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鬼和尚に聞いてみるスレ part2
1
:
1
:2013/10/08(火) 07:12:09 ID:WL2yRwjAO
ここは鬼和尚限定の質問スレです。
鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが
あからさまな批判レスや中傷、論争はアウトです
ルールを守って使用しましょう
164
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/10(日) 00:22:01 ID:GNXio6ZY0
鬼和尚
瞑想中にクンダリニー上昇と言われるものが起こっているかもしれません。
クンダリニーは悟りと関係あるのでしょうか。
165
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/10(日) 14:09:58 ID:WL2yRwjAO
>>163
そう思う。
道徳心のセンサーが苦をもたらす
しかし生きていく限り、センサーが鳴り響く事は四六時中起きる。
このセンサー(超自我)は真我に属するのか自我の一部なのか
バガヴァーン鬼和尚
このセンサーは消すべきなのか或いはそのセンサーに従うべきなのでしょうか
センサーの感度が高いと生きていくのが辛くなる。センサーがうるさいので進んでサービス残業したりとか
でもセンサーが無いと知らず知らずに反社会的な行動にのめり込んでいる可能性もあると思う。
166
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/10(日) 14:16:05 ID:WL2yRwjAO
このセンサーって目覚ましのアラームのように
人によって鳴る基準がまちまちなんだよな
人を殺しても鳴らない人もいるし蟻ん子を踏んづけただけでけたたましく鳴り響く人もいる
もしセンサーが無ければ苦は無いですけど
このセンサーが諸悪の根元じゃないかと言う気もする。
167
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/10(日) 20:52:10 ID:kaXJvxhM0
>>160
良い事じゃ。
それが抑制されていない感情なのじゃ。
抑制が働く前に見えたのじゃな。
更に実践するのじゃ。
>>162
それはただの真実なのじゃ。
自我があってもなくても報いは起こるものじゃ。
他人の行いを見なければいかなる観念も投射する事は無いのじゃ。
お釈迦様もこのように言っておる。
50 他人の過失を見るなかれ。
他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。
まだ他人の行いを見ていれば善悪の観念の投射も起こるのじゃ。
>>163
>>165
自我を捨て、認識をも滅すれば自然に一切の観念も消えるのじゃ。
それは自らの観察によるものであり、幾つもある観念を一つ一つ消したからではないのじゃ。
善悪とか強弱とか貧富とか有名無名とか好悪とかの相対的な観念は、
強く囚われているときのみ離れるべき観念であり、全てを一つ一つ消していかなければならないと言う事は無いのじゃ。
>>164
それはサマーディにまで素早く入れるエネルギーなのじゃ。
頭の天辺までエネルギーが到達すればサマーディが起こるじゃろう。
そこから更に己が観られれば無我に成るのじゃ。
更にそれを観る意識さえもなくなれば無認識に至り、真の悟りといえるのじゃ。
168
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/10(日) 22:53:47 ID:GNXio6ZY0
>>167
>>164
です。
ありがとうございました。
169
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/10(日) 23:18:03 ID:LC3de7YgO
>>167
ありがとうございます。がんばります。
170
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/11(月) 00:03:18 ID:GNXio6ZY0
鬼和尚
先ほど坐っていました。
己の全てが見渡せるような感覚がありました。
見渡す限り何もありませんでした。
わずかに、今日私が見聞きした物事の記憶の再生が断片的に行われました。
それは自我と呼ばれる者の行いでしょうか。
171
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/11(月) 13:23:46 ID:j..Vzewk0
>>167
鬼和尚さんは悟る前から罪悪感というものが薄い方でしたか?罪悪感についてはあまり話しませんね。このセンサーや判断は罪悪感に端を発していると
思います。
私はこれや恐れが凄い強い方で、やっと今解放され自由を感じてきているところなんです。
上のエデンの園の例でいうとそこから出た状態を原罪とか陥罪とか罪への堕落とか表現されるように、自我そのものの根底に罪悪感や欠乏感というものがある。
でも悟った状態では罪も恥も恐れもない、いらない。自我がなく欠乏感もないので我欲もないし人を傷つけたりするわけがないから。(分離意識がなく
他人も自分だから)
自我だとこれがある、場合によって修正にも必要になる。上で私が苦手とするのが、悪い意味で恐れや恥や罪悪感がなく、人に何を言われても
平気でエゴの方に突き進む人です。これが怖く感じて胸がざわざわする。いいのか、と。
報いは罪悪感がないと感じないと思います。既に人から嫌われているのに平気なんですから。だから修正しない。
人を見るな、と言いますが、よく周りは鏡で、それに対してどう反応するかで自分のエゴを自覚することができる、と言われます。
そういう意味でも周りや他人を排除して見ないようにするだけではあまり意味がないと思えます。この私のざわざわとした恐れはどんなエゴなんでしょう。
172
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/11(月) 20:35:49 ID:kaXJvxhM0
>>168
どういたしまして、またおいでなさい。
>>169
そうじゃ、実践する者だけが進んで行くのじゃ。
またおいでなさい。
>>170
それは自我ではないのじゃ。
自動的に起こる連想なのじゃ。
忘我であったようじゃのう。
それが自分であると認識するのが自我なのじゃ。
>>171
そのような罪悪感は親兄弟などの条件付けによる事が多いのじゃ。
その問題はむしろおぬしの心の中にのみある事をよく観るのじゃ。
他人はおぬしが何を思っても思わなくても行いによる報いを受けるものじゃ。
それを放置できない自らの心に気付くのじゃ。
173
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/11(月) 23:29:29 ID:tHj0j65Y0
忘我と無我、取り違えそうですね
174
:
素人A
:2013/11/12(火) 07:14:26 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん仏さんがこの世に来たのはこの世で修行するためなのですか?
