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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

2バックアップ:2002/02/20(水) 13:45

2 名前: nanasinokoibito 投稿日: 2002/01/31(木) 18:27

仏とはなんなのでしょう?
そして、我々の成仏への道は?

3バックアップ:2002/02/20(水) 13:45

3 名前: 独歩 投稿日: 2002/02/01(金) 03:21

nanasinokoibitoさま:

> 仏とはなんなのでしょう?
> そして、我々の成仏への道は?

上述の文章は疑問形になっていますが、質問にも、発題にもなっていません。

小学生に「仏とはなんでしょうか」と問うたら「片仮名のイとムを並べて書くと仏になる」と答えるかもしれません。しかし、あなたが聞きたい答えはこのようなことではないでしょう。また、弁護士事務所に法律相談に出向き、「法律とはなんですか」と訊いたら、弁護士に呆れられるだけでしょう。

(1)仏のなにを質問しているのか、具体的に発題しなおしてください。

それと、質問をする最低限の礼儀として、「自分はこのように思っている」という自分の責任で、自分の考えを述べるべきでしょう。それはまた、自分が理解していることを相手に告知し、質疑応答の無駄を省く役割をもつものです。

(2)以上のことから、あなたが考える「仏とはなにか」「成仏の道はなにか」を提示してください。あなたが考えるです、創価学会の友人が言ったなどは必要ありません。

4バックアップ:2002/02/20(水) 13:46

4 名前: nanasinokoibito 投稿日: 2002/02/04(月) 19:49

以前にも書きましたが、私は皆様のように仏法に精通している者ではありません。
様々な教義を持った方々の話を聞いている中で、何が真実なのかを模索している
最中です。
自分がこう思っているというしっかりとした意見は恥ずかしながらありません。
では、質問し直します。
「日蓮大聖人の仏法の中で顕される仏」とは具体的にどんな存在をいうのでしょうか。
また、仏とは実在する存在なのでしょうか。

日蓮仏法の教示している「成仏」とはどういった現象もしくは状態なのでしょうか。
また、「成仏」という結果を得る為には何が必要なのでしょうか。

また、できましたら皆様が体験された現象に基づいた解説をいただけると、具体性
が増し、納得できると思のでお願いいたします。
いますどのような宗教も元は民衆救済という名目では同じだと思っています。
ですが、実際に皆様は日蓮仏法を熱心に信仰されているという事は、日蓮仏法
にしかない「何か」があるのでは?とも思います。
もし、よろしければ皆さんの信仰する理由も聞かせていただけると、嬉しいです。

5バックアップ:2002/02/20(水) 13:47

5 名前: 独歩 投稿日: 2002/02/04(月) 20:41

nanasinokoibitoさま:

一週間ぶりの登場ですか。少し質問が具体的になりましたね。

>「日蓮大聖人の仏法の中で顕される仏」とは具体的にどんな存在をいうのでしょうか。
また、仏とは実在する存在なのでしょうか。

ここでは、まず「存在」を問うて、のちに今度は「存在なのか」と自らの前言に疑問を投げかける形になっていますね。まあ、細かい点を特に拘るのはやめましょう。

まず、仏教は大前提として、何の存在も説いていません。説いているのは縁起だけです。
「仏」の意味は仏教辞典でも繙く努力をしてください。私は個人的に『織田仏教大辞典』を薦めます。著者・織田得能師の血の滲むような精進も共に俯瞰していただければ、仏教を学ぶ人間の努力の一端を垣間見られるのではないかと思います。

さて、日蓮聖人が説く「仏」とは他のスレッドでも記すところですが、法華経寿量品の久遠五百塵点成道本門教主釈尊ということです。しかし、これは存在ではありません。

> 日蓮仏法の教示している「成仏」とはどういった現象もしくは状態なのでしょうか。

成仏は現象でもなく、状態でもありません。

> また、「成仏」という結果を得る為には何が必要なのでしょうか。

聖人の教説に添えば、本門教主釈尊を本尊として、南無妙法蓮華経と題目を唱えることとなります。この結果がどのようなものであるのか、それは言語道断・心行所滅の境地でしょう。解説を求めること自体、既に方法論として間違っています。

