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鷹目遊里史板

1鷹目:2006/03/12(日) 14:04:22
一流への道
≫活魚料理店の水槽を撮らずして一流とは言えないでしょう。

 道は険しいな・・・。

>bananaさん
 情報ありがとうございます。そちらも次回候補に入れておきます。会場選定が一番悩みます(笑)。

2今里X:2006/03/15(水) 03:27:26
三本松は伊丹の遊所
「三本松を街(サト)の名に呼なせし縁(モト)ハ、此松の辺りに青楼のありしゆえなり」在岡旧考(有岡古続語載録) 三本松の記より

兵庫県の酒造り数取り唄に「三本松は伊丹の遊女」の一節があります。
それに興味をそそられ伊丹の遊里について調べてみました。
三本松とは伊丹と広大寺村(伊丹郷の北西隣)との境に三株の古松があったことに由来する遊所名だそうです。
「三本松は伊丹の遊女」は「遊所」が「遊女」に転訛して伝わったものだと思います。

三本松遊所の記録は寛文から元禄の頃に童歌に歌われたのが最初のようです。
享保元文の頃には妓楼の名前や場所などの記録もあり、固まって一廓を成していたわけではなく、
一定の地域に散在していました。
天明の頃、遊女の心中事件の後に集娼と営業軒数の規制がされるようになりました。
維新の頃に廃絶の後、再興の活動があったようです。
実際には歓楽街としては続いていて、三本松遊所は花街として存続していたようです。
昭和45年に三本松遊所跡にあった伊丹ミュージック閉館で歓楽街の歴史に幕を降ろしました。
現在は住宅街に変わり果てていました。

3鷹目:2006/03/16(木) 00:51:21
伊丹三本松
 おっ、待っていました。伊丹三本松。
 ここに限らず、兵庫県下の遊里って出自がはっきりしないのが、特に多いような気がしますね。まあ、もっと資料を集めないとなんなんですが。
 しかし、三本松の銘だけでも見つかってよかったです。

4夕凪:2006/03/16(木) 01:27:56
兵庫県貸座敷組合
全国貸座敷連合会臨時大会(昭和10年)参加の兵庫県下の貸座敷組合としては
下記組合の名前が見えます。

 ?神戸市福原組合 ?神戸市新川組合 ?西宮市組合 ?明石市組合 ?姫路市組合
 ?篠山組合 ?洲本組合 ?高砂組合 ?飾磨組合

この中に「伊丹組合」等の名前が見えないと言う事は、貸座敷免許地ではなかったものと思われます。
確かに兵庫の遊所の由来は良く分からないですね。


P.S. 千林にあったストリップ劇場は何故か『A級伊丹』と言う名前だったそうです。

5夕凪:2006/03/17(金) 00:15:24
京阪神のストリップ劇場 ’69
大阪周辺ストリップ劇場一覧(1969年)

 ?東洋ショー劇場:国鉄・天満駅徒歩7分、MP市場ウラ
 ?天満座:国鉄・天満駅ホーム際
 ?九条花園:地下鉄・九条駅徒歩4分
 ?九条OS:地下鉄・九条駅徒歩5分
 ?木川劇場:阪急・十三駅徒歩15分、市民病院サキ
 ?ナニワミュージック:市電・長柄国分寺電停前
 ?ダイコーミュージック:地下鉄・朝潮橋徒歩5分
 ?温劇:地下鉄・飛田ジャンジャン町入ル
 ?寿ミュージック:京阪・千林駅徒歩5分
 ?京映ミュージック:国鉄・京橋徒歩5分
 ?堺ミュージック:阪堺線・宿院徒歩2分
 ?晃生ショー劇場:近鉄・布施駅徒歩5分
 ?千中ミュージック:千本中立売駅徒歩10分
 ?伏見ミュージック:京阪・丹波橋徒歩3分
 ?大宮劇場:大徳寺電停徒歩5分
 ?東寺劇場:東寺前電停前
 ?三和ミュージック:阪神・出屋敷徒歩3分
 ?国際ミュージック:神戸新開地駅徒歩2分、松竹会館地価
 ?新劇ゴールド:神戸駅徒歩5分、新開地
 ?太陽会館:国鉄・三ノ宮駅徒歩10分
??(21)奈良スター:奈良駅徒歩10分
??(22)八光劇場:和歌山駅タクシー5分

追加等よろしくお願いします。

6夕凪:2006/03/17(金) 21:08:35
京都府貸座敷組合
全国貸座敷連合会臨時大会(昭和10年)参加の京都府下の貸座敷組合としては
下記組合の名前が見えます。

 ?京都市七條新地組合?京都市北新地西部組合?京都市中書島組合
 ?京都市撞木町組合?京都市祇園乙部組合?京都市島原組合?京都市上七軒組合
 ?橋本組合?宮津組合?舞鶴朝代組合?福知山組合
                           以上

7菊華:2006/03/20(月) 14:42:44
武蔵新田
サイト皆様、こんにちは

昨夜は週に一度の同級生との銭湯巡りに武蔵新田へ行って来ました。

赤線の建物は赤本に載っている建物二軒程現存していましたがどれも空き家な雰囲気で、周りは改築や新築が進み消滅も時間の問題だなと思わざるを得ませんでした…

これで私がまだ探訪していない赤線は亀戸のみとなりした。ここも残っていない様な感じはしますが。
では皆様、失礼致します。

8k_taii:2006/03/21(火) 16:45:48
すいません教えてください
週末に尼崎の初島新地と戸の内新地に行ってきました。戸の内新地内の建物は赤線建築
の簡易版というか、さすが昭和30年頃のつくりだなと思わせられましたが、初島新地
の方は普通のアパートばかりでした。初島新地の方はその当時の建物は残っていないの
でしょうか。変な作りのアパート(1階の庇が2重のもの)はいくつかありましたが、
それが、赤線の建物なのでしょうか。御承知の方がいらっしゃいましたら、お願いします。

9鷹目:2006/03/22(水) 20:19:43
無題
>菊華さん
 お久です。武蔵新田の遺構が日に日に消えていると言う話は聞いていましたが、かなり酷い状態まで来ているようですね。GWは東京訪問がほぼ決定なので、出来れば見ておきたいなと思っています。

>k_taiiさん
 お久です。神崎は判りますが、初島は未見なので判りません。すみません。

10鷹目:2006/04/01(土) 00:16:32
第五回定例オフ会のお知らせ
 一応こっちにも書いておきます。

 下記日時、場所で開催を予定しております。

 2006年4月22日(土) 午後5時30分より
 大阪市西区九条 『りとりいと』
 会費5000円 (9種類のコース料理+90分の飲み放題を予定)

 参加をご希望の方は、連絡可能なメールで御連絡ください。申し込み期限は4月15日までとさせて頂きます。皆さんのご参加をお待ちしております。

11鷹目:2006/04/03(月) 00:21:21
またやっちゃった!?
 今日は郡山お城祭内の行事として「白狐御渡」開催の日だったんですよね。雨のため中止になったそうですが。
 去年もこの行事をすっかり忘れていて思い出したのはGW前。とうの昔に終わっていました。今年こそはと思っていましたが、思い出したのが本日外出先での事。それも日時は覚えておらず、そろそろかなと思う程度。あちゃちゃ・・・。来年こそは絶対見に行くぞ!

12今里X:2006/04/10(月) 10:32:53
浅の川園遊会
ニュースで知ったんですが、4月8日、9日と開催されてたそうです。
東茶屋街、主計町茶屋街の芸妓による「浅の川おどり」とか「お茶屋体験」とかあるようですよ。

13鷹目:2006/04/10(月) 19:55:55
RE:浅の川園遊会
>今里Xさん
 毎度です。現役花街では、その種のイベントがまだまだ行われているのですね。また行事きちんと整理せねば!

