- 1 :名無しさん :2020/08/27(木) 11:11:53
- ありがとうございました
- 169 :名無しさん :2025/12/24(水) 10:59:26
- 2024/09/25、検査の2日前である。宿命転換の祈りを忘れるな。
- 170 :名無しさん :2025/12/24(水) 11:18:01
- 🌔カクヨム>開目抄
注)内容が記憶してたものと、ぜんぜんちがう。 時間が経つと、人間の記憶は変化する。作品自体が更新されたり、改訂されたりした。ビング
第5話
然を不知恩の人なりと世尊定給ぬ。其故は父母の家を出て出家の身となるは必父母をす くはんかためなり。二乗は自身は解脱とをもえとも、利他の行かけぬ。設分分の利他あ りといえとも、父母等を永不成仏の道に入れは、かへりて不知恩の者となる。 ttps://sate.dhii.jp/VIEW/UTK/TID/T0474_.14.0529c02 維摩経云 維摩詰又問文殊師 利。何等為如来種。答曰 一切塵労之疇為如来種。雖以五無間具猶能発此大道意等云云。 又云 譬如族姓之子高原陸土不生青蓮芙蓉衡華 卑湿汚田乃生此華等云云。又云 已得阿羅 漢為応真者 終不能復起道意而具仏法也。如根敗之士其於五楽不能復利等云云。文の心 は、貪・瞋・痴等の三毒は仏の種となるへし、殺父等の五逆罪は仏種となるへし。高原陸 土には青蓮華生へし、二乗は仏になるへからす。いう心は二乗の諸善と凡夫の悪と相対 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 171 :名無しさん :2025/12/24(水) 11:18:42
- 第二 外道の三徳
■能説の人を挙げて所尊の相を示す 二には月氏の外道。三目八臂の摩醯首羅天、毘紐天、この二天をば、一切衆生の慈父・悲母、また天尊・主君と号す。迦毘羅・�犯楼僧�育・勒娑婆、この三人をば、三仙となづく。これらは仏前八百年已前已後の仙人なり。
■所説の法を挙げて所学の相を示す この三仙の所説を四韋陀と号す。六万蔵あり。乃至、仏出世に当たって、六師外道この外経を習伝して、五天竺の王の師となる。支流九十五・六等にもなれり。一々に流々多くして、我慢の幢高きこと非想天にもすぎ、執心の心の堅きこと金石にも超えたり。その見の深きこと、巧みなるさま、儒家にはにるべくもなし。あるいは過去二生三生乃至七生、八万劫を照見し、また兼ねて未来八万劫をしる。その説くところの法門の極理は、あるいは因中有果、あるいは因中無果、あるいは因中亦有果亦無果等云々。これ外道の極理なり。
■仏家の意を以て而も破会を示す ○破 - 法を破す いわゆる、善き外道は、五戒十善戒等を持って有漏の禅定を修し、上、色・無色をきわめ、上界を涅槃と立てて屈歩虫のごとくせめのぼれども、非想天より返って三悪道に堕つ。一人として天に留まるものなし。しかれども、天を極むる者は永くかえらずとおもえり。 各々自師の義をうけて堅く執するゆえに、あるいは冬の寒きに一日に三度恒河に浴し、あるいは髪をぬき、あるいは巌に身をなげ、あるいは身を火にあぶり、あるいは五処をやく。あるいは裸形。あるいは馬を多く殺せば福をう。あるいは草木をやき、あるいは一切の木を礼す。これらの邪義、その数をしらず。師を恭敬すること、諸天の帝釈をうやまい、諸臣の皇帝を拝するがごとし。しかれども、外道の法九十五種、善悪につけて一人も生死をはなれず。 - 人を破す 善師につかえては二生三生等に悪道に堕ち、悪師につかえては順次生に悪道に堕つ。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 172 :名無しさん :2025/12/24(水) 11:24:45
- 御書シス2015年までの書き込み
前言
1. 御眞蹟現存及び曾存、古寫本現存の御書 2. 注法華経から大聖人の思索を追跡し、諸経論釈の要文が御書へどう結実したか、知りたく思う。注法華経は白文で書かれ、同じく御真蹟も諸経論釈の引用はすべて白文である。 ゆえに検索時の便宜のため、「原型活用」を利用した。
