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つぶやきすれっど2
1879
:
犀角独歩
:2005/11/22(火) 21:54:03
そうしてください。現時点でもかなり迷惑しておりますので。
1880
:
藤川一郎
:2005/11/22(火) 22:00:10
私がつぶやきスレッドに書いたのは、このスレッドが討論禁止だったからです。
それすら、挑発と取られたとしたら、自分の不徳の致す所であります。
まあ、今後は「烏帽子直垂」の礼装を正した討論を心がけましょう(多少イヤミだったかな?)。
1881
:
匿名
:2005/11/22(火) 22:44:20
この際ですから、はっきりしたことを言わせて頂きましょう。
ここの掲示板、私、5年前でしょうか、アップした当初から読ませて頂いております。
信仰における大変有意義な議論が、続けられてきました。
犀角独歩さんの教義における研鑚と、この掲示板における貢献度については、私は大変敬意をもって認めております。
個人的に、感謝もしております。
しかし、この掲示板の参加者は、何も投稿者ばかりではありません。
ロム者も参加者です。広く立場の違う方、意見の違う方がおられるでしょう。
しかし、どうも投稿がしにくい。
掲示板の議論の流れというのは、もちろん大切です。
しかし、ロムしている中で、「あれ?なんか違うんじゃないだろうか」と思うことは、あるわけです。
適当なHNをつけて、投稿にかられることもあります。
しかし、ここは、はっきりいって投稿しにくいです。
個別のHNを出して申し訳ないですが、犀角独歩さんの議論の運び方において、横暴に思えるときが種々あります。
だいたい、人の投稿に対して、何かにつけて「無礼」と言う。こんな発言、他の誰が発するでしょう。
知識の未熟な人もいます。そういう人が投稿したっていいはずです。だからといって、卑屈にならなければいけないのでしょうか。
また、犀角独歩さんの見解とは違う人だって、たくさんいるんです。だけど、それを投稿すれば、必ず最後には、「無礼」呼ばわりされるわけです。それを見ているだけでも、他人事ながら、とてもいやな気分になります。
そもそも「無礼」と発するほうが、「失礼」なわけです。
だけど、誰もそれを、諌める人はいません。
それもそうでしょう。一言言えば、何倍にも返ってくるのですから、それだけども、諌めた側の精神的負担は大きいわけですから。
オフ会などで、面識を交わしている方々も、多くいらっしゃることと思います。そのような方々は、尚のこと、余計な意見をすることは出来ません。
しかしロム者を含めた大半の参加者は、面識を交わすことはなく、個人的な交流は関係ないのです。
そのような方々も、自由に自分の意見が投稿できる掲示板の「空気」というものを作って頂きたい。
これは、管理者様に是非、申し伝えたいことであります。
これは、何も、犀角独歩さんへの個人攻撃というものではありません。
ただ、昔からロムしている参加者としての私の掲示板への思いの一端です。
私は、教義に関する深い造詣はありませんので、教義スレッドに対してレスするつもりはありません。
しかし、教義に縛られないスレッドに関しては、もう少し広く参加者が投稿できる環境を整えて頂けないものでしょうか。
1882
:
管理者
:2005/11/23(水) 00:46:57
>1881
匿名さん
>そのような方々も、自由に自分の意見が投稿できる掲示板の「空気」というものを作って頂きたい。
これは、管理者様に是非、申し伝えたいことであります。
管理者に対するご発言なので、応答させていただきます。匿名さんには是非とも、管理者に対してどの様に掲示板を運営すべきか、具体的な御提案を賜りたく存じます。ご承知の事と存じますが、当掲示板は、「管理者からのお願い」スレッドの「掲示板の投稿ルール」に従って運営されておりますので、具体的に、掲示板のルールの変更・追加・削除の御提案を賜りたく存じます。ルールが変わらない限り、運営を変えることは難しい訳です。ご理解賜りたく存じます。
1883
:
雖念
:2005/11/23(水) 06:59:18
> 1881 犀角独歩さんの見解とは違う人だって、たくさんいるんです。だけど、それを投稿すれば、必ず最後には、「無礼」呼ばわりされるわけです。
匿名さん、はじめまして。雖念と申します。
独歩さんは、掲示板で議論する上でのマナーを厳しく要求されます。議論の重複を避けるとか、議論の根拠となる文書、発言の出典を明示する等々です。しかし、私も、このようなことは議論の水準を維持し、議論を発展的に進めていく上での最低限のマナーだと思います。
独歩さんはご自分自身に対しても大変に厳しい方で、批判に対しては誠実にレスを返してくださいますが、これは投稿する立場にいざなってみると、なかなかできることではありません。
小生もいくつかの点で、独歩さんとは見解を異にしていますが、無礼呼ばわりをされたりはしていません。
要は、本気になって誠実に議論を続けられるかどうかという点にあると思います。
1884
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/23(水) 07:17:23
>1881オフ会などで、面識を交わしている方々も、多くいらっしゃることと思います。そのような方々は、尚のこと、余計な意見をすることは出来ません
ここはつぶやきなので。
私は確かに犀角独歩さんとオフ会で面識があります。細かい点で意見が違う箇所は多々ありますよ。
でも確実にそれが間違いでない限り、当方の考えは認識されていますよ。
まして無礼よばわりされることはありません。
オフ会で感じることは、この掲示板は色々な出身母体の人がいるということです。創価学会の人もいるし、法華講の人もいる。顕正会の人もいるし、それぞれの組織を退会してフリーになった人もいる。だから、その組織を代表する意見を述べるなら浮き上がってしまいます。組織の枠を越えることができるかできないかどと思うわけです。
要はこの掲示板での真剣な議論をそれぞれの組織においていけせるかどうかだと思っています。
1885
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/23(水) 07:23:47
>1884
打ち間違いをしでかしました。
誤:組織の枠を越えることができるかできないかどと思うわけです。
正:組織の枠を越えることができるかできないかだと思うわけです。
1886
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/23(水) 07:26:32
>1884
ごめんなさい。もう一箇所。
誤:要はこの掲示板での真剣な議論をそれぞれの組織においていけせるかどうかだと思っています。
正:要はこの掲示板での真剣な議論をそれぞれの組織においていかせるかどうかだと思っています。
1887
:
つぶやき
:2005/11/23(水) 07:49:45
議論の中身の優劣はともかく、議論の仕方は匿名さんの方がずっと紳士的に
思えるのは私だけじゃないはず。
自分と正反対の意見だと
”無礼でしょ””笑止千万””お話になりません””他の掲示板でやればいい”
”私と議論するレベルじゃない”
とくる。それでいて、応答しないと”逃げるきですか”と来る。
これは言葉の暴力以外何物でもないと思いますが。
でも、管理者さんからの注意は一切無いので、ルールには反して無いのかな。
1888
:
管理者
:2005/11/23(水) 09:54:59
>これは言葉の暴力以外何物でもないと思いますが。
>でも、管理者さんからの注意は一切無いので、ルールには反して無いのかな。
管理者は犀角独歩さんの、ご指摘のような発言に対して、確かにハラハラして見守っているという現状は有ります。そして、それらの発言がルールスレスレかな、と思うことも度々有ります。
ただ、明らかに禁止事項に抵触しているとまで判断できるレベルで有る判断できない限り、注意とか削除とかはしていません。
激しい応酬が有ったとしても、それを以って直ちに管理者が介入する考えは有りません。
議論である以上、それぞれ発言される方がご自身の主張に対しては責任を持って頂くことによって、不毛の対立を回避すべきものであると考えいます。
主張の根拠を求められたときに、立ち往生して返答に窮するなら、その時点で議論は終焉します。
にも拘らず、求められた根拠を示すことなく主張を続ければ、1887に示されたような表現が犀角独歩さんから飛び出すのは止むを得ない経過であろうと管理者は考えております。
管理者も、過去、犀角独歩さんとは、かなり激しい議論の応酬になる事がしばしばですが、証拠主義に立つ事によって、喧嘩別れにならないばかりか、却って、啓発され、有意義な議論で有ったとの感慨を持つことが出来てきました。
ご参加の皆様におかれましては、常に「根拠の明確な主張」を心がけて戴けますれば有り難く存じます。
「根拠の定かでない主張はこの掲示板ではお法度か?」という事ですが、ご自身の主張として述べられるのであれば、そうなりますね。
議論というものは、掲示板での議論に限らず、本来、それぞれの方々が根拠を以って主張を展開したときに始めて、議論になるのだと考えております。
もし、それが堅苦しい、とお考えなら、「議論」をなさらなければよろしいのではないかと考えます。
いろいろな投稿の仕方が有ると思います。例えば、どんどん相手に対して質問して、相手の主張の内部矛盾を指摘するとか・・・
管理者の考えは以上のようなことですが、皆様のご意見をお待ちいたします。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
1889
:
犀角独歩
:2005/11/23(水) 10:31:02
自分のことなので、自分で記しますが、わたしが「無礼」「失礼」というのは、もちろん、そのように礼が無く、失しているからです。
ごく最近の例でいえば「平和ボケ戦士もどき」とわたしは罵ったものがいる。これは無礼でしょう。
