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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

679顕正居士:2004/06/07(月) 17:31
日蓮宗にほぼ共通の三益論とは次のような考えであり、
http://www.hct.zaq.ne.jp/renjouji/ki.html
次のサイトに智学居士を引用していうように、釈尊の化導が在世の本門で一段落した意味です。
「一仏化導の種熟脱の三益が一段落をつげて、末法にあらためて下種されるのだから、後番の大化
である。即ち久遠元初の下種と、同じことになるのである。末法の初と久遠の昔と同じというのは、
そこにある」
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/renge.htm

三吉さんのおっしゃるご趣旨は理解できました。三益論は天台宗の教義ですが、釈尊の化導が在世
の本門で一段落し、正像二千年はさらにその落穂ひろいに過ぎないという教義は日蓮宗固有であり、
しかしその教義が日蓮の遺文に顕然かというと、必ずしもそうではないようにわたしにも思えます。

680空き缶:2004/06/07(月) 18:22

 皆様お久しぶりです。愚鈍凡夫さんお帰りなさい。

 中古天台と聖人法門の前後関係に関しては、現在神奈川県金沢文庫にて保管されている「授決円多羅義集唐決」是聖房写本が現存し、中古天台初期の文献といわれる「授決円多羅義集唐決」を17歳当時の是聖房が筆写していることからも、やはり中古天台が先ということは動かしがたいものと思われます。
 
 尚、「授決円多羅義集唐決」是聖房写本は、ほんの一部ではありますが、その写真が「図録 日蓮聖人の世界」に掲載されています。

681顕正居士:2004/06/08(火) 13:20
「本未有善」

この語自体は遺文に存在せず、「末法無戒」のたぐいです。では末法の始めの衆生の多数は久遠の
聞法下種がない人々だと述べた主要な遺文は何かといえば、おそらく『小乗大乗分別抄』でしょう。
http://www4.justnet.ne.jp/~bekkann/goso0520.html
「今は又末法に入つて二百余歳過去現在に法華経の種を殖えたりし人人やうやくつきはてぬ」

正像二千年には小乗、権大乗の教えで多くの人々が得脱した。
「過去に法華経の種を殖えたりし人現在に法華経を待たずして機すすむ故に爾前の経経を縁として
過去の法華経の種を発得して成仏往生をとぐるなり」(同抄)
*「雖脱在現具騰本種」 脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐ。
だから、末法の始め、それより二百余歳を経過した日蓮の時代には、久遠の聞法下種がある人々が
例外でないならば、当時も法華を直道と称し得ても、法華以外での得脱を否定する根拠を失います。

682れん:2004/06/08(火) 19:35
顕正居士さん。「本未有善」は既にご存じと思いますが、天台大師の法華文句巻十に「本已有善者釈迦以小将護之本未有善者不軽以大強毒之」が典拠です。蓮師真筆遺文では、「本未有善」の語彙は単独では使用されませんが、「曽谷入道殿許御書」に上記の法華文句巻十の本未有善云々の釈が引用されています。蓮師要文では石山蔵の「法華経第四等要文」や玉沢妙法華寺蔵の「注法華経」第七巻第一紙裏にもまた上記の法華文句巻十の本未有善の釈が記されています。ゆえに蓮師遺文に「本未有善」の語はみられずとは些か早計と存じます。右ご参考まで。

683れん:2004/06/08(火) 19:38
訂正。
誤、法華文句巻十に
正、法華文句巻十の

684顕正居士:2004/06/08(火) 21:19
れんさん。

「本已有善釋迦以小而將護之。本未有善不輕以大而強毒之」

この文章はたしかに法華文句の巻十にあります。そして『曽谷入道殿許御書』に引用されていること
を確認しました。おっしゃるように引用でもそのとおりの語があれば、遺文中に使われているという
べきでしょう。ありがとう御座いました。実は。

この文は『唱法華題目抄』にも引用されています。よく考えたら、『本未有善』で検索しても見つか
らない、「本未だ善有らざる」でさがさないといけなかったのです。

685犀角独歩:2004/06/08(火) 23:34

678 顕正居士さん:

有り難うございました。
たいへんに参考になりました。

反芻して考えてみれば、この師子関係を伝えるのは共に尊門。
厳正な歴史考証と言うより、相伝的な要素が多分に入り込んでいると考えたほうがよろしいのであろうと思いました。

686犀角独歩:2004/06/09(水) 16:00

れんさん:
顕正居士さん:

「本已有善釋迦以小而將護之 本未有善不輕以大而強毒之」

この文意は本(もと)已(すで)に善有る衆生には釈迦は小でこれを將護し、本未だ善有らざる衆生には不軽は大でこれを強毒するというわけですね。

文句に依れば、釈迦在世の法華会座衆生は本已有善であるという石山教学には当て嵌まらないことになりますね。「末法の荒凡夫」というのも、本未有善は威音王仏像法の不軽軽毀衆ですから釈迦末法の衆生の説明に持ってくるのは論理の飛躍となりましょうか。ここでいう大小と大乗・小乗のことを指すと思えますが、そうなると、三五塵を経た衆生は本已有善で小乗で脱、しかし法華を至極とする大乗は本未有善の種という釈義を採れます。
この点は如何なものでしょうか。

687愚鈍凡夫:2004/06/09(水) 21:41

>>680 空き缶さん、有り難うございます。

新しい方々も増えて、掲示板自体が活発になってきましたね。
小生もボケをかましながら、皆さんの邪魔にならぬように徐々にレスしていきたいと思います。
これからも、宜しくお願いします。
最近、ガンコさんのレスがないもので、漫才コンビの相手に不自由しています。
それでは。m(_ _)m

688空き缶:2004/06/09(水) 23:23

 愚鈍凡夫さん、ガンコさんは某日蓮正宗系掲示板にて、創価学会の沖浦さんとレス交換していました。

 ここ
 ↓
 http://hpmboard3.nifty.com/cgi-bin/bbs_by_date.cgi?user_id=VYC14456

 と

 ここ
 ↓
 http://8327.teacup.com/woman/bbs

 で、みかけました。

689ロッド:2004/06/11(金) 14:46
皆様。
質問をしておいていなくなってすいませんでした。また、心に響くような
お言葉をいただきまして本当にありがとございました。
あれから、家にいるのもいやになてしまい、顕正会の人ではない友達の家などを
てんてんとしておりました。
しかしこのままじゃいけないと思い、いくつかの事を、ここに書き込む以上の
勇気を振り絞って行動をしてみました。そのいくつかの行動と、その結果によって
、先日よりもわりとすっきりした気持ちでいます。
そのいくつかの事とは
※一緒に身延派寺院にいった先輩に、返答できなかったことに対して
 つっこみいれてみました。
先輩「そんなことないよ。別に答えるまでもなかったから。
   君はそんなこと気にしちゃ罰をうけるよ」だそうです。
それに対して私の正直な気持ち。
  「自分はこんな人についてきていたのか。」

※もう一度、先輩と行った寺院のお坊さんに会ってみようと行ってきました。
 行ったとはいえ、なかなか玄関には踏み込めず、境内をうろうろ
 していたら、墓の掃除をしていたその時のお坊さんに見つかりました。

お坊さん「おー!元気にしてるかい?またきてくれたんだね。とてもうれしいなあ。
     お?!今日は一人?」
私   「はい。」
お坊さん「それが大事なんだよ。最初の一歩を踏み出したね。」

後は普通の世間話を長々と。たぶん、そのお坊さん、私が来た理由を感じていたのかと
思っています。わざとこちらが聞くまで、顕正会のことも教義のことも触れないように
していたように思います。なんかまんまとだまされたような(いい意味で)

私の正直な気持ち「なんか、`だれか`よりもこの坊さんの方が信用できそう」
        
※入会以来、親子関係のなくなっていた親父と、一緒に酒飲んでみました。
 うれしそうに目を合わせずに飲んでいる親父を見て、なにかがふっきれたような。

※ここの過去ログ呼んでみました。ぐうの音も出ないというのはこのことかな。
 でも、そう感じられた自分がどこかうれしいような。それにしても
 私には難しくて、徐々に勉強していきたいです。

※顕正会の先輩などの呼び出し、全部無視してみました。
 留守電の内容がすごいのすごくないのって感じです。
 「おまえ、どうなるかわかってるんだろうなあ」みたいな。

こんな日記を皆様に聞かせても、どうでもいいよって言われそうですが、
私にとってはこの一週間は人生の大きな分かれ道であったように思っています
もので、どうしても皆様に言いたかったのです。
これから、日蓮大聖人様を、ゼロから、人に左右されないように
学んで行こうと思ってます。皆様に言われたように。
本当にありがとうございました。心から感謝します。
またお邪魔します。それでは。

690ロッド:2004/06/11(金) 14:48
独歩様。
ひとつ聞かせてください。
大石寺の歴代の方々が仙波で学んだことはなにかに残っているのでしょうか?

691犀角独歩:2004/06/11(金) 16:12

ロッドさん、よかったですね。
今のご決断にわたしは敬意を表します。

> 大石寺の歴代…仙波で学んだ…なにかに残っているのでしょうか?

