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素朴な疑問

3721マターリ:2009/01/13(火) 21:49:31
法難について、日蓮聖人がどのような感慨をもっておられたか、調べて
いたことがあります。弟子の死というものを、どのように捉えていたか
を調べることで、建て前ではない、聖人の本音に迫りたかったからです。

日蓮聖人は、とても弁が立つ方ですが、御書を読んでも弟子の死につい
て、不思議なことに、あまり語っていないと思います。

小松原の法難では、鏡忍坊と工藤吉隆が戦死しました。熱原法難では、
三烈士が斬首されています。しかし、彼等について、日蓮聖人の言葉は
わずかだと思います。

悲しいときは、大地に身を投げ出して哭泣する聖人が、大切な弟子の死
に際して何故、言葉が少ないか、お教えください。

3722犀角独歩:2009/01/14(水) 00:22:00

マターリさん

3721 の視点、面白いですね。興味深く拝読しました。

3723問答迷人:2009/01/14(水) 08:46:59

犀角独歩さん

>三学無縁さんにお借りした日宗全興門集は手許にありますが、日志の書く如く「彌次郎」となっています。実際の正筆はどうなのでしょうか。

れんさんがこの件について、当スレッドの3172レスで、次のように述べられていますので、ご承知の事でしょうが、ご参加の皆様にご覧戴きたく、以下に転機させていただきます。

3172 名前:れん 投稿日: 2007/02/02(金) 15:41:41
犀角独歩さん
熱原の信徒三人の処刑日は、今となっては特定できないと思います。堀日亨師は神四郎追善の日興書写曼荼羅の書写年月日により、四月八日に比定してますが、四月八日に関しては、日興は仏生日に漫荼羅を書写する例が蓮師命日に続いて多いことを考えると、必ずしも、神四郎追善の漫荼羅書写日のみをもって、三人の処刑日と断定するには根拠が薄く感じます。日興写本の現存する弘安三年四五月頃の日蓮遺文に(いま、出先なので原文に当たれませんが)「先もそらごとなり…」云々と、熱原についてのべた下りがあり、おそらく、本消息の書かれた弘安三年春には熱原法難は終息していたと思われますから、三人が処刑されたのは、法難が勃発した弘安二年九月から日蓮遺文から法難の終息がうかがわれる翌年春の間と、大雑把ですが推定するしかないと愚考します。
さて熱原信徒の張本三人が特に斬首という厳しい処断を受けた理由は、日蓮の宗教活動は、幕府から見れば、元冠にて非常事態体制下にあった幕府の挙国一致の宗教政策に従わずに反対・反抗する“悪党”勢力であり、特に駿河は得宗領でしたから、厳しい姿勢と処断をもって、得宗権力が反幕府の“悪党”としての日蓮門下信徒の弾圧を行ったというのが実際ではないでしょうか。幕府(内実は得宗権力)は熱原の農民信徒に対する厳しい処罰を通じて、日蓮やその門下僧俗等の反得宗権力・反幕府的な宗教活動を牽制しようとしたというのが、当たらずとも遠からずの“理由”でありましょう。
熱原の三人の中の弥六郎と弥次郎の表記の相違は、現存する日興正本「本尊分与帳」は痛みが激しく判読不可ですが、江戸期の北山歴代である日優の写本では、「弥六郎」ではなく「弥次郎」となっており、かつての日興正本では「弥次郎」であった可能性があり、弥六郎は石山の所伝で次を六と誤読した結果の誤伝の可能性の方が高いと思います。

正本には当れないとすると、北山の写本に拠るしかないのでしょうね。

3724犀角独歩:2009/01/14(水) 17:54:07

問答名人さん

重ねてご教示有り難うございます。

また、れんさんには、先にご教示を頂いておりながら、失念をするというご無礼、平にご容赦ください。お詫び申し上げます。

ともかくも今回の疑問は、既に議論済みとのこと、落着した気分となれました。
御礼申し上げます。

3725彰往考来:2009/01/14(水) 20:42:02

横レス失礼。

過去の議論を蒸し返すようですが、

>おそらく、本消息の書かれた弘安三年春には熱原法難は終息していたと思われます

というのは違うでしょうね。

彰往考来

3726れん:2009/01/14(水) 21:14:53
彰往考来さん

先日は、御著述をお送り頂き、誠に有難うございました。先ずは、このことを深くお礼申し上げます。


熱原の法難の余波は、弘安三年七月の南条氏宛の宗祖御遺文に見える新富士の神主のことからも、続いたことは勿論、分かるのですが、問答さんが引用された私の文章の意とするところは、熱原法難にかかる“一連の訴訟の終わりの時期”というニュアンスで書きました。


もし、差し支えなければ、熱原法難の終息の時期に関する、彰往考来さんの御高見を御披瀝頂ければ幸甚です。

3727犀角独歩:2009/01/14(水) 21:22:31

相変わらず、高飛車な書き方ですね(笑)

3728れん:2009/01/14(水) 21:24:18
犀角独歩さん

いえいえ、私の方こそ、独歩さんの鋭い視点から、学ぶこと頻りです。こちらの方が独歩さんより、多くの学恩を頂いているのですから、寧ろ私への気遣いはご無用に願います。

3729犀角独歩:2009/01/14(水) 21:27:01

れんさん、別段、あなたに対して、気遣いをしているわけではありません。
こちらでは、証拠を挙げて論じるというのが常道です。

単に違うと書くだけであれば、荒らしのような印象を受けるという意味です。
「違う」と書くより、かくかくしかじかという理由で違うと書くのが、こちらのよい習慣であったのに残念だという意味でもあります。

3730れん:2009/01/14(水) 21:42:12
犀角独歩さん

仰る通りですね。

私の先の浅慮の投稿で、逆にご不快の念をお与え致しましたこと、深くお詫び申し上げます。

        れん拝

3731犀角独歩:2009/01/14(水) 21:44:23

れんさん

いえ、違いますよ。わたしは彰往考来さんの投稿について、記しました。

3732彰往考来:2009/01/15(木) 08:03:14

管理人さんへ、

スレッド3727の
「相変わらず、高飛車な書き方ですね(笑)」
というのは、

【禁止事項】
2「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」等の侮辱表現、侮辱発言は、理由の如何を問わず堅く禁止します。もし、そのような表現や発言が見うけられた場合は、管理者がその都度、御注意申し上げると共に、その該当する表現、発言を含むレス全体を削除致します。

に該当しませんか?
注意喚起も、削除もありませんので該当しないというお考えでしょうが、それであればいたしかたありません。私は「該当する、少なくとも“非礼・無礼”な侮辱発現だ」と思っていますので見解が異なりますから、私がこの掲示板に参加することは混乱を招くだけと考えます。お世話になりました。さようなら。

れんさんへ、

貴殿からのご質問については別途回答します。上記考えから当掲示板に投稿するつもりはありません。

彰往考来

3733管理者:2009/01/15(木) 08:24:54

彰往考来 さま

>見解が異なりますから、私がこの掲示板に参加することは混乱を招くだけと考えます。

管理者の判断は、灰色です。もう少し成り行きを拝見させて戴きたいと考えていました。従来も、誰が見ても、真っ黒な場合は別として、少し経過を見させていただいてから、注意喚起をさせていただいております。

ご理解賜れますれば幸いに存じます。

3734彰往考来:2009/01/15(木) 23:13:04

管理人さま

本件は私に対する侮辱発言と考えています。
だれがどう思うと、私がそう感じたのですから侮辱発言以外のなにものでもありません。
よって、私は警告もしくは削除を求めているわけでそれ以上のなにものでもありません。
管理者として灰色というのは私は納得できないのですが、それはあくまで私自身の考えです。

