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鬼和尚に聞いてみるスレ part20
502
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/01(木) 22:28:44 ID:ECK.c7KU0
>>500
吐く息を強くしていると安らぐ時に使われる副交感神経が優位になるというのじゃ。
それによって心身が安らぐというのじゃ。
実践で確かめてみるのじゃ。
>>501
それは禅定の実践で体験していなければわからないのじゃ。
四国に行って見なければ、実際の四国がどんなところか文章ではわからないようにのう。
瞑想していると肉体がなくなった感覚に入れば空無辺定なのじゃ。
その肉体のない空間にも実は意識が遍満していることが感じられれば識無辺定なのじゃ。
その意識が全てに満ちていると感じれば無所有定なのじゃ。
その意識と無意識の区別もなくなれば非想非非想定なのじゃ。
全て自ら体験して実感しなければ、わからないのじゃ。
実践して確かめるのじゃ。
503
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/02(金) 09:09:47 ID:BMhTomRE0
鬼和尚、こんにちは。
久しぶりに心の模式図を見てました。
以前見た時は理解できなかったのですが、久しぶりに見たらなるほどな〜と納得がありました。
思考感情感覚は観察されるもの、自我も観察されるものだよなと。
その自我ですが、今は想起される普段の自分のイメージ(過去認識した名前や見た目、性別、性格など)が自我だなと理解し観察しています。
またそれらを捨てた時に現れる「本当の自分」という意識も囚われやすい自我だなと理解し観察するようにしています。これは正直とらえ難いものではありますが。
この先観察すべきものは認識そのものだったと記憶していますが、何か気をつけるべき点などありましたらアドバイスいただけますでしょうか。
よろしくお願い致します。
504
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/02(金) 13:30:13 ID:vIqoz6Rs0
わかりました。
ちなみに第二禅まで行ったら思考が一切湧かなくなるそうですが何か対象を観察しようと意図することも出来なくなるんですか?
505
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/02(金) 21:46:02 ID:BVnktc520
>>503
自分のイメージと名前を何度も観察し続けるのじゃ。
それが厭離されるまで続けるのじゃ。
恐れとか逃避したいと感じたらそれもまた観察するのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>504
なくなるじゃろう。
意図せず観察し続けるのじゃ。
常日頃から行っていればそれもできるのじゃ。
506
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/02(金) 23:11:49 ID:h2s37zb.0
>>505
そうでした。
厭離されるまで観察してみます。
合わせてまだまだ浅いサマタ瞑想も実践して参ります。
アドバイスありがとうございます。
507
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/03(土) 03:42:34 ID:vIqoz6Rs0
第二禅定以降の最中でも観察することはできるということですか?
508
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/03(土) 23:06:30 ID:9wee1HQQ0
>>506
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>507
できるのじゃ。
それはもはや自分と関係なく自然に進んでいくのじゃ。
むしろうまくできるじゃろう。
実践で確かめるのじゃ。
509
:
468
:2022/09/04(日) 17:58:56 ID:O/RnHCzE0
>>489
鬼和尚さん、ありがとうございます。
無意識には自分がないことがわかってきました。
というか、世界とか時間とか自分を輪郭のある物のようなものだと考えていたことに気づきました。
実体も切れ目もないものだったことがようやくわかりました。
言葉に惑わされていました。
さらに、何を観察したらいいでしょうか?
510
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/04(日) 21:29:58 ID:VW8Kp4S20
死の瞑想をしていると、あるレベルでは織田信長や黒澤明の『生きる』の主人公のような気持ちになり、怖いものなしな上にやる気が出るのですが、さらに進めると、やる気すら無くなり、ボケーっと過ごしてしまうのですが、これで良いのだろうか
511
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/04(日) 22:39:35 ID:Yb3y/KCc0
>>509
さらにその自分を観察するのじゃ。
本当に観察ができていれば厭離が起こるのじゃ。
それまで観察し続けなければいかんのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。
>>510
よいのじゃ。
さらに続けるのじゃ。
究極までやりきった時に悟りは訪れるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
512
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/06(火) 06:09:03 ID:bWT.OSIw0
質問なのですが
数息観をしながら熟睡し、なおかつ観照することは可能ですか?
鬼和尚やOshoの説によると、睡眠や死と観照は別とのことですよね。
ならば数息観をしようが熟睡しようが観照は成立するはずです。
もし、睡眠中や死後も観察する意識が持続するのであれば、一番良い実験としては、
数息観を観照しながら寝られるかを試せばよいと思うんですよ。
ただ、寝た瞬間、数息観が停止してしまう可能性はある。
だとすると数を数える機能と脳の働きは連動しているという事になる。
それでも、観照が永遠であるならば、脳が停止し(熟睡し)数息観を止めてしまった瞬間も目撃できるはずですよね。
ところで、少し疑問が生まれたのですが、観察する意識が常に働いているならば、睡眠も作動しているはずなのに、何故そのことを覚えていないのでしょうか?
