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鬼和尚の仏教講読会 別館2
552
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/11(金) 21:36:49 ID:1d4drIFg0
↑そのような意味じゃろう。
戒は修行者が修行しやすい生活を整えるためのものじゃ。
それに拘って本来の修業を教えないのでは本末転倒なのじゃ。
真の落草なのじゃ。
553
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/11(金) 21:50:37 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
大燈国師の行状の末に題するというのじゃ。
大燈をかかげ起して天下一に輝いたのじゃ。
天覧の誉れを法堂前で受けるのじゃ。
風を食らい水に宿る生活をしていたことを記す者は無いのじゃ。
第五橋の辺に二十年いたのじゃ。
554
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/11(金) 22:10:32 ID:Q18p6jK20
くま訳改
第二句:天覧の誉れを法堂前で受けるのだ。
436
大應國師賛 妙勝寺
大唐國裏沒禪師 大唐國裏禪じなし
傳授明明東海兒 傳授明々たり東海の児
一天法窟妙勝寺 一天のほつ窟妙勝寺
天澤宗風更有誰 天澤の宗風更に誰か有る
くま訳
大應國師賛 妙勝寺
大唐國にはもう禪師はいない。
禅が日本の僧に伝授されたことは明白である。
天下一の修行道場となった妙勝寺
臨済の宗風をを伝える適任者が他に誰がいるというのか。
*大応国師(南浦紹明):25才の時に唐に渡り、虚堂智愚に禅を学び、帰国。弟子・宗峰妙超(大燈国師)
が京都の大徳寺を開山。中国から帰って「妙勝寺」でその教えを弟子たちに伝え、晩年ここで暮らした。
その後酷く荒廃してしまったこの寺を大応国師を尊敬する一休さんが、修復をし、「報恩庵」として自ら
も住まわれた。
*法窟(ほうくつ):修行の道場
(´・(ェ)・`)つ
555
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/12(土) 23:19:50 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
大応国師の賛というのじゃ。
大唐国にはもはや禅師はいないのじゃ。
日本の僧によって正統な伝授が受け継がれたことは明白なのじゃ。
天下一の法の修行場である妙勝寺なのじゃ。
天澤の宗風が更に誰に有ると言うのじゃ。
556
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/12(土) 23:55:30 ID:RV3c13Ko0
437
賛二祖 二祖(慧可)を賛す
大唐今古沒禪師 大唐今古 禅じ没(な)し
断臂虚傳人不知 だんぴのきょでん人知らず
只許南山道宣筆 只許南山道宣が筆
恰如痛處下針錐 あたかもつうしょにしんすいをおろすがごとし
くま訳
二祖(慧可)を讃える
大唐国には今はもう禅師はいない。
太祖慧可が達磨さんに弟子入りを請うために腕を切り落としたという伝説は嘘であることを皆しらないの
だ。南山道宣が書いた続僧傳にのみ真実が語られているのである。
あたかも、痛いところに針を刺すような話である。
(賊に腕を切り落とされたが、法を以って心を御し痛苦を覚えず、火を持って切ったところを焼いたとのこ
とである。)
太祖慧可
南山道宣:続高僧伝
道宣(どうせん):596-667年 唐代の律宗の僧侶。南山律宗の開祖。
道宣の弟子は千人を数え、その教えを拡大させ、南山宗は一世を風靡し、現在の中国の僧侶も彼の四分律を
学んでいる。法席を嗣いだのは周秀である。また、弟子の文綱系統からは鑑真が出ている
(´・(ェ)・`)つ
557
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/13(日) 21:54:27 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
二祖の賛じゃな。
大唐には古今の禅師がいなくなつたのじゃ。
腕を切ったのは嘘であると皆知らないのじゃ。
ただ南山道宣の書いたことが正しいのじゃ。
あたかも痛いところに針を刺すようなものじゃ。
558
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/13(日) 22:57:22 ID:jip11rhE0
438
文明甲午春 文明かぶ午の春
拝大徳禪寺住持勅請 大徳禪寺住持勅じょうを拝す
門客交賀 吁 門客かわるがわる賀す。ああ
五十年簑笠淡如 五十年さりゅうたんじょたり
勅黄捧照 勅おうほう照して
無愧于懐乎 かいに愧づる無からんや
因作詩泄之 因って詩を作り之をもらす
大燈門弟滅残燈 大燈の門弟殘燈を滅す
難解吟懐一夜氷 解け難し吟懐一夜の氷
五十年来簑笠客 五十年來さりゅうの客
愧慙今日柴衣僧 愧慙す今日柴えの僧
柳田聖山先生訳
大灯国師の弟子である拙僧が消えのこる灯火を滅す
懐に抱いている氷の塊が一晩では解けそうにはない
ここ五十年というもの蓑笠のみで放浪した身なのだ
今朝は紫の袈裟を羽織る姿となって恥入るばかりだ
茶の湯に親しむHP先生訳
大灯国師の門弟たる者がわずかに残されていた灯明を消してしまった。
このため、詩心は一夜の氷のように固まって解け難い。
五十年来、放浪の旅人であったが
今日は恥かしくも紫衣をまとう(名利をまとう)僧侶に成り果ててしまった
くま訳
1474(文明6年)一休81歳 春
刺命により、大徳寺住持拝受。
祝賀の客が後を絶たない。あぁぁ
五十年間簑笠を着てあっさりとした生活してたのである。
天子様からの勅命をいただいてしまい、
内心恥ずかしく無いわけがなかろうもん!
そこで、詩を作ってその思いをもらすのである。
大燈の弟子達が大燈の教の残灯を消してしまう。
胸中の凍てついた詩情は、一夜の氷のようで溶け難い。
五十年来簑笠を着て行脚を続けてきたのであるが、
今日は、紫衣を着る羽目となり恥じ入るばかりである。
(´・(ェ)・`)つ
559
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/14(月) 22:54:25 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
天皇からの命令で大徳寺の住持を受けたのじゃな。
祝賀の客が後を絶たず悲鳴を上げるのじゃ。
五十年蓑笠を着て淡白に暮らしていたのじゃ。
勅命に照らされて恥ずかしいことであるからこの詩を作ったというのじや。
大燈の門弟達は法の残り灯を消してしまったのじゃ。
懐に抱く氷は一夜では融けないのじゃ。
五十年来蓑笠の客であったのに、
今日紫衣僧になったことを恥じるのじゃ。
560
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/15(火) 02:15:52 ID:MyFrn1YY0
徹翁和尚
大燈子大應孫 大燈の子大應の孫
正傳臨濟宗門 正傳臨濟の宗門
儼然靈山一會 儼然たりりょうぜんの一ゑ
何妨三界獨尊 何ぞ妨げん三界の獨尊
くま訳
大燈の弟子、大應の孫弟子である
臨濟宗門の正伝である
釋迦が説法をした霊鷲山の法会の伝統が今でも厳然として続いているのである。
三千世界で釋迦独り尊しとすることに、何の妨げがあろうか
*徹翁義亨〈てつおうぎこう〉南北朝時代の臨済宗の僧。おそらく出雲守護佐々木氏の一族であろう。19
歳で出家し,上洛して建仁寺,南禅寺に参じたが,五山の禅風にあきたらず,東山の雲居(うんご)庵に
隠棲していた宗峰妙超(しゆうほうみようちよう)(大灯国師)の門に入り,その法を継いだ。妙超が大徳
寺を開くとこれに随い,妙超没後の1338年,勅により大徳寺2世(1世説多)として入寺し,別に寺前に
徳禅寺を建立した。
*三界:① 欲界・色界・無色界の総称。衆生が輪廻する世界。②三千大千世界の別称。③三世 – 過去世・
現在世・未来世の総称。三界ともいう。
(´・(ェ)・`)つ
561
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/15(火) 21:54:11 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
徹翁和尚の詩じゃな。
大燈の子であり大應の孫なのじゃ。
臨済宗門の正伝なのじゃ。
霊山の一会から厳然として続いているのじゃ。
三千世界に独り尊しと宣言しても何の妨げも無いのじゃ。
562
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/15(火) 22:11:49 ID:MyFrn1YY0
くま質問
「三千世界に独り尊しと宣言しても何の妨げも無いのじゃ。」において、尊いのは、徹翁=悟った人と一休
さんは読んでるのでありましょうか?
440
拝大徳寺住持勅請之頌 大徳寺住持勅じょうの頌を拝する
呈廣徳堂上柔仲和尚 廣徳堂上にゅう仲和尚に呈す
大徳大燈龍寶山 大徳大燈龍寶山
靈光天上又人間 靈光天上又人間
焼香酬恩曇華叟 香をたき恩に酬ゆどん華そう
金色頭陀曾破顔 金色の頭陀かつて破顔す
柳田聖山先生訳
大燈国師の開かれた竜宝山大徳寺
霊験は天界と人間社会を照し出す
華叟和尚の恩に酬いるため焼香す
頭陀袋が金色になっても心は同じ
くま訳
大徳寺住持勅請の頌を拝したので
廣徳寺堂上柔仲和尚に呈する
大燈国師が開かれた龍寶山大徳寺
靈光は、天上界又人間界を遍く照らす
華叟宗曇和尚の恩に酬いる為に焼香します
金色の頭陀袋を見て昔、笑ってくれたものである。
*廣徳寺は、兵庫県尼崎市寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は瑞雲山。1390年に京都から尼崎の大
物に移された。1478年頃には柔仲宗隆が住持となった。
*華叟宗曇(かそう そうどん、1352-1428年。大徳寺の徹翁義亨に投じ、14歳で出家。のち徳禅寺の言外
宗忠に参じ、印可を得る。
一休さんの名付け親。「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」の言葉から、華
叟が道号として授けた。
(´・(ェ)・`)つ
563
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/16(水) 21:47:16 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、徹翁なのじゃ。
お釈迦様と同じ大悟徹底したから独尊でよいのじゃ。
大悟すれば皆同じなのじゃ。
564
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/16(水) 21:54:12 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
柔仲和尚に呈する詩なのじゃ。
大徳寺は大燈が龍宝山に開いたのじゃ。
その霊光は天上と人間も照らすのじゃ。
焼香して華叟宗曇和尚の恩に報いるのじゃ。
かつては金色の僧は笑っていたのじゃ。
565
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/16(水) 23:30:56 ID:xp4dYwns0
くま訳改
第四句:かつては金色の僧は笑っていたのだ。
*頭陀:衣食住に関する貪欲(どんよく)を払いのけて仏道修行にはげむこと。その修行のため、食を乞いな
がら野宿などして旅を続けること、またはその僧。
霊山和尚の元気が出る修行決意宣言!
