>6
お探しのページは見つかりませんでしたっと。
-
1:
甘酒★
:2017/06/09(金) 11:22:19
- 「過去の自分、今の自分、未来の自分はそれぞれ同一ではない」というと当たり前のように聞こえるかもしれない。僕がこのことを強く意識するのは、「やる気」を出して物事を続けてみるときだ。
昨日までは、全然、家事にも勉強にもやる気でなかったのに、今日は何かを決意したのか、途端にやり始める。かと思えば、その3日後には元どおり、なんてことがよくある。つまり、過去、今、未来を通して、自分の「意志」や「やる気」といった「指向性」が安定されないということだ。
なぜ、「やる気」は一貫しないのか?これがこのスレッドにおけるテーマである。もちろん、人によれば、長い間、やる気を持続できるのかもしれないが、多くの人が「やる気」の持続しないことに悩まされてきたことも事実である。
当スレでは、「やる気とはなにか?」といった根本的な問いから、「やる気を持続させる具体的な方法案」などの実践的な問題まで、幅広く、「やる気」について考えていく。みんなにとっても、身近な問題だろうから、色んな意見が出てくるだろうと期待している。是非、批判を恐れずに、自由にレスして欲しい。
6
言葉の用法が正しいか辞書を持ち出し議論
(書き込み数 : 7)
-
1:
ぷ闇★
:2017/05/30(火) 23:08:15
- この形式を取り上げたスレッドが以前あった。
そのスレでも、そのように言われているように、言葉とは言葉とは相手との意思疎通を図るための道具でしかないし、辞書とは言葉の意味を当事者同士で近づけていく為の指標であると俺も考える。
その中で、そう受け取れているのにも関わらず、辞書的な定義に合わないが故に、その用法が間違えであるとするケースをいくつか見たこと事がある。
そのケースを見て、思ったことをだらだらと書こうと思う。
そもそも、定義というのは、その言葉とその言葉で無いものを外延・内包を明瞭にすることによって"線引き"するものである。確かに、この線引きはひとつの指標となっている。
しかし、受け取れているという状況の中で、辞書的な"線引き"は必要ないのでは無いだろうか。
というのも、受け取れているのであれば、その受け取り方は"外延的な役割"を果たしているのだ。
つまり、その喧嘩を見ていて、俺には、線引きでは"外延ではない"とされているものを"外延"として、そう受け取った状況下において、要らなくなった線引きを持ち出すということ。そこに馬鹿馬鹿しさを感じるのである。
「言葉とは相手との意思疎通を図る道具でしかない」
ここに遡ると、ますますそう思う。意思疎通が図れているのであれば、道具としての役目は果たしているのだから。だが、しかし"(辞書的に)用法が間違えである"という意見はその通りである。
そう考えた時、馬鹿馬鹿しいと思うのは、要らなくなったものを指摘の為に使うことのように思えて、その本質は得られるものにあったのだと自分の中で結論が出る。
単純なその喧嘩から得られるものなんてせいぜい正しい辞書的定義くらいのものであり、辞書とは言葉の意味を当事者同士で近づけていく指標であり、その上で、受け取れる範囲なのであれば、そこから得られるものなんて無いに近い。
-
2
:
さす太郎@クズ★
:2017/05/31(水) 07:21:38
- >>1
意見自体には同意する。その通り、言葉は相手との意思疎通を図るための道具でしかないだろう。だからと言って、意思疎通が出来てたら「本来の意味」を持ち出し指摘をするのは要らないものだと主張するのは如何なものかと。
-
3
:
<削除>
:<削除>
- <削除>
-
4
:
ぷ闇★
:2017/05/31(水) 12:37:09
- テスト
-
5
:
ぷ闇★
:2017/05/31(水) 12:41:43
- >>2
辞書とは言葉の意味を当事者同士で近づけていく為の指標。
そのやり取りにおいて、当事者同士で共通認識が取れているのであれば、線引きをしなくとも意思疎通が取れているのだから、線引きは必要ないということ。
-
6
:
さす太郎@クズ★
:2017/06/01(木) 17:39:39
- >>5
辞書は言葉の本来の意味が書かれてる道具。その線引きに意思疎通が出来てるからって理由で沿らずに本来の意味はこうだ、という指摘は要らないと主張するのはちとおかしいと感じるんだが。
意思疎通をする為に辞書があるのだから、辞書の意味を持ち出し指摘をするのは必要ないって訳じゃない。
