したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |
レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。

お気に入りのローマ皇帝

1カイザー:2002/06/13(木) 23:16
人気投票にも、『ごく稀に』参加して頂いてる方もいらっしゃるようで
すので、ここでもカキコしてくれたら嬉しいです。

好き嫌いはともかく、オクタヴィアヌスはやっぱり偉大です。
アントニウスじゃ、どう考えてもライバルとしては役不足。いっそのこ
と、カエサルが暗殺されずに2人が天下を巡って争うという歴史IFの
方が面白そうです。

632マッティアス:2003/07/01(火) 23:34
この辺押さえるには、かなりいろいろな国の歴史を扱った本を渉猟する必要がありそう
ですね。「アラブが見た十字軍」はアイユーブ朝滅亡後の内容を殆ど憶えていないので
すが。アルメニア教会とか東方系は意外とムスリムともうまくやっていたので、てっき
りマムルーク朝側かと思っていました。
十字軍国家はまあ、東方生まれの人間も増えて、なにげに欧州からきた同胞からはいい
加減だったり、裏切り者と言われかねない行動様式になりがちですからね。でも、むし
ろモンゴル側かと思ってました。全然ダメじゃん、私(爆)。

とりあえず、ニケーア政権がどうしたかはわかりませんが、おそらくは積極的に関わら
ないことで勢力を温存して、周りが戦乱で疲弊した隙を狙っていたのではないかなあ、
などと想像してしまいます。ラテン帝国のほうは多少、自壊作用が働いていたかもしれ
ないし。

633カイザー:2003/07/02(水) 23:21
末期の十字軍国家は、イスラム勢力と妥協的で聖地エルサレムの奪回にはさほど拘っ
てなかったそうですね。むしろ、教皇と結託したルイ9世の十字軍がアイユーブ朝や
マムルーク朝とどんぱちやってるのは、いい迷惑だったかもしれませんね。

東方系のキリスト教宗派がフラグに協力的だったのは、フラグの奥さんの影響のよう
です。フラグの奥さんはネストリウス派の信者で、フラグのモンゴル軍が占領した都
市を屠城する時も、奥さんの願いが通じてキリスト教徒の財産には手をつけなかった
そうです。

634マッティアス:2003/07/02(水) 23:43
知らなかった。イル・ハン朝はのちにイスラム化したし、どっちかというとそういう
イメージだったのですが、よく考えたら、モンゴルの宗教自体、マニ教の影響が強くて
東方系キリスト教とは近い関係なんですよね。そういえば。
「東方見聞録」の抄訳を読んだのですが、この頃になるとキリスト教徒も偶像崇拝に
対して、西ローマも健在、あるいは統一帝国だった時代のようには敵愾心を燃やして
いない気がします。ムスリムというわかりやすい敵ができたからでしょうか。

635カイザー:2003/07/03(木) 22:36
フラグはバグダッドを占領して、カリフを殺したという経歴の持ち主ですからね。
初期のイル・ハン国は、間違いなくイスラム教を抑圧する側でした。イスラム教は
寛容だったとか言っても、結局の所はイスラム教とネストリウス派などのキリスト
教とは潜在的な対立構造を内包してたんでしょうね。それが、モンゴルの侵攻で顕
在化したと。

イコン破壊運動は、
第1次 レオ3世が発布   726
    イレーネが解除   787

第2次 レオ5世が発布   815
    ミカエル3世が解除 843

というのが、死ぬほどおおざっぱな流れです。その後も散発的には、イコン破壊運動
の動きはあったようですが、ローマの国策になることはなかったようです。
イスラム教の統治下にあった東方の異端なんかは、これ以降もイコン破壊運動を繰り
返してたのかどうかは、私もさすがに知らないのですが。

636マッティアス:2003/07/03(木) 23:16
う〜ん…。ムスリムの庇護下に入った地域は、少なくともイスラム草創期においては、
東方系教会が自ら手を下すまでも無く、イコンが破壊されていそうな気がしますけど。
イスラムってそこまではやらないのか?いや、やったよなあ、初期は。
ネストリウス派とかはともかく、マロン派とかコプト教会とかは、結構ムスリム政権
ともうまくやっていた印象があったんですが、そうでもなかったのかあ。同じ宗教だっ
たり宗派だったりしてるわけではないですもんね。

637カイザー:2003/07/05(土) 00:05
そういえばコプト派がどうしてたのかとかは、よく分からないですね。フラグに協力
してエジプト内部でゲリラ戦とかはしてそうにないですよね。少数すぎて政治力が弱
かったのでしょうか?

アインジャールートの戦い以降はイル・ハン国、十字軍国家、セルジュク系諸王朝、
ビザンツ帝国とキプチャク・ハン国、マムルーク朝というのが基本的な対立軸だった
みたいです。

実際には、さらにシチリア王国のシャルル・ダンジューがビザンツを滅ぼしてラテン
帝国再興を目指してたりとか、フラグの後を継いだアバカがローマ教皇にマムルーク
朝に対する十字軍を要請したりとか、キプチャク・ハン国のベルケがコンスタンティ
ノポリスに圧力を加えてミカエル8世をマムルーク朝との同盟に引き込んだりとか、
箇条書きにしてるだけでも混乱してきそうです。

638マッティアス:2003/07/05(土) 00:52
その辺りの歴史をわかりやすくまとめた本が欲しいですね。売れなそうだけれども。
十字軍もいわゆる狭義の十字軍(7ないし8回)とその時代くらいしか扱われていないし、
マムルーク朝ってヘタするとザンギー朝以上に日本じゃ知られていないかも。なにげに
結構長い時代存続したし、モンゴルの足をとめた数少ない勢力なんですけど。
イル・ハン国のみならず、キプチャクも対エジプト(マムルーク朝)で暗躍していたの
ですね。ゼンッゼン知りませんでした。

コプト派がどうしていたのかもわかりませんが、ムスリム王朝ってそういえば、ユダヤ
教徒はそれなりに出世したりしていたけれども、キリスト教徒があんまり権力の中枢に
登りつめた話って聞きませんよね。

639カイザー:2003/07/05(土) 11:09
フラグやアバカの時代だと、基本的にはイル・ハン国をキプチャク・ハン国とマムル
ーク朝が南北から牽制しあうという構図ですよね。ローマもそうですが、他の国々は
完全に弱小勢力ですからね〜。

ローマを中心に見れば、シャルル・ダンジューvsミカエル8世ですが、それにフラ
ンスとラテン帝国のプロデューサーヴェネチアがシャルルを支援し、シチリアに野心
を持つアラゴンとヴェネチアのライバルジェノヴァがミカエルと手を組んでいるとい
う感じです。
さらに両陣営のローマ教皇を巡っての駆け引きとかもあって、シチリアの晩鐘に至る
までの経緯をキッチシ押さえるのは頭がパンクしちゃいそうです。

640マッティアス:2003/07/05(土) 23:20
徹夜のしすぎで脳細胞死にまくりの私は、もはやここ数日の会話の内容を理解するだけ
でもかなり頭パンク気味ですよ(爆)。年年歳歳バカになってますから。

シチリアの晩鐘、というとフィリップ3世大胆王でしたっけ?フランスもフィリップ2世
くらいしか興味なかったので、ぜんっぜんその辺憶えてないんですよね(汗)。
学生時代にカイザーさんとこういう会話をしていたら、もっと面白い視点から卒論書けた
のではないかなあ、と思えてなりませんよ、マジで。

641カイザー:2003/07/06(日) 01:09
私も完全に理解出来てないのですが、一応この辺りの年号です。

1258 フラグがバグダッドを占領して、アッバース朝を滅ぼす
1260 アインジャールートの戦いで、フラグの副将キドブカがマムルーク朝スル
     タンのバイバルスに敗死
1261 ニケーア帝国のミカエル8世、コンスタンティノポリスを占領してローマ
     再興
1262 マムルーク朝とキプチャク・ハン国が同盟
1266 アンジュー家のシャルル、シチリア王となる
1268 マムルーク朝、アンティオキア公国を滅ぼす
     シャルル・ダンジュー、ホーエンシュタウヘン家を滅ぼしシチリア支配
     を確定
1270 第7回十字軍、フランス王ルイ9世チュニスで病死
1274 イル・ハン国のアバカの呼びかけで、教皇グレゴリウス10世が十字軍
     を提唱したが教皇の死により挫折
1282 シチリアの晩鐘、シチリアはローマと結んだアラゴン領に
1291 マムルーク朝、アッコンを占領 エルサレム王国の滅亡

ついさっきまで、ルイ9世の次の王様はアナーニ事件でおなじみのフィリップ4世か
と思ってたんですが、3世なんですね。勘違いしてました。
この頃のアンジュー家は凄いですよね。フランスとシチリアを押さえて、ラテン帝国
やエルサレム王国の王位継承をも視野に入れて地中海制覇を目指していたんですから
ね。シャルル・ダンジューがもっと外交に強い人物だったら、可能性はゼロではなか
ったかも?

642マッティアス:2003/07/06(日) 12:53
弟王子シャルル・ダンジューもいまひとつでしたが、実際のところ、兄王フィリップ3世も
かなりダメダメだったとか、世界史人名辞典に書いてあったような。かなり弱腰でなかなか
政策を進められずにいるうちに、追い詰められると極端なことをしがちなので、結果的に
“大胆王”なんてあだ名になったそうです。

関係ないですが、キトブカって宦官ではないですよね?キトブカって名前は、“去勢牛”と
いう意味らしく、かくのごとく雄雄しくかつ従順であるというイミでついた名前のようです
が、何ゆえよりによってこんな名前なのか、気になってなりません。

643カイザー:2003/07/06(日) 22:57
キドブカが宦官かどうかは良く分からないですね。とりあえずはネストリウス派の
キリスト教徒らしいですが。そもそも、キドブカ様ってモンゴル人なんでしょうか?

キドブカの最期の言葉は
「束の間の勝利に酔うなかれ。生を受けてこのかた、われはハンのしもべであった。
汝らのように、主を殺すやからとは、人が違うわ。」
とうそぶいて、バイバルスにクビを刎ねられたそうです。カッコイイー!!