この点について、過去に調べたことがあるのです。ところが、ここ1年の間に2度の大きなコンピュータトラブルに見舞われて、まとめた文書を失ってしまいました。取り敢えず、、だれでも手に入る『富士宗学要集』テキスト版からの検索結果を以下に示します。

『有師物語聴聞抄佳跡上』日因
「日時上人仙波学門なり」
「日影上人(下野平井園部御出生俗姓不知)日時上人に随順し出家学道す、武州仙波に台家を学び」

『富士門家中見聞(家中見聞下)』日精
『日時は仙波に於て修学の故に冨士に住せず」
「釈の日時、俗姓は南条、出家して良栄と号す、日行に随順し当家の諸書を学ぶ、後武州仙波に於て広く台家を聞く」
「日院伝…武州仙波に往いて実海の座下に於て広く修学」

あと、あまり使いたい資料ではないのですが、『新版 佛教哲学大辞典』(聖教新聞社 昭和60年11月18日発刊)このなかでも散見できます。
同書『発刊の辞』で秋谷さんは「(石山)大村寿顕教学部長を初めとして宗門教学部の方々に、大部の原稿に目を通し、種々ご指導をいただいた」(P5)とあるので、石山もその記述に責任を負う資料と言えようかと存じます。

やや曖昧な記憶ですが、上述以外、行師、阿師などたしかその関係にあり、有師はそれにさらに禅律師からの影響もありとのことでした。

雑駁な解答で恐縮です。
いま立て込んでおり、詳細に調べている暇がありません。ここ何日かは投稿は致せないところでしたが、ロッドさんの吉報に自宅に舞い戻り、取り急ぎ、解答させていただきました。

ともかくも「おめでとうございます」と申し上げるものです。

692管理者:2004/06/11(金) 17:39

ロッドさん

判断を組織や指導者の言に委ねることなく、自分で確かめてみる事、自分で判断してみる事、自分で考えてみる事。それは、管理者が、過去、独歩さんをはじめ、この掲示板に集ってくださった方とお話をさせていただく中で、やっと到達した方法論でした。今、ロッドさんが、その同じ方法論で突き進まれようとされている事、本当に嬉しく思います。この掲示板が一定の役割を担っているんだという感動を禁じえません。ご参加下さっておられる方々に心から感謝申し上げます。有難うございます。ロッドさんはじめ、御参加の皆様、これからもよろしくお願いいたします。この掲示板は、皆様方お一人お一人の為の掲示板です。思う存分活用してくださる事を望んで止みません。

693ロッド:2004/06/11(金) 17:41
独歩様
>ともかくも「おめでとうございます」と申し上げるものです
なんとありがたいお言葉かと泣けてきそうです。
でも、すっきりした気持ちもありますが、今まで何をやってきたのかと
自己嫌悪に陥りそうです。特に親に対する申し訳なさでしょうか。
でも、独歩様のお言葉、本当にありがたいです。
感謝します。

>雑駁な解答で恐縮です
とんでもありません。
私でもよくわかりました。ちゃんと資料があるんですね。
今はこういったことを聞いても頭にこなくなっている自分がいます。
素直に「ホー」「ヘー」とうなずけます。トリビアのようです(笑い)

>いま立て込んでおり、詳細に調べている暇がありません。
 ここ何日かは投稿は致せないところでしたが、
 ロッドさんの吉報に自宅に舞い戻り、取り急ぎ、解答させていただきました

本当にありがとうございます。本当にうれしいです!!
お忙しいところなのに(感動の涙)です。

またお時間があったら教えてほしいことがあるので是非お願いします。
過去ログを見て皆さんの知識に圧倒されています。おそらく顕正会の
仲間達は全くわからないかもしれません。その程度でしか教えられていませんから。
私にはこれといった資料もないですし、情けない話です。
またいろいろ教えてください。お願いします。

694ロッド:2004/06/11(金) 17:48
管理人様まで心温まるお言葉感謝致します。
>この掲示板は、皆様方お一人お一人の為の掲示板です

顕正会員全員に見せたいくらいです。

皆様にお聞きしたいのですが、先日ご質問しました、本尊抄の
「彼は脱・・・」のところですが、皆様にお答え頂いたのですが
私には難しすぎてちょっとわかりにくいのですが、無知すぎる自分が情けないですし、
こんな低レベルな話をして申し訳ないのですが、

私のような小学生レベルで言うなら、
あそこにある「脱」とは、脱け殻とかいう脱ではなくて、「解脱の脱」と
いうことでしょうか。それを顕正会等では「意味のないもの」と
教え込んでいるということでしょうか?

695空き缶:2004/06/11(金) 18:53

 犀角独歩さん、こんばんは。

 > 大石寺の歴代…仙波で学んだ…なにかに残っているのでしょうか?
 
 についてですが、以前、独歩さんとれんさんの問答の中で、日時上人「四帖見聞」について論議されたことを思い出しました。

 この「四帖見聞」については、時師真筆不伝の上、写本も残っていない為確認のしようがありませんが、時師の仙波談林での向学が史伝に明らかであるならば、「四帖見聞」は中古天台で四帖抄と呼ばれ、現在の大石寺教学とも大きな隔たりが感じられない「修禅寺決」の聞書きかもしれないと想像しています。
 
 ただし「修禅寺決」では、観念観法の修法を通常の行とし、唱題行は臨終の間際に行うものとしていたと思います。(違いましたっけ?)
 
 チョッと前に話題になった、「五戒口決伝授」以来、中古天台法門への関心を新にした次第です。
 と、いうことでこの話題にのって中古天台に関し、独歩さんの知識を伝授いただこうかと思いましたが、お忙しいようですね。出版の関係でしょうか。

696ロッド:2004/06/11(金) 23:31
管理人様
もうひとつお伺いしたいのですが、大石寺の歴代の、
日興聖人様から今の阿部氏までの歴代の法主が示されている書籍を
紹介頂けませんか?

実は、有名どころ(日有上人・日寛上人)くらいしかい、名前と、
年代とか何世だとかがわからないのです。
せっかく皆様がお教え下さっているのですが、それがわからないと
時代性がつかめないでおります。
どうか教えてくださいませ。

697問答迷人:2004/06/12(土) 06:03

>日興聖人様から今の阿部氏までの歴代の法主が示されている書籍

大石寺発行の「冨士年表」に歴代が載っています。正信会のnbさんの資料室で公開されています。ダウンロードも出来ますよ。

http://nakanihon.net/nb/hujinennpyou/hujinennpyoumokuji.htm

699犀角独歩[TRACKBACK]:2004/06/12(土) 10:48

ロッドさん:

横レス、失礼します。

> 「脱」とは、脱け殻

これは逆でしょうね。抜け殻ではなく、いわば、むしろ脱皮した本体のほうでしょう。

脱=解脱という点については先に三吉さんが668で触れられていましたね。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1015573970/r668

初期天台文献で見ると『金光文句』に「下種成熟解脱」とあり、そのことが裏付けられます。

> 歴代の法主が示されている書籍

このご投稿を拝見して、顕正会の勤行では『過去帳』を用いないこと、また、歴代諸師命日報恩祈念をなさないことが知られました。
石山の坊さんであれば、小僧さんの時に「蓮興目道行時阿…淳達顕」と67代を暗記することは誰しもやることです。また、朝晩の勤行で報恩観念をするうえで歴代の名を読み違える人は法華講員でも少ないでしょう。日寛を「にっかん」なんて読んでいれば、「ああ、学会か、顕正会だな」と言われるわけです。
これは別段、勤行の在り方の是非を論じるものではなくて、石山僧俗であれば、その歴代命日は大方は頭に入っていることです。まあ、こうして歴代諸師と僧侶への尊敬が養われていくということです。

在家集団は勤行は自分のため、伝統集団は当然のこととして仏祖三宝と広宣流布のため、この初めの一歩から、心がけが違っています。

「書籍」と言えるかどうか…、ですから、石山の『過去帳』には歴代全員が乗ることは当然のことで、信者宅の仏壇にも必ず常備されます。

ここで、その全体を挙げられるわけもありませんので、問答さんがお示しくださった『富士年表』の冒頭に掲載される石山歴代の一覧表を付して置きます。http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/sekizan_rekidai.jpg

なお、記される命日の元号から直ちに西暦を想起される人は少ないと思います。その対照表は以下のとおりです。ご参考ください。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/nenkihyo.html

…上述の如く紹介するからと言って、石山歴代諸師を全面的に肯定しているわけではありません。まあ、断るまでもないですが(笑)

やや余談ですが、ロッドさんがお会いになった神奈川の延山のお坊さん、私の知り合いではないのか?と想像しています。名字「O」師という方ではありませんか。あ、具体名はアップしないでください。プライバシーに関わりますからね。

700犀角独歩:2004/06/12(土) 10:56

空き缶さん:

> 四帖抄…「修禅寺決」の聞書きか

ほお、これはなかなか。
『四帖抄』と言えば、隆師と相場が決まっている、そんな議論をれんさんとさせていただいたのでした。懐かしいですね。

> 唱題行は臨終の間際に行う

臨終正念のことでしょうか。

> 「五戒口決伝授」…中古天台に関し、独歩さんの知識を

いやいや、これは顕正居士さんをはじめ、川蝉さんん、また一字三礼さなど皆さんのほうがお詳しいでしょう。石山の濫用に関してはわたしは饒舌ですが(笑)

> お忙しいようですね

済みません、詳しくかけず。ちょっと体調が優れないところに、その他いろいろとという状態です。改めて、ちゃんとレスさせていただきます。

701地名:2004/06/12(土) 11:09

ロッドさん


「法華経を 我が得しことは 薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし」

「雪深・朝には・向嵐・薪拾・深谷・氷厚・夕・凌寒・水をくみ
菜ヲ摘ては・知・飛花落葉・無常
菓拾ては・願・阿褥菩提・仏果、
年々修行・誠銘・求法之肝 日々学問・功洗・利生之眼
昼・頭戴水木・頂上・既・くぼくなり
夜・以身・為床座・常随給仕・玉、
雖然・勤行・学問・をこたり・玉はず」

上記は、昔、独歩さんに教えてもらった言葉です。
ご参考にしていただければ幸いです。

ロッドさん、顕正居士さん、三吉さん、独歩さんは仏教に関しては最高水準にある方々です。
ですから、わざわざロッドさんのために解説してくださった「観心本尊抄」の「彼脱此種」の部分は、何度も何度も読まれるとよいと思います。
「穴の開くほど読め」(眼光紙背に徹す)というのは日蓮正宗65世日淳上人の言葉でした。
私も顕正居士さん、三吉さん、独歩さんの記された部分を何回も読みますから、ロッドさんも何回も何回も読んでください。
読んで、わからない部分は仏教辞典等で確認し、また読んでください。短い文章ですからお三方の文章を書写してみてはどうでしょうか。
そうすると、お三方のお考えが少しはわかるかと思います。
その上で、わからない部分についてお三方にご質問なされるとよいと思います。

702空き缶:2004/06/12(土) 20:14

犀角独歩さん、お忙しい中の返レスありがとうございます。

>臨終正念のことでしょうか。

私は極めて単純に「修禅寺相伝私記 一心三観・心境義 四帖内一」(伝最長撰)の「平安の時には知識に値遇して、妙法蓮華経とは即ち一心の三諦なり、諸仏の内証なりと解達し、臨終の時には南無妙法蓮華経と唱ふ。」(岩波書店 日本思想体系 天台本覚論P46)を思い浮かべただけなんですけど、「一心三観」の考え方はチョッと違っていました。
あくまでも臨終一心三観の行法として唱題を勧めているのでありました。

703犀角独歩:2004/06/13(日) 00:34

空き缶さん:

いま手元に資料がなく、ちゃんと確認できないのですが、「四帖内一」というのは、何を意味するのでしょうか。

704空き缶:2004/06/13(日) 10:09
独歩さん、「四帖内一」とは、四帖の内、第一番目の抄ということです。

705犀角独歩:2004/06/13(日) 10:25

空き缶さん、質問の仕方が悪かったですね。

「帖」は1冊に和綴じした単位を言いますよね。ですから、四帖と言えば、四冊の本を意味しますでしょう。それが『四帖抄』となれば、四分冊の著述ということですね。ですから、ここでいう「四帖一」の一帖、つまり1冊にまとめられたものは何でしたっけ?、と。

