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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

1避難民のマジレスさん:2018/07/07(土) 12:47:05 ID:GOHu/WSs0
前スレ:鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619

81鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/08(水) 22:14:22 ID:1d4drIFg0
自我は障害であるとともに道でもあるのじゃ。
自我の執着を超えることは難しいが、超えることが出来れば悟りも近いのじゃ。
例えば大きな壁が邪魔で道をいけなかった者が、壁が倒れて道になってどこにでもいけるようになるようなものじゃ。
壁であったものが道になるように、自我も執着があれば障害で在るが、執着を離れれば悟りへの道になるのじゃ。

82避難民のマジレスさん:2018/08/09(木) 05:33:35 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】

 質問者 あなたのもとを訪れる西洋人たちは、しばしば奇妙な困
 難に直面します。解脱(げだつ)した人、賢者、真我の
 実現者、神の体験者、世界を超越した人という概念自体
 が、彼らにとっては未知のものなのです。彼らのキリス
 ト教文化のなかにある聖者の概念はみな、信心深く、法
 を固く守り、神を恐れ、仲間を愛し、祈りに満ち、法悦
 に浸る傾向があり、いくらかの奇跡が確認される、とい
 ったものです。ジニャーニ(真我の実現者)という概念
 そのものが、西洋文化にとっては何か風変わりで信じが
 たい、異質なものなのです。彼の存在が受け容れられた
 ときでさえ、奇妙な姿勢と精神的態度から自発的に引き
 起こされた多幸症(ユーフォリア)の実例のように、彼
 は疑いの目で見られます。意識の新しい次元という概念
 自体が、彼らには信じがたい、ありそうもないものなの
 です。
 真我の実現の体験、その原因、はじまり、進展、そして
 達成、また日常での実際の修練に関して、ジニャーニ自
 身から話を聞く機会をもつことは、彼らにとって助けに
 なるでしょう。彼の語ることの大半は奇妙に、または無
 意味にさえ映るかもしれませんが、それでも実在の感覚、
 実際の体験の雰囲気、言葉では言い表せない、しかしと
 てもリアルな、送られるべき模範的人生の核となるもの
 が残るでしょう。
 マハラジ
 体験は伝達不可能かもしれない。
 人は体験を伝えられるだろうか?
 質問者 はい。もしその人が芸術家ならば。芸術の本質は感情と
 体験の伝達です。
 マハラジ
 伝達を受け取るには、あなたは受動的でなければならない。
 質問者 もちろんです。そこには受け取る人がいなければなりま
 せん。しかし、もし伝達者が伝達しなければ、受信者が
 いったい何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 ジニャーニはすべての人のものだ。
 彼は誰であろうと彼のもとにやってくる人たちに、たえず完全に
 彼自身を与える。
 もし与える人でなかったら、彼はジニャーニではない。
 何であれもっているものを、彼は分かちあうのだ。
 質問者 しかし、彼は彼で在るものを分け与えられますか?
 マハラジ
 つまり、彼はほかの者たちをジニャーニにできるかということだ
 ろうか?
 そうだとも、そうでないとも言えよう。
 ジニャーニはつくり出されるものではないからだ。
 彼らが真の本性に、彼らの源に帰り着いたとき、彼ら自身で実現
 するのだ。
 私はあなたをすでにあなたであるものに作り変えることはできな
 い。
 私にできるのは、私の旅してきた道へとあなたを招待することだ
 けだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

83素人A:2018/08/09(木) 08:49:13 ID:gOqWUDAs0
個の身にあまり囚われず見るだけで無責任な観光客の仏でいれば楽勝なんだけど
この世個の身は楽しい事もあるけどかわいそうな身があつても見るだけでは何の
助けにもならず、見守る責任は仏には無いのか?感覚的に下位の間隔でも身のために
触覚も獲得しないと物理的にたすけられないし見てみるふりも出来ない良い人では
いられず。ずるがし個苦なるしかなく。ずるずると自分でも見苦しい人だと思うし
たしかに何もない正解なら正しいも誤りもなく矛盾も無い世界だけどなんの楽しみも
無くマインド苦しいのか 観光客の無責任仏ほっとけだけで見守るだけで良いのか?

84鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/09(木) 21:47:45 ID:1d4drIFg0
お釈迦様も自分は修業者の道標になるだけだと言ったのじゃ。
目覚めた者は自ら悟りを求める者に道を教えるだけなのじゃ。
悟りを求める者は自ら実践して進んでいかなければならないのじゃ。

85避難民のマジレスさん:2018/08/10(金) 07:48:52 ID:LC3de7YgO
>>82
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 それは私の質問の答になっていません。私は高次の意識
 の可能性自体を否定する、批判的で懐疑的な西洋人たち
 のことが頭にあったのです。近年、麻薬が彼らの物質主
 義的見解に影響をあたえることなく、彼らの不信仰の突
 破口を作りました。麻薬があろうとなかろうと、身体は
 主要な事実として残り、マインドは二次的なままです。
 マインドを超えたところに、彼らは何も見ないのです。
 仏陀以外、真我の実現の状態は「あれではなく、これで
 もない」という否定的言語で記述されてきました。それ
 は避けられないものなのでしょうか? 記述できないの
 なら実例で示せないのでしょうか? 記述された状態が
 言葉を超えるとき、どんな言語による記述も及ばないこ
 とは、私も認めます。しかし、それは言葉のなかにもあ
 ります。詩は表現不可能なものを言葉に置き換える技で
 す。
 マハラジ
 宗教詩人ならいくらでもいる。
 あなたの望みがかなうように、彼らに援助を求めるがいい。
 私に関して言えば、私の教えは単純だ。
 信頼し、私の言うようにしてみなさい。
 もしあなたがたゆまずそれを続けるならば、あなたの信頼は報わ
 れたと知るときが来るだろう。
 質問者 興味はもっても信頼できない人たちはどうすればいいの
 でしょう?
 マハラジ
 もし彼らが私とともにとどまるならば、私を信頼するようになる
 だろう。
 ひとたび彼らが信頼すれば、私のアドバイスにしたがい、彼ら自
 身で発見するだろう。
 質問者 私が今尋ねていることは、訓練ではなく結果です。あな
 たはその両方をもっています。あなたは訓練に関しては
 すべてを語る用意がありますが、結果に関しては分かち
 あうことを拒みます。あなたの状態は言葉を超えている
 と伝えるか、私たちが違いを見るとき、あなたは、違い
 はなにもないと言うだけです。どちらの場合も、私たち
 はあなたの状態への洞察を得ることなく取り残されるの
 です。
 マハラジ
 あなた自身の状態への洞察もないのに、どうして私の状態への洞
 察を得ることができるだろう?
 洞察の手段自体が欠けているとき、まずそれを見いだすことが重
 要ではないだろうか?
 それは盲目の人が視力を回復する前に、絵を描くことを学びたが
 るようなものだ。
 あなたは私の状態を知りたがる。
 だが、あなたの妻や召使の状態を知っているのかね?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

86鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/10(金) 22:51:44 ID:1d4drIFg0
目覚めた者の境地は言葉にすれば全て嘘になってしまうものじゃ。
そうであるから目覚めた者達は悟りを得る方法のみを語ったのじゃ。
お釈迦様はそこに至るためにわかり易く苦滅の法を説いたのじゃ。
苦を滅するために修業して自然に自我を観る方法に成るのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。

87避難民のマジレスさん:2018/08/11(土) 00:15:00 ID:LC3de7YgO
>>86
うむ。その通りだと、くまは思うであります。
だから、信心か必要になったら、ブッタを信仰するでたります。
(´・(ェ)・`)つ

88避難民のマジレスさん:2018/08/11(土) 10:16:23 ID:LC3de7YgO
>>85
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 私は何かヒントがもらえたならと思っただけです。
 マハラジ
 私はすでに、あなたが違いを見るとき私は見ないという、とても
 意味深い手がかりを与えた。
 私にとってはそれで充分だ。
 もしあなたがそれで充分ではないと思うならば、私はただ繰り返
 そう。
 それで充分だ。
 それについて深く熟考しなさい。
 そうすれば、私が見ているものをあなたも見るだろう。
 どうやらあなたは、即座の結果にはつねに長い準備が先行すると
 いうことを忘れて、即座の洞察を求めているようだ。
 果実が落ちるのは突然だが、成熟には時間がかかるのだ。
 にもかかわらず、私を信頼しなさいと私が言うとき、それはた
 だあなたが動き出すのに充分なほどの、わずかな時間だ。
 あなたが熱心であればあるほど、わずかな信念でこと足りる。
 なぜなら、すぐにあなたの信頼は正しかったとわかるからだ。
 あなたは私が信頼に足るかどうか証明してほしいのかね?
 どうしてそれができよう、そしてなぜ?
 結局、私が差しだしているのは、西洋の科学において現在主流と
 なっている科学的アプローチなのだ。
 科学者が実験とその結果を描写するとき、通常あなたは彼の声明
 を信頼とともに受け容れ、彼の実検を記述通りに繰り返す。
 ひとたび同じ、あるいは類似した結果を得たら、もはや彼を信頼
 する必要はない。
 あなたは自分の経験を信頼するからだ。
 それに励まされて、あなたは実験を進め、最後には本質的に同じ
 結果に達するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

89鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/11(土) 21:36:32 ID:1d4drIFg0
>>87 そうじゃ、信仰によって実践する以外にないのじゃ。

 実践によってブッダの教えを確かめられるのじゃ。
 自らの実践で確かめて信仰も揺らがないものになるのじゃ。
 そのようにして進んでいくことができるのじゃ。

90避難民のマジレスさん:2018/08/12(日) 07:20:50 ID:LC3de7YgO
>>88
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 インド人のマインドは文化的にも、教育的にも、抽象的
 実験をするにふさわしい素養をもっています。インド人
 にとって「至高の実在の直接的知覚」といった言葉は意
 味をなし、彼の内奥の存在からの反応を呼び起こすので
 す。西洋人にとって、そういった言葉は意味をなしませ
 ん。キリスト教のさまざまな理念と照らしあわせてみて
 も、キリストの戒めや、神の十戒との結びつきを超えて
 考えることはありません。実在の直接の知識は、願望を
 超えるどころか思いもつかないことなのです。あるイン
 ド人は、「絶望的だ。西洋人には無理だろう。彼らにで
 きはしない。真我の実現については黙っていたほうがい
 い。有用な人生を送り、インドでの再誕生を待つほうが
 いい。それならばチャンスはあるだろう」と言いました。
 ある人は、「真実はすべての人にとって等しくある。し
 かし、それを把握する能力を皆が等しく付与されている
 わけではない。能力は願望とともにやってくる。それは
 帰依に、そして最終的には真我への完全な自己献身へと
 成長する。正直で誠実に、そして鉄の決意で障害を乗り
 越えるということにおいては、西洋人は東洋人と等しい
 チャンスをもっている。彼に必要なのは興味をもつとい
 うことだけだ」と言っています。自己知識に対する興味
 を喚起させるには、彼はその有益さについて確信させら
 れることが必要なのです。
 マハラジ
 あなたは個人的体験を伝達することは可能だと信じるのかね?
 質問者 わかりません。あなたは見る者と見られるものの同一、
 統合について語ります。すべてがひとつであるとき、伝
 達はありうるでしょう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

91鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/12(日) 22:42:24 ID:1d4drIFg0
人種や国籍で心に違いは無いのじゃ。
常に真摯に悟りを求める者が悟りを得ることが出来るのじゃ。
むしろ伝統を負っているということで傲慢に成り、道を外れる者も多いのじゃ。
真摯に悟りを求めることを忘れてはいかんのじゃ。

92避難民のマジレスさん:2018/08/13(月) 07:45:57 ID:LC3de7YgO
>>90
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 マハラジ
 ある国を直接体験するには、実際そこへ行き、住んでみなければ
 ならない。
 不可能なことを求めてはならない。
 霊的成就をおさめた人は、疑いなく人類に利益をもたらすだろう。
 だが、別の個人に恩寵(おんちょう)をもたらすには、親しい個
 人的な関係が必要だ。
 そのような関係は偶然では生まれないし、誰もが要求できるもの
 ではない。
 逆に、科学的アプローチは皆に開かれている。
 「信頼、試み、経験」、これ以上何が必要だろう。
 求めない者に、どうして真理のお仕着せができよう?
 どちらにしてもそれは不可能なことだ。
 受け取る者がいなければ、与える者に何ができるだろうか?
 質問者 外的形態を使って内的体験を伝えるのが芸術の本質です。
 もちろん、外面が意味深くあるには、内面に対して繊細
 でなければなりません。人はどのようにして感性を育ん
 でいくのでしょうか?
 マハラジ
 あなたがどのように表現しようと同じことだ。
 与える者は数多くいるが、どこに受け取る者がいるだろう?
 質問者 あなたは自分の感性を分かちあうことができるでしょう
 か?
 マハラジ
 それはできるが、分かちあいは相互に行き交う道だ。
 分かちあうには二人が必要なのだ。
 私の与えたいことを受け取る用意のある人がいるだろうか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