-
7
:
ぷ闇★
:2017/06/01(木) 19:51:37
- >>6
"要らない"っていう点は指摘というより、線引きの方って文の中で言ってるはずなんだが…
それも、見方によっては「要る」という見方も出来るだろう。別視点から見た、例えば「辞書的定義に合っていないと指摘をする為に辞書は必要」っていうのとは別な。
俺が言ってるのは、意思疎通が図れた状態では、意思疎通を図る為の指標は要らないってことで、お前の言う「本来の意味」というのも、もし会話の中で「本来の意味」として扱われなければ、その会話の中で「本来の意味」は必要ないじゃん。
その必要なくなった"本来の意味"を使って「本来の意味と違うか」というやり取りをすることに"馬鹿馬鹿しさ"を覚え、そして、それの本質は"得られるもの"にあったって話。
-
1:
もふ★
:2017/05/30(火) 21:55:36
- オススメの面白い仮説、興味深い仮説等有ったら教えろください。
-
2
:
甘酒★
:2017/05/31(水) 17:32:59
- ・世界5分前仮説
世界が5分前に始まったとする説
・イデア論
この世界の、我々が知覚可能なあらゆる現象・事象は、すべて"イデア"と呼ばれる真実在の「似像」であるとする説。
・哲学的ゾンビ
僕らに備わっている意識やクオリアが全く備わっていない機械のような人間のこと。みかけの上では、人間らしく振る舞うことができる。
-
1:
ぷ闇★
:2017/05/31(水) 12:43:04
- >>1
-
3
:
ぷ闇★
:2017/05/31(水) 12:45:31
- テスト
-
1:
甘酒★
:2017/05/29(月) 21:41:19
- 「殆ど喧嘩の起こらない場」というのに、僕は何度も立ち会ったことがある。例えば、皆が無言で居る場。誰も喋らないのだから、そこには対立する契機となるものが一切存在しない。皆が消極的ないし外発的な態度—意見が出るまで待つ姿勢—であると、ついに喧嘩は起こらない。結局、誰かがその静寂をぶち壊さない限り、時間はずっと止まったままなのだ。これは、各員が皆、「誰かがやってくれる」とか「別に自分は参加しなくてもいいや」なんていう生ぬるい心持ちでいるために生じる出来事だ。
また、ある一人が勇気を持って、内発的に意見を発信したとしても、周囲がそれに対して興味・関心をもち、積極的に批判しなければ、対立は起きない。意見と意見との衝突(=対立)、またその関係の白熱化をもって、喧嘩は成立する。であれば、ただ、意見1つが出ただけでは、喧嘩は起こらない。その意見に対して、別の誰かが反対意見をぶつけてやっと喧嘩が始まるのである。
こんな簡単なことなのに、最近の喧嘩イベや喧嘩パで喧嘩があまり起こらないのは、もちろん、成員の多くに「内発的な意見発信」と「積極的な意見批判」の2つの重要な姿勢が欠けているからだ。
正直、誰々は喧嘩が強いだとか弱いだとか、もうそんなことを語り合ってる場合ではない。そのような評価活動ばかりが先行して、大元の「喧嘩活動」が蔑ろにされては本末転倒というもの。各員は「喧嘩エリアで中々喧嘩が起きない」という現実に対し、もっと大きな危機感を持って、自らの活動姿勢を見直していく必要があるのではないだろうか。
-
2
:
Aftermath★
:2017/05/29(月) 23:50:09
- 貴殿の仰る「喧嘩」なるものの内容がいまいち掴めません。
【喧嘩する人に対する評価活動の語り合い】が先行されているようですが、これは「喧嘩活動の一環」として認められる行為ではないのでしょうか。
と言いますのも、観察者が対象を評価し、それを語り合うことは、貴殿が重要な姿勢として挙げられた「内発的な意見発信」「積極的な意見批判」の存在を示しているようにしか思えません。
私は喧嘩界隈で誰かと深く議論した覚えはありませんので、果たして上記の例が貴殿の主張する「喧嘩」に該当するかは不明瞭であります。
しかしながら、この例の持つ形式が「議論」のそれと共通している部分が存在するのは見逃すことのできないことであります。
一つの「喧嘩スタイル」の終わりを迎え、新たな「喧嘩スタイル」の門出であるだけだと思われます。
慣習的であった内容を遺したい意志はわかりますが、新たな世代の芽を潰すような、そんな固定観念にとらわれて批判をするよりかは、新たな形式に対する寛容性も大事になってくると思います。
-
3
:
甘酒★
:2017/05/30(火) 08:02:41
- >>2