管理人さん、あなたがどう思うかなのですよ。灰色ではないでしょう。白黒をつけなさい。逃げてはいけませんよ。
彰往考来が正しいのか、犀角独歩さんが正しいのか二者択一なのです。

私はあなたの決定に従います。犀角独歩さんが正しいならそれも可。

もっともそれなら私はこの掲示板から去るのみです。こんなことで議論している時間は私に残されていないのです。

私は昨年、肺線がんの申告を受けました。国立がんセンター東病院に入院しました。
残念ながらリンパ節にも転移しており手術できない状態でした。
抗がん剤と放射線治療を受け、なんとか職場復帰もしました。
でも私のステージでは5年生存率は20%です。どういうことかおわかりでしょう。

残された命をどう使うか、これは私の問題です。しかし、侮蔑発言を許すことはできないのです。

管理人さん、

もう少し、考えていただけませんか? この掲示板おかしくありませんか?
このような侮蔑発言に対して灰色だという姿勢を! まともではありませんよ。
その姿勢でどれだけのまともな人たちがこの掲示板を去っていったことがおわかりですか?

彰往考来

彰往考来

3735:2009/01/16(金) 03:44:49
 この掲示板は独歩さんには大甘である。

彼は自分が侮蔑されたと感じると即刻抗議と削除要請をするが、

自分が発する他を睥睨する傲慢さにはまったく無頓着であり、気がついてもいない。

削除要請は正当である。 (過去に数度投稿のご縁があった者の意見です)

大病見舞い申し上げます。為すことはひとつ。

3736犀角独歩:2009/01/16(金) 06:31:54

彰往考来さん

まずはお見舞い申し上げます。
心安らかに療養なさってください。

さて、今件に関する決済は管理者さんの一存ですから、わたしはどのような判断であろうとそれを受け入れるつもりです。これが大前提です。

あなたとのやりとりには、必ず加勢が出てきて、わたしを侮辱するということがずっと繰り返されてきました。それもいちおう甘受しましょう。

あなたは、わたしの発言が、禁止事項2に当たる、そうお感じなったと言うことでした。しかし、わたしが「高飛車だ」と言ったのは、むしろ、あなたの態度が問答名人さん、れんさんに対して、禁止事項といわないまでも失礼ではないかと思ったからです。

今回の質疑応答は、3714に質疑を発し、それに対して問答さんは、懇切丁寧に3715から3719、さらに3723と再三に亘り、長いコピぺを労をも惜しまずになさってくださり、そしてれんさんの過去のご投稿もご提示くださったわけです。
こうした学恩に対して、敬意を表すると共に大いに御礼を申し上げたそうした経緯があります。それをただ一言「違うでしょうね」と打ち消す様は、実に傲慢に映じた。よってわたしは「高飛車だ」と記したのです。

こちらの掲示板は、挙証をもって論じることを佳きルールとしてきました。それをただ一言を持って否定するような在り方にはわたしは納得できない。また、あなたは個人的にれんさんには応えるが、こちらでは投稿しないと言いました。こうした様は、単に知識の在る様を示すだけ示して、こちらへの挙証議論はしないということでしょう。そうした態度自体、こちらの掲示板の佳き有様を貶す態度であると映じます。

いずれにしても、今件はわたしの質問に端を発し、それに懇切丁寧に応じてくれた問答さんへの慈悲を前提に、それに対するあなたの発言、そして、それに対するわたしの発言という構造で判断されるべきことであると考えます。単にわたしの発言だけを切り出して、抗議するというあなたの在り方自体は、自分の発言がどのように映ったかという前提が欠落しているのではないかと、指摘することに留めます。あとは管理者さんのご判断に委ねることといたします。

3738管理者:2009/01/16(金) 08:01:21

彰往考来さん

>彰往考来が正しいのか、犀角独歩さんが正しいのか二者択一なのです。

「高飛車」というのは、「相手に対して高圧的な態度をとること」と言う意味ですが、それが、直ちに侮蔑発言になるかというと、これは灰色であると管理者は判断いたしました。当掲示板に言うところの侮蔑発言というのは、「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」と規定されていますが、直ちにそのどれかに該当するとは、管理者は判断できません。彰往考来さんの書き込みは、何の説明もなしに、「それは間違っているよ」と言われた訳ですから、客観的に見て、「高圧的」と見られても止むを得ない面が有ると思います。「高飛車な書き方ですね」との書込みに対して、「侮蔑発言」と直ちに判断する事は出来かねます。


愚さん

ご意見、今後の糧として拝聴させていただきます。


管理者の判断は、やはり「灰色」と言う外有りません。ご理解賜りたく存じます。

3739彰往考来:2009/01/16(金) 08:14:54

管理人さん、

ご趣旨は理解します。
ただ、灰色ということは半分は認めているということではありませんか。

>客観的に見て、「高圧的」と見られても止むを得ない面が有る
これはそのとおりですね。

>、「非礼・無礼、人権侵害、言葉の暴力」と規定されていますが、直ちにそのどれかに該当するとは、管理者は判断できません

少なくともスレッド3727の
「相変わらず、高飛車な書き方ですね(笑)」
というので、最後に“(笑)”が書いてある以上、非礼であり無礼であると考えます。
私にとっては灰色ではなく黒なのです。

本件で、議論応報はしたくありませんので灰色が最終決着ということであればそれに従います。

私はこの掲示板には今後投稿しないと申し上げましたが、れんさんのお考えに対して違うと言った以上、少なくともれんさんに対してはお答えする必要があると考えます。従って別途回答すると申し上げたわけです。

さて、この続きはどうしましょうか? 
喧嘩両成敗ではありませんが、3725と3727の双方を掲示板に対する非礼と認め、3731と3732を含め削除される、もしくは双方に管理人さんから警告を発するのであれば、本掲示板に、れんさんのお考えに対して私論を投稿します。

彰往考来

3740管理者:2009/01/16(金) 08:47:59

彰往考来さん

了解しました。別途、3725レスと3727レスに関して、管理者からのお願いスレッドにて、掲示板書き込みについてのお願いを申し上げます。

3741そううそ:2009/01/25(日) 21:35:14
こんばんは。
そううそです。

「四箇格言の功罪について」のタイトルで議論を進めて頂けないでしょうか?

現代人が納得できる日蓮教学 - 富士門流信徒の掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/

某所で学会員と思われる人と議論した時に当然のように他宗批判を行い、
その根拠として他力本願を取り上げていました。本来の他力本願の意味も
よく分かっていないようでした。他力本願自体はこちらのBBSの主旨から
外れますのでせめて、日蓮の四箇格言がどんなものか書かれていると良いと考えます。
折伏思想と絡んでいると思いますが、根拠となる経文や仏教的な思想なのか?
現代に通用するかどうか?