『天台本覚論』はもはや絶版で、古書ではかなり高価です。わたしは近隣の図書館にあったものですから借りて、それこそ、目を皿のようにして読んだのですが、いま手元にないのです。そんなことからの質問でした。

もう少し具体的に記すと、「修禅寺相伝私記 一心三観・心境義 四帖内一」とは「『修禅寺相伝私記』の「一心三観・心境義」四帖の内の一つ」。つまり、『修禅寺相伝私記』は四帖本で、その内の第一帖が「一心三観・心境義」を記したものという意味であったかどうか。まあ、仕様もないことを聞いていますが、れんさんとの議論でも出たとおり「四帖」は石山でも言われ、隆門でももちろん言われます。四帖という体裁に何か特別な意味があるのだろうかと漠然と疑問に思っているので、ちょっと、お聞きしたわけです。

706空き缶:2004/06/13(日) 16:50

犀角独歩さん、「修禅寺決」四帖の内題は以下の通りです。

四帖内一:「修禅寺相伝私記」一心三観・心境義
四帖内二:「修禅寺相伝私記」止観大旨
四帖内三:「大教縁起口伝」法花深義上
四帖内四:「大教縁起口伝」法花深義下

隆門での四帖は、隆師の勝劣義デビュー作ですが、隆師は四帖抄から晩年の本門法華経弘教抄百十三巻の完結までに3千余帖の著作を残されたと伝えられていますね。
手ごろな価格で手に入る隆師の著作としては、仏立研究所より3千円で出ていた「法華宗本門戒体見聞」がありますが、こちらは三帖抄と呼ばれています。
日蓮宗宗学全書掲載の「私新抄」は十三巻、「十三問答抄」が上下二巻からなっていますので、隆門的には「四帖」への深い意義は感じられないと思われます。

707顕正居士:2004/06/13(日) 19:40
>>663で上野殿御返事(与南条七郎次郎)の「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし」は
西方願生に関してであろうと述べました。薬王菩薩本事品に有名な経文があります。
「若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人あって是の経典を聞いて説の如く修行せば、
此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の
宝座の上に生ぜん」
この経文は薬王品得意抄(与上野時光妻)に全文引用されており
「女人の往生成仏の段は経文に云く。若如来滅後。後五百歳中。若有女人。聞是経典。如説修行。
於此命終。即往安楽世界。阿弥陀仏。大菩薩衆。圍繞住処。生蓮華中。宝座之上等云云。 問て曰く、
此経此品に殊に女人の往生を説く何の故か有るや。答て曰く、仏意測り難し、此の義決し難きか
(下略)」
法華初心成仏抄(与岡宮妙法尼.)にもこの質疑が見えます。
「問て云く即往安楽世界阿弥陀仏と云云、此の文の心は法華経を受持し奉らん女人は阿弥陀仏の
浄土に生るべしと説き給へり。念仏を申しても阿弥陀の浄土に生るべしと云ふ、浄土既に同じ、
念仏も法華経も等(ひとし)と心え候べきか如何。答て云く、観経は権教なり法華経は実教なり
全く等しかるべからず(下略)」
「即往安楽世界」の経文にはなかなか困ったようで、
弥三郎殿御返事には「若しさる経文有りと申さば(下略)」とあり、三師御伝土代には伊勢法印
が徒党を率いて問答をしかけたという伝説があります。
「大聖仰に云く卿公問答せよと云云、ときに日目上人廿三才すなはち御問答十重あり、第一即往
安楽世界阿弥陀仏なり(以下略)」
それで例の上野書では日蓮聖人もいささか切れるところがあって、「日蓮が弟子等の中になかなか
法門しりたりげに候人人はあしく候げに候」、「此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゆしき
ひが事なり」、遂に「法華経もせんなし」(薬王品に即往安楽世界の経文があろうとも)と述べた
のだろうと推測します。

708ロッド:2004/06/13(日) 20:40
皆様
今日はじめて、ここの過去ログの大御本尊様に関するところを見ていました。
始めて聞いたことばかりで、今も少し動揺しています。
五月以来、大聖人様が御本仏ではないとの話を聞くことができたことから
何か夢から覚めたようで、すっきりした気持ちになったのは事実でした。
でも、大御本尊様(もうこういう呼び方もできなくなりそうで・・・)の
ことは、浅井先生のご指導をそのまま信じていましたので『これもかい!』と
いう呆れた気持ちと、『なんでやあ』というショックと、なにかいろんな
感情が入り交じってとても複雑な気持ちです。
しかし、ゼロから学ぼうと決めた以上、その道を自分なりにゆっくりですが
進んでいこうと思うように複雑な感情を今は一生懸命抑え込んでます。

709ロッド:2004/06/13(日) 21:02
独歩様
お忙しい中教えてくださり本当にありがとうございます。

>これは逆でしょうね。抜け殻ではなく、いわば、むしろ脱皮した本体のほうでしょう

 なるほどです。つまり、顕正会では脱け殻のごとく教えて意味のないもの
 のようにしているけれども、それはただのこじつけ的レベルなのですね。

>顕正会の勤行では『過去帳』を用いないこと、また、
 歴代諸師命日報恩祈念をなさないことが知られました

全く仰せの通りだと思います。少なくとも私の周りの人達は触れもしないことでした。
昔の御歴代の方々のことを絶対敬語で褒め称えてはいるけれども、
報恩などの大事なことはしないという矛盾を独歩様に言われてから
感じています。

富士年表のことを示してくださりありがとうございました。

>ロッドさんがお会いになった神奈川の延山のお坊さん、私の知り合いではないのか?と
 想像しています。名字「O」師という方ではありませんか

ちょっとびっくりしてます。私、市町村まで言いましたっけ?
もしかして独歩様は身延の僧侶なのですか?と思ったら、過去ログ見ましたら
違うのですね。独歩様のお知り合いの人かはわかりませんが、『O』の字が
ついていました。その後の字は、私は読めませんでした。
なんで字を見たかというと、いきなりその僧侶は名刺を出したのです。
今思えば、私の先輩がその時点でかなり動揺していたのを思い出します。
なぜかと言うと、その先輩の口癖の一つで、『身延の坊主は我々を恐れている』
というのがありました。
だからその先輩、身延寺院に行くと『名前を教えろ』とか『名刺をくれ』とか
すぐに言うんです。(こんなこと書いたら先輩達に私だってばれそうで怖いです)
そうすると、身延の人はもちろん名刺なんかだしたことなかったわけで。
その後の先輩のコメントは言わずともわかりますよね。『ほらな』と。
そしたら向こうから名刺をだされてしまって、目が泳いでいました。
その名刺をぱっと見て、『O』の字がつく漢字ははっきり見えました。
先輩が持ってかえってしまったので今はまた会いに行かないと名前はわかりません。
それにしても驚いています。なんで独歩様はそう思われるのか。
でも、なんとなく独歩様の『O』さんと違うような。

とにかく、お忙しところ教えてくださりまして本当にありがとうございました。

710ロッド:2004/06/13(日) 21:10
地名様
お忙しい中ご指導頂き本当にありがとうございます。

>その上で、わからない部分についてお三方にご質問なされるとよい

そうですね。あまりに低レベルな質問で失礼でありました。反省致します。
なんか、古文と言っていいのかわからないのですが、昔の書を見ると
最初からわからないという固定観念があるみたいで・・・・
努力精進していきたいと思います。

こう言っておいて、『それがいけないんだ』って言われそうですが

>「法華経を 我が得しことは 薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし」


「雪深・朝には・向嵐・薪拾・深谷・氷厚・夕・凌寒・水をくみ
菜ヲ摘ては・知・飛花落葉・無常
菓拾ては・願・阿褥菩提・仏果、
年々修行・誠銘・求法之肝 日々学問・功洗・利生之眼
昼・頭戴水木・頂上・既・くぼくなり
夜・以身・為床座・常随給仕・玉、
雖然・勤行・学問・をこたり・玉はず」

これをわかりやすく教えて頂けないでしょうか。意味がわかるものも
あるのですが、レベルの低い私をお許し頂いて教えてくださったら幸いです。
また、これはなんという書なんでしょうか。お願い致します。

本当にすいません。お許し下さい。

711ロッド:2004/06/13(日) 21:13
問答名人様
始めましてです。ご紹介頂きまして本当にありがとうございました。
今後ともご指導のほどお願い致します。

712れん:2004/06/13(日) 21:54
独歩さん。一週間前から風邪のため返答できずにいました。>686、文句の文意は独歩さんの言われる通りと存じます。蓮師自身は寺泊書に文永八年の幕府からの弾圧という自らの宗教体験を踏まえて「日蓮即可為不軽菩薩」と記して自らを不軽に擬しました。曽谷抄には「今既入末法在世結縁者漸々衰微権実二機皆悉盡彼不軽菩薩出現於末世令撃毒鼓之時也」とあり釈尊末法の衆生を本未有善と定義している様にも見え、石山のいわゆる釈尊末法の衆生=本未有善、釈尊在世の衆生=本已有善とする教学そのものは蓮師の教学に由来するとみるのも可能かと思います。