記憶の機能と観察する意識は別だからなのでしょうか?
常に、観察する意識は今この瞬間に全てを目撃しているが、脳の海馬に情報が送られているとは限らないので、朝になると、寝ている間の観察記憶が無いという事になるのでしょうか?
513
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/06(火) 06:10:19 ID:bWT.OSIw0
↑
×睡眠も作動しているはずなのに
〇睡眠中も作動しているはずなのに
514
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/06(火) 21:41:09 ID:bWT.OSIw0
ちなみに、鬼和尚は常に観照の状態にいますか?悟った人の目が動かないとか言うのは常に意識が観照の状態で安定しているからですか?
515
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/06(火) 21:55:49 ID:bWT.OSIw0
観照は手段なのか目的なのか
516
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/06(火) 22:28:53 ID:6JJtvqTQ0
>>512
不可能なのじゃ。
観照は永遠ではないのじゃ。
一瞬で終わるのじゃ。
記憶がとまるからなのじゃ。
観察は記憶しなくてもできるのじゃ。
>>514
観照の状態にいることは誰もできないのじゃ。
一瞬で終わるからなのじゃ。
心がとまっているからなのじゃ。
517
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/07(水) 00:52:11 ID:lsBq4L.I0
嫌いな相手に対して、嘘でも褒めたり感謝したりして相手が喜ぶようなことを言うことは善事ですか?
518
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/07(水) 07:28:04 ID:Ad6Wi5b20
観照という言葉を私はやや「観察」に近い意味で使っていますが、
鬼和尚は「悟りが生じる瞬間」のような意味で使ってないでしょうか?
Oshoの本を読むと、「常に出来事を目撃している自分を意識していなさい」というようなことを言っています。
要するに、常に、出来事に埋没せず、映画を見ている観客の立場に身を置いておけ、というような事のように思われるのですが、
そうすると、「実践しながら観察する」という態度が必要になります。
よって、まず、観照と観察の違いを明確にしてほしいとおもいます。
仏語としての観照は「知恵を働かせて観る」という意味合いが強いようです。
鬼和尚の語録を読むと、やはり、観察と観照を同じ意味で使ったりもしているようです。
観察は常にできるが観照は一瞬で終わるという事でしょうか。
観察の究極の成果が観照という事でしょうか
519
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/07(水) 07:56:13 ID:FYolUBho0
>>517
嫌いな相手というのは
私にとって喜ばしくないことをする人のことです
520
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/07(水) 07:57:05 ID:FYolUBho0
>>517
>>519
はI Dが違いますが同じです
521
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/07(水) 21:14:27 ID:Ad6Wi5b20
観照は目的ですか?手段ですか?
Oshoの本を読むと手段であり目的でもあるようにも思えるのですが、鬼和尚は自己を観ることが出来れば観照は必要ない感じですね
我々の本性が観照する意識なのであれば常に観照している事が本来的なような気もするのですが
522
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/07(水) 23:09:29 ID:Jhtm4LM20
>>517
善事と言えるのじゃ。
愛語であるからのう。
そのような嘘は許されるのじゃ。
善意からの言葉であるからのう。
実践あるのみなのじゃ。
>>518
観照とは自我を見ることなのじゃ。
それは一瞬の気づきであるから観察とは厳密には違うのじゃ。
観察の究極の成果が観照と言えるじゃろう。
観察は自我を見るために実践するのであるからのう。
>>521
観察は手段であり、観照が目的と言えるじゃろう。
自我を見るために観察を続け、その成果として観照が起こるのじゃ。
意識はもはや観察も観照もしないのじゃ。
何もしないのじゃ。
無為なのじゃ。
523
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/08(木) 05:02:22 ID:Ad6Wi5b20
>観察の究極の成果が観照と言えるじゃろう。
なるほど。やはり鬼和尚はどちらかというと「悟りが生じる瞬間」のような意味で観照とおっしゃってますね。
言葉というのは色んな意味を持つので厳密に定義しておかないと、それぞれ全く違う事を考えているから怖いですね。
というのもアリストテレスの『ニコマコス倫理学』の結論に「究極の幸福は観照である」とあります。
これは、「自我を見る」というような事ではなく、「知的に観察する」というような意味です。
これに仏語の「観照」という訳語を当てているので、アリストテレスと仏陀は同じことを述べているのだろうかという考えが生じますが、
鬼和尚の話を聞く限りは違うようですね。
524
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/08(木) 16:49:37 ID:Ad6Wi5b20
違うと言いましたが、アリストテレスは万象に対して知的な観察の目を目を向けましたが、釈迦は自己に観察の目を向けたという違いがあると思います。
なので、アリストテレス主義でも悟りに到達した可能性はあるのかもしれません。
中道や中庸を重視したという意味でも釈迦とアリストテレスの哲学には共通性があります。
525
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/08(木) 22:30:17 ID:AQuD3DP.0
>>523
それは翻訳が間違いなのじゃ。
観照とは本来仏教用語なのじゃ。
主観のない観察なのじゃ。
それは自我という主観を脱することに他ならないのじゃ。
そこが知識に囚われ続けていた西洋哲学とは違うところなのじゃ。
526
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/08(木) 23:24:48 ID:Ad6Wi5b20
西洋哲学が知識に囚われていたと言うのはどうでしょうか
ソクラテスは元よりデカルトにせよフランシス・ベーコン、フッサールに至るまで、一旦確立された知識を疑う事を根本原理にしてきた訳ですよ
だから科学は発展していくわけです。
ある時代に正しいと思われた知識もひっくり返るのが科学の歴史です。
また、科学主義の中にある先入観も摘出して、鬼和尚が言うような、純粋主観(ある種の客観)に到達しようという運動もある訳で、必ずしも東洋思想と西洋思想が一致しないということもないと思います。ハイデガーの存在論哲学の目指す所などは、悟りの境地とほぼ一緒ですよ
527
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/09(金) 02:29:28 ID:VHpJSyVE0
鬼和尚さま、いつもありがとうございます。
以前に比べて、主人との諍いが少なくなったと感じているのですが、これは環境の変化というものですか?