> また、できましたら皆様が体験された現象に基づいた解説をいただけると、具体性
が増し、納得できると思のでお願いいたします。

私自身の個人的な体験としては、やはり、唱題の最中の実感ということになります。

> 宗教も元は民衆救済という名目では同じだと思っています。

民衆共済というより、慈悲の顕現ということであろうかと存じます。とはいうものの、私自身は、社会一般のなかに帰っていく活動、社会福祉、障害者問題、青少年問題、高齢者・福祉問題への取り組みという形で具体化を目指しています。根幹となるのは仏教の慈悲の精神です。

> 実際に皆様は日蓮仏法を熱心に信仰されているという事は、日蓮仏法
にしかない「何か」があるのでは?とも思います。

私にとっては、やはり、唱題の実感ということになります。
しかし、これを文章で表わすことはできません。

6バックアップ:2002/02/20(水) 13:47

6 名前: いちりん 投稿日: 2002/02/04(月) 21:44

独歩さま
わたしも『織田仏教大辞典』(通称「おだぶつ」)がよいと思います。
仏典や論書からの出典がたくさん出てくるのがよいですね。

あと、岩波の「仏教辞典」もお薦めですね。
これは、サンスクリット語、パーリ語が明記されているので、漢訳化されるもともとの意味を知るのに、とてもよいです。

本格的なのは「望月大辞典」ですよね。10巻以上ありましたか。滅多に引くことはありませんが、よくもまあ、あそこまで作りましたよね。

7みなみつくし:2002/02/22(金) 12:38
すごく変な質問ですが…。

コスプレって謗法なのでしょうか。
自分自身はセーラームーンの大ファンで、
セーラー服とかナースとかの洋服を着るのが大好きですが、
元邪宗の修行僧だった職場の先輩に「コスプレしていいの?」と
突っ込まれました。
また、自身はUFOと宇宙人が好きでラエリアルムーブメントに興味が
ありますが、あれは宗教なのでしょうかそれともただのサークルなんでしょうか。
バレンタインはキリストの祭りだということはしっていますが、
何故か宗門内であげてるひとがいましたがそれは果たしていいのでしょうか。
また、バレンタインに代わるプレゼントの渡し方を教えてください。
本命は正宗信者だから理解してくれてるけど、他の男性が心待ちにしています。
でもあげないのはかわいそうだし…。

8問答迷人:2002/02/22(金) 14:38

うーん、難しい。

私は、習俗になった事柄は、本来は他宗教に由来する事であっても、多少の事は、そのまま認めて良いと思います。コスプレだって、バレンタインのチョコレートだって、構わないと思いますが…。

9みなみつくし:2002/02/23(土) 20:00
ありがとうございます。バレンタイン、終わっちゃってた…。
今からでも間に合いますか?(爆)

ラエリアルムーブメント。やっぱり気になります。
本厚木のパンフでは、「サークル」ですが、
他に、
宇宙人はGOD(神)と間違われた。
地球人は宇宙人によって作られた。
クローン人間にYES。
科学を止めるものは悪である。
等、ありました。

10板東:2002/02/23(土) 20:05

コスプレは知らんけど,バレンタインも謗法!と,オレがいた寺の住職の女房は,女子部が所化にもってきたチョコレートをたたき返していたね.
その前にチョコを受け取る所化の顔見てたんだけど,あれが出家ってやつかね,まったく,殴って根性たたきこんでやろうかとおもったもんだ.
おっと,不適切発言かな?

11板東:2002/02/23(土) 20:10

ラエリアルムーブメントが好きなんだ.
むかし,創価学会にいたころ,2001年宇宙の旅に出てきたモノリスを「あれはご本尊だ」と言った男子部がいたもんだ(爆)
似たようなもんかね,考え方は.宇宙人だ,UFOだで日蓮正宗の信じてますってか.
つながるわけなんだ.ふ〜ん.ま,どう考えようと自由だけんどねえ.