そもそも、十分な説明で出来ず、また、わたしの記したことを誤読したうえで「甘い」などと暴言を吐いて、それに抗議しても何ら応じることもない態度を無礼というのは理の当然です。人に難癖を付ける前に、ちゃんとした謝罪をするべきでしょう。ところが誤るどころか、さらに輪をかけてのこの体たらくです。
だいたい、ここはつぶやきであり、そこでわたしに1871でこすってきた。ところがこれに応じられると、あたかもわたしが言い出したように「趣旨に反してますよ。…このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう…お互いに、そこそこに」と、あたかもわたしが言い出したことのような口振りで来るわけです。さらに「極力、とりあわない」といいながら、1881に長文でさらに書いています。
このようなことは「つぶやき」という当スレッドの趣旨に反しています。常識はずれというより、実におかしなやり取りではないでしょうか。自分から議論に応酬をし趣旨に反しておきながら、あたかもわたしのほうがしたような書きぶりで、さらにエスカレートしてきています。このような点はまったく自省することもなく、ただ、相手のせいにしてあげつらう。このようなことに対して、抗議するのは当然のことです。
そもそも、このスレッドは、応酬禁止というきまりを逆手に取り、悪口を書き連ね、それに応酬するとルールに反しているという理に通らざる批判を投げかけることに悪用されてきた経緯があります。今回も、その一例となったわけです。
わたしは最近では、彰往考来さん、れんさん、一字三礼さん、ラスカルさんなどと応答しています。また、ここの掲示板で、わたしと最も意見も違い、信念体系も違うのは藤川さんでしょう。また、問答さんとも信仰、漫荼羅観、唱題観では大きく異なっています。雖念さんともかなりお考えは違うと思います。しかし、これらの方々に対して、無礼と失礼とも言っていない。何故ならば、たいへんに礼を重んじられ、実に矜持を持ち、礼儀を重んじ、ルールを尊重したマナーがあるからです。わたしは自分の考えと違うことに対して、無礼だといったことは只の一度もありません。実際に無礼だから無礼だと抗議しているわけです。わたしが誰彼構わず、自分と意見の違う方に無礼と言っているのであれば、批判に当たるでしょうが、実際は、挙証不可、回答不能になった段階で終わるべき議論を終わらせることが出来ず、自分の考えに固執して相手を逆恨みし、悪口を書き連ねてくれば、その有様が例を欠いていれば、無礼と言うほかないということです。
1887については、管理者さんの総括に尽くされているので、わたしは繰り返さないこととしています。
1890
:
きゃからばあ
:2005/11/23(水) 10:32:52
>オフ会などで、面識を交わしている方々も…。
私もその内のひとりですが、確かにオフ会に参加するまでは、掲示板の参加者全員が強くて怖い存在に感じました。
しかしオフ会に参加してみたら、みなさん丁寧な方々で、掲示板のイメージとは全く違うのがわかりました。
しかしお会いしたことの無い方々の文章には、やはり威圧感を感じてしまいます。
極端な発言は良くないが、論議の中から得たものや、また違いを知ることがどれだけ素晴らしいことなのかを個人的に楽しんでいます。(と言いながらあまり参加できていませんが…。)
犀角独歩さんの「板漫荼羅の真偽」が、板漫荼羅を信じていた私には大きな不安を与えました。しかし今では死後の世界すら本当は無いんじゃないかと疑うようにもなってきました。確かにわからないことへの不安は、絶対に無くなりません。
だからこそ、そのわからないことをこの掲示板で探してみようと思っています。
1891
:
犀角独歩
:2005/11/23(水) 13:02:10
きゃからばあさん
> 板漫荼羅の真偽…大きな不安を与え
そうですね。これはわたし自身そうでした。
しかし、事実とは常に厳正であり、粛々と受け止めるなければならないものなのだと思います。
また、事実を明確にすると、その反証ではなく、自分の考えと違うということで敵意を懐かれ、議論ではない悪口雑言の限りとなることは世の常です。10月25日のあの報道の如きです。
独歩たる1人に100万人の憎悪をけしかける。しかし、わたしは怖いとも不安とも感じません。
なぜならば、事実は何よりも強いからです。そして、事実を事実と受け入れられる心の準備ができることを「平安」「目覚め」というのだろうと、最近、考えています。
1892
:
匿名
:2005/11/23(水) 21:56:07
ここは、応酬禁止スレッドということで、続けて投稿して良いものなのかどうかわかりませんが、他に適当なスレッドも見当たりませんし、一応の流れですので、ここに投稿させて頂きます。
まず、ここは教義について議論することを主とした目的の掲示板であることは、私は立ち上げ当時から見てきておりますので、当然のこと承知しております。ですから、前にも記しましたように、問答形式、根拠を示す、このような議論形式に対して、何も異論はございません。
ただ私が、申し上げたかったのは、教義に縛られないスレッドで、もう少し自由に投稿できる空気がつくれないものかということです。
これは、ルールなどに記すことは大変難しいことだと思います。私にも方法は思いつきません。
また逆にいえば、思いつかないからこそ、意を決して本音を投稿させて頂いたということでもあります。これも問題提起と受け止めて頂ければ幸いです。
私は、当初、どうせ投稿しても、どういう流れになるものかは、だいたい想像がついておりましたので、疲れるからやめておこうかとも思っておりました。こういう思いは、これまでにも何度かありました。まあ、案の定の結果となりましたが、それでも、それなりの成果もあった思っております。
確かに、私は最初に犀角独歩さんの書き込みに意見する投稿させていただきました。いきなりで、とうとつだったかもしれませんが、揶揄したつもりはありません。その後に質問を兼ねたご返信のレスを頂きました。他にも書きたいことがありましたが、ご返信を優先し、時間を費やし投稿をいたしました。そのご返信から、想像していた通り、水掛け論争になりそうでしたので、私は「やめましょう」とご提案いたしましたが、「答えて前に進めるのが筋でしょう。」ということで、その後も引き続き、お答えさせて頂きました。
ところが、どうでしょうか。そのレスに対して、
「わかりきったことです」ですとか、「なんら参考になりません」とか、「こんなことは他の掲示板で書けばいい」ですとか。
たとえ、そのような印象を受けたとしても、そのようなことを相手に平然と発するものなのか。
それ自体が、礼儀を弁えない、相手を侮辱した発言といえるものではないかと、私は考えます。
そのようなことを言われても仕方がないほど、私は趣旨に反した的外れなレスをしていたのか。そのあたりのことは、私は自分では、いまだによくわかりません。
また、私ではありませんが、「平和ボケ戦士もどき」に対する「無礼だ」という発言もありました。しかし考えても見れば、長年この掲示板を見てきておりますが、その程度の暴言は、犀角独歩さんは頻繁に発しておられるのも事実です。当然この度においても、私にも、いく度となく向けられました。そのことにおいてさえ、「当を得ていたということです。」といったご返事。ところが私が意見すると「無礼」となる。そのような横暴な投稿姿勢だから故に、他の相手にも暴言を吐かせてしまうというものではないかと思うところです。
そもそも、自分と意見の違う人を排除しようという防衛本能が強すぎるのではないかと言いたいくらいです。
誰しも自分の議論を否定されれば、そりゃあ不愉快です。だけど、世間は広いのですから、いろんな意見や見解があって当然なんです。私が投稿していたスレッドは、教義を詰める目的ではないのですから、こうでなければならないというものはないはずです。よその掲示板で書けなどど、排除しないで頂きたい。私は、そのことを主張いたします。
相手を見下した暴言は、それぞれが慎んでしかるべきです。これは教義の議論の場でもそうあるべきでしょう。それが本当の礼儀というものです。
このようなことは人に言われることではなく、仏教徒であれば、誰に言われるでもなく自ら慎んでしかるべきことだと思いますし、ことらの投稿者の大半の人は、そのように慎んでいらっしゃいます。ただしかし、最も、頻繁に投稿し、最も、この掲示板に貢献していらっしゃる方が、その点において自らの慎みにいつまでも非常に「甘い」ように思います。また、そのことが、そもそもの、今回の私が投稿する動機でもあります。
1893
:
匿名
:2005/11/23(水) 21:57:05
>>オフ会などで、面識を交わしている方々も、多くいらっしゃることと思います。そのような方々は、尚のこと、余計な意見をすることは出来ません
私のこの記述について誤解を招いてしまったかもしれません。
私が言いたかったことは、たとえ一度でもオフ会で面識を交わすことができれば、誰しもそれなりの「情」が通い、「情」が通えば、少々の暴言は、苦笑いで許せるものだということなのです。
しかし、オフ会で面識を交わすことができるのは、ごく少数の方々です。
どのくらいのロム者がおられるのかは存じ上げませんが、面識を交わすことのない、言葉だけのやりとりに限られる何百倍もの参加者がおられるわけです。その人たちは、個人的な交流の「情」というものは、持ち合わせておりません。せっかく投稿したのに、結局は詰りや謗りを受けて、最後には去っていく姿というのは、見ているだけで気分が悪くなるものです。
はじめての投稿者を警戒してしまう。それこそ防衛本能としてわかります。しかし、はじめて投稿をする。これも大変勇気のいることです。当然、構えてしまうものです。
言葉だけのやりとりは、面識を交わしている時以上に、言葉そのものが力を持ちます。ある意味で、言葉は武器となります。そのまま言葉はストレートにある種の「暴力」にもなるわけです。
それが掲示板への防衛本能と思えば、理解もできます。しかし、しっかりと管理者がいるのですから、投稿者が排除に躍起になることはないはずです。