528
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/09(金) 14:02:53 ID:CdKcjTeE0
熟睡の時も意識があるってどうして言えるのですか?
記憶能力が働いていない時がどのような様子であったかということは、記憶が無いから思い出せないはずですし、語れないはずです。
529
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/09(金) 14:06:01 ID:CdKcjTeE0
一般的に記憶能力が働いている状態を意識といい、そうでない状態を無意識と衆生は認識していると思います。
鬼は記憶能力が働いている意識状態を阿頼耶識といっているわけですか?
530
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/09(金) 14:11:05 ID:CdKcjTeE0
起きているという実感、生きているという実感は消えていて、ただ主客もなく観ているという意識状態、
ただ記憶能力は働いている。醒めている。
この状態を鬼はどう定義しますか?
531
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/09(金) 16:58:07 ID:BSdGEadw0
いつも教えていただきありがとうございます。
止の瞑想中、顔などにかゆみを感じた場合、解消して仕切り直したほうがよいですか。
それともかゆみも無視して続けたほうがよいですか。
532
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/09(金) 22:02:40 ID:TSoLXVsA0
>>526
それが知識に対する囚われなのじゃ。
疑う自分を疑うのじゃ。
>>527
それは心境の変化じゃな。
心が変われば環境も変わるのじゃ。
自分の世界は自分が作っているのであるからのう。
>>528
熟睡していても記憶はあるのじゃ。
それが仏陀なのじゃ。
533
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/09(金) 22:05:13 ID:TSoLXVsA0
>>529
そのような状態が阿頼耶識の筈はないのじゃ。
阿頼耶識とは状態ではないからなのじゃ。
>>530
何も定義しないのじゃ。
>>531
かゆみも雑念として流していくとよいのじゃ。
かゆいかきたい、かゆいかきたいという心身の動きをありのままに流していくのじゃ。
そうすれば集中力も増していくのじゃ。
534
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/10(土) 02:25:47 ID:VHpJSyVE0
>>532
ありがとうございます。
心の働きが善い方へ向かっているようで嬉しいです。
実践を続けます。
535
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/10(土) 09:54:24 ID:BSdGEadw0
>>533
わかりました。教えていただきありがとうございました。
536
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/10(土) 14:12:50 ID:ZBNzE0nQ0
熟睡の定義が記憶能力が働いていない。というものなら、熟睡中に記憶するというのは矛盾していませんか?
あるいは記憶能力が使えるのであれば、それはそもそも熟睡ではないのでは?
537
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/10(土) 21:15:50 ID:vIqoz6Rs0
四界分別観では初禅の手前までしか行けない(初禅にも入れない)と聞いたんですが、それは例えば、身体のどこか熱を感じる箇所のその熱感に集中し続けても禅定には入れないということですか?
538
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/10(土) 23:04:52 ID:Jb7igCBA0
>>534
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>535
どういたしまして、またおいでなさい。
>>536
その定義が間違いなのじゃ。
仏陀は熟睡しても記憶は失わないのじゃ。
539
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/10(土) 23:06:36 ID:Jb7igCBA0
>>537
それは観察の法であるから、集中の法である禅定には入れないのじゃ。
集中は止観の止であり、観察は観なのじゃ。
もとから別の法であるから観察しても禅定には入れないのじゃ。
540
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/10(土) 23:32:25 ID:vIqoz6Rs0
丹田の温かさの感覚に意識を置いてもダメだということですか?
541
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/10(土) 23:38:08 ID:vIqoz6Rs0
http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/h/paauk.sayadaw.anapana.pdf
上のホームページで書いてあるタッチングポイントというのは息の出入りが皮膚と擦れる感覚を感じるということですか?
