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つぶやきすれっど2

1969犀角独歩:2006/03/27(月) 22:47:37

やや長い投稿をさせていただきます。以下、あくまで試案です。
議論の俎上に乗せようと思うわけではなく、自らの備忘録として、書き置くものです。

■四大天玉の図示の位置について

以下はわたしが個人的に気が付いた点ですので、先行研究等がございましたらご紹介いただくと共に、ご批正をいただきたく存じます。

四大天玉は、図示年代変遷のなかで、日蓮聖人の試行錯誤が窺われ、興味深いテーマの一つです。

東・持国天、西・広目天、南・増長天、北・毘沙門

当時のの宇宙観では大地を方(四角形)と考えられていたわけで、その四角がそれぞれ東西南北になる(方角)ことは、今さら申し上げることでもないわけです。

戒壇院などの伽藍様式の四角い部屋となっているのは、単なる建都合というより、当時、大地は四角形と思われていることに由来するのであろうと類推します。そのそれぞれ方(四角形)の角が東西南北です(方角)。実際に建物がその方向を向いているかというと、これは45度ずれがあります。中央に五重塔(多宝塔)を建て、中に釈迦・多宝の二仏が奉安されています。実際の法華説相からすれば、宝塔の真後ろが東となります(角が正面ということになります)から、そこに持国天像が置かれ、大衆が立つ背が西となって、ここに広目天像を建てれば、経典のとおりとなります。しかし、こうなりますと、多宝塔の後ろでは、像はよく見えませんし、何より、西側入り口の中央に像を置くことになってしまいますから、参詣にも都合が悪く、また、美を尽くせないことになります。この場合、そこで、45度これをずらして、奉安することで、この点を解消しているのが、一般的な建築の妥協でした。

日蓮聖人は、四角い料紙を大地に見立て、その四隅を東西南北の方角を与えることとまず考案されました。しかし、インドでは天子は東面、日本は天子は南面と、国風の相違があります。説法の釈尊もそのように方向を選んで座しておられるわけです。つまり、西側に座しておられるわけです。そこに涌現した多宝塔は、その釈尊に向かっているわけですから、西面となります。つまり、紙の四角(よすみ)に東西南北を与え、宝塔品を図式化しようとすれば、インドのしきたりに従えば、図される上側が東となります。
一方、日本では天子南面のしきたりがあります。ですから、上側が北になります。

日蓮漫荼羅は宝塔品を図示といいますから、西面となりますが、しかし、天照・八幡という国神も勧請されているわけですし、奉安様式は、南面でしょう。そうしないと国風に準じられないからです。つまり、宝塔は東側は、貴人は北側という相矛盾する二つの要素を孕むことになるわけです。
これを表化すれば

【宝塔涌現】
北(左上):毘沙、東(右上):持国
西(左下):広目、南(右下):増長
【日本国風】
西(左上):広目、北(右上):毘沙
南(左下):増長、東(右下):持国

となり、四大天玉の配置に相違が生じます。


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