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初任研専用スレ
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あと半年頑張ってください
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ありがとうございます
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夫れ、一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主・師・親これなり。また習学すべき物三つあり。いわゆる儒・外・内これなり。
儒家には、三皇・五帝・三王、これらを天尊と号す。諸臣の頭目、万民の橋梁なり。三皇已前は父をしらず、人皆禽獣に同じ。五帝已後は父母を弁えて孝をいたす。いわゆる、重華はかたくなわしき父をうやまい、沛公は帝となって太公を拝す。武王は西伯を木像に造り、丁蘭は母の形をきざめり。これらは孝の手本なり。
比干は殷の世のほろぶべきを見て、しいて帝をいさめ、頭をはねらる。弘演といいし者は、懿公の肝をとって我が腹をさき肝を入れて死しぬ。これらは忠の手本なり。
尹寿は尭王の師、務成は舜王の師、太公望は文王の師、老子は孔子の師なり。これらを四聖とごうす。天尊頭をかたぶけ、万民掌をあわす。
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これは『新版』全文検索 からそのままコピペしたもの。
とうぜんvimで整形しないときびしい。
しかし先生の心を受けて、なんとしても新版からとはじめたが、
改行を処理できない、自分の現在のvimの日本語整形の設定では。
それでやむなく、原型活用を整形してカクヨムで縦表示から使用する。
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(005)開目抄上 文永9年(ʼ72)2月 51歳 門下一同
夫一切衆生の尊敬すへき者三あり。所謂主師親これなり。
又習学すへき物三あり。所謂儒・外・内これなり。儒家には三
皇・五帝・三王、此等を天尊と号。諸臣頭目、万民の橋梁なり。
三皇已前は父をしらす。人皆禽獣に同。五帝已後は父母を弁
て孝をいたす。所謂重華はかたくなはしき父をうやまひ、沛
公は帝となつて太公を拝す。武王は西伯を木像に造、丁蘭は
母の形をきさめり。此等は孝の手本也。比干は殷の世のほろ
ふへきを見て、しゐて帝をいさめ 頭をはねらる。公胤といゐ
し者は懿公の肝をとて、我か腹をさき、肝を入て死ぬ。此等
は忠の手本也。尹伊は尭王の師、務成は舜王の師、太公望は
文王の師、老子は孔子の師なり。此等を四聖とかうす。天尊
頭をかたふけ、万民掌をあわす。此等の聖人に三墳・五典・三
史等の三千余巻の書あり。其の所詮は三玄をいてす。三玄と
者、一者有の玄、周公等此を立。二者無の玄、老子等。三者
亦有亦無等、荘子か玄これなり。玄者黒也。父母未生已前を
たつぬれは、或元気而生、或貴賤、苦楽、是非、得失等皆自
然等云云。かくのことく巧に立といえとも、いまた過去未来
を一分もしらす。玄者、黒也、幽也。かるかゆへに玄という。
但現在計しれるににたり。現在にをひて仁義を制して身をま
ほり、国を安す。此に相違すれは族をほろほし家を亡等いう。
此等の賢聖の人々は聖人なりといえとも、過去をしらさるこ
と凡夫の背をみす、未来をかかみさること盲人の前をみさる
かことし。但現在に家を治、孝をいたし、堅く五常を行すれ
は傍輩もうやまい 名も国にきこえ、賢王もこれを召て或は臣
となし、或は師とたのみ、或は位をゆつり、天も来て守りつ
かう。所謂周の武王には五老きたりつかえ、後漢の光武には
二十八宿来て二十八将となりし此なり。而といえとも、過去
未来をしらされは父母・主君・師匠の後世をもたすけす、不知
恩の者なり。まことの賢聖にあらす。孔子か此土に賢聖なし、
西方に仏図という者あり、此聖人なりといゐて、外典を仏法
の初門となせしこれなり。礼楽等を教て、内典わたらは戒定
恵をしりやすからせんかため、王臣を教て尊卑をさため、父
母を教て孝高きをしらしめ、師匠を教て帰依をしらしむ。妙
楽大師云仏教流化実頼於茲。礼楽前馳真道後啓等云云。天台
云 金光明経云一切世間所有善論皆因此経。若深識世法即是仏
法等云云。止観云 我遣三聖化彼真丹等云云。弘決云 清浄法
行経云 月光菩薩彼称顔回 光浄菩薩彼称仲尼 迦葉菩薩彼称老
子。天竺指此震旦為彼等云云。
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>>3
> 夫れ、一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主・師・親これなり。また習学すべき物三つあり。いわゆる儒・外・内これなり。
> 儒家には、三皇・五帝・三王、これらを天尊と号す。諸臣の頭目、万民の橋梁なり。三皇已前は父をしらず、人皆禽獣に同じ。五帝已後は父母を弁えて孝をいたす。いわゆる、重華はかたくなわしき父をうやまい、沛公は帝となって太公を拝す。武王は西伯を木像に造り、丁蘭は母の形をきざめり。これらは孝の手本なり。
> 比干は殷の世のほろぶべきを見て、しいて帝をいさめ、頭をはねらる。弘演といいし者は、懿公の肝をとって我が腹をさき肝を入れて死しぬ。これらは忠の手本なり。
> 尹寿は尭王の師、務成は舜王の師、太公望は文王の師、老子は孔子の師なり。これらを四聖とごうす。天尊頭をかたぶけ、万民掌をあわす。
>
> ------------------------
> これは『新版』全文検索 からそのままコピペしたもの。
> とうぜんvimで整形しないときびしい。
これよく見ると...めちゃくちゃでない。冒頭の『夫れ』はコピペミス、最初の全角空白を選択してないだけ。
だから問題は、tw=55 でgq すると改行が無視され連結されてしまうことだけ。
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(005)開目抄上 文永9年(ʼ72)2月 51歳 門下一同
<--これはカクヨム内のキャッチに移動。
開目抄1話目エピソードタイトルには、御書シスではなく、学会の伝統に則り、昭和の御書講義録から採用。
全集と新版では段落の切れ目が若干ちがうが、大意を取る。
第一章 三徳の標示 第二章 儒家の三徳
夫れ、一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主・
師・親これなり。また習学すべき物三つあり。いわゆる儒・
外・内これなり。
儒家には、三皇・五帝・三王、これらを天尊と号す。諸臣
の頭目、万民の橋梁なり。三皇已前は父をしらず、人皆禽獣
に同じ。五帝已後は父母を弁えて孝をいたす。いわゆる、重
華はかたくなわしき父をうやまい、沛公は帝となって太公を
拝す。武王は西伯を木像に造り、丁蘭は母の形をきざめり。
これらは孝の手本なり。
比干は殷の世のほろぶべきを見て、しいて帝をいさめ、頭
をはねらる。弘演といいし者は、懿公の肝をとって我が腹を
さき肝を入れて死しぬ。これらは忠の手本なり。
尹寿は尭王の師、務成は舜王の師、太公望は文王の師、老
子は孔子の師なり。これらを四聖とごうす。天尊頭をかたぶ
け、万民掌をあわす。
これらの聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり。
その所詮は三玄をいでず。三玄とは、一には有の玄、周公等
これを立つ。二には無の玄、老子等。三には亦有亦無等、荘
子が玄これなり。玄とは黒なり。父母未生已前をたずぬれ
ば、あるいは元気よりして生じ、あるいは貴賤・苦楽・是
非・得失等は皆自然なり等云々。
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■カクヨムには縦書き本文のみ。基本は
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災難興起由来は全集に収録されていない。
解題等をvim編集して重要なキーワードのみに。
真蹟十紙断簡(前欠)千葉県中山法華経寺蔵。
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なにかちがう気がする...このカクヨム使用は。
SATのように刊本の御書の画像に直接書き込みできないか
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tps://kakuyomu.jp/works/16817330656376009668/episodes/16817330656376153470
災難興起由来 正元2年(ʼ60)2月上旬 39歳
答えて曰わく、しかなり。謂えらく、夏の桀・殷の紂・周の幽等の世これなり。
難じて云わく、彼の時、仏法無し。故に、また謗法の者無し。何に依るが故に国を亡ぼすや。
答えて曰わく、黄帝・孔子等、治国の作方は五常をもってす。愚王有って礼教を破るが故に、災難出来するなり。
難じて云わく、もししからば、今の世の災難、五常を破るに依るとならば、何ぞ必ずしも選択流布の失と云わんや。
本書は冒頭が「答云」で始まっているので、前欠である。先ず愚王が五常を破り国に
災難を招いた例として「夏ノ桀・殷ノ紂・周ノ幽」が挙げられるが、これに対する問難
が「それは外典五常のことであって、日本国の災難が『選択集』流布によるというのと
は次元が異なるのではないか。」というものであるから、前欠の内容は眼前の災難の原
因が『選択集』の流布にあり、愚王が悪法を用いて災難を招くは世の通例であるという
もの。
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答えて曰わく、仏法いまだ漢土に渡らざる前には、黄帝等、五常をもって国を治む。
その五常は、仏法を渡して後にこれを見れば、即ち五戒なり。老子・孔子等もまた、仏
遠く未来を鑑み、国土に和し、仏法を信ぜしめんがために、遣わすところの三聖なり。
夏の桀・殷の紂・周の幽等、五常を破って国を亡ぼすは、即ち五戒を破るに当たるな
り。
また、人身を受けて国主と成るは、必ず五戒十善による。外典は浅近なるが故に過去
の修因・未来の得果を論ぜずといえども、五戒十善を持って国王と成る。故に、人有っ
て五常を破れば、上に天変しきりに顕れ、下に地妖、まま侵すものなり。
故に、今の世の変災もまた、国中の上下万人、多分は選択集を信ずるが故なり。弥陀
仏より外の他仏・他経において拝信を至す者においては、面を背けて礼儀を至さず、言
を吐いて随喜の心無し。故に、国土において、人民、殊に礼儀を破り、道俗、禁戒を犯
す。例せば、阮籍に習う者は礼儀を亡ぼし、元嵩に随う者は仏法を破るがごときなり。
問うて曰わく、何をもってか、これを知る、仏法いまだ漢土に渡らざるより已前の五
常は仏教の中の五戒たることを。いかん。
仏法が渡らぬ以前は外典に背く者は仏法違背に通じ、その理由として諸経釈か
ら、外典は仏教の初門であり仏教から見れば五常は即五戒であることが示される。
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答曰 爾也。謂夏桀殷紂周幽等世是也。難云 彼時無仏法。故亦無謗法者。依何故亡
国乎。答曰 黄帝・孔子等治国作方以五常。有愚王破礼教故災難出来也。難云若爾者今
世災難依破五常者何必云選択流布失乎。答曰 仏法未渡漢土前黄帝等以五常治国。其五
常渡仏法後見之即五戒也。老子・孔子等亦仏遠鑑未来和国土為令信仏法所遣三聖也。夏
桀・殷紂・周幽等破五常亡国。即当破五戒也。亦受人身成国主必依五戒十善。外典浅近
故雖不論過去修因・未来得果持五戒十善成国王。故有人破五常上天変頻顕下地妖間侵者
也。故今世変災亦国中上下万人多分信選択集故自弥陀仏外於他仏他経於至拝信者 背面
不至礼儀吐言無随喜心。故於国土人民殊破礼儀道俗犯禁戒。例如習阮藉者亡礼儀随元
嵩者破仏法也。問曰 以何知之。仏法未渡漢土已前五常仏教中五戒如何。
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答曰 金光明経云 一切世間所有善
論皆因此経。
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>>12
> 答曰 金光明経云 一切世間所有善
> 論皆因此経。
金光明経云は大聖人様の記憶違いか。
tps://candra.dhii.jp/iipsrv/iipsrv.fcgi?IIIF=/taisho/46/46_0077.tif/344,1162,144,808/full/0/default.jpg