たしかに、喧嘩師に対する評価的議論は、対立構造を成す(ようにみえる)場合がある。しかし、このような議論さえも喧嘩の1つであるという意見にはいささか疑念がある。
そもそも、評価者は、【どのような基準】で、誰々が強いだとか弱いだとかを判断しているのか。勝ち星の数?勝率?序列化によって?まず、このような議論で、判断基準が明確になることはあまりない。例えば、AさんとBさんとで、CさんとDさんとの喧嘩の強さを評価する。Aは「CはDより強い」、Bは「CはDより弱い」という。一見、AとBとは対立しているかのように見えるが、両者の間に、【一定の判断基準】が共有・了解されていなければ、本当の意味で対立しているとは言えない。例えば、上記の例で、Aは【勝ち星の数;基準Xとする】で、Bは【感覚的に分かるその人の能力(言語力、論理力等);基準Yとする】で、CとDとを比較したとする。Cは、基準Yにおいて、Dより能力的に劣っていたとしても、自分より能力的に劣っている相手—いわゆる雑魚—にたくさんの勝ち星をあげていれば、基準Xにおいて、Dより優っている場合がある。この場合、基準Xにおいて、「CはDより強い」となるが、基準Yにおいては、「CはDより弱い」となる。まず、評価者の間で、各人の評価基準が明確かつ共有された状態でなければ、同じ土俵の上で対立しているかどうか疑わしい。それでは、ちゃんとした議論ないし喧嘩とは言えないわけだ。
そして、基準Yのような量的でない変数を扱う場合は、評価者は、対象を"主観"で判断することとなる。当然、客観性を失った議論というのは、まともな議論ではない。
実際に、僕が見かけた評価活動のほとんどの議論は、上の2種(①評価基準が不明瞭な場合②評価基準が量的でない変数を扱う場合)に当てはまる。もし、このような活動のことを「喧嘩活動の一環」というふうに捉えているなら、それは間違いなので、改め直したほうがいい。だからこれを「新しい風潮だ」とも捉えて欲しくない。単なる履き違えから始まる流れに乗らないこと。
あとそれと、このような適当な議論の場合で、「内発的な意見発信」こそ出来ていても、「積極的な意見"批判"」まで出来ている者はまずいない。土俵(基準)が不明瞭、もしくは主観的な意見であることを「批判」とは言わないからだ。
大体、喧嘩の強さの議論において、精緻かつ妥当な評価を与えられる者はそういない。(というか見かけたことがない。)結局みんな【フィーリング】で判断しちゃってるのが事実。そんな適当な議論は本当の意味で議論とは言わないし、喧嘩とも言わない。評価者も、僕の挙げた2つの重要な姿勢を満たしていない。
以上をもって、評価活動を喧嘩活動の一環とする意見、このような活動の中に「積極的な意見批判」があるとする意見は間違いである。
10
Cosmos新メンバー
(書き込み数 : 8)
-
1:
甘酒★
:2017/05/28(日) 22:05:56
- cosmosに入会した方は、テスト投稿も兼ねて、ここで簡単に自己紹介しておいてください。
①名前
②意気込み
③得意分野
④興味のある話題、議題
の構成でよろしく。
-
2
:
甘酒★
:2017/05/28(日) 22:19:56
- ①甘酒
②毎日書き込みます。
③論理学、言語学、心理学
④弁論術、人の言語学習プロセス、英語、教育
-
3
:
ぷ闇★
:2017/05/28(日) 23:38:55
- ①ぷ闇
②意見をどんどん発信します。
③論理学、文学、芸術
④幅広く色々
-
4
:
えしゅ★
:2017/05/29(月) 00:01:31
- ①えしゅ
②仕事により暇を見つけて投稿します
③特にない
④特にない
-
5
:
Aftermath★
:2017/05/29(月) 00:02:30
- ①after
②喧嘩界隈に触れたことはありませんが、頑張ります
③特にありません
④論理学、数学、正しい日本語の表現
-
6
:
さす太郎@クズ★
:2017/05/29(月) 22:59:31
- ①さす太郎
②まだ喧嘩を初めて間もないですが暇があれば積極的にしていきたいです
③特になし
④特になし
-
7
:
もふ★
:2017/05/29(月) 23:03:27
- ①もふ
②暇を見つけつつ基本的に疑問を持った時に仕掛けていくと思いますよろしくお願いします
③特になし
④特になし
-
8
:
オラフ丸。★
:2017/05/30(火) 07:19:30
- ①オラフ丸。
②勉強をしにきました。いろいろ学んでいきたいです。
③特になし。
④特になし。