14菊華:2006/04/14(金) 21:27:53
ゴールデン街
鷹目さん、サイト皆様、こんばんわ

先日、新宿のゴールデン街へ呑みに行って来ました。ピンク系のお仕事をしている(していた?)というママさんのいる店へ入りましたが、自分達以外のお客さんはみなエロ業界の方達でしたf^_^;
ライターの方や著名なビデオ評論家の方と親しくなり、とても楽しかったです。これからもその店を訪ね、ママさんや他のお客さんと馴染みなって色々な話が聞けたらなと思ってます!

少々場違いな書き込み、大変失礼いたしました
m(__)m

15ナカムラ:2006/04/14(金) 23:08:16
ゴールデン街
二十年前に個展を開いた時のハガキの写真がゴールデン街を撮ったものでした。
今はだいぶアクが抜けたとの話しを聞きますがどうなんでしようか。

16菊華:2006/04/14(金) 23:27:28
最近のゴールデン街
>ナカムラさん、いつも素晴らしいHP、見させていただいてます。

私もゴールデン街について色々と雑誌やパソコン等で調べているのですが、最近のレトロブームと相成って若い方々がオシャレなバー等を開いております。無くなってしまいましたが表参道の同潤会アパートにブティックが入っていた様な感じに似ています。
その傍らまだまだアヤシイ店も存在しているそうです。友人は教えてあげるよとオバチャンに声をかけられ店に入り、水割り1、2杯で結構な金額を言われたそうですf^_^;
そのかわり青線時代からの貴重な話も聞けたらしいのですが…

17鷹目:2006/04/15(土) 00:36:45
(無題)
 私、まあ酒は好きなほうです、ですが個人的にスナック系で飲むことがほとんどありません。でもそう言う風に飲み屋さんで常連さんと仲良くなったりという話を聞くと憧れますね〜。

18:2006/04/15(土) 09:04:29
新編・新宿ゴールデン街   渡辺 英綱
ナカムラです。
そういえば、「新編・新宿ゴールデン街」という、新書版がありました。
新書にしては1000円と値が張るのですが、往時の街の見取り図や、青線時代の内部の写真(モノクロ)なども若干掲載されています。

旧聞だったらすみません・・・。

http://www.comicbox.co.jp/pub/shinjuku_g.html

19鷹目:2006/04/16(日) 16:07:09
『新編・新宿ゴールデン街』
>ナカムラさん
 お久です。
 その本は未見です。面白そうなので探して読んでみます。

 本日吉野太夫花供養に行ってきました。今回は時間も間違えず(笑)、無事見ることが出来ました。草臥れた・・・。

20:2006/04/16(日) 23:32:58
新小岩
>鷹目どの

こんばんは。
昨日、新小岩に行ってきました。カフェー調の建物がいくつか残っていました。

2時間ほど街を歩いて、旭湯という古い銭湯で休憩です。
東京は、4月も半ばなのに、結構寒い日でした。

(注)先ほどの誤送信、失礼しました。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~masayuki/shinkoiwa20060415.html

21鷹目:2006/04/17(月) 22:59:32
RE:新小岩
>ナカムラさん
 新小岩写真見せていただきました。新小岩も良い感じですね。GW訪問時の散策コースに迷います。

22夕凪:2006/04/20(木) 08:34:27
新小岩史考
旧丸健抄(江戸川地区)

 終戦間もなく東京都とはいえ田園風景がみられたこの新小岩に○に健の字の赤い提灯に
灯がつき以来13年程の間、この沿線は勿論遠く都心及び千葉から遠来の客を引いていた
この一角も、昨年3月でひっそりとなりをしずめてしまった。

 1年後の今日、バー18、大衆酒場8、下宿屋5、旅館4、小料理2、肉屋2、すし屋2、その他ビヤ
ホール、お好焼、碁会所、玉突、キャバレー、とーふや、外食堂、洋服屋、洗濯屋、電気屋、八百屋
不動産等各1軒づつあり合計53件という都内でも転業率は良い方である。

??????????????????????????????????????????????????????????   昭和34年3月1日

23菊華:2006/04/20(木) 21:16:40
吉原今昔図
鷹目さん、サイト皆さん、こんばんは

以前自分が吉原の『正直ビアホール』で呑んだ時、店内に遊郭、赤線時代を示す地図が貼られていて感動したと書き込みしましたが、その地図は『吉原今昔図』といって吉原神社で販売されていると今日知り先程すっ飛んで行って来ました。

境内の掲示板の様な物にその地図は貼られてあり、一部2500円と書いてありましたがもう夜だという事もあり人影もなかったのでシゲシゲとその地図を眺めて、お参りして帰宅しました。
今でもこの『吉原今昔図』は入手可能なのでしょうか?ご存知の方おられましたら御教示お願いいたします!
一葉記念館でも販売していると聞きましたが現在改装中ですし…

長文失礼いたしました
m(__)m

24鷹目:2006/04/20(木) 23:26:24
新小岩と吉原
>夕凪さん
 毎度です。以外に多種にわたって転業を遂げたみたいですね。参考になりました。

>菊華さん
 毎度です。『吉原今昔図』は作成者荒井一鬼さんの処でも手に入りますよ。吉原神社の裏手のアパートにお住いだとか。年始めに別のところで電話番号教えて貰ってますのでメールでも頂ければ。

25菊華:2006/04/21(金) 01:39:39
夜分失礼します
>鷹目さん
レスありがとうございますm(__)m
吉原神社に吉原今昔図に関してらしき電話番号が書いてありました。夜だったので電話はせずに番号を控えるだけにしたので後日電話してみようと思います。
ありがとうございました!
また御報告差し上げたいと思いますo(^-^)o

26鷹目:2006/04/22(土) 00:01:17
了解です
>菊華さん
 了解しました。上手く入手できるといいですね。

27:2006/04/22(土) 11:25:17
(無題)
>夕凪どの

こんにちは。

「旧丸健抄」なかなか味わい深い文章ですね。
赤い提灯は、居酒屋のように大きなものだったのか、軒灯のように小さなものだったのか、そんなことを考えさせられました。

28夕凪:2006/04/23(日) 11:21:27
ユニー中村店
昨日のオフ会で寝物語に聞いた、ユニー中村店の場所を1969年度の住宅地図で確認すると、
現在のユニーの東側の大部分は「ほていや中村センター」と記載されてました。
また南東角には大門派出所がありました。
そして北西側は後日買収したようで、当時は旅館3件?、喫茶店1件等がありました。

※ユニー?は1971年に、ほていや、西川屋チェンが合併し誕生したそうです。

29ブール:2006/04/25(火) 18:45:33
名楽園
ご無沙汰しております。未だ一度も探訪できていない旧名楽園が気になって仕方がありません。週刊現代の昭和42年5月11日号に旧名楽園の体験レポが載っています。
当時、名古屋ではラジオの深夜放送でト○コのコマーシャルが流れていたそうです。
甘いムードミュージックに乗って、ハスキーボイスの女性の声で宣伝してたようです。
活字になっていたら全て信じる悪い癖がありますが、本当でしょうかねぇ〜?
どなたか実際に聞かれたことがある方?いるわけないですよね…

30彷徨人:2006/04/25(火) 21:12:04
名古屋のトルコのCM
 私は昭和33年生まれの者ですが,高校生か大学生の頃,日曜日の昼間の東海ラジオを聴いていると,当時笹島近くにあった「大名トルコ」のCMをやっていたことを覚えています。当時,私は
遊廓のことなどもちろん何にも知りませんでしたが,そのことだけは,確かなことだと思います。

31鷹目:2006/04/26(水) 23:32:36
CM
 凄いですね。名古屋のラジオで泡風呂のCMが流れていたなんて。それも昼間にとは!