フィリップ3世って、世界史の教科書には出てきないから良く知らないんですよね。
アバカと協力して、マムルーク朝やビザンツ帝国と全面対決するなんてのも難しいか
ったのでしょうが、結局は十字軍国家もシチリアも見殺しにしちゃったのは、フィリ
ップの責任でもあるんでしょうか?

644マッティアス:2003/07/07(月) 23:18
よくわからないですが、大胆王は優柔不断で、事態がどうしようもなくなるまで放置
プレイしがちな人だったと、事典に書かれていた気がします。2世や4世とは違うの
ですね。

キトブカの最期はカッコイイですね。友人にバイバルス・ファンがいましたが、その
エピソードはなにげに紹介してなかった辺り、自分に都合の悪いエピソードは無かった
ことにしてしまう塩野さんと似ています(爆)。

645カイザー:2003/07/07(月) 23:37
別にキドブカを処刑したことが、バイバルスのマイナスになることはないでしょうけ
どね。そもそも、フラグはともかくキドブカなんてマイナーな人物でしょうし。

バイバルスも大した人物ですよね。キプチャク・ハン国とイル・ハン国の不和という
モンゴル内部の事情とか第7回十字軍でルイ9世が遠征先で病死したりというラッキ
ーもあったにせよ、マムルーク朝繁栄の立て役者として非の打ち所はなさそうです。
キドブカの発言は、ぶっちゃけた話、ただの負け惜しみでしょう(笑)。

646マッティアス:2003/07/08(火) 16:22
負け惜しみにしてもかっこいいなあ。友人はもしかしたら十字軍関連でしか、バイバルスの
ことにふれていなかったので、キトブカが出てこないのもそれだけのことかも知れません。
私がキトブカに関する記述を読んだのは、「暗殺者教国」というリリブロポートの本でした。

マムルーク朝の初期スルタンの中では、バイバルスがダントツにメジャーでしょうね。
ていうか、マムルーク朝って初期の(元アイユーブ朝のマムルーク出身)スルタンしか、大して
知らなかったりするのですが。

647カイザー:2003/07/08(火) 21:07
マムルーク朝のスルタンで本を見ずに名前が言えるのは、バイバルスの他ではアイバ
クぐらいですね。
今、マムルーク朝の系図を見てるのですが、10代目のスルタンの名前はキトブカー
なんだそうです。

系図しかないんで、何でこんな状態なのか分からないのですが、

9代目スルタン ムハンマド・アン・ナーシル(1293〜94、1295〜1308、
                      1309〜40)
10代目スルタン キトブカー(1294〜96)
11代目スルタン ラージーン(1296〜98)
12代目スルタン バイバルス2世(1308〜09)

の在位年数が入り乱れてる理由ってご存じですか?10〜12代目のスルタンは7代
目のカラウーン(ムハンマドの父)の奴隷だとの記述だけがありました。

もう、全然ローマでも何でもない話題ですね、これ(笑)。

648マッティアス:2003/07/08(火) 22:18
何をおっしゃいますか!イスラム帝国があればこそ、西欧にもローマ文化が伝わったのです。
関係あることにしましょう。ていうか、アリですよ、この際。
大学時代の講義ノートを出してきました。イスラム史専門の東洋史特講ノート。

俗に言う、カラーウーン朝ですね。アン・ナーシルやその兄ハリールはカラーウーンの息子
なのですが、アン・ナーシルが最初に即位した時にはまだ9歳かそこらの幼君であったため、
力のある壮年のマムルークに取って代わられたわけですね。殺されはしなかったけれども。
キトブカーはモンゴル系で、実はアイン・ジャールート以来、マムルーク朝領内にはモンゴ
ル人が多数流入しており、戦争捕虜としてのモンゴル系マムルークも当然、たくさんいた
ようなのです。当時は「後の十字軍」やらモンゴル人の流入やらで外圧が厳しかったのです。
次のラージーンも暗殺されると、アン・ナーシルは復位するのですが、実権を握っていたの
がバイバルス2世で、1308/9にナーシルのメッカ巡礼を機にクーデタを起こすのですが、
すぐにスルタンと総督たちの反撃にあい、1年後には第3期アン・ナーシル政権が始まります。
以後、30年にわたるアン・ナーシル治世はマムルーク朝の最盛期にあたります。

649カイザー:2003/07/08(火) 23:46
世界史年表を見てたら、ナーシル大活躍してますね。今日まで名前すら知らない人物
だったのに、メチャ重要な人物だったのですね。
イル・ハン国のガザン・ハンとかラシード・ウッディーンと同時代人になるのですね。
シリア戦争してたのは、バイバルスとフラグやアバカだけじゃなかったんですね。

ガザン・ハンもアバカ・ハンと同様に、ローマに使節を送ってvsマムルーク朝の十
字軍を要請したらしいのですが、肝心のボニファティウス8世が・・・。

650マッティアス:2003/07/09(水) 16:22
憤死しちゃいましたか? >ボニファティウス8世

アン・ナーシルなにげに重要なんですよ。私なんかは、カラーウーンまでは何とか知って
いたんですけどね。十字軍関連で。十字軍国家を海に追い落とした人ですし。
カラーウーンは一応若い頃はアイユーブ朝のアル・サーリフに仕えてたんですよね。
ついでに、ものすごいイケメンで高値で買われました。

651カイザー:2003/07/09(水) 22:38
ガザン先生もボニファティウス8世があんな死に方するとは夢にも思わなかったでし
ょうね。アバカの時のグレゴリウス10世といい、イル・ハン国は本当にアンラッキ
ーですね。

それにしても、フランスってドライな国ですね。ルイ9世が必死になって成し遂げよ
うとした十字軍に自らの手でトドメさしてるんですよね。ニコポリス十字軍とかもあ
るんで、正真正銘最後ではないでしょうけど。

冷静に考えたら、イスラム教に改宗した(1295)くせに、十字軍の派遣を要求す
るなんてガザン・ハンも図々しいですよね(笑)。
ちなみに、ガザン・ハンが使者を派遣したのは1302年。アナーニ事件でボニファ
ティウス8世があの世に逝ってしまったのが、翌1303年です。

652マッティアス:2003/07/09(水) 23:15
教皇のアビニヨン捕囚は1309年で、「坊さん飛んでくアビニヨン」と憶えました。
だから何だって気もしますが、年号暗記って、たまにとんでもなくツボに入るもので。
すっげ〜☆と思ったのは、1241年ワールシュタット(リーグニッツ)の戦いです。
「モンゴル来たぞ避妊の用意」ですって。兄の大学受験の頃だから20年くらい前ですが。

フランスの場合、やけに熱い(あるいは真面目な)王とドライな王が結構、交互に来ている
気がしますね。十字軍関連でいえば、ルイ9世がむしろ例外的に情熱的なくらいで。
第1回十字軍のとき、フィリップ1世は離婚だったか重婚とかそういう系で破門されてて、
かといって自分で東方に赴くほどの誠意も無く、弟のユーグを派遣してるんですよね。
フィリップ2世もさっさとリチャード置いて帰国した挙句、英国領荒らしまくるし。

そういうフランスのことを考えると、イル・ハン国もそんなに変なことやってるわけでも
ないのかもしれません。

653カイザー:2003/07/10(木) 22:11
昔、掲示板で書いたことあるはずですが、コンスタンツ公会議(1414〜18)を
『いいよ、いいよ、いや〜ん☆』と覚えるようにご指導頂いた、恩師のことは一生忘
れません(笑)。

ちょっとはローマの話題に無理矢理方向転換。
この間無理矢理更新しましたが、ヘラクレイオス朝の皇帝達の所業って、いまいちよ
く分かってません。
大帝ヘラクレイオスの孫、コンスタンス2世はシチリアで使用人に殺されてるのです
が、その動機とか黒幕の有無とかさっぱり分かりません。息子コンスタンティヌス4
世が、後を継ぐとシチリアに艦隊を派遣したみたいなことをギボンは述べていました
が、ぼやけた書き方で何が目的の艦隊派遣だったのか。父の復讐戦だとすれば、反乱
軍でもシチリアに存在したと考えるべきなのか・・・。

654マッティアス:2003/07/10(木) 22:18
う〜ん…。オイタ(脱線)が過ぎましたね。すみません。

私はカイザーさんよりもずっと事情が飲み込めないのですが、コンスタンティヌス4世の
シチリア派兵は、黒幕をつぶすためか、はたまた八つ当たりか。父上を見殺しにした住民
どもも許すまじ、みたいな。ちなみに、実行犯の使用人はとうに処刑されてるんですよね?
もし捕まってないのだとしたら、それこそシチリア派兵の充分な動機たりえると思うの
ですが。

655カイザー:2003/07/11(金) 00:17
「ローマ帝国衰亡史」には、コンスタンス2世暗殺下手人の名前も後日談も何も書い
てないんですよ。「生き残った帝国ビザンティン」とか他の本見ても、入浴中に殺さ
れたという程度の情報があるぐらい。

原典史料を読める立場なら常識なのか、そもそも具体的な史料が何にもないからなの
か。ヘラクレイオス朝の中期以降は、イスラム教との戦争の連続でまともな文献がな
いんだそうです。唯一の史料と言われる「テオファネス年代記」も8世紀か9世紀ぐ
らいの史料だそうですし。
「ローマ帝国衰亡史」って、この辺からマケドニア朝まで、はしょりまくっててビビ
リますよ。

656マッティアス:2003/07/11(金) 22:44
原点史料すらないという可能性もありますね。良い歴史家がいなくて後世に伝わらなかった
とか。それか、明史のようにつまらないことまで事細かに書かれ過ぎていて、到底読む気が
起こらない様な歴史書だったりとか。
まあ、戦争で忙しいと、次の時代の人が書くにしても(つうか、この先ずっとイスラムとの
戦いが続くじゃん)、その素材すらほとんど残ってない可能性も強いですよね。
それにしてもギボンがはしょりまくるというのは、すごいですね。