創価学会などの正宗信徒が四箇格言を持ち出し他宗を批判、あるいは
非難し、誹謗中傷する。地獄に堕ちるなどの脅迫を行うのは問題だと思います。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/485
>この問題は日蓮系では既成宗派も例外でない。
>なぜなら「四箇格言問題」が解決していないからです。

御願いばかりで申し訳ありませんが、富士門BBSの皆さんが色々と議論すると
見えてくる物があると考えます。

ではでは

3742あやめ:2009/02/23(月) 09:18:30
大石寺の宗規について教えて下さい。

正宗には本尊没収とかの罰則規定はあるのでしょうか。
つまり国法を犯した者。殺人とか巨額の詐欺事件とかを犯した者は
本尊没収に処するみたいな。あくまでも世法での話しです。
よろしくお願いします。

3743問答迷人:2009/02/26(木) 13:28:05

あやめさん

>つまり国法を犯した者。殺人とか巨額の詐欺事件とかを犯した者は本尊没収に処するみたいな。あくまでも世法での話しです。

創価学会では、刑事犯をよく除名にしますね。日蓮正宗では、そんな話は聞いた事は有りませんね。勿論、宗制宗規にもそういう項目は無かったと思います。

3744問答迷人:2009/02/26(木) 13:30:47

追伸です。

但し、創価学会でも、本尊を没収したという話は聞いた事は有りません。返してくれ、という要請ぐらいはするかもしれませんが。

3745宮本:2009/02/26(木) 18:38:43
横レスで失礼します
あやめさん
問答迷人さんへ
 補足的に説明しますと
 創価学会では、除名と決まった時点で、原則として
 統監(会員の管理手続のシステム)
の関係があって、本尊の返納を本人に求めます。(御本尊返納手続)
 理由のひとつは、当該会員が、監獄に収監されると思われる場合、長期の
 間、本尊が、ほったらかしになる可能性があるからです。

3746あやめ:2009/02/27(金) 16:35:22
問答迷人さん、宮本さん、レスありがとうございます。
そうですか、宗規にはないのですね。

>本尊が、ほったらかしになる可能性があるからです。

なるほど、たしかにその通りですね。

3747独善:2009/02/28(土) 23:29:03
まったく、その通り。完全にアウェーな掲示板です、普通の人は、ウンザリしています。

3748北斗☆:2009/04/28(火) 03:18:54
皆様、初めまして。

超初心者ですが、よろしくお願いします。

早速質問なんですが「日興」が「白蓮阿闍梨 日興」と名乗り出したのはいつ頃なんでしょう?
それから「本尊七箇相承」は、いつの時代の「遺文」なんでしょう?

是非教えて下さい。

よろしくお願いします。

3749顕正居士:2009/04/28(火) 20:54:12
>>3748
白蓮阿闍梨 祖滅後です。
本尊七箇相承 室町時代。口伝は「遺文」ではありません。

3750北斗☆:2009/04/29(水) 00:56:05
>3749:顕正居士さん


「白蓮阿闍梨」と名乗り出したのは日蓮死後ですか!

初めて知りました。

>口伝は「遺文」ではありません。
それは、失礼しました。

お答えありがとうございました。

3751北斗:2009/05/22(金) 21:22:56
皆様はじめまして。

初心者ですが、宜しくお願いします。

まさに「素朴な疑問」なんですが、あの大石寺は過去に「邪宗身延派」の本山に「参拝」しに行っていたとの資料をウェブ上で見つけました。

この情報って、信用出来ますか?

ネタ元は「地湧」なんですよ…
信用していいのか、悪いのか…

3752顕正居士:2009/05/26(火) 15:00:40
「日蓮正宗」という宗派が出来たのは明治の末年です。
ルター派、カルヴァン派に見られる「分派(sect)」ですが、日本ではめずらしい。
しかしその後にこの宗派が著しくカルト化したのは創価学会との抗争の結果です。
大石寺の坊さんもいまのところは立正大学で学んだ方たちがまだ主流ですが…。

3753宮本:2009/06/02(火) 01:32:06
 北斗さんへ
 大石寺が、身延派と交流していたのは、本当のようですね。
 ただし、教団の大きさといゆう点でみると、当初、身延派は、
 メジャーの大リーガーですけど
 大石寺は、マイナーリーグの球団のような違いじゃないのかな。
 で、邪宗身延派といゆう表現でなくて、日連宗の身延派といゆう
 表現にしてね。

3754通りすがり:2009/06/02(火) 13:08:39
身延派という表現はありませんね。
日連宗ではなくて、日蓮宗。
日蓮宗は日蓮宗であって、身延派という呼び方は、カルト化した大石寺系の
教団が言い出したものではないでしょうか。

3755れん:2009/06/02(火) 16:22:52
現在の日蓮宗は、一致派と旧本門宗・旧顕本法華宗の合同宗派ですね。
たしかに身延山を祖山とする点で身延派といえるかもしれませんが、日蓮正宗の様な単一門流の宗派ではないので、石山や創価の認識と、日蓮宗の実際は違うものと言えるでしょう。

3756彰往考来:2009/06/03(水) 07:52:02

創価学会では邪宗日蓮宗(最近は他宗という表現が多い)とか身延派という表現が多々みられますが、管見に入った限りでは石山・創価系を除く日蓮宗関連の書籍・文献で身延派という表現は見当たりません。
つまり現実には身延派という宗派は存在しないのです。3754でのご指摘どおりでしょう。

3757宮本:2009/06/03(水) 07:58:51
おっと、私の間違いですね。ごめんなさい。

3758犀角独歩:2009/06/03(水) 08:09:33

わたしは過去、数回、新潟県に講演・講師に行きました。敢えて、名前は伏せますが、会場となったとある寺院では入口の看板に「日蓮宗身延派○○寺」と書いてありました。

日蓮宗では、創価学会や顕正会への反論で「身延派なんかない」といったりしますが、実際は、上述したような例はあります。

ここの寺院住職がどんな意図で「身延派」と寺門に刻んだのかは確認しませんでしたが、取り敢えず、一例として、紹介しておきます。

3759プーさん:2009/06/04(木) 23:24:01
で、貴方はそういう宗派の誤った独善主義を掲揚したいのですか?

3760宮本:2009/06/05(金) 21:58:42
れんさん、彰往考来さん、犀角独歩さん今晩は。
>彰往考来さんへ
 僭越とは、思いますが、お体の調子は、どうですか。

今、他のサイトにある彰往考来さんの論文、
拝見していたところです。ちょいと私の頭では、なかなか理解できていない
ので、もう少し時間をかけ、何度が拝見させてもらいます。

>犀角独歩さんへ
 久しぶりです。へー新潟県に講演とは、いいですね。
私の友人の作家さんも、方々に講演に行っていますが、
言った先での、おもしろい話やら、なんだかんだと
話しています。もちろん、私の方は、碩学でもなく、
一書を世に出したわけでもありませんが。

3761彰往考来:2009/06/06(土) 11:04:05

>3760 宮本さん

ご心配をおかけしました。今、調子はよく、薬ももう飲まなくなり経過観察の最中です。
医師からはアルコールも解禁となっています。ただちょっと疲れやすいので無理をせずにというところです。

彰往考来

3762犀角独歩:2009/06/06(土) 21:19:49

宮本さん

新潟への講演、たぶん、2度と行くことはないと思います。

もし、行くことがあれば、衆生無辺誓願度を文字通り、日蓮宗は実行している証拠ということでしょう(笑)

3763通りすがり:2009/06/06(土) 22:09:04
あれ?犀角さん日蓮宗と何かあったのですか???