32菊華:2006/04/28(金) 21:33:47
ゴールデンウイーク
サイト皆様、こんばんわ

>鷹目さん、吉原今昔図無事入手出来ました!御協力ありがとうございました。GW東京の御予定は決まりましたか!?自分は同級生と神奈川を一日かけて探訪しようと予定しております。
それではサイト皆様、良い連休をお迎え下さい。

33ブール:2006/04/28(金) 21:53:45
名楽園
>彷徨人さん
情報ありがとうございます。羨ましいです..
やはり、「尾張名古屋はトルコ風呂でもつ」のキャッチフレーズ(笑)の通りですね。

昭和32年の朝日グラフの売春特集?で、名楽園の完全転業に向けての準備の記事が載っていました。一番多いのがサントリーバーへの転業となっています。天然温泉を掘り起こす計画もあったようです。温泉街に生まれ変わろうとする業者も多かったそうです。

34:2006/04/29(土) 11:53:49
GWの遊里跡、銭湯ツアー
こんにちは。
連休は2泊3日で、

・大垣・墨俣(夜城園跡)
・大垣・藤江町(遊廓跡?)、郭町(赤線跡?)
・岐阜・金津園(旧カフェー街?) 〜現役のソープ街
・尾張一宮・花岡園(旧カフェー街?) 〜現役のヘルス街
・名古屋・城東園跡

と回って、遊里跡と銭湯のつなぎ歩きの予定でおります。

現況報告しますので、これはという情報があれば、開陳いただければ。。。
勝手言って申し訳ありません。

35鷹目:2006/04/29(土) 14:37:13
鷹目GW遊里めぐり
 GWは東京の知人のところへ遊びに行きます。ので合間を見て遊里散策をしていると思います。
 予定地は、柳橋、亀戸、向島、鳩の街、玉の井、千住、取手、船橋、芝、芝浦、品川あたりでしょうか?多分バンダイミュージアム→秋葉原というオタコースも廻っているはずです(笑)。
 『赤線跡を歩く』文庫版と『赤線2』の「東京の小さな花街・・」のコピーを持っていくので後は臨機応変ということで。

36今里X:2006/04/29(土) 17:31:46
GW
墨俣は数年前は現役の花街があったはず、現在はどうかわかりません。
ま、まさか、金津園、城東園でも入浴?

鷹目さんは東京で魔化魍退治ですか。
やはり、あの「甘味処」も訪問するんですか?

ぼくはまだ未定です。

37鷹目:2006/04/29(土) 22:18:33
GW東京
 今回東京では魔化魍退治はしません。5日に古書会館で即売会があるようなので古本ハンターをするかもしれません。ただ残念なことに西から東京に行く人間、自分だけなんで・・・。一人で甘味処はいってもねぇ(笑)。
 今回の旅の相棒はA500。C730だとポケットに入りませんが、小さいからポッケに入るし楽ですよ。

38yutaka:2006/04/30(日) 10:45:47
GW東京
鷹目 さま
ゴールデンウィークの東京を思う存分愉しんで下さい。お天気も良さそうだし、町中、人も少ないので散策するには好条件だと思います。
古書会館は私も数ヶ月前に初デビューしました。今回はぐろりや会ですね。開館時間早々人の熱気で毎回混雑してます。趣味なのか、セドリ屋さんなのかは分かりませんが、加齢臭に酔ってしまします。
私はアンティーク印刷物(30年代の絵はがき等)をヤフオクしています。もしかしたらニアミスするかな?

39鷹目:2006/05/01(月) 00:07:17
古書会館で
>yutakaさん
 古書会館のほうは昼からか夕方ぐらいに時間が有ればとか考えている程度です。もしかしたら御互いそうとは知らず、遭遇するかもしれませんね(笑)。
 多分即売会にいければ、遊里本とオカルト本を漁ります〜。

40ナカムラ:2006/05/03(水) 08:32:53
岐阜行
墨俣へ移動すべく、新幹線の車中です。

今里どの
金津園では、本能や本性が出て、入浴に至らぬよう、無用の路銀は持たず出てきました。(笑)

金津園ではクレジットカードが使えないようですし・・・。

41今里X:2006/05/04(木) 22:21:34
敏馬(みるめ)花街
秘湯探検家「t」さんの情報によると大垣にも現役営業中が2件あるそうですから、危ういところでしたね。

ところで、ぼくは敏馬神社の周辺にあったとされる敏馬花街を見てきました。
といっても現在は国道とビルですが…
もとは敏馬の浦という古くからの行楽地で、料理屋、芝居小屋、海水浴場などがありました。
敏馬と書いて一般的には「みるめ」と読んでたようですが、現在は正式に「みぬめ」に統一されてるみたいです。

発祥は芸妓置屋が明治32年には存在していたようです。
最後がどうなったのかをみると、昭和6年頃から阪神電車岩屋三ノ宮間のトンネル工事の残土で、敏間神社の前に広がる敏馬の浜を埋め立てられ、昭和20年の戦災によって行楽地としての敏馬の浦は荒廃してしまったそうです。

現在はきれいなオフィスビルと整備された広い車道と新しい高層マンションの町に変貌していました。

42夕凪:2006/05/06(土) 01:07:53
酒の本場は 痛●の里よ
 花柳界の要の検番は、痛●の場合、地理的にも花街の中心に位置していた。
痛●本町から東へ湊町に入ると、最初の四つ辻の角が検番で、
そこから北へたどると置屋の「今井」、さらに右回りに東へ折れると「寺本」があり、
南へ下がった突き当りが「千玉」、その並びの西に「初音」、ちょっと離れた南東に
「鳥新」と「石井」が軒を並べる。

 そんな時代も、昭和16年に太平洋戦争が始まって、ついえた。
戦後の痛●に、花柳界が復活するほどの経済力はもうなかった。

置屋「今井」痛●1丁目3の16
検番;痛●1丁目4の2(痛●陸●の南半分あたり)

ある本より・・・・・・

43今里X:2006/05/06(土) 11:34:41
痛●の湊町
維新前の遊所の中心とは4〜500メートル離れた湊町に検番がありました。
現地は住宅街化してしまってるのと道路が大幅に拡張されたりで訳のわからんことになってました。
お客さんはやはり酒造家関係だったそうです。
というか花街と酒造工場がくっついてる状態ですから…

44鷹目:2006/05/14(日) 23:01:13
写真展反省会
 終了から一ヶ月以上経ってしまったのですが反省会を。
 自分が体験しての反省は、?もう少しテーマを絞ればよかったのでは??指摘されてコメントを付けるのではなく、写真展示と同時に付けるべきだった。?HP及びMIXIで告知し、ネット見て訪れた人も結構いたそうですが、それに対する反応(書き込み等)がほとんど返ってこなかった。?宣伝の手段はネットとセンセのチラシだけでよかったのか?という4点です。
 ?は展示して今回はあれで良かったかもしれませんが、和風洋風とまとまりが無いように感じたのもありましたので。
 ?は現存する建物もあるのでそれに配慮したのとどこだろうと想像して貰うのも面白いかなと思っていましたが、見る人に対しての配慮が掛けていました。
 ??は表裏だと思ってます。反応が判らないというのは困ったもんです。きちんとバックできる方法を考えなければいけないですね。
 でも一番の反省点は、ララさんの客寄せに貢献できたかということです。私自身の力不足も露呈させてしまいました。ただただ反省するばかり・・・。
 でもこの失敗を糧に次回はより良くしたいものです(笑)。