93素人A:2018/08/13(月) 10:45:01 ID:gxsfDx0o0
テレビでは前見たようなドラマの繰り返しが多い 
それはテレビの前の佛さんが個の身のドラマを選ぶカラー
坐禅や瞑想は心の中で神殿を妄想で作り出し佛や神の物語見れて
それは神話で輪廻に数えられ世界の生まれ変わりに飽きる回数を
早めるて二段ロケット噴射してまだ三段目があるのか
変な妄想はつい楽しても無限に輪廻くりかえし段段苦しくなる野鴨

94鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/13(月) 22:19:43 ID:1d4drIFg0
目覚めた者同士ならば完全にわかりあえるのじゃ。
互いに繋がり、妙観察智があるからなのじゃ。
そうでなければわかることはできないのじゃ。
受け取るものが居ないからのう。

95避難民のマジレスさん:2018/08/14(火) 12:36:23 ID:LC3de7YgO
>>92
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 私たちはひとつだとあなたは言いました。それで充分で
 はありませんか?
 マハラジ
 私はあなたとひとつだ。
 あなたは私とひとつだろうか?
 もしそうなら、あなたは質問しなかっただろう。
 もしそうでないなら、もしあなたが私の見るものを見ないのなら、
 あなたのものの見方を改善する方法を示す以上の何が私にできる
 というのだろうか?
 質問者 あなたが与えられないものなら、あなた自身のものでは
 ないのです。
 マハラジ
 私は何ひとつ自分のものだと主張していない。
 「私」がないとき、どこに「私のもの」があろうか?
 二人の人が樹を見ている。
 ひとりは木の葉の合間に隠れている果実を見て、もうひとりは見
 ない。
 それ以外は、二人の間には何の違いもない。
 見ている者は、ほんのわずかな注意で、もうひとりも見ることが
 できることを知っている。
 だが、分かちあうという問題はここでは起こらない。
 信じてほしい。
 私はあなたに真実を分かちあうことをためらって、けちになって
 いるのではない。
 その反対に、私はまったくあなたのものだ。
 私を食べ、飲みなさい。
 だが、あなたは「ください、ください」と言葉で繰り返しながら、
 差しだされたものを受け取ろうともしないのだ。
 私が見ているものをあなたも見ることができるよう近道を示して
 いるのに、あなたは古い思考、感情、そして行為の習慣にしがみ
 つき、私に非難を浴びせている。
 自己知識は提供されたり、受け取られたりするような所有物では
 ない。
 それは与えたり、受け取ったりできるようなもののない、まった
 く新しい次元にあるのだ。
 質問者 少なくとも、日常生活におけるあなたのマインドの内容
 に関して、何らかの洞察をもらえませんか? 食べ、飲
 み、話し、眠る――あなたの側ではどのように感じられ
 るのでしょうか?
 マハラジ
 生活における一般のことは、私もあなたと同じように体験してい
 る。
 違いは私が体験しないことのなかに現れる。
 私は恐れや欲望、憎しみや怒りを体験しないのだ。
 私は何も頼まず、何も拒まず、何も蓄えない。
 これらに関して私は妥協しない。
 おそらく、これが私たちの間にある際立った違いだろう。
 私は妥協せず、自己に対して真正だが、あなたは実在を恐れてい
 るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

96鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/14(火) 22:37:50 ID:1d4drIFg0
目覚めた者には自我がないから行うことも無いのじゃ。
自分が何かを体験したとかも無いのじゃ。
体験そのものもないのじゃ。
悟らなければ理解し難いことであるがのう。

97避難民のマジレスさん:2018/08/15(水) 08:01:38 ID:LC3de7YgO
>>95
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 西洋人の観点からすれば、あなたのやり方には何か不安
 にさせるものがあるのです。片隅にひとり座って、「私
 は神だ。神は私だ」と繰り返すことはまったく狂ってい
 るように見えます。どうやって西洋人たちに、このよう
 な修練が最上の正気へと導くと納得させればよいのでし
 ょうか?
 マハラジ
 自分を神だと主張する人も、それを疑う他人も、ともに惑わされ
 ている。
 彼らは彼らの夢のなかで話しているのだ。
 質問者 もしすべてが夢なら、目覚めとは何なのでしょうか?
 マハラジ
 真の目覚めの状態を夢の国の言語で表すことができるだろうか?
 言葉では表現できない。
 それらはただの象徴なのだ。
 質問者 またしても、言葉では実在を伝えることができないとい
 う同じ弁解です。
 マハラジ
 もし言葉が欲しいなら、太古の力をもつ言葉をあなたに授けよう。
 どれでもいい。
 絶え間なく繰り返してみるがいい。
 それらは驚きをもたらすだろう。
 質問者 あなたはまじめなのですか? 正しい文化的、宗教的背
 景から生まれた信仰と信念を完全に欠いているにもかか
 わらず、西洋人に「オーム」や「ラーム」または「ハレ
 ・クリシュナ」を絶え間なく繰り返させるというのでし
 ょうか? 熱烈な信心もなしに、機械的に同じ音を繰り
 返すことで、彼が何を達成するというのでしょう?
 マハラジ
 いけないかね?
 衝動と秘められた動機が重要なのであって形式ではない。
 もし彼が真我を見いだすためにするならば、何であれ彼のするこ
 とは間違いなく彼自身へと導くだろう。
 質問者 その手段の有効性のために信仰は必要ないのでしょうか?
 マハラジ
 結果への期待でしかない信仰ならば、まったく必要はない。
 ここでは行動が大事なのだ。
 何であれ、あなたが真実のためにすることは、あなたを真実へと
 連れていくだろう。
 ただ、正直に、誠実でありなさい。 どのような形を取るかは問題ではない。
 質問者 それなら、自分の熱望に表現を与える必要はどこにある
 のでしょうか?
 マハラジ
 必要はない。
 何もしないこともまた良いことなのだ。
 ただの熱望、思考や行為によって薄められていない、純粋で凝縮
 された熱望は、あなたをすばやくゴールへと連れていくだろう。
 本物の動機、それが重要であってやり方ではない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

98鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/15(水) 22:43:05 ID:1d4drIFg0
真摯に悟りを求める意欲が在るならにば信仰は必要ではないのじゃ。
神への信仰が必要と条件付けされている西洋人には理解できないかもしれんがのう。
老病死を超えようとする熱望が人を悟りにまで導くのじゃ。
神への信仰が強すぎるとサマーディで止まってしまうのじゃ。

99避難民のマジレスさん:2018/08/16(木) 07:45:11 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 信じられません! 絶望間際の、退屈で単調な復唱が効
 果的でありうるのでしょうか?
 マハラジ
 繰り返しているという事実そのもの、退屈と絶望、そしてまった
 くの確信の欠如にも関わらず、忍耐と粘り強さをもって闘いつづ
 けていることが、実に決定的なことなのだ。
 やり方自体が重要なのではない。
 その背後にある真剣さがもっと重大なのだ。
 そこには内なる後押しと、外からの引きつける力がなければなら
 ない。
 質問者 私の質問は典型的な西洋のものです。西洋では、人びと
 は原因と結果、手段と結果という言語で考えます。特定
 の言葉と絶対的実在との間にどのような因果関係がある
 のか、彼らには理解できないでしょう。
 マハラジ
 まったく何もない。
 だが、言葉とその意味、行動と動機の間には関連がある。
 霊的修練は意志の主張と再主張なのだ。
 あえてそれに挑む人でないかぎり、真理を差しだされても受け取
 らないだろう。
 恐れから気の進まないまますることが、唯一の障害なのだ。
 質問者 何を恐れるというのでしょうか?
 マハラジ
 未知なるものだ。
 存在ではなく、知識ではなく、行為でもない。
 彼方なるものなのだ。
 質問者 つまり、達成への手ほどきは分かちあえても、その結果
 を分かちあうことはできないということでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、結果を分かちあうことはできる。
 それこそ私が絶え間なくしていることだ。
 しかし、私の分かちあいはひとつの沈黙の言語なのだ。
 聞き方を学び、理解しなさい。
 質問者 私には、どうして信念なしにはじめることができるのか、
 理解できません。
 マハラジ
 しばらく私とともにいるがいい。
 あるいは私の言うことに心を捧げなさい。
 そうすれば確信は現れるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

100避難民のマジレスさん:2018/08/16(木) 08:06:08 ID:KPTPnXc20
くまさま、いつもありがとうございます。

鬼和尚さま
>ただ、正直に、誠実でありなさい。
この「誠実」とはどのようなことを指すのですか?
誠実さとはなんですか?

101鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/16(木) 22:14:57 ID:1d4drIFg0
>>100 それは自分の心に嘘をつかないことなのじゃ。
 自分を誤魔化したり、偽ったりしないことが大事なのじゃ。
 例えば自分を勇敢と思っている者が、実は本心では臆病であったと気づいたならばそれを誤魔化さず、偽ったりせずに認め受け容れることなのじゃ。
 それを偽ったり誤魔化したりすれば本心は隠されて見えなくなってしまうのじゃ。
 本心を偽り、誤魔化して逃避すれば自分という観念にはとうてい到達できないのじゃ。
 そのように自分の本心を偽らず、誤魔化さずに受け容れることが正直で、誠実であることなのじゃ。

102避難民のマジレスさん:2018/08/17(金) 06:51:59 ID:LC3de7YgO
>>100
おはようであります。くまにさまはつけなくてよいであります。くまこうとよばれとります。
(´・(ェ)・`)つ

103避難民のマジレスさん:2018/08/17(金) 06:57:57 ID:LC3de7YgO
>>99
『I AM THAT 私は在る』
【38 霊的修練は意志の主張と再主張だ】(つづき)

 質問者 誰もがあなたに出会う機会があるわけではありません。
 マハラジ
 あなた自身に出会いなさい。
 あなた自身の自己とともに在りなさい。
 それに耳を傾けなさい。
 それに従いなさい。
 それを育み、たえず記憶のなかにとどめておきなさい。
 あなたにほかの指導は必要ない。
 あなたの真理への衝動が日々の生活に影響を及ぼしているかぎり、
 すべてはうまくいくだろう。
 あなたの生を誰も傷つけることなく生きなさい。
 無害であることは、ヨーガのもっとも強力な修行形式なのだ。
 そして、それがあなたをすばやくゴールへと導くだろう。
 これが、私がニサルガ・ヨーガ、自然のヨーガと呼ぶものだ。
 それは平和と調和、友情と愛に生きる技だ。
 その結実が、永遠で原因のない幸福なのだ。
 質問者 それでもこれらはみな、いくらかの信仰を必要条件とし
 ます。
 マハラジ
 内面に向かいなさい。
 そうすれば、あなたは自己を信頼するようになるだろう。
 そのほかすべてにおいて、確信は体験から来るのだ。
 質問者 ある人が私の知らない何かを知っていると告げたとき、
 私には「私が知らず、あなたが知っていることとは何で
 しょうか?」と聞く権利があります。
 マハラジ
 では、もし彼がそれは言葉では伝えられないと言ったならどうす
 るかね?
 質問者 私は彼を念入りに観察し、理解しようとします。
 マハラジ
 それこそまさしく私があなたにしてほしいことなのだ!
 相互理解の流れが確立するまで興味をもち、注意を注ぎなさい。
 そうすれば分かちあいはやさしいだろう。
 あなたはより大きく開かれた意識のなかに入り、そのなかで分か
 ちあうのだ。
 なかに入っていき、分かちあうことを望まないことが唯一の障害
 なのだ。
 私はけっして違いに関して話さない。
 私にとって違いというものはないからだ。
 あなたは違いを見る。
 だから、それを私に見せるのはあなた次第だ。
 ぜひとも見せてほしいものだ。
 そのためには、あなたは私を理解しなければならない。
 だが、そのときには、もはやあなたは違いについて話さないだろ
 う。
 ひとつのことを理解すれば、あなたは達成したことになる。
 あなたを知ることから妨げるのは機会の欠如ではなく、理解した
 いことにマインドの焦点を合わせる能力に欠けるからだ。
 あなたが知らないことをマインドにとどめることができるならば、
 それはその秘密をあなたに解き明かすだろう。
 だが、もしあなたが浅はかで、短気で、見ること、そして待つこ
 とに充分誠実でないなら、あなたは月を求めてなく子供と同じな
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

104避難民のマジレスさん:2018/08/17(金) 07:45:34 ID:KPTPnXc20
>>101
鬼和尚さま、ありがとうございます。理解できました。

ではくまこう、いつもありがとうであります^^
最近、マハラジの「意識に先立って」という本が出版されました。
対話のひとつをここに書き込んでもよいですか?