542
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/10(土) 23:47:30 ID:vIqoz6Rs0
上記のやり方でここ最近ずっと上唇の上、つまり鼻下あたりの呼吸して息が当たる感覚に意識を集中して瞑想してたんですが根本から間違いだったということですか?
呼吸が皮膚と触れる時の感覚に集中してました。
543
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/11(日) 13:20:50 ID:vIqoz6Rs0
仮に息が皮膚に触れる物理的な感覚に意識を合わせないのが正解とした場合、
タッチングポイントを鼻下に定めそれに集中する。とありますが、息がタッチングポイントに当たる物理的な感触にどうしても意識が合ってしまいます。
物理的な感覚は四界分別観だからそれに意識を当てちゃダメなんですよね?
それなら物理的な感覚を感じず、なおかつ呼吸に気づいているためにはどのように鼻下に意識を置くといいんですか?
544
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/11(日) 15:46:11 ID:ZBNzE0nQ0
熟睡、気付き、意識、無意識
この変の完全な理解は、おそらく完全に悟りをひらかないと理解できないのでがんばります。
545
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/11(日) 22:03:43 ID:RKi7m0KQ0
>>540
それは集中の法なのじゃ。
自分が何を実践しているのか、わからなくては何の成果もなくて当然なのじゃ。
>>541
そうじゃ。
それはシャマタ、集中の法なのじゃ。
ちゃんと書いてあるのじゃ。
>>542
集中力を身につけるためならば正しいのじゃ。
それを観察の法と思えば間違いなのじゃ。
546
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/11(日) 22:10:44 ID:RKi7m0KQ0
>>543
それは集中の法であるから、物理的な感覚に意識をあわせてよいのじゃ。
四界分別観は観察の法であるから関係ないのじゃ。
全く別々の法なのじゃ。
たとえば短距離走の練習をしているときに、足を前後に動かすのは水泳のやりかたであるからしないほうがよいとか、思うようなものじゃ。
地面を走る方法と、水の中を泳ぐ方法が違うように、止観も全く違う目的のための方法なのじゃ。
集中のための法と、観察の法が違うことを学ぶとよいのじゃ。
わしのブログなどを参考にするのじゃ。
547
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/11(日) 22:11:18 ID:RKi7m0KQ0
>>544
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
548
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/11(日) 22:49:39 ID:vIqoz6Rs0
そうなんですか!?じゃあ鼻下に意識を集中してそこの皮膚と息が擦れる感覚に集中するというのはサマタ瞑想であるということですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12262681517
でも、上記のベストアンサーの返信でのやり取りにおいてベストアンサーは
「鼻穴とか上唇に息が触れる感覚はヴィパッサナーになるので無視します。」
と言っています。しかし、そうではなく「鼻穴とか上唇に息が触れる感覚」もそれに一点集中すればヴィパッサナーじゃなくサマタ瞑想と言える。ということですか?
549
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/12(月) 00:45:21 ID:vIqoz6Rs0
鼻下に息が当たって熱感が生じ、その鼻下の熱感に一点集中し続けたらそれもサマタ瞑想であると言えるのでしょうか?
550
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/12(月) 02:10:51 ID:VHpJSyVE0
鬼和尚さま、思い浮かべても全く苦が起こらない原因が幾つかあります。
ですが厭離が起きたとか気づきがあったという感覚はありません。
厭離に気づかない人もいるのですか?
それともまだ厭離が起こっていないという事でしょうか?
551
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/12(月) 21:18:16 ID:h5P9mv0k0
修行者は基本的に隠遁生活をすべきなのでしょうか?
特に社会との関わり方について。
まったく社会とかかわらないのも非現実だと思うので、どの程度の関わり合いがちょうどいいのでしょうか?
552
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/12(月) 22:05:49 ID:h54.WZ4o0
>>548
>>549
そうじゃ、一点に集中すれば、当然集中の瞑想なのじゃ。
観察はむしろ対象の働きを観るのであるから、注意は移り変わっていくものじゃ。
殆ど者はこような明白な法の違いもわかっていないのじゃ。
>>550
その苦がまだ存在するならば、ただ原因が正しくなかったのじゃ。
苦がもはやないならば、厭離が起こっていたのじゃ。
よく観察して確かめるのじゃ。
553
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/12(月) 22:07:48 ID:h54.WZ4o0
>>551
隠遁したほうが修行しやすい環境になるじゃろう。
自分の心という微妙なものを観察していかなければならないのであるからのう。
生活していける程度の稼ぎを得るために関わるとよいのじゃ。
それ以上の関わりはやめたほうがよいのじゃ。
554
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/13(火) 02:06:52 ID:VHpJSyVE0
>>552
原因は全て正しかったと思います。
何故なら体の反応があったからです。
そして今、それらの苦を何度思い浮かべても体の反応が無くなっています。
体の反応が無くなってるという事は、苦が無いという事なので厭離なのですね。
きっと厭離に気づけなかったのですね。
555
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/13(火) 07:39:14 ID:vIqoz6Rs0
ヴィパッサナー瞑想では近行定(初禅の手前)までしか行けないと聞いたのですが鼻下の感覚に意識を集中させる瞑想では色界禅定、無色界禅定まで行けるということですか?