657カイザー:2003/07/12(土) 01:03
一年につき一行しか記述してない時代もあるという「テオファネス年代記」の和訳本
があればちょっと読んでみたいですね。

ギボンも史料がなかったからか、コンスタンス2世のイタリア滞在(実質的には遷都)
の解釈を露骨に間違ってたりします。ギボンの解釈では、コンスタンス2世は政治に
疲れてイタリアに亡命して隠居生活にあったとしています。で、コンスタンティノポ
リスに残された後のコンスタンティヌス4世を含む息子達は、人質であると。

ギボンの時代にはそういう説が主流だったのかもしれませんが、どの本をみてもイス
ラム勢力との戦いとローマ教会へ影響力を行使する為という軍事政治的動機だと解釈
されています。

658マッティアス:2003/07/12(土) 11:39
ギボンも当時の人にしては進歩的な視点を持つ人(ていうか教養人)だったとはいえ、
18世紀の人ですからね。今みたいに碑文学とかそういうのが発展してなかったら、
仕方ないかもしれません。18世紀は反ユダヤ的キリスト教徒としての視点が、ワー
ルド・スタンダードとしてまかり通ってますし。
第二次大戦前どころか、たかだか10年くらい前の定説でさえ結構、研究が進むと、
あれはものすごい過誤だとか、権威の強引な解釈とか言われてしまう世界で、ギボン
が突っ込まれまくるのは当然としても、それなりにマトモですよね。

「テオファネス年代記」というのは、ビザンツの御用史家の筆になるものですか?
1年につき一行って、タキトゥス風に書いたら「○○と××が執政官の年となる。こ
の年は異教徒どもとの戦いと、政治的粛清の嵐が吹き荒れる。」みたいなノリで、一
言評で終わっちゃうカンジですか?ひで〜(笑)。年代記作者すら、参考にできる資料
がほとんどなかったとか?

659カイザー:2003/07/12(土) 22:30
いやあ、私もちゃんと知らないのですが「テオファネス年代記」は9世紀初頭に記述
された本で、ベリサリウスの秘書官プロコビウス以来の久々の長編歴史書なんだそう
です。
で、年に一行しか記述がない時というのは、コンスタンティヌス4世時代の、ウマイ
ヤ朝によるコンスタンティノポリス包囲戦の頃です。現実問題として、滅亡寸前だっ
たから史料を残すとかしてる場飯豊もなかったんでしょうね。

今でこそ、イスラム側の史料とか考古学的な発見があったりして、それなりに状況は
改善されているのでしょうが、流石にギボンの頃は仕方ないですよね。つーか、そん
な悪条件の中で、「ローマ帝国衰亡史」を書き残したギボンは凄すぎです。

660マッティアス:2003/07/12(土) 23:03
偉大ですよね。当時の流行で古代ローマ熱が多少はあったにしても、よくぞローマ帝国
2000年(ていうかギボンの場合は序文ぽいの含めて帝政mp1500年くらいかな?)
の歴史をつづった物ですよね。
あれをもうちょっとPOPにしたのがモンタネッリで、それの日本版として書き始めた
のが、塩野さんでしょう?彼女の場合、むしろモンタネッリ寄りだと思うのですが、
出版サイドは塩野版「ローマ帝国衰亡史」と謳ってますけれど。

そうして、「テオファネス年代記」ですが、確かに描かれたのが実際ウマイヤ朝と戦って
いた時代よりも100〜200年は経っていますからね。古代ギリシアの歴史家のように
多少ドリーム入っていろいろ書くのではなく、タキトゥス路線の歴史書を書こうとする
ならば、かなり厳しい状況ですね。タキトゥスやスエトニウスのように議会日報とか
公文書にも恵まれていなかったでしょうし。

661カイザー:2003/07/13(日) 10:47
もしかして、塩野七生さんもギボンみたいに西ローマ帝国の滅亡で一端完結しておい
て、その後残りの東ローマ時代を記述しようと、20年計画で考えてるのでしょうか?
だとしたら、ちょっと塩野さん見直すかも?
それとも、塩野さんも結局は西ローマの滅亡=ローマ史の終焉という古典的な歴史観
の持ち主なんでしょうか?

この辺の時代について書いてる本ならどれにでも書いてるんですが、コンスタンティ
ヌス・ポゴナトゥス(髭皇帝)と呼ばれた皇帝が誰かをビザンツ史家ですら判定でき
ず、コンスタンス2世のことかコンスタンティヌス4世のことか20世紀まで判明し
てなかったそうです。

662マッティアス:2003/07/13(日) 13:46
ヒゲ皇帝?ものすごいあだ名なんですけど、てことは、ビザンツ皇帝って基本的には
ヒゲを生やさかしてなかったんですか?勝手に、バシレイウスはヒゲ生やしてそう、
とか思ってたんですけど(アホ)。そういえば、ユスティニアヌスもヒゲ生やしてなか
ったですね。

と、ヒゲ部発言はおいておき、ビザンツ関連の本は全くと言ってよいほど読んでない
ので、そのポゴナトゥスなるお方は、シチリアで入浴中に殺された方なのか、息子の
ほうなのか、わからないのですが。どちらだったんですか?

ついでに、塩野さんはモムゼン大好き、だったりするようなので、多分、西ローマと
ともにローマが終わったと考えていそうだと思います。さらに10年かけてビザンツ、
なんて塩野さんいくつになるんですか。

663カイザー:2003/07/13(日) 19:20
ポゴナトゥスはコンスタンス2世のことだそうです。結論しか知らないので、何でそ
ういう答えになったかという過程は全然知らないですけど。コンスタンス2世のコイ
ンに描かれている絵は、髭がバッチリあるそうですよ。

どうも、コンスタンスという名前は、小コンスタンティヌスみたいな意味らしくて、
コンスタンス2世のことをビザンツの年代記ではコンスタンティヌス4世と書いてい
るのもあるそうで、だとしたらコンスタンティヌス1世の息子のコンスタンス1世の
存在とかどうするんだろう、と考え出すと夜も眠れそうにないんで、もう気にするの
はやめました(笑)。

664マッティアス:2003/07/13(日) 21:02
コンスタンティヌス4世はヒゲじゃないのでしょうか?どっちでもいいことですが。
コンスタンス1世は、統一皇帝だったことがないから、とかいう理由で外されてるとか?
確かに考え出すと、仕事も手につかなそうですね(笑)。単純作業をしてると、ずっと
考え込んでしまいそうですけれど(爆)。
ていうか、え?ちょっと待ってくださいよ。息子もコンスタンティヌス4世なのに、
父親までその名前で書かれちゃったら、マジでわけわかんないんですけど。どう区別
しろと言うのですか?

665カイザー:2003/07/13(日) 21:28
コンスタンス2世をコンスタンティヌス4世と数える時は、コンスタンティヌス4世
は5世で、コンスタンティヌス5世は6世と一代づつずらして数えるそうです。

>コンスタンス1世は、統一皇帝だったことがないから、とかいう理由で外されてるとか?

いやいや、コンスタンティヌス2世も統一皇帝にはなってないから、そういうことは
ないでしょう。

確かホノリウス時代の僭帝コンスタンティヌスは、一時ホノリウスが妥協して正帝位
を承認したので、コンスタンティヌス3世と刻印された金貨を発行してた筈です。
ちなみにその僭帝コンスタンティヌスの息子はコンスタンスで、この辺も正統な皇帝
だとしたらいったい・・・・。

666マッティアス:2003/07/13(日) 22:32
考え出すと、ほんとにキリがないですね。うが〜。十字軍のカウントとかもそうですが、
統一されてないと、読む側はほんとに混乱しますよね。まあ、コンスタンス2世の場合、
現代の書物ではコンスタンティヌス4世なんて書かれるはしないのでしょうけれども。
あ、もしかしてそういう理由で、ビザンツ最後の皇帝って、○世っていうのが2つ表記
されているんですか?

667カイザー:2003/07/14(月) 01:14
いや、多分それは第4回十字軍の時のくじ引きで選ばれた一夜皇帝コンスタンティヌ
ス(11世)を数えるかどうかがあやふやだから、はっきりさせてないのだと思いま
す。
てな訳で、コンスタンティヌスと名の付く皇帝を○世と呼ぶか、こんがらがってきそ
うなので、日記で簡単な表作ってみました。

十字軍は、第5回以降が解釈の違いがあるんですよね。エルサレム王国がファーティ
マ朝征服を企んだ戦争を数えるかが、あやふやな十字軍でしたっけ。
ニコポリス十字軍とかレパントの海戦も十字軍でしょうから、第○回という数え方が
7(8)回で終わりというのも、おかしな話ですよね。

668マッティアス:2003/07/14(月) 16:11
いや、フリードリヒ2世のとか、教皇特使ペラギウスのとか、その辺を数えるかどうか、
です。7〜9回となるわけですが、同じ回数でもどれを可能とするか、人の好みによって
変わるようです。権威とされているものでも、4種類くらいあったはず。
十字軍と言われてしまうものだと、アルビジョア派(異端)に対する十字軍とか、いろいろ
ありすぎですよね(笑)。
つうか、第4回、あれは十字軍として出発したのは確かですが、アリなのか?と突っ込み
たくて仕方がありません。

669カイザー:2003/07/17(木) 22:08
へえ、フリードリヒ2世の十字軍って絶対に数えるもんだと思ってましたけど、十字
軍として認めない研究者もいるんですね。結局、戦争にならなかったからでしょうか?