105避難民のマジレスさん:2018/08/17(金) 20:45:43 ID:LC3de7YgO
>>104
大歓迎であります!
よろしくお願いするであります!
(´・(ェ)・`)つ

106避難民のマジレスさん:2018/08/17(金) 20:50:46 ID:LC3de7YgO
>>104
うむ。
別の講読ゼミとして、独立させた方が読みやすいかもでありますが、その辺はお任せするであります。
(´・(ェ)・`)つ

107鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/17(金) 22:52:19 ID:1d4drIFg0
>>104 どういたしまして、またおいでなさい。

 マハラジは更に自分の内面を、自分を観ることを説いているのじゃ。
 全ての秘密はそこにあるのじゃ。
 自分という一つのトリック、謬見、間違いに気づくことで無我になるのじゃ。
 自分という無意味な観念に騙されていたことを理解するときそれを捨て去ることができるのじゃ。

108避難民のマジレスさん:2018/08/18(土) 09:59:38 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【39 それ自体で独立した存在はない】

 質問者 あなたの話を聞いていて、質問することはまったく役に立たないと
 わかりました。質問が何であれ、あなたはきまってそれをそれ自体
 にはね返らせ、私が自らつくり出した幻想のなかに生きているとい
 うこと、そして実在は言葉では表現不可能だという基本的事実に、
 私を連れ戻します。言葉は単に混乱を増すだけで、唯一、賢明な道
 は内なる沈黙の探求だけです。
 マハラジ
 結局、幻想をつくり出すのはマインドであり、それから自由になるのもマイ
 ンドなのだ。
 言葉は幻想を悪質なものにするかもしれないし、それを追い払う助けをする
 かもしれない。
 同じ真実の言葉を、それが真実となるまで何度も繰り返すことは何も間違

 ではない。
 母の役目は子供の誕生で終わるわけではない。
 彼女は来る日も来る日も、何年も子供が彼女を必要としなくなるまで養う。
 人は言葉を聞く必要があるのだ。
 事実が言葉よりも声高に彼に語りだすまで。
 質問者 それでは、私たちは言葉で養われる子供なのですか?
 マハラジ
 言葉を重視するかぎり、あなたは子供なのだ。
 質問者 わかりました。では、私の母親になってください。
 マハラジ
 生まれる前、子供はどこにいただろうか?
 母親と一緒ではなかっただろうか?
 すでに母親と一緒にいたから、生まれることができたのだ。
 質問者 もちろん、母親自身が子供であったときは、子供を抱えてはいませ
 んでした。
 マハラジ
 潜在的に彼女は母親だったのだ。
 時間の幻想を超えなさい。
 質問者 あなたの答えはいつも同じです。ある種の時計のように、同じ時を
 何度も何度も打ち知らせるのです。
 マハラジ
 それはどうしようもないのだ。
 何億もの朝露に映しだされる太陽のように、永遠なるものは果てしなく繰り
 返される。
 私が「私は在る、私は在る」と繰り返すとき、私はただ常在の事実を主張し、
 再主張しているだけだ。
 あなたは私の言葉にうんざりしてしまう。
 それは、あなたはその背後にある、生きた真実を見ないからだ。
 それに触れなさい。
 そうすれば、言葉とその沈黙の完全な意味を見いだすだろう。
 質問者 小さな女の子は、すでに未来の子供の母親だとあなたは言いました。
 潜在的にはそうでしょうが
、実際的には違います。
 マハラジ
 潜在性は考えることによって現実になる。
 身体とその出来事は、マインドのなかに存在するのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく

109避難民のマジレスさん:2018/08/18(土) 11:54:51 ID:KPTPnXc20
くまこう、ありがとうであります^^
では二つの対話を、数回にわけて投稿いたします。

鬼和尚さま、自分というものがトリックだとうっすら気づく時があります。
でもまだタネがわかりません。苦しみがあります。精進いたします。

---
【意識に先立って─ニサルガダッタ・マハラジとの対話】

1981年1月1日

質問者:
私がいなくても宇宙は存在しますか?

マハラジ:
あなたが意識を持っていなかったとき、世界に関心を持っただろうか?意識がそこにあるかぎり、世界もそこにあるだろう。
多くの質問と答えに巻き込まれすぎないようにすることだ。瞑想をしなさい。そうすれば知識は知識と一つになり、すべての答えが自然発生的に湧き起こることだろう。私はあなたに手がかりを与えた。私はどんな恐れも、願望も、野心もない状態だ。

質問者:
瞑想によって、私もそういう状態に達しますか?

マハラジ:
あなたは瞑想しなければならない。しかし、到達するべきものは何もない。あなたがその状態だ。

質問者:
人がこの世の中で非常に活動的であるとき、肉体と非常に簡単に一体化します。

マハラジ:
あなたが肉体と一体化するのは活動のせいでなく、肉体との一体化ゆえに活動が要求されるのだ。

質問者:
活動に巻き込まれていなければ、一体化しないことがより簡単になります。

マハラジ:
それは概念にすぎない。あなたの中でどんな変化もありえない。自分の中で何らかの変化があるだろうというのは仮定にすぎない。あなたは肉体と一体化した観点から私に話しているのだ。
あなたは何かを得ようとしている──霊的な何かを。それを忘れなさい。あなたが自分を、つもり肉体を一体化したのはなんなのか、ただそれを見なさい。肉体の源泉を発見しなさい。あなたがこれを理解するとき、もはやどんな霊的探求も必要ないことだろう。

(1/2)

110避難民のマジレスさん:2018/08/18(土) 11:57:09 ID:KPTPnXc20
質問者:人は仕事をしなければならないので、それを発見する機会がありません。

マハラジ:その二つは無関係だ。戦争の最中でも、あなたはこれを発見することができる。この肉体はどうやって起こり、その源泉とはなんなのか?
もしあなたが自分の日常生活のあれやこれを放棄するように求められるとすれば、それは真実ではない。何かを放棄することを忘れなさい。自分の通常の活動すべてに最善を尽くしなさい。しかし、そのすべては意識がそこにあるときしか続かない。ただ、他人を傷つけないことだけを心がけなさい。
「するべきこと」と「するべきでないこと」が与えられているのは、世の中の物事がスムーズにいくためだ。
教えらたり読んだりしてきたことは、あなたをどこへも連れて行かないだろう。まず最初に、「私が在る」をあなたが知るのは何故なのかを発見しなさい。それが意識だ。全宇宙がこの「私が在る」という概念に基づいている。それは幻想で想像上のものであり、何の実体もない。

(2/2)

111鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/18(土) 21:52:56 ID:1d4drIFg0
修行が出来ないのは仕事とかが原因ではないのじゃ。
心の中にある恐れとか不安とか変化したくないという想いが真の原因なのじゃ。
仕事が忙しいとかは言い訳に過ぎないものじゃ。
死という現実に唯一対抗できる悟りへの道を誰もが進むべきなのじゃ。

112避難民のマジレスさん:2018/08/19(日) 06:27:08 ID:LC3de7YgO
>>108
『I AM THAT 私は在る』
【39 それ自体で独立した存在はない】(つづき)

 質問者 そしてマインドは動きのなかの意識であり、意識は真我の条件づけ
 られた(サグナ)相です。無条件(ニルグナ)の相がもうひとつの
 相であり、その彼方には絶対性(パラマールダ)の深淵が広がって
 いるのです。
 マハラジ
 まったくその通りだ。
 あなたは美しくそれを言い表した。
 質問者 しかし、私にとってはただの言葉にすぎません。それを聞き、復唱
 するだけでは、充分ではないのです。それは体験されなければなり
 ません。
 マハラジ
 何もあなたが体験することを止めて
はいない。
 外側の関心事に夢中になることが、内側に焦点を合わせることを妨げている
 のだ。
 それは救いようがない。
 サーダナ(修練)を避けることはできないからだ。
 世界に背を向け、内側に向かいなさい。
 そうすれば、内と外は溶けあい、あなたは内と外という条件づけを超えるこ
 とができる。
 質問者 もちろん、無条件は条件づけされたマインドのなかの単なる概念で
 しかありません。それ自体では存在しません。
 マハラジ
 それ自体で独立した存在はない。
 すべてのものはそれ自体の不在性を必要とするのだ。
 在ることとは、区別することができるように在るということだ。
 そこではなく、ここに在り、その時ではなく、今に在ること。
 何かほかのものにではなく、このよ
うに在ること。
 水が容器によって形づくられるように、すべてのものは条件(グナ)によっ
 て決定されるのだ。
 容器に関わらず、水が水として残り、光が色をもたらしてもそれ自体は光と
 して残るように、実在も、それが反映される条件に関わらず実在としてとど
 まる。
 なぜ意識の焦点のなかにだけ反映を残そうとするのだろう?
 なぜ実在そのものではないのだろうか?
 質問者 意識自体が反映なのです。どうしてそれが実在をつかむことができ
 るでしょう?
 マハラジ
 意識とその内容はただの反映であり、変化し、はかないものだと知ることが
 実在に焦点を当てることになるのだ。
 ロープのなかに蛇を見ることを拒否することが、ロープを見ることの必要

 件なのだ。
 質問者 必要条件だけですか、それとも充分条件なのですか?
 マハラジ
 ロープが存在すること、そしてそれが蛇に似ていることも知らなければなら
 ない。
 同じように、真理が存在し、そしてそれが観照意識の本質だと知らなければ
 ならない。
 もちろん真理は観照の彼方にある。
 だが、真理に入っていくには、まず純粋な観照状態を自覚しなければならな
 い。
 条件づけに気づくことがあなたを無条件な状態に連れていくのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

113鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/19(日) 22:48:35 ID:1d4drIFg0
観照もまた悟りのための道具なのじゃ。
悟り終えれば捨て去るべきものじゃ。
自我を厭離してくれる能力ではあるが意識そのものではないのじゃ。
観照の後に全ては意識であったと気づくのじゃ。

114避難民のマジレスさん:2018/08/20(月) 08:26:36 ID:LC3de7YgO
>>112
『I AM THAT 私は在る』
【39 それ自体で独立した存在はない】(つづき)

 質問者 無条件なるものを体験することはできるのでしょうか?
 マハラジ
 条件づけを条件づけとして知ること、それが無条件なるものについて言える
 ことのすべてだ。
 肯定的言語は単に示唆するだけであり、かえって迷わせるのだ。
 質問者 観照を実在として語ることはできるでしょうか?
 マハラジ
 それはできない。
 私たちに語ることができるのは、ただ非実在、幻想、一時的なもの、条件づ
 けされたものだけだ。
 その彼方へと行くには、私たちは独立した存在をもつとされるすべてを完全
 否定していかなければならない。
 すべてのものごとは依存しているのだ。
 質問者 それは何に依存するのでしょうか?
 マハラジ
 意識に依存する。
 そして意識は観照者に依存するのだ。
 質問者 そして観照者は実存に依存するのでしょうか?
 マハラジ
 観照者は実在の純粋な反映だ。
 それはマインドの状態に依存する。
 明晰(めいせき)性と無執着が支配すると、観照意識が現れる。
 それは水が澄んで静かならば、月の影が映るような、あるいはダイヤモンド
 のなかで太陽の光線がきらめきを放つようなものだ。
 質問者 すべての体験が条件づけられているため、無条件なるものが体験で
 きないのだとしたら、なぜそれについて話すのでしょうか?
 マハラジ
 無条件なるものなしで、どうして条件づけされたものの知識がありうるだろ
 う?
 そこには、これらすべてが現れだす源、すべてが存在するための土台がなけ
 ればならない。
 自己の条件づけの知識、そして条件づけの無限の多様性は、私たちの条件づ
 けされることと多様性を起こさせる無限の能力に依存している。
 真我の実現とは、根本的にそれに気づくことなのだ。
 条件づけされたマインドには、無条件
なるものは完全性として現れるか、あ
 るいはすべての不在性として現れるのだ。
 どちらも直接体験はありえない。
 しかし、それが非存在を意味しているわけではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

115鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/20(月) 21:18:37 ID:1d4drIFg0
さまざまな観念を作り出す阿頼耶識もそもそも意識が無ければ存在しないものじゃ。
無条件なものがなしで、条件づけされたものの知識が無いとはそのことなのじゃ。
意識によって阿頼耶識も観念も生み出されることに気づくのが真我の実現なのじゃ。

116避難民のマジレスさん:2018/08/21(火) 06:10:01 ID:LC3de7YgO
>>114
『I AM THAT 私は在る』
【39 それ自体で独立した存在はない】

 質問者 それは感情ではないでしょうか?
 マハラジ
 感情もまたマインドの状態だ。
 健康な身体は注意を呼び起こさない。
 同様に体験から自由な無条件なるものもまたそうなのだ。
 死の体験をとってみなさい。
 普通の人は死を恐れる。
 なぜなら、彼は変化を恐れるからだ。
 ジニャーニは恐れない。
 なぜなら、彼のマインドはすでに死んでいるからだ。
 彼は「わたしは生きている」と考えない。
 彼は「そこに生命が在る」と知っている。
 そこには何の変化もなく、死もない。
 死は時間と空間のなかの変化として現れる。
 時間も空間もないところに、どうして
死がありうるだろう?
 ジニャーニは名前と形に対してすでに死んでいる。
 時間と空間を失うことがどうして彼に影響を与えるだろうか?
 列車に乗った人は、ひとつところからつぎへと旅していく。
 だが、列車を降りた人はどこへも行かない。
 なぜなら、彼は目的地に縛られないからだ。
 彼はどこへも行くところはなく、何もすることはなく、何になることもない。
 計画を持つ人は、それを実行するために生まれてくるだろう。
 計画を持たない人は生まれてくる必要はない。
 質問者 苦痛と快楽の目的は何でしょうか?
 マハラジ
 それらはそれら自体で存在するだろうか?
 あるいはマインドのなかにだけ存在するのだろうか?
 質問者 それでも、それらは存在します。マインドはともかくも。
 マハラジ
 苦痛と快楽は、誤った知識と誤った感情の結果の単なる兆候にすぎない。
 結果がそれ自体の目的をもつことはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

117避難民のマジレスさん:2018/08/21(火) 09:13:05 ID:KPTPnXc20
【意識に先立って─ニサルガダッタ・マハラジとの対話】

1981年1月27日

マハラジ:あなたはどこから来て、誰がここへ導いたのかね?