極楽では楽だが修行はこの世が適しているのですか?最近の私は夢の中で
ぎゅうぎゅうの目に合わされて修行させられているし起きているときは
中々坐禅し無いあれやれこれやれでやれやれと憑かれているし
つまり忙しい現代生活は疲れる
175
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/12(火) 08:09:44 ID:GNXio6ZY0
>>172
>>170
です。
>>170
に書き込んだ瞑想を終えた後、しばらくの間、今までにない自分の変化を感じていました。
それは、身体の芯(胸から腰のあたり)がすっきりとして、軽やかな感じがしたのです。
そして、自分が特に何も思考することなく行動していることに気付いたのです。
この感じは、寝て、夜中に途中目覚めてトイレに行ってもう一度寝るまで続きました。
これも忘我と関係あるのでしょうか。
176
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/12(火) 20:53:47 ID:kaXJvxhM0
>>173
忘我の状態で自我に気付けば無我になるのじゃ。
我が観えて消えるのであるからのう。
>>174
修行に来たとも言えるのじゃ。
衆生のために来たのじゃ。
一休みしたらよかろう。
一休み一休みじゃ。
>>175
それは無念無想の状態なのじゃ。
そこに我というものが投射されて無ければ忘我なのじゃ。
思考に自我を投射する性質の者ならば、思考が無ければ自我も一時忘れられている忘我といえるのじゃ。
177
:
173
:2013/11/12(火) 22:42:38 ID:tHj0j65Y0
>>176
やってみます。ありがとうございます。
178
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/12(火) 23:05:26 ID:GNXio6ZY0
>>176
自分が「思考に自我を投射する性質」なのかどうか、
あるいは他の何かに投射する性質なのか、
それを知ることはできるのでしょうか。
できるのならば、その方法はどのようなものでしょうか。
179
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/13(水) 04:12:13 ID:j..Vzewk0
>>172
ありがとうございます。でも私の質問の核心には触れられていないようです。罪を放置できないのは自我の見方が残っているからです。
罪を罪と見なければ罰などいらない。恐れも発生しない。
ここではエンジンを取り換える、というように、全く違う見方、命に切り替わることの根底の話です。親からの条件付けなどのみではなく。
180
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/13(水) 04:17:40 ID:zc9z5nbU0
全ての苦は自我の自罰といっていいと思いますよ。他人を批判したり攻撃するのも自罰の投射で。
だからその根底にある罪悪感の話は避けて通れないと思うんですが。
181
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/13(水) 21:34:52 ID:kaXJvxhM0
>>177
そうじゃ、何でも試してみるのじゃ。
またおいでなさい。
>>178
それはおぬしが何をしている時に最も自分を自分らしく感じるかで判るのじゃ。
思考したり論理を構築したりする時に自分というものを感じるならば思考に最も投射している者なのじゃ。
肉体を動かしている時に自分らしさを感じるならば肉体に投射しているのじゃ。
芸術活動などが好きならば感情に投射している者なのじゃ。
このように特に自分を自分らしく感じる働きに自我は投射されているものじゃ。
>>179
>>180
更に観察してみるのじゃ。
罪を放置できないのは自我の見方が残っているからと思わせるのが自我の働きなのじゃ。
全ての者が罪悪感を持っているのではないのじゃ。
それも観察してみるのじゃ。
182
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/14(木) 07:59:05 ID:GNXio6ZY0
>>181
>>178
です。ありがとうございました。
183
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/14(木) 10:51:00 ID:WL2yRwjAO
私は2ちゃんねるに書き込んでいるとき最も自分らしく感じるかも知れません。
特に空想している時や物思いに耽ったりしている時に自分らしく感じているかもしれない
この時間が遮断されると苦痛を感じます。
端から見てるとボンヤリしているだけなのですが
このボンヤリの時間が自分なのです
184
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/14(木) 12:22:22 ID:7rD9T5220
鬼和尚、ここのところ苦滅の法の実践をしていて、その強力さに驚いています。
苦しいこと、嫌なこと、面倒なことは、大部分が自分の心が作り出している
もので、その元になっている肉体の疲労や痛み自体はたいしたものでは
ないということが分かってきました。どうもありがとうございます。
それで、2つ質問があります。
苦滅に励み、成果が上がるようになるにつれて、全能感というか慢の感情が
起こるようになってきています。慢の感情と、それに続いて起こる嫌悪感を
観察し、もし他と比較する心の働きが無ければ、慢も起こらないと想像して
みると、慢の感情と体の反応は消えていきますが、このまま進めて良いもの
でしょうか?もし、この段階で注意する点がありましたら、お教えください。
また、苦滅ですが、厭離が完全なときと不完全な時があります。不完全な時
は苦は軽減するものの、無くなりません。自我の起こりの観察が次の目指す
ことだとすると、苦滅にこだわりすぎるのも良くないのかと思う反面、
苦滅に徹することで自我の最も恐れていることなどを見出せるかもと思います。
今のところ、自分の嫌悪すべき心のうちも淡々と見られているようです。
苦滅に徹すれば良いのか、苦滅はほどほどで止観を中心にすれば良いのか、
お教えください。
185
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/14(木) 18:36:55 ID:NpBkhqbI0
一言でいうと、私の自己イメージは「モサッとしている感じ」で、そういわれることも多いです。
行動が緩慢で、動作と動作の間に思考が絡みます。
これは「イメージ」ではなく、事実もそうです。
行動するのが嫌いで、ぼんやり思考しているのが好きです。
これは自我(虚構の私)なのでしょうか、それとも自己(真実)なのでしょうか
真実かどうかわかりませんが、かなりものぐさなのは事実だと思います。
無我の境地にいたると、ものぐさも消えるのでしょうか
それともものぐさは個性なので、その個性を生かして生きるべきなのでしょうか
186
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/14(木) 18:50:51 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚
無我ということは、価値判断の基準が無くなるということですよね。
「モサッとしたいい人」というのが、私のイメージなので、大体それを踏襲した行動しかとれません。
「ギャンブルをして一攫千金」とかいう行動は良くも悪くもできません。
無我になれば、全く別次元からの想像を絶する発想や行動も可能ということですよね。
常にとは言いません。
凡夫が一瞬でも無我になり、智慧が生じる方法はないのでしょうか
どうせ、自我の奴隷で、明日も予定調和の行動しかとらないことがわかっている。
そこから何としてでも飛躍したい。楽になりたい。
一瞬だけでも、智慧が生じるならば、運命も変わると思います。
187
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/14(木) 18:51:20 ID:GNXio6ZY0
鬼和尚
「忘我」と「サマーディ」は同じですか?
188
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/14(木) 20:02:23 ID:WL2yRwjAO
瞑想中、明日会社での自分を観想すると
ペコペコ、モタモタして怒られている自分が想像つきますが、これがまさに「自己イメージ」な訳ですよね
こうして浮かび上がる未来や過去の自分を見る事は観察に当たりますか?