12みなみつくし:2002/02/23(土) 21:57
いや、ラエリアンが好きって訳ではないんですけど。
宇宙人にはすごく興味があります。
変な教団とかセックス宗教とか噂されてるけど真相が知りたいのです。

13tokumei:2002/02/24(日) 14:00
この団体は倫理的に問題があると思います。

14問答迷人:2002/03/02(土) 10:32

前から、不思議に思っていることがあります。聖人の御在世当時は、御僧侶が盛んに、他宗の僧侶を折伏して、改宗させています。例えば、熱原の法難でも、寺院をそっくりそのまま折伏する、という事が行われています。ところが、本宗の御僧侶が、他宗の僧侶を折伏した、という話は聞いた事がありません。なぜなんでしょう。

15tokumei:2002/03/02(土) 10:53
そうですか。
大聖人様滅後は、本宗の御僧侶は他宗の僧侶を折伏していないのですか。

16一講員:2002/03/02(土) 11:41

問答さん
tokumeiさん

>大聖人様滅後は、本宗の御僧侶は他宗の僧侶を折伏していないのですか。

そんなことはないでしょう。昔はバンバンやってたと思いますよ。だけど、最近、特に明治以後はあまり聞きませんね。勿論、江戸時代は、寺請制度で、折伏はできてません。今の僧侶を見ていると、本宗に限らず、みんな家族を持っていて、半ば、僧侶という家業を継いでいるように見えます。だから、その宗教が間違っていると判っても、商売だから止められない、そんな事情があるんだと思いますよ。それで、宗門も、あまり効果が上がらないものだから、信者の折伏に精を出すことになってしまったのではないかと思います。

17問答迷人:2002/03/02(土) 12:59

tokumeiさん
一講員さん

>大聖人様滅後は、本宗の御僧侶は他宗の僧侶を折伏していないのですか。

書き方が悪かったです。『今日においては』という意味です。聖人のころは、他宗の僧侶が改宗した場合、事実関係は良くは分かりませんかが、宗門僧侶として受け入れていた様に思われます。現在は、もう一度、所化から修行しなおさなければならないし、所化になれるかどうかも難しいのではないのでしょうか。御存知の方、御教示お願い致します。

19一字三礼:2002/04/12(金) 17:12
また、皆様から御教示いただきたいのですが。
十如是についてですが、実は私は一年ぐらい前から三転読していません。もともと三転読は、「是相如・・如是相・・相如是・・」と読みかえることを報身・応身・法身の三身、空・仮・中の三諦、法身・般若・解脱の三徳と観じて「我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり」(御遺文は一念三千法門です。真蹟も古写本も無しですが、三転読の意味は同じであろうと引用しました。)と知るところにあると思うのです。しかし、そもそも方便品読誦の意義は五人所破抄によれば「純一無雑の序分には且く権乗の徳果を挙げ、廃迹顕本の寿量には猶伽耶の近情を明かす。」為としています。また「方便読誦は本意に非ざれば只是牒破の一段なり」と言うことであれば、方便品はそのまま読誦すればいいのであって、ことさら一念三千や三身如来と結びつける必要を感じません。なにより、教義を経典にあてはめて読み替えをすることが本末転倒に思えるのですが。掲示板を御覧の方々はどのようなお考えをお持ちか、ぜひお聞かせください。

20独歩:2002/04/13(土) 01:32

一字三礼さん:

> 教義を経典にあてはめて読み替えをすることが本末転倒に思えるのですが

私は、この考えには大いに賛成です。

21一字三礼:2002/04/13(土) 10:15
独歩さん:
少々ほっとしました。
御賛同いただいた点は、蓮祖聖人の基本スタンスさと思いますので、聖人御自身も三転読なさらなかったのではないか、とまで考えておりますが、この点につきましては、どのようにお考えですか。

22独歩:2002/04/13(土) 14:26

一字三礼さん:

> 聖人御自身も三転読なさらなかったのではないか

これはどうでしょうか。この点を決定付ける資料は考え付きません。
ただ、三転は玄義「釋名三法妙」に現れる

依義讀文凡有三轉。
一云。是相如是性如。乃至是報如。
二云。如是相如是性。乃至如是報。
三云。相如是性如是。乃至報如是。

に拠りますから、その継承者であれば、この点を否定したとは考えづらいような気がします。私は、むしろ、三転読誦と言いながら、経文の字句どおりを、3回繰り返して三転読誦というのではなく、玄義文の如く、読み替えながら読経していたのではないのかと考えています。