第4回十字軍は十字軍でしょう。東方教会は、ローマ教皇が言明してようがなかろう
が、カトリック教徒からすれば異端なんでしょうね。
文盲であることに誇りを持っていた十字軍兵士達は、学問を重視するビザンツ人を軽
蔑しており、コンスタンティノポリスの往来を歩く時には文字を書く真似をして、そ
の差別心を表現したそうです。

670まってぃあす:2003/07/17(木) 23:48
でもでもー、十字軍自体が元はと言えば、コンスタンティノポリスの
要請で始まったわけじゃないですか、それが攻撃の対象にされて
しまうのって、ビックリ(@_@)だと思うんですけど。

十字軍と関連して。実はフランク人達がガイドブック代わりにしてたのが、
ヨセフスの「ユダヤ戦記」なんですよね。エウセビウスのおかげで、
すっかり名誉キリスト教徒な彼(^_^;。中世って、怖い。

671カイザー:2003/07/19(土) 19:33
アンティオキア公国なんて、形式的にとはいえ一時期エルサレム王国の影響から離れ
てローマ帝国の邦臣になってたりしますもんね。
地中海貿易を牛耳りたいヴェネチアの思惑に乗った十字軍の暴走は、不味いと言えば
不味いですね。異教徒との聖戦を主張してたであろう教皇の立場台無し。

そういえば、第4回十字軍の蛮行が東西教会の関係修復を不可能にしたという側面も
あるようですよ。この事件がなかったら、もしかしたらローマ教皇の影響力って今よ
りも遙かに大きなものになっているのかもしれませんね。

672マッティアス:2003/07/20(日) 16:41
第4回十字軍ではどうしても、黒幕ヴェネツィアのことばかり(西洋側の史料では仕方
ないですが)注目されますが、実際の所、ヴェネツィアに外交的に働きかけたのが、
アイユーブ朝のアル・アーディル(サラディンの弟)だったようです。
アーディルもヴェネツィアも、あんまり信仰心厚くなくて、実利主義者なんで、気が
あったんでしょうね。教皇とか聖職者連中には理解できない事件ですよね。

ところで、東西教会の関係が修復できたとして、ローマ教会の影響力はそんなに増大
しますかね?東方は東方で世界が出来上がってるから、せいぜい西方の権威というまま
かも知れないなあ、などと思ったりするのですが。理解が甘いかな?

673カイザー:2003/07/20(日) 20:15
第4回十字軍の裏でヴァレリー様が活躍してるというのは、知らなかったですね。
塩野先生の「海の都の物語」でそんなこと書いてたかな?ヴェネチアって、ローマに
とって本当最悪の存在なんだなと改めて思えてきます。

それにしても、ヴェネチア=エジプト同盟が十字軍を扇動して、ローマを滅ぼしたと
いうことは当時のローマ教皇とか神聖ローマ皇帝の耳には入ってなかったのですか?
入ってないからこそ、ヴェネチアが中世を生き抜くことが出来たんでしょうけど。

674マッティアス:2003/07/20(日) 20:42
ヴァレリー様言うなあ〜(涙)。あの小説は私の中では無かった事になってます(号泣)。
アル・アーディルは重商主義者ですからね。アレクサンドリアとかは、イタリア商人が
かなり自由に出入していて、交易で相当利得を上げていたはずです。そのあたりを匂わ
せて、「今度の十字軍はエジプトが目的地らしいじゃないよ?何とかなんないかな?」
などと言ったようですね。

戦利品がものすごかったのと、カトリックとは微妙に不仲なギリシア人たちがイタイ目
に遭おうと知ったこっちゃないのと、散々脅してから条件付で許す事によって、教皇は
充分に自分の権力を見せ付けられると思ったんじゃないかなあ?神聖ローマ皇帝は多分、
フランスなどとの領地争いとか、皇帝位をめぐる親族間のゴタゴタで、あんまり関わっ
てる余裕なかった気がします。

675カイザー:2003/07/20(日) 21:50
ヴァレリー様の小説大ヒットしてたじゃないですか。私も含めてアル・アーディルの
名前を知っている人間の99%は「ジハード」の影響でしょう。
現実から目をそらしてはダメですよ(笑)。

皇帝位争いというとコンスタンティノポリス側も酷い有様でしたね。
帝位簒奪を目指してヴェネチアに援軍を求めたアレクシオス4世と元皇帝でその父
イサキウス2世。十字軍の出現にコンスタテンィノポリスから逃亡した皇帝がアレ
クシウス3世、アレクシウス5世、コンスタンティヌス11世の計3人。
もう、この混乱時に即位した皇帝にはろくな人材がいなくて泣けてきますよ。

十字軍にお金を払ってお引き取り願うことが出来なかったのは、ヴェネチアとの対
立により既にコンスタンティノポリスの財力は枯渇していたということもあるので
しょうか?

676マッティアス:2003/07/20(日) 22:53
忘れちゃいました(爆)。でも、船を出していたヴェネツィアからの多大な謝礼の約束と、
第一回の時からしばしば十字軍参加者が陥る、コンスタンティノポリスの威容とギリシア
人の豊かさへの、欲望が出てしまったのではないかと思います。

アル・アーディルの名前を知っている日本人でも、「ジハード」関係なく知ってる人は、
1割くらいはいると信じたいのですけれども。「アラブが見た十字軍」読んでれば、絶対
知ってるはずだし。東洋史特講の授業でも彼と息子カーミルはそれなりに活躍してたもん。
あんなジャンプ漫画なみに辻褄あわせが強引で、「ロビンフッド」や「アイヴァンホー」
のファンを舐めくさった小説は…名前が同じだけのファンタジーです(涙)。
そういえば、ヴァレリー様って実はビザンツの貴族っていうか、皇帝の血を引く人じゃな
かったでしたっけ?ヴァレリウスなんとか、っていう。

677カイザー:2003/07/21(月) 01:16
確かにヴァレリーはギリシア人だという設定でしたね。コムネノス朝の血筋だったか
は記憶にないですけど。
サラディンは超有名人なので数千万単位の日本人が教科書で名前を知ったことと思い
ますが、アル・アーディルだと名前を知ってるのが30〜50万人ぐらいで、かつそ
れを初めて知ったのが「ジハード」だという人が大半を占めると思います。「ジハー
ド」がなかった頃の、日本のアル・アーディルの知名度って10万人以下だったんじゃ。
統計なんてない、只の想像なんですが。

アル・カーミルは、エルサレム王国の侵略を撃退したり、フリードリヒ2世と仲良し
さんだった人ですよね?

678マッティアス:2003/07/21(月) 01:38
そうです。あの小説だと元アサッシン教団だったり、10歳くらいしか年の離れてない
ヴァレリーの息子ということに無理やり合わせようと、かなり無理なことをやってる
ようですけど。多分、養女のシャーラザードが実はサラディンの一人娘ムーニサ・ハ
ートゥンになったのって、佐藤次高先生の『イスラームの「英雄」サラディン』が出
版されてから、慌ててそうしたんだろうな、とか。苦しくてツライの。
ともあれ、カーミルはなかなか素敵ですよん。伝書鳩900羽常備で、ローマ皇帝でい
えば、ウェスパシアヌス並みにしたたかで、王朝の3代目くらいなカンジの君主です。

またまた微妙に脱線してしまいましたが、十字軍について、ビザンツがそれなりに関
わってくるのって、実は第1回と第4回だけですよね。(あくまでも狭義の十字軍で)
しかもビザンツ側の記録がマットーに残ってるのが確実なのは、第1回のアンナ・コム
ネナによる「アレクシアード(アレクシオス1世伝)」くらい?

679カイザー:2003/07/21(月) 12:02
そういえば、昨日のNHKスペシャル、「実況パワフルプロ野球10」をプレイする
のに夢中になってて、存在を完全に忘れてました(笑)。
面白かったですか?

確か第3回十字軍の時のローマは、十字軍の小アジア通過を認めてる裏で、サラディ
ンと内通してたりしたはずです。まあ、直接十字軍に関わってないといえばそうです
が。

アイユーブ朝とかマムルーク朝に限らずイスラム史って、本当初期段階から現在に
至るまで、日本ではまともに知られてない分野ですね。一番マシなのがオスマン・
トルコになるぐらいでしょうか?
日本だとムハンマドとサラディンの名前ぐらいしか知らない人が大半なんでしょう
ね。

680マッティアス:2003/07/21(月) 15:48
近現代史は別として、そうかも知れませんね。サラディン、なにげにメジャーだなあ。
これってやっぱり、サダム・フセインが宣伝に使っていたおかげなんでしょうか(汗)?

昨日のNHKスペシャルは録画していましたが、TVは父がダビング作業に使っていた
ので見てません。他のサイト見る限りでは、それなりに見ごたえがあったっぽいですね。
コインを製造しているシーンとかあったみたいですし。

イスラムとビザンツは、日本で同じくらい知られていない分野だと思います。そうして、
イスラムの興隆から、ビザンツの滅亡まで、この二つの文明は思いっきり接している世界
ですよね。どちらを学ぶにも、お互いの存在を頭の片隅に入れておかなきゃならない。
西欧中心主義だと、ホントにもう、十字軍とかコンスタンティノープル陥落くらいしか、
重大事件として扱ってもらえませんからね。
観光地としては近年そこそこ人気のコースだというのに(笑)。

681カイザー:2003/07/21(月) 19:44
もしかして今の日本人て、ムハンマドもサラディンも知らないけど、オサマ・ビン・
ラディンとサダム・フセインの名前は知ってるという人がいっぱいてそうで、ちょっ
と考えるの怖いです。

ビザンツもマイナーなんでしょうね。普通ならユスティニアヌス1世の名前を知って
ればいい方でしょう。ヘラクレイオス1世とかレオ3世とかバシレイオス2世でも、
マイナー皇帝なんでしょうね。
統一時代は塩野先生の功績(←認めたくないけど)で、それなりには知られるように
なってきたから、次はビザンツ帝国の通史も誰か書いてくれないですかね〜。

682マッティアス:2003/07/21(月) 21:01
研究書ではなく、とっつき易い読み物としてですね。ついでにネームバリューのある人。
塩野さんくらい名が売れてないと、意味ないでしょうから。それか、「ジハード」みたく
軽くて読みやすいFT小説ですね。そうすれば、オタクが食いつくでしょうから、通史も
邦訳されるかも知れません。
主人公を若い頃のユスティヌスにしてみるとか、ベリサリウスにしてみるとかで、できな
いですかね?よくわからないけど、武将系か、成り上がり皇帝だと、好き勝手できそうで
良いかと思います。