3764北斗:2009/06/08(月) 12:58:32
3753:宮本さん

やはり大石寺は身延門流と交流があったのですね。

過去に交流がありながら、大石寺は「邪宗身延派」とか言うんだから、私からすると「呆れて」しまいます。

>で、邪宗身延派といゆう表現でなくて、日連宗の身延派といゆう 表現にしてね。


この「邪宗身延派」と言う表現は、上記のような意図から使ったものです。

他意はありません。


3756:彰往考来さん、3755:れんさん、3754:通りすがりさん

身延派と言わないのは、しっかりとは私は「認識」していませんでした。(但し、門流は知っていました)てっきり「通称」として日蓮宗内で使われているもんだと思ってました。

ご指摘ありがとうございます。

3765顕正居士:2009/06/08(月) 17:36:39
日興門流は八本山の中の五山が富士にあるので場所をとって富士門流ということはあります。
「富士派」は大石寺が日蓮宗興門流から脱退し単立した際に日蓮宗富士派と称した(だから
富士派=大石寺派で富士派=富士門流とはいえない)。対して日蓮宗身延派という呼称は
歴史上にありませんが、日向門流を場所をとって身延門流ということはできます。その場合には
あくまで日向系だけを指します。
日蓮に始まる宗派の歴史上の名称である「日蓮宗」と法人名を区別する場合には「単称日蓮宗」
といいます。江戸時代にすでに身延山は大勢力でしたが、近代に単称日蓮宗が日蓮教学の
主流を制したのは金沢の充洽園学派出身の優陀那日輝とその門弟たち(日薩・日鑑・日修)の
活躍によります。宗学を近代化したこの学風を「大崎教学」と称します。立正大学の主流の教学
です。ただし浄土真宗両派と比較すると教学の近代化といっても相当な見劣りがあります。

3766ケン:2009/06/09(火) 18:22:08
顕正居士さん

>3765
>宗学を近代化したこの学風を「大崎教学」と称します。
>・・・ただし浄土真宗両派と比較すると教学の近代化と
>いっても相当な見劣りがあります。

とのことですが、「教学の近代化」とは、具体的には
どのようなことを意味するのでしょうか。
仏教(宗教〕一般について、あるいは、日蓮教学に
おける「大崎教学」での近代化の内容や、浄土真宗両派に
おける近代化の内容について、基礎的なことをご教示いた
だければ幸いです。

ボクは、30年ほど前の日蓮正宗創価学会時代に
創価学会教学(教学?)をほんの少々かじった
ことがある程度の初心者で、それ以降は、
特に勉強はしていませんので専門的なことは
理解できません。恐縮ですが、とりあず、
基本的なことのみで結構ですので、宜しく
お願いいたします。

3767顕正居士:2009/06/10(水) 18:16:34
教学の近代化とは形式的には正典の編纂、客観的な宗学の研究を行なう機関の設立、
内外の研究者の論文を掲載する学報の発行でしょう。それぞれ昭和定本、宗学全書、立正大学、
大崎学報として実現しています。
これらの形式の実現には前提として科学的思考が必要です。16世紀には西洋の天文と地理の
知識が伝来しましたが、江戸時代の仏僧は須弥山説を墨守し続けました。知識を求める人達は
儒学、洋学、国学を学び仏学は顧みないようになりました。
しかし儒洋国三学の科学的思考の影響下についに富永仲基と服部天遊が現れて科学的仏教学
の端緒が開かれました。富永の『出定後語』に依って迷信的仏教を批判した著に平田篤胤の
『出定笑語』があります。優陀那日輝は仏書を読む前に平田氏のこの書を読めと奨めています。
日輝は仏縛、祖縛、自縛の三縛を離れよと説きました。正しい知識に至るためには釈尊や日蓮の
説、また自己の信念にも捉われない必要があります。彼の宗学上の大功績は立正安国論を
全面的に否定したことです。徳川泰平の世に安国論は無用であるが、鎌倉時代にも無用だったと。
安国論は関西の宗教戦争の論理を関東に輸入しようとした書です。北条氏の信仰自由の政策に
よって関東は比較的に平和であったが、関西は信長と秀吉の比叡山、本願寺、雑賀寺等の討伐
まで宗教勢力が戦国大名並の武力を備えていました。
日輝は19世紀前半の鎖国下の仏僧として実に科学的思考ができていたと思います。(続きます)。

3768ケン:2009/06/10(水) 20:37:23
顕正居士さん

具体的で分かりやすい解説を頂き、ありがとうございます。
優陀那日輝の名前は記憶がありますが、立正安国論を否定した方だったとは、吃驚しました。
続編を楽しみにしております。

3769犀角独歩:2009/06/11(木) 18:03:06

TT さん

はじめまして。本尊を買うということでしたら、例えば日蓮宗新聞の売店では、日蓮宗教師の紹介があれば、宗定漫荼羅のレプリカは買えるんだそうです。
日蓮の筆っぽい掛け軸型ならば、仏壇屋で買えます。

お示しの安82、要は大石寺が言うところの紫宸殿(師資伝)本尊は、レプリカはないとは思います。

いつであったか、顕正居士さんが、該当のサイトから画像をダウンロードして、本尊とする風潮が海外にあるというお話をしてくださいました。
善い紙を選んで、表具をしてもらう方法もあろうかと存じます。

実際、わたしが懸けている本尊は大縫さんが、質のいい印刷をされた者を表具師に依頼して仕立てたものをくださったものです。安92本能寺所蔵、弘安3年5月8日本尊の実寸より小振りのものです。

日蓮宗では、坊さんに依頼して、開眼、裏書きをしてもらって、正式な本尊とするのだそうです。わたしは、その必要を感じないので、そのまま懸けました。
そうした法儀を望むのであれば、どなたか願いを聞いてくれる坊さんをお探しになればよろしいかと存じます。

3770犀角独歩:2009/06/11(木) 18:04:23

TTさん、こちらは、管理者さん用のスレなので、以下に移動しました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/3769

3771顕正居士:2009/06/11(木) 23:39:28
(続き)新政府の神仏判然令と三條の教憲はさすがに仏僧達に危機感をもたらしました。
仏教は基本的に現世の事柄に関わらないので人々が信仰する神々を守護神として内部に
取り込むことによって利益や祟りの信仰を成り立たせていたからです。それが強制的に
分離されかつ神々のほうが仏菩薩の上に立つことが明示されました。
仏教が迷信でないことを示すしか生存の道がないと考えた僧侶達は西洋の仏教学を学び
あるいは戒律を復興し宗派の改革をはかりました。単称日蓮宗もいちおう近代化しました。
しかし明治以後、今日まで名高い仏教学者というと真宗両派の人が圧倒的に多く、
曹洞宗がこれに次ぎ、日蓮宗各派の人というと宗学者以外には実に乏しいのです。
これはむろん勢力の違いはあります。宗派の実勢は僧侶数でかなり正確にわかります。
現在、単称日蓮宗の僧侶は約8千名で日蓮正宗の10倍、日蓮諸派合計の8割を占めます。
しかし真宗大谷派はその倍、真宗本願寺派は4倍、真宗九派合計すると実に8倍もおります。
分派無しの曹洞宗は約倍です。日蓮宗や日蓮諸派は三大宗派の中では相当に弱小です。
とはいっても勢力の問題だけではなく、日蓮教学自体が真宗教学のようにインド仏教からの
発達として合理化ををはかれるような状況にないのもたしかに見えます。

3772ケン:2009/06/12(金) 08:13:00
顕正居士さん

ありがとうございました。

関連質問として、もう2点だけご教示下さい。

1点目は、
>日蓮教学自体が真宗教学のようにインド仏教からの
>発達として合理化をはかれるような状況にないのもたしかに見えます。
とのことですが、ここで「状況」というのは、何か教義・教学の性格的な
面で本来的に差異があり、日蓮教学は、合理化ないし進化・発展を困難に
するような教義的要因をもともと含んでいるということなのでしょうか。
それとも、宗派がおかれている何らかの社会的/経済的環境面とか、
宗派内部の組織的な体系面とかに何か問題があるということなのでしょうか。

2点目は、仏教系研究者・専門家の多くが、現在目指している研究の方向とか、
注目しているトピックスのようなものがありますか。
あるいは、ここ四半世紀ないし半世紀ほどの間に、研究者・専門家に
注目された著名な研究成果はどのようなものでしょうか。