441
汲井輪略無停息 きゅうせい輪ほぼていそく無きがごとし
今既得出家 今既に出家することを得て、
僧相圓備 僧相円備
在三衣一鉢下 さんえ一はつげに在り
想是過去幾生修來 想ふに是れ過去幾生が修し來つて
得如此乎 かくの如きことを得るか。
若是再 若し是れ再び
入驢胎馬腹去 ろ胎馬腹に入り去らば
不知又經幾生 知らず又幾しょうを経てか
歸來改修此錯 帰り来たってこのあやまりを改修せん
努力努力 努力せよ努力せよ
切須今生了達 切に須らく今じょうに了達して、
無如是殃過 かくの如きのおう過無かるべし
念之思之 之をおもへ之を思へ
右靈山和尚法語 右靈ぜん和尚の法語
題其後云 其の後に題すと云ふ
互操高低汲井輪 互ひに高低をとるきふせい輪
威音彌勒一回春 威音の彌勒一回の春
三世諸佛歴代祖 三世の諸佛歴代の祖
泉聲滴涙苦吟身 泉せい涙したたる苦吟のみ
くま訳
井戸の釣瓶の滑車が、ほぼ停まることなく動くように、常に自覚せねばならぬのだ。
今既に出家することができたのであるから、
僧としての見てくれは、完璧に調えねばならぬ。
三衣一鉢のみを持って生きるのだ。
思うに、過去生で、何度も修行を重ねてきたお陰さまで、
いま、このようにして在れるのである。
もしこの度もまた、驢馬の胎に戻るような事があっても、
何回生れ変らねばならぬのか分からないが、
必ず修行者に生れ変ってきて、その誤りを正すのだ。
努力努力
切に、何としても、今生で修行を完成させて、
どうか、何としても、このような災難が起こらないようにするのだ。(輪廻から解脱するのだ。)
これを念じるのだ。これを思うのだ。
上記靈山和尚の法語
其の後に題して云う。
互いに上がったり下がったりする、井戸の釣瓶
悠久の過去から弥勒の未来まで、春は一回きりである。
過去・現在・未来の三世にわたって存在する一切の仏、歴代の祖師は、
多くの言葉で、何とかして伝えようと、涙するほど苦しんで言葉を紡ぎ出しているのである。
*汲井輪:井戸の釣瓶(つるべ)の滑車などの機構。
*三衣一鉢:三衣と一個の食器用の鉢。僧侶が携帯するささやかな持ち物。
*殃禍(おうか):わざわい。災難。
*威音:威音王仏のことで、『妙法蓮華経?』「常不軽菩薩品」にて説かれる、過去荘厳劫?最初の仏陀。そ
のことから、無量無辺の極遠に喩えられる。
*弥勒:現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行
者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済す
るとされる。未来仏。
(´・(ェ)・`)つ
566
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/17(木) 21:40:00 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
井戸水を汲む輪が止まらないように
今既に出家することができて
僧としての装備を完全にして
衣三枚と鉢一つ手に在り
思うにこれは過去何世か修行してきて
このように僧になれたのであろう。
もしこれで再び
驢馬や馬に入るようなことになれば
又何生か経て帰り来たって過ちを修正しなければならないかわからないのじゃ。
努力努力するのじゃ。
どうしても今の世で悟りに達してそのような災いが無いようにするのじゃ。
これを念じ、これを思うのじゃ。
567
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/17(木) 21:51:36 ID:1d4drIFg0
その霊山和尚の法語に後に題して言うのじゃ。
互いに上下する井戸汲みの輪の如く
威音仏から弥勒まで仏は一度ずつ世に現れるのじゃ。
三世の諸仏や歴代の祖師は
水音が出るほどに涙したたる苦吟の身の衆生のために現われるのじゃ。
568
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/17(木) 22:55:28 ID:Ky9gXzIs0
くま訳改
第二句;(その如く、)威音仏から弥勒まで仏は一度ずつ世に現れるのだ。
第三句:三世の諸仏や歴代の祖師は、
第四句:水音が出るほどに涙したたる苦吟の身の衆生のために現われるのである。
442
薄氷
但看江海薄氷池 ただかう海薄氷のちを看て
不管人人身上危 にんにんしん上の危をかんせず
可憐極苦目前急 憐れむべしごく苦目前に急なり
迷道衆生終不知 迷道の衆生つひに知らず。
くま訳
薄氷
但看江海薄氷池 ただ、薄氷が張った水辺に佇んで見ても、
不管人人身上危 人々は身の危険を感じないのである。
可憐極苦目前急 憐れむべきである。最大の苦(死)が目前に迫っているのである。
迷道衆生終不知 道に迷う衆生は、最後(死ぬ)までその事に気付かないのである。
*江海(こうかい)① 川と海。入江と海。② 俗世間から離れた場所。
*不管〜(中国語):〜にかかわらず ,〜を問わず
(´・(ェ)・`)つ
569
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/18(金) 23:04:21 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
ただ河海の氷が張っているのを看ても
人々は身の上の危険を知らないのじゃ。
憐れむべし極苦が目の前にせまるのを
迷い道の衆生は遂に知らないのじゃ。
570
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/18(金) 23:15:12 ID:TzONvbZk0
443
山庵雑録曰。 山なん雑録に曰く。
楚石住嘉興天寧。 「楚石、か興天寧に住す。
値有司重作官宇闕木石。 有司の重ねて官宇を作るに、木石をかくに値ふ。
欲取村落無僧廢庵應所需。 村落無僧の廃庵を取って、もとむる所に応ぜんと欲す。
因集諸寺住持議之。 因って諸寺の住持を集めて之を議す。
時楚石力陳不可者沮之。 時に楚石つとめて不可なる者をのべて之をはばむ。
有司不聴。 有司聴かず。
遂撾退鼓皈海鹽天寧。 遂に退くをうってかいえんの天寧に帰る。
二老皆勇於行義 二老皆義を行ふに勇み、
視棄師席之尊不啻如葉弊屣。師席の尊を棄つることただにへいしを棄つるが如くなるのみならざるを視る。
今雖荐禍患嬰己。 今しきりにくわげん己にかかるといえども、
而猶濡忍戀戀 しかもなほじゅ忍恋々たり、
亦獨何哉。 また独りなんぞや。」
予讀此有感因作偈云。 予これを読んで感有り、因って偈を作ると云ふ。
又有了庵一事省之 又了庵の一事有り、之れを省く。
奪人奪境事猶稠 奪じん奪境じなほしげし
幽谷閑林不自由 幽谷閑林自由ならず
莫道江山無定主 いふなかれかう山定主無しと
普天之下帝王州 普天のもと帝王の州
くま訳
山なん雑録に曰く。
「楚石、か興天寧に住んでいた。
役所の担当者が、寺を作りたくても、木石が無いので。
僧が居ない村落の廃寺の廃材を取って、希望する所に応じたいので、
そこで、諸寺の住職を集めてこれを議論すると言って来た。
その時に楚石は、強く反対意見を述べてこれを阻止しようとした。
役人は聴き入れなかったので、
礎石は遂に席を蹴って、かいえんの天寧に帰ってしまった。
二人はともに議論することに熱くなり、
それなりの立場にある人が、その尊厳を棄てるのに、まるで使い古しの靴を棄てるような、無用なものを棄
てるようにしかできないように見えるのである。
今まさに禍が自分に降りかかろうとする時でも、
しかもなお何かもじもじと耐えているのである。
これはいったい、どういう事でありましょうか。」
予これを読んで観想があるので、因って偈を作るのである。
又了庵の一事有り、之れを省く。
徹底した無の境地になり、自我も「境地」も奪い去られた後でも、いろいろと面倒なことはおこるのだ。
のどかな深山幽谷であっても、きままで自由なわけではないのである。
言うのはやめておきなさい、山河に定まった主などいないのだなどと。
天下は全て、帝王の島なのであります。天子様が主なのであります。
*山庵雑録;恕中無慍禪師の撰する所、叢林の先徳先閒の学者の勧善懲悪の資料たるべき嘉言善行を編録せ
るものなり(禅学大成脚注)
*楚石梵琦(ぼんき):1296‐1370元末・明初の禅者。臨済宗大慧宋杲(そうこう)下6世の法孫である。
*有司: その職を行なうべき官司。また、そこに属する官人。官署。官吏。
*闕;1 宮城の門。また、宮城。2 (「欠」と通用)不足する。かける。3 あやまち。
*宇:1 大きい屋根で覆った家。ひさし。のき。大空に覆われた世界。天下。3 器量。度量
*弊屣:(中国語)使い古した靴を意味します。役に立たないもの。
*濡(ジュ)ぬれる・うるおう・とどこおる・こらえる。たえしのぶ。
*奪人奪境:人境両倶奪:修行者を徹底的な無の境地に導くこと。自我も境地も奪い去ること。
(´・(ェ)・`)つ
571
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/19(土) 22:07:06 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
山庵雑録に書いてあったというのじゃ。
楚石が嘉興天寧に住んでいたのじゃ。
役人が役所を更に建てようとしたが木石が足りなかったのじゃ。
村の無僧の廃寺などから取ろうとしたのじゃ。
よって寺寺の住持を集めて議論したのじゃ。
楚石は反対したが役人は聞かないから天寧に還ったのじゃ。
二人のいい大人が自分が正しいと思って勇みたってのことなのじゃ。
議論の席を捨てるに古靴を捨てる如しなのを見たのじゃ。
今しきりに災いが己にかかるというのに、しかもなお辱めに耐えることが出来ないのじゃ。
これが一人だったらまたどうじゃろうか。
わしはこれを読んで感じることがあり偈を作るのじゃ。
また了庵の一事有もあるがこれを省くのじゃ。
572
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/19(土) 22:09:11 ID:1d4drIFg0
奪人奪境も猶騒がしいものじゃ。
幽谷閑林も不自由なのじゃ。
河山に定めた主無しと言ってはいかんのじゃ。
天下は全て帝王のものなのじゃ。
573
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/19(土) 23:37:12 ID:yFDyK2DQ0
くま訳改
而猶濡忍戀戀(しかもなほじゅ忍恋々たり):しかもなお辱めに耐えることが出来ないのだ。
亦獨何哉(また独りなんぞや):これが一人だったらまたどうだろうか。
444
面壁達磨
誰人任運問安心 誰人か任運に安じんを問ふ
昔日神光侍少林 昔日神光少林に侍す
面壁功成無面目 面壁功成って面目無し
不知積雪滿庭深 知らず積雪滿庭に深きを
くま訳
面壁達磨
天地自然の法則に随い、安心を求める者は誰か、
昔、少林寺に、人為を超えた霊妙不可思議な光(達磨さん)が、降臨したのだ。
面目無き所、即ち真面目なりである。 ほんとうに豊かなものはどこか不足しているよう見えるものなのだ。
知らない内に雪が降り積もり、庭一面深雪になっているように、達磨さんの御利益が降り積もるのだ。
*任運問安心:天地自然の法則に随うは即ち任運なり、自然に安心を問ふ、即ち達磨不答の所、自然なれば
なり。(大成脚注)
*面壁功成無面目:面目無き所、即ち真面目なり、老子の「大辨咄の如し」の意なり。(大成脚注)
<老子>大弁如訥『大弁は訥なるが如し』茶臼甕tyausukame先生ブログより
「大直は詘(くつ)するが如く、大巧は拙なるが如く、大弁は訥なるが如く、大嬴(たいえい)は絀(ちゅつ)
なるが如し」である。
真の雄弁は訥弁(とつ弁)と変わりがない。雄弁よりも訥弁、訥弁よりも無言の説得をよしとする考えに
他ならない。「ほんとうにまっすぐな者は、曲がっているように見える。真の雄弁は訥弁と変わりがない。
ほんとうに豊かなものはどこか不足しているように見える」
ことごとく逆説的表現であるが、それでいてある真実を的確にとらえている。それは、「大弁は訥なるが
如し」の一句をとりあげてみても明らかであろう。ここで『老子』の謂わんとしているのは、しゃべり過
ぎの害である。※ しゃべり過ぎは百害あって一利なしである。
*訥弁(とつ弁):つかえつかえしゃべる話し方
*少林寺:禅宗の開祖達摩による禅の発祥の地と伝えられる
*神光:人為を超えた霊妙不可思議な光
(´・(ェ)・`)つ
574
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/21(月) 00:01:31 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
誰か運を天に任せ、安心を問う者はおらんのじゃろうか。
昔は少林寺に神光があったものじゃ。
達磨が面壁九年の行を成し遂げ大悟徹底したのじゃ。
積雪が知らないうちに庭を深く満たしたようにのう。
575
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/21(月) 00:11:44 ID:jaQ9dkAw0
くま訳改
第三句;達磨が面壁九年の行を成し遂げ大悟徹底したのだ。
445
賛魚籃観音 魚らん観音を賛す
丹瞼青鬟慈愛深 丹けん青くわん慈愛深し
自疑雲雨夢中心 自ら疑ふ雲雨夢中の心
千眼大悲看不見 千げん大悲看れども見えず
漁妻江海一生吟 漁妻かう海一生の吟
くま訳
賛魚籃観音
赤い瞼、美しい黒髪慈愛深い容貌。
自分は、朝雲暮雨、恋焦がれているのではないかと疑う。
大悲呪を唱えても千手千眼観音は見えない。
魚籃観音を妻と念じて俗世間から離れて一生思いを吟じつづけるのだ。
*魚籃観音(ぎょらんかんのん):三十三観音に数えられる観音菩薩の一つ。中国で生れた観音の一つで、
同じ三十三観音のひとつである馬郎婦観音(めろうふかんのん)と同体ともされる。
唐の時代、魚を扱う美女がおり、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探し、めでたくこの3つの経典
を暗誦する者と結婚したがまもなく没してしまった。この女性は、法華経を広めるために現れた観音とさ
れ、以後、馬郎婦観音(魚籃観音)として信仰されるようになったという。この観音を念ずれば、羅刹・
毒龍・悪鬼の害を除くことを得るとされ、日本では中世以降に厚く信仰された。
形象は、1面2臂で魚籃(魚を入れる籠)を持つものや、大きな魚の上に立つものなどがある。日本では
あまり単独で信仰されることはないが、東京都港区の魚籃寺などにある。
得度者既皆現此而以説法の誓願に出づ一例を仮説せるもの(大成脚注)
*青鬟(せいかん)中国語:美しさを表すために借りた黒いリング状の髪のお団子を意味します
*鬟:みずら/髪を中央から左右に分けて、両耳のあたりで輪に束ねた上代の成人男子の髪の結い方/わげ
/髪を頭の上で束ねた髪形などの意味をもつ漢字。"
*丹(タン あか・に):硫化水銀鉱、すなわち辰砂(しんしゃ)の色。あか色。
*雲雨:朝雲暮雨(ちょううんぼう)
【故事】楚の懐王が高唐に遊び、夢の中で女と契ったが、その女が別れ際に「朝には雲となり、夕には雨
となって君にお会いします。」と言った。夢から覚めた王は朝雲を見て神女であったことを知り、巫山の
陽に廟を立てたという。
*大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)は、仏教の陀羅尼である。主に禅宗で広く読誦される。普及したのは
鎌倉末期から室町時代以降と推定されるが確証はない。臨済宗では略称大悲呪、正式呼称大悲円満無礙神
咒と呼ばれる。
陀羅尼(だらに):呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せずサンスクリット語原文を音読し
て唱える。意訳して総持、能持、能遮等ともいう。「記憶して忘れない」という意味 。本来、暗記して繰
り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事を目的とした。「能遮」という意訳は雑念妄想
を「能(よ)く遮(さえぎ)る」という意味である。
(´・(ェ)・`)つ
576
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/21(月) 21:29:01 ID:1d4drIFg0
魚籃観音の賛なのじゃ。
赤い瞼に青巻髪の慈愛深い菩薩なのじゃ。
しかし、自ら疑えば雲雨の中でも夢の如しなのじゃ。
それでは千の眼、大慈悲の観音も看ようとしても見れないのじゃ。
漁師の妻はそれ故に河海に一生観音呪を吟じるのじゃ。
577
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/21(月) 22:07:46 ID:FtEx7/DM0
くま訳改
第二句:しかし、自ら疑えば雲雨の中でも夢の如しなのだ。
第三句:それでは千の眼、大慈悲の観音も看ようとしても見れないのだ。
第三句:漁師の妻はそれ故に河海に一生観音呪を吟じるのだ。
くま質問
「しかし、自ら疑えば雲雨の中でも夢の如し」とは、自分が見たもの、思ったことに対して、ありのまま
に気付いていろみたいな意味でありましょうか?
446
香嚴擊竹
潭水北兮湘水南 たん水の北しゃう水の南
竹枝曲裏口喃喃 竹し曲裏口なんなん
樽前爛醉豪家客 そん前爛醉す豪家の客
不識愁人夜雨談 しらず愁人夜雨の談
くま訳
香嚴擊竹
李白が詠う潭水は北、水墨画に描かれる湘水は南
屈原も歌うはやり歌竹枝はいつまでも歌い続ける
樽の前で酔っ払う豪邸の客
愁人には雨の夜になにを談じたらよいのか分からないのだ。
*潭水:(参)贈汪倫 李白 汪倫(王倫)に贈る 李白
李白乗舟将欲行 李白舟に乗って将に行かんと欲す、
忽聞岸上踏歌声 忽ち聞く岸上踏歌の声
桃花潭水深千尺 桃花潭水深さ千尺
不及汪倫送我情 及ばす汪倫が我を送るの情に
李白は舟に乗って今や出発しようとしていた。
ちょうどその時、岸の上から足を踏み鳴らして歌う声が聞こえてきた。
桃花潭の水は深さが千尺もあるというが、
それでも汪倫が私を送ってくれる情の深さには、及ばないだろう。
*香嚴擊竹:
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/
。
>>117
〜
*湖水:瀟湘八景(しょうしょう はっけい)、山水画の伝統的な画題。瀟水と湘江の合流するあたりを瀟
湘といい、古より風光明媚な水郷地帯として知られる
湘水は、江西省僮族自治区興安県の陽海山を源とし、延々と八百十七キロの旅をして、湘陰県濠河口で洞
庭湖に注ぐ。洞庭湖は、湖南省の長江中流の中南区に位置する。中国第一の湖である
*竹枝:土地のはやり歌なり、劉萬錫、阮湘に在り、俚歌鄙陋なるを以って、乃ち屈原が作る所の九歌によ
りて竹枝新詩を作り、里中の小児をして之を歌わしむ。もと巴蜀の歌なり。(大成脚注)
*喃喃「喃」はしゃべる音、またはしゃべる意) しゃべり続けること。小声でいつまでもしゃべっているさ
まをいう。
*愁人:① 悲しい心を抱いている人。なやみのある人。② もののあわれを解する人。風流人。詩人。文人。
(´・(ェ)・`)つ
578
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/22(火) 21:48:34 ID:1d4drIFg0
↑神仏も疑う心があれば見えないという事じゃな。
信じれば見えるのじゃ。
579
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/22(火) 21:56:31 ID:1d4drIFg0
香嚴が飛んだ石が竹を撃った音で目覚めたという題じゃな。
潭水の北、湘水の南なのじゃ。
流行り歌をひそかに歌い続けるのじゃ。
酒樽の前で酔い乱れる豪家の客なのじゃ。
愁人は夜雨に何を話せば善いのかしらんのじゃ。
580
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/22(火) 22:58:25 ID:5azQ.QpI0
447
傀儡
抽牽者即主人公 抽けんは即ち主人公
地水合成隋火風 地水合じゃうして火風に随ふ
一曲勾欄曲終後 一曲のこうらん曲終ってのち
本然大地忽爲空 本ねん大ぢたちまち空と為る
植田 信隆先生ブログ翻訳・解説より
人形の糸を引く者が主人公であり、
地水からなる粗雑なものが火風のような精妙なものに従うのに似ている。
人形の立ち位置となる手すりがいわば、大地であったが、曲が終われば
忽ち空虚となる
水上勉先生解説より抜粋
案外、この世は、すべて、一曲の人形芝居かもしれぬ。うらで糸をひき、操る者がいて、人も風も、火もう
ごく。操るものは主人公である。その主人公をとっつかまえねばならぬ。いや、その主人公こそ、求めつづ
ける正伝の正体なのだ。狂雲もまた狂風に舞っている。
くま訳
操り人形
糸を引くものが即ち主人公である。
地水が合成して火風に随うようなものである。
演劇一曲の舞台。曲が終って後は、
本来自然の大地、空となる。
*
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>727
*勾欄(こうらん):宋・元(960‐1367)時代,諸都市に設けられた劇場をいう。原義は欄干のことであるが,
舞台のまわりを欄干で囲んでいたため,一般に劇場をこの名でよんだ。
(´・(ェ)・`)つ
581
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/22(火) 23:01:08 ID:5azQ.QpI0
くま質問
『香嚴擊竹』で一休さんは何を詠んでるのでありましょうか?