tps://candra.dhii.jp/iipsrv/iipsrv.fcgi?IIIF=/taisho/46/46_0077.tif/3468,1986,380,1490/full/0/default.jpg
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開目抄
■第一章 三徳の標示
夫れ、一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主・
師・親これなり。また習学すべき物三つあり。いわゆる儒・
外・内これなり。
■第二章 儒家の三徳
儒家には、三皇・五帝・三王、これらを天尊と号す。諸臣
の頭目、万民の橋梁なり。三皇已前は父をしらず、人皆禽獣
に同じ。五帝已後は父母を弁えて孝をいたす。いわゆる、重
華はかたくなわしき父をうやまい、沛公は帝となって太公を
拝す。武王は西伯を木像に造り、丁蘭は母の形をきざめり。
これらは孝の手本なり。
ttps://kakuyomu.jp/works/16817330655896506243/episodes/16817330655896863232#:~:text=%E5%A4%AB%E3%82%8C%E3%80%81%E4%B8%80%E5%88%87%E8%A1%86%E7%94%9F,%E3%81%AE%E6%89%8B%E6%9C%AC%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%80%82
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たとえば、後に舜王となった重華(ちょうか)は見苦しい所行のあった父の瞽叟(こそう)を敬い、漢の高祖となった沛公は帝位についた後も父王に礼した。周の武王は父・西伯の木像をかかげて殷の紂王を討ち、後漢の丁蘭は、十五才の時に早世した母の木像を造り、生前同様に給仕した。これらはみな孝行の模範である。
重華(ちょうか)
五帝のひとり舜王(虞舜)のこと。舜は孝に徹した人で、頑愚(がんぐ)な父が後妻のことばに迷い、たびたび舜を殺害しようとした。あるときは屋根にのぼらせて火を放ち、あるときは井戸に生き埋めにしようとしたが果たさなかった。ついに父は盲目になったが、舜は最後まで孝養をつづけたという。
丁蘭(ていらん)
中国・後漢代の孝子。幼くして母を失ったが、十五歳のとき母の姿を木像に刻み、さながら生ける母のようにこれに仕えた。蘭の妻も隣人も、その木像を軽蔑したが、蘭は身をもって像を守り、節(せつ)を曲げなかったと伝える。
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統合性と結合性がない。
いちおう高祖遺文録開目抄をmiradorで開いてみる
これは、高祖遺文録開目抄の開いてるページは
IIIF manifest URI
ttps://dl.ndl.go.jp/api/iiif/823616/manifest.json
高祖遺文録巻の12の冒頭。巻単位のuri でしかない。uvで開き自力で該当ページを探り当て、つぎにurlをコピーすれば、それ以後は
いけるだろうが。
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ttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823616
ttps://dl.ndl.go.jp/api/iiif/823616/manifest.json
今は残ってるが、手順として、高祖遺文録開目抄の開いてるページは
IIIF manifest URIをドラッグアンドドロップして、冒頭部から8ページでだしてる。
...良かったぁ...!単にここjdのurlを選択してドラッグアンドドロップでもいけた。
ただしh補完はいると。
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いわゆる、重
華はかたくなわしき父をうやまい、沛公は帝となって太公を
拝す。武王は西伯を木像に造り、丁蘭は母の形をきざめり。
7ページ。
===>止観や涅槃経をあつかう場合と異なり、御書であり開目抄であるから、冒頭からたんねんに拝読していくがゆえに、冒頭から何ページでも致命的ではない。
...とはいえ、ウィーバがつかえたほうが良かった。
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縦書きのまま、ハイライトすると、ダッシュボード上で、縦に
重
華
となってしまう。ゆえに横組の状態で、ハイライトとコメントをつける。
つぎにダッシュボード移動し、ハイライトとコメントついてる。
つぎに縦組みに変えると、コメントが一行で縦にずらずらと出る。コメントをつけるとき、
vimで編集すれば? :set tw=20
五帝のひとり舜王(虞
舜)。舜は孝に徹した
人で、頑愚な父が後妻
のことばに迷い、たび
たび舜を殺害しようと
した。あるときは屋根
にのぼらせて火を放ち、
あるときは井戸に生き
埋めにしようとしたが
果たさなかった。つい
に父は盲目になったが、
舜は最後まで孝養をつ
づけた。
==>編集しても縦組みでは、1列にならんでしまう。これがweavaとカクヨム縦組みの相性であり、限界性。
weavaでなく、他のソリューション考える。
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>>14
> 夫れ、一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主・
>
> 師・親これなり。また習学すべき物三つあり。いわゆる儒・
>
> 外・内これなり。
>
> 儒家には、三皇・五帝・三王、これらを天尊と号す。諸臣
>
> の頭目、万民の橋梁なり。三皇已前は父をしらず、人皆禽獣
>
> に同じ。五帝已後は父母を弁えて孝をいたす。いわゆる、重
>
> 華はかたくなわしき父をうやまい、沛公は帝となって太公を
>
> 拝す。武王は西伯を木像に造り、丁蘭は母の形をきざめり。
>
> これらは孝の手本なり。
> ttps://kakuyomu.jp/works/16817330655896506243/episodes/16817330655896863232#:~:text=%E5%A4%AB%E3%82%8C%E3%80%81%E4%B8%80%E5%88%87%E8%A1%86%E7%94%9F,%E3%81%AE%E6%89%8B%E6%9C%AC%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%80%82
----------------------------
縦組み時にこの長文を選択して、リンクtoでリンク作成すると、縦組みではスクショをとったとおり、まともなテキスト選択のハイライトつかない。
横組にすると、かんぺきに。これは仕様であるからどうにもできない。
だから「単なる目印とする」たぶん最初の「夫れ」をハイライトが最適か?
テキストの選択解除。
■リンクtoのオプション
リンク コピー スタイル
リッチ テキスト リンクをコピーします。
生の URL をコピーします。
リッチ テキストと生の URL をコピーします。 「リッチ プラス ロー」スタイルの場合、リンクの単語を選択または設定します
たぶんこれは、vimjpのようなリッチテキストに対応してるサイトでは有用だが、jdでは無関係。ためしに生の URL をコピー
右クリックメニューの2つは同じ。
ttps://kakuyomu.jp/works/16817330655896506243/episodes/16817330655896863232#:~:text=%E5%84%92%E5%AE%B6%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%BE%B3-,%E5%A4%AB%E3%82%8C,-%E3%80%81%E4%B8%80%E5%88%87%E8%A1%86%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%B0%8A%E6%95%AC
%80%E5%88%87%E8%A1%86%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%B0%8A%E6%95%AC
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結果はまったくダメ。関係ない「師」のとこがハイライト。縦組みで完璧を求めない。
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「夫れ」をハイライトが最適か?テスト
編集状態ではリンクto作成できない。横組み公開にする。
ttps://kakuyomu.jp/works/16817330655896506243/episodes/16817330655896863232#:~:text=%E5%84%92%E5%AE%B6%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%BE%B3-,%E5%A4%AB%E3%82%8C,-%E3%80%81%E4%B8%80%E5%88%87%E8%A1%86%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%B0%8A%E6%95%AC
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段落全体でも一語のみでも、urlの長さ変わらない。
しかも段落全体を選択したときのほうが、まだ「単なる目印とする」の目的に叶う。
ttps://kakuyomu.jp/works/16817330655896506243/episodes/16817330655896863232#:~:text=%E5%A4%AB%E3%82%8C%E3%80%81%E4%B8%80%E5%88%87%E8%A1%86%E7%94%9F,%E3%81%AE%E6%89%8B%E6%9C%AC%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%80%82
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>>23
> しかも段落全体を選択したときのほうが、まだ「単なる目印とする」の目的に叶う。
これをどう考えるか? 縦組みでも格子状に考えて、最上部の列のみ横に紫色のハイライト...これは縦書きの本文の汚しが大きくなっただけでは? 1文字でいく。
みやすさと信心において新版をとる。高祖遺文録より。縦書きへの直接書き込みはあきらめる。複雑性ます。
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殷の紂王(ちゅうおう)が妲己(だっき)を溺愛し、政事(まつりご
と)を顧みようとしないので、比干は「人臣たる者は死を以て諌
めざるを得ず」と強諫した。妲己は王に向かい「上聖は心(むね
)に九孔(こう)あり、孔に九毛あり、中聖は七孔七毛、下聖は五
孔五毛ある。比干は中聖なり、帝、かれが心(むね)をさきてみ
たまえ」と進言した。紂王は「吾れ聞く、聖人の心(むね)には
七穴あり」と言い、それを確認するためとして比干の胸を裂い
て殺した。
ーー>注釈欄たぶん横18字くらい
:set tw=34
殷の紂王(ちゅうおう)が妲己(だっき)
を溺愛し、政事(まつりごと)を顧みよ
うとしないので、比干は「人臣たる者
は死を以て諌めざるを得ず」と強諫し
た。妲己は王に向かい「上聖は心(む
ね)に九孔(こう)あり、孔に九毛あり、
中聖は七孔七毛、下聖は五孔五毛ある。
比干は中聖なり、帝、かれが心(むね)
をさきてみたまえ」と進言した。紂王
は「吾れ聞く、聖人の心(むね)には七
穴あり」と言い、それを確認するため
として比干の胸を裂いて殺した。
公演、弘演とも書く。中国の春秋時代、前六六〇年頃、衛(えい)の懿公(いこう)に
仕えた忠臣。命を奉じて使いに出ていた公胤は、衛国が狄人(てきじん)に攻められ、
主君の懿公が殺されたことを知り、号泣して悲しんだ。腹わたが散乱していたので、
みずからの腹をさいて公の肝を入れ、主君の恥を隠した。中国では君子が肝を人目に
さらすことを最大の恥としたのである。
-
>>25
> :set tw=34
いずれにせよ、アノテーション欄に入れるとめちゃくちゃ。テイランとチョウカのときは
大丈夫だったのに...