45鷹目:2006/05/14(日) 23:16:38
遅報GW
 写真板にはポイントを絞ってGWの成果をアップしていますが、こちらでも報告を少々。
 ?旧千住柳新地。カフェ風の建物が3軒ほど。『赤線跡を歩く』掲載の建物の多くはすでに無し。痕跡もなくなるのは時間の問題ではないかと。それよりも気になるのは駅から途中のTぶき町。ある路地の雰囲気が少し違っていました。
 ?玉の井。町会名で玉の井の名前は残っています。建物残存率はまあまあと言うべきでしょうか?外壁を吹きなおしている家や無人で朽ちかけている建物もあります。徐々に建物がなくなっていくでしょうが、路地が入り組み、道も狭いのでそれほど急激に変化するとは思えません。
 ?鳩の街。以前は6号側にあったアーチは無し。でも鳩のオブジェを付けたポールと商店街の名称として鳩の街の名は残っています。建物の残存率は非常にいいです。特にマメタイルが綺麗に残っている建物が結構あります。こちらも細い路地が多いので急激に変化することは少ないと思います。商店街の裏手、またお暇な方が多いようで人の出入りがあるので写真を撮るにはちょいと苦労があるかも。
 向島。見番通りにビル化された見番あり。古い建物は若干残っていますが、多くの料亭もビル化されています。現役ながら花街の雰囲気があまり感じられませんでした。
 芝浦。こちらもほとんどはビル化されており、古い建物は3軒ほど。そのうちの一軒が旧検番。現在は無人で鳥除けと思しきネットで全体を覆われています。所々痛んでいる個所があり、そんなに長くは持たないのでは?
 品川。今は商店街。路地にはそれなりに古い建物もあるが、遊里時代のものか判断できず。近くの荏原神社に玉垣でも残っていないか訪れるもなし。夕方だったのでさらっと流しただけなんでなげ込み寺まで行けば当時の痕跡が見つかるかもしれません。
 以上です。

46:2006/05/15(月) 02:17:02
少しだけ…
>鷹目様 その他写真アルバムをご覧いただいた皆様
遊所写真のスライドショーをご覧頂き、ありがとうございました。
まずはお礼のみにて。

>鷹目様
写真展のプリント料金がそのままになっております。
いかがいたしましょうか?

47鷹目:2006/05/15(月) 12:26:47
プリント
>まめタイルさん
 毎度です。プリント料金は実行委員長さんから連絡が行くと思います。

48夕凪:2006/05/20(土) 20:25:54
南地五花街の場所
●宗右衛門町・・・・・道頓堀川の北岸戎橋より東日本橋に至るまでの間にして
 島の内と称へ大阪芸妓の本場なり、屈指の貸座敷多し五花街中第一位に居る
●九郎右衛門町・・・・・道頓堀川の南岸戎橋南詰より西、大黒橋に至る間と芝居裏一帯の地、
 宗右衛門町に次ぐ
●櫓町・・・・・九郎右衛門町に続き戎橋南詰より東、日本橋までの間にして東櫓、西櫓の
 二ヶ町に分る繁華熱閙大阪第一の地たり
●難波新地・・・・・・五花街中区域最も広く戎橋筋の東方より西、新川に亘り北は西櫓町及び
 九郎右衛門町に接して裏芝居裏に起り一番町より六番町までを数へ直ちに難波停車場に
 隣る中筋、相生町などの旧称あり
●阪町・・・・・道頓堀川より南へ二筋即ち芝居裏の南通及び其の総称にして難波新地の東に
 接せり此南の町を俗に南阪町又は裏阪町といふ、因に難波新地戎橋筋に設くる演舞場は
 南地の芸妓が晴れの舞台とする所にして時々舞踏の催あり。

                           大正3年発行の資料より

49鷹目:2006/05/20(土) 23:22:30
難波新地
>夕凪さん
 毎度です。今は無き難波新地は日本橋に石碑がありました。でも花街としての南地も寂しいようですよね。

50夕凪:2006/05/21(日) 07:27:14
三重県の貸座敷組合
全国貸座敷連合会臨時大会(昭和10年)参加の三重県下の貸座敷組合としては
下記組合の名前が見えます。

 ?津市組合?四日市組合?久居組合?桑名組合?松坂市組合
 ?宇治山田市組合?菰野組合?上野組合?長島組合

                           以上

51鷹目:2006/05/21(日) 16:40:01
糸屋
 本日、天気も良かったので半年以上も放っていた白崎糸屋遊廓探索に赴きました。結果は建物残存なし、土地の人に聞いて所在地の確認は出来ました。現在も営業中の旅館が里の中心のようでその両隣に見世が並んでいたそうです。今はもう取り壊されて痕跡はまったくありません。元々小規模な遊里であり、すぐ背後は山、目の前は海という立地条件を考えれば、台風、高潮、塩害などで建物の傷みが早かったのではないかと推測できます。
 取り敢えず、所在地確認できただけでも良しですね。和歌山県内、南部以外で未確認の土地は、存在がはっきりと判らない橋本を除き、おそらく粉河のみとなりました。ただ歴史的にはほとんど判明していない遊里が多いので今後の課題も山積みです。

 下道で片道2時間半。一人でドライブはひまだった。あう・・・。

52banana:2006/05/29(月) 00:35:59
無用の路銀
土曜日の夜、大阪に用があったのですが、その前に京都の隣りの寂れた県庁所在地に行ってきました。
そこを通っている大手私鉄の支線もかなり経営が厳しいという話ですが、町全体が活気がなく、元花街は小さいスナック(「会員制」の看板を掲げているところが多かったですが)が多くありましたが、3分の1ぐらいが不動産業者の管理地となっていました。
建物は、カフェー調が2件ある以外は和風の妓楼が中心でした。

夜行バスで帰ることになっていたのですが、難波で変に2時間ほど時間が余ってしまい、何を間違ったのか地下鉄で南下してしまいました。カフェー調の建物で有名な「○生」(姫路と岡山の間)が営業しており、内部の装飾もちょっと気になりました(その店には上がってはいません)。

53鷹目:2006/05/29(月) 23:20:08
元林院の舞妓さん
 ニュースでも流れていたのでご存知の方も多いかと思いますが、奈良の元林院花街で1年ぶりに舞妓さんが誕生されたそうです。前にいらした舞妓さんが辞めてから舞妓不在な状態が続いていたそうです。ですので今回の新舞妓さんの誕生は花街としてはメデタイ話ですね。
 元林院も今は人数も少ないですが、上手くやればまだまだ伝統ある花街して全国的にアピールできると思うのですが。

ttp://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000000605290001

54鷹目:2006/05/30(火) 22:39:15
と言うことは
>bananaさん
 遅レス、すみません。モニターが非常に不安定なので休ましながらPC使っています(怖)。
 無用の路銀と言うことは淡海の御風呂じゃなくて、鳶印の料亭をご利用された訳ですね。大門改修後以来、偵察も行っていないです。いや、マジで(笑)。

55yutaka:2006/05/31(水) 18:57:28
近江探索
ご無沙汰しております。4月に新潟、先々週に秋田を探索してきました。
明日、お天気も良さそうなので、久々に東海道新幹線に乗って滋賀県、近江・大津界隈を探索してこようと思います。JR東海ツアーズ「1day近江」利用です。
この時期って日が長いので、晴れていると探索には良いですね。