自我観察してますよね。観念を弄んでいる訳ではないすよね
観念を観てるんだから
これは観察ですよね
189
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/14(木) 20:26:50 ID:kaXJvxhM0
>>182
どういたしまして、またおいでなさい。
>>183
その自分を観るのじゃ。
牛の足跡を追うようなものじゃ。
性質が判っているならば観るのも容易なのじゃ。
>>184
良い事じゃ。
自分で慢心に気付いて滅するならばそれで良いのじゃ。
自己観察の習慣が身につくのは良い傾向なのじゃ。
それをそのまま進めたら良いのじゃ。
この世に何の未練も無くなったら止観を修行して悟りに向かうと良いのじゃ。
苦が無ければやりたかった事とか、そのような執着が残っているならば、この世で苦を滅しながらて何でもやって見たら良いのじゃ。
何か執着や未練が残っていれば修行を止めてしまうからのう。
>>185
それを自分と思うならば観念による自我なのじゃ。
ただ単に思考する事が好きならばそれによって行動が妨げられているのかもしれん。
思考が無ければまた違うようになるかも知れん。
思考せずに行動したりして試して見たら良いのじゃ。
自分の本当の性質が判るじゃろう。
190
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/14(木) 20:33:26 ID:kaXJvxhM0
>>186
自分のイメージに基づいた基準は無くなるじゃろう。
強い集中によってサマーディに入れば自我を忘れ、思考も無く行動できるのじゃ。
訓練すれば行いも出来るのじゃ。
スポーツやゲームなどに夢中になっているとそうなる事もあるのじゃ。
試してみるのじゃ。
>>187
忘我はサマーディの条件なのじゃ。
強い集中によって我と言う観念を忘れたらサマーディに入っているのじゃ。
強く集中しても我と言う観念があれば未だサマーディに入ったとは言えないのじゃ。
>>188
イメージを観ていると判っているならば観察になるじゃろう。
それが自分と思ってしまうと間違いになるのじゃ。
自分ではなく自分のイメージを観ているのであるからのう。
191
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/14(木) 22:07:33 ID:log.GW5E0
>>190
>>187
です。ありがとうございました。
192
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/14(木) 22:19:04 ID:Dp/qMVVc0
>>189
>>184
です。確かに執着というか、まだこの世でやっておくべき使命
があると感じています。瞑想は楽しんで続けていきますが、まずは
苦滅の力を使いつつ、使命を果たそうと思います。
仏教は、悟りを得た人たちが、後世の人たちを悟りへ導くために
時代や人々に合わせて作り出した技術と心得の集まりだと理解しました。
その中でも鬼和尚の教えは、現代の日本人に向けられたものであり、
とても明確で理解しやすく、実践する勇気もいただきました。
本当のことをなんとしても理解したいので、いずれ必ず悟りの道に
戻ってきます。これからも私を含め、多くの人を悟りにお導きください。
ここまで本当にありがとうございました。
193
:
素人A
:2013/11/14(木) 23:01:52 ID:G5HiNwNQ0
瞑想が迷走してしまった空瞑想欠かして、坐禅する事にしたカカシさん。
ただ駄洒落が言いたいだけの私鴨意味は何も無い失礼しました。
二十四時間ざ前観察せよの鬼和尚さん。ぽつ師匠は二十四時間コンビに居る師
わたしは二十四時間散漫に居る。少しは精神統一使用
194
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/15(金) 06:52:47 ID:WL2yRwjAO
鬼和尚
作家のスーザンケイン氏の「内向型人間の時代」と言う本の書評を読んで思ったのですが
こう言った内向や外向などの性格傾向はある種の遺伝的特徴で
観察したから消えると言った類いのものなのだろうかと言う疑問があります
消すと言う発想には悪いものと言う観念がある。
確かに内向型性格の人は観念的な思考に執着している面もある
しかしそれが無意識の傾向でありその人の個性と切り離せない場合
その「執着」を消す事は難しいとも思うし、著者もその素晴らしい個性を生かす道を探るべきと説いているのだと思う。
と、同時に内向型性格の人が抱えている不安が、過度な観念的思考が作った産物である事も確かだと思う。
悟りと性格について
悟った人の意見をお聞きしたいです
195
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/15(金) 07:25:17 ID:WL2yRwjAO
スーザン氏も三十代半ばくらいまで向いてない仕事をして試行錯誤していたようだから
十牛図で言うと自分(牛)を見失った状態で
世間的な生き方を断念して自己(牛)を見つけ、牛の上に乗って快適な状態で、次第に(自己)牛も消えて、全てが一体となった無の状態になるのかもしれない
ああ自分は内向型だなとか見極めがついたのも
牛の足跡を見つけた状態なのかも
うん。そうだ。
196
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/15(金) 09:33:56 ID:ncKanP4g0
>>195
君は人生相談板で、ウンコ達と仲良くああだこうだやってる方が合ってると思うよ。
197
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/15(金) 13:56:42 ID:6dCAVrZQ0
>>195
ここは質問スレです。あらしはやめましょう。
198
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/15(金) 20:07:45 ID:kaXJvxhM0
>>191
どういたしまして、またおいでなさい。
>>192
そうじゃ、何でもやって見たら良いのじゃ。
いつでも戻ってくると良いのじゃ。
またおいでなさい。
>>193
そうじゃ、実践するのじゃ。
実践する者だせけが進んで行くのじゃ。
>>194
内向型とか外向型とかそのような定義そのものも観念に過ぎないのじゃ。
人の性格は環境や経験によってもかなり変化するものじゃ。
修行も実践してみれば性格は相当に変化すると判るのじゃ。
個人によって違い、環境や経験や気づきによっても変化する性格を、内向とか外向とかで判別する事が無意味なのじゃ。
例えば周囲の者が嫌な者ばかりならば付き合いは遠のき、内向的に見られ自分でも内向型と思うかも知れん。
しかし周りの者達がみんな善い者ばかりで、付き合いもよかったら社交も広がり、外交的に見られ、自分でも外向型と思うかも知れん。
このように性格は環境でさえも簡単に変わるものじゃ。
性格よりも本性からなる自らの性質を知るべきなのじゃ。
199
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/15(金) 20:24:26 ID:WL2yRwjAO
和尚の言うことにも一理ありますが、内向外向のタイプがあると言うのは観念的な定義ではなく観察の結果でもあると思うのです。
もっともそれが観念なのか事実なのかと言うのは判別が難しいですけどね
200
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/15(金) 23:37:02 ID:GNXio6ZY0
鬼和尚
瞑想中に雑念が多い時は自分の呼吸は特に気にならないのですが、
雑念が少なくなると自分の呼吸が気になってきて、
そこから先に集中を深めることができなくなるときがあります。
201
:
473
:2013/11/16(土) 01:55:50 ID:XpOqqj3k0
馬鹿な鬼和尚は内向、外交の意味を全く理解してないね。
内向的な人間は内向的な人間同士非常に仲がいい。
内向的な幻想を共有するからだ。
外向的な人間は外向的な幻想を共有する。
外向的というのは世間的現実的な観念に強く同化しているということ。
内向的な人間は世間的現実的でない観念に強く同化している。
それに、これは相対的な強弱の問題であり、内向的な人間も相対的に弱く向的思考と同化している。
202
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 05:09:54 ID:WL2yRwjAO
>>201
面白い見方だね
どちらも観念に執着していると言う意味では鬼和尚が言われることも間違ってはいないと思う。
ただ内向外向は生来的な傾向で、環境に関わらず、赤ちゃんの時から、刺激に対する反応が違うらしい。
絶対的では無いが生まれ持った性格の違いがあると言うことは鬼和尚も同意されるんじゃないかな
自分の性格に合った仕事をした方が良いとアドバイスをされるくらいなので、悟る前の段階では、余り心の傾向性に反する生き方はしない方が良いと言うことかと受けとりましたが、そう言うことでよろしいでしょうか?