質問者:私はタイの僧院で勉強していて、そこの僧院長がマハラジの教えの本を読むように提案してくれました。私がインドに行こうと決心したとき、マハラジに会ったことがある友人たちがここを教えてくれました。

マハラジ:あなたは何か質問があるかね?

質問者:マハラジが推薦する修行方法とは何かを説明していただけないでしょうか?

マハラジ:従うべきどんな修行も規律もない。ただ私の言うことを聞いて、確固たる信念を持って受け入れなさい。

質問者:瞑想の重要性についてはどうでしょうか?

マハラジ:すべての人が持っている唯一のものは自分が存在しているという信念、つまり意識的な存在だけだ。瞑想はただその存在の感覚に対してであり、他にはない。

質問者:瞑想の間、人はただ座って自分の存在について考えます。

マハラジ:個人的にではなく、言葉にできない存在感で座るのだ。あなたがここに座っていることを知っているものついて瞑想しなさい。自分の肉体がここにあるという感覚は肉体との一体化だが、この肉体がここに座っていることを知っているものは『絶対』の表現なのだ。

質問者:このことはマインドを通じて知られるのでしょうか?

マハラジ:マインドは物質の特性だ。あなたは物質ではなく、物質を理解するものなのだ。この存在感が、理解する必要のあるどんなもことでも説明してくれることだろう。あなたの努力はそれを説明してくれないが、あなたがこの存在感と一つになるなら、それが説明してくれるだろう。

質問者::私がするすべての活動について、私はこの存在感を一日中発展させるべきですか?

マハラジ:あなたがこれに集中する必要はない。それはいつもそこにある。あなたがすることは何であれ、その本質は肉体─マインドだ。肉体─マインドにその仕事をさせなさい。しかし、その仕事をやっているのはあなたではないことを理解しなさい。あなたは存在の感覚だ。
 あなたが肉体的なあるいは知的などんな努力をしようとも、それは本質的に肉体─マインドの努力だ。あなたがするべきことは何もない。自分は肉体とマインドから完全に離れているというあなたの信念があれば、何が起こるにしろ、それは自然に起こる。

質問者:それは簡単に聞こえますが、でもとても難しいに違いありません。

マハラジ:簡単とかむずかしいとか考えることなく、あなたはその存在の感覚であり、肉体─マインドではないというこの一つの信念にしがみつきなさい。あなたであるものは何の形も色もない。

118避難民のマジレスさん:2018/08/21(火) 09:15:05 ID:KPTPnXc20

質問者:肉体と思考がなくなったあとでも、その存在感は続きますか?

マハラジ:肉体が去るときその存在感もなくなり、意識はもはやそれ自体を意識しなくなることだろう。

質問者:肉体が去るときは、あらゆるものが去るのですか?

マハラジ:そのとおりだ。幸福や不幸の経験も去り、一切の経験が無用となる。

質問者:継続するものは何もないですか?何も?

マハラジ:あなたは概念的なレベルで考えている。そのレベルで知りたがっているのは誰か?その状態を忘れなさい。

質問者:私は『それ』を理解したいのです。

マハラジ:理解されたり、認識されることは何であれ、永遠の真理ではありえない。未知なるものが真理だ。
 私にはどんな経験も不要だ。それゆえ、誰ともケンカする必要もない。肉体とマインドが自然に続く間、それらは好きなことを何でもやり続けることだろう。

質問者:あることより別のことをやるほうがいい場合もありますか?たとえば、このマインドと肉体をもって、私はただ座って何もしないでいることもできるでしょう。あるいは、外を歩き回って人々を助けるといった善行をすることもできます。どちらをやったほうがいいのでしょうか?

マハラジ:肉体とマインドは何であれ、その組み合わせにとって自然なことをやるだろう。

質問者:人は物事をコントロールできます。たとえば、食べすぎたり、飲みすぎたりすることもあります。あるいは善行をして人々を助けることなどもできます。

マハラジ:肉体とマインドに関しては、「やるべき」ことと「やるべきではない」ことがあるが、あなたはそれらではない。あなたは肉体とマインドではないことが前提であり、あなたはその前提から始まったのだ。肉体がないとき、意識はそれ自体を意識していないことを理解しなさい。肉体がそこにあるかぎり、それはその自然の機能をおこなわければならない。

質問者:ということは、それが自然なことをするように、私が許すのですか?

マハラジ:それが起こることをあなたが許すという問題ではなく、それは起こるのであり、あなたはそれに対して何のことんロールもできない。

119避難民のマジレスさん:2018/08/21(火) 09:16:57 ID:KPTPnXc20
質問者:でも、私がコントロールできることもあります。たとえば、ここに来るかどうかをコントロールできます。

マハラジ:それは誤解だ。何であれ、起こることは自然に起こるのだ。このすべては意識のショー、あるいは表現であり、その特性は変化だ。それは意識的な存在のダンスであり、意識にはそれ自体を楽しませる非常の多くの異なる形態、技量、能力が機能している。しかし、その機能は単に自分自身をたのしませるためのものだ。それは疲れると眠って休み、目覚めると活動や行為などの何らかの娯楽を必要とする。
それらはみな意識の中の見かけだ。それぞれは自分自身の寿命に従って続くが、基本的には正当なことも重要なことも何も起きてはいない。目覚め、つまり理解が起こるまで、あなたは自分を行為者だと考えるが、いったんこの理解が起これば、働いているどんな実体もないことをあなたは知る。

質問者:私は悪いことをするより、よいことをするほうがいいだろうと考えているだけです。

マハラジ:あなたが言う良いことと悪いこととはどういう意味だろうか?ある状況下ではよいことが、別の状況下のもとでは悪いことにもなりうる。あなたがよいと考えている物事さえ、その肉体が続くかぎりにおいてのみよいことでありうるにすぎない。まれな人だけが何もするべきことがないと理解することだろう。その人はすでに『それ』だ。

質問者:マハラジは私たちを助けてくださっていますが、それは意図的な状態ですか?

マハラジ:それは全機能の一部だ。起こっていることはある種の夢の状態であり、何が起こっても夢の一部だ。私から霊的な、あるいは世俗的な何が起こっても、それらはマインドによる修正で増殖することはない。なぜなら、どんな行為も宇宙的で霊的だからだ。霊性は『未知なるもの』に安定しているゆえに、完璧だ。
 しばしば肉体的苦痛を観照することが私に起こる。なぜなら、快楽と苦痛を登録する肉体と意識という道具がまだそこにあるからだ。私の健康状態ゆえに苦痛の登録は増える。少し前、私はその苦痛を観照していたが、あなた方がここにきたらなくなってしまった。人は意識の中に安定すると、ただ喜びだけでいっぱいになる。私はその意識に安定して喜びでいっぱいだったのだが、突然病気が現れたために苦痛がやって来たのだ。あなたが意識の中に安定して、どんな肉体的不調もないかぎり、どんな苦痛も経験しないことだろう。それが意識それ自体の特質だ。
 あなたは意識以前に存在している。その状態ではどんな快楽も苦痛もない。
 肉体や意識とつきあうことは、ちょうど次のようなものだ。あなたは独身で自由で幸福な人生を送っている。それから妻というものと関わると、その結果として快楽と苦痛が生じる。ちょうどそんなようなものだ。

質問者:どうしたら私はその状態を獲得できますか?

マハラジ:それは常に行き渡っているが、知ることを超えている。その状態は説明することができなもので、「『それ』は在る」という言葉でさえその状態にはほど遠く、単なる示唆にすぎない。

(おわり)

120避難民のマジレスさん:2018/08/21(火) 09:25:59 ID:KPTPnXc20
>>115
鬼和尚さま
「意識によって阿頼耶識も観念も生み出される」とのことですが、
それは上のマハラジの言う「快楽と苦痛を登録する肉体と意識」の意識と同じですか?

また、常々おっしゃる「すべては意識なのじゃ」の意識とも同じなのですか?

121鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/21(火) 22:57:11 ID:1d4drIFg0
>>120 違うのじゃ。
 マハラジの言うのは阿頼耶識じゃな。
 
 全てである意識と同じなのじゃ。
 それがなければ阿頼耶識も何も無いのじゃ。
 海が無ければ魚も住まないようなものじゃ。

122鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/22(水) 00:11:47 ID:1d4drIFg0
実践あるのみなのじゃ。
実践が全てなのじゃ。

123避難民のマジレスさん:2018/08/22(水) 06:24:54 ID:KPTPnXc20
>>121
お答えありがとうございます。
マハラジのは阿頼耶識を指しているのですね。
実践あるのみ、精進いたします。

これで「意識にさきだって」からの抜粋は終わりであります。
くまこう、ありがとうでありましたであります^^

124避難民のマジレスさん:2018/08/22(水) 06:32:38 ID:LC3de7YgO
>>123
ありがとうでありました。
気が向いたら、また、つづきもおねがいするのである。
(´・(ェ)・`)つ

125避難民のマジレスさん:2018/08/22(水) 06:49:25 ID:LC3de7YgO
>>116
『I AM THAT 私は在る』
【39 それ自体で独立した存在はない】(つづき)

 質問者 神の経済学では、すべてが目的をもっていなければなりません。
 マハラジ
 あなたは思うままに神について語っているが、彼を知っているのかね?
 あなたにとって神とは何かね?
 ひとつの音だろうか?
 紙面上のひとつの文字、あるいはマインドのなかのひとつの概念だろうか?
 質問者 彼の力によって私は生まれ、生き続けているのです。
 マハラジ
 そして苦しみ、死ぬのだ。
 あなたはそれが嬉しいかね?
 質問者 私が苦しみ死ぬのなら、それは私の過ちかも知れません。私は永遠
 の生として創造されたのです。
 マハラジ
 なぜ未来における永遠であって、過去への永遠ではないのだろうか?
 はじまりあるものは終わらなければならない。
 はじまりのないものだけが無窮(むきゅう)なのだ。
 質問者 神は単なる概念なのかも知れません。それでもとても有効な概念で
 す!
 マハラジ
 それならば、内なる矛盾から自由になるべきだ。
 だが、それは無理だろう。
 どうしてあなた自身があなたの創造者であり創造物だという理論を調べない
 のだろうか?
 少なくともそこには争うべき外側の神はいないだろう。
 質問者 世界はこんなにも豊かで複雑です。どうやって私にそれをつくり出
 せるというのでしょうか?
 マハラジ
 何ができ、何ができないのかを知るほど、あなたは充分あなた自身を知って
 いるだろうか?
 あなたは自分の力を知らないのだ。
 あなたは一度も調べたことがない。
 自分自身とともに、今はじめなさい。
 質問者 誰もが神を信じています。
 マハラジ
 私にとっては、あなたがあなた自身の
神だ。
 だが、あなたが別の考え方をするならば、最後までそう考えるがいい。
 もし神がいるならば、すべてが神のものであり、すべては最上の目的のため
 にある。
 やってくるものは何であれ、喜びと感謝の心をもって歓迎しなさい。
 そしてすべての創造物を愛しなさい。
 これもまたあなたを真我へと導くだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

126鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/22(水) 22:36:20 ID:1d4drIFg0
神は概念であり、人の作ったものに過ぎないのじゃ。
それに囚われれば観念の奴隷に陥るのじゃ。
自ら作った観念に囚われるのは愚かなことじゃ。
自らの心の中に全てはあるのじゃ。

127素人A:2018/08/22(水) 23:25:53 ID:gxsfDx0o0
カジノ法案なんて消費税に比べて罪がないと突然おもつた
消費税の国が胴元で札束というものを買う行為と馬券で馬に掛ける仕組みと同じだあ
ギャンブル依存性は国の制作だつた