何も思い浮かばないこともあるという、ありのままを詠んでるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)b
582
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/23(水) 23:06:17 ID:1d4drIFg0
↑竹の音と竹枝にかけているのじゃな。
流行り歌も豪家の客が聞けば楽しいが、愁い人には楽しくないのじゃ。
同じように竹の音で香嚴は悟りを得たが、修行していない者が聞いても何も得られ無いのじゃ。
実践が大事なのじゃ。
583
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/23(水) 23:09:03 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
操り人形の糸を引くものが主人公なのじゃ。
地水が合わさって火風を随わせるようなものじゃ。
一曲の舞台曲が終わり、
本然の大地はたちまち空と成るのじゃ。
584
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/23(水) 23:39:23 ID:IbBEeE2.0
448
東坡像 東ば像
竺土釋迦文殊師 竺土の釋迦文殊師
即今蘇軾更看誰 即こん蘇しょく更に看よ誰ぞ
黄龍禪味舌頭上 黄龍の禪味舌頭の上
萬象森羅文與詩 まん象森羅文と詩と
くま訳
東坡像
天竺の釋迦や文殊師
即今挙げるとすれば、蘇東坡の他に見るべき人はあるまい。
四神の長のような禪機に充ちた言動である
森羅万象を、文と詩で表現しているのである。
*東坡 (とうば):蘇軾 – 北宋の詩人、政治家。号が東坡
蘇軾(そ しょく)1037-1101年)宋代きっての文豪としてもあらゆるジャンルで輝かしい業績をあげた。
書家、画家として優れ、音楽にも通じていた。
東坡居士と号したので、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれる。
経済政策や、教育政策に反対したため、2度にわたり流罪を被り辺鄙な土地へ名ばかりの官名を与えられ
て追放された。
最初の追放は1079年44歳。
左遷先の土地を東坡と名づけて、自ら東坡居士と名乗った。黄州での生活は足かけ5年にも及び、経済的
にも自ら鋤を執って荒地を開墾するほどの苦難の生活だったが、このため彼の文学は一段と大きく成長し
た。流罪という挫折経験を、感傷的に詠ずるのではなく、彼個人の不幸をより高度の次元から見直すこと
によって、たくましく乗り越えようと努めた。1086年に名誉を回復され50歳で中央の官界に復帰した。
1094年に再び左遷され(59歳)、恵州に流され、さらに62歳の時には海南島にまで追放された。二度目
の追放である。黄州時よりもより高い役職に就いていた為、左遷時の罰も重かった。それでも飽き足りな
かった朝廷側は、場所をさらに恵州から昌化軍(現在の海南島西部)に移した。熱帯で異民族の黎(ロ
イ)族がいる環境で一層侘しい生活を送る。
66歳の時、ようやく許された。名誉職を授けられたが、都に向かう途中病を得て、常州で死去した。し
かし、この苛酷な運命にあっても、彼の楽天性は強靭さを失わず、中国文学史に屹立する天性のユーモリ
ストであった。
*黄竜:中国の伝承五行思想に現れる黄色の竜。黄金に輝く竜であると言う異説もある。四神の中心的存在、
または、四神の長とも呼ばれている。黄竜は皇帝の権威を象徴する竜とされたが、後に麒麟と置き換えら
れたり、同一視されるようになった。
* 東坡のことを正しく評価できた一休さんは、やっぱりすごいでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
585
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/24(木) 21:18:51 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。
東坡の像なのじゃ。
天竺の釈迦や文殊菩薩を
今蘇軾以外に誰に看られるか。
黄龍の禪味が舌頭の上にあるのじゃ。
森羅万象がその文と詩にこめられているのじゃ。
586
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/24(木) 23:56:38 ID:rzzREG9o0
449
童子南詢圖 童子南詢の図
知識華嚴五十三 知識華嚴五十三
美人焦熱抱持談 美人焦熱抱持の談
南方佛法非吾事 南方佛法吾が事のあらず
膓斷風流童子参 膓斷す風流童子の参
くま訳
善財童子南方を尋ね廻るの絵
華厳経によると善知識五十三人を尋ね廻った
布施行を実践する美人・信女自在や、 苦行により煩悩を焼き尽くす波羅門方便命が、色々と持ちネタを語るのだ
南方佛法は、わしには関係ないのだ
興味をそそる、風流ば童子と五十三人の交流ではある。
*善財童子(ぜんざいどうじ)は、仏教の童子の一人であり、『華厳経入法界品』、『根本説一切有部毘奈
耶薬事』などに登場する。
『華厳経入法界品』については仏道修行する内容で広く知られる。
インドの長者の子に生まれたが、ある日、仏教に目覚めて文殊菩薩の勧めにより、様々な指導者(善知
識)53人を訪ね歩いて段階的に仏教の修行を積み、最後に普賢菩薩の所で悟りを開くという、菩薩行の
理想者として描かれている。 善知識の中には比丘や比丘尼のほか外道(仏教徒以外の者)、遊女と思わ
れる女性、童男、童女も含まれている。
*十、 波羅門方便命226(苦行により煩悩を焼き尽くす)
十四、信女自在227年尚ほ若く花のような容色(布施行)
*断腸:① はらわたを断ち切ること。また、はらわたがちぎれるほどの悲しさ、つらさなどをいう。② は
なはだしく興趣のあること。また、哄笑するほどおもしろいこと。
(´・(ェ)・`)つ
587
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/25(金) 22:49:35 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
善財童子が南を巡った話というのじゃ。
華厳経には童子が五十三の善知識とあったというのじゃ。
美人とか熱いものをもち続ける者とかなのじゃ。
南方仏教はわしの専攻ではないが、
風流童子の善知識のもとに推参する話はとても面白いのじゃ。
588
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/25(金) 23:37:51 ID:4B.mEajw0
450
亂世正工夫 亂世しゃう工夫
丈夫須具正見
諸妄想隋境現 諸々の妄ざう境に随って現ず
馬問良馬麼無 馬は問ふ良馬なりやいなやと
人答此刀利劍 人は答ふ此のとう利劍
くま訳
乱世に於ける正しい工夫
一人前の男は須らく正しい物事の見方考え方を具えなければならないのである。
諸々の妄想は世界環境の変化に随って現れる。
良馬かどうかと問う、(愚者は生れの良し悪しを問う、)
人は答える、この刀は、剣として使えると。(賢者は、能力の存否を問うのである。)
(´・(ェ)・`)つ
589
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/26(土) 21:45:52 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
乱世の正しい工夫なのじゃ。
大丈夫はすべからく正見を身に付けるべきなのじゃ。
もろもろの妄想は環境や境地に従って現われるものじゃ。
馬は己を良馬か否かと問うじゃろうか。
人はこの刀は利剣と答えるじゃろうか。
590
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/26(土) 22:20:52 ID:ZSZp25UE0
くま訳改
馬は己を良馬か否かと問うであろうか。
人はこの刀は利剣と答えるであろうか。
451
羅漢菊
茶褐黄花秋色深 茶褐黄花秋色深し
東籬風露出塵心 東籬の風露出塵の心
天台五百神通力 天台五百の神通力
未入淵明一片吟 未まだゑん明が一片の吟に入らず
柳田聖山先生訳
羅漢菊
茶褐色の羅漢菊が晩秋を彩る
東の垣根は風露に濡れ静寂だ
天台の羅漢らは神通力も衰え
陶淵明の詩情一句に及ばない
くま訳
茶褐色の羅漢菊が咲き誇る晩秋
東のまがきの菊に吹く清らかな風が、俗心をあばき出す。
天台五百羅漢の神通力は、
陶淵明の一片の詩にも及ばない
*東籬風露出塵心:東のまがき、東籬の君は菊をいふ、陶淵明が東籬に菊をうゑしよりいふ(大成脚注)
*天台五百神通力:天台山の石橋は、古来五百羅漢の霊場として大いに崇敬せらる(大成脚注)
*風露:風と露か、露出か?柳田先生と違う解釈をしてみた。
*塵心(じんしん):俗塵に汚れた心。俗世間の名利をむさぼる心。俗心。
(´・(ェ)・`)つ
591
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/27(日) 21:18:17 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
羅漢の菊じゃな。
茶褐黄色の花が咲いて秋が深いのじゃ。
東籬の風は塵心を露出するのじゃ。
天台の羅漢五百人の神通力は、
陶淵明の一片の詩にも入らないのじゃ。
592
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/27(日) 22:27:26 ID:.vBRUEPs0
452
示入定僧 入定僧に示す
塵縁塵境萬端稠 塵縁塵境萬端しげし
到此誰人截衆流 ここに到って誰人か衆流をきらん
誓心決定魔宮動 誓心決じゃうすれば魔宮動く
長信西風琪樹秋 長信の西風き樹の秋
くま訳
禅定に入ろうとする僧に示す
俗世間との関係、諸々の感覚の対象は煩わしいものでる。
であれば、この世の妄想や気を散らす邪魔な考えを完全に断ち切ろうとする者は誰かいないか、
強い決意さえあれば、魔宮でも動かせるのだ
長信愁詞のように、ただ嘆いているだけでは取り逃がしてしまうのである。しっかり、定をつかまえるのだ。
*入定:原義は単に「禅定に入る」
*塵縁:俗世間のわずらわしい関係。世俗とのつながり。
*塵境:六根の対象となる、色・声・香・味・触・法の六塵。
*稠し:おおい。しげる。こ(濃)い。こみあう
*截断衆流(せつだんしゅる):この世の妄想や気を散らす邪魔な考えを完全に断ち切ること。「截断」は断
ち切ること。「衆流」は様々なものの流れという意味から、雑念や煩悩のたとえ。「衆流を截断す」
*琪樹:(きじゅ)玉のように美しい木。雪をかぶった木のさま。
*西風:秋風。
*長信の西風き樹の秋:李白が長信秋詞の詞に曰、「眞成薄命久しく尋思す、夢に君主を見て覚めて後疑ふ、
火は西宮を照らして夜飲を知る、分明に複道恩を奉ずる時」と。夢に見る位では到底駄目である、現に之
れをとらへなければならぬと云ふ意なり・・と(大成脚注)にありましたが、長信秋詞は・・王昌齢 の作
らしいのである。
長信秋詞 王昌齢
長信宮に孤独な秋の夜を過ごす班はん婕しょう妤よの嘆きを歌ったもの。。
王昌齢 … 698〜755。盛唐の詩人。727年進士に及第。秘書省の校書郎に任ぜられたが、素行が悪かったた
め、左遷された。のちに安禄山の乱が起こったので故郷に逃げ帰ったが、殺されたという。李白とともに七
言絶句の名手として有名。。
眞成薄命久尋思 真成に薄命なるかと久しく尋思し
夢見君王覺後疑 夢に君王を見 覚めて後疑う
火照西宮知夜飮 火は西宮を照らして夜飲を知しる
分明複道奉恩時 分明なり 複道に恩を奉ぜし時
真成 … ほんとうに。真実に。
薄命 … 不幸せなこと。不運。薄運。
尋思 … いろいろ考えること。次々と思いをめぐらすこと。
西宮 … 長信宮。
夜飲 … 夜の酒宴。
分明 … ありありと、はっきりとしていること。
複道 … 上下二重の宮中のわたり廊下。上は天子、下は臣下が通る。
奉恩時 … 天子の寵愛を受けたとき。"
*長信(ちょうしん、1014-1072年:平安時代中期の真言宗の僧侶。1054年には東寺と真言宗全体の長であ
る第29代東寺長者に任じられて法印に昇進する。1066年)権僧正となり、この年の旱魃に際して僧侶20
人を率いて雨乞いの修法を行った。1070年には僧正に任じられて、後三条天皇の信任が厚く、この年に
は百官を連れて長信の元を訪れ、封戸25戸を下賜された。
(´・(ェ)・`)つ
593
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/28(月) 20:59:43 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
入定する僧に示すのじや。
入定しようとすれば万端の塵の如き縁と塵の如き境界が激しく襲い掛かるじゃろう。
そのような心境に至っても誰か衆流を切ろうとすれば、
その誓心の決定が魔宮をも動かすのじゃ。
西風の長い便りが宝樹を揺らして秋を知らせるようなものじゃ。
594
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/28(月) 22:40:45 ID:vmWuQ8p20
くま訳全面改
入定しようとすれば万端の塵の如き縁と塵の如き境界が激しく襲い掛かるであろう。
そのような心境に至っても誰か衆流を切ろうとすれば、
その誓心の決定が魔宮をも動かすのだ。
西風の長い便りが宝樹を揺らして秋を知らせるようなものである。
453
圓悟大師投機 圓悟大師の投機
沈吟小艶一章詩 沈吟す小艶一章の詩
發動乾坤投大機 乾坤を発動して大機を投ず、
撃竹見桃若相問 きゃく竹見桃若し相問はば、
須彌脚下石鳥龜 しゅみ脚下の石うき
蔭木英雄先生訳・解説
(園悟禅師は)小艶詩を静がに吟じて
天地を動かし仏祖の機(はたらき)に合致して大悟した
香厳和尚の撃竹や霊雲禅師の見桃(の大悟の契機)をもし問う者がいたら
ワシは「二人とも須弥壇下の黒亀のような大馬鹿者じゃ」と答えようぞ。(小艶詩はすばらしい)
一休の師の華聖宗曇は諡号を大機弘宗禅師というので、承句は起句と同様、一種の懸詞である(禅文学では
機縁の語という)。従って起承句は、
わし(一休)も小艶詩を吟じて、天地を憾がして華叟老師に参禅した。と解釈する事が可能である。香厳智
閑と霊雲志勤とが、石烏亀の如くに不動であったのに対し、園悟と一休とは、小艶詩を吟じて天地を震憾さ
せたのだった。
くま訳
円悟大師の悟りについて
小艶詩をじっくりと吟じて、
天地を動かして、大いなる機に身を投じ、一体となったのだ。
香厳撃竹や霊雲見桃に付いて、もし問う者があれば、
須弥壇の下の石の亀のように、彼等は不動であったとだけ言っておこう。
烏亀(うき)中国語(亀の正式な呼び方)・・亀は首をすくめて甲羅の中に隠れることから、不甲斐ない男
という意味に使われる・・侮蔑語として使われることがあるらしい。
@禅学大成のみ、石烏亀⇒赤烏亀
(´・(ェ)・`)つ
595
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/29(火) 22:00:10 ID:1d4drIFg0
よくできたのじゃ。
円悟大師の投機なのじゃ。
小艶一章の詩を沈吟したのじゃ。
天地を揺るがし大いなる投機を得たのじゃ。
竹を打つ音や桃を見る投機について問われれば
須弥山の下の石の鳥亀の如しというのじゃ。
596
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/29(火) 22:56:51 ID:gyukOno20
454
@民友社版、454の詩の題は、「見桃花悟道」である。
禅学大成と寛永版は、「見桃花圖 二首」、 261の詩と454の詩を分類している。
ここに於いては、民友社版分類に随った。
参)261の詩「見桃花圖」
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/
>>173
又、民友社版は、玄沙が玄妙となっているが、玄沙と読んだ。
見桃花悟道
開陣玄妙法戦場 陣を開く玄しゃの法戦場
宗門議論老禪場 宗門の議論老禪の場
衲僧遊戯諸三昧 衲僧ゆけ諸三昧
拄杖腰包桃李場 しゅ杖やう包桃李の場
くま訳
桃花を見て悟りを開く件に付いて、
玄沙師備禪師は法戦場での議論をやめたのだ。
禅宗各派は昔から議論に明け暮れてるのである。
禅僧であれば誰でもお遊びの様に三昧の境地に到れるのだ。
杖を持って行脚をし、錢を持って師匠の試験を受けに行き、悟りの印可をもらう方法を議論する場になって
しまっているのだ。
*開陣:かいじん、陣を開く: 兵を引き揚げ、陣営をあけること。帰陣(きじん)。
*玄沙:玄沙師備禪師なり(大成脚注)
玄沙師備(げんしゃ しび、835-908年、号は宗一大師。
30歳まで漁師をしていたが(異説あり)、突然出家を思い立ち、芙蓉霊訓の所で出家した。兄弟子に当
たる雪峰義存と意気投合して、共に雪峰山に登って寺院を開創した。
雪峰門下においては堅固な求道者ぶりから「備頭陀」と称されるほどで、一番弟子として布教を行い、閩
の王審知の帰依を受け、師の雪峰と共に政庁で供養を受け、紫衣と宗一大師の号を賜った。
のちに独立して玄沙院で布教活動を続け、雪峰の禅風を発展させて「十方世界は一顆の明珠」という独自
の思想を開発し、やがてそれは羅漢桂琛・法眼文益と受け継がれ、五家七宗の一つである法眼宗へと発展
していった。
864年 出家、道玄律師のもとで具足戒を受ける
866年 雪峰義存に嗣法
この世界は全て悟りその物であるという、「尽十方世界は一顆の明珠」という思想を成し遂げ、その豪快
な禅風は、多くの弟子を教化した。
*法眼宗
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>665
*拄杖(しゅじょう)つえ。特に、禅僧が行脚(あんぎゃ)のときに用いるつえ。
*腰包(中国語)(腰につける)きんちゃく,銭入れ.(比喩的に)懐,財布.