感情的な議論を避けるためには、どんな議論展開になっても、なるべく相手にレッテルを貼ることがないよう心がけ、決して揶揄せず、暴言を吐かず、そして嘲笑しない、こうしたことをそれぞれが自分で戒めることではないかと思います。
これをルールに記さなければ、その品位が保てないとすれば、それは、仏教徒の掲示板として大変恥ずべきことでもあります。
顔が見えないからといって、平然と暴言を吐くのでは、非暴力主義とはいえません。
掲示板では、言葉こそが暴力にもなるのですから。私はそれを言いたかった。
それから私は犀角独歩さんに、個人的に憎悪を向けているわけではありません。むしろ、教義においては過去5年間のご投稿から、多くを学ばせて頂きました。
しかしこの度の議論では、むしろ犀角独歩さんこそ、自衛隊という存在に憎悪を向けておられたのではないかと、私は、そのように見受けました。しかし、結局、自衛隊翼賛と私は言われ、入隊してイラクへ行ったらどうかと揶揄されたわけです。
せっかく高い教義の知識をお持ちでありながら、仏教徒としての品位を示してはいただけなかった点、残念な思いでおります。
管理者さまにおかれましては、私の意向に耳を傾けてまださいまして、その点、感謝しております。
私は、教義スレッドの議論に口を挟むつもりはございません。立てていただいた、「戦争を考える」においては、まだ書き残していることがありますので、少しずつ投稿していきたいと思っております。
私のこの度のクレームが、今後の掲示板の新たな発展につながりますことを、心より念じております。
1894
:
一字三礼
:2005/11/23(水) 23:27:34
> 問答形式、根拠を示す、このような議論形式に対して、何も異論はございません。
> 教義に縛られないスレッドで、もう少し自由に投稿できる空気がつくれないものかということです。
> ルールなどに記すことは大変難しいことだと思います。私にも方法は思いつきません。
もう少しご自身で考えをまとめられてから提案されてはいかがでしょうか。
これでは何を仰りたいのかわかりませんでしょう。
長い時間を費やして、こちらの掲示板で緻密に論証され、暴かれた真実や教義はたくさんあります。その結果に対して快く思わない宗教者も、それこそたくさんいることと想像されます。
もしも、「教義に縛られないスレッド」など立てようものなら、仏法の基礎を学んでいない某団体の教義のような、「諸法」を「宇宙」と言って憚らない人達の「言い捨て」「言いっぱなし」の横行する無秩序な掲示板になってしまうのではないでしょうか。
1895
:
匿名
:2005/11/23(水) 23:50:11
>1894
では、なぜ「戦争は起きるのか」ということにおいて、仏教ではどのように説いているのかという私の問いかけにきちんと答えて頂けなかったのでしょうか。
これこそ、教義において答えるべきところではないでしょうか。
私は、教義において、お釈迦さまが出家された事実をもって、限界があるのでないかと、記しました。
1896
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 00:16:58
今夕は忙しいのであとでまとめて総括しますが、
> 「戦争は起きるのか」ということにおいて、仏教ではどのように説いているのかという私の問いかけにきちんと答えて頂けなかったのでしょうか
匿名さん、あなたは自分が仏教徒である公言した、ならば、この問に答えるべきは、誰でもない、あなた自身だ。
また、わたしが難じた点をはぐらかして善人面するのはやめなさい。
オフ会で会ったことがあれば、情がある? そんな妥協で、信条を語ったことは、わたしはありません。ここにあるのは事実の究明だけです。
くだらない弁明をしていないで、自分の責任で、自分の問題として語りなさい。
> 言葉はストレートにある種の「暴力」
この暴力を行使したのは、自分自身であるという自覚を持ちなさい。
まったく、いつまで経っても、自分の問題と考えられず、すべてを他人を転嫁することしかできないところにすべてのあなたの過ちがあるわけです。
1897
:
匿名
:2005/11/24(木) 00:22:59
>1896
命令口調のレスはやめていただけませんか。
1898
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 00:31:28
人の抗議を無視して、なかったように語ることこそ、止めなさい。
1899
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 00:32:47
匿名さん、言葉優しく語るあなたは慇懃無礼で、誰よりも命令口調ですよ
1900
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 00:37:32
もう一点
> 入隊してイラクへ行ったらどうかと揶揄
なんで、これが揶揄なのでしょうか。
自衛隊を肯定するのであれば、当然の帰結でしょう。
なんで入隊したいのですか。また、イラク派遣を肯定するのであれば、なぜ、行かないのですか。
1901
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 00:41:45
打ち間違えました。
「入隊したいのですか」ではなく、「入隊しないのですか」です。
なお、わたしはまったく自衛隊を憎悪などしておりません。
このような決めつけと、プロバガンダはやめてください。
1902
:
一字三礼
:2005/11/24(木) 00:59:04
> 1895
> では、なぜ「戦争は起きるのか」ということにおいて、仏教ではどのように説いているのかという私の問いかけにきちんと答えて頂けな> かったのでしょうか。
> これこそ、教義において答えるべきところではないでしょうか。
Jan Gonda氏は「インド思想史」の中で仏教を「宗教でも哲学でもなく、まさに解脱の教えである」と位置づけておりますが、私も基本的には同様に考えております。
「仏教の教義」と簡単に仰いますがそれは数えられないほどあるのですよ。
インドの釈尊根本教団から始まって、上座部・大衆部・部派等の三蔵経典、初期・中期・後期の大乗仏典、雑密・純密・タントラ・倶生・時輪乗等の密教経典、中国で作られたとされる仁王般若や梵網経等の鎮護国家の経典、日本の本覚思想等々。
すべての仏教の教義を網羅して語ることは誰にも出来ないことでしょう。
あなたの仰る「仏教の教義」とはどのような経典、もしくは論、人の教義を指すのですか。
また、あなたは仏教の教義は'なぜ「戦争は起こるのか」’について説いている、というようにお考えのようですが、その根拠は何でしょうか。
1903
:
犀角独歩
:2005/11/24(木) 01:00:57
もう一点、読み直したところ、
> 自らの慎みにいつまでも非常に「甘い」
このようにわたしが度々抗議している点について「」つぎで繰り返して、省みることはありません。
わたしからすれば、誰よりも自分に甘いのは匿名さん、あなた自身であるわけです。もう、このような挑発はおやめになったら如何でしょうか。
1904
:
匿名
:2005/11/24(木) 01:25:59
>1902
>すべての仏教の教義を網羅して語ることは誰にも出来ないことでしょう。
あなたの仰る「仏教の教義」とはどのような経典、もしくは論、人の教義を指すのですか。
今の私は、日蓮聖人のことを尊敬し、思慕しております。
皆様ほど、教義には精通しておりません。本当に、学ばせて頂いてきた立場です。
ただ、政治と憲法については、私なりに勉強してまいりました。
そのことを自分なりの信仰の実践と思っておりますし、追々、投稿していきたいと思っております。
教義についての表現は、私には豊富な語彙がございませんので、どうしても稚拙表現になりますが、試みたいと思っております。
>また、あなたは仏教の教義は'なぜ「戦争は起こるのか」’について説いている、というようにお考えのようですが、その根拠は何でしょうか。
この点は、どここの記述だったか、見当たらず、そのままを引っ張り出せませんが、概ね継ぎのような内容を投稿いたしました。
人は、生を受けた以上、生きたいという(生存権)本能がは逃れられないもので、その生存権をかけて、領土と資源を求めていくうちに、やがて戦争となる。
不殺生戒は、人の生存権を脅かすなという戒めであると同時に、人は殺生する存在であるということを、説いているのではないかと、たわしはそう思っております。
間違っていれば、ご教授ください。
1906
:
管理者
:2005/11/25(金) 05:59:16
通りすがりさん
1905レスは、個人攻撃に当たりますので、当掲示板のルールに従って、削除いたします。
ルールを遵守して投稿されることを希望します。
1907
:
藤川一郎
:2005/11/26(土) 15:11:52
小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大総長)は24日、皇室の安定維持で皇位継承資格を女性や女系の皇族に拡大することなどを求める報告書を首相に提出したそうである。
これは男系霊位継承を覆す許されざる暴挙である。そもそも有識者会議のメンバーが問題である。御皇室のことをもっともご存知であるのは、旧公卿や旧宮家、そして天皇家そのものである。有識者会議のメンバーに本当の事が分かっている者がいるのか?有職故事も儀礼も何も知らない者ばかりで決めるのは、僭越の極みである。
一部オブザーバーで数人の旧宮家が御発言なさったそうであるが、そのほとんどが反対である。その方たちのお話では「①女性天皇は問題ない」しかし「②女系天皇には問題がある」のである。国民の中には「女性天皇と女系天皇の違い」すら知らない者が多い。
御歴代天皇陛下8人10代の方が女性であることを、女系容認の根拠とする、無知な者が多いが、その女帝全てが男性と男性をつなぐ「霊位のお預かり」のお立場である。
ここに、女系天皇の容認は、皇位を冒涜する行為である。神事は女性には出来ない事が多い。ご歴代の女性天皇の時代には、生理の為「大嘗祭(先代天皇の霊位を継承する儀式)」の日時を変えた記録もある。有識者会議と称する「無識者会議」は全員辞任せよ!