713顕正居士:2004/06/13(日) 23:23
三益論

「今日の末代衆生はそうした釈尊の慈愛を知らない不孝・不知恩の謗法逆機であり、三五の下種
を忘失した失心者であると見なされるのが聖人の立場である。特に『観心本尊抄』(『定遺』七
一六頁)では、寿量品の良医治子喩をほぼ全文引用して法華経の弘まる時機について論じられ、
「不失心」とは在世の機根であり、久遠の本時に聞法下種され、あるいは三千塵点劫の昔に大通
結縁された本已有善の者で、今番爾前四味および法華迹門によって成熟され今番法華本門で得脱
したが、これに対して「失本心」とは滅後末法の機根であり、過去下種結縁なき、あるいは過去
下種忘失の本未有善の者であると定められたのである」(高森大乗師)
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/subcontents14.html
三吉さんがおっしゃったような方面が遺文にはあるから「過去下種結縁なき、あるいは過去下種
忘失の本未有善の者」と書かれているのでしょう。三益論(化道始終不始終の相)は迹門にある
化城喩品の説話がもとですから、日蓮宗の教学からは「文在迹門義在本門」(百六箇抄)で、
ややこしくなるでしょう。なお、天台学では下種には成仏の種を下すと調停(成熟)の種を下す
と二種があるとするようです。
「之二付キ種熟脱ノ三時ト云コトアリ、即チ下種ト成熟ト得脱トナリ。其下種ニ二アリ一ニ成仏
ノ種コレハ円教成仏ノ種子ナリ二ニ調停ノ種コレハ八教ノ中ニ於テ円教ノ一ヲ除キ余ノ七教ノ
種子ナレハ釈迦如来三千塵点劫ノ昔シ成仏ノ種ト調停ノ種トヲ所化ノ衆生ヘ下シテ置キタマヒタカ
化源トナリテ其下種以後乃至今世ノ初頓華厳ノ会座ヨリ般若ノ時マテノ化導ハ他ノコトニ非ス昔シ
大通智勝仏ノミモトニ於テ円教成仏ノ種ト余ノ七教調停ノ種トヲ下シテアル此八教ヲ説クヨリ外
ナシ此ノ八教ノ中ニ於テ根性ノ先キニ熟シタル者ニハ円教ヲ説イテ得脱令メ未熟ノ者ニハ余ノ七教
ヲ以テ成熟令メ其長ノ間ノ成熟ニヨリ所化ノ根性カ融会シテ遂ニ法華ノ会座カ開ケテ十界皆成仏ノ
利益ヲ得ル其時ニ世尊如昔我所願今者已満足ト出世本懐ヲ顕シタマフ」
吉谷覚寿著『天台四教儀集註略解』の「二 教相三意」明治31年から
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40046315&VOL_NUM=00000&KOMA=14&ITYPE=0
*調停ノ種−「結縁已後、退大迷初、故復更於七教之中、下調停種」(『法華玄義釋籤』巻第二)
(結縁ヨリ後、大ヲ退シテ初ニ迷フ、故ニ復タ更ニ七教ノ中ニ於テ調停ノ種ヲ下ス)

714ロッド:2004/06/14(月) 21:31
顕正居士様
今ずっと顕正居士様が教えてくださったこと読んでいました。難しいですけど、
なんべんも繰り返し読んでみたいとおもいます。ありがとうございました。
それにしても自分が何も知らないことがわかり、なんとも恥ずかしい気持ちでいます。
僕は何を信じていたんだろう・・・

715地名:2004/06/14(月) 21:51

710 ロッドさんへ

お返事遅くなりまして失礼いたしました。

>昔の書を見ると最初からわからないという固定観念があるみたいで・・・・

大丈夫ですよ、みんな始めは同じですから。

>「雪深・朝には・向嵐・薪拾・深谷…
>これをわかりやすく教えて頂けないでしょうか。意味がわかるものもあるのですが、レベルの低い私をお許し頂いて教えてくださったら幸いです。
>また、これはなんという書なんでしょうか。お願い致します。

これは、「申状見聞私」保田妙本寺十四世日我上人(1508-1588)編著の中に記されています。
その中の「一 日目御縁起の事」にあります。

「…高山に雪深き朝には嵐に向かいて薪(たきぎ)を拾い(ひろい)、深谷に氷厚き夕べには寒を凌ぎ(かんをしのぎ)水を汲み(くみ)、菜を摘みて(なをつみて)は飛花落葉(ひけらくよう)の無常(むじょう)を知り、菓(このみ)を拾いて(ひろいて)は阿耨菩提(あのくぼだい)の仏果を願う。年々修行の誠は求法の肝に銘じ(きもにめいじ)、日々学問の功(こう)は利生(りしょう)の眼を洗い、昼は頭(こうべ)に水木を戴(いただ)きて頂上既に(すでに)くぼくなり、夜は身を以(も)って床座となし常随給仕(じょうずいきゅうじ)したまう。然(しか)りと雖も(いえども)勤行学問怠り(おこたり)たまわず。御こうべ(頭)の凹事(くぼむこと)、御行体の謂(い)われなり。…」「日目上人」継命新聞社、平成10年4月発行、P297

上の「日目上人」のP23では「…左京日教師(さきょう・にっきょう)の「五段荒量」(ごだんあらまし)には「上代行体をなし給うに日目上人は御頭の頂き平らかに御座す」(「富士宗学要集2-296)と簡潔ではあるが示されている。これは日目上人が水を汲み、薪を拾うに際して、頭に桶(おけ)をおいて谷に下り、峰に上る日々を送られたがために「御頭の頂き平らか」になったことを示したものである。…」

http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu4_5.htm

716地名:2004/06/14(月) 22:24

ロッドさんへ

「法華経を 我が得しことは 薪こり 菜つみ水くみ つかへてぞえし」については、以下をご参考まで…。

提婆品には釈尊の前身について次の如く説かれています。
「釈尊が嘗て大国の王であった時、阿私仙人を師として仕え、その仙人について山の中に入り、木の実を採り、水を汲み、薪を拾いなどして食事の用意をした。寒い夜などは自分の身を椅子代りにして仙人に掛けさせ、かくして仙人に仕えること一年や二年どころではない、実に千年の長きに及んだ。而も常に心に深く妙法蓮華経を信じていたから、途中であきて止めることをしなかった。そして遂にこの法華経を悟って成仏することが出来た。その時の大王は今の釈尊であり、その時の仙人は今の提婆達多であると経文に見えます。
以上の経意を行基菩薩という方が一首の歌に詠んでいます。

○法華経を我が得しことは薪こリ菜つみ水くみつかへてぞ得し

釈尊になぞらえて宗祖は身延で自ら提婆品の経文を色読して、身に実践せられ、山に入っては薪を採り、谷川におりては芹を摘み、田畑さへ耕された。宗祖が自ら範を示されたので、日昭、日朗、日興、日向、日持、日頂の六老僧もその労役に従った。身延に今なお残る「六老畑」がそれであります。

http://www.hokkeshu.com/hoto/045/045_minobu.htm

妙法蓮華経提婆達多品第十二
時有仙人。来白王言。我有大乗。名妙法蓮華経。若不違我。当為宣説
 時に仙人あり、来って王に白して言さく、
 我大乗を有てり、妙法蓮華経と名けたてまつる、若し我に違わずんば当に為に宣説すべし。
王聞仙言。歓喜踊躍。即随仙人。供給所須。採果汲水。拾薪設食。乃至以身。而作状座。身心無倦。于時奉事。経於千歳。為於法故。精勤給侍。令無所乏。
 王、仙の言を聞いて歓喜踊躍し、即ち仙人に随って所須を供給し、果を採り、水を汲み、薪を拾い、食を設け、乃至身を以て状座と作せしに、身心倦きことなかりき。時に奉事すること千歳を経て、法の為の故に精勤し給侍して、乏しき所なからしめき。
爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく
 我念過去劫 為求大法故
  我過去の劫を念うに 大法を求むるをもっての故に
  雖作世国王 不貧五欲楽
 鐘椎告四方 誰有大法者 若為我解説 身当為奴僕
  世の国王と作れりと雖も 五欲の楽を貧らざりき
  鐘を椎いて四方に告ぐ 誰か大法を有てる者なる
  若し我が為に解説せば 身当に奴僕と為るべし
  時有阿私仙 来白於大王 我有微妙法 世間所希有
 若能修行者 吾当為汝説
  時に阿私仙あり 来って大王に白さく
  我微妙の法を有てり 世間に希有なる所なり
  若し能く修行せば 吾当に汝が為に説くべし
 時王聞仙言 心生大喜悦
 即便随仙人 供給於所須 採薪及果鞐 随時恭敬与
 情存妙法故 身心無懈倦 普為諸衆生 勤求於大法
  時に王仙の言を聞いて 心大喜悦を生じ
  即便仙人に随って 所須を供給し
  薪及び果・を採って 時に随って恭敬して与えき
  情に妙法を存ぜるが故に 身心懈倦なかりき
  普く諸の衆生の為に 大法を勤求して
 亦不為己身 及以五欲楽 故為大国王 勤求獲此法
 遂致得成仏 今故為汝説
  亦己が身 及び五欲の楽の為にせず
  故に大国の王と為って 勤求して此の法を獲て
  遂に成仏を得ることを致せり 今故に汝が為に説く
 仏告諸比丘。爾時王者。則我身是。時仙人者。今提婆達多是。
 仏諸の比丘に告げたまわく、爾の時の王とは則ち我が身是れなり。時の仙人とは今の提婆達多是れなり。

717鎌龍:2004/06/15(火) 15:57
ロッドさん、皆さん始めまして。ロッドさん、あなたの勇気に感動してます。先輩について折伏活動していたということはまだお若いのかなと勝手に想像しております。あなたは自分の勇気で光り輝く未来を切り開いたんですね。がんばれロッドさん。陰ながら応援してます。

718鎌龍:2004/06/15(火) 16:08
ロッドさん。追伸。 教学もゼロからがんばるとのこと。ガッツポーズです、はい。教学もいいけど、お父さんとの晩酌、ご家族とのふれあいも忘れないでくださいね。それも日蓮さんの教えの一つですから。家族を悲しませること程不幸なことはありません。でも、仏教の大切なところは、日々反省をし、またそこから歩き始められるということです。ロッドさんの大いなる決断はまさに今、歩き始めたということです。生意気言いました。 フレーフレーロッドさん!