*桃李:1 桃とすもも。また、桃の花とすももの花。2 《唐の劉禹錫 (りゅううしゃく) の「満城の桃李
春官 (しゅんかん) に属 (しょく) す」の詩句から》試験官が採用した門下生。自分がとりたてた人材。
*261の詩、鬼和尚訳解説(2020/12/23(水)再掲
見桃花圖
見處風流悟道心 見るところ全てが風流であるというのが悟道の心というのじゃ。
桃花一朶價千金 桃花の一枝さえ千金の値があるように見えるのじゃ。
瑤池王母春風面 それは天の池に居る西王母が春の風に面を向けているようじゃ。
我約愁人雲雨吟 わしは愁人が雲雨に降られようとも詠い続けることを約束するのじゃ。
(´・(ェ)・`)つ
597
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/06/30(水) 21:27:10 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
霊雲が桃の花を見て悟ったというのじゃ。
玄妙なる法の戦場が開陣したのじゃ。
宗門の議論は老いた禅場なのじゃ。
真の僧は諸々の三昧に遊ぶのじゃ。
杖を腰に包み、桃李の場に休むのじゃ。
598
:
避難民のマジレスさん
:2021/06/30(水) 22:37:55 ID:uGxGcTws0
くま訳改
第二句:宗門の議論は老いた禅場なのだ。
第四句:杖を腰に包み、桃李の場に休むのだ。
455
不飲酒戒 不おん酒戒
痛飲三盃未濕唇 痛飲三盃未まだしんをうるほさず
醉吟只慰楽天身 醉吟只だ慰す楽天が身
稜道者任念氣處 りょう道じゃ念氣のところに任す
宣明酒伴也誰人 宣明酒伴また誰人ぞ
くま訳
不飲酒戒
三杯、ぐっと飲み干しても満足することはない。
酔って吟じ、ただ。ただ身心を安らげるのである。
威光ある仏道を歩むものとして、思うところに任せるのだ。
酒は我が友であると宣言してはばからない僧は他にいるか。
*楽天:自分の運命や境遇を、天から与えられたものとして受け入れ、物事にあくせくしないこと。人生を
楽観すること。のんきなこと。⇔厭世。
(´・(ェ)・`)つ
599
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/01(木) 21:58:06 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
痛飲三杯でも唇を潤せないほどなのじゃ。
ただ酔っ払って詩吟をするのが楽しい身なのじゃ。
千鳥足で行く者は気に入りの所に行くのじゃ。
酒を共にすると宣明する者は誰かおらんかのう。
600
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/01(木) 22:46:15 ID:DZtocCFw0
くま訳改
第三句:千鳥足で行く者は気に入りの所に行くのだ。
456
誹謗三寶戒
杜撰飯袋悪禪和 杜撰の飯たい悪禪な
塞壑滿溝亡國家 がくにふさがり溝に満ちて國家を亡ぼす
歸依佛法僧檀越 帰依佛法僧の檀のつ
閑看世間殘照斜 閑に看る世間殘照のななめなるを
くま訳
仏・法・僧の三宝をそしることを禁じる戒
杜撰な無駄飯ぐらいの悪辣な禪者達が、
溝をうずめ、谷をふさぐようにそこらじゅうで、幅を利かせると国が滅びてしまう。
仏・法・僧に帰依する檀家さんたちは、
落ち着いて世間の残照を見るのだ、斜に構えて見るようにするのだ。騙されてはいかんのだ。
*謗三宝戒(ほうさんぼうかい)
仏・法・僧の三宝をそしることを禁じた戒。このようなことを誰かに教えて、させることも禁止されてい
る。不誹謗ふひほう三宝戒、毀謗きほう三宝戒、助謗じょぼう三宝戒などともいわれる。菩薩は、仏教徒
以外の人や悪人が仏をそしるのを聞いたときには、自らの心が切り刻まれるような思いをすべきであり、
また人々を教え導くことを役目とするのに、自ら三宝をそしり、あるいは他人に三宝をそしらせ、悪人を
増長させ間違った考えを助長させるのであれば、波羅夷罪とされるのである。
*"壑(ガク・たに・ みぞ)
渓壑1 深い谷。渓谷。2 深い谷川の水は尽きないところから欲望が次から次と起こって満足を知らない
ことのたとえ。
填溝塞壑:「溝に填ち壑を塞ぐ」と読み、別々の物が一体になっている様子を示す言葉。
而今の大悟は、自己にあらず、他己にあらず、きたるにあらざれども、填溝塞壑なり、さるにあらざれど
も切忌隨他覓なり。 『正法眼蔵』「大悟」
*「填溝塞壑」(みぞをうめたにをふさぐ)
少しの隙間もなく(真理で)満たされていること。<あたり一面真理で満たされているにもかかわらず、
それに気付く者がいない>と碧巌録には記述されている。【碧巌録・宋】
*檀越(だんのつ だんおつ)〈梵〉dāna-patiの音写。施主の意》寺や僧に布施をする信者。檀那。檀家。
(´・(ェ)・`)つ
601
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/02(金) 21:59:32 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
三宝を誹謗するのを禁じる戒じゃな。
杜撰な飯袋の悪禅者は、
谷に落ち溝に満ちて国家を滅ぼすのじゃ。
仏法僧に帰依する檀家の者は
静かに世間を斜めの残照から見るのじゃ。
602
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/02(金) 23:19:15 ID:Vo1wDGXs0
457
寒夜嘆雪山鳥 寒夜雪山の鳥をたんず
朝來公案晩來吟 朝來の公案晩來吟ず
求食忘巢前業深 じきを求め巢を忘じて前業深し
晝夜人人雪山鳥 昼夜にんにん雪さんの鳥
無間苦痛月沈沈 無げんの苦痛月沈沈
くま訳
夜寒さを嘆く雪山の鳥
朝が来ると公案に取り組み、夜になると詩を吟じる
食(欲)を求め、巣作り(やるべきこと)を忘れる。前世の業が深いのだろう。
昼夜別なく、皆、雪山の鳥の苦を思わねばならぬのだ。
無限に苦痛は続くのだ。風流な月は沈んでゆくのだ。
*雪山の寒苦鳥 大谷大学HP
印度の雪山( せつせん)、高みなる故夜の寒気、それはそれはすさまじく草木も凍るが、昼また陽光あ
たたかなり。この雪山に、寒苦鳥と名付く鳥あり。夜は寒苦に堪えず、岩の間( はざま)に身をおいて、
がたがたとふるえ乍ら、「明日は必ず巣を作らん、明日は必ず巣を作らん」と鳴いて一夜を送り、夜明く
れば、朝日の暖かさにたちまち寒苦を忘れ、一日を遊び呆け、夜はまた寒苦に泣くとある。
近世後期の法座手控の類に多く見える故、寺院における法談の隆盛と共に成長した説話であろう。
ただし、これは生活の中の仏教用語ではなく、我々の心の実際の有様を、「怠惰から生れた希薄な決意な
ど、何の役に立とうか」と喝破した、仏教の眼である。
*前業:前世の業因。これによって現世の禍福が定まるとされる。先業
(´・(ェ)・`)つ
603
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/03(土) 21:10:17 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
雪山の寒苦鳥の嘆じゃな。
朝に公案を練り、夜に詩吟するというのじゃ。
食を求めて巣を忘れる前世の業の深さなのじゃ。
昼夜人々は寒苦鳥を思うのじゃ。
無間地獄の苦痛に人は嘆くも、月は沈んでいくのじゃ。
604
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/03(土) 23:03:02 ID:cSbDI/2w0
458
畫虎 画虎
覿面當機誰一拶 てき面当機誰か一拶せん
寒毛卓竪老岩頭 寒毛卓じゅ老岩頭
恠哉儞在扶桑國 あやしいかななんじ扶桑國にあり、
凛凛威風四百州 凛々たる威風し百州
くま訳
画虎
まのあたりに、正面対峙して、ためしてみようなどと誰も思うまい。
盗賊に殺される際にも、大いに吼ゆること一聲した岩頭和尚でさえも、身の毛もよだつ恐ろしさを感じるだ
ろう。
不思議なことである。汝は日本国に居る、
なのに、その凛々たる威風堂々の姿は全世界に知れ渡っているのだ。
*覿面:「まのあたり」といふことなり(大成脚注)
*老岩頭:岩頭和尚、常に曰、「死にあたて正に一吼すべし」と。唐の光啓中、仲原賊起り、師を責むるに、
供の饋(おく)ることなきを以ってし、遂に刄を倳(し)するに、神色自若、大いに吼ゆること一聲し了って
寂す、其の意気又比すべきか。(大成脚注)
*一拶(いっさつ):(「拶」は強くふれる意) 禅家で、禅者同士が出会うときに、ことばや動作で相手をた
めすこと。
*寒毛卓堅(かんもうたくじゅ):恐れあわてるるさま。悚然(しょうぜん)
*四百州:中国全土のこと。
*伊井暇幻先生訳・解説抜粋
画虎よ、オマエと真正面から出会い頭に顔を合わせ、誰が落ち着いて世辞なんぞ言えようものか。
侵略軍に包囲されてもジタバタするどころか、却って殺された瞬間に生命の重さを主張し暴力を叱咤して
遙か彼方まで聞こえる叫びを上げた豪毅な岩頭老和尚でさえ、鳥肌を立て恐ろしがるに違いない。
不思議なことだ。画虎よ、オマエは日本にいる。
なのにオマエの発する威風は、中国全土さえ圧している
一休は、「自山中帰市中」で他の禅僧に負けぬ宗教倫理を堅持していることを宣言した。当然、反論が予
想される。女郎街に入り浸る破戒僧が何を云うか、と。対して一休は、老婆焼庵の公案を引き合いに出し、
「清浄の沙門」をこそ糾弾する。更に「画虎」で、自分は甚だ強固な倫理を以て自律していると主張する。
狂雲集に載す「画虎」は、表面上の破戒を繰り返す一休が心に秘めた宗教倫理であった。
*自山中帰市中:
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/
>>959
165の詩
*くま質問
「儞在扶桑國」この儞(なんじ)とは、一休さん自身のいことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
605
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/04(日) 23:56:51 ID:1d4drIFg0
↑岩頭和尚のことじゃな。
扶桑國とは神仙が住むという仙境なのじゃ。
虎の絵の賛にみせかけて岩頭和尚の賛じゃな。
誰が面と向かって挨拶できるじゃろうか。
岩頭和尚にあえば皆恐れるのじゃ。
災いにあって和尚は仙境に在るが、
威風凛々として中国全土に名は轟いているのじゃ。
606
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/05(月) 00:10:29 ID:d.4pDBUY0
くま訳全面改
誰が面と向かって挨拶できるだろうか。
岩頭和尚にあえば皆恐れるのだ。
災いにあって和尚は仙境に在るが、
威風凛々として中国全土に名は轟いているのだ。
9
寄南江山居 南江の山居に寄す
天下禅師賺過人 天下の禅師人をけん過 す
黒山鬼窟弄精神 黒山鬼窟に精神を弄す
平生杜牧風流士 平生杜牧は風流士の
吟断二喬銅雀春 吟じ断つ二喬けう銅雀の春
くま訳
山居している 南江宗沅に送る
天下の禪師は人をたぶらかしてるのである。
邪悪な外道が精神を疲れさせてるだけなのだ
つねひごろ、杜牧は風流な人であった
天下分け目の赤壁の戦いを、二人の美女が曹操のものになっていたかという詩にまとめてしまっているのである。
*南江宗沅(なんこうそうげん)1387-1463僧,五山文学者。一休を師として参禅に励むかたわら、堺で
ともに遊んだ。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/
>>822
126の詩
*野毛孝彦先生解説:一休と同じく淫坊を往来して女を愛した南江に対して、杜牧と同じ悠々たる風流の士
であることを詠んだもの。"
*賺過:たぶらかす を云ふ(大成脚注)
*黒山鬼窟(こくさんきくつ):不浄な苦悩に満ちた山やおそろしい鬼などの住むほらあな。転じて、蒙昧
な外道(げどう)の世界のたとえ。仏道以外の邪悪な世界。
*二喬銅雀春:杜牧之の赤壁の詩に曰く、「折戟沙を沈めて恨み未だ鎮せず、自磨洗を将って前朝を験めす、
東風周郎の與に便ぜずんば、銅雀春深うして二喬を鎖さん」と。赤壁の戦いに曹操、周瑜の爲に破れ、二
喬をとらる。(二喬は二人の美女、喬公の両女をいふ。)(大成脚注)
*おまけ
折戟沈沙鐵未銷 折戟(せつげき)沙に沈んで 鉄未だ銷せず
自將磨洗認前朝 自ら磨洗をもつて 前朝を認む
東風不与周郎便 東風 周郎の与に便せずんば
銅雀春深鎖二喬 銅雀 春深うして 二喬を鎖(とざ)さん
左大臣光永先生HP訳・解説抜粋
砂の中に折れた矛が埋もれていた。
掘り出してみると鉄はいまだにさび付いていない。
自分で磨いてみると、まさに三国時代のものとわかった。
もし赤壁の戦いで、呉の周瑜や蜀の諸葛亮が望んだように東風が吹かなかったら、
美人で名高い大喬・小喬姉妹は魏の宮殿【銅雀台】に捕らえられ、曹操の慰みものにされていただろう。
赤壁の戦い(208年)は、孫権・劉備連合軍が曹操軍を破った戦いです。
この時、孫権軍の最高司令官周瑜は、武将黄蓋の策を容れて魏の船団の密集している所を焼き討ちにします。
この策が成功するにはどうしても東南の風が吹くことが必要だったのです。それを孔明が天に祈って風を吹
かせたという話です。
周瑜公瑾(175年 – 210年)「美周郎」などといわれ、イケメンの印象が強い人です。大喬・小喬姉妹は呉
の喬玄の美人姉妹。 姉の大喬は孫策に、妹の小喬は周瑜に嫁ぎました。
【折戟】 折れた矛。 【未銷】 まだ錆びていない。
【前朝】 以前の王朝。三国時代。 【銅雀】 曹操の宮殿。銅雀台。
(´・(ェ)・`)つ
607
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/05(月) 21:20:13 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
天下の禅師は布施を稼ぐめに人をだますのじゃ。
里山や鬼窟で精神をもてあそぶのじゃ。
平生は風流士として通っていた杜牧が、
詩では二喬が銅雀台で春を詠っていたであろとう断じるようなものなのじゃ。
608
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/05(月) 21:47:01 ID:7xB60k7w0
460
佛成道 仏じゃう道
天上人間称獨尊 天上人間獨尊と称す
今朝成道受誰恩 こんてう成道たれか恩を受く
分明衲子流星眼 ふんみょうなりなっす流星のまなこ
便是瞿曇的々孫 すなはちこれぐどんてきてきのそん
くま訳
この全宇宙で人間のみができる、たった一つの尊い目的があるのだ。
釋迦が成道されたことによる恩義を、今、受けているのは誰であろうか、
それは、修業する禅僧であることは、彼らの眼の輝きを見れば明らかである。
