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本門の戒壇について
124
:
直人
:2004/05/18(火) 21:24
>>122
の続き [結語]
これまでは史料解説を中心として大石寺門流における本門戒壇思想の史的変遷について
述べてきたけれども、最後に私が思うところの本門戒壇論について述べてみたい。これはあ
くまでも私論であることをご了承下さい。
宗祖は「三大秘法抄」において次の如くに御教示されている。
戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有
徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並に御教書を申下して、
霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つ可きのみ。事の
戒法と申すは是也。三国並に一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王帝釈
等も来下して給うべき戒壇也 (定本P1864〜1865)
一閻浮提の隅々にまで妙法が広宣流布され、権力者も民衆も妙法を護持してこそ、はじめ
て王仏冥合と云えよう。そうした社会においては本門戒壇はおのずと建立されるであろう。そ
してその本門戒壇とは「三国並に一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王帝釈
等も来下して給うべき戒壇」であって、日本一国のみの国立戒壇というようなものではなく、敢
えて云うならば「一閻浮提立」「王立」「世界立」といった《国立戒壇の精神を継承した本門戒
壇》となろう。
決して、
今、深くこれを思うに、日本国全人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に
純真な、しかも確実な信心をもって本門の題目、南無妙法蓮華経を異口同音に唱えたてま
つることができたとき、そのときこそ日本国一国は広宣流布したと申し上げるべきであると、
思うのであります。(達全2−5−P538)
というような偏頗な広宣流布観によって本門戒壇が建立されるのではない。あくまでも妙法が
一閻浮提の隅々にまで流布したとき、一つの広宣流布達成の証として建立されるのである。
本門戒壇建立は如何に高尚に哲学的に論じたところで成されるものではない。日蓮聖人門
下が真実、「死身弘法」「不自借身命」の精神で一閻浮提広宣流布に邁進してこそはじめて
本門戒壇建立への道が見えてくるのではなかろうか。(「本門寺戒壇のこと」全了)
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