ただし、これは資料によるものではありません。この点、どなたか確かなところをご教示いただければ幸甚です。

いずれにしても、聖人の読経の行儀と違っているのは方便品を十如で打ち切り、その後、世雄偈を唱えないほうが、よほど相違している点ではないのかというのが、私の見解です。

23一字三礼:2002/04/13(土) 21:05
独歩さん:
>十如で打ち切り、その後、世雄偈を唱えないほうが、よほど相違している点ではないかと・・・
とても勉強になります。そうでしたか、当時は世雄偈も唱えていたのですか。さほど長くも無い世雄偈を、削る理由もわかりませんし、世雄偈ではまだ、二乗作仏も説かれていませんね。二乗作仏まで来れば、所破の為とする意味はわかるのですが。となると、方便品読誦の目的は、理の一念三千ということになりますね。また、三転読誦については、蓮祖聖人の経典至上主義も天台三大部の前には、鈍るのではなく、別の視点で御覧になっていた、と思いたいです。

24独歩:2002/04/13(土) 22:31

一字三礼さん:

> 蓮祖聖人の経典至上主義も天台三大部の前には、鈍るのではなく、別の視点で御覧になっていた…

私も以上のように考えています。
天台宗は当然、天台の釈義を金科玉条に扱うわけですし、さらにそこに本覚論的展開が加わり、さらにことをややこしくしていたわけでしょう。その意味において、聖人は、まず本覚論の排除から、さらに教典の原典主義に戻っていこうとされたのだと私は考えます。

先に少し記しましたが、そもそも三身論にしても真蹟で見る限り、聖人は極めて消極的にしか扱っていないように私は感じてきたのです。そもそも天台宗における三身は応身・釈迦、報身・阿弥陀、法身・毘盧遮那という見解であってそれが一身に具わるという展開です。念仏が天台宗から出た所以、さらに真言宗との親和性は、ここいらからすれば、むしろ当然のことであったろうと思えるわけです。

しかし、それなのに、聖人は阿弥陀も大日も斥け、久遠実成の釈尊ばかりを本尊と規程し直すわけです。この時点で、私は聖人の本尊観はある意味、天台以上に法華経に忠実であったと、私は思うわけです。

そのお考えは先鋭的で、寿量(品)仏と無量寿仏(阿弥陀)と同等性を論じる天台義すら、敢然と排斥していったわけです。
私は聖人の、この肉薄に感動すら覚えるものです。

なお、やや余談ですが、この聖人の姿勢とは別に法華経と浄土教は近隣・兄弟関係にある点は安楽行品の“安楽”がスカバティ(極楽)に充てられた初期の漢訳語であった点から天台の阿弥陀受容もまた致し方のない点であったろうとは思います。

やや余談ですが安楽行品の“安楽”は極楽を意味するスカバティの訳語に使われていることから四安楽行が極楽での修行で語ることは説得性を持つものである気がします。ただし、これは梵本における教学展開ではなく漢訳仏典を基礎とする仏教展開である点は注意を要します。


「スカヴァティー「極楽」の訳語としての定着までの推移」

年    訳語    出典
179  須摩提   『般舟三昧経』
186  須摩提、   須阿提 漢訳
253  須摩題    呉訳
252  “安楽”   魏訳
253  須阿摩提  『慧印三昧経』
269  須摩提   『方仏泥【シ+亘】経』
312  須訶摩提  『菩薩受斎経』
316  須訶摩提  『三曼陀[風友]陀羅菩薩経』
402  極楽    『阿弥陀経』
479  極楽    『如来智印経』
713  極楽     唐訳
1001  極楽     宋訳