203
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 05:18:47 ID:WL2yRwjAO
確かに一般的な意味では自分は内向的だ内向的だと自己催眠にかけて内向と言う観念にとらわれて生きる人は多いので
鬼和尚が「そんなものは無いのじゃ」と一喝して救われる場合も多いが、
専門的なレベルでは、観察と検証を繰り返して得られた見解とも言える訳で、参考にはなると思う。
確かに性格など絶対的ではないかもしれないが、一応仮には存在する。
十牛図の牛も究極的には存在しないかもしれないが、仮には存在するし
乗って歩いた方が楽チンではあると言うことかと思ってはおります。
204
:
素人A
:2013/11/16(土) 07:31:09 ID:gOqWUDAs0
鬼さん今私は書き込みして気がついた.何故ホスピス制度化出来たのか?
国の健康保険財政が赤字だから。無理に生きさせようして金かけると
きりが無いと本当は考えた?患者の事を考えて決めたのでは無い。
国も経済が大切で金が無くなれば苦しむ人と一緒で生物じゃないかと思います。
205
:
素人A
:2013/11/16(土) 07:45:39 ID:gOqWUDAs0
◎生命の中に生命があつて?生命の外に生命があるし.◎で輪からない
◎だらけ○もうみんな和になつて踊るしか無い?生命とは何王将我内詰み無い
206
:
素人A
:2013/11/16(土) 08:14:30 ID:gOqWUDAs0
外が内で内が外でまあなんだ観だと拘らずにみればまあ絵画か出鱈目
空も学べる野鴨?そんなに欲張ると忙しくなり彼是たいへん目の前が
観れれば良い野鴨.私には良くわかりません我まあ良いかで
207
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 08:41:47 ID:rjrCqQY20
まあ、帰るところを見極めたいって、ただそれだけのことで大したことでもないんだけど
実は一度も出掛けてませんでした。なんてだけの落ちでは、またふらふらと夢を見そうで…。
208
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 09:42:30 ID:rjrCqQY20
実は…、分かっているのに自我が…。
209
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 10:06:40 ID:zz3du5Nk0
鬼和尚
覚者が覚者ゆえに起こしやすい間違いというのはありますか?
210
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 10:54:38 ID:rjrCqQY20
誰かが私に自我なんか中学生位の認識程度だ、恐れるなと、なぐさめてくれましたが
それがトラになったり子猫になったり、悟った振りもしたり、持て余す始末。
手に余る幼稚園児以下かもしれません…。
211
:
素人A
:2013/11/16(土) 12:10:42 ID:gOqWUDAs0
もし宇宙全身に眼だらけのたこ八郎我居るとしても?その眼の機能を一個ずつ
使える機能があるとしても.欲張って全部一緒にあれも是も見たいといったら
忙しすぎて大変な眼に遇う鴨。出来る機能でも使えるのだから使わないで満足
するのも良い鴨。でも何もしなくても出来ると妄想だけで満足する人は出来る人なのか
謎は不可まる?
212
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/16(土) 20:24:35 ID:kaXJvxhM0
>>199
例えば内向外向の定義が友達が独りも居ないと内向型とか、友達が居なくとも他人と話が出来れば外向型とか、人によって適当に決められるじゃろう。
そのように主観的で人によって違う定義に従えば、観念の上に観念を重ねる迷妄に陥るのじゃ。
前に書いた通り環境によっても変化するであろうから夢の中で夢を見ているような曖昧な事になるのじゃ。
例えば体が大きくて太っていなければ相撲取りにはなれないじゃろう。
それが肉体による性質なのじゃ。
それは今ここにあり観察できるものなのじゃ。
性格と言われるものの大部分は変化させる事が出来るものであり、苦を生むものならば滅する事も出来るのじゃ。
不正確な観念による定義を鵜呑みにすれば今ここにあるものが見えなくなるのじゃ。
>>200
呼吸が気になって良いのじゃ。
呼吸に集中する修行であるからのう。
むしろ呼吸になりきったら良いのじゃ。
それを止めようとする思いが問題を作り出しているのじゃ。
己を忘れる事を恐れているのかも知れん。
恐れずに呼吸そのものになりきるのじゃ。
213
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/16(土) 20:33:27 ID:kaXJvxhM0
>>204
そうかも知れん。
>>209
目覚めた者は自他の区別が無いからろ、自分と同じ事が他人も出来ると思ってしまう事じゃ。
何もせずに座っていろとか、観察だけをすれば良いとか言ったりするのじゃ。
目覚めていない人間には何もしない事も、観察することも困難なものじゃ。
目覚めた後にも良く学び修行しないとこのような間違いを犯すものじゃ。
214
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 21:36:34 ID:GNXio6ZY0
>>212
>>200
です。ありがとうございました。
215
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/16(土) 22:50:42 ID:I70fPQRo0
>>213
ありがとうございます。
覚者ならではの視点を持つゆえに、凡夫のことを理解しがたいというのは
凡夫の視点からは、覚者を理解しがたいのと似ていて、興味深いです。
また、目覚めた後も学び、修行できるというのは励みになります。
ところで鬼和尚は、ケン・ウィルバーは覚者だと思いますか?
インテグラル理論というものを提唱しており、youtubeに動画があります。
216
:
素人A
:2013/11/17(日) 07:53:34 ID:gOqWUDAs0
和尚さん蟻我問う。私は自他端しながらまあ何だ観だと
色んな眼に遇いながらまあ絵画を進んで活きます。私の
パソコンは異常に私より誤変換が美味くなつた師.
コンピューターの囲碁将棋は強い師私はオマケ続きででもめげない。
217
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 10:15:51 ID:rjrCqQY20
素人Aさんは大人の自我だと思う。
中学生の喧嘩は熱い?