556
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/13(火) 22:20:42 ID:AqcnZMQg0
>>554
そうじゃろう。
苦がなくなったということは厭離ができていたのじゃ。
さらに苦を滅していくとよいのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>555
そうじゃ、できるじゃろう。
途中でやめなければどのような禅定にも入れるのじゃ。
実践で確かめるのじゃ。
557
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/13(火) 22:58:02 ID:vIqoz6Rs0
わかりました。上記のやり方一本に絞ってそれ一本で禅定目指します。そして必ず悟ります。
瞑想のご指導ありがとうございました。
感謝してもしきれません。また、不明なことがあれば助言をこうこともあるかもしれません。その時はよろしくお願いします。
558
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/14(水) 12:55:24 ID:VHpJSyVE0
>>556
はい、ありがとうございます。
もう一つお聞きしたいことがあります。
「ハッキリとした気づき」とか「ハッキリとした厭離」に拘らない方がいいでしょうか?
厭離が起これば、理由は別に分からなくてもいいものなのでしょうか?
気づきや厭離は、一瞬で何故そうだったのか理由がハッキリと分かるという理解をしてします。
ですがわたしの場合はご相談させていただいたように何故それが原因だったのか、ハッキリとは分からずに厭離が起きているようです。
原因は分かっていても、その後に起こっていく縁起はその日によって少し変わっていたりもします。
観念を観ている部分もあると思います。
また、原因には体の反応があっても、それから起こる縁起には体の反応を伴わないものもあります。
ですので観察していた縁起のどこの部分が正しくて、どこの部分が違っていたのか分かっていない状況です。
559
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/14(水) 22:49:59 ID:eRiEmGmY0
>>557
よいことじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
何度でもくるとよいのじゃ。
わしのブログも参考にするとよいのじゃ。
>>558
そうじゃ、拘らなくてよいのじゃ。
苦を滅するのが目的であるからなのじゃ。
観察力がまだ弱いとわからないこともあるのじゃ。
それでも苦がなくなっていれば、厭離があったとみてよいのじゃ。
観察力が強くなれば、今は分からないこともわかってくるのじゃ。
それまで精進あるのみなのじゃ。
560
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/15(木) 01:58:15 ID:VHpJSyVE0
>>559
鬼和尚さま、ありがとうございます。
安心ました。
精進します。
561
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/15(木) 15:49:51 ID:/E.6Jbwo0
リトル・ブッダという映画を観たとき、ブッダが瞑想中に微笑んでいました。
そういえば、微笑んでいる仏像もあるなと思いました。
実際のところ、悟った人は瞑想中に微笑んでいるのでしょうか?
もし、そうである場合なぜ微笑むのでしょうか?
562
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/15(木) 21:38:02 ID:vIqoz6Rs0
鼻から息を吐く時、鼻下にある「人中」という箇所に息が当たる感覚を感じるんですが、それに関しては自分としてもうまく集中できてると感じます。
しかし、今度は息を鼻から吸う時、鼻の穴に吸った空気が入っていきその際に鼻穴と空気が擦れる感覚を感じようとします。
その後息を「吸って」→「吐く」と切り替える瞬間に鼻の穴から人中へ瞬時に意識の集中先を変えなきゃいけないのでその切り替えのタイミングで意識が人中に上手くフィットできず意識が人中から逸れてしまいます。ぶれてしまいます。
早くも壁にぶち当たってしまったのですが鬼和尚としてはどうすればいいと思いますか?
563
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/15(木) 21:46:03 ID:vIqoz6Rs0
追記です。
どうしたら人中、鼻穴ともに切り替えもスムーズに集中し続けられるようになれるでしょうか?
564
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/15(木) 22:23:41 ID:P/npat6E0
>>560
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>561
快が生じた時に微笑むことはあるじゃろう。
人が俗世間で味わえる千倍も気持ちがよいからなのじゃ。
瞑想が上達すればそれも自然に起こるのじゃ。
実践で確かめるのじゃ。
565
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/15(木) 22:25:24 ID:P/npat6E0
>>562
>>563
そのように細かく見なくてよいのじゃ。
軽く注意を向けているだけにするのじゃ。
そうすれば小さなことにも煩わされないのじゃ。
呼吸の回数がわかるぐらいに軽く意識を向けるのじゃ。
566
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/15(木) 23:15:44 ID:/E.6Jbwo0
>>564
ご回答ありがとうございます。瞑想中に自然に微笑んでしまうよう、瞑想の熟達を目指します。
567
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/16(金) 01:09:47 ID:vIqoz6Rs0
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11268088896
上記の回答で意識を置くタッチングポイントは吐く時に上唇の上、吸う時に鼻穴、
ではなく上唇の上「あるいは」鼻穴、であるとの回答をいただきました。
私がアーナパーナサティの元記事の文章を誤解していたようです。謎が解けてホッとしました。
とりあえず上唇の上にある人中で吐く息吸う息を感じられるように続けていきます。
568
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/16(金) 13:37:35 ID:GYpaw69Y0
鬼和尚、こんにちは。
しはらくサマタでサマーディすべく瞑想続けており、最近は何という段階かはわかりませんが、心地良さに包まれる段階まで至るようになりました。
ところで、瞑想するようになってから、物事がスムーズに運ぶようになってきた感があります。
考えもどことなく冴えてきてるような、、、。
仕事で実感があります。
これも瞑想の効果なのでしょうか?
