〈われあり〉I Am とは、思考や感情以前の、自分自身の全面的な体験だ。この体験は、気づき (注意)、〈実在〉Being のエネルギー、ハートの総合だ。
この三要素すべてが、自分自身の中にしっかり根づいて初めて、〈全一性〉が現れるに至る。
注意
マインドを超越するためには、まず第一に、注意の要素を目覚めさせる必要がある。それによってマインドの中で意識的になることができる。この注意はマインドの中で生じ、そしてそれによって、マインド自身の無意識的で機械的な面が超越される。
自己を認識する注意が、自分自身を、「知覚されたものごと」と分離して見るとき、そこに〈覚〉の状態 State of Presence が生まれる。
注意を養成する目的は、この〈覚〉Presence を安定化させ、確立させることにある。そして最終的に〈覚〉は、しっかりした気づきの中心となり、心理学的な自己の背景に常住することになる。
しかしながら〈われあり〉の他の局面が育たず、〈覚〉のみが養成されると、非常にバランスを欠くことにもなる。