128避難民のマジレスさん:2018/08/23(木) 08:39:07 ID:LC3de7YgO
1『I AM THAT 私は在る』
【40真我だけが実在だ】

 マハラジ
 世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。
 それは在り、しかもそれはない。
 私が見たいと欲し、それに参加したいと望むかぎり、それはそこに在る。
 私が気にかけるのをやめるとき、それは溶け去る。
 それは原因がなく、何の目的にも仕えない。
 それは私たちが放心しているときに起こる。
 まったく見たとおりに現れはするが、そこには何の深みも意味もない。
 ただその傍観者だけが実在なのだ。
 彼は真我ともアートマとも呼ばれる。
 真我にとって世界は、それが続くかぎり楽しみ、終われば忘れられてしまう、
 ただの色鮮やかなショーにすぎない。
 何であれ、舞台の上で起こることが彼を恐怖で身震いさせようと、あるいは
 笑い転げさせようと、常に彼はそれがただのショーだと知っている。
 欲望や恐れなしに、彼は起こるがままに楽しむのだ。
 質問者 世界の中に浸かっている人は、多くの味わいを持っています。彼は
 泣き、笑い、愛し、そして憎み、切望し、また恐れ、苦しみ、そし
 て楽しみます。無欲で恐れのないジニャーニ、彼の人生はどのよう
 なものなのでしょう? 彼は冷淡で無味乾燥とした高みにひとり超
 然としているのでしょうか?
 マハラジ
 彼の境地はそのような寂しいものではない。
 それは純粋で、原因がなく、希釈されない至福なのだ。
 彼は幸福であり、幸福が彼の本質そのものなのだ。
 彼はそれを守るために闘うことも、何をする必要もない。
 幸福は彼にしたがい、身体よりも真実で、マインドよりも身近かなのだ。
 あなたは、原因なしで幸福はありえないと想像している。
 私から見れば、幸福のために何かに依存することはまったく悲惨なことだ。
 快楽と苦痛には原因がある。
 一方、私の境地は私自身のものであり、まったく原因がなく、独立した、疑
 う余地のないものだ。
 質問者 舞台上の劇のようにでしょう
か?
 マハラジ
 劇は作品として書かれ、計画され、稽古されたものだ。
 世界はただ無から存在の中へと立ち現れ、無へと帰っていく。
 質問者 創造者はいないのでしょうか? 世界は創造される前には、創造神
 ブラフマーのマインドのなかにあったのではないでしょうか?
 マハラジ
 私の境地の外にいるかぎり、あなたは創造神、維持神、破壊神をもつだろう。
 しかし、ひとたび私とともにあるならば、あなたは真我だけを知り、すべて
 のなかにあなた自身を見るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

129鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/23(木) 22:35:26 ID:1d4drIFg0
世界も神も人が心につくったものじゃ。
目覚めれば無いと理解できるものじゃ。
自分さえも観念でしかないのじゃ。
観念が無ければ常に安らぎと喜びだけが有るのじゃ。

130避難民のマジレスさん:2018/08/24(金) 06:43:53 ID:LC3de7YgO
>>128
『I AM THAT 私は在る』
【40真我だけが実在だ】(つづき)

 質問者 それでも、あなたは世界のなかで機能しています。
 マハラジ
 めまいがするとき、世界はあなたのまわりで輪を描いているかのように見え
 る。
 手段と目標、仕事と目的という観念に取りつかれて、あなたは私が一見機能
 しているかのように見るだろう。
 実際には、私はただ見ているだけだ。
 何であれ、為されることは舞台上で為
されているのだ。
 喜びと悲しみ、生と死、束縛された人にとってそれらはすべて現実だ。
 私にとって、それらはすべてショーだ。
 ショーそのもののように非現実なのだ。
 私はあなたのように世界を知覚するかも知れないが、あなたはそのなかにい
 ると信じ切っている。
 ところが、私は世界を広大な意識の広がりのなかの、ひとつの真珠のつぶと
 してしか見ていないのだ。
 質問者 私たちは皆年老いていきます。あらゆる痛みや苦痛、弱さ、そして
 死が近づいてきます。老年は快いものではありません。ジニャーニ
 はひとりの老人としてどう感じるのでしょうか? 彼の内なる自己
 は彼自身の老衰をどう見ているのでしょうか?
 マハラジ
 彼は年を追うにしたがって、もっともっと幸せに、そして平安になっていく。
 つまるところ、彼は古巣に戻るのだ。
 目的地に近づいた旅人が、荷物をまとめ、心残りもなく列車を去っていくよ
 うに。
 質問者 明らかにそこには矛盾があります。ジニャーニはすべての変化を超
 えていると私たちは聞いています。彼の幸福は強くなることも、衰
 えることもありません。どうして身体的衰弱にもかかわらず、年を
 とるにつれて彼はより幸福になるのでしょうか?
 マハラジ
 そこに矛盾はない。
 運命の一巻は終わりを告げようとしている――マインドは嬉しいのだ。
 身体的存在の霧は晴れようとしている――身体の重荷は日に日に減少してい
 くのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

131鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/24(金) 22:49:46 ID:1d4drIFg0
悟った者にとって涅槃は永遠の安らぎであり、真の休息なのじゃ。
衆生のために法を説いた後にそこに還るのは喜びでも在るのじゃ。
悟れば死は恐れではなく既に祝福なのじゃ。
そこに近づくのは子供が遠足に行くかのようにうれしいのじゃ。

132避難民のマジレスさん:2018/08/25(土) 05:29:59 ID:LC3de7YgO
>>130
『I AM THAT 私は在る』
【40真我だけが実在だ】(つづき)

 質問者 ジニャーニが病気だとしましょう。彼は風邪をひき、関節のあちこ
 ちが痛み、焼けるようです。彼のマインドの状態はどうなのでしょ
 うか?
 マハラジ
 あらゆる感覚は完全な平静さとともに観照される。
 そこには何の欲望も拒絶もない。
 それはあるがままであり、彼はそれを愛情のこもった無執着の微笑みととも
 に見るのだ。
 質問者 彼は苦しみに対して超然としているかもしれませんが、それでも、
 それはそこにあるのです。
 マハラジ
 それはそこにある。
 だが、それは問題ではない。
 いかなる状態にいようとも、私はそれをあるがままのマインドの状態として
 見るのだ。
 質問者 痛みは痛みです。あなたはやはり体験するのです。
 マハラジ
 身体を体験する人は、その苦痛と快楽を体験するだろう。
 私は身体でも、身体を体験する人でもないのだ。
 質問者 では、あなたが二十五歳の青年だとします。あなたの結婚が準備さ
 れ、行われました。そして家庭生活の義務があなたの上にのしかか
 ってきます。あなたはどう感じるでしょうか?
 マハラジ
 たった今、私が感じているようにだ。
 あなたは私の内的状態が、外的出来事によって形づくられると主張しつづけ
 ている。
 それはただそうではないのだ。
 何が起ころうと、私は変わらないままだ。
 私の存在の根底には気づきが、強烈な光の点が在る。
 この点がその本性によって輝き、空間のなかには画像を、時間のなかには出
 来事を、努力することなく自発的につくり出す。
 それを単に気づいているだけならば、問題はない。
 しかし、分別心が存在の中に現れ、区別をつくり出すと、苦痛と快楽が立ち
 現れる。
 眠りの間、マインドは停止しているため、苦痛や快楽も停止している。
 創造の過程は継続するが、注目はされない。
 マインドは意識のひとつの形であり、意識は生命のひとつの相だ。
 生命がすべてをつくり出す。
 しかし、至高なるものはすべてを超えた彼方にあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

133鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/25(土) 22:05:43 ID:1d4drIFg0
肉体の痛みも病ももはや何の意味もないのじゃ。
それもまた観念によって苦になるものであるからのう。
全ての観念を超えたならば肉体の不調も苦にはならないのじゃ。
永遠の安らぎと喜びが在るだけなのじゃ。

134避難民のマジレスさん:2018/08/26(日) 04:52:41 ID:LC3de7YgO
>>132
『I AM THAT 私は在る』
【40 真我だけが実在だ】

 質問者 至高なるものが主人であり、意識は彼の召使いです。
 マハラジ
 主人は意識のなかにいて、それを超えはしない。
 意識との関係において、至高なるものは創造と破壊、具象と抽象、焦点と普
 遍だ。
 それはまた、そのどちらでもない。
 言葉もマインドも、そこには届かないのだ。
 質問者 ジニャーニは、とても寂しい存在のように見えます。孤立している
 かのようです。
 マハラジ
 彼はひとりだ。
 だが、彼はすべてなのだ。
 彼はあるひとつの存在でさえない。
 彼はすべての存在の実在なのだ。
 それでさえもない。
 いかなる言葉も適さない。
 彼は彼で在るもの。
 すべてがそこから成長していく土台なのだ。
 質問者 あなたは死を恐れてはいないのでしょうか?
 マハラジ
 私のグルのグルがどのように死を迎えたか話をしよう。
 死が近づいていることを皆に告げた後、彼は日々の日常の仕事を続けながら、
 食事をするのをやめた。
 十一日後、祈りの時間に、彼は歌い、手を元気に叩きながら突然死んだのだ!
 そのように、二つの瞬間の合間にロウソクが吹き消されるように。
 誰もが彼の生きたように死ぬ。
 私は死を恐れてはいない。
 なぜなら生を恐れていないからだ。
 私は幸福な生を送り、幸福な死を迎えるだろう。
 惨(みじ)めさとは生まれることだ。
 死ぬことではない。
 すべてはあなたがどのように見るかにかかっているのだ。
 質問者 あなたの境地の証拠はありません。私の知るすべては、あなたが言
 うことだけです。私が見ているのはとても興味深い老人です。
 マハラジ
 興味深い老人はあなただ。
 私はけっして生まれなかった。
 どうして年をとることができようか?
 あなたにとって現れる私は、あなたの
マインドのなかにだけ存在するのだ。
 私はそれに関わってはいない。
 質問者 たとえ夢であっても、あなたはもっとも特別な夢です。
 マハラジ
 私はあなたを目覚めさせることのできる夢だ。
 あなたが目覚めるということ自体のなかに、その証明を得るだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

135鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/26(日) 21:32:54 ID:1d4drIFg0
目覚めれば人は全てであったことに気づくのじゃ。
一度も個体とか個我になったこともないのじゃ。
個体とか個我の自分という観念が幻想であったのじゃ。
仏陀はその生きた証明なのじゃ。

136避難民のマジレスさん:2018/08/27(月) 08:00:50 ID:LC3de7YgO
>>134
『I AM THAT 私は在る』
【40 真我だけが実在だ】(つづき)

 質問者 私が死んだという知らせがあなたに届いたと想像してください。誰
 かがあなたに「この人を知っていますか? 彼は死んだのですよ」
 と告げます。あなたはどのような反応をするのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが古巣に帰り着いて私は本当に幸せだろう。
 あなたがこの愚かさから抜けだしたのを見て本当に嬉しい。
 質問者 どの愚かさでしょうか?
 マハラジ
 あなたが生まれ、そして死ぬと考えていること、あなたがマインドを誇示す
 る身体であると考えていること、そしてそのようなばかげた話のすべてだ。
 私の世界では誰も生まれず、誰も死な
ない。
 何人かの人は旅を続け、そして帰ってくる。
 何人かはけっして去ることはない。
 彼らは夢の国で、それぞれ自らの夢に包まれて旅しているのだ。
 そこにどんな違いがあるというのだろう?
 目を覚ますことだけが重要なのだ。
 「私は在る」が実在であり、そしてまた愛なのだと知るだけで充分だ。
 質問者 私の道はそれほど絶対的なものではありません。それゆえの質問で
 す。西洋の至るところで、人びとは何か真実なるものを探求してい
 ます。彼らは物質に関して多くを語る科学に傾倒してきましたが、
 それはマインドに関してはわずかばかり、自然と意識の目的に関し
 てはまったく触れません。彼らにとって実在は客観的で、観察可能
 で、直接、あるいは推測による記述可能な外的なものであり、実在
 の主観的側面については何も知らないのです。実在が在るというこ
 と、そしてそれは物質とその限界や歪(ゆが)みから意識が自由に
 なることで見いだせるのだということを、彼らに知らしめるのは非
 常に重要なことです。世界のほとんどの人びとは、実在を見いだす
 ことができ、しかも意識のなかで体験できるということを知らない
 のです。彼らが実際に実在を実現した人からその良い知らせを聞く
 のはたいへん重要なことのように思えます。そのような賢者はつね
 に存在してきました。そして彼らの証言は貴重なものです。
 マハラジ
 もちろん。
 真我の実現の福音は、ひとたび聞かれたならば、けっして忘れることのでき
 ないものだ。
 大地にうずくまる種子のように、それは来るべき季節を待ち、やがて芽吹い
 て巨大な樹へと生長することだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

137鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/27(月) 22:21:37 ID:1d4drIFg0
死もまた観念であり存在しないものじゃ。
個我が無ければ死もまたないのじゃ。
個我の消滅を死と呼ぶのじゃ。
個我がそもそも無ければ死もまたないのじゃ。

138避難民のマジレスさん:2018/08/28(火) 06:56:29 ID:LC3de7YgO
1『I AM THAT 私は在る』
【41 観照の姿勢を発達させなさい】