569
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/16(金) 19:03:06 ID:/E.6Jbwo0
鬼和尚様
自分とは何か、自分でないものは何かと追求していますが「意識」というものが分からなくなりました。
例えば、私と全く同じ人間を作った場合、他人はそれを私と同じ人間と認識すると思います。
しかし、私がそれを見た場合は「自分である」という感覚は無いはずです。
この「自分という感覚」が意識でしょうか?意識って何でしょうか?
570
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/16(金) 22:40:33 ID:dNtawhug0
>>566
そうじゃ、精進あるのみなのじゃ。
またおいでなさい。
>>567
感じなくてよいのじゃ。
意識を掛けるだけでよいのじゃ。
>>568
そうじゃ、心が落ち着いたから環境もよくなったのじゃ。
環境も心で作られているのであるからのう。
さらに精進あるのみなのじゃ。
571
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/16(金) 22:42:32 ID:dNtawhug0
>>569
それも意識の一部なのじゃ。
意識とは全てなのじゃ。
自分と思っているのは謬見なのじゃ。
自己意識は誤って観られているだけのものじゃ。
さらに詳しく自分の心を観察してそれを見極めるのじゃ。
572
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/17(土) 08:49:23 ID:.yfAoNO60
>>570
環境も心で作られているので現実がスムーズ展開していると見えるのですね。
日によって瞑想の深度がまばらなのですが、こういうものなのでしょうか?
573
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/17(土) 12:55:04 ID:ZBNzE0nQ0
我が完全に消えても首後ろに気付きの意識が残ります。
やはり、無我で終わるといっているテーラワーダなどは外道で、気付きの意識も滅しないといけないと言っている鬼和尚やマハルシ、マハラジなどが真に正しい教えを伝えていると理解できました。
574
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/17(土) 19:11:08 ID:vIqoz6Rs0
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13230750363?__ysp=44Ki44O844OK44OR44O844OK44K144OG44Kj
上記のレモンさんという回答者の方の返信でのやり取りに、「人中で吸う息を感じられるようになるまで数年かかった」と書いてありました。
この方は意識を人中にかるくかけるのではなく感覚を感じるというやり方でアーナパーナサティをやってるようです。
しかし鬼和尚はかるく意識をかけるだけでいいとおっしゃっています。
実際どっちが正しいのか困惑しています。
575
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/17(土) 22:15:07 ID:/8BnkeKE0
>>572
そうじゃ、それでよいのじゃ。
深くなったり浅くなったりしながら、次第にもっと深く瞑想に入れるようになるのじゃ。
修行者の誰もが通った道なのじゃ。
日々の実践で確かめるのじゃ。
>>573
そうじゃ、無我でもまだ観念は残っているからう。
さらに進むしかないのじゃ。
全ての観念が消えれば悟りなのじゃ。
それまで精進あるのみなのじゃ。
576
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/17(土) 22:20:04 ID:/8BnkeKE0
>>574
そのように感じるのがヴィパッサナーならば、肉体の一部の感覚を観るだけで数年かかったことになるのじゃ。
シャマタならばやっと集中の対象を把握した段階でしかないのじゃ。
自分が何をしているのかわかっていないのじゃ。
今おぬしが実践しようとしているが集中ならば、軽く意識を掛けたほうが速やかに深い瞑想に入れることに気づくじゃろう。
自分で実践してみて確かめるしかないのじゃ。
577
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/17(土) 22:32:23 ID:/E.6Jbwo0
>>571
ご回答ありがとうございます。
>意識とは全てなのじゃ。
「意識」というピンポイントなものがあると思っていたのですが、逆なんですね。
かなり難しいのですが、観察に努めます。
578
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/17(土) 23:19:02 ID:vIqoz6Rs0
わかりました、感覚を感じようとせずに意識を鼻先へ軽く置くやり方でやってみます。
意識を鼻先に置いた場合、目線はどこに置いたらいいですか?鼻先を見るんでしょうか、床を見るんでしょうか、
579
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/18(日) 00:24:37 ID:B5e88bVA0
>>575
皆さん通った道ならこういうもんだと割り切り継続してみます。
しかし、本当に現実が開けた感(感覚だけでなく実際に)があって不思議なものですね。瞑想の効果に驚きです。
580
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/18(日) 02:20:50 ID:vIqoz6Rs0
鬼和尚のブログの数息観もやってみたんですが、意識を鼻先に軽く置くだけだと数字を数えている間にすぐ雑念に巻き込まれます。
そこで、寄り目になるくらい一点に鼻の先を凝視して集中してすると瞑想状態に入れました。
でもこのやり方だと目が疲れます。
どうすればいいでしょうか。
581
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/18(日) 17:51:31 ID:vIqoz6Rs0
数息観について質問です。
鼻の先に軽く意識をかけるとありますが鼻先に意識を置きながら数える数にも集中するということでしょうか?