25モモ:2002/04/14(日) 06:06
たまたまネットを眺めていたらば、日達上人から日顕上人への相承はなかった、
というページを見つけてしまいました。石田次男氏の話が書かれてます。
また日顕上人の御本尊では功徳はなく、罰がでる、ということも書いてあります。
いかが思われるでしょうか。最近は情報がめちゃくちゃでどう考えていいかよく
わかりません。

http://www.linkclub.or.jp/~taroh/rihen/rihen_18_2_1.htm

26宮本:2002/04/14(日) 16:31
モモさんへ:
今日は。
 御存知かもしれませんが、学会の公式見解も
 聖教新聞では、相承は、なかったとなっております。
 で、必然的に同様に

 >日顕上人の御本尊では功徳はなく、罰がでる、ということも書いてあります

と同様になっております。

  それで、具体的にどうしたらいいのか・?ということになりますが
 なかなか結論が出ない場合は、御本尊様にお尋ねする形をとるのも
 いかがかと、僭越ながら思います。(これじゃ答えになってないかな)

27独歩:2002/04/14(日) 17:06

モモさん:
宮本さん:

顕師の相承を学会がとやかく言うのは如何のものでしょうか。
私は、元学会でしたが、池田さんがエレベータの中で戸田さんから血脈を受けたと読んで大笑いしたものでした。「そんな馬鹿な」と個人的には思っています。
しかし、やめてしまった他団体が作り話であったとしても、実際のところ、池田さんを中心に動いているのは事実のわけですから、他人がとやかくいうことではないでしょう。言った所で非難としかとらえられません。

同じことで、喧嘩別れをした団体がいう敵対相手の公式見解など、悪口の域を越えるものではありません。

それに仮に顕師の相承がなかったというのであれば、あることを前提に会員を動かしてしまった会の責任は追及されるべきでしょう。池田さんは居士衣までもらって法華講総講職を受け、それに基づいて会員を動かした最高責任者であるわけです。

いまの時代、議員秘書や、事務員が言ったやったことで代議士が引責辞任させられる時代でしょう。

なお、曼荼羅についていえば、顕師の血脈の可否によって功徳を云云するのは、私はナンセンスであると思っています。内証を写したとは思いませんが、750年已来の化儀に基づいて書写されたものでしょうから、拝する側の御信心の問題であろうと思うわけです。

そんなことより、他団体の歴代曼荼羅を印刷頒布したもの、大きく伸ばして会館にかけた曼荼羅なんかに功徳なんかあるのか? 罰はないのかという問題のほうがよほど考えるべき問題ではないのかと私は思っています。

そもそも信心の血脈(こんな考え方自体、私は否定的ですが)は、団体に流れるのではなくて、個人の信心に流れるものならば、印刷業者や、販売頒布者、さらには書写の人の預かり知らないところではないのでしょうか。

曼荼羅を拝し、何を掴み取るのか、それを真剣に考えるとき、販売頒布団体、書写の血脈の可否に気を取られていれば、何も得るものはないのではないでしょうか。

顕師曼荼羅に罰が当たるなら、寛師曼荼羅を勝手に印刷頒布したものであっても罰は当たるのであろうと思います。しかし、私は、こんな議論は実に馬鹿らしい、自讃毀他以上のなんの意味ももたない不毛な思惑であろうかと存じます。

それぞれの団体のご都合によって構築された詰り合いは無視するに限ると私は思います。

28宮本:2002/04/14(日) 19:39
独歩さんへ
  私の書き込みの前半は、公式見解を書いたのですが
それは、あくまで、現状の説明です。他意はありません。
(聖教新聞(公式見解)の信頼度は、ほとんど、ありませんから)
 で、
 >・・拝する側の御信心の問題であろうと思うわけです。
 と
 >御本尊様にお尋ねする形をとるのも
 >いかがかと、僭越ながら思います。
 で
  独歩さんと、同様のつもりです。

 >それぞれの団体のご都合によって構築された詰り合いは無視するに限ると私は思います。
 
  その通りなんですが、実際は、心が安定するまで、揺れるものなんです。
 それで
 >最近は情報がめちゃくちゃでどう考えていいかよく・・。
 と書かれているのです(私の推測ですが)

