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言葉の用法が正しいか辞書を持ち出し議論

1ぷ闇★:2017/05/30(火) 23:08:15
この形式を取り上げたスレッドが以前あった。
そのスレでも、そのように言われているように、言葉とは言葉とは相手との意思疎通を図るための道具でしかないし、辞書とは言葉の意味を当事者同士で近づけていく為の指標であると俺も考える。

その中で、そう受け取れているのにも関わらず、辞書的な定義に合わないが故に、その用法が間違えであるとするケースをいくつか見たこと事がある。

そのケースを見て、思ったことをだらだらと書こうと思う。

そもそも、定義というのは、その言葉とその言葉で無いものを外延・内包を明瞭にすることによって"線引き"するものである。確かに、この線引きはひとつの指標となっている。
しかし、受け取れているという状況の中で、辞書的な"線引き"は必要ないのでは無いだろうか。

というのも、受け取れているのであれば、その受け取り方は"外延的な役割"を果たしているのだ。
つまり、その喧嘩を見ていて、俺には、線引きでは"外延ではない"とされているものを"外延"として、そう受け取った状況下において、要らなくなった線引きを持ち出すということ。そこに馬鹿馬鹿しさを感じるのである。

「言葉とは相手との意思疎通を図る道具でしかない」

ここに遡ると、ますますそう思う。意思疎通が図れているのであれば、道具としての役目は果たしているのだから。だが、しかし"(辞書的に)用法が間違えである"という意見はその通りである。

そう考えた時、馬鹿馬鹿しいと思うのは、要らなくなったものを指摘の為に使うことのように思えて、その本質は得られるものにあったのだと自分の中で結論が出る。
単純なその喧嘩から得られるものなんてせいぜい正しい辞書的定義くらいのものであり、辞書とは言葉の意味を当事者同士で近づけていく指標であり、その上で、受け取れる範囲なのであれば、そこから得られるものなんて無いに近い。


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