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そうだ...前との違い、まえはsatだった。
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>>15
> 五帝のひとり舜王(虞舜)のこと。舜は孝に徹した人で、頑愚(がんぐ)な父が後妻のことばに迷い、たびたび舜を殺害しようとした。あるときは屋根にのぼらせて火を放ち、あるときは井戸に生き埋めにしようとしたが果たさなかった。ついに父は盲目になったが、舜は最後まで孝養をつづけたという。
こちらは何も編集などしてないに、キレイに入る
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身延曾存御書。『日乾目録』に「『開目抄』六十五紙」とあり、更に日乾の綿密な
対校本が本満寺に所蔵されている。『日意目録』に「『開目抄』御草案」とあり、
草案の可能性もある(山上弘道「日蓮大聖人の思想」『興風』13号23頁以下往見)。
日興の本書の抄写本たる『開目抄要文』が北山本門寺に所蔵され、
本書は「種々御振舞御書」に「去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造り
たり。」とあるように、佐渡の塚原三昧堂に到着して(「種々御振舞御書」によれ
ば塚原には十一月一日に到着)直に執筆にとりかかられている。それはこの時宗祖
並びに門下が抱えられていた問題について、一刻も早く回答を与える必要があった
からに他ならない。
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日乾の綿密な対校本でも、ttps://kakuyomu.jp/works/16817330655896506243/episodes/16817330655896863232#:~:text=%E3%81%AE%E4%B8%96%E3%81%AE-,%E3%81%BB%E3%82%8D%E3%81%B6%E3%81%B9%E3%81%8D%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%A6,-%E3%80%81%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%A6%E5%B8%9D%E3%82%92
同じく ほろぶべきを見て、ゆえに高祖遺文録の独断か?
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こういうテキスト批判はめったにやらないこと
-
尹寿(いんじゅ)・務成(むせい)
堯(ぎょう)・舜(しゅん)とも理想的な君主であったが、尹寿・務成をそれぞれ師として、善く天下を統治した。理想的な君主であっても、それを一歩上の立場から見て、助言・指導する国父あるいは国師というべき人の存在があってこそ、もっとも完璧といえる。
堯(ぎょう)王
中国古代の伝説上の帝王。姓は伊祁(いき)、名は放勲(ほうくん)。堯は諡号。陶、次いで唐に封建されたので陶唐氏ともいい、唐堯(とうぎょう)ともいう。徳をもって天下を治め、中国の皇帝の模範とされた。史記では五帝の一人に数えられている。堯王には丹朱(たんしゅ)という子がいたが、不孝の者であったので王位を継がせず、孝養の心の深い舜に位を譲ったという。
舜(しゅん)王
中国古代の伝説上の帝王。姓は虞(ぐ)、名は重華(ちょうか)。舜は諡号。虞舜(ぐしゅん)とも呼ぶ。三十歳で堯王の信任を受けて後に摂政となった。王の死後、人心が舜に傾いたので位に就き、八元八�祥(はちげんはちがい)という十六人の人材を起用しよく善政を行なったという。史記では五帝の一人に数えられている。舜王には商均(しょうきん)という子がいたが、洪水を治め功労があった配下の禹(う)に位を譲り没した。禹王は夏王朝の祖とされる。
■人名はブルー。
弘演とも書く。中国の春秋時代、前六六〇年頃、衛(えい)の懿公(いこう)に仕えた忠臣。命を奉じて使いに出ていた公胤は、衛国が狄人(てきじん)に攻められ、主君の懿公が殺されたことを知り、号泣して悲しんだ。腹わたが散乱していたので、みずからの腹をさいて公の肝を入れ、主君の恥を隠した。中国では君子が肝を人目にさらすことを最大の恥とした
大公望
太公望のこと。生没年不明。中国・周代の賢者。姓は姜(よう)、氏は呂(りょ)、名は尚(しょう)。殷の代には�料渓(はけい)(中国陝西省宝鶏県を流れる河)に隠れすんで釣りなどをしていたが、周の西伯(せいはく)(後の文王)に請われてその師となる。文王の祖父・太公が待ち望んでいた人という意味で、後に太公望と称された。文王の死後、西伯の子・発(後の武王)を助け、殷の紂王を滅ぼして斉国の主となった。
===> 高祖遺文録木版を見ているうちに気づいたが、同じ字体はない。つまり活字ではない。手書きといっしょで、いなそれどころか、木彫りの労力たるや。
知りたいのは、この版木の元の書体はだれが書いたのか?
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なお、この書籍の最後には「泰堂云予延山詣拜ノ時明治五年壬申四月九日山主日建上人寶庫ヲ開キ守藏ノ僧員十七名ノ封緘ヲ解テ高祖ノ眞蹟ヲ拜セシム巻本九十六軸綴本三十六冊自由ニ展視スル事ヲ得タリ此開目鈔ハ最モ其首タル書ニシテ分テ四軸トセリ兼テ古版不審ナル處ハ此時ニ照鑑シ全部ハ中古遠乾二師此ヲ親寫上木アリシ百部摺本ノ内ノ一本ヲ得テ謹テ校定セリ」と真蹟遺文と校合した経緯が詳細されている。
<ーーコピーまぜまぜになる、手作業で
御真跡のない今は、小川泰堂居士の行跡は一つの手がかりにな
る。
すなわち「大願を立てよう」と文釈された山川智応博士も、
「御真跡は、もと本願とありしが如し。
御真跡のない今は、小川泰堂居士の行跡は一つの手がかりにな
る。すなわち「大願を立てよう」と文釈された山川智応博士も、
「御真跡は、もと本願とありしが如し。泰堂居士の『御遺文録』
稿本みな本願となり居れり。居士は、不審の字は、御真跡に対
照したりとあればなり。
-
>>30
日乾の綿密な対校本
よりも
>同じく ほろぶべきを見て、ゆえに高祖遺文録の独断か?
ではなく、
高祖遺文録の小川のほうが信頼できそう
ttps://dl.ndl.go.jp/api/iiif/823616/manifest.json
泰堂云予延山詣拜ノ時明治五年壬申四月九日山主日建上人寶庫ヲ開キ守藏ノ僧員十七名ノ封緘ヲ解テ高祖ノ眞蹟ヲ拜セシム巻本九十六軸綴本三十六冊自由ニ展視スル事ヲ得タリ此開目鈔ハ最モ其首タル書ニシテ分テ四軸トセリ兼テ古版不審ナル處ハ此時ニ照鑑シ全部ハ中古遠乾二師此ヲ親寫上木アリシ百部摺本ノ内ノ一本ヲ得テ謹テ校定セリ」
この部分だけを注釈に。後で見たとき理解しにくいが。人名ではないゆえに赤に変える。
-
この「ほろぶ」という見たこともない漢字についての研究はやめておく。先生は寿量品長行さえ「長行の魔に負ける」「邪宗謗法」といわれた。
「私が大聖人様の御書を拝読したてまつるにさいしては、大聖人様のおことばの語句をわかろ
うとするよりは、御仏の偉大なるご慈悲、偉大なる確信、熱烈なる大衆救護のご精神、ひた
ぶるな広宣流布への尊厳なる意気にふれんことをねがうものである。
私の胸には御書を拝読するたびに、真夏の昼の太陽のごとき赫々たるお心がつきさされて
くるのである。熱鉄の巨大なる鉄丸が胸いっぱいに押しつめられた感じであり、ときには、
熱湯のふき上がる思いをなし、大瀑布が地をもゆるがして、自分の身の上にふりそそがれる
思いもするのである」(「謹んで開目抄の一節を拝したてまつる」、『戸田城聖全集』3)
戸田先生は、自分だけが拝んで、広宣流布に働かないのは「まんじゅうを、一人で、こっそり隠れて食べるような信心」
-
ホロフヘキヲ
大正
高祖遺文録、略して「遺」
ttps://dl.ndl.go.jp/api/iiif/823616/manifest.json
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ttps://kakuyomu.jp/works/16817330655896506243/episodes/16817330655896863232#:~:text=%E5%84%92%E5%AE%B6%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%BE%B3-,%E5%A4%AB%E3%82%8C,-%E3%80%81%E4%B8%80%E5%88%87%E8%A1%86%E7%94%9F%E3%81%AE%E5%B0%8A%E6%95%AC
それ
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ttps://dl.ndl.go.jp/api/iiif/823616/manifest.json
一歩前へ! 御本尊先生との誓いを果たさん
今までつけた注釈の内容が詳細すぎて頭に入ってこない。簡潔に。
重華(ちょうか)
五帝のひとり舜王(虞舜)のこと。舜は孝に徹した人で、頑愚(がんぐ)な父が後妻のことばに迷い、たびたび舜を殺害しようとした。あるときは屋根にのぼらせて火を放ち、あるときは井戸に生き埋めにしようとしたが果たさなかった。ついに父は盲目になったが、舜は最後まで孝養をつづけたという。
丁蘭(ていらん)
幼くして母を失ったが、十五歳のとき母の姿を木像に刻み、さながら生ける母のようにこれに仕えた。蘭の妻も隣人も、その木像を軽蔑したが、蘭は身をもって像を守り、節(せつ)を曲げなかった
「人臣たる者は死を以て諌めざるを得ず」と強諫した。妲己は王に向かい「上聖は心(むね)に九孔(こう)あり、孔に九毛あり、中聖は七孔七毛、下聖は五孔五毛ある。比干は中聖なり、帝、かれが心(むね)をさきてみたまえ」と進言した。紂王は「吾れ聞く、聖人の心(むね)には七穴あり」と言い、それを確認するためとして比干の胸を裂いて殺した
泰堂云予延山詣拜ノ時明治五年壬申四月九日山主日建上人寶庫ヲ開キ守藏ノ僧員十七名ノ封緘ヲ解テ高祖ノ眞蹟ヲ拜セシム巻本九十六軸綴本三十六冊自由ニ展視スル事ヲ得タリ此開目鈔ハ最モ其首タル書ニシテ分テ四軸トセリ兼テ古版不審ナル處ハ此時ニ照鑑シ全部ハ中古遠乾二師此ヲ親寫上木アリシ百部摺本ノ内ノ一本ヲ得テ謹テ校定セリ」
弘演とも書く。中国の春秋時代、前六六〇年頃、衛(えい)の懿公(いこう)に仕えた忠臣。命を奉じて使いに出ていた公胤は、衛国が狄人(てきじん)に攻められ、主君の懿公が殺されたことを知り、号泣して悲しんだ。腹わたが散乱していたので、みずからの腹をさいて公の肝を入れ、主君の恥を隠した。中国では君子が肝を人目にさらすことを最大の恥とした
理想的な君主であっても、それを一歩上の立場から見て、助言・指導する国父あるいは国師というべき人の存在があってこそ、もっとも完璧といえる。
徳をもって天下を治め、中国の皇帝の模範とされた。史記では五帝の一人に数えられている。堯王には丹朱(たんしゅ)という子がいたが、不孝の者であったので王位を継がせず、孝養の心の深い舜に位を譲ったという。
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三十歳で堯王の信任を受けて後に摂政となった。王の死後、人心が舜に傾いたので位に就き、八元八�祥(はちげんはちがい)という十六人の人材を起用しよく善政を行なったという。史記では五帝の一人に数えられている。舜王には商均(しょうきん)という子がいたが、洪水を治め功労があった配下の禹(う)に位を譲り没した。禹王は夏王朝の祖とされる。
殷の代には河に隠れすんで釣りなどをしていたが、周の西伯(せいはく)(後の文王)に請われてその師となる。文王の祖父・太公が待ち望んでいた人という意味で、後に太公望と称された。文王の死後、西伯の子・発(後の武王)を助け、殷の紂王を滅ぼして斉国の主となった。
>>38
> 今までつけた注釈の内容が詳細すぎて頭に入ってこない。簡潔に。
おわり
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ttps://dl.ndl.go.jp/api/iiif/823616/manifest.json
孔子
(前五五一年頃〜前四七九年)。中国春秋時代の思想家。儒教の祖とされる。氏は孔、名は丘(きゅう)、字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)。魯(ろ)国の昌平郷陬邑(しょうへいきょうすうゆう)(山東省曲阜)の人。魯国に仕えたが用いられず、諸国を遍歴した。堯・舜、文王・周公旦等を尊敬し、仁を理想の道徳とし、忠孝の道を教えた。晩年は魯国に帰り、著述と弟子の育成に務め、六経を編纂したといわれる。死後、弟子が孔子の言行等を記録したのが論語である。
(前五五一年頃〜前四七九年)。中国春秋時代の思想家。魯国