683カイザー:2003/07/22(火) 23:47
私としては別にメジャーどころじゃなくても、ビザンツ史を統一した1人の歴史観に
よって通史的に叙述された作品が読めれば、メジャーになれなくても幸せいっぱいで
すけどね。
そういう作品が存在する為には、まずメジャーになる必要があるという所に、何か果
てしない矛盾と天より高い壁があるように思えてくるのは、私の気のせいなんでしょ
うか?(笑)

ユスティニアヌス1世の周囲って、卑賤の身から立身した人間ばかりで、ドラマの題
材に向いてるかもしてませんね。
叔父のユスティヌス1世もそうですし、テオドラとか宦官ナルセスとかフン族の部将
ムンドとか色々いてますよ。他でも悲劇の東ゴート女王アマラスウィンタなんかを、
ちょい役で登場させるとかもよさげですね。

684マッティアス:2003/07/23(水) 16:27
田中芳樹あたりに小説化してもらえば、ばっちりですね(笑)。
しかし、ほんとにまず邦訳の通史が普通に手ごろな価格で欲しいだけなのに、メジャー
でないと、邦訳なんてしてもらえない、というのは最大のパラドックスですよね。出版
業界も最近は不景気で売れ筋でもないものに、あんまり手を出さなくなりましたからね。

そういえば、「○○歴代誌」を出しまくっているクリス・スカーって、ビザンツ皇帝で
出していないんですか?最近、書店にあんまり行ってないもので(汗)。

685カイザー:2003/07/24(木) 21:30
田中芳樹は銀英伝で燃え尽きたと私は思ってるんで、彼に小説化して貰ってもあんま
し嬉しくないです。(←ひでーよ)
昔、ノブゴロド公国を舞台にした富士見ファンタジア文庫を見た記憶が微かにあるの
で、ライトノベルとかならあり得るかもしれないですね。

クリス・スカーの歴代誌シリーズ、ビザンツ皇帝のはないですね。もしかして、邦訳
されてないだけで原書は存在するんでしょうか?
ちなみに私の希望としては、神聖ローマ皇帝歴代誌(フランク時代からなら更にOK)
とかイスラム教カリフ歴代誌なんてのを出版して欲しい所です。

686マッティアス:2003/07/24(木) 22:48
>ノベル希望!
とんでも系なら、武上純希か定金伸治とかですね(薄ら笑い)。個人的な好みとしては、
酒見賢一辺りに短編とか書いてもらいたいですけど。あとは篠田真由美(ヴラド・ツェ
ペシュ小説を書いてました)とか、POPに桐生操とか。

>歴代誌
やっぱり出てませんか、ビザンツ。
イスラム教カリフっていうと、ウマイヤ朝以降だといくつかの王朝のカリフが同時に存在
しちゃったりしますけど。ファーティマ朝とかシーア派はイマームと扱うにしても。
オスマントルコだけでも出して欲しいような気はしますね。

687カイザー:2003/07/26(土) 23:24
ゲルマン諸王国歴代誌なんてのもあったらハッピーですね。
ヴァンダルと東ゴートは松谷健二の本で、概略史は理解出来ましたが、西ゴート、
フランク、ランゴバルドなんかはよく分かりません。しかもブルグンド、スウェヴィ
、ゲビデなんかのマイナー民族は、更に分からない。
末期帝国時代以降のローマ史を理解する為に、この辺の各国史を把握しときたいん
ですけどねえ。

そういえば、ハザル・ハン国の君主の名前って、私は1人も知らないのですが、
マッティアスさんはご存じですか?

688マッティアス:2003/07/26(土) 23:31
(満面の笑顔で)知ってるわけないじゃないですか!勉強してないし(笑)。気にはなります
けどね。ていうか、人名憶えるの苦手です。パルティアやアルメニアの王の名前ですら、
ろくすっぽ憶えてないですもの(←自慢にならない)。

ていうか、スエビって、タキトゥスの頃はゲルマン諸部族の総称だったようですね。
ドミティアヌスの北方での戦争は大概、スエビ・サルマタエ戦争と呼ばれていたようです
が、スエビ族の中にマルコマンニだとか何だとかが含まれていたようですから。

689カイザー:2003/07/27(日) 09:12
まあ、パルティアやアルメニアなんかの場合はいちいち覚えてないだけで、間違いな
くオスロエスとかアルタクセルクセスという感じの名前の王がいたのは分かるのです
が、ハザルの場合はそういう記録が存在するのかなと思って。
皇帝になった人物と血縁関係があったりするので、全員でなくても何人かは判明して
そうですけど。

タキトゥスの時代だと、末期帝国時代に活躍する西ゴート族はスカンジナビア半島か
北海沿岸にいた筈ですね。
サルマタエ族って、ヴァレンティニアヌス1世に無礼な使節を送りつけて憤死させた
部族なんですが、このイベント以降はローマ史関連では登場してないような気がする
のですが、どうなっちゃったんでしょうね。

690マッティアス:2003/07/27(日) 11:38
え、手紙で皇帝を憤死って…どんな手紙なんですか?すごいよ、ソレ。内容が物凄く
無礼千万だったのか、皇帝が単に激しやすい上に老齢とかだったのか、気になります。
そういえば、ハザル・ハンの妹はビザンツ皇帝妃になっていたんですよね。妃の名前
はわかってたんですよね、確か。でも、それも洗礼名とかでしょう?謎の王国ですね。

サルマタエも、よくわからないですね。これもいくつかの部族の総称でしたっけ?
とりあえず、ダキアとも敵対していて、ドミティアヌスはサルマタエ諸部族に対する
戦争をするために、ダキア領をローマ軍が通過できる事を、デケバルスと協定してい
たようですが。長い間存在するわりに、直接に領土を接していたわけでもないような
ので、そんなに詳しく取り扱われないというイメージがありますね。

691カイザー:2003/07/28(月) 23:57
すいません記憶があやふやなんでギボンを見直したら、ヴァレンティニアヌス1世を
激怒させた不届きなゲルマン部族はクアディ族でした。

ヴァレンティニアヌス1世配下の部将マルケリヌスが辺境で功績を挙げるために、ク
アディ王ガビニウスを騙し討ちにして殺害したことから戦争が始まり、イリリクムで
はサルマタエ・クアディ族が略奪を行います。

で、これを収める為に、ヴァレンティニアヌス1世は自ら現地に赴き、戦況が悪化し
たクアディ族は使節を送り弁明を述べ許しをこうと、直接使者と会っていたヴァレン
ティニアヌス1世は許すことは出来ないと、これでもかと怒り始めたあげくぶっ倒れ
て、まもなく死んでしまったそうです。
ちなみに、この戦争で活躍したのが後のテオドシウス1世だったりします。

692マッティアス:2003/07/29(火) 22:23
それって、ローマが悪いんじゃないんですか〜?クァディの王を騙し討ったんでしょう?
挙句、鎮圧したら和睦の使者の弁明に逆ギレして憤死ですか?アホかい!
ていうか、いい加減ギボンも続巻買わなくてはいけないのですが、給料入るまで結構、
いまキビシイのでなかなかです(爆)。

クァディですか。ドミティアヌスに粉砕されたイメージがあったのですが、その後も
存続したのですね。
テオドシウスって、どうしても教科書で憶えさせられた、法典しか思い浮かばないの
ですが、武将としても活躍していたんですね。

693カイザー:2003/07/30(水) 00:17
ヴァレンティニアヌス1世の強硬な態度の理由は、マルケリヌスの(おそらくは自分
に都合のいい)報告だけを鵜呑みにしたのだろうということをギボンは述べていまし
たよ。
まあ、クアディ族がブチ切れたのはもっともな話ですが、こっそりとマルケリヌスの
悪行をヴァレンティニアヌス1世にチクルというのが正解だったのかもしれませんね。

ちなみに、テオドシウス法典は、孫の2世時代ですよ。
テオドシウス1世の父大テオドシウスはヴァレンティニアヌス1世時代に、ブリタニ
アでのピクト人討伐などで功績があった軍人でした。でも、ヴァレンティニアヌス1
世が前線で憤死して、息子のグラティアヌスに帝位が移ると、理由は不明ですがおそ
らく冤罪で処刑されてしまい、テオドシウス(1世)はイスパニアで隠居生活を送る
ことになります。
その後、ハドリアノポリスの戦いで東方帝ヴァレンスが戦死すると、グラティアヌス
は軍人としての功績を鑑みてテオドシウス1世を抜擢して東ローマ皇帝に指名した、
というのがおおざっぱなテオドシウス即位までの経緯です。
テオドシウス1世は、皇帝となってからも西ゴート族の鎮圧や、2度に渡る西方遠征
に勝利するなど、極めて有能な軍事指揮官だと思いますよ。詳しい戦史とかは見かけ
ないので、検証は出来ませんが。

694マッティアス:2003/07/30(水) 00:43
いやあ、どうでしょう。ヴァレンティニアヌスにマルケリヌスの悪行を密告したところで、
帝国領土内とかでなければ、市民の嘘八百ほどに信じてもらえないんじゃないですか?
その前に使者がローマ軍に捕まっちゃう危険も強いですし。

テオドシウス法典はテオドシウス2世でしたか。うわ〜、すっごくいい加減に憶えてます。
ていうか、高校では中世ヨーロッパからしかやってもらえず、それ以前は予備校と自作の
ノートでしか勉強してないですからねえ。←言い訳。

695カイザー:2003/07/31(木) 00:54
ちなみにカルケドン公会議はマルキアヌス帝時代ですので、こういう細かいことでも
覚えておけば、試験で得・・・しないでしょうね(笑)。

でも、テオドシウス法典なんで、世界史の試験で見たことないと思うのですが、そん
なの高校時代に覚えました?ユスティニアヌス法典とトリボニアヌスの名前を習った
記憶はあるんですが、ベリサリウスもナルセスも知識としては知ってましたが、受験
の為の知識ではなかったような気がします。
高校の世界史の授業だと、東ローマの端折り方は凄かったですからね〜。