宜しくお願いいたします。

3773顕正居士:2009/06/12(金) 15:51:36
親鸞には『教行信証』、道元には『正法眼蔵』という大著があり、すでに宗祖において十分教義が
安定しています。対して日蓮には本尊抄など多少理論的な著があるものの、遺文の大半は別の
五時のごり押しと久遠実成があるから本門が迹門に勝れるという理屈に尽きています。
別の五時をごり押せば法華観経同時で終ってしまう。本門に久遠実成があるからといって本門の
実相なるものが別にあるのか?日蓮宗が成立するための根拠が日蓮の遺文には明らかでない。
室町時代の大勢は天台宗の新教義を学び日蓮的にアレンジした口伝を作り、本門独自の実相を
述べ、他宗批判を一時の方便として後退させる方向に行った。この完成態が『御義口伝』であり、
日蓮諸派の実際の主要聖典になった。日蓮教義もいちおう安定をみたのですが、近代の文献学
はこの著が宗祖に遡れないものであることを示しました。しかし宗祖の段階では教義が未完成で
あったことを素直に認めるべきでしょう。日蓮宗の場合は宗学の議論に精力を費やし、仏教史上の
地位の考察にまで及ぶ余力がなかった。
日本仏教の研究の新動向としては鎌倉新仏教なるものの過大評価の修正、旧仏教の再評価、
また親鸞、道元、日蓮ともに本覚思想の発達過程で現れた思想家として内容上大差がないものと
認める方向があります(SGIの英訳日蓮遺文の翻訳者ジャクリーン・ストーン氏など)。
インド仏教の研究の新動向としては大乗仏教が部派仏教から発達したものとする説が有力に
なって来ています。

3774ケン:2009/06/12(金) 19:14:27
顕正居士さん

ありがとうございました。

私の基礎学力がもともと不足しているため、
ご解説を完全に理解するには至りませんが、
問題の所在は非常によく分かりました。
また、最近の動向についてもありがとうございました。

3775TT:2009/06/12(金) 21:56:28
ご指導ありがとうございます。
本能寺の本尊は、写真集から印刷されたんですか?

3776TT:2009/06/12(金) 22:03:10
犀角独歩 様

重複してしまい申し訳ありません。
私も、日蓮仏法を信じてやっていますが、大石寺教学では
もう話にならないことがわかりました。
本能寺所蔵の本尊のレプリカは、入手する方法はありますか?
また、失礼ながらご指導賜りますよう、御願いを申し上げます。

3777TT:2009/06/12(金) 22:15:43
犀角独歩 様

私も、同じく開眼や相伝などは、信じておりません。
坊主を堕落させる教義であり、聖祖の意でないことが明確に把握できます。
どうか、私はまだまだこれから勉強しなければいけないと思っていますので
どうか、これからもご指導、ご鞭撻、賜りますよう御願い致します。

3778犀角独歩:2009/06/13(土) 06:02:39
TTさん

こちらは、管理人さんのご意向で「さん」付け統一です。
わたしもそのようにいたしますので、お気軽にどうぞ。

さて、お尋ねの件ですが、所蔵の複製は大縫さんから頂戴したもので、特に販売されていたものではありません。

日蓮仏法については、問答名人さんが運営されるこちらの掲示板で、価値ある議論が多くなされてきました。

また、碩学の顕正居士さんのご参加もあります。
わたしも及ばずながら、お応えできることは何なりとお応えさせていただく所存です。

3779TT:2009/06/13(土) 10:38:26
管理人さん
大縫さん
顕正居士さん
犀角独歩

これから、お世話になります。
TTでございます。
教学について、ご指導いただければ幸いでございます。
何卒、伏してお願いを申し上げます。

3780TT:2009/06/13(土) 10:40:27
犀角独歩さん

手前に犀角独歩さんに、さんが抜けてしまいました。
大変に申し訳ありません。

3781TT:2009/06/15(月) 07:03:52
勤行というのは、どのようにすればいいのですか?
わかる方いらっしゃいましたらご指導宜しくお願いします。

3782そううそ:2009/06/17(水) 02:18:14
こんばんは
TTさん
はじまして、ハンドル名、「そううそ」といいます。

 そのうちどなたかがきちんとコメントしてくれると思いますが
あくまでも私個人の考え方を少しだけ書きます。

経文とは何なのでしょうか?
それを読む意味って何でしょうか?

経文を読んで書かれている内容を参考にして自分で考え、
困っている人や悩んでいる人を目の前にして救いの言葉や行動を
「与える」事が経文を読む目的だと私は考えています。
様々な経典には過去、人が納得出来たり人が救われたという
事実に近い記録や妄想、あるいは思想が書かれていると思います。

いろいろあると思いますが、一つ言えば病気の人がいれば
薬で済ませるか手術して直すかの手順書みたいなものでしょうか?

この病気にはこの薬。
この臓器の手術方法はこの様に。
とある不安や悩み事を抱えている人には「だいじょうぶだよ?」「こんな経験をした人がいるよ?」

対処、対策、言葉はなんでも良いですが、助け方を知らないよりは知っていた方が良いと思います。
ですから経文を読む目的は 「知ること」「記憶すること」 ではないでしょうか?
経文を日々読むという事で宗教的な意味としては次世代にも
経文の内容(良き宗教思想)を教える為、というのもあるのでしょう。
ですから現代人が他人を救おうと思って意味も内容も知らないで
漢文と日本語読み(?)の中間的な法華経読誦はほぼ無意味だと思います。

勤行で「人を救うという日々、決意をするのだ!!!」という人もいるでしょうが、
強く言う人であればあるほど、私はそこに不健全を感じます。

以上、私の勝手な考えを書きました。
原始仏教や日蓮遺文、宗教的な意義はどなたかがコメントをして下さると思います。

3783ケン:2009/11/07(土) 22:41:11
「宗要集雑帳私見聞」(称名寺(横浜)金沢文庫保管)なる書物は、
有名なものなのでしょうか。
また、この掲示板で話題になったことがあるのでしょうか。

本日、神奈川県立歴史博物館の「鎌倉の日蓮聖人」展を見てきました。
展示品の中に、「宗要集雑帳私見聞」という書物があり、解説によると、
「日蓮が川崎の竹円房という僧侶と最明寺殿(北条時頼)の御前で論議を
おこない、言葉に詰まって負けとされたという記事を含む史料。・・・」
とあります。
簡単に教えていただければ幸甚です。

3784独学徒:2009/11/08(日) 01:19:03
ケンさん、はじめまして。
「宗要集雑帳私見聞」につきましては、2年ほど前に冨士教学研究会のブログで取り上げました。
再表示を試みましたが、上手くいきませんでした。
「宗要集雑帳私見聞」は14世紀初頭の識語がありますので、日蓮滅後30年〜40年の間に書されたもののようです。
文中には「報恩集(報恩抄の事)」など日蓮の著作も出てきます。
川崎の竹円房との出来事が事実であったかどうかは検証が出来ていませんが、鎌倉末期の天台文書にそのような記述があることは事実だとおもいます。
たしか金沢文庫研究かなにかに翻刻されていたと思います。

3785ケン:2009/11/08(日) 10:52:20
独学徒さん
ありがとうございました。

ところで、極めて初歩的な関連質問で恐縮ですが、
日蓮が、直接、北条時頼又は北条時宗、ないし幕府要人と面談した史実は、
どの程度確認できているのでしょうか。
どなたかお教え下さい。

