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お気に入りのローマ皇帝

648マッティアス:2003/07/08(火) 22:18
何をおっしゃいますか!イスラム帝国があればこそ、西欧にもローマ文化が伝わったのです。
関係あることにしましょう。ていうか、アリですよ、この際。
大学時代の講義ノートを出してきました。イスラム史専門の東洋史特講ノート。

俗に言う、カラーウーン朝ですね。アン・ナーシルやその兄ハリールはカラーウーンの息子
なのですが、アン・ナーシルが最初に即位した時にはまだ9歳かそこらの幼君であったため、
力のある壮年のマムルークに取って代わられたわけですね。殺されはしなかったけれども。
キトブカーはモンゴル系で、実はアイン・ジャールート以来、マムルーク朝領内にはモンゴ
ル人が多数流入しており、戦争捕虜としてのモンゴル系マムルークも当然、たくさんいた
ようなのです。当時は「後の十字軍」やらモンゴル人の流入やらで外圧が厳しかったのです。
次のラージーンも暗殺されると、アン・ナーシルは復位するのですが、実権を握っていたの
がバイバルス2世で、1308/9にナーシルのメッカ巡礼を機にクーデタを起こすのですが、
すぐにスルタンと総督たちの反撃にあい、1年後には第3期アン・ナーシル政権が始まります。
以後、30年にわたるアン・ナーシル治世はマムルーク朝の最盛期にあたります。




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