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素朴な疑問
27
:
独歩
:2002/04/14(日) 17:06
モモさん:
宮本さん:
顕師の相承を学会がとやかく言うのは如何のものでしょうか。
私は、元学会でしたが、池田さんがエレベータの中で戸田さんから血脈を受けたと読んで大笑いしたものでした。「そんな馬鹿な」と個人的には思っています。
しかし、やめてしまった他団体が作り話であったとしても、実際のところ、池田さんを中心に動いているのは事実のわけですから、他人がとやかくいうことではないでしょう。言った所で非難としかとらえられません。
同じことで、喧嘩別れをした団体がいう敵対相手の公式見解など、悪口の域を越えるものではありません。
それに仮に顕師の相承がなかったというのであれば、あることを前提に会員を動かしてしまった会の責任は追及されるべきでしょう。池田さんは居士衣までもらって法華講総講職を受け、それに基づいて会員を動かした最高責任者であるわけです。
いまの時代、議員秘書や、事務員が言ったやったことで代議士が引責辞任させられる時代でしょう。
なお、曼荼羅についていえば、顕師の血脈の可否によって功徳を云云するのは、私はナンセンスであると思っています。内証を写したとは思いませんが、750年已来の化儀に基づいて書写されたものでしょうから、拝する側の御信心の問題であろうと思うわけです。
そんなことより、他団体の歴代曼荼羅を印刷頒布したもの、大きく伸ばして会館にかけた曼荼羅なんかに功徳なんかあるのか? 罰はないのかという問題のほうがよほど考えるべき問題ではないのかと私は思っています。
そもそも信心の血脈(こんな考え方自体、私は否定的ですが)は、団体に流れるのではなくて、個人の信心に流れるものならば、印刷業者や、販売頒布者、さらには書写の人の預かり知らないところではないのでしょうか。
曼荼羅を拝し、何を掴み取るのか、それを真剣に考えるとき、販売頒布団体、書写の血脈の可否に気を取られていれば、何も得るものはないのではないでしょうか。
顕師曼荼羅に罰が当たるなら、寛師曼荼羅を勝手に印刷頒布したものであっても罰は当たるのであろうと思います。しかし、私は、こんな議論は実に馬鹿らしい、自讃毀他以上のなんの意味ももたない不毛な思惑であろうかと存じます。
それぞれの団体のご都合によって構築された詰り合いは無視するに限ると私は思います。
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