  私のような二世三世でもないものは、比較的、割り切れる人が多いのですが
 やはり、
 >他人がとやかくいうことではないでしょう

(その通りなんですが)といかんのでしょうね。

 先生以下、入信暦の長い方とかは、まだ、とやかく言いたいのでしょうね。
たくさん供養をした方とかも、過去のいきさつとかあって、
なかなか納得出来ないようです。

 独歩さんが、仰っておられるように、
 早急に別々の宗派であるという前提に立ってもらいたいものです。
 (こう書くと学会員失格なのかもしれませんが)

29独歩:2002/04/14(日) 20:09

28 宮本さん:

どうも私は判読能力がないようで、いつも意を取り損ねております(笑)

私は曼荼羅の利益というのは(功徳は積功累徳の意味で善根の蓄積を言うので、やや富士周辺での使用は違うであろうと思いますので利益と敢えて言いますが)以下の、私のサイトにアップしてある楠山師の発言に尽くされていると思います。

有り難いと思って唱える人にとって、他から罰が当たると思う曼荼羅でもちゃんと歓喜と利益の実感を得られるものなのであろうと思うわけです。

楠山師は朗門の御僧侶ですけれども、虚心坦懐に偏見なく読める人には曼荼羅の利益を得られるであろうと、むしろ私は思うのです。

【問】その板本尊も、創価学会特定の印刷本尊も功徳利益があるというのですが、実際利益はありますか。

【答】利益―功徳はあるでしょうよ。元来、利益というものは自分の観念の上にとらえられるものですから、何宗でも利益はあります。「僕は利益をいただいた。罰が当たった」と素直に受け取る人が幸せなのです。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/n_kusuyama_001.html

30宮本:2002/04/14(日) 21:30
独歩さんへ
 >どうも私は判読能力がないようで・・・。
 当方こそ、書き込みがたらず、すみません。(面談ですと、こんなことないのですが)
>有り難いと思って唱える人
>虚心坦懐に偏見なく読める人
実際の所、私にとっては、常にこの生命状態を保つのは、難しいです。
 では、また失礼致します。

31独歩:2002/04/15(月) 00:16

宮本さん:

特定の組織に入っていると、どうしても他組織の言葉は素直に読めないものでしょうね。
それでも宮本さんは必死にその壁を超えようと呻吟されている心情はわかる気がします。

32モモ:2002/04/15(月) 03:40
宮本さん、独歩さん、レスありがとうございます。

>それぞれの団体のご都合によって構築された詰り合いは無視するに限ると私は思います。

まさしくそのとおりだと思います。

私が驚いたのは石田次男氏が日顕上人から日達上人への御相承を否定されて
いることです。
石田氏は当時、戸田城聖氏に創価学会の三代会長に推薦された、という話が
あります。ゆえに今では創価学会ではなく法華講ではないかと私は思ってました。
石田次男氏とはどういう人なのでしょうか。池田氏に煙たがられ、窓際に追い
やられてしまった、という話も聞いたことがあります。

33独歩:2002/04/15(月) 04:34

モモさん:

> 石田次男氏とはどういう人なのでしょうか

戸田さんの直弟子で、次男という名前に引っ掛けて、「次の会長はおまえ」だと言われていた人です。

『現代諸学と仏教』という本を著して、池田さんの教学が外道義であると喝破した人でした。

不思議なのは、顕師の相承を否定したというけれど、その葬儀は故人の遺志によって石山に拠ったと記憶しています。

人望のあった人で、正信会、また内藤邦夫さん、福島源次郎さん、原島高さんをはじめ、人々が慕っていたということでした。

なにより清貧の人で生涯、本当に貧乏であったといいます。ご本人と共に私はご夫人も尊敬いたします。

ただ、この方は一つの組織に偏る人ではなかった。正理を基にされる人であった。つまりは、組織、故人の絶対を論じることなく、善い面、悪い面、両面をしっかりと告知された方であったと拝察します。

教学的には、惜しくも本覚義その他の考証は浅いところがあり、真偽考証も甘かった点は惜しまれます。

私は、実は福島源次郎さんから紹介いただく約束を取りながら、その直後に逝去され、お会いできなかったという経緯があり、今でも悔いを残しているのです。でも穏やかな好人物であったと聞いております。


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