56鷹目:2006/05/31(水) 22:37:32
近江散策
>yutakaさん
 毎度です。新潟、秋田の写真楽しませていただきました。関西在住のものとしては、東北方面は交通の便で非常に不利なのでこうして写真をアップして貰えると現状がよく解り助かります。
 明日から近江方面散策だそうですが、どうやら天気も良さそうで何よりです。少し汗ばむかもしれませんね。残存率はそれほどでもないようですが、特徴ある建物が残っているそうです。
 実は滋賀は八日市しか行ってません(笑)。そろそろ北上していこうかな・・・。

57鷹目:2006/06/03(土) 22:30:54
福知山の遊里
 本日福知山に行ってまいりました。以前訪問した方のお話だと建物の軒数が明らかに減っているとか・・・。でもそれなりに建物は残っていました。
 別の場所で遊里に関して面白い話を少し聞くことが出来ました。元は下柳町に花街として存在していたのが、明治頃に対岸に移転させられたと言う事。ありがちな事ですが、遊里関係の話になるとその方々、少し歯切れが悪いしゃべりになったように感じました。なかなか難しいですね。
 時間の都合で図書館で資料調べは出来ませんでしたが、こちらも歴史的な裏づけを取っていきたいですね。

58yutaka:2006/06/09(金) 13:27:22
近江画像
こんにちは。先日の近江画像アップしてみました。暇つぶしに覗いて見て下さい。
長浜・彦根・近江八幡・大津を1日で廻る探索でしたが(広く浅くになってしまいました)、梅雨入り前、お天気にも恵まれ久々の関西方面を愉しみました。
梅雨に入ってしまいましたが、再来週に福井に行って来ようと思います。仏閣巡りも好きなので、永平寺散策後、三国探索です。

59鷹目:2006/06/09(金) 23:34:30
近江も良いですね。
>yutakaさん
 毎度です。近江写真、良いですね。写真板のbananaさんの写真に続き、yutakaさんの写真見て、近江行きたくなりました。先だっての散策会の時、今里センセと話していたんですが、次ぎやるとしたら大津あたりかなと。このyuatakaさんの写真見て秋の散策会目的地に決定です。
 私的に福井と言えば、八百比丘尼ですかね〜(笑)。

60yutaka:2006/06/10(土) 09:49:57
近江路
おはようございます。大津は滋賀県の県庁所在地があるとは思えないほど静かでしたね。
京阪の支線(チンチン電車ではなく)が路面を走っているにはちょつとビックリしました。
近江界隈は寂れているからこそ、散策するには面白いと思います。
自宅に帰ってから色々ググッテ見たところ、彦根(旧袋町)に明治時代から続く旅館があるそうです。
サイトもありましたので、載せておきますね。
 ttp://www.tobaya.jp/

61鷹目:2006/06/11(日) 23:24:04
近江で
>yutakaさん
 毎度です。旅館良い雰囲気ですね。近江の旧遊里で同じように風情のある転業料理屋あればオフ会に使えるんですよね。八日市にはありますが、予算的なもので除外するしかないので。
 次々回の定例オフ会用に会場探さないと。次は何処で探そうかな〜。楽園の歌舞練場でも借りてやりますか(笑)。

62k_taii:2006/06/26(月) 00:48:14
久しぶりに
旅にでました。松山空港から伊予鉄三津駅へ、西へ2丁とのことですがやはりよく
わからない。途中図書館を発見し郷土史コーナーへ、写真と場所が特定できる資料を
司書さんにだしてもらうも、残念ながら建物は1つも残っていませんでした。
 それから今治へ。廃墟かと思うばかりの建物ばかり、以前来た時にあったホール
併設の転業旅館は残念ながら駐車場になっていました。スナックとして営業中みたい
のは3−4軒、あとは入り口が塞がれていました。
 道後温泉のネオン坂は思っていたほど建物は残っていませんでしたが、裏道に面する
方は昔しのままで、趣がありました。夜、ホテルに戻るとき入り口を通ると情報どおり
オバチャンから遊んでと、言われましたが前の日寝てなかったのでパスしてしまいました。
少し残念でした。

63今里X:2006/06/26(月) 01:34:13
伊予・近江
>k_taiiさん
お疲れさまでした。
三津浜の稲荷新地は不可解ですね。
実際に稲荷新地と呼ばれてたはずの場所は数軒の飲食店跡があるのみで、船溜まりをはさんで反対側に古い旅館風・妓楼風の建物がならんでますが、木村聡先生の赤本か青本に掲載されてるのは後者の方です。
転業旅館が無くなってたのは今治の青線の新開地の方ですか?
そうなら、ぼくが何年か前に行った時は更地になった直後でした。(´Д⊂グスン
ネオン坂残念でしたね。次回は元気なうちに旅の最初にまわるとか…

>yutakaさん
遅レスですみません。
大津の柴屋町は島原・吉原・新町とならんで四曲輪といわれたほどの遊里だったようですので、規模としては大きいですよね。
公許は後ですが、発祥は島原・吉原・新町より早かったんじゃないかと思います。
花街として現在あるようですけど交通の便が良すぎるせいか京都に取られてわりをくってるじゃないかと思いました。
長浜はちょっとウマそうな店が数軒あるのでいつか入ってみたいです。

64k_taii:2006/06/27(火) 01:08:57
今里Xさんへ
三津浜は対岸にも遊所があったのですか?青本の写真と雰囲気が違うので、おかしい
とは思ったのですが、生州(發々園)の場所という小冊子にしっかりと住所がでていた
のでそこで諦めてしまいました。三津のメインストリートの銀天街から稲荷新地まで
小規模の飲み屋街、料亭も1軒あり確かに存在はしていたようには、思われました。
 今治のあの場所は青線街でしたか、そういえば規模が小さかったですね、2軒
あった(現存1)転業旅館からそこが遊郭のあった場所だと思っていましたが、
そうなると、遊郭があった場所が他にあるのですね、また探しに行かなくてはなら
なくなりました。駅と港の中間の飲み屋街でしょうか?
 ネオン坂や徳島では営業中なので、興味がありますが、以前信田山で経験して以来
機会がありません(旅館の部屋は朱色と金色でした。)今度はガンバッテみたいと
思います。

65鷹目:2006/06/29(木) 23:29:23
情報求む
 『全国女性ガイド』の渡辺寛氏が書かれた赤線に関する記事が掲載されている本、または著作物の情報をお持ちの方がいらしたら、情報をお願い致します。
 前出の『全国女性街ガイド』の他『旅行の手帖NO.20 NO.23』『東京案内第一集〜第三集』までは確認しています。タイトル名と出版社、刊行年月だけでも判れば結構ありがたいです。

66:2006/07/20(木) 03:05:34
ミナミの帝王 V版25 誘惑の華
少し前のVシネマの作品で掲示板で話題になったかも知れませんが・・カブっていたら済みません。(~_~)

今日TVで見た竹内力主演の「ミナミの帝王 V版25 誘惑の華」は飛田新地が舞台です。(名前は「豊田新地」の設定ですが、クレジットの協力で「飛田料理組合」と入ってます)
店の表通りや裏通りが多数がロケ地で、「嘆きの壁」付近も撮影されています。
表通りでは女の子が座って、呼び込んでいるシーンもあります。
また、店の内部もしっかり撮影されています。(Hなシーンはありません。常連役のぼんちおさむさんはあくまで料理を楽しむだけです。)
料金表も11000円と正確な表示です。
「百番」のロケもあり中々楽しめますョ。
Vシネマなのでレンタル店にあるとおもいます。

http://www.ikoma-e.com

67鷹目:2006/07/22(土) 00:44:35
ミナミの帝王
>氷之助さん
 お久です。TVでやっていたんですか!チェックするの忘れた。私は導入部しか見ていないですが、ご指摘の通り組合が全面協力しているのが特徴ですよね。未見の方は是非見てください。