すなわち、ゴータマの教えが正しく伝わっているのだ
*瞿曇 (くどん)〔梵 Gautama〕仏教の開祖釈迦の姓。ゴータマ。
(´・(ェ)・`)つ
609
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/06(火) 21:48:20 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
仏陀の成道じゃな。
天上天下唯我独尊と称するのじゃ。
今、誰がその成道の恩を受けているじゃろうか。
目を光らせた今の僧であることは明らかなのじゃ。
即ちこれらのものがゴータマの後々の孫なのじゃ。
610
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/06(火) 22:31:36 ID:Xw4gRdPM0
461
太平正工夫 太平しゃう工夫
天然胡亂正工夫 天然うろんの正工夫
昨日聡明今日愚 さくじつの聡明こんにちの愚
宇宙陰晴任變化 宇宙の陰晴變化に任す
一囘斫額望天衢 一回しゃく額して天くを望む
くま訳
世の中が平和に治まるための工夫
天性怪しい人の工夫
昨日は聡明だったのに、今日は愚かだったり、
宇宙全体、はっきりしたり、ぼやけたり、変化に任せる
一度額に手を当てて、天への分かれ道を考えてみる。
*太平: 世の中が平和に治まり穏やかなこと。また、そのさま
太平興国南禅禅寺:臨済宗南禅寺派の総本山。瑞竜山と号し,正式には太平興国南禅禅寺という。
*胡亂(うろん)1 正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。2 確かでないこと。真実かどうか疑わし
いこと。また、そのさま。3 乱雑であること。また、そのさま。
中国語はっきりしない、あやしげな。うさんくさい。いい加減な、でたらめな。
*陰晴:曇りと晴れ。晴曇(せいどん)。"
*斫額望汝(しゃくがくして汝を望まん。さだめし人はみな額に手をかざして遙かにお前を見上げて、敬遠
することであろうて)
(´・(ェ)・`)つ
611
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/07(水) 23:47:42 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
太平の世の正しい工夫というのじゃ。
正しい工夫などもとから天然胡乱なものじゃ。
修行者は昨日は聡くても、今日は愚になったりするからのう。
宇宙の陰晴の変化に任せるのじゃ。
一度は額に手を当てて天国を望むと善いのじゃ。
612
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/08(木) 01:48:57 ID:GUxYpGdQ0
462
不行成佛 成仏を行ぜず
天然之釋迦彌勒 天然の釋迦彌勒
六六元来三十六 六六元来三十六
達磨九年佛六年 達磨く年佛六年
成佛作祖盡精力 成佛作祖精力を尽くす
くま訳
死んで成佛するための修行ではないのである。
本来、元から釈迦・彌勒なのだ。
六根六境、感覚や意識とその認識対象を分別し、認識主体ありとする凡人も、本来仏なのだ。
達磨は九年、釈迦は六年修行したのだ
仏であることに気付く為に全精力を尽くすのだ
*六六元来三十六
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/
>>959
166の詩
(´・(ェ)・`)つ
613
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/08(木) 21:58:38 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
仏は成るものではないというのじゃな。
釈迦も弥勒もありのままのものなのじゃ。
六根六境は元から三十六なのじゃ。
達磨は九年、お釈迦様は六年
祖師は精力尽きて成仏をなしたのじゃ。
614
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/08(木) 22:27:42 ID:lR2AhK260
463
亂中大嘗会 乱中大嘗会
當今聖代百王蹤 当今の聖代、百王のあと、
玉体金剛平穏客 玉体金剛平穏のすがた
風吹不動五雲月 風吹けども動ぜず、五雲の月、
雪圧難摧万歳松 雪おせどもくだけ難し、万歳の松。
『雑学の世界』HP解説・訳 抜粋(年表解説含む)
文正元年(1466)12月後土御門天皇の大嘗会(だいじょうえ)に対して、彼は「乱中大嘗会」と題し、次のよ
うに詠んだのである。
現在今上(きんじょう)の御代は、歴代の帝王の後裔によるが、
その帝のお体は金剛石のごとく不動で安らかである。
この皇位は風が吹いてもびくともせぬ五色の雲中の月のごとく、
雪が積もってもくだけることなく、万年の寿(ことぶき)を保つ松のようである
*亂中:(1466年文正元年 一休73歳-市川白弦氏・関連略年表)
四月義政宴楽にふける。費用巨額。加えて大嘗祭挙行。諸国の疲弊甚しく諸将臨時の課役に堪えず、しき
りに民戸に強要し富家に借り、徳政を行って返却せしめず。四民蜂起売米売酒を劫掠。「悪党」ら酒屋・
土倉に乱入、所々に放火、馬借、下層町人ら加わる。奈良馬借一揆。興福寺等の学侶ら武装出陣。
これは応仁の乱の前夜で、乱世を作る物騒(ぶっそう)な世の中である。だから皇位も世相も決して一休の
詠んだように「風吹けども動ぜず」「雪圧せども摧け難し」というものではない、・・・、(大嘗祭)これ
は皇室の権威をできる限り取り戻そうとする大事な行事だから、一休は口を極めて賛美したのである。。
くま訳
乱中大嘗会
今上陛下は、歴代の後裔であります。
お体は金剛の様にお強く、平穏なおすがたであります。
風吹けど動ぜず、五月の雲の中の月のようであります。
積雪でくだける事の無い、万歳の松のようであります。
(´・(ェ)・`)つ
615
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/09(金) 21:52:48 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
乱の中の大嘗会じゃな。
今の天皇陛下は百王の後裔なのじゃ。
その玉体はダイヤモンドのように平穏なのじゃ。
風吹けど動じない五色の雲の月なのじゃ。
雪が積もっても砕けない万歳の松なのじゃ。
616
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/09(金) 23:12:24 ID:OqAvNVVA0
464
作偈博飯喫 偈を作りはんにかへて喫す
來往東山昔如今 とうざんに来往す昨日今日の如し
飢時一飯価千金 き時の一飯あたひ千金
茘支素老仏魔話 茘支素老仏魔の話
慙愧詩情風月吟 慙愧す詩情風月の吟
蔭木英雄先生訳・解説抜粋
東山建仁寺に昔も今も往来し
空腹時の一椀の飯は千金の価値がある
茘支をたべた清素は仏魔の話をしたが
ワシば飯をたべ詩情を抱いて風月を吟じるのははずかしい
一休は周建と称した少年時代、
東山建仁寺の慕喆龍攀(ぼてつりゅうはん)につき「三体詩」を」学んだ。・・・兜率従悦(とそつしょうえつ
1044-1091)は淸素首座に茘子を献じたあと、自分の修行経過や見解を述べた。すると清素は、
只だ仏に入るべきも、魔に入るべからず。須らく知るべし、古徳の、「末後の一句始めて牢関に到る」と
謂いしことを。
と述べ、兜率を導いた。― この禅宗史話を踏まえて転結句を解釈しなおすと、
(故郷の果物の)茘子を食った清素首座は、(茘子をくれた兜率に)仏魔の公案を与えて接化教導した。とこ
ろが、作偈の代償に飯を食ったワシは修行者を指導することなく風月を吟じているのが愧かしいわい。となる
くま訳
偈を作り売って飯を食う
東山建仁寺に昔来ていたのが、まるで昨日のようだ。
飢えてる時の一椀の飯は価千金である。
茘支をたべた素老は仏魔の話をしたが、
ワシは食うために、風月に対する詩情を吟じるのははずかしいのである
(´・(ェ)・`)つ
617
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/10(土) 23:04:24 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
偈を作り飯にかえて食べるのじゃ。
東山に来たら昔が今の如しなのじゃ。
餓えた時の一飯は価千金なのじゃ。
素老は茘支で仏魔の話をしたが、
わしは詩情で風月を吟詠するだけで恥ずかしいばかりなのじゃ。
618
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/10(土) 23:37:33 ID:caBPdlkw0
465
因亂寄坊城小納言詩 乱に因りて坊城少納言に寄す 詩
當代菅儒小納言 当代菅儒少納言
詩文家業動乾坤 詩文の家業乾坤を動かす
英雄亂世好風月 英雄乱世に風月を好む
長劍大弓酬主恩 長劍だいきゅう主恩にむくゆ
くま訳
戦乱に際して、坊城少納言に寄す
当代の菅儒小納言殿、
詩文の家業は天下を動かすものであります。
英雄は乱世においても風月を好むものであります。
長劍、大弓で主恩に酬いるのであります。
*wikiによると、東坊城和長が少納言に叙せられたのは、一休さんの死の5年後でありますが、おそらく、
この人の事でありましょう。
東坊城和長の『和長卿記』1494年の条に「秘伝に云う、一休和尚は後小松院の落胤の皇子なり。世に之
を知る人無し」とある
1479年には文章得業生となり、1486年に少納言を兼ね、同年11月15日に従五位上に叙された。1520年
に権大納言に任ぜられる。1522年に氏長者「北野の長者」に任ぜられる。同年に権大納言を辞任。1529
年、薨去。享年70。
和長が8歳の時に始まった応仁の乱によって、朝儀に必要な有職故実や紀伝道の知識も喪失の危機にあっ
た。こうした状況の中で和長は菅原氏の紀伝道をこれまでにない方法で再興し、存続させると言う課題に
取り組むことになった。元来、紀伝道とりわけ菅原氏の人々の間では古来から受け継いできた伝統的な学
説を守り続けることが最も重要なことと考えられ、自らの手で新たな説を立てたり、著作を書いたりする
ことには積極的ではなかった。和長もこの考え方を重要視し、例えば紀伝儒(紀伝道に伝わる儒学)を正
統視する立場から五山の宋学などの新しい学問に対しては批判的な態度を取っていた。
当時の紀伝道の人々は文章家として、仏事などの行事に用いられる願文や諷誦文、祭文などの制作を依頼
されることが多かった。
東坊城家(本姓・菅原氏高辻庶流五条庶流)は、五条長経(1242-1315年)の次男東坊城茂長(1284–1343
年)を祖とする堂上家である。ただし、茂長の時代には「坊城」と称し、孫の秀長・言長兄弟の時代に分
立して「東坊城」「西坊城」と称したことから、秀長をもって祖をする考え方もある。極官は室町時代の
東坊城益長(1407–1474年)以降、代々文章博士・大学頭・少納言・大蔵卿等を経て権大納言を極官とす
る。家業は紀伝道で、代々天皇の侍読を務めた。歴代当主の中には漢学の才を認められる者も多い。
(´・(ェ)・`)つ
619
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/11(日) 22:29:18 ID:1d4drIFg0
昔の官位は貴族の世襲だからわかっていたのじゃろう。
それでよいのじゃ。
乱によりて坊城小納言に寄す詩なのじゃ。
当代の菅儒者である少納言なのじゃ。
詩文の家業は天地も動かすのじゃ。
英雄は乱世でも風月を好むのじゃ。
長劍大弓で主恩に報いるのじゃ。
620
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/11(日) 22:54:37 ID:XE3BOl/w0
466
賛達磨大師半身 達磨だい師の半身を賛す
東土西天徒弄神 東どさい天いたずらに神を弄す
半身影像現全身 半身のやう像全身を現ず
少林冷坐成何事 少林冷坐何事をか成す
香至王宮蕙帳茵 香し王宮けい帳のしとね
くま訳
賛達磨大師半身
東土日本も、西の天竺も、誠の信心があやしくなってきている。
半身の御姿から、全身を現すように見える絵である。
少林寺で坐禅修行に打ち込んで、成し遂げたことは偉大である。
南インドの香至国の王宮のきらびやかな部屋で生誕されたのだ。
*1465(寛正 6)72歳の時に、弟子の黒渓の描いた達磨の図に書いた賛。真珠庵に秘蔵。↓
https://teaceremonytouan.com/blog-entry-366.html?sp
*香至王宮蕙帳茵:達磨は南印度香至國王の第三王子なり、蕙帳の裡に生れて、かくの如き難行苦行をなさ
るをいふ。(大成脚注)
*達磨:(378-528):南インドの香至国の国王の三男。名前、菩提多羅。
*神弄(かみいじり): 誠の信心からではなく、みえや形式だけで神参りすることをとがめていう語。神い
びり。神せせり。神なぶり。
*蕙帳(けいちょう)(「蕙」は、かおり草) 蕙の模様のあるとばり。また、それをかけた部屋
*おまけ:達磨(長南瑞生先生解説)(378-528)は、南インドの香至国の国王の三男として生まれ
ました。名前を菩提多羅といいます。
菩提多羅が7歳のある日、行脚の旅をしていた般若多羅という僧侶が香至国を訪れました。
国王が宮中に招いて教えを受けると、尊い仏教の教えを説いたので、お礼に宝珠を贈りました。
そして、3人の王子たちにも挨拶させると、般若多羅はこう言いました。
「国王から頂いたこの宝珠は、まことにすばらしいものです。王子様がた、この世には、この宝珠以上の
宝は、果たしてあるものでしょうか?」
第一の王子はこう答えました。
「この宝珠は、この国最高の宝物です。この世にこれ以上の宝物はありますまい」
第二の王子もこう答えます。
「兄の言う通り、尊者のような高徳の方のみに許される最高の宝です」
上の2人はこの世にこれ以上の宝はない、という答えだったのですが、第三王子の菩提多羅は違いました。
「確かにこの宝珠はすばらしい宝です。しかし、何が最高の宝かといえば、正しい教えこそが、最高の宝
でありましょう。この宝珠もすばらしい輝きを放ちますが、智慧の光こそが最もすばらしい輝きを放つも
のと思います」
この立派な答えに感心した般若多羅は、出家を勧め、国王も承諾しました。
やがて国王が病気になり、苦しんで亡くなりました。
その姿を見た菩提多羅は
「死んだらどうなるのだろう」
と思いました。7日間瞑想して考えましたが、わかりません。
菩提多羅はこれをきっかけに出家し、般若多羅に弟子入りしたのでした。
このとき菩提多羅は「菩提達磨」という名前をもらい、般若多羅の弟子として、厳しい修行に打ち込みま
した。40年以上の厳しい修行の末、ついに一人前と認められたのです。
お師匠さまに、