に仕えたが用いられず、諸国を遍歴した。堯・舜、文王・周公
旦等を尊敬し、仁を理想の道徳とし、忠孝の道を教えた。
老子
生没年不明。中国周代の思想家。道徳経を著す。史記(列伝)によると、楚の苦県(河南省鹿邑県)の人。姓は李(り)、名は耳(じ),字(あざな)は�它(たん)、または伯陽(はくよう)。周の守藏(しゅぞう)の吏(蔵書室の役人)であった。周末の混乱を避け隠棲しようとして、関所を通る時、関の令(れい)(関所の長官)尹喜(いんき)が道を求めたので、「老子道徳経」五千余言を著して去った。老子の思想の中心は道の観念であり、道には、一・玄・虚無の義があり、それが万物を生みだす根元の一者として、あらゆる現象界を律しており、人が道の原理に法(のっと)って事を行えば現実的成功を収めることができるとする。
周の(蔵書室の役人)であった。周末の混乱を避け隠棲しようとして、関所を通る時、(関所の長官)尹喜(いんき)が道を求めたので、「老子道徳経」五千余言を著して去った。老子の思想の中心は道の観念であり、道には、一・玄・虚無の義があり、それが万物を生みだす根元の一者として、あらゆる現象界を律しており、人が道の原理に法(のっと)って事を行えば現実的成功を収めることができるとする。
三墳(ぷん)・五典
孔子が編した五経の一つ、尚書(書経)の序に、三皇の書を三墳といい、五帝の書を五典といい、墳とは大道を意味し、典とは常道を意味するとされる。しかし、いずれも現存しているわけではなく、内容も不明である。
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<ほんとうに消化してコピペすること。
開目抄 大白蓮華より 先生の講義 第一回 「開目」
ttp://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1998780.html
日蓮大聖人から直接、御指導を受けるべき思いで御書を開き、
一人ひとりの生命の奥底から「使命感」と「勇気」を呼び覚ます慈愛の指導をされた。
先生ご自身が、獄中の悟達に基づく深き地涌の使命の自覚から御書を講義されていたからです。
大聖人の師子吼は、万人の生命に潜む魔性を打ち破る最大の力です。
「開目」
まさに「開目抄」の全編の主題は「開目」というこの題号に尽きているともいえます。
本抄の御真筆は現存していませんが、本文を認められた65枚の和紙と、大聖人御自から表紙として「開目」と書かれた和紙1枚の計66枚から成っていたとの記録があります。
「開目」とは、文字通り「目を開く」ことです。また「目を開け」という大聖人の呼びかけと拝することもできる。
閉ざされた心の目を、どう開いていくか、無明の闇を、いかなる光明で照らしていくのか。
「一切衆生の救済」と、「立正安国の実現」を目指し、あらゆる魔性と戦う法華経の行者としての闘争の炎は
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」
「大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」
社会的に見れば、大聖人は流人です。権力の弾圧による冤罪はあっても、死罪に次ぐ重罪の流刑を受け、いわば、天然の牢獄に入れられたに等しい。
迫害の地で、人類を救う宣言をなされたのは大聖人だけ
-
>>41
> 高山先生ご自身が、深き地涌の使命の自覚から
> 一人ひとりの生命の奥底から「使命感」と「勇気」を呼び覚ます慈愛の指導をされた。
大聖人の師子吼は、万人の生命に潜む魔性を打ち破る
たとえ技術的な制限によって遺文録や他門テクストを使っても、肝心の講義等で池田先生や学会のものであれば何ら問題ないと信ず。
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第一 本抄の後述作の由来
一、対告衆と御真筆
佐渡流罪中、文永9年(1272)2月、聖寿51歳の時の御述作で、四条金吾に与えられた。
種種御振舞御書に「去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり、此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し、かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使にとらせぬ」
開目抄は信読の書である。日亨上人は、
「佐渡流罪中、筆舌に尽くせぬ大法難の最中、深縁の門下に、筆紙ご窮乏のなかから、遺言的にしたためられた重書であるから、信読、身読にあらざれば、奥旨に達することはできぬ」
第一 本抄の後述作の由来
一、対告衆と御真筆
佐渡流罪中、文永9年(1272)2月、聖寿51歳の時の御述作で、四条金吾に与えられた。
四条金吾殿御消息
かかる日蓮にともなひて法華経の行者として腹を切らんとの給う事かの弘演が腹をさいて主の懿公がきもを入れたるよりも百千万倍すぐれたる事なり、日蓮・霊山にまいりて・まづ四条金吾こそ法華経の御故に日蓮とをなじく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ
-
次回
御述作の由来 から
注釈、厳密ならざる部分もあるが、以前よりは色とタグにおいて進歩。
-
佐土国の御作・四条金吾頼基に賜う、日興所持の本は第二転なり、未だ正本を以て之を校えず
日興
-
重要な疑問。なぜ開目抄カタカナ?高祖遺文録の和文ご消息まさかカタカナ?
幕末から明治への、この時期の特色か。すべてカタカナのようである。真蹟を無視...大きく
信頼を損ねる
-
日蓮文書の研究 小林
画像のため。
ttps://convertio.co/ja/download/6682122889d64ff640819605098f3b009908fe/
そのままでは、役に立たない。グーグルドライブのときのように、スクショを適切にとれば使えるかも。
ざっと目で読んで当該箇所へ
ガスは危険であるが、信心根本に。
OCR (光学文字認識)。テスト中。認識力遅い。
>ぎゃくに一括して画像スキャンしただけのpdfを複数画像に変換
zipのままgdにアップしたが、やはり解凍済みでないとだめみたい
gdは最も信頼できるツールだが、15ファイルを全選択して一括してテキストに変換できない
------------------------
ttps://juso.site/life/drive-script
このように単体ファイルだと簡単にテキスト化できるんですが、この方法だと一括では処理できません。
他にも同じような製品は出ているんですが、Googleの精度が高すぎてこれだけでいいかなってなってます。
OCR一括実行ver1
利用手順
事前に文字起こし用のフォルダと文字起こししたい画像を入れておいて下さい。
-
①フォルダIDを取得する
Googleドライブ内の特定のフォルダにあるファイルを文字起こしするため、利用するフォルダのフォルダIDを取得します。
>>重要な見落とし。
文字起こしする画像やPDFを保存するフォルダを見ると、URLに/で区切られたランダムな文字列が入っています。
この部分をコピーして下さい。
1l0qFA8TjbFA_JKb6Dc97Vl_i1Z1vzVvu
文字起こしする画像のフォルダ
日蓮文書の研究 小林
ttps://drive.google.com/drive/folders/1l0qFA8TjbFA_JKb6Dc97Vl_i1Z1vzVvu
②フォルダIDを入力
先程コピーしたフォルダIDを「C2」のセルに入力して
<CS-v>で貼り付けたが、自信ない
③実行許可(初回のみ)
Google Apps Script(GAS)というスクリプトを使って実行するので、そのスクリプトからGoogleドライブへの許可が必要になります。
「文字起こしを開始する」のボタンをクリックすると、以下のような画面が出ますので、順番通りにクリック
このアプリは Google で確認されていません ocr script(安全ではないページ)に移動
スプレッドシートに紐付いているスクリプトがGoogleドライブへ文字変換するための権限を付与することができます。
④文字起こしの実行
実行許可ができれば、最後はボタンをクリックして実行するだけです。
メッセージの詳細
Exception: DriveApp オブジェクトでの getFolderById メソッドまたはプロパティの取得中に予期しないエラーが発生しました。
-
>>14
開目抄上 文永9年(ʼ72)2月 51歳 門下一同
夫れ、一切衆生の尊敬すべき者三つあり。いわゆる主・師・親これなり。また習学すべき物三つあり。いわゆる儒・外・内これなり。
儒家には、三皇・五帝・三王、これらを天尊と号す。諸臣の頭目、万民の橋梁なり。三皇已前は父をしらず、人皆禽獣に同じ。五帝已後は父母を弁えて孝をいたす。いわゆる、重華はかたくなわしき父をうやまい、沛公は帝となって太公を拝す。武王は西伯を木像に造り、丁蘭は母の形をきざめり。これらは孝の手本なり。
比干は殷の世のほろぶべきを見て、しいて帝をいさめ、頭をはねらる。弘演といいし者は、懿公の肝をとって我が腹をさき肝を入れて死しぬ。これらは忠の手本なり。
尹寿は尭王の師、務成は舜王の師、太公望は文王の師、老子は孔子の師なり。これらを四聖とごうす。天尊頭をかたぶけ、万民掌をあわす。
ここ以降語釈がまだ。遺文録にもどる。
-
ttp://blog.livedoor.jp/inae_sokagakkai/archives/1998849.html
開目抄 序講
第一 本抄の後述作の由来
一、対告衆と御真筆
御述作の由来
三沢抄にいわく
「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ、 此の国の国主我が代をも・たもつべくば真言師等にも召し合せ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんず、さらば・よもあわじと・をもひて各各にも申さざりしなり。而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頚をはねられんとせし時より・のちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり、 此れは仏より後迦葉・阿難・竜樹・天親・天台・妙楽・伝教・義真等の大論師・大人師は知りてしかも御心の中に秘せさせ給いし、口より外には出し給はず、其の故は仏制して云く「我が滅後・末法に入らずば此の大法いうべからず」と・ありしゆへなり、日蓮は其の御使にはあらざれども其の時剋にあたる上・存外に此の法門をさとりぬれば・聖人の出でさせ給うまでまづ序分にあらあら申すなり、而るに此の法門出現せば正法・像法に論師・人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光・巧匠の後に拙を知るなるべし、此の時には正像の寺堂の仏像・ 僧等の霊験は皆きへうせて但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候」(1489:07)
<-遺文録版面画像において語釈のときは、該当箇所に矩形注釈で囲っているが、この
序講に入ってから、矩形で囲む語が、注釈内容とまったく関連してないのは問題である。
-
とはいえ、日蓮大聖人ご自身注法華経において自由闊達な箇所に注釈付けられたと読んだ。
1,赤の、他御書からの引用は例外的にそのまま。
2,他は余白にピンポイント注釈。
第一 本抄の後述作の由来
一、対告衆と御真筆
佐渡流罪中、文永9年(1272)2月、聖寿51歳の時の御述作で、四条金吾に与えられた。
末法万年にわたる仏弟子に遺されたと拝すべきご法門書を、火災で焼失してしまうとは、なんたる信心のなさか。
身読にあらざれば、奥旨に達することはできぬ。御本仏よりこれほどの信頼のおことばを給わった四条金吾の真情、はかりがたき。鎌倉に四条金吾、下総に富木入道、上野に南条時光
佐土国の御作・四条金吾頼基に賜う、日興所持の本は第二転なり、未だ正本を以て之を校えず
日興
<--これは日興上人のまちがいない上古のことば。考えればいくら御書といえど真偽の問題もあり、が、簡単でない真偽判定の文献学に手を出すと創価の信心ではなくなる。
信疑判定となる。だからこそ学会の御書講義録等を使用してる。
日興筆はそのまま本文内に置く。赤で。
日興上人さえ、未だ正本を以て之を校えず、なのに、俺が真蹟を見れたらおかしいだろ。遺文録でじゅうぶん。
所感
-
>>51
> 注法華経において自由闊達な箇所に注釈付けられた
これを確認する。できれば画像で。
-
末法万年にわたる仏弟子に遺されたと拝すべきご法門書を、火災で焼失してしまうとは、なんたる信心のなさか。-->別して四条金吾、総じて門下一同。
講義、所感 の複数タグをつけられないのか?