鬼和尚の数息観の記事のコメント欄で鬼和尚は呼吸に集中するとおっしゃっていますが鼻先や数だけでなく呼吸にも意識を向けるということですか?
582
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/18(日) 19:59:20 ID:vIqoz6Rs0
578です、訂正します。
数息観をする際、意識を鼻先に置いた場合、目線はどこに置いたらいいですか?鼻先を見るんでしょうか、床を見るんでしょうか?どこにも焦点を合わさずにぼんやり前を見るんでしょうか?
583
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/18(日) 22:03:52 ID:vIqoz6Rs0
質問多くてすいません。
意識を置く配分の比率は
鼻の頭:数えてる数:呼吸
としたら何対何対何でしょうか?
584
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/18(日) 23:18:54 ID:IpT5Tkiw0
>>577
そうじゃ、意識は全てである広大なものじゃ。
記憶と間違えてはいかんのじゃ。
実践で確かめるのじゃ。
>>578
それは目を完全に瞑るとか、半眼で一メートルぐらい先の床を見るとか、空を見るとかがあるのじゃ。
いろいろ試してみて自分がやり易い方法で実践するのじゃ。
>>579
そうじゃ、それが瞑想の効果なのじゃ。
さらに精進あるのみなのじゃ。
585
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/18(日) 23:28:28 ID:IpT5Tkiw0
>>580
視線と集中をわけるのじゃ。
注意力だけを鼻先に向けて、視線は外に向けるのじゃ。
日々続ければできるようになるのじゃ。
ヨーガでもそのようにできる事を教えているのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
>>581
数にも意識を軽く向けるだけでよいのじゃ。
数えることが呼吸に意識を向けることなのじゃ。
そうでなければ数えられないのじゃ。
数えなくとも呼吸に集中していられるようになったら、数えなくてよいのじゃ。
呼吸を数えない随息観に入るのじゃ。
>>583
そのように分離してはいかんのじゃ。
それでは集中していないことになるからのう。
鼻先に意識をむけることで、呼吸がわかり、数えることができるのじゃ。
鼻先に意識を向けるのは呼吸に集中するためであり、集中し続けるために数えるのじゃ。
実践すればわかるのじゃ。
586
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/18(日) 23:32:42 ID:vIqoz6Rs0
わかりました、そのようにやってみます。ありがとうございました。
587
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/19(月) 02:20:46 ID:vIqoz6Rs0
私は瞑想するとどうしても目線が次第に右下に移動してしまいます。
数息観をしていると目線が右下に移動して左目に映る鼻の左側がぼんやり見える状態になるんですが、その時にぼんやり見えている鼻に目線を置いてもいいですか?すごく鼻との距離が左目と近いんですが…
588
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/19(月) 03:40:53 ID:vIqoz6Rs0
鼻の頭に意識をずっと置き続けるというのが難しすぎます。全然できません。
鼻の頭に意識が合うまでひたすら繰り返した方がいいでしょうか?
それとも数を数えながら呼吸に意識を向けるだけにしといて鼻の頭に意識を置くのは省いてもいいですか?
589
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/19(月) 22:11:49 ID:ij8ZaVPk0
>>586
そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
まおいでなさい。
>>587
>>588
それは自分のやり易いようにしてよいのじゃ。
自分に合う方法で続けるのじゃ。
自分に合う方法でなければ続かないからのう。
法を自分に合わせて日々精進あるのみなのじゃ。
590
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/20(火) 01:15:18 ID:vIqoz6Rs0
わかりました、数息観でやっていこうかと思っていたんですが今までやっていたアーナパーナサティが諦めきれず、アナパナでやりたいという想いがあらります。
なのでアナパナ一本に絞ってやっていこうと思ったんですが吐く息って意識合わせやすくないですか?
逆に吸う息は意識を合わせるのが難しいです。なので吐く息を意識してやろうと長い時間吐く癖があるんですがずっとやってると酸欠で後頭部が少し痛くなります。かといって吸う息を長くするのも中々難しいです。
鬼和尚は酸欠で後頭部が痛くなったことってありますか?
591
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/20(火) 09:00:19 ID:vIqoz6Rs0
OSHOの本に「自分に適した瞑想法はピンとくる」って書いてあったんですが鬼和尚はそんなことあると思いますか?