68今里X:2006/07/03(月) 21:17:32
(無題)
>k_taiiさん
今治は遊廓としては明治初めまでで、明治十八年には貸座敷と娼妓の営業場所から外されています。
その後は芸妓・雇仲居の花街となり大正十二年に移転、昭和五十年ごろまで賑わってたそうです。

>氷之助さん
誘惑の華、テレビでやってたんですか・・・(´・ω・`)ショボーン
レンタルするしかないかな。

あくまで料理を楽しむだけなのは、じつに正確な表現で胸を撫でおろしました。Σ(^∀^;)

69yutaka:2006/07/05(水) 11:36:47
「ミナミの帝王」見ました
>氷之助さん
情報ありがとうございました。未見でしたので、早速レンタルしてきました。
冒頭のシーンから、表通り(裏通りは訪れたことがないので、わかりませんが)の風景描写は良くできていますね。セットではなくロケのならではの雰囲気が好きです。
あの店の内部もセットではなく、ロケなのですかね。
その手に関しては余り詳しくないもので・・・。

70今里X:2006/07/05(水) 15:00:25
内部は…
料亭の室内は一万なんぼ払って見学しましょう。Σ(^∀^;)

71夕凪:2006/07/05(水) 22:40:47
著者略歴
大正2年5月18日(1913年)東京下谷に生る。
最終学務はアテネフランセ。

昭和10年(1935年)亀井勝一郎のすすめで日本浪漫派に参加。
文学評論にのせた小説「詫びる」が第1回芥川賞の候補となった。

20年間記者生活と旅の空に送る。
日本経済新聞記者などを経て現在は東京通信編集局長。
交通記者連盟・労農記者会員。

主な著書は「こけし風土記」「おんなの味」など。
現在、産経よみものに「おんなの旅」執筆中。

  現住所・葛飾区柴又○ノ57。


渡辺寛著『鄙びた湯・古い湯治場』(昭和31年6月1日、万記書房)より

72夕凪:2006/07/05(水) 23:58:43
にっぽんぱらだいす
赤本にも紹介されていた桜原遊廓を舞台にした「にっぽんぱらだいす」(松竹、1964)が
新世界の日劇会館で7月8日(土)〜7月14日(金)まで上映されます。
ご覧になってない方は、ぜひこの機会に!

あらすじ ttp://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD21487/story.html

同時上映は「すっ飛び五十三次」(松竹、1958) 出演は高田浩吉、花菱アチャコ

入場料は900円(安い!)

73今里X:2006/07/07(金) 23:33:52
まさか…
ま、ま、まさかハッテン映画館じゃないですよね。
高校時代、映画好きの友人が新世界の映画館にいくたびに手を握られたり、いろんなところを触られたりしたそうなので… (゚Д゚;)

櫻新地蔦屋さん●●支店に大島渚監督『太陽の墓場』があったので借りようと思ってます。

74夕凪:2006/07/09(日) 14:49:22
にっぽんぱらだいす?
 昨日、見てきましたが、内容的には、
敗戦(復員)→R・A・A→赤線再建→公娼廃止→転業と言った
一連の時代背景に、コミカルな味付けと、
赤線の中でしか生きれなかった一人の娼婦の短い一生を絡めた
興味深い作品でした。
でも、あまりにもステレオタイプだったような気もしますが。
あのテーマソングが暫く頭から離れそうにありません?

 「高校時代の映画好きの友人」が♀であれば問題は無い(?)気もしますが、
そんな訳はないですよね。

75今里X:2006/07/13(木) 00:03:45
二本立て
「高校時代の映画好きの友人」はオンタです。
オンタがオンタの太腿や手を撫で摩ってくるそうです。
高校生だっただけにどう断ってよいか分からなかったみたいで、黙って映画を見てたようですが…
一度ぼくもいっしょに見に行ったんですが、ぼくはなにごともなく、その友人は手を握られたそうです。
やってた映画は『スターウォーズ』と『魔界転生』の二本立てでした。( ;∀;) カンドーシタ

76夕凪:2006/07/16(日) 14:16:17
東京案内 №4
『東京案内』(第4号、昭和29年10月1日、黄土社)

 1.渋谷特集
  ?谷底の盛り場?道玄坂附近?鐘の音
  ?街のこえをきく座談会?澁谷センターを科学する

 2.青線コッソリ案内記・・・・・成野一夫

 ※残念ながら、渡辺寛氏の赤線記事は掲載されていませんでした。

77鷹目:2006/07/16(日) 17:49:44
RE:東京案内 №4
>夕凪さん
 毎度です。『東京案内 №4』には渡辺氏は執筆していないとか・・・。う〜む、他の号はどうなんでしょう。でも渡辺氏ではないけれど青線案内も面白そうですね(笑)。

78夕凪:2006/07/16(日) 18:41:07
東京案内 №5 次号予告
『東京案内』(第5集 クリスマス号、昭和29年11月初旬発売予定、黄土社)

 特集☆歳末経済学☆金になる東京、金にならぬ東京
 東京港特集−クリスマス随筆−
 盛り場特集 東京の裏玄関−上野特集− (その他満載)

次号の予告を見る限り、渡辺寛氏の記事らしいものは無さそうです。

『東京案内』自体何号まで発行されたのかは分かりませんでした。

79鷹目:2006/07/16(日) 20:01:24
東京案内
 1〜3集まで季刊で、4以降月刊になったですよね。今同じような内容の本って出しても宝○社ぐらいですかね。そう考えると昭和30年代高度成長期は面白い時代ですね。

80しにょ〜る:2006/07/28(金) 00:08:42
島原
大変ご無沙汰しています。こんなムックが出ていました。

田沢裕賀 『遊楽図と歌舞伎図 日本の美術 No.483』 至文堂
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4784334831/249-1520046-2151549?v=glance&n=465392

洛中洛外図屏風や四条河原図屏風など、近世初期の京の遊里を描いた美術を解説したものですが、巻末に、著者と輪違屋主人・高橋利樹さんとの対談「島原の太夫とその文化」が収録されています。

81鷹目:2006/07/28(金) 23:57:53
お久しぶりです。
>しにょ〜るさん
 お久しぶりです。
 本の情報ありがとうございました。早速注文しました。見る、読む、考えると三つ楽しめそうな本ですね。来るのが楽しみです。

 私個人ではセブン&ワイで注文しますけどアマゾン利用者ってやっぱり多いのかな・・・。

82yutaka:2006/08/05(土) 11:00:07
荷風!vol 9
にちぶんムック「荷風!vol 9」創刊の新宿特集から数年経っていますが、今回も新宿特集です。
赤線時代の2丁目など未見の画像もありました。ちょっとお勧めです。

http://www.nihonbungeisha.co.jp/books/pages/ISBN4-537-11444-4.html

83鷹目:2006/08/10(木) 00:14:02
RE:荷風!vol 9
>yutakaさん
 毎度です。すみません、遅レスで・・・。
 荷風!も9号目なんですね。6号までしかまだ購入していないので急いで残りを揃えます(笑)。遊里関係の記事がなくてもこのムックは結構楽しんで読んでいます。

84夕凪:2006/08/19(土) 23:45:50
住吉大社 夏越の祓 
●名越女の記念帳を成すにあたりて

 抑も我が住吉新地の開発は大正11年5月5日、
菖蒲帷子風薫り、浅沢沼の杜若ゆかりの色も類なき、
目出度き端午の日にそありける、

かくて年と共に発達し、席貸料理屋の数も加はり、
南大阪の人気を茲指定地の一角に集め、
芸妓舞妓に美人あり、妓昌の向上やむ時なき勢ひとなりたり、
これしかしながら挙廓一致の力とは云へ、
まさに驚異に値すと餘品たゝへも無理ならず、