1908
:
あ
:2005/11/26(土) 21:12:24
象徴天皇制、どっちでも、なんでもいいけど。万世一系ってほんとかな。
http://www.asukanet.gr.jp/n-ken/kojiki/wakasazaki.html
即、削除されるかも。
1909
:
犀角独歩
:2005/11/26(土) 23:43:08
昨日は、三島由紀夫が自決してから、35年目に当たるのだそうです。
島田師の『経堂日記』を読んで、気付きました。
http://hitorigurashi.cocolog-nifty.com/kyodo/
大の三島ファンだった父が「おい、三島が死んだぞ!」を血相の変えて、テレビのスイッチを入れました。盾の会の制服、軍服といったほうがいいのでしょうか。白手袋、鉢巻きをして、高いところから自衛隊員に向かって演説をする三島の雄志がありました。しかし、その命懸けの演説も隊員の野次にかき消されていました。演説を終えたのか、断念したのか、三島は建物のなかに引きこもります。そこで、割腹自殺。介錯は2度、3度と失敗した…、のちに報道が伝えたその一言が何故か記憶に残っています。
この三島の死は何であったのか、耽溺した美学か、狂気か、はたまた、真の武士道であったのか。わたしがいまでも腹立たしく思うのは、誰であろうと、自分の命を賭けて訴えている三島の話を野次で遮ったその自衛隊の有様でした。心底、自衛隊に絶望して、三島は腹を割いたのではないのか、わたしはいまでもそう思っています。
1910
:
藤川一郎
:2005/11/27(日) 03:17:36
象徴天皇制度と言いながら、総理大臣等は未だに「大臣」です。
つまり「大いなる臣下」です。
臣下がいれば主君がいる。大臣の主君は誰か?こんなものは、任命形態を見れば天皇陛下に決まっている。そこから現代でも日本国は「(象徴的な)立憲君主制」だと言えます。
しかし曖昧なことには違いない。
戦争放棄の憲法9条を変えるならその前に、不自然で翻訳くさい象徴天皇条項も変えるべきでありましょう。
「天皇は日本国の元首にして統治権を総攬する。」
「天皇は神聖にして侵すべからず。」
上記文言が決して「民主主義」と矛盾するものでは無いのは、近代法上は常識です。
実は世界的に見ると「戦前までの君主国の数よりも、戦後に出来た君主国の数の方が多い」等と言う事実もあり、時代の逆行にもなりません。
1911
:
パンナコッタ
:2005/11/27(日) 11:20:21
三島由紀夫といえば、先日こんな記事がありました。
http://news.tbs.co.jp/20051123/headline/tbs_headline3166795.html
更新されてリンクが切れる場合もあります。
”日本”というアニミズムの、現在進行形なのかもしれませんね。
1912
:
犀角独歩
:2005/11/28(月) 11:52:05
パンナコッタさん、これは貴重な情報、有り難うございます。
実はわたしもこの神社を探していました。
> ”日本”というアニミズム
なかなか味わいのある表現ですね。
1913
:
藤川一郎
:2005/11/30(水) 13:47:28
下記のような記事があった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
愛子さま、皇位継承2位に=女性・女系天皇容認−有識者会議が最終報告
皇位の安定的継承を議論してきた小泉純一郎首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大学長)は24日、女性・女系天皇を容認する最終報告書をまとめ首相に提出した。報告書は男系男子に限った制度では「皇位の安定的継承は極めて困難」と強調、「女性・女系天皇への道を開くことが不可欠」と結論付けている。皇位継承順位は男女を問わず、天皇直系の第1子から出生順に定める「長子優先」を採用した。
皇族の範囲は天皇や皇族の子は皇族とする現行の「永世皇族制」を維持。皇位継承者を増やす観点から、女性皇族が結婚後も皇族に残り、宮家を創設できるとした。
政府は来年の通常国会に皇室典範改正案を提出、成立を目指す。最終報告書通り改正されれば、皇位継承順位は、皇太子ご夫妻の長女愛子さまが皇太子さまに次いで2位となり、秋篠宮さまは2位から3位となる。国民世論の一部にはなお女性・女系天皇を認めることに根強い反対論があり、改正作業は曲折も予想される。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上の記事でも、「女性、女系天皇」とあたかも両者を併記している。
これは誤魔化しでは無いか?
「女性天皇」と「女系天皇」ではまるで意味が違う。
マスコミも愚弄するのもいい加減にしろと言いたい。
1914
:
ラキ
:2005/11/30(水) 23:25:42
魑魅魍魎と同席しいて法論(勉強会?)をする事が謗法て、折伏と法論は違う?て、おかしいような気がします。
法について話をする法論は、折伏に通じるのではと思い、同じ意味を持つのでは?と私は思っていますが、顕正会浅井会長に違いを教えて頂きたいですね。
”大坊棟札”が”天生原”に戒壇建立の証明て笑えます。
”棟札”が風習、習慣として行われるようになったのは、確か江戸時代頃でしたね。
そして、国立戒壇に安置する本尊の願主の名前は、一信徒の名前てのはおかしいと思うのに、その正当性を証明するのに、
『不惜身命の集団として大聖人様の師子王心と同心した「師子王は百獣に怖ぢず、師子の子又かくのごとし」この異体同心こそ未来事の広宣流布の端相だから』
浅井さんの指導なのか?幹部の指導なのか?回答にならない回答を言わせてるのかな?願主に付いてのかすりもしない回答と感じます。
1915
:
犀角独歩
:2005/12/01(木) 02:05:31
NHK、プロジェクトX『太陽に賭けろ―住宅エネルギー革命』、面白かったですね。
太陽発電パネルの開発物語でしたが、大量需要が日本で見込めないので、モンゴルにこれを持ち込む。放牧移動のテント住居で太陽電池パネルを使用。いまでは5万件で使用されている。ラクダの背の太陽発電パネル。冷蔵庫も積まれる。中にはワクチン。この需要で日本での大量生産、コストダウンが可能になった…。
無害、無限のエネルギーの時代は必ずやってくるだろうと思えました。
1916
:
犀角独歩
:2005/12/01(木) 02:13:49
> 1914
顕正会って、まだ、わたしのことを魑魅魍魎だ何だとやっているんですか(大笑)
100万組織が、独歩1人になにをおたおた慌てふためいて口角泡を飛ばしているんでしょうか。滑稽ですね。
口先では、何とも言えますが、百聞は一見に如かず。
もはや、「本門戒壇の大御本尊」の時代は終わりました。
いくら興奮して、わたしの悪口を言っても、真実・事実は動きません。
事実を掴んだわたしのほうはゆったり、余裕の気分でいます。
1917
:
藤川一郎
:2005/12/01(木) 12:21:49
浅井さん著書「南無日蓮大聖人」にて、神四郎+弥五郎+弥六郎を足して総称したのが「弥四郎国重」となってますが、この根拠は何処だろうか?
宗門でもこういう公式見解では無かったが。。。
1918
:
藤川一郎
:2005/12/01(木) 12:29:36
魑魅魍魎をgoo国語辞典で見てみると、
魑魅は
〔「魑」も「魅」も化け物の意〕山林の精気から生じ、人を迷わすというばけもの。すだま。
魍魎は
〔「魍」も「魎」も山川の化け物〕山・水・木・石などの精気から生じて人をばかすという怪物。すだま。
魑魅も魍魎も似たような意味ですね。まあ怪物、化け物の類ですか?
物の怪的な意味でしょうか?
そうか?犀角独歩さんは化け物だったのか?
でも化け物って悪い意味もあるけど「普通の人間とは思われない能力をもっている人」の事も言うそうですから、超能力者的な意味もあるそうです。
今度「スプーンまげ」して貰おうかな?すいません。冗談でした。気を悪くしないでね(爆)。
1919
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/12/01(木) 12:47:21
>1916,1918
魑魅(ちみ):山林や沼沢の気から生ずる化け物。人面獣身で人を迷わせるという。
魍魎(もうりょう):すだま。山川・木石の精霊。三歳くらいの小児に似て赤黒く、耳が長く人の声をまねるという。
阿部吉雄編『漢和辞典』(昭和50年新訂版3刷、旺文社)
魑魅魍魎(ちみもうりょう)
さまざまな妖怪変化。いろいろなばけもの。また、怪しげな人々。
金田一晴彦編『現代新国語辞典』(1997年第6刷(初版1994年)、学習研究社)
1920
:
犀角独歩
:2005/12/01(木) 12:55:55
> 浅井…神四郎+弥五郎+弥六郎を足して総称したのが「弥四郎国重」
これはたしかにおかしな見解ですね。
現代の石山では、弥四郎国重は「日蓮己心の」ということで、非存在説に立っているわけですね。
日精は波木井嫡男説で、これが史実的に成り立たなくなったあと、弥四郎国重不詳を経てのことでした。
1921
:
犀角独歩
:2005/12/01(木) 12:58:37
藤川一郎さん
彰往考来さん
魑魅魍魎の解説有り難うございました(笑)
しかし、こういう表現は人権侵害、名誉毀損に抵触しないのでしょうかね。
弁護士と相談しているところです。
わたしはスプーン曲げはできません。あと、当たらない予言もできません(笑)
1922
:
独学徒
:2005/12/01(木) 15:39:18
皆様お久しぶりです。
>いろいろなばけもの。また、怪しげな人々。
私も参加者でしたので、「いろいろなばけもの。また、怪しげな人々。」の中の一人でしょうか。
確か、彫刻と禅師曼荼羅の寸法云々の話をしていたような。
一寸、スプーン曲げに挑戦してみましょうか!