3786独学徒:2009/11/08(日) 20:39:44
「如前迄両度諫国主最明寺殿。任不借身命之経文不簡念仏・真言・禅・律・天台・花厳・三論・法相等之諸宗、散々破之、散々責之。」(前の如く両度に迄びて国主最明寺殿を諌む。不惜身命の経文に任せて念仏・真言・禅・律・天台・華厳・三論・法相等の諸宗を簡ばず、散々に之れを破し、散々に之れを責む。)

以上は、時期的には「宗要集雑帳私見聞」の披見を経てから書されたとも推測できる、偽書「法華本門宗要抄」の一文ですが、立正安国論奏上の他にも最明寺殿との接見があたっとも思える記述だと思います。

御真蹟では「故最明寺入道見参御書」(定本456頁・御書全集未入集)に、「為天魔所為之由、故最明寺入道殿見参之時申之。又立正安国論挙之。」(天魔の所為たるの由、故最明寺入道殿に見参の時之を申す。又立正安国論之を挙ぐ)とあり、立正安国論奏上の前に最明寺殿との接見があった事が記されています。

東鑑等は検索していませんので、ご存知の方はご教示をお願い致します。

3787ケン:2009/11/09(月) 13:04:12
独学徒さん

ご面倒をおかけしました。
ありがとうございました。

3788彰往考来:2009/11/10(火) 07:57:56

独学徒さん

>3786 東鑑等

東鑑には日蓮関連の事項について記載はなかったと記憶しています。

3789ケン:2009/11/14(土) 17:26:15
彰往考来さん

ありがとうございました。
ここ数日、バタバタしていてお礼が遅れてしまい、大変失礼しました。

東鑑及び真蹟遺文から判断する限り、時頼とは少なくとも1回は会ったことが
確認できるだけであり、時宗と会ったことは確認でないことが分かりました。

ボクの中の日蓮像が、またまた、若干小さくなりました。
いずれにしても、ありがとうございました。

3790北斗:2009/11/24(火) 04:46:32
実に素朴な疑問です。

石山や学会信者さんの「結婚式」って、どんな感じなんですかね?

まさか「教会」だの「神社」じゃあしないだろうし(笑)

疑問に思ってしまいました(笑)

3791顕正居士:2009/11/24(火) 23:32:54
今の日蓮正宗では寺院で仏式で行います。
仏式婚礼は田中智学居士がはじめたものです。
実は神前婚礼も大正天皇のご成婚がはじめとされます。
創価学会員は会館挙式ですが、キリスト教式でやる人も
最近はいると聞きます。

3792幻明影偲:2009/11/25(水) 00:02:44
顕正居士さん

創価学会員の結婚式は夫婦共々、会員であれば会館挙式を行う事例もあるようですが、片方が非会員の場合(特に女性が非会員の場合)海外でキリスト教の儀式に則り挙式を行う事も多々あるようです。
やはり時代の変化を感ずる昨今でございます。
また学会の会則にも形式的な事をなかったと記憶しております。

3793北斗:2009/11/25(水) 12:36:26
顕正居士さん

>今の日蓮正宗では寺院で仏式で行います。


やはり、そうですか…。

まぁ、門徒同士なら問題にならないでしょうが、違うとなると「揉める原因」となりそうですね。




>創価学会員は会館挙式ですが、キリスト教式でやる人も
最近はいると聞きます。




これまた、「ホーボー」じゃないっすかね?

確か、神父に言われるはず…

「神の前で云々…」と。

ま、学会だから仕方ないっすね(笑)

3794幻論乙坊:2009/11/25(水) 22:12:51
家人の結婚式でしたが、かれこれ30年前後となります。
私以外の親兄弟は創価学会員で在ると同時に石山信徒で在った訳です。

式は総合結婚式場で執り行いました。
そこに僧侶がお見えになると云った形式でした。

式次第は当然(自分の事でもないし年月が経過している)の如く覚えておりません。

とあるHPで以下のものが御座いました。

来賓・新郎新婦・式衆着席
②開式宣言
③初楽・道場偈・三宝礼
④勧請
⑤開経偈
⑥読経(自我偈)
⑦奉告文(ぶこくぶん)
⑧念珠授与
⑨祖訓
⑩宣誓
⑪中楽
⑫盃礼
⑬授証(婚姻の儀式を挙行したことを証す)
⑭証明
⑮四誓・奉送
⑯納楽
http://www.town1.jp/index.html

私が記憶しているのは
上記⑥読経(自我偈)
では無く、助行のち正行を全員で唱えた事。
⑫盃礼だろうが
三々九度ぐらいです。

⑧念珠授与
等は無かった様に思うのですが?
いや、助行・正行・三々九度だけであったように記憶している。
が、まさかそんな事も無いでしょうね。
しかし結構短時間であった様に記憶しています。

「結婚式は、御本尊の御前で僧侶の導師のもとに読経・唱題し、家内安全と子孫繁栄、
一家和楽をご祈願します。
その後、三々九度の盃を交わし、末永い夫婦の契りを結びます。」

法華興員の心得より

愚考ですが
三々九度は神道の流れなんでしょうか「三献の儀」?
そしてあの盃に注ぐのは御神酒と云うのか?
まあ処変われば何とやらで呼称も違うのでしょうね。

3795富士川一郎:2009/11/26(木) 16:51:36
三々九度は、本来は神道でも仏法でも無く、日本古来の杯ごとから来ております。
親族固めの杯、任侠世界の杯など色々ありますが、要約すると、1つの杯を共同で呑みまわすことにより、契りを結ぶことです。
三々九度の起源は、応神天皇の逸話にあります。
応神天皇が山城の国で出会った美女に、その名を尋ね彼女は“矢河枝比売”と答えたため、(日本古来では女性が名前を告げるのは求婚に応じる意があります)天皇が翌日その家へ行ってみると、彼女の父は娘に天皇に仕えるように諭し、彼女はご馳走を用意し天皇に御盃を捧げ、天皇は歌を歌われたという話だそうです。
現今の正式な三々九度は以下のようになります。
一の杯・・・新郎〜新婦〜新郎
二の杯・・・新婦〜新郎〜新婦
三の杯・・・新郎〜新婦〜新郎
これらの順番に、三度の杯ごとが、三回行われるので「三々九度」となります。
実はこの順序は、イザナギとイザナミ逸話から来ております。
記紀の国生み神話にて、イザナミ(妻)から先にイザナギ(夫)に声をかけて、失敗し、夫から先に声をかけるようにやり直したと記載されております。
これが元で、日本では古来この順序は重要となっております。

もっとも今では神式ですらここまで厳格に守らず、略式を行うことが多いそうです。
日蓮正宗は今でもここまでやるので(杯ごとごとに御宝前に進むので時間がかかるんだが)、あまり若者には受けず(多少イラッとするそうです)、略式にする動きもあるそうですが、ほとんどの寺院は今でもこのように行っております。

さて、本来はここに親族固めの杯が行われるんですが、最近の核家族傾向により、これは省略されることが多いようです。

3796幻明影偲:2009/11/27(金) 13:13:17
曼陀羅を何故板に刻む風習が出てきたのか最近考えています。        石山だけでなく、身延や各山にもあるわけで位牌などもそのような経緯があったから板に刻むようになったのか、考えている所存です。

3797阿仏棒:2009/11/28(土) 10:11:53
そもそも日本で結婚式を現在のようにとりおこなうのは近代になって
キリスト教の結婚式の影響を受けてからで、
それ以前は親類縁者があつまって飲み食いして御仕舞というような有様だという話を
以前どこかで読みましたぞ
つまり坊主も神主も出番なし。

個人的にはキリスト教会、だってカッコいいし、賛美歌を皆で歌ってそりゃあいいものです。

3798阿佛棒:2009/11/28(土) 10:33:49
お酒大好き日蓮
というのを子供の頃、どこかで聞いており、坊さんはお酒飲んじゃだめじゃなかったっけ?と
いうのが長年の疑問というか、私の中では日蓮酒豪伝説になっているのですが
本当の所どうなんでしょうか?