 質問者 賢者の日々のマインドの状態とはどのようなものでしょうか? 彼
 はどのように見、聞き、食べ、飲み、目覚め、働き、そして休むの
 でしょうか? 彼の境地が私たちのものと異なるという証拠は何で
 しょうか? いわゆる実現したと言われる人びとの証言以外に、客
 観的に彼らの状態を証明する方法はありません。何か観察可能な違
 いが彼らの生理学的な、そして神経反応、物質代謝、または脳波、
 あるいは心身相関の構造のなかにあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは違いを見つけるかもしれないし、見つけないかもしれない。
 すべてはあなたの観察の能力にかかっている。
 しかしながら客観的な違いがもっとも重要なものではない。
 問題は彼らの見地と彼らの態度にある。
 それは超然として、冷静で、完全に無執着で在ることだ。
 質問者 ジニャーニの子どもが死んだとき、彼は悲しみを感じるのでしょう
 か? 彼は苦しまないのでしょうか?
 マハラジ
 彼は苦しむ人たちとともに苦しむ。
 出来事自体が重要なのではない。
 だが、生きていようと死んでいようと、身体のなかにいようと外にいようと、
 彼は苦しむ人たちに対して慈悲に満ちている。
 やはり、彼の本性は愛と慈悲なのだ。
 彼はすべての生命とひとつであり、行為のなかでひとつであることが愛なの
 だ。
 質問者 人びとは死をとても恐れています。
 マハラジ
 ジニャーニに恐れるものは何もない。
 だが彼は恐れている人を哀れむ。
 つまるところ、生まれること、生きること、そして死ぬことは自然なことだ。
 恐れることは自然ではない。
 もちろん起きていることに注意は払われる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

139鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/28(火) 22:39:59 ID:1d4drIFg0
苦しむものがいれば自他の無い仏陀も苦しいのじゃ。
その苦から解放するために法を説くのじゃ。
法を実践すれば苦から解放されて安楽になるのじゃ。
死さえも髪やつめが切れて落ちるような自然なここと気づいて安楽になるのじゃ。

140避難民のマジレスさん:2018/08/29(水) 06:29:02 ID:LC3de7YgO
>>138
『I AM THAT 私は在る』
【41 観照の姿勢を発達させなさい】(つづく)

 質問者 あなたが病気だと想像してください。医師が、あなたの病状は深刻
 なもので、あと二、三日しかもたないだろうと言ったとします。あ
 なたの最初の反応は何でしょうか?
 マハラジ
 無反応だ。
 線香の火に燃えつきるときがくることが自然なように、身体が死ぬのは自然
 なことだ。
 それはまったく重要な問題ではない。
 重要なことは、私は身体でもマインドでもないということだ。
 私は在る
 質問者 あなたの家族は絶望するでしょう。彼らに何と伝えるのでしょうか?
 マハラジ
 よく言われることだ。
 恐れてはならない。
 人生は続いていく。
 神があなたたちを守るだろう。
 私たちはすぐにまた一緒になるだろう、といったことだ。
 だが、私にとってこの動揺全体は無意味なものだ。
 なぜなら、私は生きるとか死ぬといった想像をする実体ではないからだ。
 私はけっして生まれなかった。
 私に死ぬことはできないのだ。
 私には覚えることも忘れることもない

 質問者 死者への祈りはどうなるのですか?
 マハラジ
 もちろん、死者への祈りを捧げるがいい。
 それはとても彼らの意にかなうだろう。
 彼らは嬉しく思う。
 ジニャーニはあなたがたの祈りを必要としていない。
 彼自身があなた方の祈りへの応えなのだ。
 質問者 死の後、ジニャーニはどのように旅立っていくのでしょう?
 マハラジ
 ジニャーニはすでに死んでいる。
 あなたは彼にもう一度死ぬことを期待するのかね?
 質問者 もちろん、身体の崩壊はジニャーニにとっても重要な出来事に違い
 ありません。
 マハラジ
 ジニャーニに重要な出来事というものはない。
 誰かが最高の目的を成就したときを除いては。
 そのときだけは、彼のハートも喜ぶ。
 それ以外のすべてに対して彼は関心がない。
 宇宙全体が彼の身体であり、すべての生命は彼の生命なのだ。
 都会でひとつの電球が消えたとき、それがネットワーク全体に影響を与える
 ことはない。
 同じようにひとつの身体の死が全体に影響を与えることはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

141鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/29(水) 22:02:55 ID:1d4drIFg0
目覚めればもはや死は無いと知れるのじゃ。
産まれることもなかった故に死ぬことも無いのじゃ。
生死も無いのに肉体の在る不思議なのじゃ。
ただ他の者も目覚めさせるために法を説くのみなのじゃ。

142避難民のマジレスさん:2018/08/30(木) 14:28:19 ID:LC3de7YgO
>>140
『I AM THAT 私は在る』
【41 観照の姿勢を発達させなさい】(つづき)

 質問者 特定の存在は、全体にとって問題ではないかもしれませんが、特定
 の存在にとっては問題です。全体とは抽象的なものですが、特定の
 存在は具体的なものであり、現実です。
 マハラジ
 それはあなたがそう言うだけだ。
 私にとってはその反対だ。
 全体が現実で、部分は来ては去るものだ。
 特定の存在は誕生、再誕生し、名前と形を変えていく。
 ジニャーニはその変化を可能にする不変の実在なのだ。
 しかし、彼はあなたに確信を与えることはできない。
 それはあなた自身の体験とともにやってこなければならないのだ。
 私にとってはすべてがひとつであり、すべてが同等だ。
 質問者 罪と徳はひとつであり、同じものなのでしょうか?
 マハラジ
 それらはみな人間のつくり出した価値だ。
 それらは私にどんな意味を持つというのだろう?
 結果的に幸福をもたらすなら、それは徳だ。
 結果的に不幸をもたらすものは罪だ。
 どちらもマインドの状態だ。
 私の境地はマインドの状態ではないのだ。
 質問者 私たちは見るということの意味を理解できずにいる盲人のようです。
 マハラジ
 あなたの好きなように言うがいい。
 質問者 沈黙の修練はサーダナとして効果的なものでしょうか?
 マハラジ
 何であれあなたが悟りを得るためにすることは、あなたを悟りへと近づける。
 何であれあなたが悟りを覚えることなしにする行為は、あなたを悟りから遠
 ざける。
 だが、なぜそうことを複雑にするのかね?
 ただ、あなたはすべてのものごとや思考を超えているということを覚えてお
 きなさい。
 あなたが成りたいもの、あなたはすでにそれなのだ。
 だだ、それを心にとどめておきなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

143鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/30(木) 22:46:20 ID:1d4drIFg0
悟った者にとっては全てこそ現実であり、真の状態なのじゃ。
それは一度も変わった事は無いのじゃ。
悟りを得ていない者には個体が在るとか、個我があるという幻想を持っているだけなのじゃ。
全てが在るだけなのじゃ。

144避難民のマジレスさん:2018/08/31(金) 06:45:10 ID:LC3de7YgO
>>142
『I AM THAT 私は在る』
【41 観照の姿勢を発達させなさい】(つづき)

 質問者 あなたの言うことは聞いていますが、私には信じられないのです。
 マハラジ
 私もまた同じ立場にいたのだ。
 だが、私はグルを信頼し、彼はそれが正しいことを証明した。
 もしできるならば、私を信頼しなさい。
 私の言うことを心にとどめておきなさい。
 何も望んではならない。
 なぜなら、あなたは何ひとつ欠いてはいないからだ。
 探すということ自体が見つけるということを妨げるのだ。
 質問者 あなたは本当にすべてのことに無関心なようですね!
 マハラジ
 私は無関心なのではない。
 公平なのだ。
 私には、私と私のものへの選り好みがないのだ。
 かごいっぱいの土とかごいっぱいの宝石はどちらも不要なものだ。
 生と死はどちらも同じことだ。
 質問者 公平さがあなたを無関心にするのです。
 マハラジ
 その反対に、慈悲と愛が私の核だ。
 すべての偏愛を離れ、愛することに自由なのだ。
 質問者 仏陀は、悟りの概念は非常に重要なものだと言いました。ほとんど
 の人たちは、悟りのために努力している人たちがいることはもちろ
 ん、そのようなものがあるということさえ知らずに生きています。
 ひとたび、彼らがそれについて耳にしたなら、けっして絶えること
 のない種子がまかれたのです。それゆえ、彼は毎年八カ月間、彼の
 比丘(びく)たちに絶え間なく教えを説くように送りだしたのです。
 マハラジ
 「人は食物、衣服、住居、知識、愛情を与えることができるが、最上の贈り
 物は悟りの福音だ」と私のグルはよく言ったものだった。
 あなたの言うとおりだ。
 悟りは最上の贈り物だ。
 ひとたびそれを得たら、誰もそれをあなたから取り上げることはできない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

145鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/08/31(金) 22:11:25 ID:1d4drIFg0
多くの者はまだ悟りというものがあるということすら知らないのじゃ。
神の奴隷で居ることがよいことだと思っているのじゃ。
自分達の作り出した観念の奴隷なのじゃ。
悟りを知識として知る者も信じる事によって修行に入るのじゃ。
できるだけ多くの者に悟りを教えるとよいのじゃ。

146避難民のマジレスさん:2018/09/01(土) 08:51:06 ID:LC3de7YgO
>>144
『I AM THAT 私は在る』
【41 観照の姿勢を発達させなさい】(つづき)

 質問者 もし西洋であなたがこのように話したら、人びとはあなたを狂人だ
 と思うでしょう。
 マハラジ
 もちろん、彼らはそう思うだろう!
 無知なる人びとにとって、彼らに理解できないことはすべて狂気なのだ。
 それが何だというのだろう?
 彼らは彼らのままであればいい。
 私が私であることに何の益もなく、彼らが彼らであることに何の過ちもない。
 至高の実在は無数の方法でそれ自身を顕現する。
 果てしない数の名前と形がある。
 同じ海の中にすべては立ち現れ、すべては溶けあう。
 すべての源はひとつだ。
 原因と結果を探し求めることはマインドの娯楽にすぎない。
 存在するもの、それは愛すべきものだ。
 愛は結果ではなく、存在の基盤そのものだ。
 どこへ行こうと、あなたは存在と意識と愛を見いだすだろう。
 いったいどうして、何のために選り好みをするのだろうか?
 質問者 洪水や地震のような自然災害が、何千何百万の命を奪うことがあっ
 ても、私を悩ましはしません。しかし、ひとりの人間が人の手によ
 って死ぬとき、私は途方もなく悲しみます。不可避のものにはそれ
 自体の威厳があります。しかし、殺すことは避けることができるも
 のです。そしてそれゆえ、醜く恐ろしいものなのです。
 マハラジ
 すべては起こるように起こるのだ。
 自然なものであれ、人為的なものであれ、災難は起こる。
 怖がる必要はないのだ。
 質問者 原因なしに何かがありうるのでしょうか?
 マハラジ
 すべての出来事のなかに宇宙全体が反映されている。
 究極的な原因の由来を調べることは不可能だ。
 因果律の概念自体はただの考え方にすぎない。
 原因のない存在の出現を想像することはできない。
 しかしながら、それが因果関係の存在を証明するわけではないのだ。
 質問者 自然にはマインドがありません。それゆえ、責任はありません。し
 かし、人にはマインドがあります。なぜ人のマインドはそれほどま
 でに邪悪なのでしょうか?
 マハラジ
 邪悪さの原因もまた遺伝や環境などの自然なものだ。
 あなたは性急に非難しすぎる。
 他者について思い煩うことはやめなさい。
 あなた自身のマインドを最初に扱いなさい。
 あなたのマインドもまた、自然の一部分であることを自覚すれば、二元性は
 消え去る。
 質問者 私に計り知れない不思議としか言えません。マインドがどうして自
 然の一部分でありうるのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら自然はマインドのなかにあるからだ。
 マインドなしで自然がどこにあるだろうか?
 質問者 もし自然がマインドのなかに在り、マインドが私自身のものならば、
 私は自然を制御できるはずですが、それは事実ではありません。私
 の制御を超えた力が、私の行動を決定するのです。
 マハラジ
 観照の姿勢を発達させなさい。
 そうすれば、あなたは無執着が制御をもたらすということを自らの体験をも
 って見いだすだろう。
 観照している状態は完全な力をもっている。
 そこには何も受動的なことはないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

147避難民のマジレスさん:2018/09/01(土) 09:00:56 ID:LC3de7YgO
観照の姿勢とは、心に思考、感情が起こった瞬間に、気づけるようになろうとする姿勢かなと、思うのであります。
それらに巻き込まれずに、起こった瞬間に気づければ、消え去るのであります。
その姿勢が「観察」という理解でよいでありますよね。
(´・(ェ)・`)つ

148避難民のマジレスさん:2018/09/01(土) 12:58:05 ID:LC3de7YgO
>>147
あるがままの観察の姿勢が、いつか観照に繋がるかもしれないと期待してるくまである。
(´・(ェ)・`)つ

149鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/01(土) 22:58:03 ID:1d4drIFg0
↑そのような理解で善いのじゃ。
全てを注意深く観察していることなのじゃ。
そうすれば心の制御も可能なのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。

150避難民のマジレスさん:2018/09/02(日) 08:54:47 ID:LC3de7YgO
>>146
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】