1923
:
パンナコッタ
:2005/12/01(木) 22:37:57
魑魅魍魎の絵姿ならば、佐藤有文監修「妖怪大図鑑」に載っていましたっけ。
もっとも、ほかのを見てみれば「人食い鬼ゴール」などとキャプションを付けられていた物が、
ゴヤの『わが子を喰らうサトゥルヌス』だった事実を後で知った時は、唖然としたものでした。
どこぞの教団が主張している教学のメッキが剥がれたのと、同じようなものだったでしょうか。
暮れですから飲み会の機会も多くなると思いますので、曲がる金属のスプーンではなく
割り箸を曲げてみてはどうでしょうか? かなりウケると思いますよ。
1924
:
犀角独歩
:2005/12/01(木) 22:51:48
独学徒さん
パンナコッタさん
魑魅魍魎からいきおい、忘年会の隠し芸に話が発展ですね。
独歩の会としても、忘年会をやりたいと思っています。
是非、ご参加いただき、皆でいっせいにスプーン曲げ、箸曲げというのも一興かと(笑)
1925
:
犀角独歩
:2005/12/02(金) 01:17:53
昨日は、石山のお陰で賑やかな1日でした。
1926
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/12/02(金) 07:43:21
>スプーン曲げ
http://www.sun-3.jp/page029.html
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/itimuan/maru/old/aya24.html
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ebisan/spoon.htm
1927
:
ラキ
:2005/12/02(金) 14:54:21
空中浮遊もやってもらいたいですね。^^
1928
:
犀角独歩
:2005/12/02(金) 15:34:45
滝本弁護士はやりましたよ(笑)
1929
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/12/02(金) 17:39:22
>滝本弁護士・・・空中浮遊
NHKスペシャル「奇跡の詩人」への検証本『異議あり! 「奇跡の詩人」』 (同時代社、滝本太郎・石井謙一郎 編著)の著者近影で、滝本太郎弁護士は「空中浮遊」している。麻原彰晃を激怒させ、滝本弁護士殺害計画の切っ掛けになったとも言われているものだが、滝本弁護士がわざわざこの写真を選んだことの意味は自ずから明らかだろう。「奇跡の詩人」を信じろと言うことは、麻原彰晃の空中浮遊を信じろというのと、等価なのである。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4886834752/503-4798392-9661507
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/dabun24.html
1930
:
ラキ
:2005/12/02(金) 20:15:39
>麻原彰晃の空中浮遊
昔、学研のムーと言う雑誌で、掲載されていた号を持ってました。w
1931
:
犀角独歩
:2005/12/02(金) 21:10:17
>> 麻原彰晃の空中浮遊
> …ムー…掲載…号
これはプレミアがつきますね。
1932
:
片瀬江ノ島
:2005/12/04(日) 12:30:15
67世御法主日顕上人猊下様が今月をもって退座されるようですね。考え深い一日になります。
1933
:
問答迷人
:2005/12/05(月) 06:40:45
>67世御法主日顕上人猊下様が今月をもって退座
日蓮正宗の宗制宗規は改定されて、終身制とも言える有り方になっているのに、なぜ、今退座何でしょうか。
そもそも、宗制宗規を変えたのは、確か昨年ではなかったでしょうか。
何か背景が有るのでしょうね。
1934
:
孤独な迷子
:2005/12/05(月) 07:17:25
お久しぶりです。
>1933
学会系の掲示板で退座の情報がありましたが、本当だったのですね。
宗門や法華講が大きく変わるのでしょうか。
1935
:
犀角独歩
:2005/12/05(月) 08:44:26
創価学会が最も御しやすいと言われる早瀬さん。藤本さんはどんなつっかえ棒になるのか。
先代早瀬(日慈)さんに屈辱を与えた妙観講への怨念を背負っています。顕正会へももっているんでしょう。法道院に入る八木さんは、顕正会のパイプ足り得る存在でしょうか。
阿部さんの容態の度合いは知りませんが、「法主」を降りたからといって、石山では完全引退ということにはなりません。久方の「隠尊猊下」の誕生ということでしょう。いわば、坊さん連中は二つの頭になり倍加した支配構造に締め付けが激しくなるということでしょう。
いずれにしても、創価学会の松岡本、浅井さんの情報入手の末、はったり辞任勧告と、今回の交替劇は、何ら因果関係がないことだけは明らかでしょう。
1936
:
藤川一郎
:2005/12/05(月) 12:03:12
「ほらみなさい!
私の諫暁に恐れをなして阿部日顕(上人)が隠居しました。
顕正会の対決申し入れを回避するために逃げたのです。」
上記のような趣旨の講演を浅井さんがすることを前もって予言しておく(私も超能力があるのです・笑)。
1937
:
連番通りすがりじゃない通りすがり
:2005/12/05(月) 13:12:27
はやく、浅井センセが私の諫めで「日顕」がやめたっていわないかな。
そしたら、みんな笑いものにしましょ。
1938
:
犀角独歩
:2005/12/06(火) 12:49:03
藤川さんの偉大な予言は当たるでしょうね(笑)
1939
:
藤川一郎
:2005/12/07(水) 11:35:59
>>1933
>>日蓮正宗の宗制宗規は改定されて、終身制とも言える有り方になっているのに、なぜ、今退座何でしょうか。
「法主は、遷化又は自らの意思による以外はその地位を退くことはない。」
上記条項は、別に改正しようと、しまいと、余り変わりは無い条項ですがね。
むしろ元からの不文律を文律化したようにしか見えませんがね。
もし本気で終身制にするのなら「又は自らの意思による」は削ったでしょう。
それより、改正宗規により、大正以来途絶えていた「学頭職」を復活させた事が重要で、その、宗規に従って、常聰院日如師が学頭に任じられたと言うことは、改正時点で既に、御隠居を想定した改正だったと考える方が普通です。
1940
:
藤川一郎
:2005/12/07(水) 12:50:59
別スレですが、確かに「バカチョン」の語源については、この「チョン」を朝鮮人とするのは早計のようです。
私もそう聞いて、後輩を注意したことがありますが、それを朝鮮人と思ってる若者は少なかったのも事実です。
むしろそれを注意することにより、忘れかけた「チョン=朝鮮人説」が復活してくるとも言えます。
所謂、放送禁止用語(言葉狩り)が盛んな昨今ですが、差別用語を言葉狩りで刈るのは日本だけでして、まして古い映画等からも「ピー音」で修正するのは言霊国である日本の習性でしょうか?
しかし「差別用語」を刈れば差別が無くなる等というのは誤解でして、海外では差別用語はもちろん使用しないようにしますが、実質を重んじます。差別を無くすのは「差別用語」を無くすのではなく、「差別の実質」を無くすのが正解なのです。
日本でも古い映画には、座頭市等でも「ドメク○」(目のご不自由な方の蔑称)等と叫ぶシーンでは「ピー音」で消され、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑ってしまいます。
せめて字幕で「現代では不適切な用語ですが、制作者のオリジナルを尊重し、そのまま放送します」位の事は出来ないものでしょうかね(パーフェクトTV等衛星放送ではこの例はあります)?
1941
:
問答迷人
:2005/12/07(水) 13:42:09
>改正時点で既に、御隠居を想定した改正だったと考える方が普通です。
納得です。有難うございました。
1942
:
藤川一郎
:2005/12/07(水) 14:18:13
つぶやきです。
つまらないことですが、自分の投稿を見て、驚きました。
ホリエモンの名文句「想定内」「想定外」を知らぬうちに使用している自分がいた。
私の過去の投稿を全て見ても「想定」等という言葉は使用していない。
しかし、今回無意識に使用していた。
マスコミの報道の影響力を感じた。
1943
:
ラキ
:2005/12/08(木) 17:51:06
独歩さん。
本日のランチ勉強会ありがとうございました。
一番の発見は、独歩さんの弱点が○○○とは、驚き!でした。^^
本日は本当にありがとうございました。
1944
:
犀角独歩
:2005/12/08(木) 18:19:33
藤川さん、1940のご指摘、賛同します。
ただ「バカ○○○カメラ」(敢えて、それでも伏せ字)は、しかし、そのような意味での使用中止は事実であったでしょう。
わたしも言葉狩りは根治的改善にならないと思います。
らきさん
うーん、一つ弱みを見せてしまいました(笑)
1945
:
管理者
:2005/12/15(木) 06:34:33
シタラバ掲示板のメンテナンスが先日実施されたようです。その時に、何らかの錯誤で、レス数が1000に制限される設定になってしまったようです。
新たに、10000レスまで投稿できる設定に変更しました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。
1947
:
管理者
:2005/12/19(月) 13:59:41
>1946は、「戦争についてスレッド」の閉鎖に関連して、さらに、管理者の制止、スレッド停止措置を無視して、書き込まれたものと判断いたします。このような投稿は、当然のことながら、当掲示板のルールに抵触しますので、削除すると共に、匿名さんの、以後の掲示板への書き込みをお断りいたします。
1950
:
ラキ
:2005/12/29(木) 19:02:10
2005年も残すこと数日。
色々な事件、出来事があり1年間大変お世話になりました。
来年は、どんな出来事があるか楽しみですが、浅井さんをオフ会に呼びたいですねw
それでは皆さん。良いお年をお迎えください。
お年玉365日受付中です(*ノωノ)
1951
:
ラスカル
:2005/12/30(金) 15:39:08
高野山には日蓮上人の墓があるそうです。他にもいろいろ聞きますが。空海は華厳から教学を方向付けたとか読みました。でも、家の周りの真言宗は南無遍照金剛(弘法大師空海)と唱えてるような。学問と捉えるならアバウトさがわかるような気がしました。大仏など仏は、お天道様から信仰が来ているのかと。
1952
:
パンナコッタ
:2006/01/16(月) 23:39:15
また、此処の掲示板の存続にも関わるニュースが飛び込んできましたね。
管理人さんの方針が出るまでは、様子を見る感じですね。
しかし、一体どうなる事やら・・・。
1953
:
犀角独歩
:2006/01/17(火) 01:08:04
パンナコッタさん、なんのことですか?
1954
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2006/01/17(火) 07:17:53
>1952 パンナコッタさん
ライブドア家宅捜索の件ですか?