3799顕正居士:2009/11/28(土) 18:44:11
不飲酒戒は五戒の一つで、仏教はイスラームと同じに禁酒を重視しています。
しかし日蓮当時の比叡山は一大軍事勢力とすでになっており、不殺生戒を
放棄している以上、戒律は全く空文に帰していました。

3800ケン:2009/11/28(土) 21:07:40
曼荼羅(本尊)の形式についての初歩的質問があります。

かなり昔に、大石寺(常在寺)から下付して頂いた曼荼羅では、中央下部に「日蓮」とその花押が記され、実際の作者の記名は、中央からずれた位置にあります。
しかし、日朗、日像などの曼荼羅では、中央下部に、実際の作者名(日朗や日像)とその花押が記されているものが残っているようです。

そこで、質問ですが、中央下部に「日蓮」と「花押」を記す形式は、日興門流だけの特徴でしょうか。
日興自身の作になる現存曼荼羅も、全て同じ形式でしょうか。
日興門流では、その形式が代々引き継がれて現在に至っているのでしょうか。

一方、朗門などでは、日朗や日像の形式が代々引き継がれて現在に至っているのでしょうか。

日興門流の中には、現在は、日蓮宗に所属している寺院があると思いますが、それらの寺院が、現在、信徒に下付する曼荼羅(本尊)の形式は、どちらの形式でしょうか。

宜しくお願いします。

3801独学徒:2009/11/29(日) 11:39:24
ケンさん、

主題直下に「日蓮在御判」と記すのは、身延系でもままみられますが、歴代々と継承されている門派としては、富士門流の他に什門があげられると思います。

富士門流においては、現在の所属の宗派によらず主題直下は「日蓮在御判」と記すのが通例です。

但し新規の信徒に本尊を書写する例は稀です。
現在の日蓮宗内の富士門流では、末寺経由で北山本門寺に申請し興師曼荼羅の御形木(製版印刷・妙師授与)の授与を受けるようです。
単立の安房妙本寺は直接本山に相談して興師曼荼羅の御形木(こちらも写真製版・郷師授与)の下付を受けるようです。

3802犀角独歩:2009/11/29(日) 13:37:28

横レス、失礼します。
今回の独学徒さんのご投稿を拝見し、何故、創価学会が興門由緒寺院に接近するのかが分かったような気分になりました。
彼らは、頒布する本尊を日興書写に切り替えたく、その原本を提供する寺院を、巧妙な手段を使って籠絡する作戦に出ているわけですね。
学会僧、創価大の学者の出入りは、そんな危険信号なんでしょうね。

3803幻明影偲:2009/11/29(日) 14:16:01
曼荼羅についてはこだわりを持つ理由もなく、また根拠もありません。
それは一宗派の問題だからです、
ですので、疑問に感じられましたら、日蓮の曼荼羅に尽きると思います。

私は現在は仏壇の中に、ありませんが安82、92、93番の曼荼羅(板)

を所有しています。

しかし仏壇にあっても然程、影響はないと存じます。

3804ケン:2009/11/29(日) 14:33:21
独学徒さん

ご丁寧にご教示いただき、ありがとうございました。

ところで、身延系寺院で、仮に、本尊の書写が新たに必要になった場合、日朗や日像の曼荼羅の形式のとおりに、主題直下には、書写される方が記名されるのでしょうか。
身延系のことを此処で質問するのも変ですが、ご存知の方がおられれば、宜しくお願いします。

3805独学徒:2009/11/29(日) 18:08:54

ケンさん、

まず身延系と不適切な表現を用いまして失礼致しました。
朗門系でも貫首によっては主題直下に「日蓮在御判」と記す場合もあり、また直接自著花押を記す貫首もいますので一様ではないと思います。
富士門流のように、そこに強いこだわりがあるわけではないと思います。


犀角独歩さん、

創価学会が興門由緒寺院に出入りしていることは初めて知りました。
しかし安房妙本寺には数年来学会僧のUFO氏が虫干に多くの信徒をバスで連れてきており、自身も内陣に着座する高待遇を受けています。
この点は正直安房妙本寺が何を考えているのか良くわかりません。
旧来の兄弟本寺である小泉久遠寺の貫首や、古文書研究では密接な関係にある興風談所も外陣の檀家総代と同じ並びに着座していますが、学会僧が内陣にいるのはいったいどういうことなのかと将来を危惧します。

3806ケン:2009/11/29(日) 19:09:46
独学徒さん
よく分かりました。ありがとうございました。

3807幻論乙坊:2009/11/29(日) 19:20:47
先日まで開催されていた「日蓮と法華の名宝」に於いて首題直下で目に止まった出品物が御座いました。

123(出品番号)日蘅等一遍首題本尊 桃山時代 天正18年(1590)

日蘅師は本圀寺 第16代貫首です。
本、一遍首題本尊は来住法悦に授与され、氏は岡山の豪商で日蘅師と知己であったそうです。
全21の一遍首題が上下二段に書かれた様式となっており、どれも首題直下に寺院名と名が記されています。(花押も記されていたと思うのですが?)

上段中央に日蘅師があります。
上段左より「本禅寺・本隆寺・本法寺・立本寺・頂妙寺・本圀寺・本満寺・要法寺・妙蓮寺・妙顕寺」

下段左より「日元・練意・日典・佛光寺・(方+ム?)法寺・本住寺・蓮昌寺・孝?・?・妙伝寺・教蔵院」
中央の本圀寺より右の二つ隣に要法寺、日賙と認めました。
日賙師の在位期間を石山で見ると日主師となりますか。
日主の後の日昌師より石山に続けて九代登座されますが、要山では首題直下に蓮祖以外の名を入れるのに然程喧しく無かったのかもしれませんね。
造仏もこの頃には在ったようですし、又他門流との交流も頻繁に行なわれていたのかな?
と、愚考するしだいです。

京、日蓮法華に於ける最大門流寺院の妙顕寺が上段右端に追いやられているのと、下段の妙伝寺にも目を見張りました。

3808独学徒:2009/11/29(日) 19:54:44

幻論乙坊さん、

ご無沙汰しております。
私の管見では要山歴代で曼荼羅書写を行っている貫首は、みな主題直下は「日蓮在御判」となっています。
賙師についても例外ではなく、かつて大縫さんが談義所でご投稿下さった通り、主題直下は「日蓮在御判」でした。
件の一遍主題本尊は、本国寺貫首の働きかけによって行われた「寄せ書き」的な主題集であり、この一点をもって要山の曼荼羅書写を云々は出来かねるものと判断いたします。
本国寺はこの時期、一致派内でも身延山よりも影響力を持っていたといわれますね。
件の一遍主題本尊のように、豪商や権力者を味方につける手腕に長けた貫首・僧侶が多くいたのではないでしょうか。

3809ケン:2009/11/29(日) 20:09:30
幻論乙坊さん
ボクも京都国立博物館の展覧会は、11月初旬に用事の途中でのぞきました。
展示目録(解説本)を買ってこなかったのですが、ご紹介の出品物には、
かすかに記憶があり、要法寺があるかなと探したことを思い出しました。
いずれにしても、ありがとうございました。

3810ケン:2009/11/29(日) 20:39:14
独学徒さん
3809は、独学徒さんの3808のご投稿があるのを知らずに投稿しました。
3809の通りですので、幻論乙坊さんからご紹介のあった出品物の概要は覚えています。
ですから、独学徒さんが3808でご説明いただいたとおりの「寄せ書き」的な主題集であるとのご説明も理解できます。
以上、念のため、お礼と共に申し上げます。