719鎌龍:2004/06/15(火) 16:15
晩酌は日蓮さんの教えではありませんね《笑》

720鎌龍:2004/06/15(火) 16:19
管理人さんへ。始めてなのに、管理人さんにご挨拶を忘れておりました。すいませんでした。礼拝。

721管理者:2004/06/15(火) 17:53

鎌龍さん

管理人への挨拶は不要です。初めての方は、自己紹介スレッドにて自己紹介をしていただけると幸いに存じます。

722鎌龍:2004/06/15(火) 18:17
管理人さん。すいませんでした。今、携帯で見てるので大変なんですが(回りにパソコンがないもので)皆さんのレス拝見してますが、すごいの一言です。それに、ふざけた中傷目的な人もいませんし、管理人さんの人徳かと敬意を表します。またお邪魔します。ありがとうございました。

723地名:2004/06/15(火) 21:16

ロッドさんへ

用語の説明は以下のとおりです。ご参考までです。

「阿耨菩提(あのくぼだい)」
梵語(サンスクリット語)「アヌッタラ・サムヤク・サムボーディ」の音訳。
漢訳は「無上正等覚」他、「無上正真道」、「無上正遍知」等々。
省略して「阿耨菩提(あのくぼだい)」とも言われる。
この上なくすぐれ、正しく平等円満である仏の悟りの智恵の意味。

あのくたらさんみゃくさんぼだい 【▼阿▼耨多羅三▼藐三▼菩▽提】
〔梵 anuttara-samyak-sa bodhi 無上正等正覚、正覚などと訳す〕仏の悟り。一切の真理をあまねく正しく知る仏の智慧。最高の悟り。


利生(りしょう)
1.仏教の言葉。ためになること。法力によって恩恵を与えること。自らを益するのを功徳(くどく)、他を益するのを利益という。
2.神仏の力によって授かる利福。利生(りしょう)。「ご利益」

724地名:2004/06/15(火) 21:23

ロッドさんへ

「法華経を我が得しことは薪(たきぎ)こり菜つみ水くみつかへてぞ得し」(拾遺1346)は、行基菩薩の作です。

行基 ぎょうき 天智七〜天平二十一(668-749) 略伝については、

飛鳥時代に生まれ、主に奈良時代に活躍した高僧であるが、歌は万葉集をはじめ上
代文献には記録されていない。初出は平安時代中期の拾遺集になる。以下、勅撰集
入集は計七首。『今昔物語』『十訓抄』『古事談』などにも、逸話と共に行基作の
歌を伝えている。

大僧正行基詠みたまひける (二首)

法華経を我が得しことは薪(たきぎ)こり菜つみ水くみつかへてぞ得し(拾遺1346)

【通釈】法華経の教えを私が得たのは何故かというに、前世において薪を樵り、菜を摘み、水を汲んで、阿私仙に仕えて得たのである。


【補記】法華経「提婆達多品」を踏まえる。釈迦は阿私仙という仙人に仕えて法華経を習得したという。この「我」は釈迦の立場に立って言う。

【主な派生歌】
薪こり峰の木のみをもとめてぞえがたき法は聞きはじめける(俊成[玉葉])

水や汲まむ薪や伐らむ菜や摘まむ朝の時雨の降らぬその間に(良寛)

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/gyouki2.html

「拾遺集」の中の1346に「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水くみつかへてぞ得し」にあります。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/hatidai/syuui_s.html

惜しからぬこの身ながらも限りにて薪尽きなむことの悲しさ】(4-283)
『源氏釈』は「法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷
一三四六、
大僧正行基)「菓(このみ)を採り水を汲み、
薪を拾ひ食(じき)を設け」(法華経、提婆達多品)「薪尽て火の滅するが如
し」(法華経、序品)を指摘。
「この身」に「菓(このみ)」を掛け、法華経の経文を暗示する。

【薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法ぞはるけき】(4-283)
明石の御方の返歌。
「于時奉事、経於千歳」(法華経、提婆達多品)。
「薪尽きなむ」を「薪こる」、
「この身」を「この世」と言い換え、「限り」を「はるけき」と長寿を寿ぐ歌にし
て返す。
『異本紫明抄』は「あまたたび行き逢ふ坂の関水に今はかぎりの影ぞ悲しき」(栄
華物語、
鳥辺野)「年を経て行き逢ふ坂の験ありて千年の影をせきもとめなむ」(栄華物
語、鳥辺野)を指摘。
拾遺集(しゅういしゅう)
拾遺集は、花山院の命により、1005年(寛弘 2年※推定)に完成された勅撰
和歌集です。選者は明確ではありません。
歌数は1351首にのぼり、その名の通り『古今集』『後撰集』から外れた歌を
拾う意味で『拾遺集』となった様です。

725地名:2004/06/15(火) 21:36

ロッドさんへ

鎌龍さんからの暖かい励まし、良かったですね。

独歩さんからもロッドさんへ、以下の掲示板をお知らせしてくださいとのことですので、お伝えいたします。

「法華経について」の24-27に行基菩薩の和歌のことが述べられています。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/hokekyou.htm

726ロッド:2004/06/15(火) 22:49
地名様
いつもご丁寧に教えてくださりまして本当にありがとうございます。
やっぱりそうです法華経からですよね。日蓮大聖人様も数多く仰せのことを
なぜ顕正会も他の富士門家も軽視するのか、今は不思議に思っています。
でも勤行では読ませる。今思えばなぜ不思議に思わなかったのか・・・

>提婆達多品

一生懸命読んでみます。地名様が教えてくださったことすごくわかりやすかったです。
本当に感謝しています。

今、なんで僕は顕正会に入ろうと思ったのだろうと考えています。
私はどこかで親のせいにしていました。
僕は今まで五回も引っ越しをしてます。全国各地に。その中で親父は仕事ばかりで
相手にされず、オカンは勉強・勉強。
顕正会のことも、親に反対されても、どっかで『おまえらが悪いんや!』って
ずっと思っていたのかもしれません。それが、顕正会の間違いに気づかなかった、
というより、気づこうとしなかった原因かなあって思ってます。
二回目に身延のお坊さんにあった時、私の親のこととか話したら言われました。

お坊さん「君の親御さんは顕正会に入ってること賛成なのかい?』

    『いいえ。今勘当みたいな感じです』

お坊さん『そっか。大聖人のことは好きかい?』

    『もちろんです』

お坊さん『大聖人はご両親を悲しませたことがあると思うかい?
     出家されたんだから、寂しがらせたことはあったかもしれない
     でも、悲しませてはいないよ。
     一番近くにいた家族を悲しませて、なにが日蓮大聖人様かって』

そう言われた時、『ハッ』としたような気がします。
きっと法華経って『地獄』とか『罰』とかじゃなくて生き方なんですよね?
今は心から一生懸命勉強したいです。
またいろいろ教えてください。お願いします。本当にありがとうございました。

727ロッド:2004/06/15(火) 23:13
鎌竜様
本当に泣きそうなお言葉ばかりで感動してます。

>仏教の大切なところは、日々反省をし、
 またそこから歩き始められるということです

本当にこのお言葉に泣きそうになりました。仏教ってそうなんですよね?
絶対そうなんですよね?地獄とか罰とかって関係ないんですよね?
鎌竜様のこのような言葉を、なんかずっと待っていたような気がしてます。
鎌竜様もやはり富士門流から変わられたかたなのでしょうか?なんかツボにはまりました。

>お父さんとの晩酌、ご家族とのふれあいも忘れないでくださいね。

はい!反省して変わることが大事ってことですよね?そうしようと思ってます。

>それも日蓮さんの教えの一つですから

はい!今はそう思ってます、というかそう思いたいです。
それを自分で学んで、そう思えたら最高です。

実は、親父、二年前に転勤が決まっていたんです。東北方面に。
その時すでに顕正会に入っていたので、僕だけ残るといってケンカになって
しまって、結局親父が転勤断ったんです。明日あたり、顕正会やめること
まだ親父に言ってないので、言おうと思ってます。転勤もしてくれって。
(やめ方がわからず困っているのですが・・・・)

とにかく、家族とは、反省してますからがんばって昔の子供の頃に
もどるようにがんばります。
本当に心にジーンときました。ありがとうございました。

728ロッド:2004/06/15(火) 23:24
独歩様へ
独歩様も気にかけてくださっているのですね。感謝感謝です。
なんか、昔の友達とかも会いに来てくれるようになりました。
ここに参加して本当によかったです。なんか日に日にすっきりです。
先輩達の電話だけきになりますが・・・・
お忙しいみたいなのに気にしてくださってありがとうございました。
また教えてください。

729ロッド:2004/06/15(火) 23:25
すすいません。鎌龍様の名前を書き間違えました。
すいませんでした。

730地名:2004/06/16(水) 05:50

ロッドさんへ

良かったですね。
信仰は自分の心を清らかにする(清浄にする)ために行うものですから、お気づきになられて本当に良かったと思っています。
この間、最も心配されておられたのは独歩さんなのですよ。
これからもわからないことなどありましたら、ご遠慮なされずにご質問等されるようにしてください。
父母への感謝は日蓮大聖人様の「報恩抄」の実践ですよね。
本当に良かったです。一番うれしいです。

731鎌龍:2004/06/16(水) 10:09
ロッドさんおはよ!とうとう脱会の決意に至ったんですね。地獄とか罰を気にしてるのはそこからきてるんでしょうか?法華経読めばわかると思いますが、そんなもの、今のあなたには恐るるに足りず!もし脱会することで地獄に落ちるんじゃあ、私なんか顕正会をよく思ってないんだからとっくに真っ逆さまですよ。本当にそんなことで地獄に落ちるなら喜んでお供しますよ。

732鎌龍:2004/06/16(水) 10:21
そんでもって、地獄からロッドさんと私を地獄に落とした奴と喧嘩してやりましょ。その前に、今反省をして新たな道を歩もうとしているロッドさんが地獄に落ちたら私が釈尊と日蓮さんと喧嘩しますよ。この嘘つきめ!ってね。つまり、地獄だの罰だのと恐怖を信徒に教え込んでいる顕正会のほうが、よほど反省が必要だということです。なにも恐がることはありません。先輩なんかに脅されたりしたら言ってください。私が出張りますから。

733鎌龍:2004/06/16(水) 10:31
私は元富士門流ではありませんよ。個人的には門流というものになんらこだわりがありません。むしろ、日蓮系の教団がこれほどバラバラになってしまった今の時代、そんなものないほうがいいのではと考えてます。しいて言うならば、私は 「日蓮門流」です!

734犀角独歩:2004/06/16(水) 19:36

706 空き缶さん:

御礼遅くなりました。有り難うございました。
ちょっとここのところ、資料を当たれない環境にあり、お願いをさせていただきました。

『○帖抄』というわたしは、本覚ばりの文献であろうという先入観が走ります。
『一帖抄』『二帖抄』がその知り始めのせいかもしれません。
『三帖抄』というのもありましたっけ?
…、これまた、資料手放しで調べもせず、呟いたようなものなので、聞き捨てていただいてけっこうです。備忘録みたいに打ってしまいました。失礼。


707 顕正居士さん:

このご解説、たいへんに興味深く拝読いたしました。


708 ロッドさん:

当板は、管理者さんのご意向で「さん付け」でとなっています。わたしもそうしますから、お気軽にどうぞ。抑もわたしなぞ、「様」を付けていただくほどのものではありません(笑)

弥四郎漫荼羅のこと、お読みいただいたかも知れませんが、以下サイトでやや管見を記しました。

『所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について』
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html
(他のロムの皆さん、何度も繰り返し紹介して申し訳ありません)

具体的には追って発刊する『図解必携 大石寺本尊の鑑別』をご高覧いただければと存じます。と、申し上げながら、現在、ある筋の写真掲載許可の返答待ちで出版が遅れております。しばらくで出す予定です。

それから、わたしはO師ではありません(笑)
公開の掲示板では何ですから、もしお気持ちがあれば、わたしにメールを下さいませんか。少しお伝えしたいことがあります。フリーメールでも何でもけっこうです。もちろん、これは無理にと言うことではありません。

脱会の仕方について、特に先輩その他の会員から脱会後、嫌がらせ、電話、訪問を受けない方法があります。その点もご説明したいと思います。ただし、これを公開してしまうと集団組織から対策を講じられる可能性があります。ですから、私信でお伝えしたいのです。

735ロッド:2004/06/16(水) 21:00
鎌龍さんへ(独歩さんのお言葉にあまえましてさん付けで)
なぜか本当にすっきりすることを言ってくださってお陰様で落ち着いてきました。
地獄だのなんだのって気にしないようになれそうです。本当にありがとうございます。
なんか鎌龍さんてツボにはまること言うんですよね。僕をずっと心配してくれてた
同級生の『○彦』じゃないかって思ってるんですけど、まさかですよね。

富士門流系にいらっしゃったわけではないのですね。日蓮門流ってなんかすっごい好きです。
本当はみんな日蓮門流でいいんだってことですよね。なんかうなずけます。
鎌龍さんは、どこかに属していらっしゃるんですか?