696<削除>:<削除>
<削除>

697マッティアス:2003/08/05(火) 22:26
ここ何日か書き込み数が偶数だったので、カイザーさん忙しいんだなあ、と思っていたら、
止めてたの私なんですね。いつの間にか謎の削除記事とかあったんだあ…。
それにしても、東はひどい扱いですよね。わりにメジャーな東西分裂以前でさえ、教科書
ではかなりひどいものですけれども。東はだって、コンスタンティノープル陥落の時の
皇帝でさえ名前出てきませんでしたよ?ユスティニアヌスとかレオン3世くらいしか習った
憶えがないです。

ナルセスに関しては、ローマとはまったく関係なく「大航海」(去勢がテーマだった回)で
名前を知りました。東ローマって宦官使ってたんだなあ、と感動した憶えが(爆)。

698カイザー:2003/08/05(火) 22:52
>謎の削除記事
謎っていうか、只の二重カキコみたいな?(笑)
ちなみにここに書いても仕方ないことですが、コミュニケーションを取ろうという意
志が感じられない(と私が判断した)カキコやスレッドは無言で削除することにしま
した。

授業で名前が出てくる東ローマ皇帝というと、他にはヘラクレイオス1世とアレクシ
ウス1世なんかがいてるぐらいでしょうか?
そもそも、ローマ史に関心がない人なら、ブルガリア人キラーのバシレイオス2世と
かオバタリアンの星ゾエとか陰謀家のミカエル8世を知ってればマシな方だという気
がします。

ラストエンペラーのコンスタンティヌス11(12)世は、覚えてもしょうがないと
いうか。ドラマ的にはともかく何もしてないですからねえ。
西ローマのロムルス・アウグストゥルスだって、授業では覚えないですもんね。

699マッティアス:2003/08/06(水) 00:40
西だって、ほんと相当教えないですよね。ほんの3、4年くらい前まで、フラウィウス朝
どころか、コンモドゥスすら知らなかったです(爆)。セウェルスは辛うじて知ってた程度。
ていうか未だに、↑に書かれている東の皇帝の名前、聞いてもどういう人でいつの皇帝か、
ほぼ全員、わからないですものね(爆死)。
アレクシオス1世コムネノスは、十字軍ファンでもない限り、教科書には出てきませんか
ら、知らないでしょうね。

700カイザー:2003/08/06(水) 21:27
アレクシウス1世は間違いなく教科書に太字で登場してましたよ。
クレルモン公会議に至る十字軍のプロローグの説明と、テマ制(軍管区制)→プロノ
イア制(ローマ版封建制)への移行の時の皇帝という位置づけで、模擬テスト何かで
もよく見かけました。
マイナーっちゃ、マイナーな人物でしょうが。

そういえば、先日コンビニでカエサルのフィギアGetしました。
フルタ製菓の商品なんですが、グラディエーターがテーマでラインナップは剣闘士ば
っかり。実在の人物は、カエサルとコンモドゥスとスパルタクスだけという、通好み
過ぎる構成(笑)。
カエサルは、多分「ローマ人の物語」で増加したミーハーファンに期待してるんでし
ょうが・・・。
絶対、シリーズ化されそうにないんで、見かけたら保護することをお奨めしておきま
す。

701マッティアス:2003/08/07(木) 16:19
え?アレクシオス1世出てました?身に憶えがないんですけど(爆)。しかもプロノティア制
って、聞き覚えがない。ヤバイ、忘れてるかも(脂汗)。

コンビニのそのフィギュアシリーズ、東京ではそろそろ発売じゃないかな?フラウィウス朝
なんて出てこないから、いいですけど。でも、コロッセウムを建てたのは誰?ってカンジ。
ティトゥスは、ユダエアからローマに戻る途中で、剣闘士競技に出場したりしてるんですね。
しかし、売れるのか、そのシリーズ?不安です。

702カイザー:2003/08/07(木) 19:39
売れないでしょう!!(断言)
私は2個買っただけなので、まだ入手できてないコンモドゥスをGetするべく、コ
ンビニに行く度に探しているのですが、最初の出会い(先週の金曜日)以来、まだ一
度も見たことありません。
幻だったのかと思う今日この頃ですが、確かにカエサルのフィギアは私の目の前で拳
を突き上げてます(笑)。絶対にないと思いますが、万一シリーズ化されたら、カラ
カラ陛下とかもフィギア化されるんでしょうね。
私としては、ベリサリウスとかスティリコ辺りが欲しいですね〜。マイナー過ぎるで
しょうけど。

紛れもなく、プロノイア制も受験用語でしたよ。逆にビザンツの本とかでは、見た覚
え全然ないですが(笑)。我々もいい年なんで、若い頃の記憶ってもう相当なくなっ
てるんでしょうな。

703マッティアス:2003/08/07(木) 23:27
全開の阪神の優勝よりは最近のことなんですけどねえ。大学受験も。
プロノティアじゃなくてプロノイアですね。会社のえらい小さいモニターで、ついでにか
なりアタマが付かれ切った状態でみたもので。プロノイア制なら知ってます。説明は忘れ
てますけどね(爆)。受験用の記憶法はかなり役には立たないですねえ。長期的には。

フルタのお菓子、剣闘士中心だと、ローマ皇帝としてはメジャーどころなネロ様は出ませ
んね。残念。ところで、付いてくるお菓子はやはり、定番のラムネなんですか?それとも
キャンディー?←どうでもいい気もしますが、おまけだけ大切にして、お菓子を捨てては
いけませんと、校長先生が朝礼で言っていたので。(ビックリマンチョコだよ、それは)
個人的には、アグリッピーナ様とか、テオドラ様とか欲しいですねえ。ダメですか?

704カイザー:2003/08/08(金) 00:26
ごめんなさい、お姉さん。ラムネは食べずに捨てちゃいました〜(涙)。

アグリッピナとかテオドラは、私好みの可愛らしいフィギアじゃなさそうなんで、
どっちでも(笑)。やっぱり、ここは「暗黒拳闘伝セスタス」で局地的に人気爆発
なオクタヴィア様でしょう!!
シリーズ化さえされれば、ローマで有名な女性は限られているのでフィギア化され
る可能性は高いでしょうが、シリーズ化される程売れる可能性を微塵も感じないの
で、まあ諦めるべきでしょうね。

受験用語で言えば、テオドシウス2世時代のエフェソス公会議なんかも覚えた記憶
ありますね。テオドシウス2世って、意外と重要人物なんでしょうか?

705マッティアス:2003/08/08(金) 16:09
次からはラムネはちゃんと食べるんですよ、坊や(笑)。
可愛らしいフィギュアって、そもそもシリーズの構成からしてなさそげ〜。

エフェソス公会議、憶えましたね〜。テオドシウス2世はもしかしたら、テオドシウス
大帝とかそんな風に憶えたのかなあ?ヤバイくらい記憶にございませんよ。
エフェソスといえば、なにげにドミティアヌス神殿だったか、彼が作らせた神殿がある
んですよね。ああ、すごくトルコに行きたいです。

706カイザー:2003/08/08(金) 21:09
高校の授業だとコンスタンティヌス帝とかテオドシウス帝みたいに、1世とか2世を
つけずに表現してたでしょうから、同じ名前だったらゴッチャになるかもしれません
ね。
まあ、先生だってテオドシウス1世と2世の区別がつく程ローマ史に関心があったか
怪しい所ですし。

エフェソスとかカルケドンって、今の地名だと何て言うんでしょうか?当時の軍事拠
点でもあった訳ですから、ローマ・ビザンツ時代の遺跡もありそうですね。

707マッティアス:2003/08/08(金) 23:48
カルケドンは知りませんが、エフェソスはエフェソスだった気がしますけど。ツアーでは
わかりやすいように、そういう表記だったのでしょうか?いわゆる野外博物館でしたけど。
トルコって、そういえば豊かなるアシア属州と、コンスタンティノポリス近郊の辺りです
ものね。嫌でもローマ(統一帝国・東帝国時代両方)関連の史跡は多い筈ですね。
エフェソスだったかアンタルヤだったかの博物館のカタログに、アグリッパの息子、ガイ
ウス(ルキウスだったかも)のシリア遠征のレリーフもありました。あと、ハドリアヌスと
かの像もあったのですが、ドミティアヌスは無かったですねえ。残念。

高校のローマ史といえば、ホントにもう、シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」話
とか、マルクス・アウレリウスの思想が中世キリスト教世界にも受け継がれたとか何とか、
そんな話しか聞かなかった気がしますよ。先生、どっちかというとギリシア萌えだったし。

708カイザー:2003/08/09(土) 04:00
今考えれば、ハドリアノポリス(エディルネ)何かも、観光に行けばよかったなと思
います。無駄にイスタンブルに10日ぐらい滞在してたんだから、そのぐらいはイス
タンブルを拠点に日帰りとかどうにでもなったのに。

そういえば私の高校の先生もカエサルを世界史で最も重要な人物の1人だと主張して
ましたね。私は、当時も今もその意見には漠然と納得できない気持ちです。
中国における始皇帝なら最も重要だと考えても文句はないのですが、西欧史における
カエサルの歴史的立場が始皇帝の位置にあるとは到底思えないんですよね。世界史上
最も過大評価されている人物がカエサルであるような気がします。重要人物であるこ
とまでは否定しませんが。

709マッティアス:2003/08/09(土) 13:14
カエサルが始皇帝なら、さしずめアントニウスが項羽でオクタウィアヌスが劉邦ですね。
それはそれで面白いんですけど。ちょっと買い被りすぎな気がしないではないですよね。
世界史で最重要、ってのはむつかしいなあ。西洋史、とか西アジア、とか地域限定でなら
まだいろいろ選定のしようもあるでしょうけれども。カエサルを最重要ととらえることに
ついては、仮に彼を西洋史の最重要人物と認定したとして、実は大して広くもない西欧
こそが世界の中心と考える思想で気に入りませんね。
ていっても、確かにアレクサンドロスだったり、何だったりよりは重要だと思いますよ。
あ、でもあるイミ最重要なのってモーセ?ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を生み出す
始祖として。