1955
:
パンナコッタ
:2006/01/17(火) 12:18:54
ええ、家宅捜査の件です。
株価は午前でストップ安水準になりましたし、昨年の選挙の時、社長を担ぎ上げた政党(一応、無所属でしたが)も
なにやら慌ただしいですね。
社長のコメントは、お詫びとさらなる事業拡大を言っていましたし、直接板の存続に関わるような事には
ならないでしょうが、間接的には何らかの影響が今後出てくるのかもしれませんね。
1956
:
アリアン
:2006/01/18(水) 10:27:48
> 1947
トクメイさんとの議論が気に入らないので一時的に閉鎖し、追い出した後に閉鎖を解除したわけですね。
1958
:
管理者
:2006/01/18(水) 10:54:16
非難の応酬の様になってスレッドが混乱したので、停止措置を取りました。一週間停止して、とりあえず混乱が収まったと判断しましたので、停止措置を解除しました。書き込み禁止措置は、1947でご説明した通り、この措置とは別のことです。ご理解賜りますれば幸いです。
1959
:
僕だけ
:2006/01/18(水) 12:01:10
ライブドアのホームページにアクセスすると
1960
:
僕だけ
:2006/01/18(水) 12:44:13
1959> 済みません尻切れとんぼになってます
ライブドアのホームページにアクセスすると話題の子会社のクッキーが保存されます
しかもワーム付きです
つぶやきでした
1961
:
名無しさん
:2006/01/18(水) 19:44:21
>>1958
管理者さん、大変だと思いますが、念のためログの保存を
しておいた方がよろしいと思います。
1962
:
管理者
:2006/01/19(木) 07:04:22
>1961 有難う御座います。削除対象となったレスも、全て管理者の手元ではログは保存するように設定してあります。但し、掲示板過去ログ倉庫には現在のところ保存してはいません。今後は、削除する時には、過去ログ倉庫に保存するようにしたいと存じます。
1964
:
パンナコッタ
:2006/01/29(日) 01:11:00
れんさんと一字三礼さんとのやり取りの中で電子大蔵経がでてきましたが、それでふと思い過去の
レスを読み返して、えらい勘違いを自分がしていたことが解りました。
以前、独歩さんと薩曇分陀利経についてやり取りをしましたが、自分は竺法護が265年に訳出したと云われる
六訳三存、西晋の薩曇分陀利経と頭から思いこんでおり、それが注法華経にも引用されていたのだと勘違いしていました。
大正新脩大蔵経9巻 訳者不詳 一巻。 内容は見宝塔品の一部と提婆達多品に相当する部分で、蓮祖の引用はこれの事
でしょう。
最初の思いこみと、基本的な事を失念していたポカミスですね。大変失礼しました。 <(_ _)>
1965
:
れん
:2006/01/31(火) 18:42:46
昨日、図書館に行きまして、大正新脩大蔵経所収の世親の法華論をコピーしてきました。世親の法華論は梵本が現存せず、世親が用いた梵本法華経の形態が不明なのは誠に残念ですが、世親の教学を知ることができますから、世親当時のインドにおける法華経の用いられ方、知る止すがにはなろうかと思います。
漢訳仏典でのこる法華論ですが、やはり本場の漢文体は難しいですね。日蓮や門下のいわゆる和様漢文体とはまた違いますから、ときどきどのように読み下せばよいかわからない文章に出会います。やはり国訳大蔵経も参照しなければならないですね。
パンナコッタさん、私もそういう思い込みはざらにあります。でも、実際に調べてみて、自分の間違いを修正できた。知らなかったことが、わかった。それもひとつの“功徳”といえるかもしれませんね。
1966
:
犀角独歩
:2006/03/18(土) 10:17:00
最近は、既に過去に沸騰した議論になっていることが、同じように繰り返され、投稿されています。
まあ、ここの膨大な過去ログを読むのも大変でしょうし、致し方がないのでしょう。
ただ、大概のことはほとんど、議論が尽くされている観があります。
そもそも、「わたしは」何を書いたのか、忘れているところもありますから、繰り返しも、また、一つのあり方かと最近は思うことにしました。
それにしても、顕正居士さんはさすがで、既に過去に記されたことは、あまり再論なさらない、既に回答済みという姿勢を貫かれるのは、さすがであると違う観点で感心しています。
これまた、余談ですが、わたしは定期的に掲示板データをダウンロードし、テキスト化したうえで、該当事項を検索して、読み直すようにしています。このデータ化は、一度の作業で小1時間、思いつきで、気軽に質問を投げかけるのは個人の自由ですが、既出の話題であれば、この検索で過去の投稿を追ったほうが情報量は遙かに多いことになります。
お薦めしておくことにします。
つぶやきとも、お薦めとも採れる文章になりましたが、一言まで。
1967
:
今川元真
:2006/03/25(土) 15:51:05
【21世紀は、空海教、鳩摩教?】●紅(神教)〜白(仏教)、仏塔、●法華教学、本仏殿、法華経様式、●仏性〜如来蔵、北から伝えられた一念の法が三千の花弁の蓮を咲かせる教え『南無妙法蓮華経』、法華堂(十界勧請漫陀羅)、法華経変遷、真蹟研究、宿坊、●価値創造、三証四悉檀、●何の知識・情報も無い人々に布教するのは大変
1968
:
今川元真
:2006/03/26(日) 13:13:43
切りの良い所で書き込みを止めれば良いのですが創価(勝ち創造の笑顔と愚痴)学会と冷戦になったのでストレス溜まるので辞められない。何でも書いてバッサリ妙法の利剣(御書遺文)で切り分けてくれる所なんて他所に無い。●広宣流布・仏壇(本尊漫陀羅・位牌・水其他)・道場(シャクソン成道図絵・本尊漫陀羅・日蓮立宗図絵、三国四師・何故最澄は法華経行者・天台と伝教の相違・天台密教と日蓮仏法の相違)・神社仏閣(シャクソン・蓮華・四大菩薩天竺様・四菩薩震旦様・四天王日本様)、個人的には、法華堂(十界勧請漫陀羅)だけで良いと思うのですが、歴史は一筋縄では捉えられませんから。
1969
:
犀角独歩
:2006/03/27(月) 22:47:37
やや長い投稿をさせていただきます。以下、あくまで試案です。
議論の俎上に乗せようと思うわけではなく、自らの備忘録として、書き置くものです。
■四大天玉の図示の位置について
以下はわたしが個人的に気が付いた点ですので、先行研究等がございましたらご紹介いただくと共に、ご批正をいただきたく存じます。
四大天玉は、図示年代変遷のなかで、日蓮聖人の試行錯誤が窺われ、興味深いテーマの一つです。
東・持国天、西・広目天、南・増長天、北・毘沙門
当時のの宇宙観では大地を方(四角形)と考えられていたわけで、その四角がそれぞれ東西南北になる(方角)ことは、今さら申し上げることでもないわけです。
戒壇院などの伽藍様式の四角い部屋となっているのは、単なる建都合というより、当時、大地は四角形と思われていることに由来するのであろうと類推します。そのそれぞれ方(四角形)の角が東西南北です(方角)。実際に建物がその方向を向いているかというと、これは45度ずれがあります。中央に五重塔(多宝塔)を建て、中に釈迦・多宝の二仏が奉安されています。実際の法華説相からすれば、宝塔の真後ろが東となります(角が正面ということになります)から、そこに持国天像が置かれ、大衆が立つ背が西となって、ここに広目天像を建てれば、経典のとおりとなります。しかし、こうなりますと、多宝塔の後ろでは、像はよく見えませんし、何より、西側入り口の中央に像を置くことになってしまいますから、参詣にも都合が悪く、また、美を尽くせないことになります。この場合、そこで、45度これをずらして、奉安することで、この点を解消しているのが、一般的な建築の妥協でした。
日蓮聖人は、四角い料紙を大地に見立て、その四隅を東西南北の方角を与えることとまず考案されました。しかし、インドでは天子は東面、日本は天子は南面と、国風の相違があります。説法の釈尊もそのように方向を選んで座しておられるわけです。つまり、西側に座しておられるわけです。そこに涌現した多宝塔は、その釈尊に向かっているわけですから、西面となります。つまり、紙の四角(よすみ)に東西南北を与え、宝塔品を図式化しようとすれば、インドのしきたりに従えば、図される上側が東となります。
一方、日本では天子南面のしきたりがあります。ですから、上側が北になります。
日蓮漫荼羅は宝塔品を図示といいますから、西面となりますが、しかし、天照・八幡という国神も勧請されているわけですし、奉安様式は、南面でしょう。そうしないと国風に準じられないからです。つまり、宝塔は東側は、貴人は北側という相矛盾する二つの要素を孕むことになるわけです。
これを表化すれば
【宝塔涌現】
北(左上):毘沙、東(右上):持国
西(左下):広目、南(右下):増長
【日本国風】
西(左上):広目、北(右上):毘沙
南(左下):増長、東(右下):持国
となり、四大天玉の配置に相違が生じます。
1970
:
犀角独歩
:2006/03/27(月) 22:48:48
―1969からつづく―
また、45度、ずらしているために、本来、東には西、北には南と対するところを、東西南北のままに配置すると、こうはならず、従来の奉安では、東西、北南との対が対角線上に配置されてしまうわけです。しかし、実際は、宝塔を正面から見る場合、衆は西を背に東に向かい、日本国風の天子を仰ぐとなれば、南を背に北を向くはずです。けっして、対角線にはなりません。