遺文録の ○ は何を意味するか?こんど遺文録関係のpdfよむ。
>>50
> 序講に入ってから、矩形で囲む語が、注釈内容とまったく関連してないのは問題である。
注釈の再配置おわり。
-
>>53
> 遺文録の ○ は何を意味するか?
高祖遺文録の冒頭あたりに説明があるはずと思い、12巻の最初を見たがない。たぶん
第一巻の最初。
-
>>306
> 本文中、合点が付される箇所が六箇所確認できるが、これらは内容から
> 判断して日興の地の文と考えられる。同様の事例として、日興『開目抄
> 要文』において、抄録される日蓮の地の文の始まりにすべて合点が付さ
> れていることが挙げられる。『雑々要文』においても、おそらく抄録し
> た経論釈と地の文を区別するための措置として書き込まれたのだろう。
これではないか
-
>>51
> 余白にピンポイント注釈。
じっさいに余白に書き込むのではないから、本文から離しすぎ。
「尊敬」など下のピンポイントはくっつきすぎ。
ーーー>このままでいい。形式はいい
まず第一に、能説(のうせつ)の人を挙げて、その所尊の姿を示されている。すなわち三皇・五帝・三王は主師親の三徳を具える天尊である。
<ーーvim編集は手間かかるw3mは変な改行がある、ハイコントラスト拡張使う
の三徳を具うるがゆえに忠を教え、孝を教え、主徳をもって万民を愛し、しこうして師弟の
はながひどく詰まる。あらゆる薬等はすべて。あす、め。ここまで
-
きのうは悔しかった、くら。
孝の手本としては、重華(ちょうか)・沛公・武王・丁蘭(ていらん)
あり。<ーーw3mでvgaで表示して、コピーで、変な改行となる。表示されてるとおり。
孝の手本としては、重華(ちょうか)・沛公・武王・丁蘭(ていらん)あり。
<--ブラウザで。
孝の手本としては、重華(ちょうか)・沛公・武王・丁蘭(ていらん)あり。
<--w3mでHDMI-0で表示して、コピーだと、まともな改行。横幅と関係。
-
w3mをとる。
国立11時といえど、待たされると、ちより。
ttps://dl.ndl.go.jp/api/iiif/823616/manifest.json
師弟の道を明らかにしたる手本としては、尹寿(いんじゅ)・務成(むせい)・太公望・老子がある。
重華(ちょうか)・沛公・武王・丁蘭
また生活問題たる貴賤・苦楽・是非・得失というものは、自然のものであり、いいかえ
れば運命でどうする事もできないものであるとしているが、三世にわたる因果の法則を
知らない者には、こう考える以外には方法はなかったのであろう。
現代のような時代にも、こんな考え方をする者があるが、これは、真の仏教哲学が興隆
されていないからであって、じつに悲しむべきことである。彼らの学説は、いかに巧(た
くみ)に作られているとはいえ、生命の真実を説き切っていない点においては、今の西洋
哲学に類似しているものがある。
生命は永遠であり、過去・現在・未来は、知ると知らぬとにかかわら、厳然たる事実である。しかるに彼らは、過去、未来を知らないがゆえに、玄といい、黒すなわち、わからぬといい、幽(かす)かなりという以外には道がないのである。されば、彼らの三千余巻の書といえども、現在をどうするかという事以外に取り扱い切れなかったのである。
講義録の表現は独特で、洗練されていないが、草創期の学会精神をよくあらわしている。自閉スレ見ればわかるが、なぜ得失・障害の不運が我が子と家族に降りかかるかの永遠の自問しかない。昨日のくらでの悔しいのもいっしょ。
現代のような時代にも、こんな考え方をする者があるが、これは、真の仏教哲学が興隆されていないからであって、じつに悲しむべきことである。彼らの学説は、いかに巧(たくみ)に作られているとはいえ、生命の真実を説き切っていない点においては、今の西洋哲学に類似しているものがある。
<==ここは開目抄第一章?の最重要の思想?が書かれている
-
バックアップ
urlを見ればわかるとおり、東大嘉興蔵の第45帙 第2冊つまり妙法蓮華経第5の巻冒頭
であり、
ttps://dzkimgs.l.u-tokyo.ac.jp/utlib_kakouzou/045_2/0002&lang=&?bxbk=045_2&pg=0002&lang=
そのビューワーで国立国会図書館の高祖遺文録開目抄のiiifを開いていると
ttps://dl.ndl.go.jp/api/iiif/823616/manifest.json
完全にわかってないが。
だからページを更新して、いまは第5の巻表示してるが、ローカルストレージをダウンロードしたら、サイズ増えてるはずだ。
かなり大幅に90キロバイト
-
いま唐突にわかったわ...なぜ高祖遺文録でカタカナなのか。木版だからカタカナのほうが
はるかに彫りやすい
いま、霊艮閣版②第15版、昭和10年、第二続集有
を実験したが、反面画像の解像度が悪すぎる
解像度的にはsatは十分。検索性の長所もある。
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現代のような時代にも、こんな考え方をする者があるが、これは、真の仏教哲学が興隆されていないからであって、じつに悲しむべきことである。彼らの学説は、いかに巧(たくみ)に作られているとはいえ、生命の真実を説き切っていない点においては、今の西洋哲学に類似しているものがある。
現代もまったく同じ。
===>ここのところは追加の講義がいる
2つの講義録は同じであった。
ttps://www.xn--gmqx52bpnexk914iu0fkyv.net/about/
このサイトは、日蓮聖人(1222-1282年)の著作(御遺文)の全文を検索することができるサイトです。
検索対象として用いているテキストデータは、立正大學日蓮教學研究所編纂『日蓮聖人遺文 : 昭和定本』(2002年に著作権保護期間終了)を利用させて頂いています。
>昭和定本』(2002年に著作権保護期間終了)
おそらく50年のときは終了してるが、tppでさらに20年延びたか。そうだとしても、2022で
切れるはずなのに?
出版社 総本山身延久遠寺
出版年月日等 1953
団体名義や無名の著作物の場合は公表後70年経過するまでとなっています。
ただし、現在の取扱いでは、1967(昭和42)年以前に著作者が没している(団体名義や無名の場合は公表されている)著作物は保護期間が満了していることとされていますので、インターネット調査や文献調査などで没年や公表年をお調べください。
おそらくはtppによって、つまりアメリカの圧力によって延長されてきわどい。
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これを個人作成は凄いと思うが、創価学会公式があるのに使うことはない
きゅうけい
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而といえとも、過去未来をしらされは父母・主君・師匠の後世をもたすけす、不知恩の者
なり。まことの賢聖にあらす。孔子か此土に賢聖なし、西方に仏図という者あり、此聖
人なりといゐて、外典を仏法の初門となせしこれなり。礼楽等を教て、内典わたらは戒
定恵をしりやすからせんかため、王臣を教て尊卑をさため、父母を教て孝高きをしらし
め、師匠を教て帰依をしらしむ。
妙楽大師云仏教流化実頼於茲。礼楽前馳真道後啓等云云。天台云 金光明経云一切世間所
有善論皆因此経。若深識世法即是仏法等云云。止観云 我遣三聖化彼真丹等云云。弘決云
清浄法行経云 月光菩薩彼称顔回 光浄菩薩彼称仲尼 迦葉菩薩彼称老子。天竺指此震旦為
彼等云云。
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而といえとも、過去未来をしらされは父母・主君・師匠の後世をもたすけす、不知恩の者
なり。まことの賢聖にあらす。孔子か此土に賢聖なし、西方に仏図という者あり、此聖
人なりといゐて、外典を仏法の初門となせしこれなり。礼楽等を教て、内典わたらは戒
定恵をしりやすからせんかため、王臣を教て尊卑をさため、父母を教て孝高きをしらし
め、師匠を教て帰依をしらしむ。
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但現在計(ばか)りしれるににたり、現在にをひて仁義を制し
て身をまほり国を安(やす)んず此に相違すれば族(やから)をほろぼし家を亡ぼす等いう。
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第三に「かくのごとく巧(たくみ)に立つといえども」以下は仏教の立ち場から、これを批判
儒教のごときは、野蛮人や幼稚の子供には、孝行せよ、人に迷惑をかけるな等の教えが必要であっても、現代のごとき邪悪の世界には、まったく通用しない小法である。
ウソを言うべきでないくらいの道徳なら、だれでも知っているが、しかしウソをつかな
い人間がどこにいるか。まったくウソだらけの世の中である。ゆえに道徳も真実の仏法
が核心となり、その根源に立たない限りまったく無用の長物である。
そもそも宗教の目的は、永遠の生命の中に安住せしめるにある。すなわち永遠の生命を感
得する事がもっとも大事なことで、永遠の生命を認めるならば、過去・現在・未来の三世の
生命観を確立せざるを得ない。されば、過去の生命を因として現在の生命が果となる。現在
の生命がまた因となり未来の生命が果となる。この三世流転の生命が因果の法則に支配され
ることはいうまでもない。この因果の法則を立て得ない儒教では、真実の人生観の確立はあ
り得ないから、仏教に対して儒教を外道というのである。
--->
講義録は草創期の信心の息吹があるが、表現が乱暴。
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ふと思ったけど句読点単位で味わうといいのかもね
概観するに、『注法華経』の要文は『開目抄』『観心本尊抄』に活用されていた。たぶん、『注法華経』に書き込んだ要文を参照して、開観両抄に引用したのではないだろうか。
{1-001} 大経云。薩者名具足義。』
〔私注〕SAT、CBETAともに『大経』原文はヒットしない。しかし、SATでは『開目抄』の引用がヒットした
{1-002} 《 》欲聞具足道。
〔私注〕方便品の文だが、SATでは『開目抄でヒットする
{1-003} 無依無得大乗四論玄義記云。沙者訳云六。胡法以六為具足義也。[文]
〔私注〕SAT、CBETAともに原文はヒットしない。SATでは『開目抄』『観心本尊抄』でヒットする
{1-004} 吉蔵疏云。沙者翻為具足。
〔私注〕SAT、CBETAともに原文にヒットしない。SATでは『開目抄』『観心本尊抄でヒットする
{1-005} 玄八云。薩者梵語。此飜妙也。