710カイザー:2003/08/09(土) 19:46
塩野七生なら、ペリクレスなんかももっともらしい理屈をつけて高評価しそうです。

西洋史に限って見ても、私はカエサルの立場が突出してるとも思えないですね。政治
家という分野だけでも、アレクサンドロス、オクタヴィアヌス、コンスタンティヌス
1世、カール大帝、ナポレオンなどなど、カエサルと並列に並べれそうな偉人はいっ
ぱいいてて、特にカエサルのみが際だっているってことないと思うんですけどねえ。

っていうか、私はカエサルの野望を受け継いで完全に成功に導いたオクタヴィアヌス
をカエサル以上の存在だと素朴に思ってるんで、カエサルについてはこの辺の人物以
下の重要性しか認めてなかったりするのですが。
フィリッポスとアレクサンドロスみたいな関係というのが、私の素朴な感情です。

711マッティアス:2003/08/09(土) 20:33
うんうん。そうなんですよね。カエサルを貶めたいとか何とかではなく、カエサルに心酔
するあまり、欲目過ぎる評価をするのはどうかな?っていうの、ありますよね。
アウグストゥスはカエサルよりも以後の歴史に与えた影響と言うか、成し遂げた事業に
おいて、高い評価を与えてもいいと思います。でも、覇王のほうが建設者よりも人気や
インパクトがあるのが、実状ですよね。
コンスタンティヌスとかは確かに重要。あと、個人的な欲目も多分にありますけれども、
ウェスパシアヌスとかも重要ですよ。教科書に載らなくっても。あるイミ、トラヤヌス
よりも偉大ですよ。負の遺産を彼の代でプラスに転化させたんですから。

712カイザー:2003/08/09(土) 23:31
ウェスパシアヌスは確かに重要な皇帝ですね。五賢帝なんかより、功績が大だという
のも分かります。
ゲルマニア軍がウィテリウスを皇帝に担ぎ上げたりせずに大人しくしてれば、別にオ
トが皇帝でもよかったような気もしますが。それだと、東方系の軍団が政権の不安定
要因になっちゃうから、内戦で白黒つけたのも見逃せないポイントかもしれませんね。

でも、アウグストゥス以降のローマ皇帝の中で最重要人物はやっぱりコンスタンティ
ヌス1世でしょうね。キリスト教が世界宗教となる決定的なターニングポイントを与
え、コンスタンティノポリスという新しい『世界の中心』を建設した偉業は相当のも
のですよね。

713マッティアス:2003/08/10(日) 00:46
相当重要ですね。コンスタンティノポリスという新首都建設が、のちのちに与えた影響は
本当に大きいと思います。おかげで、東帝国が西滅亡後千年間にわたって存続できたわけ
ですし。イタリア衰退とともにローマ帝国がなくなってしまわずに済んだのは、彼の功績
ですよね。権力奪取後はだんだん壊れてきちゃうけれども。
ディオクレティアヌスとかも重要なんでしょうけれども、何となく、のちの歴史への影響
という視点からは、コンスタンティヌスに比べてちょっと見劣りしてしまう気がします。

ああ、こうやって考えると、人気と功績って本当に必ずしも一致しないものですね。
コンスタンティヌスもアウグストゥスも、一般的にはどう考えても人気がないですもの。

そういえば、ゲルマニアがおとなしくしていたとして、オトが皇帝だったら、東方軍団て
おとなしくしていたんでしょうかね?一応、ウェスパシアヌスはティトゥスをガルバや
オトへの支持を表明する使者に送っていたはずですけれども。
とはいえ、オトにネロ末期以後の経済的破綻とかを再建できる才覚があったかも、少し
疑わしい気がします。彼は死に方が格好良かったために、大分評価がトクしていますし。

714カイザー:2003/08/10(日) 10:14
ディオクレティアヌスの四分統治体制というシステムに、Noを突きつけたのがコン
スタンティヌスですからね。コンスタンティヌスの統一戦争に至るまでの動機は只の
我が儘だという気がしないでもないですが(笑)。

コンスタンティヌスがいなくて、この四分統治制がバッチリ機能し続ければ、ディオ
クレティアヌスも超獣要人物になりえたとは思います。教科書だとキリスト教の迫害
だけがクローズアップされてて、偏りすぎた記述ですが。
四分統治制は緊急措置としてはOKだったのですが、野心だらけの後継者達(コンス
タンティヌス1世が中でも突出してる訳ですが)にそれを維持することを期待したの
は悲しいかなディオクティアヌスの甘さですね。
ディオクレティアヌスの立場を受け継いだガレリウスが、いまいち外交手腕の欠けた
人物だったのも原因でしょうが。

715マッティアス:2003/08/10(日) 12:32
う〜ん…。四分割がうまく行ってたのは、ディオクレティアヌスの個人的手腕というか、
彼が共同統治者たちに一目置かれた存在であったからだと思うんですよね。だから、同じ
程度の人たちだけでやろうとすると、睨みがきかないというか、それぞれがヘンに競争心
持っちゃって、崩れちゃうシステムなんだと思います。
まあ、あくまで緊急措置としてはOKでも、永続的システムには向かなかった、というの
が実際のところなんでしょうね。

コンスタンティヌスも四分割にNOを突きつけて統一したわりに、結局息子達に分割統治
させようとして、結果的に血で血を洗う時代を招いちゃっているんですけど、あれでもし、
クリスプスが生きていて、四分割統治時代のディオクレティアヌスのような存在になって
いれば、それなりにうまく行ったのではないかなあ、と思うんですけれども。

716カイザー:2003/08/11(月) 21:31
まあ、コンスタンティヌス1世が四分統治体制にNOを突きつけた動機は、四分統治
というシステムがいいとか悪いなんてことではなく、四分統治の枠組みからガレリウ
スがコンスタンティヌス1世を除外しようとしたことについてですからね。
分割統治そのもは、OKなんでしょう。

クリスプスが生きてればというのは何とも言えませんが、分割統治でも各領土が対等
であるより、誰かが主導的立場にある方が安定しそうですね。それが誰であるかを確
定できなかったりするのが、内乱の原因になるんですが。

717マッティアス:2003/08/11(月) 23:46
常に主導的立場に当たれる人材と、他の人々がそれを認める環境があるわけではないです
からねえ。どうしても、分割統治ってのは、危険が付きものな気がしますが。かと言って
治めきれないほど広い領土が内憂外患だったから、こういう苦肉の策を採ったのですよね。
難しいなあ、政治って(笑)。

そういえば、最近またちょっとサトクリフを読み始めたのですが、「銀の枝」は部隊が、
マクシミアヌス帝時代で、若きコンスタンティウス1世の名前がちょこちょこ出てきます。
「辺境のオオカミ」はコンスタンス帝がちょっと出てきたし。ローマ史を知ってると、相当
楽しめるカンジですね。あんまり詳しい時代でないので、私はビミョ〜ですが。

718カイザー:2003/08/12(火) 00:13
そういえば、私は「背教者ユリアヌス」も「ローマ人の物語」も途中でマリみてとネ
ギま!に夢中で放置プレイ状態ですね(笑)。

サトクリフの小説というのは、私は完全に未読なんですが、ローマが舞台な作品もあ
るんですね。もしかして、邦訳ではなくて洋書なんですか?
コンスタンティウス一族の名前はややこしいんですが、コンスタンティウス1世クロ
ルスってマクシミヌス帝時代には共治帝(副帝)だったから、そこそこの年になるん
じゃないんですか?ディオクレティアヌスの統一戦争にも参加してた筈ですし。
もしかして、コンスタンティヌス1世のことじゃないでしょうか?
いずれにしても、マイナーな時代が舞台になってるんですね。

719マッティアス:2003/08/13(水) 00:36
サトクリフは邦訳出てますよ。児童書ですけど。でも、コンスタンティウス、でしたよ。
多分。ローマン・ブリテン三部作というのがあって、一作目の「第九軍団のワシ」は、
ハドリアヌス時代。
同じくサトクリフの「闇の女王にささげる歌」という、ブーディカ主人公の話も面白か
ったです。暗いけど、合間に若き将校アグリコラから母への手紙とか挿入されてて、なか
なかマニア心をくすぐる作品でした。
そういえば、ローマもの児童文学といえば、以前古書市で買った「ハンニバルの象つかい」
が放置プレイでした。欧米にはローマ物小説も結構ありますね。やっぱり。

720カイザー:2003/08/14(木) 01:12
西洋だと、ローマ世界もメジャーというか、日本の昔話(♪クマの子見ていたかくれ
んぼ〜♪)みたいなもんなんでしょうね。
サトクリフ、私もいつか読んでみることにしますね。手元の「ローマ皇帝ハドリアヌ
ス」と「コンスタンティノープル陥落す」と「古ゲルマンの社会組織」といった、1
ページたりも目を通していない本棚のラインナップが若干気になる所ですが(笑)。

「ハンニバルの像つかい」というタイトルだけは、微かに聞き覚えがありますね。私
が昔読んだという記憶もないのですが、そこそこ有名な作品なんですか?
そういえば「まんが道」の中でも、ハンニバルが登場する作品を満賀道雄が描いてま
したね。本当にかつての藤子不二雄が描いたかは分かりませんが。

721マッティアス:2003/08/14(木) 01:34
有名なんでしょうかねえ?「ハンニバルの象つかい」。多分、いまは絶版ですよ。
「さいごのとりでマサダ」はまあ、日本じゃ売れねえだろうなあ、と思うし絶版もわかる
のですけれども。サトクリフの場合は、作家のネームバリューですよね。日本でもそこそ
こ売れてるっぽいのは。
「まんが道」は読んだことないので、よくわからないのですが。ハンニバルはでもまあ、
メジャーなんでしょうねえ。ローマのヘタな英雄や皇帝よりも。

積読というか、放置プレイされたり、ちょっと読んだだけで投げ出されている書籍って、
ムダに多いですよね。漫画だったらすぐに読むのに。「我が名はネロ」はすぐ読んだし、
「セスタス」も一気読みでしたもの。
萌え系だったりで買ってる漫画に比べて研究書とかマジメな歴史小説って、なかなか腰を
据えないと読めないですね。