この点を日蓮聖人は、紙の四角を方角に見立てるに置いて、見事に解消したアイデアが浮かんだのでしょう。
つまり、右上下二角を東西に、左上下二角を北南とすることで、このを問題を見事に図示することに成功したわけです。
なお、漫荼羅平面でしか表現できないわけで、さらに掛け立ててありますが、そのイメージは三次元で、大地と虚空を表すわけで、四角に従えば、床に敷いて大地の如く、けれど、首題(塔内妙法蓮華經)と諸尊はその大地に立って天に向かって立っていることになるのでしょう。紙の上が奧で下が手前という三次元です。
以上、ややこしいので紙に四角を書き、その四隅にそれぞれの四大天玉と方角を書き込んでみれば、日蓮聖人の卓抜したアイデアが彷彿とします。
以下、簡単に作図してみました。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/sidaitenohaiti.html
諸尊勧請とインド、日本の国風の相違からの配置については、日寛はうまく説明しています。
「千古より国風自然に同じからず、所謂漢土・日本は天子南面す、故に左は東にして陽、右は西にして陰なり、故に左尊右卑なり。
若し月氏の如くんば君父東面す、故に右は南にして陽なり、左は北にして陰なり、故に右尊左卑なり。
国風同じからざれば尊卑既に定まる、故に其の処に随って何れの方に向かう時も日本は左を上座と為し、月氏は右を上座と為すなり。
本尊の左右亦復爾なり。謂わく、宝塔西に向く、故に釈尊は右の上座に居し、多宝は左の下座に居するなり。大衆は東に向く、故に上行・無辺行は右の上座に居し、浄行・安立行は左の下座に居す、是れ霊山の儀式を移す故なり」(六巻抄当流行事鈔第五)
余談ですが、仏像奉安の際、本当であれば、四菩薩をわたしどもに背を向けている形になるはずですが、こちらを向けて建てられています。これも致し方のないことでしょうか。
■塔中「妙法蓮華經」は五字か・経典か
日蓮聖人における仏像開眼とは、絵像木造で表現できない梵音声である経典を仏像の御前に置くことであることは御遺文から窺われます。『木絵二像開眼事』は、そのことを説明したものでした。
「木画の二像の仏の前に経を置けば、三十二相具足するなり。但し心なければ、三十二相を具すれども必ずしも仏にあらず」
梵音声は経典であれば、開眼となるわけですが、しかし、それでは心とならない、心は法華経に限る、では、この心とはいえば、すなわち一念三千である、故に経典は法華経に限るという論の運びであるわけです。
経典は梵音声の説法そのものを指し、妙法蓮華經の五字は一念三千を指す。
1971
:
犀角独歩
:2006/03/27(月) 22:50:17
―1970からつづく―
さて、ここで『本尊抄』の
「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処したまふ。迹仏迹土を表する故なり」
というときの「塔中の妙法蓮華経」が五字か・経典かという問をわたしは懐いたわけです。この本尊抄の記述に従って仏像を建立するとします。多宝塔を造り、その塔の中に二仏並座させることになります。
わたしは塔の中でなければならないと思いますが、しかし、これは四菩薩がこちらを向いているのと同様、外に置くのは致し方のない造形上の措置でしょうか。
それは、置くとして、では、肝心の妙法蓮華經はどうでしょうか。
わたしは法華経典であると思います。なぜならば、ここに法華経典がなければ、『木絵二像開眼事』と齟齬を来すからです。では、上行所伝の妙法蓮華經が表現できないではないかとなりますが、そうなのだと思います。仏像造立では妙法五字は表現できないのです。ですから、別立てで曼荼羅が必要なわけです。
富士方では、伝・三位日順文書『本門心底抄』に
「本門の戒壇其れ豈に立たざらんや、仏像を安置することは本尊の図の如し」
とあり、要法寺系でも、この考えですが、わたしは、これはまったく日蓮聖人の三大法門を満たすことが出来ない謬論であると考えています。
本門の本尊は仏像・本門の題目は字像曼荼羅、そして、戒壇は『取要抄』に記される密事として、伝えられた比叡山戒壇の代わる本門戒壇であり、こうして、三大法門の三つは成就するのではないのかという考えです。
これを妙法蓮華經の五字を本仏釈尊としてしまえば、二大秘法としかならないことになります。この点は、石山で言う日蓮本仏・人法一箇でも同様ではないのか、というのがわたしの考えです。
なお、「其本尊為体」は、日蓮門下一般を通じて、「其の本尊為体(ていたらく)と読むことで、異論がないようですが、わたしはこの点に異議を有します。では、どう読むのか「其の本尊を体と為(な)し」ではないのか、というのがわたしの考えです。では、その体とされる本尊とは、その後に続く記述ではなく、その前段ではないのかと考えます。すなわち、四十五字法体段でいわれる仏が本尊であるということではないか、ということです。では、「為体」以降は何を意味するのか、つまり、それは「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」という造立される仏像の奉安様式です。
ただし、この点については、思索中です。
1972
:
犀角独歩
:2006/03/27(月) 22:51:17
―1971からつづく―
■日蓮聖人持仏は聖人のご自作のこと
「随身仏、この表現はいかん」と、中尾堯先生はいうので、いまは持仏とさせていただきます。
日蓮門会一般の伝承認識として、このお像は伊東配流の際、船守弥三郎から献上されたものだとなっています。
しかし、その成立を日興上人滅後90年、聖人滅から140年目の成立であるとする高木豊師がいう『五人所破抄』では、日蓮聖人自らが刻まれたものであるといいます。すなわち
「五人一同に云く、先師所持の釈尊は忝くも弘長配流の昔之を刻み、弘安帰寂の日も随身せり何ぞ輙く言うに及ばんや云云」
とあります。これを雪仙日亨は訳解して
「五人一同の義には先師日蓮の御奉持になつていた釈迦牟尼の立像仏は・勿体なくも弘長元年伊東御流罪の時に彫刻せられて・弘安五年池上御入滅の時まで御身を離さず奉持せられたもので・あるを・何とて遺弟の身とて容易く彼是と非難をしてよからうや・唯仰いで信敬すべきぢや云云」
といいます。最近は、どうも記憶力が減退し、文献を失念しましたが、船守弥三郎の寄進は浮木であったという文献が確かありました。
この「忝くも」「勿体なくも」は「刻み」に掛かる語ですから、日蓮聖人を指していることになります。ここで刻んだというわけですから、海中出現とは齟齬を来すことになります。実際に古文献を調べても、海中出現を指示するものには当たれなかった記憶があります。
さて、聖人お手製本尊となれば、その崇敬は高いのは当然で、日興上人作とされる『原殿御返事』に
「大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代わりに其れ程の仏を造らせ給えと教訓し参らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様には、せめて故聖人安置の仏にて候わさばさも候いなん。
それも其の仏は上行等の脇士も無く始成の仏に候いき、其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ、なにのほしなさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給うべき」
と‘第二転’とは、つまり、日蓮聖人お手製の仏の第二転という意味であろうと、わたしは考えます。ただ、この日朗上人を記述する文面が、本当に日興筆であるのか、やや疑問は残ります。いずれにしても、日蓮聖人お手製持仏という文献は、以上の如くとなります。
■字像漫荼羅の不動愛染勧請の理由
『不動愛染感見記』は真筆か、という問題は、さておいて、不動愛染が梵字で図示される理由は、富士門流信徒の掲示板に顕正居士さんが宝珠曼荼羅を引きご賢察を示されたわけです。そこから、調べたところ、たしかに摩尼宝珠漫荼羅という真言の曼荼羅がありました。中央、宝珠に脇士は不動愛染です。
ただ、この摩尼宝珠曼荼羅の場合、中央宝珠を、どのような解するのかという点で、日蓮聖人とは異なるであろうと思います。聖人は、もちろん、一念三千を宝珠と考える立場でしょう。『本尊抄』に「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたまふ」という珠の正体は、この文脈からすれば、一念三千に他なりません。そして、この珠は、聖人が虚空蔵求聞持法を修して「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん、明星の如くなる大宝珠を給ひて右の袖にうけとり候」という珠と一致するのであろうと、わたしは考えます。そして、一致こそ、顕密相対し、聖人のなかで生じる整合性であるとわたしは拝します。つまり虚空蔵を介する密教宝珠を一念三千と翻訳し、上行所伝の妙法蓮華經の五字と一致させ、ここに法華によって、聖人の密教を開会されたのではないでしょうか。
その宝珠を上行所伝の妙法蓮華經の五字に裏み、霊鷲山出現の宝塔中における四菩薩への附属の儀式を併せて表現したのが、字像漫荼羅であれば、密教に精通した日蓮聖人であれば、宝珠の脇士に不動愛染を置かれるのは、むしろ必然というほかありません。『不動愛染感見記』を引き合いに出すまでもなく、不動愛染の勧請は説明が着きます。