鎌龍さんに言われた通り、親父とお袋と妹と、四人でずっと夕飯食べてます。
みんなうれしそうです。これが一番ですよね。

今年中に親父が転勤になりそうです。多分妹も学生終わりましたし、
就職してないんで、家族四人で引っ越しかもしれません。
その前にもう一度身延のお坊さんに会ってこようかなって思ってます。
近況報告だけしたいなって思ってます。きっかけつくってもらったんで。

本当に心温まること言ってくださってありがとうございます。
感謝感謝です。

736ロッド:2004/06/16(水) 21:06
地名さんへ
地名さんもいつもいつも気にかけてくださってありがとうございます。
もう大丈夫そうです。なんかすっきりしました。
地名さんと独歩さんはお仲間なんですか?
地名さんが、私が会ったお坊さんなんてことは・・・ないですよね(笑)
なんか、画面上だといろんな想像しちゃったりなんかして。
これが結構おもしろいんで、勝手に想像して楽しんでます。
(でもこれが長崎の事件につながっちゃったりしたんですよね。
 でもこの掲示板なら安心です。みんないい人だから)
またいろいろ教えてください。報恩抄読んでみます。
ありがとうございました。

737ロッド:2004/06/16(水) 21:26
独歩さんへ。お言葉に甘えて独歩さん。

ずっと気にかけてくださって本当にありがとうございます。
心から感謝してます。

>『所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について』

じつは、こちらも見させてもらいました。もうすっかり板マンダラって感じです。(ちょっとビビっとるわあ、僕)
もうでも完全に顕正会の教えには見切りつけれました。
皆様に感謝です。

>具体的には追って発刊する『図解必携 大石寺本尊の鑑別』
すご!本までだされちゃうんですか?ただものじゃありませんね。もしかして有名人では。

>それから、わたしはO師ではありません(笑)

いやあ、それは思いつかなかったです。でも、あり得ないことではないですね。
でも、過去ログ見てたら昔創価学会にいらしゃったとか。そのあとも宗門のほうで
活躍されてたとか。すごい方ですね。ブルっちゃいます(笑)

でも、私が会った『O』さんと、独歩さんのお知り合いの『O』師は
違うような気がします、とは思っていました。
今度また行こうと思ってますんで、ちゃんと名前聞いてみます。
独歩さんて知ってますかって聞いちゃおうかな(笑)

>もしお気持ちがあれば、わたしにメールを下さいませんか

本当にありがたいお言葉です。本当に心からありがたいです。
でも・・・、このパソコン、親父の仕事用なんです。
そして、携帯は今日解約してきちゃいました。電話しつこいんで。
でも、今後どうなるかわからないんですが、アドレス持てたら連絡させて
もらいます。本当にありがとうございます。

>脱会後、嫌がらせ、電話、訪問を受けない方法があります

そうなんですか?!知りたいですが、ここでは無理ってことですよね。
でも、なんとなくですが大丈夫そうです。最後のほうの留守電とか
なんか『もう会うこともないだろうけどがんばれよ』みたいなこと
言ってました。
それに引っ越す可能性があるんで。ちょっと寂しいんですが・・・。
それになんかあったら鎌龍さんが出張ってくれるそうです。
名前からして強そうですね(笑)(もちろん自分で解決するつもりです)

あれ?あのお坊さんも自分で書いた本持ってましたね。
もしかして・・・独歩さんは『O』さんでは?
嘘です。題名が違いました(笑)
なんか私子供なんですね。ふざけたことばっかり書いてすいません。
でも、ふざける余裕ができたと思って勘弁してください。
ありがとうございました。

738犀角独歩:2004/06/17(木) 00:33

ロッドさん:

O師のところは、是非とも行かれるとよいですよ。歓迎してくださいますよ。
実は、ロッドさんの投稿を拝見してから、電話で確認しました。
ただし、「犀角独歩」と言ってもHNなので、おわかりいただけるかどうか。でも、「電話で」と話していただければ、「ああ!」と直ぐに了解されるでしょう。

しかし、大変だったそうです。4組の顕正会員が入れ替わり立ち替わり、5時間にも及んだとのことでした。


メールの件は了解しました。脱会後の対策について、何かあれば、警察の生活安全課にストーカー被害として届け出をされること、また、『脱会届』を弁護士に代理人として提出されれば万全です。ともかく、弱い者には徹底して強がる、相手が自分より強いと思えば途端に腰砕けになるのが、集団と指導者という「虎の威を借る狐」の性根です。怖じれば付け入られます。堂々としていることです。巫山戯たことをしたら、直ちに法的措置を執ればよろしいだけのことです。いくらでも力を貸しますよ。必要があれば、弁護士も紹介します。

ともかく、ここでゆっくりと真の蓮師の実像に触れて行かれてください。他に二つとない秀でた掲示板です。わたしが管理人さんに敬意を表する理由はそこにあります。

739鎌龍:2004/06/17(木) 10:21
ロッドさんおはよー。そうそう、地獄だの罰だの気にしない気にしない。一休み一休み。僕は○彦さんではありませんねー。残念ながら。どこかに属していると言えばそうですが、考えの合わない人ばっかりで孤立してます。むしろ嫌われてますね。仲間はほんの数人てところでしょうか。お坊さんに会ったら、身延山にも行ってみてください。魔山だのなんだの顕正会では教えてますが、雰囲気だけで泣けてきますよ。身延の僧侶はアカンけどね(怒られる)でも、中には危機感もって頑張っている方もいるんです。実は顕正会、身延町に会館建てようとしてるらしい

740鎌龍:2004/06/17(木) 10:46
散々身延をなんだかんだ言っておいて身延に会館を建てようとはなんなんでしょうかね。すでに近くの住民に土地の売却交渉に行ったらしいのですが、住民側は周りの批判を予想して断ったということです。もしもここを顕正会員の方が見ていたら、上の人に伝えてください。全力で阻止すると。

741鎌龍:2004/06/17(木) 13:36
740 全力で阻止すると言った発言は彼等を逆に奮い立たせることになりそうですね。逆効果かもしれませんね。 管理人さんの判断で削除くださいませ。 失礼しました

742平和創価 </b><font color=#FF0000>(FLtwjPuI)</font><b>:2004/06/21(月) 15:01
独歩さん
創価学会版の御書の『開目抄下』の最後の部分の「日蓮は日本国民の諸人にしうし
父母なり」の「しうし」に「主師親」を当てたのは行きすぎだと思います。真筆影
印本を基にした『日蓮文集』岩波文庫289頁には「日蓮は日本國の諸人にしたし
父母也」とあります。原本は残念ながら明治8年の身延山久遠寺の大火で焼けてし
まいましたがここが重大問題なのです。私は学生時代に『開目抄』の写本の写真を
図書館で見ましたけれども、変体仮名の「う」と「た」は非情に区別が難しいと思
いました。「う」は「宇」「有」「雲」「憂」「羽」、「た」は「多」「太」「堂」
「當」「佗」「田」を基にしていますが御書の「しうし」か「したし」の判断規準
は「う」は「宇」と「た」は「多」の解読方法に依ると思います。原典の写本の写真
を見たところ「う」は立て流れになっていて「う」と読めますが、筆が右から入って
左に入り下に流れているところをみると「た」と読めます。原典が写真ができない前
の明治8年に放火(廃仏毀釈)のために焼失したためにこんなことになったのでしょ
う。独歩さんも『開目抄』の写本の写真か影印本を読んでみて下さい。私は日蓮大聖
人本仏論は誤りだと思います。釈迦本仏も誤りだと思います。本物は我ら一切衆生の
我即宇宙宇宙即我の我ら一切衆生だと思います。だからこそ戒壇の御本尊の願主が卑
賎な弥四郎国重だったんじゃないですか。

743皆様へ:2004/06/21(月) 20:33
平和創価と言う人は2chの層化板で華元と名乗っていました。
自演癖もあるロリコンの変態なので相手にしない方が良いですよ。
http://society2.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1084377293/138
http://society2.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1086442621/323

744犀角独歩:2004/06/21(月) 20:52

平和創価さん:

『開目抄』に関する見解には概ね賛同です。

しかし、本仏が「即宇宙宇宙即我の我ら一切衆生」だとはまったく思いません。この点は既に4年前から議論し尽くしたことなのでここに繰り返しません。
また、弥四郎国重とは、これまた何度も記してきたところですが、「本門戒壇之願主」なのであって、本門本尊の願主ではありません。ですから、「戒壇の御本尊の願主」ではないとわたしは考えます。

746管理者:2004/06/24(木) 17:05

大本山さん

あなたの745レスは、以下の掲示板のルールに抵触すると管理者は判断いたしましたので、745レスを削除いたします。掲示板のルールをお守り頂いて、ご投稿戴きたく存じます。今後ともよろしくお願いいたします。

【禁止事項】

1「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。

747空き缶:2004/06/30(水) 23:31

 開目抄について

 日蓮正宗圏では、開目抄最後の「日蓮は日本国民の諸人にしうし(したし)父母なり」の文をもって、日蓮聖人が末法の主師親の三徳を具えた本仏であると唱えます。

 この思想も、もとはといえば隆門からの輸入ではないかと思います。日隆師は数々の著作を残される中で、16篇の御書の文段も残されました。
 この内「開目抄文段」では最後の部分を「惣じて本門八品、南無妙法蓮華経、三徳有縁の久遠釈尊、末法の慈父上行薩埵人界応同主師親の日蓮大士の開目を結す」と題しており、該当個所の本興寺第七祖日存師の真写本には「諸人にしたし父母也は、主師父母也」との註が入っています。