722真奈美:2003/08/14(木) 13:22
私はマンガでも、買ったけどまだ読んでないというものがけっこうあります。
先に廻し読みに送ってしまってるのも。「風と共に去りぬ」とか「永遠の都」
とか。全部出てからまとめて読むつもりでとってあるとか。「我が名はネロ」が
そうです。今月2が出ますが。
サトクリフは、うちの最寄図書館ではヤングアダルトと児童書に置いて
あります。彼らの地元ではこういう本で過去の歴史に親しむのでしょうか。
塩野さんが「ルビコン以前」で「アステリクス」に言及すいた際、これの
邦訳が売れなかったのは、ローマの知識が前提である欧米人と違うからだと書いて
ましたが、逆にも言えると思いますよ。つまり、欧米の子供たちは「アステリクス」
を通じてまず古代のイメージを得ているかもしれない。ドイツで出ていた、
ドイツの戦後、統一までを扱った珍しい(%)ドイツ産マンガの中で、聖書の「ローマ人への
手紙」をいう言葉を出したら、子供が、「ローマ人?「ローマ人ってヘン!」」
と、すかさず「アステリクス」中の決まり文句を言う場面がありました。だから、
学校その他で学ぶより先にあのマンガに接していると思います。
%マンガはフランス語圏のほうが優勢で、ゲルマン人の歴史とか英独の空戦とか
扱ったマンガでもフランス産だったりします。

ふう、やっと乱入しました。わからない話では遠慮なくロムに逃げますので、
どうぞお気兼ねなく、イスラムでも東ローマでもお話下さいね。

723カイザー:2003/08/16(土) 00:30
「我が名はネロ」というマンガ、私は知らないですね。普通に売ってる本なんでしょう
か?

「アステリックス」は見たことないんですが、手塚治虫から現代に至るマンガ・アニ
メの歴史に至る文化的背景を持っていない西欧世界で作られたアニメが、日本のそれ
を凌駕するなんてありえないだろうというのが、率直な感想ですね。
ぶっちゃけた話、(和製作品に比べたら)駄作なんだろうと。ローマの知識うんぬん
は、全然関係ないと私は思います。

日本で「三国志」が、大人気であることを塩野七生は知らないんでしょうかね?学校
で習ったりすることもないのに、ファンになった人はゲームとか小説を独学で楽しん
でるんですから。

724真奈美:2003/08/16(土) 19:54
「ネロ」についてはマッティアスさんの管轄なので詳しいことはおまかせします。
中公文庫で今月来月。安彦良和。

「アステリクス」が駄作と言い切ることは出来ないと思います。日本の
マンガと向こうのとはかなりタイプが違うので退屈に見えるということは
ありえますが。(同じ外国マンガでもベルギーの「タンタンの冒険」は
児童書としてかなり出ているのですが。アニメもBSで放映されたし。)
これについては、「ヴィラ・トラステヴェレ」のリンク先にサイトがあるので
そちらにまかせます。 去年の夏あたり、アニメは3本BSで放映されました。
少なくとも、あのへんの時代に興味があれば一見の価値はあると思います。
(マンガの邦訳は見たことないです、私はドイツ語ので読んでるのですが。)
 ところで、世界各地をとびまわる冒険ものという設定はたくさんありますね、
この「アステリクス」も「タンタン」も、ルパン、エロイカ、・・
あ、フランスのマンガの「ヨーコ・ツノ」もあります、
日本人エンジニアのヨーコが主人公。
これ以上書いてるとスレッドのテーマとずれすぎるので、海外マンガの
話なんていうのは通常掲示板にまわします。

725カイザー:2003/08/16(土) 20:41
本当の意味で私が「アステリクス」を駄作だと思ってる訳ではないですよ。観たこと
ある訳ではないのはあらかじめ断っておきますが、和製の「ポケットモンスター」や
「美少女戦士セーラームーン」といった大ヒット作品には完全に見劣りするレベルの
作品ではないかという私の想像です。

私もきちんとした知識はないですが、ヨーロッパではゲームなんかはともかく、アニ
メやマンガなんかを製作する環境が日本のレベルにあるとは到底思えません。日本の
ように多様なジャンルを商業ベースで何十年も製作し続けたという歴史あっての、ピ
カチュウでありハム太郎な訳ですから、簡単にヨーロッパで和製レベルのアニメ作品
が誕生するとは到底思えないということです。
別に永遠にありえないとまでは思っていませんが、少なくとも現在は。

真奈美さんは「アステリクス」ご覧になったようですが、作画の質、シナリオの出来
なんかは和製のアニメ作品と比べてどうだったでしょうか?
私が言ってるのはただの想像ですので。

小説とか絵画みたいに個人が創作する作品であれば、また違うと思いますが。

726マッティアス:2003/08/17(日) 00:37
「アステリクス」は絵柄を見る限り、いまの日本じゃ受けるカンジじゃないなあ、という
感想しかもってませんでした(爆)。系列でいえば、ビッケとか、ポパイ?
ストーリーは同じでも、もっとサンライズとかガイナックスとかピエロとか、ああいう日本
受けするカンジの絵柄なら、もうちょっと日本の子供も見たんでしょうね。
ローマの素養どうこう、と言っている塩野さんの視点は間違っているとは思います。
基本的に子供にしろオタクにしろ、アニメを見る人間にとってはまず、絵柄ですからねえ。

三国志が流行ったのは、人形劇なのか光栄のゲームなのか何なのかよくわかりませんけど、
わかりやすく英雄がいて、戦争があって波乱があって、ていうのは人気ありますよね。
日本人にウケそうなのってそうするとやっぱり、第二次ポエニ戦争とか、カエサル対ウェル
キンジェトリクスとか、アウレリアヌス対ゼノビアとかそんな辺りかなあ、と思うんですけど。
あとネロ(重要)。あの人はメジャーだし、周りもキャラ強烈だし。

727カイザー:2003/08/17(日) 09:01
私なんかはMSXで光栄の「三国志」をプレイしたのがきっかけですね。もうちょっ
と、年輩の方ならNHKの人形劇とか吉川英治の小説がファーストコンタクトになる
んでしょう。今の子供なら「三国無双」シリーズなんでしょうね。
日本での三国志人気の凄さは単なる一過性の流行じゃなくて、常に新たなファンを獲
得出来るような新作が供給され続け、かつその新たなファンが楽しむことが出来る過
去の傑作が多数存在するという辺りですね。
日本におけるローマ史の立場とは雲泥の差ですね。

吉川英治の小説に影響を受けた横山光輝がマンガ版を執筆したような状況がローマに
もあれば、ローマにも可能性はあるかもしれませんね。
可能性だけで終わっちゃうような気もしますが(笑)。

728真奈美:2003/08/17(日) 10:53
「アステリクス」の絵は、日本ものとは明らかにタイプが違うし、かわいいとか
きれいとかいうことは全くありませんな。でも(私はキライな)でずにーだって
そこは五十歩百歩だと思うのですが。広い意味での時代もののダイゴミ、
昔の風俗を味わうという楽しみはたっぷりあります。初めて見た「クレオパトラ
の宮殿」の冒頭、アレクサンドリアの街の様子なんて圧倒されるものでした。
それらしい雰囲気はあります。 でもあの放送、実際にはどの年齢層が
見ていたんだろうと思いますね。売れなかったという原作の邦訳も、
どういう読者層に向けたものだったのか。

 私はだいたい、外国アニメの絵って好かんです。うまいとかヘタとかいう
問題ではなく画風で。少なくともネズミーはキライ!

729マッティアス:2003/08/17(日) 13:30
ローマ史で何かゲームとか小説とか漫画とかやるのが難しい理由のひとつに、時代が長すぎる
というか、短期間でのまとまった物語的時代、というのを切り取るのが困難なことがある
のではないかと思います。
クレオパトラが取り上げ易いのは、比較的短い期間で、物語性に富むからですよね。好き嫌い
は分かれるでしょうけれども、使いやすいしいくらでも花を持たせられる題材だと思います。

「アステリクス」はそもそも日本でいつ放送していたんだか、まったく記憶に無いのですが。
宣伝とかそんなにしていなかったんじゃないですか?していたのですかねぇ?
原作の邦訳もゼンゼン見た憶えがないのです。10年くらい前なら、漫画コーナーはかなり
マメにチェックしていたのですが。もしかして、トールキンの「ホビットの冒険」のごとく、
児童書コーナーにおいてあったのでしょうか?

730カイザー:2003/08/17(日) 17:38
中国史でも三国志以外はさしてメジャーでもないんですから、ローマも特定の時代だ
けならメジャーになるのではという気もしますが、現状のカエサル〜帝政成立辺りだ
けはそこそこ知名度があるという状況が、日本での限界かなという気はします。
塩野七生に続く作家とかマンガ家がなかなか現れないんですよね。小粒な方は何人も
いますが。

「アステリクス」は、出来不出来以前にマーケティングとして日本じゃダメそうです
ね。だからこそ、作品の完成度が高くないと話にならないと私なんかは思うのです。
で、私の想像では完成度が高い可能性なんてありえないだろうな、と。
原作の邦訳というのは、ちょっと見てみたい気はしますね。

731真奈美:2003/08/17(日) 20:25
原作の邦訳は、25年くらいまえのことだそうですよ。私もぜーんぜん知りません。
アニメは確か去年かあるいは一昨年か。どっちみちBSですしね、宣伝なんて
したのやら?初日は「アステ〜」1本と、無関係な「坊ちゃん」(80年代に
特番として放映された番組。モンキーパンチがキャラ原案。これはすこぶる
秀作。)と組み合わせるというかなりヘンな配置。翌日は2本。 そもそも
メジャーにしようという意図も乏しかったと思いますね。
 実写が2本作られていて、最初のを私はドイツで見ました。次のは
クレオパトラが出ているそうで、こちらは少しは日本公開の望みが比較的
あるかもという感じのようです。
 そういえば(?)アレクサンドロスをディカプリオがやって、ほかにも
アレクサンドロスの映画が作られるという記事が出てました。 大スケールの
西洋史劇がジャンルとしてもっとポピュラーになりませんかね。こういうのって、
前例つくってしまうことがまず肝要なのでは。




掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板