「玄八」とは玄義8巻をいうのだろうが、SAT、CEBTAでは原文にヒットしない。しかしSATでは『開目抄』『観心本尊抄』でヒット。
{1-006} 大論云。薩者六也薩者六也。
〔私注〕SAT、CEBTAともに『大論』ではヒットしない。しかし、『開目抄』『観心本尊抄』でヒット
・・ 広乗品
〔私注〕羅什訳『摩訶般若波羅蜜經』。つまり「大経」とは同経を指すのだろう
{1-007} 般若経八云。沙字門。諸法六自在王性清浄故。
{1-008} 山家顕戒論云。稽首十方寂光・常住内証三身仏。実報・方便・同居土。大悲示現大日尊。
{1-009} 記八云。略挙経題玄収一部。故云仏以此妙法等也<故云仏欲以此妙法等也>。
『法華文句』にあり。<>で括った文は『注法華経』上の相違を示すのだろう
{1-010} 合論云。一教主別者。説此法華経即是化身仏説。還過去滅度多宝仏。来誠証成此経。三世諸仏同共宣説。如華厳経即不然。教主即是毘ルサナ為教主故<教主則是毘盧遮那為教主故>。即是法報理智真身。具無量相海功徳之身之所荘厳。三世諸仏同為一際。一時一法界。報相重々。無有障礙。古今一際非三世故。旧仏非過去。今仏非新出。為根本智性相斉。理事不異。不似法華経<故不似法華経>。有旧仏滅度多宝如来<有旧滅度多宝如来>。今仏出世説法華経。以是義故言教主別。』
〔私注〕SATでは『新華嚴經論 (No.1739_ 李通玄撰 ) 』となっている。
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去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり、此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し、かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使にとらせぬ
種種御振舞御書
==>
移動
この二行はこれ標章の文なり。双びて人法を標す。双びてこれを標すと雖も、傍正なきに非ず。今三徳の尊敬を以て正意と為すなり。故に性師云く「今の意は儒外内倶に主師親を尊ぶことを挙げ、習学を以て旨と為さず」と云云。故に今抄の意は、儒外内を習学して倶に主師親を尊敬すべしとなり。またまた当に知るべし、儒外内の三徳を標すと雖も、意は下種の主師親に在り。結文中これを思い合すべし。
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今道教を以て通じて儒に摂するなり。下に荘老の玄を明かす。これを思い見るべし。
問う、何ぞ別して道教を明かさざるや。
答う、これに二意あり。一には九流の中に摂し、別に一教と立てざるが故なり。二には今はこれ専ら忠孝礼義を明かしたまうに、道教は便ならざるが故なり。啓蒙の四 八に文を引証するが如し。
問う、外学の許・不許の大意は如何。
答う、不許に就いて即ち二意あり。一には出離生死の要道に非ざる故なり。二には内外一致の見を生ぜんことを恐るる故なり。これを許すに就いてまた二意あり。一には折伏利物を為す故なり。二には彼を以てこれを助けんが為の故なり云云。今、宗門の学者、他家の章疏を学ぶ、これに准じて知るべし。
これ三皇を除くそれ已前なり。伏羲の時より人道定まる故なり。「古の時、民人但其の母を知りて其の父を知らず乃至是に於て伏羲仰いで象を天に観、俯して法を地に察す。夫婦因り五行定まり、始めて人道定まる。伏して之を化す」
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一、諸臣の頭身(目)文。(一八六㌻)
「頭目」最も可なり。身の中には頭目肝要なり。宅の中には棟梁肝要なり。並びに天尊・主君に譬うるなり。
宗教とは人間形成の教育
そもそも宗教とは、「神または何らかのすぐれて尊く神聖なものに関する信仰。また、その教えやそれに基づく行い」(岩波国語辞典)です。
その宗教を信仰することによって、身も心も浄化され、成長していったならば、それは正しい本当の宗教ということになります。
仏教は教育と言えます。自分が幸福な境界を得るための教育であり、さらに他人をも幸せにするための教育です。
大聖人様は、私たちが成仏するためには、仏様を随一として優れた徳のあるものを敬い、様々なことを学ぶことが大事であると仰せです。中でもすべてを悟られた仏様の教えを理解するためには、信行学に励むと共に、それ以外の学問を学ぶ必要が説かれています。
私たちは様々な学問を修めることによって、主人や師匠や親を尊敬することを理解します。尊いものを尊いものと知り、尊いものを敬うことができるのです。
「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という」 愛することは畜生でもできますが、尊敬することは人間にしかできません。つまり、人間は、正しい教育によって、畜生から人間に昇格するのです。
かかる日蓮にともなひて法華経の行者として腹を切らんとの給う事かの弘演が腹をさいて主の懿公がきもを入れたるよりも百千万倍すぐれたる事なり、日蓮・霊山にまいりて・まづ四条金吾こそ法華経の御故に日蓮とをなじく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ
○なにを尊敬するのか
「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候ひけるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という」
愛することは畜生でもできますが、尊敬することは人間にしかできません。つまり、人間は、正しい教育によって、畜生から人間に昇格するのです。
>不軽菩薩の人を敬ひし
の人とは高山先生であり、我であった。 あるときは不軽菩薩が先生であり、人が我であった。
今は我がひとすじに尊敬するのは高山先生であった。そのときのみ不軽菩薩の生命が迸るのだろう。
-
一、父母をしらず等文。(同㌻)
一義に云く、但応に父を知らずというべし。本拠諸天皆爾なりと云云。今謂く、母を知ると雖も、尊敬することを知らず。故に「禽獣に同ず」というなり。既に尊敬することを知らず、故に義不知に当るなり。故に父母を知らずというなり。今文の大旨は専ら尊敬すること以て孝と名づくる故なり。況や下巻十に云く「三皇已前に父母(父)をしらず」と云云。両処倶に何ぞ容易にこれを改めんや。
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○なにを尊敬するのか
>不軽菩薩の人を敬ひし
の人とは高山先生であり、我であった。 あるときは不軽菩薩が先生であり、人が我であった。
今は我がひとすじに尊敬するのは高山先生であった。そのときのみ不軽菩薩の生命が迸るのだろう。
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直ちに五帝より已後なり。五帝を除くに非ず。実には「三皇已後」と言うべし。然るに五帝とは文体然るべければなり。況や三皇已後は父母を知るの義、上の文に自ら顕れたり。故に三皇・五帝を分って以て文章を綵るなり。
文化英雄[編集]
伏羲は、黄帝・神農などのように古代世界においてさまざまな文化をはじめてつくった存在として語られる。『易経』繋辞下伝には、伏羲は天地の理(ことわり)を理解して八卦を画き、結縄の政に代えて書契(文字)をつくり、蜘蛛の巣に倣って網(鳥網・魚網)を発明し、また魚釣りを教えたとされる[2]。書契や八卦を定めたことは、黄帝の史官蒼頡によって漢字の母体が開発されたとされる伝説以前の文字に関する重要な発明とされる。漢の時代に班固が編纂した『白虎通義』によると、家畜飼育・調理法・漁撈法・狩り・鉄製を含む武器の製造を開発し、婚姻の制度を定めたとある。
伏羲は、八卦を河の中から現われた龍馬の背中にあった模様から発明したと易学では伝承されており、これを「河図」(かと)と呼ぶ。易学の書物である『易経』も、著者として伏羲が仮託されている。
洪水型兄妹始祖神話
--->
自由に情報を得ることができるがゆえに、なにゆえに「その範囲を限定させるか」を明確にしないと。
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舜は�莚�苳(せんぎょく)の6代子孫とされる。母を早くに亡くして、継母と連子と父親と暮らしていたが、父親達は連子に後を継がせるために隙あらば舜を殺そうと狙っていた。舜はそんな父親に対しても孝を尽くしたので、名声が高まり堯の元にもうわさが届いた。
堯は舜の人格を見極めるために、娘の娥皇と女英の2人を舜に降嫁させた。舜の影響によりこの娘達も非常に篤実となり、また舜の周りには自然と人が集まり、舜が居る所は3年で都会になるほどだった。
そんな中で舜の家族達は相変わらず舜を殺そうとしており、舜に屋根の修理を言いつけた後に下で火をたいて舜を焼き殺そうとした。舜は2つの傘を鳥の羽のようにして逃れた。それでも諦めずに井戸さらいを言いつけ、その上から土を放り込んで生き埋めにしようとした。舜は横穴を掘って脱出した。この様な事をされていながら舜は相変わらず父に対して孝を尽くしていた。
この事で舜が気に入った堯は舜を登用し、天下を摂政させた。そうすると朝廷から悪人を追い出して百官が良く治まった。それから20年後、堯は舜に禅譲した。
帝位についた舜は洪水を治めるために禹を採用し、禹はこれに成功するなど上手く世の中を治め、その後39年間、帝位にあって最後は禹に禅譲して死去した。なお、舜の子孫は周代に陳に封ぜられている。
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問う、尭乃ち二女を以て舜に妻す。瞽叟強くこれを悪むと雖も、何ぞ舜をして廩に塗り、井に穿たしむるや。況や両笠、匿空以て信ずるに足らざるをや。
答う、これ「設い有りとも」の義なり。謂く、設い此くの如き事ありとも能くこれを脱るべしとなり。これを以て至孝の志を顕すなり。直に舜を廩に塗り、井に穿たしむるに非ず
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ひとつ ほうぼうを かしゃく せずして ゆげ ぞうだんの けぎ.
一、謗法を 呵責 せずして 遊戲 雑談の 化儀.
ならびに げしょ かどうを このむ べからざる こと.
並に 外書 歌道を 好む 可からざる 事.
ひとつ だんなの しゃさん ものもうでを きんずべし.
一、檀那の 社参 物詣を 禁ず可し.
いかに いわんや その うつわにして いっけんと しょうして.
何に 況んや 其の 器にして 一見と 称して.
ほうぼうを いたせる あっきらんにゅうの じしゃに もうずべけんや.
謗法を 致せる 悪鬼乱入の 寺社に 詣ず可けんや.
かえすがえすも くちおしき しだい なり.