「どこへ仏教を伝えに行ったらよろしいでしょうか」
とお尋ねすると、驚くべき答えが待っていました。
「お前は一人前になったといっても、有頂天になって自惚れるでない。私の元でこの後も修行を続けるの
じゃ。ただし、私が死んだら67年間、インド中をくまなく歩いて仏教を伝えるがよい。その後は中国へ
渡って、仏教を伝えるのだ」
こうしてしばらくの間師匠のもとで修行を続け、般若多羅が亡くなってから、旅に出たのです。
(´・(ェ)・`)つ
621
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/12(月) 21:50:23 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
達磨大師の半身の賛なのじゃ。
東土西天は徒に神をもてあそぶだけなのじゃ。
半身の影像でも全身を現しているのじゃ。
少林寺で座禅して何事を成し遂げたのじゃろうか。
王宮の帳のしとねは至高の香気がまだ漂っているのじゃ。
622
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/12(月) 22:46:37 ID:H3hNGvDU0
くま訳
賛達磨大師半身
第一句:東土西天は徒に神をもてあそぶだけなのだ。
『修証義』第三章 第十一節 禅の視点 - life -Hp訳
次には深く仏法僧の三宝を敬い奉つるべし、生をかえ身を易えても三宝を供養し奉らんことを願うべし、西
天東土仏祖正伝する所は恭敬(くぎょう)仏法僧なり。
life -Hp訳
仏の道を歩む者は「真実を悟った者」「真実についての教え」「真実に沿って生きる人々」の3つの宝を尊
重しなさい。
生まれ変わり死に変わってもこの三宝(さんぼう)を尊重し続けるような強い志しを持っていなさい。
インドから中国へ、中国から日本へと伝わってきたブッダの教えの根本にあるのは、この3つの宝を敬う心
である。
467
嫌佛閣
徳嶠韶陽門大開 徳けうせうやう門大いに開く
喚爲嫌佛一楼臺 よんでけん佛の一楼台となす
這般知識説邪法 しゃ般の知識を邪法を説く
問話者從魔界來 問なの者は魔界より來たる
くま訳
仏嫌いの御殿
徳が極めて高いという 韶陽以遠 が、大雄山最乗寺第二代住持となった。
人よんで、仏嫌いの殿堂となす
そんな坊主が邪法を説くのである
信者は魔界から来るのであろう。
*徳嶠*嶠は山が鋭く高い意味。
*韶陽以遠(しょうよう いおん):室町時代の曹洞宗の僧。)相模(さがみ)(神奈川県)最乗寺の了庵慧明
(りょうあん-えみょう)に師事し,その法をつぐ。丹波永沢(ようたく)寺(兵庫県)の住持をへて,応永(1394-
1428)のころ最乗寺2世となった
*韶陽豆知識①:天正10(1582)年10月10日(信長の百か日)、豊臣秀吉が信長の後継者として大徳寺で盛大
な葬儀を執り行った。織田信長6女/三の丸殿 (韶陽院) は氏郷の養女として豊臣秀吉の側室となる。
うむ。一休さん没後100年以上たってからでありますが、妙心寺の韶陽院という建物に、信長の6女がす
んでいたらしい。
韶陽②:雲門宗のこと。韶陽は、雲門大師が韶州雲門山に住するによる
*問話(もんな): 問禅のこと。また広く、禅寺で修行者が疑問を師家などに問うこと。
(´・(ェ)・`)つ
623
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/13(火) 23:45:55 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
仏嫌いの閣殿じゃな。
傲慢な韶陽が門を大いに開いたのじゃ。
人呼んで仏嫌いの一楼閣なのじゃ。
ここの僧は邪説を唱えるのじゃ。
それを聞く者は魔界から来たものじゃ。
624
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/14(水) 00:03:38 ID:XTDObFBA0
くま訳改
第一句:傲慢な韶陽が門を大いに開いたのだ。
468
病中作 病中の作
徳山捧兮臨濟喝 徳ざんの捧臨濟の喝
嘆我破他機境奪 嘆ず我れ他の機境に奪はるることを、
若人問馬祖不安 若し人馬祖の不安を問はば、
慙愧一生相如渇 慙愧す一生しょうじょが渇
くま訳
病中の作
気合だ!気合だ!
嘆かわしいのは、わしの根気と観察対象が病に奪われていることである。
若し、わしが、馬祖と同じように、不安があるかと問われたら、
司馬相如が一生病に苦しむ中で書き続けた立派な文章程のものが書けてないのではないかと恥かしく思うの
である。
*機境;行者の根機こんき (素質能力) と観察かんざつの対象のこと。
*問馬祖不安:馬大師、不安、院主問ふ、「和尚近日尊候如何。」大師曰く、「日面佛、月面佛」と。即ち
馬祖の面目は日月寒暑昼夜春愁の如く、安不安によりて別状あるなしとの意。もし一休がかくの如き問を
うけたならば何と答ふべきと。(大成脚注)
*相如渇:司馬相如一生消渇の病に苦しめども、其の一代の文章に於ける実に見るべきものあり、正に之に
恥づべきものか。(大成脚注)
(´・(ェ)・`)つ
625
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/14(水) 22:02:20 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
病の中の作というのじや。
徳山の捧と臨濟の喝
わしは他のもの心を奪われることを嘆くのじゃ。
もし人が馬祖の不安を問うならば、
一生相如の渇に囚われることを慙愧するのじゃ。
626
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/14(水) 23:19:20 ID:IU0vfEmI0
469
賛普化 普けを賛す
徳山臨濟奈同行 徳山臨済、同あんをいかんせん、
街市風顚群衆驚 街市の風てん群衆驚く。
坐脱立亡多敗闕 坐脱りゅうぼう敗けつ多し、
和鳴隠隠寶鈴聲 くわめい隠々たり宝れいの声。
柳田聖山先生訳
徳山の棒、臨済の喝も、(普化が)一緒ではどうにもならず、
町のフーテン沙汰は、群衆を慌てさせる。
座って死んでも、立って死んでも、(普化の死にようには)到底敵わず、
響き合ってありありと(姿なき虚空に聞こえる)、宝塔の鈴の音だった。"
くま訳
徳山さんも臨済さんも、普化さんが同行するとなると、ちょぴっとなぁてな感じでありましょか?
街中で騒ぎを起こして町民を驚かせるでありましょうから。
坐って解脱しても、立ったまま昇天しても、(消えてしまった)普化さんにはかないませぬ。
かすかに聞える鈴鐸の音だけを残して普化は消えたのだ。
うむ。普化さんみたいなくまになりたいものであります。
*普化(ふけ、生没年不詳)唐代の禅僧、臨済義玄(? - 867年)『臨済録』の中で、臨済がシテの立場、
普化はワキの役どころを演じているが、その行動が異様なものが多く、風狂僧や神異僧の部類に属する。
師の入滅前の、門弟子たちに対する「私の本当の姿を描けるか」という問いに対して、普化のみが、ただ
トンボ返りをうったことで、師に喜ばれ、「風狂を演じあげて、世間を騒がせよう」と賞賛されたと伝え
られている。
また、その名も、通称であり、本名はおろか、受戒の僧名も明らかではない。普化とは、神出鬼没の普化
が、突然に街頭に現れ、道行く人の耳もとで鈴を振り乞食した、つまり「普く化を求めた」ことから付い
た俗称である。この場合の「化」は、「施し、布施」の意味である。
また、その寝泊りする場所は、墓地であったという。日が昇ると、市場に現れたという。そして、鈴を振
りながら叫ぶ「明るいのが来れば打つ、暗いのが来れば打つ」と。それを聞いた臨済が小坊主を使って探
りを入れる。「全くどこからも来なければ、どうするんだ」と。普化の答えは、「明日は、大悲院でお斎
(とき)があるよ」という意外なものであった。
翌日、普化が臨済院を訪れる。臨済は歓待する。普化の食べ方がおかずだけを平らげるという異様なもの
だったので、臨済が「まるでロバだ」と批評する。普化は「メー」と鳴く。臨済は絶句。すかさず普化が
「小僧(=臨済)には、片目しかないね」と言って去って行く。
というのが、『臨済録』中の、臨済と普化の有名な逸話である。了然大悟した筈の臨済の上を行く存在と
して、普化は重要な役割を演じている。
その最期に付いては、
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/
>>924
"普
化(ふけ)和尚:瑞雲院法話のページより抜粋 "
これは、道教の尸解(しかい)に類したもので、仏僧でも、高僧の最期としては、達磨にも見られるよう
に、珍しいものではないらしいのである。
(´・(ェ)・`)つ
627
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/15(木) 22:01:34 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
普化の賛じゃな。
徳山や臨も同行しないのじゃ。
街中の風狂は群集を驚かすのじゃ。
坐脱立亡には誰もが負けるのじゃ。
宝鈴の音があわせて隠隠と響くのじゃ。
628
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/15(木) 22:47:32 ID:v1y86gyc0
470
訪養叟的子熈長老癩病 1/2 養そうの的子き長老の癩病をとふ
毒蛇窟宅洛陽東 毒蛇の窟宅洛陽の東
癩病深懼亨徹翁 癩病深くおそるきゃう徹翁
紹熈養叟正傳子 ぜうきは養叟しゃう傳の子
學得天衣佛日風 學び得たり天え佛日のふう
くま訳
養叟宗頤の弟子である癩病の春浦宗煕を訪ねる
毒蛇の巣窟、都の東
癩病を深く恐れていた師匠徹翁義亨
春浦は養叟をしっかりと正伝したのであるな。
学び得たようである、天人のように着飾り無知な衆生を騙す禅風を。
*春浦宗煕(しゅんぽ そうき)1409/16-1496 室町時代の僧。大徳寺の養叟宗頤(ようそう-そうい)の法を
つぎ,寛正(かんしょう)2年1461年同寺の住持となる。応仁(おうにん)・文明の乱を摂津,和泉(いずみ)
にさけ,乱後は大徳寺の復興につくした
*煕・頤・熈 など出典により、新旧違うのである皆「き」である。
*養隻宗熈や春浦宗熈を批判する際好んで引用する徹翁義亨の「示榮衒徒法語」をふまえているのである。
(飯塚大展先生)
参)
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/
>>808
*仏日:仏の光明が衆生の無知の闇を照らすことを太陽にたとえていう
(´・(ェ)・`)つ
629
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/16(金) 21:50:27 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
今度は養叟の弟子のライ病の宗煕を訪ねるというのじゃ。
毒蛇の巣窟である都の東
ライ病深く恐れる亨徹翁なのじゃ。
紹熈は紹熈の正伝の弟子なのじゃ。
天衣仏日の風を学び得たのじゃ。
630
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/16(金) 22:36:16 ID:KDtOGFaQ0
471
訪養叟的子熈長老癩病 2/2
病輕脈重咸淳禪 病かろく脈重きは咸淳の禪
病重脈輕會昌禪 病重く脈かろきはゑ昌の禪
就中腐爛養叟輩 中に就いて腐らんす養叟のともがら
病脈並損今日禪 病脈ならびに損すこんにちの禪
くま訳
訪養叟的子熈長老癩病
ふむ。病状軽く、脈重いのであれば、咸淳の度宗皇帝に、意識を集中してるのであろう。(ふむ。脳溢血で死ぬであろう。)
ふむ。病状重く、脈軽いのであれば、会昌の武宗皇帝に、意識を集中してるのであろう。(ふむ。薬中毒で死ぬであろう。)
ふむふむ。なかんづく、腐乱してるのであるよ、養叟のところの輩は。
脈から推察されるところの病は、本日の看立て診断によると、悪化しているようである。
*咸淳(かんじゅん)は、南宋の度宗の元号。1265年–1274年。
*会昌(かいしょう)は、唐代の武宗の元号。841- 846年。このころに仏教弾圧が行われる(会昌の廃
仏)。
*度宗(たくそう)は、南宋の第6代皇帝。
1240年、紹興で生まれる。幼少より節度がある言動が認められ、1260年に皇太子に立てられた。厳格な
儒学的教育を受けた。1264年、皇帝として即位する。年齢が若かったこともあり派閥抗争を抑制するこ
とができず、モンゴル帝国のクビライの侵攻を防止することができなかった。南宋の滅亡が決定的となっ
た。1274年に35歳で崩御。死因は酒色による脳溢血とされる。
*武宗(ぶそう)は、唐朝の第18代皇帝。穆宗の五男。
武宗は冷静沈着で、明晰かつ決断力に富んだ人物であった。宦官勢力の抑制や中央集権体制の立て直しに
努めた。道士である趙帰真を信任し、道教に傾斜するあまり「会昌の廃仏」と称される廃仏令を出してい
る。846年、丹薬による中毒で33歳で崩御した。死の間際に炎と改名している。
*就中・なかんずく その中でも。とりわけ。
(´・(ェ)・`)つ
631
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/17(土) 23:22:38 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
前と同じじゃな。
病軽く脈が重いのは咸淳の亡国の禪なのじゃ。
病重く脈が軽いのは会昌の廃仏の禅なのじゃ。
それらよりも腐敗しているのが養叟の輩なのじゃ。
病も脈も損なっている今日の禅なのじゃ。
632
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/18(日) 03:59:56 ID:KI1Uku5o0
くま訳全面改
第一句:病軽く脈が重いのは咸淳の亡国の禪なのだ。
第二句:病重く脈が軽いのは会昌の廃仏の禅なのだ。
第三句:それらよりも腐敗しているのが養叟の輩なのだ。
第四句:病も脈も損なっている今日の禅なのだ。
472
達磨忌
毒薬数加賊後弓 毒薬しばしば加ふ賊後の弓
大千逼塞佛心宗 だいせんひっそくす
西來無意我有意 せいらい意無し我意有り
熊耳山中落木風 ゆうじさんりゅうらくぼくの
達磨忌 10月5日の達磨大師の忌日に行う法会
毒薬がしばしば盛られていたことが後から分かったが、後の祭りだった
世界中の禅宗門が喪に服した
達磨がインドから来た意味、禅とは何かの答えは、外側には無い。わが心の中にあるのだ。
葬られた熊耳山(ゆうじさん)には、強風が吹いてるだろう。
*祖師西来意は禅の代表的な公案のひとつ。
『無門関』第三十七則
一人の僧が趙州和尚に問うた。
「如何なるか是れ祖師西来意」(大意:達磨大師が遠路、インドから中国へと来られた真意は何なので
しょうか?)