悟りを求める者にとっての運命の出会いのようなもの。私は何故かアナパナに惹かれてそれをやり遂げたいという思いがあるんですが上記のような話はこれもまた単なる観念だと切り捨てていいでしょうか?どのみち切り捨てるべきですが。
592
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/20(火) 20:21:33 ID:M/Ch4a1s0
悟った後に子を設けた人はいますか?
593
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/20(火) 22:51:34 ID:beBu0zAQ0
>>590
ないのじゃ。
それは首を曲げているからかもしれん。
よく観察して見極めるのじゃ。
>>591
あるじゃろう。
おぬしはまだそれに会っていないのかもしれん。
いろいろ試してみるとよいのじや。
>>592
いるじゃろう。
調べてみるとよいのじゃ。
594
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/21(水) 21:02:58 ID:h5P9mv0k0
人型ロボットやサイボーグに「意識」をインストールして、あたかも人間のような
感情を持ったロボットにすることは将来可能になるでしょうか?
機械が心を持つ日は来るのでしょうか。
595
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/21(水) 23:11:12 ID:a14PsG7c0
>>594
全てのものに既に意識はあるのじゃ。
そのようなロボットも可能じゃろう。
つくれば心はあるじゃろう。
596
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/23(金) 00:51:37 ID:.tofT0a20
前スレで下記の書き込みをした者です
鬼和尚に聞いてみるスレ part19
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1627742187/
>>987
>よく一緒に仕事をする人がいるのですが、私が怒っているとその人は気分が沈んだ感じになり、私が楽しんでいるとその人も楽しそうになり、私が落ち着いているとその人も落ち着いていると観察しました
>正に物事は心に基づいています
>
>これは私の勘違いではないですよね
このよく一緒に仕事をする人ですが、ここ2週間ほどその人の態度がそっけなく不満げで冷たい感じでした。
私は悩んだ挙句、その人に
「私はあなたの気分を害するようなことを言ったりやったりしたでしょうか?もしそうなら謝ります。
先々週ころ私が声を荒げたことがありましたけど、それでしょうか。」
と言ったら
「いや全然普通ですけど。
わたし昨日のことも忘れるし。」
という返事だったので
「よかった。何か気になってたんです。
でも声を荒げるのは自分でもよくないと思うのでもうしないようにします。」
と答えてその場は終わりました。
その後は態度はガラリと変わり、そっけなく不満げで冷たい感じはなくなりました。
会話の内容だと私の思い過ごしということになりますが、しかしこの態度の変わりようはやはり何かあったのでしょうか。
そして私がその人に話したことで良い方向に変わったように思いますが、どうでしょうか。
上の会話が一昨日です。
私は男でその人は女ですが、今日その人が、座った私の横にやってきて仕事の話をしたのですが、長い髪の毛をいつもは前に両側に垂らしているのですが、その時だけ髪を左に持っていって右側(私によく見える側)の耳や首筋、うなじが見えるようにしました。
私も思わず視線をそこに向けながら話をしてしまいました。
このような変化も上の会話によって変わったことでしょうか。
597
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2022/09/23(金) 22:13:53 ID:14LIr/j20
>>596
おぬしの思った通りじゃろう。
やはり気にしていたのじゃな。
これからはやさしい言葉で全ての者に語るとよいのじゃ。
そうすればよい報いもあるのじや。
598
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/24(土) 10:14:16 ID:leMJA85Y0
>>597
> これからはやさしい言葉で全ての者に語るとよいのじゃ。
ありがとうございます。
私は人に対して言葉を荒げることがあるというより、
ある特定の物事が起こったときに声を荒げる
と観察しました。
これはおかしいと思うようなことがあったときに声を荒げます。
周りの人が同じようにしているのを見て、こういう場合は声を荒げるものだと学び習慣にしていたということです。
599
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/24(土) 10:15:49 ID:.tofT0a20
I D変わってますが
>>596
=
>>598
です
600
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/24(土) 18:08:38 ID:.tofT0a20
鬼和尚、コテを付けたいので名前を付けていただけませんでしょうか
601
:
避難民のマジレスさん
:2022/09/24(土) 19:21:50 ID:/E.6Jbwo0
鬼和尚様
「自分」について質問させてください。
・体や脳の一部が欠けても「自分」である
・特定の部分が欠けると「自分」でなくなるかというと、そんなものはない
・感情、思考、分別、記憶についても同様
では、それらが集まった全体が「自分」だとすると、欠けた部分があっても「自分」であるということと矛盾する。
結論として「自分」という固定されたものはない。「自分」と感じているものはそれが連続しているという記憶に依存するもの。
それなので、自分を自分と感じさせているのは記憶だと思うのですが、過去の記憶が無くなった人は、無くす前に感じていた自分とは違う自分を感じるのでしょうか?
(記憶が無いので本人には、違うかどうかは判断出来ないですが)
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