1973
:
れん
:2006/03/28(火) 19:15:18
犀角独歩さん
1969〜1972
久方振りに御賢察をご披瀝頂き、大変勉強になりました。
>本門の本尊は仏像、本門の題目は字像曼荼羅、そして戒壇は『取要抄』に記される密事、伝えられた比叡山戒壇の代わる本門戒壇であり、こうして三大法門はの三つは成就する…
御賢察に賛同致します。重須側の日順師・日代師の著述を見ますと戒壇に安置する仏像は「本尊図の如し」なのですが、上野に目を転じますと、日目師の申状(正本・保田妙本寺蔵)には「仏滅後二千余年間正像末三時流通程、迦葉龍樹天台傳教所残秘法有三。所謂法華本門本尊与戒壇与妙法蓮華経五字也」日目の孫弟子日向定善寺開山日叡師の後信抄(正本・定善寺蔵)に「本仏・本戒・本尊」(この表記は法華取要抄や報恩抄に見られる通途の本門三法門と表記が異なりますが、これは日興師・日源師の写本が伝わる“法華本門本尊問答抄”の思想の影響を受けた記述と考えます。意味合いとしては、本門本尊=仏像、本門戒壇=『取要抄』に記される密事としての比叡山戒壇に代わる戒壇、本門題目=字像漫荼羅と理解できます)又、時代は室町中期以降に下りますが要法寺日辰師の造読論議に引用される大石寺顕応房の文書には「三箇秘法者仏土教法也」とあり、顕応房自身は御影本尊論を述べるものの、この成句そのものの原初的な意味は取要抄・報恩抄・目師申状・日叡後信抄に同じであったろうと考えます。
蓮師の取要抄や報恩抄ないし初期上野の文献から原初的な本門三法門を調べますと、やはり独歩さんの御賢察の方が、やはりしっくり来ますね。
なおご失念された上代富士における日蓮聖人自作の釋尊像についての記述ですが富士宗学要集第二巻に収録されている日順雑集の中の“法華観心本尊抄見聞”に「聖人海の定木を以て一躰の仏を造り佐渡の国へも御所持・御臨終の時は墓側に置けと云々」との記述を見ます。初期興門においては日蓮聖人持仏の釈尊像は、やはり日蓮聖人の御自作と伝承されていたようですね。
1974
:
犀角独歩
:2006/03/28(火) 21:23:39
れんさんには種々ご賛同を賜り、恐悦至極に存じます。
上記備忘録にやや補足します。
■四大天玉の図示の位置については、かつてワラシナさんとメールであったと記憶しますが、遣り取りをしたことに端を発します。
■塔中「妙法蓮華經」は五字か・経典かは、問答名人さんと議論をしたことです。
先に顕正居士さんは「漫荼羅設計図論」を提示されましたが、わたしは、むしろ、『本尊抄』がその設計図ではないのかという考えをもっています。ただし、これは顕正居士さんのご賢察を斥けるというものでは、もちろん、ありません。
漫荼羅が設計図であった場合は、二つの位相、すなわち、宝塔(東西)と国風(北南)は、相容れない配置となりますから、これを実際の大地に顕現することは不可能ではないのかという思いがあり、この点から漫荼羅を設計図と見ることに躊躇いがあることもあります。
なお、日蓮の仏像開眼観は、木絵仏像+{経典:梵音声+心:一念三千}という三点セットで、法華経である場合、梵音声と一念三千の両意を有するととらえている。門下教学のなかでは仏像本尊は、のちに曼荼羅本尊に移行するという見方がありますが、わたしはこの考えには反対です。なんとなれば、本門題目と本門本尊が明確に二立しなければ、三大法門とはなり得ないからです。その意義を異にすると考えるからです
妙法蓮華経に裏まれた宝珠と不動・愛染脇士という試論は、実に秀でたところと敬服します。
仏像本尊は、本師・本仏の所表ですが、漫荼羅は一念三千宝珠の所表、つまり、仏像で表される仏は本尊ですが、漫荼羅の場合は仏界の所表とその意図するところが相違しています。しかし、この二つが別のものであるかといえば、三大法門は一を三に開くところであるところで、所化もって同体だからこそ、一念三千であるのでしょう。また三千はその十界互具百界で本因九界悉く本仏界にあり、さらにその本国土はまさに本門戒壇として事相されなければ、三千を成ぜません。妙法蓮華経の五字は一念三千を裏み、では、その一念三千を諸尊で図すれば曼荼羅図の如く、その東西・北南に拝する宝塔存立の場はまさに戒壇で、この意味において、たしかに顕正居士さんが仰る如く、漫荼羅は、その意義を余すことなく、孕んでいるのであろうと思います。つまり、妙法蓮華経の五字に裏まれた一念三千は具体的な十界諸尊の図示を以てさらに記されているわけです。となれば、漫荼羅の全体は一念三千であり、この宝珠全体を不動愛染の脇士が守護すると見ても、よいのであろうとも考えます。
【宝珠曼荼羅】愛染+宝珠+不動
【字像漫荼羅】愛染+{一念三千〔本果・仏+本因・九界+本国土戒壇〕+〔妙法蓮華経(宝珠:一念三千)〕}+不動
一尊四士の一尊は本仏の所表、四菩薩は附属の菩薩を表しますが、しかし、ここでは師資の義を成じても附属の本法が表せません。已上末法出現仏像本尊。
1975
:
犀角独歩
:2006/03/28(火) 21:25:20
―1974からつづく―
これを表すのは、漫荼羅図示に譲られるところで、しかも、具体的に本門寿量顕本の一念三千、仏界・九界・互具十如、そして本門戒壇として三世間をそこに書き示して秘事として、名前を書き示して、授与とすることは、まさに上行菩薩附属の妙法蓮華経の五字を流布する相となるのでしょう。已上五字漫荼羅。
そして、密事された未来建立を期した迹門戒壇に代わる末法の事壇。已上本門戒壇。
■日蓮聖人持仏は聖人のご自作のことについては、いまのところ、議論にはなっていなかったかと存じます。特に参考にした先行研究があるというより、『五人所破抄』の記述が、事実であればという前提の愚考です。
れんさんには、わたしの失念を補完していただきまして、誠に有り難うございました。
■字像漫荼羅の不動愛染勧請の理由について。別スレッドで彰往考来さんがさらに感見記のご賢察を示されたので参考になりました。感見記の真偽は書の鑑定上の問題で、それ以上でもなければそれ以下であってもならないというのは科学的な態度であると考えます。いままで自分の所属する団体が「真言亡国」と言ってきたから、日蓮はそうなんだから、真言臭のする感見記は偽書だなどという連想ゲームが固定観念になって、論陣を張るというのは、古文書鑑定としては墜ちた為にする論というほかありません。鳳凰さんには、最高の意図が示されたこと、喜ばしく存じます。また、パンナコッタさんがご指摘のとおり、独学徒さんの考証がありましたか。
妙法蓮華経の五字は筆を握れば、誰でも記せます。書いて人に授けられます。口で唱えることもできるでしょう。では、それと上行所伝の妙法蓮華経は、どこで違うのか、それはまさに‘日蓮の妙法蓮華経’でなければならない。では、日蓮の妙法蓮華経とは具体的には何か、それはまさに字像漫荼羅を置いて、他にないというのは、わたしなりの結論です。
本仏釈尊の久遠下種、さらに四菩薩地涌菩薩の眷属たるを示す本尊は一尊四士にあり、では上行所伝を日蓮の名に隠す日蓮は、自ら附属された妙法を如何様に、さらに附属、広宣流布しするのか。それはまさに妙法蓮華経の漫荼羅をもってするのでしょう。漫荼羅に示された妙法蓮華経は、日蓮の(正確には上行に附属され、末法に日蓮として流宣する)妙法蓮華経です。他の妙法蓮華経とは軸が同様でも、根本的に意義は相違します。日蓮の妙法蓮華経に有らずんば、附属の妙法蓮華経とは言えないというのが日蓮の自覚でありましょう。そして、その授与を受けた弟子檀那は、ここに自らの久遠下種を知り、報恩尊敬(そんぎょう)の一念を以て像を結ぶのが、本仏師・久遠釈尊、附属の資・四菩薩の像ではないでしょうか。(一尊四士)しかし、日蓮が比叡山を去り、本門一念三千を末法流宣に成就、本国土の妙を、事相せんとすれば、密事とされた本門戒壇未来建立を以て、三大法門の成就を期したのであろうと拝察いたします。本門の本尊と戒壇、妙法蓮華経の五字は一の宝珠を以て、不可思議にも虚空蔵菩薩を介して、日蓮に伝えられ、その守護を不動愛染がなしていたという自覚が日蓮にあったのかも知れません。
以上しかし、わたしは既に富士の裾野より独歩したうえ、大崎の学風にも、身延の学風に疎い、一在家に過ぎません。皆さんのご批正を賜れれば幸甚です。
1976
:
犀角独歩
:2006/03/28(火) 23:21:34
【1975の訂正】
誤)鳳凰さんには、最高の意図
正)鳳凰さんには、再考の意図
誤)妙法蓮華経とは軸が同様でも
正)妙法蓮華経とは字句が同様でも
1977
:
今川元真
:2006/04/01(土) 17:12:39
今更ながら尚更ながら、●●蓮祖教学≒5機●● ▲▲興門教学≒5時▲▲[本尊論・勝劣でも一致でも無い十全完璧な本尊]、シャカ(泥沼蓮華)、シャクソン(皆成仏道)、鳩摩訳で無くても台家は一心三観等を繋げるか、大乗教団次第か。
1978
:
今川元真
:2006/04/03(月) 11:50:53
私の家で花と言えば、スイセン・アジサイ・オニユリ・ウメですが、名前も知らない花もあります。年の所為か小さくて群生で集まって咲く花々をキレイに見れるようになりました。名前が解らないのはイライラします...●皆成仏道、、法華涅槃、依法不法人●本仏と言えない本尊、漫陀羅=修行●像法(仏像)、末法(漫陀羅)、本門法華経戒壇堂(生粋法華経行者)●教義(題目肝心)修行(唱題成仏)できる本尊、横並びでも縦並びでも無い教法本尊●ゼロベースの仏国土=理想郷
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