私は自分の幼稚園児で手が一杯で、もうお手上げ状態…。
218
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 11:19:46 ID:WL2yRwjAO
>>212
>それが肉体による性質なのじゃ。
> それは今ここにあり観察できるものなのじゃ。
鬼和尚。
内向型の人が外向型に分類される人よりも外的刺激に対する反応性が高いことはfMRIを使った脳神経回路の観察結果でも確かめられています。
つまり和尚が言われる動かしがたい肉体的な根拠もあるようなのです。
219
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 19:48:24 ID:RqjHb0Jg0
ありがとう教、感謝教に疑問があります
ありがとうを1000回?1万回?言うと奇跡が起こるとか
感謝しろ感謝などと言われていますが気持ち悪いです
ありがとうを解体すると、在り難い、めったにない です
感謝すると気後れするような気持ち悪さがありますが、引き寄せに気後れはご法度です
単純に嬉しい!の方がいいのではと思います
220
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 19:54:37 ID:RqjHb0Jg0
鬼和尚さんの回答をネットで見れるのは自然と感謝の念が湧きますが
無理やりした感謝と違って快があります
やはりありがとうではなく嬉しいの方がいいと思うのです
221
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 20:00:27 ID:WL2yRwjAO
修行の目的が苦の滅却であるならば
内向型で刺激に対してより多くの反応がある人。
つまり感受性が強く人より苦を多く感じるタイプの人間
恐らくは、人の老病死を見て激しいショックを受けたと言うお釈迦様のような方ほど
頑張って修行をしなくてはならないし
修行に駆り立てられる必然性もあるように思います。
お釈迦様はある種、内向タイプのヒーローであり希望の灯火でもあります。
222
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/17(日) 20:33:31 ID:kaXJvxhM0
>>214
どういたしまして、またおいでなさい。
>>215
ケン・ウィルバーは悟っていないのじゃ。
頭で考えすぎなのじゃ。
>>216
どういたしまして、またおいでなさい。
>>218
そうじゃ、刺激に対する反応が高い低いというのが観察できる性質なのじゃ。
それを内向型とか外向型とかに分別するのが観念なのじゃ。
観察できる性質に、観念から解釈を付け加えてしまうと本質が見えなくなるのじゃ。
>>219
>>220
そうかもしれん。
223
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 21:03:47 ID:WL2yRwjAO
確かに現代心理学では内向−外向ではなくて高反応性とか低反応性と言うような用語を使っているようです。
内向外向はMRI検査などが発達していなかった頃の仮説段階の学説ですが
一般的になっているので今でもよく使われますね。
どちらかと言うと私は高反応性なので、日常生活を送るだけでも疲労困憊してしまいます
224
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/17(日) 22:38:40 ID:WL2yRwjAO
親愛なる鬼和尚へ
最近、心屋仁乃助さんの本を読みました。
心屋メソッドはかなり使えます。
具体的には、もし恐怖や不安の原因が「人に好かれたい(嫌われたくない)」と言うものならば、「人に嫌われてもいい」と声に出して言ってみると
それが原因ならば心がスーッとして楽になります。
実際、さっきまで、明日の仕事が不安でいっぱいだったのですが
仕事で失敗しても良いと声に出して言ってたら不安がおさまりました。
これは鬼和尚ならびに仏教の順観逆観理論の応用とも言えると思います。
かなり効果がありましたので報告致しました。
早々
追伸
私のように言語に親和性がある人には特に効果的なのかもしれません
225
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 09:07:46 ID:ncKanP4g0
だから君は人生相談板でウンコ達と仲良くやってろって
226
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 09:42:56 ID:fH/Ruhwo0
鬼和尚さん
自我も幻ですか?生も死も幻ですか?
227
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 12:52:04 ID:h5/JYmdA0
鬼和尚さん
最近、寝る前に10分間の数息観をしています。
でも、足を組んで座って、5分過ぎる頃になると、背中の右側の筋肉が疲れてきて痛いです。
今日も少し筋肉痛です。
あまり背筋を伸ばすことがないから、疲れてしまうのでしょうか?
それとも、自分では、真っ直ぐ座っているつもりなのですが、背筋が曲がっているのでしょうか?
どうしたら、改善できると思いますか?
228
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 13:00:17 ID:rjrCqQY20
>>207
の一行目は間違い。
目的は、二度と出掛ける夢を見たくない、でした…。
229
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 15:14:02 ID:7rD9T5220
>>222
ありがとうございます。
ケン・ウィルバーは悟っていないのですね。
私も思考に自我を投射するタイプのようです.特に自分の思考を観察
しようとして思考に注意を割くと、その観察を思考が奪って、いつのま
にか観察が観念になって混乱することが良くあるように思います。
これは止の行に励むことで避けられるようになるでしょうか?
それとも、他にコツがありますか?
230
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 20:03:18 ID:6NaQvIas0
中村天風さんの教えは求道者にとって有益ですか?
231
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 20:06:54 ID:R4hR.iFI0
鬼和尚
「失敗してもいい」「嫌われてもいい」と唱えてたら人間関係がすごくよくなりました。
観察よりも言語による働きかけの方が心を変化させやすいケースと言うのもあるのでしょうか
232
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/18(月) 20:51:26 ID:kaXJvxhM0
>>223
そうじゃつたか。
科学者もなかなか賢いのじゃ。
制感の法をやってみるとよかろう。
感覚器官を制御して刺激を減らすのじゃ。
眼耳鼻舌皮膚からの感覚を制御して少ししか受けないようにするのじゃ。
>>224
なかなか面白い法なのじゃ。
二元論を捨てる中道にも通じるようじゃのう。
何でも試してみると良いのじゃ。
>>226
最後にはそう感じるじゃろう。
それは知識ではなく実感として気づく事なのじゃ。
自らそれに気づくまで修行したらよいのじゃ。
233
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/18(月) 21:07:05 ID:kaXJvxhM0
>>227
修行中に背中が真っ直ぐになっているならば、少し背中が歪んでいるのかも知れん。
あるいはただ単に筋肉が不足しているからかもしれん。
背骨が曲がっているならば、背中を伸ばす体操とかヨーガをして真っ直ぐにすると良いのじゃ。