<--9年前の研究しはじめたころだからしかたないとはいえ、まちがっている。 (文)>注法華経は白文で書かれ、同じく御真蹟も諸経論釈の引用はすべて白文である。 と (文)>ゆえに検索時の便宜のため、「原型活用」を利用した。 は論理的につながってない。 「原型活用」は検索性のため新字体であるが、白文であることは、真蹟古寫本に返り点、句読点がないことを再現したためでなくPCの技術的理由にすぎない。 そして当時の我が「原型活用」を選んだのは、検索時の便宜のためではなく、原典の再現度これひとつであろう。 <-- (文)注法華経から大聖人の思索を追跡し、諸経論釈の要文が御書へどう結実したか、知りたく思う。 注法華経はいうなれば素材。御書こそ高度な結実。そこに引用された経論釈を対象とすべき。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 173 :名無しさん :2025/12/24(水) 11:25:45
- 一生成仏抄
○但し妙法蓮華経と唱へ持つと云ふとも、若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず、麁法なり。
この文は、おれがはじめてというか入信まえに覚えたもの。きわめて深い縁ある。若し己心の外に法ありと思はば全く【妙】法にあらず、麁法なり。おれは妙も蓮も、己心の外にある対境、つまり息子として、祈ってる。これでは麁法であると。「 故に【妙】法と唱へ【蓮】華と読まん時は、我が一念を指して、【妙】法【蓮】華経と名づくるぞと、深く信心を発すべきなり。」もちろん当抄が日蓮大聖人のご真筆か疑ってるのだが。「努々(ゆめゆめ)不審をなすべからず」
守護国家論 ○答へて云く、教主釈尊若し諸経に於て互ひに勝劣を説かば、大小乗の差別・権実の不同有るべからず。若し実に差別無きに互ひに差別浅深等を説かば諍論の根源、悪業起罪の因縁なり。 爾前の諸経の第一とは縁に随ひて不定なり。或は小乗の諸経に対して第一と、或は報身の寿を説いて諸経の第一と、或は俗諦真諦中諦等を説いて第一なりと。一切の第一に非ず。今の無量義経の如きは四十余年の諸経に対して第一なり。
そこで法華経以前の四十余年の諸経でいう第一とは、一体何に対しての第一なのか、改めて考えてみる必要がある。ある経は小乗教の諸経に対して第一といい、ある経は永遠の寿命を持つ報身仏を説いて無常の応身仏を説く諸経に比べて第一と称し、ある経は俗諦・真諦・中諦の三諦を説くことにおいて第一と誇っているが、これらはみな一切経の中の第一という意味ではない。それに対して、今の無量義経はそれまでの四十余年の代表的な経典の名を明示しており、それらすべての諸経に比べての第一なのである。
「教主釈尊若し諸経に於て互ひに勝劣を説かば、大小乗の差別・権実の不同有るべからず。」ここの会通難解。前半と後半が繋がってないような。これは写本または日蓮大聖人のミスではないのか?現代語訳の「互角に」は無理矢理の気が。...と一往は、古文漢文に精通しておらない浅識ではおもわれる。この節の後ろを見て、意味が繋がった。相対的第一と絶対的第一ともいうべき。
- 174 :名無しさん :2025/12/24(水) 11:26:26
- ○大集経の文の如くんば、王臣等仏道の為に無量劫の間、頭目等の施を施し八万の戒行を持ち無量の仏法を学ぶと雖も、国に流布する所の法の邪正を直さざれば、国中に大風・旱魃・大雨の三災起こりて万民を逃脱せしめ、王臣定めて三悪に堕せん。
法の邪正を直す、とは?今の世では。
○亦双林最後の涅槃経第三に云く「今正法を以て諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に付属す。乃至法を護らざる者をば禿居士と名づく」。
正法を護らない者を姿形だけをまねた似非出家と名づける」この部分は痛いというか、正に俺に符合する。しかし「護法」とは具体的行動としては、何を指すのか?
○而るに今の世は道俗を択ばず弓箭・刀杖を帯せり。梵網経の文の如くんば必ず三悪道に堕せんこと疑ひ無き者なり。涅槃経の文無くんば如何にしてか之れを救はん。
今までは超時空的な経文であったが、ここは日蓮大聖人の生きてるまさに鎌倉時代日本の現在ただいま。
○亦涅槃経の先後の文の如くんば、弓箭・刀杖を帯して悪法の比丘を治し正法の比丘を守護せん者は、先世の四重・五逆を滅して必ず無上道を証せんと定めたまふ。
悪法の比丘が誰で、正法の比丘が誰なのか?いつも疑念を持つ。端的に考えよ。高山先生の弟子ならば。学会精神で。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 175 :名無しさん :2025/12/26(金) 13:43:52
- 大阪市立美術館 29~2休み
プール 「12月28日~1月4日」
29~3
公的な文化は次の土曜と日曜だけ、つまり年末年始の最初だけ。
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