されど新開の地なればこそと云ふ重き行事もなきに
占部寺岡正副取締以下議員役員の面々、
何をかふところの賑わひともなりぬべき事をこそと
思案し居たる折から昭和4年7月30日、
住吉大社にて名越の祓再興の事ありたり(以下略)

※本書には住吉新地の席貸料理屋、芸妓等の写真多数あり

85:2006/09/30(土) 08:21:16
木江遊郭跡 他
ご無沙汰しております。

近々、瀬戸内海の島の遊郭跡を散歩し、銭湯にいくつか入って来ようと考えています。
予定しているのは、以下の遊郭跡&銭湯ですが、何か情報をお持ちの方があれば、ぜひご教示下さい。。。

大崎上島   : さくら湯 〜木江遊郭跡散策
大崎下島豊島 : 豊島温泉 〜御手洗遊郭跡散策
倉橋島室尾  : 西の湯、さくら湯 〜音戸遊郭跡散策
呉      : 石川湯 〜呉・朝日町、吉浦新地跡散策

86嶋原G:2006/09/06(水) 23:15:03
木江はすごいらしい
木造高層ファンの私としましたら、木江は凄いらしいです。
木造5階建てもあるとのことです。

道幅が狭いのに木造3階が乱立する町並みは素晴らしいと思います。

87夕凪:2006/09/07(木) 01:11:01
おちょろ舟
 夕やみ迫るころ、港の両岸の突堤に赤旗が高く掲げられると、
ラッパの合図と共に数十隻の屋形式のおちょろ舟がいっせいに
沖合いの泊まり船をめがけて漕ぎ出し、先陣争いをした。

 船に着くや女は猿(マシラ)のように身軽く船によじ登り、
船人と直接交渉のあげく一夜妻となる。
そして翌朝、迎えのおちょろ舟に乗り、別れを惜しむ。

 船内での遊興が別段航海に支障がないこと、
或はともすれば荒みがちな船員の心に人間味を取戻させる
ということで人気を呼んだ。(中略)

 一隻のおちょろ舟に平均五、六人の遊女が乗り合わせ、
ちょろ押しと称する船員くずれの男によって操船される。
遊女たちの置屋は普通の人家とかわらず点々と散在していたものである。

                   某本ヨリノ孫引キデス

 被免許地廓接岸の船舶に出稼ぎは構わないが、
二十四時間を越えてはならないとの規定があったそうです。

 既に江戸末期、大崎下島・御手洗等からの遠征おちょろ群と
尾道妓楼衆との間でもめごとが絶えなかったそうな。
 ※おちょろはオジョロ(女郎)の転訛だそうです。

 ○比較的入手しやすいモノとしては
  加太こうじ編『色街−日本の名随筆 別巻?』(1992年、作品社)に
  井伏鱒二の「消えたオチヨロ船」と言う一文が興味深いかと思います。

88黄線:2006/09/07(木) 15:50:59
木江のチョロ
鷹目様と皆様、初めて書き込みさせていただきます。

ナカムラ様
瀬戸内の遊女の風、チョロについて某本より引用いたします。

木江では遊女をおく置屋があり、チョロはその楼主の所属の場合もあり、チョロをのみ持っている人もあった。置屋にチョロを持っているものの場合、チョロ押しは、おかにいる時は、船を洗ったり、水をくんだり、風呂を焚いたりし、それがすむと、寝ている。夕方になると女たちをのせて沖へ出て行く。沖からは霧笛を吹く。その吹き方によって何楼の誰をよんでいるかが判る。(某本より)

広島木ノ江名物のチョロですが、もとは瀬戸内の各港にあり、制度は港々で多少違ったそうです。大崎上島のある古い港では、今は勿論考えられないことですが、時には良家の子女も加わることがあったそうです。娘が嫁に行って恥をかくことがあってはならぬと、一通りのことを覚えさせるために、そういうことをさせた親も時にいた時代もあったそうです。相手をした船乗りもなじんだ女が豪家へ嫁に行ったと聞くと、いつまでも懐かしがったそうです。なんだかホノボノとするエピソードですが、さらにに引用しておきます。

周防では上関に一番いい女郎がいたそうで、そこの女たちは、声の修行のために、チョロで沖の方へ出かけ、師走の時雨空の下で、カン(寒)の声をとるとて長襦袢一枚に三味線をかかえて唄ったものだという。チョロオシにはなかなかの権力があって、声が出ねば鞭打ったものだときいた。毎日毎日寒い日を出て行くので、喉はさけて血を吐くことも多かったという。そうして一人前になったとか。遊女の話には、こうした痛ましいものが多いい。(某本より)

海の交易が活発な時代、交易船だけでなく時には海賊たちも、相手にしたかもしれない、瀬戸内ならでは独特の遊郭巡りの旅が、好天といい湯に恵まれるといいですね。

89:2006/09/07(木) 23:45:33
おちょろ舟
>島原Gどの

そうなんです。木造の造船技術なのでしょうか、木造の高層の建物があるようです。
木造3階建の徳森旅館に泊まろうとしたら、廃業でした・・・。
でも、洋風の映画館だった建物などもあり、楽しみにしています。
日曜日から、3〜4箔で回ることにしました。


>夕凪どの

わざわざ、文献を転記していただき有難うございます。
相変わらず、考証(高尚)的ですね・・・。
昨冬尾道に行ったのですが、尾道辺りと競合したとは、興味を持ちました。

>黄線どの

>沖からは霧笛を吹く。その吹き方によって何楼の誰をよんでいるかが判る。
実に詩的で、優雅ですね。。。
御手洗には、掘り出された、遊女の墓があるそうです。
投げ込みではなく、墓を建ててもらえたということは、それなりの扱いをされたということなんでしょうか。

90風俗散歩:2006/09/09(土) 19:54:09
雑誌新刊
本屋で、「別冊歴史読本 歴史の中の遊女・被差別民 謎と真相」という本を見かけました。巻頭カラー2頁と本文50頁ぐらいを木村聡さんが執筆しています。「秋田紀行 遊廓跡を訪ねて」は、新しい部分でしょうか。

http://huusan.exblog.jp/

91:2006/09/10(日) 00:53:26
ちょっと気づいたので・・・・
鷹目さん、皆さん、たいへん、ご無沙汰しております。

夕凪さんの「おちょろ舟」についての引用、原典は、

沖浦和光『瀬戸内の民俗誌―海民史の深層をたずねて』
(岩波新書 1998年7月)
だと思います。
この本、民俗学者による「おちょろ舟」に関する聞き取りして、
貴重です。

http://plaza.rakuten.co.jp/junko23/diary/200602170000/

92黄線:2006/09/11(月) 02:26:32
黄線
>ナカムラ様

私の引用は民俗学者、宮本常一氏の「〜周防大島を中心としたる〜海の生活誌」からです。
遊女に関する内容は数頁ですが、観察眼に優れ、文章がまた素晴らしいので、時々ページをめくっています。

>墓を建ててもらえたということは、それなりの扱いをされたということなんでしょうか。
どうなのでしょうか?瀬戸内のそういった島に住む港の女には、くろうとだけでなく、港に船が入ったときだけ遊女になる女など、いろいろな種類の女がいたようです。大崎上島へ行ったことがないので想像ですが、遊女塚でなく墓なら近隣に親族がいたのでしょうか?その後、血縁が絶えてしまったのでしょうが、島の人間模様が関係するのかもしれないですね。

鷹目様
入院されていたとは全く知りませんでした。
楽しみのこの掲示板に、鷹目様の書き込みが無かったのはそういう事だったのですね。
どうぞお大事に。これからも時々書き込みさせていただきます。よろしくお願い致します。