筋肉が不足しているなら、筋肉痛を冷やすと良いのじゃ。
痛みが無くなり筋肉もついてくるじゃろう。
>>229
そうじゃ、集中力がついて思考と観察している状態が明らかにわかるようになれば、観察に集中できるようになるじゃろう。
集中の修行はそのためにあるのじゃ。
思考に自我を投射しているとわかっているならば、進歩も早いじゃろう。
>>230
積極的に考えるのはどの道でも有益じゃろう。
悟道など来ないと思っていれば来ないからのう。
ヨーガなどは今の指導者や原書で読む方が良いじゃろう。
>>231
人によってはあるかも知れん。
しかしそのような働きかけは最初は効果があるが、いずれ効かなくなったりするのじゃ。
根本の原因が残っているからのう。
観察によって原因から滅すれば、苦が二度と起こる事はなくなるのじゃ。
234
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 21:47:36 ID:gs7/H8pw0
>>232
鬼和尚さん、ありがとうございます。
やっぱり、背筋を伸ばして座るには筋肉が必要なのですね。
体操などもやってみますが、筋肉をつければいい感じがします。
以前左腕をよく使っていたので、背中の左側の筋肉はあるけれど、右側の筋肉は足りないのだと思います。
背筋を伸ばすことを増やしたりして、筋肉をつけようと思います。
ありがとうございました。
235
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/18(月) 23:50:22 ID:XpOqqj3k0
>>212
>>202
例えば内向外向の定義が友達が独りも居ないと内向型とか、友達が居なくとも他人と話が出来れば外向型とか、人によって適当に決められるじゃろう。
そんな幼稚な定義をするのは、頭の足りない人だけです。
世の中でそういう意味でこの言葉が流通しているか把握する能力があればそういうことは言いません。
鬼和尚は人々のしてる意味付けを理解できず、個人的な妄想で言葉の意味を定義してるということのトロに過ぎない。
また、内向性と、外向性は、執着の対象が異なる執着であり、誰もが両方とも持ってる。
外向的な人は、内向性を抑圧してるが持っている。そして内向性は未熟だ。
そうやって人は分裂している。
内向性と外向性、そしてその対立、内戦に目覚めるのが瞑想なのです。
思考は2元的なものだから、人は両方とも抱えている。
両側について知ることはわるくないこと。片側ずつなら知ることができる。
しかし、同時にそれに覚め、その2元性から脱出するるのは思考によっては不可能。
236
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 03:54:44 ID:Bwz0R3.60
高配当優良株スクリーニング - 19件 検出
銘柄 業種 終値 単元PER(倍) 実績PBR(倍) 配当利 ROE ROA 売上高経常利 自資比
一六堂[3366]東証1部 小売業 447 100 16.4 0.82 4.02 11.15 7.64 10.73 73.74
マックハウス[7603]東証JQ゙ 小売業 1,000 100 14.1 0.96 4.00 16.27 8.46 7.51 54.22
クリップ[4705]東証JQ サービス業 1,033 100 8.3 0.81 3.87 10.22 8.77 20.11 86.79
TONE[5967]東証2部 金属製品 273 1000 10.1 1.10 3.66 39.49 17.33 12.50 50.56
三洋貿易[3176]東証1部 卸売業 824 100 7.6 0.80 3.64 11.02 6.10 5.43 59.17
ムーンバット[8115]東証2部 卸売業 200 1000 8.0 0.69 3.50 11.00 7.06 9.24 65.90
ゲオHD[2681]東証1部 小売業 918 100 9.0 0.84 3.48 15.62 6.72 6.03 46.87
小野測[6858]東証1部 電気機器 436 1000 12.3 0.83 3.44 10.34 7.85 13.06 78.63
SRAHD[3817]東証1部 情報・通信業 1,190 100 9.7 1.04 3.36 10.20 6.05 8.96 61.56
ディア・ライフ[3245]東証マザーズ 不動産業 547 100 9.2 1.02 3.29 12.87 5.97 8.04 42.66
セゾン情[9640]東証JQ情報・通信業 1,090 100 8.6 1.08 3.21 10.78 6.49 9.34 64.26
ビーエスピー[3800]東証JQ゙ 情報・通信業 1,898 100 10.7 1.08 3.16 10.50 9.04 27.88 87.16
サンヨーナゴヤ[8904]東証1部 不動産業 1,211 100 7.9 0.83 3.13 10.88 6.27 9.52 57.85
東邦システム[4333]東証2部 情報・通信業 644 100 9.3 1.05 3.10 10.83 5.90 7.81 55.64
カーメイト[7297]東証JQスタンダード 輸送用機器 650 100 7.6 0.51 3.07 11.83 6.09 8.82 54.38
萩原工業[7856]東証2部 その他製品 1,343 100 7.4 0.75 2.97 11.02 6.90 10.90 63.53
NITTOH[1738]名証2部 建設業 398 1000 7.0 0.72 2.88 10.78 6.53 6.01 61.12
ステップ[9795]東証1部 サービス業 834 100 10.5 1.03 2.87 10.30 8.19 24.34 83.62
タウンニュース[2481]東証JQサービス業 364 100 6.8 0.81 2.74 12.26 9.57 15.18 80.14
237
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 05:19:40 ID:WL2yRwjAO
悟ってしまえば、内向とか外向とかと分けることは無意味であり
幼児の三輪車みたいなもの
概念に執着してしまえばむしろ二輪車に乗る機会を失わせてしまうのは確かなので鬼和尚が言われるのも修行の観点からすれば間違いないではないと思う。
また認識には限界があり、マハリシだろうが釈迦だろうが、苦手な分野はある。
心理学に詳しい人は心理学に詳しい覚者になればいいと思うよ。
238
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 11:18:23 ID:ncKanP4g0
質問攻めが終わったと思ったら、もうスレチばっかな。
君はもうここに来る必要は無いだろ、君の居場所は人生相談板に有るんだから。
239
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 12:57:35 ID:7rD9T5220
>>233
ありがとうございます。
観察と思考の判別について、もう一つお聞きしたいことがあります。
これまで、体に生じる本物感を頼りに、観察が正しく行なわれているか
どうかを判断してきています。例えば感覚は、感覚の生じたところに
本物感があり、それを観察するのは難しくありません。
また感情は、生じる直前から感情が消えるまで、例えば胸の下などに感覚が
生じるので、その本物感を頼りに観察することもできているように思います。
ところが思考の場合、生じる直前に頭の中にもやもやしたものが現れるのが
判ることがあるのですが、そのもやもやには、本物感が感じられません。
以前鬼和尚に、そのもやもやは観念ではなく観察されたものだと教わったの
ですが、それはそもそも本物感に乏しいものなのでしょうか?
それとも止の行を進めることで、もやもやの本物感は増しますか?
あるいは、本物感に頼ること自体に限界があるでしょうか?