3811犀角独歩:2009/11/29(日) 23:25:35

亀レスで恐縮ですが、3800でケンさんが疑問を呈された門下一般信徒に下付される「本尊」について。

以前、独学徒さんが、写真をアップされた「伝日蓮図示」漫荼羅の印刷を下付するのが一般ですね。

この印刷物は、身延山久遠寺の売店や、仏壇店などで購入できます。
特に寺と関わりない方は、仏壇を買ったときについてくるこの印刷物を本尊として仏壇に飾るのでしょう。

少し寺と関わりがあれば、住職に裏書きを頼みます。いわゆる「開眼」です。
また、住職の紹介があれば、日蓮宗新聞の売店で「臨滅度本尊」のレプリカの掛け軸が購入できます。日蓮宗の見解では、この印刷物は美術工芸品。しかし、教師が開眼すれば「本尊」ということになります。

百日荒行五度万行で漫荼羅の書写相伝があるということでした。
この相伝に基づけば、門下一般に通用する書写漫荼羅です。
しかし、別段、相伝が無くても、書く人は書きます。
ちなみに、わたしは手書き漫荼羅本尊を2舗、仏像は3体。それぞれ、開眼を経て、頂戴しています。

大石寺・創価学会・顕正会などでは、漫荼羅は個人1体が鉄則ですが、これは彼らの勝手な取り決めであって一個人に複数の漫荼羅を授与している例は、上古より珍しいことではありません。

雑駁ながら、五老門下では、以上のような本尊授与の様となっているようです。

3812犀角独歩:2009/11/29(日) 23:30:47

3805 独学徒さん

ご返信、ありがとうございます。

わたしは、こうした様に大いに危惧を抱いています。
重宝虫払に集まってくる人々の「謗法同座戒め」にもっと矜持を質すべきであると考えます。

集まる人間を容易に受け入れないよう寺院僧俗の注意を促したいと存じます。
お気をつけください。

3813幻論乙坊:2009/11/30(月) 00:08:46
独学徒さん
今晩は。

>この一点をもって要山の曼荼羅書写を云々は出来かねるものと判断いたします。

〇全くおっしゃる通りと認識致しておりまして、要山に於ける曼荼羅(諸尊勧請を有する)書写で
首題直下に歴代貫首の名が記されたものが散見出来るか、どうか把握は致しておりません。

先の展覧会に於いて、他門派と連名で一遍首題を揮毫し、その直下に名が記されていたものを拝見した。
一知半解の徒である私は驚いた。と、云った趣旨のものでした。

こちら関西はご存知の如く像門が多く、道路脇の題目塔で一遍首題の直下に蓮祖以外の名を見掛ける事は
容易い事です。(東日本でも同じかな)

首題直下に蓮祖以外の名に違和感を覚えるのは石山系の家系に生まれた処に起因するもの
か?と、思惟いたしております。

像門(朗門)では何ら違和感のないものなのではないか?
本尊勧請様式で十界互具を採る興門派ですが、一塔両尊、一遍首題も採る門派の方との
本尊に入れ込む感情は違ったものなのかな?
と思うものです。






と愚考致すしだいです。


何かを語る時、論証・証憑を示すに越した事はない訳ですが

3814幻論乙坊:2009/11/30(月) 00:24:54
校正し忘れました。

>と愚考致すしだいです。
〇を削除し忘れました。

>何かを語る時、論証・証憑を示すに越した事はない訳ですが
〇何かを語る時、論証・証憑を示すに越した事はない訳ですが、像門(朗門)では何ら違和感のないものなのではないか?・・・・

とするものでした。

3815犀角独歩:2009/11/30(月) 08:06:11

先に記した五度万行、身延荒行堂で受けた漫荼羅相伝の資格を持って書すという点ですが、わたしの mixi のフォトに、神奈川県「円徳寺(日良師)」漫荼羅を載せています。三体の中央大幅が、それです。

http://mixi.jp/view_album.pl?id=7504585&owner_id=14027330&mode=photo

筆法、諸尊、詳しいことは覚えていませんが、所謂本則とは何点か違ったところがありました。

個人的には、こうした相伝を受けた人が書く漫荼羅は、相伝書などでみる筆法に忠実なのだろうと予測していたのですが、むしろ、逆で、相伝を受けているからこそ、相伝の基本は基本として、相伝師という自覚立場から、独自境地を漫荼羅世界に展開するものだと感心したものでした。

3816ケン:2009/11/30(月) 21:22:09
3811 3815 犀角独歩さん
詳しくご教示を頂き、ありがとうございました。
外出していてお礼が遅れ、大変失礼しました。

3817幻明影偲:2009/12/13(日) 23:31:56
素朴な疑問なのですが、石山では金口、今師、直授、釈主、九師、各相承は天台教学史にあるものですが、石山ではこのような教学を年代で言えばいつ頃から本格的に取り入れていったのか、非常に疑問です。
恐らく日寛以降かと愚考致す所存ですが、日寛時代にも石山に伝わらない板曼陀羅や細草壇林に当初からあったとされる板曼陀羅を見ましたが、あの当時から板曼陀羅が形成されていたのであれば恵心流を取り入れていく考えが私にはどうもわかりません。

3818再挑戦者:2009/12/15(火) 18:54:13
 幻明さん、、。
  アアダラ、、、コウダら、、は不要でしょう  カ?
  、、。

 アノ、、 オカシナ、、?・ 曼陀羅が 国宝、、?? とは ???
 「ご本尊集 >  midashi、、」の中でも、、最低なる 品格でしょう、、!!?・

  他の 真筆のほうが、、 一千倍もの 「、、品格が 感じます、、」、、が、、??

 保田様には 強奪・疑義もある ? にも  ぞっこんなのでしょうか、、?? 
  視点を変えれば 、、Sの 会 ヤ、、オーム教の 有害なる 「カルト」、、と 同じでしょうか ??

 (「週刊現代」、「G2]、「主教被害者情報」、「国民新聞」、「FORUM 21」、「有害カルト情報」、、)

3819幻明影偲:2009/12/15(火) 23:40:20
再挑戦者さん

○○○(笑)さんなら、即答されるのではないでしょうか。

>アアダラ、、、コウダら、、は不要でしょう  カ?

 保田様には 強奪・疑義もある ? にも  ぞっこんなのでしょうか、、?? 


※もう少し解かりやすく、ご説明願えますか?
これでは、チンピラ暴力団の脅迫文のように思えてなりません。
因みに私の私見ですので再挑戦者さんへの言葉でないことを一言お断り申し上げます。

3820犀角独歩:2009/12/16(水) 02:16:05

○開拓の拓は衣偏

livedoorBlog で「日蓮墨筆を読む」という連載をいきおいではじめて、はや65回になりました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/51667293.html

さて、先ほどアップしたのは『観心本尊抄副状』。
ここに「見無二志可被“開拓”之歟」とあります。
この開拓の拓につき、もう数十年も前に受けた講義で、「通常は拓は手偏だが、日蓮大聖人は敢えて衣偏に書かれた」と聞いた覚えがあります。

池田さん(が書いたとされる)講義録であったような、他であったような、記憶が曖昧なのです。

「胸襟を開く」という意を籠めたということでした。
いま実際、真蹟を見ると、たしかに衣偏のように見えます。

この講義は、いったい、なにを根拠にしたのか、どうも思い出せません。

この話の元、どなたか、ご教示願えませんでしょうか。


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