趙州和尚は答えた。
「庭前の柏樹子」
『趙州録』
また僧は続けて問うた。
「和尚、境を将て人に示すこと莫かれ」(大意:私は禅とは何か尋ねているのです。心の外の物で答えな
いで下さい)
趙州和尚は続けて答えた。
「我れ境を将て人に示さず」(大意:私は心の外の物で答えてなどおりません)
僧は再度問うた。
「如何なるか是れ祖師西来意」
趙州和尚は、再度答えた。
「庭前の柏樹子」
*景徳伝灯録巻三。第二十八祖菩提達磨(瑞雲院法話のページより)
大師は風のごとく雨のごとく、あまねく甘露の正法を施した。そのためその活動をうらやむ者によって毒
を盛られ、六度目に毒を盛られたとき、説くべきことは説き、法を伝える人も得たと、495年10月5日、
端然として亡くなった。150歳であった。
遺体は熊耳山(ゆうじさん)に葬られ、塔は定林寺に立てられた。熊耳山は熊の耳のように二峰が並びそ
びえていることから付けられた山名だという。なお西紀527年に中国に来て、495年に亡くなるはずはな
いが、原文はそうなっている。年号の書きまちがいかもしれない。
三年後、宋雲(そううん)という僧が西域を旅しているとき、葱嶺(そうれい。パミール高原からカラコ
ルム山脈にかけての山域)で達磨大師に会った。大師は手に履き物の片方をぶら下げていた。宋雲が尋ね
た。
「先生はどこへ行かれるのか」
「インドへ帰る」
帰国した宋雲は皇帝にそのことを報告し、皇帝は大師の墓を調べさせた。すると棺の中は空っぽで、ただ
履き物の片方のみが残っていた。後に皇帝から円覚大師の名を贈られた。
(´・(ェ)・`)つ
633
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/19(月) 00:25:02 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
賊によって後ろ弓の毒を度々加えられたのじゃ。
大千世界が逼塞した仏の心の宗家なのじゃ。
無意ならば西来し、有意ならば我が有るのじゃ。
熊耳山中の木は落ち風が吹くのじゃ。
634
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/19(月) 07:24:01 ID:qzveYPbg0
くま訳全面改
賊によって後ろ弓の毒を度々加えられたのだ。
大千世界が逼塞した仏の心の宗家なのだ。
無意ならば西来し、有意ならば我が有るのだ。
熊耳山中の木は落ち風が吹くのだ。
*後弓反張 :後頚部の筋および背筋、上下肢筋の筋緊張 進、または痙攣により頚部を強く背屈させ、全身
が後方弓形にそりかえる状態。 <要因> 髄膜炎、破傷風
473
賛杜牧 杜牧を賛す
杜書記獨朗天然 杜書記獨朗天然
参得正傳臨濟禪 参得すしゃう伝臨濟の禪
儒雅家風無一點 儒雅の家風一点無し
詩情淫色紫雲前 詩情淫色紫雲の前
くま訳
杜牧を賛す
杜書記は、無相の一念に悟入して、大悟の域に達していたのだ。
臨済正伝の真理を体得していたのである。
儒家の家風は全くない
詩情は淫意で、吉兆を感じさせるものである。
*杜牧(とぼく)803-853年晩唐の詩人。355 356 「杜牧」参
*杜書記;杜牧は833年三十一歳の時から数年間書記として官吏生活を送った。
*獨朗天然:たぶん、天真独朗 のことでありましょう。
天台法門の奥義を表わしたことば。天真とは諸法の本然のすがたをいい、諸法がそのまま本覚の智体であ
ることを独朗といったもの。たとえば地獄も真如の功徳であり(天真)、また地獄にも法界を収めている
(独朗)というもの。 。
無相の一念に悟入すれば、生死の別を離れ宇宙朗然とし、凡身そのままに大覚の域に達するということ。
最澄が在唐のとき、道邃(どうすい)から口伝された語という。
*参得:参禅して真理を体得すること。
*儒雅(じゅが)① 儒教の正しい道理。② 儒家の流れで、文の道にすぐれていること。また、その家柄、
人。立派な儒者。
*紫雲;念仏行者が臨終のとき、仏が乗って来迎(らいごう)する雲。吉兆、めでたいしるしとされる。
(´・(ェ)・`)つ
635
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/19(月) 23:37:38 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
杜牧の賛じゃな。
杜牧はありのままに悟っていたのじゃ。
臨済禅の正伝を得ていたのじゃ。
儒教の虚飾の風は全くなかったのじゃ。
詩情の淫色でさえ紫雲があったのじゃ。
636
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/20(火) 00:00:38 ID:PVB4a6ig0
474
絶交會裡衆偈、 えりの衆に絶交するげ、
且以自警云 かつ以って自らいましむといふ
匡徒領衆立魔宮 徒をただし衆を領じてまきゅうをりっす
汗馬從前蓋代功 かんばじゅうぜんがいだいの功
師弟凡情共姦黨 師弟の凡情ともにかんとう
可憐韓信嘆良弓 あわれむべし かんしんが良弓をたんぜしことを
くま訳
弟子たちの会派と絶縁の偈。
弟子たちをただし、指導して、魔宮を束ねてきたのである。
しかし、もっと弟子たちの努力も見てやるべきであった。祖師がそれまで勝ちえてきた功績は祖師本人以外
は知らないのであるから、何度も議論してやるべきであった。
師弟の低俗な心が、会を悪人集団にしてしまったのである。
気の毒に思うことは、見込みのある有能な弟子を誤解して叱ってしまったことである。
*碧巌録
從前汗馬無人識 従前の汗馬人の識るなし、
只要重論盖代功 只だ重ねて蓋代の功を論ぜんことを要す。
目の前で汗をかいて走る馬がいても人がそれを知ることはなく
ただくりかえし歴代の導師の言葉を論ずることを求めるだけです。
歴代の祖師がそれまで勝ちえてきた功績を本人以外は知らないから、祖師一代一代の功績について、何
度も議論しなければならない。 (野狐禅RRPG先生訳)
*韓信(かんしん):秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決
定付けた。「韓信の股くぐり」「恥は一時、志は一生」
劉邦は謀反の疑いで、韓信を 降格させた逸話。
(´・(ェ)・`)つ
637
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/20(火) 23:34:23 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
会衆と絶交する宣言とともに、自ら戒めるのじゃ。
徒弟を正し、会衆を率いてかえつて魔宮を立ててしまったのじゃ。
誰もわしの苦労を知らないのじゃ。
師弟のぼんくら情けが共にあだになって悪くしたのじゃ。
韓信が良弓を嘆くような憐れさなのじゃ。
638
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/21(水) 00:15:07 ID:ody751oo0
くま訳全面改
徒弟を正し、会衆を率いてかえつて魔宮を立ててしまったのだ。
誰もわしの苦労を知らないのだ。
師弟のぼんくら情けが共にあだになって悪くしたのだ。
韓信が良弓を嘆くような憐れさなの
475
金春座者歌 こんぱる座者の歌
唱得雲門王老禪 唱へ得たり雲門王老の禪
朝遊東土暮西天 あしたには東土に遊び暮には西天
震旦徑山上堂後 震旦のきんざん上堂ののち
建仁撃鼓法堂前 建仁にくをうつはつとうの前
くま訳
金春座座員の歌
雲門老師の禪を正しく歌っているのである。
朝は中国で遊び、暮には印度へ帰る、自在に飛び廻る。
中国の臨済宗徑山(きんざん)寺にお参りしたあとで、
日本の臨済宗建仁寺で法堂の前で鼓を打つのである
*金春座(コンパルザ):大和猿楽四座の一。興福寺・春日神社に奉仕。奈良で興福寺猿楽の伝統から首座を
占めた。当時の能楽を代表する金春禅竹(1405-1470)はその理論に一休が関連していたとされる。今も
金春流として続いている。
*建仁:千光榮西禪師の開山なり(大成脚注)
*震旦(しんたん)真丹とも書く。中国の古称。古代インド人が中国を秦の土地 (チーナスターナ) と呼ん
だことに基づく。
〈秦国の土地〉の意でサンスクリット語チーナスターナとなり,それが仏典翻訳の際中国に逆輸入され漢
訳されたもの。振旦,真丹,支那などすべて同じ音の転字だが,震は東方を旦は坦(地)をさす。
*径山寺(きんざんじ)は、浙江省の径山にある仏教禅寺。南宋の五山の一。日本の茶道に影響したとする
言説がある。径山寺味噌(金山寺味噌)の由来や醤油の起源等の諸説との関係が指摘される。日本の文化
との関係は深い。らしい。
(´・(ェ)・`)つ
639
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/21(水) 23:51:33 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
金春座の者の歌というのじゃ。
雲門王老の禅を唱えられたのじゃ。
朝には東土に遊び、暮れには西天に飛ぶが如き歌なのじゃ。
震旦の径山寺に上堂の後
建仁寺の法堂の前で鼓を打つが如くなのじゃ。
640
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/22(木) 02:20:41 ID:1DZSY1IU0
476
三毒
貪嗔根本自痴愚 とんじんの根本自から痴愚
人我無明名利徒 にん我無明名利の徒
一箇無心閑道者 一箇無心の閑道者
近年林下一人無 近年林下一人無し
くま訳
三毒
貪嗔の根本は自ずから痴愚と云う事である
自我があると思い込む無明の徒である。
一箇無心で穏やかな境地
近年、禅林には一人もいないのである。
*三毒:仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じ
ん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。
三毒は人間の諸悪・苦しみの根源とされている。ブッダの説いた根本仏教、大乗仏教を通じて広く知られ
ている概念である。
三毒を構成する煩悩
三毒 読み方 意味 象徴する動物
貪 とん 貪欲 むさぼり(必要以上に)求める心。「欲」 と表現する。 鶏
瞋 しん 瞋恚(しんに) 怒りの心。「いかり」・「にくしみ」と表現する。 蛇
痴 ち 愚癡(ぐち) 真理に対する無知の心。「おろかさ」と表現する。 豚
(´・(ェ)・`)つ
641
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/22(木) 23:02:19 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。
三毒なのじゃ。
貪りや怒りの根本は自らを知らぬ愚かさなのじゃ。
人は我について無明ならば名声と利益を求める名利の徒となるのじゃ。
一個の無心の者であれば閑道者となるのじゃ。
そのような者は近年禅林には一人も居ないのじゃ。
642
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/22(木) 23:14:51 ID:Gk1bTWP60
477
岩頭和尚
名風流面蠻胡 名は風流面はばんこ
胡鬚黒他赤鬚 胡しゅは黒くまたせきしゅ
舌頭絶勝文殊 舌頭は文殊に絶勝し、
脚下踏斷道儒 脚下は道儒をとう断す
天下衲僧痴愚 天下の衲僧痴愚
邪法而今難扶 邪法今たすけがたし
象骨老師小巫 象骨老師の小ふ
臨濟渡子同途 臨濟とし同途
着着作様作模 着着やうをなし模をなす
頭頭入細入粗 づづ細に入り粗に入る
横棹一拶江湖 さおを横たへて、洞庭湖畔で、江湖を一拶す、
江湖議論區區 江湖議論区区たり
くま訳
岩頭和尚
名は風流であるが、顔は異民族の様である。
北方の異民族の髭は黒く、他は赤い
弁舌は、文殊菩薩に圧勝するであろう程に鋭く
足腰は修験道の行者をも踏み倒すほど強い
彼と比べると、天下の禅僧が、まるで痴愚のように思われる。
邪法は今助けにならない
象骨山に崇聖寺を開いた雪峰禅師は、小人の巫女さんみたいだ。
臨済宗の流れの者たちも皆同じである
着着と見栄を張る準備をしているのである。
ああでもない、こうでもないと、細かくしてみたり、粗くしてみたりと、
洞庭湖畔で釣り竿を横たえて、禅者同士で相手の試し合いをしてたのでありましょうか。
夏安居での問答は、細かくやったことでありましょう。
*
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
>>931
参
*巌頭全奯(がんとう ぜんかつ、828年 – 887年)唐代の禅僧。
州南安県の出身。
青原行思の下で、仰山慧寂・徳山宣鑑に参じ、徳山の法を嗣ぐ。洞庭湖畔の臥竜山(がりゅうざん)で宗
風を挙揚した。
887年、賊に首を斬られて死す。
*蠻胡:蠻・南方の蛮族、胡・北方の異民族
*雪峰禅師が象骨山(ぞうこつざん。雪峰山)に崇聖寺(すうしょうじ。雪峰寺)を開いた。
*装模作様 そうもさくよう:見栄を張ったり、上品ぶったりすること。「装」と「模」はどちらも見た目
を着飾ったり、他人の真似をしたりすること。「作様」は動きの様子。「装模様を作す」とも読む。
*頭頭(かぶりかぶり):幼児が頭を左右に振ること。
*江湖:大きな江(川)と湖の併称で、転じて官に対する民間、世間一般を指す言葉。
禅宗用語 - 夏安居
*一拶:禅者同士が出会うときに、ことばや動作で相手をためすこと。
(´・(ェ)・`)つ
643
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/23(金) 23:40:02 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
岩頭和尚じゃな。
名は風流、面は西洋人みたいなのじゃ。
西洋鬚は黒赤まだらなのじゃ。
舌先は文殊菩薩にも勝つのじゃ。
足下に道教儒教の輩を踏み倒すのじゃ。
彼に比べれば天下の僧も痴愚に等しいのじゃ。
邪法の徒は今助け難いのじゃ。
象骨の老師も渡世のまじないしの如しなのじゃ。
臨済の渡子と道を同じくするのじゃ。
着々とようをなし、着々と模をなすのじゃ。
頭を使うごとに細に入り、粗にも入るのじゃ。
竿を横たえて江湖に挨拶するのじゃ。
江湖の議論は区区になったのじゃ。
644
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/24(土) 04:23:18 ID:4c0wS6fo0
くま訳改
4行目:足下に道教儒教の輩を踏み倒すのだ
8行目:臨済の渡子と道を同じくするの
9行目:着々とようをなし、着々と模をなすのじゃ。
10行目:頭を使うごとに細に入り、粗にも入るのじゃ。
11行目:竿を横たえて江湖に挨拶するのじゃ。
12行目:江湖の議論は区区になったのじゃ。
くま質問
「着着作様作模」とは、普段は世間の人の流儀に従い、その真似をすることにより、波風をたてない、と
いったような意味でありましょうか?