240
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 19:14:35 ID:RqjHb0Jg0
私は自分の優越感のためにわざと他人を不快にする人が許せないのですが
「自分に禁止してることを他人がしていると裁きたくなる」と誰だかの言葉を思い出し
心屋さん風に「私は自分の気分のために他人を不幸にして良い」と言いました
裁く気持ちが少し和らぐのですが
でもすぐに、いや普通に駄目だろ。という考えが湧きまして
自分の気分のために他人を不幸にしてもいいが自分に返ってくることが分かっているのでそれを選択しない
に変えました
矛盾してると言うかヒヨったような文になっています
241
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/19(火) 20:42:48 ID:kaXJvxhM0
>>239
おぬしの場合、思考は感情よりも肉体の感覚が少ないのかも知れん。
肉体に何かの感覚があると気づけば観察は出来ているのじゃ。
感情とは違う感覚であるだけなのじゃ。
感情と同じような本物感は必要ないのじゃ。
思考した時に同じ感覚が必ずあればそれが本物なのじゃ。
>>240
そのように原因があれば延々と感情は生じ、更なる対抗策を考えなければならなくなるものじゃ。
原因から観察し、気づく事が根本的な解決なのじゃ。
242
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 21:35:29 ID:8sDhNKjA0
>>241
なるほど。何かを観察した時に、それに付随して肉体に起こる感覚が
必ずあれば、それは本物感とは関係なく、正しく観察できているということですね。
思考が生じる時に肉体に何が起こるかを特に注意して、観察を続けてみます。
正しい観察というものの視野を広げていただき、ありがとうございました。
243
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 22:03:05 ID:.Bu8vuG60
>>241
鬼和尚さん、わたしの
>>234
のレスを見落としてると思うので、読んでください。
244
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/19(火) 23:12:37 ID:XpOqqj3k0
OSHOやクリシュナムルティーのパクリをしてるうちはまるで生き写しのようなロジックだが、相変わらず子供のような自己表現が酷い。
私との過去のやり取りを見れば、彼自身の知恵が発揮される時、普段の彼の言ってることとかなり矛盾するレベルの低さが出る。
実際、ややこしいものだよ。
鬼和尚の知識体系はほぼ完ぺきだ。
自我における、記憶による縁への反応もクリシュナムルティーとそう変わらない。
まあ、全く理解してないクリシュナムルティーの言葉を仏教風にアレンジしているだけということはあるが。
なんにせよ。
不協和音。これにつきる。
ロジカルな部分はOSHOやクリシュナムルティーと変わらぬが、響きの部分が余りに俗人、幼いものだ。
このギャップがこちらを混乱させる。
。
これを鬼和尚に言ったら、響きなど誤解させるもので、正しく論理的に話すことが大事だといったっけな。
酷い回答だ。経典は詩であり、ロジックではない。
どんな正しい理論も自我にかかれば餌になる。知識という餌だ。
役に立つのは響きだけだ。
鬼和尚の言葉に響きはない。
人が知識に頼るのを自然と辞めさせる響きが、愛の響きが、、。
あなたを一人にさせておくかね?ここの鬼和尚が。
粘着して他者依存してる印象しか受けない。
245
:
473
:2013/11/19(火) 23:32:37 ID:XpOqqj3k0
グルジェフが言っていた。
人は誤った修行法によって、自我のある部分を強固に結晶化させてしまうと。
感情、肉体、思考の調和がとれた自我の結晶化は無我に向かうが、(そういった自我を勝ちえていないと無我の可能性はない。自我を人は持ってなのだから失えない。)
その調和の取れていない自我の結晶化は誤った結晶化で、いったんそれを捨てなければいけない。
完全な寄り道だ。
因みに、サマーディーを経ていなければ自我は結晶化しない。
自我の結晶化は、結晶化した自我を持ってない人には無我、悟りと映るだろう。
鬼和尚は見事に思考面では結晶化してるが、特に感情面が全く調和していない。
独学の危険ということだ。
鬼和尚も勧めているがOSHOがいい。
OSHOは何も飛ばさない。飛越をいつも警告する。
調子よくどんどん飛ばそうとする鬼とは対極だ。
246
:
473
:2013/11/19(火) 23:42:16 ID:XpOqqj3k0
自我は、鬼和尚みたいになりたいという。
そういう誘惑があるよ。鬼和尚の振る舞いと言動には。
その誘惑がうっとおしいというのが本音だ。
自我は、老師になりたい、OSHOになりたいと言わない、クリシュナムルティーに、グルジェフになりたいとは言わない。
それは不可能だし、彼らは存在しないし、愛にあふれている。
自我がまねしてなろうとできる対象ではない。
自我は他の自我のまねをしようとはするが、いない相手の真似をしようとはしない。対象が存在しないのだ。深淵。
老師と鬼和尚を見比べると鬼和尚の稚拙さが良くわかるだろう。
他の覚醒者と比較すると似てる部分が多いからコントラスト薄い。
247
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/20(水) 00:12:41 ID:GNXio6ZY0
鬼和尚
今日も坐っておりましたところ、
記憶の断片が無造作にあふれるほど、まるでおもちゃ箱に入れられたおもちゃのようにあるのが見えました。
その記憶とは、いろんな人達の(職場の人達でした)それぞれの人の特徴的な話し方、話し声、笑い方、などでした。
その一つを取り出して、記憶を再生し、それによって私に何かを考えさせたり、感じさせようとしている自分がいました。
私がそのことに気づくと、記憶の再生は止みますが、すぐにまた別のおもちゃを取り出してきます。
記憶をおもちゃのように使っている自分の姿を見て、思わず笑ってしまいました。
これを書きながら、坐りはじめる以前に鬼和尚に、思考が走ってなかなか寝付けない、と相談したことを思い出しました。
(坐りはじめた今では、思考が走って寝付けなくなることはなくなりました。)
寝付けなくなる思考のきっかけは、記憶した人の声の再生でした。
今日坐って私が見たことは、それと同じことかもしれません。
248
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/20(水) 03:44:56 ID:Bwz0R3.60
一休さん - 36件の動画
http://www.youtube.com/watch?v=Zv7sij-9chg&list=PLB6E5E40150B2E4C6
249
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/20(水) 10:11:28 ID:XpOqqj3k0
この体は私ではない、という主体は確実にこの体を自分だと思っている。
そうでなければ、この体は私ではない、という想念は湧いてこない。
本当にそうならどちらかというと、「この体が私だったらなあ」という想念の方が湧きそうなものだ。
だが、この体が私だと意識無意識の両面で強く思い込んでる人に、一つのショックを与えるものであることは確かだ。
それでもあるところでそういった言葉は効果を無くす。
あるがままを見る、目覚めという言葉に移行したいところだが、
あるがままを見ない主体や眠った主体がその言葉を使おうと、やはりなにもかわらない。
何か一つのことに強くこだわっているうちは言葉はバランスを取るのに助けになる。
究極的には一人だ。
瞑想と不注意、光明と無明、2元性は忘れられるという。
250
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/20(水) 20:01:17 ID:7rD9T5220
鬼和尚、
鬼和尚は思考が生じる時に、肉体のどのような感覚を観察しますか?
感情については以前、みぞおちが重くなったとか喉が詰まるようになる
というようなことを書かれておりました。
251
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/20(水) 20:44:58 ID:kaXJvxhM0
>>242
そうじゃ、何が本物かとかに囚われなくて良いのじゃ。
今ここにある感覚を観れば良いのじゃ。
またおいでなさい。
>>243
見落としていたのじゃ。すまんのう。
>>234
そうじゃ、続けていれば座るのに必要な筋肉もついてくるものじゃ。
そのうち慣れるじゃろう。
またおいでなさい。
>>247
かなり観察が出来るようになったのじゃ。
さらに続けてみるのじゃ。
>>250
頭の中が動いている感覚があるのじゃ。
考えつづけると頭の中が熱くなると判るのじゃ。
252
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/21(木) 17:22:49 ID:7rD9T5220
>>251
ありがとうございます。やはり、思考に巻き込まれて、思考の観察が不十分なようです。
集中の行に励もうと思います。
それで集中の行ですが、現在思考が静まっていき、思考無しの意識状態が呼吸10回分
程度続けられるくらいになっています。正しい姿勢と毎日励むことの他に、何かサマーディに
達するのに役立つことがありましたら、お教えください。
253
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/21(木) 20:16:39 ID:kaXJvxhM0
>>252
肩の力をもっともっと抜くのじゃ。
個我という観念のある人間は、個我を守るために常に肩に力が入っているのじゃ。
攻撃も防御も放棄して、肩の力を全て抜ききってしまうのじゃ。
そうすれば無闘争の安心の境地に入るじゃろう。
254
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/22(金) 00:29:56 ID:GNXio6ZY0
>>251
>>247
ですが、ありがとうございました。
255
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/22(金) 12:51:35 ID:7rD9T5220
>>253
ありがとうございます。
肩の力をできるだけ抜くようにして、座ってみました。
集中の行でしたが、偶然思考の観察が少しできたように思います。確かに思考中に
頭の中が動くというか、回るような感覚がありました。思考が自分ではないと
感じるのは初めてだったので、思い出してみても奇妙で不思議な感じです。
同じことがまた起こるかどうか、気負わずに試してみたいと思います。
それで、定には初禅から第四禅の段階があるということですが、それの解説は、
ブログの「数息観のやり方」に書いてあるでしょうか?