返す返すも 口惜しき 次第 なり.
これ まったく こぎに あらず.
是れ 全く 己義に 非ず.
きょうもん ごしょう とうに まかす うんぬん.
経文 御抄 等に 任す 云云.
ひとつ きようの でしに おいては ししょうの しょじを ゆるし さしおき.
一、器用の 弟子に 於ては 師匠の 諸事を 許し 閣き.
ごしょう いかの しょしょうぎょうを きょうがく すべきこと.
御抄 以下の 諸聖教を 教学す 可き事.
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ひとつ ほうぼうを かしゃく せずして ゆげ ぞうだんの けぎ.
一、謗法を 呵責 せずして 遊戲 雑談の 化儀.
ならびに げしょ かどうを このむ べからざる こと.
並に 外書 歌道を 好む 可からざる 事.
ひとつ だんなの しゃさん ものもうでを きんずべし.
一、檀那の 社参 物詣を 禁ず可し.
いかに いわんや その うつわにして いっけんと しょうして.
何に 況んや 其の 器にして 一見と 称して.
ほうぼうを いたせる あっきらんにゅうの じしゃに もうずべけんや.
謗法を 致せる 悪鬼乱入の 寺社に 詣ず可けんや.
かえすがえすも くちおしき しだい なり.
返す返すも 口惜しき 次第 なり.
これ まったく こぎに あらず.
是れ 全く 己義に 非ず.
きょうもん ごしょう とうに まかす うんぬん.
経文 御抄 等に 任す 云云.
ひとつ きようの でしに おいては ししょうの しょじを ゆるし さしおき.
一、器用の 弟子に 於ては 師匠の 諸事を 許し 閣き.
ごしょう いかの しょしょうぎょうを きょうがく すべきこと.
御抄 以下の 諸聖教を 教学す 可き事.
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全角空白だらけは、吸い込み規制受けた。
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ひとつ ぎどうの らっこ なくして てんだいの がくもん すべからざる こと.
一、義道の 落居 無くして 天台の 学文す 可からざる 事.
ひとつ とうもんりゅうに おいては ごしょを しんかんに そめ ごくりを しでんして.
一、当門流に 於ては 御書を 心肝に 染め 極理を 師伝して.
もし ひま あらば だいけを きく べきこと.
若し 間 有らば 台家を 聞く 可き事.
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これであった...日興上人のゆいかい。これは学会精神でもある。そのためにSATのわずかであるが不具合によって気づかされた。おそらくは先生が示してくれたのだ。
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我
水 不邪淫戒 腎臓
耳根
鹹味
北方
黒色
冬
黒雲
志
辰星
先生
金 不偸盗戒 肺臓
鼻根/
辛味/
西方/
白色/
秋/
白雲/
魄/
太白星/
配当は根本からまちがっているのか?根拠は膀胱と肺のみ。
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本抄は、中国古代の思想・哲学の基本をなしていた陰陽五行説の五行を、五戒・五蔵・五根・五味・五色・五時・五方・五雲・五星に配当したものである。
日蓮大聖人の筆によるものが四紙一巻の書として、富士大石寺に現存しているが、御執筆年次・場所は定かではない。何かの覚書として書かれたものであろう。
初めに、陰陽五行思想の大要を述べると次の通りである。原初、宇宙は天と地が未分化の混沌たる状態であったが、この混沌のなかから、まず、軽くて澄んだ光明に満ちた気=「陽」の気が上昇して「天」となり、次いで重くて濁った暗黒の気=「陰」の気が下降して「地」となったという。
こうして、陰陽の二気が混沌という一気から生成することで、天地が開闢するのであるが、これら最初の陰と陽、天と地を根本の二元として、この二元の交換・往来・交合によって、万物の生々流転が引き起こされるとする。
この二元の交換・交合が天上で起こった結果、太陽と月、木星・火星・土星・金星・水星の五惑星や、さまざまな星が誕生したのであり、地上で起こった結果、木・火・土・金・水の五気、すなわち五元素が生じたとする。これが陰陽五行の「五行」である。「行」とはめぐり、動き、作用することを意味する。
したがって五元素が動き、作用し、めぐることによって、宇宙の森羅万象の平穏性と永遠性が保持されるという。身近なところでは、一日の朝・昼・夜の推移や、一年の春・夏・秋・冬の変化などもすべて五行の働きで起こっているとする。
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ところで、この五行の働きかたには相生・相剋という二つの原理があるとされる。
初めの「相生」は木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は
木を生ずる、といったように木→火→土→金→水→木→と、五気が順送りに相手を生み出して
行くということが無限に繰り返されていくのである。
これに対して、次の「相剋」反対に、木は土を剋し、土は水を剋し、水は火を剋し、
火は金を剋し、金は木を剋しといったように、木・土・水・火・金・木の順で剋してい
くのである。
これをもう少し具体的な例で述べれば次のようになる。まず「相生」のうち、木は火
を生ずるというのは、昔、火を得るためには木と木とを擦り合わせたこと、あるいは木
が燃えて火を生じたことに由来し、火が土を生ずるというのは火によって物が燃えると
灰となり、その灰は土であるからこのようになる。
次いで、土が金を生ずるというのは、金属や鉱物は土の中から掘り出されるもので、
土が金属、鉱物を生じると考えられたのであろう。
金が水を生じるというのは、あまり明白ではないが、湿気が高いと金属の表面に水滴
が生じやすいことからこのようにいわれたと思われる。
水が木を生ずるというのは一切の木や植物は水によって養われているので、これは当
然の原理といえよう。
つぎに「相剋」であるが、木が土を剋するというのは木は土を覆うように繁茂するの
でこのようにいい、土が水を剋するというのは、流れ、溢れようとする力が土に入るこ
とを指しており、水が火を剋するというのは、いうまでもなく火に勝って消す力がある
のは水だからである。
火が金を剋するというのは強く固い金属でも、高温の火によって溶かされることから
このようにいい、金が木を剋するというのは樹齢何百年という巨木でも、金属でできた
刃物や斧で切られ倒されるので、この原理が成立する。
-
以上のように、五行は宇宙の森羅万象を象徴しており、「相生」と「相剋」という二
つの面が働き合うことで、森羅万象の均衡が保たれ、永遠性が確保されるとするのが、
陰陽五行の思想である。
ところで、木火土金水の五行は宇宙の森羅万象の五元素であると同時に象徴でもるか
ら、宇宙のさまざまな現象についても五行に還元されたり配当することが可能となる。
五行が「五蔵」、「五根」、等に配当されるのはこのためである。この配当で、「五
戒」と、「五神」が加えられていることを除いては、陰陽五行説で説いているとおり記
されている。
ではなぜ、このように配当されるのか、たとえば五根でいえば、眼根が「木」に配さ
れるのはなぜかというと、五色と五方を関連づけて、なぜ東方が青、南方が赤、中央が
黄、西方が白、北方が黒なのか等々の疑問が生じる。
何事につけ合理的な理由を求めるのが近代人であり、このような配分をしたのが、はるかな古代の中国の人々であることは分かっていても、何かそれなりの根拠があって、このように振り分けたはずだと考えるのが常である。
しかし、五行を種々の要素に関連づけることは、一部当てはまることがあったとしても、すべてに当てはめる理由・根拠を見つけ出すことは不可能であると考えられる。
もともと日蓮大聖人御自身、この覚書を作られたのは、御自身の独自の考察の成果としてだけではなく、あくまで伝統的に陰陽五行説で伝えられていたのを、参考のために記されていたのであり、用いられたとしても、仏法の法理を理解する一助にされたにすぎない。従って、日蓮大聖人がここに書かれているから、それがすべて仏法のうえからも納得できる理由があったにちがいないと考える必要はないと思われる。
-
ここで明らかなように、五方の中の一つ一つ、五蔵の中の一つ一つの対応関係は、あくまで陰陽五行説で唱えられていたのであって、それを仏法的に意義づけようなどとは妙楽大師もしていないし、大聖人もされていない。依正不二なることを示すために、五方・五時等をまとめて五大・五蔵と対応し、つながっていることを妙楽大師は述べたのであり、大聖人もそれを用いられたのである。
一つ一つの厳密な対応が重要なのではないことは、例えば本「五行御書」では、五戒と五蔵の関連を抽出すると、
不殺生戒 肝臓
不飲酒戒 心臓
不妄語戒 脾蔵
不偸盗戒 肺臓
不邪淫戒 腎臓
となるが、天台大師の釈禅波羅密次第法門には次のようにある。
「三昧の智慧は福徳あり善根の力がある故に、すなわち覚知せん。かくのごとく、身命は皆先世の五戒の業力に由ること…業力の因縁は変じて、この一見の内に先に為るものは五蔵・五識を安置す。その時にはすなわち知らん。不殺戒の力は変じて、この身の内に次に肝臓を為り、すなわち魂はこれに依る。不盗戒の力は変じて、この身の内にもって腎臓と為る。すなわち志はこれに依る。不淫戒の力は変じて、この身の内に肺蔵を為る。すなわち魄はこれに依る。不妄語戒の力を変じて、この身の内にもって脾臓を為る。すなわち意はこれに依る。不飲酒戒の力は変じて、この身の内をもって心臓を為る。すなわち神はこれに依る」と。
これによると、
不殺生戒 肝臓
不飲酒戒 心臓
不妄語戒 脾蔵
は変わらないにしても、
不偸盗戒 腎臓
不邪淫戒 肺臓
で入れ替わってしまう。大聖人が天台大師の著述を知らなかったとは考えられないから、これは、一つ一つの対応関係には、こだわっておられないことの証左ということができよう。
-
従って、この仏教の五戒を五行の立て分けに配されたのは、細かい配当の一致不一致はともかく、相対的に五戒を守った力によって人間の身心が構成されていることを示すためであったと拝されるのである。
なお、このなかで少々説明を要すると思われるのが「五神」つまり人間の精神機能にかかわる五つであろう。この五つのうち四つは「魂魄」「意思」というように、対になっている。
「魂」が「人間の精気」で、精神面を司る気をいうのに対し、「魄」は「人の陰の精気」で、肉体面を司る気をいう。
----------------------------------------------------------
また「意」が音声・言葉に発して知られる心の思いを指すのに対し「志」は「心のゆき向かう処」と説明されているように、必ずしも音声に発して人から知られることを求めない、その人自身の心が向かうところをいう。
--------------------------------------------------
以上の四つに対し「神」は、人智の及ばない霊妙な存在を指し、人間の「たましい」を指す場合も、「霊妙不思議なるもの」というニュアンスがある。
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○けさ、略した箇所。
おそらく、大聖人がこれを覚書として記されたのは、三世諸仏総勘文教相配立に引用されている妙楽大師の止観輔行伝弘決巻六の文のように、天台・妙楽の著を学ぶなかで、しばしば陰陽五行説と仏教の五大・五戒・五智・五仏性と関連づけている個所があり、全く無視してとおるわけにはいかなかったからであろう。
弘決巻六の文