 京都要法寺は日大師以降、中古天台の巨匠といわれる直兼法印の影響を受け、中古天台流に日蓮聖人の御書を解するようになったといわれています。その影響は日像門流にも及び、ここに日隆師の「御書根本」の本門教学が生れ、台当両家の違いを明確にする体系化があったのではないかと思います。
 
 しかし、中古天台の本覚法門を破折した日隆師の教説がもととなり、日蓮本仏論が生れたのでは本末究竟しませんね。

748空き缶:2004/06/30(水) 23:47

 訂正です。

 (誤)日蓮は日本国民の諸人→(正)日蓮は日本国の諸人

749犀角独歩:2004/07/01(木) 02:14

空き缶さん:

> 中古天台の本覚法門を破折した日隆師の教説がもととなり、日蓮本仏論が生れた

ここのところ、益々冴えていますね。興味深く拝読しています。

750空き缶:2004/07/09(金) 18:46

 れんさん、犀角独歩さん。

日蓮本仏論の源泉が日隆義にあることは、興風談所の大黒喜道師が「興風14号」と「興風15号」にて「日興門流における「本因妙思想形成に関する覚書」と題する論考にて発表されていましたね。(本稿は継続中)

 しかし興風談所の諸師の論考を拝すると、興風談所では「日蓮本仏論」や「本門戒壇之大御本尊」などをどのように考えているのか不思議でなりません。
 正信会の信徒さん達は、当然に日蓮本仏論者であり、本門戒壇之大御本尊を究極本尊と信じているはずです。

 正信会からは、久保川日源師や関慈謙師のように戒壇本尊・宗祖本仏論を否定し離脱する方もいましたが、興風談所が正信会のシンクタンクであるならば、いずれ宗祖本仏論や戒壇本尊からは離れていくのが自然のような気がします。

751れん:2004/07/09(金) 20:32
空き缶さん、私もいずれは正信会も興風談所の所員の研さん・学術的研究成果に基づき日蓮本仏・弥四郎板まんだら信仰から離れていくだろうと思います。日蓮本仏・弥四郎板まんだら信仰は後世成立の教義であることは、この板でも皆さんが論証されている通りです。私も継続中の興風談所の山上師の日蓮大聖人の思想、大黒師の覚え書きの論考に注目しています。日蓮本仏の形成に隆師教学の摂取があることは史実ですが、名字即・当位即妙不改本位という蓮師真蹟遺文・興師写本蓮師遺文に見られる思想も富士での蓮師本仏形成の一要素では?と思っています。

752愚鈍凡夫:2004/07/09(金) 20:47

横レス失礼します。空き缶さん、今晩は。

> 興風談所が正信会のシンクタンクであるならば、いずれ宗祖本仏論や戒壇本尊からは離れていくのが自然のような気がします。

「宗祖本仏論」や「戒壇本尊」から離れるかどうかは、どちらの方が利益があるかにかかっているのじゃないでしょうか。別のスレで犀角独歩さんが仰っていますが、

> 常に自分が追従すれば利益を得られる権威構造を敏感に察知し、動けるんでしょうね。

このことは、どの組織にもいえることではないでしょうか。文字通り理屈は後から付いてくるということではないかと思います。利害関係を離れないと、純粋に科学的検証や理論的検証で本質を追究するのは難しいのじゃないでしょうか。

別に夢をつぶすつもりはありません。ただ、そう思っただけのことです。
悪しからず。 m(_ _)m

※参考文献

日応上人・日蓮本仏論
http://sapporo.cool.ne.jp/hotarokaka/NitiouSyoninHonbuturon.htm

日達上人・日蓮本仏論
http://sapporo.cool.ne.jp/hotarokaka/NitatuShoninHobuturon.htm

753空き缶:2004/07/09(金) 21:14

 れんさん、愚鈍凡夫さん、今晩は。

 「興風」での大黒師の論考は、本因妙抄・百六箇抄は後世のつくりものとしていますね。15世紀中ごろに京都にてつくられたと名言しています。そして日隆師の教学的影響を多分に受けて完成していることも認めており、かつての日蓮宗学を掘り下げたかたちにになっています。石山系諸集団では、ここまで相伝書類を否定できるのは興風談所だけだと思われます。
 
 また本因妙抄の定本となっている、伝最澄撰「三大章疏七面七重之弘決」が最澄の入唐年月日を間違えていることを指摘し、そもそも定本となった「三大章疏七面七重之弘決」自体が偽撰であるとしています。そして最澄の入唐年月日の誤記が、室町期に最澄に仮託して偽作されたとされる「修禅寺決」と同様の日付であることから、「三大章疏七面七重之弘決」も同時期に偽作されたと考えているようです。

 興風談所の諸師の論考は、石山や学会が、すでに答えを決めてしまっているところから出発しているのに対し、「答えを決めていない考察」を推奨していることが理解できます。論考を拝す限りでは、興風談所の諸師たちは「純粋に科学的検証や理論的検証で本質を追究」しているように思われます。

754犀角独歩:2004/07/09(金) 22:44

空き缶さん:
れんさん:
愚鈍凡夫さん:

好い論攷が進んでいますね。
前にも書きましたが、富士門流の派祖を白蓮興師に置くのであれば、御存命中、日蓮本仏論も、弥四郎漫荼羅もなかったことは確実です。
ここ富士門流信徒の掲示板も、奇しくもその興師の祖意にようやくと辿り着き、祖道の恢復に至ったと喜ばしく思います。

そして、さらに蓮師の祖意につき、既に議論が始まっていることで、ようやくと蓮興二祖の実像が闡明になりつつあると、一つの成果を感じています。

755福田里敏:2004/07/30(金) 01:03
今年の春に、日蓮正宗改革同盟の方と、お会いして、話しをしたときに、「末法で、最初に成仏できた方だから、御本仏と言っているだけ。大聖人を、拝んでいる訳ではない。成仏を目指すのには、御本仏だからいけないとか、そんな事は何の、関係もない。大聖人の、目指すものは、広宣流布なのに、法華堂は、20年ちかく経っても、何も進んでない。」(要旨)と、語っておられました。
そんな面から、法華堂も、無意味だな、と思い、関師のところを去りました。学会に、返る気は、ありませんが。今は、本仏だろうが、なかろうが、人それぞれが、蓮師を慕っていて、法華信仰してればいいんじゃないか?と、考えています。所属組織が、どこだろうが、社会的に悪とならない限り、依法不依人を貫けていれば、所属がどこだろうが、個人でやっていようが、いいんじゃないの?と。
今時、蓮師が、仏様だから、これは、ありがたい!と、入信する人なんて、皆無でしょうし。

756犀角独歩:2004/07/30(金) 08:06
> 755

この意見にはわたしは賛成ですね。ただ、

> 蓮師…仏様…ありがたい!と、入信

これは逆でしょうね。入ってからのちに、その集団の信念体系を信じ込まされるわけですから。

また、、755の如く判断で信仰をしていくことに、このスレッドの投稿者は反対しているわけではないと思います。むしろ、同じようなことを言っているのではないでしょうか。

ただし、本仏と考えないと謗法であるとか、地獄に堕ちるとかいう下らないヒステリックな反応に対して、では、証拠を示せと促しているのに過ぎません。つまり、日蓮本仏論以外の教義を認めないファンダメンリズム批判というか、排他主義批判であるということですね。

石山教義は言うまでもなく、勝劣義なのであって唯一絶対選択信仰でしょう。その結論が日蓮本仏です。その勝負をまた折伏と言ってきたわけです。それに対して、「釈迦仏でもいい」、「信仰することは尊い」などと他の信仰を認めるのであれば、この姿勢は一致義ですし、また摂受であるわけで、そうなると勝劣・折伏という石山義からは謗法と見なすというのが、そもそもの教学的、行動的姿勢であったわけでしょうから。

それまで、他を認めなかった日蓮本仏論者が挙証不能に陥ったら、「信仰は何でも自由。証明できないこともある」などと言い出すとき、「では、日蓮本仏以外の信仰の自由を認めず、科学でも何でも証明できると主張して、他を排撃してきたのはいったいどこのどいつか」と反論している延長に、当スレッドがある点を忘れられては困ると思うわけです。その点も踏まえての日蓮本仏論(者)批判であるということです。そこで示してきた方向性はまさに「依法不依人を貫けていれば、所属がどこだろうが、個人でやっていようが、いい」というのが日蓮本仏論(者)批判の基にある考えでした。

757天蓋真鏡:2006/12/19(火) 10:39:23
[法華経行者日蓮]本仏シャクソン・本尊題目(末法鎌倉時代、漫荼羅で信心学問修行の基本を造る)[日興]漫荼羅本意・祖師信仰[日目]漫荼羅正意・三法門・諫暁[日有]日蓮本意・漫荼羅正意[日寛]日蓮本意・漫荼羅本仏論【墓輪番制→唯受一人説→本仏論】

758ケン:2010/04/01(木) 15:27:46
管理人さんへ

『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
の過去レスは、
「ここから、このスレッドの過去レスを見る事が出来ます。」
の下に表示されたアドレスをたたくと、303までは読むことができました。
304以降を見るにはどうすれば宜しいのでしょうか。

つまらないことで恐縮ですが、ご教示下さい。

759管理者:2010/04/01(木) 15:51:53

ケンさん

>304以降を見るにはどうすれば宜しいのでしょうか。

旧掲示板の『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

の過去レスは303まで終わっています。その後は、当掲示板の1レス以降に繋がります。このスレッドの下部左側の「全部読む」タブをクリックして下さい。1以降のレスが全て表示されます。

760ケン:2010/04/01(木) 18:12:13
管理人さん

ありがとうございました。

761ケン:2010/04/18(日) 17:50:43
「日蓮=上行菩薩の再誕」論について基礎的な質問があります。

一応、「『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について」の過去レスを
見て、「日蓮=上行菩薩の再誕」論について、犀角独歩さんと日誠さんとの
論争があったことは承知しています。
ボクの質問は、前記論争を理解するうえでの前提となる基礎事項に関する
ものです。特に、独歩さんが真蹟遺文を基準とする立場から、
日蓮が自分自身を上行菩薩であると自覚していたかは、決定的ではないが、
いいところまで行くと述べておられる点に関連するものです。(例えば、
過去レス「122」。)

なお、以下の質問の答えが、「『日蓮大聖人が御本仏である』という教義に
ついて」以外の箇所に登場している場合は、大変恐縮ですが、その箇所を
ご指摘頂ければ幸いです。