93k_taii:2006/09/11(月) 23:42:46
写真がなくなって
しまったので、今回温泉旅行を兼ねて上田に行ってきました。昔しあった遊郭は戦時中に
閉鎖されたようなので、誰に聞いても場所がわかりませんでした。廃止された上田花園駅
の近くで北国街道沿いにあったそうなのですが、現在は市街地なので場所の特定はできませんでした。戦後の盛り場であった旧袋町ではスナック、風俗店などが隙間なく立っており
古い建物はありませんでした。次にしなの線の坂城駅へ。ここには 坂木宿 ふるさと
歴史館 がありますが、その建物が一時期遊郭として使用されていたとのことでした。
建物は三階建てでキレイに修復されていますが、遊郭として使用されていた雰囲気は
いっさいありませんでした。近くにも古い建物はいくつかありましたが、これが元遊郭
というものありませんでした。泊まったのは長野 善光寺 の精進落としで賑わった
戸倉上山田温泉です。朝早くかつて赤線があった場所を歩きましたが、その当時の建物
で残っていたのは3軒ぐらいでした。以前はこれこそ赤線という和風の建物がありましたが、もう残っていませんでした。最後にしなの鉄道の大屋駅の近くにあった遊郭の建物に
行きましたが、残念!1月前に取り壊された後でした。しかし近くに雰囲気のいい料理屋
の建物があり見る価値のあるものでした。温泉でお年寄りの何人かに赤線のことを聞いた
ところ更埴にもあったそうですが、場所は教えてくれませんでした。

94夕凪:2006/09/19(火) 02:38:18
おちょろ舟 の引用
??遅レスですみません。

●先日の書込みの原典は、小川吾一『木ノ江町通俗史』および古老からの
 聞き書きのようです。また引用した本自体は2000年発行のものです。

 (参考)ttp://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0247020/top3.html

●この関係は、先人も「特殊な世界だけに記録は少なく、随筆家が何かに書いている位です。
 (中略、極一部の廓を除いて)組合にも記録は残っておりません。」と記しており、

 木村聡さんも単行本や月刊誌の記事の中に市史の中の記事を引用しているものが
 見られると嘆いておられ、同時に御自分を戒めてられますね。

 いずれにしても大部分の人は体験した事の無い世界であり、触れられたくない部分
 でもありますので、その記録等はごく限られたものしか残っておらず、
 同じものの使い回しになってしまうのも、止むを得ないことかもしれませんね。
 もちろん引用等にはルールがありますが。


●ゆまに書房より下記の資料モノが今年の12月より刊行開始されます。

  コレクション・モダン都市文化  第2期 全20巻
  昭和初期に花開いたモダン都市文化の魅力が満載。
  詳細な年表も付したモダニズム研究の基本文献。

 ■第22巻 花街と芸妓
 松川二郎『三都花街めぐり』(1932)/ 三宅孤軒『芸妓読本』(1935年)/
 エッセイ「モダン都市の花街と芸妓」

 ■第34巻 遊廓と売春
 『全国遊廓案内』(1930)/ 市川伊三郎・他編『新吉原遊廓略史』(1936)/
 エッセイ「モダン都市の遊廓と売春」

?? (参考)ttp://www.yumani.co.jp/detail.php?docid=311

95鷹目 :2006/09/20(水) 00:41:19
長文随時復帰
 遅レスすみません。さらっと掲示板なり、メールなりを見る分にはさほど問題ないのですが、長文書き込みはまだ少し疲れますので暫くは遅レスになると思うのでご容赦ください。。

>ナカムラさん
 お久です。伝言板での速報、ありがとうございました。
 大崎上島、木江はで3階建の妓楼跡に出会えたようでよかったです。しかし廃墟化が進んでいるとは残念です。

>風俗散歩さん
 お久しぶりです。
 『別冊歴史読本 歴史の中の遊女・被差別民 謎と真相』の木村さんが書かれている秋田紀行は新しくかかれたものだと思いますよ。それ以外でもこの本は読んでいて面白いのでお薦めですよね。

>順子さん
 お久しぶりです。
 私も沖浦氏の『瀬戸内の民俗誌』持っています。良書ですよね。現在春に沖浦氏がだされた『「悪所」の民俗誌』を疲れない程度で読んでいます。こちらも面白いですね。

>黄線さん
 はじめまして。遅レスですみません。
 おちょろ舟、木ノ江について書き込みありがとうございました。未読の本なので非常に興味を覚えました。
 ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。今後とも宜しくお願い致します。

>k_taiiさん
 お久です。信州遊里の旅、お疲れ様でした。 建物の残存率もすくなく、寂しい様子ですね。以外と信州方面、みなさん手薄な感じですよね。もっと資料が手元にあれば、もう少し面白いかも知れない場所ですね。


>夕凪さん
 毎度です。おちょろ舟文献の紹介ありがとうございます。私も夕凪さん、木村さんと同じ意見です。それとは別に記録が少ない現状を何とか変えていきたいものです。なかなか難しいことですけどね。
ゆまに書房、面白そうですね。12月が待ちどおしいです。

96夕凪:2006/09/23(土) 10:11:12
飛田遊廓 
飛田遊廓はその字を音で読んで「ヒデン」、略して「ビタ」、
又は「ジャンプ」と呼ばれる。

大阪のずっと南、例の林芙美子の書いたジャンジャン横丁を南へ、
関西線のガードを抜けて、飛田の大門まで5・6町あろう。
飛田は遊廓としての面白さより、この5・6町の飛田道に、
より特長があり、生彩があるといえよう。

同じ大阪の遊廓である松島に比して、歴史も浅いし、規模も小さい。
が、すでに古色をおびて老衰に近かった松島にくらべると、
新興の飛田は、建築や調度も新鮮味あふらせ、昭和のはじめ、
ダンスホールやネオンサインのモダニティーを採入れたのも、
全国で飛田がその嚆矢であった。

そして、その間の戦争で松島は全焼したが、飛田は半焼にとどまって、
その面影をのこした。

            1950年頃の長谷川幸延の小説より抄録

 ※一応、特別OFF会協賛のつもり?

97夕凪:2006/09/27(水) 08:13:28
海の赤線部隊
  ― 木ノ江港に灯のつくころは 沖へ沖へとチョロがでる ―

絵のように美しい瀬戸内海をつっ走って大崎上島木ノ江の港につく。
夕暮れが港を包むころ波止場に待機していたおちょろ船20隻が湾になった
港の中央を目指して?おでまし?になる。

以前は碇泊船めがけて激しい客取りの先陣争いをしたものだが芸者(女郎衆)が
争いすぎたため船と船の間に挟まって死んだり、海に落ちたりしたもので
あるので、戦後は先陣争いはやめることになった。

だが沖に向かって集結するおちょろ舟は芸者たちが女とは思えない腰つきで
舟を漕ぎながら夜の獲物をあさっていく情景はまさに奇観であり壮観、
薄暗い海に咲いた花のようだ。

                  1955年頃のグラフ雑誌より抄録

98:2006/10/11(水) 02:36:23
木江
ナカムラです。

木江の写真をアップしました。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~masayuki/kinoe20060911_12.html

99嶋原G:2006/10/07(土) 18:53:59
ありがとうございます
ナカムラさん、木江写真拝見させていただきました。
木江には「広角レンズを手に入れてから」と思ってましたが、
急に行きたくなりました。ありがとうございました。

100彷徨人:2006/11/12(日) 11:02:21
橋本の火事について
 京都府八幡市橋本で火事があり,3棟全焼というニュースをききましたが,旧遊廓街は大丈夫
だったでしょうか?


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