此の身の中に具さに天地に倣うことを知る頭の円かなるは天に象り足の方なるは地に象ると知り・身の内の空種なるは即ち是れ虚空なり腹の温かなるは春夏に法とり背の剛きは秋冬に法とり・四体は四時に法とり大節の十二は十二月に法とり小節の三百六十は三百六十日に法とり、鼻の息の出入は山沢渓谷の中の風に法とり口の息の出入は虚空の中の風に法とり眼は日月に法とり開閉は昼夜に法とり髪は星辰に法とり眉は北斗に法とり脈は江河に法とり骨は玉石に法とり皮肉は地土に法とり毛は叢林に法とり、五臓は天に在つては五星に法とり地に在つては 五岳に法とり陰・陽に在つては五行に法とり世に在つては五常に法とり内に在つては五神に法とり行を修するには五徳に法とり罪を治むるには五刑に法とる謂く墨・�赫・�垣・宮・大辟此の五刑は人を様様に之を傷まし刑む其の数三千の罰有り此を五と云う主領には五官と為す五官は下の第八の巻に博物誌を引くが如し謂く苟萠等なり、天に昇つては五雲と曰い化して五竜と為る、心を朱雀と為し腎を玄武と為し肝を青竜と為し肺を白虎と為し脾を勾陳と為す
五臓は天に在つては五星
在天五臓五星
山沢渓谷中
知此身中具倣
天地。知頭圓像天足方像地。身内空種即
是虚空。腹温法春夏。背剛法秋冬。四體法
四時。大節十二法十二月。小節三百六十法
三百六十日。鼻息出入法山澤溪谷中風。口
息出入法虚空中風。眼法日月。開閉法晝
夜。髮法星辰。眉法北斗。脈法江河。骨法玉
石。肉法地土。毛法叢林。五藏在天法五星。
在地法五嶽。在陰陽法五行。在世法五
常。在内法五神。修行法五徳。治罪法五
刑。謂墨�赫�垣宮大辟。主領爲五
satは3段組だから、かくのごとき長い引用をポリゴン注釈で囲う場合、横画面でないとムリ。
ポリゴン注釈はめんどい。キュレーションのがいい。
ttps://candra.dhii.jp/iipsrv/iipsrv.fcgi?IIIF=/taisho/46/46_0342.tif/1366,1990,1674,1468/full/0/default.jpg
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>>88
> 弘決巻六の文
> 此の身の中に具さに天地に倣うことを知る。
頭の円かなるは天に象り足の方なるは地に象ると知り・
身の内の空種なるは即ち是れ虚空なり
腹の温かなるは春夏に法とり
背の剛きは秋冬に法とり・
四体は四時に法とり
大節の十二は十二月に法とり
小節の三百六十は三百六十日に法とり、
鼻の息の出入は山沢渓谷の中の風に法とり
口の息の出入は虚空の中の風に法とり
眼は日月に法とり
開閉は昼夜に法とり
髪は星辰に法とり
眉は北斗に法とり
脈は江河に法とり
骨は玉石に法とり
肉は地土に法とり
毛は叢林に法とり、
五臓は天に在つては五星に法とり
地に在つては 五岳に法とり
陰・陽に在つては五行に法とり
世に在つては五常に法とり
内に在つては五神に法とり
行を修するには五徳に法とり
罪を治むるには五刑に法とる
謂く墨・�赫・�垣・宮・大辟此の五刑は人を様様に之を傷まし刑む
其の数三千の罰有り此を五と云う主領には五官と為す五官は下の第八の巻に博物誌を引くが如し謂く苟萠等なり、天に昇つては五雲と曰い化して五竜と為る、心を朱雀と為し腎を玄武と為し肝を青竜と為し肺を白虎と為し脾を勾陳と為す
知此身中具倣天地。知頭圓像天足方像地。身内空種即是虚空。腹温法春夏。背剛法秋冬。
四體法四時。大節十二法十二月。小節三百六十法三百六十日。鼻息出入法山澤溪谷中風。
口 画像息出入法虚空中風。眼法日月。開閉法晝夜。髮法星辰。眉法北斗。脈法江河。骨
法玉石。肉法地土。毛法叢林。五藏在天法五星。在地法五嶽。在陰陽法五行。在世法五
常。在内法五神。修行法五徳。治罪法五刑。謂墨�赫�垣宮大辟。主領爲五官。五官如下第
八卷引博物誌。謂句芒等。升天曰五雲。化爲五龍。心爲朱雀。腎爲玄武。肝爲青龍。肺
爲白虎。脾爲勾陳。
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ログインしてないからリストに入れられない
キュレーション、ログインできたー、よかった〜
リスト入りはできたが、以前のはない?たぶん閲覧履歴の削除でデータも消したと思われ。
ローカルストレージ、たぶん、ttp://codh.rois.ac.jp の。これもバックアップしないといけない。
...................................... ウソみたいだが、このあと急激に自身が発症。ひじょうにキツい
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>>90
> 知此身中具倣天地
縦組みのsat to textは出さないほうがいいと思われる。さらにテキスト上の該当箇所を探す手間がふえる。
仰角、ディスプレイの。モニター?直せる可能性は...ああそうか。ナットを締め直せないとムリなのか。最後のチャレンジしてもいいが、店舗で。
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>>84
> ところで、この五行の働きかたには相生・相剋という二つの原理があるとされる。
>
> 初めの「相生」は木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は
> 木を生ずる、といったように木→火→土→金→水→木→と、五気が順送りに相手を生み出して
> 行くということが無限に繰り返されていくのである。
>>84
> 具体的な例で述べれば次のようになる。まず「相生」のうち、木は火
> を生ずるというのは、昔、火を得るためには木と木とを擦り合わせたこと、あるいは木
> が燃えて火を生じたことに由来し、火が土を生ずるというのは火によって物が燃えると
> 灰となり、その灰は土であるからこのようになる。
>>84
>
>
> 次いで、土が金を生ずるというのは、金属や鉱物は土の中から掘り出されるもので、
> 土が金属、鉱物を生じると考えられたのであろう。
>
> 金が水を生じるというのは、あまり明白ではないが、湿気が高いと金属の表面に水滴
> が生じやすいことからこのようにいわれたと思われる。
>
> 水が木を生ずるというのは一切の木や植物は水によって養われているので、これは当
> 然の原理といえよう。
>>84
> つぎに「相剋」であるが、木が土を剋するというのは木は土を覆うように繁茂するの
> でこのようにいい、土が水を剋するというのは、流れ、溢れようとする力が土に入るこ
> とを指しており、水が火を剋するというのは、いうまでもなく火に勝って消す力がある
> のは水だからである。
>>84
> 火が金を剋するというのは強く固い金属でも、高温の火によって溶かされることから
> このようにいい、金が木を剋するというのは樹齢何百年という巨木でも、金属でできた
> 刃物や斧で切られ倒されるので、この原理が成立する
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>>85
> ではなぜ、このように配当されるのか、たとえば五根でいえば、眼根が「木」に配さ
> れるのはなぜかというと、五色と五方を関連づけて、なぜ東方が青、南方が赤、中央が
> 黄、西方が白、北方が黒なのか等々の疑問が生じる。
古代の中国の人々であることは分かっていても、何かそれなりの根拠があって、このように振り分けたはずだと考えるのが常である。
しかし、五行を種々の要素に関連づけることは、一部当てはまることがあったとしても、すべてに当てはめる理由・根拠を見つけ出すことは不可能であると考えられる。
もともと日蓮大聖人御自身、この覚書を作られたのは、御自身の独自の考察の成果としてだけではなく、あくまで伝統的に陰陽五行説で伝えられていたのを、参考のために記されていたのであり、
用いられたとしても、仏法の法理を理解する一助にされたにすぎない。
従って、日蓮大聖人がここに書かれているから、それがすべて仏法のうえからも納得できる理由があったにちがいないと考える必要はないと思われる。
依正不二なることを示すために、五方・五時等をまとめて五大・五蔵と対応し、つながっていることを妙楽大師は述べたのであり、大聖人もそれを用いられたのである。
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「五行御書」では
不殺生戒 肝臓
不飲酒戒 心臓
不妄語戒 脾蔵
不偸盗戒 肺臓
不邪淫戒 腎臓
天台大師の釈禅波羅密次第法門には
「三昧の智慧は福徳あり善根の力がある故に、すなわち覚知せん。かくのごとく、身命は皆先世の五戒の業力に由ること…業力の因縁は変じて、この一見の内に先に為るものは五蔵・五識を安置す。その時にはすなわち知らん。不殺戒の力は変じて、この身の内に次に肝臓を為り、すなわち魂はこれに依る。
不殺生戒 肝臓
不飲酒戒 心臓
不妄語戒 脾蔵
は変わらないにしても、
不偸盗戒 腎臓
不邪淫戒 肺臓
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>>87
> 従って、この仏教の五戒を五行の立て分けに配されたのは、細かい配当の一致不一致はともかく、相対的に五戒を守った力によって人間の身心が構成されていることを示すためであったと拝されるのである。
「魂」が「人間の精気」で、精神面を司る気をいうのに対し、「魄」は「人の陰の精気」で、肉体面を司る気をいう。
また「意」が音声・言葉に発して知られる心の思いを指すのに対し「志」は「心のゆき向かう処」と説明されているように、必ずしも音声に発して人から知られることを求めない、その人自身の心が向かうところをいう。
以上の四つに対し「神」は、人智の及ばない霊妙な存在を指し、人間の「たましい」を指す場合も、「霊妙不思議なるもの」というニュアンスがある。
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堅く五常を行すれは傍輩もうやまい" からひさしぶりに本文を先へ進んだが...
違う気がする...それは凡師の通解だからである。準備にだいぶ時間かけたが。
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今度佖人々/佖か蓜か蓜佖御さい/とん左衛門尉殿佖/御日記の偆と侚/給了と/申劦給候へ/
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文化的歴史的資料的価値はひとまずおく。
解像度において嘉興蔵が圧倒的。
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今度佖人々/佖か蓜か蓜佖御さい/とん左衛門尉殿佖/御日記の偆と侚/給了と/申劦給候へ/
現実問題としてeudcの表示おかしい
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中に於て当抄は先ず末法下種の人の本尊を顕すなり。故に当抄の始めに三徳の尊敬等を標し、次に儒外に続いで内典を釈する中に、先ず一代の浅深を判じ、熟脱の三徳を顕し、次に蓮祖はこれ法華経の行者なることを明かす。
巻の終りに至って正しく下種の三徳を顕し、「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」というなり。また佐渡抄に「日本国の魂なり、日本国の柱なり」とは、即ち蓮祖は日本国の主師親なるが故なり。報恩抄に云く、「一には本門の教主釈尊を本尊と為すべし。二には本門の戒壇。三には本門の題目なり。日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳あり」(取意)等云云。これを思い合すべし。
<==出てきた御文のそのつどsatで?あたる
n 最後の "/" か "?" を [count] 回繰り返します。
カーソルが移動しないときは、検索は [count] + 1で繰り返
されます。
|last-pattern|
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