経にある、喜とか楽とか捨とかが分からないので、少し詳しく教えていただけ
ますと、ありがたいです。
256
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/22(金) 18:08:19 ID:wqr.6GRM0
五蘊仮和合 を どう思いますか?
257
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/22(金) 21:53:02 ID:kaXJvxhM0
>>254
どういたしまして、またおいでなさい。
>>255
書いていないのじゃ。
心の段階はそのように正確に分けられるものではないからのう。
想念が無ければ無想と判るぐらいなのじゃ。
楽や喜は姿勢を正しくして座りつづければ自然に湧いてくるものじゃ。
気が頭の中にまで昇れば快や喜びは生じるのじゃ。
捨とは他人の行いに対する憎しみや怒りの感情を捨てる事なのじゃ。
他にも金銭欲とか権力欲とか名声欲とかあらゆる執着などを捨てるのじゃ。
>>256
心身の要素を全て合わせたものが主体であり、己であると思っている者には正しいのじゃ。
それらの全てが合わさった状態が己として仮に設定しているのじゃ。
それも観念に過ぎないが、五蘊に執着している者には気づきをもたらすかも知れんのじゃ。
258
:
太陽くん
:2013/11/23(土) 04:10:49 ID:cGYP0q2w0
僕は、自分自身が幸せに感じる事を拒否する意識が強くて、何をしても心から楽しめず、辛いです。
その原因を考えていたのですが、中学生の頃、自分が人を殺すのではないか、
などのあり得ない想念が湧いてそれを抑え込むということを繰り返していました。
それらを抑え込むために、自分の心の声を無理やり押し殺していました。
このような想念に悩まされた原因は、自身の性欲の抑圧にあるような気がします。
性欲が非常に強かったのですが、それを他人に知られまいとするところに自我が生じ、
同時に隠そうとする自我に対して罪悪感を感じていました。
自分の感じる性欲を否定する一方でそれに囚われるという葛藤が、
自己の生存の欲求への抑圧になったのではないかと考えています。
しかし、このような自己の感情への疑念を外してしまうと、
自分自身の汚い部分と、自我以前の心と、自我に引き込まれた思考とがうまく判別できないのではないかと思います。
心を観察し乗り越えるためには、一旦その枠組みを外して見る必要があるとは思うのですが、
自分の反応を、どう扱って良いか解らないです。自分自身を受け入れるには、瞑想の中で、心の動きが
自我による引き込みであるかどうかを見極めたり、それに対して何かしらの判断を下す事が、必要でしょうか?
アドバイスがあれば、よろしくお願いします。
259
:
そうなんだ 乱入
:2013/11/23(土) 05:53:14 ID:wqr.6GRM0
>>ご回答ありがとうございました
260
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/23(土) 09:42:56 ID:7rD9T5220
>>257
自分の中に、自分が消えてゆく恐れと好奇心、それから知識への執着と、
鬼和尚への執着が生じていることに気づきました。
心の段階や集中の行の進度について思い煩うより、止観の実践に励もうと思います。
ありがとうございました。
261
:
避難民のマジレスさん
:2013/11/23(土) 19:13:39 ID:WL2yRwjAO
仏教修行してるとニート生活がこの上なく幸せに感じるが世間の価値観とは真っ向から対立するんだよな
262
:
鬼和尚
◆GBl7rog7bM
:2013/11/23(土) 21:01:21 ID:kaXJvxhM0
>>258
必要は無いのじゃ。
どのような観念上の捜査もする必要は無いのじゃ。
ただひたすらに心を観察すれば良いのじゃ。
自分を汚いと思っているという事も、自分の心に自分を汚いとする観念がある事もただ観察すれば良いのじゃ。
心に苦や迷いがある者が思考しても、迷いや苦を反映してあれも駄目とかこれも駄目とか思うだけなのじゃ。
自分の本心をひたすら観察して真相に気づく事が大事なのじゃ。
自分を汚いとする価値観さえも条件付けされたものと原因を知るが良いのじゃ。
>>259
どういたしまして、またおいでなさい。
>>260
そうじゃ、修行に励むのじゃ。
またおいでなさい。
263
:
太陽くん
:2013/11/24(日) 00:22:06 ID:9tag3QBU0
鬼和尚様
お返事をくださりありがとうございます。
たしかに、判別しようとしても、あれも行けない、これも行けないという堂々巡りにしかなりません。
僕も、自身の「汚い」とかの判断は根拠のないもので、条件付けの結果であると思っています。
しかし、「真相に気づいた」と思っても、絶対に正しいかどうか確信が持てないために、
その「真相」が正しいかどうか、、と再び観念による捜索を開始してしまいそうです。
僕が、物理学という論理的に組み立てられた学問を学んで来たことにも原因があるかとは思うのですが、
心の声に関する問題でも「本当に、絶対に正しいか?」という言葉による疑問を常に繰り返してしまいます。
(もちろん、物理学も自然を「絶対に正しく」記述するものではなく、
今ある実験事実を説明する(心が創り出した)論理的に一貫した枠組みであるというだけですが。)
心で納得する、ということに対して、(自我による?)疑いのスタンスを取ってしまいます。
自責的な思考習慣も、このような「疑念」の一つの現れなようにも感じています。
このような反芻は「雑念」そのもののようにも思うのですが、納得ということが難しいです。
心からの納得は、(観察しようとする姿勢によるとはいえ)偶然性の産物というか、自然に起こるものだから、
自我の操作を放り出す必要があるとは(頭で)思っているのですが、
それも、本当にそうかと、考えてしまいます。
これ以上頭で考えても仕方がないとは思うのですが、瞑想しても結果を焦ってしまいます。
本来、「正しい」ということ自体、心の声を聞く際には考えても仕方がないことのような気もしています。
「心から納得する」ことと「正しい」ことは全く別のことなのに、
「納得する」ということについて理解(?)がないために、混同してるのかもしれない、などとまた、頭で考えました。
心を論理に当てはめようと思考することは、経験と歩調が合えば有効だけれども、
僕の場合、経験に思考が先行してしまい、仮定に仮定を重ねることで、
心が置いてけぼりになってるのかも知れないと思いました。
的外れなことを考えているでしょうか?
瞑想の実践に当たっても、思考と観察の関係性をつかむことが必要と思い考えていました。
長文失礼しました。
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