478
示南坊 禎 南坊に示す てい
男色興盡對妻淫 なん色興尽きて妻に對して淫す
狭路慈明逆行心 けい路慈明逆行のこころ
容易説禪能忌口 容易に禪を説くよく口を忌む
任他雲雨楚臺吟 さもあらばあれ雲雨楚台の吟
くま訳
南坊、 岐翁紹禎(一休宗純の実子にして弟子)に示す
男色への興味が尽きれば、妻に対して淫欲をもよおしたりすのである。
仏道修行のため色欲を抑制せよとする狭路に対して、慈明は逆行して、悟りに向ったのだ。
禪を容易なものと考えて説くのは、忌むべきである。そんな言動は、
どうとでもなればよいと、ありのままの情を詠んだ性交、交会の詩の様になってしまうのである。
*南坊宗啓は集雲庵二世を名乗っている。集雲庵開創 岐翁紹禎(ぎおうしょうてい)(一休宗純の実子にし
て弟子)は、正長元年(1428年)の生まれ(Wikipedia)
*楚台夢:そだいのゆめ;性交の意に用ふる比喩。「ふざんのゆめ」に同じ。交会の比譬語。交接の比喩語。
*然もあらばあれ:それならそれでしかたがない。なるようになれ。ままよ。さもあれ。
すでに存する事態を受けて、その事態を不本意ながら容認する気持を表わす。どうともなるがよい。まま
よ。漢文の「遮莫・遮渠・任他」の訓読にも用いる。"
*888: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2020/08/08(土) 23:01:28 ID:1d4drIFg0
仏道修行は色欲を抑制して実践するものじゃ。
それは狭い道というのじゃ。
臨済宗の正伝禅ではむしろ色欲をも利用して悟りに向かうというのじゃ。
芸術とか風流の道なのじゃ。
おまけ:文清筆楊岐和尚像(京都大徳寺所蔵国宝)
楊岐禪師・・・慈明和尚の石霜寺に移るに随ひて監寺となる、補佐久うして未だ究明する所あらず、屢々参
して問ふ、慈明多忙に托して説かず、時に慈明に老母あり、寺に近く住す、慈明毎日往きて慰むるを例とす、
一日大に雨りし時、方會その途に伏して慈明の來るを待つ、已にして抵れば直に其手を執り、今日須らく説
くべし、説かざれば和尚を打つべしと詰る、慈明答ふ、監寺是般の事を知らば便ち休せよ、と言未だ終らざ
るに玄旨を領するを得、泥路に附して禮し、又起きて、狭路に相逢ふ時如何と問ふ、慈明曰く汝は且つ軃避
せよ、我も去らん那裡に去れと、それより方會は慈明の出づることを未だ遠からざるを窺ひ、必ず晩しと雖
も鼓を鳴して學徒を集めければ、慈明歸り怒り責めて曰く、何をか為す、方會答へていふ、晩参と、是れ後
世叢林晩参の初なりといふ、後宜春より迎へられ楊岐寺に住す、然るに九峯の長老勤公未だ方會の大悟せる
を知らず、州郡の與望に背かんことを憂ひ、方會と問答したるより、其名遠く聞え四方に重んぜらるゝに至
りたり、後更に潭州雲蓋山海會寺に移りしが、二居共に法筵盛なり、その間風特色あり、學者之を楊岐宗と
呼ぶ、曾つて自賛を頌す、曰く、口似乞児席袋、鼻似園頭屎杓、勞君神筆寫成、一任天下卜度宋の仁宗の慶
歴六年、五十四歳を以て寂す。
(´・(ェ)・`)つ
645
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/24(土) 21:51:45 ID:1d4drIFg0
↑それはむしろ自ら僧としての行いを続け、模範となるというような感じじゃな。
廃仏にも囚われぬ真の僧なのじゃ。
そんな感じじゃな。
南坊に示すというのじゃ。
男色に飽きて妻に淫欲をおこすのじゃ。
慈明の狭い道に逆行する心なのじゃ。
容易に禅を説いてはいかんのじゃ。
雲雨楚台の吟は意に任すのじゃ。
646
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/24(土) 22:21:03 ID:fpf1chfw0
くま訳改
第四句:雲雨楚台の吟は意に任すのだ。
479
相對
二月涅槃寂滅辰 二げつ涅槃寂滅のとき
一刀兩斷也心身 一刀兩斷また心身
不生不滅佛難得 不生不滅佛も得がたし
花約有無相對春 くわ約有無相對の春
くま訳
相對
二月涅槃、釈迦の入滅の日
心身を一刀両断する
不生不滅は佛も得難い境地である
花咲き花落ちる相對の春
*花約有無相對:花咲き花落つるをいふ(大成脚注)
*涅槃会(ねはんえ)、陰暦2月15日、釈迦の入滅(にゅうめつ)の日
*不生不滅:何ものも生ぜず,また滅びないということ。輪廻の世界から解放された世界観に立つと,絶対
的な実在はないということを表現するときに用いる言葉。空の観念を補足するものであり,涅槃のあり方
を否定的に説明する語法。
*一郷正道先生解説抜粋(大谷大学hp)
インドに二〜三世紀頃在世し、『般若経』を中心に空の哲学を大成したナーガールジュナ(龍樹)は、縁
起思想にもとづいて「空」を理解した。「此れあれば彼あり、此れ生ずれば彼生ず・・・・・・」という成句に示
される縁起の意味は、ものはすべて、なんらかの他に依存して存在する相対的なものでしかないこと、絶対
的存在は決してありえないことを教える。この絶対的、実体的存在(自性(じしょう))が無いことを
「空」という。すべては空であって、夢・幻の如きものである。本来、聖でも俗でもないものを、聖とか俗
とか判断するのは、私の心の区別、分別作用である。聖も俗も言語上の区別にすぎず、空という点では両者
は不二である。
ものは、すべて、縁起の理論で無と否定されるが、否定されて無に帰してしまうのでなく、そのまま、縁
起的には有として肯定される、という両面をもった存在である。
そうであれば、自己主張の真・正・善性を標榜し、他を排除するところに闘争がくりかえされる現代の世
相を思うに、絶対性を否定し、執着からの解放を教える「空」の考え方こそ、顧みられるべきでなかろうか。
(´・(ェ)・`)つ
647
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/25(日) 21:46:19 ID:1d4drIFg0
相対なのじゃ。
二月の涅槃寂滅の時なのじゃ。
心身一刀両断なのじゃ。
不生不滅の仏の境地は得がたいものじゃ。
花は有無相対の春を約束するのじゃ。
648
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/25(日) 22:40:24 ID:iAmTf7C60
くま質問
「花は有無相対の春を約束するのじゃ。」とは、ありのままは、相対的なものであり、絶対的なものではない
としつつ、花咲く事が、春の訪れを約束するとは・・・絶対、相対の更に向こう側のありのままみたいなこ
とでありましょうか?
480
日用
日用正工夫 日用のしょう工夫
挽弓東射胡 弓をひいてひんがし胡を射る
殺佛殺祖令 佛を殺し祖を殺す令
波旬失却途 波旬みちを失却す
くま訳
行住坐臥の日用・日常生活
日用生活の中での正しい工夫をするのだ。
弓をひいて東の魔敵を射るのだ。(集中して心にあらわれる一切の思い、執着、煩悩を射止めるのだ)
佛という観念や、祖師という観念も、一切の観念を射止めて消し去るのだ。
それが、悪魔を亡ぼす道である。
*殺佛殺祖:『臨済録』
逢佛殺佛、 仏に逢うては仏を殺し。
逢祖殺祖、 祖に逢うては祖を殺し。
逢羅漢殺羅漢、 羅漢に逢うては羅漢を殺し。
逢父母殺父母、 父母に逢うては父母を殺し。
逢親眷殺親眷、 親眷(しんけん:身内や親族)に逢うては親眷を殺し。
始得解脱、 始めて解脱を得ん
不與物拘、 物と拘わらず、
透脱自在。 透脱すること自在ならん
(´・(ェ)・`)つ
649
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/26(月) 01:35:24 ID:sRRy.l3c0
*おまけ:日用 + 詫茶の創始者 村田珠光 :禅と悟りhp解説抜粋
馬祖道一(709〜788)中国禅の実質的な創始者と言える。
馬祖道一の禅風は<作用即性> 、<日用即妙用>、<即心即仏>、<平常心是道>。
<作用即性>とは本性とその用(機能、働き)は同じであるという意味である。
<日用即妙用>とは日常生活の中に仏法の妙用がそのまま現れていることを言う。
<即心即仏>:「汝等諸人、各々自心これ仏なることを信ぜよ。この心即これ仏心なり。」(景徳伝燈録
卷六)とある。これより<即心即仏>とは、心=仏=仏心 であることを言っている。
坐禅修行によって煩悩を離れた心こそが仏だと言っている。
我々普通人は超越者としての仏を考え仏像など礼拝する。
馬祖はそのような信仰対象の仏ではなく、坐禅修行によって浄化された心(健康な脳)こそ仏であると言う。
(「無門関」30則「即心即仏」を参照 )
景徳伝燈録のこの話の続き話が馬祖語録にある。
ある僧が更に馬祖に尋ねた、「和尚は何故に即心即仏と説く?」
馬祖曰く、「小児の泣くのを止めんがためなり。」
僧曰く、「泣き止むときは如何?」
馬祖曰く、「非心非仏。」
(「無門関」33則「非心非仏」を参照 )
<非心非仏>はよく心でもなく仏でもないと説明される。
三祖僧サンの「信心銘」に「一心不生なれば万法咎無し。咎なければ法無く、生ぜざれば心にあらず」と
いう言葉がある。
(「信心銘」を参照 )
これは一心不生の本体こそが本来の面目(真の自己)であることを述べた箇所である。・・・
意識が生じることがなければ心ではない。 このようなものは心でもない、また仏と呼ぶこともできない。
馬祖道一の法嗣百丈懐海(720〜814)の言葉に
「一切の語言文字、ともに皆宛転して自己に帰す。」という言葉がある。
宛転とは変化するさまを言う。
百丈懐海のこの言葉は「一切の語言文字は、結局のところ真の自己(脳)の働きに帰着する。」と言っている。
根本原理の応用例
茶の湯
わび茶とその歴史(村田珠光→武野紹鴎)堺の豪商・村田珠光(じゅこう)
室町時代後期、喫茶は庶民の間まで広まっていたが、公家・武士らが行う茶会では高価な中国製の道具であ
る「唐物」が用いられていた。
このように高価な唐物を尊ぶ風潮に対し、村田珠光(むらたじゅこう、1423〜1502)は、粗製の
「侘びた」中国陶磁器(「珠光青磁」と呼ばれるくすんだ色の青磁が代表的)などの道具を使用した。
大徳寺の禅僧・一休宗純のもとに参禅した村田珠光は禅院での茶の湯に点茶の本意を会得したといわれ、侘
び茶を創始して茶道の開祖となった。
珠光は坐禅の眠気防止に一休から茶を薦められたのが、茶との出合いだったと伝えられる。
彼は坐禅を繰り返すうちに“茶禅一味”の悟りに達したとされる。
彼が始めた「侘び茶」は、従来の派手で形式中心の「大名茶」とは全く異なるものだった。
小さな四帖半の茶室の中では、人の身分など関係ない。そこにあるのは亭主のもてなしの心だけである。
彼はこの心が仏だとした。まさに一休から学んだ「仏は心の中にある」であり、珠光は仏の教えを仏典を通
してではなく、日常生活(茶の湯)を通して具現化したのである。
この「侘び茶」の精神は武野紹鴎(じょうおう)を経て千利休へと受け継がれて行くのである。
(´・(ェ)・`)b
650
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/07/26(月) 23:53:30 ID:1d4drIFg0
↑そのような感じじゃな。
真摯に実践していればやがて有無相対を超える悟りが訪れるということじゃな。
それでよいのじゃ。
日用なのじゃ。
日用の正しい工夫なのじゃ。
弓を引いて東の敵を射るが如くするのじゃ。
仏を殺し、祖師も殺すつもりで実践なのじゃ。
そのようにすれば魔も付け入る方法を失くすのじゃ。
651
:
避難民のマジレスさん
:2021/07/27(火) 02:26:56 ID:72aVpLM.0
481
賛松源和尚 松源和尚を賛す
娘生眼照太虚空 じょうしょうのがんだい虚空を照らす
天澤兒孫在海東 天澤の児孫海東に在り
滅卻宗風三轉語 宗風を滅卻す三転語
詞華心緒一天紅 詞華心しょ一天くれなゐなり
くま訳
賛松源和尚
世俗人々の眼を、大いなる虚空へと解放する。
虚堂の孫弟子である一休が、日本国にはいるであります。
宗風を滅却して革めた松源の三転語、
その見事な文章が、思いの筋道を、一輪の赤い花のように導いてくれるのであります。
*松源和尚三轉語
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/
>>788
〜
112 113 114 の詩 参
*娘生(じょうしょう)とは、娘のことではなく、女から生れた子、母親から生れた自分、世俗の我、仮我、
自我、と言う意味。「娘生の面目」と言い、「本来の面目」に対する用いられ方をす。
又、禅学大成では、、[にゃうじゃう]と振り仮名されている。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/
>>876
*天澤庵:径山にある虚堂の墓塔
(´・(ェ)・`)つ
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