 質問者 私のなかで、古い自己から独立した新しい自己が出現したことに気
 づきました。それらはともかく共存しています。古い自己はその習
 慣的在り方を続け、新しい自己は古い自己をそのままにさせ、しか
 もそれ自体はそれと同一化しません。
 マハラジ
 古い自己と新しい自己の間にある主な違いとは何だろうか?
 質問者 古い自己はすべてを定義し、説明したがります。それはものごとが
 言葉の上で互いにつじつまの合うことを求めています。新しい自己
 は記憶されたことがらとの関係性を求めず、ものごとをありのまま
 に受け入れ、言葉上の説明を気にかけません。
 マハラジ
 あなたは習慣的なものと霊的なものの違いに、完全に変わることなく気づい
 ているだろうか?
 新しい自己と古い自己の態度はどのようなものだろう?
 質問者 新しい自己は古い自己をただ見るだけです。それは親しくもなく、
 敵対もしていません。それはただ古い自己をほかのすべてとともに
 受け入れるだけです。古い自己の存在を否定しませんが、その価値
 と効力は受け入れません。
 マハラジ
 新しい自己とは古い自己の完全な否定だ。
 許容された新しさは本当の新しさではない。
 それは古い自己が取った新たな態度にすぎないのだ。
 真に新しい自己は古い自己を完全に抹殺する。
 二つが一緒に在ることはできない。
 そこには自己を露(あら)わにする過程、古い概念や価値の受け入れを変わ
 らず否定しつづける過程があるだろうか?
 あるいはそこには相互の黙認があるだろうか?
 何がそれらの関係だろうか?
 質問者 そこに特定の関係はありません。それらは共存しているのです。
 マハラジ
 あなたが古い自己と新しい自己を語るとき、誰を思っているのかね?
 二つの間に記憶の継続性があるということは、互いが相手を覚えているとい
 うことだ。
 どうして二つの自己を語ることができようか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

151素人A:2018/09/02(日) 10:28:35 ID:gxsfDx0o0
魚はなぜ海の中で平気なんだろう さあ鳥は平気で空飛ぶけど
ドラマで察人事件が起こりそうな時なぜ止めずほっとけなんだろう
今は暇なのにコツコツの座禅は止そうでもう直ぐ将棋始まるし
ありのままは蟻の飯に向かう

152鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/02(日) 22:55:42 ID:1d4drIFg0
真実を観ることのない心はさまざま幻影で逃避するものじゃ。
真我というのも本当は語るべきではないのじゃ。
アートマンは真我ではないのじゃ。
認識できないものなのじゃ。

153避難民のマジレスさん:2018/09/03(月) 03:48:33 ID:jfWCoXjM0
くまさん、ゼミの課題図書(鬼和尚の悟り認定済みの人)投下しときますw

パパジ「真理のみ」
http://www.geocities.jp/ramana_mahaananda/truthis-holder/sinrinomi-map.htm

クリシュナムルティ「変化の緊要」
http://www001.upp.so-net.ne.jp/jkgyk/

OSHO「黄金の華の秘密」
http://bibourokunote.blogspot.com/2011/04/blog-post_5538.html

154避難民のマジレスさん:2018/09/03(月) 06:01:58 ID:LC3de7YgO
>>153
ありがとうであります。
どんどん続けるであります。
(´・(ェ)・`)つ

155避難民のマジレスさん:2018/09/03(月) 06:12:43 ID:LC3de7YgO
>>150
1『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 一方は習慣の奴隷であり、もう一方はそうではありません。一方は
 観念化し、もう一方はすべての観念から自由です。
 マハラジ
 なぜ二つの自己なのかね?
 束縛と自由の間には何の関係性もありえない。
 共存という事実自体がそれらの基本的な統合を証明している。
 ひとつの自己だけが存在する。
 そしてそれはいつも今、在るのだ。
 新旧はともかく、あなたの言うほかの自己とはひとつの形態、自己の別の相
 なのだ。
 自己とは単一のものだ。
 あなたがその自己なのだ。
 あなたはこうであった自分と、こうなるだろう自分という観念をもっている。
 しかし、観念は自己ではない。
 たった今、私の前に座るあなたはどちらの自己だろうか?
 新しい自己か?
 質問者 二つは衝突しています。
 マハラジ
 どうして存在するものとしないものの間に衝突がありうるだろう?
 衝突は古い自己の特質なのだ。
 新しい自己が現れるとき、古い自己は消え去る。
 新しい自己と衝突を同時に語ることはできない。
 新しい自己への努力についてでさえ、古い自己が語っているのだ。
 衝突、努力、闘い、奮闘、変化への熱望が語られるところに新しい自己はい
 ない。
 衝突をつくり出し永続させる習慣的傾向から、どの程度あなたは自由なのだ
 ろうか?
 質問者 私が今、別の人になったとは言えません。しかし、以前私が知って
 いた状態とは異なる私についての新しいことがらを発見し、それら
 を新しい自己と呼ぶにふさわしいと感じるのです。
 マハラジ
 古い自己があなた自身なのだ。
 原因なく、自我の汚れもなく、突然出
現する状態を、「神」と呼ぶがいい。
 種子もなく、根もなく、芽を出さず、生長せず、花も果実もない、存在のな
 かに突然栄光に満ちて、神秘的で驚異的に現れる、それを「神」と呼ぶがい
 い。
 それはまったく予期できず、しかも必然的なもの、かぎりなく親しく、しか
 ももっとも驚嘆すべきもの、すべての期待を超え、しかも絶対に確実なもの
 だ。
 なぜなら、それには原因がないため、障害がないからだ。
 それはひとつの法のみにしたがう。
 自由の法だ。
 何であれ、継続性や連鎖を含み、段階から段階へと変化していくものは実在
 ではありえない。
 実在に発展というものはない。
 実在は最終的な、完全なもので、関係性を持たないものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

156鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/03(月) 21:35:25 ID:1d4drIFg0
全てである意識をマハラジは実在と言っているのじゃ。
それはもはや変化したり、発展したりしないのじゃ。
ただありのままにありつづけるだけなのじゃ。
時間も無いから永遠なのじゃ。

157避難民のマジレスさん:2018/09/04(火) 06:34:30 ID:LC3de7YgO
>>155
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 どうすればそれを成しとげることができるのでしょうか?
 マハラジ
 それについてできることは何もない。
 だが、あなたは障害をつくり出すのを避けることができる。
 あなたのマインドがどのように存在のなかに現れたか、どのように作用する
 かを見守りなさい。
 マインドを見守るにつれて、あなたは見守る人としてのあなた自身を発見す
 る。
 あなたが動じることなく、ただ見守っているとき、あなたは見守る人の背後
 にある光としてのあなた自身を見いだすだろう。
 その光の源は暗く、未知のもので、それは知識の源だ。
 その源のみが存在するのだ。
 その源に帰りなさい。
 そしてそこに永続的に在りなさい。
 それは空にも、すべてに遍在するエーテルのなかにもない。
 神は偉大で素晴らしきすべてだ。
 私は無だ。
 何ももたず、何もできない。
 だが、すべては私から立ち現れる。
 その源が私だ。
 その根底と源泉が私なのだ。
 実在があなたのなかで爆発するとき、あなたはそれを神の体験と呼ぶかもし
 れない。
 あるいは、むしろ神があなたを体験していると言えよう。
 あなたが自己を知るとき、神があなたを知るのだ。
 実在はひとつの過程の結果ではない。
 それは爆発なのだ。
 それは明らかにマインドを超えたものだ。
 しかし、あなたにできることは、あなたのマインドをよく知ることだけだ。
 マインドがあなたを助けるのではない。
 だが、マインドを知ることで、マインドがあなたを無能(に)してしまうのを避け
 ることができる。
 あなたはとても注意深くならなければならない。
 さもなければ、マインドはあなたを裏切るだろう。
 それは泥棒を見守るようなものだ。
 泥棒から何かを期待しているわけではない。 
 だが、あなたは盗まれたくはない。
 同じように、マインドに対してあなたは何も期待することなく、多大な注意
 を払うのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

158鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/04(火) 22:33:31 ID:1d4drIFg0
心を注意深く観察する事が実践の全てなのじゃ。
 それ以外にすべきこともないのじゃ。
 それが出来れば実践できたことになるのじゃ。
 記憶や観念を観ないように気をつけなければいかんがのう。

159避難民のマジレスさん:2018/09/05(水) 06:59:48 ID:LC3de7YgO
>>158
>心を注意深く観察する
>記憶や観念を観ないように気をつけなければいかん

うむ。
心に起こることは、全て観念=言葉とイメージでありますが、その物語りに巻き込まれずに、何かの反応として起こる感情や思考が起こったことを、起こった瞬間に気付けるように注意深くあればよいのでありますかね?
(´・(ェ)・`)つ

160避難民のマジレスさん:2018/09/05(水) 07:12:00 ID:LC3de7YgO
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 別の例をとってみよう。
 私たちは目覚め、そして眠る。
 一日の仕事の後に眠りはやってくる。
 さて、私が眠りに行くのだろうか、それともその特質であるように、眠りが
 私に侵入するのだろうか?
 言い換えれば、私たちが目覚めるのは私たちが眠っているからだ。
 私たちは本当の目覚めの状態に目覚めるのではない。
 目覚めの状態のなかに、無知によって世界は出現し、人を目覚めた夢の世界
 に連れだす。
 眠りも目覚めも、ともに正しい名称ではない。
 私たちは夢を見ているだけなのだ。
 真実の目覚め、真実の眠りはジニャーニだけが知っている。
 私たちは目覚めているという夢を見ている。
 私たちは眠っているという夢を見ている。
 三つの状態は、ただの異なった種類の夢の状態だ。
 すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
 夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
 ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
 て在ることの奴隷になってしまう。
 あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
 ことは奴隷状態の本質なのだ。
 実際には、私たちに物語はない。
 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
 すべてを夢と見て、動じずにいなさい。
 質問者 あなたに耳を傾けることで何の得があるのでしょう?
 マハラジ
 私は、あなたをあなた自身に呼び戻している。
 私があなたに求めることは、あなた自身を見ることだけだ。
 あなた自身に向かい、あなた自身のなかへと見入ることだ。
 質問者 目的は何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは生き、あなたは感じ、あなたは考える。
 あなたの生きること、感じること、考えることに注意を払うことで、あなた
 はそれから自由になり、それらを超えていく。
 あなたの人格は消え去り、観照者だけが残る。
 それから、あなたは観照者をも超える。
 どのようにそれが起こるのかを尋ねてはならない。
 ただ、あなた自身の内面を探りなさい。
 質問者 個人と観照者の違いは何によるのでしょうか?
 マハラジ
 どちらも意識の様式だ。
 一方で、あなたは欲望し恐れる。
 他方で、あなたは快楽と苦痛によって影響されず、出来事に動揺しない。
 あなたはそれらが来ては去るにまかせる。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

161鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/05(水) 21:31:04 ID:1d4drIFg0
>>159 そうじゃ、心の働きをただありのままに観るのじゃ。
 それが真の観察なのじゃ。

 目覚めた者の教えは常に修行者の注意を自分自身に呼び戻すことじゃ。
 自分を観ることだけを要求するのじゃ。
 それが唯一の法なのじゃ。

162避難民のマジレスさん:2018/09/05(水) 22:41:48 ID:LC3de7YgO
>>161
ありがとうであります。
くま家の墓碑銘は、「夢」であります。


|\
∴∴∴
(´・(ェ)・`)
.(つ旦と)
.と_)_)

163避難民のマジレスさん:2018/09/05(水) 23:23:28 ID:LC3de7YgO
>>162
誤爆であります。
(´・(ェ)・`)つ

164避難民のマジレスさん:2018/09/06(木) 00:09:21 ID:LC3de7YgO
>>162
くま、帰巣せり。
よくよく読んでみると、必ずしも誤爆でなかったようであります。
(´-・(ェ)・-`)つ

165避難民のマジレスさん:2018/09/06(木) 07:03:47 ID:LC3de7YgO
>>160
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 どのようにして高次の純粋な観照状態のなかに確立するのでしょう
 か?
 マハラジ
 意識はそれ自体では輝かない。
 それは背後にある光によって輝くのだ。
 意識の夢のような性質を見た上で、意識がそのなかに現れ、存在を与えるそ
 の光を見いだしなさい。
 そこには意識の内容とその気づきがある。
 質問者 私は知っています。そして知っているということを知っています。
 マハラジ
 二つ目の知識が無条件で永遠のものなら、そのとおりだ。
 知られるものは忘れてしまいなさい。
 しかし、あなたが知る者だということは覚えていなさい。
 いつまでも体験に浸っていてはいけない。
 あなたはつねに不死不生であり、体験者を超えているということを覚えてお
 きなさい。
 それを覚えていることで、純粋な知識の質である無条件の気づきの光が出現
 するだろう。
 質問者 人はどの時点で実在を体験するのでしょうか?
 マハラジ
 体験とは変化するものだ。
 それは来ては去っていく。
 実在は出来事ではなく、それを体験することもできない。
 それは出来事を知覚するようには知覚できないのだ。
 もし実在が出現するのを待っているなら、あなたは永遠に待たなければなら
 ないだろう。
 なぜなら、実在は来ることも去ることもないからだ。
 それは期待されることではなく、気づくことだ。
 予想して準備することではない。
 だが、熱望そのものと実在の探求が、実在の動き、行為、作用なのだ。
 あなたにできることは、核心を理解することだ。
 実在は出来事ではなく、起こることでもない。
 何であれ起こること、何であれ去来するものは実在ではない。
 出来事はただ出来事として、一時的なものは一時的なものとして、体験は体
 験として見なさい。
 そうすれば、あなたにできることはすべて為し終えたのだ。
 そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。
 出来事や体験に実在性を与えていたときのような、よろいはもはやつけてい
 ない。
 しかし、好きや嫌いといった選り好みが入り込んだとたん、あなたは仕切を
 下ろしたことになるのだ。
(´・(ェ)・`)つ
(つづく)

166鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/06(木) 21:47:37 ID:1d4drIFg0
実在は体験されることなどないのじゃ。
ただそれであったと気づくだけなのじゃ。
一度としてそれでなかったことはないのじゃ。
永遠にそれだけが在ると気づくだけなのじゃ。

167避難民のマジレスさん:2018/09/07(金) 06:14:41 ID:LC3de7YgO
>>165
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 実在はそれ自身を、知識よりもむしろ行為によって表現するのでし
 ょうか? あるいはそれは感情の類なのでしょうか?
 マハラジ
 行為も、感情も、思考も実在を表現することはない。
 実在の表現といったものはない。
 あなたは二元性のないところに二元性を持ち込んだのだ。
 実在だけが在る。
 ほかには何もない。
 目覚め、夢見、眠りという三つの状態は私ではなく、私はそれらのなかには
 いない。
 私が死ぬとき、世界は「ああ、マハラジが亡くなった!」と言うだろう。
 しかし私にとって、それらは内容のない言葉であり、無意味なのだ。
 グルの写真の前で礼拝が行われるとき、あたかもグルが目覚め、沐浴をし、
 食事をし、休息し、散歩に出かけ、そして戻り、皆に祝福を与え、眠りにつ
 くように、すべては起こる。
 すべてにおいて、きわめて詳細に注意が払われながら。
 それにもかかわらず、それらすべてには非現実的な感覚がある。
 それは私の場合も同様だ。
 すべては必要にしたがって起こる。
 しかも、何も起こってはいないのだ。
 私は必要なことをするように見えるが、同時に何ひとつ必要ではなく、人生
 自体は架空のものだと知っているのだ。
 質問者 それでは、なぜ生きるのですか? なぜこれらすべての不必要な、
 来ては去り、目覚めては眠り、食べては消化するといったことを続
 けるのでしょう?
 マハラジ
 何ひとつ私によっては為されない。
 すべてはただ起こるのだ。
 私は期待しないし、計画も立てない。
 ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
 それらが非現実だと知りながら――。
 質問者 真我を実現した最初の瞬間から、あなたはつねにこのようだったの
 でしょうか?
 マハラジ
 いつものように三つの状態は交替する。
 そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
 それらはただ起こる。
 私には何も起こらないのだ。
 そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
 在―意識―至福がある。
 私はつねにそのなかに在る。
 いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできな
 いのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

168素人A:2018/09/07(金) 09:00:42 ID:gOqWUDAs0
何故か今朝は暇でもむなしい時間が何か楽しく無い こんなときしょうがない
諦めて ため息ついた後 暇つぶし時間つぶしに椅子禅するかいいすねと
私が行動した仏もつづく楽しく無い時はほんの少し無料の坐禅がある

169避難民のマジレスさん:2018/09/07(金) 20:12:24 ID:h5P9mv0k0
アルコール依存者や性依存者は、依存を引き起こすようなトリガーや快楽の種になる対象を
生活圏から排除する努力は必要でしょうか?
居酒屋やコンビニには近づかない。
パソコンに保存しているポルノ動画を消す、等。

その上で原因を観察していく、と言う流れがよろしいでしょうか。

170鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/07(金) 22:36:37 ID:1d4drIFg0
 言葉でも思考でも感情でも意識は現せないのじゃ。
 一切の観念を超えているので在るからのう。
 観念を超えたものを観念の範疇で現すことは不可能なのじゃ。
 ただ一切の苦が無くなり、死も超えた境地と説く他は無いのじゃ。
 後は自ら悟りを得て確かめるのじゃ。


>>169 それも役立つじゃろう。
 見たり聞いたりすると欲しくなるというからのう。
 制感もよいのじゃ。
 
 そのようにするとよいじゃろう。
 実践あるのみなのじゃ。

171避難民のマジレスさん:2018/09/08(土) 10:06:49 ID:LC3de7YgO
>>167
> そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存
 在―意識―至福がある。
 私はつねにそのなかに在る。

「実在」がマハラジの「悟り」でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

172避難民のマジレスさん:2018/09/08(土) 10:12:53 ID:LC3de7YgO
>>165
> そのとき、あなたは実在に対して傷つきやすくなっている。

とは、どう言うことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

173避難民のマジレスさん:2018/09/08(土) 10:21:01 ID:LC3de7YgO
>>167
『I AM THAT 私は在る』
【42 実在とは表現不可能なもの】(つづき)

 質問者 それでも、あなたは意識しています!
 マハラジ
 そうとも言えるし、またそうでないとも言える。
 そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。
 できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。
 私はほとんど気がつかないほどだ。
 質問者 もし私があなたを正しく理解したとすると、修練によって培うこと
 ではこの状態はやってきません。
 マハラジ
 やってくるということはない。
 それはつねにそうだったのだ。
 発見はあった。
 そして、それは突然のものだった。
 誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を
 発見したのだ。
 質問者 それは雲がかかっていて、あなたのサーダナ(修練)が霧を晴らし
 たのでしょうか? あなたの状態は永久なものでしょうか、断続的
 なものでしょうか?
 マハラジ
 絶対的に揺るぎのないものだ。
 私が何をするにせよ、それは岩のように不動なのだ。
 ひとたび実在に目覚めたならば、あなたは実在のなかにとどまる。
 子供は子宮のなかに戻りはしない! 
 それはシンプルな状態だ。
 極小よりもさらに小さく、極大よりもさらに大きい。
 それは自明であるにもかかわらず、描写を超えた彼方に在る。
 質問者 それへの道はあるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが関心をもつなら、すべてが道となりうる。
 ただ私の言葉に頭を悩ませ、その完全な意味をつかみ取ろうと試みることは、
 壁を打ち破るのに充分有効なサーダナだ。
 何も私を煩わさない。
 問題が起こっても私は抵抗しない。
 それゆえ、それは私のもとにとどまらないのだ。
 あなたの側には、とても多くの問題がある。
 私の側にはまったく問題がない。
 私の側に来なさい。
 あなたには問題をつくり出す傾向があり、私には免疫がある。
 何であれ起こることは起こるだろう。
 必要なのは、誠実な関心を持つことだ。
 誠実さが要なのだ。
 質問者 私にできるでしょうか?
 マハラジ
 もちろんだ。
 あなたには彼岸に渡る充分な能力がある。
 ただ、誠実でありなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

174鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/08(土) 21:44:19 ID:1d4drIFg0
>>171 そうじゃろう。
 不死の境地なのじゃ。

>>172 敏感になっているというような意味じゃろう。
 傷付くことは無いのじゃ。
 自分を守るよろいが無くなり、実在に対して敏感で鋭敏になっているとかなのじゃ。

175避難民のマジレスさん:2018/09/09(日) 07:52:33 ID:LC3de7YgO
>>174
鬼和尚、いつもありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

176避難民のマジレスさん:2018/09/09(日) 08:27:14 ID:LC3de7YgO
>>173
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】

 マハラジ
 世界を知覚する者は、世界以前に存在するのだろうか、あるいは、彼は世界
 とともに存在を現すのだろうか?
 質問者 何と奇妙な質問でしょうか? なぜあなたはそんな質問をされるの
 ですか?
 マハラジ
 あなたがその正しい解答を知らないかぎり、平和を見いだすことはできない
 からだ。
 質問者 私が朝目覚めるとき、世界はすでにそこにあって私を待っています。
 もちろん、世界が先に存在の中に現れ、私はずっと後になって、も
 っとも早くて私が誕生したときに現れます。世界と私の間では、身
  体が媒介となります。身体なしでは私も世界も存在しないでしょう。
 マハラジ
 身体はあなたのマインドのなかに現れ、マインドはあなたの意識の内容なの
 だ。
 あなたはあなたを変えることなしに永遠に変化しつづける意識の流れの不動
 の観照者だ。
 あなたの不変性があまりにも明白なため、それに気づかないだけだ。
 あなた自身をよく見てみなさい。
 そうすれば、それらすべての誤解や誤った観念は溶け去るだろう。
 魚が水のなかに生き、水なしでは生きられないように、全宇宙もあなたのな
 かに在り、あなたなしでは在りえないのだ。
 質問者 それは私たちが神とよぶものです。
 マハラジ
 神はあなたのマインドのなかの概念にすぎない。
 あなたは事実だ。
 あなたが知っているたったひとつ確かなことは、「ここに今、私は在る」と
 いうことだ。
 「ここと今」を取り除きなさい。
 「私は在る」が確固として残る。
 世界は記憶のなかに存在する。
 記憶は意識のなかに現れる。
 意識は気づきのなかに存在し、気づきは存在の水面上の光の反映なのだ。
 質問者 それでも、まだ私にとってはその反対の、「私は世界のなかに在る」
 ということがあまりにも明白であり、どうして世界が私のなかにあ
 るのか理解できません。
 マハラジ
 「私は世界であり、世界は私だ」と言うことさえ無知のしるしだ。
 しかし、人生において、世界との自己同一化をマインドのなかに保ち確信す
 るとき、無知を破壊し、完全に焼き尽くそうとする力が沸き上がってくるの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

177避難民のマジレスさん:2018/09/09(日) 08:32:17 ID:LC3de7YgO
>>176
ふむふむ。
 「私は世界であり、世界は私だ」などと言ったら、
>無知のしるし
どころが、狂人のようでありますが、それは、
>人生において、世界との自己同一化をマインドのなかに保ち確信す
 るとき、無知を破壊し、完全に焼き尽くそうとする力が沸き上がってくるの
 だ。

実在に気付く、= 悟る 為のテクニックなのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

178避難民のマジレスさん:2018/09/09(日) 21:15:11 ID:jfWCoXjM0
鬼和尚、4章のコメントもお願いします。

179鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2018/09/09(日) 22:51:42 ID:1d4drIFg0
>>177 そうじゃ、世界は自分なのじゃ。
 神も人の観念が作ったものじゃ。
 それに気づくのじゃ。

>>178 書くじゃろう。

180避難民のマジレスさん:2018/09/10(月) 06:53:04 ID:LC3de7YgO
>>176
『I AM THAT 私は在る』
【44 「私は在る」が真実、それ以外はすべて推測だ】(つづき)

 質問者 無知の観照者は、無知から分離しているのでしょうか? 「私は無
 知だ」ということは無知の一部分ではないでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、私が偽りなく言えることは、「私は在る」だけだ。
 それ以外はすべて推測だ。
 しかし、推測が習慣になってしまったのだ。
 考えることと見ることというすべての習慣を打ち破りなさい。
 「私は在る」という感覚が顕現の根本的な原因だ。
 それを自己、神、実在、あるいはほかの名で呼んでもいい。
 「私は在る」は世界のなかにある。
 しかし、それは世界の外に出るための扉を開く鍵なのだ。
 水面に踊る月は、水のなかに見られる。
 だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。
 質問者 それでも、まだ私は要点を逃しているようです。私がそのなかで生
 き、動き、存在する世界が私自身の創造、私自身の投影、私の想像
 だということは認めます。未知の世界、あるがままの世界、「絶対
 的物質」の世界、その物質が何であれ。映画のスクリーンがその上
 に投影された画像とはまったく似ていないように、私自身が創造し
 た世界は究極の、実在の世界とはまったく似ていないものかもしれ
 ません。それにもかかわらず、絶対の世界は私にまったく依存せず
 存在しているのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 あなたのマインドがその上に相対的な非実在の世界を投影してきた絶対的実
 在の世界は、あなたに依存していない。
 その単純な理由とは、それがあなた自身だからだ。
 質問者 そこに言葉の矛盾はありませんか? どうして非依存性が自己同一
 性を証明できるのでしょうか?
 マハラジ
 変化の動きを調べてみなさい。
 そうすればわかるだろう。
 あなたが不動である間、変わることのできるものはあなたに依存しないと言
 える。
 だが不変なるものは、何であれそれ以外の不変であるものとひとつなのだ。
 なぜなら、二元性は相互作用を暗示し、相互作用は変化を意味するからだ。
 言い換えれば、絶対的に物質的なものと絶対的に霊的なもの、完全に客観的
 なものと完全に主観的なものは、実体においても本質においても等しいとい
 うことだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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