1.上行菩薩の再誕たるべき条件
法華経(羅什訳)の記述では、上行菩薩の再誕たるべき「条件」は明確なの
でしょうか。
昔、創価学会で習った記憶では、「数々見擯出」(勧持品)とは、
複数回の流罪に遭うことを意味し、日蓮が伊豆流罪及び佐渡流罪に
遭ったことで、その条件を満たすということでした。
「擯出」の意味や、伊豆流罪及び佐渡流罪の該当性も含めて、
この解釈で正しいでしょうか。
他の2種の漢訳法華経によった場合でも、条件は同じでしょうか。
ちなみに、サンスクリット版でも同でしょうか。

なお、この質問は、仮に、法華経の記述上、上行菩薩の再誕たるべき
条件が誰の眼にも明確なのであれば、日蓮自身が自らを上行菩薩の
再誕であると自覚するほうが自然なような気がするためです。
また、日蓮の在世中(佐渡流罪後)に、日蓮門下の僧俗も、そのような
考えにいたる方が自然なような気がします。
日蓮の在世中に、「日蓮=上行菩薩の再誕」論が発生しなかったとすると、
その理由として考えられることは何でしょうか。あまりにも大それた解釈
だということでしょうか。

2.日蓮以外の人師
日蓮以前には、上行の再誕と目された人師は皆無ということでしょうか。
日蓮以後ではどうでしょうか。日蓮門流の中には、日蓮滅後に、日蓮以上の
迫害に遭った僧も多数いたと思いますが、複数回「擯出」の条件を満たさ
ないということでしょうか。

3.自覚の有無と教義上の意義
日蓮門流では、「日蓮=上行菩薩の再誕」論の立場をとる門流があると
思います。この立場では、日蓮自身が、そのように自覚していたか否か
が重要な意味を持つのでしょうか。
日蓮自身にはその自覚は無かったが、滅後に日蓮の振る舞いを見れば、
「日蓮=上行菩薩の再誕」であったと言う立場では、教義上、問題と
なるのでしょうか。
ちなみに、日蓮本仏論は、日蓮自身が、そのように自覚していたという
立場であると理解して宜しいでしょうか。

以上宜しくお願いいたします。

762犀角独歩:2010/04/18(日) 22:13:46
ケンさん

せっかくのご指名なのですが、わたし、明日から忙しくなってしまい、ネットで議論は、やや困難になります。よって、以下、かなり雑駁な返信になりますが、ご勘弁ください。

> 1.上行菩薩の再誕たるべき条件
> 法華経(羅什訳)の記述では、上行菩薩の再誕たるべき「条件」は明確なの
でしょうか。

明確だとは思えません。

> 「数々見擯出」(勧持品)

勧持品は13で、迹門ですね。
迹化の菩薩の様に当たれば、迹化の菩薩ですね。

> 複数回の流罪に遭うことを意味…他の2種の漢訳法華経…サンスクリット

2種とは、添品法華経と正法華経のことですね。

前者は、同じ。後者では「數數犯不當」で、サンスクリットでは「数々の悪口を言われようと」(岩本訳)となっていますね。

> 日蓮自身が自らを上行菩薩の再誕であると自覚する

わたしがこの点について、消極的なのは、以下の真蹟遺文によります。

高橋入道殿御返事②-平左衛門尉見参 蒙古襲来予告 念仏者刎頭
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51696231.html

↑上記、ご高覧ください。

> 「擯出」の条件

上述しましたが、迹化の法師を説く様が本化上行に当たるという教学的な態度は、承伏しかねます。

では、不軽ということになりますが、これは過去世の罪に重点がありますね。
日蓮自身、過去謗法の自覚があるのでしょう。

ここで、考えなければならないことは、五百塵点の段階で、すでに菩薩となり、その後、地下の空中に住してきた地涌菩薩に過去世の謗法罪があるかどうかです。あるわけもありません。

そうした意味で地涌菩薩は、迹化の菩薩とも、釈尊の前世とも違っているわけで、償うべき罪もない菩薩が、どうして、諸難に遭うわけがあるのかという疑問が生じます。

『高橋入道殿御返事』にも明らかですが、地涌菩薩は行者を守護する存在であり、かつ、仏敵を調伏する存在です。そもそも、末法に生まれる役割はそこにあります。法華経を読めばわかりますが、地涌菩薩が諸難に遭うと言った予言は一言片句たりもありません。実に神々しい仏に匹敵する高位の菩薩です。
つまり、諸難に遭うことは地涌菩薩を証明する文章となり得ないということです。

> 日蓮本仏論は、日蓮自身が、そのように自覚していた

あり得ませんでしょうね。
本仏とは、五百塵点成道以降、この世を御領される釈迦仏のことであり、寿量品に「常在霊鷲山」という仏です。辺国に日本に生まれるといった経証は何もありません。

以上、充分な議論に及べないことを残念に思いますが、これまでといたします。

763ケン:2010/04/19(月) 08:10:50
独歩さん

お忙しいところをありがとうございました。

764ひきこもり:2010/09/19(日) 20:14:23
「開目抄」の「しうし」を「主師」に繋げている点からも、無理がありますね。あの
原本は明治の初めに火災で焼失しました。(恐らく廃仏運動のための放火)

最後の所は写本の写真を何度も読み返しましたが、「しうし」は「したし」と読むの
が通常であり、石山では「う」に徹底していたようです。しかし国文学科で古文を読
んでいて変体仮名を知っていた私には、「宇」と「多」の崩し字関しては、両方に読
めました。流れる字体の判断はできませんでした。まして本文が明治初年に焼失して
いるのならなおさらです。

765犀角独歩:2010/09/21(火) 09:20:46

日蓮の真蹟遺文を読んできた経験から言えば、日蓮の“た”の変体仮名は概ね2種、“う”は“う”を書きます。
では、この3字を見間違えることがあるかどうかといえば、あり得ないでしょう。形がぜんぜん違います。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/nichirenbokuhituwoyomu_table001.html

『開目抄』は既述のように、明治の大火で消失しましたが、実は草案があったようで、たとえば横須賀大明寺には、その断簡が現存します。過去に宮崎英修師が、最近では都守基一師が真蹟と鑑定しています。

こうしたことを考えると、案外、身延曽存と草案では違う部分があり、該当部分も違っていた、という可能性はあるかも知れません。まあ、類推を出ませんが。

「したし」を「親し」とし、「親し父母」というのは、しかし、日本語として、どうでしょうか。日蓮の文法からすれば、「親しい父母」ということは考えづらく、書くとすれば、「親しき父母」でしょう。では“き”が脱字かという、さて、どうでしょうか。

「しうし」は「主師」と解釈するのは大石寺ですが、「終始」とする解釈もありますね。「終始、父母」という表現は文章的にはもっとすんありしている気がします。

769さえこ:2010/12/13(月) 15:04:17
こんにちは。
正理会 教授 さえこです。
真面目な掲示板なので発言したくなりました。

日蓮大聖人様は、末法の御本仏です。
観心本尊抄では、ご自分のことを「本朝沙門」と言われております。
本朝とは、日本国であり、釈迦仏法とは全く違う日本の新しい仏法である
というご自覚です。

私は以下のブログのコメント欄で発言しております。
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137
「中杉 弘のブログ」

日蓮大聖人様の御書講義を真面目に勉強しています。
今後とも宜しくお願いします。

771独学徒:2010/12/15(水) 22:33:02

>>769

「本朝沙門」は伝教大師も「末法燈明記」で使われた御名のりですね。
伝教大師最澄も釈迦仏法とは全く違う日本の新しい仏法と自覚して、中国ゆずりの「天台宗」の宗名を世襲した宗派を立ち上げたのでしょうか?
違うでしょう。
貴方の御主張は全く的外れだと思います。
中杉さんの講義聞くよりも、自ら文献を手にして調べ上げることの方がよほど価値的と思いますね。
間違ったことを刷り込まれて哀れに思います。

772神水流:2011/09/15(木) 23:49:42
結局の所富士門流に所属している寺院は全て日蓮本仏なんですか??日蓮宗の北山本門寺や小泉久遠寺なんかもそうなんですよね??

773樽之助:2011/09/17(土) 18:59:19
神水流さん

私は真宗の門徒です、北山本門寺は以前一致派の教学を重んじた47世片山日幹氏の代には大きく「釈迦本佛」に傾きましたが、48代、と当代とは「法主日蓮大聖人」ですよ。

但し、石山のように独善的・排他的でないだけです。

そう言えばYahoo!知恵袋でも、重須の講中の人になりすましたアホな学会員がいましたよ。

774樽之助:2011/09/17(土) 19:05:47
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1167200721

↑です。笑えますよ。

775神水流:2011/09/17(土) 20:58:40
樽之助さん

ありがとうございます法主日蓮大聖人とは本仏と言う意味なのですね。

謎が解けました。

776独学徒:2011/09/17(土) 23:29:20

神水流さん、
樽之助さん、

はじめまして。

「法主」を「仏陀」(世尊)と定義するのは阿含経ですので、阿含経典の段階では「仏陀」は所謂「辟支仏」で「縁覚」ということになりませんか。

富士門流は勝劣派に属する以上阿含経典の教説を世襲しているとは思えず、もちろん日蓮大聖人を二乗とも考えていないと思います。

少なくとも小泉久遠寺、京都要法寺、伊豆實成寺は久遠の本師は釈尊です。

北山本門寺も日蓮本仏義ではないと思います。西山本門寺もほとんどの僧侶が日蓮本仏義ではないです。どちらも僧侶の免許を取るために身延山の信行道場に入るわけで、基本的には日蓮宗としての教義を基礎として修業しているはずです。

ただ「本門宗宗制」に聖人と称するのは日蓮大聖人のみと定義していますので、日蓮大聖人が別格の存在であることだけは確かだと思います。

現在、明確に日蓮本仏としているのは、日蓮正宗と安房妙本寺だけだと思います。

777神水流:2011/09/18(日) 09:34:20
独学徒さん

はじめまして
ご解説ありがとうございます。
やはり日蓮宗=釈迦本仏義なのですね。

778樽之助:2011/09/18(日) 15:48:41
独学徒さん
そうですかね、このさえ阿含経云々は関係ありませんよ。
僧侶になるための免許を取るための修行と信仰は別次元ですからね。

なるほど確かに片山日幹氏の代には「釈迦本佛」に傾きはしましたが今は「日蓮本佛」なんですよ。

僕が示したYahoo!知恵袋のURLを見て下さい、
levelruiと言う重須の講中になりすました学会員も貴方と同じこと言ってますよ学会員の概念で良く思われがちなのが日蓮宗=「釈迦本佛」です。


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